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本朝水滸伝序

いてやむらきもの。

心のくまの八十(やそ)くまを。

かぎろひのほのかにしも。

いひわたるものは哥なり。

或(ある)は又うつせみの。

世の事種(くさ)の五百(いほ)ぐさを。

うまこりの。

あやにしもかいつゞくるものは文(ふみ)なりけり。

こゝに吾友太氣能綾足は。

哥をこのみ。

文(ふみ)をこのむ。

さはほのかにしもいひわたり。

又あやにしもかいつくる人ならむ。

抑(そも/\)奈良の大御代(おほみよ)ゆ上つかたの言(こと)は。

秋の月夜(つくよ)の西にくたせるごとく。

唯幽(かす)にのみ残りたるさまになんおぼゆるとて。

是を望月(もちづき)のたゝはし聞えむことを。

萬(よろ)つにつけておもひめぐらすなべに。

よし野物語とふ書(ふみ)を作りて我に見す。

こは実に作れる物語にて。

事は漕(こぐ)舟の跡なき事ともなり。

しかはあれど詞はいそのかみ。

古き事ともゆ考(かうが)へ合て。

かの世にたゝはし聞えむ物としつるに。

讀得(よみえ)て其古言(ふること)をとらむとする人には。

蓋(けだし)や此書(ふみ)もよしあるべかめれ。

又是を水滸伝(すいこでん)と号(なづ)けし事は。

作れるおもむきのよく其ふみに似かよへばとて。

よしのゝ川邊(かはべ)の事によせて。

書(ふみ)屋がわざにしつるといふなる。

明和十癸巳睦月

    大神太夫藤原朝臣加祢与しるす

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第一条

味稲(うましね)の翁(おきな)仙女(せんじよ)と契(ちぎ)りて百人(ひやくにん)の子をまうく。

第二条

太宰府(だざいふ)の阿曽丸(あそまろ)勅(ちよく)を受(うけ)て弓削道鏡(ゆげのどうきやう)を召(めし)まゐる。并高野天皇(たかのゝてんわう)道鏡を愛始給ふ

本朝水滸伝巻之二

第三条

藤原倉丸(ふじはらのくらまろ)・石村村主(いはむらのすぐり)奏(そう)するによりて藤原恵美押勝原(ふぢはらのゑみのおしかつ)を討(うた)しむべき勅あり。

第四条

道祖王(みちのおんのおほきみ)釣船にめされて遁(のが)れたまふ。恵美押勝(ゑみのおしかつ)戦(たゝ)ひ負(まく)る。

本朝水滸伝巻之三

 第五条

  豊丸(とよまろ)・角丸(つのまろ)が骸(かばね)を焼(や)く。并佐保(さほ)の大道(おほぢ)に首(くび)を梟(かく)る。

第六条

恵美押勝祖王を将(ゐて)奉りて伊吹山(いぶきやま)に隠(かく)る。白猪老人(しらゐのをぢ)祖王をあづかり奉る。

本朝水滸伝巻之四

第七条

豊成(とよなり)が娘(むすめ)狭霧姫(さぎりひめ)を王に奉る。押勝印を授(さづけ)て七人の物部(ものゝふ)を国々(くに%\)に出(いだ)し自(みづから)は東国(とうごく)にくだる。

第八条

和気真人清丸(けのまつときよまろ)勅をうけて宇佐(うさ)の八幡(はちまん)大神宮(だいじんぐう)に詣(まう)づ。詣(まうで)終(をは)りて帰(かへ)るさに巨勢金丸(こせのかなまろ)をとふ。

本朝水滸伝巻之五

第九条

清丸(きよまろ)神(かみ)のをしへを奏(そう)すによりて道鏡(どうきやう)に罪(つみ)せらる。巨勢金石(こせのかないし)清丸(きよまろ)をたすく。并に金(かな)丸親子みづから死(し)す。

第十条

金丸(かなまろ)親子(おやこ)清丸(きよまろ)を将(ゐ)て紀伊(き)の温泉(をんせん)にしのぶ。鼻彦(はなひこ)軍書(ぐんしよ)を講(と)く。

本朝水滸伝巻之六

第十一条

守部(もりべ)が輩(ともがら)罪(つみ)をゆるされて清丸(きよまろ)・金丸(かなまろ)が跡(あと)を追(お)ふ。清丸(きよまろ)が妻子(つまこ)金石(かないは)・猟野(かりの)に逢(あ)ひて紀伊国(きのくに)にゆく。

第十二条

山賊(さんぞく)清丸(きよまろ)の妻子(つまこ)を盗(ぬす)み去(さ)る。明日香大太刀(あすかのおほだち)金石(かないは)に逢(あ)ふ。並人々伊吹山(いぶきやま)に行く。

本朝水滸伝巻之七

第十三条

忌部宿祢海道(いんべのすくねうなぢ)跡見武雄(とみのたけを)同く武荒(たけあら)の兄弟(きやうだい)に偶(おふ)て清丸(きよまろ)の妻子(つまこ)をすくひ、并三人して清丸のとらはれをすくふ。

第十四条

海辺鰹(うなべのかつほ)剣術(けんじゆつ)を教(をし)ふ。并奈良丸(ならまろ)を立(たて)て大将(たいしやう)とし徒(ともがら)をつどへて白山(しらやま)にのぼる。

本朝水滸伝巻之八

第十五条

二人(ふたり)の大将軍(だいしやうぐん)軍兵(ぐんびやう)と徒(ともがら)を将(ゐ)て白山のいはやにこもる。並泰澄法師(たいちやうほうし)兵粮(ひやうらう)の事を謀(はか)る。

第十六条

大伴家持(おほとものやかもち)泰澄(たいちやう)に逢ふ。並家持が放(はな)てる鷹(たか)を諸兄(もろゑ)すゑもちてかへしたまひ糧(かて)を白山に贈(おく)らしむ。

第十七条

守(かみ)大伴宿祢家持(おほとものすくねやかもち)糧(かて)を白山に贈(おく)る。並和尓部真太刀(わにべのまだち)家持(やかもち)の館(たち)に来(きた)る。

第十八条

清丸・金丸手節(たぶし)が崎(さき)にて妻子(つまこ)にあひてともに将(ゐ)て伊吹山(いぶきやま)にのぼる。

本朝水滸伝巻之十

第十九条

人置(ひとおき)の真鮪(ましび)・韓臼(かるす)の犬神(いぬがみ)金(かね)をわかつ。並弓屋(ゆみや)の俊雄(としを)隠妻(かくしづま)をむかふ。

第廿条

弓屋の俊雄・人置の真鮪訟(うたへ)す。并高橋手力(たかはしのたぢから)二王(ふたおほきみ)をすくふ。

第廿一条

高橋連朝臣手力(たかはしのむらじあそんたぢから)、盗賊(ぬすびと)をゆるして我(わが)役(やく)及(および)氏姓(うじかばね)を譲(ゆづ)り、高橋連足柄(たかはしのむらじあしがら)と名のらしむ。并盗賊(ぬすびと)を集(あつめ)て碓日(うすひ)にこもる。

第廿二条

高橋連足柄(たかはしのむらじあしがら)、俊雄(としを)が罪(つみ)を許す。并兵(つはもの)を将(ゐ)て碓日(うすひ)にむかふ。

第廿三条

高橋連足柄(たかはしのむらじあしがら)、偽(いつはり)て死(し)す。并手力(たぢから)寄手(よせて)の馬(うま)をたばかる。

第廿四条

盗人等(ぬすびとら)三河(みかは)・遠江(とほたふみ)にしのび文石倭蜘(あやしのやまとぐも)をかたらひ人の財宝(たから)を奪(うば)ふ。并赤坂(あかさか)の宿(しゆく)にて手力(たぢから)に行(ゆき)逢(あ)ふ。

巻之十三

第廿五条

国々(くに%\)の訟(うつたへ)、奈良(なら)の都(みやこ)にのぼる。并道鏡(どうきやう)はかりて大伴宿祢書持(おほとものすくねふみもち)を白山にむかはしめんとす。

第廿六条

光明皇后(こうめうくはうごう)浴室(よくしつ)を立て手づから往来(わうらい)の人をあらひ給ふ。并乞食(こじき)来りて皇后(くはうごう)に事をあかす。

巻之十四

第廿七条

皇后(くはうごう)ひそかに書持(ふみもち)をまねきて事をあかしたまふ。并書持(ふみもち)佐保(さほ)の郎女(いらつめ)に別(わか)れを惜(を)しむ。

第廿八条

書持(ふみもち)白山にむかひて戦(たゝか)ふ。并書持、戦(たゝか)ひ死(し)す。

巻之十五

第廿九条

大伴宿祢家持(おほとものすくねやかもち)世をそむき立山(たちやま)に隠(かく)る。并書持(ふみもち)が霊魂(れいこん)出(いで)て家持(やかもち)にまみゆ。

第三十条

鞍馬高神(くらまのたかがみ)陸奥(みちのく)にありて術(じゆつ)を売(うる)。并勝虎(かつとら)兄弟(きやうだい)塩焼(しほやき)・不破(ふは)の二王(ふたおほきみ)を将(ゐ)て奉り奇丸(くしまろ)に逢(あ)ふ。

巻之十六

第三十一条

酒屋足丸(さかやのたるまろ)外浜(そとがはま)にありてえみしをはかる。并家持(やかもち)北国(ほつこく)の軍兵(ぐんびやう)を将(ゐ)て外浜(そとがはま)にくだる。

第卅二条

蝦夷(えびす)の棟梁(とうりやう)カムイボンデントビカラ徒党を将(ゐ)て海(うみ)を渡(わた)り来る。

巻之十六

第卅三条

恵美押勝(ゑみのおしかつ)・家持(やかもち)はかりて和(わ)す。并カムイボンデントビカラ美人を乞ふ。

第卅四条

奇丸(くしまろ)が文(ふみ)外浜(そとがはま)に到(いた)る。并家持(やかもち)松島(まつしま)に行て不破内親王(ふはないしんわう)を将(ゐ)て参る。

巻之十八

第卅五条

足丸(たるまろ)はかりてトビカラに内親王(ないしんわう)を拝(はい)さしむ。并トビカラ神孫(しんそん)の貴(たふと)きを聞てこと%\くしたがふ。

第卅六条

塩焼王(しほやきのおほきみ)塩焼となりて、浅香王(あさかのおほきみ)の姫(ひめ)にかたらふ。并守部等(もりべら)、王を射殺(いころ)す。

巻之十九

第卅七条

勝虎兄弟(かつとらきやうだい)守部等(もりべら)にいけどらる。并姫(ひめ)おひて死(しに)給ふによりて浅香王(あさかのおほきみ)くみす。

第卅八条

不破内親王(ふはのないしんわう)、塩焼王(しほやきのおほきみ)の墓(はか)をいだきて隠(かくれ)給ふによりて人々かなしみの哥をよみ姫(ひめ)の墓(はか)をならべてつくる。

巻之二十

第卅九条

宇佐八幡(うさはちまん)の森(もり)に天狗(てんぐ)集る。并阿曽麻呂(あそまろ)前(さき)の采女(うねめ)を得(え)たり。

第四十条

阿曽麻呂(あそまろ)政務(まつりごと)をみだる。并箱崎(はこざき)に遊女を置(お)く。

巻之二十一

第四十一条

阿曽丸(あそまろ)が家人(けにん)秦金明(はたのかなあきら)諌(いさ)む。并妻子(つまこ)を殺(ころ)さる。

第四十二条

藤原清河(ふじはらのきよかは)揚貴妃(やうきひ)を将(ゐ)てひそかに筑紫(つくし)に帰(かへ)り住(す)む。

巻之二十二

第四十三条

清河(きよかは)松浦(まつら)の娘子(をとめ)に契(ちぎ)る。并阿曽丸(あそまろ)に近(ちか)づく。

巻之二十三

第四十四条

小治田連珠名(をはりだのむらじたまな)清河(きよかは)に逢(あ)ひて昔(むかし)を語(かた)る。并阿曽丸(あそまろ)を討(うた)む事をはかる。

第四十五条

金明(かなあきら)が粮(かて)を断(たち)て、香椎(かしひ)の宮(みや)に祈(いの)る。并姑(しうと)の老婆(おば)来てなげくといへども金明諌(いさむ)るによりてともに祈(いの)りて爰(こゝ)に餓(うゑ)死(し)す。

第四十六条

揚貴妃(やうきひ)日本言(にほんのことば)を習(なら)ふ。并珠名(たまな)が妻(つま)とゝもに阿曽丸につかふ。

巻之二十四

第四十七条

阿曽丸(あそまろ)船(ふね)をうかべて楽(たの)しむ。并あやしき魚(うを)阿曽丸をうかゞふ。

第四十八条

海人(あま)の男狭磯(をさし)清河(きよかは)に逢(あ)ふ。并男狭磯(をさし)に事をはかる。

巻之二十五

第四十九条

阿曽丸(あそまろ)箱崎(はこざき)の浜(はま)にわざおぎ屋をつくる。并遊(ゆふ)女等(ら)俳優舞(わざおぎまひ)す。

第五十条

清河(きよかは)が妻(つま)・珠名(たまな)が妻(つま)ともに阿曽丸に殺(ころ)さる。并珠名(たまな)揚貴妃(やうきひ)を将(ゐ)て熱田(あつた)へ帰(かへ)る。

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本朝水滸伝巻之一

  第一條 味稲(うましね)の翁(おきな)仙女(せんじよ)と契(ちぎ)りて百人(ひやくにん)の子をまうく。

 飛鳥(あすか)清見原(きよみばら)に御代(みよ)しろしめすころ<天武天皇>なりけん、吉野(よしの)の里(さと)に味稲(うましね)の翁(おきな)といふものありけり。

世(よ)の業(なりはひ)もなかりしかば、吉野の川(かは)に簗(やな)をたちて、鮎(あゆ)をとりて飯鮓(すし・イズシ)にし、是(これ)を賣(うり)て世(よ)を渡らひけり。

翁(おきな)あるとき川(かは)の辺(ほとり・べ)に出(いで)て、鮎(あゆ)や寄(より)つらむと思ひ、彼簗(かのやな)の辺(ほとり・べ)を見めぐりけるに、鮎(あゆ)はひとつも寄(よ)らで、大(おほき)なる柘(つみ)の枝(え)<山桑の枝也>の流(なが)れかゝりて侍りけるを、「あな醜(にく・シコ)の柘(つみ)の枝(え)や。是(これ)が懸(かゝ)りて水(みず)の鳴響(ナリトヨメ)ばこそ、鮎(あゆ)もよらぬならめ」と、是をとりあげて、川(かは)の末(すゑ)へ流(なが)しやらむとしけるに、柘(つみ)の枝(え)人(ひと)のごとく物(もの)いひて曰(いはく)、「翁(おきな)な流(なが)し給ひそ。家(いへ)にもてかへり給へ」と聞(きこ)ゆ。

翁(おきな)あやしと思ひながら、いふが随意(まに/\)持(もち)かへりたれば、その柘(つみ)の本(もと)つ枝(え)より、 一寸(いつすん・ヒトキ)ばかりなる美(うつく)しき児(こ)のはひ出(いづ)ると見しが、見るがうちにひた/\と長立(おひたち)て、たけ高(たか)く、細(ほそ)やぎてけはひいと貴(たか)き未通女(をとめ)と化(な)り、白(しろ)き赤(あか)き打(うち)かさねたる衣(きぬ)のうへに、秋津羽(あきつは)の襲(おすひ)とりかけ、紅(あからか)なる袴(はかま)を着(き)こめ、薫(かを)りみてる扇(あふぎ)をさしかざし、いとあてやかなる声(こゑ)して、「我(われ)翁(おきな)の妻(つま)となりて此山に隠(かく)れ、千年(ちとせ)のすゑをみんとおもふなり」と聞え、さて其(その)柘(つみ)の枝(え)を取(とり)て翁(おきな)にあたへ、「此枝(えだ)の本(もと)よりすゑにかけて、百段(モゝキダ)に折(をり)たまへ」といへば、翁承引(うけひき)て手(て)に握(にぎ)りて百段にをり、「是(これ)をいかにし給(たま)ふ」と申せば、「百段の枝(えだ)は翁と自らとして産(うめ)る百人(ひやくにん・モゝタリ)の子なり」といふ。

「其(それ・そ)は又いかにして如何(しか)のたまふ」と問へば、未通女(をとめ)答(こた)へて、「比(この)百段の枝(え)は只今(たゞいま)の間(あひだ)世(よ)にいきわたりて、百人のひとゝ生(うま)れ出(いで)ん」といふ。

翁(おきな)聞(きゝ)て、「さるにても我々(われ/\)が子(こ)にてさむらふといふしるしや侍りなん」と申せば、未通女(をとめ)答(こた)へて、「さればふとき本(もと)つ枝(え)は貴人(きにん・タカキヒト)と生(うま)れ出(いで)、すこし細(ほそ)きはその次々(/\)の官人(くはんにん・ツカサビト)と生れ出、末(すゑ)の枝(え)のほそきはみな蒼生(たみくさ)と生(うま)れ出て、此処(こゝ)にいゆき彼処(かしこ)にとゞまり、世(よ)のありさまの善悪(よきあしき)を経(へ)て、終(つひ)には我々(/\)が住(す)む山に来(きた)り集(あつまら・ツドハ)ん。

その集(あつま)る人は皆(みな)我(わが)子(こ)なりとおぼせ。

是(これ)がさるしるしなり」と告(つげ・ノリ)終(をは)り、その百段の枝を又川(かは)の邊(ほとり)に持出(もちいで)て、「今(いま)翁(おきな)と自として此河(かは)に流(なが)しやらん。

比(この)枝(えだ)水(みず)にしたがひて、夜日(よをひ)をわかず紀伊(き)の海原(うなばら)にながれ出ば、波(なみ)に随(したが)ひ風にまかせて、只(たゞ)一時(ひとゝき)に国中(くになか)の浦廻(うらわ)をめぐり、其(その)中(なか)には唐国(からくに)にいきて生れ(うま)出るも有(ある)べし。

蝦夷(えびす)の島(しま)に生(うま)れ出(いづ)るもはべらむ。

又海(うみ)なき国(くに)は河(かは)をさかのぼり来(き)て、今(いま)五十年(ごじうねん・イソトセ)が間(あひだ)には、善人(よきひと)悪人(あしきひと)種々(さま%\・クサ%\)生れ出ん」といひ終り、翁の手をとりて

「彼方(かなた)へ」と聞(きこ)ゆるに、白き雲(くも)立渡りて、耳香(みゝか)の嶽(たけ)にたなびきけるを、地(ち・ツチ)を踏(ふむ)なす踏(ふみ)しだき、高山のいゑりにまぎれうせにけりとぞ。

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 第二条 太宰府(だざいふ)の阿曽丸(あそまろ)勅(ちよく・ミコトノリ)をうけて弓削道鏡(ゆげのどうきやう)を召(めし)参(まゐ)る。并高野天皇(たかのゝてんわう)道鏡(どうきやう)を愛始(めでそめ)たもふ。

飛鳥清見原天皇(あすかきよみはらのてんわう)、御位(おんくらゐ)を広野姫(ひろぬひめの)天皇<持統>に譲(ゆづ)りたまふにより、則(すなはち)藤原(ふじはら)の宮(みや)に天下(てんか・アメガシタ)をしろしめし、又御位(おんくらゐ)を豊祖父(とよおほぢの)天皇<文武>にゆづりたまひ、つぎに豊国成姫(とよくになりひめの)天皇は<元明>皇都(みやこ)を奈良(なら)にうつし給ひて、御位を清足姫(きよたらしひめ)天皇<元正>ぞうけつがせ給ふ。

次(つぎ)に豊桜彦(とよさくらひこ)天皇は<聖武>御位を安倍内親王(あべないしんわう)にゆづり給ふ。

則(すなはち)是(これ)(これ)高野(たかの)天皇<孝謙>にていまそかりける。

天皇例(れい・ツネ)ならず御脳(ごなう・オンナヤミ)おはしますにより、百官(ひやくくはん・モゝノツカサ)思ひわびて侍りけるに、太宰府(だざいふ)の阿曽丸(あそまろ)事ありて都(みやこ)にのぼりてはべりけるが、奏(そう)して申さく、「伊予(いよ)の国(くに)弓削(ゆげ)の浜(はま)に、弓削道鏡(ゆげのどうきやう)と申修行者(しゆぎやうしや・オコナヒビト)のはべるは、役小角(ゑんのせうかく)が行(おこな)ひをつたへてさむらふものなり。

祈(いの)るに其(その)験(しるし)なきことあらず。

是(これ)をめして御(おん)祈(いのり)祷(いのり)仕(つか)ふまつらせ給はんには、たちまち大御心(おほみこゝろ)清々(すが)しくなりおはさんと」聞えあぐるに、左大臣(さだいじん・ヒダリノオホマウチギミ)橘(たちばなの)諸兄うけひかせ給ひ、其よしを奏(そう)し給へば、うべなはせ給ひて、則、「阿曽丸早船(はやふね)に乗(の)りて伊予(いよ)に下(くだ)り、その道鏡をめして参れ」となん、諸兄(もろえ)のたまひ下(くだ)し給ふに、阿曽丸かしこまりを申して、従者(ともびと)はいとやつし、只(たゞ)御(おん)急(いそぎ)の御使(おんつかひ)なるむねを畏(おそれ・かしこみ)て出(いで)ける。

ときは天平勝宝(てんぴようしやうほう)元年(ぐはんねん)二月十日、巳(み)の時に奈良(なら)の都(みやこ)を出(いで)て、午(うま)の時に大坂戸(おほさかど)を越(こえ)<今の竜田越なり>、未(ひつじ)の降(くだち)に浪花(なには)の浦(うら)に着(つ)く。

里(さと)は八里(はちり・ヤサト)を越、ときは三時(みとき)を過(すぎ)ざりければ、阿曽丸心に悦(よろこ)び、浪花の浦より沖津鳥(おきつどり)鴨云船(かもとふふね)の、小(ちひ)さくいと速(はや)く侍るに、掻子(かこ)四人(よたり)を立(たて)、楫取(かぢとり)二人(ふたり)を立、従者(ともびと)は浪花(なには)にとゞめ、只五人(ごにん・イツタリ)を側(そば・カタヘ)にさむらはせ、申(さる)のとき過(すぐ)るばかりに漕(こぎ)出したり。

風よく追(お)ひしうへに、掻子(かこ)ども爰(こゝ)をきはみと、力(ちから)をくはへて漕(こぎ)撓(たみ)しかば、八十里(はちじうり)ばかりの海道(うなぢ)を、其(その)夜(よ)の間(ひま)に追(お)ひたらはして、十一日の暁(あかつき)弓削(ゆげ)の濱(はま)につきぬ。

阿曽丸船(ふね)を出て、蓬庫(とまやかた)の塵(ちり)の首(かしら)に落(おち)たるを掻(かき)はらはせ、冠(かんむり・カウブリ)を着(き)、官服(くはんふく・そでつけころも)を着(き)、袴(はかま)を着(き)、笏(しやく)を捧(さゝ)げ、太刀(たち)を掛(かけ)はき、沓(くつ)を鳴(な)らして道鏡が室(むろ)に到(いた)る。

もとより従者(ともびと)をつかはして、さきにしるべしおきたれば、道鏡道(みち)に立迎(たちむか)ひて礼(れい・イヤ)をなす。

阿曽丸中(なか)の重(へ)の上坐(じやうざ・カミクラ)に、弥重畳(やへだゝみ)をしかまへたるうへにのぼりて、勅(ちよく)を告(つげ・ノリ)聞ゆるに、道鏡かしこまりきこえ奉り終(をは)れば、阿曽丸従者(ともびと)を遠(とほ)く退(しりぞ・シゾ)かせ、此室に侍る童(わらは)どもをも立のかせ、道鏡と額(ひたひ)を合せ耳(みゝ)をとりかはして、互(たがひ)にひそめきいふ事あり。

いかなる事にか侍りけん。

さて

「しばしもたゆたふべき御使にあらず」とて、急(いそ)がしつるにより、只おこなひつかふまつるべき具(ぐ・ソナヘ)どもゝ僅(はづか・ハツカ)に略(りやくし・コトソギ)て、皆(みな)珠(たま)の箱(はこ)に入て、錦(にしき)の袋(ふくろ)にをさめ、その表(うへ)を新薦(あらごも)に纒(ま)き、船の中の上坐(じやうざ)に積(つま)せ、その身(み)は圭冠(けいくはん・ハシカタノカウブリ)を着(き)、襴衣(らんえ・スソツケゴロモ)の橡(つるばみ)に染(そめ)たるを着、長き紐(ひも)を結(むす)び垂(た)れ、括緒(くゝりを)の袴(はかま)の白きを着こめ、腰(こし)には珠(たま)ごめの柄(つか)を葛巻(つゞらまき)したる太刀一振(ひとふり)を帯(はき)、手に山多豆(やまたず)<広刃の斧なり>をつき、脚(あし)には白橿(しらかし)の高履(たかぐつ)を踏鳴(ふみな)らして、阿曽丸にしるべさせて船(ふね)に乗(のり)うつり、「御(おん)祈(いのり)の修行者(しやぎやうじや)にさむらへば」といらへて、阿曽丸が左の上坐(じやうざ)にをれり。

その日も辰(たつ)の時ばかり也。

さて其船をおひかへらんとするに、風(かぜ)は東より吹下(ふきくだ)りて、船の上ルべき汐合(しほあひ)にあらず。

掻子(かこ)も楫取(かぢとり)も、是(これ)をなげき、「いかにつかふまつるとも、此(この)風(かぜ)この汐(しほ)にさからひては、御船速(と)く参(まゐ)るまじき」と申せば、阿曽丸眉根(まゆね)をかきて、「是(これ)はいかにせん。ちから及ばず」とわぶれば、道鏡ほゝ笑(ゑみ)つゝ、「かゝる筋(すぢ)はいと安き事なり。御こゝろやすかるべし。只今海龍神(かいりうじん・ワタツミノカミ)に申つけて、此波風を東ざまにむかはせはべらむ」とて、手に持たる数珠(じゆず・タマ)をすり鳴らし、三度(さんど・ミワタリ)ばかり唱言(となへごと)しけるに、波風(なみかぜ)忽(たちまち)打かへして、西南(にしみなみ)の方より吹のぼりけるに、船は只翅(つばさ)のごとくその日の申(さる)の時斗(ばかり)に、和泉(いづみ)の国(くに)なる高師(たかし)の濱(はま)に着(つ)く。

阿曽丸此しるしを見て大(おほひ)に驚(おどろ)き、「かゝるおこなひにおはすれば、上(うへ)の御脳(ごなう)は立どころに怠(をこた)りおはさむ。

さて御(おん)車(くるま)など申旅(たび)にあらねば」とて、所(ところ)の刀祢(とね)どもにいひて、脚(あし)利(と)く走(はす)べき馬(うま)三つを出させ、先(まづ)神(かみ)の具(そなへ)を前(さき)なる馬(うま)に負(お)はせ、中(なか)なる馬(うま)に道鏡をうち乗(の)せ、その次(つぎ)なるには自身(みづから)はひ乗(の)りて、「従者(ともびと)どもは、只(たゞ)あゆむにまかせて参(まゐ)りつけ」といひて、鞭(むち)をうち立(たて)て足掻(あがき)をはやめしほどに、此(この)度(たび)は平坂(ひらさか)なる当麻道(たいまぢ)をうち越(こえ)て、九里(くり)余(あまり)の道(みち)を、一時(ひとゝき)に追(お)ひ通(とほ)り、酉(とり)の時(とき)を申ころほひ、西(にし)の大御門(おほみかど)の前(まへ)につきぬ。

