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TOKYO八王子隠れ名山
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八王子名山には惜しくも外れましたが、プロジェクト選定員達が推薦した山々を紹介します。ハイカーだけでなく、お年寄りでもお子様でも楽しめ
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る山も掲載しました。山だけでなく、峠や街道、要衝、公園、また現在は山体が整っていない山も含みます。
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山 名紹 介
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1浅川金毘羅山高尾駅至近の山。256m。山頂に浅川金刀比羅神社がある。頂上付近の造成計画もあったが住民の運動で守られた。地下には戦時下の1944、45年に、朝鮮人労働者7百人の手により幅4メートル高さ3メートル全長約10kmの地下壕が堀られ、軍需工場として稼働していた。保存会が壕内見学会を実施している。かつて甲州街道側から線路を越えて入山する参道があったが廃道になった。
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2一丁平約560m。馬上ヶ坂とも呼ばれていたそう。一丁平遺跡からは平安時代の住居跡や須恵器片などが検出され、古代の山野開発の広がりを考える上で興味深い。今はトイレ、水場、あずま屋、ベンチ、広場に花見の桜、展望台と無料設備の整った行楽拠点となっていて人造物が多過ぎるきらいがある。  
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3稲荷山高尾山の主な登山道のうち、最も南側の大きな尾根を通る「稲荷山コース」の中間地点にあるピーク。標高約400m。頂上手前は高尾登山コースの中では指折りの急登だが、整備が進んで登りやすくなっている。山名は現在稲荷山コース登山口の近くに鎮まる旭稲荷に由来する。近年まで頂上に東屋があったが台風の被害を受けて撤去され、現在は休憩用の大型の木製ベンチが整備されている。八王子市街、加住丘陵方面、さらには新宿・池袋の高層ビル群や遠く筑波連峰への展望が良い。高尾山インターチェンジの造成前は、当時の込縄集落に向かう道があったが現在は廃道になっている。稲荷山のある尾根は、過去には高尾山薬王院から大山に向かう道が越えていた。薬王院から現在の大山橋に降り、稲荷山の西のピーク近くを乗っ越し、山下に降り、草戸峠、峯の薬師、津久井城山へと通じた信仰の道である。
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4犬目山三角点196.9m。犬目地区は「井戸の目」という語源が示すように、古代から人口の多かった所と思われ寺社も多い。この加住南丘陵の犬目山山腹に1945年4月4日にB29爆撃機から13個の250kg爆弾が投下され、その爆弾坑(直径5~10m程)が点々と山中に残っていてそこに立ってみると当時の臨場感が伝わってくる。都内唯一の大変貴重な遺跡であるだけに保全が望まれる。
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5猪鼻山標高265m。第二次世界大戦中、1945年8月5日。山頂直下にある中央線、湯の花隧道東入口でムスタング戦闘機の銃撃があり、52名の死者、133名の負傷者が出た。列車被害としては日本最大級の事件。毎年慰霊祭が行われている。
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6入沢山標高490m。南高尾山稜の中央部近く、津久井湖の展望が良い「見晴台」の東にあるピーク。メインの登山ルートから少し北側の尾根に登る。入口がややわかりにくいが、山頂には「天空のレストラン」と書かれた表示板があり、南高尾山稜ではほぼ唯一、高尾山方面への大きな展望が得られるビューポイントだ。山頂の西側の尾根通しの踏み跡は私有地で、立ち入り禁止の掲示があるので、東側からメインルートに戻るようにする。
