國分功一郎についての評論を執筆せよ
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ABCDE
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学籍番号ペンネームURL提出下読み委員からのコメント
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02170001ytommyhttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/ytommy/
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02170002みなみしまhttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/9090mm/論者の体験談の回想から始まるという、読者が入り込み易い導入に思えるが、この書き方だと「未来の私にその判断を任せよう」という解決策の提示により読者にクエスチョンマークを与えてしまう印象。中盤の「意志」の議論や結論部で蒸し返すのだから、最初に「一体どういうことか」と補足して議論全体を通底する問いとして立たせても良かったかも。その導入部の工夫から今回は読み易いが、中盤「能動/受動の〜」の段落辺りからやはり読者を選ぶ難解さを感じた。面白い素材が沢山取り上げられているので勿体ない感も。イコンが「プロテスタント的造形」と「カトリック的造形」のハイブリッドであるとの指摘は非常にスリリングだが、触れ方が淡白ですぐに「時制」の議論に移行してしまうのでもっと深掘りして欲しかったとの印象。同様のことはアプロプリエーションはアレゴリー(過去)とスキゾの組み合わせだという指摘にも感じた(こちらの淡白さを回避するにはたとえば具体例を挙げるとか?)。それから散見されるのが「ただし、フロレンスキィが〜結論にもなってしまうだろう」や「再現モデルの根源がナルキッソスだったと〜経験にこそあるのかもしれない」などの断定を回避する文末の言い回しだった。アカデミックな文章と批評文を分かつ要素のひとつに、殊更な見立て=断定という点があるとすれば、今回の論考でも、魅力的な素材の中からどれを組み合わせ見立て、何を主張するのかという絞り込みの作業がもっと必要だったのかもしれない。
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02170003ユミソンhttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/yumisong/あいかわらずエッセイ的な文章だが、今回いいのでは。「小児性愛」というテーマが、『中動態の世界』冒頭の依存症的な問題と共鳴するのがいいし、「死ね」に関する考察もよい。しかしこの両者の話題の切り替えが唐突であるなど、やはり論の運びが思考の順番によって担保されている節があり、批評文としては脇が甘い。それは結論部で「アーレントが出した『ビリー・バッド』の小説の結論」や「國分がそれぞれの登場人物につけたす中動態的な解釈」の説明がされないところにも現れていて、筆者が『中動態の世界』を受けて考えたことが書かれているため、『中動態の世界』を未読の者に対する説明が欠けてしまっている。同様に肝心の中動態についても「なにかから行動が引き起こされる」と最低限すぎる説明しかないので、『中動態の世界』から「これだ!」という箇所を1箇所引用として持ってくればだいぶ批評としての体裁が整ったはず。
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02170004北出 栞http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/kitade/冒頭のエピソードから普遍的なテーマへの接続、作品への導入は上手いと思った。しかしそこから先はバランスを欠いた印象。まず筆者の悪癖として作品の紹介が長く、かつその間、それが導入部で示された概念とどう結びつくかが全く触れられない。それでは作品にノレないひとは読んでくれないので、例えば今回なら「そこで示される「約束」の新たな相貌とは以下の二つである。」をあらすじより前に持ってきて、「どういうことか。前者の「約束」は主人公とヒロインの関係において示されている。[あらすじパート1挿入]そして後者の「約束」は主人公と兄の関係において示される。[パート2挿入]」とか運ぶと、見取り図を提示しながら作品を紹介できる。紹介の長さに比例して作品の重要性や熱さが伝わるということは全く無く、むしろ要点がぼやけ、最悪読み飛ばされるので、自分のなかのエモーションとうまく折り合いをつけたい。「と――。」という語末も情緒に訴えすぎ。さらにそこから東の理論に接続されて分析が進むので、導入で出てきたはずの「中動態」が掻き消えてしまう。その語は最後の段落で思い出したように再登場するにとどまり、タイトルに反し「中動態的家族」がキーワード化できていない。結果として國分の思想が取ってつけたようになり、導入をそこから始めた意味が分からなくなっているので、肯定するせよ批判するせよ「中動態」で「Charlotte」を受ける必要はあったはず。
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02170005イトウモhttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/gonzomi/面白く読んだ。個人的なエピソードと作品への言及、抽象的な思弁がうまくあわさっていると思う。だが批評としてはいささか問題があり、たとえば『中動態の世界』を読んだことがないと意味がとれない記述が多い。「中動態の世界を読んで考えたことを書く」という前提になっているので、視野からそれを未読のひとが抜け落ちてしまっている印象。また同様の理由でそもそも「中動態」とはなにかという記述がなく、結果的にこの論中で使われる「中動態」の意味が曖昧になり、単なる便利ワードになってしまっている(「これを意地悪に中動態的とでも言ってしまおうか。」とかに顕著)。随想調にするのはいいが、締めるところは締めていきたい。また「母胎」と「自動車」に関する記述もエッセイとしては読ませるものの、結局それらが「中動態」と(どのように)関係があったのかいまいちわからないし、両者同士の結びつきも弱い。最後にその三つをうまくまとめ上げる記述があれば、完成度はぐっと上がったはず。と、全体的にゆるめの文章なので、中盤の表が恣意的に見え、かつ浮いて見える。まさに漏れ出すような感じの論なので、文章を収斂させる「めぼしい的」があればさらによかった。
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02170006川井周分http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/santsui/
