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『大いなる人の八つの悟り』を参考に

ブッダの教えを確認する

令和4年5月18日  高野寿明

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『大いなる人の八つの悟り』という経典について

ペルシャの僧である安世高によって

後漢時代に洛陽で翻訳されたとされる経典で

原典は数個の小分が統合されたものとのことです。

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これから試みたいこと

ヴェトナム人の禅僧、ティクナット・ハン著の

『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』島田啓介訳 野草社

に、『大いなる人の八つの悟り』が紹介されていました。

そこに紹介されていた八つの悟りというものから

ブッダの教えを確認してみたいと思います。

(なお、解説・解釈はティクナット・ハンのものではなく前述書籍の抄訳でもありません。)

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悟った人が知っていること

大いなる人、すなわちブッダや阿羅漢が知っていることを

八つの悟りとしてまとめています。

その八つは次のようにまとめられています。

(この文言は前述のティクナット・ハン著

『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』島田啓介訳 野草社

より引用いたしました。)

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1.この世が無常であることへの気づき

2.欲が増せば苦しみも増すことへの気づき

3.人間の心は常にみずから所有することを求め

  決して満たされないことへの気づき

4.怠惰がどれほど実践の障害になるかについての気づき

5.誕生と死の無限の繰り返しの原因は無智であるということの

  気づき

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6.貧しさが憎しみと怒りを生み、さらに

  ネガティブな考えや行動のもとになることへの気づき

7.五種の欲が困難をつくり出すことへの気づき

8.誕生と死の炎が燃え上がり、あらゆるところに

  永遠の苦しみを引き起こしていることへの気づき

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①これら1〜8の気づきから、

 どんなことが学べるのでしょう?

まず、1から8まで順に内容を見ていきましょう。

ここを手がかりとしながら、仏陀の教えを確認していきます。

その後で、理解すべきことがらと実践すべきことがらに分けて

整理していきたいと思います。

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1.この世が無常であることへの気づき

悟った人は、

この世が無常であるということを知っています。

無常とは常に変化していくこと、という性質にとどまらず

生まれて、栄えて、衰えて、消えていくという性質のことです。

変化して変わっていくよね、という単純なことではなく

生まれて消えて、生まれて消えてということがポイントです。

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無常であることと

苦という性質・無我という性質はどう関係しているのか?

ここでは無常についてのみ語られていますが

無常性と苦性と無我性について確認しておきましょう。

この3つは同一の現象の異なる視点からの見え方です。

・苦性は無常性と渇愛の対象へ執着してしまうという視点から眺 められた現象です。

・無我性は無常性と縁起(一切のものは依存関係にある)という 視点から眺められた現象です。

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無常・苦・無我の性質について

・無常性:常なるものはなく、安定しているものはなく、

     すべては変化する。

     生じ、衰え、滅していく状態。

・苦性 :無常性から常に不完全な状態を免れることなく、

     渇愛あるものはその対象に執着し

     苦しみを生じる状態。

・無我性:自分とは固定した何かではなく、

     依存関係にあり、

     変化し続ける流動的な存在であるということ。

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2.欲が増せば、苦しみも増すことへの気づき

悟った人は

欲が増せば、苦しみも増すということを知っています。

苦しみが増大することと欲が増大することには関係があるということですね。

欲求することは生命の本質で、自然なことであって、当然至極なこと。自然なことはありのままで善いことだと思いたくもなりますが、悟った人は世界を違った見方で見ていて、そうではないことを知っているのです。

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ここでは2つのポイントについて確認しておきましょう

(ⅰ)執着が強くなるほど、苦しみも強くなる

(ⅱ)苦の正体は身体と心の働きに対する執着であり

   苦の原因は抑えられない欲求への執着であるという真実

   (四聖諦の苦諦と集諦)

四聖諦に関しては

仏陀の教え(四聖諦簡略版)をご参照願います

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3.人間の心は常にみずから所有することを求め

  けっして満たされないことへの気づき

悟った人は

人間の心は常にみずから所有することを求め、けっして満たされないということを知っています。

気に入っているものを、私のものだと主張したいという所有欲は誰しも持っていることでしょう。

私のものだと思えることで安堵感や優越感が生まれたりします。

どれほどのものを得たらもう十分と言えるのでしょう?

