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1 | |||||||||||||||||||||||||||
2 | 創作用ざっくり露普年表 | ||||||||||||||||||||||||||
3 | 世紀 | 普 | 露 | 年 | ぷ | ろし | 露普関連・共通 | その他の主な出来事 | |||||||||||||||||||
4 | 9 | - | キエフ・ルーシ | 882 | ろし(キエフ・ルーシ)。リューリク家によりキエフとノヴゴロドを征服 | 800年カール大帝戴冠 | |||||||||||||||||||||
5 | 10 | 988 | キリスト教(ギリシア正教)に | ||||||||||||||||||||||||
6 | 12 | 聖マリア 修道会 | 1190 | アッコンで正式な病院として認められる。 ただしその60年前からドイツ館というヨハネ騎士修道会に属する病院があるためそれが前身とも | |||||||||||||||||||||||
7 | ドイツ騎士団 | 1197 | ハインリッヒ6世より土地の寄進。ビザンツ帝国領の獲得を目的として兵隊としての役割 | ||||||||||||||||||||||||
8 | 1198 | ハインリッヒ6世崩御。以降独自に国家形成をめざしていく。 | |||||||||||||||||||||||||
9 | 13 | 1207 | 特許状により、騎士修道会が犯罪歴のある騎士の逃げ場に | ||||||||||||||||||||||||
10 | 1209 | ヘルマン・フォン・ザルツァ第四総長に | |||||||||||||||||||||||||
11 | 1211 | プルツェンラントは俺のものー!(ハンガリー王アンドラーシュ2世がクマン族との戦いのため招聘) ガリさんは別に独立した領有権は認めていなかったがドイツ騎士団は領外に城をつくり行政組織まで作ってしまう | |||||||||||||||||||||||||
12 | 1214 | 修道会に対する土地特許状により多くの所領を獲得して拡大 | |||||||||||||||||||||||||
13 | 1223 | タタール人によるはじめての攻撃 | |||||||||||||||||||||||||
14 | 1225 | ハンガリーさんから追い出される | |||||||||||||||||||||||||
15 | 1226 | 北ポーランドのマソヴィン公からクルムを脅かしているプロイセン人討伐の依頼 フリードリヒ2世から、討伐したらそのクルムの地あげちゃうと特許状もらう | |||||||||||||||||||||||||
16 | 1229 | キプロスにおける支配断念。地中海での国家形成は難しそう… | |||||||||||||||||||||||||
17 | 1230 | プロイセン移住の開始。ただし地中海での土地所有も約15cまで続ける | |||||||||||||||||||||||||
18 | 1237 | 東ヨーロッパを荒らしまわる~う~~うう~~♪ いい感じに教皇や皇帝からの支配を緩く保ち独自の国家形成へ | モンゴルさんにボコられる。その後250年タタールのくびき ただし、間接支配により文化は保たれる | モンゴルさん、片手間に日本に来る | |||||||||||||||||||||||
19 | 1238 | ウラジミール大公、戦いで落命 | |||||||||||||||||||||||||
20 | 1240 | バトゥによりキエフの攻撃 | |||||||||||||||||||||||||
21 | モンゴル支配 | 1242 | 氷上の戦い。露普、池ポチャする。 首絞めプレイに目覚める | ||||||||||||||||||||||||
22 | 1245 | あんまり滅茶苦茶しすぎて教皇からもやりすぎなのでは?と監査が入る | |||||||||||||||||||||||||
23 | 1249 | 古プロイセンとの間にクリストブルク条約。プロイセン人の人格自由を認める。 教皇からあんまり酷いことするなというストップがかかった?もしくはモンゴルとの戦いに備えてプロイセン人を味方につけたかったのかも | |||||||||||||||||||||||||
24 | 1260 | プロイセン人による再反撃により条約無効 | 中国でモンゴルによる元王朝成立 | ||||||||||||||||||||||||
25 | 14 | 1283 | プロイセン人による最後の反撃鎮圧 | ||||||||||||||||||||||||
26 | 1299 | 政治の中心が東北部へ移動 | |||||||||||||||||||||||||
