◆つゝら文

友垣の中に、まめ物かたりする人のいへる、哥は、いにしへの高きしらへを、よみうつすへきと云教へを、常のこゝろとはすれと、翁の、みつからゆるして是らとおほさんを、はつかはかりにても聞しらせたまへ、それそ、近くて迷はぬ道の枝をりなるへしと云。あな煩はし、まよはし神もこそつきたらめ、いて云しらさすは、いつ方にもや分ゆかんおほつかなさに、言には出ましきかたり言をそすなる。さは我さへも、野中古道ふみたかふへく成ぬ。みつから思ひあかるとも、其心のあやしからんには、はた打いつるもあやしけならんものそ。なめて人は、おのか好めるまゝに、左に右に力車おしたてゆく、それさるへき事なから、我心をこゝろとして、こときはむへくもあらす。されは、其初学ひのあなゝひせんに、いにしへ今おのれはかくと思ふを、かたり言にはすなる。或人は、古今和哥集の中につきて、よみ人しられぬ哥こそ、高きかきりなれとをしへたつるには、なまさかしき人のまねはんには、あはつけく、ひとつ姿の出立やとも見ゆらむかし。又片ゐ中の人は、万葉集をよみふけりて、其まねふましきをうつしてなしては、ぬえ、ふくろうの夜声、いまはしけにも打出るものかな。又後の世の、こまかにのみいひつゝりあらんは、篭にこめし春鳥のあそひ、けつり花の時しらぬ色を染なしたるあくひに、あるは珍らしからむとのみに、おのか巧みにあさむかるゝ。是等は、哥よむへくにもあらぬに生まれつきたる人ゝなるへし。花山の僧正、在中将なとの口ふりは、いにしへの誰によみうつすとはあらて、おのかたくめるまゝに、火もあつからす、水寒からぬ物に云なせるは、後の世の巧めりと云には似すそある。こもいにしへふりの一つなり。柿本の朝臣の、神とあふかれたまへる長歌のたくみは、其世にさへ誰まねふへくもあらす。言の数かきりしらす長はへたる、其終の句いは、唐うたの、惟今只鷓鴣飛なといふ例に、ならはせしを見れは、そのかみより、唐さまをやうつせしともおはゆかし。いにしへを押たてて物らいふ人の、しひて、唐さま、から事を学ふましく云と、後の姿をのみ哥と云人ゝの、この神しもいはひまつるとは、同しつらにや見はなちてん。又短哥は、心こまかに情しきか、後ゝのことわりに過たるにはあらて、あはれと打聞たまへらるをゝを、貫之、忠岑等は、さしあふきつゝ、しのはしくまうされけむ。赤人は、長きもみしかきも、共に直くあからさまに、山河の瀬ゝ底のかきり見ゆるさやけさを、後の人習はんとせす、たま/\まねはゝ、たゝ言にのみやなりくたつ覧。猶そのかみの人人の口ふりは、鴨の翁の万葉考のはし文にいはれたり。いにしへを高しとするは、友則、貫之、躬恒等、哥奉れとおほせうひて奉れる、はた直くすが/\しく、古きしらへによみうつされしを、代ゝの勅撰の中につきて、えり出て見よ、安くこゝろをうへき也。さて次ゝの世に、さかし人しき/\に出たまひて、心はたくみにあふれ、言はあやに過、しらへいとくるしく息つかれて、姿は花鳥のぬひ織して、まはゆきはかりなるうも、色音のにほはしからぬは、世につうれ、よろつ花やきゆくかやめる也。俊頼、とし成、後京極殿、定家、家隆、むかしの人々にもまされりと云。ある人は、この頃の人ゝは、吾よ出せるは、よく/\すりみかきたまへと、古哥のこゝろをたかへて、みたりに作りあらためらるゝは、おのか才能をたのみて、いにしへにふかく思ひたとらぬから也と云り。後ゝさかし人は、牛のかたなを取かまへ、或はたつゝ舞の足にみたっれに、男たましひもなきよといへる、何の道にも其本乱れては、末いかに成くたつ覧。さるは、師とて参るつかふまつうる其始に、よくえらひて膝折らすは、かひ有ましき事なり。よき師にあふは、世のさち人なり、おろそけなるに問ふは、まち人なり。さる人も年月におもひわたりつゝ、其教へにたかひとも、たゝ/\いにしへの跡をふみて、我は道にすゝぬへき也。師につきては、魚も千さとを行といへと、其まねふりてのみあらは、半徳を減すとも聞えたり。さりとて、一たひの師になめしからんは、おのか心のあやしきなり。師も我に似よとのも養ひたつるには、さかしきも取すゝめられて、生れ得しまゝにはおひたゝすそあらん。こは師の心のかたくなゝるか、即道におろそかなる故也。さて、としを経て思ひわたらは、いにしへの跡はあとにして、天つちのまゝ、人の情のまこといつはりを見とゝめつゝ、ふかくおもひ遠くはかりて、言には打出よかし。すまひか手つかひ、放下か鎌、やい刃のあやとり、ならひしまゝにてはとりたかふへし。翁かおろかなるも、親のたま物なれは、いかにせん。さる心にゆるせしは、いともあやしけなるへけれは、ゆめ六つの耳になつたへそ。

