【序】

  序

曇りなき月すみだ川の浪静に吹風柳の枝を鳴さず人の心も和颯利と春めく花にやどりのうぐひす笛音もおもしろき三味線の色香をのこす梅若の昔語を聞伝て今の世の諷物となしぬ誠に見ぬ代の有様をいざこととはん都鳥妻恋の口笛にまかせてありやなしやの世がたりを集め五の巻/\に載てたのしき春の慰ものとなし侍ぬ

 享保十九寅の                 作者 自笑

    はつ春                 作者 其磧

【巻1目録】

都島妻恋笛   一之巻

   目録

第一 殿ゆへに骨を折斑女が扇は恋要

   又と内儀の粋な梅色香ある花子の風俗

   子をまうけて奥様に成て北野の神の御利生

   松と梅と連なる枝の直成心の兄弟子

第二 前載の松に風吹立る地の底の笛の音

   地の下の笛の音は主は誰共白髭の法師

   堀出してみればゑぐい顔な芋堀坊主

   慈悲が怨とは知ぬが仏方便の盃事

第三 執心をかけた衣の裙貧乏は菩提の妨げ

    叶はぬ恋にあたり眼な天狗だのもし

    ほれられたは浮身の灘周防内侍に替らぬ俤

    我朝までねの高い唐土の笛は身の怨

【巻1-1】

  一、殿ゆへに骨を折斑女が扇は恋の要

 皇が御代栄んと。東なる陸奥山に。金花今ぞ盛の家の名を。五十四郡に輝し。其身のほまれ国民のうはさも。益吉田少将行房卿。五年が間奥筋の政事直に執行ひ。事故なく治め給ひ。今年国司の任終り。新司の公卿と入かはり御帰洛あり。直に参内有ければ。天気殊にうるはしく。心のまゝに休息すべしと。世にありがたき勅諚にて。喜悦の眉をひらき。帰館あるこそめでたけれ。

 奥州に在国の間。あまたの黄金をつかさどり。支配したまひしによつて。世に比なき福者と成給ひて。栄花の春の花の下に。酒宴をなしてたのしみ給ふ。

 爰に少将の領分。濃州野上の里の長が娘。花子といへる遊君は。街道にかくれなき艶者。眉目容のうつくしきのみにあらず。手つたなからず。哥の道に心をかけ。琴三味線にすぐれ。情の色ふかゝりければ。近きあたりの人是をしたひ。風流の輩こと%\く是になれざるを恨みとし。好事のもの皆これに契らざるを恥とす。

 然るに行房奥州下向の刻。長が許に泊り給ひ。花子が艶色に愛給ひ。五七日も逗留ありてふかく契給ひ。追付奥より帰りなば。必都へ具して帰るべし。それ迄の筐にとて。みづからあそばしたる秋野の絵書たる。扇子を残し置て立たまふ其夜より花子此扇子をはなさず。少将を恋したひ歎く事。かの松浦佐用姫が。妻の佐手彦をしたひて泣つくし。ひれふる山にて石となりしむかしも。かくやと思はれける。

 かくて少将陸奥に着し給ひて。或雨しめやかに降て。古郷なつかしく。殊に花子が情ふかゝりし事など思召出られたる折ふし。花子忽然とあらはれ。有しにたがはず夜の御伽に参り。夜明ぬればすがた見えず。暮れば又来つて五年が間御ねやへ忍ひ参りぬ。

 今度少将奥州を立て帰洛し給ふ節。野上の長赤坂迄御迎に出。御駕の前にひざまづきて申上けるは。

「娘花子君御下りの時。御情にあづかり奉りしをわすれやらず。残し置れし扇子を持て。たゞ御事のみ申出し。朝暮あこがれ奉つて。つゐに病と成。たゞ鬱々としてねふれるがごとく。ひとりごとする有様。酒に酔たるに似申。何共心得がたく気づかひに存じ。医師をたのみ治すれ共。露はかりのしるしもなく。陰陽師にはらはせ候へども。猶うつゝ心に成て更に正気なく。折々は君の御名を申出し候。あはれ御立よりあそばし。娘にはゞかりなから御教訓なし下され。本性に成候やうに頼上奉る」

と。子ゆへに迷ふ親の身の。涙をながして申ければ。行房卿聞給ひ。

「扨は此娘我をしたひ。此比迄奥州にありてつかへしは。恋しゆかしと思ふ魂ぬけて来りけるよ」

と思召合され。

「心やすかれ。今行て様子を見てとらせん」

とあれば。長は悦び急ぎ立帰て。娘の花子が枕によりて。

「吉田少将さま御無事にて奥州より御のぼり有て。只今是へ御立寄有間。髪をも結仮粧をもして。表迄成共御迎に罷出よ」

といひける詞を聞て。忽にしほれし草花に水を打たるごとくにいき/\として起出。髪容をつくろひ。衣裳着かへ衣紋つくろひ。少将御入あるより表へ出て御対面し。詞はなくてたゞ涙にぞくれにける。

 少将も恋しさに御柚をぬらされ。奥州にてさびしき折々は。夢現ともなくま見へたる段/\を語給へば。みづからもうつゝ心に御めにかゝり候と覚えしが。扨はみづから恋しゆかしう思ひまいらせたる魂あこがれ出候ものにて候はんと。たがひにあさからぬ中の御物語つきず。

 其夜は御泊り有て。長に千金をとらされ。花子を都へ具して帰らせ給ひ。残し置たる扇子を愛して。我をしたひぬる有さまは。彼漢成帝の后。斑女といへる女。君王の寵愛おとろへし時。我身を扇にたとへて。怨歌行を作り。成帝を恨み奉つて狂ひしといふ事あれば。今よりそちが名を斑女と名付べしと。それより斑女とよびて。いよ/\愛し給ひける。

 少将もいまだ定まる奥方もあらざれば。斑女を御上屋形へ入られ。御台ひろめもなされんと思召れ共。少将の母儀妙薫院。中/\御承引なくて。同じ公卿の御息女方を聞合し給ふによつて。少将きのどくに思召。御隠居の家老。山田三郎道継をひそかにめされ。

「母は元来由緒正しき常陸大掾百連の姉ごにて。人の妻たるものは。筋目をたゞしよび入るものと。かたふ思召つめられ。世間に男の好ぬる女を娶事を御存なきゆへ。我不便をくはゆる斑女を指置。公家高家の息女をむかへんとの御心にて。此間媒妁をたのみ嫁をしきりに聞るゝよし。尤母の仰なれば。妻をむかへ給はらば。違背せず婚礼の祝儀はすますべきが。熟縁にて是迄不便をかけし斑女を捨て。心にもあはぬ妻と親く契らんと思ふ心ざしはみぢんもなし。然る時は一家と結びし輩共不和に成。禁庭への聞へもいかゞなれば。汝何とぞ母の御機嫌を見つくろひ。斑女を屋形へ入くれらるゝやうに。取なし申て首尾させてくれよ」

と。頼み給へば。山田三郎仰を承つて。御母公の機げんよき時を見すまし。少将殿のねがひの趣を段々申入ければ。母公聞召て。

「わらはが斑女とやらいふ少将が妾を本妻になをして。屋形へ入まじきといふを。少将が心には。野上の里の遊女なれば。筋目賤きを忌て。我嫁にせまじきと思ひ。屋形へ入ぬと思ふ体也。さら/\さにはあらず。たとへ関白公の御息女をよびむかへとらせたればとて。一生そふ女房の事。心にそまぬ女に長くそふてゐられふか。たとへ賤きものゝ娘なり共。心に入て。不便に思ふこそ。縁がゆきあひしといふものなれば。他を求るに及ず。

 さいはいなれば斑女を屋形へむかへ入んは重畳なれども。爰を三郎よく聞て。少将に合点のゆきぬる様にとくといひつたへてくれ。惣して妻をむかゆるは貴賤にかぎらず子孫をもうけ。永く家を伝へん為に。女房はよぶぞかし。それにむかしより流れを立る道のものは。子を産ぬものと世俗いひつたゆるにあらずや。すでに君子の誡め。女を去七つの品の一つにして。子を産ざる女はよぴむかへても離別する法にてあり。わらは女なれども此心をもつて。斑女を本妻にむかへ入ず。今にても懐胎して。男子にてもまうけなば。母にことはるに及ず。屋形へ入て少将の簾中と。一家中にあふがせよと此旨とつくといひきかせ」

と。道理を立てのたまへば。三郎至極仕り。此由少将并に斑女へいひ聞せければ。斑女は子のなき事をかなしみ。日比信心し奉る。北野の天満宮へ懐胎の願をかけ。百日が間丑の時にはだし参りを思立て。深更に及で斑女たゞひとり。夜な/\参詣して祈給ひける。信心誠ある時は。霊験あらたにして百日詣で満ける夜より。懐妊し給ふぞ不思議なる。

 かくて月日かさなり。当る月に安く平産有て。玉のやう成男子をまうけられ。行房の悦び何にたとへんかたなく。ひとへに天神の御利生と。御礼のため少将も一七日通夜し給ひ。願成就の御礼に。松梅をゑがきし絵馬を宝前にかけられぬ。

 かくて母公も悦びなゝめならず。やがて屋形へ呼入給ひ。少将の御台盤所とかしづき給ふに。又程なく懐胎有て。これも事なく安産にて。男子をもうけ給ひければ。少将歓悦有て。我子を儲し御礼に。先達て松梅の絵馬をかけしが。天神感応有て。今二子を授給ふと。則松梅の絵によせて。惣領を松若丸と名付。次男を梅若丸とよび給ひて。誠に唐土の蘇老泉松と梅を夢に見て子瞻と子由とをもうけ。松梅の夢によりて。兄子瞻の小名を梅仏子といひ。弟子由の小名を松仏子と名付られしが。後兄梅仏子は。東坡居士とて。あまねく三国に詩人の名をあらはし給へば。今我二人の子共成長ては。父にまさりて家の名をあらはしなんと。一ッ家をまねき酒宴をなして。悦給ふぞめでたけれ

【巻1-2】

  二 前栽の松に風吹立る地の底の笛の音

 貧して諂はざるはあれど。富で奢らざるはなし。

 吉田少将奥州国司職をつとめられし時に。多く黄金を納たりしゆへに。俄の富貴にをのづから驕出。北白川に方四町の地を求て。新に下屋敷を立られ。物好の座敷寄麗に金銀をちりばめ。屏風障子皆花鳥草木の絵をつくし。あたりもかゝやく計にして。見る人目をおどろかせり。庭にはさま%\の石をあつめ。白川の流を泉水にしかけ。比叡の山を庭にとり。はたちばかりの艶女に酌をとらせ。班女と不断のたはふれ酒。誠に喜見城の楽からつりとるくらゐぞかし。

 しかるに此地にひとつのふしぎあり。時を定ずいづこともなく。笛の音かすかに聞こゆ。松ふく風の音かと耳をすまして聞ば。まぎれもなき笛の音也。少将ふしんに思召て。心を付て笛の音の聞ゆるもとを聞届られしに。牡丹畠のしたに慥に聞えぬれば。其所に目印を立て。近習の若侍三人を召れ。鋤鍬鶴のはしなんどにて。印の所をほらせ見給ふに。土四尺計下に。楠の板一枚あり。はねおこさせて其下を見給へば。年の程六十計の法師とは見えながら。白髪まじりの髪長く生て肩にかゝれり。身には鼠色の衣を着し。痩おとろへて眼光り。手に横笛を持て西向に座せり。

 若侍共これを見て肝をつぶし。化物ならめ只一打にと。刀の柄に手をかくるを。少将をしとめ給ひ。まづ法師をしづかにいだきあげて。

「是へ出せ」

と有ければ。畏つて三人前後より手を入抱て。土より上へ出しぬ。

 少将側ちかく寄給ひ。

「貴僧はいか成ゆへに。土中に生ながら埋られてはゐらるゝぞ。子細を語り給へ」

とあれば。法師しばらく物いはず。やゝあつてほつと息をつぎ。

「愚僧が俗性は賤しからざる者なるが。わかき時女色におぼれ親兄弟の異見を用ひず。不義放逸の行跡によつて。親一門の勘当をうけ。都にたゝずむ所なく。関東へくだり。暫く寺の隠居に奉公せしが。隠居の老僧は世に尊き御方にて。仏法の有がたき深理を説て聞されしより。発起して直に出家し。卅余年諸国を修行し。心のとまる霊場には。一年半とゞまつて念仏し。七八年以前に此所に草庵を結び。念仏の間には俗の時より好ぬるゆへに。笛を吹てたのしみとし。をのづから所の人。白川の笛聖と貴みぬ。

 我此世に居飽て。早く極楽浄土へ往生せんと思ひ立て。去ぬる比土中に入定せしが。其時節近辺より聞伝へに。結縁のため貴賤群集して我を拝する中に。はたち計の女中。歴々と見えて風流なるこしもとはした大勢つれて参られ。彼女中絹被を上て。我を見て拝み給ふ顔ばせ。わかき時より色を好しゆへに。多くの女を見しに。つゐに見たる事なき美人。世にはかゝる美女も有ものかと。入定の砌思ひ初たる見濁の業にひかれ。五薀の形いまだ破れず。此愛着の念によつて。土中に埋れながら往生をとげず。食事を始湯水の事も思はず。夢の如くにして今に命絶せず。弥陀の宝号を唱る間には。此笛を吹て今日迄息絶ずして。思はずも堀出され。ふたゝび娑婆の輩に詞をかはし申こそはづかしけれ」

と。身の上を懺悔したりければ。少将はじめ三人の者も。誠に寄代の事かなと。横手を打て我をおれり。

 少将かさねてのたまひけるは。

「御出家に俗の教化と申は。正真の釈迦に経にて候へども。一念五百生繋念無量劫とも説れて。一念によつて六道流転の間に。生々世々のくるしみを受て。愛着執心の綱にしばられ。善所に至る事更になしと聞ば。入定の節見初られし女色の迷ひをはらされ。速に成仏し給ふやうに心を改め。実に念仏唱へて。妄想妄念をはらし給ひ。往生の素懐をとげらるゝ迄は。我朝暮の看経の仏間をかし申べし。汝らよくいたはりて。仏壇の間へいざなひ申せ」

といひ付らるれば。近習の人々件の僧の手を引腰をかゝへて。持仏堂の間へ伴ひ行。

 粥など参らせ。又は御手医者にいひて。保養の薬を調合させて参らせければ。次第に気力つきて。昼夜絶ず念仏となへ。一心に弥陀の来迎を待給ふは。さすがに世をのがれし沙門ほどありと。いづれも殊勝におもひけり。

 早日も五七日立けれ共。臨終の躰もなく。顔色もつねの人の如くに成て。益気勢つよく成て。猶一心不乱に仏名怠らず。となへゐらるゝこそきどくなれ。

 今日は少将殿未明より参内し給ひ。御上館より斑女を見舞の為とて。松若丸来り給ひ。四方山の咄をして。

「追付父上も帰り給はん。それ迄はさびしう候はん間御伽申さふらはん。さいはい牡丹も咲しよし。いざ花畠へお供申さんと有ければ。斑女聞給ひ。

「能こそ心がつきて見舞に来てくれられたり。先そなた先へ行。花共を見てなぐさまれよ」

と。茶頭の竹斎を付て花園へつかはされ。扨御近習の姫松右京を召れ。

「聞ば此比花壇の地の底より。入定の沙門を堀出し給ふよし。女どもが噂にて聞しゆへ。殿御におたづね申せば。若い女は聞ぬ事と御取あひもなく。子細をお咄なされぬゆへ。その様子が聞たさに。其方を招きたり。つゝまず様子を語りきかされよ」

と。余儀なく仰らるれば。右京つゝむべき訳にもあらねば。

「さん候此地を御求有て。此度かくのごとく御下屋敷を立られ候所に。折々いづく共なく笛の音聞へ候ゆへ。殿御ふしんに思召。音をしたひ所を求給ふ所に。牡丹畠の下に極りしゆへ。某等に仰付られ堀されしに。土の中に楠の板有。取はなしみれば。六十計の法師手に笛を持て。うつゝのごとくに座してゐられ候を。漸いだきあげて子細を尋ねさせられしに。入定の節群集の中に。見めよき女中のありしを見合せ。世にはかゝるうつくしき姿もあるものかと。ふと妄想妄念きざし。是によつて今に往生をとげずとの懺悔咄を聞召。其侭にて指置ば。一念の執着によつて。魔道へおちられんも痛はし。出家壱人相続さすれば。仏を造りしも同然。仏間に指置いたはり申せとの仰付にて。粥などを参らせはごくみ。妄執染着の念のさめるほど。念仏を申させ候」

と次第を語ければ。斑女聞給ひて。

「それはわらは心あたりある事有。七年計以前に吉田へ参詣せし折から。人多く北をさして行ゆへ。何事かとこしもとにとはせぬれば。白川の吹笛上人と申貴き聖。けふ午の刻に白川の庵にして入定あるゆへ。拝ん為に我人参り候といひしによつて。かゝる貴き仏の化身の上人の臨終を拝み。仏果の縁をむすばんと。吉田より直に白川の草庵へ参りしが。扨は此屋敷は其草庵の有し白川にて有けるかや。是も一かたならぬ縁にて有べし。上人入定の砌。仇なる女の姿をみて愛着の念を起し。今に往生をとげ給はぬ。其妨げと成し女といふはわらはにて有べし。其折から合掌して十念をうけ。目を開きぬれば。上人見とれ給ふ御目と見合。はつとむねにこたへて人にいはず今に心にかゝりしが。其時の上人の庵室の跡に屋敷を立。わらはが住家と成事も。過去世よりの因縁成べし。

 これを以て思ふに。昔志賀寺の上人とて貴き僧有けるが京極の御息所を見初給ひてより。勤行のさはりと成て。心の中にて此念を思ひきらんとし給へ共。片時面影のそふやうに思はれ。忘れぬ思ひなをふかく。今生の妄念終にはなれずは。後生のさはりと成ぬべければ。我思ひのふかき色を。せめて御息所に一端申て。心やすく臨終をもせばやと思召て。鳩の杖にすがり。なく/\京極の御息所の御所へ参り給ひ。つぼねのもとに一日一夜立給ひけるを。御息所みすの内よりはるかに御覧ぜられて。是は志賀の花見の帰るさに。目を見合たる聖にておはすらん。我ゆへに迷ひ給はゞ。後世の罪誰が身の上にかとゞむべき。よそながら露ばかりの詞に情をかけば。なぐさむ心もこそあれと思召て。御手をみすの中より出させ給ひ。たがひに御哥を詠ぜられ。上人の心をなぐさめ給ひて。妄想妄念をはらさせられ。往生をとげさしめ給ふといひつたへぬ。