27 | 1309 | ポーランドの戦争に助っ人として参加しておきながらポンメルンを占領しポーランドとの仲が悪化 本部をマリエンブルクに置く | |||||||||||||||||||||||||
28 | モスクワ大公国 | 1340 | 荒蕪地の開拓。第二次植民と移住による商業活発化 | このころ、モスクワ公国のイヴァン・カリターが大公位をお金でウラジミールから奪う | |||||||||||||||||||||||
29 | 1372 | あんまり改宗させるところなくなってきた | リトアニアとモスクワがけんか | リトポ仲良しする/ ドーヴァー俺たちの100年戦争 | |||||||||||||||||||||||
30 | 1380 | キプチャク・カン国とけんか クリコヴォの戦い モスクワの威信UP | |||||||||||||||||||||||||
31 | 1385 | リト、キリスト教へ改宗 | |||||||||||||||||||||||||
32 | 15 | 1410 | グリュンバルト(タンネンベルク)の戦い。 リトポにボコられてチビる | にーにが羅針盤made in china中 | |||||||||||||||||||||||
33 | 1414 | コンスタンツ公会議でポーランドがフス派の異教徒を擁護しているのを問題としてチクるが受け入れられず。解決しないまま終わる | |||||||||||||||||||||||||
34 | 1422 | 土地割譲を拒否してまたリトポにボコられる | |||||||||||||||||||||||||
35 | 1425 | 国内で大公位をめぐる内部抗争激化 | |||||||||||||||||||||||||
36 | 1435 | 再度リトアニアに進撃、またボコられる | |||||||||||||||||||||||||
37 | 1453 | モスクワ大公勢力が大きくなる | ビザンツ帝国終了のお知らせ | ||||||||||||||||||||||||
38 | 1460 | マリエンブルク城、ポーランドに包囲される トルンの和約 ポーランドの下働きに | |||||||||||||||||||||||||
39 | ロシア・ツァーリ国 | 1462 | モスクワにイヴァン三世即位 | ||||||||||||||||||||||||
40 | 1471 | ノヴゴロド、リトアニアに接近。モスクワ、軍をもって圧力をかける | |||||||||||||||||||||||||
41 | 1472 | ギリシア正教への改宗を条件にローマに亡命していたビザンツ皇帝の姪ゾエを夢にもらう。イタちゃんとの関係が深まりルネサンスの影響も | |||||||||||||||||||||||||
42 | 1477 | ノヴゴロド、モスクワの支配下へ。他の諸公国も併合していく | |||||||||||||||||||||||||
43 | 1480 | カン国への貢納を停止。タタールのくびきの終わり | |||||||||||||||||||||||||
44 | 1492 | メリカ発見される | |||||||||||||||||||||||||
45 | 16 | 1515 | 皇帝マクシミリアン、トルンの和約を認め、ドイツ騎士団を見捨てる | ||||||||||||||||||||||||
46 | 1517 | ドイツ騎士団、このころ本当に仲間がいなくてロシアと対ポーランド軍事同盟を結ぶ | |||||||||||||||||||||||||
47 | プロイセン公国 | 1525 | 宗教改革に便乗して騎士団国家から プロイセン公国に。ガリ姐さんに股布をプレゼントする クラクフ条約でポーランドの完全な支配下に | ルター、宗教改革する | |||||||||||||||||||||||
48 | 1533 | イヴァン雷帝即位 | |||||||||||||||||||||||||
49 | 1547 | イヴァン雷帝、初めて公式にツァーリを名乗る | |||||||||||||||||||||||||
50 | 1549 | 選抜会議という改革政府を制定。官庁の整備が進む。 地方では自治機関、また軍制改革も | |||||||||||||||||||||||||
51 | 1555 | カザン・カン国を陥落、ヴォルガ川付近を支配下に | |||||||||||||||||||||||||
52 | 1557 | 海ほしい!リヴォニア戦争。リトポ、スーさん、デンさんが介入してうまくいかず… | |||||||||||||||||||||||||