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どれほどのものを所有し一時的な満足を得られたとしても

別のなにかに心を奪われてしまったり

得たものが壊れていくことに怯えたり。

・どうして求めてしまうのでしょう?(心の性質)

・どうして満たされることがないのでしょう?(苦の性質)

・この厄介な問題から自由になるにはどうしたらよいのでしょ  う?(少欲知足の実践)

これら3つのことについて見ていきましょう。

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(ⅰ)心の性質(常にみずから所有することを求める)

このことの本質は、相当に難しく、理解し難い問題なのです。

外にあるものに対しても、内にあるものに対しても

これは私のものではない

これは私でなない

これは私の我(永遠不滅の自己)ではない

と正しく知ってないために生じていることなのです。

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すべて『自分』に引き寄せて考え、行動する

何かを獲得すること。状況が変化していくこと。

その中心にあるのは『自分』

『自分』というものを中心に置くことによって

幸せや不幸せを感じています。

外や内にある欲している対象に対して、自分に引き寄せて考えてしまい、あたかも自分そのものであるかのような自己同一化という錯覚を起こしているのです。

自分そのものという思い・錯覚が執着を生んでいます。

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そもそも自分の実体はどこにあるの?

自分とは固定した何かではなく、依存関係にあり、変化し続ける流動的な存在です。

人間を身体と心の働きと見たとき、

身体があり、感覚があり、想念があり、意思があり、意識がある

このような存在として見立てられます。

そのいずれにも、固定した何かと呼べるものが見つからず、

あれがあってこれがあるという関係性を離れて存在し得ないことが分かります。

そもそも、永遠不滅の自分がいるということは錯覚なのです。

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自分という錯覚が所有することを求めている

自分が何かも知らず、内にあるものも、外にあるものも

錯覚された自分と同一化してしまう。

こうなると分かち難い思い、自らのものにしたい思いからは離れることは難しいでしょう。

人間の心が常にみずから所有することを求めてしまうのは

揺るぎなく存在している私は、錯覚である、ということに気づいていないことから生じているのです。

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(ⅱ)苦の性質(けっして満たされることはない)

このことは苦の性質の本質です。

無常性から常に不完全な状態を免れることはありません。

そして得たと思っているものも、常なる変化を免れることなく、壊れていくのです。

また永遠不滅の自分がいるという錯覚がある限り

無常を正しく見ることが出来ず、当然受け入れることも出来ず、

真実から離れているので、けっして満たされることはないのです。

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(ⅲ)少欲知足の実践

話が難しくなってしまいました。

ここでは欲との関わり方の理解を深めるという趣旨で

少欲知足の実践について紹介します。

衣食住薬に対して、どれくらいは必要なのか、どれくらいなら十分といえるのかを考えることから向き合っていきましょう。

人によっては衣類は自らを飾るものですが、暑さ寒さあるいは害虫から身を守るものと捉えている人にとっては質素な布一枚でもこと足りると思うことでしょう。

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まずは自分にとっての必要は何だろうと考えてみるところから始めてみましょう。

これくらいでも十分かもという習慣に馴染んでくると

自然に心も耐える力や精進努力する力が養われます。

みずからを養いやすいものへと成長させてくれるのです。

衣・食・住・薬

これら必要とされるものについて、どれくらいが自分にとっての十分かを見つめ直してみること、そして実践してみることが

少欲知足の実践です。

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とても大事な注意点を知っていて下さい

少欲知足の実践を無欲の実践と勘違いしないでください。

無欲を求めようとしないでください。

無欲を求めてはいけません。

必要は満たしていくのです。

これは極めて重要なことです。

その必要とする物や量に、人それぞれ程度の違いはあるにせよ

必要なものは必要なのです。

必要なものをなくしてはいけません。

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4.怠惰がどれほど実践の障害になるかについての気づき

悟った人は

怠惰がどれほど実践の障害になるかということを知っています。

ブッダが彼の弟子たちに遺言として最後に語ったことは

諸々のことは過ぎ去るものである

怠ることなく修行を完成しなさい

でした。

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怠惰(怠ること)とは何でしょう?

