わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みにきたのです。
(マタイによる福音書2章 参照*)
いのちの言葉
*このみ言葉は マタイ 2・1 と マタイ 2・2 を合わせたものです
2022年1月
今月のみ言葉は、マタイによる福音書にのみ記されています。
幼子イエズスを探しながら遠方から来た占星術の「博士」たちの口から出た言葉であり、
彼らの神秘的な来訪が描かれています。
彼らは数人でしたが、
小さな光の背後にある
普遍的で偉大な光、
すなわち、すでにこの
地上にお生まれになった「王」を探し求めて、
東方から長旅を志したの
です。彼らについて多く
は語られていません。
しかし、このエピソード
は示唆に富み、キリスト者の生活をさらに深めるヒントを与えてくれる
ものです。
今回のみ言葉は、今年の「キリスト教一致祈祷週間」に合わせて、
中東の諸キリスト教会の方々が、提案してくださいました。
(キリスト教一致祈祷週間は毎年1月18日~25日に開催されます)
一致祈祷週間は、
キリスト者が互いに
心を開いて受け入れ
合うことはもとより、同じキリスト者として神のご計画に従い、
この地上のすべての
民と人々のために、
ともに神の愛の証人となる、大変貴重な機会でもあります。
わたしたちは東方でその方の
星を見たので、拝みにきたのです。
中東の諸キリスト教会の方々は、
今回のみ言葉を提案するに当たり、こう語られます。
「…ユダヤの空に現れた星は、長い間ずっと
待ち望まれた「希望のしるし」を意味し、
『博士たち』を真の『王』である救世主が
生まれた場所に導きますが、彼ら(博士たち)
のうちに、この地上のすべての民の存在を見る
ことができます。
星は贈り物であり、全人類に対する満ち溢れる神の愛を表しています。
…『博士たち』は、神のご計画である、ひとつになった民の存在を 示します。
彼らは、遠い国からやってくる異文化をもつ人々をも代表し、生まれたばかりの王を一目見たい、知りたいという思いに駆られ、ベツレヘムの洞くつにともに集い、
王を称え、王に贈り物を捧げるのです。
このように、神は、世に一致を望まれるので、 世のキリスト者は『一致のしるし』となるよう 呼ばれています。たとえ文化や人種、言語は違っていても、キリストを探し求め、キリストを礼拝したいという思いは、すべてのキリスト者に共通するものだからです。
ですからキリスト者の使命は、
この星のように、神に飢え渇く人類をキリストのもとに導いて、すべての民がひとつになるべく、神の道具となることです」。
「博士たち」の上に輝く星は、すべての人のためのものです。何よりも、愛によって照らされる良心の内にその星を見つけ、それに導かれながら、日々の生活の中で神と兄弟姉妹に出会えるでしょう。そして、
その出会いの豊かさを互いに分かち合うこともできるでしょう。
わたしたちは東方でその方の
星を見たので、拝みにきたのです。
神を敬うとは、神のみ前で、惨めで脆(もろ)い自分をありのままに認め、こんな自分には神の赦しと憐みがいつも必要だと自覚することです。
そして、他の人に対しても赦しと憐みをもって対することです。
この姿勢は、
神にのみに向けられる
「礼拝」という言葉
のうちに完全に
表されます。
キアラ・ルービック
は語ります。
「神を『礼拝する』
とはどういうことでしょうか?
それは、神にのみ向けられる姿勢です。
神のみ前で
『あなたはすべて』、『あなたはご自身その
ものでおられます』
と言うことです。
人生において、私は、神を知るという偉大な特権を頂いていますが、
…それは言い換えれば、…『私は何者でもありません』という体験でしょう。
それを言葉で言うだけではありません。神を礼拝するには自分を無くし、
さらに己の中で、世にあって、神に勝利をもたらすことを意味します。
ところで私は無であり、神は完全な
お方だと実証するために確かな方法が
あります。しかも肯定的な方法です。
つまり、自分の考えを無くすには、
ただ神のことのみ考えること、
そして、福音に示される神のみ心を
自分のものとすることです。
そして、今この瞬間に示される神のみ心を実践すればいいのです。
不適切な愛情を消し去るには、神への愛だけを心にもって隣人を愛し、その人
の悩み、問題、苦しみ、喜びをともに分かち合うことでそれが可能となります。
そして、いつも「愛」
であるなら、自然に
自分が無になっている
ことに気づくでしょう。
そして、自分の無を
生きることで、神が
すべてであることを
人生で体験し、神へ
の真の礼拝に向かい
一層、心を開いて
いけるでしょう」。
キアラ・ルービック
「いのちの言葉」2005年2月
わたしたちは東方でその方の
星を見たので、拝みにきたのです。
中東のキリスト者の方々の思いを私たちも共有したいと思います。
彼らはこう結んでいます。
「博士たちは、救世主に出会い礼拝した後、夢で警告されたように、『別の道を通って自分たちの国へ帰って行った』、
これと同様に、共通の祈りによって培われた私たちの交わりは、新しい道を通って、これからの生活、教会や世界に戻るよう私たちを促してくれるにちがいありません。…今日、福音に奉仕するためには、人間の尊厳、特に最も貧しく、最も弱い立場にある人、周縁に追いやられている人々の尊厳を守らなければなりません。
…教会の新しい道とは、目に見える一致への道です。それは日々、勇気と大胆さをもって献身的に
探し求める、『神がすべてにおいてすべてとなられるため』(1コリント15・ 28)の道なのです」と。
わたしたちは東方でその方の
星を見たので、拝みにきたのです。
(マタイによる福音書2章 参照)
いのちの言葉は聖書の言葉を黙想し、
生活の中で実践するための助け
として書かれたものです。
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解説:レティツィア・マグリ
いのちの言葉