    花林朧月

桜さく春の林は久方の月のかつらも花曇りして

    関路花

しはしとてたゝすむ花にあふ坂の関はゆふへの戸さしせし哉

    海辺花

須磨の浦の磯山さくら咲にけり浪こゝもとにたちくとや見む

    花の哥

ゆふ日影かゝやく峰の桜花けふもなかめてくらす庵かな

高砂のをのへにたてる桜花はやも嵐のさそひもやせん

巻むくの桧原杉むら霞けりほのに桜の色にこほれて

山風の吹とはなしに玉たれの外面に花のけさは散くる

    禅林寺にて

さくら咲此山陰夕雲空さへ花のいろにまかひて

    落花

よし野山いはの陰道春ゆけは滝津かふちに花散うかふ

時鳥今や鳴覧花はみな散せし雨の名残ある空

    井なか住せし時年のあしたに

去年よりも姿をみせてけさそ鳴竹のやとりの鴬の声

    子日

大原や春日の神もゆるさなむ子の日の松は森の下草

  春の歌

都辺はちまたの柳そのゝ梅かへりみ移き春に成にけり

高円の野へ見にくれは新草に古艸ましりうくひす啼も

柳もえ芦つのくみて津国の長柄の堤人のゆきかふ

春の雪あかきにくたき信濃なるすがのあら野の駒いさむ也

  梅

をらはやと立よる梅に鴬のゆるさぬ声をおとろかす哉

この里は梅の林にこめられて薫るものともしらすそ有ける

  江畔梅

江をわたるうめの追風香をとめて花のところに舟はとせなん

  ゐ中に在て難波人に云やる

おもふ人こんといふまにうめの花けさの嵐に散初にけり

  春雨

こち風のけぬるき空に雲あひてこの芽はるさめ今そ降くる

けふ幾月はれぬ雲間にのとかなる日影をこめて春雨そふる

  春雨枕にしつくす

春のよの雨もる山にやとりしてまくらにちかき雫をそ聞

  春月

みよしのの花おそけなる年たにも河せおほろに月はかすめる

  春野

春の野の鵙の草くき誰見ねとおとろき顔に鴬の啼

  蝦

よしの川かはつ妻よふ夕暮に宿かる我もひとり寐

  大田覃かあまつに帰るを送る

風あらき木曾山さくらこの春は君を過してちらはらなん

    躑躅

みよしのは青葉にかはる岩陰に山した照しつゝじ花さく

    藤花

神松にかゝれる藤も手はふれむいてや引てふ大ぬさにして

    暮春

けふとくるゝ日数にもれてみ山にはおそけにもあらぬ花も咲けり

    杜鵑を北山の何かしか出居にまつ

ほとゝきす待をならひと夕かけて山のいほりに長居せしかな

    祭

加茂山の神のおまへの駿河舞袖に桂の風も薫れり

    夏山

鴬の古巣の谷は氷とけいつか青葉の陰となりにき

伊吹山させもか草の茂けれは打散露も雨とふりつゝ

    水鶏

夏の夜に何をくひなのたゝかすはあけしともあらぬ天の戸さしを

    鵜河

御舟ちかく波をこかせる篝火に鵜のとる魚の数は見えけり

    卯の花くたし

津国にありといふなる玉川はうの花くたす流也けり

    あやめ

故郷のなからの沼のあやめ艸むへしも長き根をはひくてふ

    早苗

さなへとる時にはなりぬをと女等か難波すか笠紐はつけてん

かく山のをのへに立て見わたせは大和国はら早苗とる也

五月雨を思ひのまゝにせき入て小田のますら男さなへとるらし

    五月雨

さみたれに須まの笘屋の芦すたれたれこめてけふも暮ぬとそ見る

疎からぬ隣なからもあし垣の間とほになりぬさみたれの此

五月雨はふるともゆかな住の江のみとしろ小田の早苗とる見に

  夏月

松風のおと羽の山をこえくれは夏ならぬ夜の月すみわたる

  夕立雨

けふも又よそのとみしを上蔀おろす間もなきゆふ立の雨

風はやみ鞭さす方に雲落て我駒嘶ふ野道のゆふ立

  納涼

入つとふ千船の中をこき出て夕すすみする難波人かな

  瞿麦

なてしこの花のさかりの久しきに初あき風も吹たちぬらし

  みそき

唐崎の身そきははてゝたか里にゆふへ涼しく漕かへる舟

   ◆暁時雨

む月きさらきと、雪ませの雨を、春の物とは誰なかむましきか、五月雨におほかたも降つきぬへし。人の侍こふゆふゆたちは、けほとき夏の日の、年なみならぬあつさをあへき暮しつ、中秋の月にはさはらて、廿日まりより、又日毎に雲立かさなりて、軒のたま水もにはたつみも、いとなかりける年のもあるか。なが月のついたちの空、いと清うはらたるに、むかひの家の老たる桜の木に、いとめつらしな、鴬の春告るはかりに、声ほころひ出たるは、あたゝかなる此ころの日影喜へるならむ、。清少納言のさう紙に、秋に末まても鳴て、虫くひなと、よくもあらぬ名をつけらるゝよといひしは、この年にやおなしかりけむともおもふ。あした毎にさへつりつゝ、月をわたる事のおもしろく、かつはあやしくも有か。神な月の是の日の夜すから、云かひなくあた/\しき事とも、思ひつゝけては、明やすると、戸すこしやりたれは、またくらきに、雨の打そゝぎおとすれは、