怠ることがないとは次の2点があることです。

(ⅰ)常に気づきが働いていること

(ⅱ)正しい努力が実践されていること

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(ⅰ)常に気づきが働いていること

不放逸であることとも呼ばれます。

八正道の一支である、正しい気づき(正念)を修習することです。

正しい気づきは、危難を回避しながら注意して歩むことを助けてくれるのです。

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(ⅱ)正しい努力が実践されていること

八正道の一支である、正しい努力(正精進)を修習することです。

正しい努力は、前に進む力を与えてくれるのです。

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正しい努力

  • 今までしたことのない悪いことを

これからもしない努力をする

  • すでにしたことのある悪いことを

これからはしない努力をする

  • 今までしたことのない善いことを

これからはする努力をする

  • これまでしたことのある善いことを

これからもますますするように努力する

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善いこと・悪いこと

善悪とは価値観を含んでいます。

価値観は人それぞれ異なっています。

ここでは善悪を次のように捉えます。

・善とは苦を減らしていくもの、消滅させていくもの

・悪とは苦を生み出し、増幅させるもの

十善を善いこと、十悪を悪いこと

このように考えると実践の助けになるでしょう。

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十善とは

  • 生き物を殺すことから離れる
  • 与えられていないものを取ることから離れる
  • 邪な性的行為から離れる
  • 嘘から離れる
  • 互いを引き離す言葉から離れる
  • 悪口・乱暴・粗暴な言葉から離れる
  • 無駄話から離れる
  • 過度な貪り(欲求)から離れる
  • 過度な怒りや悪意から離れる
  • 正しい見方をする

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十悪とは (十善の反対の行為)

  • 生き物を殺す
  • 与えられていないものを取る
  • 邪な性的行為をする
  • 嘘を言うこと
  • 互いを引き離す言葉(告げ口)を言う
  • 悪口・乱暴・粗暴な言葉を言う
  • 無駄話(内容のない話)をする
  • 過度な貪り(欲求)を求める
  • 過度な怒りや悪意を抱く
  • 邪な見方をする

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(ⅲ)怠惰から離れる要因

正しい見方が現れることです。

八正道の一支である正しい見方(正見)を修習することです。

正しい見方は、歩んでいく道を示してくれるのです。

正見を導くものとして次の3つは重要です。

1.不放逸(気づきが欠くことがない)

2.如理作意(正しい方法で思考する)

3.善友と親しむ(外からの善い影響を得やすくする)

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ブッダの遺言を振り返ってみると

ちなみに先程の修行者に向けた遺言の言葉をもう一度振り返ってみたいと思います。

諸々のことは過ぎ去るものである

怠ることなく修行を完成しなさい

諸々のことは過ぎ去るものであるは、正しい見方を示し

怠ることなく修行を完成しなさいは、正しい気づきと正しい努力を示していますね。

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正見・正念・正精進の三支は、八正道全体を支え、すべての支の修習に対して必須です。

諸々のことは過ぎ去るものである

怠ることなく修行を完成しなさい

個人的な感想なのですが

この言葉だけで、八正道の軸が余すことなく述べられていることに気づいたとき、驚嘆いたしました。

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5.誕生と死の無限の繰り返しの原因は

  無智であるということの気づき

悟った人は

誕生と死の無限の繰り返しの原因は、無智であるということを知っています。

誕生と死の無限の繰り返しが生じていることを認められないとする方がほとんどだと思いますが、悟った人はこれは事実であると知っています。

更にその原因は無智(無明)だと言うのです。

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(ⅰ)輪廻

誕生と死の無限の繰り返しとは輪廻のことです。

大きな誕生と死という現象に目を奪われてしまうのですが

誕生と死は実は毎瞬毎瞬起こっています。

すべての現象は常に生じて滅しているのです。

私たちが生き続けていると思っている間にも、

実は生と死は繰り返されており

先程まであった心は消え去り、新しい心が生まれています。

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(ⅱ)輪廻とカルマの関係

無常という性質は生まれ、衰え、滅していくということ。

ではどうして新しい生まれが生じるのでしょう?

