第四階層〈優先構文〉
優先構文とは
願望と悩みを対消滅させるワークを通じて、願望と悩みに張り付いていた期待や不安といった、あなたの意識を濁らせる感情を祓いました。

 感情が祓われると、「明日のプレゼンがうまくいくか、不安で仕方ない」という悩みが「明日、プレゼンがある」という単なる事実に変わり、悩みが悩みでなくなるということが起きます。こうして意識がフラットになった状態から、次の第四階層の意識レベルであなたはこんなことを考えます。

「では、明日のプレゼンを、自分はどうすればいいのだろう?」

 第四階層の視点に立って書くのは、「ではどう行動するか?」という優先構文です。

 「あああ、自分にうまくできるのだろうか、失敗したらどうしよう、ううう、以前のように目の前が真っ白になりそうで不安だ」という意識レベルでプレゼンの場に立つのと、恐れや不安が祓われたフラットな意識で立つのとではパフォーマンスに雲泥の差が生まれるのは明白です。

 あなたは意識の囚われから開放され、自分が望むまま、どんなふうにでも振る舞える可能性を手にしています。

 しかし、それではどう振る舞うのが正解なのでしょうか?

 第四階層は構造上、どうしても迷いがつきまとう階層です。

 プレゼンは明日の一回だけ。やり直しの利かない一発勝負です。しかも、未来は見通せませんので、イメージトレーニングしたり、人に意見を聞いてみたりしても「正解」は絶対に見えません。

 できる行動には限りがあるのに、選択肢は無限にあります。何が正しいか、間違っているか決めようとする第四階層の意識レベルの中にいる限り、結局何が適切な判断か分からないまま、永遠に迷い続けてしまいます。

 ある会社のチームが売上を増やそうとする場合、朝、ミーティングの時間を持つ、あるいは、営業の外回りを増やすなど、いろいろな行動の可能性が出てきます。けれど、どれが正しい行動なのか、大抵の場合は分かりません。

 そのため、「同業他社で朝のミーティングを徹底した結果、業績が伸びたらしい。うちも真似すれば伸びるかも」という憶測に基づく願望が生まれ、「チームで朝のミーティングをした」と構文を書いてその通りに行動したとしましょう。

 すると、本来の最適な行動が、別のチームと会議の場を設けたり、新しく人員を補充する、ということだった場合に、あなたの行動は本来の最適な未来と接続されず、「最適な売上を得る」という最適な意志を妨げることにも繋がります。

 よって、何が正しいのかを適切に判断できない私が発信できる構文は、「私は、最適な売上を得るため、最適な行動を取った。」あるいは「私は、最適なプレゼンをした。」となります。

 何か物足りない気がするかもしれませんが、特定の行動を決めた瞬間に自分が縛られ、本来の意志が阻害される可能性があることはお伝えした通りです。

 これは他者についての構文を書くときも同様で、「私」が「山田太郎さんの癌が治った」と書いてロゴストロンから発信すると、山田太郎さんの本当に望んでいることが分からず、本当の意志とずれてしまう可能性があります。

 本当の意志は、本人にの中にしかありません。ですから本人の意志は本人が発することが基本なのです。

 私が発信できる構文は「私は、山田太郎さんの体調が最適化するように祈った。」「私は、山田太郎さんの体調が最適化するよう、最適に行動した。」となります。

 しかも、最適な結果は「癌が治らないこと」かもしれません。それは神のみぞ知る、です。

 ハンドサインの例でお話したように、「相手に手のひらを見せること」に善悪を張り付けているのは、人の意識です。物事に善悪はありませんが、私たちの意識の中には、自分の持っている概念に合わせて、無自覚に善悪を判定してしまう自動機能が備わっています。そして、この善悪の判断を、しばしば私本来の自由意志だと錯覚しているのです。

 しかし、私本来の自由意志は、そうした善悪という二項対立を超えた階層で発動します。同様に、どのように私は行動するのかという「答え」もまた、善悪を超えた先にあります。それが「最適化」という言葉なのです。

 ですから、「何が最適かを自分で決める必要はない。だから最適と書けばOKだ!」という気持ちで構文を書く勇気を持ってほしいのです。

 自分の場合でも「私の病気が良くなった」という構文を書きたいと思います。「自分の体が最適化した」では、「病気が良くならないのではないか?」という怖さが出てくるものです。

 しかし、それでも「自分の体が最適化した」と構文を書き、「最適な状態になること」に身を委ねるのです。

 もちろん、自由意志の原則に則れば、自分のことについては何を発信してもよいのですが、「私の病気が良くなった」と発信して、病気が一旦悪くなった場合、「良くなる」という意志と逆の状況になったことに対して、「思い通りではない!」と感情が動き、意識が偏ってしまう場合があります。そうすると、「やっぱり私の病気は治らない」という意識が助長され、さらに病気を悪化させる、という悪循環に陥ります。

 一方で「今がどのようであろうとも、それで最適である。今の症状は、自分が回復するために最適なものだ」という意識であれば、もはや症状に対して良い・悪いという判断が働かなくなり、意識もフラットな状態のままです。そして絶望したり無気力に陥ることなく最適な行動を取ることができます。

 第三階層の複合一人称構文で願望や悩みを認めた後、第四階層の意識レベルで書く優先構文では、事実を「問題」にする原因となっている感情を吹き送って、最適な行動を宣言します。

(例)
複合一人称構文:私は、病気を直したいという思いを認めた。
        私は、病気が治らないかもしれないという不安を認めた。
 
優先構文   :私は、病気を直したいという思いを吹き送った。
        私は、私は、病気が治らないかもしれないという不安を吹き送った。
        私は、自分の健康状態を最適化した。
   