さて馬より下(お)りて、中門(ちゆうもん・ナカノミカド)の御まへに道鏡をすゑおき、神具(しんぐ)をも荷(にな)ひ入らせ、「しばし立(たち)待(また)せたまへ」といらへて、おのれは大宮(おほみや)にのぼりて、左大臣殿(さだいじんどの)へしか%\と申あぐれば、諸兄(もろえ)大(おほき)に其(その)すみやかなりしを奇(あやし・クスシ)み、浪風(なみかぜ)を祈(いの)りかへしたりしを貴(たふとみ)みおぼして、其随意(そのまゝに・ソガマニマニ)奏(そう)したまへば、上(うへ)かぎりなく愛(めで)たくおぼし、阿曽麻呂(まろ)よく御(おん)使(つかひ)仕(つかまつ)りたり」とて、禄(ろく・カヅケモノ)多(おほく・サハニ)賜(たまひ)、追(おつ・オヒ)て勲功(くんこう・イサシホ)の御(ご・オン)恩賞(おんしやう・タゝヘ)はおはしまさむ」と仰(おほせ)下さる。

さて道鏡には、「一時もはやく、御(おん)祈(いのり)仕り始(はじ)めよ」となん。

又、「御(おん)祈(いのり)につきては、陰陽寮(おんやうりやう・ツカサ)よりよろづ承り仕れ」と勅(ちよく)あるに、それ%\申触(ふ)れて、かしこみつかふまつりける。

道鏡奏(さう)して申さく、「上(うえ)にはおこなひの声(こゑ)をまぢかく聞(きこ)しめさるゝなんよろしき」と聞えあげたれば、「御(おん)祈所(いのりどころ)は寝殿(しんでん・ヨルノオトゞ)の御わたりちかき對屋(たいのや・ムカヒドノ)の中(うち)につかふまつれ」とあるに、道鏡石占(いしうら)を考(かんがえ・カウガヘ)て、「さる事にはべらは、西(にし)の對(たい)ぞ占(うら)のおもてに叶(かな)ひてさむらふ。

若(もし)事(こと)あらば、東(ひがし)の對(たい)に祭(まつ)りかふべし」と聞えあぐるに、「事なし」とて、木工寮(もくりやう・コダクミノツカサ)よりそれつかふまつるべきが参りて、西の對をかきはらひ、祭殿(まつりどの)だつかまへす。

道鏡参りて、中の柱(はしら)に真杭(まくひ)をうちて鏡(かゞみ)を懸(かけ)、左右(さゆう・ミギヒダリ)には竹珠(たかだま)を間(ま)なく貫垂(ぬきた)れ、めぐりの壁(かべ)には、葉薦(はごも)を垂(た)れて防壁(たつこも)とし、御前(おんまへ)には酒瓶(みわ)すゑまつり、千座(ちくら)の置坐(おきくら)を置(おき)なみたるには、天津(あまつ)かな木を本(もと)うちたち末(すゑ)うち断(たち)て置足(おきたら)はし、又あまつ菅麻(すがそ)を本苅(もとかり)たち末苅(すゑかり)たちて置(おき)たらはし、小治田(をはりだ)に生(お)ふる物は和稲(にごしね)・荒稲(あらしね)、大野原(おほのはら)に生ふる物は、甘菜(あまな)・辛菜(からな)・荒山中(あらやまなか)に住(す)むものは、毛(け)の和物(にこもの)・毛(け)の荒物(あらもの)、青海原(あをうなばら)に住(す)む物は鰭(はた)の廣物(ひろもの)・鰭の狭物(さもの)にいたるまで、横山(よこやま)のごとくうち積置(つみおき)、さて手携(たづさへ)たる山多豆(やまたづ)は、右のかたへにさし置、佩(はか)せる太刀はぬき出して、前(まへ)なる高机(たかつくへ)にそなへて、おこなひつかふまつり始(そめ)んとする時、春(はる)の事なれば、上(うへ)の愛(めで)給ふ猫の妻(つま)どひすとて、唐猫(からねこ)のいとちひさくをかしげなるを、すこし大きなる猫の追ひつゞきて、俄(にはか)に珠簾(たまだれ)の小簀(をす)のつまよりはしり出しが、千坐(ちくら)の机(つくへ)を踏(ふみ)わたりて、彼(かの)そなへおける太刀(たち)のしのぎ刃に、先(さき)なる唐猫(からねこ)の胸(むね)をつき破(やぶ)りてげり。

猫(ねこ)は声立て鳴くに、血(ち)はいたくながれ出たり。

御祈につかふまつりける官人(くはんにん)は

「是は」とうち驚(おどろ)きけるに、道鏡すこしも騒(さは)がず、暫(しばら)く眼(め)をふさぎ、口に唱(とな)へをはりて、侍ふ人をまねきて申けるは、「是は吉瑞(きちずい・ヨキサガ)なり。

上(うへ)の御祈はつかふまつるに及ばず。

たちどころにをこたり給ひなん」と申もはてぬに、妻木(つまき)の侍従(じじう・オモトヒトノマチギミ)勅(ちよく)をうけもち出て、橘諸兄(たちばなのもろえ)を召て申さく、「上(うへ)の御脳(ごなう)只今怠(をこた)り果(はて)たまふさまにて、俄(にはか)に御匣殿(みくしげどの)を召(め)さる。

又内膳司(ないぜんつかさ・ウチノカシハデノツカサ)にも御食(みけ)の御(おん)聞(きこえ)侍り」と申さす、諸兄(もろえ)道鏡に向ひて、「しかれば汝が申ごとし。

此うへは御(おん)祈(いのり)やすらふべしや」とあれば、道鏡かしこまりて、「猶(なほ)此うへの御(おん)祈(いのり)を、しばしがほどつかふまつらん。

しかれども猫(ねこ)の血(あせ)いたくこぼれ落(おち)て、御(おん)具(そなへ)をけがしたるをいかにせん。

御祈所(いのりどころ)は東(ひがし)の對(たい)にまつりかへてはべれば、俄(にはか)にそれへうつし給ひて、御かざりどもそなへどもをつくりかへ給へ。

おのれも身潔(みそぎ)つかふまつりあらためむ」と申す。

「さは」とて御(おん)祈所(いのりどころ)を改(あらた)めかふる間(ひま・ハシ)に、采女(うねめ)のともがら承(うけたまは)りて、身潔(みそぎ)所をかまへ、主水司(もんどつかさ・モヒトリノツカサ)承りて、清(きよ)き御井(みゐ)より水を汲(くみ)運(はこ)びて、盥(たらひ・マロブネ)にたゝへさす。

さて身潔所(みそぎどころ)には、采女(うねめ)ども道鏡がしるべしたり。

道鏡いきてみれば、葉薦(はごも)をしきなみたるうへに、素布(しろきぬの)を敷渡(しきわた)し、黒木(くろぎ)もて造(つく)れる衣桁(いかう・ミゾカケ)のうへには、白き浴衣(ゆかた・ユカタビラ)・手拭(てぬぐひ・タナゴヒ)ざまの物を懸(かけ)、盥(たらひ)には柄杓(ひしやく・ヒサゴ)を添て、清き水を湛(たゝ)はしめたり。

洗頭槽(ゆするぶね)・洗足槽(あすますぶね)・爪磨(つまとぎ)などすゑて、めぐりには蒲(かば)の防壁(たつこも)をかけ、高床(たかどこ)には火取(ひとり)を置て、伽羅(きやら)の木のよく薫(かを)るを打きりて焼(たき)おけり。

その前には短床(みじかどこ)をすゑて、いづれも塵(ちり)よく掻(かき)はらひて、采女(うねめ)が輩(とも)は、襁(たすき)をかけ裳(も)を巻(まき)あげて歩板如(あゆみいたなす)ものゝうへにつかふまつりをりける。

道鏡采女のさむらふを呼(よび)て、「おのれが衣(ころも)残(のこ)りなく穢(けがれ・ケガラヒ)にふれたり。

只今身潔(みそぎ)つかふまつる間(ひま・ハシ)に、上(うへ)よりはじめて下(した)なる衣(ころも)までもあらためかへてたまはれと申給へ」といひつゝ、上なる長袴(はかま)も下なる衣も、犢鼻褌(ふみどほし・タフサギ)にゐたるまでひきぬぎ、ひとつにおしまろめて土間(どま・ヒタツチ)のうへに投(なげ)出したり。

さて盥(たらひ・まろぶね)の前にかいつくばひて、口にはものをとなへながら、柄杓(ひしやく・ヒサゴ)をとりて頭よりうちかづく。

采女かくと承りて侍従(じじう)に申せば、縫殿(ぬひどの)にまゐりて、「只今の間(あひだ)にかゝる衣(ころも)どもはとゝのひはつべしや」と聞ゆるに、「いかなる御(おん)威光(いきほひ)にさむらふとも、いできなんとは覚さむらはず」と申。

此うへはとて左大臣殿に申せば、「上(うへ)の御祈と侍るに、何にかをこたりはべらむ。

さらば奏(さう)して太上天皇(おほすめらみこと)の御(おん)衣(ころも)のさる清きかたにはべらむを申給りて、とりあたへたまへ。

道鏡は行(おこな)ひに馴(なれ)てはさむらふべきが、この秋のいと寒(さむ)く侍るをばいかにせむ。

そはそもあれ、御(おん)祈(いのり)ときうつりなん」と申に、侍従(じじう)かくと奏しければ、上(うへ)聞召(きこしめし)て、御(おん)父(ちゝ)天皇の御(おん)祈(いのり)にもさるべき事也」とのたまはせ、則(すなはち)法(のり)の御衣(オンゾ)をも添(そへ)て玉(たま)の箱(はこ)にうち重ねて賜(たまは)りける。

さて道鏡は心をひとつにし、身潔(みそぎ)仕りてはべりけるに、上(うへ)、老髪刀自(おいがみのとじ)をめしてのたまはく。

「道鏡はやも行ひは仕りそめきや」。

老髪(おいがみ)かしこみ承りて、「只今みそぎつかふまつりて侍るなり」と奏(さう)す。

上(うへ)聞召(きこしめし)て、「道鏡はこれ生神(いきがみ・イケル)なり。

さるみそぎして侍(はべ)らんさまも人の身には類(るいす・タグフ)べからず。

朕(ちん・ワレ)物の透間(すきま)に拝(をが)まむや」とのたまふ。

老髪(おいがみ)かしこみ承りて、「いかにあらはにてや叡覧(ゑいらんあら・ミソナハサ)ん」とて、彼(かの)みそぎのよくみえとほるべき渡殿(わたどの)のこなたのおましをかきはらひ、珠簾(たまだれ)の小簀(をす)の編間(あみま)をすこしくゝりわきて立よらせたまふ。

御面前(おんまへ・オホミオミマヘ)には刀自(とじ)二人(ふたり)左(みぎ)右(ひだり)に立て、唐(から)めく團扇(うちは)の中のほどを穴(あな)にしたるをさしかさねて持(も)たるを、彼(かの)くゝりわきたる簾(すだれ)の編間(あみま)にさしあて、大御頭(オンカザリ・オホミカシラ)の透影(すきかげ)にやみゆらんとて、刀自又大御後(おんうしろ)に立て蓋(きぬがさ)をさしかけたり。

道鏡かくともしらであるに、もとよりその性(うまれ)いと端正(つや/\しく・キラ/\シク)、先面(おもて)よりはじめて手脚(てあし)にいたるまで、その色(いろ)雪(ゆき)のごとく、眉(まゆ)はいと黒(くろ)くて画(ゑがけ)るごとく、眼(め)は磨(とぎ)出せるごとく、歯(は)は白梅(しらうめ)の含(ふゝ)めるごとく、髪(かみ)はいとふさやかなるを渦(うづ)のごとく巻あげて、銀(しろがね)の挿頭(かざし)をさし、丈(たけ)は五尺(ごしやく・イツサカ)をばはるかに越(こえ)て、身は肥(こえ)脂(あぶら)づきて骨(ほね)をかくし、膊(もゝ)などはいとふくらかなり。

さるは氣添(けそふ)は衣(ころも)の色香(いろか)を借(か)らでこそとみえたれ。

天皇太(うづ)の大御手(おほみて)をのべて、うちかさねたる團扇(うちは)をかいのけさせ給ひ、「小簀(をす)のあみ間を今すこしくゝりわけよ」と勅ありて、大御眼(おんめ・オホミマナコ)をとゞめてみそなはしける時、道鏡もたる柄杓(ひしやく)をさしおきて立ば、天皇大御袖(おんそで・オホミソデ)を大御面(おんかほ・オホミオモテ)におほせ給ひ、大御眸(おんまなじり)をさしめぐらし、かへりみしつゝ入らせ給ひぬ。

道鏡は身潔(みそぎ)をはりて高床(たかどこ)をみれば、珠(たま)の箱(はこ)にうちかさねたる御衣(おんころも・オンゾ)あり。

是(これ)をとりて香(かをり)をうつし、下(した)より上に着(き)かさねたるに、綾(あや)の衣(きぬ)のこまやかなる、上(うへ)の衣(きぬ)のなよやかなる、これ直人(たゞびと・ナホビト)の衣(ころも)にあらず。

太上天皇(だじやうてんわう)の御法衣(ごほうえ・ノリノオンコロモ)を申たまはりて、すべらせたるなるべし。

「我はからずも此御衣を着(き)なん。

ほい爰に足(たらは)し満(みて)り」と、心中(しんちう・コゞロノウチ)には思ひよろこびける。

さて御祈所にのぼり、行(おこな)ひ始(そめ)んとしける時、諸兄勅をもちて道鏡に告(つげ)ていはく、「修行(おこなひ)一度(ひとたび・ヒトワタリ)仕りたらば、天皇御目(ま)のあたりめされて、ひそかに御占伺あるべきむねあり。

然(しか)心得べし」と聞え給ふに、道鏡かしこまりを申。

既(すで)にその御行(おこな)ひはつるにいたりて、老髪刀自(おいがみのとじ)道鏡を率(ひきゐ・ヰ)て大殿(おほどの)ふかくまうのぼりける。

本朝水滸伝巻之一終

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本朝水滸伝巻之二

第三条

藤原倉麻呂(ふじはらのくらまろ)・石村村主(いはむらのすぐり)奏(そう)するによりて藤原恵美押勝(ふぢはらのゑみのおしかつ)を討(うた)しむべき勅(ちよく)あり。

太上天皇崩御(だじやうてんのうほうぎよ)。

よりて朝政(おほんまつりごと)しばらく絶(たえ)て、天下(てんか)いと厳密(ひそか)なりき。

さる間には物語(ものがたり)なども多かるべし。

御忌(おんいみ)どもはてゝ、今ははゞかりおぼすかたもなければ、道鏡に法皇(ほうわう)の位(くらゐ)をゆるし給ひ、太宰府(だざいふ)の阿曽麻呂(あそまろ)をば、道鏡奏するによりて、太宰府の定(さだめ)に三島(さんとう)をくはへて賜(たま)り、さて道鏡には御側(おんそば・オホンワタリ)さらず政務(まつりごと)をも問(と)はしめ給ふに、世(よ)の中騒出(さわぎいづ)べき筋もおほからん。

ときに藤原倉丸・石村村主等(ら)、身(み)には冑(よろひ)を着(き)、手には手纒(たまき)を巻(まき)、脚(あし)には鉄(くろがね)の脚帯(あゆひ)をゆひ、馬をば西の大御門の前に乗捨(のりすて)、大庭(おほには)の広前(ひろまへ)にかしこまりて、「頓(とみ)に奏(そう)すべきことあり」と申。

天皇そのありさまをとはしめ給ひ、御まのあたり聞(きこし)めすべきよしにて、大極殿(だいごくでん)の高座(たかくら)にのぼりまし、道鏡を御左にすゑさせ、珠垂(たまだれ)の小簾(をす)をなかば巻(まか)せ、大御前(おほんまへ)にその二人をめさせて奏す事を聞(きこ)しめす。

倉丸(くらまろ)・村主(すぐり)ともに奏して曰、「左大臣橘諸兄(さだいじんたちばなのもろえ)、その子奈良麻呂(ならまろ)、ともに冠(かんむり)を脱(ぬぎ)、装束(しようぞく)を脱、太刀を捨、笏(しやく)をすて、家を捨、財宝(たから)を捨、いずこともなく立つさりてさむらふ。

判官等(はんぐはんら・マツリゴトヒトラ)まゐり正(たゞ)して候に、申残せる事も侍らず。

只出居(でゐ)の壁(かべ)に一首(いっしゆ)の歌を残(のこ)しおきて候のみなり。

其哥にいはく、  橘をこじて植(うゑ)なばことさへぐ枳殻(からたち)の実(み)となり出んかも

と諸兄(もろえ)が手(て)をもて書付てさむらふ。

いと恐(かしこ)けれど、此哥(うた)の意(こゝろ)をもて考(かうがへ)仕るに、北国(ほつこく・キタノクニ)にしるべありて身(み)を退(しぞき)て侍(はべる)ならん」と申。

又「藤原恵美押勝(ふぢはらのゑみのおしかつ)は、ひそかに大政官(だいじやうぐはん)の印(いん・オシテ)を盗み、東(ひがし)の兵(つはもの)を集(あつ)め、近江(あふみ)の国高島郡(たかしまごほり)三尾崎(みをがさき)の大城(おほき)にこもりて候。

又春日野(かすがの)の烽火(とぶひ)の野守(のもり)が此あかつき訟(うつたへ)申さく、『唐国(からくに)の天皇(てんわう)色欲(いろ)にめで給ふをこたりによりて、臣(しん)安禄山(あんろくざん)兵を集(あつ)めて御代(みよ)を奪(うば)はんとす。

禄山もしほい遂(とげ)ずは、船を東に枉(まげ)て此御国をやうかゞひ候はん』と申。

されど是は遠境(ゑんきやう・トホキサカヒ)の事にて候。

たとへちかきにもあれ、小蝿(さばへ)なす異人等(ことびとら)、なでう事をかせん。

只捨置(すておき)がたきは近江の国の騒(さはぎ)にて候」と奏すところへ、刀自(とじ)が輩(ともがら)大御前(おんまへ)にはひ出て奏しけるは、「太子道祖王(みちのおんのおほきみ)春宮(とうぐう)におはしまさず。

御侍宿(おんとのゐ)につかふまつりさむらひし内舎人(うとねり)、一人は明石豊丸(あかしのとよまろ)、ひとりは小田角丸(をだのつの)、是も二人ながら侍らず」と奏す。

「塩焼王(しほやきのおほきみ)は不破内親王(ふはないしんわう)をかねて御気色(おんけしき)はべりしが、是はさる御罪(おんつみ)のよしを書残(かいのこ)し給ひて、ともに率(ゐ)ておはしてさむらふ」と奏す。

天皇聞召(きこしめし)をはりて、大御心(おんこゝろ)をなやまし給ふに、道鏡かしこまり奏して申さく、「臣(しん・ヤツガレ)おもひ得てさむらふは、道祖王(みちのおんのおほきみ)は太上天皇(だぜうてんわう)の勅(ちよく)によりて太子(たいし)に立給ひけれども、我君深く愛(めで)おぼさず、大炊王(おほいの)を太子とし給ふべき御きざしの侍るをしろしめして、宇治(うぢ)の稚郎子(わきいらつこ)の御心をつがせたまふならむ。

又塩焼王は、不破内親王の迷(まど)ひにかこち、是は押勝(おしかつ)を頼みおぼして近江にくだり給ふならん」と奏するに、天皇諾(うべ)なはせて、「祖王の御行方(ゆくへ)は俄(にはか)にももとむべからず。

只塩焼王ならびに不破内親王を急(いそ)ぎて追(お)ひとめよ」。

さて倉丸(くら)・村主(すぐり)には千万(ちよろづ)の軍兵(いくさ)を賜(たま)はりて、直(たゞち・ナホ)に近江の国へさしむけたまはんとなりける。

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第四条

道祖王(みちのおんのおほきみ)釣船(つりぶね)にめされて遁(のが)れたまふ。恵美押勝(ゑみのおしかつ)戦(たゝか)ひ負(まく)る。

道祖王(みちのおんのおほきみ)は、明石豊丸(あかしのとよまろ)・小田角丸の二人を将(ゐ)て出給ひ、恵美押勝を頼(たの)みおぼして、近江の国をさして下(くだ)りたまふに、大津の辺(ほとり)にいたりませば、船どもの侍るを、豊丸とりはからひて、「君今よき御船にめされて侍らば、追(お)ひ奉らむ人来りもとむるとき、かならず見顕(あら)はし奉らん。又蓬うちかけて候船にめさば、さる人又疑(うたが)ひはべらむ。

只彼方(かなた)につなげる釣船を乞(こひ)て、釣(つり)人とともに蓑笠(みのかさ)をめされ、我々も網子(あみひき・アゴ)にやつしてはべらむには、人かならずあやしむまじきに、遠(とほ)かるまじき海(うみ)の辺(べ)に御船をたゞよはし、夜に入らば帆(ほ)を捲(まき)て三尾(みを)が崎(さき)にうつし奉らむ」と申に、角麻呂(つのまろ)ともに

「しからん」と申て、渚に[木+旁](こぎ)よせたりし釣船にめさせ、衣袴(きぬはかま)どもは脱(ぬぎ)て、太刀などもともに船底にかくし、さるべき蓑笠(みのかさ)にかいまぎれたまふて、船を十丁(トトコロ)ばかり[木+旁](こぎ)出して、波に漂泛(たゞよはし)おはしますに、矢田部老(やたべのおゆ)、軍兵を将(ひきゐ)て、塩焼王(しほやきのおほきみ)、不破内親王(ふはのないしんわう)の御あとを覓(もとめ・トメ)て、大津の辺に来たりけるが、浦人を呼(よび)て、「かゝるさまの貴人(あてびと)ぞ、爰より船にめされて高島のあたりをさして漕出(こぎいで)給はずや」と問ふに、浦人ども答へていふ。

「さるさまの女を将て此処従(こゝより・ユ)船にめされたるは覚ず。

さきつとき都(みやこ)方より貴人(きにん)の三人までおはして、釣船(つりぶね)にめされて網(あみ)などうたせ、釣(チ)などさしおろして遊(あそ)び給ふは見き。

彼(かれ)見給へ。

十丁ばかりかなたの海(うみ)の上に、いとちひさき船のみえて、波の上にたゞよひたるが夫(それ)なり」といふを、矢田部(やたべ)きゝ得て、三人とあれば祖王(おんのおほきみ)にやおはさん、また浦人どもが謀(はかり)りてや申ならん、とおもひ疑ひ、「なにゝもあれいきてみん。

早船(はやふね)漕(こぎ)出せ」と告立(いひたて・ノリタテ)て、よき兵(つはもの)十人ばかりをさし添(そ)はせ、掻子(かこ)八人に漕(こぎ)わたらせたれば、一衝(ひとつき)の息(いき)の間に、船はたゞ間近くなりぬ。

祖王はよくいひあわせて置たまふに、追ひてまゐりたるをば恐(かしこ)み給はず、船のへにさしうつむきて釣(つりばり)をおろし、船は只たゞよはせておはしましけるに、矢田部(やたべの)老(おゆ)ちかく参出(まいで)、「是はいかなる御ありさまにか」と啓(まう)せば、祖王聞(おんのおほきみきこ)しめして、すこしうち笑(ゑま)せたまひ、「世の中いと騒(さわ)がし。

かく鮮魚(いさな)とりて侍(はべ)る事は、事代主(ことしろぬし)の御まねびをつかふまつるなり。

塩焼(しほやきの)王、大炊(おほいの)王もおはしませば、太子なきにしもあらず。

汝(なんじ)帰(かへ)りなば、我はその船を踏(ふみ)かたぶけ、天(あま)の逆手(さかで)をうち鳴らし、青柴垣(あをふしがき)に隠(かく)れたりと申せ」とのたまひをはり、御船しづかに[木+旁](こが)せたまふに、矢田部老(やたべのおゆ)、つら/\御形状(おんありさま)をうかゞひみて、誠(まこと)に押勝(おしかつ)には御心なかりしと思ひしかば、「御かへりごと奏(そう)し奉らん」と申て、又大津の方(べ)をさして漕戻(こぎもど)りぬ。

祖王二人にむかひて、「よくもかくはからひつる。

いとあやうかりし」とのたまふに、「日の暮んずまでは」とて、ある島陰に御船をよせて、御食(おもの)など奉りける。

さて夜にもなれば、帆(ほ)を捲(まき)て只(たゞ)一時に三尾(みを)が崎(さき)に追(お)ひつきぬるに、押勝(おしかつ)が篭居(こもりをり)たる大城(おほき)をみれば、月の光(ひかり)にはさやかにもあらねど、湖(みづうみ)をめぐらし入て大城(しろ・オホキ)を帯(おば)せる沼(ぬま)とし、高垣(たかへい・タカガキ)には透間(すきま)をつけて征矢(そや)負(おい)たる兵(つはもの)をすゑ、隅の層桜(やぐら・タカドノ)にも透間(すきま)をつけておほくの射部(いべ)をのぼせ、門(かど)をしめ、杭(くひ)を打、石をまろばし出し、真木(まき)のつまでをきり出し、兵(つはもの)たやすくより来(く)まじくしたり。

又うちあふぎてみれば、長(なが)き旗(はた)短(みじか)き旗は空になびき雲(くも)にみだれて、高く浜(はま)風に吹(ふき)なされたり。

二人の内舎人(うとねり)、祖王(おんのおほきみ)に啓(まうし)て申さく、「かく鎖(とざし)てさむらふに、参りよらん道もはべらず。

夜(よ)もいたくふけてさむらへば、程(ほど)なく暁(あかつき)にやなり侍(はべ)らん。

日のさしのぼりてさむらはんとき、隅の層桜(やぐら・タカドノ)より見通(みとほ)すべき所に君をばすゑ奉り、下官(やつがれ)らは冠(かうぶり)を正しくし、衣(ころも)をかきつくろひて恭(うや/\)しく仕りをらば、大城(しろ・オホキ)の軍兵(ぐんひやう・イクサ)かならず見とがめてはべらむに、其まゝ押押勝に申て候はゞ、勝又楼(やぐら)にのぼりてうかゞひ奉るべし。

さてこそ君をば見出(みいで)奉るならめ」と申に、承引(うけひか)せ給ひて、松の大木(おほき)のうちたれたるもとに立よらせ給ふに、御むしろもなければ、きよげに花咲たる草などを刈布(かりしき)てすゑ奉り、はや明(あけ)なんずとおもふに、夏の夜なればみじかくてあけぬ。

さてその木のもとを立出させたまふに、層楼(やぐら・タカドノ)よりさしのぞく人ありとみえて、しばしありて南の大門(オホド)をひらき、倭文鞍(しづくら)置(おけ)る馬に紅(くれなゐ)の餝(かざり)して前にひかせ、軍兵等(ぐんひやうら)百人ばかり走(はせ)参りて、啓(まう)して曰、「押勝層楼より御容体(おんありさま)を見とめてさむらふに、『かくさすらはせ給うは故こそ侍らめ。

まづすみやかにむかへ奉れ』

と申によりて参りぬ。

御車と申べきを、かくみだれにさむらふときなれば、脚(あし)利(と)からねど穏(おだ)しき御馬奉らせたり」と聞えあぐるに、王(おほきみ)きこしめし、「誠に舎人(とねり)等が申にたがはざりつる」とて御馬にめせば、内舎人等(うちとねりら)左右に添(そ)ひ奉り、兵等御前(みさき)を追い、御跡方(べ)をまもり奉りて、大城(しろ・ヲホキ)の内に入れ奉るに、押勝迎へ奉りて、高床(たかとこ)の上にすゑ奉り、「思ひかけず」と啓(まう)し奉れば、王(おほきみ)は唯(たゞ)何事もの給はず、「内裏(おほみや)は道鏡がみだれに」とのたまひをはりて、御泪(なみだ)の溢落(はふれおつ)るに、押勝かしこまりきこえて、「下官(やつがれ)天皇の御寵愛(ごてうあひ・オンイツクシミ)をうしない奉りしを恨(うら)み奉りて、かくこもりたるにあらず。

