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1 | タイムスタンプ | 名前 | 反革命宣言について考えたこと(担当:おが) | 文化防衛論 について考えたこと。(担当:独) | 『道義的革命』の論理―磯部一等主計の遺稿について について考えたこと。(担当:聯) | 自由と権力の状況 について考えたこと。(担当:マイッカー) | 対談について考えたこと(担当:light) | 学生とのティーチ・イン について考えたこと(担当:スタ・豆) | 全体について考えたこと | ||||||
2 | 2025/05/02 12:19:15 | がんも | 3月29日 橋川文三への公開状 について そもそもとして、この論は「美の論理と政治の論理」という「文化防衛論」←これ事態は中央公論に掲載された評論。(つまり33〜88ページの文章)に対する反論文に対する反論文です。 ここで繰り広げられる論争とは、 文化概念としての天皇は成立するか、ということである。 三島は、 「政治概念としての天皇ではなく、文化概念の天皇としての復活を促すものでなければならぬ」 と述べているが、そのために 「天皇と軍隊とを栄誉の絆でつないでおくことが急務」 と述べている。 それに対して、橋川は、方法も無理があり、論理的でもない。(共産革命の防止なら言えてる)そして大前提として文化概念の天皇の復活(それも無秩序状態をも包容するという容共をも含みかねない内容で)は無理があるでしょ、ということである。 橋川は、ここにおける天皇について、美的一般意志なるものを三島は抱いていると主張している。つまりルソーの一般意思のようなものを見出しているのだ。 「すべての個人の特殊な利害関心に基づく多様な意思の集合に対し、一つのネーションとしての統一的意味を付与するものこそ、絶対に誤ることのない自然法則のごとき一般意思」 と橋川は説明しながら、最終的にこう結んでいる。 「私には「文化」の一般意思と政治のそれとが一致するような人間生活のシステムを考えることはむずかしいのである」 対して三島は、この反論を肯定しながらも、それについてどちらかと言うと開き直る姿勢を取る。 まず自分に突きつけるように 「三島よ。第一に、お前の反共あるいは恐共の根拠が、文化概念としての天皇の保持する『文化の全体性』の防衛にあるなら、その論理はおかしいではないか。文化の全体性はすでに明治憲法体制の下で侵されていたではないか。いや、共産体制といわず、およそ近代国家の論理と、美の総攬者としての天皇は、根本的に相容れないものを含んでいるではないか。第二に、天皇と軍隊の直結を求めることは、単に共産革命防止のための政策論としてなら有効だが、直結の瞬間に、文化概念としての天皇は、政治概念としての天皇にすりかわり、これが忽ち文化の全体性の反措定になることは、すでに実験ずみではないか」。 と言いながらも、 私は、文化概念としての天皇、日本文化の一般意志なるものは、これ〔言論の自由〕を先験的に内包していたと考える者であり、しかもその兆候を、美的テロリズムの系譜の中に発見しようというのです。すなわち、言論の自由の至りつく文化的無秩序と、美的テロリズムの内包するアナーキズムとの接点を、天皇において見出そうというのです。 と主張を改めて繰り返しながら、軍隊の件については、端的に賞状を渡す儀式さえ復活させれば良いと述べた。 三島は、言論の自由を内包する文化概念として天皇があることを、歴史上天皇の名の下にアナーキー的な反体制闘争が行われたことを根拠にしている。それを文化防衛論では「みやび」と表現されている。しかしこの自由は死によって迎えられるものという極めて生々しいものであることは、留意しなければならない。 しかし三島の言う死とは抑圧に抵抗し散るといった文脈ではなく、己の中の死にあると言える。 彼の書 「日本の歴史と文化と伝統に立つて」 では死を生きるということを述べている。 「人間といふものは“日々に生き、日々に死ぬ”以外に成熟の方法を知らないんです。「葉隠」といふ本を御覧になつた方があるとみえて、笑つてゐる方がそこに居りますが、やはり死といふ事を毎日毎日起り得る状況として捉へるところから人間の行動の根拠を発見して、そこにモラルを提示してゆく。」 また文化防衛論においては、表現者の生業には、政治からの侵害の可能性を説いている。 「体を通してきて、行動様式を学んで、そこではじめて自分のオリジナルをつかむという日本人の文化概念、というよりも文化と行動を一致させる思考形式は、あらゆる政治形態の下で、多少の危険性を孕むものと見られている。」 それを創造し続けることで守ることができると、三島は説いている。 | ||||||||||||
3 | 2025/05/02 14:54:50 | てすと | てすと | てすと | てすと | てすと | てすと | てすと | 御茶ノ水楽器センター | ||||||
4 | 2025/05/02 15:24:09 | マイッカー | |||||||||||||
