鎌倉芳太郎顕彰会入会のお願い
鎌倉芳太郎顕彰会 会長 佃 昌道
本顕彰会は、染織部門において“型絵染”の技法で重要無形文化財に認定された香川県三木町出身の鎌倉芳太郎の功績を顕彰し、その名を長く後世に遺し伝えることを目的として活動を行うものです。
鎌倉芳太郎は、明治31年(1898)10月19日、香川県氷上村(現、三木町)で生まれました。のちに芳太郎は、香川師範学校で日本画を学び、卒業とともに東京美術学校図画師範科に進学しました。卒業後は、沖縄県女子師範学校と県立第一高等女学校の教諭として赴任しました。芳太郎は、沖縄に赴任したことがきっかけで沖縄文化に魅せられ、当地に古来より伝わる紅型と呼ばれる染色技法を再興するにあたり、あらゆる沖縄文化を調査し、沖縄の研究者として大きな功績を残しました。
とりわけ沖縄を象徴する首里城については、その存続の危機を2度にわたって救い、大きな関わりを持ちました。首里城の危機に直面した最初の機会は大正13年のことでした。明治維新の廃藩置県で王制が廃止され、その後、首里城は那覇市の管理下となりましたが、建物が老朽化したために取り壊して跡地には那覇神社を建立するという計画が浮かび上がりました。このことを琉球新聞の記事で知った芳太郎は驚嘆し、恩師である東京帝国大学教授伊藤忠太に連絡します。早々に伊藤教授は内務省に取り壊しの中止を働きかけたこととなり、事なきを得ました。
二度目の危機は、第二次世界大戦によるものでした。当時、首里城の地下には日本陸軍が司令基地を置いていたために連合軍の猛攻撃に合い、首里城は跡形もなくその姿を失いましたが、戦後になって奇跡的に再建を果たしました。この首里城の再建には、芳太郎が残した首里城の詳細な調査記録が欠かせないものとなりました。教員として沖縄に赴任していた2年間及びその後の4回に及ぶ現地調査によって、芳太郎は首里城の建築的構造を図面に起こし、柱や壁、扉など装飾的に彫刻された状態を細密に写真に撮影、あるいはスケッチに描き留めていたのでした。これら芳太郎の膨大な資料により首里城の再建が可能となったのでした。
芳太郎は首里城以外にも、沖縄の歴史や文化に関連する資料や写真を残していますが、これらは現在、国の重要文化財に指定されました。一方で、すでに失われていた沖縄特有の染色技法である紅型を復活させたことで芳太郎自身も重要無形文化財技術保持者[型絵染]に認定されました。
こうした沖縄にまつわる文化財の復興と再現に、実は香川県人である鎌倉芳太郎がかかわっていたことは、残念ながら地元香川でもあまり知られているわけではありません。昨年の不慮の火災事故により首里城が失われたことは、沖縄県民のみならず、日本国民にとっての悲しみとして脳裏に刻まれました。いつの日か復元されることを期待してやみません。
本顕彰会は、鎌倉芳太郎の偉大な功績を顕彰しつつ、長く後世に伝えるための様々な活動を行っております。ぜひとも私たちの活動にご賛同いただきまして、ご入会お願い申し上げる次第です。
顕彰会の主な事業について
1.
ホームページを開設し、ネット上で顕彰会の事業、イベント等を周知する。
2.
鎌倉芳太郎に関連する新たな情報をもとに他団体との交流、シンポジウムの開催を行う。
3.
鎌倉芳太郎の実績を顕彰するための記念事業をおこなう。
【お問合せ】一般社団法人三木町観光協会
〒761-0703三木町大字鹿伏310番地ベルシティ内
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