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7宇津貫公園昔、五平山と呼ばれていた。ヘリポートがある。開発前の宇津貫地区は6つの谷戸から成っていて、中村谷戸を中心に下谷戸・菖蒲谷戸・君田谷戸・閑道谷戸・和田内谷戸でちょうど右手のひらを広げたような形をしている。宇津貫公園は君田谷戸と閑道谷戸の付け根にあり、麓に法華寺がある。以前、北条家臣の後藤将監の館跡と呼ばれた「殿台」の近くの山に植わっていた山桜の木が、遺跡発掘調査のため宇津貫公園に移植された。みなみ野ニュータウン中心部でかつての宇津貫の谷戸の跡を残している稀少な区域である。
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8宇津貫毘沙門天八王子みなみ野駅から相原方面へ徒歩5分ほどにある。「毘沙門天」の社は北条家の家臣、佐宗一族が守り神として1659年に造ったと伝えられている。麓の祠から古い76段の急な石段を上った境内には樹齢300余年の市の天然記念物のスダジイが力強い。宇津貫村の鎮守であった熊野神社(第六天)とともに、みなみ野ニュータウン造成前の村の旧景を残す貴重な場所である。また、毘沙門天の線路向かいの熊野神社には全国に30数本しかないという、葉の形状が大変珍しい『(幸運を呼ぶ)ラッパイチョウ』が在る。
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9大石山153m。殿ヶ谷戸を隔てた北側の由木城主の大石定久に因んだ山名と思われる。西方の大学セミナーハウスのある妙法山(180m)からの宅地開発を逃れた穏やかな尾根道は通称『峰の道』と呼ばれ、散策道として地域の人々に親しまれている。尾根道には野猿街道側の下柚木めぐみ野公園側からもアプローチできる。
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10大塚公園松が谷小・中・高校のあるエリアは全体が小高い丘になっていて斜面のある公園に囲まれている。最も面積の広い大塚公園は北側、モノレール脇の望地公園と鹿島地区になるが大塚東公園からは東面、南縁には起伏の大きい大塚西公園、西側が切れ落ちた東中野公園からは南西方面が望まれる。近隣には古代遺跡もある。
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11大平公園南大沢の住宅に囲まれた公園だが、木々が茂り頂上にはひねもす亭という立派な東屋がある。その西側に立てば奥多摩の山々まで見渡せ散歩がてら展望が楽しめる地になっている。標高約150m。
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12沖ノ谷戸公園堀之内の大栗川左岸にある愛宕神社参道添いの南北に細長い公園で、頂上は眺望される山脈の解説ボードが整備された心地よい見晴らし台になっている。
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13小山内裏公園昔日は一帯を相生山と言った。「相生」とは共有や共栄を念じて使われる言葉。その昔入会地の問題が起こり解決した経緯が名の由来と思われる。北部の三角点は八王子市から20m町田市に寄った所に置かれているが、その地点より少し高そうな尾根筋を『鮎の路』が通っている。江戸の食文化として人気を博していたという鮎料理。かつて津久井から名産の鮎を飛脚が毎日駆け抜けて運んだ路なのだろう。南西に開けた園内の『戦車道』は戦時下には実際に戦車の試走に用いたというが今は健康で快適なランニングコースになっている。園内には萼の部分が星型の『タマノホシザクラ』という絶滅危惧種があり、生態系保全のため立入ることができない「サンクチュアリ(聖域)」と呼ばれる所や、立ち枯れの樹木が印象深い池や谷戸地形が残されている。鑓水小山給水所辺りを「浜見場(横浜の海が望めたという)」と呼び、浜街道(絹の道)が通っていた。             
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14片倉山鎌倉時代に長井時広が、現在の片倉町の湯殿川沿いの段丘に片倉城を築城したとされ、当時の空堀や土塁の残る小高い丘の上の城址を中心に自然林の残る静かな公園が整備されている。北側斜面はカタクリの咲く時期にはカメラを構えた人々が多く集まる。城址の二ノ丸広場から眺める広々とした標高約140mの畑地(かつて大原=おおっぱらと呼ばれた)は長閑な景色だ。内陸には珍しい住吉神社が鎮座し、国道16号方面から見るとこんもりとした鎮守の森が目立つ。顕著なピークこそないが、市内に多くある「城山」の一つである。