 しかればわらはも其上人に。殿様の御留守にま見へ。詞をかけて思ひをはらさせ奉り。速に往生をさせ申さば。わらはが罪も倶に滅すべく思へば。仏間へみづから伴ひ行。上人に合せくれられよ」

と有ければ。右京いかゞと思ひながら。達て仰ありければせんかたなくて。

「然らば殿様御帰館あそばしそうろう共。かならず御沙汰なされて下さるまじ。さらば御越あそばせ」

と。斑女をいざなひ持仏堂の一間へ誘引したりける。

誠にふかき妄念の。輪廻の程こそあさましけれ

【巻1-3】

 三 執心を掛た衣の裙貧乏は菩提の妨

 凡煩悩の根源をきり。迷者の紲はなるゝ事は。上古にも末代にもよくありがたき事ぞかし。

 白川の聖は。我も愛念を切て仏果を証せん為に。仏にむかひ懺悔して。心に念仏唱へゐ給ふ所へ。右京案内して。班女御越のよし申ければ。聖班女を一目見て。わな/\とふるひ出し。泪をはら/\とこぼし。

「我人定の砌に愛念を発しぬる。其時の女中に紛なし。御すがたを一め見しより。定に入ても御面影眼にさへぎり。観念のむねの中には妄想の化のみ立そひて。仏名を唱れども。心に君が艶顔を忘れず。極楽へは次第に遠く。日々に地獄へちかくおもむく事。我ながらあさまし。出家を助給ふは。仏を供養し給ふ同然。御情にしばしが程。愚僧が心をなぐさめ給はり。煩悩の紲をきらさしめ給へ」

と。衣の袖を顔にあて。さめ%\となかれければ。いとゞ罪ふかふ浅ましく思はれ。班女もともに涙ぐみ。盃を取よせられて。みづから取上。上人にさし給ひ。

「此盃にて妄念をはらされ。めでたふ浄土へ往生あつて。わらはも善所へ引導給へ」

とありければ。上人盃をしいたゞき、一つ請てすつとほし。舌打して

「天竺の甘露水といふ共。今此酒の味ほとにはよもあらじ。いか成ふかき縁にてか。か程に思ひ染申事。一かたならぬゑにしなり」

と。余念なく見とれゐて。げに古哥に。

  あひみての後の心にくらよれば。昔は物を思はざりけり

とよみしはことはりかな。今又見参らせ申程。なを弥増に愛念ふかく。中/\御盃計にては思ひ切がたく候。近比あこぎ成申事にて候へども。迚の御情に。しばしの枕をかはされ。年来の思ひをとげさせて給はれ」

と。御袖に取付てくどきければ。班女興さめ。袖打はらひ

「扨罪ふかき上人かな。わらはゝ吉田少将殿と申殿ごある身なれ共。あまりに罪ふかう思ふゆへに。其愛念をきらし申べきため。妻の留守に隠して盃をさし参らするに。其心ざしもわきまへ給はず。法中の身として主ある女と枕をならべんとのねがひ。扨々道理をしらぬ愚癡盲昧の大俗におとる沙門かな」

と。顔を赤めすがりつく法師をつきのけ帰らんとし給ふを。法師気色かはつて。又引とゞむるを。右京今はたまりかね。

「極悪人の坊主。御みだい様へ慮外千万」

と。取て引のけ刀に手をかけにらみ付れば。法師更におどろく色なく。衣の肩をまくつて。斑女を取て引もどし。

「今迄は此屋敷の主の名をきかざりしが。何此屋形の主は。吉田少将行房とや。

 我俗の昔は上総大輔員貫とて。常陸大掾百連が兄。行房為にはげんざいの伯父なれ共。若き時笛に妙を得て。内裏に管絃のあるごとには召れて。笛の役をつとめし所に。或時夜更て役をつとめ仕舞立帰る月影に。周防内侍の御姿を見そめ度/\玉章を送れども。手にだにとらせ給はぬゆへ。思ひにあこがれ様子をうかゞひ聞に。内侍は右小弁忠家卿とふかき中にて。忠家夜ごとに忍び給ふと聞とひとしくねたましさに。前後の思案なく。忍びゆかるゝ道に待うけ。忠家卿を討んとせしに。思ひの外にはやまつて打損じ。あまつさへ此旨禁裏へ聞へ。弟常陸の大掾に家督を仰付られ。我等は白昼に都を追放せられ。せんかたなく出家に成。とても此世にながらへゐても。花咲身にもあらねば。定に入て死で再び此土に生れかへり。周防内侍のやうなる艶女と枕をならべてたのしまんと。仏果をのぞまず。人間に再生せん事を胸におさめて入定せし折から。そなたの姿を見て。わかき時大内にて見初まいらせし。周防内侍に寸分ちがはぬ美形心魂にこたへ。食事断し身なれ共。其愛念かたまつて。食気なくても念にて是迄生のびたる程の思はく。今釈迦如来の現して教化有ても。中/\此念はやみがたし。

 伝へ聞柿本僧正は。染殿后を見そめられ。魔道へおちて天狗となられしとかや。

 我も真そのごとく。天狗道へおちて成とも。此思ひをはらさで置べきや」

と。俄に顔色変じて眼の光よのつねに替り。たちまち左右の脇より長きつばさ生出。斑女をつかんで我行方へつれゆかんと。引立る所を右京おどろき抜打にするを。引はづしてすぐに右京がたぶさを取て首引抜。又班女を引立んとしたりしが。斑女はつねに清水の観音を信仰して。千手の尊像を伽羅にて作らせ。守袋に入て首にかけてゐたまひしゆへに。恐れてさすがつれゆかん共せざる所へ。松若丸花畠より帰り入。此躰を見給ふより。幼けれ共けなげにて。

「母様早くにげさせ給へ」

と。やがて奥へ入れ参らせ。小太刀を抜て切かけ給へば。其侭羽がひの下に引だき。

「いかに班女。此子がほしくば我になびけ。なびかぬ内はかへさぬぞ」

と。すさまじき声を出してのゝしりながら。松若丸をつかんで虚空へ飛去ば。斑女はかなしく歎きさけび。

「やれ松若をつかみゆくは。あれとめてたべ/\」

と。声をあげてなき給ふを。御次にひかへし山田三郎。其外侍共刀引さげかけ付みれば。姫松右京は引さかれ。仏間の天井打やぶれて。天狗は雲井に笑ふ声して失にけり。山田三郎太刀のつかをくだけるばかりをしにぎり。虚空にらんではがみをなして立たりけり。

 然る所へ少将行房。禁裏より帰り給ひ。此躰を見て大きにおどろき給ひ。

「先松若が身の上つゝがなきやうに。横川の教誠律師方へ祈祷を頼み来るべし」

と。急に使者を立られ。扨斑女に向ひ。

「律師へ祈祷を頼む上は。験者の祈にて松若無事に追付帰らん。歎き給ふな」

といさめ給ひ。仏間を見給へば。笛一管あり。取上見給ひ肝をつぶして。

「扨は此笛は天狗坊を土の中より堀出せし節。手に持ゐたる笛は是にて有つるか。此笛は楊柳笛とて。小枝蝉折におとらぬ名笛。楽人木工頭が家につたへて。先年禁裏にて名月の御遊の時。木工頭に所望して一目見たればよく見覚ぬ。何として此笛を天狗坊主が所持せしぞ。ムゝ扨は木工頭十四年以前に。豊楽殿にて御賀の舞の有ける夜。帰り道にて闇打にうたれて空しく成しと聞しが。天狗坊主若年よりあながちに笛をすき。かたのごとく吹しと。母の物語にて聞つるが。必定此法師其時分木工頭を闇打にして。此笛を奪取し物ならん。

 次でに此笛のいはれをいふて聞せん。

 そのかみ元明天皇の御時。遣唐使藤原の宇合にしたがひ。楽人福原木工頭が先祖。掃部頭貞厚入唐して。大唐の笛の名人隅田といふ者にあひて。秘曲を習ひ得。則此笛を得て帰朝し。代々福原の家の重宝とせし。楊柳笛とは是也。

 唐土にて此笛を楊柳笛と名付し因縁は。玄宗皇帝楊貴妃と共に。水辺に出御有て。隅田を召れ笛をふかしめ給ふ時。川上より此笛流れ来るを取上させ。隅田にふかさせて見たまふに。其音すみやかにして聞人感をもよほせり。玄宗叡感有て。みづから御衣の中へ入て還御あり。花清宮の未央の柳の下にて。楊貴妃に此笛を持て美曲をおしへ給ふ。されば詩人も王郎指を推て。貴妃に吹すと作れり。此笛を吹時は。必ず柳の葉散みだるゝによつて。元来玄宗音律に達し給へば。新楽にうつして柳花苑と名付て。笛に合せて興ぜさせ給ひぬ。

 隅田笛に妙を得たるによつて。皇帝よりくだし給りしを。木工頭が先祖掃部頭へあたへて。代々秘蔵してつたへしが。此坊主がうばひ取しに紛れなし。尤此坊主は母の弟にして、我為には正しき伯父なれ共。不行跡者にて親兄弟諸一ッ家因を切て。勘当せし法師なれば。他人にひとし。今此笛を置忘れて行しこそさいはいなれ。留置て梅若にふかせなば。取戻さんと又来らん所を捕へ。松若を取かへすべし。かた%\其旨心得と仰渡され。梅若丸に笛を習はせ。朝タふかせて天狗坊が取戻しに来れるかと。心を付て一ッ家中ともに。手ぐすねしてこそまちゐたりけれ

    一之巻終

【巻2目録】

      目録

第一 浪人の願書かいて来る乗物訴詔

    出世に気を揉紙子男身上破れ編笠

    子を捨る薮の笋親増りの娘は奥さま

    国に盗人家に鼠猫なで声は巧の一手

第二 家内の不浄より払たい悪人の心の穢

    偽りは真の代り一盃喰す一味の手料理

    知た顔の咄自慢に鼻高ふする天狗の言伝

    廻し者とは白州の盛砂微塵も見えぬ拵事

第三 逢て悔しい親の顔汚れてのけた身の上

    仕済し顔な百連くらはしたい百づら

    根のない巧は粘づけの継目の参内

    忠臣の直なる太刀風に逃散木葉侍

【巻2-1】

  一 浪人の願書かいて来る乗物訴詔

 権に処すれば人これを嫉み。富貴に充足すれば鬼かならず禍すと。古人の語宜成かな。

 吉田の少将行房卿。家富さかへ何に不足もあらざれば。心のまゝの遊楽うらやまざる者もなかりし所に。満れば欠るならひとて。思ひよらざる天狗の所為にて。愛子松若九を失ひ給ひ。憂思悲歎のつもりにて。病の床に臥給ひ。日にしたがひ重く成。時をそへてたのみすくなく見え給ひしかば。老母班女梅若丸をはじめ。屋形の男女家中の従者。日夜寝食を忘れ。看病し医療祈祷に金銀を投打。本復をいのられける。

母方の伯父ご。常陸大掾百連。

「少将の病気以ての外」

と。御母儀の方より火急に招き給ふゆへ。心もとなく百連は。乗物に打乗。道を早め急ぎ来らるゝ所に。六十計の素浪人。紙子の裙もやぶれあみ笠ふかく。日影ものと見えたる親ぢ。あみ笠ぬいで大掾の乗物へ手をかけ。

「おそれながら御訴詔の者」

と。かすか成懐より一通を指出せば。手ふりの若党共声%\に。

「殿は御一家の御病人御見舞のため。御急ぎなさるゝ。申上る事あらば。御屋敷へ参り御家老衆迄申されよ。とく/\のきめされ」

といひければ。百連乗物の内より。彼者の様子を見て。若党共の詞を制し。乗物をとゞめさせ。

「尤急病人を見舞にゆけば。心せくといへ共。訴詔とあれば自分の事にあらず。禁庭の御ねがひの取次などを頼るゝ事やらんはかりがたし。先訴詔の意趣を聞ん。道行長くいはず共。願ひの筋計ちよつといふてきかされよ」

とあれば。浪人親ぢ恭ながり。地にひたいを付。

「拙者義は江州柏原の弥三大夫と申。もとは武士の浪人。古主より子細有て奉公をかまはれ。せんかたなく土民と成て。所の田地持の下作をつくり。漸夫婦渇々のくらし。

 はづかしき御物がたりにて候へ共。廿年あまり以前に。私の女房十死一生に相煩ひ。療治等の入めに。一人の娘が七つ八つ計の時。美濃国野上の里の長が方へ養子分に。金子十両取て。親でない子でないとの証文を書てつかはし候。

 然るに承れば。拙者娘花子と申が。御一家吉田少将様の御意に入て。十五六年以前御屋形へ召れ。御子様方をまうけ。今にては少将様の奥方と成て罷有よし。とをから承及ゐ申候へ共。下さくをなやみ土ほぢりを仕りゐる私。実父でござるなどゝ申て。お屋かたへ参ては。二かたの若殿様がたの御恥辱と存。是迄つゐに吉田の御家へ足ぶみ仕たる事もなく候が。此度古主より旧悪を御免有て。召かへさるべき御評定有間。早々御国へ罷越候へと。国かたの親類共より内意を申越。

 日比は花さく身にもあらぬに。うれしからぬ長生と身を恨み候所に。今日にてはよくも長生したる事のうれしやな。先祖の名を古郷の土に埋てのけんと思ひしに。ふたゝびめしかへさるゝ悦び。生涯の思ひ出。侍冥加に叶たると。急に御国へ下らんと一家共へ申つかはし候へ共。御覧の如くやふれ紙子一重の境界。せめて中は竹箆にても。表向の大小身の廻りを拵。武士らしう仕りて罷下り候へば。一家共のおもはく傍輩共への外聞何とぞと此間いろ/\思案工夫仕り見申ても。ろくな鋤が一丁なき身上。誠に浪人の朱ざやの刀の鐺のつまつた時は。継母の姨を尋るとやら申たとへのごとく。不通につかはしたる花子が出世を存つけ。吉田の御家へ参り。何とぞ花子に対面し。此度身の拵料の合力を願ひ。先知にかへりじや/\馬に乗。供廻りびゝしく昔の武士と成て。今の合力の礼に急度参れば。野上の遊女とて御前様に成てゐても。以前のながれの身の事は人も存をりまする所を。私歴々の武士と成て。実父と名乗て御門前へ参らば。花子が遊女の筋もきへ。且は若子様がたの御威勢にも成事と存し。此間少将様の御玄関へ推参し。この願ひ書を御みだい様迄上られて下されと。両三度迄伺公仕り候へ共。殿様御病中なれば取次ならぬと。取上もいたされず候。

 しかれば古主の御国かたよりは。一刻も早く下れとは申来る。何共仕るべきやうもなく。常陸の大掾様は少将様の伯父ご様にて。御情ふかく。事を聞召分らるゝ。理非あきらか成御方なれば。百連様へ御願ひ申上候へと。申聞せし者候ゆへ。はゞかりもかへりみず。御乗物にすがり。御願申上候」

と。委細に様子を申ければ。常陸大掾次第を聞。

「ムゝ御自分は班女の実父なるとや。段々の子細聞とゞけたれば。今日斑女へ右の通申聞せ引合せ申べし。身が乗物に付て参られ。某が奥より左右する迄は。家来共と一所に。伴部屋にひかへゐ申され」

と。念比にいひ聞せ。乗物を早めて少将やかたへ入ければ。浪人ものは若党中間と一所に。門内の供部屋に。百連の吉左右を待ゐたり。

 奥の間には御母妙薫院をはじめ。班女梅若行房の御容躰。日々におもく見え給へば。安き心もあらずして。うろ/\涙でおはします。

 然る所へ大掾百連入来有て。家臣山田三郎道継をちかく招き。

「今病人の様子を見るに。又昨日よりは大分の元気のよはり。中/\本復あらふとは見えず。とかく行房一日も命の有内に。梅若丸に跡目の願ひ。片時も早く急ぎたし。家督継目の参内調はぬ内に。もし自然の事有ては。跡めを外へ仰付られふもはかりがたく。病人の重いよりは。第一是が心にかゝり。皆とも相談をとげ明朝未明に関白頼通公へ梅若を誘引して。御目見をさせて。継目参内の事を願ひ。御指図をうけて参内せんと思へば。梅若が装束以下。献上物等ずいぶん麁相になきやうに美をつくして用意あれ。扨参内首尾能済うちは。御袋斑女にも。此子にも身を清浄にゆあみして。とかく不浄なきやうに。出入者迄にも気をつけ。新火くひ合せ。けがれたる者を門内へ足もふみこまさぬやうに。とくと下々へ申付らるべしと」

あれば。三郎承り。

「其段憚ながら拙者も兼て心得罷有。あらまし調拵置候へば。何時にても事をかゝせ申儀にては候はず。只一刻も早く首尾能御参内をとげらるゝやうに。御世話頼奉る」

と申詞に。斑女もとも%\。

「伯父ご様の以来は引取。何事も御苦労になされ下され」

と。涙ながらにたのまるれば。

「ハテ身が為にはいはゞ孫同前。皆の衆がたのまぬとて麁略すべきか。気づかひあるな」

とたのもしげに申さるゝ所へ。同じ家中の松井源五定景。多賀明袖へ命乞の代参つとめ。御札守取持下向。そのまゝすぐに奥の間へ伺行して。殿様御当病御快然の立願申上。則御祈願所の法印へも罷越。一七日が間神前にて御命乞の御祈祷を頼上候。然るに法印秘密の占。勘書共に考て。某をちかく招かれ。『主君の病気は家内の穢によつて発りぬ。其外過つる魔障などのわざはひ。皆以家のけがれ。先祖の聖霊の心に背き給ふより。段々打つゞき凶事のみ発りて幸なし。此けがれを吟味なくして。其侭さしをかれなば。追付少将の佳名汚れ。家の滅亡遠かるまじ。罷帰りて家内を清め。不浄けがれのたぐひを払のけられよ』との仰にて候。三郎殿にも下々へ仰付られ。穢不浄の御吟味をとげらるべし。御みだい様にもつぼねへ仰渡され。女中方をも急度御吟味仰付らるべし」

とあれば。妙薫尼聞給ひ。

「此吉田の家は。下道の真備人より代々つゞき。我朝において並なき名家なれば。家来は勿論出入者迄も。筋目の正しからぬものは家内へ出入をさせず。

 家老粟津の六郎。それ成る山田三郎。いづれも譜代の者なれば。皆先代よりの様子をしるゆへに。大抵につねも吟味をする事にあらず。然共法印の考て仰下さるゝ上は。弥以吟味を逐られよ」

