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名称読み仮名緯度経度地名詳細出典1分類
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中沢水車ナカザワスイシャ33.594599133.528556三谷松尾山北西、砂岩の絶壁が30mほど続く「なげやげいし」と呼ばれる場所の下にある水車。夜更けにここを通るとタヌキが石を投げると言われて怖がられた。
浜田稔1986「車谷忘れ残りの記」『秦史談』15
水車
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沢田水車サワダスイシャ33.594069133.529179三谷松尾山北西、砂岩の絶壁が30mほど続く「なげやげいし」と呼ばれる場所の下にある水車。夜更けにここを通るとタヌキが石を投げると言われて怖がられた。
浜田稔1986「車谷忘れ残りの記」『秦史談』15
水車
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源馬水車ゲンバスイシャ33.593169133.529872三谷昭和初期、年中水の絶えない「水ノ出ル谷」の出口のヒノキ林の中に巨大な水車の残骸があった(家は壊されていた)。
浜田稔1986「車谷忘れ残りの記」『秦史談』15
水車
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境峯水車
サカイガミネスイシャ
33.59272133.530005三谷「はんど淵」の岩盤をくり抜いた水車の導水路の一部が残っている。水車は大正末期には廃絶。水車跡には真言宗系と思われる水行場ができ、大師像が昭和20年代後半に建立された。
浜田稔1986「車谷忘れ残りの記」『秦史談』15
水車
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伊曽水車イソウスイシャ?33.592389133.530598北秦泉寺水車は大正末期には廃絶。
浜田稔1986「車谷忘れ残りの記」『秦史談』15
水車
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馬吉水車ウマキチスイシャ33.592052133.530709北秦泉寺水車は大正末期には廃絶。
浜田稔1986「車谷忘れ残りの記」『秦史談』15
水車
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永野水車ナガノスイシャ33.591504133.53106北秦泉寺終戦後まで稼働。51年の大水害で鉄砲水に襲われて大きな被害を受けて取り除かれた車谷最後の水車。家の背後に導水路跡が残っている。
浜田稔1986「車谷忘れ残りの記」『秦史談』15
水車
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田内水車タノウチスイシャ33.590435133.531115北秦泉寺鎌研橋の西側。ブラジルに移民した永野勢喜が操業していた水車。
浜田稔1986「車谷忘れ残りの記」『秦史談』15
水車
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楠瀬水車クスノセスイシャ33.589714133.532413北秦泉寺通称「ブッセ」と呼ばれる場所。大正末期まで水車は稼働。後に「長寿斎義光」の鍛工場になっていた。
浜田稔1986「車谷忘れ残りの記」『秦史談』15
水車
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熊次水車クマジスイシャ33.587434133.533729北秦泉寺昭和の初期から「三谷水車」と呼ばれていた。三谷から移住した三谷熊次が操業し、昭和26年まで稼働。導水路は車谷で一番長い。家の入口下には「井の上様」がある。
浜田稔1986「車谷忘れ残りの記」『秦史談』15
水車
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白土水車ハクドスイシャ33.58632133.532842北秦泉寺石淵の西側、立場の南はずれにあった水車。水路は井上様の下に始まり立場を抜けて流れていた。製紙の充填剤に使う石こうを粉砕していた。
浜田稔1986「車谷忘れ残りの記」『秦史談』15
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