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女性会社員30代
かなえた夢は、近所の保育園に転園できたことと、転職して収入が大きく上がったことです。



どのようにして夢をかなえたかですが、まず始めはかなり遠くの保育園でも入園できる保育園に入園し、その保育園の近所で仕事を探し、就職していました。

保育園に入園するには、働いていることが前提になるので、まず無理なくできる働き口が必要になります。

収入面よりも勤務時間と小さなこともがいても就業可能なことが条件になるので、なかなか狭き門だと思います。

保育園に入ることも現状では順番待ちで厳しい状況でしたので、まずすべてが希望条件でなくても保育園に入園し、希望と多少違っても無理なく働ける場所に就職をしました。



そのあとは、役所に行って転園願をだし、連絡を待つ状況なのですが、ただ連絡を待つよりも役所に足を運んで、何度か現状を聞いてみたり、今は何番目なのかという相談をするのがポイントではないかと思います。

お役所仕事と言われているので、絶対にこれのおかげで転園できた!とは言いにくいですが、何もしないで待つよりも、転園先の園の待機児童の人数や自分の順番についても聞くことが出来ますし、認定保育園が増える予定があれば教えてくれることもあります。

すぐに転園とはいきませんでしたが、2年3年待ってでも自宅に近く、保育園からそのまま小学生に入園したときにも友達が多いほうが良いと思うので、役所通いしてよかったと思っています。



転職については、転園が決まり、送り迎えのルートも近くなったことで、希望の勤務時間帯に幅が出来、派遣会社によく相談したりしていたので、ちょうどよく連絡をもらえたのを機会に、時給400円upすることが出来ました。

自分だけで職探しするよりも、サイトに登録することや派遣会社に登録しておくと、希望の条件に合いそうな仕事があったときにはこまめに連絡していただけるので、活用するとよりスムーズに転職活動がはかどると思います。
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女性専業主婦42
中学3年生のときのお話です。

中3といえば高校受験を控えているので、親の目もあり、夏休みに遊びに出るのも渋っていました。けれども家にいても勉強もせずにテレビばかり見ていました。毎日、新聞のテレビ欄と睨めっこ。

そんなある日、テレビ欄の下の広告に、『日産シルビア車両本体価格155万円〜』という文字と、その当時のシルビアの写真がありました。当時の私には、とてもカッコよく見え、この時「私は大人になったらこの自動車を買おう!」と決めたのです。

遊びに出かけないので、お小遣いを貯めていました。中3で机の中に5万円近く隠し持っていたのですから、その当時の私は「155万なんて、ちょっとづつ貯めていけば、すぐじゃん。」などと思っていたのです。

そこから大学を卒業するまでの間、バイトもしましたが、二輪車を買ったり旅行をしたり。結局貯まらずでしたが、最初に買った自動車は日産シルビアでした。中学3年生の時に憧れた、あのタイプではありませんでしたが、買おうと決めたシルビアを所有することが出来て満足です。

そこから14年頑張って走ってくれました。
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女性主婦33
私の夢は、子どもを持つことです。

その子のために、洋服を作ったり、おもちゃを作ったり、絵本を作ってあげたいです。

大きくなったら、おやつを一緒に作ったり、絵本を読んであげたいです。

なぜこのような夢を持つようになったのかというと、私の両親が共働きで、幼い頃は一人でいることが多かったからだと思います。

兄弟もいるし、祖母も近くにいてくれたはずなのですが、私の記憶に残っている幼少期はとにかく親の帰りを一人で待っていたということが強く残っています。

もっと親が近くにいてくれたらと思っていました。

結婚して、私は子どもができにくい体質だと知りました。

このことについては結婚以前からなんとなく気づいていました。

不正出血なども続き、正常なリズムではないと分かっていたのに、そのままにしていました。

結婚する時に主人にはそのことも伝えました。

結婚して今まで妊活をして、なんとか子どもを持とうと努力をしています。

ザクロジュースが良いと聞けば、それを飲むようにしました。

体を冷やさないようにするストレッチなどにも挑戦しました。

でも、毎回うまくいかず、病院にも通っている内に体外授精を薦められるようになりました。

もうしばらく様子を見て、妊娠する兆しがなければ体外授精にステップアップしようと考えています。

自分の中で子どもを持つことは自然な流れでと思っていましたが、年齢のこともあるし、ようやく次へ進む決意ができました。

この夢が叶うように日々生活に気を付けて、次のステップを見据えて過ごしています。
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男性会社員28歳
私の夢は、お金を稼ぐことです。

このように聞くといやらしく聞こえてしまうかもしれませんが、とても大切なことだと思っています。

どのように夢を叶えるかと言うと、まずは小さく稼ぎます。

クラウドワークスや、ランサーズなどで副業をします。

普段の仕事で貰える給料に+‪α収入があるだけでも生活が全然違います。

その+‪αの収入は全て貯金に回します。

元々入るはずのないお金だと思いながら貯めます。

そして、クラウドワークスやランサーズで得た知識や技術で、ブログを開設し、広告収入で稼ぎます。

不労所得の獲得を目指します。

効率よく稼げるようになってきたら投資に回します。

投資に回し、お金にお金を稼いできてもらいます。

その間もブログや副業は続けていきます。

この頃には自分の力だけでなく、業務も出来る限りアウトソーシングしていこうと思います。

最終的にはビルを購入し、家賃収入を考えています。

マンションでもいいでしょう。

こうして私はお金を稼ぐという夢を叶えようと日々頑張っています。
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女性
就労継続支援B型の施設での従業員
34歳
現在、私は就労継続支援B型の施設で働いています。

結論から言うと障害者で、企業から請け負った仕事を所属しているメンバー全員で取り組み、

作業に取り組んだ報酬を工賃としていただいています。



私は幼い頃からお菓子作りが好きで、それが年を経て管理栄養士、フードコーディネーターへと変化し、

食産業界で「食」で人と繋がりお客様を笑顔にできるような仕事に就きたいとずっと努力してきました。



テーブルコーディネート、カラーコーディネートの勉強など、座学の他に

スーパーの食品の陳列の仕方、デパートの食器の置き方、販売員の方の接客や商材の扱い方、提案の仕方など、

自分の足で稼いで情報を集め、分析しました。

その日の天候や気温、行事、季節の変わり目など、どんなことを売り手側が消費者に提供したいと考えているのか。

そういったことを専用の勉強ノートに書き込み、データを集めていきました。



高校の選択授業で家政科に進むのに有利な授業を選択したり、図書館や本屋で栄養学の本を借りたり購入したりと、

将来フードコーディネーターとして活躍するために沢山の努力を行ってきました。

そんな地道な努力の甲斐あってか、無事家政系の大学に合格し、フードコーディネーター、より幅広い分野を学べる

フードスペシャリストの資格を取得し、希望していた食品メーカーへの就職が決まり、

本当に嬉しかったのを鮮明に覚えています。
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女性無職36
「海外旅行に行った時に現地の人と英語で話をしたい。オーストラリアに行って、グレートバリアリーフをみたい。」これが英会話を習い始めた15歳の私の夢。実はすっかり忘れていた。気がついたら夢が半分叶っていた。ある日母と外食した時に、「英会話習うときに、いつか海外に行った時に、外国の人と英語で話せるようになりたいって言ってなかった?実際にそうなってすごいなって思ってた。」と言われて思い出した。私が初めて海外旅行に行ったのは20歳の時。英語で話せました。それから何度も海外にいきました。もう旅行で困ることはありません。社会人になって、有休休暇を使って1人でLA留学したこともある。全然知らなかった。どれだけ自分に対して後ろ向きに生きているのかと思った。ずっと「オーストラリアに行って、グレートバリアリーフをみたい。」が夢でまだ実現できてないなと変な思い込みをしていた。私でも夢が叶うことがあるんだなと知った。私の育った家は、国内旅行にはいくけど海外旅行に連れていってもらえる家ではなかった。15歳の私は、オーストラリアに行くことができるなんて、ましてや1人で旅行に行くなんて想像すらしていなかった。私なんかの夢は叶わないものだって信じてた。こんなはずじゃなかった。私は特別何かに優れていると思ったことはないし、誰かより優れているものもない。ただ、自己実現能力を育てている。一人じゃ何もできない女なんてつまらなすぎる。夢を叶えるハードル(時間や費用など物理的なもの)はとても低くなってきて、あとはタイミングと勇気だけだった。過去の夢なんて早々に叶えて次に進んだ方がよくないかと思えた。何十年か先に誰かとオーストラリアの話になって「オーストラリアに行くの夢だったんだよね。結局行けてないけど。」なんて語る自分を想像してみた。そんなの嫌だった。そんなババアは嫌だった。まず、自分がしたい事が明確にあるのに、それに対して何十年もアプローチを行わないその姿勢が許せなかった。「仕事していると長い休みも取りづらいし」とかどこかの誰かみたいに言い訳を並べるのかと。そうやって自分をプッシュすることでオーストラリアに行ってグレートバリアリーフを見るという夢も実現させました。努力だけで夢は叶いません。私の15歳の夢が完全に叶ったのは31歳の時でした。
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男性会社員27
私には最近になり、叶えたい夢ができました。その夢というのは「車を買うこと(高め)」です。今まで車なんて物には一切興味がなかった私ですが、少し前にもう7年以上も使用していた中古車が壊れてしまい。車のことを調べたのが夢のきっかけでした。

