・軍の強制疎開による戦争マラリア蔓延
→八重山諸島では米軍上陸による地上戦はなかったが
米英軍の空襲や艦砲攻撃(①)、また軍命によるマラリア
有病地への強制疎開(②)により多くの犠牲者がでた
→①による死亡者:178名
②による死亡者:3647名
【八重山諸島】の戦争被害と知名度
中央大学附属高等学校
2年C組7番 大野愛栞
「太平洋戦争」によって、日本各地は様々な戦争被害を受けた。しかし、その被害の性質や知名度には大きな差がある。本研究では、八重山諸島における戦争マラリアの被害と戦後の歩みを明らかにし、また沖縄県石垣島にある【八重山平和祈念館】と広島県にある【平和記念資料館】とを比較することで、地域ごとの異なる戦争被害の実態と性質、知名度について様々な視点から考察する。
・Malaria History in Yaeyama War Malaria & Malaria Elimination
・大田静男『戦跡めぐり〜海軍南飛行場周辺の戦争遺跡を中心に〜』
・沖縄タイムス+プラス ・たびらい ・島色、無限大
・おきなわ物語 ・アソビュー!
地理的要因
考察
まとめ
・更に知名度をあげるために
→【八重山平和祈念館】以外の戦争遺跡を活かす
→【名倉アンパル】や【波照間島マラリア慰霊碑】など
【八重山平和祈念館】から比較的行きやすい所に戦争
遺跡が存在している。
→戦争以外の分野に繋げる
→戦争マラリアにより失われた、失われかけた文化が
あったのでは?当時の医療技術は?戦争被害も
観光客の呼び込みに有力では?強制疎開は人権侵害
では?など戦争以外の分野にも繋げられることを
アピールし、修学旅行スポットとして推せるのでは
ないか。
・知名度の差が生まれた要因
①歴史的インパクトの違い
→世界史に残る「原子爆弾」の被害を伝える【平和記念資料館】と地域限定の戦争マラリア被害を扱う【八重山 平和祈念館】の間に生じる明確な差。
②メディアや教育による扱い
→【平和記念資料館】は教科書でも取り上げられ、毎年黙祷が行われ、修学旅行で訪れられることもある一方、【八重山平和祈念館】をピックアップするメディアや教科書は限られている。
③立地とアクセス
→【平和記念資料館】へのアクセスは抜群で、近くに他の施設やお店も多くあるが、【八重山平和祈念館】は離島にあるためどうしても訪れづらく、また周りは住宅街である。
以上3つの要因が合わさっていることにより、【八重山平和祈念館】の知名度は【平和記念資料館】に圧倒的に劣ってしまい、また悲惨な戦争マラリアの被害は広まりにくくなっているのではないか。
・アクセスの悪さ
→八重山諸島(ここでは石垣島を指す)と沖縄本島の距離は約410kmなのに対して、台湾との距離は約280km。
→来場しにくさに直結。
・疎開後の課題
→医療技術不足、食糧不足が深刻で水に浸けて冷やした葉っぱを冷えピタ代わりにしていたという事実も。
〜広島と比較して次世代へ〜
参考文献
はじめに
戦争マラリアの被害
2つの資料館と戦後の歩み
・【平和記念資料館】
→世界史にも残る「原子爆弾」投下に伴う被害を扱い、
平和や核廃絶への強いメッセージを感じられる。
年間来場者は100万人以上。
→世界的な平和都市として復興し、また国際会議や
平和教育の中心地として成長した。
・【八重山平和祈念館】
→主に八重山諸島で行われた住民のマラリア有病地への
強制疎開やそれによる被害が展示の中心で規模は
小さい。
→戦争マラリアが完全に終息したのは1962年で、戦後も
米軍統治下にあり、生活再建が最優先されたため戦争マラリアの被害の記録や発信は困難だった。