只道鏡が天が下の民を苦(くる)しめむ事をおもひはかりてさむらふのみなり。

既(すで)に大政官(だいぜうぐはん)の印(いん・オシテ)をもて東の軍兵(ぐんひやう・イクサヒト)をさしまねき候に、かれ走集(はせあつまら・ツドハ)んずる間はかくこもりてはべらむ。

さて参り集(あつまり・ツドヒ)て候はゞ、天皇は御あやまちあらしめざるさまにはからひ、只道鏡が首をとりて京(みやこ)のちまたにかけんず。

また君は太上天皇(だじやうてん・オホスメラミコト)の勅(ちよく)によりて宝棺(あまつひつぎ)しろしめすべき君なれば、天皇いかばかりに勅ありとも、おして御位にとおもひつきてはべるのみなり」と啓(まう)す間(はし)に、大城(おほき)の門守(かどもり)騒(さわ)ぎ立て、「官軍(くはんぐん・オホミヤイクサ)千万(チヨロヅ)の勢をもて、大将(イクサギミ)には藤原倉丸・石村村主(のすぐり)さしむかひたり。

東(あずま)の軍兵(いくさ)未(いまだ)走集(はせあつまら)ず。

大城のうちは僅(わずか・ハツカ)に千(チゞ)にみたざる兵なれば、その勢(イキホヒ)の競(あらそ・キソ)ひがたきをおもふものも多くはべる」と申。

押勝聞得て、「もとよりおもひめぐらす所なり」といひて、王に啓(けいし・マウシ)て曰、「君ともに此処(こゝ)に篭(こも)りおはしまさば、かならず下官(やつがれ)と御心をあはせられて御位をのぞませ給ふなりと世に申さん。

さるときは天皇の御憤(みいか)りつのりて、下官此戦(いくさ)にうちまけたらんときは、御命にも及び給はんと思ひ奉るがいと苦しき。

官軍(くはんぐん)只今の間に軍兵を添(そへ)て、何処(いづこ)へもいでまさせん。

かく申すもはや事の急迫(せまり)になん」と申す。

さてある間に、門守(かどもり)の軍兵等走参りて申すは、「『此城内(じやうない)に塩焼(しおやき)王なん押勝をたのみてまゐり給ひつらん。

おのれ王を捕(と)らへて天皇の御褒美(ごほうび・タゝヘ)を被(かうぶ)り奉らん』と、申さわぎて侍る」と申すに、王きこしめして、「塩焼王はみづからが兄の皇子(みこ)にておはすが、何とてさは申なり。

是も道鏡が騒(さわ)ぎをおぼして、内裏(だいり・オホミヤ)を出給ふなるべし。

よしさらば御ありかをも探覓(さがしもとめ)給ふならんに、みづから塩焼王なりと名告(のり)て、軍兵の目前(めのまえ)にて自刃にふして死なん。

さありて後、我面(おもて)をかへ兄皇子(あにみこ・イロセノミコ)の御首なりとてあざむかば、長く兄皇子(あにみこ)は隠(かく)れおふせ給はん。

押勝しか議(はか)れ」とのたまふ間に、層桜(やぐら)に火つきて大門も焼(やけ)のぼり、官軍(くはんぐん)はみだれいりて、押勝が軍兵はおほくうたれにければ、押勝冑(よろい)を着、甲(かぶと)を着、手纒(たまき)も巻(まき)あへず、四尺(ししやく・ヨサカ)ばかりの太刀をぬきて、中門(ちゆうもん)を少しひらかせて、おのれ一人躍(をどり)出て、左右に伐靡(きりなびけ)、竪横(たてよこ)になぎ立たれば、見るが中に千首(ちかうべ)を伐落(きりおと)す。

官軍、押勝が武威(いきほひ)に怖(おそれ)て表(おもて)をさしてを引退(しりぞ)くを、押勝更にも追及(しか)ず、しづかに中門をさして内にいり、二人の内舎人(うとねり)をさしまねくに、いづこにも居らず。

いかにしつらむとてみれば、明石(あかしの)豊丸は、祖王(おんのおほきみ)の御装束(しやうぞく・ヨソヒ)を給はりて、御冠(かうぶり)をも着、又小田角丸(おだのつのまろ)はおなじめしがへにもたせ給ひし御装束御冠を着て、さて押勝に向ひ、「大臣は是より我君の御供(おんとも)まうしていづこへも御ありかを定め給はれ。

我々二人はおもふむねありて、只今軍にむかひ、御兄弟(ごきようだい・オンハラカラ)の御心を安(やすく)し奉る也」といひをはりて、中門をあらゝかにひきあけ、「我は太子道祖王なり。」

「我は兄(あに・セ)にて塩焼王なり。」

「天皇をうらみ奉るにあらず。

道鏡が横(よこ)さまなるをにくみて、押勝をたのみおもひて此処(こゝ)に来れり。

さるも押勝心をとげず、すでに官軍をひきうけ奉れば、正(まさ)に是(これ)朝敵(てうてき・クニノアタ)なり。

我々かくてあれば押勝が党(とう・タグヒ)なるを恐(かしこ)み、只今兄弟刃(やいば)にかゝりて死(し)ぬべし。

首を取かへり道鏡にあたへ、天皇にもかくみおきたるむねを奏せよ」と告(つげ・ノリ)をはりたまひ、互(たがひ)に剣(つるぎ)をぬきあはせて、先面(おもて)をつき傷(やぶ)り、さて互(たがひ)に胸(むな)さかをさしつらぬきたまふに、倉(くら)丸・村主(すぐり)はるかに見て、「御命をそこなふべからず」といひつゝ翅(かけ)来たるあひだに、いたくつきかはしたまふによりて死入(しにいり)給へり。

御首をたまはるべきにもあらねば、御骸(おんかばね)はそのまゝにて、御棺(おんひつぎ)ざまのものとりまかなひて、馬に負(おひ)のぼせ軍兵どもつかふまつれり。

さて炎(ほのほ)は大城(おほき)の外重(とべ)をめぐり、すでに中門にも火つきたるに、押勝が軍兵いたくうたれ、あるいは火にやけうせなどして、今は残るべき人もあらず。

倉丸・村主進み(すゝみ・スサビ)に進み(すゝみ・スサビ)て中門も押破(おしやぶ)りて入るに、押勝はいづこにも居(を)らず。

後(うしろ・シリ)なる門はとてみれば、すこしも開(ひら)きたるさまなきに、いづこにたちかくれんくまもあらず。

又めぐりの沼(ぬま)なんいと深(ふか)くみゆるに、打越(うちこえ)てゆかんところ所もあらず。さらば押勝は空従(そらより)かけりいにけんとて、只(たゞ)惘(あきれ)て立(たて)る間に、火(ひ)は中(なか)の重(へ)外(と)の重(へ)にもえわたりければ、官軍も大城のまへにはせ出、倉丸・村主もさぶらひえねば、是も外(と)の方(べ)に立出て見るに、火は風のまに/\燃(もえ)とほりて、隅(すみ)の楼(やぐら)も残(のこ)りなく崩落(くずれおち・クエ)、高屏(たかへい・ガキ)などもなくなりたるに、さばかりのかこみは、みるがうちに只春(はる)の焼野(やけの)なすほろびにけり。

さてみれども、押勝もあらず、押勝が家に名高き軍兵十人ばかりはその行方(ゆくへ)もなくなりにければ、倉丸・村主は為方(せんかた・センスベ)もなくて、二人の宮の御骸(おんから)を守り奉り、むなしく京へ帰らんとしける。

本朝水滸伝巻之二 終

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本朝水滸伝巻之三

 第五条

 豊丸(とよまろ)・角丸(つのまろ)が骸を焼く。并佐保(さほ)の大道(おほぢ)に首(くび)を梟(かく)る。

倉麻呂(くらまろ)・村主(すぐり)の二人は、豊丸・角丸に欺(あざむか)れて、その死骸(しがい・シカバネ)をいよゝ二王(ふたおほきみ)の御骸(おんかばね)なりとおもひ、棺(ひつぎ)ざまの箱におさめ奉り、此儘(まゝ)都(みやこ)に守(も)りかへし奉らんと思ひ居(をり)しに、又おもひめぐらして相議(あいはかり)て曰、「我々勅(ちよく)を蒙(かうぶ)りしは、只押勝を討(うつ)べきのみなり。

二人(ふたり)の王を殺(ころ)し奉れと侍るむねにはあらず。

是(こ)は不意(おもはず・ユクリナク)かく大殯(おおあらき)の時にもあらず、横さまに刀(やいば)に伏(ふし)て雲(くも)がくれましぬるのを、御顔(おんかお)いたく疵(きづ)つきて侍るに、此儘に守(もり)かへし奉らば、我々いたく責(せめ)奉りしと、かへりて御いかりを蒙(かうぶ)り奉らば、その御ことわりをいかにせん。

又戦(いくさ)には勝(かち)て多(おほ)くの軍兵はうちとり、大城は焼(やき)はらひてさむらへども、押勝が首は得(え)ざりしと申さば、かひなき為行(しわざ)とやおぼしなさん。

さはいかにせん。

かゝらばとやせんずる」と、心得深き軍帥(ぐんすい・イクサツカサ)を集(あつ)めて、種々(くさ%\)いひあはせてはべりける中(うち)に、物部勝成(ものゝべのかつなり)といふもの思ひめぐらして曰、「下官(やつがれ)おもふに、『道祖(みちのおんの)王・塩焼(しおやきの)王は恵美押勝(ゑみのおしかつ)をたのみおぼし、ともにこの大城にこもりませしともしらず。

城はかたくまもりてはべるに、官軍為方(せんかた)なく、時しも浜風のはげしかりしに乗(のり)て、只めぐりの囲(かこみ)を焼(やき)はらはんとはかり、大門高垣(たかゞき)に火つけてさむらひしに、思ふにたがはず軍兵もうちとりぬ。

さても山風の吹かはりていとあらく侍りしまゝに、中門にも火つきて候に、寄人(よせて)も責入(せめいり)がたく、篭(こも)りたるも出難(いでがた)くや侍りけん、戦(いくさ)しばし引しろひてはべりけるとき、中門(ちうもん)の櫓(やぐら)に冠装束(かんふりしやうぞくし・カウブリヨソヒ)たる貴人(アテビト)の二人までいでおはし、いと高(たか)く御音(おんこゑ)をあげて告(のり)てのたまはく、「我は是太子道祖(みちのおんの)王なり」。

「我はこれ兄(あに)にて塩焼王なり」。

「押勝をたのみおもひて此城(このしろ)にこもりはべるが、天(てん・アメ)の時(とき)いたらず、地(ち・ツチ)のとき又いたらず、只今国津御神(くにつみかみ)に御いとまをこひ奉りて、黄泉王(こうせんのわう・ヨミノオホキミ)につかへまつるなり」と告(の)りをはらせたまひ、側(かたへ)におはしましける官女(くはんぢよ)とおぼしきをとらへまし、「是は不破内親王(ふはないしんわう・メオホキミ)なり。

是まで将(ゐ)て奉りしかど、心とげず侍るに、只今伴(ともな)ひ奉るなり」とのたまひ、太刀をぬきてさし殺(ころ)したまひ、さて御兄弟(ごきやうだい)の王は、互(たがひ)に御胸(おんむね)さかをさしてかくれ給ふ。

さるさまを見奉り居しかど、いたく炎(ほのほ)に遮(さへ)られてはべるに、参りのぼらん道もはべらず。

火すこし焼通(やけとほ)りてはべるまゝに、軍兵に甲付て槽(ふね)とふ槽に水を湛(たゝ)はし、只往通(いきとほ)るべきばかりの道をひらけとて、手々(てゞ)にそゝぎかけて侍るまゝに、辛苦(しんく・からう)して中(なか)の重(へ)に入りて、さりとも御骸(おんかばね)を残(のこ)し奉らむと思ふはしに、恵美押勝(ゑみのおしかつ)も楼(たかどの)にのぼり、炎(ほのほ)にまぎれて死(しに)けるとみえたり。

さても水をそゝぎ柱を打かへし壁(かべ)を破(やぶ)り棟瓦(むねがはら)をうがちて、二王(ふたおほきみ)の御骸、ならびに押勝がかばねを炎の中より引出してははべれど、いたく焼(やけ)たゞれて候。

又内親王(ないしんわう)の御骸ははやく火のうちにまぎれたまふならむ、僅(わづか・はづか)に御裳(おんもすそ)の焼のこりて候のみなり』とて、いかなる衣(きぬ)のはしをも焼焦(やけこが)してみせ奉らむ。

又二王の御骸(おんかばね)は今只今城(しろ)の内に持(もて)行、いたく焼たゞらし奉らん。

さていかなる人の骸にもあれ、首をとりて焼焦(やきこが)し、これを押勝なりとて持かへらむに、誰かは正(ただ)しはべらむ。

又押勝が家人(けにん・いへひと)に名高き武士(モノゝフ)のさむらふを、十人あまりの首を伐(きつ)て大方(おほかた)に焼たゞらしてもてかへり、大道(おほぢ)に梟並(かけなみ)はべらば、今度(こんど・コタビ)の大将はほまれしたまひけると人申さむに、上(うへ)の御褒美(ごほうび・タゝヘ)あつくはべらん。

我々も禄(ろく・カヅケモノ)かうぶり奉らむ筋(すぢ)なり」と、よくわきまへて申けるに、倉丸・村主これをきゝ、「よくおもひめぐらしたり」と讃(たゝ)へ、「いかさまにも押勝等(おしかつら)逃出べき透間(すきま)のあらぬに、定(さだめ)て炎のうちにまぎれうせけん。

是(これ)欺(あざむ)くに似て偽(いつはる)にあらず。

さらばしかせん」とて、二王の御骸(おんかばね)を箱(はこ)よりかき出(いだ)して持(も)て行、燃(もえ)のこりてはべる柱(はしら)どもをあつめて、彼方此方(をちこち)焼爛(やきたゞ)らし、又こなたかなたかきさがして、首とふ首をひろひあつめ、すこしも押勝に似(に)つきてはべらんをとてみるに、よく似たるぞひとつあるを、似(に)ざるかたばかりを焼たゞらし、女の装束(しやうぞく)どもの端々(はし/\・ツマ/\)残りてはべるを、是もさるべき所をとりて、脚(あし)などの焼たゞれてあるをひき出して、不破(ふは)内親王に似(に)つくべくし構(かま)へ、押勝が似下(いげ・スヱ)の首十五(トホマリイツゝ)、よきさまにつくり立て、ひとつ/\名をしして札(ふだ・フンダ)を立、軍兵の行烈(なみ)を正(たゞ)し、旗(はた)を立、鉾(ほこ)を立、戦(いくさ)に勝(かて)る佳儀(よろこび・ホギ)をのべ、酒をもり哥(うた)を謡(うた)ひ、鼓(つづみ)をうち鳴(な)らして行烈(なみ)を整(とゝの)へ、瀬田(せた)をわたり石山を越(こ)え、宇治(うぢ)を過、挑川(いどみがは)を渡(わた)り、奈良(なら)山を越(こえ)て京(みやこ)に入りぬ。

 左右(さゆう)の兵衛督(ひやうゑのかみ)立向(むか)ひて、事どもを正(たゞ)し、戦(たゝかひ)のありさま始終(しじう・ハジメヲハリ)委細(いさいに・ツバラニ)奏しければ、天皇大御心(おんこゝろ)おち居(ゐ)給ひ、「よくことあげせずとりては帰へりし。

二王(ふたおおきみ)の御骸(おんかばね)、ならびに不破内親王(ないしんわう)の御骸は、御位の例(ためし)をすこし略(はぶき)て御葬(おんはふむ)り仕れ。

又押勝をはじめ以下(いか)の首は、佐保(さほ)の大道(おほぢ)に梟(かけ)て、札(ふだ)を立て事をわきまへしらせよ」とのたまはす。

又倉丸・村主・軍帥(ぐんすい)・物部等(ものゝべら)は、御前にめされて御恩賞(ごおんせう・オンタゝヘ)を蒙(かうぶ)り、軍兵どもは例(れい)にまかせて禄(ろく・カヅケモノ)あつくたまはり、世の中いとしづかになりける。

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第六条

恵美押勝(ゑみのおしかつ)道祖王(みちのおんのおほきみ)を将(ゐ)奉りて伊吹山(いぶきやま)に隠(かく)る。

白猪老翁(しらゐのをぢ)祖王をあずかり奉る。

官軍(くはんぐん)いたく責(せめ)て、中の重(へ)の忌門(いかど)に火つきてはべるとき、おのれが家人(けにん・イヘビト)のうちに、年頃(としごろ)おもひたのめる武士(ものゝふ)十人ばかり侍りけるをまねきて申けるは、「軍(いくさ)いとせまれり。

此押勝ばかりならば、官軍(くはんぐん)千万の勢(せい)ありとも、たやすく伐靡(きりなびけ)て追散(おひちら)しはべらんが、祖王かくたのみきこえまして不意(おもはず・ユクリナク)おはしませり。

又豊丸・角麻呂ともに明心(あかきこゝろ)をもて御命を惜(おし)み奉り、おのれに御身のうえをたのみおきて死(し)ねり。

今は王を将(ゐ)奉り、此かこみを逃(のが)れ、時を待居(まちゐ)て心を遂(と)ぐべし。

汝達(なんだち・イマシラ)我に伴(ともな・アトモ)ひ給へ」とて、王を負(おひ)奉り、さてかゝる時のために用意(ようい・コゝロガマエ)しおける浮橋(うきはし)を出して、いとやすく後(うしろ)なる沼(ぬま)をうち越(こえ)にけり。

さて道をば山陰(かげ)の八十隅(やそくま)にさして行(ゆ)く。

かゝる術(てだて)は寄人(よせて)の兵(いくさ)にしらざりしかば、後(うしろ)より追(お)ひ来る人もあらず。

王(おほきみ)行(ゆき)なづみ給ひしほどに、軍兵等かはる%\負(おひ)奉りて、その日の夕つがた伊吹(いぶき)山の麓(ふもと)に到る。

人皆疲(つか)れたれば物(もの)食(くは・タウベ)んとて、あやしき家にいりて、米(ヨネ)を買ひ塩(しほ)を買いて、先粥(かゆ)を煎(に)て食(たうぶ)るに、「酒(さけ)やある」と問(と)へば、あやしき老女(をば)が「濁酒(にごりざけ・ニゴレルサケ)こそはべれ」といふ。

「酒肴(さかな)は」といへば、「何もあらず。

此処(こゝ)は山の猟夫(りやうし・サツヲ)のみ住(すむ)あたりにて、大野(おほの)の原(はら)ははべれども、辛菜(からな)一房(ひとふさ)つくり植(うゆ)べしともせず。

此老女(をば)が聟(むこ)の候が、これも彼(かの)猟夫にて候。

昼(ひる)は林(はやし)にまじりて鳥をとり、夜は山に入て獣(けもの)を射(い)とり候。

又此山の上にひさしくおはします、山の猟夫(りやうし・サチヲ)のおほきみのおはすが、あまたの猟夫をめしかゝへ、大(おほき)なる城(しろ)をかまへ、富栄(とみさか)えておはします。

山深き所なれば、国(くに)の守(かみ)もしろしめさず。

貢(みつぎ)などもせず。

又何の役(やく・エタス)もはべらず。

いとゆたけき王(おほきみ)なり。

御名は白猪(しらゐ)と申なり。

此老女(をば)が聟(むこ)もすなはち御家人(おんいへびと)にて候故(ゆゑ)に、をり/\はめされて王の御用(ごよう・オンエタス)は承るなり。

此夜(こよひ)もし御もとに参りけるにや。

又山の猟(りやう・サチ)に出てや侍る。

又老婆が娘(むすめ)の侍(はべ)るは、王の姫(ひめ)の此頃煩(わずら)ひ給ふに、御伽(おんとぎ)にめされて候へば、今夜(こよひ・コ)此(この)老婆(をば)一人ありて何の御()饗応(もてなし・オンアヘ)も候はず。

いかにせん」と申間(はし)に、軒(のき)ちかき山道を下(お)り来(く)る人ありて、「[鼠+吾]鼠(むさゝび)は梢(こずゑ)もとむとあしひきの山の猟夫(さつを)にあひにけるかも」といふ哥をうたひ、弭(はづ)いと短(みじ)かき弓に猟箭(さつや)握(にぎ)りそへて、栲(たへ)の衣(ころも)に栲(たへ)の脚帯(あゆひ)し、枯(かれ)たる草の葉(は)を頭巾(づきん・カブリ)にして、家(いへ)の戸(と)をば脚(あし)もて押(おし)ひらき、濁(だみ)たる声(こゑ)して、「老婆子(をばご)、待(まち)給ひつらん。

今夜(こよひ)は山風さわぐに、鹿(しか)も猪(しゝ)も兎(うさぎ)らも驚(おどろ)きはしりて、二三度(にさんど・フタワタリミワタリ)射(い)たがへてはべるに、惜(を)しき征箭(そや)をうしなひつる。

此[鼠+吾]鼠(むさゝび)がとられたるに、まづ山の神をいはひてかへりぬ」といひつゝ、武士(ものゝふ)の多(おほ)くいり居(ゐ)つるを見返(みかへ)し、又上坐(じようざ・カミクラ)におはします君をあやしげにうちまもりて、「老婆子、是は何方よりの賓客(おんきやく・マラウド)ぞや」。

「是は先(さい)つがた此山道を踏(ふみ)たがへて来り給ふ人々なり。

いと飢(うゑ)たまふとて、銭(ぜに)を出して米を買(か)ひ、粥(かゆ)煮(に)させてめすなり。

酒は濁酒(にごりざけ・クロキ)をうりて候に、酒肴(さかな)はと問(と)ひ給ふにつきて、老婆(をば)がとはずがたり聞え奉りてをれり」といふ。

聟(むこ)聞(きゝ)て、「酒肴は此[鼠+吾]鼠(むさゝび)に過たるはあらじ。

いでまゐらせん」とて、皮(かは)をさか剥(はぎ)にして、乾鳥(ほしどり)のごとくあぶり立て、土器(かはらけ)にもりてさし出し、「さて賓客達(おんきやくだち)は軍兵(いくさびと)達な。

いたく血(ち)のつきたるもおはす。

さは軍(いくさ)にうちまけて、山に隠(かく)れんとてぞまぎれ来たり給ふならん。

今老婆(をば)がとはず語(がた)りきこえたりとあれば、定て委細(いさい・ツバラニ)きゝ給ふならん。

我(わが)王は猟夫(りやうし・サツヲ)の王にておはすれど、かゝる人々をばほしがりたまふに、たとへうしろめたく逃来(にげきた)り給ふにもあれ、是ほどのうちには、それは王の御眼(め)にためしたまひて、つよき人をば武士にし、よわき人をば猟夫(りやうし)にして、分相応(それ%\に・オフナ/\)つかひ給はん。

さいへばおのれは猟夫なればよわきものなりとおぼさんが、これみたまへ。

此腕(このかいな)のふくらかなる、この脚(あし)のふときを」などいひほこりてやまず。

老婆(をば)がいはく、「今聟(むこ)がきこえ奉るさまなり。

もし山にかくれんとおぼさば、此聟にしるべさせて、王のもとにおはして、御身のうへをなげきたまへ」といふに、押勝おもひめぐらすむねあれば、「よくこそをしへたまへる。

さらば御しるべたのみ参らせん」といへば、聟きゝて、「山はふもとをめぐりて行く道は平坂(ひらさか)にはべれど、そこを過ては林木原(しもとばら)いと深く、石群(いはむら)こゞしく立かさなり、谷(たに)をわたり岨(そは)をつたひ、打橋(うちはし)をわたり石橋をふみて、雲霧(くもきり)を千(ち)わきに別(わき)て、辛苦(からう)してのぼる道なれば、月はよくてらして侍れど、木群茂(こむらしげ)く立さかえたれば、荒雄(あらしを)とへどいきなづみてさむらふ。

武士(ものゝふ)だちはいかにもし給はんが、女びたる貴人(あてびと)のいかにおはしまさん」といへば、老婆(をば)聞(きゝ)て、「しからば銭を出して、此林(はやし)の彼方(かなた)によき牛(うし)持(も)たる猟夫(りやうし)のはべる、その牛をやとひて、貴人(あてびと)をば乗(の)せ奉らむ。

そのうへにも銭惜(を)しみたまはずは、其子牛のはべるをもやとひてまゐらせん。

又続松(ついまつ)などもなくてはあらじ」と、慇懃(ねんごろ・ネモゴロ)にきこゆるに、「何かさる事を惜(を)しみはべらん。

今夜(こよひ)のうちにそのおほきみのもとに参りつかん。

さらば牛二つやといひて給へ」とて、銭一貫(いつくはん・ヒトツラ)を出せば、「これは過たり」とて、只銭三百(さんびやく・ミホ)をとりて、あまれるをばかへすを、種々(しゆ%\・クサ%\)にいひことわりて老婆(をば)にやりたり。

さて老婆が行て牛二つをひかせ、継松(たいまつ・ツイマツ)どもゝいと多く持(も)て来(き)て、牛にとりつけなどす。

王は御身のいと軽(かろ)くおはすに、子牛(こうし)の背(せ)に衣(ころも)をうち鋪(しき)などしてのせ奉り、押勝は身のおもければ親牛に乗(の)り、聟(むこ)は継松(たいまつ・ツイマツ)を提(さげ)て前(さき)に立、軍兵はうちつゞきて彼(かの)いひつる山道にかゝるに、聞つるはいとやすく、かく行(ゆか)むにはいと難(かた)くもあるかな。

六月廿日(みなずきはつか)ばかりの月は、山のはにさしのぼりたるに、みじかき夜の頃(ころ)なれば、いといたく更ぬるにや、涼しき風吹渡りて、笹のくまび鳴さやぎ、谷の水音はるかにきこゆともへば、めぐりくだりては石橋をわたり、峯(みね)の松風は雲井(くも)にとおもへば、めぐりのぼりては木(こ)の根(ね)にとりすがり、独梁(まろばし・ヒトツマシ)などのうちわたせるをば、牛よりかきおろし奉りて御手をひきて殆(あやうげ・ホド/\)にわたり、岩根(いはね)はひ出たる所をば、軍兵ども負(お)ひ奉りて行に、暁(あかつき)ちかくなるにやあらん、森(もり)の烏(からす)飛(とび)わたりて鳴(な)く声(こゑ)するに、山の蝉なども起出(おきいで)て鳴なり。

雰(きり)深(ふか)くこめていづこともわかぬに、聟(むこ)が継松(たい)をうち消(けち)て、「参りつきぬ」といふ。

さてみれば、雲のすきかげに楼(たかどの)めく家もはべり。

石垣(いしがき・イハガキ)うちたゝみたるうへに高垣(たかゞき)しわたし、弩(おほゆみ)、抛(いしはじき)ざまのそなへもしおけり。

かく人の登(のぼ)り来(き)けるを告(つぐ)るにやあらむ、時守(ときもり)とおぼしき人の楼(たかどの)より見おろして、鼓(つゞみ)のいと大きなるをいとはやめてうち鳴らしたれば、鉾(ほこ)をさゝげ鐺(やまたづ)を振(ふり)あげたる人の、いくたりも出来て、「何(いづれ)の人々ののぼりたるにや」と問(と)ふ。

