ABCDE
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名称地区よみがな標識の説明
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池上本門寺大田区池上いけがみほんもんじ
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海雲寺品川区南品川かいうんじしながわ百景「海雲寺と千躰荒神」
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戒行寺新宿区須賀町かいぎょうじ日蓮宗。1595(文禄4)年創建。江戸期には身延山末頭5ケ寺のひとつとして繁栄した。境内には鬼平こと長谷川平蔵の供養塔がある。  [大江戸今昔マップ 新人物往来社]
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寛永寺台東区上野桜木かんえいじ1625(寛永2)年、天海僧正が江戸城の鬼門にあたる上野台地に創建。山号は東叡山。比叡山延暦寺が京都御所の鬼門に位置し、鎮護国家の役割を担っていたことに倣った。増上寺と共に徳川家の菩提寺とされた。敷地内には、清水観音堂、五重塔などが現存。 [大江戸今昔マップ 新人物往来社]
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行善寺世田谷区瀬田ぎょうぜんじ本寺の開基は長崎伊予守重光(法名・行善)、開山は法蓮社印誉上人伝光和尚であり、永禄年間に建立された。 本尊は阿弥陀如来で、寺宝には玉川出現楠薬師があった。 この地は展望に恵まれ、江戸時代から玉川八景として有名であり、将軍も遊覧の折、しばしば立ち寄った。
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清水観音堂台東区上野公園きよみずかんのうどう
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光林寺港区南麻布こうりんじ史跡ヒュースケン墓  アメリカ総領事ハリスの通訳兼書記官として、安政三年(一八五六)七月に下田に到着したオランダ人ヒュースケンは、その後安政六年六月江戸麻布善福寺にアメリカ仮公使館が設けられるに及び江戸へ入り、ハリスの片腕となって、困難な日米間の折衝に活躍し、日米修好通商条約を調印にいたらしめ、また、日本と諸外国との条約締結にも尽力した人物である。  万延元年(一八六〇)十二月、ヒュースケンは、日本とプロシアとの修好条約の協議の斡旋のため、会場であった赤羽接遇所と宿舎の間を騎馬で往復していたが、五日午後九時ごろ、宿舎への帰路、中ノ橋付近で一団の浪士に襲われ、刀で腹部等を深く切られて死亡した。  墓はカトリック教徒のため土葬が必要であったが、当時御府内では土葬が禁止されていたため、江戸府外であった光林寺に葬られた。
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金乗院(目白不動)豊島区高田こんじょういん金乗院は真言宗豊山派の寺院で、開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが草創とされています。永順の没年は文禄三年(一五九四)六月であることから、それより以前、天正年間(一五七三〜九二)の創建と考えられます。当初は蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺でしたが、のちに神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となりました。(中略)  目白不動明王は、江戸守護の五色不動(青・黄・赤・白・黒)の随一として名高く、目白の号は寛永年間(一六二四〜四四)三代将軍徳川家光の命によるものといわれています。
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慈眼院文京区小石川じげんいん伝通院の学寮(栴檀林といって修行するところ)に、沢蔵司という修行僧がいた。僅か三年で浄土宗の奥義を極めた。元和六年(一六二〇)五月七日の夜、学寮長の極山和尚の夢枕に立った。 「そもそも余は千代田城の内の稲荷大明神である。かねて浄土宗の勉強をしたいと思っていたが、多年の希望をここに達した。今より元の神にかえるが、永く当山(伝通院)を守護して、恩に報いよう。」 と告げて暁の雲にかくれたという。
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自証院新宿区富久町じしょういん天台宗。1652(慶安5)年、尾張徳川家の二代目当主・光友の夫人だった千代姫、その母である自証院を供養するために創建された。かつては桜の名所であったという。[大江戸今昔マップ 新人物往来社]
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寿徳寺北区滝野川じゅとくじ南照山観音院寿徳寺の本尊である谷津子育観音は、木像の観音菩薩座像です。この観音像は谷津観音と通称され、江戸時代の地誌には子安観音とも、また、聖観音とも記されています。  寺伝では、鎌倉時代の初期、早船・小宮の両氏が主家の梶原氏と争い、追われて落ち延びる途中で水中から拾いあげ、これを石神井川の川沿いの堂山に安置したのだと伝えられています。像の姿は蓮華座に坐り、両手で乳児を膝の上に抱えている姿で、指を阿弥陀如来と同じ弥陀の定印を結んでおり、現在は秘仏となっています。
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瑞聖寺港区白金台ずいしょうじ江戸で初めて建立された黄檗宗寺院。1670(寛文10)年に創建された。本堂の大雄宝殿は1757(宝暦7)年に建てられたもの。二重屋根や、細部のデザインに黄檗宗建築の特徴を保つ。[大江戸今昔マップ 新人物往来社]
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泉岳寺港区高輪せんがくじ1612(慶長17)年、家康が外桜田に創建。寛永の大火で焼失し、現在地で再建された。中門を入ってすぐのところに立つ銅像は、大石内蔵助。連判状を手に、江戸方向である東の空をにらみつけている。境内の墓所には、浅野内匠頭長矩と赤穂浪士が眠る。 [大江戸今昔マップ 新人物往来社]
