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Viññāṇa(識)の理解

仏教とはこころの勉強と育成です

識(viññāṇa)の世界

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初期仏教は二次元論

  • 一切の現象はnāma (名)rūpa(色)です。
  • rūpa(色)とは物質です。
  • nāma (名)とはこころです。
  • こころとは認識機能です。
  • 宗教家は存在を身体と魂と分析して、魂こそが実体で永遠不滅だと説きます。
  • 続いて、全ては「我」であると一元論に進みます。

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命/生命の意味

  • 名・色と言えば、全存在のことを二次元で観ることになります。
  • 物質の一部を取りあげてみると、その物体に認識機能があるとしましょう。
  • それは、個で、生命です。
  • 知る能力は集まっている物質によって、リミットされます。
  • 各生命体が知る世界は同一ではないのです。

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生命の次元

  • 1.物体/身体と心がある生命。
  • 地獄、餓鬼、畜生、人間、神々 - 欲界kāma loka
  • 色界の梵天 rūpa loka
  • 2.物体がなく、こころ機能だけがある生命。
  • 無色界の梵天 arūpa loka
  • 3.こころの機能がなく、物体だけの生命。
  • Asañña sattā

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生命の次元

  • 物質がこころを支配している世界は欲界です。
  • 眼・耳・鼻・舌・身・意から色・声・香・味・触・法という情報を取り入れて、こころが回転・生滅/変化する次元です。
  • こころが物質を支配している世界は色界です。
  • 身体がこころの居場所ですが、こころは自由に禅定状態で活動します。

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生命の次元

  • 物質に依存しないで、こころは無色界で活動します。
  • 要するに、この生命には身体がないのです。
  • Asañña sattāとは、修行によって、こころを一時的に停止させている生命体です。
  • 再びこころが活動するための居場所として物質(身体)があるが、電源を切った電気製品のような存在です。

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次元の決めかた

  • 当然、こころ(viññāṇa)が決めなくてはいけないが単純ではありません。
  • こころは認識することによって、エネルギーを溜めます。
  • 業(kamma)、行(saṅkhārā)と言います。
  • 地獄から梵天界までの生まれは各生命のこころのポテンシャルによって起こるのです。
  • 行為による結果なので、「こころは自由・不自由」と言えません。

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六識

私たちの世界

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六識

  • 眼・耳・鼻・舌・身とこころがデータを受け取る場所(窓口)は五つあります。
  • こころは外の情報に頼らず、自分自身で認識することもあります。その場合はこころに意(mana)と言います。
  • 従って、眼・耳・鼻・舌・身・意という認識場所が六つあって、受け取る情報の種類は色・声・香・味・触・法という六つです。

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六識

  • 眼>色>眼識 <chakkhu viññāṇa
  • 耳>声>耳識 <sota viññāṇa
  • 鼻>香>鼻識 <ghāna viññāṇa
  • 舌>味>味識(舌識) <jivhā viññāṇa
  • 身>触>身識 <kāya viññāṇa
  • 意>法>意識 <mano viññāṇa

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条件(因縁)より起こる制限

  • こころは自由自在に、無制限に、働くことはできません。
  • 眼耳鼻舌身という身体に囲まれているのです。
  • 入る情報は制限されています。
  • 意もその情報に基づいて働きます。
  • 各生命は知る世界が変わるのです。
  • それで、自分だけの主観・自我の世界を作るのです。

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純粋こころ

パッケージのこころ

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こころとその中身

  • 純粋のこころは存在しない。
  • 認識機能がこころ(純粋)だと定義しています。
  • しかし、認識するために、条件が必要です。
  • 認識することによって、こころが変わります。
  • それは、こころとその中身(心・心所citta/cetasika)として区別して説かれます。

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こころの差違

  • 純粋こころは生命に平等であるとは理論的立場です。
  • 心の中身(心所)で差が起きます。
  • 善心、悪心、浄心、不浄心、理性人、愚か者等々は心所の差です。
  • 「あなたは人間ではない、獣です」と怒鳴る時も、相手の心所を示しているのです。

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こころが変わりますか?

  • こころという機能は自由に働きません。
  • 心所が必要です。
  • 心所が変わると、それに合わせてこころ(認識機能)も変わります。
  • 恨みのこころと慈みのこころは互い違いです。
  • それは心所の差です。
  • 心所の力が強くなると、こころも強くなります。

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識蘊

私とは五蘊のこと

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五執蘊

  • 蘊(khandha)とは組織・システムという意味です。
  • 物質的な身体は色蘊です。(rūpakkhandha)
  • 身体にある感覚システムは受蘊です。(vedanākkhandha)
  • 認識するとき現れる、1.参考する、2.新たに作る無数の概念は想蘊です。(saññākkhandha)
  • こころの衝動は行蘊です。(saṅkhārakkhandha)
  • 認識機能は識蘊です。(viññāṇakkhandha)

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五蘊の関係

  • 名・色(nāma-rūpa)は相互依存なので、特定の条件でなければ分離しないのです。
  • 名蘊(受・想・行・識蘊)は一体に働きます。分離は不可能です。
  • 一般的に「こころ」と言っているのは受蘊・想蘊・行蘊・識蘊という四つの組織です。

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こころを知る方法

  • こころは認識機能なので、認識機能で認識機能を認識することはできません。
  • 心は自分と同時に現れる心所を認識するのです。
  • 無知、怒り、嫉妬、舞いあがり、落ち着きなどの心所を知ることは心を知ることです。
  • 拡大したこころ、狭いこころ、サマーディのこころなどを言うときも、心所でこころを発見するのです。