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15カタクリ山高尾駅の北部、多摩陵(武蔵野陵)のある山域の大部分は立ち入ることができないが、陵の東側に隣接し、城山手地区と長房町にまたがるカタクリ山と呼ばれる緑地はこのあたりの山域の地形を残した静かなトレイルルートだ。城山手団地の一角から指導標に従って歩けば、標高約200mのピークを経て、陵東公園まで存外にしっかりした「山歩き」が楽しめる。地元のボランティアにより整備がなされており、倒木等がある時にはトレイル内の一部に立ち入り禁止の規制がある場合がある。なおこの山にはカタクリの群生地があるが、植生保護の観点から群生地への立ち入りはできない。
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16上川の里「八王子市みどりの基本計画」という緑地保全活動に組み込まれている場所。山頂に大きな樅(もみ)の木が立っている歩きやすいモミの木山散策コースなどがある。
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17上柚木公園・愛宕山公園内に整備された「芝生の丘展望台」がある。愛宕神社は約半世紀前までこの展望台南の愛宕山頂上に在り、柚木地区の四方からの参拝道が祭事の折には賑わっていたというが、ニュータウン造成時にこの展望台ピークの北山麓に移築されている。
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18川口川の頭標高523m。浅川の支流としては最長の川口川を合流点である16号線の浅川橋付近から遡って行くと、今熊神社の前を通り源流はこの頂点に至る。今熊山と刈寄山の縦走路は頂上直下を西から巻いてしまうが、踏み跡を辿ると頂上には確りした木目調コンクリート製のベンチなどもある。
川口丘陵はここを起点として川口川と浅川の合流点へと続くが、このピークに至る最後の部分は今熊神社対岸付近の鞍部から高差170m、八王子には少ない瘦せた岩稜部を含んだ貴重な登高感が味わえる所になっている。
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19金峰山1532年創建とされる永林寺は、その上段に由木城を構えた大きな曹洞宗の寺。裏山である北側の尾根は金峰山(約130m)と呼ばれる。高点には道も標識も無いが境内にある不動明王像や池、展望地の城跡を巡る道幅の広い散策道がある。八王子の中世の豪族、大石一族ゆかりの地である。
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20久保山152mの山頂にあった赤松には雛の巣立ちが観察されるトンビの巣があった。住宅地に隣接した公園と緑地で山上散策路は生活・通学路でもあり、地元の人たちにより貴重な植生が保護されている。江戸期の「川越街道」多摩川の『平の渡し』に近く、加住北丘陵東端に位置する。『歳の峰坂(平の丘陵越え)』を隔てた西側に昔「富士見台」と呼ばれた『宇津木の森里山』が連なる。
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21小庄山標高336m。かつて五日市の町の中央から秋川本流を越えて小庄山より疊ヶ原へ至り、今熊山へ登った。近世には疊ヶ原に旅宿も並んで参詣者を迎えていたという。今は小峰公園最高点としてハイカーに親しまれている。
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22御殿峠日本百名峠。明治以前は杉山峠・殿丸峠と呼ばれていた。国道16号線の現在の峠の西に一条の道が通っていて、鎌倉時代には鎌倉道、戦国時代には古川越道、江戸時代には大山道として古くから多摩丘陵越えの道として利用されていた。横浜線相原駅から徒歩で古道にアプローチすることができる。
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23御殿峠の尾根名称は仮。御殿峠の北、国道16号線現道と平行するようにその西側を旧宇津貫村と片倉村の村境尾根が走る。途中で車道が切れ、短いが古道の趣のある山道になる。片倉高校前交差点の西側、大きな市道を渡る(横断歩道を渡ること)と、片倉町に僅かに残った貴重な谷戸地形(台谷戸)が見渡せる。
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24小仏峠日本百名峠。裏高尾町を通る都道である旧甲州街道が高尾陣馬縦走路の鞍部にかかる峠で、旧甲州街道はここから小原宿へと降りる。甲州街道が大垂水峠経由に付け替えられるまでは行き交う人も多く数軒の茶屋が軒を連ねたという。現在も茶屋の痕跡が残っている。明治天皇行幸碑(「明治天皇小仏峠御小休所阯及御野立所」)が峠上にある。峠から高尾山側に登ったところにある平場は浅間台という。ここに、かつて麓の小仏集落の鎮守であった浅間社があったが火災で消失し、現在は祠が残る。浅間台からは津久井方面の景色が良い。