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02170007灰街令http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/akakyakaki/
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02170008☆大山結子☆http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/ohyama/
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02170009寺門 信http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/jimonshin/1章2章と丁寧な議論が続くが、「堕落した責任」と「成長した善」、あるいは「原初的な責任」との対応関係など、言葉の定義を深追いする議論は必要だっただろうか。「知性的責任」という命名への違和感や、「知性的責任」を「情緒的責任」と区別したはずが、結局どちらもいまここにいない人々に対する責任は思考できないのであれば、分類する意味はあまりないのではないか。
3章でピュレットの「礼」に見出す「かのように振る舞う」ことを演劇的想像力と捉えるのは面白いのだが、かといって演劇というジャンルそのものをひとつのピースとして持って来てしまうのは議論が大雑把なものになることを避けられていない印象。さらに孟子と「礼」のつながりが示されなければ議論全体の説得力も足りないだろう。なので、2章では言葉の分類よりも単純に原初的な責任と孟子の類似を指摘し、3章ではその分の字数を尽くして具体的作品への言及等を通して孟子と「礼」を接続するとベターだったかも。
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02170010runner2718http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/runner2718/
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02170011mikipediahttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/mikipedia/
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02170012山下望http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/yamemashita/まず前半は『ズートピア』と『羊たちの沈黙』論としては出色の出来になっている。論者の傾向である脱線(言及される種々のエピソード)が、ここでは両作の奇妙な連環を説得的に示すことに寄与している。後半において、ようやく國分功一郎論として相貌をあらわすのだが、そこで言及されるのは國分によるテクストのごく一部であり、総体としては『羊たちの沈黙』論と呼ぶのが妥当だろう。主張の内実としては、じつはそれほど裏切に満ちたものではないように感じるが、しかしレクターや冒頭の佐藤亜紀による文章などが効果的に作用することで一定の迫力を生んでいる。課題への応答度には疑問が残るが、特に前半の畳みかけるような文体に批評文の快楽を感じない読者は少ないはず。
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02170013脇田 敦http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/hanoisan/
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02170014じょいともhttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/joytomo/
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02170015伏見 瞬http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/shunnnn00/ここ最近のエモさはなりを潜め、淡々とロジックを構築する完成度の高さが印象的。一者と多者に対する二者、「よ」への着目とtwo-in-oneに対するone-in-twoの提示と、5章までは見事な見立てと構造で膝を打ちつつ読み進めた。2章で國分を通してアレントのSolitudeとLonelinessの区別という魅力的な素材を召喚しているのも上手いし、それが猫町倶楽部からの出展ということに表れているように多くの彼のテクストにあたっており、地道なテクストのディグが良い論考につながるのだと改めて思料(参照項のピースの多さと議論の進め方の分岐ルートの数は比例する)。先ほど5章までと書いたのは、終盤を迎えた下読み委員もの穿った視線からすると、國分の単著に冒険譚の構造を見出せるのは分かるのだが、まずそれは他の多くの著者や著作にも見られる構造だろうと。とすると、その中で彼のどこが真に英雄的なのかに十分納得できる説明があるかが問われるだろう。それが提示される6章の2段落目は、物量に物を言わせる印象論という感もあるので、プロップらの物語論の援用でロジカルに攻める手もあったか。そして、最後8章のロロの下りの要否については当然議論が必要だろう。もし必要というなら、この長さでは取って付けたような印象は拭えず、ある程度の文字数を割いて掘り下げて欲しかった。いずれにしてもロロと國分との交点を示さないと必然性不足ではないだろうか(「書くことの演劇性」などを話題に接続することができるはず)。それから細かい点だが、冒頭の「矛盾が解消されないまま投げ出されているということは、日本の社会を全く分析できていないことと同じだ」という断定は少々性急すぎと感じた。冒頭にぶち上げるという企図が透けているようで。
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02170016高尾http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/hush/