 今朝はもよしくれをそへて暁のかねつく寺のちかき枕に

と云つれは、いとあやし、此せはき庭もせに聞とかむるものゝあるは、人ならすて何ならん、いとほそく、声のやうにもあらて、

 鐘のおとしにしぐれをそへて明る夜のいさよふ冬のあはれなりけり

と云を、聞ほとに窓のしろく成は、明にけるよと思へと、おとあやしうおそろしけれは、たてこめをる。又、むかひの梅の木末より、我軒に飛うつり来て、

 春冬のあはれを我はわかなくも時にうくいすと啼

とかへしめきてよみたる後に、鳥かことゝへる、翁は此やとりしたるいつの頃よりそ、我は志賀山より、年ゝ此あたりにさまよひ来て見知たれと、今朝こそ物はいひかはすれと云。こゝなる者の、我は紀の海の礒廻におひたりしか、三とせはかりさきに、都の人の玉津嶋まう出して、かたちをかしとて獲られしを、此庵のあるしの、又奪ひてこゝには住なり。鴬云、此あるしも哥よむか。答、天か下のえせ言をよむ也、さるから、世に交わらす、はかなう打泣てのみよむ、老やみならす、くらき眼にたゝ清くいさきよき事を好む、それも世に多かる、手洗ひ塵もふましとするにはあらす、世情の濁りを忌さくとつとむるかと見れは、あるときは、出交りても遊ふ物狂ひなりき、こゝに在てきけは、此庵は大屋の君の、年に三度、月待と云かしこ事を行なふ為に造らせしを、かりて住まゝに、おのか名を清処士と呼へく、一たひは思へりしかと、厠のひとつの名を、もろこしにては清とよひ、字には〓とも作りて書と云を、立かへりて思ひて、え名つけすそある、穢れを忌あまりには、清しなと呼へく云よ、おろかなる心の煩ひならすや、きよきもけかしきも、すむも濁るも、かた/\にのみ有へきかは、いさきよからんとては、かへりてえきたなきにまみるゝにあたりて、おのか病をつのらす、いとあさましと云。鳥のほゝと打わらひて、蓮の花の清けなるも、冬の池にくき葉のはて/\を見よ、雪のふりつみしに、くらふる物なきゝよさも、消残りてくろみ垢つきたるは、いかになかむるや、人の心も清き名を好みては、江に落入、山に飢たる人の屍の、誰とりをさめぬほとはくされたゝれて、其香は何にたとへかたくあしきを、思はさりしならすや、いひもてゆけは、かたるをさへいみしくうたてきそ、よろつの物の終なると云。此ことわりとものありかたきに、戸をやりはなちて、なほことゝひせんとするに、おとろきて、あなくわやとて、鳥はむかひの木に飛かへりぬ。