その答えがカルマ(業)にあるのです。

生命が生き続けている理由、輪廻を続けている理由、続けざるを得ない理由はカルマです。

例えてみるとカルマとは都度くべられている燃料のようなものです。

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(ⅲ)カルマとは?

カルマとは行為のことです。

行為は身体・言葉・思い(心のなかで決めていること)でしていることです。

カルマという言葉に良いも悪いもないのですが、身体・言葉・思いで行ったことが善行為、不善行為かによって、異なる現象が引き起こされます。その善い悪いという結果を含めてカルマという言葉が認知されているのでしょう。

生命が身体・言葉・思いのいずれかの行為をしている限り、生命が輪廻から離れることは出来ません。

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(ⅳ)カルマが生み出される要因としての無智(無明)

ブッダが発見したこと

それは、輪廻から脱することが可能であるということです。

更に、どうしたらそのことが可能になるかという方法を見出したことです。(その方法が八正道です)

身体・言葉・思いでしている行為が、一体何に依っているのかを観察し、分析し、検証し、解明しました。

その根源にある原因、それが無智(無明)なのです。

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(補足)

単純に身体・言葉・思いで行っている行為の依っているところは無明であると述べてしまいましたが、これは正確ではありません。

行為を善行為・不善行為に分けたとき、不善行為の原因は無明に依っていますが、善行為は智慧に依るものです。

善行為はその結果として、無明の働きを弱めていきます。

最終的にカルマを生じることのない行為のみが残り、作られていたカルマによる現象化が終えられたとき、必然として輪廻が消えるのです。

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(ⅴ)無明(真実を知らないこと)

無明とは真実を知らないこと、惑いのことです。

無明こそがあらゆる煩悩の原因です。

無明ゆえに貪り・怒り・愚かさ(貪瞋痴)は生まれています。

無明は全ての煩悩の原因、煩悩のおおもとではありますが、

決して無明そのものを明るみに見ることは出来ません。

縁起を通してのみ、その働きに気がつくことが出来るのです。

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6.貧しさが憎しみと怒りを生み、さらに

  ネガティブな考えや行動のもとになることへの気づき

悟った人は

貧しさが憎しみと怒りを生み、さらにネガティブな考えや行動のもとになるということを知っています。

正に負のスパイラルといったことですが

原因となっている貧しさとは

満たされていないということです。

どうしたら身体も心も満たしていけるのでしょう?

