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《ハンザの歴史》

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目次

  • はじめに
  • ハンザ成立以前(〜11世紀頃まで)の北ヨーロッパ
  • 商業の復活・東方植民・十字軍運動とバルト海沿岸の都市の建設
  • 商人ハンザの時代
  • 都市ハンザの時代:ハンザの最盛期(14世紀後半〜)
  • 近世国家の台頭とハンザの没落・滅亡

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1.はじめに

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そのもそもハンザとは何か?

  • 中世(12世紀〜)の北ヨーロッパ地域に存在した「都市」のネットワーク
  • 都市同盟:ライン都市同盟,シュヴァーベン都市同盟⇔規模・存続期間の上でハンザは群を抜く
  • ハンザというドイツ語:兵士の「部隊」→商人の「団体」「組合」,海外貿易商人の「ギルド」,「通商税」

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ハンザというテーマを扱う意味

  • 国民国家の相対化:ポスト国民国家時代への想像力.「国家」という概念の再考.国家がなくとも人々がきちんと暮らせていた時代について思いを馳せてみる
  • 中世における人々の帰属意識:都市共同体.国民国家の歴史の方が短い
  • 「リューベック市民」「ハンブルク市民」と自己理解

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2.ハンザ成立以前(〜11世紀頃まで)の北ヨーロッパ

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ローマ帝国崩壊後の都市をめぐる状況

  • 旧ローマ帝国内(西ヨーロッパ)の都市
    • 旧ローマ帝国内に成立していた都市は,社会的な混乱の中で存続そのものの危機
    • 教会の完全な支配下に入ることで存続
      • 行政・司法・軍司警察権を教会が握る
    • 11〜12世紀に商業が復活→都市はこうした状況から脱却を目指す.

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北ヨーロッパ地域

  • 商業民族としてのフリーゼン人(6〜10世紀),ノルマン人(8〜11世紀)
  • 11〜12世紀の変化:古代末期から中世にかけての混乱期の収束.西方での経済力の向上→商業の復活,十字軍運動
  • 東方植民:西欧キリスト教世界での余力
    • 11世紀〜中世末:今日のドイツ地方東半はこの時期に形成
    • 布教の進展→司教座の新設(ドイツから北欧にかけて)ブレーメンに大司教座が設置
    • ドイツ騎士団が東北ヨーロッパに進出.
  • 商人にとって,教会は東方地域における実存する唯一の権力体
  • 12〜13世紀:この地に都市が建設されるようになる

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3.商業の復活・東方植民・十字軍運動とバルト海沿岸の都市の建設

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リューベックの建設

  • なぜリューベックなのか?
  • スラブ系住民の居住地.12世紀になってドイツ系ザクセン大公の支配下に.現実の統治者はその封臣のホルシュタイン伯.
  • 12世紀前半:アドルフ2世が,商業拠点の建設を計画
    • 新入植地建設に向けて西ヨーロッパから人材の募集を開始
    • 1143:スラブ系住民の集落と並んで,ドイツ系商人による小さな町が建設される.
    • 1157:大火によりこの集落は灰燼に→再建をめぐる君主間の紛争
  • 1159:ザクセン公ハインリヒ:この地に再び集落を建設
    • リューベックに対して都市特権を付与

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Lübeck

なぜライオン?

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リューベック成立の経緯

  • 領邦君主が都市の建設を計画し,定住者を募集
  • 「有力な商人集団」が,法人団体を結成し,この団体と領邦君主の間で協定
    • 定住応募者団体が建設事業を請け負い,君主がこの法人に対して種々の特権
    • 都市を建設した主体は「市民」,同時にこの市民共同体は有力商人の寡頭支配下に
    • 有力商人団は,新都市内の土地を領主から一括して譲り受ける.その土地を彼らの間で分配しつつも,一部を一般市民に貸与
    • 有力商人団は,土地を手工業者に貸与.この貸与を通して有力商人層が手工業者層を支配
  • 中世を通じてリューベックの市政を牛耳った門閥層は,この有力商人団の子孫
  • 「有力商人団の成立」の方が「都市共同体の成立」に先行:遠隔地貿易が先行,その後都市が成立.
  • 有力商人団は,自律的権力体

