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「無我」について

自分がいるのに、ブッダはなぜ「無我」というのか?

ブッダの無我論

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「我」、アートマンの定義

  • Soul, spirit, prāṇa, ātman, 我、魂、霊などの用語を使われています。
  • 死で終わらない、死後も続く、永遠で、不滅である、何かの「実体」があるという思考、信仰です。
  • 命があるものの一番大事な主体のようです。
  • 宗教によって、1.人間だけの特権、2.全ての生命にあるという二つの考えがあります。
  • 特色は1.「霊魂が実在する」信じる概念です。

    2.生命の唯一大切な部品なのにその存在の立証は出来ません。

  • 神秘体験、自己暗示、マインドコントロールなどで立証したという人がいるが、正常な人にはわかりません。

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歴史は長い

  • アートマンの信仰は人は自分の存在に気づいた時からあることでしょう。
  • 自分がいるという実感について思考すると「何かがある」という気持ちになるのです。
  • 人間の文明も文化もこの概念を前提にして発展したものです。
  • ですから、宗教、哲学、文学、民話などのすべて、「我」があるという立場で語られてきたのです。
  • ですから、ブッダが語られる「無我」を一般常識的な立場では理解不可能なものになっているのです。
  • 無我を理解出来る知識能力はないのです。

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無我は認識できない

  • 現象は「生・滅」流れです。(有・無)
  • 例えば、耳(音を感じる感覚)は「生・滅」(有・無)の流れで成り立っています。
  • 耳が「有」の時、音も「有」の時、触れたならば、音の感覚が起るのです。
  • しかし、耳が無の時、又、耳が有でも音が無の時、聴覚は起きません。

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感覚

対象

認識

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無我は認識出来ません

  • 以上のチャートで現象の「ありのままの」状態の三分の一しか認識してないことになります。
  • 感覚は眼・耳・鼻・舌・身・意という六です。
  • 認識対象は色・声・香・味・触・法という六です。
  • 感覚は(nāma・名)こころなので物質的対象より早く(一七倍?)生・滅の振動で変化します。
  • 感覚と対象が「有」時のみ、認識して、それが、人は知識だとするのです。
  • ですから、生命の知識を総合的に評価すると、「ものは有る、存在する、私がいる、存在する」という結果になるのです。

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自我の錯覚

  • 六種類の感覚が絶えず消滅変化して流れるのです。
  • しかし、「感覚がある」という認識しかありません。
  • そこで、思考を働かして「私がいる」という正解にならない結論に立つのです。
  • 更に、貪瞋痴の感情で練り合わせて「自我、霊魂、魂」という錯覚を作るのです。
  • 更に、妄想して、「我論、天国、地獄、永遠の命」などのイマジネーションを膨らますのです。
  • 生きていたいという欲と死にたくはないという怒りがあるから、「自我が在る」という錯覚にしがみつくのです。

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新しいアプローチ

  • ブッダは人の決まり切った思考パターンでこの問題にアプローチしなかったのです。
  • 理由は簡単です。皆、必死で我・アートマンの探検、観察、思考、修行、実験などをしているが、だれも答えが見つからないのです。
  • 互い違いの意見ばかり増えるのです。
  • ですから、既成の思考方法は正しくないのです。
  • 釈尊が「自分がいるという実感」はどのように起るものかと調べたのです。
  • そこで、「自我」ではなく「無我」という真理(正解)を発見したのです。

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五蘊・五執蘊

  • Pañcakkhandhapañcūpādānakkhandha
  • 全ての生命は色受想行識という五の集まりです。
  • 1.(rūpa)色-物質・肉体
  • 2.(vedanā)受-感覚
  • 3.(saññā)想-概念(青い、黄色い、丸いなどの)
  • 4.(saṅkhārā)行-意欲(何かをしたくなるエネルギー・衝動)
  • 5.(viññāṇaṃ)識-認識すること
  • この五も常に変化するから、無常であって、絶対的に変化しないアートマンにはならない。
  • 従って、「無我」であります。

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六感・六対象

  • 「知る世界」からアプローチすると、
  • 眼耳鼻舌身意という六感は常に変化するので、無常であって、絶対的に変わらないアートマンではありません。
  • 認識を引き起こす色声香味触法という六対象も常に変化するので、無常であって絶対的に変わらないアートマンにはではありません。
  • 対象が触れると起る六種類の感覚も、
  • 六種類の感覚から起る六種類の認識も無常であって、絶対的に変わらないアートマンにはではありません。
  • 認識するとき、引き起こす煩悩も同じく無常であって、絶対的に変わらないアートマンではありません。