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(ⅰ)心の貧しさとしての不寛容

心身を満たすためのトレーニングとして、3で取り上げた

少欲知足の実践は有効です。

ここでは更に発展的なトレーニングについて語りたいと思います。

そのために、憎しみと怒りを生む母体である

心の貧しさとしての不寛容について見ていきましょう。

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(ⅱ)不寛容

デジタル大辞泉によると

心がせまく、人の言動を受け入れないこと。他の罪や欠点などをきびしくとがめだてすること。また、そのさま。

という意味でした。

ここからも読み取れるように、自分の考えに対して執着があり、

それと異なるものに対して抵抗を強く感じています。

それぞれが異なる考え方をするという当たり前のことを受け入れられずにいます。

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不寛容であるとき当然ながら視野は狭くなり

それぞれの違いを認めることも出来ません。

自分の世界の正しさのみにとらわれ

それと相容れないものに対して苛立たずにはいられません。

不寛容であることを貫くために、外部を閉ざし自分だけの世界に埋没していくこともあるでしょう。

いずれにしても不寛容であることで

心身が満たされることはないでしょう。

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(ⅲ)不寛容から離れるためには

不寛容から離れるためには、寛容な心を育てるしかありません。

大きく広い心を育てる努力をすることを決意するのです。

言っていることは最もだけど、そんな180度ひっくり返すようなこと、やれる訳がない。と思われるかもしれません。

けれどもそれは思い込みであり、また自分を変えたくないという抵抗が囁いている声なのです。

ただ自分で縛っているとらわれに気づいていくことで

次第にその縛りが解けていきます。

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慈悲喜捨の心

寛容な心、大きく広い心、あるがままを受け入れられる心

その心は四無量心と呼ばれ、量ることの出来ないほど大きな心で

4つのそれぞれ異なる状態の心があるのです。

・すべての生命の幸せを願う心(慈)

・すべての生命の苦しみがなくなることを願う心(悲) 

・すべての生命の喜びを共に喜びあえる心(喜)

・すべての生命のあるがままを尊ぶ心(捨)

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四無量心の育て方

すべての生命の幸せを願う心を育てるには

(1)私が幸せでありますようにとしっかりとイメージする

(2)私から私の親しい人へと範囲を広げながら

   その人が幸せでありますようにとしっかりイメージする。

(3)どんどんと範囲を広げながら、人を越え、

   あらゆる生き物、神々へ、生きとし生けるものが

   幸せでありますようにとしっかりイメージしていく。

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・すべての生命の苦しみがなくなることを願う心

・すべての生命の喜びを共に喜びあえる心

・すべての生命のあるがままを尊ぶ心

に対しても同様に行う。

イメージすること、そのような心でありたいという気持ちを育てていくことが大切です。

繰り返していくうちに心の変化が現れます。

試してみてください。

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7.五種の欲が困難をつくり出すことへの気づき

悟った人は

五種の欲が困難をつくり出すということを知っています。

見えるもの・聞こえるもの・香るもの・味わえるもの・触れるものに対して、快楽を感じて執着してしまうのです。

この結果、苦しみが生まれています。

この苦しみは貪り・怒り・惑いという煩悩を誘発して

新しい無明の原因となるのです。

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五種の欲

私たちには身体があり、感覚を感じ取れる働きがあります。

目があり、耳があり、鼻があり、舌があり、身体があり、

それぞれに対応する感受できる対象があります。

見えるもの・聞こえるもの・香るもの・味わえるもの・触れるもの

この5つの対象を五種の欲と呼びます。

快楽の感覚を生じさせたり、渇愛の対象になっているからです。

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触の理解

例として目と見えるものについて考えてみましょう。

目という感覚器官があります。

外部に光や色や姿かたちというデザインなど様々な、目という感覚器官を刺激する対象があります。

その両者が今あるなという無意識の認識が働きます。

この三者が組み合わされたとき、触(接触)という働きが生まれるのです。

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触(接触)⇒ 受(感覚)⇒ 想(想念)⇒ 行(意思)

触(接触)が生まれると、何らかの感覚が生まれます(受)。

快い感覚、不快な感覚、どちらとも判断できない感覚

このいずれかが生まれます。

この感覚から、何らかの概念や何らかのイメージや生まれたり、過去の記憶が呼び起こされたりします(想)

何らかの概念が生まれると、それに対して何かしらの心の形成があり、何かしらの意思を伴った行動(身体・言葉・思い)が生まれるのです。

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三毒(貪り・怒り・惑い)