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都市と教会の関係

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Marienkirche

商人教会

Dom

司教座

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都市とキリスト教会の関係

  • 中世安定期の一般的な傾向:商業の復活.市民の経済力と自覚の向上.司教の宣誓支配からの脱却
  • リューベックのような北東ヨーロッパ:キリスト教会の影響力が弱い
  • リューベック建設に際して,教会はリューベックに司教座を移すことを君主に懇願.
  • 都市内で司教は一切の特権を持たず
  • 建設期の市民層の出身地
    • ラインラント,ヴェストファーレン,ニーダーザクセン(ドイツ西方地方)の出身者が全体の60%

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バルト海岸諸都市の建設

  • リューベックの主導で,バルト海西南岸地域に続々と都市が成立.
  • バルト海東南岸ではドイツ騎士団が主導的な役割
    • ロストク,ヴィスマル,シュトラールズンドなど
    • ダンチヒ,ケーニヒスベルク,リガなど
  • 初代の市民達の多くは近隣農村から調達
  • これらの都市はリューベックと対等な関
  • 市民の上層は相互に血縁関係に

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Wismar

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Stralsund

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Danzig/ Gdansk

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Reval/ Tallinn

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4.商人ハンザの時代

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ゴートランド島

  • ゴートランド島(ヴィスビ)はこの地域の貿易の拠点.ヴァイキングによる通商拠点
  • リューベックの建設により,ドイツ商人はバルト海への進出を開始:ロシア産の毛皮
  • 航海術の未熟さ:中継拠点としてのゴートランド島の重要性
  • 1161:ザクセン大公ハインリヒによる獅子公特権状.
    • 平和的な商業活動の基礎
    • 商人「団体」の承認=「ハンザ」という組織の承認ロシアへの商品輸出量大きくはなく,西方はロシアに対して入超

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ハンザの交易ネットワーク

  • ハンザ貿易の主体は,スカンジナヴィアとの貿易
  • イングランドとの貿易
    • 10世紀末〜11世紀においてすでにハンザ商人は,イングランド商人と同権を獲得
  • フランドルとの貿易
    • 毛織物は,中世ヨーロッパにおける最先端の工業製品
    • 13世紀:北ドイツはフランドル産毛織物の最大の市場に
    • ブリュージュが群を抜いた商業拠点
    • ハンザ商人が主として買いつけた商品は毛織物.
    • ハンザ商人はワイン,工業製品,ビール,材木・木材・瀝青(東方から)をフランドルに.

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ハンザの交易ネットワーク

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5.都市ハンザの時代:ハンザの最盛期(14世紀後半〜)

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都市ハンザとは?

  • 商人の性格の変化:商人とは遍歴する存在
    • 定住化:13〜14世紀商人は都市に定住し始める.本店と支店関係の成立する→都市の発達・拡大
    • 識字率の向上:中世において文字の読み書きは聖職者が独占→商人達が,自ら読み書きを修得.当初はラテン語→低地ドイツ語
    • 13世紀中頃:リューベックの市民の師弟から聖職者が出現するようになる.
  • 共通の「敵の存在」が次第にハンザの結束を強めていく

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ヴィスビの没落

  • ヴィスビの最盛期は13世紀:都市ハンザ成立以前
  • ヴィスビ定住商人とハンザ系の遍歴商人がノヴゴロドとの商業を巡って競合.
    • バルト新都市の台頭によってヴィスビの存在感は薄れる
    • 1293(1298):ヴィスビは,ノブゴロドに対する上訴権を奪われる→リューベックがこの地位に.
    • ヴィスビの覇権を奪うために,ハンザ商人達は結束を強めていく→都市ハンザの成立の契機

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ヴェント都市同盟

  • ハンザの都市ネットワークの成立
    • 都市同盟そのものはそれほど珍しい現象ではない
    • 1259:リューベック,ロストク,ヴィスマルとの間で3都市間の海陸通商路の治安確保を目的とする条約
    • 13世紀以来リューベックとハンブルクの間には,同盟が存在.
    • ハンブルクは,ブレーメン,ブラウンシュヴァイク,ゴスラル,リューネブルクなどとの都市同盟関係
    • 1309年:ブラウンシュヴァイク,ゴスラル,マグデブルクが「フランドル」と条約を締結する際にヴェヴェント諸都市の承認が必要であるという条項の存在
    • 1347年:ヴェント諸都市とザクセン諸都市が合してリューベック圏に属することが明言された.

