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東京市隅田川口隅田川口(現在の江東区越中島付近)を撮影した写真。撮影日は不明だが、隅田川両岸で煙が立ち昇っていることから、9月3日までに撮られたと思われる。一番煙が立ち込めている写真中央部は越中島陸軍糧秣廠(陸軍の兵員の食料や馬の飼料を製造、保存する場所)で、写真右下は専売局煙草製造所の倉庫であった。
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深川海岸付近1923年9月3日、深川付近を撮影した写真。越中島陸軍糧秣廠(陸軍の兵員の食料や馬の飼料を製造、保存する場所)や専売局煙草製造所の倉庫から、まだ火災の煙が立ち昇っていることが分かる。
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月島付近1923年9月3日、地上1,000メートルより月島付近を撮影した写真。越中島陸軍糧秣廠(陸軍の兵員の食料や馬の飼料を製造、保存する場所)では、まだ火災の煙が立ち昇っていることが分かる。
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芝増上寺1923年9月3日、地上1,000メートルより増上寺を撮影した写真。芝公園のすぐ北側、東側までの区域は火災によって焼失してしまったが、芝公園で延焼は止まり、増上寺は焼失せずに残った。そのため、公設バラックの建設場所となり、多くの避難民が集まった。
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芝区神谷町付近1923年9月2日、地上800メートルより芝区神谷町(現在の港区虎ノ門)を撮影した写真。2日はまだ火災が鎮火していなかったため、黒く見える部分は黒煙かもしれない。建物もほぼ見られず、この辺りは焼失してしまった。
6
芝離宮1923年9月2日、地上800メートルより芝離宮(現在の旧芝離宮恩賜庭園)付近を撮影した写真。日ノ出町や新浜町は、ほぼ焼けてしまった。おそらく火災による煙が一面を覆っており、よく分からないが、東京瓦斯会社の工場の建物は倒壊しているよう見える。隅田川が白くなっているのは、何かが流れているのだろうか。
7
東京駅丸の内方面東京駅丸の内方面を北側上空から撮影している。丸ノ内付近でも火災はあったが、全焼は免れ多くの建物が残っていることが分かる。宮城(現在の皇居)外苑に白いものが見られるのは、避難民収容のためのテントだと思われる。
8
隅田川上空より神田、上野方面隅田川上空の高度2000メートルから神田、上野方面を撮影した写真。写真左側(丸ノ内付近であろうか?)は建物が多く残っているが、それ以外はほぼ全焼しているように見える。
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品川(深川?)上空より京橋、日本橋方面隅田川上空から京橋区、日本橋区方面(現在の中央区付近)を撮影したと思われる写真。この両区は火災によってほぼ全域が焼失してしまった。煙は見えないため、9月4日以降の撮影と思われる。写真上側に見えるのは、皇居であろうか。
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本所国技館方面本所区(現在の両国付近)の被害の様子。関東大震災で最も火災による被害が大きかった場所であり、一面焼け野原であることが見て取れる。写真左の橋は両国橋で、上流に向かって蔵前橋、厩橋を見ることができる。両国橋の右側に見えるドーム状の建物は当時の国技館で、現在の回向院のとなりにあった。
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東京本所区付近南葛飾郡大島町(現在の江東区)周辺を撮影した写真。一部の建物は残っているが、火災による被害が大きかったことが分かる。
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浅草観音及び十二階当時の浅草区は火災によってほぼ焼失してしまったが、浅草公園は焼失を免れた。浅草寺の観世音堂や五重塔、仁王門が残っている様子が見える。倒壊してしまった凌雲閣(浅草十二階)も確認することができる。
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東京小石川造兵廠付近1923年9月4日、地上600メートルから小石川区砲兵工廠(現在の小石川後楽園や東京ドームシティ)付近を撮影した写真。建物はほとんど潰れてしまっているが、本部は残ったように見える。神田川にかかる小石川橋、日本橋川にかかる三崎橋は崩落しているが、鉄道橋は残ったように見える。
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小石川区江戸川付近1923年9月4日、地上600メートルから小石川区江戸川(現在の文京区後楽)付近を撮影した写真。写真下側(江戸川の右岸)の諏訪町は全焼してしまったが、隣の江戸川町と対岸の新小川町は一部倒壊しているものの、全焼は免れた。
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本郷・帝大1923年9月3日、地上1,000メートルから東京本郷の東京帝国大学を撮影した写真。「帝大」の書き込みの右側、下側では火災により建物の屋根が焼け落ちていることが分かる。本郷通りを挟んだ反対側は、建物の被害はほとんど見られない。本郷通りや春日通りでは、多くの人々が移動している。
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本郷・帝大1923年9月3日、地上1,000メートルから東京本郷の東京帝国大学を撮影した写真。中央に三四郎池が見える。大学構内でも火災が発生し、三四郎池周辺では多くの建物で屋根が焼け落ちていることが分かる。一方で、写真下側付近の建物(東京帝国大学病院)は、比較的被害が少なかったようである。
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東京本郷区付近1923年9月4日、地上600メートルから本郷区(現在の本郷1丁目~3丁目付近)を撮影した写真。ほとんどの建物が焼失している。大きい通りは本郷通りで、多くの人々が移動している。
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東京麹町区付近(富士見町)1923年9月4日、地上600メートルから麹町区(現在の九段下から飯田橋付近)を撮影した写真。写真中央部の日本歯科医学専門が火元で、東側はほとんど焼失している。写真左下のコの字の建物は、火災を免れた富士見小学校。
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横浜市現在の桜木町付近の被害を写した写真。関東大震災の被害としては、東京の大火災が注目されるが、横浜市(現在の中区、西区)でも火災の被害は大きく、2万5000棟以上の建物が焼失し、約2万5000人が犠牲となった。
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馬入川鉄橋西端神奈川県平塚市の相模川(馬入川)に架かる橋の被害を写した写真。写真上側の上流側の橋が道路橋、下流側の橋が東海道鉄道の馬入川鉄橋である。当時の鉄橋の遺構は、今も見ることができる。また、写真中央部分には、地割れの跡を見ることができる。
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伊豆下田港伊豆半島では伊東の津波被害が最も大きかったが、下田町の津波は2.5メートル程度であった。写真下側の防波堤が津波の進入を防いだようで、あまり大きな被害は見てとれない。横須賀海軍航空隊が9月9日に撮影した『大正12年9月1日震災写真第2輯』に同じ写真がある。
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