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一般的イェスカ主義理論イェスカ主義の講義を取る
大宇宙の学部生+α
ニーネン人ユノアウォルツァスカイユ南サニスヴェフィス人
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ターフ・ヴィール・イェスカ
(tarf virl jeska)
イェスカ主義の始祖であり、ユエスレオネ連邦の「革命の姉」。革新チャショーテ、フィシャ・ステデラフによるリパラオネ教法学、レヴェン思想の三大基礎を元にして、革命的な思想を提唱した。たしかスラーンのファルトクノアの親玉の...なんだっけ、なんかそのへんの国で革命した人
イェスカ主義なる思想でもって革命戦争を成し遂げたらしいが、べリオンやグロクロみたいな共産主義国家と変わんないじゃね?
(ディギネオンスムルトス国立大のAさん)
レセスティアの?
(8月11日教団:神学校2年生)
アタシ知ってる!それリパライン語の罵倒語でしょ!
(ディギネオンスムルトス第7区の露天商)
一言で言えば「ファルトクノアのマグラン=ガラン」!主な相違点は宗教家ではなく思想家だったこととケモ耳を装備していなかったこと。私にとって、あのお方は自分の『教えの母』。あの御方の考えこそが、イェスカ主義の敬愛すべき『原典』そのものよ。彼女以降のイェスカ主義に加わった考え方を排除する訳ではないけど、彼女の遺したものが原典である以上、それ以外はあくまで分派でしかない。もちろん、私の考えるイェスカ主義も原典からは離れてしまっているけど、極力原典に忠実にありたいものね。イェスカ主義を纏めた大成者。我々はエレンの影響を受けない純粋なイェスカの思想に立ち返るべきである。我々の聖典において予言される地に降りられた神。当然信仰すべきである。
ユエスレオネの抑圧された臣民を悪しき天主から開放した存在であるということは知っているが、言っている思想に関しては不可解なものが多いものだ。これは別に同意しないわけではないが……。
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ユエスレオネ革命
(yuesleone'd xol)
2000年代に成立したユエスレオネにおいて起きた革命。イェスカ主義勢力が主導したことにより、後のユエスレオネ連邦政権からはイェスカ主義革命とみなされているが、第三政権の新イェスカ主義者などからは右派勢力や理論上の誤謬などから、「イェスカ主義革命」ではないとも考えられている。ファルトクノアとかができた革命?
(エクタルヘト私立大・Bさん)
社会主義革命の一つだと思っている。
革命の遠因はエルフ熱の流行であり、ニーネンで言うところのロッシュ限界騒動であると解釈しているが、革命の方式はニーネンよりも理性的で秩序だったものだと思っている。
私が原典と解釈するイェスカ様に関する見識を用いるのであれば、現地の情勢を鑑みてやむを得ない部分があったとしても、あのユエスレオネ革命は旧体制(fentexoler)との折り合いをつけることができなかった部分において、部分的に完全な革命(xol)では無かったんじゃないかと思うわ。端的に言えば不完全ね。早すぎた。武力革命論の遂行によりxolとは言えない状態になってしまい連邦体制も矛盾を大いに持った体制となっている。遅かれ早かれ連邦も破綻する。
DAPEなどは連邦体制が持った矛盾のあらわれそのものである。
神がその威光をもって混乱に陥ったユエスレオネ、そして圧政に苦しんだアレークウィを解放された出来事
ユエスレオネの抑圧された臣民を悪しき天主から開放した闘いのことである。ハーリタンは自らの身を呈して弱き者を助けた。この革命なるものもそういうものだのだろう。
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反革命主義者
(fentexoler)
イェスカ哲学において、自己実現が後退する疎外円環が矛盾により破綻することによって、破壊によって倫理の実現を目指す自然の運動を指す革命に抗する人間存在を指す。しかしながら、国や時代によってこの単語が指す概念は大きく異なるため注意が必要である。イェスカ主義革命に反対する人々...だよなあ。どの時代でも既得権益層は自らを脅かす者に反対するのは当然のことだろうし。ニーネン人は多分エフューラフト秩序維持基本法に違反した人のようなものだと考えている。
ただそれがイェスカ主義に基づいて理論化されていることが重要で、反体制派に対する統治としての上手さを見出している。
私としては、革命という世の自然現象のような変化に抗おうとする動きをする人々として解釈してるわ。もちろん、それは悪いことではないと思う。彼らも彼らなりの考えを持っていてそうするのだから、それを否定することはできない。xolがその破綻を明らかにする様々な体制を支持する人たちの総称。だからと言って悪いことはない。連邦を支持する我々もまた「fentexoler」であるのだから。
これに政治的意義付けを行い「fentexoler」を敵とする運動のきっかけを作ったエレンは避難されるべきである。
以上より、イェスカが神であることは明白にもかかわらず、その威光を無視し崇拝を拒否する人たち
悪しき天主が臣民を保つために行う悪行に加担する官や尉のことであろう。彼らは誇りの元に正義によって祭壇に血を捧げられるであろう。
5
革命
(xol)