と仰渡され。

「梅若が首尾よく継目の参内を仕舞迄は班女にも垢離をかいて。身を清浄に持。諸神を祈給ふべし。わらはも今夜より心経を七日が間に一万巻読誦し。家の穢を払ふべし」

と。火をあらため所々に燈明をあげて。家内きよめの御祈。近習の輩も小袖を改め面々に。垢離をとり。当病の全快をいのりけるこそことはりなれ

【巻2-2】

  二 家内の不浄より払たい悪人の心のけがれ

 家内の腥穢を払のけられん為。隅々迄も清めさせ。浴垢離かき浄衣に改め。しめをはり名香をくゆらせ。家を清めらるゝこよつて。出入人まで。もし踏合くひ合せ。或は五辛等を食せしものはあらずやと。山田三郎傍輩の部屋%\。表長屋の中間下部の休み所迄。吟味に廻る所に。門内の供部屋に。百連の家来と一所に。見なれぬ一重紙子の素浪人奥よりの左右を寺かね。退屈していねふりゐるを。様子しらねば三郎ちよつと見るから不審をなし。何とやらん袖乞風情の紛れもの。門内迄推参と。小がいな取て引出し。

「コリヤ紙子。見ぐるしいざまにて誰にことはり爰迄ははいりけるぞ。近比うろん成奴。早々罷出よまひついておらば。中間共にいひ付棒ぶせにしてこます。早く出よ」

とつき出せば。びつくりして眠をさまし。

「イヤ某は今御だいとかしづかれてゐ申。花子が為には根本根元の産の親。ちよつとあふて物語したい事有ゆへに。御家の伯父ご様の御乗物に取付。おねがひ申ましたれば。其段いひ通じて『花子に合せてやらふ。身が家来共と一所に。供部屋に待ておれ』と。御指図を請て爰にお供の衆と。昼前から待ております。偽り申と思召さば御供の衆に御尋なされて下され。百連様へ段々の由緒を申上たれば。よく御のみ込あそばされ。筋目正しき由緒。且は花子梅若が為迄に珍重の事。左右をする迄待てゐよとの御意にて。長ふ短ふ成て待ておれ共。今に御左右のないは。御失念でもなされて。まだ花子に仰聞られても下されぬか。はゞかりながら御近習の御侍様ならば。花子がてゝおやが。表に待ておると仰通ぜられて下され」

と。あくびまじりにいひければ。三郎聞て。

「なに花子様の御親父とや。然らば此お屋形へ直には仰入られずして。百連公へはどふした事でおねがひ有しぞ。御一家なればとて外聞わるひ。その風躰にておたのみ。且は奥方花子様の御恥辱。殊に殿様御病気故に。世間発向の名医達。御一門の歴々御寄なされてござる時分に。扨きのどくや御側の女中方へ取次たのむも外聞わろし。某ひそかにこつそりと。花子様に御対面いたさせ申さん。我等について御越あれ」

と。裏へまはり花畠のしほり戸押あけ。そつと通りて御けしやうの間の縁さきに腰かけさせ。三郎は内に入ぬ。暫有て斑女立出たまひ。

「そなた様はみづからが実の親ごとて。是迄尋て来り給ふよし。山田の三郎いひ聞され。ふしんながらも真実の親ごとある名を聞て。おなつかしさに御隠居様のおそばをぬけて参りしが。わらはゝ野上の里へ養子に行しは六つ七つの時分にて。十七八年も御めにかゝらねば。慥にとゝ様の御面は見知申さね共。柏原とあるからは。成ほど父上の御在所。野上の長より外に今知たものなければ。偽とは思はね共。しかとおかほを存ぜねば。何とやら心おかれて。御物語も申にくし。つゐにをとづれもなされぬてゝごの。今私にあいたいとの子細。どふした事でござんする。ちやつとそれを聞してたべ」

と。物いひ給ふ内にも。若も後室めのとなどが。来たりやせんと内を見やりて心ならずあいさつあれば。

「ヲゝ久しい事なれば見わすれられたは道理/\。成ほどそなたの産の親。柏原弥三大夫といふ百姓。そなたの外聞じやと思ふて。西国方の大名に知行を取て。鑓をもつかせ乗馬の一疋もひかせた侍なれ共。子細有て奉公かまはれ浪人せしが。此度めしかへさるゝについて。身の廻りの拵に大分金銀入ゆへに。一世一代の願望成就の所なれば。此わけを花子に申て。少の合力が頼に参たと。御家の伯父ご。又は今手引のお侍にも僭上をいふたは。皆其方の外聞実儀思ふての事。知てゐられふ根からの在所では古い百姓。武士のぶの字でもおりない。野上へふつつにやつてから。娘もつたと思はねば。そなたが此屋敷の奥様になられても。せぶりになど来るやうな所存をさげぬ堅い気な我なれば。死ぬる迄実の親よばゝりして来ふとは思はざりしが。なふ思ひもよらぬ事について。そなたにあはねばならぬ事有て。武士の果じやなどゝいつはりいふてあいに来た。此中身共は大峰山上参りして。何事なく行者様を拝み。添い山もしづかで心よふ参たと悦で下向せし所に。鐘かけ岩のあたりにて。黒雲にはかに舞さがり。大風に諸木をゆすり。山もくづるゝやうに思ひ。念仏申半分死でゐた所に。大木の杉の上に大天狗座してゐられ。『江州柏原の弥三大夫用がある』と詞かけられ。びつくりし生たるこゝちはせざりしが。何ゆへに我を知てよばるゝやと。『あつ』とこたへて平伏せしに。大天狗杉の梢より飛おり給ふを能みれば。羽がひの下に十一計のうつくしき男の子をはさみ。『これは吉田の少将といふものゝ子にて。汝が娘の花子が産たる惣領。わが為には現在の孫也。抑我凡夫の時花子を見初。一たび釈門に入ぬれ共堕落して。ぜひ我心にしたがへんと思ひし所に。中/\承引せざるゆへ。恋の叶ふ迄の人質に取て飛さりぬ。世に心づよき女も有ものかな。寵愛の子を失ふても。執心かけたる我が事を。あかつきの夢にも思ひ出さぬは。どうよくとやいはん。情ない花子が心底。にくうて人にほるゝ物にはあらず。出家を落て此身は奈落へしづむ共。せめて一夜と地ごくの責苦にかへて思ふに。いとしやとだに思ふてくれぬ恨み骨髄に通つて。忽に魔道へ落てかくのごとく異形の姿と成ぬ。畢竟我につらきも少将といふ男へ貞女の道を立る心から。つれなき仕形と思ふゆへに。魔術を以て少将を病づかせ。此度の煩にて一命を取。花子を後家になして。かさねて屋形へ飛行。くどいて思ひをはらさんと。今少将をわづらはせ。近/\命をとつてしまふ企なれ共。花子が心底次第にて。一夜にても我心にしたがふてくれる所存ならば。少将とても我為には甥子なれば。命を取事不便にも思へば。此段を花子にかたり。夫の命をたすけ。愛子の松若丸にあいたふ思はゞ。来る廿四日愛宕へ参詣し。麓の茶屋にて我を待。情をかけてくれなば。其夜より少将を本復させ。翌朝松若をつれ行てかへさん。早く下向して吉田の屋形へ行。此通りを申せ』との。天狗殿の念比なる言伝を受取て来るゆへ。つゐに来ぬ屋形へ親と名乗て来りたり。貞女のみちを立ればとて。夫を現に殺しては貞節とはいはれまじ。一度や二度は身を穢して成とも。少将殿の命をすくひ。いとしうかわゆう思ふ松若とやらいふ子を取もどさふとは思はれぬか。ハテいにしへの野上にて。遊女をして来た身なれば。殿ごの為にはしばらくむかしのながれの身に立帰つて。鼻の高い客にあふと思ふて。天狗殿と枕をならべ。悦ばしてやつて少将様の御命をすくふく分別が第一。親がわるい事いはふか。夫のため子のため家のためじや。承引めされ合点がゆきて。いよ/\天狗殿にあふてやる心底ならば。明後寅の日には鞍馬にたのもしが有て。天狗達が出合るゝ筈にて。此天狗殿もいてゐるほどに。花子が合点したら。其返事を僧正が谷迄いひにこいとのけいやく。さあどふしやるゝ」

と段々を語りながら。さすが親とて聟少将孫の松若丸を助たき心から。教訓するぞ断なり。

 花子は聞よりむねふさがり。絶入ばかりに泣ゐたりしが。涙をとゞめ。

「成ほど父上の仰の通り 貞女だてをして殿様をころしませんは女のあやまり。成ほど天狗の心にしたがひ申べし。よろしう返事を頼ます」

と。又さめ%\と泣ゐたる。

 常陸の大掾かくとはしらず。何心なく縁へ出。

「これは/\親父どの。待退屈して誰ぞ外の人を頼み。是迄来て花子にあふてか。身も最前から待てゐられふかと心にはかゝりながら。医者衆と病人の談合に取まぎれ。延引いたして面目もない。しかし息女にあはれて満足にござらふ。花子にも久しうあはれぬ親父に対面せられ。さぞやうれしうおもはれん。かさねてから心やすく参らるゝやうに。姉妙薫にもちかづきにいたさん」

といへば。花子はめいわくがり。

「在郷そだちの田夫なおやぢ。折めだかいお屋形の御衆へはじめての出あひ。ぶてうほうがござりましては。梅若迄の恥辱。沙汰なしになされてくださりませ」

と。達てとむれど

「ハテ今こそ百性なれ。以前はれつきとした武士とあれば。恥しからぬ事」

と。こしもと共にかくといひてつかはせば。妙薫院出給ひ。

「花子には親ごはないかと思ひしに。聞ば筋目よきお侍のよし。孫共迄が母かたの素性正しからぬをおさなくてもきのどくがりしに。武士とあれば重畳。殊に百連の立ながらの咄にて聞しが。古主の方へ帰参のよし弥以めでたし。斑女の門出をいはふてしんじや。それ盃持てこい」

と。梅若に出て祖父様に対面せいとよんでこいと。奥底もなきもてなしに。斑女も悦び親子の盃はじまり。妙薫百連とり%\に。あなたへさしこなたへいただき。しばし酒事ある半へ。松井源五罷出。

「御次にて承れば。御前様のてゝご様始ての御入のよし。殿御病中にあらずは。いか計御悦びにて。さま%\の御もてなしにて候はんに。御不例によつて取まぎれ。御馳走も麁抹成事にてさふらふべし。御ちかづきのため御盃をてうだいいたさんと。間ぢかふよりて親父がかほをつく%\と見れば。おやぢは源五を見て。はつとばかりに顔色かはり。さしうつふいてゐたりけり。源五かさねて

「班女様の実父とあるは。此親父にて候か」

と。にが/\しき顔をして。あきれはてゝゐたりけり。常陸の大掾両人が気色を見てとり。

「源五が体相親父が様子。旁以ふしんなり。子細有べし源五まつすぐに申せ」

と。陳じなば手にもかけん気色して尋らるゝ躰。松井額より玉のやう成汗をながし。誠に多賀の法印は。三世通達の験者と噂せしが。今思ひ合せて。あつはれ見どをしかな/\。申上れば御台様の御恥辱なれども殿様御病気と申。御家の為にはかへがたければ。あの親父が俗性をあらはし申す。あのものは美濃国革剥と申穢多村の長吏。九之助といふ奴。先年親殿御在世の時分に。癰を御煩なされ。名ある外治の上手秘術をつくさるれ共愈ず。御命もあやうく見えし所に。かろき俗医参りて御腫物を見て。是は人脂とて人間の脂にてねり合す名方の薬あれば。人脂さへとゝのへ給はゞ。請相て全快なさしめんと申せしゆへ。此脂を僉議仕候所に。美濃の穢多村九之助が所持と申事を承て。某わざ/\罷越とゝのへ候時に。あの九之助とちかづきに罷成。よつく見おぼへをり候。ムゝすれば。班女御前は。そちが実の娘よな。道理でこそ法印の家がけがれ。清浄になきゆへ。様々の災ひ出来すれば。家のけがれをはらひ除よ。さなくば末に至つて。家亡びんと秘書を考へ仰られしは爰の事。扨是非もなき仕合」

と。涙ぐみていひければ。後室はじめひたちの大掾横手を打て肝をつぶし。十方を失ひ吐息をついでおはしますこそ道理なれ

【巻2-3】

  三 逢て悔しい親の顔汚れてのけた身の上

 神道をおもんずる家には。清濁汚穢を忌慎む事大かたならねば。妙薫院殊更に忌みおそれ給ひ。

「近年打つゞき凶事のみ有て善事なきは。班女の俗性けがれの家より出生したる身なるゆへに。家内蝕穢によつて。是まで災をかうふれり。尤腹はかり物といひながら。けがれの子孫なれば。行房が実子なればとて。梅若に此跡目はつがせにくし。百連にはいかゞ思はるゝぞ」

とのたまふ詞を聞より。斑女つつと立て源五が刀のつかを取てするりと抜。すでに自害と見えけるを。後室すがつておしとゞめ。

「ヲゝそなたの身にしては生ていられぬと思はるゝは至極ながら。死れては此沙汰猶世間へひろく成。少将の悪名たち。本復有ても殿上の交りしがたし。行房の為ならねば。ぜひ生害思ひとまつて給はるべし。梅若に本家をつがせぬとて。少将の妻子に紛れなきそなた達を。今から麁略にせらるべきか。たとへば少将此度病死あるとても。一旦みだいの若殿のと。諸家中共に尊敬したる親子の衆なれば。別家をしつらひ一生安楽にくらさせ申さん。かならず気づかひめさるゝな」

と。涙ながら取りとゞめ。詞をつくしなだめ給へば。班女涙ながら

「私の親ながらけがれたる家業の人とは夢にも存ぜず。産の父と名のられ。ゆかしさにあいまいらせしが身の因果。御家高の行房様を。身をしらぬとてもつたなくも枕をならべ参らせ。御身をけがせしとがめによつて。御重病を受給ひ。若自然の事もあらば。是皆わらはが御命をとりし同然。梅若丸は出家になして。わらはが跡を弔はせて下さるべし。我身は生て此後。人にどふ面があはされん。あいたい見たいと。常%\真実の親をしたひしが。今にては父のかほを見るもうらめしう候」

と。声もおしまず泣給ふを。女房達とり%\にいさめ参せ。なく/\奥へいざなひ入ぬ。

 松井源五親弥三大夫が小がいな取て引たて。

「いま/\しいざまにて親よばゝりして御屋かたへ推参して。うかみ上つてゐらるゝ娘ごを。地ごくへおとす罪人とは汝が事。御給仕の人%\きやつが口付たる器物の分は。鴨川へ残らずながし給へ。くさきもの身知ずとはおのれが事」と引立て。表門よりつき出せば。

「筋めはなんであらふと。親子には紛のないもの。どうよくななされかた」

と。つぶやき/\門を出てすご/\として帰りける。

 妙薫尼かさねて百連にむかひのたまふは。

「行房の病躰明日も知ねば。とかく継目が大事なれば。梅若をのけて此家は誰につがせん。家老粟津の六郎は奥州に残りとゞまり。五年が間の勘定を仕立。新司の役人に渡すとあれば。中/\急には帰るまじ。家督継目の参内は火急なり。いかゞせん」

と有ければ。百連心の中には咲をふくみながら。うはべは気のどく成かほつきにて。

「ハテぜひもなき仕合。とやかく長僉儀してゐる間には。行房息を引とられては。何をいふてもあとへん。先時の用には鼻をかけと申せば。某が倅百丸。さいはい梅若と同年なれば。明朝某関白公へめしつれ参り。跡目の願を申入。御指図を受て参内をとげ申さん。お気づかひ有まじ」

と。吉田の家をせしめる方便のかねての巧首尾よく図にのつて来て。そゞろうれしく。姉妙薫尼には笑止成顔をして見せ。まんまと我子に継目の参内さする談合に義定せし所へ。山田三郎は主人の枕本をはなれず相詰て。此内談をしらざりしが。看病の女中方。病床にてのひそ/\との噂を聞より大きにおどろき。やがて座敷へ罷出。

「御容躰を見奉るに。中/\頼すくなふ見えさせ給へば。万事を指をかれ。梅若君を御家督御相続の御参内を。一刻も早くなされ候やうの御相談肝要に存候」

と申せば。百連聞て。

「されば其儀に付凡慮の外成事出来し。梅若に此家はつがせがたきによつて。妙薫尼の達而お頼みゆへ。ぜひなく身が倅百丸を行房の跡めになせとの事もだしがたく。明日先下うかゞひに関白公へ某が召つれ参る筈に談合をかためたり。最前其方よしない班女がてゝおやを誘引して来て。合されたが班女親子が不幸。親といふはみのゝ国の穢多村の者とあるゆへ。是迄様/\此家にわざはひの出来たも道理。さやうの穢たる者の筋めの腹からすべつた梅若。世つぎになしては此上に家の滅亡するやうな事が出来せんもしらねば。班女も梅若も小々のすて扶持とらせて脇へ片付。此跡めは弥以百丸につがせ。万事我等が引き廻して後見する談合一決したれば。其方達も随分と百丸に忠をつくされたのみ入」

と。早我物にしていひければ。山田の三郎まゆあいひそめ。

「イヤ/\其儀は先御無用。班女様にも御幼少の時分別れ給ひ。ろく/\顔もお見知りなきてゝおやを。みちびきなされて此お屋形へ伴ふて御出なされたはおまへ。扨其穢多村から出たる父親とは。自身がさやうに申て。各様の耳へ入しや。但し何ものぞ穢多と申聞たるもの候や。心得がたし」

と根をおせば。

「されば松井源五が多賀より下向して。かのおやぢが顔を見たれば。親ぢ俄に赤面したるによつて。某ふしんに思ひ。源五に様子尋たれば。先殿腫物を悩み給ふ時節。人脂とて人の肪を薬に合せて付れば速に愈ると有ゆへ。其人脂を近国を廻り尋。人の教によつて。美濃国の穢多村へ行調へし時の。人脂を持たる穢多にて。其時ちかづきに成りしゆへ。それゆへ赤面仕候。けがれの身として憚ありと。散%\親父をしかりしに。一言一句返答出ず。誤てゐたるゆへ。穢多村の出生に紛なきゆへ。親ぢは源五が引たて追出しぬ。なんといづくにどんな者があらふもしれぬ事ではなきか。かく露見の上は。梅若に跡めはたとへ姉妙薫尼のつがせふと仰られても。此百連がさせぬ。然るに今無用とは何を以ていふや。但し穢多の子孫に其侭つがせよといふ事か。そりやならぬ。吉田の名家をけがす事は。大掾が目のくろい内にはさせぬ」