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こころの育てかた

満たされてないこころは物質を弄るが、物質に成長はありません。こころを育てるのです。

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心所を育てる

  • 基礎心所、不善心所、善心所があります。
  • 不善心所を避けて、善心所を繰り返し作ります。
  • 方法は様々です。善行為、戒を守る、瞑想するなど。
  • 善心所と共に、基礎心所は強化します。拡大します。
  • 執着する、依存する方向への認識は不善です。
  • 無執着、離れる方向への認識は善です。
  • 離れることの完成は解脱です。

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瞑想実践

こころを育てることに集中することです

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サマーディ・集中力

  • 複数の対象を認識すると、こころが対象の間で走り回ります。
  • いい加減に認識します。
  • 一つの対象を無理に認識させることはサマーディ瞑想です。
  • 無執着と、離れる方向へ進む対象を選んでサマーディ瞑想を行います。
  • 汚れた対象に集中してもサマーディは起きません。

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Vipassanā 観察実践

  • 難しいですが、認識機能を育てるのです。
  • 結果としてありのままにものごとを認識できて、真理を発見するのです。
  • 成功すると輪廻転生を終えるのです。
  • それも、心所に頼らないと実践は不可能です。
  • 気づき・satiという心所を育てるのです。

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覚りを開くために

  • 気づきから初めて、徐々に善心所を育てるのです。
  • 必要な善心所は七覚支、三十七菩提法、五力、五根などの用語で説かれています。
  • 四念処とは気づきの育てかたです。
  • ヴィパッサナー実践の修行者はあえて、無執着・離れることに重点を置きます。
  • 集中力は欠かせないが、目標ではありません。

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解脱を認識するこころ

  • 認識するとは識が対象を認識することです。
  • 一切の対象は無常です。
  • ?認識が起きないという認識は?解脱を認識するこころです。(viññāṇaṃ anidassanaṃ
  • (例え):無数の形の風船を飛ばしましょう。風船を見れば、空気の形を見られる。
  • 風船をわってみて、空気を確認しましょう。

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三宝のご加護がありますように

ご静聴を感謝いたします

生きとし生けるものが幸せでありますように

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祈願

  • Dukkhappattā ca niddukkhā
  • Bhayappattā ca nibbhayā
  • Sokapattā ca nissokā
  • Hontu sabbepi pāṇino
  • 苦しんで悩む生命が苦しみなく、
  • おそれて悩む生命がおそれなく、
  • 悲しんで悩む生命が悲しみなく、
  • 一切の生命が安穏でありますように。

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Consciouness is not self

  • 391. ‘‘Cakkhuṃ, āvuso channa, cakkhuviññāṇaṃ cakkhuviññāṇaviññātabbe dhamme ‘etaṃ mama, esohamasmi, eso me attā’ti samanupassasi? Sotaṃ, āvuso channa, sotaviññāṇaṃ…pe… ghānaṃ, āvuso channa, ghānaviññāṇaṃ… jivhaṃ, āvuso channa, jivhāviññāṇaṃ … kāyaṃ, āvuso channa, kāyaviññāṇaṃ… manaṃ, āvuso channa, manoviññāṇaṃ manoviññāṇaviññātabbe dhamme ‘etaṃ mama, esohamasmi, eso me attā’ti samanupassasī’’ti?
  • ‘‘Cakkhuṃ, āvuso sāriputta, cakkhuviññāṇaṃ cakkhuviññāṇaviññātabbe dhamme ‘netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti samanupassāmi. Sotaṃ, āvuso sāriputta…pe… ghānaṃ, āvuso sāriputta… jivhaṃ, āvuso sāriputta… kāyaṃ, āvuso sāriputta… manaṃ, āvuso sāriputta, manoviññāṇaṃ manoviññāṇaviññātabbe dhamme ‘netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti samanupassāmī’’ti.

Saṅyutta Nikāya, Saḷāyatana vagga, 2.Channa ovāda sutta

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Consciouness is not self

  • 392. ‘‘Cakkhusmiṃ, āvuso channa, cakkhuviññāṇe cakkhuviññāṇaviññātabbesu dhammesu kiṃ disvā kiṃ abhiññāya cakkhuṃ cakkhuviññāṇaṃ cakkhuviññāṇaviññātabbe dhamme ‘netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti samanupassasi? Sotasmiṃ, āvuso channa, sotaviññāṇe … ghānasmiṃ, āvuso channa, ghānaviññāṇe… jivhāya, āvuso channa, jivhāviññāṇe… kāyasmiṃ, āvuso channa, kāyaviññāṇe… manasmiṃ, āvuso channa, manoviññāṇe manoviññāṇaviññātabbesu dhammesu kiṃ disvā kiṃ abhiññāya manaṃ manoviññāṇaṃ manoviññāṇaviññātabbe dhamme ‘netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti samanupassasī’’ti?

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Consciouness is not self

  • ‘‘Cakkhusmiṃ , āvuso sāriputta, cakkhuviññāṇe cakkhuviññāṇaviññātabbesu dhammesu nirodhaṃ disvā nirodhaṃ abhiññāya cakkhuṃ cakkhuviññāṇaṃ cakkhuviññāṇaviññātabbe dhamme ‘netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti samanupassāmi. Sotasmiṃ, āvuso sāriputta, sotaviññāṇe… ghānasmiṃ, āvuso sāriputta, ghānaviññāṇe… jivhāya, āvuso sāriputta, jivhāviññāṇe… kāyasmiṃ, āvuso sāriputta, kāyaviññāṇe… manasmiṃ, āvuso sāriputta, manoviññāṇe manoviññāṇaviññātabbesu dhammesu nirodhaṃ disvā nirodhaṃ abhiññā manaṃ manoviññāṇaṃ manoviññāṇaviññātabbe dhamme ‘netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti samanupassāmī’’ti.