イェスカ哲学においては、自己実現が後退する疎外円環が矛盾により破綻することによって、破壊によって倫理の実現を目指す自然の運動を指す。ただし、同じ単語で表される概念は思想(ステデラフ教法学、皇論、トイター教)によって異なり、それらに影響されたイェスカ主義的思索も存在するため注意が必要である。王侯貴族の国から独立して民主主義を打ち立てたり、管理主義国家を作り上げたり、あるいは企業連合を成立させたりするものであると理解しているですわよ。まあ、野蛮人のすることですわね。
(クラエン正当教学院の生徒Cさん)
ニーネン人はxolと革命(tafrabêda)の区別がつかない。
武力革命論については概ね賛成で、シチャインピルチという例外を除いて思想だけで国家を転覆できるとは考えていない。
私からすれば、社会のなるべくして起きた変化のことよ。ただこれは非暴力手段とか暴力革命とかの、手段に関しては言及してないから勘違いしないでね。どっちかといえば、私は交渉による説得とかの非暴力的手段の方が好みだけどね。矛盾をはらんだ体制が「自然に」崩壊すること。これは受動的に起きることであり、能動的に起こすことはできない。
例:ソ連崩壊
大規模には神の起こされる社会的変革、小規模には個人の回心。
6
主体的統一
(ixfanto cilylista)
本来イェスカ哲学において、科学的となった教法学たるアレス学派教法学と神話的な古典学派教法学を統一するための理論的背景を指し、後に唯物論的科学と人間学的思索が人間主体において統一的に偏りなく運用されるべきであり、それがイデオロギーとなって実現されるという社会の自然的運動の理論である。後世の論者では主体的に選択できる行動とみなされているが、イェスカにおいてはその点が曖昧である。教授が楽しそうに話してた。おなかすいたな。「社会主義的な革命において過去の王朝を否定せずに革命することは難しい」という経験から、主体的統一において神話性と理論的背景を示した上で人民にイデオロギーを提示した姿勢は我々ニーネン人が参考にすべきである。
こういう風にちゃんとやっておけば宗教対立によってニーネン国土が分裂しかけることはなかったし、チェディシが登場するまでの間に流された血ももっとずっと少なかったはずだ。
簡単にいうなら新旧の考え方を渡す架け橋ね。受動的な形から、何が原動力なのかを辿って本源的なモノにたどり着くことよ。説明が難しいから上手く言葉にできないけど……前提として、「主体」と「客体」という二つのものの見方が存在する。フィシャ派教法学は主体より、アレス派は客体寄りである。
どっちかに寄りすぎるのはよくない。これをいい感じにバランスよく統一する。
↑ができるのはxolが叶った体制においてのみである。
神に立ち返った人々によりこれまでの他の宗教も統一されること。
7
疎外円環
(tylusili'a rafte)
イェスカ哲学では、社会の中にいる個人が完全な自由を享受できない理由とされる。他者と社会が重要視されない集団において、個人が中途半端な主体化段階になることで、自己実現を阻害され、更に社会不安や治安悪化を引き起こすことで更に他者と社会が重要視されなくなり、自己実現の疎外をループ化させる構造とされている。疎外された陰キャどもは同盟するべきである
あとでまじめに書きます2
疎外円環の概念はサクトマンクの三つの善に近いものがあり、サクトマンク無血革命が起こった仕組みにも似ている。自由とハウム(haum / 繋いだ手)の均衡をどう定めるかという問題は依然として重要な問題であり、そのための社会制度を充実させていくことがニーネンの思想家と政治家に求められている。置いてけぼりにされた人が自分を表せなくなって、社会に不安を起こす。その不安がまた別の人を置いてけぼりにするサイクルのこと。これが連鎖するから、社会では皆が自由になることができないのよ。xolが起こってない体制で起こる負の無限ループ。神なき体制に起こる悪い出来事一般。
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武力革命論
(tersezantarxol)
アレス・デュイネル・エレンのイェスカ主義論の一つ。イェスカ主義の非宗教化を目指すエレンは、イェスカの自然的運動論(疎外円環からの革命)を運命論的と捉えた。社会哲学的なイェスカのアイデアを推していたエレンは、それを実現するのはステデラフ教法学において見られる積極的な革命権の行使、すなわち武力による革命であると考えた。この思想はユエスレオネ革命を引き起こし、またイェスカ哲学とイェスカ主義の剥離を引き起こすことになる。第三政変においては大いに批判されることになるが、第三政変期の首相を担ったレシェール・アルヴェイユは後の著書「イェスカたちの行方:イェスカ主義『原点=学的組織』回帰運動の翻訳の無限戦争」でエレンの武力革命論を肯定している。暴力はいけないんよ~。イェスカ主義をより積極的に実現しようとする試みね。悪いとは言わないけど、イェスカ主義を社会哲学と政治手法として乖離させ過ぎたことも含めて、あまり私の好みではないわ。私は選挙や策略などのラギタネセアに基づく『智の力』をもって、できる限り物理的な暴力を行使しないのがモットーなの。そうはならんやろ。xolを能動的に起こせるという考えが根本から間違っている。イェスカも悪影響を受けてしまい時期尚早のユエスレオネ革命の原因となった。
聖戦!十字軍!ジハード!
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