車と言ってもどの位の値段かと言うと、約400万程の日本車です。他の人から見たら小さい夢と思われる方もいるかもしれません。しかし、私の職業からして、今現在平均的に月に貰えるお給料は本当に少ないです。ボーナスも無いわけではありませんが、それでも手取りで20万ほどしか貰えません。何もしないで今の生活を続けていたら決して手の届く物ではないのです。しかし私はとてもその車が欲しくなってしまいました。理由はただ一つ、一目ぼれです。本当にカッコいいと思えたのです。その時から私は夢を叶えるため努力しようと考えました。

夢を叶えるために行うことは、金銭の管理と副業です。今現在はYouTube等でお金の節約の仕方、副業の仕方などは調べればいくらでも出てきます。必ず毎日1時間でもいいのでウェブライターのお仕事を始めるようにしました。今はまだ少ない報酬ですが、続けていれば報酬も必ず上がると信じています。又家計簿を必ずつけるようにしています。毎月の収支がわかる事で毎回反省をすることができます。後は無理のない範囲での節約です。家計簿をつけてからかなり無駄なお金の使い方をしていると実感したのでとにかく、日々のお酒代やタバコの料金。行きすぎな飲み会などを減らしました。現在4か月目ですが今のお給料でも毎月5万円程貯めることができています。

他の方から見たらありふれた夢、小さい夢と思われるかもしれませんが、これでも私なりに必死に努力しています。特に今感じていることが夢を叶えるには特に「継続する力」が大事だと思いました。今私が行っている小さな努力でも、時折心が折れそうになったり、投げ出したい気分になったりします。副業の収入の小ささにうんざりすることもあります。しかし、私が調べた中には、夢を叶えた人はそう言った努力を惜しまず継続していった人がほとんどだと思います。私も夢をかなえられるためにも努力を続けていきたいと思います。
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女性介護31
老後の2000万円問題に対して不安なので老後の資金を別の老後用の通帳に入れておいて、貯めておくことが夢です。2000万円だけでは老後を過ごすことが大変なのでもっとしっかりと貯金しないといけないです。自分の隙間時間にお金を稼ごうとしています。私がやっているのは副業として覆面調査員をやっています。今は出かけることが難しいですが月に3回ほど美味しい食事がレポートを書いただけで無料になってかなりお得になるのが良いです。先払いをして後で出したお金と謝礼金が返ってその分だけ家で食事をするときの電気代とガス代とお皿を洗うための水道代が浮くことが出来ます。食事以外にも洋服や百均、薬局も対象なのでありがたいです。家計簿をつけるのは苦手なのですが、その使わない分を貯金箱に入れたりしてお金を貯めようと頑張っています。少しづつの積み重ねが将来のお金を貯めるのに効果があると思います。夢は5000万円と大きくしようとしていますがまずは2000万円を若い時に貯金していきたいです。
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女性専業主婦47歳
叶えた夢 アメリカ海外旅行



20歳台の頃、短大卒業後就職し、三年目に短大の同級生と意気投合してアメリカに一か月旅行しました。

私と彼女の二人で、HISの窓口に出向き相談してオリジナルの旅の提案を受け実行しまいた。



まずは、二人でガイドブック数冊を読み漁り、あらかじめ行きたい所を指定し相談するとスムーズに観光できるような段取りをして頂き(カリフォルニア・サンフランシスコ・グランドキャニオン・シカゴのルートの航空券・ホテル・アムトラックのチケットの手配)とても助かりイイ思い出になりました。



叶えた方法



海外旅行に限らず、事前に情報を得てそれに詳しい人や窓口に相談する。

先立つもの=お金を貯めておく。

同じ夢をもつ者と情報共有し、モチベーションをキープする。

実行に移せる時期を見極める。

クレジットカードは作っておいて使い方も知っておく(カード会社の保険内容・海外での限度額引き上げ等)。

想定外の事にも対処(シミュレーション・余分にお金・相談できる人や機関の電話番号確認等)できるようにしておく。



また野望を持ち続けたいです。
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女性主婦37
早くに結婚して幸せな家庭を築くことが夢でした。24歳の時早々に叶いました。私が育った家庭は家族仲が悪かったです。両親が話したところはほぼ見たことがありません。母は私が小学生の頃、癌で他界しました。心の拠り所をなくし、私はこんな家庭は絶対に嫌だと強く思いました。早く結婚して早く家庭を持とう、子供はあまり歳が離れないように2人作ろうと決めました。就職活動のとき、地元の有名企業で男性社員が多いところを探しました。運良く一番大手に就職できました。同期の男性で、直感でこの人いいなと思う人がいました。リーダーっぽくて周りに人が集まってくるような人です。同期で遊ぶうちに親密になり、付き合って欲しいと私からお願いしました。同じ頃、彼は海外に出向することになりました。今ここで結婚しないと振られると思った私は、結婚して欲しいと食い下がりました。オッケーをもらい、海外で新婚生活を送りました。年子の子ども2人にも恵まれて今はとても幸せです。このようにして自分から夢を掴みにいきました。
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男性自営業38
これから叶えようとしている夢は、世界のディズニーランド全6か所を観光するということです。これは、彼女と一緒に叶えたいと思っている夢なのですが、もともとは世界中を旅行したいというところから始まりました。しかし、世界遺産を巡るでは数が多すぎますし、世界の主要都市を巡るというのも難しいです。そこで、世界にあるディズニーランドを巡ろうという夢をもちました。現在のところ、東京ディズニーランド、フランスのパリにあるディズニーランドへ行きました。あと残っているのは、香港、上海、フロリダ、アナハイムです。この夢をかなえるために、まずは資金が必要です。彼女と二人で節約をするだけでなく、株式投資などをして少しずつ資金をためています。また、具体的な金額が定まりやすいツアーでもいいと考えているので、ツアーで行くと仮定すると、必要な資金は、上海や香港だったらそれぞれ一人当たり12万~15万出せば3泊4日くらいで行けます。一方、フロリダやアナハイムですと、一人当たり最低25万から35万くらいが目安になります。具体的な金額が比較的はっきりしているので、あと5,6年以内には達成させたいと考えています。
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男性会社員52
スキューバダイビングを趣味として始めました。スキューバダイビングの目的は水中写真でした。経験を積み、スキルも身につけて水中写真にのめり込んで行きました。のめり込めばのめり込むほど、こうした写真が撮りたい、もっと粘りたい、粘ればもっとイイ写真、イメージ通りの写真が撮影できるという要求は高まりました。通常のファンダイビングは、ガイドと一緒に他の方々とダイビングします。ですので、自分だけ粘って写真を撮影することなどルール的にもマナー的にもできません。そんなときにプロの資格を取ればひとりでもタンクを貸し出してくれるというあまい誘いにのり、約半年くらいかけてガイドができるプロの資格をとりました。そして非常勤ガイドの誘いを頂き、資格を取るのに費用もかかりましたし、新しい水中写真機材も欲しかったので非常勤ガイドとして週末働き始めました。そのうちに、インストラクターになりたい、憧れるようになりました。自分のプロダイバーとしての幅を広げたくなったのが理由です。そして半年くらいの時間とかなりの費用をかけインストラクターになり、非常勤インストラクターとして週末働くようになりました。
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男性営業職33歳
私は社会人になってからずっと営業職を生業としてきました。
そんな法人、個人と経験した私の夢はしがらみの無い自由な状況の下で十分な収入を得ること。
一般的な夢としては小さい事ですが、営業職の私にとってはかなり大きな夢でした。

現在、自営業として営業を行っているので一定程度の夢は叶えましたが、その中での経緯と重要だと感じた点をお伝えします。

まず、この夢自体は社会人になってからのもので、それまでは特に夢も無く、安定して暮らせれば良いかなと思っていました。
しかし、営業職として始めた結果、永遠にノルマと闘う日々と見合わない収入。
そこで、まずは一定期間ずつ様々な会社へ転職する事にしました。
これは、営業と言っても個人や法人、テレアポや飛び込みと手法も違えば話法も違うからです。
更に重要な事は人脈作り。
他の業種でも同じだと思いますが、社会において個人のスキル差などたかが知れています。
では成功者は何が違うか、それは人脈から生まれる運です。

私は人脈のお蔭で独立しても仕事に恵まれましたし、人脈のお蔭で多少偉そうにしても許されています。
よって、私の夢は人脈により叶えられたと思っています。
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男性薬剤師34
私は高校時代に野球部に所属していて、子供の頃からの夢である甲子園に出場するという夢を叶えました。甲子園に出場するための第一歩として甲子園に出場することができる野球強豪校に入学することが大切だと思います。私の場合は公立高校だったので誰でも入学して部員になることができるのですが、私立の強豪校の場合は野球で実績のある人しか入部を許可されないこともあるのでそこに食い込んでいくことが第一関門だと思います。私は公立高校から甲子園に出場したのですが、どうしても私立の強豪校と比較すると力量、練習量、設備などあらゆる面で劣ってしまいます。それをどのようにカバーして互角以上にもっていくのかをチーム全体で考えていました。高校野球なのでどんな強豪校であっても緊迫した試合ではミスをします。そのようなミスを少なくすることを私達の高校は徹底していました。練習中から緊張感をもって野球に取り組んでいました。そして、ミスや気持ちの入っていないプレーをする選手はチームメイトから厳しい声をかけられていました。そのようにして自分達のチーム内で試合以上の緊張感が出るような練習を日頃から行っていて、その成果で甲子園に出場できたのだと思います。また、戦術的な決まり事を守ることを常に徹底していました。要するにチーム力で強豪校に立ち向かった結果甲子園に出場できたのだと思います。そのためには心を一つにして取り組む仲間が集まることが必須です。私は仲間に恵まれて夢を叶えることができたというのもあると思っています。
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女性自営業50
マチュピチュへ旅行へ行く夢を叶えました。

