五階層構文とは
さあ、ロゴスプログラミングもいよいよ大詰めとなりました! これまで学んできた手法を「五階層構文」として統合し、総仕上げをしましょう。

 「五階層構文」は、七沢研究所が開発した心の整理であり、客観視のための方法です。
 
 「「ありのままの自分」を認める① 認識が意志を生む」で説明した通り、私たちの発する意志は私たちの認識に基づいています。「視野が広い・狭い」という表現がありますが、私たちは自分に見えている範囲のことについてしか意志を発することができません。

 他人のことはすぐ目につくのに、自分のこととなると途端に分からなくなるのが人間の性です。友人に対しては「そんな相手とは早く別れたほうがいい」と冷静にアドバイスできても、いざ自分のこととなると、どうしていいか分からない、というのもよくある話です。「ほら、だから言ったのに」というセリフを、言ったことも言われたこともあるのではないでしょうか。

 人間は自分のことには「近視眼的」になりがちです。同じ問題だとしても、人のことなら解決策がよく見えるのは、見ている視点・見えている範囲が異なるためです。

このように、自分のことを客観的に見るための手法が五階層構文です。五階層構文では、自分だけでなく、自分と他者を含めた関係性までも客観視することになるので、広い視野から最適な意志を発動させることができます。

 これまで学んできた構文のポイントは、

 1.主語と語尾
 2.短文で書く
 3.反転しない表現
 4.最適化
 5.ありのままの自分を認める
 6.情緒や観念を超える
 7.公の視点に立つ

等でしたが、これらのポイントを踏まえつつ、構文を五段階で整理し、組み立てていくことで、意志実現のために漏れのない構文を作成することができます。

 七沢研究所が開発したカウンセリング手法としての「構文の五階層」は、大野靖志著『言霊はこうして実現する』、七沢賢治著『言霊設計学』等でご紹介しています。

 【一般的な五階層構文の基本構造】

第一階層 自己内自己【一人称構文】 
私は、仕事がつらいのがイヤだ。

第二階層 自己内他者【他人称構文】 
会社も、経営が大変なのだろう。

第三階層 客体自己 【複合一人称】 
私は、「仕事がつらいのがイヤだ」と思っている私を認めた。

第四階層 客体他者 【優先構文】 
私は、「仕事がつらいのがイヤだ」と思っている自分を吹き送った。         
私は、「仕事がつらいのがイヤだ」と思っている自分を最適化した。

第五階層 超越自己 【自在構文】
使命を全うするというテーマを学んだ。 等

 ここでは「悩み」と「願望」を対消滅させ、「意志」を発動させる構文の書き方をみていきます。

 【五階層構文のロゴスプログラミングのサマリー】

 1.一人称構文    悩みと願望を網羅する
 2.他人称構文    悩みと反対の願望、願望の反対の悩みを書く
 3.複合一人称構文  悩みと願望を対消滅させ、「私」を認める
 4.優先構文    「私」を吹き送り、「私」を最適化する
 5.自在構文    「使命」を全うする(+「公」の意志を発する)

意識レベルを五階層で考える
七沢研究所では、この宇宙のすべての事象を五つの階層に分類する中で、人間関係や意識のあり方も五つのレベル(階層)に分けています。この思考技術は、日常から世界レベルの問題まで対応可能です。具体例を見ていきましょう。

 妹のあかねは、兄のゆうすけが遊んでいるおもちゃで遊びたいと思ってじっと待っているが、兄は妹に譲る気はないという状況を想定してみます。二人の様子を見ていた母親は、「ゆうすけ、あかねちゃんもそのおもちゃで遊びたがっているよ。ちょっと貸してあげなさい」と、おもちゃを取り上げようとします。

 しかし、まだまだ遊びたいゆうすけは、泣きわめいて抵抗します。
 
 この場合、ゆうすけは母親や妹に対して怒っていますが、二人がどんなの気持ちなのかを考えることなく、相手に対して一方的に自分の感情が発動している状態です。これが第二階層の意識レベルです。他者が何を考えているのか分からない、そもそも他者には他者の考えがある、という認識すらないのが第二階層の意識レベルです。

 一方、母親はおもちゃで遊ぶゆうすけが楽しんでいること、それを見た妹が羨むと同時に兄に遠慮して我慢していることが見えています。このように、他者が何を考えているかを客観的に見ている視点が第三階層の意識レベルです。