聟(むこ)こたへて、「是(これ)はおのれが役(やく・エタス)なり。

よき人等を案内(あんない・シルベ)して参れり。

おほきみにとく申たまへ」といへば、「朝霧(あさぎり)のまがひに汝(なんじ)をば見出ざりし。

聟(むこ)の胡(えみし)か/\」といひて、其儘(そのまゝ)門をひらきて、「賓客達(まらうどたち)まづこなたへ」といふ。

押勝(おしかつ)まづ牛よりおり、おほきみをいだきおろし奉り、皺(しわ)びたる御衣(おんころも)かいつくろい、御冠(おんかんむり)をめさせ、礼(いや)正(たゞ)しくしてつかうまつり居(を)るに、鹿(しか)の皮(かは)を袴(はかま)にしたる男の、礼(いや)正(たゞ)しくてひとりふたり出むかひつゝ、「此方(こなた)へ」と申す。

押勝おほきみに伴(ともな)ひ奉り、軍兵ども後(しり)につきてまゐるに、猟夫(りやうし)のおほきみにやあらん、黒き木の皮(かは)もて作(つく)れる冠(かんむり)を着(き)、麻(あさ)もて織(おり)たる袍(うへのきぬ)のいと黒染(そめ)たるを着(き)、袴(はかま)は狭青(さあお)なる麻にて、手にては扇(あふぎ)を持て、板敷(いたじき)の下にはひ出たるを、押勝はやくみれば、稚(をさな)くてわかれつる兄(あに)の豊成(とよなり)にたがはず。

こはいかにとおもえど、豊成は三十年以前(さんじうねんいぜん・ミソトセノサキ)に、難波(なには)の海(うみ)に落(おち)て死(しに)ける物をとおもひつゝ、うちまもるにすこしもたがはざれば、「かくさむらふは恵美(ゑみ)の押勝(おしかつ)なり。

上坐(じやうざ・カミクラ)におはしますが太子道祖王(みちのおんのおほきみ)にておはします。

そこは我兄(わがあに)の豊成(とよなり)にてやおはす」といへば、あるじは礼儀(いや)も打忘れ起(おき)あがり、押勝が面(おもて)をみて、「君はいまだ生(うま・あ)れまさゞりしかば、面(おも)しり奉らず。

汝いまだ総角(あげまき)にてはべるときなれど、冠(かうぶり)しつる面(おも)ざしもかはらず。

是はいかなる事ぞ。

都の人のつてとてはなけれど、ほのかにいひわたるを聞つる。

藤原仲麻呂(なかまろ)こそ天皇の御寵愛(ごてうあい)あつく、位(くらゐ)は大保(たいほう)<大臣也>に任(にんぜ・マケ)られ、又家(いへ)は大職冠(たいしよくくはん)よりこのかた、国(くに)をたすけてあしき人をばとり押(おさ)へ、軍にはうち勝(かつ)の功(かう・イサホシ)ありとて、藤原恵美押勝とたまひ、そのうへ御寵愛のあまり、一位を授(さづ)け大師(だいし)に任(にん)じ給ふ<大政大臣也>となん。

さる事の後はきかざりしに、いかにしてかく太子の御共つかふまつりて、山のかくれにはまよい来つる。

おもひかけず」とてうち驚(おどろ)くに、押勝如此(しか)じかのよしを語りをはり、さて

「我兄(わがせ)の翁(おきな)は難波(なには)の海(うみ)におぼれうせ給ひぬとうけ給はりしに、いかにしてかかゝる御ありさまには候なり」といえば、老翁(をぢ)涙をおさへて、「汝はかく窶(おちぶれ・ハフレ)たれども功勲(こうくん・イサホシ)あり。

我は功(こう)もなく給侍(みやづかへ)もなくて、かく山ごもりの老翁(をぢ)となり降(さが・クダ)りたるに、弟(おとうと)の汝にも面伏(おもてぶせ)なる。

さても往事(すぎしこと)をかたるべし。

御前をばかしこみ奉れども、始(はじめ)よりとりて終(をはり)まできこえ奉らん。

既(すで)に三十年ばかりのむかし也。

おのれいとわかくて侍(はべり)けるとき、公(おほやけ)の事につきて難波(なには)に参りてさむらひけるに、公のことはてず、春秋をとゞまりはべりし間、住吉(すみのえ)の少婦(をとめ)といふ遊女(ゆうじよ・サブルコ)に馴(なれ)て侍(はべ)りしに、多くの財宝(たから)をうしなひ、人を欺(あざむ)き世(よ)の掟(おきて)をそむきてさむらひけるにより、ある夜ひそかにその少婦(をとめ)と心をあはせ盗(ぬす)み出たるに、この事世(よ)にもれきこえん事を恐(おそれ・カシコミ)、浦人(うらびと)をかたらひ下部(しもべ)をかたらひ、豊成(とよなり)難波(なには)の海(うみ)に船(ふね)を浮(うけ)て酒たうべてはべりかるが、あやまちて海にいりぬと申ながし、さてその少婦(をとめ)を将(ゐ)て、しばしのうちは滋賀(しが)の里(さと)の領所(りやうしよ・シルトコロ)に隠(かく)れ、其後(そのゝち)為方(せんかた)なくなり降(さがり)たるによりて、此山の猟夫(りやうし)となりしが、いつとなくかく成りあがりて候に、その少婦(をとめ)も相(あひ)不離(はなれず・サカラズ)、今はひとりの娘(むすめ)をさへまうけて候につきては、天下(てんか・アメガシタ)もしさわがしくならば、ふたゝび蘇生(よみがへり)たるおもひにて、君をたすけ奉り、民をめぐみつかふまつりて、伏せたる面(おもて)を世にあげんずとおもひて、さる心得ある人とみれば、野伏(のぶし)山伏のものをめし入て、応分(ぶんにおふじ・おふな/\)めしつかひて候に、今は我(われ)を王(おほきみ)と称(しやうし・タゝヘ)てかしづき聞ゆる人千人(せんにん・チタリ)にこえぬ。

さてかく山もりの老夫(をぢ)にははべれど、兵器(へいき・イクサノソナヘ)はもつとも多(おほ)くたくはへ持(もて)り。

又麁栲(あらたへ)にこそあれ、かく縫(ぬ)ひしたてさせて、むかしのすがたをやつし待らず。

さるをかくおもひかけず太子(たいし・ヒツギノミコ)のおはしましたる、ならびに汝(なんぢ)が参りたるも、遠(とほ)つ神祖(かんおや)の捨(すて)給はぬなり」とて、天(てん・アメ)にあふぎ地(ち・ツチ)にふして悦(よろこ)ぶ事更(さら)にやまず。

「娘(むすめ)は此ほどわづらひて候に、髪(かみ)もたがねざれば恐(おそれ・カシコミ)あり。

妻(つま)の老母(おば)は御目賜(たまはる)はるべし」とて、「是(これ)へ」ときこゆるに、装束(しやうぞく・ヨソヒ)ども礼儀(いや)正しくかいつくろひて出ぬ。

王始終(はじめをは)りきこしめして、「いと珍(めづら)かかなり。

我(わが)舎人(とねり)豊丸(とよまろ)・角(つの)丸二人は、兄皇子(みこ)塩焼王(しほやきのおほきみ)ならびに我(わが)道祖(みちのおん)の名を告(のり)て、骸(かばね)を残(のこ)してあざむきしかば、我又しばし世をかくれすまはむ。

今より豊成(とよなり)を頼(たの)みきこえむ」とのたまひければ、豊成かしこまりを申。

さて

「此老夫(をぢ)が豊成の名は深(ふか)くかくして候に、是(これ)をしりたるは唯(たゞ)妻(つま)と娘のみなり。

君にも又白猪老夫(しらゐのをぢ)とよびくだし給ふべし。

さて御饗応(おんもてなし)仕らんにもかゝる山住(ずみ)なり。

只猟夫(りやうし)どもがとりもてきつる鳥獣(とりけもの)のみなり」とて、みづから高架(たかくら)の上(うへ)にをしきをすゑて、王にたてまつる。

さて押勝には足(あし)つきたる折敷(をしき)をすゑ、次(つぎ)なるはみなひくゝして置並(おきなみ)たり。

御土器(おんかはらけ)のうちには山鳥(やまどり)、山鳩(ばと)、雉子(きじ・キゞシ)、兎(うさぎ)、狢(むじな・ウジナ)、山羊(かもしか・カマシゝ)やうの肉(み・シゝ)をもり、菜(さい・ナ)は百合(ゆり)、筍(たけのこ・タカウナ)、葛(くず)、薯蕷(やまついも)などをもりたり。

御酒(みき)は清酒(すみざけ・シロキ)と濁酒(にごりざけ・クロキ)にて、酒肴(さかな)は乾鳥(ほしどり)、沢蟹(さはがに)、防風(ぼうふう・ハマニガナ)を虎杖(いたどり・タチビ)の酢(す)にひたしなどし、山桃(やまもゝ)、毛桃(けもゝ)、覆盆子(いちご)をもあやしき土器にもりて出せり。

王をはじめ奉りて、押勝より軍兵等にいたるまで、飲(のみ)をはり食終(くひをは)りて、日(ひ)も高(たか)くさしのぼるに、「昨夜(よべ)は夜通(よどほし・ヨワタシ)にいねまさでかゝる荒(あら)山をのぼりたまふに、いとつかれ給はん。

王をばしばししづまらせ奉らん。

押勝も軍兵等も先うちなびきたまへ」とて、とり%\そのかまへをなんしける。

本朝水滸伝巻之三終

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本朝水滸伝巻之四

第七条

豊成(とよなり)が娘(むすめ)狭霧姫(さぎりひめ)を道祖王(みちのおんのおほきみ)に奉る。押勝印(しるし・オシテ)を授(さづけ)て七人の物部(ものゝふ)を国々に出し自(みづから)東国(あづま)に下(くだ)る。

いとつかれ給ふに、よく睡(いね)たまひて、夕ぐれがたに御目(おんめ)覚(さめ)たり。

軍兵等(ぐんひやうら)もいたく疲(つか)れて、くるゝもしらず寝(いね)つ。

押勝はしばし寝(いね)て、只めづらしき心持(こゝち)するに、又も寝難(いねがて)にしければ、起(おき)出て兄(あに・セ)の翁(をぢ)が閨(ねや)にいりて、来(こ)し方(かた)の物語(ものがたり)す。

白猪(しらゐ)の翁(をぢ)問(と)ひて曰、「汝(なんじ・ナレ)をさなかりしとき、粟田朝臣真人(あはたのあそんまひと)が娘を家(いへ)の妻(つま)に喚(よぶ)べき契約(ちぎり)しけるが、いかにありける」。

押勝答へて、「さればなむ婚(よび)て候に、子まで生(うみ)てはべりしが、二年以前(ふたとせさき)母も子もなく成たるに、その後妻(つま)をよばず。

さるは此度(このたび)の軍(いくさ)にも心がゝりあらず。

舅(しうと)の家(いへ)は我(わが)騒動(さわぎ)によりていかにかはべりつらん。

されど朝臣(あそん)はうせ給ひて、家(いへ)の子(こ)なかりしかば、他(ひと)の子(こ)もらひて家(いへ)をゆづりたるに、罪(つみ)はすこし軽(かろ)かるべし。

その外は心がゝりなきさまに事を取治(とりをさ)めて後(のち)、三尾(みを)が崎(さき)にはこもりて候」と申に、老父(をぢ)はひとつ/\聞(きゝ)得(え)て、「そは能(よく)したまひつるかな」とて安堵(おちゐぬ)。

押勝兄の老父に向ひて、「我兄の老父に言(こと)のうはべなく問(と)ひ奉りたき旨(むね)あり。

老父(をぢ)のかく住(すま)せたまふ御ありさまは、{土+郭}(くるわ)を遶(めぐ)らし蔵町(くらまち)をかまへ、人(ひと)多(おほ)く集(あつめ)おかせ、牛(うし)多(おほ)く飼(かは)せ給ふ。

まことに此山の王のみならず、大国を領(りやうす・シラセ)る王なり。

いかに猟夫(かりうど・サツヲ)をめしかゝへおき給ひて、鳥獣(とりけもの)を市(いち)に売(うら)せ給ふとも、夫(それ・ソ)はいかばかりならん。

何(なに)の御徳(おんいきほひ)にか、かく富栄(とみさか)えましける」と問ふに、老父ほゝゑみて、「其(その)不審(ふしん・イブカリ)最(よし)あるかな。

うけ給はるごとく、山の猟(さち)いかばかりの事ならん。

此伊吹山は黄金(こがね)出る山にて、彼(かの)『陸奥山(みちのくやま)にこがね花咲(さ)く』とよめる所には勝(まさ)りたれど、むかしより人しらずはべるに、此山に猟(りやう)をして遠近(をちこち)さまよひありきしとき、不意(おもはず)その金の気(きざし)をしりて、一人二人の人をつかひてかの黄金(こがね)をほり出せしに、只泉(いづみ)の湧(わき)いづるがごとく、かき掃(はら)ふ草の生(お)ひいづるごとく、取れども穿(ほれ)ども絶(たえ)ざるによりて、先(まづ)三年ばかりは黄金(こがね)をとり貯(たくは)へ、そのほらせつる人をば事よくいひきかせて、まぢかき家人(いへびと)とし、又その穿(ほり)つる所は他(ひと)しるまじくあとをかくし、さてその威勢(いきほひ)をもて多(おほ)くの人をめしかゝへ、城(しろ・キ)もかく繞(めぐ)らして候。

かゝる事をしりつるものは僅(わづか)に十人あまりの人に過(すぎ)ず。

その外は只猟(りやう・さち)の業(わざ)をせさせて、是を役(やく・ヱタス)に申しつけて候に、人みな我を猟(さち)のおほきみと称(しやうし・タゝヘ)候。

此上にいかばかりの金も今にも堀(ほり)得(う)べきかまへしおけり。

もとよりかゝる山方(べ)に住(す)む山人(やまびと)なれば、心いとなほくはべるに、我かく冠(かんむり)装束(せうぞく・ヨソヒ)してはべるを見て、只何となく恐(おそ)れて候ほどに、都あたりに走出(はせいで)てこれを訴(うつた)へむとするものもなく、もとより恩(おん・メグミ)深(ふか)く加(くは)へおきて候へば、かくおほきみのしのびまさんにも、山の嵐(あらし)の吹かよふほかは、何方(いづべ)に洩(も)れ出(いで)んおそれも侍らず」と語(かた)れば、押勝、「さるにてぞいぶかしさは解(とけ)ぬ」といふ。

さて、刀自(とじ)も出て、是彼(これかれ)と都あたりの形状(ありさま)をとひ出て涙(なみだ)落(おと)しなどす。

娘は、今朝より作色(ほてり)のけなどもをこたりつるに、湯(ゆ)など浴(あみ)せ髪(かみ)など梳(すき)かへし、装束(よそひ)いとよくして、刀自押勝に引あはせたるに、みれば年のほどは二十(はたち)なりといふにはをさなびて、眉(まゆ)のさまよりはじめて面(おも)もちいはんかたなくとゝのひて、髪のながく引たるまでも、大宮のうちにときめける夫人(おほとじ)、妃(みあらめ)など申にも、かゝる容{白+ハ}(さまかたち)はおはさずとおぼゆ。

姫はかゝる山ぶところに生(お)ひたちて、都のてぶりは見ならふべくもあらねど、父母(ちゝはゝ)能(よく)をしへて生育(そだて・オヒタテ)ぬるに、よろづふつゝかならず、何心なくてうちいらふなども、かへりて馴(なれ)たるかたにはたちまさりてみゆるに、押勝、「名は何とかのたまふ」といへば、妻(つま)の刀自(とじ)うちゑまひて、「山の名を伊吹(いぶき)と申になぞらえへて、えにしあらば都にもはひ出て、神実(かんざね)うませよなどいはひはべるにつけて、天津狭霧(あまつさぎり)とよびて候」といらへば、翁も微笑(にこやか)にて、「今朝(けさ)なんかりそめにきこえしごとく、事あらば都へもとおもひ立て候に、かゝる荒山中(あらやまなか)には誰(たれ)をおしたのむ人もはべらず。

『よしかくて老(おひ)くだちね、事につけては打まぎらして、都にも出(いだ)し由縁(よし)あるかたをも頼(たのみ)奉らん。

かゝる山住(やまずみ)を苦(くる)しとなおぼしそ。

さる間(あひだ)は命のかぎりせまき袖にも養育(はぐゝみ)立ん』と、此母にも申きかせおきつ。

さて不意(おもはず)おほきみおはしまして、かくながら年月をおはすべきに、山川の神もよりて仕(つか)へまつるときなり。

此老父(をぢ)よろこびのあまり哥仕りたり。

押勝啓(まう)したまへ」とて、硯取出させてしるす。

 岩根踏(ふみ)み来(こ)し君なればつぬさはふ岩が根まくらゆるしてんやは

と、いとめでたく書つけたり。

押勝うちよろこびて、「君もかく頼みきこえ給ふに、雲霧(くもきり)のよそにかいまぎるゝ御憑(たより・ヨスガ)もおはさねば、これさへ神の引あはせたまふならん」と愛(めで)て、御目のさめおはすに、かいおこし奉り、御頭洗(ゆする)など奉り終りて、「今こそは我姪(めい)にて候狭霧姫(さぎりひめ)なるが、御側(かたへ)つかふまつらせたく、あるじの老人どもがうちなげきて侍るを、委細(いさい・ツバラ)にうけ給はりはてゝ候に、兄の老父哥つかふまつりたり。

御けしき侍る御こたへを給はりて候はゞ、あるじらも日比(ひごろ)おもふ事のかず/\かなひはべらん心持(こゝち)すべくおもひたまへらるゝ」とて、即哥奉りければ、「いと珍(めづ)らかなり」とのたまひて、「何事もえにしにこそ。

頓(とみ)にこたへてあるじの老人等(おいびとら)をなぐさめ侍らん」とて、御硯めされて、

  岩(いは)が根をまくだにあるをぬばたまの黒髪(くろかみ)しかば我うまいせん

と、いと貴(たふと・タカ)くかいつけて給はるに、押勝二人の老人にいたゞかせければ、「今はおもひあまれる事もはべらず。

姫も哥はこのみて折々いひ出ぬなれど、きく人とてはおのれら只ふたりにて、花にも月にもいひかはして候なり。

さる筋も物の御まぎれには」などいらへて、やがて姫に御土器(かはらけ)とらせてつかふまつらせける。

さて御夕食(おゆふげ)など奉りをはり、兵(つはもの)どもゝたうべをはりければ、今朝より老父が触(ふれ)きこえて侍るにぞ、山をはひのぼりて集(あつま)り来(きた)る兵ども、五百人(イホタリ)ばかり庭(には)にも木(こ)の間(ま)にもむれゐける。

押勝いとたのもしくおもひて、王にもかくと啓(まう)す。

老父押勝相ならびて左右(さゆう)に床几(しやうぎ・アグラ)をさしならべたるに、老父(をぢ)床几を押勝にゆづりて曰、「汝は弟なれど、既に位は一位をたまはり官は大師(たいし)に任(にんぜ)られたり。

おのれは大納言にもすゝまで、あまさへ官位を奉りかへしたれば、兄といへども左に居らんや。

今より汝を大将とし、我は副将軍(ふくしやうぐん・ソハルイクサギミ)たらん」といひ、礼(イヤ)をあつくし、我徒(ともがら)にもかく聞え並(なべ)、さていりて押勝と謀(はか)りて曰、「既にかくのごとし。

いと心やすくおぼせ。

めしつれたまへる兵のうち九人をば爰にとゞめ、七人の兵をえらみて、彼印をあたへて国々にめぐらしたまへ。

さは明白(あからさま)ならず名をかへ、すがたをやつして、道鏡をうたんずる心はべらん人をば誰にもあれかたらひきこえよと、いひ聞せたまへ」などさだして、彼是と撰(えらみ)出るに、押勝がいはく、「猟夫にこそあれ、昨夜(さくや・ヨベ)御しるべつかふまつりたる男は、功(イサホシ)のはじめある者といはん。

彼いづこにかはべる。

名は何とか」といへば、老父きゝて、「彼は東国(あづま)の夷(ゑびす)なり。

よて直(すぐ)に胡をもて名とし、即(すなはち)胡丸(ゑみしまろ)とよびて候。

彼(かれ)日頃(ひごろ)物語する事あり。

めし出してとはん」とて、「胡丸やまゐりてある」とよべば、いとだみたる大声(オホゴヱ)にて、「これにねまりて候」とて出つ。

さて「日頃きこえつる胡の棟梁(とうりやう・ツカサ)カムイボンデントビラはいかに」と問ふに、胡丸こたへて曰、「さればそのトビカラは夷の王なり。

印たまはりてめさば、よろこびて御軍につかふまつらん」。

押勝聞て、「夷の常(つね)の形勢(ありさま)はいかなるものぞや」。

胡丸かたりて曰、「そも胡(えびす)と申すは、男女交り居てちゝ母の分別(わかち)なく、冬となれば穴に住み、夏となれば木末に住み、寒ければ毛をしき皮衣(かはごろも)を着(き)、暑(あつ)ければ肌(はだ)につけず。

山にのぼる事は飛鳥(とぶとり)のごとく、草にかくるゝ事は走(はし)る獣(けもの)のごとし。

恩をうけてはよく報(むく)ひ、怨(うらみ)をかうぶりてはあしくむくふ。

矢(や)は頭髻(たぶさ・タギブサ)にをさめ、刀(かたな)は衣(ころも)の内(うち)に佩(はき)、あるは同族(やから)をあつめてさかひをおかし、或(あるひ)は従弟(いとこ)を将(ひきゐ)て業(ぎやう)をかすめ、うてば草にかくれ、追へば山に入る。

さるはいにしへ倭建尊(やまとだけのみこと)陸奥(みちのく)に天降(あまくだり)ませしとき、御徳(おんいきほひ)には平伏(したがひ)奉れど、時代(ときよ)経(へ)て候に、今は貢(みつぎ)仕る民(たみ)にはべらず。

しかれどもよき大将をむけられてはべらば、倭建尊の御例(おんためし)も候なり」と申す。

老父(をぢ)きゝて、「むかしより、東壮士(あづまをとこ)はかへりみせずと、哥にもうたひつれ。

胡(えみし)よくをしへて侍らば、軍の先鋒(さきて)仕まつらせんは此夷等(ゑびすら)に過ず。

老父かくてつかふまつれば御うしろやすからんに、これは押勝うけひきて、「おのれ、さらばみづからむかはん」とさだめ、又軍兵の中より七人の兵をめして、七所(なゝところ)にゆかはすべき評議(ひやうぎ・ハカリ)す。

「先、書直知徳(ふみのあたひとものり)は、日本(やまと)異国(ことくに)の学(まな)びにとみて、哥は詩(からうた)も作(よみ)出はべるに、面(おもて)をかへ才(さい・カド)をかくして都わたりにしのばせておきて、都のありさまをうかゞひとらせん。

道首口足(みちのおうとくたる)は、物よくいひとりて、言は漢語(からこと)をさへ弁(わきま)へたり。

もとより人心の薄(うす)き厚(あつ)き、直(なほ)なるまがれる、只一度(ひとわたり)見て暁(さと)ししるものなり。

彼(かれ)は伊勢(いせ)・紀伊(き)の国にしのばせん。

又高橋朝臣手力(たかはしのあそんたぢから)は、威勢(いきほひ)他(ひと)にまさりて欺(あざむき)をいれず。

彼(かれ)は武蔵(むさし)・毛(け)の国にさむらはせん。

又和尓部真太刀(わにべのまだち)は、太刀撃(たちかき)の術(わざ)にすぐれ、我とおもひあがらんをばうち伐(き)り、またその気(きざし)いとはやくて、心の裏(うち・クマ)を直(すぐ・ナホ)にみとる物なれば、北国にさむらはせん。

かならず高ぶる人をばおさへ、たくみかまへん人をもしるべし。

三田首奇丸(みたのおうとくしまろ)は、種々(しゆ%\・クサ%\)の術(じゆつ・ワザ)をしりて、もゆる火をとりて袋(ふくろ)にいれ、山をもまのあたりうちなびかせなどするに、さる術をもて人をいれんは常陸(ひたち)・陸奥(みちのく)・総(ふさ)の国ぞよからん。

又布勢臣古丸(ふせのおんふるまろ)は、心はなやがず、うちしづめて始終(はじめをはり)をしめ知るべき物なり。

これは筑紫(つくし)の国にしのばせん。

神麻舎人(かんあさのとねり)は、神言(こと)よくわきまへて、人の慎(つゝし)みをしゆべきものなり。

是は吉備(きび)・出雲(いづも)の方につかはさん。

又忌部宿祢海道(いんべのすくねうなぢ)は、よく汐合(しほあひ)の事をしり、天地(あめつち)の気(きざし)をも考(かうが)へ馴(なれ)たり。

彼(かれ)は阿波(あは)・土佐(とさ)の浜辺(はまべ)に居らせん。

さて我は、三人の兵を伴(ともな・アトモ)ひ、容(かたち)を深くやつし、胡丸を将(ゐ)て、あすなん東国(あずま)にくだるべし」と定めて、とり%\にいひはからひける。

あかつきがたになりて、夜霧(よぎり)いまだ梢(こずゑ)にのこり、月も入がたにはべる頃、押勝をはじめ兵ども、かのやつしたる旅装束(よそひ)するに、おほきみ押勝に御土器(かはらけ)をたまひて、 岩木なす夷なりとも言(こと)とひてことむけすべき男とぞおもふ

「はやくかへりこね」とのたまはし、御衣たまはり、ならびに御冠をたばひ、「夷もしそむかば、汝我にかはりて神御代(かんみよ)のをしへせよ」とのたまはするに、押勝かしこみ奉りて、こたへ奉る哥にいはく、 さしのぼるひつぎの皇子(みこ)の御衣(みぞ)にしもふれん民草なびかざらめや

とつかまつり終り、七人の兵をも大まへにめし出て、慇懃(ねんごろ・ネモゴロ)に御目をたまはらせ、さて押勝ふところの印(いん・オシテ)を紙七枚(ナゝヒラ)におして、ひとり/\にあたへ、掟(おきて)よくいひをしへ、用意(カマヘ)すべき金(こがね)などは老父(おぢ)いと多く取出てあたへけるに、押勝、老父にも刀自(とじ)にも娘(むすめ)にも慇懃にきこえおきて、十人あまりの人うちつれてまかり出るに、「ふもとまでは」と、人々おくりす。

そのかへたる名、やつしたる姿は、後の物語にきこえわかん。

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第八条

和気真人清麻呂(わけのまつときよまろ)勅(みことのり)をうけて宇佐八幡(うさはちまん)大神宮に詣づ。詣をはりて帰るさに巨勢(こせの)金麻呂を問(とふ)。

太宰府(だざいふ)の阿曽麻呂(あそまろ)奏(そう)していはく、「此程宇佐の御宮居鳴(なり)とよめき、風雨つねならずはべるまゝに、神祭(かんまつり)せさせて神の御心をうかゞひ奉りけるに、忌部千騎(いんべのちのり)に神懸(かゝ)りて示教(をしへ)たまはく、太子太炊(おほいの)王は、おひたゝせたまふときに及びて、天皇にそむかせたまふ御気(きざし)なん出来(いでこ)べし。