20代のころ絶対に行ってみたい旅行先の話をしていて、その頃からなんとなくマピュピチュにはいつか行ってみたいとは思ってたように思いますが、他の旅行先などに気持ちがうつりなんとなく忘れていました。数年前、派遣の仕事をしていた時に長期の有給休暇が取りやすい社風だったこともあり、マピュピチュ旅行を思い立ちました。旅行ガイドなどで情報を集めていた時、インカトレイルトレッキングのことを知りました。はじめは、現地発着の英語のツアーに参加しようと思いましたが、トレイルの途中に4000mを超える箇所があり、体調不良を訴えられるほどの英語力もなかったので、安全を優先して日本からのツアーに参加しました。それまで、登山らしい登山といえば富士山くらいっだったので、出発するまでの間に登山教室にも参加して準備しました。

実際歩いてみると、高山病に強い体質だったようで、体調を崩すこともなく元気に歩くことができました。行く前の登山教室も合わせるとかなりの高額で贅沢しすぎてしまいましたが、その後、派遣切りにあったり散々でしたので、あの時行っておいて本当によかったと今しみじみと思います。
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女性主婦56
主人が1年の半分は中国で仕事をしているため、香港とマカオの写真や動画を何枚も見せてもらっていたんです。

それを見るたびにいつか私も行ってみたいと思うようになりました。

香港とマカオなんてすごく近くてすぐにも行けそうな場所ですが、海外旅行などしたことがない私は、子供もいるしなどいろんな理由をつけて先延ばしにしていました。

でも50歳後半になって、いつかなんて思っていたら何もしないうちに死んでしまうのではないかと思ってしまったんです。

ダンナにまずはパスポートが無いと海外には行けないと言われ、いつもは先延ばしにするんですが、その時はすぐに1人でパスポートの申請手続きに行ったんです。

その事をメールでダンナに報告すると、その足ですぐに旅行会社に行こうという事になったんです。

夜に旅行会社に行くと、いつ頃行きますかなんて聞かれたんです。

パスポートが出来る日を言うと、その週の週末に偶然ホテルも飛行機も取れるという事がわかったんです。

これはチャンスかもと思い、これに乗っかってしまうことにしたんです。

ちょうど私達が手続きを終えた数日後に香港のデモが始まりました。

まだ初期の頃は、デモの場所に近づかなければ大丈夫と言われて旅行を決行しました。

その後デモが暴動化して香港には行けなくなりました。

あの日決心をしなければ、たぶん一生香港マカオに行けなかったと思います。
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女性大学生19
私は小さい頃から医者になるのが夢でした。細かくいえば、幼稚園生の頃からずっと「将来の夢は医者になる!」と言っていました。中学高校と年齢を撮っていけば取っていくほど、その思いはどんどん強くなってきて、医師体験などを通して絶対に叶えてやると思いました。しかし、高校三年生の大学受験で私は大失敗をしてしまい、ひとつも医学部が受からず、他の学部に進学するか家族で相談しました。その結果、やはり夢は諦めきれないと思い、親に頭を下げ、浪人することになりました。1年間ただひたすら勉強だけをし続ける、この1年間は本当に辛かったです。勉強にしっかりと身を入れるために友達は数人しか作らず、毎日朝8時から夜中2時まで勉強しました。高校同期の友達たちの楽しそうなLINEのトプ画などを見た時は、見るつもりはなかったもののかなりしんどく涙が出ることもありました。しかし、自分の選んだ道には違いないのでひたすらに努力した結果、1年遅れてやっと医学部に合格できました。夢は願うのは無料ですし、自由なので、叶える可能性は無限大だと思いました。
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女性主婦42
私が叶えた夢は、結婚して子供を産んで、ベビーカーを押してお散歩することが夢でした。

それを今では叶えることができました。

現在は子供三人、ベビーカーを乗ることのない年齢にはなりましたが、子供が大きくなってもふと叶えたかった夢だったな、良かったなと思う事があります。

結婚して子供を産むという夢は、実際には私だけの努力では難しいところがあります。

相手はだれでもいいわけではなく、もちろん理想もありました。

その夢自体あきらめた方がいいのか?と思う事もありました。

それは、学生から社会人になった時に当時世間では男女平等、女性もどんどん社会進出すべきという時代になってきていました。

自分自身の夢はおかしいのか、まず仕事に重きを置かなければならないのか?と迷ってしまうようなことが多々ありました。

実際にその頃働いていた仕事は、結婚して子供ができたら続けていくのは難しいと私は考えていました。

そのころお付き合いしていた人はとは結婚したい!とも思っていて、しかし女性の社会進出を考えたとき今の仕事でキャリアを作るには結婚は邪魔なようにも感じました。

キャリアを選ぶならら一度仕事で生きると腹をくくりたい、くくらなければとも思っていました。

そこが人生の大きな分かれ道だったなと感じますが、私はその頃の仕事もとても好きでしたが中途半端にもやりたくない。

しかし自分自身の深層心理を常に模索すると、やはり叶えたかった夢は私は結婚して子供を産む方だと思いました。

それが分かれば、その時お付き合いしていた人としっかり向き合い関係を作ることが大切だと思い、無事に結婚出産まで無事に運ぶことができました。



後で考えると子供を産むのにもリミットもある、後延ばしにしたくても今はしなくてよかったと思っています。

子供が大きくなった今は、また今出来る仕事を考えれば出来ない事もない。

当時の思うようなキャリアはないけれど、まず叶えた夢を大切にしながら次のステップへ行ければいいかなと思います。
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男性フリーライター47
高専2年(一般的な人では高校2年)の時からF1が好きでした。なので、F1に関係する仕事をしてみたいと思ってました。

自動車免許をとり、普通乗用車(マーチ)を公道で運転してみて、ドライバーの能力の限界はその時点で把握し、F1ドライバーになるのはあきらめました。

そのまましばらくF1という夢は考えていませんでした。

しかし、NEC系列のマイコンのソフトウェア開発の仕事につき、やはりF1のことが頭にわいてきました。

私自身、F1と直接かかわる事はできませんでしたが、自動車用のOS開発(自動車の電装部品のソフトウェア)にかかわることができました。

直接的な夢をかなえたわけではありませんが、ちょっと視点をずらしてみると、夢がかなったのかな?と思います。

F1の開発自身は、自分で会社を設立したり、そういった仕事をしている会社に就職したりするのが一番いいとは思いますが、実際は関係がないかも?と思う会社でも関係することができます。

スポンサー企業に就職してみたりしても、資金的支援として貢献できます。

また、F1に技術的供与ができる会社に務めて、自分が開発したもので貢献できることもあります。

私自身が開発したものが直接的にF1に貢献したかどうかは、実際のところよくわかりません。

でも、私が開発したOS(と言ってもごく一部に関わっただけです)が、某国産メーカーの自動車会社に渡り、その会社がF1に実際にエンジンを供給していた時期もあります。

また、NEC自体もF1チームのスポンサーになっていた時期もあります。

そのため、直接的に夢はかなわなかったにせよ、私の夢はかないました。

夢が直接的にかなうことが望ましいのですが、そうではないこともあります。

でも、間接的にせよ、夢がかなったと自分では思っているので、とても嬉しかったです。
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女性パート主婦39
音楽で生計を立てたいと思い、ミュージシャンになりたくて、ずっと行きてきて、音楽でお金をいただきながら、バイト業務をして生きてきました。生活ができる程度のお金を音楽で稼げるようになりました。個人的には続けていれば、叶わない夢はないと思っています。夢というより、目標として、時間の使い方を考える、毎日の時間の使い方を考えるべきかと思っています。次のいまの夢は家で仕事して、稼いで生活して行きたいと私は夢を見ています。夢を目標に変え、時間の使い方を考え、毎日の時間の使い方を考え、勉強して、実践して、継続しているところです。常に自分を分析し、掛け算的に生きていけるように、時間を使うようにはしています。おたまの中や心の中が、柔軟でいられるように、自分をアップデートしながら、楽しみながら学び、これからの人生を良いものにして行きたいと思います。娘たちの未来のためにも、社会貢献もしたいと心の中では考えています。
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男性調理師26歳
子供の頃から食べる事が大好きだったので食事に関連する仕事をしたいと考えていました。調理師という仕事はまさに食に関連する仕事なので小規模な夢は叶えています。他にも社長になりたいやゲームを作りたい等々子供の頃に抱いていた夢は数多くありますが一つずつ叶えている途中です。夢を叶えるというと難しく思いますが目標として捉えると意外と道筋は見えてきます。勿論ミシュランで三つ星を獲得する様なお店のオーナーになりたいみたいに難しい夢を持ってしまうと叶えるまでに時間は掛かりますし、最悪叶えられない事もありますが、夢に向かって努力している、挑戦している最中は非常に楽しく充実感を得られます。ただ漠然と仕事をして毎日を過ごしているよりかは人生が明るくなる気がするので夢を持つこと、叶えようとする事は大事だなと思います。夢を叶えるまでのチャートを自分なりに作ってみて、一歩ずつ進んでいると実感出来るように工夫すると継続しやすいかなって思います。
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女性主婦45
私が叶えた夢は、留学です。

