<Ah ieba köh-iu." Üi-zin.3 に寄せて>
大切な主催イベントにお声がけいただき、
どうもありがとうございます。
出演叶い、とても嬉しく思います。
時に、バンドという不明確な組織体はその活動が何のために位置するのか、と考えます。
音楽と生活という2つの観点、
それらが独立的であることにアドバンテージを感じる時、
シンプルにステークホルダが限定的なことかな、
とイメージしたりする。
そのため、彼らの音楽とその暮らし生活における表現は直結しやすい。
ロックというイメージを重ねた場合、浮世からしばし遠のいた人々といった印象を少し持っています。
でも、その切実でダイレクトな表出には、いつもハッとさせられます。
自分たちの音楽は、
会社員生活を営む中でミャクミャクと流れる響きを追求しているのかなと思っています。
体制を大胆に否定せず、弱きを包み込むよな包容も浅く、そこそこの自己肯定を割り付ける、
ロックンロールオピニオンとしては堕落してますね。
それでも、その中に目を見張り、響く何かに耳を傾ける。
この発展的な劣等性こそ「音楽を鳴らすために会社員生活する」我らの偽り無きアティテュード。
あらゆる意見を飲み込んだ末に何も言えなくなるなんて、そんな馬鹿なことはしないよう、
独立的な音楽家が生活と音楽を地続きにするように、
自分たちは会社員としての日常の中で生まれる違和感や共鳴を、
歌に昇華する。
それは、外側からの眼差しではなく、内側にいるからこそ聴こえてくる響き。
その関係性を心地よく例え抽象化する。
この抽象的な空気を響きに落とし込む。
気の置けない奴ら、利害関係者、友人、家族、通りすがりの人、応援してくださる みんな、
これは勤め人だから豊かな音が出せる云々といった物言いでは、決してないです。
でも、人生1度、さまざまなレイヤーの人々と関わりあい、何か通ずるものを持ち帰り、そこに流れる何かを響きにしたいなといつも心がけている。
立ち位置から変容してゆく景色、眼差し、言葉遣い、思いやり、態度、
ああ、こういうこと、
Ah ieba köh-iu.と下北沢MOSAiCで歌をうたいあう
この先も音を奏であう
Ah ieba köh-iu. マリ 蜃気楼 と出逢う
笑い合う
みんな、お楽しみに
<タッチ的 AND 要件>
久しぶりに皆さんに公演を観てもらえ嬉しい
and 平日18時〜 and ギターバンドが集合 and あーいえばこーいう最高 and
マリのライブ楽しみ! and 蜃気楼のライブも超楽しみ and 初めての下北沢MOSAiC