御位は唯(たゞ)弓削道鏡にゆづりおはしまさんは、正(まさ)に此神の御意(おんこゝろ)なり」と奏し奉りをはるに、天皇かしこみきこしめして、「道鏡はすでに法皇なり。

天下の政(まつりごと)は任(まかせ・マケ)まゐらすといへども、天位(てんゐ)の事は私ならず。

されど大神の教へ給ふことを、いかゞうけひき奉らざらん。

とにもかくにも使(つかひ)を奉りて、直(なほ)に神の御教(をしへ)をかうぶり奉らん。

然るうへは何ぞ私(わたくし)のはからひをくはへん」

と告(のり)なめて、すなはち和気真人清麻呂をめされ、宇佐の御使仕ふまつるべきよしをのたまひくだす。

清麻呂勅をかしこまり奉り退出(まかりいで)んとするを、道鏡側(かたへ)にさしまねき、人をしぞけて申けるは、「御使のむねはかしこまりたりな。

さて御使つかふまつりはてゝ、帰りのぼりて奏さんときは、汝が心をもて奏し奉るべし。

ときに我天位をうけ嗣(つぎ)なば、汝をば大臣となして国の政をとらせん。

さなくばいとおもき罪(つみ)におとすべし。

清麻呂よく聞得(きゝえ)たりや」とて、いきざしあらくうち白眼(にらみ・ニラマヘ)けるに、清麻呂たゞうずくまりて退(しぞ)く。

御使とあるに、それつかふまつる諸司(つかさ/\)うけ給はりつきて、さきをはらひうしろをまもり、直(ナホ)に南の御門(ミカド)より出て、日没国(にしのくに・ヒノイルクニ)をさしてまかん出ける。

その事其よそひどもにいたりては、品殊におほからめど、爰にかいつけんはくだ/\しかるべし。

清麻呂いとかしこき御使をかうぶり、たゞ心を明(あかく)し身をきよくし、妻(つま)をおもはず子をおもはず、家をおもひ国民(くにたみ)をおもひ、ひとへに御神の大御心(おほみこゝろ)に任(まかせ)たてまつりて、海をば船よりゆき、川をば橋よりゆき、山をば馬よりゆき、野をば車よりゆき、ゆきとゆくに十九日(トホマリコゝノカ)といふを経て、八月十五日(ハヅキモチノヒ)のあかつき宇佐(うさ)につく。

清丸身潅(みそぎ)をつかふまつり終り、冠をあらため装束(せうぞく・ヨソヒ)をあらため、辰のときに御宮居にのぼりて、御使のむねを大神宮に告(の)り奉り、みづから太諄辞(ふとのりとごと)を告(のり)奉り、神祭はじめてより更に大神の御まへを退(しりぞ)かず、一心(コゝロヒトツ)に霊験(れいげん・オンシルシ)を祈り奉りけるに、その夜丑ばかりに風雨(アメカゼ)さわぎ出て、神鳴とよめき、雲雰たち乱(まよひ)て、御燈(みあかし)はひとつもあらず吹消(ふきけ)され、唯(たゞ)常闇(とこやみ)の夜となりてはべるに、奥(おく)つ神殿(かんとの)鳴ひゞきて、黒き雲のうちに光りをはなち、いかれる龍(りやう・タツ)のかたち廿丈(ハタツヱ)あまり、五百筒岩(いほついは)のごとく渦巻(うづまき)あがり、栲縄(たくなは)のごとく巻(まき)ほごれて、口よりかをり満(みて)る狭霧(さぎり)を吐出して、神告(かんのり)にのりてのたまはく、「阿曽麻呂あらぬ事を奏(まう)せり。

それ天(あま)つ日嗣(ひつぎ)は神実(かんざね)猶うけつがせたまふ。

私の事にあらず。

いかに況(いはん)やすぢなきものをや。

汝道鏡をかしこまず、告(のり)のまに/\告りきこえ申せ」とのたまふとおもふに、雲雰吹はらひ神鳴やみて、月又広前(ひろまへ)のうへに照りしきぬ。

清丸神勅(しんちよく・カンゴト)をうけて、賽(かへりまうし)し、直(すぐ)に十六日のあかつき、「此度(コノタビ)は海路(うなぢ)をかへらん」といひて、豊前(ぶぜん・トヨサキ)の海をわたり石見の海を過、阿波の海路をとほらんとする時、浪風いと高くなるに、横さまにおひとほりて、辛苦(からう)して紀伊(き)の浦につく。

日は只(たゞ)七日を経(へ)たり。

さて紀伊の山を越て、巨勢(こせ)のさとに旅(たび)の御館(みたち)をまうけさせてやどる。

清麻呂我家人(イエビト)を招(まね)きてひそかに申けるは、「此さとに巨勢金麻呂(こせのかなまろ)かすかにしてかくれすむべし。

我直(じき・タゞ)にあひて語(かた)らふべきむねあり。

汝いきてまづ宿(やどり)をとひ得てかへるべし」といふに、私用(しやう・ワタクシゴト)あるさまに他(ひと)にはいひて、その御館(みたち)を出てとひもとむるに、巨勢金麻呂が住所(すみどころ)をとひあてぬれば、門のさまなどよく見おきて、御館にかへりてひそかにかくと申すに、清麻呂うちよろこびて、人しるまじき裏(うら)の門辺(かどべ)より出て、その家人一人を伴(ともな)ひ、金麻呂が宿をとひつゝ、まづその門方(かどべ)をみれば、幾(いく)とせかき掃(はら)はざりけん、門辺ともみえず、秋の草高く生(お)ひてはべるに、むしろいろ/\に鳴つくして、露深く置みだれたるに、月の影のみぞ訪(と)ひよる心あり。

家人先(さき)に立て標(しめ)ゆひつる地錦葎(つたむぐら)をかきのけ、草葉の露うちはらひなどして、門はひらくともなく、高垣(たかゞき)の崩(くづ)れたりしを踏分(ふみわけ)ていれば、老婆(をば)の声にて、「誰(たそ)や。

盗人(ぬすびと)にやあらん。

住わびたる家にはふるき毛氈(もうせん・カモ)だもなし。

心やりには入りても見よかし」といふに、「こはさるあやしきものならず。

宇佐(うさ)の大御使(おほんつかひ)にまかりくだりてはべるなへに、ひそかに訪(と)ひ奉るなる。

かくきこえ奉るは和気清麻呂なり」

と申せば、老婆聞て、「こはおもひかけね。

我老父(をぢ)起(おき)たまへ」

とて打驚(うちおどろか)してかくといへば、「いと/\珍(めづ)らかなり。

此方(こなた)へ」といふさへ奥床(おくとこ)もあらず。

人二人とならび居(を)るべき席(むしろ)もなければ、清麻呂家人にむかひて、「道のしるべよくしりぬ。

この翁と物語らひはべらんには時もうつりぬべし。

汝は旅館(たち)にかへりてうらの門をひらきおきて待べし。

我一人かへりいなん」とてかへしぬ。

さて外床(とつとこ)にうちあがりて、臥具(ぐはぐ・ヨルノモノ)などうち畳(たゝ)むあひだ、とばかり庭(にわ)のべを見出たるに、門辺よりみいれたるは中々にうちまさりたり。

松のあるはいと高くなり、荻(おぎ)の生ひたるは軒(のき)をかくし、黒木(くろぎ)の庇(ひさし)の落(おち)かゝりたるには、何をか忘れはてんとて、その草のみ生ひ乱れたれば、清麻呂こゝろに、 萱草(わすれぐさ)垣もしみゝに生(お)ふときぞ世のこぢたきはわすらへぬめり

となんおもひ居(をり)たり。

老父(をじ)さしむかひて、「これは夢のごともあるかな。

妹もかく老婆(をば)になりてさむらふ。

やつがれ図書寮(づしよりやう・フンノツカサ)にさむらひける頃は、真人(まつと)もいとわかくおはしけるに、四十年(よそぢ)のとし月には互(たがひ)に雪霜のおきわたりてさむらふなり。

さてやつがれ眼瞽(めしひ)ぬべしと奏(そう)したて、官位(ツカサクラヰ)をかへし奉りてよりこのかた、硯(すゞり)をみず筆(ふで)をとらず、もとより世のわたらひもはべらぬうへに、心ざし又時の人にあはず。

かすかにのこりてはべるものなどは、人にゆづり米にかへなどして、かゝる弥重葎(やへむぐら)の露(つゆ)けき中に、朝(あした)の鳥夕の虫を友として、たづきなく住わびさむらふに、一人の子まうけて、名をば金石(かないは)とよびさむらふ。

ことし二十(はたち)まりにてあらけたる男にて候が、絵(ゑ)のことはおのづからさとし得て、よくつかまりさむらへども、我家より世に絵出すなどきこえありては、上(うへ)の御恐(おんおそれ・オホンカシコミ)侍るまゝ、米(こめ・ヨネ)など尽ていとかなしくはべるときは、我家ならぬ絵などを、それとなくして他国(たこく・ヒトノクニ)にもち出てかすかにうり候。

けふなん売(うり)にいきて候が、しばしおはさん間にはかへるべし。

又かれが姉のはべりしは、親をおもふあまりに身を住吉(すみのえ)にはふらかして候に、をり/\心ばかりの物をもおくりさむらいひしが、その後いづちともなく、ひとにつきて参りうせぬるよしなり。

又やつがれもをちこちに所をうつして候まゝに、たとへ問(と)ひかへりぬとも尋ねわびぬべし。

今又この里にすめば、人みな巨勢(こせ)の老父(おじ)とよびてさむらふ。

さて真人は宇佐の御使とありて、唯今くだり給ふにや。

宇佐へは紀伊(き)の道を通(とほ)りたまふべきにもあらず。

又かくやつしたまへるはいかに」と問ふに、清麻呂こたへて、「まことにかく隠(かく)れおはして人とまじらひたまはぬには、何事もしろしめさじ。

道鏡が騒(さわ)ぎ、押勝がみだれは聞給ひつらん」といへば、「さる事は天下にかくれなし。

されど委(くはしき)よしは洩(も)れきこゆべきすぢにもあらねど、人みな流言(およづれごと)をこそ申せ、たしかにかくとはきゝわたらず。

審(つばら)に語らせたまへ」といふに、清麻呂涙を拭(ノゴ)ひて、「誠に世の降(すゑ・クタチ)にこそ候へ。

はじめよりかたればかくのごとし。

終よりきこゆればさるさま也」とて、おちもなくかたり聞かせ、「さてたのみまゐれせたきむねは、やつがれ是より内裏(おほみや)にかへりのぼり、神の御告を明白(あからさま)に聞えあげ奉るべき也。

さるときは道鏡正に我を落とさん。

命は民くさのために奉れば、更に悔(くい)おもふ所なし。

只家亡びて妻子のまどひさまよひなんは、人としてかなしまざらんや。

おのれ勅をうけて直(すぐ)に内裏(オホミヤ)を退出(まかんで)しかば、かくいみじき御使なりといふ事は、妻子夢にもしらではべる。

是より又罪にくだらんも、かゝるゆゑといふ事をしるひとなければ、いかなる筋とも弁(わいだめ)ず、いとはかなくおもひわぶらん。

かゝること世の諂(へつら)ひある人には洩(も)らしがたし。

よて宇佐(うさ)よりまかり帰らんとしける時、神々を祈り船を紀伊(き)の浦につけしほどに、巨勢(こせ)の邑(さと)をやどりにせよと申付て、かくとひまゐりけるは、今さしあたりておもへるにあらず。

神を祈り得て候事にぞ」と語れば、老夫(をぢ)涙を落し、「うけたまはるごとく世の降(すゑ)にこそ候へ。

さてはかしこき御使をかうぶり給ふものかな。

定めて帰り奏させ給はゞ、道鏡いかりて御命に及ぶべき筋のなきにしも侍らず。

なにもあれ、かく老(おひ)かゞまりてははべれど、我子金石(かないは)はますらをにてさむらへば、いかばかりもはからひて、御心やすからん様には仕らん。

是は御湯(ゆ)も奉らず」など語らふはしに、金石米を負(おひ)て立かへるに、「よき時にこそ」とて先ひきあはせたれば、清麻呂礼儀(イヤ)正しくきこえて、なほ/\に頼み奉るよしを申す。

老父(をぢ)、清麻呂にむかひ、「彼見たまへ。

よき正男(ますらを)にて候。

糧(かて)尽(つき)たるに絵二三枚(フタヒラミヒラ)仕りて、住吉(すみのえ)の方に売にまゐりて候が、俵ひとつに致し負ひてかへりにき」とて含笑(ほゝゑむ)。

清麻呂ふところより金五十枚(イソヒラ)を出し、又さばかりの金を包(つゝ)みたるをも出し、「御物がたくおはしますはよくしりて候へども、金は世のたからにて候へば、人をたすけ事を説(と)き、志(こゝろざし)をとほらさんも是也。

此五十枚は米のかはりに奉る。

又包みたるは、おのれが妻子まどひありきはべらんとき、たすけ給はるべき用意になんあとらへ奉る」といへば、老父聞て、「おのれ見たまふごとく、親子の筆はすなはちこれ我所領(しようやう・シルトコロ)なり。

住居こそかくわびて候へ、命をたもたんばかりのことはいとやすくおぼえてさむらふに、まさかの御そなへとはべらんは承引(うけひく)べし。

外に五十枚の金を賜(たま)ひおかん筋ははべらず」とてかへせば、「さる事には侍れど、世の中いと騒(さわが)し。

おのれは金を天地(アメツチ)にさゝへて貯(たくは)ふとも、命きはまりたればよしなし。

只ひたすらにうけひきたまひおかば、いかなる世の御たねにも」といひて、わりなくまゐらせおきつゝ、夜もいたく更たるに、ねもころにたのみおきて、清麻呂はかへりにけり。

本朝水滸伝巻之四終

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本朝水滸伝巻之五

第九条

清麻呂神のをしへを奏すによりて道鏡につみらせる。巨勢金石清麻呂をたすく。并に金麻呂親子清麻呂もともに死す。

「和気清麻呂(わけのきよまろ)、宇佐の御使はてゝ帰りまうず」と奏するにより、天皇高御坐(たかみくら)を下(お)りさせたまひ、神の御教(をしへ)を聞(きこ)しめさる。

道鏡なほ法皇(ほうわう)の牀(ゆか)にありてともに聞居たり。

清麻呂奏して曰、「御使もて宇佐の大神に詣(まうで)、八月十五日の辰のとき大神に告(のり)奉りてはべるに、その夜丑ばかり風雨(あめかぜ)あらく雲霧(くもきり)立まどひて、いと闇(くら)き中より神の御形廿丈(ハタツエ)ばかりの龍(タツ)と現(アレ)まして、神告(かんのり)にのりてのたまはく、『阿曽丸あらぬ事を奏せり。

天津日嗣(あまつひつぎ)は神代より神胤(かんざね)なほうけつがせ給ふ。

私(わたくし)の事にあらず。

いかにいはんや筋なき者をや。

汝此告(つげ)のまに/\奏しあげよ』と告(つげ)終(をは)りたまふと覚はべりしに、雲霧はれ渡りて候。

神の御教如此(しか)じかのよしなり」と奏せば、天皇も御心の外にておぼしわび給ふ様(さま)なり。

道鏡は身をふるはし眼(まなこ)を明(あか)くし、面(おもて)青くし歯(は)を喫(かみ)鳴らし、大声(おほごゑ)に{勹+言}(の)りていはく、「しか奏すは神の御をしへにあらじ。

阿曽丸あに偽(いつはり)を奏(マウ)さんや。

汝が心をもて巧(たく)み構(かま)へて神の御心を穢(けが)すなり。

只今より汝が名を穢麻呂(けがれまろ)とかへん」と{勹+言}(のり)くだして、刑部省(ぎやうぶしやう・オサカベヅカサ)なる乙熊(おとくま)を招(まね)き、「此奴(くやつが)脚(あし)の筋(すぢ)を断(たち)きりて、大隅(おおすみ)に流(なが)しつかはすべし。

此まゝに冠を落しひこずり出せ」など、気色(けしき)あしくいひ懲(こら)し、又刑部省にさむらふ坂戸牛養(さかどのうしかひ)・石部大井戸(いしべのおほゐど)二人をもさひまねき、耳に告(つげ)て指(さし)つかはしける事あり。

さて牛養・大井戸、清丸が冠を落(おと)し装束(よそひ)を脱(ぬが)せ、穢麻呂(けがれまろ)とよびくだして、解部(ときべ)ざまの者立ふるまひ、袴(はかま)をぬがせ裔(すそ)をまきて、ふたつの脚を引はり、脚の屈(かゞ)める筋をきりはなてば、皮はつき破(やぶ)られて血(ち)いたくながれ、脚は蹇(なへ)て立ことあたはず。

清麻呂はもとより思ひ定て、命をありとせざれしかば、只なすがまゝに任(まかせ)てすこしも動(うご)かず。

さて清麻呂をばあやしき輿(こし)に昇乗(かいのせ)て、守部(もりべ)の官(つかさ)人うちかこみて、「歳麻呂」と札(ふだ)に書(かい)あらはし、坂戸牛養・石部大井戸前方(さきべ)後方(あとべ)をまもりて、大隅(おおすみ)をさして下(くだ)るに、その日龍田山(たつたやま)越(こえ)んとしけるとき、山風うちさわぎ雷鳴(かみな)りはためきて、日も暗(くら)くなりしかば、山のふもとに駅(うまや)にはあらで、家(いへ)むらのはべるに走寄(はせつき)、「今夜(こよひ)は先此所(こゝ)に」とてやどりを定む。

清麻呂をば輿(こし)より昇(かい)だし、いとちひさげなる一間(ひとま)の人居(ひとゐ)をはなれてはべる所にやすませ、牛養(うしかひ)・大井戸の二人は中の一間のはなれ屋(や)に入り、守部どもは下屋(したや)の方につかはして伏(ふ)させける。

雨いたく降(ふ)りつのりて神鳴(かみなり)やまず。

夜も漸々(やゝ)更(ふけ)渡るに、清麻呂は只心をひとつにして、宇佐の大神を祈(いの)り奉り居たり。

さてすこし寝付(ねつき)たりとおもふに、簀子(すのこ)をきり破る音し、やおら立ち入るものゝはべるに、「これは道鏡がいひ付て、我をひそかに殺(ころ)すなめり。

さるにても脚(あし)は蹇(なへ)たり。

太刀は佩(はか)ず。

此まゝに命を失(うしな)ふより外はなし」とおもひて、うごきもせであるを、枕(まくら)を掻(かき)さぐりなどし、さて耳にさしよりて、「我は巨勢金石(こせのかないは)なり。

父の金麻呂(かなまろ)申つけて、直(すぐ)に御あとをおひてえ都(みやこ)に出て候に、かゝる御ありさまを見奉り、かくしのびよりて候。

なほ盗み出し奉らん。

御脚かなふべからず。

我負(お)ひまゐらせて立のかん」といふに、是(これ)只(たゞ)大神(おほがみ)のしたまふなりと思ひ、かゝる御たすけ私(わたくし)ならずとおもふに、「御はからひにまかすべし」とて、金石におはるべうしけるが、「さもあれ牛養・大井戸の二人ぞはべる。

彼かならず道鏡がことばを承引(うけひき)て、今夜我を殺すべき気(きざし)みえたり。

此儘に立のきたらば、罪人にして掟(おきて)を犯(おか)し逃(にげ)たりとあらば、かへりて罪を設(まうく)るに似たり。

ことに我を負(お)ひて走(はし)りたまふとも、追(お)ひ来ん守部をいかに防(ふせ)ぎ給はん。

咎(とが)なきそこをも我たぐひに落(おと)し奉らんはいと苦(くる)し。

さは此まゝにて彼等(かれら)に殺(ころ)されたらんは、かへりて罪(つみ)なかるべし」といふに、「御ことわりは承りぬれど、守部のもの追(お)ひ来らんかまへは、父の金麻呂よく心得つかふまつりおこしたり」とて、何にかあらん立ふるまひて、清麻呂を肩(かた)に負かけ、戸をやおら引よせつゝ、裏(うら)のかたなる柴垣(しばがき)を押破(おしやぶ)りて、巨勢道(こせぢ)にかゝりて逃去(にげさり)にけり。

かゝるさわぎも雨風のつのりにまぎれて、守部どもゝきかざりけるに、牛養(うしかひ)・大井戸(おほゐど)しづかに起(おき)出て、脚をぬき息(いき)をとめ、燈(ひ)をほのかにして、清麻呂がふしゐたる形状(ありさま)をみれば、うすぎぬをうちかけて心よげに熟睡(うまゐ)せり。

さてうちさゝやきて、「牛養まづ彼が首をうつべし。

さて後簀子を破(やぶ)りて死骸(しがい)を此下に埋(うづ)み、守部(もりべ)どもには、彼(かれ)蹇(あしなへ)たりと人にみせて、風雨のまぎれに逃走(にげはし)りたり、といはせん。

さて首はひそかに包(つゝ)みて、討(うつ)たるしるしを道鏡へ見せ奉らん」と謀(はか)りて、しづかに立よるに、清麻呂は只(たゞ)鼾(いびき)も鳴(なら)さずして臥居(ふしゐ)たり。

牛養太刀をあげてうつに、首(くび)は飛(とび)はなれて胴体(からだ)はうごめき騒(さわ)ぐを、大井戸しかとおさへたるに、血(ち)は瀧(たき)のごとくながれ出て、見るがうちに面(おも)がはりぬれば、まづ簀子(すのこ)を切破(きりやぶ)り、衣(きぬ)などを押巻て血(ち)を拭(ぬぐひ)をさめ、脚(あし)もて骸(からだ)を踏落(ふみおと)して土(つち)をとりかけ、石を打かさねなどし、破れたる簀子を繕(つくろ)ひ、首をものに包(つゝ)みて、扨我寝たる一間にかへりて夜のあくるを待(まつ)に、風雨も小止(をやみ)て明しらむに、牛養・大井戸はやく起(おき)て、「守部(もりべ)ども穢麻呂を輿(こし)にかいのせよ」といふに、守部どもいきてみるに、清麻呂はあらず。

驚(おどろ)きさわぎてかくといえば、牛養・大井戸ともにあきれたる顔(かほ)して立ゆき、彼(かれ)あらざるをうたがはしく、「蹇(あしなへ)め、人をあざむきて逃(にげ)たるならん。

さなくは守部等(ら)心をあはせて落したるならん。

我々二人は直(すぐ)に都にかへりて、此むね法皇にきこえ奉らん。

汝等は我疑(うたが)ひをはるけんとおもはゞ、いかなる隈(くま)よりも穢麻呂(けがれまろ)をさがし出せ」といひて、二人は馬にうちのりて帰るに、守部どもおもひうたがひて、又立帰りて清麻呂が臥(ふし)たるあとをみれども、跡かたもなければ力及ばず、「さは尋(たづね)覓(もとめ)んより外なし」とて、道ををちこちにさしていきわかれぬ。

さて牛養・大井戸の二人は、清麻呂が首(くび)を抱(いだき)もちて、道鏡に申入ければ、「側(かたへ)にてあはん」と、人を避(さ)けて昨夜(よべ)のありさまを聞、「よくしたり」など称(ほめ)、衣裳(ころも)の袖より金(こがね)多(さは)に取出てあたふ。

牛養・大井戸いたく恭(いやま)ひ、「各斯(かく)仕終(しおふせ)たる證(しるし)なければ、穢麻呂が首はかくもちてさむらふ。

穢(けが)らひの恐(かしこ)みあれど、我々が心やりに候を」といへば、「穢らひ何かあらん。いでみん」といふに、包(つゝ)みをときほどきたるに首はなし。

「是(こ)は如何(いかに)。

只今これまで携(たづさ)へて参りつるに、大井戸いかにしたまひし」といへば、大井戸いかりて、「汝一人のほまれにせんとて、穢麻呂が首は討(うち)たるならずや。

さてこそ汝が物に包みて持(も)て来たれ。

我は手もふれず」といへば、彼包める帛(きぬ)を打かへしてみるに、人の面(おもて)画(かき)たる紙のうち皺(しは)びて出たるに、「是は何事ぞ」とてさわげば、道鏡大にいかり、「汝等我をあざむきて穢麻呂をたすけ、かゝる紙絵(かみゑ)を貯(たく)はへもて来て、禄をむさぼり収(をさめ)つるはいかに」といひざまに、太刀を抜(ぬき)て二人を眼前(まのあたり)に伐(き)り殺(ころ)し、「人参れ。

此穢(けが)らひ物を{臼+廾}(かい)出せ」とて、睨(にらみ)わたして奥深く入りぬ。

是は何事の行(おこな)ひにかとおもへど、恐(かしこ)み諂(へつ)らひてとりかたづけぬ。

さて守部どもは、多くの人を彼方此方(をちこち)にわけて、蹇男(あしなへをとこ)遠(とほ)くはいくまじとて、大和の山の隈辺(くまび)かいもとめ、巨勢路(こせぢ)をさして行くに日も暮(くれ)ぬ。

続松(ついまつ)打ふらせて猶行に、人ありて語るを聞けば、「巨勢金石(かないは)ぞ蹇を負(お)ひて家に帰りつる。

いかなる男にか」などいふに、守部ども、「さてこそあれ。

何にまれ金石がかくれがを囲(かこ)みて、金石ごめにめし縛(くゝれ)」などいひさわぎて、守部・解部三十人あまり、仕丁(じてう・ヨボロ)どもに続松(まつ)ともさせて、巨勢金麻呂がいほりを囲(かこ)み、「金石蹇を負ひてかへりしといふ。其蹇ぞ罪人なり。今只今見あらはさん」とて、柴垣(しばがき)を踏(ふみ)さき、門をうちはなして立入るに、人気(ひとげ)更になし。

戸をこぢはなちて続松(まつ)を照(て)らして内をみれば、今はかなひ難く思ひて、清麻呂は上座(じやうざ・カミクラ)に居りて腹(はら)かき破り、うつむけに臥居(ふしゐ)たり。

金麻呂は妻をさし殺しておなじく腹(はら)断破(たちやぶ)りて、その妻の死骸(しかばね)にうちかさなりて死居たり。

金石又下座(・シモクラ)に居りて、腹を十文字(ともじ)如(なす)たちやぶり、咽をいたくつき破りて死居たり。

さてみるに、血のかをりいほりにたちみち、腸(はらわた)こぼれ出て、臭(くさ)きかをり鼻にとほり、眼にしみ口にむせびけるに、守部ども頭を痛(いた)くし、嘔(たぐり)すべく胸(むね)さわぐに、「さもあれかく死たれば、これが首をとりてまかり帰り、かくと聞え奉るに何かあらん。

おのれらが役(・エタス)は終りたり」といひて、四の首を四の槽(をけ)にをさめ、ひとつ/\札を立添て、夜通(よどほし・ヨワタシ)に都路に趣(おもむき)、明日(あす)の日の夕つかた漸に帰りつき、訴所(うたへどころ)に出てしか%\のよしを申せば、即(すなはち)「首ども見ん」とあるに、それ%\の司(つかさ)立添ひて槽をひらきみるに、首にはあらず、只絵(かき)なしたる首の形ぞ入たれ。

司(つかさ)ども大にいかり、「汝等は上を欺(あざむ)く罪人なり。

かゝるくせ事たぐひあらじ。

罪は追て御定あるべし。

一人/\徽纒(ゆはひなは)に縛(くゝ)り、彼等(かれら)のこりなく嶽屋(ひとや)につなげよ。

厳(きび)しく守り仕れ。

いとからく責(しをれ)」となん{勹+言}(のゝし)りあへり。

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 第十条

金麻呂親子清麻呂を将て紀伊の温泉(いでゆ)にしのぶ。

鼻彦軍書を講(と)く。

金麻呂絵(ゑ)の妙術(めうじゆつ・クシキワザ)をもつて多くの守部を欺(あざむ)き、さしあたるあやうさをのがれて、かくれ居たる所をはひ出、「さてもかくては隠(かく)しまゐらせ難(がた)し。