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02170017小川和輝http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/kazukigenron/笑いながら読んだが、裏返せば「筋トレ」を真剣な対象に引き上げるまで至っていないか。その原因はおそらく、冒頭から「筋トレ」の再評価が目的であることを隠していないこと。結果として既定路線に向けていろいろな論を結びつけてみました、という感じになってしまい、その目的と引かれる文章のギャップが笑いを生む感じになっている。途中の「筋トレと死って関係するの?」という章題とか筆者もそっちに寄せた感がある。また同じ理由で、自殺と筋トレとの関係もこじつけめいて見えてしまうし、結論も自己啓発っぽく読めてしまう。そして導入部で対比されていた「武道」にも当てはまる議論が大半なことも気になる。構成的なことを言えば一章がながく、本題である筋トレへたどり着くのが遅い。ちょっとテーマ勝負に出て構成や見せ方に手が回っていない印象なので、もう少しニュートラルな視線を装って書く努力をしたかったところ。
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02170018渋革まろんhttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/shibukawa0213/まず1章の人との出会いにより思考をもたらす/思考がせり出すという読解まで丁寧に進むが、1章末の「國分功一郎とは、生成変化を運動させる欲望機械の別名である」というテーゼには少し違和感を覚えてしまった。というのも、仮にドゥルーズやニューアカの読者層も想定すれば「盛りすぎ」の表現に思われたからだ。今回は論者にしては珍しく少し國分という人物/テクストの紹介/ダイジェストの分量が多い印象もあるが(特に2、3章の「暇と退屈の倫理学」を取り上げた部分)、ものごとを楽しむ在り方=生成変化の欲望における「楽しさ」が退屈の病から来ているという指摘には納得。続く開き直ったような『少女終末旅行』の突然の挿入もあって、3章自体が構造的な断絶感が強いが、「國分的楽しさ」と「退屈から生まれたセカイ系」、あるいは「終わりなき日常」と「終わりしかない日常」の対比は面白く、これが論者が書きたかったことなのだと納得する。その反面、この断絶感を埋めるためにも、國分の退屈論の延長としての議論から、國分の提示するなんらかの概念に本結論部の絶望を切り開く端緒を見出すなりすることで議論が國分に戻ってくる手もあっただろうし、そうすることで『少女終末旅行』の挿入の必然性も担保できたのではないだろうか。
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02170019谷 美里http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/misatotani/論者にしては珍しく、議論のペースが性急であり、知見の少ない読者を置いていくような傾向がある。特に「2」における『スピノザの方法』の要約において顕著であり、未読の読者はこのテクストだけで議論を追うことはかなり難しいのではないか。「虚構」や「教育」といった、読者によって多義に開かれるタームが軸になっているからこそ、余計に読者をしっかりと誘導する必要があっただろう(恥を忍んでいえば、哲学にあまり明るくない評者は、「2」を何度読み返してもその意味するところを掴めたのか、いささか心もとない)。「童話の『語り』そのもの、さらに童話を語るための『言葉』の再生」から、『暇と退屈の倫理学』『中動態の世界』を読み解く「3」は、「2」の読解をかなり助けるものになっており、その他の順序展開がありえたのかもしれない。「弱い教育者」などの概念の提出は好ましく、論者の力量は疑うべくもないが、中盤部の展開が惜しい。
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02170020hideyukiwadahttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/hideyukiwada42hk/
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02170021kimiterasuhttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/kimiterasu/
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02170022谷頭 和希http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/improtanigashira/まず船乗り=中動態という着想が駆動する前半部分は(その気づきを得た論者のテンションも大きく作用していることもあるのだろう)、とてもスリリングな文章になっている。個人的には「船乗り」の比喩は中動態=「『私がする/される』といった関係では定義でき得ず、『私がしていると同時にされている』というようなアンヴィヴァレントな状態」の比喩として、宮台真司氏による「妊娠」よりも高い納得感があった。とはいえ、その後に導かれる日本/ヨーロッパ(海路/陸路)の対比はあまりに大ざっぱすぎるところがある(地中海世界はどうなのか? 海路がメインという根拠が網野の参照のみ、など)。中盤の展開の説得性の低さがネックであり、また後半のSA/PAの議論はそれ単体としてはおもしろいのだが、論者の関心に中動態を引付けているきらいが(全体を通じて)みられるように感じた。とはいえ、これまでも見せてきた飛躍の力は健在であり、かつては一定でなかった論理の堅牢さを着実に磨いてきている。課題との齟齬が目立った論者だが、最終課題は自らの得意なテーマでの展開を期待したい。
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02170023高橋 秀明http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/hide6069/國分功一郎の著作に対する、非常に丁寧な読解になっている。このようなテクストは批評対象にとってはとてもありがたく歓迎されるものであるはずだが、一方で対象に寄り添いすぎているとも言える。冒頭に核となる主張を述べ、それを解説していくスタイルはレジュメやレビューとしてはとても好ましい展開だろう。とはいえ、読み物としての批評文の魅力を考慮するとあまりに単調すぎたか。國分における「他者」を論じた「四」、それに続く「五」が本論の白眉であり、同時に論者独自の視点が最も感じられる部分だろう。これは演出上の問題になるが、この「四」「五」の部分を冒頭で予告的に提示する、議論の節々で言及するなどすることで、批評文としてのテンションを維持できるのではないだろうか。特に「われわれの生きる世界が本来、中動態であるからこそ、むしろ能動的=主体的になる必要があるのだ」という主張は、裏切りもあって非常にいい導入になったはずで、惜しいところ。