三毒はこういった過程を経て生まれています。

感覚器官があることも、感じさせる対象があることも、それがあると認識することも自然なことであり、制御できるものではありません。

また接触があり感覚が生まれることも同様です。

しかしながら想においては分岐点があります。

そして行は変えられるのです。

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分岐点

好ましい感覚とただ貪るのか、好ましくない感覚をただ嫌うのか

そうではなくて

好ましい感覚にも危難を知ること、好ましくない感覚にも恩恵を知ること

このことで貪り・怒り・惑いを生み育てるルートから分岐していけるのです。

これを可能としているのが八正道の実践なのです。

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8.誕生と死の炎が燃え上がり、あらゆるところに

  永遠の苦しみを引き起こしていることへの気づき

悟った人は

誕生と死の炎が燃え上がり、あらゆるところに永遠の苦しみを引き起こしているということを知っています。

輪廻の世界を生命はそう悪いものでもないと思っています。

苦しいことがあっても、時に忘れてしまいますし

夢中にさせてくれる快楽の感覚がありますから。

けれども悟った人は、それが幻であると知っています。

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悟った人は幻ではなく真理を観る

幻を生き続けていると、違和感を感じることになり

心は満たされないのです。

それゆえ、悟った人はこう勧めるのです。

輪廻の世界は苦しみと切っても切り離すことは出来ないこと悉く知って

輪廻から離れた道を歩むことを目指しなさい

と。

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②1〜8の気づきから見えたキーワード

1.無常を知る・無我を知る

2.四聖諦を知る

3.遠離の実践(少欲知足の実践・不放逸の実践)

4.無我を受け入れられない心があると知る

5.輪廻とカルマの関係を知る・カルマの性質を知る

6.無明を知る。その原因である三毒を知る。

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7.心の貧しさとしての不寛容を知り、慈悲喜捨の心を育てる

8.すべての現象は依存関係にあるという縁起を知る

9.苦滅の道を歩むことを目指す

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③ブッダの教えを理解すべきことがらと

 実践すべきことがらに分けて整理してみる

ここから②でピックアップしたキーワードを

理解すべきことがらと実践すべきことがらとに分けて

整理していきます。

本来的には理解すべきことがらも体験を経て確証されるべきことがらです。

一つの道案内として参考になればと思います。

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1.理解すべきことがら

(ⅰ)無常を知る、そして無我を知る

   すべて『自分』に引き寄せて考え行動しているという

   幻想を知る

(ⅱ)カルマの性質を知る

   (1)心に基づく。生じたものを引き受ける

   (2)善行為・不善行為を知る 

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(ⅲ)すべての現象は依存関係にあると知る(縁起)

   (1)無明が三毒を生み、また三毒が無明を生んでいると      いう真理

   (2)十結がなくなれば苦が滅尽するという真理

   (3)八正道の実践が苦を滅尽するという真理

すべて原因と結果、縁って起きる、

これがなければ生じないという

法則性ゆえに可能となるとなっているということの理解が重要です。

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(ⅳ)四聖諦を知る

  (1)苦とは 

     ⇒ 満たされることはないと知る

       五蘊・十二処・五蓋・十結を知る

  (2)苦の原因とは

     ⇒ 渇愛が原因である(欲愛・有愛・無有愛)

  (3)苦の滅とは

     ⇒ 苦は滅することができる

       苦が完全に滅せられた状態=涅槃

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   (4)苦を滅する道とは

     ⇒ 八正道の実践は渇愛を消滅させ、

       無明を消滅させる

       (五蓋を滅し、十結を滅する)

(ⅴ)八正道の実践を助けるものに親しむことの利を知る

   (1)善友と親しむ

   (2)ブッダの教えに親しむ

   (3)不放逸であること

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2.実践すべきことがら

(ⅰ)八正道の実践

   戒を実践し 心を整え 智慧を開き

   あるがままの真理を観る

(ⅱ)遠離の実践

  (1)足るを知る(少欲知足の実践)

     ⇒ 衣食住薬に対して

  (2)足るを知らず(不放逸の実践)

     ⇒ 心を育てることに対して

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(ⅲ)三毒の危険を知り、離れていく

(ⅳ)心の貧しさとしての不寛容を知り、慈悲喜捨の心を育てる

(ⅴ)八正道の実践を助けるものに親しむ

  (1)善友と親しむ

  (2)ブッダの教えに親しむ

  (3)不放逸でいる

(ⅵ)苦滅の道を歩むことを決意し

   正見・正精進・正念をたずさえて歩むこと

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お疲れさまでした

サードゥ

サードゥ

サードゥ