53 | 1560 | イヴァン雷帝、戦争が上手くいかないストレスで段々やばい人になる。 飢饉と戦争で大荒廃時代に | |||||||||||||||||||||||||
54 | 1564 | 雷帝、貴族が裏切ったと逆恨みしてモスクワを出る謎行動に でて権力を強化 | |||||||||||||||||||||||||
55 | 1565 | オプリーチニナ制度を導入。略奪や殺戮が横行するカオスに | |||||||||||||||||||||||||
56 | 1569 | リトポ、連合王国に あるまだが無敵艦隊する | |||||||||||||||||||||||||
57 | 1580 | イベリア進出。当時のシビル・ハン国を攻める | |||||||||||||||||||||||||
58 | 1598 | リューリク朝断絶。ポーランドに偽ドミトリー現る。 | |||||||||||||||||||||||||
59 | 17 | 1604 | ポーランド貴族、偽ドミトリーをかかげロシアへ侵攻。 おまけに飢饉が起きてめちゃくちゃ | ||||||||||||||||||||||||
60 | 1610 | リトポとけんか。モスクワ占領され国家存亡の危機に。 国民義勇軍の活躍でモスクワを開放 | 神ロ、三十年戦争。多分イタちゃんと ここでお別れ | ||||||||||||||||||||||||
61 | 1613 | ミハイル・ノマノフ即位 ロマノフ王朝に。専制体制が強化。教会分裂 | |||||||||||||||||||||||||
62 | 1618 | ブランデンブルクのホーエンツォレルン家、プロイセン公国を相続する。 三十年戦争開始。神聖ローマ内ボロボロに | ポーランドと休戦条約、体制の立て直し | 日本、引きこもりだす | |||||||||||||||||||||||
63 | 1637 | ロシア側の独立組織ドン・カザークがオスマンのアゾフ要塞を占領する事件勃発、戦争にはぎりぎり踏み切らず | このころウクライナさん、ポー支配下 | ||||||||||||||||||||||||
64 | 1648 | 市民の負担が大きくなり塩一揆が勃発。塩の専売制を批判 | ウェストファリア条約、三十年戦争終了 | ||||||||||||||||||||||||
65 | 1649 | 会議法典制定。ツァーリへの不敬罪が生まれる。 イギリスの商人を国外追放(チャールズ王の処刑の影響) 農民の移転の権利がなくなり実質農奴制が確立 | |||||||||||||||||||||||||
66 | 1653 | プロイセン内で軍事税導入。 代わりに貴族は地方特権を与えられ、グーツヘルシャフトという農民支配が進む(領主による直接経営)ユンカー貴族の興隆 | |||||||||||||||||||||||||
67 | 1654 | ウク姉さんを巡りポーと再び戦争 | |||||||||||||||||||||||||
68 | 1667 | アンドルーソヴォ条約で終戦。一部ウクライナやスモレンスクなどの領土獲得 | |||||||||||||||||||||||||
69 | 1670 | ラージンの乱 | |||||||||||||||||||||||||
70 | 1675 | スウェーデンさんとけんか。フェールベリンの戦いでスーさんを破る。 以降フリードリヒ・ヴィルヘルム、「大選帝侯」を名乗る | 毛皮を漁っていたら地味にアジアまで来ていた 徐々に官庁の充実や常備軍の制定等絶対王政の基盤が出来上がる | ||||||||||||||||||||||||
71 | 1683 | ウィーン包囲、トルコ軍を押し返す | |||||||||||||||||||||||||
72 | 1685 | フランスからのユグノー移民で人口が増える | |||||||||||||||||||||||||
73 | 1689 | 清の中国さんとネルチンスク条約で国境を決め、通商関係を結ぶ | |||||||||||||||||||||||||
74 | 1696 | オスマンのアゾフ要塞を陥落。ロシアがオスマンを倒しただと!? | |||||||||||||||||||||||||
75 | 1697 | ピョートル大帝、ヨーロッパ化を頑張る お忍びでプロイセンやオランダを訪問。 | |||||||||||||||||||||||||
76 | 1698 | モスクワで一揆が起こり急遽帰ることに ポーランド・デンマークとVSスーさんに向け北方同盟 | |||||||||||||||||||||||||
77 | 1699 | 全ハンガリー、リアさんの支配下に | |||||||||||||||||||||||||