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02170024月田http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/xxxx/
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02170025斎藤英http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/tsaito222/
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02170026吉原 啓介http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/448ra/本論ともいうべき、日本語における漢字の生成変化についての議論は興味深い。だが、ここでの議論を駆動するものは、國分功一郎ではなくドゥルーズによる「モル状/分子状」の議論である。本論はおもしろい論点なのだが、総体として國分功一郎についての評論ではなく、國分功一郎論にしようとした苦戦の痕が残る導入が逆に本論に対するノイズになってしまっている。「日本文化」という大きい括りのなかでの國分参照ではなく、可能であれば本論の展開のなかで國分を相手取りたかったところ。本論にも展開の余地があるように思えたので、その点が惜しい。
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02170027pinchonhttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/pin5chon7/
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02170028遠野よあけhttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/yoake/
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02170029太田 充胤http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/lemdi04/「健康」「食べること」という極めて一般的なモチーフを中核にしながらも、その論じ方の視線とモチベーションは極めて私的(論者の出自により)であるという、面白い文章となる組み合わせを論者が知悉していて、その通り機能させられている印象。そのことは、たとえば4章のように、カタカナの専門語を多用しつつ、一見それに不相応な卑近なレベルの議論を展開するというギャップがもたらす面白さを上手く掴んでいることからも分かる(以前から論者が得意としているユーモア感覚)。中動態の一人歩き感に警鐘を鳴らしつつ自由と強制というキーワードを丁寧に引き出し、「飢餓と食慾」を「暇と退屈」のパラフレーズとする手つきも上手く、思いつくまま書いているようで5章以降の後半の議論展開の綿密な下準備にもなっている用意周到さも感じられる。しかし今回は國分を論じるというより、中動態に立脚した私的な議論に傾きすぎで(もちろん「國分思想の変奏」という批評である!という意味では成功していると言えるし、たとえば5、6章の成果は白眉)、文字数なりの冗長さもあった印象。これは書き方の問題で、つまり問いにより駆動される批評文的な構造が印象を変えたかもしれない。例えばひとつには、國分の「健康」批判を1章の時点でもっと立たせた上で、議論の外堀を埋めるため「食べること」を論じるという立て付けにし、8章で結論付けるなど。
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02170030町田 佳路http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/upskch/
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02170031シルス湖http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/iiii/
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02170032chiakihttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/chiaki/
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02170033ペンネムRamunehttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/rondellio22/仏教における「自力」「他力」を國分功一郎に接続するというアイデアは良いのでは。一見して「能動」「受動」と重なり/ずれていそうだし、これだけで一本書けると思う。しかし「直観的」という言葉が散見するとおり、やはり自分の内部だけで論が進んでしまっている。筆者の思考に万人がついていけるわけではないので、直観をそのまま書きつけるのはそろそろ止めたい。特に今回は終盤に「サーンキャ哲学」という思想が登場し、その用語があまりに自明のものとして用いられるので、単純に意味が取れなくなる。「自力」「他力」「嫉妬」「中動態」くらいにテーマを絞れば、けっこう批評っぽいかたちになったかもしれない。ややもったいない印象。
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02170034谷川果菜絵http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/kanaetnik/
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02170035ぽぽんたhttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/poponta/
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02170036kenmitsudahttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/kenmitsuda/
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02170037Bambinohttp://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/7977msms/
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