5 | 2025/05/03 7:50:40 | マイッカー | 初めの「弱肉の論理」において、チェコを例に三島氏の論理が展開されているが、いわゆる現体制を批判し、自由を求めている人々は、自分の安全性を確保していて、リングの傍観者として、当事者たちがいないリングの外から何やかんやと批判の論理を展開しているのではないかと解釈した。 確かにこれは思想や政治体制に限らず、私生活の面であっても、安全圏から自分自身の思想に酔って何らかの活動を行っている人々が多いことを再認識した。 また、真に自由と平和を勝ち取るというのならば、その国家を構成する集団の一員たちが、しっかりと志を持って結集して活動しなければ、「非武装抵抗」はできないのではないかという気付きを得た。 最後に、仮に権力の主導権を握れたとしても、次の自由を求める反体制派が現れ、それを受け入れた場合、自分たちが主張していた思想と自己矛盾してしまい、結果的に自己破壊につながると解釈することができた。人類はこのループを永遠と続けているのかもしれない。 次に、一番印象に残った文章として、バランス・オブ・パワーにあった、「理想的な政治形態とは、もしそう言って良ければ、決して実現されてはならない」というチェコから学べる教訓の部分である。 政治の面では思想が強く表れ、ある意味ではその人やその集団の理想的な政治体制が考えられているわけだが、それ自体が実現されると結果的に自己矛盾を起こし、崩壊につながるのではと考えた。 そして、この一節で一番好きな言葉があった。日本の学生運動やフランスの学生運動も「ドゴールあってこそ」「おとなしい、やさしい警官たちに守られていたからこそ」という部分である。自由と反体制という活動を安全安心にやるために、現体制の権力によって守られている構図は、正直笑いそうになった。 「人間性と自由」の一節においては、人間性とはなにかというある意味哲学的な考察をさせられた。人間性には陰と陽の部分があり、それが政治体制と相反する場合があり、現代の日本政治の基盤である議会制民主主義は、人間性と社会の破壊を防ぐための秩序を守る政治体制との妥協的な境界ラインを引いた結果なのだなと考えた。 この一節は、最終的にはキリスト教にも通じるお話になるのが、興味深かった。 次に「権力の二面性」の一節においては、芸術を例に権力の役割について考えさせられた。本文章を自分なりに要約するならば、政治体制における権力は、文化の保護者であり、その役割の実践のためには反体制派の「新しい文化」を処罰するという二面性を持っているということである。 また、自由を追求しつづけると、文化面での「価値」と「質」を軽視する傾向にあり、それに反抗して芸術家たちが素晴らしい作品や文化を作っていくと解釈した。これについては、三島氏の考えに全く共感できる部分である。 現代においても同じことがいえると私は考えている。今日の自由な表現が許されている日本では、芸術に対する価値が軽視され、利益主義になり、文化的に停滞しているように感じている次第である。 最後の「何を救出するのか」については、チェコの「二千語宣言」の引用がなされているが、これは現代社会のにおいても通じている難問であると感じた。 人を信用できなくなり、社会を信用できなくなり、権力を信用できなくなり、おまけにお金にも信用がおけなくなった現代において、三島氏の言う人間性と秩序を保護する権力のどちらをどこまで信用するのか、私自身でも読みながら唸ってしまった。 | 今回時間の関係で自分が担当する分野だけを読んでいたが、権力と自由、本当の意味での市民とは何か、深く考えさせられた。 またその深く考える手段として、どのような思想を持つのか、どこまでその思想を信頼するのか、自分なりに考えをまとめられたらと感じた次第である。 本書を読む時点で昭和100周年の年となったが、激動の時代で思想を語った三島氏に最大の敬意をこめて、最後のメッセージとしたい。 | |||||||||||
6 | 2025/05/03 20:13:28 | light | 私はこの対談の章を読み終えた後に当時から今までの人類の進歩のなさに嫌悪観を覚えた。 なぜならばこの対談で主な論点となっている女子供の論理と核を持ったヒステリーな権力と言う構図は、現代でもあまり変化が見られないからである。 例としてわかりやすいのはウクライナとロシアの闘争である。ウクライナは、自身はロシアと比べてパワーレスであり、そして正義であると喧伝し、物的な支援を強請り。ロシアは核を使えば西側をさらに刺激し、自身に悪影響であると考え自己禁欲は行うが、核から生み出される権威による脅し自体は行う。これは三島といいだが対談の中で述べた構図と重なる。 繰り返しにはなるが、私はこの対談の一年後に三島が自害したことと、56年もこの対談から時が流れているのに、人類社会の根本的な構造が変化していない事に嫌悪感を覚えるのである。 | ||||||||||||
