・行動を表す語尾「~したい」→ 過去形「~した」
一方、「~なりたい」「~なれる」という語尾の場合は、「変化を表す語尾」を参考に語尾を過去形や断定形に変換します。
・変化を表す語尾「になる」→変化の過去形「なった」・状態「だ・である・だった」
・意志を表す語尾「しよう」→過去形「した」
これは、一見正しい構文のように見えるかも知れませんが、使役(人に何かをさせること)は、支配を前提とするため、自由意志を原則とする構文では基本的に使いません。
また、構文の中に「私」以外に息子という「他者」が入っているので注意が必要です。(詳しくは「他者のいる構文」の項目で説明します。)
それでは構文を最適に書き換えてみます。
✕「私は、息子を最適な高校に行かせた。」 (使役・過去形) →◯「私は、次の意志を実現した。息子は、最適な高校に行った。」(行動・過去形)
→◯「私は、息子が最適な高校に行きますように、と祈った。」 (祈り・過去形)
一番目の構文は、「私」が他者である息子に代わって意志決定を行い、支配しようとしていることになるため不適切です。
しかし、それでは二番目の構文中の「息子は、最適な高校に行った。」 は、「息子」を主語にしているにも関わらず、なぜこの表現でよいのかと疑問に思うかもしれません。これを理解するために、各文の意志の主体を見てみましょう。
「私は、次の意志を実現した。」 → これは私の意志「息子は、最適な高校に行った。」 → これは息子の意志
このように書くことで、息子が自分の意志で自由に高校を選択することが保証されているので、私が一方的に息子の意志を決定することにはなりません。息子の意志の実現が最適なものである、ということが私の意志の実現となっています。
ただし、「息子は〇〇高校に行くことが最適だ」と内心で思っている場合は、息子に代わって息子の進路を決定しようとしていることになります。これは息子の選択の自由を阻害しようとする「私」の一方的な意志が入り込んでいることになり、最適な意識状態であるとはいえません。
このように構文に他者が加わる場合は相手の自由意志を阻害していないか、使役になっていないかということに十分注意してください。
・使役を表す語尾「~させる」→ 主語宣言形「私は次の意志を実現した。◯◯は~した。」 → 祈り型「私は、◯◯が~することを祈った。」
例えば、「私は、社長に任命された。」の場合、私以外に「任命する人」という存在がいて、その人が私を社長にすることが前提となり、社長になるかどうかが私の意志ではどうにもならなくなってしまいます。そこで、このような「間に入る人」の意志を超え、私の意志を私が実現するために、「私」を主語にして能動的な表現に書き換えます。
それでは受動的な表現の例と、それを能動的な表現に置き換えた例をみてみましょう。
【受動的な表現の例】私は、社長に任命された。私は、代表選手に選ばれた。私は、褒められた。
【能動的な表現の例】私は、社長になった。 (変化・過去形)私は、代表選手になった。(変化・過去形)私は、最適な結果を出した。 (行動・過去形)