と。ゐだけ高に成ていへば。三郎あざ笑ひ。

「談合仲間打寄て親ぢを穢多と極められたは。先此三郎は其意得ず。源五に親ぢをめしつれて是へ出られよと。小姓衆よふで給はれ」

といふ言ばの下より。源五次より気色してずつと出。

「様子は聞た。談合仲間打寄て穢多と極めたは心得ぬとは。其談合人とは誰をさしていはるゝぞ。先年ゑた村にて近付に成し親父ゆへに。さやうにあなた方へ申上しが。但しゑたをだまつて此家の御縁者に其侭してをかふか。ゑたに紛れなきによつてゑたといふたが。源五が誤か」

と。面色かはつていひければ。

「談合仲間といふが耳にかゝるからは。第一其方穢多中間のくさいもの。班女様の親といふものを是へ出せ。身が急度僉儀して。心の不浄な穢た仲間のにごりをさつはりと洗ひ上て見すべし。さあおやぢを是へ出せ/\」

とつめかくれば。

「法印の御占に『穢あれば。早く僉儀し払のけよ。延引せば病人の命あやうかるべし』との事故に。最前塩灰にて打出し。どつちへうせたかしらぬ。ゑたの僉儀を分明にせふと思はゞ。みのゝ国のゑた村へ行て僉儀せい。其方が班女様に頼れ。梅若様の肩を持ても。ゑたの筋めの梅若殿をこの家の跡目にして主人と敬ふことは。先此源五からがせぬ気。かくし置いて禁裏へ此事もれ聞へ。あなたより御吟味有た時は。根から御家は潰て。そちや我等も浪人に成。そこを思召て。百連公のかけがへもなき御一子を先跡めにつかはされんとは。有難き思召。いはゞ御礼を申筈を。肘を張て百丸様は無用とは推参至極。以後の御主に頼事いやならば。けふよりいとま願て御家を出。頼れた班女梅若殿の尻を持て跡めにならば。随分そつちでして見よ」

と。あざ笑ていひければ。

「ムゝ汝がやうな数人形を相手にして。口ついやしに問答するは此方の誤。コレ百連公。最前の親父めを捜出し。僉儀仕課る迄御子息継めに立られん御相談は延引有べし。かやうに申に御用ひなく。関白公へ上らせ給はゞ。某も梅若の御共して頼通公の御前へ出。表向にてゑたの僉儀仕り。弥源五が申にちがひなくゑたに極り。班女様のてゝごに紛なくば。其上はぜひがない。某がにらんだ眼たがはず。各寄ての巧ならば。憚ながらおまへの首も源五が頭もあぶな物。分別して御上りなされ。先紛ものゝおやぢめを。今の間に尋出し。穢をすゝぎて見せ申さん」

とて。尻引つまげ源五をねめて出けれ共。勇猛におそれ手指もせず。百連と顔見合て汗をながしていたりける。誠に山田が忠義。一ッ騎当千とは此三郎をいひつべしと。家中こぞつて感じける

【巻3目録】

都島妻恋笛   三之巻

   目録

第一 口論の仕舞はなんと焼香の二香炉

    無常の烟ふすべられてもめいらぬ忠臣

    吹矢にとまる小鳥共お羽打からす素浪人

    仕付ぬ賤が磨引に引れぬ侍のたのもしづく

第二 葛寵の底をたゝいて若党が白状

    当座の義理に身を果す血気の勇者

    涙にくもる鏡山影をかくす親子の人

    手習子の袖の墨くろめる世帯は筆の影

第三、祝言の稽古の盃指詰に成恋慕の口明

    貧女の一燈ほそ%\なひかげ者のとふらひ

    笛を聞て悦びの腹鼓狸ね入は深い思案

    貧の盗に恋の哥読の下らぬ主が根心

【巻3-1】

 一 口論の仕舞はなんと焼香の二つ香炉

 朝に紅顔有て世路に誇、暮には白骨と成て郊原に朽ぬ。

栄花の春の花も散て。死の時も北白川。吉田の少将行房卿。つゐに空しく成給ひ。御一門の人々を始め。一ツ家中の諸士。愁の泪白衣の袖をぬらし。無常野に白布の幕を打せ。御輿物しづかに毘屋に入奉り。いづれも無紋のはかましほれていとあはれに。与所の袂までぬれにけり。

 引導済で百丸に。松井源五引そひ。導師に一礼して焼香に出ける所に。山田三郎梅若丸に白衣に無紋の鼠上下。紙巻の刀さゝせ参らせ。つか/\と出。焼香をさせんとするを。源五見て。

「ハア卒忽成三郎。行房卿御家督御相続の若殿。百丸様御焼香あそばす妨はなぜする。御主君へ御焼香せんと思はゞ。一ツ家中もろともにいたせ。若殿の御焼香もすまぬに罷出て。無礼千万そこのけ」

とねめつくれば。

「イヤ生盲目め。主君行房卿の御実子。梅若様ならでは一番に親ごの御焼香をつとめられん御方。おそらく此界に覚なし。見れば伯父ご百連公の御子息百丸殿。正しき御家の公達を指置。御焼香をつとめられんとは。それこそ法外無礼。汝いはれざる御一門の取もち無益の至り罷退。さあ/\御焼香あそばせ」

と。位牌の前成香炉へ向はせ申さんとするを。源五やがて梅若丸を引のけんとするを。

「くはんたいものめ」

と源五を取て二三間つきとばせば。導師をはじめ諸宗の諷経の和尚達肝をつぶして。よむ経もしどろに成て聞へけり。

百連諸一門の座頭になをりゐたりしが。刀おつ取はしり出。

「ヤアすいさんなり三郎。梅若は実子なれ共母方けがれたるゆへに。関白公迄御うかゞひ申せし所に。けがれの筋めの者は。殿上の交り成がたし。正しき筋めの跡めを拵置て相続の願ひを奏門せよとの御意を請て。則悴を吉田の家の継目とするゆへ。今日の焼香を一番につとめさする所に。けがれたる梅若をつれ出。跡目の焼香の妨する条。且は関白公の御諚意を背く不届もの罷立。いぢばつて動ずは。侍共に申付。梅若共に打のめすが。立退まいか」

と眼を見出しいかりければ。三郎ちつ共さはがず。

「けがれの筋めの僉儀は。貴公と源五が拵置れた。班女の親といふ廻し者めを尋ね出し。関白公へめしつれ出。急度御吟味を。願其上にて若君の御垢をぬいて。直に跡めの御願も申入んと。此間拵ものゝ親ぢめを尋る内に。はや関白公へ御子息を伴ひ。おして跡めをねがひ。今日焼香を押つけわざにしてしまはせ。ぬつくりと吉田の家を押領せんとのたくみ。此山田三郎が息のある間は。さふうまふはさせ申さぬ。天地がひつくり返つても。今日の御焼香梅若君に一番にさせ申さねばいかな/\きかぬ男。わろく邪魔だてなさるゝなら。伯父ごとはいはせぬ。まあ二つに仕る」

と。鍔もとくつろげ気色していひければ。

「シヤ推参なる雑言打て捨ん」

と。刀のつかに手をかくるを。諸一門の人々両人が中へをし入。

「是はまづ見ぐるし。双方にいかやうつのいひぶんあればとて。葬礼の場にておとなしからぬ口論。且は諸人のそしり、家の恥。けふの焼香は両人前後のあらそひなく。つとめらるゝやうにして参らせん。跡目の僉議は屋形へ帰つて明日の事にもせられよ」

と。香炉二つを牌前になをし。是にては双方当分のいひ分は有まじと。一家衆の異見ぜひに及ばず。三郎獅子のいかりをおさへ。梅若殿に御焼香をさせ申せば。百連も百丸に焼香をさせ。穏便に仕舞礼場になをつて一礼をつとめ。扨空骸は一片の煙となし。名計位牌に残りて。一家一類皆/\袖をぬらし。しほ/\として帰宅ある。

 かくて三郎翌朝早々関白公の御館へ願書をしたゝめ。取次を以て指上。

「梅若実子に紛なき所に。伯父常陸大掾。吉田の家督を押領せんため。佞臣松井源五としめし合せ。班女が親と申ものを拵。けがれの筋と申たくみを以て。関白公の御前を申かすめ。近日継目の参内を仕ると支度いたし候。先達て百連。并に源五が拵事にて候へば。あはれ御慈悲に実子梅若丸に家督相続の義。恐れながら禁裏へ御吹挙ねがひ上奉り候」

と言上すれば。取次久米路采女の正を以て仰出さるゝは。

「けがれたる筋めにてこれなきといふ。慥成証拠出ぬ内は。汝が申分立まじ。梅若が母斑女は。野上の里の遊女とあれば。けがれしものゝ娘にて有まじきともいひがたし。此度けがれの筋に紛なき段訴へ出たるは。行房が実母妙薫尼。并に常陸大掾連名の判形にてのねがひ。現在の孫と甥を見かゆる祖母は有まじ。筋めよからぬに極りしゆへに。孫を指置おいに跡めを願ふ妙薫尼。道理分明に聞へぬれば。汝が願取上がたし。其上妙薫尼は汝が主ならずや。下人の身として主を相手にいたしての申分。不届の至り。殊に主人行房死去して間もなく。忌のけがれを憚からず。願ひに罷出候段。上をはゞからぬ仕かた。旁以不礼也。筋め正しからぬといふ義。表向行房が母より申出露見する上は。けがれの筋に極つたる斑女梅若。しばらくも吉田の家には叶ふまじ。早々何方へも伴ひ立のき。かさねて筋目けがれざる証拠あらば。罷出て願ふべし。其時聞てとらすべしとの御諚なれば一刻も早く親子の人を召つれて。屋形を出られよ」

と却てきびしき申渡しに。山田三郎ちからを落し。

「ヱゝ何をいひても拵ものゝおやぢめを尋出さでは。我申分立がたし。後室百連かく一つにならるゝうへは。斑女梅若殿を行未の妨とて。毒飼してころされんもはかりがたし。とかく急に何方へも御供して立退。二心なき人を見立て預け置。急/\陸奥へくだり。粟津の六郎に対面し内談をしめ。件のおやぢめを雲の裏迄尋めぐり。引出して証拠を以て訴。今の無念をはらさん」

と胸をさすり、夜に入て。班女梅若殿をいざなひ。住馴し吉田の家を涙と共に立出。坂本辺に三郎がゆかり有て。しかも頼母しき浪人にて。男をたてる七浦専左衛門といふものゝ方へ忍ばせ申。無念ながら月日を送りぬ。

 侘しき賤が家の住居。何かに付て栄花の昔を思ひ出られ。世間の花さく春なれど。心は散がたに成て。斑女といふ名も今はおとろへ。万物がなしく涙のみにてくらさるゝ。梅若殿も母の涙の体を見て。いさめながらもともに涙ぐみて。過こし昔の事計いひ出して。涙のたねはつきず。

「さやうにては御鬱しさせられ。御煩ひ出てはいかゞ」

と。あるじ専左野門吹筒をかたげ。梅若をむりにすゝめて。鬱散のため小鳥を吹矢にてとめ。お慰にと御供して出ける跡へ。誰共しらぬ侍ぬき刀さげ。大わらはに成てはしりこめば。山田三郎おさへて。抜刀して

「人の家へ断なしに」

ととがむれば。かの侍刀をさやにおさめ。

「拙者儀只今山王の鳥居の前にて。親の敵に出合。首尾よく打し所に。敵のつれ共大勢跡より急に追かけ参る。一旦国元へ無事にて帰り母に敵打たる様子を咄申迄は命惜し。何とぞ影をかくし給れ。百姓衆共見えず。弓鑓等を御たしなみに掛置るゝからは。御浪人と見かけたれば。たのみ入」

と余儀なく申せば。三郎も大事の身ながら。武士の見たてゝ頼むとあればいや共いはれず。

「いかにもかくまひ申さんが。見らるゝ通りあばらや。いつくにかくし置べき隈もなし。是に着がへ入し革つゞらあれば。是へ入て忍んで見られよ」

といへば。忝しと自身つゞらのうちの衣類共を出してはいりければ。三郎ふたして紐むすぶせはしさ。上に出せし着物共をつみかさねて。班女を隣の百性のかゝに断いふて忍ばせ置。何の気もなきふりして。けぬき出してひげをぬいてゐる心のおさまり。打着たる三郎が心の底。生れついて頼もしき侍形気とは是成べし

【巻3-2】

  二 葛寵の底をたゝいて若党が白状

 昔より頼もしきものは。出家侍といひならはせ共。出家の一命を捨て。その身手をおろし働きかくまふたる咄をきかず。自然若い後家などの走込ば。大黒の代りに身にかへてかくまはるゝ事も有べしと。墓守の男がいふて笑ひしはおかしかりき。

 武士は二つなき命をないものと算用せねば。追手のかゝるものを聊尓にはかくまはぬ事ぞかし。

 山田三郎主の大義をかゝへたる身なれ共。のつひきならぬ敵打。かくまはねば武道たゝずとぜひなくかくまい。今にも追手取かけなば。随分陳じて其上にて叶はぬ期には命を拾る迄よとの覚悟。生もせぬひげをぬいてゐる所へ。甲頭巾目の上迄引かぶり。たすきがけにて鑓長刀半弓なんど手に/\持て十人計。ばた/\とかけ入。

「只今まさしく狼藉ものをつけ込だり。急ぎ御出しなされよ」

といへば三郎おどろいたる風情して。

「是は卒尓成難題。さら/\存ぜず。たとへ又此所を見かけてはいりたればとて。頼まれし一言無にして出す男にあらず。もとより人影も見ず。おの/\おせきなされて。見損じて此あばらやへかけ込給ふは。卒忽のやうに存る。外を僉儀なされ」

と。そらうそ吹てゐれば。

「いや/\付込たるにまがひなし。若遅々いたされなば。其方共にのがさぬ」

と。一度に抜つれて打てかゝれば。三郎今はたまらず刀を抜て渡しあひ。即座に三人打とめけれ共。残る七八人の追手共。長道具を以てはさみたて。取まはし打かけるほどに。心はやたけにはやれども。只一人数个所疵をおふて。無念やと勇をふるふてはたらけ共。大勢なれば叶はず。つゐに打れて息絶しを。

「しすましたり」

と三郎が首を打て羽折にをしつゝみ。家内残らず櫞の下迄見まはし。

「きやつさへ討ばまづよいぞ」

と。いさんでみな/\帰りける。

 かゝる事とは夢にもしらず。専左衛門は梅若君を伴ひ。小鳥少々縄につなぎて。吹筒と共にさげて帰り見て肝をつぶし。朱にそみたる死骸どもを見るに。正しく山田三郎とは見えながら。むくろ計残りて首なし。梅若君はすがりついて。

「扨は三郎はきられて死なれしか。母様はいづくに」

と鳴わめき給ふ声を聞て。隣より班女はしりかへり此体を見て三郎が死がいに取付。歎き給ふぞ道理なる。

 専左衛門無念の牙をかみてゐたれ共。何ものゝ所為といふ事をしらねば。いづくをさして三郎が敵を打に追かけ出んやうもなく。只あきれてゐる所に。どこ共なしに

「申/\」

といふ声のあやしく。家内を見るに人影なし。いよ/\ふしんはれず。

「いづかたぞ」

といへば。彼最前かくまふて下されと先に走こみて。つゞらの中に身をかくせし男。中より詞をかけぬるを。専左衛門とがめて

「何ものぞ」

といへば。

「子細聞たく思召さば。ゆるりとかたるべし。先此ふたを取て。息させて下され」

と。つゞらを中よりゆすりたてたるを。押へて様子を先其中よりいふべし。いわずは上より指殺す」といわれ。

「アゝはやまつて聊尓なされて下されな。私は敵打にて首尾よく親の敵を打て。追手をおそれ此家のあるじ様にかくまはれて。此中にかくれゐます。気づかひげのないもの。追手の者共帰た様子なれば。爰をあけて早くいなして下され」

と。ふるひ声していひければ。扨は三郎我等が留守に敵打をかくまひ。たのもしづくによつて一命はたせしものならん。それならば三郎を打て捨て。一番に此つゞらを明て。肝心の敵打を僉儀すべき追手の者どもが。かくしたといはぬ計のつゞらへは気を付ず。捨て置てかくまふたる三郎が首を取て帰りしは心得ずと。しばらく思案して見るほど合点ゆかねば。又つゞらをうごかし。

「こりやいつはりもの。おのれ誠の敵打には

あらず。有やうに打明て様子を申せいかにしても心得ぬ事がちなれば。いつはるには極つたり。さあまつすぐに白状せずは。今指通すが」

と鞘口つゞらをつけば。

「コレ申有やうに申ませふ。かならずちよつと切ッ先でも指こんで下されますな。扨もかふせつないめにあはふとは存ぜず。追手の者にはならず。敵打の役人に成て今のくるしさ。第一息つまつてそのくるしさ。みぢんもつゝまず申上ん。

 私は松井源五方に。当三月の出かはりから奉公仕る。若党伝八と申もの。斑女梅若丸を三郎がつれのき。坂本の浪人と談合して。内縁を以て関白公へ百連主人源五のたくみの品を申もらはるゝといふ沙汰を聞れ。いかにしても安堵ならず。班女梅若は存命にても。一人だち願に出る事は及ばね共。山田三郎といふ奴。是非ねがひ返して本意をとげんと企ぬれば。三郎を打取。後難をのがれんとの。百連公との内談にて。敵打といふてかけこませ。追手といふて大勢込入。三郎殿并に斑女梅若殿。此度宿なさるゝ浪人衆共に。打とれとの申付にてかくの仕合有やうに申せし上は。一命を御たすけなされ下され」

と。つゞらの中より啼声して白状すれば。専左衛門を始。斑女梅若もろ共に肝をつぶし。「扨は百連源五が謀事にのせられ。三郎はやみ/\と打れしか。それ共しらず最期には。さぞ外成事にて死ゆくを残念に思ひ。命を惜く思ふらん」

と。三郎が心底思ひやつて。涙をぞこぼさるゝ。専左衛門思案をして。先つゞらのふたを取ば。中よりおづ/\はひ出たるを引とらへ。

「白状の上は命はたすくれ共。思ふ子細あれば。只今は返さず」

と。縄とつて背戸成柿の木にしたゝかにしはり付。隣家の人をやとひ。旦那寺へ俄の亡者乗物もたせて死人を葬給へ」

と申つかはし。寺より来る乗物に三郎が死がいをのせてつかはし。

「様子は追て申べし。宜しく御弔ひ下され」

と。布施物を添て空骸をかたづけ。

「おまへがたをかくまひ置し此茅屋を。百連源五にしられ。かく方便を以てを仕かけし上は。各様や某を。又討に忍び入んは必定。しかれば此所にはもはや忍ばせ置がたし。私が甥に三隅大学と申。是も不幸にして久しき浪人。江州鏡山の麓にひつそくして罷有。此者を頼み。当分忍ばせ申。其上にて長旅の支度をいたし。奥州にゐらるゝ御家老。粟津六郎とやら申人の方へ御供して。二度御代に出し奉らん。御心やすかれ」