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都市ハンザの出現

  • 1356年:フランドルとの抗争を解決するためにハンザ総会が開催:ハンザ総会の完全な形
  • 現地ハンザ商人の力では問題を解決できない→出身母体である「都市」が介入
  • 商館の機能もハンザ総会の承認(都市連合の権力の象徴的意味を持つ)によってはじめて有効性を持つ:ブリュージュ,ロンドン,ノヴゴロド,ベルゲン

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対デンマーク戦争と都市ハンザの絶頂期

  • 強国デンマークの存在.ハンザにとって商業的のみならず政治的・軍事的に脅威⇔他のスカンディナヴィア地域においてハンザ商人は優位を確立
  • 14世紀後半:デンマーク国王ヴァルデマル4世の積極的な攻撃
    • 1362年:リューベックを中心にヴェント諸都市の連合艦隊が編成.デンマークと戦うが敗北.
    • 1367:ハンザ総会で「ケルン同盟」の成立:ヴェント諸都市,プロイセン諸都市,ネーデルラント諸都市が参加.
    • 同盟の内容:1)加盟都市の軍事力の提供,2)船舶の統一行動,3)利敵行為に対する共同体からの排除
  • 1368:ハンザ連合艦隊がコペンハーゲンを攻撃,徹底的な略奪
    • 司令官はヴァーレンドルプは戦死,英雄としてマリア教会に埋葬
  • 1370年:シュトラールズンド条約でデンマークと平和条約が締結.ハンザ(37都市)はこの時デンマークという一王国と対等に一交渉団体の地位に.

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Johann Wittenborg

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リューベックにあるBruno von Warendorpの自宅跡

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ハンザによる貿易の特徴

  • イタリア諸都市:主として奢侈品
  • ハンザ:生活必需品(穀物,材木,毛織物,海産物,鉱石,塩,原毛,毛皮など)
    • 大衆向け商品:大量の需要,投機的な性格が少ない
    • 大量の需要を流通側で賄う必要→商人同士のネットワークが発達
    • 投機性が低いため,飛び抜けた豪商が成立せず

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スカンディナヴィア地域

  • スウェーデン
    • ハンザ商人の進出が最も活発だった地域:ストックホルム,カルマルはハンザ商人によって建設
    • 主たる輸出品:鉄と銅の鉱石,皮,毛皮,バター,ニシン.輸入品:毛織物,塩
    • 近世に入ってからも多くのリューベック市民はスウェーデンに移住
  • ノルウェー
    • スウェーデンとは対照的にハンザ商人とは対立的
    • 主たる輸出品:鱈を中心とする海産物.毛皮,バター.輸入品:圧倒的に穀物.

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バルト海貿易

  • 輸出品:木材,穀物,毛皮,タール,苛性カリ,蜜蝋,琥珀,ビール
  • 輸入品:毛織物,ライン方面からのワイン,東方産の香料,イベリア産のオリーブ油
  • 13世紀後半になるとフランドル,イングランド,そしてノルウェーは東方産の穀物に依存
    • 1438年:小麦の価格はダンツィヒとイングランドで2倍強の差
    • 穀物の大量取引は中世において例外的現象
  • リューベック:輸出入の大半がフランドルの毛織物.その1/3が再輸出.
  • 東西の物資交流はリューベック・ハンブルク間は陸上交通

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ハンザの機構

  • ハンザ総会
    • ハンザそのものが自然発生的→総会の起源も明確ではない.
    • ヴェント都市会議が拡大.開催地は圧倒的にリューベックで,他にヴェント系都市
    • 1356年から1480年までの間に72回
    • リューベックを中心とするヴェント諸都市の指導性.遠方都市の消極性
    • 事務局に相当するものはない.リューベックのラート(市参事会)
  • 中央財政
    • 商人の商活動に課税
    • 加盟都市毎の分担金制度→滞納に悩ませられる
  • 軍備
    • アドホックに編成される諸都市の連合艦隊のみ
    • 14世紀末に北海・バルト海を荒らし回ったヴィターリエンブリューダーという海賊団の存在.その最後の首領シュテールテベーカーをハンブルクで処刑.