英語力がないのに大人になっても海外留学への憧れは消えず、時折、留学サイトを見ていたら、「英語ができなくても大丈夫」というキャッチフレーズの留学エージェントを発見したのです。早速帰宅後、その留学エージェントに電話し、このキャッチフレーズの意味を聞きました。

英語が分からない時は身振り手振り以外に、紙に絵を描いたり、辞書で調べた単語を書いたり見せたりという手段でコミュニケーションが取れるとの事でした。なるほどと納得し、すぐに留学の決意をしました。

会社の休み中、アメリカのサンフランシスコ郊外に5日間だけのプチ留学ですが、ホームステイをしました。

とても良いご家庭で、非英語圏の人には慣れているので簡単な英語を使ってくださり、ほとんど口頭の会話で過ごせました。時折、辞書を使っての会話もしました。帰国時には手編みのマフラーを頂き、帰国後はメールのやりとりをして大成功の留学となりました。
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女性無職24
私の夢はバックパッカーで世界を旅することでした。同級生たちがリクルートスーツ姿で就職活動を必死に頑張っているなか、私は、大きなバックパックを背負い、安宿に泊まり、自分の見たことのない世界を見たいという夢を捨てきれず大学卒業後も就職せずに旅の資金を貯めるためにアルバイトをしていました。就職せずに旅資金を稼ぐ私を見た同僚たちは、「現実を見たほうがいいよ。将来困るよ」などと批判的な意見ばかりに何度かくじけそうになりましたが、人生は一度きりという私のモットーを思い出し必死で働きました。実は、大学在学中に海外留学の機会があったのですが、自分の生活費を稼ぐのに必死だった私は、留学費用を払うことができず泣く泣く諦めたのです。なので、このバックパッカー旅のなかで、大学時代の夢だった留学にも挑戦しようと考え、語学学校にも通うことにしました。大学卒業から2年後、ついにニュージーランドとオーストラリアを旅することができました。語学学校では様々な経歴を持った友達ができました。正直叶わないと思っていた夢だったので、バックパックを背負ってオーストラリアの地を歩いた時はとても感動したのを覚えています。
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男性自営業63歳
20代の時に夢を叶えつつありました。プロのギタリストになる事でした。毎日毎日練習をして、バンドを組みそれなりのステージに立ち、クラブにも専属で出演していました。しかしメジャーではなくプロと呼ばれるにはいまいちでした。そな時に、バンドの解散でした、お金の問題と他のバンドの引き抜きなどが在りバラバラになってしまったのです。もう少し頑張れば、プロに慣れたと思うのですが、それから結婚など在り諦めてしまったのです。63歳にしてギターを買いました、不思議なもので指が覚えていたのです、更に当時コピーが難しかった曲のコピーが何となく出来てしまうのです。今は落ち着いて音を聴けるからなのでしょうかかなり楽しくなってきました。此れからの夢は誰かにギターを教えられる様になりたいと思い始めました。しかし、歳が歳だし何の伝手も無いのですが、夢は夢として練習をしています、譜面も見直しもう少しこの夢を追って見ようかと思います。
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女性ライター34
文章を書く仕事に就きたいという夢がありました。夢を叶えるため、ブログや小説投稿サイトに積極的に文章を投稿しました。文章力を高めるため、文章の書き方の教本は五十冊以上読みました。読んだ本は注目すべきポイントをノートにまとめ、見返しやすいように整理しました。もちろん、ポイントをまとめるだけではなく、実践しました。実践場所はブログです。ブログは十年間運営し、たくさんの閲覧者を得ました。それと同時並行で、小説投稿サイトにも小説を投稿していきました。途中、挫折感を味わうこともありましたが、冷却期間を置いて、落ち着きを取り戻しました。また、文章を書く仕事を生業としている先輩ライターさんとつながりを作り、文章を収益化していくためのポイントを教わりました。まずはランサーズやココナラといった、スキルを売買するマーケットに、商品を出してみるとよいということでした。そうしたサイトからご依頼を頂き、文章を書く仕事を自分のものにすることができました。
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女性専業主婦40
子供の頃からクラシックバレエを習っていました。受験や就職等の理由でバレエから離れていましたが、社会人になり、生活も落ち着いて来た頃にまたバレエのレッスンをやってみたいと思うようになりました。お教室をさがし、体験入学もやり、「ここに決めた!」と正規入会しました。週一回の大人用クラスを受講して、数ヶ月たった頃、バレエの発表会をやるとの事で、私も参加する事にしました。お稽古はとても大変でしたが、やりがいもあり、お衣装も素敵で、仲間達と舞台に立つというとても楽しい時間を過ごしました。

そんな発表会の楽しさが忘れられず、次の発表会も参加する事にしました。参加を決めて、踊るパートも決まって、お稽古が始まってから数週間後、ひどく体調を崩してしまいました。お稽古どころではなくなり、発表会の参加を断念せざるおえなくなりました。本当に悔しくて、この事が心残りでした方なかったです。淋しさと悔しさを抱いたまま、発表会には参加せず、終了しました。

発表会終了後の数ヶ月たった頃、勉強会を開催するとの事になりました。勉強会は、衣装なし、化粧なし、舞台なしのお教室でやる小さい発表会の事です。体調も回復したので、もちろん参加を決めました。しかも、通常の発表会では踊れないようなソロを踊らせてもらえることになり、とても嬉しかったです。

勉強会が近くなった頃、なんと、お衣装も着させてもらえる事になり、大興奮しました。勉強会当日に向けて、夜遅くまで、真剣にお稽古しました。

本格的な発表会ではなかったですが、諦めていたことが、ソロの踊りと素敵な衣装で叶える事ができました。このようなチャンスに巡り会え、ありがたく思いました。とても楽しく踊れました。諦めずにバレエを続けて、一生懸命お稽古してよかったです。
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女性クラウドワーカー30
私は、不登校で中卒のまま家にいました。

