私たちは、何かを実現したいとき、ほとんどの場合は、現状に問題、悩みなどがあってそれを克服するために構文を書きます。例えば、金銭的に不自由をしていたとして、「最高の臨時収入が入った」と書いたとしましょう。
それを意識の偏りで捉えると、これは「お金がない」という偏った意識から「お金が沢山ある」というもう片方の偏った意識へ移行しようとする構文と言えます。
しかし、中心には「お金を自由自在に使った」などの安定した在り様があるはずです。
偏った意識同士のことを二項対立と言いますが、二項対立のどちらかに偏った構文は、意図したこととは、反対の結果を生む可能性を秘めています。二項対立となっている場合、片方の偏りを取ると、意識していなくても反対側の偏りも生み出しているからです。
実際に、願ったことと反対のことが起きる場合は、「反転する意志」を発している場合がほとんどです。
「最高の結果になった」は、「最悪な結果」を生む可能性があり、「余裕で一番の営業成績を収めた」は、他者を蹴落とした後にある結果です。
これらの対立がない、最適な構文、平等な構文を書きます。この最適な構文、平等な構文は、のちに学ぶ「公の構文の書き方」につながります。
よくある質問で、
「私は、○○で優勝した」というような構文を発信していいですか?という問いです。
全てこの宇宙は、自由意志でできていますので、「○○してはいけない」ということはありませんが、最適な構文とは言えません。
もし、ライバルが「一番の営業成績」と発信していることを知ったらどう感じますか?それは、ライバルではなくむしろ自分の使命だと思えるでしょうか?言えるでしょうか?
改めて取り上げますが、誰が見ても恥ずかしくない構文というのが最適な構文ですし、少なくとも、一番の営業成績をとることが使命ではありません。