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大円寺目黒区下目黒だいえんじこの寺は「松林山大円寺」といいます。寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切りひらき、大日金輪を祀って祈願の道場を開いたのがその始まりと伝えられています。  本寺には、”生身の釈迦如来”と言われている木造「清涼寺式釈迦如来立像」(国指定文化財)、木造「十一面観音立像」(区指定文化財)、徳川家の繁栄と江戸発展守護のための「三面大黒天像」(山手七福神の一つ)などが安置されています。
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築地本願寺中央区築地つきじほんがんじ築地本願寺(西本願寺) 最初、浅草近くの横山町にあったが、1657(明暦3)年の明暦の大火で焼失。1679(延宝7)年に現在地に再建された。本堂の正面は西南を向いており、今の築地市場のあたりが門前町になっていた。[大江戸今昔マップ 新人物往来社]
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月見寺(本行寺)荒川区西日暮里つきみでら本行寺は、大永六年(一五二六)、江戸城内平河口に建立され、江戸時代に神田・谷中を経て、宝永六年(一七〇九)、現在地に移転した。景勝の地であったことから通称「月見寺」ともよばれていた。二十世の日桓[にちかん]上人(俳号一瓢)は多くの俳人たちと交遊があり、小林一茶はしばしば当寺を訪れ、「青い田の、露をさかなや、ひとり酒」などの句を詠んでいる。
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伝通院文京区小石川でんつういん浄土宗無量山伝通院 尽大の墓 徳川家康の生母  沢宣嘉の墓 七卿落の一人、幕末・明治初期の公卿  千姫の墓 二代将軍・徳川秀忠の娘  杉浦重剛の墓 明治・大正期の教育者・評論家  孝子の墓 三代将軍・徳川家光の御台所  小泉千樫の墓 明治・大正・昭和初期の歌人  清河八郎の墓 幕末勤王の志士  佐藤晴夫の墓 大正・昭和期の詩人・小説家
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深川不動尊豊島区高田なんぞういん真言宗豊山派に属し、大鏡山薬師寺南蔵院という。寺伝では、開山は室町時代の円成比丘〔永和二(一三七六)年寂〕とされる。本尊の薬師如来は、木造の立像で、奥州藤原氏の持仏といわれ、円成比丘が諸国遊化のとき、彼の地の農家で入手し、奉持して当地に草庵を建て安置したのが開創であると伝えられる。 (中略)  現在の境内には、元禄九(一六九六)年に神保長賢により寄進された山吹の里弁財天の石碑と手水鉢や、庚申塔、六地蔵、彰義隊九士の首塚などの石像物があるほか、墓地内には相撲年寄である片男波、粂川、雷、音羽山、二子山、花籠などの墓がある。また、三遊亭圓朝作の「怪談乳房榎」にゆかりの寺である。
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深川不動尊江東区富岡ふかがわふどうそん
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法禅寺品川区北品川ほうぜんじ法禅寺のイチョウ  イチョウはイチョウ科に属する落葉の高木で、高さ三十メートルにもなり、葉は扇形で秋に黄葉する。雌雄(めすとおす)それぞれ別の木となる。  本樹は雌樹で、幹の囲りは三・四メートル、高さは二十五メートルで、推定の樹齢は約四百年である。木の勢いも盛んで、姿も整い、周囲にひときわ目立つ大木である。  本樹は古くから知られ、昭和十年(一九三五)の「東京市史蹟名勝天然記念物概要」にも紹介されている名木である。
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品川寺品川区南品川ほんせんじ品川寺のイチョウ  本樹は幹周り五・三五㍍、樹高二十五㍍、推定樹齢約六百年という古木であるが、整然とした樹姿を見せ、その樹勢も極めて旺盛であり、幹や大枝からは、多くの乳が垂れている。  本区内の数あるイチョウなかでも、ひときわ目立つ存在であり、かなり離れた地点からも眺めることができ、壮観である。  また約六百年という樹齢は、本寺が歴史のふるい寺であることを実証するもののひとつである。
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待乳山聖天台東区浅草まつちやましょうでん待乳山聖天は、金龍山浅草寺の支院で正しくは、待乳山本龍院という。その創建は縁起によれば、推古天皇九年(六〇一)夏、旱魃のため人々が苦しみ喘いでいたとき、十一面観音が大聖尊歓喜天に化身してこの地に姿を現し、人々を救ったため、「聖天さま」として祀ったといわれる。
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満願寺世田谷区等々力まんがんじ文明二年(一四七〇)吉良氏によって開基され、開山は定栄和尚、本尊は大日如来である。江戸時代には、御朱印寺領十三石が与えられていた。山門の額は細井広沢、本堂の額は光沢の子九皐の筆である。細井広沢は元禄年中その学識をもって柳沢吉保に重用され、晩年は玉川を愛して蕉林庵玉川と号した。当代の代表的名筆家として知られている。寺内の墓は国の史跡に指定されている。
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万福寺大田区南馬込まんぷくじ
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目黒不動目黒区下目黒めぐろふどう創建は808(大同3)年、慈覚大師による。本尊の不動明王は、五色不動のひとつに数えられ、江戸城守護、江戸城五方の方難除け、五街道の守護に当てられた。将軍家をはじめ庶民からの信仰も厚く、日々参拝者で賑わう江戸随一の名所となった。  [大江戸今昔マップ  新人物往来社]
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養願寺品川区北品川ようがんじ