と。たのもしき心底をあらはし。扨件の源五が下人の縄付を引出し。

「山田三郎が追善に。首をもはねたき物なれ共。白状せば命をたすけんといひし侍の一言。反古にしがたきゆへに命はたすける。我々は是より西国の方にしるべあれば。御両所を御供して只今罷出る。留守居に汝を指置間。百連源五より又々雑人原が来らは此通り申べし」

と。庭の柱へ又からめ付て。班女梅若丸の御供して。近江の方へと心ざして行にけり。

 爰に三隅大学貞俊とて。親は禁裏につとめしものなれ共。不慮の事にて相果。其節は大学若年にて御役召上られ。浪人して近年諸国を修行し。去年より女房の親里。鏡山の麓の郷侍。丹流病死跡目なきによつて。養子といふわけもなく。かゞみ所の有を幸に。夫婦此所に世帯を持。夫は近里隣郷の子共の手跡を指南して世を渡りぬ。専左衛門此所に尋来り。斑女親子の身の上の始終かたり。

「奥州へ御供して罷下る迄の路金。其外の拵をする。暫くの間かくまひくれよ」

と。拠なく頼ければ。我為には叔父の事。異儀なく班女梅若殿をかくまひ。夫婦共に朝夕心を付てもてなしければ。親子の人々も少心やすかにして。当分爰に身をかくしてぞおはしけり

【巻3-3】

 三 祝言の稽古の盃指詰に成恋慕の口明

 人間の盛衰は糺る縄のごとし。家も吉田の栄花の盛といわれしも。いつしか秋の木の葉とちり%\に成て。やつれし姿をうつし見るも恥しき。

 鏡山の麓住居。かくまふあるじも同じ日影の隠者なれど。七浦専左衛門が為には甥の身。伯父の頼といひ。此親子の衆をかくまひおふせ。世にも出し申さば。我等夫婦が末々の為にも宜しかるべしと。後たのもしく如在もなくもてなしける。

 明日は妻の少将殿の一周忌。世にあらば供仏施僧のいとなみかたのごとく執行べきに。人にかゝる身とて斎坊ひとり招く事も成がたくて。班女は釣仏だんに御燈あげて。涙の玉の珠数つまぐり。宵より念仏申。心計の追善。梅若丸は久しく笛を打捨吹もしたまはざりしが。せめて父の孝養にもと。身をはなさで持給ふ楊柳笛を取出し。父尊霊仏果ぼだいの為とて。万秋楽をしばし吹て。手向給ふぞ殊勝なる。主の大学は用事有て近在迄出けるに。暮にかゝりて帰るに。我家の内によのつねならぬ笛の音の聞ゆるを聞てふしんをなし。

「当村に是ほどに笛を吹者は覚ず。伯父専左衛門は若い時から武芸の外にたしなみのかくし芸のなき人也。そもや何ものが来て吹ぬるぞ」

と。表よりは入らず。わざとうらの薮垣の竹戸をおしあけ内に入。障子のやぶれよりのぞきみれば。梅若殿仏前に向ひ吹てゐらるゝを。暫く立て聞しめ。

「あらふしぎや此笛の音。自余の笛のねにあらず。殊に風もふかぬに庭成柳の葉のちりみだるゝは。慥に楊柳笛に紛れなし。我父福原木工頭の家の重宝。先年木工頭何者共しらず闇打にして。相伝の笛をうばひ取しより。家退転して我かやうに浪人の身と成。無念骨髄に通つて。父の怨(あた

)身上の敵。何とぞ敵をしらしめ給ひ。本意をとげて年来の笛を取もどすやうにと。念彼観音の力を頼奉ると。日本国中の観音の霊場をあまねく拝みめぐり。丹誠を抽で祈しが。大慈大悲の御利生にて。今月今日此笛の音を聞出す事。本意を達すべき時来れり。有がたし/\」

と四方を拝みゐる中に。梅若は笛を吹おさめて。しばらく廻向して次の間へ出給へば。大学さあらぬ躰にて。中戸を明て内へ入。梅若丸に向ひ。

「只今御笛をあそばされ候が。何も存ぜぬぶ骨者の耳にさへ感に絶候へば。さぞ其道に至りし人のきかれなば。我を折給はん。いか成笛にてさふらふぞ。一目見申度候」

と達て望めば。梅若はもとより何の心もあらざれば。かの笛を出して見せ給へば。大学つく%\と見て。父が事を思ひ出して。覚ず無念の涙をながして。笛をぬらしはつとおもひてをしのごひ。誠に縁につれてかゝる稀成名笛を拝見いたすと存候へば。我しらずうれし涙がこぼれ候。扨此御笛は誰人からぞもらわせ給ふか。但し御家に代々伝り候か」

と尋ければ。

「されば我等笛をすき候故。父上の秘蔵せよとて下し給はりしゆへに。形見と存昼夜共に肌身もはなさず懐中いたしゐ申候」

と語給へば。

「扨は梅若が親。我父を打てうばひ取しに極れり。ヱゝ無念や梅若が親少将は。去年病死せしとあれば。打て手向べき敵なし。よし/\敵はうたず共。伝来の笛を見付し上は。以前の様子を語り取もどして。ふたゝび楽器の役人の家を再興せん」

と。心の中に分別し。其夜は何事もいはず部屋に入てねたりしが。

「家に伝る名笛をしらぬ中こそ是非なけれ。もはや目に見し上からは。明日迄とはのばし置れず。尤幼少とはいひなから敵の悴に紛れなければ。打切て笛取もどし。父聖霊の泉下の怨をはらさせ奉らんと。さいはいと女共は今宵は用有て一門共方にとまりゐれば。驚て声立るものもなし。究竟の夜なり」

と。枕に立し刀おつとりむく/\と起出るを。側に臥たる専左衛門いまだ寝入らず此体を見て。何事が出来して夜中に刀をさげ出るぞ心得がたしと。息もせず枕を上てのびあがりて見れば。大学さし足して梅若の休みゐらるゝ寝所へ忍び行を見て。もうねた顔も成がたし。

「扨はけさより宿を出しが。必定百連より近在迄人を出し置。此家に親子の衆ゐらるゝ事を聞て。大学を内証にて頼み。斑女梅若を打て出さば。過分のほうびをあたへんとたばかるをまことに思ひ。欲心より伯父を出しぬき。心を変じて今宵親子の衆のねくびをかきに行にちがひはあらじ。若さやうにさせては。山田三郎存命の内に。尤一ッ家の因とはいひながら。我を武士と見込。親子の衆を代に立てくれよと頼みたのまれ。せめて三郎存生ならばいひわけすべき相手もあれど。三郎は死ぬる。欲心に迷ひ伯父甥一つに成て。親子の衆打て。百連へ回忠せられしと。死行し三郎が思はん所。いかにしても面目なし」

と。すでに起合せて大学に詞をかけんと思ふうちに。大学思案して。

「いや/\こよひねごみへ仕かけ。まだ十五にさへならぬ若輩人打て。笛を取かへさんは我ながら侍に似合ぬ比興のふるまひ。明朝母梅若に段々の様子をいひ聞せ笛取もどし。其上にて親少将が代りに。梅若が首打物か。そこは伯父専左衛門の了簡次第にすべし」

と。心の中にて思ひなをして又立帰れば。専左衛門もいはぬはいふにまさるといへば。夜中にいひ出しおだてゝは禍を招く道理。先ねた顔にしくはなしと。夜着引かづきそらいびきして臥ゐたれば。大学も人はしらじと何となく我床に入て。其夜は事なく臥にけり。

 翌朝大学が女房小はる。妹の小梅を伴ひて立帰り。斑女へもあいさつして。

「扨是は小梅と申て。わらはが妹にてさふらふが。幼少の時当村の庄屋の方へ養子につかはし置けるが。となり在所の郷侍の方へ。近日縁に付申ゆへ。此中さやうの相談に毎日参り。お前がたの御入なされてござるに出ありき。麁抹成仕かたと思召もめいわく。それに付養子親と申も。私のためには姨聟。同じ百性の方へよめらせなば。何かに気ぼねもおるまいが。いふても郷士は目はづかしい。女の諸礼婚礼の夜の盃の品。女の仕つけがたも御存ある。都のお客の女中に教させてくださるゝやうに。たのみくれよと慮外もかへり見られず。私へたのみゆへにめしつれて参りました。郷侍とて高が草ふかい在所の事。折め高な式作法は知ぬとても。恥かくほどの事もさふらはず。かやうに申私からが。古見覚ました事も。今はうすひくの麦こなすのと。百性の手ざわのみに打かゝりて。姫ごぜらしき作法はとなへ失ひまして。何も存ませねば。憚ながら教させられ下され」

と。よぎなくたのみければ。

「何が扨かふ御夫婦の御世話に成てゐる身じやもの。知たほどの事は教で進ぜいでおきませふか」

と。もとより物なれて女一通りのわざは。心得ゐる斑女。銚子くはへの取廻し。盃の取やり。ねやへ入ての盃事。仮の聟殿に専左衛門成て。嫁との千代の結びの盃の様子を。妹小梅にしてみせ。専左衛門も心うかれ。卅年以前の若盛の事を思出し。

「いくつに成ても大事ない物」

と一笑してけいこ仕舞ぬ。斑女嫁に成て打かけしてのゐずまひ。身の取廻し粧。又地女の風俗とは一きはすぐれて今捨し身なれど。桜は花にあらはれ。どこやらにいやといはれぬ美形残て。見る程うつくしう。是より専左衛門俄に出来心にて。班女になづみ初。裏へ出らるゝについて出て。人なき植込の陰にて袖を引。

「五十に余る身して申出すも恥かしけれど。恋は分別の外にして年にはよらず。抑山田三郎がお供して参りし日より思ひ初ぬれど。我と年を恥て是迄は胸にのみ思ひくらして打過けるが。今日かりのむこに成て。君といもせの盃事のけいこより。命もきゆる計の思ひ。不便と思召て。たつた一夜の御情に。年寄の心をなぐさめて給れ」

とだき付をふりはなし。

「コリヤ祝言稽古の盃の御酒が過て。お年に似合ぬたはふれごと。人もみれば且はこなた様のお為にならぬ」

と。すんとしたる挨拶に。手持ふさたに成ければ。専左衛門むつと顔にて。

「そりや分知の班女様には聞へぬ。若い者ならば浮気の沙汰共申さるべきが。人に異見もいたすべき年ばへをして。甥などの手前も恥ず申出すからは覚悟しての事。今宵梅若様のおしづまりました時分を見合。御ね間へどふでも忍びまして。是非お情にあづかりませねば。思ひ死仕るより外はなし。御両人様には御扶持一合得た身でもなく。恩をきました覚はなけれ共。三郎がゆかり有計にて一命をなげ打て。梅若様を再び御代に出さんと存込は。是情の至極と申物。其情をわきまへて下されぬからは若い者のやうに日をかさねてくどく気力がござらねば。今宵忍んで参るに御承引なくば。すもどつ仕りませぬ。一番に梅若殿を指殺し。次におまへと一所につらぬいて死ぬる合点でござりますほどに。とくと御思案なされませ」

と。うらめしげに顔を見て。なく/\内へはいりければ。斑女は十方にくれて。植ごみの陰に立くらして。涙をこぼしくれゆく今宵を案じゐるこそ道理なれ

三之巻終

【巻4目録】

都鳥妻恋笛   四之巻

第一 互に心を引て見る石臼廻り気な疑

    稚心に母のいたづらと推する梅若

    恨の一筆書のこす一通は思ひの種

    心を汲合井戸車廻り気な二人が疑ひ

第二 船頭が背の疵は悪者の看板

    見かけより心に針を包渡し守が旧悪

    欲に目の見えぬ闇打姑とはしらぬが因果

    国所はいふにいはれぬ猿ぐつわのくるしみ

第三 子ゆへに闇を照す月影はすみだ川

    物すごい川風吹て来るふえの音

    夢にみる子の面影心みたるゝ柳の印

    仏果の縁と成過去物がたりは此世の名残

【4-1】

 一 互に心を引て見る石臼廻り気な疑

 翡翠の鳥は羽を似て。自残はるゝといへるは断ぞかし。

 班女も美形ゆへに人に思はれて。身の難儀に成事多し。思ひよらぬ専左衛門に執心をかけられ。心にしたがはずは梅若共に。今宵の中に殺さんとの事。むたいとは思ひながら。女の身の悲しさは。何とせんかた涙にくれ。内へも入ず植込の木陰に案じゐ給ひしが。何とぞ専左衛門をたばかり。今宵の所をいひのばし。梅若に此わけを咄し。透を見て此所を立のかんと分別しておはする所へ。又専左衛門裏へ来て。後より斑女が腰をしつかとだきしめ。

「さあこよひの返事はどふぞ/\」

としなだれかゝるを。うるさくは思ひながら。につこと笑ひ。

「お年よられてそれほどに思召下さるゝ御心ざしむげにもしがたし。さほどに思ふて下さるなら。今四五日待てたべ。夫の少将ぼだいの為に。一周忌迄に法華経百巻読誦せんと仏にちかひ申ぬれ共。様々のさはり有て。一周忌迄にえよみしまひ申さず。今一部残れり。是を読誦し終るまで。御用捨頼上まする。此御経をよみしまひ。さつはりと精進あげ。其上にて御心まかせに成申さん」

と。言葉に品をあらはし色をふくみてのたまへば。専左衛門かぶりをふり。

「イヤ其うまい手などほつかりとくふ男にあらず。むかしから善はいそげといへば。ぜひ今夜打とけてあふて給はれ。年寄はこらへぜいなし。明日迄は待にくし。法花経の罰は此おやぢがうけ申さふ。是程に申うへは。とやかく上手を仰られてのばさるゝ心底ならば。そこらは手を見せる男にあらず。最前申た通り親子の衆を指ころし。身も腹切てはつる覚悟。晩迄の内にいやかあふかの二つに一つの返事を待。コレ命取様」

と。なを/\だきしめはなさぬを。梅若丸は何心なくせどの戸明て出かゝり。此様子を見給ふより。はつと上気し内へ入。

「扨は専左衛門と密通しておはするな。あさましや吉田少将のみだい共いはるゝ御身にて。いかに後家孀に成給ふとて。いたづら成御心をさげらるゝ事。母人とは頼れず。かゝる不所存にては。中/\我を介抱し。再び吉田の家へかへしくれ給ふべき大望は思ひもよらず。けがれたる筋めの事はいひひらくにもせよ。さすがは遊女の果とて。年よりと狂ひ不義いたづらをなすなどゝ評判せられ給ひては。大望の妨。大掾が子の百丸に家をうばゝれし無念さは。ねる間とてもわすれぬに。何がおもしろふ思召て。徒はしたまふぞ。うらめしの母様や」

と。恨み歎き給ひしが。

「いや/\心のくだりし母人や専左衛門を頼み。うか/\とあたら月日を送らん事心外の至り也。所詮此家をぬけ出奥州へ下り。粟津の六郎に尋あひ。六郎と心を合せ。再び家を取もどさんと。段/\を一ッ通に書置。釣仏だんの中に指置。あるじの内義のぬぎ置しすげ笠取て打かづき。ひそかに忍び出給ひ。奥州へと心ざし。しらぬ旅路におもむき給ふ。心ざしこそ腱気なれ。

 かく共しらず斑女は。専左衛門がむたいの恋慕に難儀して梅若に此事を語。けふの中に此家をのがれ出んと思召。梅若丸を尋給ふに。家内に見へさせ給はねば。

「梅若は何かたへ参りしぞ。もしあるじの大学殿と一所にどれへぞ参りはせられぬか」

と尋給へば。女房小春申やう。

「夫大学には妹が祝言の調物。急に求めくれ来れと母の頼もだしがたく。自分もけふは用あれ共。恩ある姑の頼みとて。夜が明ると其侭出られ候へば。梅若様と御一所には出られず。今迄お部屋におはせしがどれへお越有けるぞ」

と。とも%\裏背戸隣家まで尋れどもおはさねば。班女は心も心ならずあなたこなたをよびまはり。釣仏だんを見給へば書置として一ッ通あり。はつとばかりにやがてひらき見給ふに。母の身もち正しからざる恨みの一とをりを書のせられ。

「専左衛門が事は年不相応のふるまひ頼がいなき心底を見かぎり候ゆへ。誰と心を合せ。大義の相談すべき人もなければ。俄に思ひ立奥州へ立越。粟津の六郎としめし合せ。ふたゝび家を取もどさんと思ひつめ罷出候。つゐにひとり旅とてはいたせし事もなき身なれば。はる%\の道にて若相わづらひ死うせもいたしなば。ふびんとおぼしめされ浮世気をやめられ。兄松若殿を尋出して。吉田の家を取もどしてたべ。無事に陸奥へ着いたし候はゝ。文して申上べし。御そく才にて御わたり候をねがひ入まいらせ候」

と。うらみがち成書置を。読も終らず涙をながし。

「扨は専左衛門殿けさほどうちにてたはふれ給ふ体を見て。不義いたづらにてもするやうに母が心が成くだりたりと見かぎり。あの不浄成心では。大望の心がけはあるまじと。おさな心にわらはをふかく恨み。ひとりしらぬみちのくへ。六郎を頼に下りけるか。はづかしや子ながらも。母をいたづらものと見かぎり。年はもゆかではる%\と。奥州へひとりゆかんと思ひ立ぬる心の底こそ不便なれ」

と。書置を顔にあてゝ。人めも恥ずくどき立てぞ泣給ふ。

然所へ大学祝言の入用とて。櫛箱鏡なんど求め立帰り。女房に様子を尋れば。

「梅若様奥州とやらんへお越のよし。書置を残され候ゆへ。御ふくろ様のあのごとく御歎き」

と申ければ。大学持たる櫛箱をあたりへ捨。

「南無三宝おさなきと思ひ油断して。取逃せしこそ安からね」

と。尻引つまげとんで出るを。専左衛門やがて大学を引とめ。

「コリヤぶ器用者め。をのれが所存をしるまいと思ふか。昨日にも引よせて急度異見をくはへんと思ひしか共。今こそ日影の身なれ。親は福原木工頭といふ禁裏の笛の役人にて。あまねく人の知たるものゝ悴に。生恥をかゝせんが悲しさに。身は年に不相応な色に迷ふたかほして。斑女様へ心をかけ。むたいの恋慕をいひかけしは。をのれが悪名を世間へしらせまいため。甥ゆへに伯父が不行儀ものゝ名を取て。舞納めんと。若い時だに色に迷はぬ専左衛門が。班女どのへ今朝道ならぬたはふれをいひかけ。心にしたがひ給はずは。今宵の中に御身も梅若殿も指殺して。はらかきやぶり未来永々つきまはり。此うらみをいはんと。心にないよこしまをいひかけしは。班女親子の衆を。此内に一刻も置まじき方便にていひつるなり。近比斑女様の御手前へも恥かしく候へ共。もはや手詰に成候へば。現在の甥の恥をあらはし申也。大学は百連源五に頼れ。欲心より梅若丸を害し首取て。ほうびにあづからんとする様子。此専左衛門が一めにらんだ眼はちがはじ。去によつておまへ親子の人々に。けがあやまちのなき内に。急に此家を落させ給ふやうにと存。むたいの恋慕を申かけさふらふ。さあかふ打明し上は。汝をもはやいとふてはゐぬ。梅若丸の跡を追て。討とめ申さんといふ所存に極つたらば。年こそよつたれ。中/\汝を此家の敷居をふみこへさせぬ。思ひとまらぬかどふじや/\」