 相手の気持ちを考慮し「人にはそれぞれ事情があるから」と理解を示す態度を一般的に「大人」と言いますが、それが第三階層の認識レベルです。

 母親は兄妹の様子を客観視した上で、問題の解決方法として兄ゆうすけにおもちゃを譲ることを提案します。しかし、ゆうすけがひどく抵抗した場合、「なんでそんなに言うことを聞かないの!!」と逆上し、手ひどく叱りはじめるかもしれません。

 そうなると、子どもには時間の概念がまだ薄いこと、自分を抑制する方法をまだ知らないことなども考慮せず、「僕はまだおもちゃで遊びたいだけなんだ」というゆうすけの気持ちさえ無視して、自分の思い通りに行動しない息子に対する怒りだけに支配されることになります。そうすると、さきほどまでは第三階層の視点に立っていた母親も、自分の感情だけに没入する第二階層の感情のレベルに落ちてしまうのです。こういった意識レベルの移動は日常的に随時起きています。

そして、家族・友人・仲間との付き合いを通して、さまざまな人間関係における人の感情・思考のパターンを学習していくことになります。「おもちゃで遊びたい。おもちゃを取る相手が憎い」という、第二階層のレベルでは問題は解決しないままですが、「妹にも貸してあげれば、妹は喜ぶだろうな」という第三階層の意識レベルに進化すれば、この兄妹が争うことはなくなるかもしれません。

 第二階層では「他者」は絶対に分からない存在です。しかし、人間関係には、何も言わなくても相手が考えていることが分かる「家族・仲間」という第三階層が確かに存在しています。私たちは、第三階層で人間関係のあり方や、人への接し方、人の心というものを学びます。第三階層は信頼や愛を学ぶ意識レベルの階層です。

 しかし、大人になると、それまで学んだ学習パターンが通用しない人間関係に巻き込まれます。それが第四階層の「社会」です。

 社会に出て、自分の中の「正しい常識」が単なる「家族ルール」だったことを知るように、自分のこれまでの価値観が通用しないという場面に必ず遭遇します。あるいは海外旅行に行って、日本という狭い国で培われた価値観の崩壊に立ち会うこともあるでしょう。

 そしてこれまでの常識が通じない相手に出会ったとき、共感し、理解し合うことは必ずしも容易ではありません。

 愛は第三階層、家族・仲間の意識レベルに分類されます。自分の家族の死と、たとえ隣人だったとしても名前も知らなかった相手の死とでは明らかに動く感情レベルが異なるように、愛は家族的集団の中でしか通用しません。 

 家族(第三階層)には愛があります。全くの他人よりは、相手が何を考えているのか分かるのが家族です。分かっているから愛せますし、信頼して無防備な姿で一緒に眠ることができます。こうした信頼関係が構築されていない場合、たとえ家族の中だろうと、どこか居心地の悪いものを感じるかもしれません。

 ところが分かり合うための前提である共有できる感情や記憶、価値観のない、知らない者同士で形成される社会の中では、家族間ほどの愛は生まれにくく、まして国が違えばなおさらです。地球上には多くの異なる文化的・歴史的背景を持った社会集団(国家など)がありますが、国家間・民族間の争いなど、第四階層の社会で起きる問題を、第三階層の愛で解決することは難しいと思われます。

 こうして、共有する価値観を持たない集団同士では、必ず「どちらの価値観が正しいのか」という争いが起きます。国家レベルの争いや宗教・民族紛争などはすべて、「どちらが正しいのか」を決めるためのものです。このような「善か悪か」「正しいか、間違っているか」といった二項対立にある道徳・倫理は第四階層の意識レベルです。

 正しい方を決めると必ず正しくない方も決まるのであって、どちらも正しいという答えは、二項対立の中にはあり得ません。こうして第一階層から第四階層の意識レベルの中にいる限りは、人類の抱えている問題は解消されないままなのです。

 こうして見てきますと、第二階層「他者」と第四階層「社会」には、「相手のことが分からない」ために争いが起きるという共通点があることが分かります。

 しかし、第二階層の問題が第三階層の視点から解決できるように、第四階層の問題も、視点の階層を上げることによって解決できるのです。

※それぞれの階層の二項対立を統合した意識が、「憶・効・真・道・空」です。
第五階層の意識レベルとは
第四階層の問題を解決するためには、第五階層の視点に立つ必要があります。

 では、第五階層の意識レベルとは何なのか。それが、これまでお伝えしてきた「空」の意識です。偏りがなく、囚われのない意識。「世界で一番おいしい果物をリンゴかバナナか、どちらか一方に決める!」のではなく、「どちらでなくてもよいし、どちらでもよい」という意識です。

 どちらでなくても、よい。

 なんだか分かりにくい表現ですが、結婚しているのでも、結婚していないのでもない、どちらでもない状態を、あなたは想像できますか?