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無常・無我・因縁

  • 有・無の流れである現象の無のありさまを直接認識できなくても、客観的に観察すると、前の現象は後の現象と違っているのだと理解でします。
  • しかし、今まで信仰してきた「何かがある」という先入観を使ってはならないのです。
  • 無常だから無我なのです。従って、無常=無我だと思われても構わないのです。
  • そこで、愚か者たちは、現象は無常であることは、明らかです。だから、永遠の実体の世界、真理の世界、真我の世界と同一しなくてはならないでしょうという理屈を使う。
  • 釈尊はsabbe saṇkhārā aniccā(諸行無常)と
  • Sabbe dhammā anattā (諸法無我)と説かれるのです。
  • 行・因縁によって起こる現象;法・涅槃も含む全て

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因縁

  • 一切の現象は因縁によって現れるのです。
  • 人間に発見出来ても、出来なくても、因縁がなく、原因がなく、偶然、突然、創造によって、何かが現れるのではありません。
  • 原因によって、生じるものは、その原因に支えているときのみ存在するのです。
  • 原因が消えると、結果もなくなるのです。
  • ですから、絶対的で、常住する実体(アートマン)は観察能力が乏しいから起る錯覚以外なんでもありません。
  • Sabbe dhammā anattā(諸法無我)という結論は現実的な因縁の法則を理解することの結果なのです。

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私はいませんか?

  • 『無我』とは誤解しやすい用語です。(私はいませんという意味になってしまうのです。
  • 人には感覚に依って起る、自分がいるという実感があるのです。
  • 我はアートマンのことです。無我はアートマンがないという意味です。
  • アートマンとは宗教家が妄想して形而上学的な概念です。
  • 絶対的で、変わらない実体、実在する芯なのです。
  • 絶対的神、brahman, 真我・個我のはなしです。
  • ですから、無がとは「私は無い」ではなく、私と、私のアートマンと言える絶対的で変わらない芯がありえないとう意味です。

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私はいませんか?

  • 様々な因縁によって、変化して行く、自分、自己と表現できる流れがあるのです。
  • 自分という実感もあるのです。
  • しかし、これがどのように起るものかと説明できます。
  • 立証することもできます。
  • 何が変わっても絶対的な変わらない我はあり得ないが、瞬間瞬間変わる自分がいるのです。
  • 自分とは因縁の流れなのです。
  • Ajjhattaṃ upasantassa, natthi attā kuto nirattā vā. Sutta Nipāta, 925
  • こころの安穏に達した人には「我」という実感はない。当然「無我」という実感もない。

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「自我の錯覚で困る

  • 我は究極の至福だと思われている。
  • しかし、至福そのものであり、芯があるのに、現実は生きることは悩み苦しみで満たされているのです。
  • 罪のせいと言っているが、「我」は罪を犯しますか?
  • 「我」は罪で汚染されるなら我が様々な原因によって変化するものになってしまうでしょう?
  • ですから、「我」説と悪の存在は両立できません。
  • 絶対的な「我」があるならば、悪を犯しても、善をおこなっても、「我」に与える影響はありません。
  • 無常だから(無我)、自己の改良、改善できます。
  • 道徳は成り立ちます。

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「流れ」の意味

  • 川を、流れる水を観察してみましょう。
  • 我々に体験出来る、観察でいる、「ある」と思える川があるのです。
  • 荒川、隅田川、多摩川などの名前をつけることもできるのです。
  • しかし、荒川には、「荒川だというべき」絶対変わらない、荒川の芯だと言える何かがあるのでしょうか?
  • 川が瞬間、瞬間変わってしまうのです。
  • 気づかないだけですが、瞬間、瞬間川の中身が変わるので別、別の川なのです。
  • しかし、絶えず流れるので「荒川」と言えるのです。
  • 生命の存在も因縁に依って起る現象の流れなのです。
  • 従って、無我なのです。

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自分という流れを汚さないこと

  • 川が入るものよって汚れてしまうのです。
  • 我々の人生も、眼耳鼻舌身意という感覚器官に入る情報によって、汚れるのです。
  • ですから、貪瞋痴の汚れが入らないように、感情が氾濫しないように自己制御するのです。
  • そのうち治ります、時間が立てば治りますというが、川に(人生に)汚染物が入ることをストップしない限り清らかにはなりません。