78 | 18 | 1700 | 北方戦争に便乗参加。でもまだまだ小国 | スウェーデンさんと北方戦争 | 露普、兄ちゃんの軍服スパイごっこ。ありがとうきみもかっこいいよ!! | ||||||||||||||||||||||
79 | プロイセン王国 | 1701 | スペイン継承戦争。大選帝侯、便乗で王冠ゲット。フリードリヒ1世、プロイセンに「おける」王に。 | ||||||||||||||||||||||||
80 | 1703 | サンクトペテルブルクの建設 | |||||||||||||||||||||||||
81 | 1713 | 軍人王、即位 | 北方戦争勝利、バルト海東岸地方を入手。海!! サンクトペテルブルクに遷都 | このあたりでプロイセンからろしに琥珀の間プレゼントされる | |||||||||||||||||||||||
82 | 1715 | 息子アレクセイ、帝位継承の意志がないと表明し修道院に入るも、その後ウィーンへ亡命。ピョートルは怒り皇帝に引き渡しを要求。 死刑宣告により処刑 | |||||||||||||||||||||||||
83 | 1721 | スーさんに勝ってニスタット条約。嬉しすぎてロシア帝国を名乗り始める | |||||||||||||||||||||||||
84 | ロシア帝国 | 1723 | 親父、ドレズデンでオトナになる | ||||||||||||||||||||||||
85 | 1730 | 親父、プロイセン逃亡計画失敗 | 露普、同時期に皇太子が両方亡命を企てる | ||||||||||||||||||||||||
86 | 1731 | 親父、キュストリンで幽閉生活 | |||||||||||||||||||||||||
87 | 1737 | 親父、ポーランド王位継承戦争に参加、オイゲン公の本営に加わる | |||||||||||||||||||||||||
88 | 1740 | フリッツ親父、即位。そのままオーストリアさんの大事な所を占拠(継承戦争) | エリザヴェータ女帝即位 ドイツなどの外国人を排斥、ロシア人の登用を進める | 同じ年に新しい王戴冠 | |||||||||||||||||||||||
89 | 1741 | 1月、ブレスラウへ無血入城 4月、モルヴィッツの戦い クライン・シュネレンドルフ条約でリアさんと休戦 | |||||||||||||||||||||||||
90 | 1742 | 再びメーレンへ侵攻(第二次継承戦争) コトゥージッツの戦いで勝利、ブレスラウの和約 | |||||||||||||||||||||||||
91 | 1744 | 墺VS仏戦争中に仏側から横やりをいれる ホーエンフリードベルク・ケッセルドルフの会戦で勝利 ドレスデンの和約でシュレジエン領有確認 | ろし、墺側での参戦の動き | ||||||||||||||||||||||||
92 | 1748 | アーヘン条約で継承戦争完全に終わり | |||||||||||||||||||||||||
93 | 1756 | ザクセンへ侵攻し七年戦争開始。普英VS墺仏露西瑞+神ロのみなさん。人口差1対30 これは勝てない。 ザクセン占領するも、プラハの会戦、コリンの戦いで惨敗 ロスバッハ、ロイテンで勝利 | 外交革命発動! | ||||||||||||||||||||||||
94 | 1758 | ホッホキルヒでリアさんに敗戦 眉毛、金をつぎ込み戦争を煽る | ろし、シュレジエンやベルリンまで進軍 1月にはケーニヒスベルク占領 ツォルンドルフの戦いでろしVsぷ | ||||||||||||||||||||||||
95 | 1759 | プロイセン、ろしと墺の合流を阻止したい クーネスルドルフで両軍合流、プロイセン敗走 | |||||||||||||||||||||||||
96 | 1760 | リーグニッツの戦い トルガウの会戦 | ろしにベルリンの初めてを奪われる | 日本「杉田玄白でーす」 | |||||||||||||||||||||||
97 | 1761 | タタール、トルコと接近 イギリス宰相ピットが失脚し、援助が困難に | |||||||||||||||||||||||||
98 | 1762 | みんな死ぬしかないじゃない | エカチェリーナさん、夫のプロイセン贔屓に耐えられずクーデター&即位 | ろし、ピョートル3世のファインプレーにより突然プロイセンの味方に(ブランデンブルクの奇跡)。これは惚れてしまう ブルケルスドルフの戦い。ろしが観客席で応援をしてくれた回 | 産業革命!産業革命! | ||||||||||||||||||||||
99 | 1763 | フベルトゥスブルクの和約 7年戦争終了 | |||||||||||||||||||||||||
100 | 1764 | 露普同盟締結、領土安定のための防御同盟。プロイセンによっての脅威が同盟国に転換 |