1 of 36

空爆による無差別大量殺戮を終わらせることは可能か?!��― 重慶爆撃、広島・長崎原爆ジェノサイドからガザ・ジェノサイドまでの歴史から考える ―

田中利幸

2 of 36

日本軍による中国諸都市への大規模な空爆は1932年1月の「上海事件」から始まった

3 of 36

��重慶は、1938年から3年間にわたり200回以上の攻撃にさらされ、2万人余の死亡者、4万人の負傷者、焼失・破壊家屋2万余棟を出した。

4 of 36

��戦争加害国家が、他国民に対する加害行為を自国民に強いるだけではなく、自分たちの被害の受忍をも強いるという現象が必ず見られる。無差別空爆による大量虐殺の「責任」は、かくして、こうした複雑な加害と被害の絡み合いの状況を複合的にとらえ、その絡み合いを解きほぐすことによって、初めてその責任の全容が明らかとなるはずである。

5 of 36

B29爆撃機は1943年から1945年8月の終戦までに3,970機が生産された。

6 of 36

1937年に成立した「防空法」の実際の目的は、国民の生命・財産を敵の空爆から守ることではなく、国民(特に当時の国内人口の大部分を占めていた女性)を防空演習・訓練に総動員することによって統制・支配することにあった。

7 of 36

1941年の法律改正で、「退去の禁止」と「応急消火義務」が加えられることによって、原則として市民が「空襲避難」することは認められなかった。��焼夷弾が降り注いでも「避難することは許されず、消火作業に奮闘せよ」という命令であった。

8 of 36

大政翼賛会の基礎単位として1940年9月に制度化された「隣組制度」(ほぼ10戸の家族を1グループとする)を防空の基礎単位とも位置づけ、空襲時には町内の治安維持のために隣組防空群が警察や警防団に協力する体制を普段から整備しておくことが重視された。

9 of 36

敗戦間際になって「防空」の最前線へと6千名を超える若い自爆パイロットが「神風特攻隊」として送り込まれた。天皇の戦争それ自体が、つまり降伏も捕虜も許さない天皇の軍隊そのものが、とてつもない狂気(非合理)の産物であった 。

10 of 36

天皇制ファシズムにおける日本の総力戦体制確立の努力が、結局は、総力戦にとって最も重要な人的資源である将兵と市民の両方の「玉砕」=自己破壊という極端な矛盾を産み出したのも当然の帰結であった。しかも、そのような総力戦体制の中に植民地であった朝鮮・台湾からの多くの市民が組み込まれて、日本人の自己破壊への道連れを強いられた。

11 of 36

アメリカの日本空爆計画は当初から都市の焦土化を狙った無差別攻撃的な傾向を強くおびていた。

12 of 36

1945年1月21日、カーチス・ルメイ少将が第21爆撃軍団司令官に着任するや、日本本土に対する空爆は焼夷弾を大量に使う「地域爆撃」へと急速に移行していった。

13 of 36

「低高度夜間絨毯爆撃」の最初の攻撃目標となったのが1945年3月10日の東京であった。

14 of 36

6月中旬から、ルメイは日本全土の徹底破壊を目指して、東海、北九州、甲信越、北陸、関東、中国・四国、東北の中小都市を次々と攻撃目標に選び、そのほとんどに焼夷弾による夜間無差別爆撃をしかけた。��その結果は、日本全土の空爆による推定死傷者約102万人のうち56万人が死亡者(その7割が女性・子ども)という、まさにジェノサイドと呼ばれるべきものであった。

15 of 36

1945年6月9日�天皇裕仁が内大臣・木戸幸一に「時局収拾対策試案」=「和平工作案」を自分に提出させ、その提案を首相(鈴木貫太郎)、陸海軍両大臣(阿南惟幾、米内光政)、外務大臣(東郷茂徳)と協議。��その結果、「中立条約」が失効していない条約締結国であるソ連政府に仲介を依頼することを決定。��「和平」のために日本側が出した条件で最も重要視されていたのは、①天皇制維持 ②明治憲法維持の2つ。とりわけ天皇制維持は譲歩できない条件。� �対日戦を8月までに開始したいと考えて計画を進めていたソ連政府は、日本政府の仲介工作依頼にまともには応えず、事実上は無視。 �

