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平安時代年表
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西暦年号天皇太政大臣出来事中国備考
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760年天平宝字4年淳仁天皇藤原仲麻呂
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764年天平宝字8年淳仁天皇藤原仲麻呂
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765年天平神護元年称徳天皇道鏡
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766年天平神護2年称徳天皇道鏡
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770年神護景雲4年称徳天皇崩御
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793年延暦12年桓武天皇平安京建設大規模に始まる
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弘仁・桓武・平城・嵯峨・淳和・仁明天皇間は任官者なし
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平安時代
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794年延暦13年桓武天皇桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂が蝦夷征討に出発。
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桓武天皇が長岡京から平安京へ遷都
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令外官として征夷大将軍を新設
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795年大極殿落成する。
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796年東寺・西寺・鞍馬寺が創建される。
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797年延暦16年続日本紀
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令外官として勘解由使を置く。
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坂上田村麻呂征夷大将軍に任命
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799年延暦18年大伴麻呂を遣新羅使に任命する。
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渤海使の来日を6年に一度とする。
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800年延暦19年 富士山が噴火(延暦噴火)
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801年延暦20年坂上田村麻呂、拝刀を賜り、陸奥国へ出発
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藤原葛野麻呂らを遣唐使に任命する。
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802年延暦21年坂上田村麻呂に陸奥国・胆沢城を築かせる。後に鎮守府を置く
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蝦夷の首長大墓公阿弖流為ら降伏する。
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804年延暦23年3月遣唐使藤原葛野麻呂らに空海・最澄ら同行する。5月入唐
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805年延暦24年坂上田村麻呂、清水寺を建立する。
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806年延暦25年平城天皇
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806年延暦25年
大同元年
日本に帰国した最澄が天台教学を広める。806年1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまり
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平安時代初期の大同元年(806年)、空海が中国(唐)より帰朝。823年に教王護国寺建立。
32
809年大同4年嵯峨天皇平城天皇が譲位。神野親王が践祚(即位)し、第52代天皇・嵯峨天皇となる。平城上皇、平城旧京に向かう。
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810年大同5年
弘仁元年
令外官として蔵人頭(天皇の首席秘書)を新設し、藤原冬嗣・巨勢野足が頭に任命される。
34
藤原薬子・仲成ら、平城上皇に政権を戻そうと謀って露見し、捕らえられる。上皇は出家し、皇太子高岳親王は廃される(薬子の変)。
35
大伴王(後の第53代天皇・淳和天皇)が立太子。
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811年弘仁2年陸奥に和我・斯波・稗縫の3郡を置く。
征夷将軍文室綿麻呂ら戦果を報じ、蝦夷の移配(内地へ強制移住)を要請する。
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812年弘仁3年桜の花見の宴が日本で初めて公式行事として催される。神泉苑にて嵯峨天皇が日本の記録上初めての花宴之節を開く。
38
813年弘仁4年弘仁の韓寇。新羅人110人が肥前小値賀島に来着し、島民と戦う。
39
815年弘仁6年新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)。嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑。
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816年弘仁7年令外官として検非違使を新設。
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唐で真言密教を授かり806年に日本に帰国した空海が、高野山金剛峯寺を修禅の道場として開創、これを以って真言宗の開宗とされる。
42
820年弘仁11年遠江・駿河両国の新羅人700人が反乱を起こす(弘仁新羅の乱)
43
嵯峨天皇が藤原冬嗣に編纂させた弘仁格式が完成。(830年施行)
44
821年弘仁12年藤原冬嗣が勧学院(藤原氏の大学別曹(大学寮の公認寄宿施設))を創立する。
45
822年弘仁13年朝廷が比叡山に大乗戒壇の建立を許可する。
46
823年弘仁14年淳和天皇嵯峨天皇が譲位。大伴親王が践祚し、淳和天皇が即位。嵯峨上皇による大家父長的支配のもと30年近く政治は安定し、皇位継承に関する紛争は起こらなかった。
47
真言宗の宗祖である空海(弘法大師)は、嵯峨天皇から東寺を下賜され、真言密教の根本道場(教王護国寺)とした。