雨しきりなれは、雲こゝに落て、くらきに目をはたけて見れは、我庭もせなるは、何某に乞得つる、かはつのかたちせしさゝれの物云なりけり。あなたうと、かくもこゝろえたる翁ともしらて、捨おきつる事のなめしさを、今はわふるはかり也、翁か云如く、鳥のさとせるかことくに、或法師もあしきを忌むをよしとや、其いむ心そ悪きはと云しを、いとかたしけなしとて、常に好める茶もて、此心を洗ひすゝくとすれと、なほやまぬ事のかなしさをいかにせんといへは、渠云、いな、君か好める茶の哥に、真茶真水共清韻、貧必非清清自貧といひて、貧しきに誇りたまへと、財宝をこそはやく散し果たまひたれ、よろつを、おほすまゝありたきまゝにて、世はわたり給へるにあらすや、此さぐるはかりのやとりをさへ、我見ても幾度かすりくはへたまひし、それいかてまつしき人のなすへき、かく思ふにかなへるは、耕す硯の水のかはかぬものから、其あらはせしふみのことわりにつきても、いとよし、いさきよしとのみ聞人はあらて、あなひか/\しの名を好むしれ人やと、云けかす者のなくてやあらむ、君常にもいはすや、前のほまれ後のそしりも、おのれ/\か好める方に、綱ひきてあらそふのみ、くし、釈迦の聖達のほかは、よしと云もあしと云も、実の定こそなかるへけれと、のたまへるにたかへて、みつから清しと思す事の、尚よそ目に濁れりといはゝいかに、茶も三〓に過れは、胸中の五千巻もむなしく、或は仙に通すといひ、七〓つひには飲事あたはすして、清風両腋より生すとは、清きに過たる酔いここちの、聖達のすめりと云にはあらさるへしと云。打もたされて、まことにも、過ぎるはあやまち也と云ことわり、聞知らぬにはあらぬと、病の為に、身をあやまりぬる事の悲しさよといへは、否、身こそあやまりたまへ、人を損なひたまはぬは、清きをつとむるひとつ也、さ(三十五才)れは、是をつとむるは心を蹴る煩ひにて、はて/\は世にとかめらるへきものそ、大悟いく度、小悟幾たひ、洗ひすすかん其かきりには、糸筋みたれて破まよひたらめ、命の後の名を清めんとせは、活ての世にそは/や、真水は香無し、味なし(と)、能こころみたまへとて、再ひ口をひらかす。此物を見れは、むへも眼高く、腹大いにして、我にはまさりたれ。されと、まことには物はいはさりき。あやし、夜るをすから」のあたなりし思ひの、心をさへ煩はすよと、やう/\おもひなれは、雲こめたるけふの空の、日は西にやかたふきぬらんかし。        

