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データ出典
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戦国遺文後北条氏編別巻 小田原衆所領役帳
フルテキスト:
https://docs.google.com/document/d/1sGWjoRwgLUWs5dILoWml5d2Q4i-0brk783Q9-f6Vhjw/edit
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佐脇栄智・校注 東京堂出版 1988年刊行
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タブ説明
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remark説明・論拠を掲出
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arms_count
totalから動員兵力・実動員率、課役人日を推測して補記
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edited
addedのデータに実名比定を追記し、前所有者・検地年を整形
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source本文中の金額を数値データに変換
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digitalize
sourceのデータを知行主・収入源ごとに整形
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base
digitalizeのデータを元に課税基準額と控除額、課税額を整形
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added
baseのデータ内空欄に軍役・出銭で記載がないものを100%課税と仮定して補記
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total
addedのデータを知行主ごと、衆ごとに金額を集計
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◎動員数根拠
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まず、下記文書から諸足軽衆の動員数を抽出した。
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小田原市史資料編小田原北条0504「北条家虎朱印状」(小田原市立図書館所蔵桐生文書)
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表1:虎朱印状から所領役帳へ敷衍 ※山田某は役帳不記載、大藤には足軽衆知行335貫文を合算
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定員不足実数動員率軍役貫高一人当たりの貫高
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大藤1934414977.20%462,7002,397
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富島74353952.70%256,5823,467
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大谷54282648.15%143,4322,656
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多米81315061.73%184,8142,282
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荒川60223863.33%146,4232,440
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3072376.67%50,0001,667
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山田22022100.00%
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合計5141673471,243,95114,910
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平均73245068.54%207,3252,485
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表2:表1内にいない被官は、所領役帳から逆算
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定員不足実数動員率軍役貫高一人当たりの貫高
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加藤四郎左衛門134968.54%33,5002,485
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大形44143068.54%110,4302,485
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玉井帯刀左衛門61194268.54%152,6302,485
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当麻三人衆50163468.54%125,0002,485
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近藤隼人佑38122668.54%94,0002,485
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有滝母41368.54%10,9602,485
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清田113868.54%27,4682,485
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伊波1464610068.54%362,2482,485
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富島彦左衛門124868.54%29,5252,485
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深井2891968.54%69,0682,485
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合計4081282801,014,82924,849
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平均42132968.54%105,0852,485
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ここで、後北条氏が被官に対して発行していた着到定を参照する。
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着到定貫文貫高/人出典
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岡本政秀590001539331571(元亀2)年
小田原市史資料編小田原北条1026「北条家着到定書写」(岡本家古文書写)
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道祖土図書25000383331572(元亀3)年
戦国遺文後北条氏編1569「北条家着到定書」(道祖土文書)
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宮城四郎兵衛尉653603618161572(元亀3)年
戦国遺文後北条氏編1570「北条家着到定書」(内閣文庫所蔵豊島文書)
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鈴木雅楽助8150240751572(元亀3)年
戦国遺文後北条氏編1571「北条家着到定書写」(武州文書所収埼玉郡治右衛門所蔵文書)
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植松右京亮40510581021573(元亀4/天正元)年
戦国遺文後北条氏編1654「北条氏光着到定書」(稲村徳氏所蔵植松文書)
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池田孫左衛門1916005634211581(天正9)年
戦国遺文後北条氏編2258「北条家着到定書」(小田原市立郷土文化博物館所蔵文書)
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大曽根飛騨守27200468001581(天正9)年
戦国遺文後北条氏編2259「北条氏光ヵ着到定書写」(大曽根俊雄氏所蔵文書)
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座間25000383331582(天正10)年
戦国遺文後北条氏編2348「北条氏光着到定書写」(武州文書所収都筑郡金蔵所蔵文書)
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小熊孫七郎18500361671583(天正11)年
戦国遺文後北条氏編2571「北条氏政着到定書写」(武州文書所収足立郡金左衛門所蔵文書)
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平均64937204947
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一人当たりの貫高が、足軽衆では2485文だったのに対して、小田原衆や小机衆、江戸衆といった面々だと4947文。
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足軽衆が常備部隊だったため動員数が多かったと考え、無役の御馬廻衆と諸足軽衆と、他の被官衆で動員率を分けてみた。
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4947一般被官
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2485戦闘被官
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◎普請役=陣夫の仮説
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普請役は古文書で徴発が見られないことから、実態としては陣夫を指すものと考察。
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後北条関連で「普請役」とあるのは北条氏照が1579(天正7)年に出したもののみ(戦国遺文後北条氏編2092)。
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対して「陣夫」は1526(大永6)年から1590(天正18)年まで59例が検出でき、多用されていた。
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これを補強するのが、普請役が免除されている常備部隊の御馬廻衆:無役衆と諸足軽衆で、彼らは陣夫を太守から供給されていた。
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逆に軍役を負わない寺社・職人・他国衆に普請役が課されているのは、太守への陣夫供出を求められていたと考えられる。
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※陣夫は1疋40貫文で10日稼働。貨幣で納付する夫賃では1疋6貫文。
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→典拠は『後北条氏の基礎研究』(佐脇栄智著・吉川弘文館・1976年刊)48ページ
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◎人足の費用推測
上は大鋸引き、下は船番匠で職種は異なるが、職人衆での課役基準は同一なので組み合わせた。
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大鋸弐手卅日分御倩被成事。六貫文、作料、一日一人五十銭つゝ。弐貫四十文、公用、一日一人十七文つゝ。以上八貫四十文。此麦。五十五俵五升、百文ニ弐斗四升目。右、福島肥後・神保両人前より可請取、但、先一手三日之内可罷越、残一手ハ御一左右可相待申者也、仍状如件、
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辰十月二日/日付に(朱印「武栄」)中将奉/藤沢大鋸引頭森木工助
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小田原市史資料編小田原北条0736「北条氏康朱印状」(藤沢市・森万佐子所蔵)1568(永禄11)年比定
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→大鋸引き30日文の費用として「1日1人50文・公用なら17文」と記載
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船番匠可被召仕様体。一、年中卅日分者、御分国中諸番匠並ニ、以公用計可被召仕、若此外至于被召仕者、一日五十銭つゝ作料を可被下事。一、御分国中於何方、御船被成御造作候共、御一左右次第、即時ニ致祇候可走廻事。一、棟別銭壱間分令赦免候、同屋敷不可有横合事。以上。右、如此相定候、若横合非分之儀有之者、可申上者也、仍如件、
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乙卯三月十三日/日付に(虎朱印)/松崎船番匠弥五郎
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小田原市史資料編小田原北条0328「北条家虎朱印状」(松崎町・松田己一所蔵)
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→船番匠は年間30日公用で使えるとあり、それ以外では1日50文支払うことを命じている。
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公用費17文=2,936,179人日
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年30日徴発で97,873人稼働
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※一般相場の人日は50文なので33,277人しか稼働できない
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◎大普請役
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100
年間で10日間稼働が義務付けられており、10日を分割して徴発されることがあった。