「結婚している人は、ずっと結婚しているという状態だし、結婚していない人は結婚していない状態以外の何者でもない。地球上の人は、全員、結婚しているか、していないかのどちらかに分類される…。そのどっちでもない状態なんて、ないのでは?」

と思いますよね。

 確かに、他者から見ればすべての人類はその二種類に分類されるかもしれませんが、あなた自身のことを考えてみてください。

 たとえ隣に妻(夫)がいても、仕事の重大な責任を担って電話をしているときには「夫(妻)」としてのあなたではなく、「結婚している・していない」という分類とは全く無縁の存在として対応していませんか?

 商談をまとめるということは、あなたが結婚している・いないは全く関係のない話です。

 あなたがどこにいて、どんな役割を果たしているのかによって、あなたが「誰」なのかは変わり続けています。

 人間のアイデンティティは本来複合的で、瞬間瞬間に切り替わっていくものです。ところが、「結婚していることが人生において正しい」と決めてしまうと、結果として「結婚していない自分は悪い状態・不幸せな状態」と判断せざるをえません。このように、正しさを一つに定めようとすると、偏りが生じます。

 結婚しているか、いないかに意識を合わせていると、それ以外の状態があることに目がいかないのです。

 仕事をする自分・両親や家族、友人との関係を大切にする自分・趣味に打ち込む自分・社会に貢献する自分…。結婚以外にも、自分が「誰」なのかを決める方法はあるはずです。しかし、「結婚以外の状態の私」がどんなに生き生きしていても、「結婚していない」ことに焦点を当てている限り、「私」は不幸なままです。

 私たちは「結婚している・いない」にどうしてもこだわってしまうようです。では、そもそもこのこだわりはどこから生まれているのでしょうか?

 想像してみてください。「結婚」という概念がはじめからない世界のことを。その世界では、「結婚しているか・していないか」であなたという存在が判断されることはありません。

 この地球上には「結婚していることが幸せ・結婚していないことが不幸せ」という概念のない世界に生きている人たちがいます。あるいは日本の中にもいるでしょう。「結婚」という概念と、幸せ・不幸せという言葉は、本来関係のないものです。
 
 ところであなたは「ちょっと待って」というときに、どういうジェスチャーをしますか?

顔に泥を塗ることを意味し、相手を揶揄・侮辱する仕草になってしまうため、ある国では相手に手のひらを突き出すことは良しとされません。何も知らずにタクシーを止めようと手を挙げただけで、「なんだ、こいつは。俺を馬鹿にしているのか?」と判断され、あなたは「悪人」となるかもしれません。

 しかし、手のひらを見せることが侮辱を表すという「概念」のない日本では、このジェスチャーをしてもあなたは「悪」と判断されません。

 手のひらを見せることは「良い」ことでしょうか?「悪い」ことでしょうか?

 そもそも、「手のひらを見せること」に良いも悪いもありません。「手のひらを見せることが悪い」という概念こそが、その国では「手のひらを見せる」という行為に善悪の判断をもたらしているにすぎません。一方で私たちが生きている日本は「手のひらを見せることが悪」という概念のない社会だということ。ただそれだけです。

 私たちが成長する過程で身に付けたもろもろの常識・思い込み・道徳・倫理などの観念が、あらゆる物事に対する価値判断を私たちに強いる原因となっています。そしてその判断が、私たちの意識や意志を制限しています。

 「結婚していないことは不幸だ」という概念のない世界に、あなたが住むことは可能です。あなたの中の概念を解体し、再構築すればよいのです。「結婚していようが、していまいが、どちらでもよい」のであり、「結婚という事象とは無関係に、最初から私は最適な存在」なのです。これがロゴスプログラミングにおける本来の「最適」の意味であり、意志が実現しやすい「空」の意識、偏りのない状態なのです。

 「そうはいっても、結局は息子だって結婚したほうがいいに決まっている!」と思うのであれば、「結婚」というものにまだ意識が偏っているということになるでしょう。

 「結婚しないのは不幸だ」という判断に縛られていると、「この年齢で、今、海外に転勤したら、結婚できないかもしれない。だから行きたい気持ちはあるけれど、やめておこう」など、自分の人生における意志決定が自由自在なものになりません。

 あなたの意志は、判断によって、気付かないうちに限定されたものになっていませんか?

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