又御脚かなはではいかでおはしはてなん。

紀伊(き)の温泉(いでゆ)に将(ゐ)てまゐりて、夜など人見まじき時は、をり/\湯(ゆ)に漬(つけ・ヒヂ)てやしなひ給はゞ、大神の御恵(めぐみ)もいよゝくはゝりはべらん。

又温泉のさむらふ所はにぎはひてあれば、かへりて人にまぎれては隠(かく)れ得べき所なり。

此夜のうちにもとりまかなひて、巨勢山を越て山道をさしてゆくべし。

又道のついでなれば、巨勢山の彼方(かなた)に日頃(ひごろ)此老夫(をぢ)に絵を習ひて、これもかすかにてさむらふもの二人まではべり。

志(こころざし)いと雄々(をゝ)しければ、此うち一人を伴(ともな)ひ、又ひとりをば我子金石にそへて、朝臣の御消息(おんふみ)をもたせ、金(こがね)をもたくはへさせて都につかはし、御家のありさま、御妻子(おんつまこ)の御うへをうかゞはせはべらん。

いざや」

とていそがし立て、金石問屋(とひや・ツヤ)にいきて、「脚(あし)弱(よわ)き旅人の馬からんと申なり」

といはせ、肥馬(ふつま)の脚(あし)疾(とき)をひかせ、清麻呂を中にのせ、老父(をぢ)と二人は左右に乗り、金石は筆硯やうの物、かい捨がたき具(そなへ)どもをば、荷(に)の緒(を)にかたく縮(しめ)て、うち荷(にな)ひてあとにつきて出行く。

夜は丑三つばかりにて、秋の風うちさやぐに、星はきら/\と照りて、山の端(は)をみれば月いとほそく落かゝりて、鶉(うづら)いと高く鳴く。

芒花(をばな)雀麦(かるかや)をわけゆく道あり。

谷水にそひて行く道あり。

木(こ)むらを左右にとりて立まどふ道あり。

岡(をか)を過、尾のへを越ゆるに、巨勢の高山(・タカヤマ)をめぐりいきて、家の十ばかり住並(すみなみ)たる所のはべるに、金丸清麻呂に語りていはく、「むかし大宝(だいほう)の頃、太上(だじよう)天皇(・オホスメラミコト){持統}紀伊(き)の国にいでましのとき、御供(みとも)せる坂門人足(さかとのひとたり)が、 巨勢山の列々椿(つらつらつばき)つら/\に見つゝ思ふな巨勢の春野を

とよめりけるより、此処(こゝ)をば椿原(つばきばら)とよびつゝ、終(つひ)に所の名とはなせり。

彼方(かなた)にさしならびて、黒木もてふける家の山ぢかくて二つはべるは、すなはち我絵の学(まな)びつかふまつる男なり。

先此処(ここ)にやすらはせ参らせて、此事彼(かの)事(こと)しおかん」

とて、馬をばその門につながせ、清麻呂と老刀自(おいとじ)をかきおろさせ、我ははひ下(お)りて、まだ暁(あかとき)なれば、主人(あるじ)は睡(ね)いりてあるに、門うちたゝく間に金石も追(おひ)つきぬ。

金石荷(にな)ひをおろし声を高くして、「猟野(かりの)やおはする。

金石親を将(ゐて)まゐりぬ」

とておこせば、「をい」

といらへて、帯(おび)など引むすびながら蔀(しとみ)をさしあげ、戸の鍵(かぎ)ひき開(あ)けなどするに、人皆立いれば、「是は思ひかけね。

門辺(かどべ)にだも立出たまはぬ我(わが)大人(うし)の、刀自君(とじぎみ)さへ将(ゐ)ておはしたるは何ぞや」

と問(と)ふに、金麻呂聞て、「是は脚(あし)そこなひたまへる人の、むかしの友なるが、紀伊(き)の温泉(いでゆ)におはしたくおぼすに、一人にてかひなくおぼせば、おのれら伴(ともな)ひまゐらせし。

物語どもはしづかにきこえん。

さて此処(ここ)ゆ牛(うし)をかり得てのせ参らせんに、馬をばかへすべし」

とて、馬の借代(かりて)よみてければ、馬飼(うまかひ)が見て、「今朝(けさ)はあらき山を越、又さむき朝川(あさかは)渡りたるに、酒代(さかて)とりかけたまへ」といふ。

金白袋(ふくろ)より取出てやりければ、馬飼掌(たなひら)にふり鳴らして、「いとかすかなりや。

此辺の酒屋はよき酒もたらぬうへに銭おほく欲(ほり)す。

賜(たま)はりし酒代にては一杯(いっぱい・ヒトツキ)にもみたず。

老父(をぢ)その袋のおもげにはべるに、今一杯(ひとつき)の代(て)をたまへ」

とて笑(ゑみ)かけたるに、金麻呂

「その銭をやりてはやいなせ」

といへば、金石、「これはいと過たり。

巨勢方(こせべ)の酒屋ならば十杯(とつき)ものめんに」

とてやる。

馬飼(うまかひ)頭(かしら)にあげておしいたゞき、「よき若子(わこ)なり。

老父(をぢ)真幸(まさきく)て帰らせ。

刀自子(とじご)無恙(つゝみなく)かへらせ。

旅人(たびゝと)よく牛にめさせよ」

などいひて、謡うたひかけて行く。

老父(をぢ)馬飼がかへり行を見いでゝ、内にいりて清丸を上坐にかきすゑさせ、さて猟野(かりの)をよびて、「此男は昨夜(よべ)物語らひまゐらせし、我絵(ゑ)の学(まな)び仕る徒(ともがら)なり。

名をば巨勢猟野(こせのかりの)と申す心深き男なり。

これに御消息(おんふみ)を賜ひ、金石をそへて御妻子のありさまをとひ参らせ、逢(あ)い奉らば直(すぐ)に紀伊の温泉(いでゆ)に伴(ともな)はせ奉らん。

又此家の隣(となり)は、これも徒(ともがら)にて志(こゝろざし)又厚(あつ)し。

彼が名は巨勢長瀬(こせのながせ)と申す。

彼をば我々将(ゐ)て温泉に伴(ともな)はん。

金石参りて申せ」

といへば、金石行て将て参るに、二人をひきあはせて、二人にはしか%\のよし始終(しじう)を聞え、さて朝食(あさげ)などは粟(あは)の飯(いひ)をたきてあるじす。

清麻呂文を委(くは)しく書て猟野(かりの)にあたへ、金麻呂は袋より金を取出て金石に授(さづ)け、さて牛三つを借(か)りて、三人は乗りて紀伊の温泉にいそぐに、道を山間(やま/\)にとりて真熊野(まくまの)をさして行。

此処(ここ)ゆ夜に臥(ふし)日にあゆみて行とゆくほどに、はるかに思ひつる温泉につく。

さて長瀬(ながせ)よく案内(しるべ)したるに、おくまりたる家のしづかなる所をかりてやどりと定む。

あかつき夕暮のほど、夜はしば/\にしければ、清麻呂温泉にうち漬(ひた)るに隨(したが)ひ、大神の御恵やくはゝりけん、三日ばかり過るに、筋はのびらかにいきめぐりて、脚(あし)よくあゆみ出たり。

いとかたじけなくかしこくおぼえ、此うへはしば/\も出ず、深くその家にかくれをりて、金石・猟野が都よりかへり来(こ)んたよりを待ける。

さてその家の隣(となり)にひきうつる人のはべるを、いかなるものと思へば、夜ごとに人を集(あつめ)、軍書(ぐんしよ・イクサブミ)を講(とき)て銭をとりて世のわたらひとする人也。

「是はいとさびしきときに壁(かべ)の此方(こなた)に聞居らんは、よき慰(なぐさみ・ナグサ)なり」

などいひをるに、その夜になれば表に燈を出し、その燈(ひ)の覆(おほひ)に張(はり)たる紙には

「鼻彦(はなひこ)」

と書つけ、又傍(かたへ)に

「伊波礼{田+比}古命(いはれひこのみこと)白肩津(しらかたのつ)の軍の条(じやう・クダリ)、ならびに五瀬命(いつせのみこと)痛矢串(いたやぐし)を負(おひ)たまふ条」

としるしたり。

入来る人そのしるしをみて、「是はおもしろき所ぞ」

などいひては入る。

又来る人もしかいひては入る。

又その鼻彦なるや、声(こゑ)をかしう打あげて、「いづれもめさせたる沓(くつ)をよくたりいれたまへ。

外(と)の方(かた)にな脱(ぬぎ)おきたまひそ。

よべも小ぬす人のとり行し。

さて僕(やつがれ)も先比(さいつごろ)まで居りつる所は、溝(みぞ)河(かは)などわたりて、かよひ来給ふに便(たより)あしく候へば、此処はすこしおくまりては候へど、おはさん道平にはべれば、此所にうつりて候。

かはらでおはしつどひぬるぞかたじけなき。

さて今夜申す条は、伊波礼彦命(いはれひこのみこと)、これはしろしめすごとく神武天皇にておはします、浪速(なには)のわたりを経(へ)て、青雲(あおぐも)の白肩(しらかた)の津(つ)に御船(みふね)泊(はて)たまふ。

さても此津はうちよする浪のはやきに、浪はやのやを略(はぶ)きて今はなにはとは申にてさむらふ。

そも那賀須泥彦(ながすねひこ)は五百万(・イホヨロヅ)の軍(いくさ)をひき、前は堺の海辺(うみべ)、後(しり)は河内の大野(おほの)にかけて、官軍(くはんぐん・ミヤノイクサ)を今か/\と待ときに、寄人(よせて)の大将(たいしやう・イクサギミ)は伊波礼彦の御兄(いろせ)五瀬命( いつせのみこと)なり。

その日の御装束(・ヨソヒ)は、唐金(からかね)の御甲(かぶと)に鹿(しか)の皮(かは)の御下着(したぎ)に、上の御冑(よろひ)は牛の皮をなめしになめし、鉄(くろがね)よりもかたくしたるに、銅(あかがね)をのべて三所四所ひきしめ、白珠(しらたま)青玉(あをたま)を黄土(はに)染の緒(を)にくゝり垂(た)れて御飾(かざり)としたり。

御手纒(たまき)には韓(から)珠を飾(かざ)り、御脚結(あゆひ)には鈴(すゞ)をかけ、御執(みとらし)の梓(あずさ)の弓に鳶(とび)の羽たかくかりて作たる征箭(そや)をもちそへたまへり。

此方(こなた)は旅(たび)ながらの御戦(いくさ)なれば、吉備(きび)の軍兵いまだ御船に追ひつかず、軍兵はづかに万にすぎず。

されど御勢(いきおひ)つよくおはすに、那賀須泥彦(ながすねひこ)が五百万の軍を後(しり)ざまに追ひかへしたまふ。

ときに登美彦(とみひこ)といふもの、槻弓(つきゆみ)のいとつよきに、雁(かり)の羽を作(はぎ)たる矢をはげて掻投(かなぐり)たりけるが、その矢ながれゆきて五瀬命(いつせのみこと)の御臂(ひぢ)にあたる。

御血(ち)のいたくながれたるに、しばしたちしぞかせて洗(あら)はせたまふ。

さてぞ血沼(ちぬ)の海といふはその故にてさむらふ。

かゝる賎(いやし)きものゝ射(い)ける箭(や)、御身にたつべき様(やう)はあらねど、これは正に西の方に御軍をたて、東にむかひて挑(いど)ませたまふにより、日にむかひたまふ御罪(つみ)なりとおぼし、しばらく軍兵をひかせて、そなへかへたまはん謀慮(たばかり)をしたまふ。

さて是に次(つぎ)て申所は、五瀬命終(つひ)にかくれ給ふ条なり。

いとあはれにておもしろく候へば、此間に先世業(わたらひごと)仕らん」

といひて、小(ちひ)さき篭(かご・カタマ)を人の鼻(はな)の方にさし出すに、人皆袋(ふくろ)をときて銭一つ二つ三つ四つとさしいるゝに、から/\と振(ふり)ならして、「そこへは手の伸(のべ)がたきに、投(なげ)おこしたまへ」

などいふ。

さてある間に、向ひの家うちさわぎて人さけび立り。

「何ぞ」

とてきけば、蒸衾(むしぶすま)に火つきて壁にうつり、軒のはしに燃(もえ)のぼるとてさわぐなり。

集(あつま)る人あわて惑(まどひ)て、袋もしめあへず、銭のこぼれ落るもかへりみず、沓(くつ)もはかで逃(に)げさりぬ。

さてあるに火は事にもならで消(きえ)ぬ。

かく騒(さわ)ぎたるまゝに、表に燈(とも)せる火も吹消(ふきけ)し、内にいりて物たうべなどし、落こぼれたる銭ども掻集(かきあつ)めなどして寝つ。

さて隣(となり)にはうちしづまりて、「隣の大人(うし)はいと利口(ときくち)かな。

都の人なめり」

といひて、昔(むかし)の軍の例(ためし)どもをきくによりて、世の中いとさわがしく、民(たみ)のなげきさまよふをいかにしてたすけはべらん、又道鏡をうつべきてだてなどにつけては、清麻呂の名をよび、恵美押勝など、祖王(おんのおほきみ)の御うへなど物語出るに、鼻彦壁に耳をよせ、明白(あからさま)に聞居て、「隣なるはいとゆかしき人々なり。

ことに清麻呂ときこえつる名のはべりしぞあやし」

とおもひて、夜すがらそのありさまをうかゞひ居れり。

鼻彦はこれ何等(いづら)の人ぞ。

後の物語を待得て知べし。

本朝水滸伝巻之五終

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本朝水滸伝巻之六

第十一条

守部が輩罪(つみ)をゆるされて清麻呂・金麻呂があとを追ふ。

清麻呂(きよまろが)妻子(つまこ)金石・猟野に逢ひて紀伊の国に行。

清麻呂跡をくらまして逃(にげ)去しより罪いと重(おも)くなり、その家を壊(こぼ)たれ、妻子をば追放(おひはな)たれぬ。

又刑部省(・オサカベツカサ)には、彼獄屋(ひとや)に繋(つなぎ)おきし守部どもを、訟(うたへ)の場(には)にひき出させて、猶責(せめ)とひて曰、「汝等絵(ゑが)ける首(くび)のかたを持てかへりて、訟(うたへ)の官人を盲(めしひ)にしたる、たぐひなき罪人ぞや。

かへりて金麻呂に賄賂(まひなひ・マヒ)せられ、清麻呂をすくひたるか。

事を明白(アカラサマ)に申せ。

さなくば獄屋(ひとや)の棟(むなぎ)にさかさまにつなぎ、爪(つめ)をぬき髪(かみ)をぬき、刑罰(おこなひ)は列木(なみき)の宮の御時にたぐへん{武烈天皇は長谷の列木の宮にいます}」と懲(こら)せば、守部等(ら)色は草よりも青くし、身は飛(とび)たつばかりにふるひあがり、咽(のんど)をつまらしてしばらくえいはず。

「はやく申せ」

とて責(せむ)れば、唾(つば)をのみこみ鼻(はな)を吹鳴らし、漸々に、「やつがれらは欺(あざむ)き奉らず」

と申す。

「あざむかざるものがしかすべきや。」

「さるはさる事なり。

さあるも一人(ひとり)二人の落(おち)にも候はず。

いづれも太刀は佩(はけ)り。

火はともしたり。

中々には狐(きつね)ならばとく見あらはしはべらん。

是は只さるまよひにもはべらず。

おほくの人の眼(め)にかけてはべるうへに、血(ち)もいたく薫(かを)り、腸(はらわた)なども汚穢(きたなげ)に引ちらし、是をみるものは嘔(たぐり)すべく侍りしにはたがはず。

此うへは御使を金麻呂が家につかはされ察(みさせ)給はゞ、時の間に人来りてさる汚穢(きたなげ)なるあとをかき払(はら)はんともおぼえず。

又従弟(いとこ)なども疎(うと)かるべきに、彼等が死骸(かばね)をとりかくしも仕まじ。

さるは察(みさせ)たるうへに死骸もし残りてはべらば、首の紙絵(ゑ)に化たりしは覚えず、彼等正に腹(はら)たち破りて死たるにはたがはず。

もしまたあらぬ事にはべらば、我々どもは狐にまどはされてはべるなり。

さるうへは御刑罰の事はいかさまにかうぶりたてまつるとも、一言(ひとこと)もまうすむねははべらじ」

と申に、「誠にさる事なり」

とて、一時に千里をもいきかへるべき馬に、騎部真龍(のりべのまたつ)といふものをのらせ、「只一時にいきかへり、金麻呂が家のありさまをつばらに申せ」

ときこゆるに、真龍うけ給はりを申、鞭(むち)をうち鳴らして走(はせ)参りしが、二時あまりして、地従(つちゆ)烟(けぶり)を踏(ふみ)おこし、騎(のり)かへして申さく、「直(たゞ)に金麻呂が家に参りたるに、門は鍵(かぎ)もさゝで戸は引よせて候に、入りてみれば家には一人もなく、もとより死骸もあらず。

血などのこぼれたる跡もなく、いといぶかしくおもひて家の隅々(くま%\)かい捜(さが)し候に、引破りたる紙絵の、風に吹ちりてあるを、一枚(・ヒラ)二枚(・ヒラ)拾(ひろ)ひ得てかへりぬ。

その外何もはべらず」

と申すに、訟(うたへ)の官人眉(まゆ)をあつめ、「あやしの事や」

とて、その紙絵を開てみるに、腹(はら)断(たち)やぶりてうつぶしにふしたるすがたもあり。

又老婆(をば)をさし殺(ころ)したるを画(かけ)るもあり。

これをみるにおの/\首はあらず。

「さてこそ」

とて首を画(かき)たる紙(かみ)に引合てみれば、人のかたちつらなりぬるに、人々手をうちならし、「是(これ)は正(まさ)に巨勢金麻呂が画(ゑがき)たるならん。

金麻呂、図書寮(フンノツカサ)にさむらひしとき、御壁(かべ)のめぐりに放駒(はなちごま)をかゝせたまひけるに、その後此駒夜ごとに出て、御園の萩を噛(くひ)あらしてさむらひける事あり。

是かならず彼が筆の神にいたれる所なり。

此度又かくのごとき事あれば、これ私(わたくし)にうけ給はりおくべきにあらず。

奏したてゝみん」

とて奏し奉りけるに、道鏡御傍(かたへ)に頭(かしら)をかきて、「我早ぶりて牛養・大井戸の二人を伐殺(きりころ)したるは、これも金麻呂が筆にあざむかれたるなりし。

よしよし、金麻呂を捕(と)らへ来たれ。

清麻呂を縛り来れ。

憎き奴かな」

といかりにいかりていへば、天皇聞(きこ)しめして、「清麻呂は掟(おきて)を犯(おか)して逃(にげ)さりたる也。

金麻呂は眼しひぬべしとて官をかへし、私に絵かきすさび、剰(あまさへ)罪人とゝもに公(おほやけ)をあざむきたるその罪咎(つみとが)、国つ罪にこえたり。

草を刈払(かりはら)ひてもそのかくれがをもとめよ。

山を枯してもそのすみかをしれ」

など、天(あめ)の御けしきいとあらきに、百官是をかしこみ、御道理(ことわり)をきこえあげ奉りて、則官人にのりくだし、「守部が輩の罪をゆるさむ。さるうへは命にかけて金麻呂・清麻呂をめしとり来れ」

とて、訟(うたへ)の場(には)を退出(まかで)させける。

守部等かしこまりを申、まかん出けるを、「今しばし」

と呼(よび)かへして、「もし金麻呂を捕(とら)へたらば、まづその躰(からだ)に水を濯(そそ)ぎかけよ。

しか検(ため)したらば、紙絵の人か真(まこと)の人なるか、その分別(わだいめ)はたちどころにはべらん。

いそげ守部。

心得てはべるか」

などいひきかせてつかはす。

守部等からきめにあひて、「金麻呂を追(お)ひもとめんには、桶(おけ)と柄杓(ひさご)をもちあるかん。

兵具(ひやうぐ・イクサノソナヘ)これに過ず」

と、口々にいひ別れぬ。

さて清麻呂が妻は、娘(むすめ)なる少女(をとめ)が十まり七になりてはべる小松のをとめと申けるが手をとり、西の大路をさまよひ出て、親属(ウカラヤカラ)をもはなれたれば、よるべき所もなく、明日香(あすか)のわたりにいさゝかの知方(しるべ)あるを心ざしてゆくに、只泣(なき)そぼちて眼(め)もみえぬに、道をばあゆみかねて、かゆきかく行たゝづみ給ふを、金石・猟野不意(おもはず)行かかりて、いかさま常ならぬ君とおもひしかば、金石ちかくよりて、「見奉る御ありさまは、世にさすらひ給ひつる人ならん。もしは清麻呂卿(きよまろぎみ)の御由縁(ゆかり)にかは」

と問(と)ふに、しばしいらへかねておはすを、「さなつつみ給ひそ。卿(きみ)の御文これにはべり」

とて出せば、親子の君よろこばせ給ひ、よみはてて、あるひはうれしみ或はうちなきて、「月日は我ためには照らし給はぬとおもひわびてはべるに、神又捨たまはざりき。さはおはさん所に今の間にも」

ときこえ給ふを、「さることにこそ。ことに父の金麻呂が絵(ゑ)をもて欺(あざむき)しことあらはれて、是さへいたく追ひとめ給ふと、ちまたの言(こと)に承りぬ。これは又俄の事なり。紀伊の山にいりては御轎駕(こし)もあらじ。夫が間は御轎(こし)まうけて乗(のせ)奉らん」

とて、かひがひしく走(はせ)めぐりて、あやしながら轎駕二つを借得て、二人の君を乗まゐらせて、日に夜をつぎてあゆみゆくに、巨勢猟野が宿(やどり)にもつけば、爰に夜のあくるまではやすらはせまゐらせ、次の日になりては、馬牛など借得てのせ参らするより外はあらぬ山里なれば、「いかにせん」

とわぶるに、「さるおそろしき物にはいかで」

とのたまふに、「さらば山のそき、岩が根の道は負(お)ひても仕ふまつらん」

といひて、杖つかせまゐらせ、笠などもいとふかくして、壷折姿(つぼをりすがた)にかいつくろひまぎらし、金石・猟野は長き太刀を佩(はき)、樫(かし)の杖のいとふときをつき、御前方(さきべ)跡方(あとべ)にたちて、「此道はさいつ頃夫(せ)の御君も通らせたまひける」

などきこえければ、母君、  我せこをいでこせの山高々におもひてひとりけふこえんかも

小松のをとめ、  あさもよし紀方(きべ)にありとふ夫(せ)の山を我(われ)柞葉(はゝそば)の母とこひつつ

といひなぐさみておはするに、日も西山にめぐれば、御つれ%\をなぐさめまゐらせんとて、椎(しひ)の葉(は)に飯(いひ)を盛(も)り、蕗(ふき)の葉には谷水を汲もちのぼりて、「旅にしあれば」

など吟(によ)び出つゝ奉るに、いと珍らかにおぼしたり。

「いと/\つかれたまへど、いかで草(くさ)刈(かり)ふきて、かかる荒山中にはやどらせ奉らん。今二里(・フタサト)ばかりをあゆみ給はゞ、金石よくしりて候ものゝはべるにやどりをこひてやすらはせ奉らん。かく雲(くも)霧(きら)ひては候へども、日はまだ暮まじきに、我々負(お)ひ奉りてもさる人里へは行たらはし侍らん」

とて、いとかろらかにおはせば、二人が二君をおひ参らせて、いと細(ほそ)き道を芒(をばな)雀麦(かるかや)踏(ふみ)わけて、「右よ」

「左よ」

などいひつつ行に、秋のすゑなれば山越の風のいとさむきに、猿(ましら)ちかく梢にさけび、虫の音などは鳴よわりて、行先とも覚えず夕霧の立かくしたるに、いと/\心ぼそくおぼしたり。荒坂とふ山方(やまべ)にかゝりて、岩立さかえたる道のべにしばしおろし奉りて、むしたる苔などかき払ひ、やすらはせまゐらせけるに、をとめのむねいたくしたまひぬるに、看病(みとり)まゐらするとて、時のうつるもしらず、水など汲(くみ)てあやしき薬などまゐらするに、すこしをこたりたまふさまなれば、「日もくれんずるに、此坂こえれば御やどりは近かるべし。

いでいそがん」

とて又負(お)ひ奉らんとするに、坂の半(なから)ばかりに臣(おみ)の木のいと大きやかにて、小闇(をぐら)くおちたれたるもとより、丈(たけ)は七尺(ナゝサカ)ばかりなる荒男(あらを)の、八束(やつか)の剣をさし佩(はき)、手に長き杖(つえ・シモト)をつきて、只ひとり立るとみしが、又後にいやまさりたる荒男の、是もさる様にて立をれり。

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第十二条

山賊清麻呂の妻子をぬすみ去る。明日香大太刀(あすかのおほだち)金石に逢ふ。並に紀伊なる人々伊吹山へ行く。

君達いとおそろしくおぼしてうちわなゝきたまふに、金石・猟野はますらをなれども、かゝる御伴のはべるに心おくれて、後めたく覚けれど、後方(しりへ)にもくだりがたく、横ざまにも隠れがたくて、しばしたゝづめば、荒男等(あらをら)杖を岩が根につき鳴らし、脚(あし)はひろくあゆみ、肩(かた)は首より高くさしはり、下(くだ)りまがりて道をさへぎり、やまびこ高く吼(ほえ)とゞろきていはく、「小童(こども・ヲグナ)よ、汝等かゝる山道を、いとくらきに女を将(ゐ)ていづこへかゆく。

さこそものうからめ。

いろよきをとめぞ。

手をとりて往(いか)ん」

といふ。

金石・猟野はやくさとし、弱(よわき)より強(つよ)きを討んと心にはかり、「是はいとかたじけなき。

我々は、都のいとこが脚(あし)をわづらひて候に、温泉にまゐらんといふを伴ひて侍る。

此坂の彼方(かなた)にしるべのあるが、はやほどもちかし。

その故にいそぎても参らず。

さのたまふは何(いづ)らの人ぞ」

と問へば、「さこそあらめ。

都の少女等(をとめら)をまどはし、加太の浦の遊女(・サブルコ)につき出して銭を致す事は我々が家業(かぎやう・ナリハヒ)なり。

さるを我々へ訟もせず、ことわりもなく汝等が致さむとするか。

又我々が名を聞んといふや。

そも我はむかし磐余彦(いはれひこ)に魂(たま)ぎらせし大熊(おほぐま)の神の子孫(ハッコ)にて、熊野山の鷲熊(わしくま)、又の名は長爪(ながつめ)とのる。

この男は八咫烏(やたがらす)の神の子孫にて、八鬼(やき)山の山烏(がらす)、又の名は嘴太(はしぶと)ともいふ。

さはよく掴(つか)みよく喰(く)ひさいなむゆゑなり。

小童(ヲグナ)等、その児(こども)等を我々に貢(みつぎし)、命を体にをさめかへれ。

さらずは命をば躰(からだ)より追出さむ。

此熊樫(かし)の杖(つえ)を見よ。

平群(へぐり)の山より撰(えり)出して、飛騨(ひだ)の木工(こだくみ)が首を押へながら削(けづり)とらせたる八角(・ヤケタ)の杖なり。

いで小童ども、此杖の下に死なんや。

又今いひし貢をするや。

いでいへ。

いで答へよ」

といひて立よるに、君たちをば石群(いはむら)の間(ひま)に隠(かく)しまゐらせ、金石・猟野太刀をぬきて、不興言(ものいはず・コトアゲセズ)きりかゝるに、鷲熊八角の杖をのべてうちはらへば、金石いたく両膝(りやうのひざ・マヒザ)をうたれて、地にふして起(たつ)事かなはず。