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25散田平塚山小比企丘陵東端部に縄文~古墳時代の平塚遺跡があり、現在の通称水道山は平塚山と称されていた。(「大八王子の科学」市川正作著 1925 所収の「八王子市上水道敷設目論見書」内に、「配水池ハ横山村大字下散田字平塚山ノ高地ニ設置ス」等々の記載がある。)治水・利水は人と社会の営みの中でも最も基盤となる事柄で、江戸が当時世界一の規模を誇る都市となり、今日も世界一のメガシティーの座を維持しているのも、河川の治水や玉川上水の様なレベルの高い事業の賜物である。
古甲州道の尾根集落を見ると利水が集落規模の主要因である事が解るが、現代の八王子を支える19箇所の給水施設の先駆けとして、一世紀前の昭和3年、この平塚山に元本郷浄水場の水を3,500戸に給水する市内初の配水池が造られた。
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26陣峰標高237m。別称「土ヶ谷の峰」。町田市相原町との境、法政大学と相武カントリークラブの中間に在る。大戸地区の伝承によると六本松があり、片倉城、椚田城、小松城、八王子城、津久井城が見渡せる位置にあり、『物見の松』とも呼ばれて狼煙場があったとされる。山頂には部分的に彫り物の施された綺麗な造りで清掃の行き届いている『山王社』が建ち、いにしえの石碑も新しい大きく立派な石灯篭も構える。芝生と桜の参道は南に向き、北側には寺田町に向けて散策コースがある。
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27内裏谷戸公園小山内裏公園のグリーンベルトから1つ離れた場所にある二つの高みからなる公園。160mピークの南東側の展望台辺りにおよそ50万年前に古相模川の扇状地として形成された「御殿峠礫層の露頭」があるがこの礫層には丹沢山塊の閃緑岩や緑色凝灰岩が含まれており、かつてはここが多摩川源流ではなく相模川流域であったことが地質学上証される。
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28大六天大六天は標高315m。古刹の心源院の裏手に登山口がある。ここから八王子城址へと続く道は松姫古道とよばれている。武田信玄の4女(諸説あり)松姫が、甲州征伐を逃れ、高遠より八王子へ敗走の後、心源院で得度し、信松尼となったことに由来する。大六天はこの松姫古道を30分ほど歩けば着くことができる。見晴らしの良い所である。
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29出羽山公園八王子城山の東麓、元八王子地区の城山川にかかる出羽橋に程近い、比高10mほどの小高い丘に、公園が整備されている。頂上園地にはあずまやがあり、南側の多摩陵や八王子城山がよく見える。八王子城落城と運命を共にした近藤綱秀(出羽守)が築いた砦とされるが、遺構はない。南の城山手団地の住民の憩いの場となっている。
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30栃淵峠約180m。古甲州道の経路のひとつ。中世における武蔵・甲斐の交通路として、重要なルートとされていた。大正時代には「栃淵通八王子道」と呼ばれ、日向峰通りと同等に五日市から八王子へのルートとして近代まで利用された。
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31廿里山230m。戸取山、鳥取山、旗立の峰ともいう。多摩森林科学園のある山。戦国時代、武田信玄の関東討入の時、廿里山で合戦があり、北条軍は敗北した(十十里原合戦)。現在は「廿里古戦場跡」の表示板が高尾街道の急坂に掲げられている。南の山頂には白山神社奥宮があり、廿里砦跡とされている。230mピークは、多摩森林科学園が維持管理している保護地域で、一般の立ち入りができない場所にある。また、白山奥宮の裏側、砦跡の表示のあるところからも、森林科学園の管理地に立ち入ることはできないため、注意が必要である。森林科学園の公開された区域には遊歩道が整備されており、森林の植生と共に、尾根と谷が入り組んだ起伏に富んだ地形が保存されている。