7 | 2025/05/04 11:46:03 | おがしょ | 文化を守ることが創造的であるということは理解したが、そのことが自己放棄への衝動に向う点は、三島ならではの、言い換えれば解釈しがたい点である。他方、日本文化における主体性、再帰性、全体性という説明には頷けるものがあり、これがまさにアニメや漫画文化に通じていると感じた。すなわちアニメや漫画自体は創造されつづけるものであり、この文化を守ることとはいつまでもちばてつやや手塚治虫のタッチを守ることではなく、新しい表現やテーマを生み出し続けていくことであり、同人誌のように一般大衆もその担い手にならないといけないのである=主体性。さらにこれらは我々日本人の心に刻まれており、西欧人とは異なったイラストを小さい頃から描くのである。まさに魂に我々の文化が刻まれているといえる。 また「文化主義」たる用語も曖昧であるように思え、整理が必要である。文化主義は文化革命のような徹底的な文化破壊と裏表であるとか(41頁)、美術館にある宝石を守るものを単に警備するような敗北主義、守られるべきものの破壊に終わる(51頁)とかいっているが、これは具体的にどのようなことなのだろうか。まあ、「創造することが守ることだ」(53頁)というのはわかるんだけど、その反例の理解が難しい。 同じように、ナショナリズムの糖衣を被ったインターナショナリズムの問題(56頁)も分かりにくい。これが「見られる対象」となった民族主義とどのような関係があるのだろうか、またそれがどのような問題なのだろうか。一ついうなれば大衆が評論家的立ち位置になって主体的に民族主義的文化を保護しなくなってしまったことを言いたいのだろうか(そしてその評論の結論は大体、国際基準に合わせろ云々)。これも同じく具体例が見出しにくい。手段としての民族主義とは具体的になんなのか?(61頁) ※インターナショナリズム:国際主義、国家間の連帯を訴える立場 | ||||||||||||
8 | 2025/05/04 12:29:49 | おがしょ | 先ず何よりも、「われわれは強者の立場をとり、少数者から出発する」(11頁)、という点が三島のキモにあたるぶぶんであると考える。なぜなら日本人一人ひとりが魂の防波堤(13頁)となり、国体を護持しなければならないからである。 この発想の裏側には当時のチェコの新しい指導者スヴォポタが国民の政治参加の自由、言論や表現の自由を訴えたことに端を発する。ソ連からみれば反革命精神となるものであるが、現代の我々からみてもわかるとおり、こうした体制に対する自民族の自由を訴えることこそ、何を隠そう革命精神であるはずである。 三島はこうした「反革命」は少数民族の原理であり、なおかつ、閑却されがいな人間性の真実の救出問題であるととらえる。文化の側に立ち、人間の側に立つ人間は、少数者を積極的に評価せねばならない(20頁)。これは、朝鮮人学校の問題のように人工的に少数者を生み出すことでは決してないのである。こうした人工物は、少数者の悲しみによりそうことなく、政争の具に落とし込むような愚行である、と三島は捉える。具体的にはこうだ。「疎外された少数者はいつしか多数の集団者となり、多数の集団者はマジョリティとなり権力を求め、ついには少数者を蹂躙し、自分のよってもって立つところの存在理由を自己否定」(22頁)するようになる。 こうした「反革命」の過程においては暴力が必然となる。暴力それ自体は善でも悪でもない。しかしいえることは、単なる非暴力は暴力の肯定である、ということである。三島によれば、非暴力は国家否定につながる。国家が否定されれば、集団に対する攻撃を容認しないという不可侵性を否定することにつながるのである(24-5頁)。現代の我々――そしてマックス・ウェーバーの国家論――にも通じる重要な示唆である。 「反革命」を立ち上げるには、大衆に染み込んでいる「現状維持の思想」(27頁)と戦わなければならない。これは三島がよくいう「敗北主義」にも通ずるであろう。むしろ少数者である「我々」は、多くの大衆が無自覚にも被りつづけている、わが歴史・文化・伝統を守るほかない(28-9頁)。これは民主主義の神である世論を否定し、大衆社会にある非人間性を否定する戦いである。以上のような少数者意識は天皇のもとで行動が統一される。最終的な目的は天皇の護持であり、皇室を否定する勢力を粉砕し、撃破することであるといえる(30-1頁)。 | ||||||||||||
9 | 2025/05/04 15:04:09 | スタヤス | 暗殺が民主主義の中で肯定されるかどうか的な話が面白かった。思想で戦っている政治家に対して暗殺ではなく思想で戦うべきだ という意見に対し、思想も結局はぼうりょくにつながると返したところが印象的だった。 | ||||||||||||
10 | 2025/05/04 15:53:59 | 連合 | 革命と聞けば、まさに本書で共産主義革命のような制度破壊を伴うものを指すことが殆どの中二・二六事件を道義的革命という概念でとらえたことは興味深い。 さて、それはそうとこの箇所も例に漏れず難解であるため、1つ見解を問うことにしようと思う。 94ページ中盤にある「道義の現実はつねにザインの状態へ低下する惧れがあり、常にゾルレンのイメージにおびやかされる危険がある」とあるが、まず道義の現実とは何か、またザインの状態とは何か、そしてゾルレンのイメージとは何か。 | ||||||||||||
11 | 2025/05/04 16:08:49 | だいず | 三島由紀夫は命をかけて政治的主張をするべきだ 暗殺は一対一で(?)やって自決をしないと卑怯だと言っていた | 難しかったです | |||||||||||
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