しかし、20歳になると家族に恩返しをしたいっていう目的のために企業で働きたいという

思いが芽生えハローワークに行って話を聞いてもらいました。

すると作業所に行くといいっていわれ、行きました。

そこでも、自分自身とは合わずに休みを繰り返して辞めることになりました。

しばらくしたら、もう一度働きたいという想いが芽生えて、

今度は自分自身で探した就労移行支援所に通所する事になりました。

そこでも精神的に落ち込んだりすると、休んだりしました。

すると私は、やっぱり就職は無理で辞めようとしました。

しかし、そうするとスタッフさんたちが話を聞いてくれたり、

励ましてもらい、何とか辞めないで済みました。

ある日、プログラムを受けて就職するには資格取得するといいって聞いたので、

勉強して見事に、MOSの資格を取得しました。

また、スタッフさんたちが助け合って働いているのを見ると、

私もチームで働きたいって思い始めました。

しかし、精神不良で休むのは治らなくて、通所して2年半たっても

就職できませんでした。

そんなある日、スタッフさんたちが就労移行支援事業所を運営している会社で一緒

に週20時間未満雇用で働くって言ってくれて面接をすることになって採用されました。

とうとう就労移行支援事業所を卒業する日になりました。

最後にメンバーさんたちに就職することを報告したらみんな喜んでくれました。

するといつもいる場所なのにまるで違う場所に見違えていて喜びに溢れてました。

そして、運営会社で働いてみると、落ちこむと休むのは全然変わらずに、

半年で契約満了となってしましました。

しかし、その半年はスタッフさんたちがプレゼントしてくれた

経験というギフトとなりました。

私は、今でも働くのは夢です。

正直、私は昔に夢を見た働きたいのは家族に恩返しのためだけでした。

しかし、今は働くのはチームで働きたいっていうのと週20時間未満雇用法定雇用率を変えるっていうのも

あります。

なので諦めないでやれば叶うと教えてくれたスタッフさんたちとメンバーさんたちに

就職したらありがとうといって恩返しもしたいです。

私は夢を叶えたのは周囲の人が見守ってくれて喜んでくれたり、

支えてくれたからです。

なので、私は諦めずにやって認めて合えば夢も必ず叶うと

信じています。
29
女性薬剤師34
私は子供の頃からあこがれていた薬剤師になるという夢を叶えました。私は小学生から中学生の間お世話になった塾の先生が薬剤師の資格を持っている方で、薬剤師に親近感を感じていて薬剤師を志すようになりました。薬剤師になるためには薬学部を卒業しなければならないのですが、薬学部に入学するのは意外と簡単です。しかし、国家試験に合格することが難しいです。かなり莫大な量の情報を暗記しなければならなかったので、薬学部の同級生の友人と協力して毎日10問問題を出し合うということを1年間継続して続けました。また、なかなか暗記することができないことに関しては家の壁に貼り紙をして毎日目に入るようにしました。それでも覚えられないことは、理解していることであってもわざわざ学校の先生の研究室に行って、先生に質問して頭の中にインプットされるようにしました。国家試験前の半年程は睡眠時間もやや削った状態が続きましたが努力のかいあって国家試験に合格して薬剤師になることができました。薬剤師になるためには薬学部に入った後どれだけ努力できるかということだと思います。勿論遊びたい気持ちもありますが、遊びと両立するためにはいかに効率よく暗記するかということが重要だと思います。
30
女性専業主婦30
私は将来、可愛いワンちゃんと暮らすことが夢です。小さい頃に犬を飼っていましたが、あの頃はまだ自分が未熟だったので、親がお世話をしていました。でも、散歩に行ったり、おもちゃで遊んであげたり、おやつをあげたり、子どもながら一生懸命お世話をしたのを覚えています。まるで兄弟のような関係でした。もうずいぶん前に老衰で天国に行ってしまいましたが、本当に大好きでした。高校を卒業してから一人暮らしを始めて、就職、結婚し、ずっと賃貸暮らしなので、犬は飼えません。また、今は赤ちゃんのお世話に精一杯なので、犬をお迎えする余裕もありません。しかし、もう少ししたら、年齢的にもマイホームを考えなければならないので、今のうちに頑張って節約しお金を貯めて、ワンちゃんがのびのび暮らせる素敵なお家を建てれたらなぁと思っています。犬を飼えるようになる頃には、子どもも少し大きくなっていると思います。私が子どもの頃に犬がいろんなことを教えてくれたように、私の子どもにも犬からいろんなことを学んで欲しいです。
31
女性金融事務31歳
私の今の夢は、在宅ワーカーとして安定した収入を得ること、愛する主人のためにスポーツカーを購入することです。

不運な事故で1年足らずで廃車になってしまった前愛車はスバルのインプレッサでした。大きな事故にも関わらず主人が無傷で帰ってきてくれたことがとても嬉しく、主人を守ってくれたインプレッサの頑丈さに心から感謝しました。

主人はインプレッサを自分の好みにカスタムしたり、こまめなメンテナンスを行ったりととても大切にしていました。短い付き合いになってしまったため、主人は今でもインプレッサに未練があります。

ですが、たくさん節約をしても容易くは貯めることができない金額ですし、子供の教育費等考えたら簡単に買えるものではありません。子供たちもまだ手がかかり、主人の仕事は夜勤もあり休日も少なく、家庭のフォローをしてもらうのは難しいために、私自身がフルタイムで働くことも現状難しいです。

なので、私は今後在宅ワーカーとしてフルタイムで働けるように、スキルアップや気になった仕事に対し積極的な働きかけをしています。在宅ワークは私の性格では切り替えやスケジュール管理が難しかったり、軽い体調不良の際に怠けてしまう、人目がないことで甘えが出てしまうなど難しい部分もあります。ですが、昨今のコロナ禍でも、子供にリスクを負わせながら通勤しなければならない事や、自分自身のリスク管理と会社の許容できるリスクとの隔たりがありモヤモヤするなど、家族のために働いているのに家族に負担をかけている今の状況も打破したいと思っています。

これからも日々学ぶことを惜しまず、私がフルタイムの在宅ワーカーになることで収入を増やし、主人にまたインプレッサに乗ってもらえるように頑張ります。
32
男性会社員31
私の夢は50歳で、妻とやりたいことを全てやっていく生活を送るということです。現状は娘が3歳で、お金もたくさんあるわけではなく、50歳になっても毎日働いて金銭的に「我慢しなければいけないことは我慢する」生活を送りそうなのです。

そうならないために今行っていることがあります。それは投資の勉強です。

不動産、株式、投資信託、仮想通貨、国債など様々な分野の勉強を行っております。そして、実際に実践できるものから順に投資を始めております。

お金を増やすには時間が必要だということが分かったので、30歳から20年かけて資産を増やしまた継続的に収入が得られる仕組みづくりを行っていきます。

そして50歳には毎月不労所得で今と同じ以上の金額が入ってきてる状態にし、子供を育て上げて、妻とたくさんの思い出を作っていきたいと思っております。

もちろん働きながらでもできることではありますが、より多くの思い出を作るために働く時間もまたその思い出作りに割けるようにすることができればと考えております。
33
男性会社員46
昔から映画が好きで、DVDレンタルやネット配信サービスで視聴するものも含めると年間100本は必ず見ています。それが、この新型コロナの影響による外出自粛により、しばらく映画館で映画を観ることができませんでした。緊急事態宣言の期間中は、近所の映画館もずっと休館している状態。いつか、新型コロナが収束したら、映画を観に行くぞ!と思っていました。

普段、いつでも行けると思っていると、その価値は分かっていませんでしたが、実はこうやって、たくさんの人たちと一緒に映画館で映画を観るってことは、すごく贅沢なことだったんですよね。というのを、最近痛切に感じています。

ようやく映画館も再開して、ようやく映画を観に行けることに。座席も、ひとつおきに座れる席と座れない席とに分かれていて、お客さん同士が密にならないように工夫がされていました。しばらく映画館で映画を観ることができていなかったので、本当に久しぶり。せっかくなので、ちょっと奮発してボックスシートにしました。そこで映画を観た時間は、本当に夢がかなった至福のひとときでした。
34
女性パート31
私には、子供が4人居ます。数ヶ月前に主人とは離婚をしたので、シングルマザーです。数年前からマイホームが欲しく、そろそろマイホームを建てようか…と話していたときに、いきなり主人から離婚しようと言われてしまい、始めは受け入れるつもりもなかったのですが、お互い納得し離婚しました。ですが、子供たちも念願の一軒家ができると喜んでいた矢先だったので落ち込みもすごくとても悲しくなってしまいましたが、私がなんとかして子供たち、私の夢でもある一軒家を建てることを目標に私は仕事を頑張っております。今はまだ正社員になることは難しいので、とりあえずパートですが貯蓄を頑張っているところです。もちろんすぐに建てることはできないので何年かかることになるかもわからない状況ですが、何年かかるか分からないけど絶対ままがお家建てるからね!と言う言葉を信じて「まま、頑張ってね」と言って応援してくれる子供たちの為にも1年でも早くマイホームを手に入れることが出来たら良いな…と思ってます。
35
女性アルバイト48歳
今、私は48歳です。もうすぐ50歳です。もうあきらめていますが、人生で1度は結婚してみたかったです。

初めて彼氏が出来たのは22歳の頃の事です。私が片思いしていまして、アタックして付き合う事になり、もう結婚も考えていました。まだ彼氏が大学生でしたので、彼氏が大学を卒業して就職したら結婚しようと思い、努力しました。毎日の様に彼氏のアパートに遊びに行って、夕食を作っていました。何だか結婚してるみたい、と自分では満足していました。

やがて、彼氏が大学を卒業して就職して、県外に引っ越しました。遠距離恋愛になりました。でも、私はあきらめませんでした。アルバイトを掛け持ちして、貯金して彼氏の住んでいる街に引っ越そうと思い夢のために頑張りました。彼氏の休みに合わせてシフトを組んでもらい、休みの日は1日しか無くても前日から会いに行って、夜帰ってきてもう次の日はアルバイトでしたが、若かったから頑張れました。結局彼氏に浮気されて、二股をかけられ、別れました。

それから20年以上過ぎますが、もう1人の生活に慣れてしまい、結婚は無いと思います。
36
女性会社員30
私には自分のお店を開き、生計を立てるという叶えたい夢があります。一人で喫茶店やカフェでのんびり読書したり、考え事をすることが好きなのですが、長時間気にせずに過ごせる静かな落ち着いたお店はあまりありません。私のように仕事の後や、早朝でも人目を気にせずにくつろげる場所を探している人は多いと思います。そこでわたしは将来、いつかお店を開いて、沢山の人の居場所を作りたいと思っています。具体的にはおひとり様専用の会員制のカフェです。夜はお酒も出すお店にしたいと思っています。夢をかなえるには、経営の知識や、飲食を伴うので衛生面についての知識を勉強していかなくてはいけないと思っています。具体的にすすめるために、自分の理想をしっかりと整理する時間を取りたいと思っています。また、お店づくりや開業にあたっての事務的な費用が必要なので、今は社会人をしてお金をためています。45歳までには目標貯金額に達するので、そこをめどにまずは会社の休みの日と平日の晩を利用してお店を開きたいと思っています。
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女性会社員58歳
絵が好きで、漫画家やイラストレーターになりたいと考えていましたが、家族からはその程度の絵ではプロにはなれないし、なったとしても食べていける人は一握りだと言われていました。なので、雑誌に投稿はしたものの、成績もよくなくて絵しか褒められたことのない私は、絵でけなされたり、プロから可能性がないと言われるのが怖くて、まじめにやらないからできないという路線で逃げに入っていました。結婚して子供が産まれてしばらくすると、ひどく落ち込むことがあって、それを乗り越えたときに、何か自分でもできないかと考えるようになりました。落ち込んでいた私を勇気づけた家族や友人、音楽などにお世話になったと感じたからです。その後、通信教育ですが挿絵ライターや絵本作家の資格を勉強して、宗教ではありますが、教団の絵本を描かせていただいたり、フリーマーケットで似顔絵を描いたりしています。漫画家やイラストレーターにはなっていませんが、自分の描いた絵でお金を頂いたり、喜んでもらったりしています。絵が自分の代名詞になる夢はかなったと思います。
38
女性主婦39
私が物心ついた頃からの夢、それは「将来は海外と日本を繋ぐ環境で活躍したい!」でした。

