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1 | 坂名 | よみがな | 区 | 地区 | 標識の説明 |
2 | 稲荷坂 | いなりざか | 世田谷区 | 上野毛稲荷神社 | |
3 | 宮の坂 | みやのさか | 世田谷区 | 宮坂 | |
4 | 明神坂 | みょうじんざか | 世田谷区 | 野毛 | |
5 | 稲荷の坂 | いなりのさか | 北区 | 赤羽台 | この坂道は、赤羽北一ー三・四地先から赤羽台四丁目公園付近まで続きます。道筋としては赤羽根村と岩淵宿の境付近で日光御成道(岩槻街道)と別れ、袋村を経て小豆沢村へと向かう鎌倉道でもありました。昔は坂を登りきると正面に富士山を望むことができたそうです。坂の名称は特にありませんでしたが、坂の途中にある稲荷社にちなんで稲荷の坂とよばれるようになりました。 |
6 | 王子稲荷の坂 | おうじいなりのさか | 北区 | 王子稲荷神社(岸町) | この坂は、王子稲荷神社の南側に沿って東から西に登る坂で、神社名から名前がつけられています。また江戸時代には、この坂を登ると日光御成道があり、それを北へ少し進むとさらに北西に続く道がありました。この道は姥ヶ橋[うばがばし]を経て、蓮沼村[はすぬまむら](現板橋区清水町)まで続き、そこで中山道につながっていました。この道は稲荷道と呼ばれ、中山道から来る王子稲荷神社への参詣者に利用されていました。 |
7 | 田端八幡男坂 女坂 | たばたはちまん | 北区 | 田端八幡(田端富士) | |
8 | 八幡坂 | はちまんざか | 北区 | 田端八幡 | 坂の名は、坂下にある八幡神社に由来します。坂下の上田端児童遊園のところにあった紅葉館に小説家の堀辰雄が下宿していたほか、この坂の近くには、小説家の菊池寛、詩人の室生犀星、画家の倉田白羊、彫刻家である吉田三郎や池田勇八が住んでいました。芥川龍之介は、その随筆に「踏石に小笹をあしらったのは、詩人室生犀星の家」と書いています。 |
9 | 宮坂(大炊介坂) | みやさか | 北区 | 西ヶ原 平塚神社 | 坂の名は、この辺りに住んでいた中世の武将保坂大炊介にちなんで大炊介坂と呼ばれているが、坂の上の平塚神社にちなんで宮坂とも、樹木に覆われていたので暗闇坂とも呼ばれていた。この道は岩槻[いわつき]街道で、江戸時代には、将軍の日光東照宮社参の行列が通ったため日光御成道[にっこうおなりみち]と呼ばれたが、現在は本郷通りと呼ばれている。この辺りに江戸時代には牡丹園が設けられたこともあった。 |
10 | 宮の坂 | みやのさか | 北区 | 赤羽北 諏訪神社 | 坂の名前にある「宮」は、この地域の旧村名である袋(ふくろ)村の鎮守、諏訪神社のことを指しており、坂道はこの神社の参道を経て赤羽方面へと抜けていきます。神社の二の鳥居前にも切通しの坂がありますが、これは新しく出来た坂で、宮の前の坂と呼ばれています。この坂も宮の坂と同様に交通量が多い坂です。 |
11 | 宮の前の坂 | みやのまえのさか | 北区 | 赤羽北 諏訪神社 | |
12 | 神田明神裏参道 | かんだみょうじんうらさんどう | 千代田区 | 神田明神 | |
13 | 山王男坂 | さんのうおとこざか | 千代田区 | 日枝神社 | この坂を山王男坂といいます。日枝神社の表参道。左側のゆるやかな坂”女坂”に対して名づけられています。 二つの坂を比較して急な坂を男坂、ゆるやかな坂を女坂と呼ぶことは各地にみられます。石段の数五十三。山王台地は又の名称を星が岡ともいう景勝の地でありました。 |
14 | 山王女坂 | さんのうおんなざか | 千代田区 | 永田町 | この坂を山王女坂といいます。 正面の石段に対しその名がつけられています。 また別の名は御成坂とも呼ばれています。『東京名所図会』には「左緩かに通ずる石階を女坂と呼ぶは非なり。昔時将軍家御成の節、峻坂を避け此坂のみ御通行遊ばされしにより、御成坂と申侍るを女坂と聞誤りしにはあらぬかと」とかかれています。 |
15 | 山王切通坂 | さんのうきりとおしざか | 千代田区 | 日枝神社 | |
16 | 明神男坂 | みょうじんおとこざか | 千代田区 | 神田明神 | この坂を明神男坂といいます。明神石坂とも呼ばれます。『神田文化史』には「天保の初年当時神田の町火消[まちびけし]『い』『よ』『は』『萬』の四組が石坂を明神へ献納した」と男坂の由来が記されています。この坂の脇にあった大銀杏は、安房上総辺[あわかずさあたり]から江戸へやってくる漁船の目標となったという話や、坂からの眺めが良いため毎年一月と七月の二六日に夜待ち(観月)が行われたことでも有名です。 |