16 of 36

米国政府側��5月初旬にドイツが降伏するや、日本政府に対する「降伏要求書」=「ポツダム宣言」の草案作成にとりかかる。作成は、国務省の知日派のジョセフ・グルー(元在日本米国大使、当時は国務長官代理)とユージン・ドゥーマン(国務長官代理補佐)。��この宣言草案には、「日本の降伏を確実にするには、天皇制維持がどうしても必要である」というグルーの強い意見を反映して、「天皇制継続」を確約する条項が明確に含まれていた。��この案に陸軍長官ヘンリー・スティムソンも賛成して、6月26日に「日本向け提案プログラム」と題した「降伏要求書草案」(基本的にはグルー草案と同じ内容)をスティムソン自身が作成。次のような文面を第12条として提案した。「(日本)政府が再び侵略を犯す意図がないことを世界に向けて十分な形で示すならば、現在の王朝制のもとでの立憲君主制を認めることを(降伏条件に)含む」。��後日、スティムソンはこの草案をトルーマンに手渡し、基本的に大統領の賛成を得ていた。�

17 of 36

7月15日�トルーマン大統領、スティムソン陸軍長官、バーンズ国務長官がポツダムに到着(17日からポツダム会談開催)。��7月16日夜7時半:�史上初の原爆「トリニティ実験」が成功したというニュースの電報をスティムソンが受電。大統領と国務長官の二人は大喜び。��7月17日:スターリンはソ連が8月15日に日本に対して宣戦布告をする予定であるとトルーマンに伝える。��7月24日(おそらくこの日と推察される):�トルーマンはスティムソンが準備したポツダム宣言草案から「天皇制=立憲君主制」維持の条項を削除し、「日本国民が自由に表明した意思による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める」という文章と入れ替。さらに、第6条では「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力と影響を永久に除去する」という、天皇の戦争責任追求を暗示するような条項も含めた。��

18 of 36

米国側の画策の目的��トルーマンは、日本政府が受け入れがたい「無条件降伏」を要求する「ポツダム宣言」を意図的に日本政府に突きつけておき、この宣言が発表される7月26日から原爆使用が可能になる予定日の8月5日までの間に、日本が降伏しないように画策。��その上で、8月5日以降、ソ連が対日開戦予定の8月15日 直前までの10日間の間に、原爆で日本の都市を壊滅し降伏させる、というシナリオ。��すなわち、日本が受け入れそうもない内容の「ポツダム宣言」で、アメリカは日本の降伏引き伸ばしをはかった。��トルーマンの原爆使用の真の目的:�いまだ原爆を保有していなかったソ連に対して核兵器の威力を見せつけ、しかもソ連に対日戦争に参加する機会を与えずに戦争を終結させ、戦後の日本占領にもソ連には参加の機会を与えないという、極めて政治的なもの。�

19 of 36

7月28日�日本政府は、ポツダム宣言受諾拒否。ソ連の仲介による和平工作を諦めきれず、ソ連駐在大使・佐藤尚武の「その可能性なし」というくり返しの報告にもかかわらず、努力を続行せよという訓電を打ち続けるという無駄なあがきを続ける。��8月6日(日本時間)午前8:15: B29エノラ・ゲイが広島上空に達し原爆を投下、史上初の核兵器による無差別大量殺戮。��8月8日モスクワ時間午後5:00(日本時間午後11:00):ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して、日本に宣戦布告。翌9日未明、ソ連軍が満州に侵攻して奇襲攻撃を開始。8月15日というソ連の対日開戦日程は、広島への原爆攻撃で1週間くり上げられた。 �� 8月6日から8月14日:�「ポツダム宣言」受諾=降伏の最終決定までの間に幾度も開かれた戦争指導者会議、閣議、御前会議では、広島・長崎の原爆被害が議題にあがることはほとんどなく、もっぱら、降伏するにあたっては「いかに米国側に<国体護持=天皇制維持>という1条件のみを受け入れさせるか」という議論だけが延々と続けられた。��8月9日長崎への原爆攻撃についての議論は全く行われず、当日早朝のソ連軍の突然の満州侵略に慌てふためき、「天皇制維持」条件付き降伏がいかに可能かの議論ばかりに時間を費やした。��8月10日〜15日:�米国側はあくまでも日本の「無条件降伏」を形式的には主張し続けながらも、実際には日本側の「天皇制維持」の条件を受け入れる旨を日本政府に間接的な形で伝えた。天皇裕仁は、米国政府のその意図を確認した上で、8月14日の御前会議で「ポツダム宣言」受諾を決定し、翌日15日に「終戦の詔勅」を発表。�

20 of 36

広島への原爆攻撃の16時間後の、トルーマンのアメリカ国民向け声明:��「世界は、最初の原爆が軍事基地である広島に投下されたことに注目するであろう。それは、われわれがこの最初の攻撃において、民間人の殺戮をできるだけ避けたかったからである。もし日本が降伏しないならば、……不幸にして、多数の民間人の生命が失われるであろう。」その後アメリカはまもなく、「原爆を使わなかったならば戦争は長引き、そのためさらに数百万人という犠牲者が出たはずである」という原爆無差別大量殺戮の正当化のための神話を作り上げた。��この神話の問題の本質:�原爆攻撃の真の目的がソ連の対日戦争参加を止めるためという極めて政治的なものであり、しかも日本政府が米国の原爆使用を自ら招くような形にするよう米国側が画策した「招爆画策」の結果として行われたという事実を隠蔽するために、このような甚だしい虚妄の「正当化論」を作り上げ、それを自国民はもちろん、世界中の人々に信じこませたという「神話化」。�

21 of 36

8月15日�日本側による原爆無差別大量虐殺の被害を政治的に利用する独自の「神話化」:��裕仁が発表した「終戦の詔書」は、日本が原爆無差別大量虐殺を被ったために日本が降伏したかのような印象を与えるために作られた。��天皇裕仁と日本の軍事指導者たちにとっては、最大の関心事は原爆被害ではなく、日本がソ連軍に侵略される可能性であり、その結果、裕仁が戦争犯罪人として裁かれ天皇制も廃止される可能性だったという事実を、原爆を利用して隠蔽しようと謀った。��「終戦の詔書」の原案では、原爆については一言も触れられていなかった。ところがその草稿が、2人の高名な学者(川田瑞穂と安岡正篤)の、あるいはそのうちのどちらか1人の提案によって修正され、以下のような言葉が加えられた。「敵は新たに残虐な爆弾<=原子爆弾>を使用して、罪のない人々を殺傷し、その被害ははかり知れない。それでもなお交戦を継続すれば、ついにわが民族の滅亡を招くだけでなく、それから引き続いて人類文明をも破壊することになってしまうだろう。」��

22 of 36

さらに裕仁は、日本の侵略戦争、軍隊による数々の残虐行為、日本の植民地の朝鮮人や台湾人に対する搾取に対する自らの責任を隠蔽するためにも、原爆を利用した。しかも終戦直後、日本政府とGHQは、平和主義の裕仁は、戦時の軍指導層に操られていた戦争被害者であったかのように偽装し、裕仁の戦争犯罪と責任を隠蔽した。�日米両方が、いかに都合よく各々の戦争責任を隠蔽するために、それぞれ独自の虚妄の「原爆神話」を創り上げたのか、我々はその歴史事実をもっと広く世界に普及させる運動を反核市民運動の一環として行っていく必要がある。

23 of 36

事態がまさしく嘘を語る者が主張するとおりであるかもしれないので、欺瞞はけっして理性と対立するようにはならない。嘘を語るものは聴衆が聞きたいと思っていることや聞くだろうと予期していることを前もって知っているという非常に有利な立場にいるので、嘘はしばしば真実よりもはるかにもっともらしく、理性にアピールする。��嘘をつく人は公衆が信用してくれるように注意深く目配りしながら物語を用意するが、リアリティはわたしたちが受け入れる準備のできていない予期せぬものを突きつけるという困った習性をもっている。���ハンナ・アーレント『真実と政治/政治おける嘘』�

24 of 36

1947年12月7日:�「戦争被害国家幻想」を作り出した張本人である裕仁の広島訪問:��爆心地の市民広場に約5万人の市民が集まった。「5万人の国歌大合唱が感激と興奮のルツボからとどろき渡る。陛下も感激を顔に表され、ともに君が代を口ずさまれた。涙…涙…感極まって興奮の涙が会場を包んだ。」(中国新聞)感激にむせぶ群衆に向かって、裕仁は、「犠牲を無駄にすることなく平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と、あたかも他人ごとのような言葉を発した。��かくして、日本国民は天皇をまさに自分たちの戦争被害体験の象徴と見なすようになり、日本人だけが被害者という「一億総被害者意識」からは、それゆえ他のアジア人=日本軍の残虐行為の被害者は完全に排除されてしまい、朝鮮人被爆者ですら長年の間「被爆者」とは見なされなくなり、今もってその差別は続いている。��その一方で、日本人は、その加害の張本人であるアメリカ政府の責任を追及することもせず、日本人がアジア太平洋各地で繰り広げた残虐行為の加害責任を問うこともしないという、奇妙な加害者不在の被害者意識にとらわれるようになった。�

25 of 36

2016年5月27日:オバマ大統領が広島平和公園を訪問��オバマは、原爆攻撃を「空から死が降ってきて……閃光と炎の壁がこの街を破壊した」とあたかも天災のごとく描写した。また、「人間すべて平等」、「人類は一つの家族」という「空洞化された普遍原理」を平和公園でのスピーチで前面に押し出し、その中に原爆無差別大量虐殺問題を取り込んでしまうことで「核兵器問題は人類共通の問題」とし、実際には米国の責任問題をうやむやにするという「広島の政治利用」の常套手段を使った。��戦後初めて広島を訪れた裕仁が、「広島の被害」を自分が象徴する「国家被害」の中に取り込んでしまい、強烈な「被害国家幻想」を創り出したと同じように、加害国の大統領オバマは平和公園内に数十分間滞在し、謝罪を求めない被爆者代表を抱きしめるパフォーマンスで、「広島の被害」を「人類の被害」に昇華させ、「人類総被害幻想」を創り出した。そうすることで、同時にその責任もまた「人類の総責任」にしてしまうことで、米国の責任をうやむやにしてしまった。��その上で、「平和を守るため」と称して、日米軍事同盟の重要性を強調し、核保有国という米国の国家原理には一切手を触れなかった。広島に来るためにオバマが極東最大の米軍岩国基地から往復したという事実こそ、彼の広島訪問の真の「意味」を象徴的に表している。�

26 of 36

戦後、とくに占領後は、原爆無差別殺戮はますます日本の戦争被害のシンボルとして頻繁に政治的に利用されるようになり、「原爆」が戦争被害のシンボルとされ、国家そのものが被害者であるかのような意識を全国民に浸透させていくために利用された。その反面、現実には被爆者はオキザリにされながら、「国家戦争被害幻想」だけは強化され、加害国の責任は全く問わないまま「唯一の核被害国」というスローガンが日本政府によって利用され、今も利用され続けている。その一方で、日本政府は米国の核戦略、とくに「核抑止力による<平和>という名での世界支配」政策を全面的に支持。��かくして、被害者=被爆者の個々人の痛みが被害国の国家原理だけではなく、加害国の国家原理によっても政治利用され、本来は被害者の個人体験が内包しているはずの国家原理批判力、すなわち国家利益のために市民に「他者を殺し、自分も殺されること」を強制する国家原理を拒否する力が、去勢され踏みつけられている事実を、裕仁とオバマの広島訪問は、かくも象徴的に表している。��空洞化された人道主義的普遍原理を形式的に掲げることによって、実質的には核兵器廃絶にとっては全く無意味で無効なメッセージであるにもかかわらず、それが「グラウンド・ゼロ(核被害の原点)ヒロシマ」から出されるということで、あたかも普遍原理を体現しているかのごとく装うというマヤカシを行うには、広島で演説や会議(例 核不拡散・核軍縮に関する国際委員会会議やG8外相会議など )を行うことが好都合なのである。��したがって、破廉恥にも、2023年のG7サミットでは、「核兵器の最終的廃絶が可能になるまでは核抑止力の維持が必要」という、実際には核兵器永久維持の内容のメッセージまで、広島から世界に向けて発信された。��

27 of 36

では、「原爆神話」とマヤカシの普遍原理�である国家原理を崩していくために、いか�にしたら個人的体験を国家原理に対抗でき�るような強靭なものにできるであろうか?��小田実は次のようなやり方を提案している。��「真に普遍原理をわがものとする方法は、�他者の加害者体験を自分のそれと同時に告�発していくこと」 ― そこにしっかりと足場を置いた反核・反戦・平和運動を展開していくこと。��「他者の加害者体験を自分のそれと同時に�告発していく」方法とは、具体的にはどの�ようなものであるべきなのか。��それは後述するように痛みの共有であると私は考える。�

28 of 36

被団協は自分たちの被害体験証言を反核運動のための最も重要な手段として活用してきた。それはもちろん当然のことである。しかし、その一方で、反核運動として、「人道に対する罪」の加害国である米国の責任を一貫して追求し、謝罪を求めることには極めて消極的である。��戦争責任は、単に加害者だけにあるのではない。被害者もまた、同じような残虐非道な犯罪を誰にも二度と犯させないという、未来に向けての努力を常に行う倫理的責任を、加害者と同じ人間として人類全体に対して負っているのである。そのため、戦争被害者が加害者の責任をあくまでも追求すること、それもまた人間が実践すべき真の普遍原理の追求である。そのことを広島・長崎市民を含む日本の全市民が、深く自覚すべきである。��広島平和公園内の広島平和記念資料館(いわゆる「原爆資料館」)も国立広島原爆死没者追悼平和祈念館のどちらの展示にも、原爆無差別大量殺戮が重大な戦争犯罪であり、その罪を犯した責任は今もアメリカ政府にあるという明々白々の事実については一言も記されてはいない。それどころか、「原爆無差別大量虐殺という犯罪を犯した加害国はアメリカである」という事実に言及する展示物あるいは記念碑は、平和公園内のどこを探しても見つからない!��

29 of 36

�例えば、中国人 ― が戦争被害者として経験した被害、とりわけ自分たちの国家による残虐行為 ― 例えば日本軍による重慶爆撃 ― の被害者と遺族の悲しみと苦痛を、倫理的想像力を働かせて、自分のものとして再体験し、内面化することによって理解しようと努力すること。言い換えれば、重慶爆撃を自分自身の体験であるかのように記憶する心理的プロセスを経ること。そのことによって、はじめて他者からの信頼を得て、自分たちの戦争被害の悲しみと苦痛も深く理解してもらえる。��かくして、互いに相手の忘れがたい苦悩に満ちた経験を自分のものとして内面化しあうことによって、特定の犠牲者集団の苦悩に満ちた記憶は互いに真に共有され、その結果、「痛みの共有」を通してそこに連帯が生まれ、異なる集団に自分たちの記憶も受け継がれることになる。��「痛みの共有」の連帯の輪が国境を超えて深く強く広がっていくことによってこそ、真に親密で平和的な人間関係の網の目が細かく編まれていく。��バーナード・ショーが述べているように、私たちの過去の記憶の仕方は未来に対する責任感を包含しているべきなのである。

30 of 36

戦争の悲惨な記憶は、より良い社会を共に築くために互いに倫理的想像力を働かせながら、異なる国の異なる集団間のこのような相互作用を通してのみ、共有され、保存されることができるようになる。異なる国の人々が個人的記憶を互いに共有することは、国家権力が戦争行為を常に自己正当化する「公式化された歴史記憶」を無効にする最も効果的な方法の一つであると私は考える。�(写真はガザの母親と子ども)

31 of 36

原爆被害だけを一方的に米国市民やアジア諸国市民に向かって発信するのではなく、それらの国々の市民諸個人の戦争被害者 ― 例えば日本軍の虐待を受け殺害された捕虜や民間人の ― 痛みに倫理的想像力を働かせ、彼らやその遺族の苦悩を自己の苦悩として内面化すること。そのことによって彼らにも、自分たちの無差別空爆大量殺戮の痛みを知ってもらい、その相互の個人体験の中に存在する「人間の痛み」という普遍原理で、日米両国の「国家原理」に対抗し、平和な未来を築き上げていくこと。