  あくと見し空は時雨のふり/\てふゆへの寺の鐘そ聞ゆる

花に鳴うくいす、水にすむかはつの哥よむを聞きも、ともに心のわつらふにやあらむかし

   ◆〔菊花の説〕

この御国にては、桜こそいとあてはかにほまれ有木なれ。十恭の帝の、花くはしとめて言して、かほよ人に、取並へなちかしませ給しを、後の世に花といへは、是そと云ならはしたるいはれを、ここにもとつけて云へかりけり。草は春秋の花、をかそふれは、指もそこなはれぬ」へきか中に菊こそ世に幸ひはあんなれ、かたしけなくも殿上ゆるされては、天津星よと見る人の言をはしめに、朱雀んのみかとの、わきてとりめてさせしかは、おほみ名をさへ犯し奉る事のかしこさよ。もろこしにても、何かしの帝に思はれて、御愛てふ名の誉れ有なへに、機つるは御枕なとも呼れし。すへて高き御あたりの仙に、恥らひ無く出ましらへるなん、かひある秋のくさはひなりけるを、五斗のよねに腰おらしと、すく/\しき人の離には、隠君子と呼れし、おなし物の上とはおほししられすなん。山路の菊とて、さかしき岩ねくつれこほれし岸陰によろほひつゝ、露霜をいためるにも、香はかりは秋に秀て、山下水をさへあやうしかんはしくするを、文に作りて、目てたきためしにとりはやせ、それか中にさへ麝香の薫りぬきたるを、鞍馬の貴船の谷かれかれに摘こして、山つとに我に贈りし人の袖、いかはかりくんしけむかし。世を見れは、園につくり、ませこゆひそへて、こち/\しきまてによそひしは、いとまはゆけなるに、筑紫綿其いろ/\に染なして、うつくしけに打かつけさせ給へるは、うへの女房達の情しき御すさひなから、霜夜の後のつま紅の雪とみなさるゝ、春の木のもとにはまさりたらめ。又、酒に浸して千歳を延るとことほきする人の、百歳経ん事は、いともかたしかし。彭祖か家(命)の長きを問はゝ、此花知らすとやこたへむとは、たくひなき色にかたちに咲にほふは、植けん人の、こゝろ尽しのほまれあるものにこそ。むかし賀茂の真淵のよめる歌、

  あたら代のたひらの御代にめてそめし菊は千くさに成にけるかな

                          六十六翁餘斎記

   ◆〔花鳥山水 画論〕

絵は国かたを写すそはしなめる。是を図籍とかおしいたゝきて、かしこき文にも、述かたき事は形もてしさしめたる也。仏のゑまひ人の、ゐ/\しき御姿なとは、道ゝの教を久しき世につたへまくする、まめわさのこもたふとし。から国のはけしきけた物、目に見えぬおにの顔のおとろ/\しきは、さこそとも見過さんかし。鳥の木つたひ、蝶の草葉に羽しはしやすむるは、筆もて織ぬふかめゝしきものから、よく巧みなしたるは、ことさらにめてたし。世のつねの山のたゝすまひ、水の流、家居のありさまを、まさめにけにとおほすはかりは、いともかたき事に聞えたり。唐やまとのけちめは、我しらす、いきてみんと思ふも、ゆかてはたかゝ覧とめとゝむるも、いさなはるゝ筆のさかしきにて、あやしうたへなるわさにしも有かな。さるかたに、わかきより一日怠らぬ人の、我を親しみて、よろつの物かたりするつい手に、この比はすゝろ心して、野山海川のゆほひかなるをのみ、おもひしみつゝ、花鳥のいろねなつかしからす成にたるは、いとかたは也やとなけかしく思ふは、いかにそやと聞ゆ。よしや我しらぬ道なれは、それよしとも、あしとも、さたすへからねと、木草の色の、まことを尽してかさねたらんは、かほよ人写し出て、すきものゝ心を動かすると、おなしつらにやいひもしつへき。されは、いにしへのくにかたの跡とめて、山や江や、春秋のあはれを見せたらんこそ、よき人の心をもなくさめつへかめれ。山に足を疲らすは、高きに目をほしきまゝならむとや。ひろき海にこき出て、たゝすけなとするは、心をすゝしめむの遊ひ也。絵はまことにめてたきものそ。絹に紙にたゝみなしては、嶺あり谷あり、岡や岬、洞をふかめ滝をおとし、江をたゝへ池をくほめかしつゝ、雨雲こめたる空には、旅ゆく人のあはれ、小田のさをとめのいたつきを見せ、雲の降つむあしたを、ゝりならぬにも肌氷り、骨もひゆるはかりに、きのふはさゝ波やあふみの海をわたり、けふは大木蘇やをき曾の山の岩のかけ道ふみこゆるそあやしかるを、大名持、少名彦の神も、御手をむなしくて見そなはし、大山つみもわたつみも、いくそたひこゝにかよはせたまふらん。さるは足をつからし、魂けなともせて、日々に玩ふ事のたのしさよ。しかすがに山にはおもひを高くし、海には心をすましけむ、昔の人のかしこきをわすれす、あやにくのあた物に書すさふ事なかれといふは、おのれはかせめきて、いと聞にくかるへき。