日本で生まれ育った私は必至で語学の勉強に励み、夢を叶えるため外国語大学へ進学。

日本と外国の架け橋になるには、外国語の習得はもちろんですが、綺麗な日本語が話せて自国の文化もきちんと理解していることがとても重要です。

そのため、在学時代は短期留学へ出て日本の文化を紹介するボランティアに積極的に参加したり、日本でも各国から来ている留学生との交流を図ったりしていました。

就職活動が始まる前、具体的に将来の自分の進みたい道を考えていたところ、「一度アメリカで働いてみたい」という思いがこみ上げてきました。

日本人がアメリカで就職をするのはVISAの関係もあり簡単なことではありません。

しかしタイミングと運も見方してくれたのか、大学卒業後フロリダのディズニーワールドでの1年間の仕事ができる機会をいただきました。

子供のころからの夢が叶った瞬間はとても嬉しかったのを覚えています。

アメリカでの一年間はそれまでの私の人生でもっとも充実した時間でした。

帰国後はやはり海外と日本を行き来する仕事がしたかったこと、そして人とかかわるサービス業を続けていきたかったこともあり、外資系航空会社の客室乗務員の仕事に就きました。

客室乗務員の仕事も毎日が本当に楽しく充実していました。

そんな生活が数年経った頃、機内でお客さんとして乗っていた今の主人と運命的な出会いをし、しばらくの遠距恋愛を経て結婚しました。

子供の頃から夢見ていた日本と海外を繋ぐ仕事ができたこと、そして夢を叶えてきた過程で人生のパートナーに出会ったことは私の人生の大切な宝物です。
39
女性自由業25
夢に大きい小さいがあるのかはわかりませんが

いくつかこういうことをやりたいと思うことがあります。

一つは叶いました。海外に行って1年ほど暮らしてみる。

外国人の友達を作ること、スカイダイビングを知ること、

色んな場所に行くこと。



仕事では、デザインの仕事をしています。

いつか建物のデザインもしたいし家具も作りたいです。

自分の成長を感じることが好きなので、

色んなことがわかるようになりたい。

レオナルドダヴィンチのようなら万能になれたら面白いだろうと思う。

生物学、地質学、幾何学、解剖学、物理学、

絵もかけて、色んなものの構造や性質を

基礎から学んだとしてもきっと万能にはなれないだろうと思いますが、

物の見方はガラリと変わるはずです。

色んな角度から物を見たり考えたりする力があると

問題解決能力も高そうです。

私はなるべく自分の生活から嫌なことや面倒だなと思うことを

消していきたいのです。

1日の中で、これはやりたくないと思うことが何ひとつ入っていない

1日を想像すると、楽しいことばかりでこうなればいいなと思いつつ

そうなるためには仕事も勉強も努力も必要、という答えになります。
40
女性無職48
昔からいろいろな国に行き、いろいろな文化を知りたいという夢がありました。大学時代はバブル中だということもあり、中流家庭でしたから、アメリカやカナダで短期留学をし、ホームスティをしながら、その国の文化を学ぶ・・・というよりも、身につけていったものです。その後も会社に勤めながら、休みになるとヨーロッパ、アジアなど海外に出向きました。大学時代のようには長くいられなかったものですから、そこまでは文化など身についていないかもしれませんが、街の様子、人々の様子、宗教、安全性などなど、日本との違いを知っていくのは楽しかったものです。40ほどになり、もともとの体の弱さがたたり、勤めが出来なくなりました。海外旅行はお金がかかりますし、体力がいるものですから、残念ながらいけなくなりました。そのかわりに、日本をもっと知ろうと国内を安くあげながら旅しました。国内も場所場所によって、人となりも違うし、文化もちがう。海外にいかなくても、面白いと思ったものです。去年ぐらいから動くのもしんどくなり、旅は止めましたが、いろいろなものに触れあえた時間はわたしのなかで宝物になっています。かわいい子には旅させよといいますが、本当、旅は人を成長させるような気がします。
41
女性客室乗務員27
小学生の頃からの夢だった国内大手CAになりました。きっかけは木村拓哉さん主演の『GOOD LUCK!!』というテレビドラマで、黒木瞳さん演じるCAという職業を初めて知った所からでした。このドラマは現役CAになっても引き続きモチベーションになっています。CAになるまでの過程で、初め(小学6年〜中学2年当時)は学校の図書室に置いてある『客室乗務員になるための本』を片っ端から読み、どういう流れでCAになれるのかをイメージしました。CAは4年制大学卒業だけでなく、専門学校卒業でも叶えることができますが、将来CA以外の職業に興味が湧いた時にも手が打てる様、また将来の選択肢を増やしておける様、4年制大学を卒業後CAになる道をイメージしていました。高校選びの際も、次の大学選択の際に選択肢を多く持てる様、学区内1位の進学校を目指し卒業しました。CAは英語が必須だと認識していたので、まずは学校の英語の授業を踏まえ、プラスとして英会話レッスンや公文式でのリスニング、リーディング、ライティング力に重きを置きました。また大学では、英語以外の教養も広く学ぼうと決意し、法学部へ進学後、日本の憲法、法律から米国法、ドイツ語専攻等幅広い知識に触れ、CAの採用面接でもそれらの経験が全て活かせたと思います。全てはCAの夢を叶える為の選択でしたが、今振り返ってみると将来の選択肢を増やすための努力となり、結果様々な教養を学び多方面からの視点で物事を見れるようになった事がCAになれた最大のポイントだと思っています。
42
男性自営業64
叶えたのは世界一周の夢です。 これは子供の事から持っていた夢ですが、我々の世代にとって海外旅行などはまさに夢のまた夢であり、正直実際に叶うとは思っていませんでした。 その後長いこと夢があったことすらも忘れていましたが、学生時代にあるイラストと出会ったことにより、自分にもそうした想いがあったことを思い出しました。 当時不毛な学生生活に疑問を抱いていたこともありましたが、何よりも今という時期を逃せば実現は一生不可能だと言う確信を強く持ちました。 結論として半年間の海外旅行を決意しました。 しかし当時は今と比べてはるかに旅費が高く、半年分となると滞在費もかなりの額になります。 そこで貯金と準備のため半年かけることにしました。 肉体労働のバイトで資金を確保する一方、貧乏旅行に耐えるためバックパックを一式購入し、手始めに北海道などを短期間旅行して経験を積むことにしました。 こうして準備を整えた後、大学を休学し、タイから始まる世界一周旅行を無事達成する事ができました。
43
女性一般事務のアルバイト57
小学生のころに映画「小さな恋のメロディ」を見て、イギリスの風景や文化、生活スタイルの美しさに衝撃をうけました。

いつかはイギリス・ロンドンに旅行をするのだと心に決めました。

また、10代になったころにダイアナ元妃が結婚され、その素晴らしさにも感動を受けたので、元妃の居城であるケンジントン宮殿にもかならず訪れようと考えていました。

それ以来、少しずつアルバイトから得た収入の一部をコツコツと貯金をし、その間、娘が二人生まれ、家事や育児、持病も悪化し、断念するしかないかと心折れたときもありましたが、45歳ころに目標としていた金額も貯まり、子供の受験なども終わったころ夏休みを利用して、娘二人とロンドンへ飛び立ちました。

宿泊ホテルは、ケンジントン宮殿の真向かいにあるシスルケンジントンガーデンです。

朝食のレストランからはケンジントン宮殿が眺められます。

宿泊中は、毎朝、多くの馬に乗った警官が目の前をのどかに過ぎ去るのをぼんやりみながらイングリッシュブレックファストを食べていました。

ほんとうに夢の中にいるような日々でした。

あしかけ30年以上をかけて叶えた私の夢です。
44
女性サラリーマン37
今叶えたい夢は英会話保育園の保育士になる事です。

その為に、ただ今子どもとおうち英語を楽しみながら、保育士試験の学科の勉強をしています。

子どもがまだ小さい為、中々テキストを広げて勉強する事はできないので、YouTubeで解説動画を見たり、アプリで問題を解いて勉強し、運良く子どもが早く寝てくれた時に過去問の問題集に取り組む日々。

苦肉の策で始めた勉強法ですが、ノートを作るよりも効率良く頭に入ってきます。

学科試験に合格したら実技試験なので、運転中に歌の練習をしたり、我が子に読み聞かせをしながらお話しの練習もしています。

晴れて保育士試験に合格したら、次は幼児教育・保育英語検定という試験に挑戦する予定です。こちらは、TOEICの勉強や我が子のおうち英語に付き合いながら、検定専用の教科書も入手して学び、少しずつ実務に使えるレベルに持っていき、検定合格と現場デビューを目指して努力していきたいと考えています。

道のりはまだまだ長いですが、夢を見て、具体的に計画を立てる事そのものがとても楽しく感じられています。
45
女性ヨガインストラクター33
中学生になるまではどちらかというと自宅に引きこもるのが好きだったけれど、中学に上がって新体操部に入ったところから性格に変化が出てきました。今までおとなしいだけの子供だったのが少し活発になったのです。新体操部は先輩が厳しくて柔軟体操も辛かったですが頑張った甲斐があってカラダが柔らかくなり、倒立も得意になり自分に自信を持つことが出来たのです。