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32長池公園東部柚木・別所地区にあり、広大な自然林、溜池、田んぼなど谷戸地形の自然が保全されている。三角点高点は藪の中だが西側に『夕陽展望台』がある。
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33長沼公園草戸峠から始まる多摩丘陵の御殿峠付近から北に派生される高幡丘陵は北野台、絹ヶ丘の住宅地の東で野猿峠に至り、この都立長沼公園から高幡山(不動)まで自然豊かな公園が連なる。浅川の大きな屈曲部を見下ろす展望台は、市内の山や地点を指呼し同定するのに最適な位置にあり、頂稜と北側に広がる散策道には広場や施設が整っている。
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34七国峠223m。頂上に大日如来の石仏がある。武蔵、相模、伊豆、下野、安房、駿河、常陸の七つの国が見えることから七国峠と呼ばれたとしている。秩父方面から相模へ向かう旧道の一つという(津久井往還)。峠近くには出羽三山の碑がある。みなみ野ニュータウン南西部の大船給水所の給水塔の裏側から古道にアプローチできる。
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35日向峰通りあきる野市戸倉、小宮、檜原村方面から八王子へ行く近道として古くから活用された道。戸倉から上川口町の疊ヶ原へ越える峠を日向峰峠という。鎌倉街道の支線や五日市街道としても利用されていた。また、修験道のルートにも利用されていた。
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36雹留山ひょうどめやま、264m。別称、榛名山(降雹を防ぐ榛名信仰による呼称)。また、「みおとめさん」「小僧山(コゾウヤマ)」「ビンタボ山」との呼称もあったという。「雹留山の方に黒い雲がかかってきたら雹に注意するように」との伝承があった。雹留山付近から加住北丘陵と加住南丘陵に分かれる。
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37ひよどり山八王子市民の知名度が非常に高い山。JR八王子駅北口のマルベリーブリッジから北大通り正面に見える。ひよどり山は兵取山に由来するとも言われるが、元々は北側の香住地区での呼び名で、山の南側では古来の地名を取って安土山(安戸山)と呼ばれている。標高約170m。都立小宮公園として整備されており、鬱蒼とした森林になっている公園の最奥の湧き水は大谷川の水源になっている。ひよどり山より東部尾根上には肥沃な畑地が広がり、7世紀前半に造られた当時都内最大級の北大谷古墳がある。南麓の中腹(現在、右田病院があるあたり)には、明治時代から昭和初期までつつじ園があり、行楽地として知られ、浅川や八王子の町の中心部の眺望が良いことから八王子八景に数えられた。また、暁橋近くから北上する急坂はかつては薺(なづな)の丘と呼ばれた。斜面には理髪業界の守護神として崇敬される名綱三郎を祀った名綱神社が鎮座する。
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38平山城址公園武蔵七党(南北朝時代に勢力のあった武士団)の一族である平山氏の見張り所があったとされているのが名の由来。公園入口付近にある季重神社には平山季重が祀られている。六国の道と呼ぶ山道を辿った先には『六国台展望台』がある。尾根筋の南側には「猿渡の池」などの散策路がある。
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39富士森公園明治時代に戦没者を祀る招魂場として浅間神社のある丘が拓かれた。大正天皇大喪の礼にあたり多摩御陵に建てられた祭場殿(大正殿)が移築され富士森公園として整備された。富士森の名は浅間神社の富士講信仰(富士塚が現存する)に由来する。昭和11年に東側の細かった都道が付け替えられ、公園の敷地は拡張された。敗戦後、戦没者の慰霊塔や平和の像が建立され、恒久の平和を祈る場所となった。大正殿は1953年に浅間神社前に移築されて拝殿とされた。八王子市民の憩いの場所であり、桜の時期は屋台が並び賑わう。