(例)
複合一人称構文:私は、プレゼンが失敗するかもしれないという恐怖を認めた。
        私は、プレゼンが成功して欲しいという痛切な思いを認めた。
 
優先構文   :私は、プレゼンが失敗するかもしれないという恐怖を吹き送った。
        私は、プレゼンが成功して欲しいという痛切な思いを吹き送った。 
        私は、最適なプレゼンを行った。
 

 ロゴスプログラミングで行うのは、徹底的な自己の客観視です。目に見えない神秘的な存在に頼り、願望や悩みを叶えてもらうわけではありません。ただひたすらに、願望や悩みをただの事実に戻します。
 
 物理的な制限を持つ人の身である私たちには、「分からない」ことが存在します。ゆえに、何が「正しいか」という判断を捨て、ただ「最適」であることを意図します。

 そのため、ときには想定外の変化として起きてくることもあるでしょう。中今において最適な調整が起きた結果、何が起こるかは分かりませんが、必ず意志は実現しています。そして、たとえ想定外の結果が起きたとしても、すべてはあなた自身の発した「最適化」という意志が実現した結果なのです。

〈ワーク〉願望と悩みを吹き送り、最適な行動を宣言する
・前項目のワークで認めた悩みと願望を使って、複合一人称構文を書いてみましょう。上記例文を参考にして、願望と悩みを吹き送り、自分がどのような行動を取るのかを宣言します。
Your answer
※一人称構文で思いつく限りの願望と悩みを書き出し、そのすべてについて他人称構文、複合一人称構文、優先構文を考えてみましょう。書き尽くすことで意識の偏りを統合することができます。
ふと思うは「神心」〜構文を書く姿勢~
人事を尽くして天命を待つという言葉があります。

 ロゴスプログラミングにおいて、人事を尽くすとは、私のすべての願望と悩みを認めて吹き送って、最適化することです。願望や悩みから目を背けていては、偏った意識から抜けられません。

 それに、私たちはどうしても個人の欲にしか見えない構文も書いてしまうものです。

 どうしても、「私利私欲」を書きます。
 どうしても、「職場のあの人がいなくなってほしい」と書きます。
 どうしても、「誰かの状況が改善してほしい」と書きます。
 どうしても、「世界の戦争を消したい」と書きます。

 表面上は「私は最適なタイミングで結婚した」と構文を書いていても、内心「今年結婚することが最適だ!」あるいは「どうせ結婚なんてできない…」と思っているなら、「結婚」ということに関して意識が偏っていることになります。

 このような構文を書けば書くほど意識は偏ります。そして、意識が偏れば偏るほど、心の中のもやもやが晴れません。しかし、それでも構わないのです。書いていればやがてあるとき、もやもやを生んでいるのが自分の偏りであることに気付き、偏りを手放すことができます。

 「空」の意識は、空っぽという意味ではありません。偏りがない状態、囚われのない状態、それが「空」の意識です。
 
 いくら頭で考えても、未来を見通せない私たちには答えは「分からない」ため、迷いが生まれます。よって、答えの分からない問いに対しても構文を作成できるように、「最適」という言葉を用いることをはじめとして、ロゴスプログラミングでは文章の形を固定してきました。そしてひたすら構文を書くことで「私」を客観視していきます。

 他人のことは分からないのだから放って置く。そして「私」であり「自我」に関する悩み・迷い・欲などはすべて網羅して徹底的に「終わらせる」。

 他者のこと、未来のことなど、自分の範疇にないことはいくら考えても答えは出てきません。その中で、自分の中の迷いを祓い、意識を「空」に合わせることで、自分が本当は何をしたらよいのかは、あなたの中でふっと直感的に「分かる」のです。それは、時にあなたの思いもよらなかった答えとなるでしょう。まさに「ふと思うは神心」、ゆえに「人事を尽くし」た後は、ただ「天命を待つ」のみなのです。

人事を尽くして天命を待つ
ふと思うは神心
迷いは終わらせ断ち切る

迷いは断ち切る
第一階層である「私」の願望や悩みをすべて出し尽くせたとしても、それらを解消する方法や、私以外の存在(他者、家族、社会など)に関する問題は永遠に生まれ続けます。

 問題解決の方法は無限にありますが、人生においてそのすべてを試すことは不可能ですし、大抵の選択は一回勝負を迫られます。間違ったからといってもう一度やり直すことはできません。また、問題は他者がいるから生まれますが、その他者は無限にいるため、問題も無限に発生し続けます。

 何が正解なのか分からなかったり、相手が何を考えているのか分からないために、自分の行動や決断に迷いが生じるのが、他者の階層である第二階層と、社会・行動の階層である第四階層です。

 そのため、決して分かるはずのない他者の気持ちを分かりたい、自分が取るべき行動の正解が知りたい、という問いについて考え続けてきたのが人類なのです。

 この迷いが恋愛ものから探偵ものまで、ありとあらゆるドラマを作ってきましたし、分からないからこそ感情豊かなストーリーは生まれます。すれ違うからこそ、身を切るような激しい感情を恋愛を通して楽しむことができるのです。

 しかし、現実の人生においてこの階層に留まることは、永遠に解決しないネバーエンディングストーリーに陥ることを意味します。この迷いを断ち切る方法は一つ、階層を上がったところから答えを見い出すことです。

 その方法が「最適化」です。第五階層の働きである「最適化」で、こうした迷いを一刀両断します。「最適であること」を選択することによって、正しい・正しくないという判断を手放すことを宣言しているのです。

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