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日本学術会議「学問・思想の自由保障委員会」の�1951年の調査

最も自由に研究できたのが太平洋戦争中であった学者の割合

住田 朋久 / SUMIDA Tomohisa

2021年5月22日

1 アンケート調査の書かれ方

2 アンケート調査の結果

3 アンケート調査の使われ方

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はじめに

「日本の学者が最も自由に研究できたのは太平洋戦争中だった」?

2020年6月14日 日本学術会議「安全保障技術研究推進制度を考えるフォーラム」

2021年1月5日 小沼通二「日本学術会議の72年の実像」火ゼミ

山崎正勝「科学者と技術者の社会的責任」2001

小沼通二「初期の日本学術会議と軍事研究問題」『学術の動向』2017年7月号、15頁�https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/22/7/22_7_10/_article/-char/ja/

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1 アンケート調査の書かれ方

村上陽一郎「科学・技術の戦後七十年」(『学士会報』913号(2015年7月)、『移りゆく社会に抗して――三・一一の世紀に』青土社、2017年)。「70%近くの人が戦時中と答えた」。

『日本近代科学史』

講談社学術文庫

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2 アンケート調査の結果

日本学術会議第11回総会(1951年10月16~18日)資料「学問思想の自由保障委員会報告書」(報22総会11)

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2 アンケート調査の結果

武田清子(1960)

C.あなたの過去の研究をかえりみて、次の5つの時期のうち、いつが最も自由に研究できましたか。順位をつけてその理由をお教え下さい。

[ ]内は追記したもの。武田(1960)には「回答数は955人」とあるが回答数の総計は951となった。

http://id.nii.ac.jp/1130/00000427/

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3 アンケート調査の使われ方

伏見康治(1952)� 巨額の原子力予算。� 事態の深刻なことを十分に把握していない。

坂田昌一(1953)� 巨額の原子力予算。� 学問の自由という問題に対する意識が低い。

武田清子(1960)� 主体の問題を忘却した、唯物的、功利的な科学万能主義。

廣重徹(1960)� 産業界からの要求に応える科学技術振興政策。体制側のコントロール下に編成されようとしている。

湯浅光朝(1961)� 占領下の科学者の海外流出。科学者の絶望的な気持ちの反映。

村上陽一郎(1977)� 戦時中の科学研究が恵まれていた。

村上陽一郎(1994)� 科学技術政策が必要となった。

山崎正勝(2001)� 戦時研究への動員。 

池内了(2016)『科学者と戦争』� 研究費の高さ。 

山本義隆(2018)� 戦時下の科学技術ブームに満足。

池内了(2019)� 研究資金の多さ。「戦争を科学(の発展のため)に利用する」

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まとめ

1930年からの5年ずつで「最も自由に研究できた時期」として少なかったのは、1940~44年と1945~49年だった。

いくつかの書籍は重版の際に訂正が必要。

もちろん、太平洋戦争中には日本学術振興会研究費や科学研究費交付金によって研究費が拡充されており、自由に研究できたと感じる学者がいたとしても不思議ではない。

その後の研究から学ぶことは多い。

『科学史研究』277号(2016年4月)特集「戦前・戦中期における学術支援体制の形成」など。https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jhsj/55/277/_contents/-char/ja

日本学術振興会/文部省科学研究費交付金

応用研究を目的としない純粋研究としての基礎研究/応用につながる基礎研究(森脇江介)�https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhsj/55/277/55_22/_pdf/-char/ja

協力:田中駿介氏・山崎正勝氏・横井謙斗氏

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