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40古瀧山戦前の地図には現在のめじろ台3丁目20番地あたりに201mのピークが記載されており、散田村字古瀧にあたることから皇国地誌に出る古瀧山と同定される。子安丘陵西部、散田村と下椚田村の村界となっていた尾根のピークで、この山地に降った雨による湧水が、その南側に古来から集住地域を成立させた。縄文時代の代表的な遺跡である椚田遺跡や、下椚田村の中心集落だった二軒在家(村の高札場があった)などがその地域にあたる。二軒在家集落の斜面には十二神社(熊野権現を祀る神社)が残っている。かつてはその南に湧水を水源とする池があり、弁天祠が祀られていた。この弁天祠はいま十二神社に合祀されている。1970年代のめじろ台団地の造成で古瀧山の尾根は切り崩され、湧水も途絶えて池は消滅した。十二神社がある二軒在家公園が辛うじて旧景と旧名を偲ばせる場所になっている。この山のあった尾根の一部はめじろ台団地の西側の高専の敷地内に残っている。
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41松子峰八王子城山から東に高度を下げ、長房丘陵と別れた元八王子丘陵は霊園の先で南北に走る尾根と十字型に交差し、その東側は松子舞住宅、城山中学、湿地帯というやや複雑な地形になっている。交差する206m程の高点付近に企業の運営する「高尾の森自然学校」があり、周囲の山林を周回する遊歩道がある。昔は麓から隣の長房丘陵の「月夜峰」・「松子峰」と対峙して呼ばれていた。
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42丸山緑町(古くは小比企村字永作)にある小山で、八王子駅南口からもほど近いところにある住宅街の中の山である。かつては緑に覆われチョウやトンボの宝庫であったという。古い地図には火薬庫のマークが記載されているが、これは子安町4丁目にあった篠崎煙火店のものだった。山の南西側斜面にはカトリック丸山墓地(1898年、泉町教会を建立した山上卓樹、メイラン神父により設立)があり、現代に丸山の名を残す唯一の存在である。南側の3等三角点「小比企」(149.9m)は現在、女性の更生保護施設である紫翆苑の敷地内にある。この辺りが丸山の最高地点に近いが、住宅地になっている。山の北半分は緑町公園として整備されており、斜面林が残されている。丸山台ともいう。
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43万葉公園散田町にある古社・高宰神社、江戸時代より蛙合戦で知られた真覚寺の裏の高まりが万葉公園と呼ばれる自然の地形を生かした公園だ。かつては万葉植物公園という名称だったが、再整備され都市公園・児童公園の役割も兼ねている。八王子の郷土史における重要人物である橋本義夫氏が中心となって建てた万葉集に因む「赤駒の碑」がひっそりと佇んでいる。周囲の住宅地(めじろ台団地)からの比高は40mほどで、標高約180mの、雑木林が残る丘の頂近くからは八王子の市街地のパノラマが展望できる。
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44御堂山標高237m。約1,200年前の行基作、木造千手観音像を本尊とする現在、川口の「萩寺」の名で知られる長福寺の裏山にある『鳥栖観音堂』は災火を逃れて転々としたが、元は川口最古の観音堂であるこの「黒川の御堂山」の中腹に建てられていたとされる。現在も掃き掃除が続けられている広い跡地には熊野神社や、天照大御神の祠や大神宮・八幡宮・春日宮の石碑などがあり、麓からの長い石段と樹齢高い鬱蒼とした大木に囲まれた構えは、訪れるものにただならぬ参拝の歴史を感じさせずにはおかない。鳥栖(とりのす)観音の名のいわれは、かつてこの地には泉湧く沼がたくさん有り、大型鳥の巣作りに適した松の巨木が林立し、(日本では赤松の乱伐と狩猟の為に一旦絶滅した)野生のコウノトリが群棲していたことから来ている。237mのピークから雹留山に至る倒木や藪の尾根には安政年間の祠や石灯篭などが点在。
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45峰見通り「恩方境」ともいう。あきる野市の刈寄山源頭の金堀沢と支流の金堀向沢(弾左衛門沢、おりそこない沢、栗木王沢)を集めて市道山から発する千ヶ沢を合し盆堀川となって秋川本流に合する。恩方境の山々は金堀向沢と千ヶ沢を抱える山深い場所である。八王子市には沢登りの対象となる沢は殆ど無いが、この恩方境北側は興味深い遡行ができる渓流の宝庫となっている。
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46明王峠739m。かつては上恩方町上案下からオキナツルシ沢をさかのぼり神奈川県相模原市与瀬へ越える峠道として利用されていた。南にのびている矢ノ音山稜が大きい。奥高尾縦走路の陣馬山の手前にあり、与瀬神社経由でJR相模湖駅に至るルートは現在も盛んに利用されている。