17 | 明神女坂 | みょうじんおんなざか | 千代田区 | 神田明神 | |
18 | 稲荷坂 | いなりざか | 台東区 | 花園稲荷神社 | 花園稲荷神社は「穴稲荷」「忍岡稲荷」とも呼ばれ、創建年代は諸説あるが、江戸時代初期には創建されていた。これにより江戸時代から「稲荷坂」の名がある。享保十七年(一七三二)の『江戸砂子』にその名が見え、明治二十九年(一八九六)の『新撰東京名所図会』には「稲荷坂 忍ヶ岡の西方に在りて、穴稲荷社へ出る坂路をいふ」とある。 |
19 | 八幡坂(小山八幡神社) | はちまんざか | 品川区 | 小山八幡神社 | |
20 | 八幡坂(戸越八幡神社) | はちまんざか | 品川区 | 戸越八幡神社 | この坂は、戸越銀座通りから戸越八幡神社脇を抜ける坂である。そのために八幡神社にちなんでこの名称がつけられたものである。 |
21 | 宮前坂 | みやまえざか | 品川区 | 戸越八幡神社 | この通りは、付近にある行徳寺や戸越八幡神社に向かう道で、宮前通りと呼ばれている。坂の名称もそこからつけられたものである。 |
22 | 稲荷坂 | いなりざか | 大田区 | 石川町 | 坂の由来は、坂の南側に稲荷社があったことによる。この坂道は、もとは洗足池の脇から九品仏に通じた、古い道である。 |
23 | 稲荷坂 | いなりざか | 大田区 | 上池台 | 坂上の上池台五丁目十四番の南側角地に、玉倉稲荷という上谷戸の稲荷神社が祀ってあるので稲荷坂と名付けられたという。この坂道は耕地整理により出来たといわれている。 |
24 | 稲荷坂 | いなりざか | 大田区 | 南千束 | この坂道は古くからあり、道幅は九尺(二.七二メートル)ぐらいであったが、耕地整理によって四間(七.二七メートル)に拡幅され、現在の道になった。坂の付近に、稲荷社があったのが坂名の由来である。 |
25 | 権現坂 | ごんげんざか | 大田区 | 東雪谷 | この付近に、権現社があり、その地をもとは権現山とよんでいた。坂道は大正末期に行われた耕地整理によって出来たものであるが、地名に由来して名付けられた。 |
26 | 神明坂 | しんめいざか | 大田区 | 石川町 | 昔、坂のそばに、村の鎮守の神明社があったので、神明坂というようになったと伝えられている。神明社は、現在の石川神社である。 |
27 | 八幡坂 | はちまんざか | 大田区 | 子安八幡神社(仲池上) | 子安八幡神社にそってあるため、この坂を八幡坂という。坂下には子安橋があり、ともに神社から由来する名である。 |
28 | 宮坂 | みやさか | 大田区 | 久が原東部八幡神社 | 久が原東部八幡神社の前の坂道で宮坂と呼ぶようになったといわれている。 |
29 | 宮前坂 | みやまえざか | 大田区 | 東雪谷 | 八幡神社の前の坂であるため、宮前坂と呼ぶようになったという。坂下には、呑川にかかる宮前橋がある。 |
30 | 稲荷坂 | いなりざか | 文京区 | 本駒込 | 稲荷信仰は農業神であるウガノミタマノカミに対する信仰で「稲なり」の転訛といわれる。狐は古来、田の神の使いと考えられたので狐尊信の風が稲なり信仰と結合して、特に江戸時代になると盛んになった。 これが、農村のみにとどまらず都市にも普及して商業繁栄を招来する神、そして家屋敷の守り神(地守神)となって武家屋敷内をも含めて小規模な稲荷社を祀る風習を生むようになる。これを「屋敷稲荷」といった。 こうした風習から来る生活感情と付近の稲荷社とのかかわりの中で拱らばれた坂名として特色があるが、ここの場合は坂上にある江戸初期から続く駒込村開拓名主・高木家の「宗十郎稲荷」に起因する。 |
31 | 妻恋坂 | つまごいざか | 文京区 | 外神田 妻恋神社 | |
32 | 八幡坂 | はちまんざか | 文京区 | 音羽 | 『八幡坂は小日向台三丁目より屈折して、今宮神社の傍[かたわら]に下る坂をいふ。安政四年(1857)の切絵図にも八幡坂とあり。』と東京名所図会にある。 明治時代のはじめまで、現在の今宮神社の地に田中八幡宮があったので、八幡坂とよばれた。坂上の高台一帯は「久世山[くぜやま]」といわれ、かつて下総[しもうさ]関宿[せきやど]藩主久世氏の屋敷があった所である。 |
