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西園寺公望

  さい おん じ きん もち

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基本情報

出生地:京都府京都市

2つ名:最後の元老

生年月日:1894年12月7日

死亡年:1940年11月24日

前職:内閣総理大臣

政党:立憲政友会

出身校:ソルボンヌ大学

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年表

1849 誕生する(名前は美丸)

1851 西園寺師季の養子となる

1868 三職の一つ、参与の一人になり、更に新潟府知事になる

1871 フランスへ留学のために出国する

1880 日本へ帰国する

1881 「東洋自由新聞」の社長になる

1881 参議院議官補になる

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年表2

1882 伊藤博文とともにヨーロッパに訪問する

1883 日本へ帰国する

1883 参議院議官

1885 オーストラリア=ハンガリー帝国公使になる

1888 ドイツ帝国兼ベルギー公使になり、ベルリンへ行く

1891 日本へ帰国し、賞勲局総裁に任じられた

1892 民法商法取調委員長になる

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年表3

1893 貴族院副議長、法典調査会副総裁(総裁は伊藤博文)になる

1894 文部大臣になる

1895 陸奥宗光首相が病気のため、外務大臣臨時代理

1896 5月 正式な首相となる

1896 8月 伊藤内閣が倒れ、辞任し、フランスへ旅立つ

1897 虫垂炎にかかり、日本に帰国

1898 1月 第3次伊藤内閣が成立し、再び文部大臣になる

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年表4

1898 4月 虫垂炎の後遺症を発病し、辞任する

1900 伊藤による立憲政友会旗揚げに創立委員として参画し、最高幹部である総    務委員の一人となった

1900 10月 第4次伊藤内閣が発足したが、伊藤は当時病中だったので、10月か      ら、12月まで内閣総理大臣臨時代理と枢密院議長になる

1906 第一次西園寺内閣が成立する

1908 山笠伊三郎逓信大臣と阪谷芳郎大蔵大臣ともに辞表を出すが、西園寺公望    のみ却下されるが、7月に総辞職する

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年表5

1911 8月 第二次西園寺内閣が成立する

1912 12月 上原勇作陸相が二個師団増設を要求して受け入れられず、辞職し、      後継陸相を得られないことで内閣は存続不可能になり、総辞職する

1916 10月 元老の一人になる 

1919 パリ講和会議のため、フランスへ行く

1920 公爵に陞爵する

1928 大勲位菊花章頸飾を受賞

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年表6

1973 帝国経済顧問を辞める

1940 11月24日 亡くなる

   11月25日  特旨によって準一位追昇する

   12月5日、国葬。遺言の指示通り、書簡、資料類が焼却される

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西園寺公望の2つ名である最後の元老の「元老」とは

明治時代後期より昭和の太平洋戦争前まで,天皇を助け,最高政策の決定や後継首相の選任に重要な影響力をもった政治家です。また、憲法の規定外の存在でした。そして、最後に元老になった人が西園寺公望です。西園寺公望が亡くなるとともに元老の制度も消滅しました。

この人が西園寺公望

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西園寺公望のすごいところ

僕が思う西園寺公望の凄いと思うところは、政党政治の成立に尽力をつくし、陸軍の横暴と闘ったことです。理由は、陸軍と闘ったら、殺されるおそれもあるのに、それでも政党政治を貫いたからです。

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最後まで見てくれてありがとう!!

もっと西園寺公望について知りたくなったら、調べてみてね!!

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出典一覧