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TOKYO八王子名山
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選定基準:眺望が良い・山容に個性や特徴があり山体が大きい・河川の源頭になっている・天然林が残り人造物が少ない等、自然度が高い・
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   八王子の歴史にゆかりがある・市内あるいは市境にある
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○ TOKYO八王子名山の登山は地図を見て充分な下調べをし、必要な体力や読図力、装備、地図、食料、飲料などを準備しましょう。
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○ TOKYO八王子名山は整備された登山道のある山は限られています。また、通行止めの標識などの指示を遵守したうえで実施しましょう。
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番号山 名標 高区 分別 称選定理由
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1醍醐丸867m八王子西端篠逢之峰・灰焼平・醍醐山八王子市最高峰。北浅川、醍醐川の水源にある山。檜原村、神奈川県相模原市藤野との境にある。日本山岳耐久レースの予備関門になっている。関東ふれあいの道「富士見のみち」にあり、生藤山・連行峰などを通じて笹尾根に至る。また、醍醐丸から北は吊尾根を経て市道山、峰見通りへと向かう。醍醐丸のピークの位置は過去に揺れがあったが、近年は現在各種地図に示され、山名標が設置された現在の地点で落ち着いている。山名の由来には以下のような伝説がある。「朝廷の反逆児として八王子恩方の里まで追われ傷を負った平将門の看病にくれた地元の娘との間に生まれた子供が『醍醐丸』であった。後に娘と醍醐丸も迫害され、それを悼んで地元の人々が山と川に醍醐丸、醍醐川と名付けた。」なお、「八王子地名考」では、ダンゴ(団子)山(丸い山の意味)と呼ばれていた山がダイゴ山に転化し、さらに醍醐丸と変化したと考察している。
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2一歩地山780m峰見通り逸歩地山八王子市・あきる野市・檜原村境。市道山の東峰にあたる。一歩地山から東方鳥切場までの尾根は「峰見通り」または「恩方境」と称されている。また、ここから醍醐丸への尾根は「吊尾根」と称される。
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3栗ノ木沢ノ頭724m峰見通りトヤド頂上東より南の尾根は桧平を経て醍醐川にのびる長大な尾根の形が立派である。
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4豆佐嵐山  (ずさわらしやま)648m八王子北西端大沢山・棚沢入の峰刈寄山の東方にあり、山入川と小津川の間に高峰を連ねる入山尾根の起点。山入川の水源にあたる。
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5舟子尾根ノ頭610m八王子北西端棚沢山・大蛇谷ノ頭逆川水源の山で、あきる野市沢戸橋付近で秋川に注ぐ。逆川には八王子市の名瀑「金剛ノ滝」がある。山頂より北に八王子市街から見える大きな鉄塔がある。
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6古愛宕山509m八王子北西端案下からトッキリ場を経て五日市戸倉へ真直ぐに向かう道程にあり、武蔵五日市駅から今熊山と並んでそびえる山容は、山岳信仰の山であったことを偲ばせる。1932年(昭和7年)の地図には平坦で広い山頂部分にだけ針葉樹林が有った事が示されている。現在山中に遺構は無いが廃仏毀釈によるものか。
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7今熊山505m八王子北西端よばわり山・今熊野山2011年まで開催されていた八王子八峰登山大会の第一峰であり、日本山岳耐久レースの第一峰でもある。今熊は今熊野の意であり、熊野神社を新しく勧請したもの。八王子市の北の登山口。市民投票三位の山。
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8滝山約160m加住北丘陵滝山城跡本丸より西北に谷を挟んだ高まりは山神峰(173m)という。滝山城築城前は武州御岳修験道と深いかかわりがあり、本丸がある地にかつて蔵王権現堂があったと思われる。また、御岳山に東に並ぶ日の出山から東方の地を見ると冬至前後の太陽はちょうど滝山の方角上に昇り、死と再生の儀礼を核心とする修験道にとって再生の象徴である冬至の日の出の方角の里宮は、かつての修験道の盛時において最も重要な拠点であろう。バス停丹木2丁目バス停で下車するとすぐ北方に樹林に囲まれた小丘が高まっており、その丘に鎮まるのが滝山山頂から移されたという蔵王権現堂、今の御岳神社がある。
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9遠野谷戸山404m川口丘陵中山・羽生山長大な川口丘陵にある唯一の400mを越える主峰(このために川口丘陵は遠野谷戸山稜と呼ばれる)。身近な今熊山方面からは立派な山容が望まれる。南アルプス仙丈岳を思わせる山容。山名は南側の山入川源流一帯の旧小字、遠野谷(戸)から。皇国地誌の山入村誌には中山とあり、同書上川口村誌には羽生山と記されている。
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10天合峰300m川口丘陵天狗峰大鷹が住んでいるために自然保護活動が盛んであった。長大な川口丘陵の中でも最も山容の大きい峰。
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11一ツ石山536m入山尾根扇沢ノ頭・鹿子山採石による崩壊の進んだ峻険な入山尾根の東端にあるピラミダルな秀峰。別称の「鹿子山」の由来は山頂から南東に発し大光寺付近で山入川に注ぐ沢が、鹿子沢と呼ばれ、一帯の旧小名・旧小字ともなっている為である。「一ツ石山」の由来は不明である。
山名の付け方として時折見られるが、相模湖東の「嵐山」の命名理由は京都の嵐山に景観が似ているからというものであり、千葉の名山「伊予ヶ岳」は山体の形が伊予の国にある日本百名山「石鎚山」によく似ているからだが、一ツ石山の北側、山入川源流一帯は遠野谷(旧小字)である。岩手の遠野にあって山体も少し似た有名な「一ツ石山」に因んで呼ばれたのではないか?