と刀に手をかけ詰かけいへば。大学化転し

「アゝ伯父ごあまり成御さきぐり。いかに日影の身に成貧く暮し候とて。伯父ごの御頼有て。御誘引なされた御客方を打取。百連とやらいふ敵の方へ回忠などするやうな。不所存な大学にあらず。成はど梅若丸を打切。せめて亡父へ手向んと存込。はやけさ一打にと存ぜし所に。姑の祝言の買物を急に申付られ。もだしがたく調に参り。只今家出と聞しゆへに手のばしにして取にがせし無念さ色にあらはれ。思ひもよらぬ推量に出あひ難儀いたし候。某梅若丸を打んと存候意趣は。親にて候木工頭。先年闇打にあい。家の重宝楊柳笛をとられ。それゆへ役人の跡目立がたく。かやうに流浪の身と成事。無念日々にかさなり。何とぞおや共を打たる敵を尋聞出し。本意をとげ父聖霊に手向名笛を取もどして。ふたゝび楽器の役人の家を興し申さんと。ねる間もわすれず存せし所に。吉田少将殿の一周忌の追善に。梅若殿笛をふかれしを聞て。是つね体の笛にあらずと所望して見申候所に。我家の楊柳笛に紛なきによつて。人にもらひ給ひしか。但し家につたへられしかと尋し所に。親行房わらはが笛を好ぬるゆへに給はりしとの物語。扨は吉田少将親を闇打にして。此笛をうばひとられしに紛なく存るによつて。若輩とはいへど正しき敵の子息。せめては打て父に手向。笛取もどさんと存ての事。幼年の梅若を打事。おとなげなく聞へ候所めいわくながら。少将死去の代りと存。それゆへ只今追かけ参る。全く百連などが頼によつて。非道の存立にて。梅若を追かけ参る所存にて候はず」

と。始終を語れば専左衛門横手を打て。

「扨々某が早合点にて面目なき仕合」

と。もみ手ををして侘すれば。班女は次第を聞給ひ。

「扨は笛ゆへ闇打にせられ給ふと聞及びしは。こなた様の父ごにて候や。全く少将殿のわざならず。其笛は常陸大掾百連の兄。様子有て魔道へおちて天狗となられ。梅若が兄松若丸と申をつかみ。行衛もなく飛去給ふ時節。其笛を落し置れ候へば。其方様の親ごを打申されたるは。此天狗に紛れなし」

と。段ゝを語られ。大学も聞とゞけて。共に梅若君をとゞめ申さんと。各打つれてあとをおふてぞゆかれける

【4-2】

 二 船頭が背中の疵は悪者の看板

武蔵の国と下総国との中に。いと大きなる河あり。それを墨田川といふ。其川のほとりに旅人立とまりて。渡しの舟のこなたへ漕戻るを待てゐけるほどに。七浦専左衛門大学。梅若丸の跡をしたひて来り。宿々泊々にて尋とひ。此所迄来りぬ。両人共に関東筋は始なれば。行さき%\の勝手もしらず。外の旅人とともに立休らひ。火縄の火など借てのむ中に。渡し守舟を岸へつけて。

「いざ皆のりたまへ」

といふにうれしく。待ゐたる旅人我先と舟にのり。夕日も西にかたふけば。いづれも心せきて。

「早くつけてたもれ」

と。口/\にいふていそげど。折ふし風さかふて思ふやうに舟のゆかぬを。心よい渡し守にて。

「暮かゝればおせきなさるゝは道理/\。我等老の波六十にあまれ共。今時の若いもの身共が働き程は思ひもよらず。一勢出して艪をおしてちつとの間につけて参らすべし」

と。汗玉をなし諸肌をぬぎしをみれば。肩先より手首まで。切疵明所もなく。深山木の漆の枝のごとく。

「あれでも死ぬものかな」

と。乗手の諸人横手を打て。

「是はいか成ゆへにかく迄身をあやしめけるぞ」

と尋ねけるに。渡し守とはれて

「是は身から出したさび{金+腐}にて。我と因果をさらし申。御旅人達も必ず。仮にも悪事に与などなされますな。人間は道にちがふた欲でなければ身はそこなひませぬ。今疵を見付させられ御尋ねによつて。おやぢめが身の上を懺悔仕る。

 某はもと江州柏原の土百性。身が隣に弥三大夫といふ下百性。一人の娘を遊女に売てつかはし。其遊女都の御歴々の御意に入て請出され。御前様と成て時めきしに。実父弥三大夫は果報なくて。娘の出世せし事もしらず死でのけしが。其御家の伯父ご。甥の家督を押領せんため。悪事をたくまれし所に。誠に悪縁とや申べき。我等は伯父ごの領分の百性。御前様に成た遊女の実の親もとは。汝が在所と聞及ひしが。しらぬかとの尋によつて。それこそ拙者隣にて。弥三大夫と申ものと語り出したが因果の始め。然らば其実の親と名乗かやう/\にいたしくれとの御頼み。仕課て甥が家督を取なば。領分の支配の地を。永代汝にとらせんとの。慥成証文迄なされ下された。あたはぬ欲に邪とは思ひながら一味いたし。実の親に似せすまし。伯父ごの思召やうに仕おふせて参らせし所に。賤きものは頼れず。似せたる事を又もや人に語なば。我身の悪事あらはれんと。後難をおそれ。拙者を何となくよびよせられて。だまし打にせられんとせしを。かいくゞつて裏へにげ出。高塀へのぼりつかんとする所を。いくかせ共なくかやうに切付られしが。せめても死の業来らざるや。朱に成ながら漸と高塀をのり越。からうして身をのがれ。早速禁庭へもうつたへ申べきかと思ひしが。能々思案をめぐらせば。似せものになりすまして人の家督をうばはせし張本人は某。いふて出なば一番に仕置にあはん。然ればたま/\のがれたる命を。我と罪にしづめにゆく同前。とかく都を立のき。一日にても生のび。時節を見合せ此怨をはらす期あるべしと思案して。北山の奥にかくれて疵養生し。大かたに平愈して。少のしるべあるを便に。下総の国猿嶋へにげくだり。当春より此川の度し守にやとはれ。かやうに恥をさらし候」

と。委く語れば。

「扨も命冥がな親ぢ。百年迄は長生めされん。髪のかたい舟長」

と同音にいふ中に。専左衛門は聞とめ。

「是こそ班女の実父といふて。穢の筋へ親子の衆をおとし。百連が利潤にさせし親ぢめならん。よき事を聞出したり」

と。心中に悦びぬ。

 時に向ふの在所に。かすかに笛の音の聞へけるを。その道者とて大学耳をかたふけ聞すまし。渡し守にむかひ。

「あれに見へたる一里につねならぬ笛のねの聞ゆるは。所の神事にて神いさめの為に吹苗か。さもあれ在所人のたしなむ草刈笛とは聞へず。ふしんさよ」

と尋れば。

「ヲゝさすがお旅人は上がた人と見へて。よくも聞せ給ふものかな。

あの笛について長/\しき物語の候。此舟の向ふへ着申迄の内に咄て聞せ申さん。

 昔/\武蔵の国浅草の野中に。はなれたる一つ家あり。其家に嫗と娘只二人住て。行くれたる旅人を留て。石の枕をあたへねさせて。ねいりしじぶんを見合せ。上より石を落し打殺して。其衣装をはぎとり。それを以て人しれず世をやすらかにくらしけるに。ひとりの旅人行くれて。かゝる事共しらず。嫗がもとに宿からんとせし所に。いづく共なく笛のねの聞へけるに。耳をすまして聞ければ。笛のねに合せて。日はくれて野には伏共宿かるな。浅草寺の一つ家の内と。音の中に此哥聞ゆ。旅人ふしぎに思ひながら。此うばが屋に立入宿を借けるに。あるじの嫗様々にもてなして宿をかし。石の枕をあたへてふさせける。旅人笛のねの哥を思ひ出し。やがてねやをかへてうかゞひみるに。さよふけてあるじのうば忍び入て。上よりふしどの上へ大石をおとしける。旅人おどろき肝をけし。からき命をたすかりて。足にまかせて逃出けるが。まだ夜ふかければ一つの堂にかけこみて夜を明すとて。少まどろみける夢の中に。童子来て我はこれ浅草の観音也。汝つねによく観世音を信ずるゆへに。汝が災難をすくはんが為。笛を吹てしめせしもの也。かしこくもにげのがれけるぞや。いよ/\信をなすべしとて失給ひぬ。其嫗が娘に聟を取ぬ。同気相求るとかやにて。此聟は下総にかくれなき。猿轡の門兵衛とて。人買の大将。姑うばにおとらぬ悪人。おさなき子共を勾引。諸国へ売てやる邪見非義の横道もの。打つゞきかどはかすべき子共もなく。不仕合にて夜に入街道を。ぶきげんにて帰る折から。むかふより何やらん色あい見へねど。かさ高にうしろにせおふて来るものあり。幸/\此間打つゞき不仕合にて。手ぶりにて帰れば。例の熊手ばゝが。今迄他国を経あるき。銭ももうけずすご/\とよふはもどつたと。かみつくやうにわゝりかゝるは知れた事。人買も追剥の商売も。いはゞちよぼ市と三枚のやうな物。名こそかはれ同じ博奕わざ。仕合なをしに引はいてのけんと。くらやみてあいろは見へねど。したゝか物を負ておるをばい取て。設とし姑がきげん顔を見るべしと。やり過してうしろから声もかけず大げさにぶちはなし。死骸をあたりの池へけこんで。宿にかへれば女房ひとりるすしてゐる。『こりやおばゝはどこへゆかれた。早ふ見せて悦ばしたい。此間隙入たほどあつて猟がきいた。是見よ』とうばひ取し風呂敷包を引ほどき。中成小紬を見れば皆女房が衣類也。これはどふじやと我ながら肝をつぶせば。女房はびつくりし。『そなたの此比銭もうけせず。のらついてゐらるゝゆへ。銭がなふて米買べきやうもなく。当分わらはが着物を。むかい在所の質屋へ預け。かね才覚してこふと。まそつとさきに持て出られたが。どふして取てござつた』といふにおどろき。扨はくらさにばゝ共しらず打切てのけしかと。あきれてゐたるが分別し。『もう此家にはゐられぬ』と直に其夜欠落して。此すみだ川の辺にひとり住して。知た道とて其儘人商人にて口を過しが。此ごろ都方から奥へ下る。十二三成うつくしい生れつきの稚をかどはかしつれ帰りて。佐渡の国へねだんがよきゆへ売んといひしを。此おさない手をあはせ。『売で叶はぬ事ならば。陸奥へ売てくれ』となげきしを。佐渡へはあたひよく。奥州へは下直成とて聞入ぬを。歎きかなしみ佐渡へとては行まじと。泣入て動かぬを。『片意地ものめ』と鼻ねぢにて。情なくもたゝみかけたゝきしが。きう所にや当りけん。うんと計に手足をちゞめ。色かはりいきたへたり。『南無三宝殺しては損がゆく』と。持たる鼻ねぢ打捨て。顔に水ふきだきかゝへ。名もしらねば『都のおさない/\』と。声をはかりによびいける。

 折ふし表を旅の侍通り合せ。耳に入情ある武士不便にや思はれけん。門口の縄のふれんをしあけ。『よびいける音のするは。目でもまはせしもの有か。奇妙の気付持あはせし。用ひて見よ』と有ければ。『こは有がたき仕合。然らば御意にかけられ下され』と。おさないを枕させ。薬もらいに立よれば。『水を取て来べし』と。紙入より一粒の丸薬を出し手づからかのおさな子の口へ入られ持て来る水を押わりそゝき入られしに。誠に奇妙の薬にて。忽息出けるを。猶も見捨かねて。耳ちかくより気がつきたるかととはれしかば。おさないまなこをひらき。『御情に旅人様。あるじにわびことあそばして。同じ売てやるものなら。奥州へやつてくれらるゝやうにおつしやつて下され』と。片息に成て申さるゝを侍聞れ。『ムゝ扨はそちは此ものにかどはされて来るよな。ヤレうぬめは親ある子共をたぶらかし。つれ帰て諸国へ売人買めよな。かゝる時節にたよるも一世ならぬ縁。此子は身が国所を聞てをくりかへす。船場迄おふてうせい。若いなぬとぬかすとからめ取て。所の代官どのへ引てゆくがどふじや』と。きぴしくねめらるれ共。此人買ちつ共動ぜず。『慈悲心有て国所を尋ねつれていてやらふと思はれなば。金十両といふ此倅を買た代金を渡して。いづ方へ成共勝手につれてゆかれ』と承引せぬを。二つ三ついひあがり。堪忍ならぬ悪口によつて。さすが武士とて手を見せず。猿轡の門兵へを抜打にまあ二つにして。扨此おさないをつれゆかんとせられしが。是迄の寿命にてや有けん。息たへ%\に舌ももつれ。『迚の御情に相果なば。此所にうづみ。印に柳を植させてたべ肌をはなさず持たるは。父上のかたみの笛。空しきからと共に埋て給はれ』と。国所親の名を聞んとせらるゝ内に息たへて空しくなられぬ。なんぼうはかなき物語にて侯」

と。かたりしまへば舟こぞつて。さてもあはれなる咄やと。袖をしぼらぬ人もなし

【4-3】

    三  子ゆへに闇をてらす月影はすみだ川

 長物語の其間に。向ひの岸につきければ。

「船頭大儀」

と舟ちん渡し。皆々舟よりあがり。をのが心ざす所々へ行別るゝ中に。専左衛門大学両人其まゝ舟に残り。

「コレ舟頭舟賃やらん」

とちかづけ。やがて二人左右より舟頭が両手を引はり。

「ムゝわりや都にて常陸の大掾に頼れ。斑女の実父に成て。松井源五としめし合せ。うぬが身をわざとよごし。けがれの者の顔をして。斑女梅若どのを追はらはし。百連が利潤にしてやつた似せものゝ親ぢめな。我こそ其梅若丸の御味方申。汝が有所を尋さがし。右似せごとの巧の証人に。関白公へ引出さんと心がけしに。天罰にて身の悪を我とさへづり。身共らが手に入事。ひとへに天のあみにかゝつたる極悪人。今にても其悪心をひるがへし。梅若殿のお為に成やうに。百連と表向へ出て対決し。頼れし段々を関白公へ速に白状せば。一命をたすけ其上に。一生扶持を申あたへてとらせんが。御味方する所存はなきか」

といはれ。舟頭はつと赤面して。

「扨面目もなき仕合。命をさへおたすけなされ下されなば。百連が自筆に書てくれたる私への極め証文。今に肌にはなさず大事にかけて持てをれば。いかな/\いひぬけさする事でなし。今からにても都へお供仕らん」

といへば。

「ヲゝ満足/\。先それよりは今あの在所の笛の咄に。少き人を人買がてうちやくせしを。旅の侍が其人買を殺し。おさない人を介抱したるとの噂。どふやら梅若殿の御身の上に似かゝりて心もとなく思ふなれば。其旅の侍今に向ふ在所に逗留してゐらるゝや。旅宿を知りなば案内せよ」

といひければ。

「何其おさなき御方は梅若様の御事に似申たるとは。何しにお一人此遠国迄御越有しぞ。そのおさなき人は五六日以前に死でのけられ。かの旅の侍が国所を聞ざりしが残念どふぞして親兄弟も有人ならば。しらせてやりたしと。仁心ふかきお侍にて。我子を失ふたる程かなしまれ。みればいやしうもそだたぬ子なれば。定て従者も有つらん。よもや尋に来ぬといふ事はあらじ。子細ある笛と見ゆれば。此笛だに吹ば。音を聞て尋よらぬといふ事はあらじと。遺言の通り死がいは土中にうづみ。其上に柳の木をしるしに植をかれ。所の人々を頼み大念仏をはじめ。お侍は笛を吹て尋よる人を待れ侯。御出有ておさないのきられし小袖なんど見給はゞ。梅若様か。又は外成少人かの様子はしれ申べし。いざお供して参らん」

と。両人を誘引して旅宿へこそはいそぎけれ。

笛による鹿は妻をこふ。我は子ゆへにしたひ来る。手馴れし笛のねてもさめてもか忘られず。専左衛門大学が。女中の長旅。道/\の難儀。両人急に尋ね下つて。追付めでたふ御供して帰らんと。しるべの方を頼み預け置て出たれ共。中/\待てはゐられぬと。あかつき方に宿を出。すがたかたちはいふに及ばず。髪さへいはずばら/\と。みだれ心やくるふらん。本性ならば中/\に。ひとり女のはる/\の。海山越てゆかるべきか。妻や子ゆへに気のちがひたる女とて。宿/\泊々にても情をかけ。いやしからざる女中のいたはしさよ人どめ女。心なき馬奴かごかきまでよけて通し。川々も情にて渡してやりければ。思ひの外に道ばかも。往来のたすけはごくみにて。狂ひ出ゆく我心は。子ゆへにこそはかきくもれ。恩愛の思ひならば。本心の月は明らかに。すみだ川の水きよく。川辺につきて渡しの舟をまてども。漕来らぬこそ道理なれ。

 初夜過四つの鐘も鳴。往来の人も絶て。浪の音のみたかく。物すごき折から。川端をつたひ夜露にそぼちつゝ。笛をえならず吹すさひ。しづかに来る人を月影にすかしみれば。年の程十三四才と見ゆる少年。いふはかりなくうつくしきが。髪からわにあげ。うす化粧にかねくろく。色白に眉細くつくりたるが。白き浄衣に袴着てたゞひとり。月にむかひていとおもしろく笛を吹。しづかに来り斑女を見て。笛を吹やみ。