猟野是を見てくちをしくおもひて、すこしたゆたふ所を、太刀を打落され、肩(かた)をうたれなどして眼(め)のくらくなるを、又打たふして、「一人の小童は脚を打折たれば、此処(こゝ)に捨おきて、狼(おほかみ)の牙(きば)にかけて喰殺(くひころ)させん。

此奴(くやつ)はなま/\死かゝりつるに、よく踏(ふみ)て踏殺せ」

とて、石ごめに踏たゝらして殺しぬ。

さて、「かの貢は彼方(かなた)の岩間(いはま)にをさめ置つるをみつ」

とて、立めぐりて、「さてこそ爰になん。

味食(うまいもの・ウマシモノ)まゐらせん。

泣いざち給ふな」

とて、只兎(うさぎ)などうちかづくさまに、肩(かた)に二君を打かけて、小柴(こしば)高菅(たかすげ)踏わけつゝ山深くのぼりぬ。

金石眼(め)をいからし歯(は)をかみならせども起(たち)えず。

このまゝに死なんとおもいて、太刀をぬきながらおもへらく、「我親金麻呂また清麻呂の卿をも、上よりいたく追ひとめ給はんときくに、是又はやく告(つげ)まゐせでは、犬自母(いぬじも)の道にはかなく死たるならん。

いざり行ても我しるべの人にあひ、牛にもあれ馬にもあれのりて、温泉におはする人々に告終り、そのうへにいかにもならん」

と心を定め、手をもて我脚(あし)を引よせ、我腰(こし)を引のばして一尺(・ヒトサカ)二尺(・フタサカ)づゝのぼり行に、蝸牛(かたつぶら)のごときあゆみなれば、息(いき)絶(たえ)気(きざし)たゆみていきえず、只くちをしくかひなくはら立しく、神をさへ祈(いの)り得ず、涙のみはふれ落るに、坂をのぼり来る人の音の、はるかに下方(したべ)にきこえたるに、「いでや人ならん。

のぼり来よかし。

言を告(つげ)きこえ、ふところの金(こがね)はありのこと%\いかばかりにも頼みきこえん。

人なれや/\」

といのりて侍に、木の根を踏ならし、石を踏わたる音などしてちかくなれば、いとうれしとおもふに、何にかあらん馬に負せて此方(こなた)ざまにのぼりく。

是たゞ神也とおもひて侍をるに、「あら坂の坂のいはなみ高ければ重荷(おもに)をなづみ馬ぞつまづく」

と鄙風俗(ひなぶり)にうたひて、まのあたりに引かけ、「さても醒(なまぐさ)しや。

これは魚(うを・マナ)の臭(かざ・カホリ)にもあらず。

此山の猟夫が猪(しゝ)射(い)たるならん。

血(ち)もおほくながれてこそ」

などひとりごちていき過るを、「しばし」

とよべば、かへりみして、人こそあれとてつら/\うちみ、「此二人は蹇(あしなへ)よな。

猟夫が痛矢串(いたやぐし)にやあたりたるが、此馬からんといふなるべし。

さあらば粟(あは)おもく負(お)わせたれば任(まかせ・マケ)まゐらせず」

とて又行を、「しかのたまふ声は我聞しによく似て候人あり。

そこは明日香の大太刀ならずや」。

「をいな、さのたまふは巨勢(こせ)のか」

といひもはてず、馬をば引はなち、「此ありさまは」

とて驚くに、しか%\のよしを語れば、「しか承りてはおのれがうへにも捨がたきむねあり。

いそぎ将(ゐ)て参りなん。

又猟野が死骸(かばね)は、今とてはふむりせん様もはべらねば、梢の雲とたなびくぞよき」

とて、石などうちかこひ死骸ををさめて、利鎌(とかま)もて楚(しもと)押(おし)きり草苅そへて、火を燧(うち)出して火つけて焼(やく)くに、山風吹のぼりて煙のいと高くなるに、我は粟(あは)を荷ひ、馬には金石を乗(の)せて、足掻(あがき)をうちはやめて、ゆく/\金石に語りていはく、「おのれ今は紀伊(き)の山辺にすめども、明日香をもて家の名をよぶは、和気(わけ)の御家の恩(めぐみ)を忘れ奉らじとする也。

委(くは)しくは知給ふまじ。

我壮年(さうねん・ミサカリ)の血気(・イキホヒ)に乗(のり)、剣術(けんじゆつ・タチカキ)をこのみ馬に乗り弓をとり、槍(やり)をつかひ相撲(すまひ)をこのむによりて、農業(・タミノナリ)を忘れたるを懲(こら)して、我父飛鳥川老(あすかがはのおゆ)、我を追ひはなちて候に、世に似なき国罪(・クニツゝミ)を犯(おか)し、公(おほやけ)に捕(とら)へうたれて、獄屋(・ヒトヤ)につながれて侍りしを、清麻呂の卿、『我領所(・シルトコロ)の民なり。

いかで命をめさせんや』

とて、御なだめ聞えあげ給ふによりて、去々年(おとつとし)獄屋を出され、大和の国を追放されて候。

卿へ御されど一度(・ヒトタビ)は御救免(・ユルビ)をこひ奉りて本国(・モトツクニ)に帰り、卿へ恩謝(・ムクヒ)つかふまつらんとおもひ候ときなり。

我久しく此山に住(すめ)ば、鷲熊(わしくま)・山鴉(がらす)などのゝしり侍るものはよく見覚えて候に、此道を一時にとほり、温泉におはさん人々をばいきしのばせ奉らん。

夫より君達の御ゆくへもとめ奉らん」

と、かたる/\行に、夜とくれ日に明(あけ)て温泉につく。

時は夜半(よなか)ばかりにあらん、金麻呂がかくれ家にいたり、大太刀、金石をかきおろし、戸をしづかにうちたゝきて、「金石帰り給ひぬ」

といへば、内にはほと/\出まどひて、まづ灯などあかくして、「いかに」

と問ふに、金石はいたみたるうへを、馬にのりて山坂を越たるに、今は気のぼりて物もいひ得ず。

大太刀は又清麿呂の御ありさまをみるより、涙をとゞめかねてあるに、清麻呂はやくそれとみ給ひて、「こはいかに」

とのたまふ。

さて金石には薬などいふ間に、大太刀、行かゝりてはからひたる始終(・ハジメヲハリ)、又聞つるその夜のさわぎのありさま、君達うばゝれ行たまへる事、委しく語り、「我直(すぐ・タゞ)に追ひゆきて、君達とりかへし奉らん」

といふに、清麻呂たゞ世の中のまかせざるをなげき、又ひとのゑにしの変異(あやしき)をおもひめぐらし、まづ金石が痛を看病(みとる)に、漸(やう/\)息(いき)つき出て、「まづ申さん。

都の追手事せまれり。

いかでか此処(こゝ)にかくれまさん。

此夜(こよひ)何方へもしのばせ奉らん。

事はしか%\にせまれり。

此般(たび)は父が絵の精力(ちから)も及がたし」

と申。

さて、「おのれはかゝる足痿(あしなへ)にて、御供つかふまつりがたし。

大太刀又是に候へども、これは君達の御跡をもとめん。

父は老ひぬ。

母は老ひぬ。

いかにせん/\」

とて、立さわぐ音のもれきこえてや、「その御しるべこそ」

といふ声して、壁を踏破(ふみやぶ)りて入来る人は、道首口足(みちのおほとくたる)なり。

清麻呂よく面しりてあるに、「夢の中の人にか。

現(うつゝ)にはあらじ。

三尾が崎のさわぎに、押勝もろとも火の中にまぎれ給ひしを、焼たゞれたる首とて佐保の川辺に梟(かけ)たりといひき。

かくてはいかにながらへ給ふ」

と問へば、「されば候。

三尾がさきの戦(いくさ)は、押勝おもふむねありてたやすく退(しりぞ)き、太子(・ヒツギノミコ)祖王の御供仕り、伊吹山のふもとまで参りしに、則押勝が兄の豊成は、過しころ浪花の海に入て死ぬと承りしが、今は白猪老人(しらゐのをぢ)とよばれて、伊吹山に隠れて候に、不意(おもはず)めぐりあひ、是によりて祖王もそこにしのばせ奉り、押勝はじめおのれらは、かく大政官の印を懐(ふところ)にし、同志(・オナジコゝロザシ)の人をかたらひ、只道鏡を討(うた)ん事をおもひかけて候。

かゝるうへは、御身のうへも金麻呂のうへもいとせまりてはべるに、我御供申てともに伊吹山に隠しまゐらせん。

又金石は面知たる人もあらぬに、おのれが弟(おとうと)にて候といひふらし、我しばし旅ゆきの間、家を守らせおきさむらふ、ときこえおかば、此処の人何かあやしみはべらん。

さるあひだに湯にひぢて、脚だに立(たゝ)ば、御妻子の御跡もとめたまへ。

さて大太刀は刀自君(とじぎみ)姫君の御行方(ゆくへ)をもとめ、行あひまゐらせしそのうへには、ひそかに近江路に御ともありて、伊吹山のふもとに胡麻呂(ゑみしまろ)といふものの家あり。

そこにいたりて山路をとひ、豊成がかくれ家にのぼりたまへ。

かく申はしにも時うつりぬ。

はや御供申さん」

といふに、人々は只夢の心持(こゝち)に、「いざや」

とて出ゆくを、金石両膝(りやうのひざ・マヒザ)を掴(つか)みて、かひなくくちをしくおもへど、せんすべなければ、大太刀にむかひ、「我少しも脚たゝんずるときにもならば、いかさまにもして追ひつかん。

汝まづ加太(かだ)の浦(うら)をさしてゆくべし。

彼荒坂(あらさか)にて騒(さわぎ)のとき、山賊(ぬすびと)どもが詞のはしには、加太の浦辺ときこえつる事あり。

しか心得たまへ」

といふに、飛鳥の大太刀、巨瀬(こせ)の長谷(はつせ)ともに、「何事も心得つ」

といひて出ぬ。

こなたはあやしき旅人の姿にやつし、よろづ金石にはいひおきて出ぬ。

本朝水滸伝巻之六終

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本朝水滸伝巻之七

第十三条

忌部宿祢海道(いんべのすくねうなぢ)跡見武雄(とみのたけを)おなじく武荒(たけあら)の兄弟に逢(あひ)て清麻呂の妻子をすくふ。并に三人ともに清麻呂のとらはれをすくふ。

忌部宿祢海道(いんべのすくねうなぢ)は、押勝に別(わか)れ伊吹山を下(くだ)り、髪をト者(・ウラベ)にやつし、和泉の国まで参りつきて、船をこひてわたらんとしけるに、汐占(しほうら)を考(かうが)へたれば、爰ゆわたらば事あらんとみゆるに、いづこより渡らんと又潮占をみければ、紀伊(き)の国にいきて荒坂(あらさか)の津より渡らば幸あらんとあらはれたるを、只占にまかせて荒坂の津にむかひてゆくに、その日も暮しかば船屋を問ひ、「土佐(とさ)の国に渡らん船やある。

我ものりてくだらん」

といへば、船屋のあるじどもが、「この風しばしあらばくだりにや吹らん。

今は横(よこ)ざまにて追い難(がた)し。

しばし爰にまたせよ。

又飯(いひ)などまゐるべくは、此処にはさる物はあらず。

是より一丁(・ヒトコロ)ばかり南の海辺(うみべ)に、はなれたる家のはべるは、さる物を旅人に売(うる)家(いへ)なり。

そこにいきて物喰(く)ひて待せよ。

風なほらばむかひまゐらせん」

といふに、「さはそこに行て待べし。

よき時にならば告(つげ)おこし給へ」

とて、包(つゝみ)などうちかたげ南をさしてゆけば、いひしあたりに家のはべる。

家はいと大きくして、門(かど)には馬などつなぎて、旅人めくものいとおほく入居たるさまなり。

扨、軒(のき)には燈(ともしび)をかけ、燈(ひ)のおほひには、「一膳飯(ヒトツキノイヒ)あり。

温飩(うどん・ムシムギ)蕎麦(そば・クロムギ)あり。

酒あり種々(・くさ%\)の魚(・ナ)あり」

と書(か)き、又ひとつには

「熊野屋(くまのや)」

とふ三(みつ)の文字(もじ)をふとく書たるを、これも火ともして軒に懸(かけ)たり。

宿祢(すくね)、笠(かさ)を提(さげ)包(つゝみ)を負(お)ひ、「物喰(・タベ)ん」

とていれば、竃(かまど)の煙(けぶり)立みちて、誰ありとも見わかず。

馬奴(まご・ウマカヒ)にやあらん水子(かこ)どもにやあらん、いとおほくおり居て物(もの)食(く)ふに、「ゆるしたまへ。/\」

とてとほれば、あるじめく男、「旅人か。

こなたへおはせ。

そこは烟(けぶり)こめていぶせからん。

便船(びんせん・フネノヨスガ)を待給はゞ程もはべらんに、こなたの一間(ひとま)にいりてしばし休(やす)みたまへ」

といふに、草鞋(わらうづ)を脱(ぬぎ)て簀子(すのこ)の下におしいれ、裳(すそ)をすこしおろしてゆくを、つら/\うちまもりてみる人あり。

宿祢は心なければかへりみもせず、一間に入て、火桶(ひをけ)に炭火(すみび・オコシズミ)などもて来るに、さしむかひてうちあぐみ、「いと寒(さむ)き夜ぞ。

温飩(うんどん・ムシムギ)たまへ。

たゞあたゝかに盛(もり)て出せ」

といひて居(を)るに、うちならびたるひとまの、あやしくかこみたる中に、旅人にやあらん、入居たり。

さてしづめてきけば、女の声にていとあはれげにひそめき泣(なく)を、何にかとおもひて聞をるに、はし%\うち聞えなどす。

都(みやこ)の女なめり、遠(とほ)き旅寝(たびね)を苦(くる)しくして泣(なく)ならんとおもへば、いと高く泣出(なきいで)て、娘(むすめ)などの声にや、「みづから一人おくれ奉らんや。

いかなる海の底にも、母君の御供つかふまつらん」

といふなどもきこゆるに、いよゝゆかしく成て、和(やを)らさしよりつゝ、耳を直向(ひたむけ)にむけてきけば、清麻呂の卿の御うへなど聞えたるに、さてこそと思ひ、小便(・ユバリ)に立さまにしなし、火をともしてつと行かゝりてみれば、よくみおぼえ奉る御方也。

こなたをもあやしとばかり見おこし給ふに、なほ正目(まさめ)にみれば、我主押勝の御いとこにて、粟田朝臣(あはたのあそん)の御娘にておはすとおもふに、其後清麻呂の卿の御妻となり給へるよしをおもひ出しかば、ちかく参りて、「こはいかにしてかゝる御ありさまなりける。

君まだわかくおはしましける頃、田村のやかた《押勝の別業也》にもおはし給ひしが、やつがれ御まのあたりに見奉りき。

その後和気(わけ)の御家にいり給ひて後も、我主の殿にはおはしましける。

やつがれは恵美押勝が家人(・イヘビト)にて、忌部宿袮海道にて候へ。

御ありさまくはしく語らせたまへ。

随分/\(・オフナ/\)御つかへ奉らん」

とひそやかに申せば、泣そぼち給ひて、「いかにもよくそこの面は見おぼえて侍り。

さこそ聞たまはめ。

我夫(せ)の君、宇佐の御使の後は、種々(・クサ%\)よからぬ事にくるしみたまひて、剰(あまさへ)御行方(ゆくへ)しれずはべるに、不意(・ユクリナク)金石・猟野が情にて、御あとを覓(とめ)て参りしに、荒きみ坂を越るとき、おどろ/\しき人に逢ひて、我をしるべせし若人(わかうど)二人はその鬼に殺され、たのむ方なくてかくれ居しを、これなる姫と我をその鬼らが肩(かた)に負(お)ひて、山を行谷にくだるとおぼえしが、此家につれ来り、此ひとまに入れ置(おき)て、おのれらはいづこへか行つるに、『いかにあさましくてはふれはべらんより、此所は海道なれば、我は海にいりて死なん。

此姫はおひさきもはべれば、世に堪忍(たへしの)びてながらせたまへ。

天(・アメ)には神ませり。

地(・ツチ)には又父ませり。

命だにあらば逢ひ給はん。

又父君に逢ひ給はゞ、母は荒磯(ありそ)の巌(いはほ)を枕にと、きこえたてまつれ』

と申きかせて候ときなり。

そこは又いかにしてあやしきト者(・ウラベ)の姿と成て、此所にはいかにして」

と問ひ給ふに、「身のうへ語り奉らんには時もうつりて人あやしむべし。

かく逢ひ奉りけるうへは御うしろやすかれ。

御夫(せ)の君にもあはせ奉らん」

などいさめきこえ奉りて、「さてその鬼とのたまふものどもはいづこへ参りて」

といふがうしろに、畳(たゝみ)をひし/\と踏(ふみ)ならして入り来(く)。

親子の君は、此宿祢をも喰(く)ひ殺(ころ)さんとおぼして消入りたまふに、二人の荒雄ら、礼儀(・イヤ)正しくして忌部宿祢にむかひて曰、「かゝる髪(かしら)かゝる衣かゝる姿を見給はゞ、俄にはおもひ出給はじ。

おのれは粟田朝臣真人が家人、跡見人成(とみのひとなり)が二人の子になん。

やつがれは兄にてすなはち跡見武雄(たけを)なり。

これは又弟にて跡見武荒(たけあら)にて候が、天性剛力(てんせいがうりき・アメノナセルチカラヲ)にて候まゝに、武士(・モノゝフノ)の道を忘れ、只山に入て熊(くま)をうち、里に出て人をあやまち、年頃慾((ほしいまゝ)に仕るを、父の人成(ひとなり)おもひ捨て、上(かみ)に訟(うたへ)て我々を逐(おひ)やらひけるに、かへりてそれをよき事とおもひ、世の業(・ナリハヒ)も侍らねば、あらぬ名にかへて熊野の山に隠(かく)れ住(す)み、往来(ユキキ)の旅人(たびゞと)を驚し、財宝(たから)をうばひ衣装(ころも)を剥(はぎ)て、其(そ)を酒にかへ米にかへて道なき命を継(つぎ)はべるに、不意(おもはず・ユクリナク)荒坂(あらさか)にて過し夜、此君達のとほり給ふを、我故主(こしう・モトツキミ)の御君達(きみたち)とはゆめおもひかけず、いたくおどろかし奉り、又御供の若人(わかうど)も二人ながらうちたふして候に、一人はいたくふるまひたるに御命もはべらじ。

一人は脚(あし)を打折たるまゝに捨おきて候らひしが、いかに成たまひけん。

さて君達の深くなげきたまふをいたくこらし奉り、此処(こゝ)まで負(お)ひまゐらせてはべるに、さいつ方逃出(にげいで)給はんなど立さわぎたまふとて、御ふところより落たる文のはべるに、よみて見しかば、清麻呂卿の御手にて、こまかにかいつけ給へるを、はじめ終りをよみはてゝ、兄弟ともに大に驚きては候へど、今更かゝる身のうへなりと申わびんも、此姿にてはよも誠(まこと)とは承引(うけひき)たまはじ。

梳(くしけづ)らん家に行て先髪をゆひ、衣裳(ころも)などもかいあらため、かたちを正(たゞしく)し言(ことば)をあらため、よく聞とりおはしまさん様(・サマ)に聞え奉るべしとおもひて、彼処(かしこ)に行て兄弟申あはせてはべりけるとき、そこの入来たまひつるを、よくみしりて候ほどにためらひしが、そこにはかへりみず過たまひ、先刻(・サイツトキ)此ひと間に立しのび、姫君達とひそめきたまふを、明白(あからさま)に立聞ぬれば、いよゝ我も落居(おちゐ)て、いな/\今は此姿にてまみえ奉るとも、宿祢かくておはせば、御とりなしきこえたまはらんと、かく出て身のうへをきこえ奉るなり。

君達つみゆるさせたまへ」

とてわぶれば、「さは鬼にてはあらざりし。

おもひかけぬ事ぞ。

此うへは卿(きみ)のおはしますかたへ負(お)ひてまゐれ」

とのたまはするに、宿祢もひさしく絶(たえ)たりしを語り出、「かゝるうへは御つかへの忠誠(・マゴゝロ)をつくしたまへ。

我も外ならぬ君達におはせば、いかばかりも御つかへの事は承らん。

さは夜のまぎれにも御輿(みこし)を物し、温泉(ゆ)におはしつけ奉らん。

山の案内(しるべ)はたのみまいらせん」

など、いとたのもしく聞ゆるに、いよゝ君達の落居給ふに、三人の者もいさみ立て、先食物(ヲモノ)などすゝめ奉り、御輿の事物しありくに、何にかあらん、「只今おほやけの罪人参り来」

とて、人立騒ぎ、先(さき)には鉄杖(・カナズエ)を引鳴らし、松継(つぎ)立て大道を照らし、おほくの守部左右をかこみて、「今夜は此津(つ)に罪人を伏(ふ)させ、明(あけ)なば山道をさして都の方へ」

ときこゆるに、「誰にか」

と聞けば、「和気清麻呂を紀伊(き)の温泉(ゆ)にとらへて、都には将(ゐ)て参るなり」

といふに、きみだちは、たま/\朝露にきほひ出し初花の、たちまちてれる日にしをるゝごとく、「こはいかに」

とうらぶれ給ふに、跡見(とみの)兄弟いさめ奉りて、「君此処(こゝ)にやどらし給ふぞ御えにしの尽(つき)ざる祥(さが)なり。

我々兄弟に宿祢をくはへてあらば、たとへ敵(かたき)は岩にて候はゞ手握(たにぎ)りもちてうち砕(くだ)き、敵(かたき)また鉄(くろがね)にて候はゞ脚にかけて踏(ふみ)たゝらかし、清麻呂の卿をばいとやすくうばひかへし奉らん。

うしろやすくおぼしてよ。

只今あはせ奉らんを待せたまへ」

といひをはり、兄弟立ありきて罪人やどらせたる家を見おき、夜の更(ふく)るをまつほどに、君達心もとながらせ給ふに、宿祢一人は御みあつかひにきこえおき、兄弟身をかたくしめて太刀をわきばさみ、八角(・ヤケタ)の杖を横たへもちて、その家の裏方(うらべ)にいたり、高垣をまたがり越て、不挙言(ものもいはず・コトモアゲズ)戸を押やぶり、板敷をどゞと踏(ふむ)に、守部ども目をさまして、「盗人ぞあれ。

いで起よ。

罪人をかへり見よ」

などいひて、太刀を取て立合ふをば、柄(つか)だにもとらせず、手を打折、脚をうちをり、腰をくぢかし肩(かた)をひづませ、頭を裂(さき)、胸(むね)を打破て、見るがうちに三十人(ミソタリ)ばかりを殺(ころ)せば、主(あるじ)どもは皆逃(にげ)出、守部どもゝ、いき残りたるは垣(かき)を破(やぶ)り溝(みぞ)をくゞりて、罪人の輿(こし)は捨おき、暗(やみ)にまぎれて走(はしり)うせぬ。

兄弟しづかによりて、「今は誰をかはゞからん。

かしこは人つどひてかしましきに、汝いきて君達と宿祢をあともひ奉りて爰に来れ。

さて参りたまはゞ、君達はいとちひさくおはしますに、此御輿へこぞり乗(の)せ奉り、我々してかき参らせて、まづ真熊野(まくまの)の山道(やまぢ)にいらん。

いそげ。

しかせよ」

といへば、弟なる武荒(たけあら)、脚(あし)とくしてかしこの家にはせゆき、「兄弟おもふまゝに仕りおほせ、清麻呂卿をいとやすくうばひかへし、すなわちそこにおき奉る。

又守部どもをば皆殺(みなごろ)しに殺して候に、今は追ひくる人もはべらず。

しづかに真熊野(みくまの)のかたに御供仕らん」

といふに、宿祢も兄弟がいきほひを称(たゝ)へ、君達の御手をとり、いそぎておはしまさせ、さて輿の鍵(かぎ)どもを押きり、清麻呂を出し奉れば、「君達おはしましぬるか」

といひて巨勢金石が踊(おど)り出たるに、君達もあきれおはして物もえのたまはず。

金石二人の荒男(あらを)をみて、「おのれは荒坂のぬす人よ。

よき時に出あひぬ」

とてかい%\しく裾(すそ)をまきあげ、君達を後(うしろ)におはさせ、眼(まなこ)をいからしまくり手にして立(たて)ば、君達、「彼等(かれら)は鬼とおもひけるに、自(みずから)にはゆゑあるものにて、その後はそこばくの心をくはへてたまはりぬ。

又これなるは押勝の君の御家人にて、是又他人(・アダシビト)にはおはさず。

さて御身のかゝるさまはいかなる故ぞ。

夫(せ)の御君はいかに」

「父君(ちゝぎみ)はいづこへぞ」

ととはせ給ふに、金石しか%\のよしを語り、「卿(きみ)いとたひらけく道首口足(みちのおほとくたる)御供仕り、伊吹(いぶき)山におはしまさす。

さてやつがれ一人温泉(ゆ)にのこりて、見しる人もあらねば、うち膝行(いざり)て二度(・フタワタリ)三度(・ミワタリ)温泉に湿(ひぢ)て候に、もとより深きいたづきにもあらず、たちまちをこたりて、脚(あし)はもとのごとくなりしに、今は姫君の御あとを覓(とめ)奉らんとおもひて、さきの夜一人寝(いね)て候ひしに、何人にかあらん、おもてうらをかこみ、継松(たいまつ・ツイマツ)いとあかくして、まづしるべせる男とおぼへて、我家の軒(のき)に立そひ、『此山にて脚なへの男をさがしたまふとあらば、只此男一人にて候。

いかにも都方(みやこがた)の男にてはべるが、いとあしなへて候へば、脚の筋(すぢ)がなぬかれたる人ならん』

など申、『先これまでは御しるべ申たり』

といふ声するに、又守部が声ときこえて、『さるうへは清麻呂にきはまりぬ。

何にもあれ家をうち破り、こみいりてとらん』

ときこゆるに、下官(やつがれ)おもひめぐらして候は、『卿(きみ)山道にかゝりて落させ給ふに、追人(おひて)参らんはうしろめたし。

さは、我此所(ここ)にして彼等(かれら)に捕(と)られば、さる騒(さわぎ)に時うつらん。

しかは御道おはしたまふにもさはりなけん』と、いよゝ衾(ふすま)深くひきかづき、かしらをも物につゝみてうづくまりをりしに、守部ども戸をうちはなち、壁(かべ)をうがちていりこみ、『清麻呂を召捕(めしとれ)』

とのりて我を引立ちしを、脚もなへ腰(こし)もたゝざるさまにふるまひしかば、『いよゝ清麻呂なり』

などいひさわぎて、そのまゝ輿(こし)にうちいれ、きびしく守りするさまにみえて爰までは連(つれ)来りぬ。

さて人々の御物語は山道に休(やす)らひてうけたまはらん。

まづいそぎて熊野道へ」

といへば、宿祢、柄(つか)短(みじか)き筆をとり出、懐紙(ふところがみ)にかきつけて、金石にあたへていはく、「かくたしかなる御うしろみのはべるに、今は心やすし。

おのれは天下の御ために、公役(オホヤケノヱタス)をうけ給はりをれば、これより直(すぐ・ナホ)に土佐の国へまかりくだらん。

兄弟二人に金石をくはへて、君達の御供を申さすよしを此文にかいしたゝめぬ。

これをふところにして伊吹山をさしていそぎ給へ。

まさきくあらば逢ひ奉らん」

と、たがひに袖をふりあひてわかれんとする時、明日香大太刀(あすかのおほだち)・巨勢長谷(こせのはつせ)、山の小道をたどり来(きた)るに、金石いきあひて、「事はよしゆく/\かたらん。いざ山道に」