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無我と解脱

  • 人生とは瞬間、瞬間変わるものです。
  • 悲しみも楽しみも瞬間のことです。
  • 価値がある経験、感覚だと思うものも瞬間で消えるのです。
  • 現象には執着するに値するものはないのです。
  • 人生は泡沫のようなものです。
  • 捕らわれることで、執着することで、得るのは悩み、苦しみのみです。
  • この事実に目覚める人は無執着に興味を抱くのです。

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無我を認識する瞬間

  • 無我の認識は不可能だと、始めに、述べました。
  • しかし、観察瞑想を実践して、集中力をあげると、
  • 因果法則が見えてくると、
  • 存在のからくりが現れてくると(pātu bhavanti dhammā)
  • こころが無執着の方へと赴くのです。
  • 煩悩が起らない状態を期待するのです。
  • その瞬間で、「無我」を体験するのです。認識するのです。
  • それが、解脱なのです。

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ブッダの教え

  • ‘‘Evaṃ kho, aggivessana, bhagavā sāvake vineti, evaṃbhāgā ca pana bhagavato sāvakesu anusāsanī bahulā pavattati – ‘rūpaṃ, bhikkhave, aniccaṃ, vedanā aniccā, saññā aniccā, saṅkhārā aniccā, viññāṇaṃ aniccaṃ. Rūpaṃ, bhikkhave, anattā, vedanā anattā, saññā anattā, saṅkhārā anattā, viññāṇaṃ anattā. Sabbe saṅkhārā aniccā, sabbe dhammā anattā’ti. (M.I,229)
  • アッギヴェッサナよ、私はこのように弟子たちをいましめます。このように、頻繁に語ります。「比丘達よ、色は無常、受は無常、想は無常、行は無常、識は無常です。また、色は無我、受は無我、想は無我、行は無我、識は無我です。諸行は無常です。諸法は無我です。
  • Majjhima Nikāya, Sutta No.45, Cūḷasaccakasuttaṃ

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Q & A

  • Q: 空と無我の関係は?
  • A: 初期仏教では、苦・無常・無我・空ほとんど同じ意味で使います。
  • 「空論」のように何かの説明概念を極限に伸ばして哲学をつくること、思想体系をつくることにお釈迦様が大反対です。論があると異論も成り立って、争論になります。時間を無駄にします。一日早くも清らかな心を作ることが初期仏教の立場です。
  • 「空」は虚無主義と間違える可能性があるので、パーリ聖典ではそれほどハイライトしないのです。

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Q & A

  • Q: もし意味は同じであるならば、なぜ、無常、苦、無我と三にわけたのですか?
  • A: それは、人々の理解する方法は様々だからです。
  • 無常という概念に興味を抱く人も、苦と言う概念に興味抱く人もいます。だれにでも理解出来るように仏教の真理をュニヴァーサルにしたのです。
  • 日本のIT製品を作るとき見られるガラパゴス思考とは正反対の考えです。
  • 苦・無常・無我以外、病、傷、できもの、蜃気楼、幻覚、燃える炭などの沢山単語を使用されています。

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Q & A

  • Q: 無常、苦、無我の関係は?
  • A:

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無常:ほとんどの人々に理解し易い。

苦:感覚的にものごとにアプローチする人に分かり易い

無我:宗教家、思想家、精神世界に興味ある人に分かり易い

anicca

dukkha

anattā

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Q & A

  • Q:無我論と因果法則は関係がありますか?
  • A:大いに関係があります。「因果法則」は釈尊が覚りによって発見された「真理」です。誠の仏説です。
  • 真理を発見出来なかった、思想家たち、宗教家たち、又一般人も、永遠不滅の真体(我、アートマン)があると固く信じて、論じていたのです。それに答えて「我」は実在しないとブッダが語ったのです。無我論とは言葉ですが、仏教には因縁法則が真理で、「無我論」なんかはありません。
  • 変わらない実体がないからこそ、因縁によって、森羅万象が変化して行くのだと因果法則で発見出来ます。

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Q & A

  • Q:私のアイデンティティはありますか?
  • A:あなたは、一つの滝、小川だと思って見て下さい。
  • 中味は瞬間、瞬間変わりますが、俗世間的に「滝がある、小川があると言えるでしょう。これが、個のアイデンティティです。(あって、無いようなものです。)
  • しかし、滝・小川を管理したり、汚れないようにしたり、皆の役に立つようにしたりすることはできます。
  • 私たちも、存在もしない、自我をはるのではなく、自己管理して、自分にも他人にも役に立つ人間になるのです。
  • このために、自分が選ぶ道は「自分探し」であり、アイデンティティ確立」です。

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三宝のご加護がありますように

ご静聴を感謝いたします

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