                               餘斎翁書

   ◆画隠松年にあたふ

花のくさはひをなつかしむはたのし。花の品々をわかつは煩はし。色に香に、おのか好めるまゝにこそあらめ。から名、やまと名、しひて問あきらむるは、少名彦那のくすしきわさするつとめ也。それのふみ等よみて見れは、誰かいはく、味はひ憇し、何某か云、酸し、いなや、いさゝか苦くてなと、おなし物の、はつかにてもたかふはいかにそや。まして国たかひては、こと/\同しかるましきを、穴くりとめてあてまとはさんよりは、目鼻喜はさん外はあらしと、れいのおろそけなるさかのまゝにこそあれ。蝶と生れてなつかしみし人は、さ迦の御弟子達の罪ふかしとや悲しみ給ふらん。よしや、おのかすける願ひにしもあらは、それそ成仏の因といはゝいかに、花を折は、かほよ人を撓むる也といひしも聞ゆ。折ては瓶にさし入、あるし設せんも、あすは散しほむを、いつまてとかとてなん。蘇子瞻の芍葯七千余朶、欧陽公のはちす千余茎、豈思はさらんやは。四の時々の木草のあはれ、散れは咲かはるを見れは、ひと花のみを玩ふ人の、又来ん春まてを、いかにさふ/\しくおはす覧。昔難波の片ほとりに棲て、梅、さくら、牡たに、蓮の花、秋菊の五くさをなつかしひて、家を五花堂と呼て、是に命をまかせし人のありき。散れは咲つきつゝ、おほよそ一とせを見過しけんは、心のとけしやとも思ふを、猶千くさ百種にもいとまあらはと思へと、土かひ水そゝくわさの、うたていそしからむよりは、蝶とうまれて、春秋のかきりならんこそともいはめ。又、絵にうつしとゝめて、是みはやすは、翅つかるゝまてこゝかしこならんに、まさりたらめとにや。画は仮初の色にしあれは、香はもとよりとゝむへくも非ねと、折らすたはめす、枯しほまぬは、蝶と生れんねかひにはまさりたらめ。よしや、是にかなへは彼にたかひ、よきもあしきもかた/\ならて、かたみに相ましこりたる、是につきても、世はこゝろ得らるゝをとて、今日の暇にかいしるせれと、賢き人の見たまひては、おそのさかしらやと、打あさみたまふらんかし。

松年か常につとむる所、筆とるいとまには、野にましり丘にのほりて、時ゝの色香をえらひ、見しらぬを摘折て写とゝめ、又、鳥虫の声々をとゝめつゝ、其かたちをくはしくす。是を絵かきもて、老か旅のねさめをなくさむる、此まめ心にむくふへきをしらねは、あちきなく思ふ心はへを、あやしうつゝしりなしてあたふるにも、尚まくるこゝちなんせらる。