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12高留沢ノ頭589m恩方アルプス不動山恩方アルプスの最高峰で南東の尾根は宮尾神社を経て「夕やけ小やけふれあいの里」に長くのびている。
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13恩方山536m恩方アルプス山体が広く、力石峠を経て千手山にいたる尾根の代表的な山。
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14盆前山498m恩方アルプスこの辺り一帯は、樅(モミ)の大木の原生林が素晴らしい。
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15千手山356m恩方アルプス浄福寺城山・恩方城山・新城址八王子市街からでもよく分かる、巨人の鼻のような鋭鋒。頂上に案下城とも呼ばれた中世の豪族、大石氏が築いた城跡が残る。麓の浄福寺には由緒ある千手観音像が本堂に安置されていて、参道の坂道には浄福寺三十三観音が並んでいる。
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16高岩山800m八王子西端醍醐丸と陣馬山に挟まれた標高ちょうど800mの山。頂上部が尖った特徴のある整った山容。東西どちらから見てもすぐ分かる。南の鞍部は和田峠。
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17本宮山732m中谷山尾根高茶山・金森山量感のある山。熊野信仰の熊野三山を形づくる本宮・新宮・那智宮のうち本宮を祀ったといわれている。かつて山頂下にあった社は野火で焼失し、今では東麓に鎮まる熊野神社が里宮として伝えられている。
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18要倉山562m中谷山尾根高岩山から東にのびる中谷山尾根東部を占める大きな山。要倉の山名の由来の説として、ヨウ(ヨー)はキブシの方言名「ヨーノキ」から、クラは「岩、崖」の意味で「キブシの生えた岩山」というものがある(鈴木樹造『八王子語源考』)。
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19陣馬山855m八王子西端陣場山山頂一帯が広々とした茅戸のため、八方の展望に恵まれている。頂上には大きな白い馬の像がある。高尾山からの奥高尾縦走路の目的地であり、現在二軒の茶屋がある。市民投票四位の山。
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20堂所山731m北高尾山稜北高尾山稜起点。南浅川の本流である小下沢の源頭にあたる山。
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21黒ドッケ623m北高尾山稜大嵐山・御林山北高尾山稜最高峰。山頂から北にのびる支尾根の山域も北高尾山陵で最も広い。ここと恩方の夕焼け小焼けふれあいの里との間に登山道があり北高尾山稜からのエスケープルートとなっている。ドッケは突起(尖剣)から尖った峰を指す言葉
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22高ドッケ560m北高尾山稜原山八王子市街からは、高ドッケと北峰にあたる滝ノ沢ノ頭がつくる櫓(やぐら)型の特徴ある大きな山容が目立つ。
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23富士見台550m北高尾山稜北高尾山稜で唯一すっきりと富士山が見える。ここから八王子城山を経て元八王子一帯に広がる尾根を派生させている。城山川最奥の水源の山
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24八王子城山461m北高尾山稜支稜深沢山・神護寺山・慈根寺山・牛頭山・八王子山・古城山八王子城跡のある山。城山川の谷奥高まる山から深沢と呼ばれた。西暦913年、華厳菩薩が深沢山の麓に住み、滝に入って勤行するとき、牛頭天王八王子権現のお告げを受けた。牛頭天王の八人の王子を主神に従属する神々として配置して、人間の吉凶を司る方位神として広めた(この頃、神護寺山、慈根寺山、牛頭山と呼ばれた)。この後室町幕府滅亡に前後するころ、北条氏照が山上に城を築いた(八王子城)。1590年落城(その後、古城山と呼ばれるようになった)。山頂の北西、滝沢川に清流寺滝がある。市民投票五位の山。
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25熊笹山530m北高尾山稜北高尾山稜東端にあり、南浅川から約300mの盛り上がりを見せる、南面のスカイラインが市街地からも目立つ山。特に寺田、館町方面から見た姿は美しい。
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26景信山727m裏高尾景延山市民投票一位の山。神奈川県相模湖町との境、高尾山と陣馬山を結ぶ奥高尾縦走路の途中にある。小仏バス停近くからこの山に直登するルートもある。山頂からの眺望に優れ、八王子市内の各所からも目立つ山である。武蔵名勝図会に、「日野、玉川の辺よりは八王子城山の後に丸く聳えて突き出せし山なり」とある。新編武蔵風土記稿には、「小仏峠より乾(注:北西)に当り七八町を登り、ことに高き柴山なり、絶頂に方十四五間の平地ありて、眺望甚だよき」「氏照八王子城に住せし頃、景信と云人、遠見の台を構えしより、景信の名ありといふ」とあり、北条の砦があったことがうかがえる。ただし、景信という人物については姓氏を始め伝えられていない。「八王子地名考」によれば、柳田國男による「カゲ」は「山間の高原で、これに草が生えて木の無いもの」と云う説と、景延山と記した幕末の地図があり「ノブ=伸ぶ、延ぶ(草などが生い茂る)」という考察をもとに、「山間高地の木がなく、草の生い茂った所」という意味の名前であるという。