33 | 赤城坂 | あかぎざか | 新宿区 | 赤城元町 | 赤城神社のそばにあるのでこの名がある。『新撰東京名所圖会』によれば、「…峻悪にして車通ずべからず…」とあり、かなりきつい坂だった当時の様子がしのばれる。 |
34 | 市ヶ谷八幡男坂 | いちがやはちまんおとこざか | 新宿区 | 市ヶ谷 | |
35 | 市ヶ谷八幡女坂 | いちがやはちまんおんなざか | 新宿区 | 市ヶ谷 | |
36 | 神楽坂 | かぐらざか | 新宿区 | 神楽坂 | 坂名の由来は、坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから、津久戸明神が移ってきた時この坂で神楽を奏したから、若宮八幡の神楽が聞こえたから、この坂に赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽にちなんだ諸説がある。 |
37 | 高田八幡男坂 | たかだはちまんおとこざか | 新宿区 | 西早稲田 | |
38 | 高田八幡女坂 | たかだはちまんおんなざか | 新宿区 | 西早稲田 | |
39 | 天王坂 | てんのうざか | 新宿区 | 若葉 須賀神社 | 坂の途中にある阿祥山東福院に因んでこう呼ばれた。別名の天王坂は、明治以前の須賀神社が牛頭天王社と称していたためこの辺りが天王横町と呼ばれていたことによる。 |
40 | 八幡坂 | はちまんざか | 新宿区 | 穴八幡(高田八幡) | 坂名は穴八幡にちなんで八幡坂と名づけられたものである。 この地は、もと高田と呼ばれ、穴八幡は高田八幡とも呼ばれていた。 昔の道は急坂で、坂の下り口、上り口には、いわゆる「立ちん坊」が立ち、荷車の暴走を止める手助けをして、賃金をもらっていたと伝えられる。昭和三九年一二月、地下鉄早稲田駅が開業して、坂下の馬場下付近はにぎやかさを増した |
41 | 稲荷坂(銀杏稲荷) | いなりざか | 杉並区 | 銀杏稲荷(下井草) | |
42 | 稲荷坂(穴稲荷) | いなりざか | 杉並区 | 穴稲荷(南荻窪) | |
43 | いなり坂 | いなりざか | 渋谷区 | 恵比寿南 | |
44 | 八幡坂(鳩森八幡宮) | はちまんざか | 渋谷区 | 鳩森八幡宮(千駄ヶ谷) | |
45 | 稲荷坂 | いなりざか | 港区 | 赤坂7丁目 | 坂下北側に円通院があり、その境内の稲荷への門があったための坂名。坂上に江戸城中清掃役の町があり掃除坂ともいう。 |
46 | 我善坊谷坂(稲荷坂) | がぜんぼうだにざか | 港区 | 麻布台 | |
47 | 向陵稲荷坂 | こうりょういなりざか | 港区 | 西日暮里 | |
48 | 神明坂 | しんめいざか | 港区 | 三田(天祖神社) | 天祖神社を元神明というところから神明坂と呼んだ。馬場坂という説もあるが綱の手引坂との混同があるらしい。 |
49 | 天神坂 | てんじんざか | 港区 | 高輪 | むかし坂の南側に菅原道真の祠(ほこら)があったためにいう。葭原が見えるので葭見(よしみ)坂、吉見坂ともいったという説もあるが北方の坂か。 |
50 | 西久保八幡男坂 | にしくぼはちまんおことざか | 港区 | 虎ノ門 | |
51 | 西久保八幡女坂 | にしくぼはちまんおんなざか | 港区 | 虎ノ門 | |
52 | 八幡坂 | はちまんざか | 港区 | 渋谷3丁目 | |
53 | 氷川坂 | ひかわざか | 港区 | 氷川神社 | 八代将軍吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面に当たる坂である。 |
54 | 本氷川坂 | もとひかわざか | 港区 | 坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治十六年四月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。 | |
55 | 稲荷坂 | いなりざか | 目黒区 | 上目黒 刺抜稲荷 | この近くに刺抜稲荷大明神があるので、稲荷坂と呼ばれるようになった。一説に、この道はかつての鎌倉道の一部とも言われ、目黒でも古い道の一つである。 |
56 | 天神坂 | てんじんざか | 目黒区 | 八雲 北野神社 | |
57 | 稲荷坂 | いなりざか | 豊島区 | 高田 | 富士見坂の西側にある小さな坂です。坂上東側の住宅庭先に坂名のもととなったと思われるお稲荷さまの小さな社があります。 |