「女中のひとり夜に入て川ばたに。何故にたゝずみ給ふぞ」

と問れければ。班女

「わらはゝ月にも花にもかへじと思ふ秘蔵子の。母を捨て奥州へくだり候をあこがれ。あとをしたひ出けるが。跡成宿は邪見なる所にて。物ぐるはしき女とむる事は叶はぬと。すげなふ申て宿をかし申さぬゆへ。此所迄来れ共。夜に入ぬれば渡し守さへ見へず。跡へとては帰られず。是非なく是にたゝずみ候」

と。しほれ泣てのたまへば。容につれて心ばせまでやさしく。

「いたはしの御有様や。此辺には人商人はいくわいし。おさなき子共はいふに及ばず。御女郎のやう成やごとなき御方をたばかり。道中の旅屋の出女などに売てつかはし。あたひを取邪もの多く候へば。此所に其まゝおはさば。今にも来つて理不尽に引たてゆかん。かやうに参あひ言葉をかはすも多生の縁。我住所はむかふの在所。一夜をあかされ候ほどは。見ぐるしく共お宿を参らせ申さん。我について御越あれ」

と。つなぎ捨たる小舟の縄とき。斑女をのせて少人は手づから櫓をおして。暫時が間にむかふの岸につけ。すぐに伴川辺より一町あまりして一つの家に行いたり。

「表の門は番の者も臥ぬらん。こなたへ入らせ給へ」

と。うらの小門よりひそかに内へいざなひ。

「爰は我等が常にすむ部屋にて。外より来る人もなければ。御遠慮なく打くつろいで休み給へ。部屋住の身なれば。夜ふけ人しづまり。こと/\敷家来共を起さんもいかゞと存。何を取まかなひ旅づかれをなぐさめ参らすべき。愛想もなく近比麁抹なる仕合にて。私の心ざしにて候へば。是に奇麗成水の侯へば。酒と思召て召上られ下さるべし」

と。かはらけ盃となして。斑女の前にさしをけば。狂気なれ共少人にあふて心しづまり本性と成て。

「誠にお年もゆかざるに。しほらしき御心ざし。何がさて水にもせよ。あるじの心を汲酒」

と。手酌にして一つうけ。酒の思ひをなして心よくのみ給へば。

「こなたへ給はれ」

と。少人盃をいたゞき呑ておさめられ。

「枕をまいらせゆるりとお休なさるべし」

と。其身は次へ入ければ。班女は枕をし給ふより。旅づかれにいつとなくね入らるれば。最前の少人忽に梅若丸のすがたにかはり。母の枕に立よりて。

「さきはど梅若がありし姿にてまみへ申。詞をかはし参らせ度は思ひしか共。親子は一世と申せば。梅若が姿にては詞をかはし奉る事の叶はぬ故。異児と形をかへて対面し。親子此世の名残の水盃を取かはし候へば。今より我事ふつ/\と思召切給へ。我前生を語り聞せ申さん。親と成子と成も。此世ばかりの縁ならず。又わかれ参らせて。しらぬ他国の土と成も。皆是過去の因縁にて候へば。必歎き給ふべからず。

 抑我前生は唐土の隅田といふ楽器の役人。玄宗皇帝よりくだし給へる楊柳笛を。奏聞もとげず日本へ渡したる科とて。楊柳笛のながれ来りし川ばたにて。首をはねられ死て無間に堕罪し。無量の苦患を受て。浮む期さらに有まじく思ひし所に。都卒の内院に秘蜜の灌頂あるにつき。諸菩薩万秋楽を奏し給ふ。笛の役不足成とて我を召出され。娑婆へ再生して。汝が吹たる楊柳の名笛を取来れ。かさねて万秋楽の役をつとめなば。地ごくのくるしみをたすけ。都卒の内院へむかへんとの仏勅によつて。吉田少将との御中の子と生れ。梅若と成てさふらふ。然れ共隔生即忘とて。生をへだつれば即前の世を忘るゝゆへに。名笛の事をしらずくらせし所に。思ひもよらぬ法師が取忘れて残せしを。父行房卿よりもらひ。前生より吹馴し魂なれば。をのづから笛を好み。肌身もはなさず秘蔵しぬ。

 然る所に母の御身持たゞしからぬと。もつたいなくもうたがひ。只一人ぬけて陸奥へ下るところに。邪見成人買にかどはかされ。折檻の杖つよく。つゐにたゝかれ死におもむく時に至て。前生の事心にうかみ。死がいと共に名笛を一所葬り。しるしに柳を植置給はれと遺言せし。其旅の侍は則家老粟津の六郎也。今少早く対面せば。舌もまはりいひ置事も数/\ありしに。魂はきへ/\と成て舌にこはばりいふ事ならず。終に此世を去けるが。さるにても前生の縁を引れて。唐土にて名に付し隅田の二字ある。隅田川にて空しく成ぬ。しるしの柳は楊柳笛の因縁。末世迄も此隅田川に跡を残して。往来の人の永き世かたりと成申さん。我今此笛を得て。直に都卒の内院へ生を受。仏果を得申上は。父母眷族もろ共に。成仏うたがひ有べからず。且又兄松若殿は御堅固にて。此世に御渡り候へば。是も仏の力にて。ふたゝび家にかへりたまひ。御対面なさるべし。然る上は粟津六郎并に専左衛門大学としめし合され。松若殿を代にたて。吉田の家を御相続なさるべし。此事申さんばかりに。今宵爰にとめ申候」

と。段/\を夢中にいひ置。かきけすごとくにきへ給へば。斑女夢さめ見給へば。家ゐはなくて一木の柳の塚の前に。たゞひとりおはすれば。

「ヤレ今のは我子の梅若成か。今一度あらはれて。詞をかはしくれよや」

とて。塚のもとにうちたをれ。声をはかりに歎かるゝ。あはれといふもおろかなり。

【巻5目録】

都鳥妻恋笛  五之巻

目録

第一 粋自慢の天狗も鼻を突大夫が仕懸

主従の名乗もせずに粟津六郎が残心

昔の風にかへり廓の大夫が所縁残る道中

煩悩の夢さめる床の中善悪の二つ枕

第二 一時の雨舎も主従の縁つきぬ名残

仏に縁をむすぶ庵すぐなる竹ばしら

若衆盛の色に泥で見る草紙売

武士の魂おさめをく箱の中の一腰

第三 親の敵を打納めて万吉田の家繁昌

妾となして敵の屋形に目代を奥女中一味の輩敵を一飲にする門出の茶碗酒

悪人退治出世の加増入升米蔵

【巻5-1】

  一  粋自慢の天狗も鼻をつく大夫が仕掛

  「死の縁無量とはいひながら。出生の花の都を去て。遠き国の土となる事。思へば/\不便なり」と。母は塚の前にふししづみ。夜の明しもしらず泣入ておはしけり。

   然るに七浦専左衛門福原大学両人は。舟頭が案内にて粟津の六郎が旅宿に至り。初て対面し都の様子を委細に語れば。六郎は又奥州にて拠なき公用にて。帰洛遅引の物語して夜をあかし。それがし梅若殿といふ事を夢にもしらず。御臨終のみぎり無礼をいたせし御断。改めて申上んと両人同道して。塚の前に来り。班女を見付皆々おどろき。

  「何として女性の一人是迄御越有けるぞ」

と尋ければ。

「さればひとり跡に残りゐて物思はんよりはと。そなた両人の跡をしたひ来り。夕べ梅若が幽霊にあい。段/\の因縁物語を聞しなり」

と。あらまし語りて歎き給へば。各奇異の思ひをなし。涙に袖ぞぬらしける。粟津六郎泪をおさへ。

「主君御逝去の様子承りおどろき奉り。早々罷上り度存候へ共。五ヶ年が間の勘定明白に仕立申さぬ内は断立がたく。是非に及ばず延引仕候所に。百連邪慾によつて百丸に家督の願ひ。謀計を以て上をかすめ。御一跡を押領せし段。山田三郎方より早飛脚にてしらせ候ゆへ。飛立計に存候へ共。勘定相立申さぬ内は。新司の御免なきゆへに。公用もだしがたく。夜を日についで仕立。急に罷上り候所に。主従の縁つきざるにや。不慮に若殿共存ぜず御めにかゝり。早速人買めを打殺し。御敵は取候へ共。御存命の内に梅若君と存ぜぬ段。かへす%\も残念至極。臣下の心とゞき申さず。是のみ歎かしく候。しかし存ぜずながら只いとおしう存し。思はず今日迄此所に滞留いたし候ゆへにより。両人の衆にも対面し。又おまへにも御めにかゝり。此上ながら祝着仕候。とかく此上は御歎きをとゞめられ。何とぞ松若丸様の御行衛を尋ね。御家の根継を拵へ。関白公へ訴。百連と対決をねがひ奉り。是成江州の似せものゝ百性を巧の証人に出して。百連が自筆に書て渡せし証文を以て。早速に百連を罪に取ておとし。吉田の御家をふたゝび取もどし。亡君の泉下の御怨みをはらし申ねがひより外はなく候。

 しかし松若丸人間の手にさへ御渡り候はゞ。たとへ七重の鉄門をかまへ。空を赤がねの網をはり置。数百の強兵門を守り候共。押やぶつて取かへし奉り申べきが。神通飛行の天狗の手にましませば。是以て人力にかなひがたし。御両人はいかゞ思召」

といへば。

「我々とても通力自在の天狗には及がたし。徳行高き験者の貴憎に。祈戻してもらはふより外はどふも愚意に及ばずと。あたまをかいて申けり。

 班女皆の談合を聞てしばらく思案し。

「皆達へいひ出すもはづかしく。我をさげしみ給はんかと。心にはうかみながら。最前より御いひも出さゞりしが。能々思ひなをしてみれば。松若丸をうばひかへし。家を立れば夫行房卿への御奉公。身を捨名をけがして成共。世継の松若丸を取もどすが肝心なれば。思ひよりを遠慮なくいふてみれば。聞てよかろかあしかろか。判断をして給はれ。

 もと百連の舎兄入定の時節我を見て。愛念をおこし。其執着にて定へ入らずながらへゐて。猶わらはに執念を残し。魔道へおちて天狗になられし物なれば。みづからつまのため子のため家の為に。此身をもとのながれの身にしづめ。万客に枕をならべる身と成たるを見られなば。彼天狗房ふたゝび迷ひ我にま見へらるべし。其時あふて松若を返し給はれと。色を以てなげかば。おそらくは取もどさふと手に取やうに思へ共。皆達の心をかねていわざりしが。いかゞ思はるゝぞ」

とあれば。三人一度に手を打。

「是にこしたるはかりことは候まじ。

 すでに一角仙人といふは。神通自在の身なれ共。扇陀女の容色に腰をぬかし。淫欲の心うごきしかば。通力自在の術も叶はず。禁篭せし。大小の龍神のがれ出て雨をふらせ。国土をうるほせしと承り候。

 増て御身の美形を見初て。魔道に堕たる天狗坊主。君けいせいに御成と見ば。一番に鼻いからして飛来らん。憚ながらそこを昔の上手を出し。ころりとぬらし給ひなば。羽ぬけ鳥のごとくに成はしれた事。神通叶はぬ所を見すかし。次に某が親の敵打て本意を達すといひ。是程よい御思案は。文殊さまを頼んでも此上はよもあらじ」

と。中にも大学ひとりいさみて悦べは。いよ/\是に談合をきはめんと。

粟津六郎奥州より貯へ来りし金銀を以て。葭原に遊女町を立。かまくらのけはひ坂のけいせいやの長を頼み。抱の女郎共を此里へ引て。三味線の色音を立て。恋のよせ太鼓打かけ。色里の初りをしらせければ。隣国のうかれ人。男を作り衣裳を拵へ。ぞめき来ればくるわのにぎはひ。格子女郎美をかざり。道中に風情あらして。八文字の出かけ姿。班女はあたまから大夫職にて。昔にかへる風俗は。水際立て外の女郎は月影に星の光りのうすきがごとく。盛過てもよい物はよいぞかし。班女といふ名を改。扇やの野上とて。全盛の松の位。松若丸を取もどさん方便に。少も女郎をしこなし自慢の鼻の高い大臣は。若心あての天狗坊が化て釆たのではないかと気を付るもおかしかりき。

 或夕ぐれに頭襟すゞかけぎつはに金剛杖つき。十五六成うつくしい小ざうり取をつれてあげやへ来り。

」身は羽黒山の山伏成が。扇やの野上といふ女郎にあふて語たい事あり。よんでたもれ」

といへば。亭主もとより合点なれば。

「扨こそ大夫様のかねて御願ひの鼻高大臣の御越」

と。早速にいふてやれば。もとより望の御客と身拵して出らるれば。大学は親を闇打にして笛をうばひし敵。一太刀成共切て亡夫に手向んと。下男にやつし日傘指かけ。大夫が供してあげやへ行。次の間にひかへうかゞひゐれば。班女はしとやかに座になをり。

「此里へござんすお客さん方とはちがふた御人躰成が。女郎買にござんしたお人かいの」

と。につと笑ひし顔つき。天人も及ばぬ美形。入定のさはりと成しも断と。天狗坊見とれて。

「かまへておそれ給ふな。我はそなたに入定をさまたげられし。白川の笛吹の聖。今以て執念やまず。一度枕をかはし。此愛着の紲を切て。魔道をまぬがれ。仏果に至りたき念願ゆへに。今いにしへの遊君に立帰りて。朱唇万客になめさせ。夜ごとにかはる人/\に枕をかはさるゝと聞しによつて。異成姿を恥ずこれ迄迷ひ参たり。鬼を一車にのする程おそろしく思ひ給はんが。姿こそ異形なれ。心はつねの人にかはらず。情の道をわきまへゐれば。心にだにしたがふて給はらば。人質に是迄留置し松若丸を戻し申さん。返事いかに」

とくどきければ。

「ハテ以前は行房殿といふ夫ありし身。今はおまへの弟ご。常陸大掾殿に家督をとられ。あるにかいなき後家の身。立よる方なく身命をつながんために。口をしながらもとの遊女と成さふらへば。人様次第に成つとめの身なれば。何しにいなと申べき。其上松若をかへしくださるゝ上は。猶以て外の客よりは大切にいたし。御心まゝに成申さん」

と。昔大勢の男になれて。焼手にて諸客をのぼらせたる名人の斑女なれば。言葉でのぼらせ目つきでころせば。通力自在の天狗坊。おもはくの色にあふては。高い鼻相応に長きはなげをのばし。

「待ば甘露の日和とはかゝる時節を申べき。年来の思ひをはらすうれしや」

と。松若を供部やよりよび出し。手を取て班女に渡せば。親子たがひに顔を見合せ。是は/\ととり付て。四つの袖をぞぬらされける。

 かねてより粟津の六郎は出口の茶屋に身をかくしゐたりしが。松若丸帰給ふと聞より。あげやへ走来り。

「此若子を取戻されん為に。御身をよごされうきつとめの身と成給ひ。我々迄も本意ならぬ事ながら。いやしきわざに身をはめくるわの中をはなれざるに。若君の御帰りは。御家御相続のもとひ。油断して又つかみゆかれては叶ふまじ」

と。松若丸を勝手へまねき御対面申やいなや御供して。かねて拵置し別宅へ入専左衛門ともに用心して守りゐるこそ道理なれ。

 座敷には天狗坊と心よく酒事して。はや御床を取もあへず。斑女は身ごしらへに勝手へ入ぬ。

 天狗房は今ぞ年来の思ひをはらすと悦び。かぶろが案内に心ときめき。いさみて寝所へ入床に立たる屏風をひらけば。班女はいつのまに髪をおろしけん。尼と成て身は白無垢に墨の衣をかけ。念珠つまぐり。

「浅ましや聖。艶顔と見て心を動し給ふはおろか成迷ひ。紅粉の翠黛は只薄皮をいろどる。男女の婬楽は互に臭骸を懐く。むさききたなき仮の五体に愛念を残し。一大事の臨終を仕損じ給ふ。是を示し執心の罪を消滅さすべき為に。出家をとげ候へば。今より愛着執心の綱を切て。仏所に至り給へ。南無あみだ仏」

と合掌あれば。天狗房斑女の姿のかはり果たる体を見て。忽ち染着せし愛念去と。はつといふ声の下より。肉身朽て霜の消るごとく。四大分散して只一連の白骨と成。残る物は頭巾すゞかけ衣装計。執心こりかたまつて。其念にて是迄具足してありし形。愛着の念消ると共に。仮の五体も消失り。誠に一念五百生繋念無量劫。恐るべく慎むべきは愛着の道と。をの/\肝をぞつぶしけり。

【巻5-2】

        二 一時の雨舎も主従の縁つきぬ名残

 仏種は縁より発るといへり。

 斑女は法師を教化せんため出家をとげられ。それより直に隅田川の辺に庵室をしつらひ。木母寺と額をかけ。夫の行房愛子の梅若丸のぼだいを祈。不断念仏怠らず行ひすましておはしける。福原大学も。敵の天狗坊髑髏と成て朽果。打べき親の怨もなければ。是も剃髪して父の後世ぼだいの為に。諸国修行に出にけり。

 かくて粟津六郎専左衛門諸共に。松若丸を守護し都へのぼり。かの舟頭が方へ書てつかはせし百連が自筆の証文を持参し。関白頼通へ段々を訴ければ。常陸大掾が一札を見給ふに。

「此度其方を班女が実父にたのみ。けがれの者といわせ。行房が妻子に疵を付て追払。吉田の家を存念の通に押領せば。支配の地一百町を永代其方へ此度の恩賞にあたゆるもの也。仍如件」。

御披見有て大きにおどろき給ひ。

「百連が自筆にちがひなき上は。謀計に紛れなし。此旨を奏聞して。武士に仰せて早速百連一家を退治し。松若丸に吉田の家を前のごとく申あたへ得させん」

と。理非明らか成仰渡され。各感涙をながし

「有がたき仕合。百連は一家ながら吉田の家の怨敵。自余の武士に仰付られんよりは。恐れながら松若が家督始に。百連一家を打亡し。直に帰宅仕たき」

ねがひ御聞届有て。

「尤なる願ひながら。若年の松若といひ。家来も離散して汝ら両人が力にては。威勢つよく従者も多き百連を亡さん事かたかるべし。軍兵は何百騎にても下知して加勢さすべきぞ」