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27小仏城山670m裏高尾城山八王子市の中で数ある城山の中でも、最も標高が高い。八王子市には戦国時代から関所があり、北条氏照が小仏城山の頂上に「富士関(小仏関所)」と呼ばれた関所を築いた(後に麓の駒木野の地に移された)。山頂からの眺めが良い。
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28日影乗鞍621m小仏城山北東尾根小仏城山北東尾根を成す大きな山で、北面から小仏川に向けて数本の尾根を派生させている。一丁平付近から日影乗鞍を眺めると、大きな馬の背に見える。
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29高尾山599m高尾山十三州見晴台・紫陽関高尾山薬王院は真言宗智山派の日本三大寺(成田山新勝寺、川崎大師平間寺)。関東三十六不動尊第8番札所。薬王院の杉は樹齢約700年、高さは約50m程。大きな杉が並んでいるため、山容はなだらかだが、市街地から見ると杉並木の鋸の刃のようなギザギザのスカイラインが特徴。世界で最も登山者数の多い山。市民投票二位の山。山頂からの眺めは良い。
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30大洞山536m南高尾山稜大羽山・太平山南高尾山稜最高峰。相模川に落ちる大洞谷のつめにあたる。大垂水峠西側の甲州街道からは、山頂に続く雄大な赤馬尾根が見える。相模川と八王子を繋ぐ峠として現在の大垂水峠が用いられる前は、この山頂から400m程西側の尾根を越える「武蔵越え」が用いられていた。
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31中澤山494m南高尾山稜山頂には石造聖観音菩薩像(武相国境東縦走路開通一年記念泰安、昭和十五年五月八日と記されている)が建っている。中澤山は名手側へ落ちている尾根が大きく、昔はこの尾根に登山道があったそうだが、名手側から見ると大きな壁のような山に見える。また、中沢峠北東の標高約500メートルの送電塔ピーク、中沢ノ頭からは南高尾山稜最大の支尾根が梅の木平に延びている。
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32泰光寺山475m南高尾山稜高山山頂部東側はかなり急登になっている。北側には梅の木平にいたる、南側には三井大橋にいたる立派な尾根をもつ。山頂に社があったと思われるが、今は痕跡はない。
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33榎窪山420m南高尾山稜・東高尾山稜山頂は南、東高尾山稜の番(つがい)となっていてここから秩父山系東部の最南の尾根として相模原に広がる。峰の薬師までの頂稜に並んでいる四本の鉄塔が榎窪山の目印で、高尾山霞台園地、麓の橋本方面、津久井城山などから大きな山体が目立つ。山名の榎窪は南浅川に注ぐ北面の沢の名称。
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34草戸山364m東高尾山稜一年山町田市最高峰。県都界となっている境川の源頭。城山湖北の展望台。東方の草戸峠は昔は追分と呼ばれ、峰の薬師から八王子各地へ向かう主要な交差路であった。
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35初沢山294m東高尾椚田城址・初沢城址横山党椚田氏の居城といわれる。小さいながら整った独立峰のような形をしている。地元の人たちに親しまれてきた。地下には戦時下に掘られた大きな地下壕が現在も保存されている。
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36大塚山213m高幡丘陵鑓水嶺(峠)山頂からは十二州を望むといわれていた。かつて道了堂があった。鎌倉古街道や神奈川往還、絹の道など、昔から人々の往来が盛んであった。
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※ 当プロジェクトは登山案内ではありません。万一の場合の事故やトラブルについては一切の責任を負いかねます。
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参考にした地図と文献:
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二万五千分の一地形図の五日市、与瀬、拝島、八王子、武蔵府中(国土地理院)・山と高原地図の陣馬・高尾、奥多摩(昭文社)・
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高尾山登山詳細図、奥多摩登山詳細図(東編)(吉備人出版)・都市地図東京都1八王子市(昭文社)
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八王子事典(かたくら書店)・八王子を読む□地誌と地図の世界(かたくら書店)・八王子案内24章(かたくら書店)・八王子語源考(かたくら書店)
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