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6.近世国家の台頭とハンザの没落・滅亡

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ハンザ没落の主たる原因

  • 14世紀:ハンザの最盛期→15世紀:ハンザの守りの時期
  • その原因:各国における市民層=商人層の成長.近世的中央集権国家の確立を目指す努力の開始に圧倒され始める
    • 近世的中央集権国家の例:フランドルにおけるブルグンド公国,デンマークの復興
  • ただし状況が一気に逆転した訳ではない
  • ハンザの没落:「ハンザ」という名称を伴った都市間のネットワークとそのネットワークによって維持されてきた利害関係の消滅でしかないことに注意

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オランダとの競合

  • 14世紀中頃から次第に商工業に進出.毛織物産業を発達させる.
  • 14世紀末には遠洋漁業も発達,ニシンの輸出
  • ハンブルク産のビールでは,流通全体の70%をオランダ商人が掌握
  • イングランドから毛織物,羊毛を輸入し,イングランドへビール,穀物,海産物,野菜,果実,工業製品,塩,スペイン産の鉄などを輸出.またスカンディナヴィア,フランス,イベリア半島,地中海貿易圏とも交易
  • 15世紀になるとハンザ商人の中心的な交易圏であるバルト海に進出:ズント海峡経由でリューベックを迂回
  • ハンザ側の対抗措置:ハンザ特権をもつ商人以外の排除
  • ドイツ騎士団は,オランダ商人との穀物取引に利益を見出す.ダンツィヒの穀物取引の牙城を切り崩す

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国際情勢の変化

  • 15世紀:ハンザの東半分が大きく動揺した時期
    • ポーランドの台頭とドイツ騎士団の没落
    • 西プロイセン,ダンツィヒ,マーリエンブルクをポーランドに割譲
    • ハンザ都市は,ドイツ騎士団への対抗上,ポーランド側に好意的

→国民国家的な思考が通用しない空間

  • 東方ハンザ都市の淘汰作用:ダンツィヒやリーガなどの大都市は自由を得て興隆⇔中小都市は没落.ハンザ全体としては弱体化,一部の都市のみの独走
  • リーガの例)リーガでの全ての外来商人同士の直接取引を禁止=これはハンザ商人の特権の否定を意味(リューベック商人には大打撃)

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マテイコ画『プロイセンの臣従 』ジグムント1世に臣従の誓いを行うアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク

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15世紀前半までのドイツ騎士団領

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15世紀後半以降のドイツ騎士団領

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ハンブルクの脱落

  • 1589年:イングランド絶対王政によるハンザへの攻撃.自国産業・海運業の振興をめざす→ロンドンの商館が閉鎖
  • 大西洋貿易の発達により,ハンブルクはリューベックを見限る→1567年:ロンドンのマーチャント・アドヴェチャラーズと提携
  • ハンザはイギリスの攻勢に対抗するために神聖ローマ皇帝を頼る→皇帝はそもそも実力的裏付けも関心も持たず

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解体局面のハンザ

  • 16世紀以後多くの都市は二度とハンザ総会に出席せず.
  • 三十年戦争によりハンザに属していた多くの都市は疲弊⇔ダンツィヒ,ハンブルクなどは戦争の最中にも興隆.
  • 没落したのはそれぞれの都市ではなく,ハンザというネットワークであった
  • 1630年:ハンブルク・ブレーメン・リューベックは,3市のみで強力な軍事同盟を締結→ハンザの事実上の滅亡後もこの3市が「ハンザ都市」を名乗り続ける根拠に.
  • 1648年のヴェストファーレン条約調印に際してこの3市はハンザ代表として参加
  • 1669:最後のハンザ総会:参加都市はハンブルク・ブレーメン・リューベック,ダンツィヒ,ロストク,ブラウンシュヴァイク,ヒルデスハイム,オズナブリュックそしてケルンの9都市.

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まとめ

  • ハンザとは,近代的な集権国家成立以前の時代に,北海・バルト海地域の交易を通して繁栄享受する利害を共通に持っていた都市の連合体
  • ハンザを崩壊させた3つの大きな要因
    • 1)生産的背景の欠如:生産的背景を伴った都市との競合に敗北
    • 2)北海・バルト海地域を越えた交易ネットーワークから利益を得ることになる都市は,ハンザの連帯よりもこうした交易の利益を優先:ハンブルク
    • 3)集権的国家体制の成立により,産業の自国内での育成に関心を持つ国家,およびそれと手を携える商人層との対抗に敗北する:ハンザにとって後ろ盾となる権力的基盤は「神聖ローマ帝国」.帝国は北方地域に関心は高くない.

→ハンザに所属していたそれぞれの都市は,近代的集権国家が成立した後,それぞれの国民国家の枠内で繁栄ないしは没落

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