48
826年天長3年上総・常陸・上野を親王任国とし、国守を太守と称する。
49
827年天長4年藤原良房の妹順子が仁明天皇の中宮となり、その間に道康親王(後の文徳天皇)が生まれた。良房は道康親王の皇位継承を望んだ。道康親王を皇太子に擁立する動きがあることに不安を感じた恒貞親王と父親の淳和上皇は、しばしば皇太子辞退を奏請するが、その都度、嵯峨上皇に慰留されていた。
50
828年天長5年空海、綜芸種智院を創設する。
51
833年天長10年淳和天皇の命により、清原夏野ら「令義解」を作る。
52
仁明天皇淳和天皇が譲位。正良親王が践祚し仁明天皇が即位。
53
834年天長11年
承和元年
藤原常嗣・小野篁らを遣唐使に任ずる。(翌年、翌翌翌年、難破)
54
839年承和6年諸国に庚午年籍(成立は670年)を写させる。
55
840年承和7年日本後紀が完成。延暦11年(792年)から天長10年(833年)に至る42年間を記す。編者は藤原緒嗣ら。
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淳和上皇崩御
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842年承和9年嵯峨上皇も重い病に伏す。
58
842年承和9年上記に不安を抱いた皇太子恒貞親王側近の伴健岑・橘逸勢ら謀反の疑いで捕らえられる承和の変。伴健岑ら配流される。恒貞親王廃太子。藤原北家藤原良房の妹の子(藤原冬嗣孫)の道康親王が立太子。以降藤原摂関家は勢力を拡大。
59
847年承和14年橘嘉智子(檀林皇后)・橘氏公姉弟、学館院を創設した。
60
850年嘉祥3年文徳天皇仁明天皇が崩御。道康親王が践祚し、第55代天皇・文徳天皇となる。惟仁王(後の第56代天皇・清和天皇)が立太子。母檀林皇太皇大后、同母妹秀子内親王も同年薨去。
61
天皇の外祖父故左大臣藤原冬嗣に太政大臣を追贈する。
62
851年嘉祥4年文徳天皇、父の仁明天皇が起居していた清涼殿を任命店のうりょを守る嘉祥寺に移して、嘉祥寺の仏堂とする。
63
天下の諸神に一律に位階を授ける。
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855年斉衡2年地震により、東大寺盧舎那仏像の頭部が落下。
65
857年斉衡4年藤原良房藤原良房が太政大臣となる。(~872年)
66
858年天安2年清和天皇文徳天皇が崩御。惟仁親王が践祚・即位し、第56代天皇・清和天皇。
67
859年貞観元年円珍園城寺(三井寺)の長吏(別当)に補任され、同寺を伝法灌頂の道場とした。後に、比叡山を山門派が占拠したため、園城寺は寺門派(天台寺門宗)の拠点となる。園城寺に国宝を初め、多くの円珍像有。
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866年貞観8年応天門焼失。
69
藤原良房摂政となる。
70
応天門焼亡の罪で伴善男を流罪にする(応天門の変)。連座した大伴氏、紀氏が大量に処罰され、これら上古からの名族へ大打撃を与えた
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868年貞観10年円珍を延暦寺座主とする。
72
869年貞観11年新羅海賊、博多津の豊前国貢調船を略奪する(貞観の韓寇)。
73
続日本後紀が完成する。
74
貞観格施行(貞観式の施行は871年(貞観13年)。清和天皇が藤原氏宗に編纂させたもの。いずれも現存せず
75
876年貞観18年陽成天皇清和天皇が譲位。貞明親王が践祚し、第57代天皇・陽成天皇。翌年即位。
76
摂政・藤原基経新帝がまだ9歳と幼少であったため、良房の先例に従い新帝の伯父である藤原基経が摂政に任じられた。
77
878年元慶2年50年ぶりに畿内に校田を行う。出羽国の夷俘反乱し、秋田城等を焼く。元慶の乱の勃発(翌年収束)
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880年元慶4年藤原基経藤原基経、太政大臣に任ぜられる。(~891年)
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881年元慶5年在原行平が奨学院を創立。
80
884年元慶8年光孝天皇陽成天皇が譲位。時康親王が践祚して第58代天皇・光孝天皇となり、同年即位。
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令外官として関白(成人の天皇の補佐官)を新設。
82
887年仁和3年宇多天皇光孝天皇が崩御。定省王が立太子して践祚し、第59代天皇・宇多天皇となる。同年即位。
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関白・藤原基経藤原基経が初の人臣関白に就く。
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阿衡事件(阿衡の紛議)。藤原基経と宇多天皇の間で起こった政治紛争。関白に任じる詔勅を基経が形式的に辞退した後、天皇は改めて基経を「阿衡」に任じたが、それについて基経は、中国の古典では「阿衡」は名ばかりで実権のない職を指すと抗議し、一切の公務の遂行を放棄した。最終的に天皇は二度目の詔勅を撤回して、その起草者の橘広相を罷免した。広相は言いがかりであるとして抗弁したが、「阿衡」の解釈について学者らは基経に迎合した。ただし菅原道真は広相を弁護した。
85
888年仁和4年仁和寺が落成する。本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」の構成資産として、世界遺産に登録されている。
86
889年仁和5年
寛平元年
田中伊雅仏具店が創業。70代、1100年を超える。
87
892年寛平4年日本三代実録」(六国史の第六)編纂始まる。菅原道真「類聚国史」撰修する。
88
894年寛平6年8月、菅原道真を遣唐大使とする。
9月 - 菅原道真の意見により遣唐使が廃止される。
89
897年寛平9年醍醐天皇宇多天皇が譲位し、第60代天皇・醍醐天皇が即位。
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900年昌泰3年竹取物語が完成 - 日本最古の伝奇物語。
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901年昌泰4年
延喜元年
藤原氏のライバル、菅原道真が右大臣から大宰権帥に左遷。
92
905年延喜5年紀貫之らが「古今和歌集」を編集 - 最初の勅撰和歌集。
93
907年唐の滅亡(618年~)
朱全忠が唐の哀帝から禅譲を受けて後梁を建国し、唐が滅亡、そして五代十国時代が始まる。
94
耶律阿保機(やりつあぼき)(太祖)、大契丹国を建国。
95
908年延喜格。908年(延喜8年)に施行。現存せず。全12巻。醍醐天皇が藤原時平に編纂させた。延喜式は967年(康保4年)に施行。
96
918年延喜18年朝鮮半島で王建が泰封を滅ぼして高麗を建国。
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927年イングランド成立。
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930年延長8年清涼殿落雷事件。清涼殿に落雷。死穢だらけになって宮中大混乱。惨状を目の当たりにして体調を崩した醍醐天皇、3ヶ月後に崩御。道真の怨霊が雷神となり雷を操った、道真の怨霊が配下の雷神を使い落雷事件を起こした、などの伝説が流布する契機にもなった。
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朱雀天皇醍醐天皇が譲位し、第61代天皇・朱雀天皇が数え8歳で即位。
100
摂政:藤原忠平藤原忠平(天皇外祖父)が摂政となる。