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47明王谷戸ノ峰比較的なだらかな川口丘陵が、240mの戸沢峠まで標高を下げた後、東に高差60mを一気に上げる310mのピーク。北側の川口川に向けて目立つ二本の尾根を派生させているが、南の美山町側はトウキョウサンショウウオ、ホトケドジョウ、ゲンジボタルその他珍しい水生生物や昆虫の生態系を保つ、ここならではの貴重な片側浅瀬形の谷が並んでいたが、2022年大型物流拠点の造成で消滅した。
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48明神山標高約200m。東進した秋川丘陵が加住北丘陵と呼ばれる地点から、上戸吹にある山。北側のあきる野市雨間の重要文化財雨武主神社が頂上直下にある。
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49野猿峠野猿街道の絹ケ丘3丁目と下柚木の境にある峠。峠の標高は約160m。野猿峠の名前は、京王帝都電鉄がかつて高幡不動からの尾根道をハイキングコースとして設定した時につけた名前であり、元々は猿丸峠、さらに昔は甲山(かぶとやま)と称されたという。この辺りの最高点は標高199mのピークで、野猿峠塁、猿丸山などと称されることもある。かつて城砦が設けられていたとされるが、現在はピークに通じる道や踏み跡はない(送電線鉄塔が立っている)。かつてのハイキングコースは現在は峠には通じていない。峠近くの街道脇にかつて行き交っていた馬のための水飲み場の遺構が残されている。
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50山田峰越え260m。川口町の田守からあきる野市山田へ抜ける峠。古くは秩父から鎌倉へと走る鎌倉街道山の道、古甲州道の経路のひとつであった。付近は御前石峠とも呼ばれ、畠山重忠が駒を繋いで休んだという。現在も峠には「駒繋石(こまつなぎいし)」という馬を繋ぐ棒杭を立てられる形に侵食された石灰岩塊がある。網代坂、山田峠とも。
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51龍ヶ嶺約210m。廿里山より月夜峰に連なる山稜を呼ぶ。その南面に多摩陵・多摩東陵・武蔵陵・武蔵野陵がある。この山ほぼ全ての木々は管理されていて、芸術性の高い大きな箱庭のようである。
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52蓮生寺公園現在にまで生き続けている寺院として、文献に見られる八王子最古の寺は蓮生寺であり、別所の薬師堂として名高い。裏山の蓮生寺公園は鎮守の森として古くから自然が守られてきた。山頂南西部と北側に展望台がある。
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参考にした地図と文献:
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二万五千分の一地形図 五日市、与瀬、拝島、八王子、武蔵府中(国土地理院)・山と高原地図 陣馬・高尾、奥多摩(昭文社)・
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高尾山登山詳細図、奥多摩登山詳細図(東編)(吉備人出版)・都市地図東京都1八王子市(昭文社)
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八王子事典(かたくら書店)・八王子を読む-地誌と地図の世界(かたくら書店)・八王子案内24章(かたくら書店)・峠と路(かたくら書店)・
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秋川の山々(木耳社)・五日市町の古道と地名(五日市町教育委員会)・宇津貫片倉谷戸のくらし(宇津貫みどりの会)・糸繰り草:八王子-街角の今昔
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古道 甲州古道・古富士道(揺籃社)・八王子の戦跡(揺籃社)・八王子の今昔(揺籃社)・東京都神社庁HP・Wikipedia
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