時が経ち社会に出ていろいろな仕事に就きました。しかしどの仕事もすぐに嫌になって退職・・・。結局、人に使われる仕事が性に合わないと分かってヨガのインストラクターになるため集中してヨガスタジオに通いました。初めの1年間は定休日以外毎日レッスンに参加しました。



ヨガインストラクターになるためにはお金が必要なのはたしかですが、わたしは資格ありきの受講ではなくヨガスタジオに通ってインストラクターやスタッフから仕事を紹介してもらいました。良い繋がりが出来て今もいくつかのスタジオを掛け持ちしていますよ。
46
男性会社経営58歳
これからどうしても叶えたい夢は,仮想通貨のビットコインで大もうけすることです。今現在,少しずつビットコインを貯めているところです。まだ定年にならず,しっかり働けなければなりませんし,大ばくちもできる状態ではありません。ですから,本当に少しずつコツコツと1円でも多く貯めているところです。あと数年でまとまったお金が入る予定ですので,その時はちょっと大きく購入する勝負に出ようと考えています。その購入するタイミングのことを考えると,今から胸がワクワク楽しみで仕方ありません。もちろん買い時は,レートが下がったときです。そして高くなったときにドカンと売って,一体どれくらいの利益がでるのか,とんでもなくもうかることを今から夢見ています。ビットコインは,一時期30万円代に落ちたときがあり,とってもビックリしたことを覚えています。しかし,今は100万前後を推移しています。30万円からしますと3倍以上の値上がりです。もしかしたら,またそんな時が来るのではないかと,毎日レートを確認しながらも大きく購入できる日を夢見ながら,少しずつコインを貯めていきます。
47
女性専業主婦31歳
小さい頃、大人になれば誰もが結婚し子どもも生まれ家庭をもつものだと思っていました。

もちろん自分も20代後半にもなればそうなっていると当然のように考えていました。

しかし、人生はそんなに甘くありませんでした。

一般的に結婚適齢期と呼ばれる年齢になっても、私にはそのような相手は現れませんでした。

まわりの友人たちはどんどん結婚していき、自分だけ取り残されたような気持ちになっていました。

その頃務めていた職場は女性ばかりで、仕事がらみで異性との出会いは期待できませんでした。

それなら自分から出会いのきっかけを作るしかないと思い、私は婚活を始めたのでした。

婚活パーティに参加してみたり、婚活アプリで相手を探してみたり、いろいろな方法で婚活をしていました。

しかし、意気込んでいろいろとしてみたものの、なかなかうまくいきませんでした。

そうこうしているうちにもう30歳が目前となっていました。

「もうこれでダメなら諦めよう」と最後の手段で私は結婚相談所に入会することにしました。

入会当初は今までの婚活と同じようにうまくいかない状況が続きました。

この人!と思える人にやっと出会うことができたのは、入会後半年が過ぎた頃です。

そして、出会って1年後に無事その人と入籍することになりました。

今は子どももできて3人で幸せに暮らしています。

婚活は今振り返ってみてもなかなか大変でした。

でも、夢を叶えるために努力したからこそ今があるので、頑張って良かったなと思います。
48
女性在宅ワーカー37
5年ほど前から小さいブログを始めて、それからあまり更新できない月もありましたが、やめずに続けてきました。そして今年の5月に、ブログで本格的に稼ぐことを目標として、新たにワードプレスにてブログを立ち上げました。ブログで稼ぐのは簡単なことではないとネットでも書かれていて、大変なことは知っていました。アフィリエイトもいいけどまずはアドセンスをやってみたい、という思いがあり、審査にブログを提出しました。するとすぐには合格できません。アドセンスで稼ぎたくても審査に通らないとどうしようもありません。3回目落ちたくらいで焦りがでてきて、このまま通らないと凹んでしまいそうでした。そして4回目の提出でやっと合格を手にすることができました。ここからやっと稼ぐことが始められます。アドセンスに合格したことはこれまでの人生でかなり嬉しかったことの一つです。自信にもなりました。まだ始めたばかりで収益は0ですが、せっかく合格できたのでどうにか稼ぎを増やしたいです。
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男性塾講師69
私は子供のから内向的な性格で、本当に暗い性格の子供でした。中学生の時は、ひょんな理由から、不登校を経験しました。高校入試に失敗し、1年間定時制高校に入学し、翌年、全日制の高校に受験し、合格。全日制の都立高校に通いました。その後、大学に進むことになるのですが、順調には行かず、2浪して大学に合格。大学生活はたくさんの友人に出会い、楽しい生活を過ごしました。大学の授業では、何も考えることなく、教職の単位を得るために、そのための授業を受講し、4年間で見事獲得することができました。そのころより、教員になりたいという夢を抱くようになりました。さあ、大学を卒業することになりましたが、卒業時には、何故か教員採用試験を受験することなく、一般の企業に就職してしまいました。就職して3年過ぎた頃、やはり教員になりたいという気持ちが起こり、教員採用試験を受験し、千葉県の英語の教員になり、約40年間7つの学校を経験しました。

今はまだ、塾講師して働いています。
50
女性学生21
食品会社に勤務する夢を叶えました。大学では食品についての専門知識を身に着けるため、農学系の学部に進学するため、高校では主に理系科目の勉学に励みました。そして大学では、基本的な知識はもちろんのこと、学生実験を通して食品の持つ機能や効果などを直接自分の目で確かめながら学びました。そして食品会社で商品の企画開発を行うことが昔からの夢だったので、商品の企画や品質評価などの活動を中心としている研究室に所属し、実際に自分がやりたい仕事に似た作業や研究に努めました。また、少しでも自分の知識をより深めるために、食生活アドバイザーや食品表示検定など食品に関連した将来役立つものとなる資格の取得にも励みました。また、農業のボランティアに参加することで、どういったこだわりを持って野菜が栽培されているか、流通の流れなど実際に参加しないと学べないようなことも経験させていただきました。就職活動は、コロナウイルスで採用中止など思うように活動することができませんでしたが、自分のやりたいことが実現できる会社にたくさんエントリーし、自分が納得できる会社に内定をいただけるまで粘り強く取り組みました。第一志望の会社には落ちてしまいましたが、自分がやりたい商品の企画開発ができる会社に内定を頂くことが出来たので、私の長年の夢に近づくことが出来ました。
51
女性主婦34
これから叶えたいと思っている夢の話です。

現在、結婚して二人の子供がいます。

だいぶ手がかからなくなってきたので、仕事を始めよう!とランサーに登録したり、プログラミングやライティングの勉強に日々力を入れています。

毎朝早く起き、コツコツと勉強し、子供が学校へ行ったら勉強を再開し、夜も子供を寝かしつけた後に勉強や、勉強したことから仕事に繋がる案件を探し、少しづつタスクやプロジェクトをこなしています。

夢は、プログラミングで月に何十万円か稼げるようになり、安定して収入を得られるような基盤を作り、どこにいても、仕事が出来るような環境で働けることです。そして、海外旅行に頻繁に行けるようになったり、金額を気にせずに買い物したり、好きなものを食べて自由な生活を一生していけるような暮らしができたらと夢見て、日々、一生懸命頑張っているところです。

プログラミングやライティングで成功してる方も多いので、希望を持って頑張っています。
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女性歯科衛生士34
私の夢は高校生くらいの時からずっと海外に住み、外国人と付き合うことでした。