32 of 36

第2次世界大戦後に引き起こされた大規模戦争である朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン・イラク戦争では、米軍が常に大規模な「戦略爆撃」を展開し、戦争を起こすたびに次々と破壊力・殺傷力が高められた新型爆弾が使用され、多くの民間人が大量殺戮される悲惨なケースが繰り返し行われてきた。ベトナム戦争だけを取り上げてみても、米軍は太平洋戦争で使用した2.4倍の膨大な量の爆弾をベトナムの国土に投下し、7,200万リットルの枯葉剤を南部の70万ヘクタールに撒き散らした。その被害者数の膨大な数は我々の想像を絶する。��ベトナムでのこの無差別殺戮に世界各地から批判が起きたため、1975年の戦争終結から2年後の1977年6月8日には、国際的な武力紛争での民間人保護の目的で「ジュネーブ諸条約第1追加議定書」が国連人道法会議で採択された。

33 of 36

米軍が遠隔操作の無人機ドローンを使って「精密爆撃」をアフガニスタンで行うことが、オバマ政権が発足した2009年から急速に増えた。オバマは2013年5月に、この方法で「国際テロ組織アルカイダの指揮官や工作員らを何人も排除し、テロ計画を破壊した。国内法、国際法上も合法だ」とその効果と正当性を主張した。しかし、実際には20年間にわたるアフガニスタン戦争での民間人死亡者の4万6千人のうちの10%が、この「精密爆撃」による民間人家屋、病院、学校や結婚式場の「誤爆」の被害者であったと言われている(実際にはもっと多いのではないかと推測されるが)。��多くの子どもを含むこれらの死亡者は、「付随的損害」としてかたづけられてしまった。これがノーベル平和賞を授与された米国大統領の政権下で行われた結果だったのだ。

34 of 36

イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザに対する空爆では、軍事攻撃の「標的」を選ぶためにAI(人工知能)を使って大量のデーターを素早く処理する。その結果、3万7千人という数にのぼるパレスチナ人が「ハマス戦闘員の疑い」があるとされ、彼らの動きがマークされ、彼らの自宅も空爆の標的候補としてリストアップされている。一説によると、このAIによる「標的選択」の10%が誤った情報とのこと。さらに問題なのは、AIが認定した「戦闘員」の自宅やアパートが爆撃されれば妻子や近隣住民が殺害され、病院を訪れた「戦闘員」とみなされる者が標的となれば、病院全体が爆撃され多くの市民患者が巻き添えになる。AIは「ハマス戦闘員の疑い」がある人物の攻撃で巻き添えになる市民には、全く注意を払いはしない。その結果が、いまやガザ市街地のほとんどが瓦礫と化し、5万2人を超える死亡者と11万7千人を超える負傷者で、ここでもその7割が女性と子どもである。これらの人々もイスラエル軍とネタニヤフ政権にとっては、単なる「付随的損害」なのである。�

35 of 36

このように、空爆は無人機ドローンやAI(人工知能)という高度技術を次々に導入して「目標」への「攻撃精密度」を高めているはずなのであるが、実際には、逆に無差別殺戮の度合いはますます悪化するばかりである。しかも、これらの高度殺戮技術の被害者たちの肉体や精神は「付随的損害」と呼ばれ、その人間性すら剥奪されて、「損害物」として処理され忘れ去られてしまうのである。��かくして、無差別空爆ホロコーストは第2次世界大戦後も延々と続いているのである。この現実と向き合うとき、我々、とくに原爆ジェノサイドの原点=グラウンド・ゼロ・ヒロシマの市民は、「無差別空爆ホロコーストをいかにすれば終わらせることができるのか?」という問題と真剣に取り組む倫理的責任を、無数の無差別空爆ホロコースト被害者に対して負っているのである。��その倫理的責任を果たすこと ― それが無数の無差別空爆ホロコースト被害者の「痛み」と原爆被害者の「痛み」の共有に向けての重要な一歩であると私は考える。�

36 of 36

ヒロシマの出発点であるべき「痛みの共有」��他者の痛みに胸が締めつけられるとき、まさにそのときが自分の心の中に倫理的想像力が働いているとき。他者の痛みに寄り添える倫理的想像力、言葉にならない何かを受け取る力、それこそが真の知性であり、それが人間を人間として存在させ互いに結びつける縁(えにし)を産み出す力となる。��そのような人間性豊かな倫理的想像力を、いかにしたら私たちは自分たちの心の中に育んでいくことができるのだろうか?無差別空爆ホロコーストという非常に難しい問題に立ち向かうためには、ここから出発しなければならないと私は想う。ここが、ヒロシマの「平和運動」の出発点となるべきところであると私は想う。