と。残る方なき御意をうけ。悦びいさみかくれ家へ立帰り。

「迚の事に人まぜもせず。百連を打取て世に誉をあらはしたきもの也」

と。若輩なれ共松若丸一途に思ひ込給ひ。粟津六郎専左衛門としめし合され。心をつくして敵の屋形をうかはるゝ。勇猛の気ぞたのもしき。

 かくとはしらず常陸大掾百連は。邪の巧を以て上を掠め。吉田の家督を押領し。心のまゝにおごりをきはめ。日夜婬酒の二つをたのしみ。上みぬ鷲とくらしける。然れ共其身も直ならぬ謀計にて掠取し家督なれば。行房が家来共ねらはん所気づかはしく。平生門に番人数十人付置。出入きびしく改め。たま/\外へ出るにも。究竟の侍共をあまたつれ。前後を守護させければ。やたけに思ひ付ねらへども折なく。無念ながら仇に月日を過しけるが。百連けふは妾共を召つれ。御室の花を見に出るよし聞及て。松若丸は当世のはやり草紙の品々を箱に入て背に負。粟津六郎専左衛門人共に小間物扇など取揃て。互にしらぬ商人のやうに。別々に出立御室の花の場へ持行ぬ。松若丸は只ひとりせおい箱をうしろにおい。男色の盛の花とならびの岡の辺に。奇麗成亭屋形の前を通らるゝ折ふし。花につらき春雨俄に降来。かの屋形の軒に立より。晴間を待るゝ所に、表の格子にあまた女中の笑ひ声。我やつれたる姿を見て笑ふらんと。少ははぢらひ給ふよそほひ。業平の面かげ共いひつべき。若衆盛。男といふものは一年たつても。見る事稀成奥女中と見えて。おほひかさなり松若丸をのぞき見て。

「あつたら子ににげなき商あきなひをさせんよりは。こちのお屋形へ御小性に出しなば。其身はもちろん親兄弟までうかみ上る事なるに。さりとはおしき器量。今御屋形の小性衆に。あれほどうつくしき生れつきはなし。なんと爰へよびこんで雨やどりさせがてら。小性奉公をすゝめてやるまいか」

と。浮気ざかりの女中がいひ出せば。残る女中

「これはよかろさいわい殿様は御酒が過てお休みなされてござる。女中あづかりの蛇ぢいどのもお相手に出てあたまでいきつき。たわいもなふねてゐらるゝ。こんな時にちとのんきせゝでは命がつゞかぬ」

と。物見の格子の次なる戸をあけて松若丸をよび入。

「雨のはれ間を待るゝ内に草紙を見しや」

といひかけられ。

「何にても御覧なされておもしろいと思召ます草紙をおもとめなされて下され」

と。背負箱より様々の草紙出し見せらるれば。女中がたとり%\にひろげみていづれよねんはなき中に。はたちあまりのお妾と見へて打かけきたる当世女房。わけて松若のきりやうに打込。

「それを見しやあれを見しや」

といひしな。手を取てしめなどして心ある様子をしらするも。恋に馴たる女と見へける。奥より女房頭と見へて。あたまに霜をいたゞき顔色黄ばみし老女出て。

「これおてかけ様がた殿の今おめさまされて。おたづねなさるゝさあ/\奥へ」

とせり立るは。花に嵐の心地して皆/\内へ入けるに。山路といへる女一人松若になづみふかく。はなれがたさに酔たふり舌のまはらぬ詞づかひ。

「コレおつぼね様かふ酔た上にお座敷へ出て。ひよつと尾籠な事有てはおいとまの出るはしれた事。どふぞこな様を頼みます何とぞ品よく御取なしあそばして。しばしがほどの御宥免頼み入」

といひければ。

「そんなら薬でもまいつて早ふ酔をさまされ御出なされ。本売もかたづけてちやつ/\といにや。女中預りのかたおやぢどのゝ目にかゝつたらたまりはせまい。早ふ仕舞ていんでたも」

とすげなふいふてはいりける。山路はとも%\見ちらしたる本共あつめ。とも%\箱へ入てやりしな箱の中なる一腰の刀を見付。

「商人の似合ざる刃物のたしなみ心得がたし」

といひければ

「南無三宝と是は売物にて。浪人衆から頼れ候て持てあるき候が。若お屋形の侍衆に御望の御衆もあらば。憚ながら御肝煎頼まする」

と。頓智の間にあひ中/\山路合点せず。

「いや/\つく%\見申によのつねの商人とは見請申さず。つまはづれの尋常さ。かやうの商なされさふな小人にあらず。若ふかき思召入もあらば。あかされかし。わらはかやうにおたづね申も心あたり有ゆへぞかし。つゐかふ始ておめにかゝりて。かりそめにたづねましたり共。よもや誠は仰られまじ。みづからが方から様子を申べし。わらは吉田の先少将様の御家来。山田三郎が娘。しのぶと申者なるが。親三郎は坂本にて傍輩松井源五が下人に殺され給ふよし。其折からは御家は百連に押領せられさせ給ひみだい様はじめ一家中の人々。皆行衛なふ成給ひ。わらはも伏見なる姨のもとへ預られ。父三郎は斑女様梅若様をいざなひ。坂本の一家共を頼忍びゐられてあへなくうたれ死給ひ。父の敵百連公か源五か両人の内一人せめて一太刀おふせて成共。父上に手向申さんと心をつくし申折から。百連公妾女をいくたり成共かゝへらるゝよし。姿をつくり粧をかざり。肝煎を頼みあとの月より常陸大掾方へ妾奉公に罷出。様/\と心をくだき。百連の気を取ぬれども。成ほど我身目に入たる様子にはみゆれども。いまだ寝所へまねかれず。本意を達すべき時節来らず。無念の日をかさね候。承れば一度天狗にとらはれ給ふ御惣領。松若丸此度ふしぎに帰給ひ。御譜代の家来衆と仰合され百連源五をねらひ給ふよし。伏見の姨許より一昨日しらせ候ゆへ。心うれしく思ふ折節。御すがたを見奉るに。梅若様に御風俗のどこやら似させ給ふによつて。慥に松若様にて御渡り有べきと存。打つけに御物語申さふらふ。松若丸にてましまさば御名乗聞され。あんどさせて下さるべし」

と。涙ぐみて語れ共。百連といふものは、邪智すぐれたるものなれば。我身の噂を聞及び。手廻りの女共の二心なきを見すへ。かねていひふくめ置年かつかうを見てをしずいにかくいわせて。いかにもといわゞとらへさせん智略やらんもしらずと。此女が詞にものり給はず。

「さら/\さやうの由緒あるものにてはさふらはず。腹からの商人本の御用も候はゞ。御ひいきに御まねきなされて御買なされて下さるべし。随分めづらかなる草紙共を持て参り申べし。御情には御屋形の御門出入の札を御もらひなされて下さりませ」

と。心底を明されねば。

「ムゝすれば実正腹からの商人にて。今わらはが咄たる御方の手筋にてはなきか」

と根を押てきけば。

「せいもんさやうの物ならず」

と。真顔に成てのたまへば。山路やがて氷のやうなる懐剣を抜出しつかんとするを。松若心得刃物を持たる手くびをしつかととらへ。

「コレ女郎様。われらに何の遺恨有て殺さんとはし給ふぞ。卒忽千万。そのごとくかるはづみな所存では。今おつしやつた大望は叶はず。却てかへり打にうたれ給はん笑止さよ」

と笑るれば。山路

「此一言と。商人の子の手ぎはには成まじきさそくの働。松若様に極れり」

と心中に思ひ。

「女の智浅くして。松若様と思ひつめて。大事を語しに。さやうのものにあらずとあれば。自余ものゝ耳へ入て外へもれては我大望のさはりと思ひ。殺さんと思ひしに神妙成働。さりとはわしが御察し申せし。松若様にて有べきが。去とはふかき御心根。日本の諸神をかけ。今申たる通に少もいつはりなき山田三郎が娘にて候」

と。声を立ずに忍び泣にないていへば。

「ムゝ此様子にては誠に三郎が娘にちがひは有まじ。成ほどそちが推量の通り。松若なるぞ。汝百連が屋形に奉公してゐるは。我々が本意を達すべきよい足しろ。立帰て粟津六郎専左衛門へも次第をかたり。何とぞ汝に屋形の手引をしてもらひ本懐をとげん。互の密事の取かはしは。伏見の姨を以てすべし」

と仰合され。本箱をおふてかくれ家へかへりたまひぬ

【巻5-3】

  三 親の敵を打納めて万吉田の家繁昌

 悪人も運に乗じて一旦威を震ふといへ共。終には天罰にて身を亡す例すくなからず。

 松井源五欲心より百連がに与して。相伝の家を大掾に押領させ。その邪の働きにて高知を取て。俄に立身し。おごりのあまりに人を人とも思はず。雅意にまかせて万事慎なく。心のまゝに行ひける。今主君とたのむ常陸大掾が詞も用ひず。無礼をつくし式日にも出仕せず。あまつさへ今百連を栄花の身とする事も。皆我はたらきなりと。気随意に身を持ければ。百連も内々源五をにくんで。近習の者に不届ものと。影にて噂するを妾の山路聞より。究竟の事を聞出せりと。元来賢き女なれば。これより思案をして。源五方へ何かに付て進物をつかはし追従しければ。

「ハテ奇特なる女かな。百連公栄耀のあまりに。あまたの美妾をかゝへ置るれ共。それがしへ付届する女は一人もなき所に。山路我にしたしむは。殿への取成を頼んための下心にて有べし。いか成器量の女にてあるや。奥へ行て対面し。次ながら念比に成て。百連公の我事を影にていかやうにいはるゝぞ。内証から自今以後しらせてくれと頼べし」

と。或日出仕して御きけんをうかゝひけるに百連美妾共をあつめ酒宴してゐる最中。よき折からと酒宴の座につらなり。盃のとりやりに。美妾共の名を聞中に。すぐれて艶成女の我を見てゑしやくし。何とやら心有げに見へけるを。

「是こそ山路にて有べし」

と。幸此女の盃をひかへゐたるを見て。

「お盃を頂戴いたさん。お名は何と申ぞ」

ととへば。

「山路と申候」

とおもはゆげにいへる粧ひ。源五もなづみ心にて。

「山路の菊の酒。お影で千とせを経申さん。こなたへ盃給はれ」

と。盃取ておしいたゞき。

「我等は松井源五と申て。殿の片腕に成。此家の執権職。何によらず殿さまへ御直に仰上られにくい事あらば。我等へ内証申されよ。慮外ながら少々殿のにぶ口な事でも。いひおふせて進ずべし」

と。我身をふかし高慢の鼻をいからしいひければ。百連むつとしたる顔つきにて。

「コリヤ源五。惣じて汝は主従の礼義を乱し。是迄の無礼数/\なれ共。肝心の所の奉公をせしものゆへ。大かたの事は宥免して指置ば。日々に存外成仕かた。いかに忠功有身なればとて。それを鼻にかけて。男たるものは招き入ざる奥へ。をして参るのみならず。主の不便をくはゆる女をとらへて。したしみ過たるあいきつ。尾籠千万見ぐるし。かさねて身が前へ出る事堅く無用」

と気色をかへていひければ。元来功にほこつて。主を主共思はぬ源五。殊更山路に自慢したる手前もあれば。ちつ共めいらずいだけ高に成て。

「誠に『高鳥尽て良弓かくれ。狡兎死して走狗烹るゝ』と。韓信が殺さるゝ節いひ残せし語のごとく。もはや思ひの侭に此家を治らるゝによつて。謀臣の某は夏火燵のやうに思召捨られ。遠慮せよとの御意は。近比御うらめしく存候。コレ山路どの。殿様はむごい所のある御生れつき。今こなたを天にも地にもないはどに御てうあい有ても。何時しれずにつき出されんもはかりがたし。そんな時分は某かたへかけこみ給へ。身がいのちにかへても一生楽なやうにかくまふて参らせん。此源五が口一つにて。今でも此御家は百連公のまゝにならぬやうにせふとまゝ。御めんどうに思召御主人の御きけんうかゞひに罷出ても何かせん。さらばおいとま仕る」

と。立んとするを百連今はたまりかね。

「ムゝ扨は関白公へ回忠する所存じやな。臣下にはあらで家のあた打て捨ん」

と。刀に手をかけねめつくれば。源五も同じく刀のつかに手をかくるを。山路はやがて源五に取付。

「いかやうの御奉公をなされおかれても。あなたは御主こなたは家来。主に向ふて切刃をまはさるゝは。臣下の身の有まじき事」

と。とめるふりにて源五が刀をするりと抜て切付れは。眉間を切らられ眼に血ながれ入て。

「エゝ女めにゆだんしてふかくを取し」

と。指ぞへをぬかんとする所を。たゝみかけて切付れば。無念/\とあたりへかつはとたをれけるを。山路其侭むないたにのつかゝり。

「お主様に手むかひせし天罰思ひしれ」

と。口にはいひて心には「親の敵思ひしれ」と。とゞめをさして。「父尊霊へ手向奉る」と。心中に廻向すれば。百連はかく共しらず。

「あつはれ女の働には神妙/\。主を大事に思ひ。命にかへて即座に打たるけなげさ。今よりは身が奥様代にして秘蔵するぞ」

と。余念なく山路が手を取。寝所へこそは入にけれ。

 爰に先吉田の少将の譜代の家臣共が中に。義を知たる輩は。古主の怨なる百連に腰をかゞめて奉公せん事本意にあらずと。心ある者共はいとまを乞捨にして。生国へ立帰り。或は兵法剣術の指南をして。身命をつなぐ者もあれば。医者鍼立手習師匠小細工人に成て。浪人の身の助となし。うき月日を送りし所に。此度ふしぎに松若丸天狗の手をはなれ立帰給ひ。粟津の六郎後見して。御家督を取もどされんとの企。もつはらと其手筋/\よりしらせければ。いひ合さね共家中離散の勇士共都へのぼり。松若丸の御かくれ家を尋ね追々にはせ参り。徒党の輩以上卅六人御め見へ申。いさみ悦び粟津六郎に熟談して。

「関白公百連を武士に仰付られ。退治なされんとの御意の上は。何を憚り遠慮なされ候や。関白公の御意は勅定にひとし。早く百連が方へ取かけ給ひ。本意をとげられ候へ」

と。一同にすゝめける所へ。伏見の山路が姨の方より密事を指越。披き見るに。

「山路が内通の文にいはく。『松若丸を取たて粟津六郎前代の旧臣をかりあつめ。何時しらず押寄来るとつたへ聞て。却てかくれ家を聞出し。こなたより押かけんとの内談専に候』とのしらせ。粟津六郎披見して申けるは。

「軍書に先則は人を制するに利ありとあれば。いざをの/\今宵夜打にをし入らん。面々用意いたされ」

と。皆/\着籠を着し。得物/\を持て入相比よりかくれ家を出。初夜のかねの鳴時。北白川に行着。百連がやかたの様体を見るに。きびしく用害ようがいして。大薮なる惣堀の内に門々かためて。番の者数十人。内よりかりそめに出入者も改め。そこ/\に気を付。間もなく拍子木打てゆだんなく塀の内を廻る躰。たやすく入らるべきとは見えざりけり。

 幸大門の前成茶店いまだ店を仕舞ず。

「先休め」

といふより以上卅六人の勇士。ばた/\と茶やの見せに腰をかけ。あまり内へ入て台所奥迄も明所なく込入ば。茶やの女夫押込とおどろき。ふるひ声して。

「我々夫婦一日に茶の銭よふ取て五文か七文。銭筒の底をたゝいて取てござつてから。百にたらぬ銭。おひとり様に二文あてにもあたりませぬ。まそつと富貴な家を見立ておはいりなされませ」

と。がち/\ふるふていへば。粟津六郎おかしく。

「身どもらを夜盗と思ふて夫婦おそるゝさふなが。更/\強盗にてはなし。向ひの常陸大掾を打取て参れと。禁裏よりの宣旨によつてむかふもの也。必気づかひいたすな。酒があらば五六升かんをせい。酒代も払てゆくぞと。懐中より壱歩一つ出して亭主にやれば。漸安堵し。

「手前に調置た酒はわづか弐升ありなし。近所の酒屋で買て参りませふ」

と。壱歩持て走行五升樽さげて帰り。釣鍋にてかんをし。有たけの天目出してあてがへば。面/\引かけ/\のんで仕舞。四つ半時に南の門より取かくべしと相談きはめ。心を一致にしてしばらく時を待合せ。亥の刻の太鼓を打より。

「さあ時分はよし」

といふほどこそあれ。手ごとに続松をふり立。門前によりこぞつて声をかけしに。屋形

の内にも兼て心得ゐたりけん。尋常に門をひらかせけるに。はや内/\には挑灯数をならべ。百連は鎧に鉢巻し床几に腰打かけ。長刀を右手につき。百丸をはじめ家の子それ/\の覚悟姿。両方に取まはし。木陰/\にかゞり火焼たて。あたかも白昼のごとし。粟津六郎松若丸の御供すれば。残る卅五人の強兵左右に立ならんで守護し。しづ/\と門に入。六郎申けるは。

「謀計を以て上を掠め。現在の甥の家督を押領せらるゝ段。柏原の百性貴公の自筆の証文を以て訴人せしによつて。是までの積悪帝の叡聞に達し。吉田松若丸に罷向ひ討取て来るべしとの宣旨をかうふり討手にむかはれたれば。速に切腹せらるべし。一家のよしみに粟津六郎が介錯して参らせん」

と述ければ。百連あざ笑ひ。

「行房不行跡にて家退転もすべき所に。先祖の積善によつて時節よく病死。幼稚の梅若にて家相続叶がたき所を。伯父がいにかけがへのなき一子を跡めにたて。某後見仕らんと御ねがひ申せしゆへに。没収せらるべき家を取とめしは。皆以て我等がはたらき。古主の旧恩を思はゞ一礼をも申べき所に。天狗につかまれしたわけものを取もどし。百姓をかたらひさま%\と讒をかまへて。関白公をたふらかし今日討手にうせたうぬめらに。大事の腹を切て介錯を頼んや。侍共門を打て一人もにがすな。只今皆ころしにしてくれん」

と。門/\をしめさせ。双方名のり合せて切むすぶと。土けふり立て。敵味方みだれて相戦ふ太刀をとすさましく。爰をさいごとはげみぬれども。百連が郎等ども残らずうたれ。今は是までと。常陸大掾せがれ百丸を引よせ指通し。我も両はだぬいで。腹十文字に切て北まくらにぞふしにけり。松若丸すかさずはしりかゝつて。百連が首打落し。切先につきつらぬき。

「今こそ本望とげたり」

と。凱音をあげさせられ。直にやかたをのつとり給ひ。翌朝衣装をあらため参内有て。段/\を奏聞有ければ。帝叡感なのめならず。則松若丸を吉田中将有房とあらためさせられ。本領はいふにおよばず。百連が知行もくだし給はり。悦びいさみ帰館あつて。昔に十倍の富貴の家とさかへたまふ。

 万吉田の名のほまれ。千秋万歳万々歳。賑ふ春こそめでたけれ

五之巻柊

 享保十九年

   寅ノ正月吉日

ふ屋町通せいぐはんじ下ル町    八文字屋八左衛門板