なぜか、テレビを見ていても外国人が出てくるとテンションがあがり、旅行番組や、海外生活、文化をとりあげる番組は必ず見ていました。

現地での食生活、スーパー、文化、観光地など、何を見てもわくわくし、絶対海外に行って一度は住んでやると決めていました。

就職して、まずは日本で働いて社会人としての知識をつけ、お金を貯めるために3年半働きました。

しかし、いざ海外に住むとなると勇気もいりますし、全く想像ができなかったので、一つ目の会社を辞めたあと、短期留学に行ってみました。

そこでの生活は本当に楽しくて、違う国の方と英語で会話したり、日本と全然違うと思い、更に海外に住むという夢が大きくなりました。

そのあと2年間また働き、その間も海外旅行には、年に1回は必ず、ボーナスをつぎ込んで行っていました。

でも旅行ではやはり満足いかないということで、ワーキングホリデー制度を見つけ、これだ!と思いました。

会社を辞め、VISAをとり、貯めたお金を持っていざ出発です。

それはそれは楽しすぎて1年間はあっという間でした。

そこで終われず、私は次の年もまたその次の年もそのまま海外に住むことになり、海外生活を満喫し、そして外国人の彼氏も見つけました。

人生一度きり、やりたいと思ったことは強く望み、行動すれば叶う、最初の一歩さえ踏み出せば、新しい世界が待ってると確信しました。

夢を持つ事で人生の目標ができ、生きがい、やりがいも充実すると思います。
53
女性会社員28
家を購入しました。でき婚でアパート暮らしは嫌だったので、工務店に出向いて家のことやローンのことなどいろいろ聞いて回りました。とても親切にしてくださった工務店さんがいて話が進みローンも組めることになって念願のマイホームを購入することができました。最初は嬉しくってたまらなかったのですが、やっぱり次々求めてしまって、今まさに新しい家を買う目標を立てています。かと言って家を買えるぐらいの大金を持っているわけではありません。将来的に2階部分は不要と思い平屋にしましたがやっぱり部屋多くあったほうがよかったかなと後悔しております。なので新しい家を買う事は難しいですが、2階部分を増築する夢を持ちました。どれくらい金額がいるかわかりませんが、地道に宝くじかって増築代ぐらいでも稼げれないかなぁって思っています。家は3階建てないと自分の望む家に住めれないよって旦那から言われましたが、私たち会社員のお給料じゃそんなことできるはずないので、宝くじ頑張って当ててお家を新しくしたいと思っています。
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男性菓子製造の自営47歳
12年前に会社を立ち上げて山あり谷ありですがなんとかやってこれてます。自分の会社を作るのは長年の夢でしたがどう夢をかなえたかといいますとまず洋菓子を作ってる会社にそれまではずっと働いていて菓子製造の基礎を学んでました。なので何事もですが我流からやるのではなくて何か基礎となるお手本を真似るところからしっかりやるってことです。基礎ができてないとそのあとの発展は絶対ないんです。ですので基礎ができてない段階で応用に走ると失敗します。ですのでまずは基礎固めに時間をかけるべきです。これはどんな世界でもいえるとおもいます。基礎的なことを徹底して長い時間かけて行えばあとはどうにでもなります。上手くいかなくなったときも基礎からまたやり直すってのも良いかとおもいますしそれが夢をかなえるための一番大切な部分です。なのでまずは基本通りやるってことです。基礎である土台ができちゃえばあとは楽になってくるし成功する可能性は大ですので。
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女性会社員32
訪日外国人向けにゲストハウスを運営したいという夢があり、現在その実現に向けて活動中です。もともと去年の春から計画を立て、今年の春に会社を辞めて実現するつもりでいました。そのため上司にその希望を伝えたり、不動産を探したり起業セミナーを受けたりしていました。が、夫が体調を崩して倒れてしまい退職を余儀なくされてしまいました。そのため、夫の看病をしつつ「今叶える夢ではない。もう少し待とう」と思っていたところで、新型コロナウイルスの感染が広がる今の状況になりました。今は、オンラインで外国人に旅行体験を提供するツアーのガイドにトライしてみて、それを通じて外国人の旅行ニーズや生の声に触れたり、自分のガイドとしてのスキルを身につけて、訪日外国人向けのビジネスを立ち上げる下地を作りたいと思っています。物件を探してゲストハウス を実際に立ち上げるには、資金などクリアすべき壁が色々ありますが、アンテナは常に貼り続けておくことで何か良い情報が入ってきたらすぐに行動できるようにしておきたいと思っています。夫はグラフィックデザイナーで、ゆくゆく独立したいという夢があり、彼の夢も応援しながら一緒に叶えていきたいと思っています。
56
男性学生18
高校生の頃、欲しかったPS4を物販でお金を作って買った話。



高校1年生の時に(16歳)の時にPS4(プレイステーション4)が欲しくなりましたが、バイトができなかったため、ほかの方法でお金を貯めることにしました。



まず、毎月もらえるお小遣いの5000円のうち2000円を毎月貯金しました。しかし、PS4の値段は中古品で25000円ほどであり、ソフトと合わせると3万円は必要なので、このペースだと1年以上かかってしまいます。そこで、フリマアプリで物を売ってお金を稼ぐことを考えました。



それまでフリマアプリを使ったことはありませんでしたが、物は試しにと子供の頃に使っていたおもちゃや本などいろいろなものを出品。するとエアガンやそのアクセサリー(スコープやホルスターなどの小物)が2日足らずで立て続けに売れ、ホビー系の商品が売れやすいということを発見しました。



そこで、PS4に使うお金とは別に貯めていたお小遣い1万円程度を使って近所のリサイクルショップでエアガンやその関連商品を仕入れて販売することを繰り返し、4か月後にPS4本体とソフト(約5000円程度)を2つ買えるだけのお金を貯めることに成功。無事、PS4を手に入れることが出来ました。



ただゲームが欲しいという理由だけで始めた行動でしたが、自力でお金を稼ぐという貴重な体験ができてよかったと思います。あれから3年ほど経ちましたが、PS4は今も大活躍中です。
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女性介護31
家を建てたい夢があります。出来るだけ広々と家事をしやすいような家に住みたいです。また、防音対策も出来るような壁も搭載して家の中の騒音を外に漏らさないようにして快適に過ごしたいです。実家が狭い家だったので広くてきれいな家に住むことが夢です。平屋風の2階建てに住みたいと思っています。年を取った時に1番不便なのは階段が不便になってくるので1階で過ごせるようにしたいです。それを叶えようとするのにはまずお金がないと出来ないです。お金持ちになるにはまずお金を稼ぐ方法に工夫をしないといけないです。今は副業をやっていて頑張って貯めようとしていますが、もっと頑張って副業にも力を入れてやっていこうと思っています。時間さえあれば若い今だからこそアンケートサイトや懸賞にも挑戦してお金を貯めようとしています。また、今は不景気なので仕方ないですが、お出かけや外食は控えるようにして無駄を省いて生活をしていくことも大切な資金集めに重要になってくると思います。
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女性介護31
夢はダイエットをしてきれいになるということです。1番気になっているのは足の太いのが気になっています。きれいな足が憧れていて、ダイエットをしようとして食事制限のダイエットをして3か月で5キロほど痩せることが出来ました。ですが、足はいまだに改善されていないです。今実践しているダイエット方法は足ぱか運動と寝ながら自転車漕ぎです。SNSで流行していてとても細くなっている写真を掲載してくれていてこんな風になれるのならもっと頑張らないとと思います。昼間は仕事をしているので、出来ないのですが夜寝る前にダイエットとして足で自転車を漕いでエアーで取り組んでいます。さぼってしまったり疲れてそのまま寝てしまう日もあるのですがそういったことを少しづつ減らしていかないといけないとダイエットにはならないので自分にカツを入れないといけないです。また痩せやすい体質になるためには水分をちゃんと取らないといけないので食事も続けていきたいと思います。
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女性専業主婦42
10代の終わり頃にふと思ったことがあります。それは「小学生や中学生の頃は学校行事や地域の行事がいっぱいあっていろんな表彰状をもらえたけれど、大人になると表彰状をもらうことなんてめったにないだろうな」ということでした。そう考えると、これから先の人生がすごく寂しいのではないかと少し落ち込んでしまいました。そして私は「成人したあとも、いつか表彰式で表彰されてみたい!」と夢みるようになりました。人助けでの表彰されるのだと誰かが困っていることが前提になるので、自分の力だけで表彰されるように目標をたてることにしました。具体的には「自分の書いた物語で賞をとり、表彰式に出席する」というものです。それから私は仕事の合間をぬって小説を書き続けました。数年間落選が続いたため、長い物語だけでなく短編小説や俳句、絵画などにも挑戦しました。すると立て続けにいくつかのコンクールで受賞し、表彰式に招かれて表彰状をいただくことができました。夢は叶いましたが、まだまだ夢の途中でもあります。これから先も受賞歴を重ねたいです。
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女性専業主婦28
5年前に病気が見つかり母親の勧めでホットヨガを始めました。自然治癒力で治る癌だったので免疫力を上げるようにしたのと食事も変えました。最初は病気を治すために始めましたがヨガをしているうちにとても楽しくなり自分でも人に教えたくなりまず独学で勉強を始めました。それから色んな人のヨガを受けに行きました。呼吸の入れ方に深い意味があると気づきヨガに対しての見方も変わり気付いたら3年の月日が流れ病気も治り自分の自信にもなりました。ヨガの資格を取り教室をしようとした時にコロナが来たのでオンラインでヨガを始めました。自分のしたかったインストラクターになれて毎日がとても楽しくなりました。私は病気がきっかけで夢が見つかり検査中も大変で精神的にも暗くなっていましたがヨガをしている時は集中しているので病気の事を忘れて楽しくヨガが出来ていました。ヨガを進めてくれた母親にはとても感謝しています。これからはキッズヨガの資格も取得したのでそれも楽しみながらしていきたいです。
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女性自営業36
子供のころから悩んでいた「病院に相談したいこと」があり、相談できる病院が地元に無いためずっと保留になっていたことがありましたが、他地域の病院に相談しに行くことができ、その結果、悩みがなくなりました。夢が叶ったきっかけは、瞑想アプリ「寝たまんまヨガ」の「サンカルパ」という叶えたい夢を唱える時間に、「堂々と自分らしく生きたい」と唱える生活を1カ月ほど続けたからでした。その結果、自分が堂々と生きるためには、保留にしていた悩みを病院に相談するしかないと感じ、思い切って調べて、フリーダイヤルで相談できる病院を見つけ、受診に繋がりました。半年ほどかけて数回通院して、自分の中で悩みが消化でき、通院はやめました。子供のころからずっと思い悩んでいたことが氷解して楽になれて、サンカルパの力はすごいなと思い知りました。願望実現でよくある「自分の無意識に繰り返し言い聞かせる方法」は半信半疑でしたが、サンカルパがまさにその方法なので、効果があるのだと実感しました。
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