   ◆河つらの宿

大きおとゝの、津の国次田の山荘にも、いとしは/\おはしませて、さま/\のおほん遊ひ数を尽して、いかにせんともてはやしまうさる。河に臨める家なれは、秋ふかき月のさかりなとは、殊にえんにて、門田の稲の風に靡くけしき、つまこふ鹿の声、衣うつ〓の

音、峰の秋風、野辺の松虫とりあつめ、あはれそひたる処のさまに、鵜かひなとおろさせて、篝火ともしたる川つらの、いとめつらしう、あはれと御覧する日ころおはしまして、人ゝに十首の哥めされしついて、院の御製、

 河ふねのさしていつこにわかるらん、旅とはいはし宿とさためむ

かうし上たるほと、あるしのおとゝ、いみしう興し給ふて、此家のめいほく、けふに侍るとそのたまはする。けにさる事ときく人、皆ほこらしくなん。おり居給へる太上天皇と聞ゆる、おもひやりこそ、おとなひさた過たまへるこゝちすれと、また三そちにたにみたせ給はねは、よよつわかうあひきやうつき、めてたくおはすいるに、時のおとなにて、おも/\しかるへき大きおとゝさへ、何わせんとて、御心に思ひめくらしつゝ、いかてめつらしかんとて、もてさわき聞えたまへは、いみしうはえ/\しき比なり。帝まして幼くおはしませは、はかなきおほっまそひわさより外のいとなみなし。摂政殿さへ若く物し給へは、夜昼さむらひ給て、女房の中に交りつゝ、みたれ碁、貝おほひ、手毬、へん次なとやうの事ともを、思ひ/\にしつゝ、日を暮らし給へは、侍らふ人々も、打ちとけにくき心ちかひすめり。節会、臨時の祭、何くれの事ともを、女房にまねはせて御覧すれは、大きおとゝ殊に興し給て、ことさらにちひさき箸なとつくらせ、あま奉らせ給へは、うへも喜ひおほす。人道大きおとゝの御むすめの大納言のすけ、中納言のすけ、かうたうの内侍、少将のないし」、かやうの人々、皆男のつかさにあてて、其役役をつとむ。いとからい事とて、わひあへるもをかし。中なこんのすけを、権大納言実雄のおになさるゝに、したうつはく事いかにもかなふましとて、曹司におるゝに、うへもいみしう笑はせたまふ。弁の内侍菴の葉に書て、彼つほね

 津の国の芦のしたねのいかなれは浪にしほれてまたれかほなる

かへし、

 つのくにのあしのした根のみたれわひ心もなみにうきてふるかな

是は、増鏡第五、内野も雪の巻に見ゆ。帝は後深草院、太上天皇は後嵯峨院なてまします。太政大臣は西園寺公経公、摂政とのは御子んも右大臣実氏公。其歳は、宝治元年、二年いつれの年にや、比は神無月あ余りとか。此事見出つるまゝに、彼里の河面氏の許へ、写出てゝおくりぬ。

 いく秋かこの川つらの軒ふりてむかししのふの草はおひけり

此事見出つるまゝに、彼里の河面氏の許へ、写出てゝおくりぬ。

 いく秋かこの秋かこの川つらの軒ふりてむかししの草はおひけり

 いく秋かこの川つらの軒ふりてむかししのふの草はおひけり

此事につきて思ふ、あはれあさましきおほん世のさまにも有りしかな、帝を始奉り、かく大臣の内を打ちあけさせ給ひて、遠きゐ中に、日ころ出て遊はせし事よ。かゝるをよみゝ奉るにつきても、今のおほん時の有かたきをは、おほし知奉る也けり。されと、かゝるたわやきたる御代にたに、奪ひからむとするもののなかりしは、異国にすくれて人の心直くひたふるにかみをあふきたふとめるなん、神の御裔のありかたくらしこかりける。あなたふと、あないみし。俣按するに、後世聖歎外書の戯場の遊伎は、こゝにはしまる歟。