と、あともひ入りぬ。

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第十四條

海辺鰹(うなべのかつほ)剣術(けんじゆつ・タチカキ)を教ふ。并奈良麻呂(ならまろ)を立て大将とし徒(ともがら)をつどへて白山にのぼる。

越(こし)の国白山のふもと剣(つるぎ)の里に、剣術(タチカキ)を教えて海辺鰹(うなべのかつほ)とたゝへらるゝ先生(ウシ)あり。

其徒(ともがら)学(まな)びせんと入集(つどひ)てあるに、先生その場(ば・ニハ)に立て教ていはく、「太刀はそれ伐(き)る物にあらず。

身を守り敵(かたき)を防(ふせ)ぐべき物なり。

たとへ黙止(もだし)がたく人を斬(き)るも、只其本を切て末をきらず。

本をきるときはその人を生捕(いけとらへ)て、事を正し命をたすけて我死をまぬがる。

是その身を守るに当るなり。

さる心を得(う)るが教なり。

そのわざを得(う)るは習はしなり。

その本末をわきまふるが伝(でん・ツタヘ)なり。

爰をよくまなび得たまへ」

とて、先生みづから木太刀(きだち)をとり、頭(かしら)より高く振(ふり)あげていはく、「是此太刀は人を斬(きる)太刀なり。

身を守る太刀にあらず。

徒(ともがら)よくならひ得よ」

といひ終り、又太刀を直(すぐ)にさしのべ身をひとへにし、脚をあつめて立ていはく、「是はこれ身を守る太刀なり。

かくさしのべたる太刀の名を青岩(せいがん)といふ。

たとへば青岩(あをいは)の堅固(かたき)を前にさゝへて立がごとし。

人是をうかゞひ難く、又砕(くだき)がたし。

爰をもつてしか名付たり。

扨又その本をきりてその末をきらざれとは、本は何ぞ。

凡太刀を握(にぎ)りてのうへは、只是五つの指(ゆび・オヨビ)ぞ本なる。

仍ちその指をきりおとす、これをその本をきるといふ。

又その指をきりおとすも、一度に五つの指を切落すとな覚(おぼえ)そ。

五度太刀をふりて、五度にその五つの指をきり落すなり。

又十太刀振らば十の指をなん切落すとおぼせ」

といひをはり、又長き太刀を左右(とかく)にうち振(ふ)り、いなびかりのごとくひらめかし、飄(つむじ)のごとくに振(ふり)かへし、雨のごとくにうちかけ、雲のごとくにさへぎらし、風のごとくにうちならしていはく、「是は又守(まも)りを破(やぶ)り敵(かたき)を追(お)ひ、そなへを崩(くづ)し前後(ぜんご)を防(ふせ)ぎ左右を防(ふせ)ぐ、天下(てんか)独往(どくわう)といふ術(わざ)のうへの極(きはみ)なり。

是等をならはし得(え)て、始て太刀は斬(き)るべきものにあらず、身をまもるべきものなりといふ事をさとす」

といひ終り、汗(あせ)をうち拭(のご)ひ扇(あうぎ)をひらめかし、袴(はかま)のまへをつまみ出し、上坐(じやうざ・カミクラ)につきてひらきゐたり。

徒(ともがら)聞(きゝ)終り、習はしをはりて、礼(・イヤ)を正し烈(なみ)をとゝのへ、わが先生(・ウシ)に謂(いひ)ていはく、「やつがれら先生にむかひていとかしこけれど、願ひ奉るむねありて、一条の願文を書したゝめ、各懐(ふところ)に仕りて参れり」

と、先(まづ)小松藤見(こまつのふぢみ)、松任足日(まつとうのたるひ)などが恭(うや/\・イヤ/\)しくもて出るにつきて、その徒(と)五百人ばかり、吾懐に願文をさし入て、出ては先生のまへにさしおき、出ては又さしならぶる程に、その文眼前(まのあたり)にうづ高くなりぬ。

先生眉(まゆ)をあげ眸(まなじり)をあげ、面をしづかにめぐらして徒(ともがら)にむかひていはく、「これは何事ともおぼえず。

されどかく一時に物したもふからは、事はおなじむねならん」

などいへば、徒一時に蹲(うづくま)りて、「先生ののたまふごとく、願ひのむね別異(べつい・コト%\)にあらず。

各申あはせて候」

といふ。

先生聞得て、「さらば徒の頭たるにより、まづ藤見が文をよみて、その次も故をしるべし」

とて、その文をひらく。

その文にいはく、やつがれ小松藤見恐惶(かしこみ)謹(つゝしみ)て申す。

先生の恩(めぐみ)の山ゆ高く海ゆ深き、今爰にあらためて申さんや。

やつがれうけたまはらく、白山の西の山辺に醜(しこ)の盗人さはに住居て、往来(ゆきき)の人を切殺し、財宝(たから)をうばひ衣裳(ころも)をはぎ、又しからざれば連ゆきておのれが徒党(とたう・トモガラ)にくはへてめしつかふといへり。

又その盗人の張本(・ツカサ)ありて、剣術人にすぐれ、是に逢ひて立合ふもの勝事更にかなはずといへり。

やつがれら先生の教を蒙(・カゝブ)りてより、身に鉄(くろがね)の楯(たて)をならべ、心を堅磐(かたしは)の窟(いはや)におき、夜(よる)行(ゆく)も昼ゆくがごとく、昼ゆくは猶虎に乗れるがごとく、かゝる心を備(そな)へ、かゝる身の術(わざ)をもて、さるえせものがほしきまゝにするを、耳に聞ながしてんや。

先生ゆるし給はゞ、僕(やつがれ)参りてうち殺し、往来(ゆきゝ)の人をやすくし、そのわたりの村里をしづめまくほりす。

其御ゆるしを願奉るむねは是なり。

と書とゞむ。

先生読(よみ)終り、又その次なる松任足日(まつとうのたるひ)が願文をよむも又おなじ。

先生徒弟(ともがら)にむかひ、面を赤くし眉(まゆ)も眸(まなじり)もなほ高くあげて、声を張(は)り出し、臂をはりおこし手は膝(ひざ)のうへにおきならべ、身をそばだて一座(・ヒトクラ)にうち見やり、いたく{勹+言}(のつ)ていはく、「徒おほくの月日を此場(・ニハ)にありがよひ、我教をうけ、習ひをつたへ、術をならはし、気を練(ね)り手を馴し、我はとおもひあがり給ふべきが、徒の頭たる小松藤見、松任足日といへども、いまだ我に勝事あたはず。

その次なるは猶此二人に勝事あたはず。

さて愚者(えせもの)の事は我先はやく聞(きけ)り。

彼が人を切殺したる、その数我耳に入だも三百(・ミホ)ばかりの人なり。

かくをしふる我といへども、いまだ生(いける)人(ひと)は一人もはなちうたず。

しかは愚者(えせもの)はよくいける人をきりて、そのあやうきさかひを馴したり。

我は今徒に申ごとく、只木太刀を持てさる心を馴したるのみなれば、いかで彼に勝ん。

いはんや徒の人々におけるをや。

かゝる願ひは、みづから手脚をしばりて猛虎(・トラトフカミ)をうち殺さんといへるにひとしく、石を抱(いだき)て深き淵の薄氷(・ウスラヒ)をわたりゆかんといへるにおなじ。

あやうきかな、危(あやうき)かも。

さるにてもおもひ得ずは、彼えせものに立むかひて二つなき命をうしなはんより、今夜(こよひ)我大野にゆきて、此願申出づる徒(ともがら)をあつめ、真剣(しんけん・マタチ)をもて太刀撃(・タチカキ)せん。

我もし徒にうたれたらば、いとかひなき先生なり。

はかなき先生なり。

何ぞ先生といはん。

これ迄年月を上坐(・カミクラ)に居て、人々の敬礼(いやまひ)にあひつるは、是又あざむけるなり。

徒又五百人(・イホタリ)にもあれ、残りなく我にきり殺されば望たりなん。

いかにとなれば、ともかくも彼盗人に奉れる命なれば、我手に死なんはたりなんといふなり。

いで今夜(こよひ)白山のふもとに出て、大野の原に我詣べし。

人々来りて立あひたまへ。

もしさらずは此願は本心ならず。

みだりに申出せるなり。

又さるみだりなる事にあらば、何ぞ徒とせん。

かく申はなちて候うへは、おもひかへして何ぞ許(ゆる)べん。

今より人々(ひとびと)まかん出(で)て、私によく馴して出合たまへ。

我行て彼処(かしこ)に待ん」

といひてつと立、ながき太刀をぬき、「人々にも太刀をぬきはなちたまへ」

といひて、ひとり/\にむかひそのしのぎをうちあて、うち鳴らし終りていつていはく、「是はこれ誓約(うけひ)なり。

昔天照皇大神(・アマテラススメオホカミ)、武須左能雄尊(たけすさのをのみこと)に逢ひたまひて、剣(つるぎ)と珠(たま)とをもて誓約(うけひ)たまふは、我御国の例(・タメシ)なり。

心得たまへるや」

といひ終りて入りぬ。

徒大きにおもふにたがへど、「かゝるからは我々も武士なり。

習ひえたる先生の恩(・メグミ)を仇(あだ)をもてむくひ奉らんは、かへりてこれ我先生の御心ならん。

いで此夜(こよひ)その所に立出ん」

といひて各退(まかり)出けるに、その夜酉ばかり、うす雪ふりをやみて、月のいとさむくさし出たるに、先生身には鉄衣(かなぎぬ)を着(き)、頭に甲(かぶと)の鉢(はち)を皮もてつゝめる頭巾(・カブリ)を着、手に手纏(てまき)をかくしたる布の手結(たゆひ)し、脚絆(あゆひ)をもしかして、皮の沓(くつ)をはき、太刀を懸佩(かけはき)、みじかき太刀をば帯にさしくはへて、いひつる大野に立出つゝ、山風吹あたる大葉櫪(くぬぎ)の森の東の陰(かげ)に立添ひつゝをれば、藤見・足日の二人をはじめて、心々に装(よそ)ひ、おもひ/\の太刀を佩(はき)て此方(こなた)ざまに立むかひ来(く)。

さて先生(・ウシ)は何処(いづこ)にか立出おはすらんとおもひうかゞひて、とみにもすゝまず、しばし躊躇(たゝずみ)てあゆみ来るに、うしろの山の辺より、小道をくだり来る人の、面(おもて)をぬり黒き装束(よそひ)して、ながき太刀を懸佩(かけはき)たる男の出来(いでき)、声をひきくして、「我先生(・ウシ)さこそ待たまはめ」

といふ。

先生かへりみて、「こよひはいかにしておそくはべりし。

けふなん我徒かゝる願ひを申たてしを、ときこそ来たれとおもひて、かねておもふさまに申きかせつ。

かの軍兵どもは参りつどへるか」

といへば、今来つる男こたへて、「うしろの森の陰に皆参りをれり」

といふ。

「よしさらばうちあはん。

こゝろざしよわきものは眼前(・マノアタリ)にきり殺すべし。

又その術はいたらずとも、こゝろざしいたり心たけきものは、かの軍兵に縛(しば)りとらせん。いざ」

とて、先生太刀を提(ひつさげ)てゆくに、物のかげより、「小松藤見候」

と名のりて、一番(・サキ)にすゝみて打かゝるを、「心得つ」

といひて、しばしうちあひつるが、太刀をすりおとされて立まどふ所を、ふせたる軍兵二人三人はせ来り、捕しばり口をふさぎてつれゆきぬ。

次に

「足日」

と名のりてかけむかふも、またさきのごとくしてつれゆきぬ。

さてかけむかふものは一人も疵(きづ)つけず捕(とり)しばりとりつなぎ、先生つかれたる時は、後の男立かはりてしかするほどに、三百余人(・ミホマリノヒト)は捕(とら)へ得つるとおもふに、纔(わづか)に切殺したるは三人四人に過ず。

さてのこれる徒はさすがにしぞかず、皆太刀を投捨(なげすて)頭をうなだれ、手をつき尻を高くして、「我先生/\、大に誤りをきこえ奉る」

とわぶ。

時に後の軍兵をよび出て、皆その太刀をこひとらせ、捕しばりたる人を引出させ、まづ左にあぐらをかゝせ、後(うしろ)の男をすゑまゐらせ、我は側(かたへ)にさむらひて徒にいつて日、「おの/\こゝろざしは致したり。

いとたのもしきかな。

扨左のあぐらにすゑまゐらせつる人を、誰とかもしらじ。

我徒に告(のり)わきて申べし。

これは左大臣橘諸兄公の御嫡子(・オンマナゴ)にておはす。

御名は橘朝臣奈良麻呂卿(たちばなのあそんならまろのきみ)にておはせり。

父君おぼすむねありて、一首(ヒトクサ)の歌を残し、此北国の山陰にかくれおはしまし、今の御名は井出の諸兄、又の御名は枳殻麻呂(からたちまろ)と称(たゝ)へ奉る。

父君は君臣(キミオミ)の礼をおぼし、『君道鏡を愛(めで)たまふは是君の御心なり。

臣老ずあらばいかさまにも時を待て奏しきこえ奉るむねもはべれど、顕身(うつせみ)の息(いき)のうちには大御心をうかゞひ奉りがたし。

さはとて官位に侍りてかゝる横ざまのことを黙止(もだ)しあらんや』

と、只何となく山に隠れ、今はたゞ雲霧にまじりて、薬を採食(とりくら)ひ、水を飲(のみ)て、人の世の中を背向(そがひ)にして、庵(いほり)にだにもおはしまさず。

是はこれ御父の御心なり。

又是なる奈良麻呂卿は、『我は是正男(ますらを)なり。

いかさまにも道鏡をしぞけて天下の民をなでん』

とのたまひ、御身をいたくやつし、此白山の山の辺にかぐろはし、唯よき正男(ますらを)を得(え)てん事をおぼす。

我さる御人ともしらず、不意(おもはず・ユクリナク)行合ひ奉りて、互(たがひ)に深き心をあかし、則此剣(つるぎ)の里に栖(すみか)をさだめ、月ごろ心をくだきて千人(・チタリ)におよぶともがらを得たり。

扨我名は、海辺鰹(うなべのかつほ)はかりそめによべる名なり。

誠は恵美押勝が家人(・イエビト)和尓部真太刀(わにべのまだち)なるぞ。

昼は徒に剣術を教へ、夜は此山の辺にかぐろひて、姿をかへ面をやつし、此卿と心をあはせ奉り、おほくの軍兵をなづけ得てはべり。

扨汝達はかく召捕(めしとり)たれば、命はこれなきものにあらずや。

さらば今ゆ身をなきものとして、我願ひをたすくべきや。我願ひ私にあらず。

唯天下の民をおもふなり。

又さらずは眼前に首をとりて、此君の御軍をいはひ奉らん。

我徒こたへせよ」

と、いきほひに乗りていへば、徒唯涙を落して、「おのれらいと賎しといへど、天下の百性(・オホンタカラ)なり。

民をおぼさゞるは君としもおもはず。

民を撫(なで)給ふは我君なり。

道鏡政(まつりごと)をとりて民をありとせず。

その恨(うらみ)いづこにかむくひん。

今日より君の軍兵なり」

といひをはるに、奈良麻呂大によろこびたまひ、真太刀も、「恥(やさし)み知たる者共なり」

と称へ、「かゝるうへは、軍兵を将(ゐ)て此君こもりおはす所あり、直に参れ」

とて、奈良麻呂・真太刀馬に乗て先にあゆみ、軍兵等後に立、ともがら又あひくはゝり、白山の麓ゆめぐりのぼる。

本朝水滸伝巻之七終

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本朝水滸伝巻之八

第十五条

二人の大将軍軍兵と徒(ともがら)を将(ゐ)て白山の窟(いはや)にこもる。並に泰澄(たいてう)法師兵粮(・カテ)の事を謀(はか)る。

神奈月十日ばかりなりける。

山のふもとすらあるに、半(なかば)あまりめぐりのぼれば、林の木の葉のこりなく降(ふり)落て、谷の八十隈(やそくま)はいたく氷(ひ)こり、岡の弥千峰(やちを)は雪高く敷て、夜嵐さむく吹おろすに、梢は枯て鳥やどらず、松はたれて猪(しゝ)いはひ臥(ふし)ぬ。

行(ゆく)々岩根を踏(ふみ)て、馬つまづけば、大将橘奈良麻呂馬よりおりたまふに、和尓部(わなべの)真太刀もおなじく下りて、高坂に息(いき)つきなづみ、横山に佇立(たゝづみ)いこひて、後方(しりべ)をはるかに見おろせば、軍兵五百人あまりに、又さる勢(・イキホヒ)をくはへたれば、只大空(おほぞら)にはひのぼる龍(たつ)の、雲の弥重(やへ)むらにうごめくなして、左にめぐり右につらなり、山道の雪をふみさけつゝ、捧(さゝぐ)る鉾(ほこ)はしもと原のごとく、うちあへぐ息(いき)は朝霧のごとくて、漸々とのぼりいたるに、洞を家としたるを巌(いわほ)もてとざせる門方(かどべ)につく。

軍兵おほく出て礼儀(いや)をなして大将をむかへ奉るに、かくばかりの人の居(をる)べきくまもあらじとおもひて、追ていたるものは門方に立(たて)ば、「皆こなたへ」

とあるにつきていりぬ。

さるは今此うへに百千人をくはふるとも、こぞり居べしともおぼえざる洞(ほら)の中(うち)なり。

又洞の外(と)の方(べ)には大なる釜百口をそなへて、粥(かゆ)を煮(に)て人々にむかへたり。

夜明もて行に、此うへなる岩屋(いはや)のうちより、としは七十歳(なゝそぢ)ばかりにみえて、髭(ひげ)髪(かみ)雪なすおしたれ、面は節木(ふしき)なすからびたるが、身には仏の衣を着(き)、手には銅(あかゞね)の鈴(すず)をふり、脚には黒きうけ沓(くつ)をはきて、くだり来りて二人の大将に告(の)りていはく、「軍兵すでに千人に越ぬ。

軍はそれ天を頼まず地をたのまず、人をたのまず我を不頼(たのまず)といへり。

汝達千万の軍兵をあつむるは何ぞや。

千人もし一人の心ならばよけん。

千人もし千人の心ならばもとなや」

ときこゆるに、二人の大将聞得て、「よく試(こころ)みてさむらへば、此うへの勢は唯くはゝるにまかすべし。

しひて覓(もとむ)べからずと申あはせてはべり」

と申さす。

老人きゝて、「かゝる山ごもりにおはすれば、糧の事をしもいと難くしたまふべきに、おのれ只今より越中国(・コシノナカツクニ)にまゐり、国の守大伴家持(やかもち)にあひて、その糧(かて)の事を物せんとおもふなり。

はやからば五日ばかり、久ならば十日ばかりのうちに、かならずその粮(かて)はおくりまゐらん」

ときこえて、しづかに山をくだりておはしけるを、今参りのともがら、みおこしつゝ軍兵にむかひ、「彼(かれ)はなぞの老人(・おいびと)ぞ」

といへば、「彼は則此岩屋をひらける泰澄(たいてう)法師にておはせり」

といふ。

「さては泰澄なりける。

此法師(・オコナヒビト)ぞ太子の御祈の師とうけ給はりてはべるが、天下の気(・キザシ)を考へ、かならずよからぬ人いで来なん事をさとし、しばらく此白山の岩屋をひらきてこもりおはすとあるは、風の音のほのかにぞきゝつる。

いと貴(・タカ)き異人(・コトビト)や」

などいひあへり。

さて岩屋の中は、弓を削(けづ)り箭(や)を作(つく)り、太刀を磨(とぎ)鉾(ほこ)を磨て、さるべきときをぞ待居ける。

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第十六条

大伴家持泰澄に逢ふ。並に家持が放(はな)てる鷹を諸兄すゑもちてかへしたまひ糧を白山に送らしむ。

守大伴宿祢家持卿は、おほきみの御言(みこと)かしこみ、み雪ふる越と名におへる中つ国をなん任(まけ)られけるに、国の政務(まつりごと)に暇(いとま)あるときは、布施(ふせ)の海辺に立あさり、あるは立山(たちやま)の方(べ)に獣(けもの)を猟、あるは麻都太要(まつたえ)の浜に鷹をはなち、又其ひまは哥にかゝりて、風流(みやび)に心をなごしたまへり。

比美(ひみ)の入江も水草(みくさ)枯(かれ)て、浜風寒くなるまゝに、水鴨(みかも)いとさはに集(すだけ)りと聞給ひて、守、ますらをの伴(とも)をいざなひ、今日は比美の江に鳥狩(とがり)せばやと、手放(たばな)れよく馴(なれ)て遠(をち)もやすき、八形尾(やがたを)の大黒(おほぐろ)とふ鷹に、尾鈴(をすゞ)とりつけてかいつくろひ、鷹飼(たかかひ)の太波礼麻呂(たはれまろ)ぞ馬に立添ひてとりすゑたり。

さて多古(たこ)の島辺(べ)にかゝりて、芦鴨すだきて侍るを見つゝ、太波礼麻呂(たはれまろ)芦蔭(かげ)に立しぬびて、尾鈴玲瓏(もゆら)にはなちやれば、水鴨(みかも)は羽(はね)きりて飛あがるに、群(むれ)たる羽風にうち驚てや、鷹は横さまにひるがへり、風にむかひて空にあがり、二上山を飛越ると見しが、雲がくりつゝかけりうせぬ。

守(かみ)馬をはせてよびかへしたまへどもかへらず。

太波礼麻呂は天(あめ)にあふぎてうちまねきても、せんすべなければ、守は御心に火さへもえて、おもひこひのみたまひけれども、たどきをしらねば息づきあまり、今は物をさへのたまはで、馬を引かへしたまふはしに、麻都太要(まつたえ)の浜方(はまべ)ゆ、此方(こなた)にむかひてあやしき法師の立来つゝ、「しばしまたせたまへ」

といふに、御供つかふまつりける人々とり%\に出て、「守御けしきあしき時なり。

あやしざまにて立来り給はゞ、かならず御いかりを蒙(かうぶ)り給はん。

いかなる世捨人ぞ。

名を告(の)れ」

ときこゆるに、法師たぢろがずちかくいよりて、「守は今大鷹を放(はな)ちたまひ、さこそくやしくおぼせるならめ。

我その鷹のとゞまりてはべる処をしれり。

守もしそを得まくおぼさば、我詞につきて尋ねゆかせ。

かならずその鷹に逢ひたまはん。

かく申は白山の道をひらける泰澄法師にてあるなり」

と聞(きこ)ふるに、守馬より下(お)りて礼儀(・イヤ)正しくて、「是は大徳(・ノリノウシ)にてますか。

かくまのあたりにあひ奉りて、大徳なる事をしらざりしは、是正(まさ)に眼(め)ありて白山をみざるといはんにひとし。

彼鷹は我いのちにてさむらへ。

とめ得ば何の幸(さひはひ)か是にすぎなん。

大徳はやくその在所(ありどころ)を教(をし)へたまへ」

ときこゆるに、「然らば申べし。

その鷹は二上(ふたがみ)山を越(こえ)、うしろの山方(やまべ)の松枝にとまりしを、その山の仙人(・ヤマビト)手にすゑて、鷹の主を待にてさむらへ。

是を得てかへらんとおぼさば、御供は此わたりにとゞめたまひ、守一人鷹飼の太波礼麻呂を伴(・アトモ)ひて、御馬をはせてまゐりたまへ。

我能しるむねありてかゝりとは申せ。

さておはす道は、松並(なみ)植(うゑ)し木陰の道はたひらかにはべれど程遠し。

此比美の江の浅瀬を渡り、岸にあがりて田道(たみち)をつたひ、山にかゝらば小道(こみち)のあらんに、馬をはせのぼせて参りたまへ。

さてその仙人に逢ひ給はゞ、仙人かならずたのみまゐらするむねあらん。

守かならずなもだし給ひそ。

かしこけれど天下の蒼生(たみくさ)のうへなり。

我袖はいとせまし。

守の御袖におほひ給はゞ、かならず蒼生はやすからん。

何にまれいそぎたまへ」

とをしへて、鈴(すず)を西(にし)ざまに振(ふり)ならして過ぬ。

守いとうれしくおぼして、泥障(あふり)を巻(まき)、手綱(たづな)をゆるめ、比美の入江をうち渡し、岸にあがり田道を過、山にかゝりて小道を登るに、めぐりのぼる道のくまをゆきつくして、峯のへを越れば、彼いひをしへつる向峯(むかつを)のはべるに、雲の浮橋もがなとおもひなれど、谷深ければせんすべなく、又くだり又登(のぼ)れば、岩垣うちかさなる道のあるに、今は馬よりおりて枯たる蔦(つた)のかづらをとり、伏たる小笹の枝にすがりて、太波礼麻呂に後方(しりべ)をおさせて、辛苦(からう)してはひのぼり給へば、かの泰澄のをしへたるにやあらん、一株(ひとき)の松のこだれたる陰に、ひとつの亭(あばら)のはべるうちに、身には木の葉をうちかさね着て、さすがに鷹は右手(・カウテ)にすゑて、左の手には朮花(うけらのはな)をもてり。

さてちかくよりてみれば、かしらはうちあらはしたるに、髪はしろがねをうちのべて、たゝりにかけて組垂(くみたれ)たるごとく、眉髭(まゆひげ)は面を隠(かくし)、眼のひかりは眉を照わきて金のごとくかゞよひたるに、守おもほえず頓首(かしらをさげ・ウナネツキヌキ)、「翁のすゑおはせるは下官(やつがれ)が鷹なり。

尾は八形(やかた)にて名は大黒(おほぐろ)とよべり。

此鷹巣(す)よりもりおろして手馴しぬ。

今まで政務(まつりごと)の暇(いとま)あるときは、朝猟にすゑ夕猟にすゑ、しばしも手より放(はなた)ざりしに、けふなん不意(おもはず・ユクリナク)比美の浦に鳥猟(とがり)して、是なる太波礼麻呂が手よりあやまてるなり。

さていかにせんとおもひわびてはべるところに、白山なる泰澄来りたまひ、かう/\たづねまゐれとをしへけるまゝに、供をもめしつれず参れるにて候へ。

翁その鷹を我にたまへ」

とまうすに、翁うなづき給ひて、「いかにも守のまゐりおはさんを待てり。

さてやすく此鷹をかへしまゐらすべきが、翁が頼みきこえまゐらする事を、守承引(うけひき)たまふべきや。

まず一言の御契約(ちぎり)をうけたまはり、さてそのうへにいかにもかへし参すべし」

とあれば、守は言さはに告(の)らず、「かく参りたるが直(・ナオ)々に誓約(・ウケヒ)なり」

と申せば、「しかあらば申べし。

翁かく深く隠れ居れるをさとし、白山の泰澄此あかつき此処に来り、我に告ていはく、『けふなんかまへてかゝる事の出来(いでく)べし。

此国の守かならず此亭におはさん。

さるとき主に頼みまゐらすべきは、天下の民のうへなり。

米を千疋(・チビキ)の馬に負(おは)せ、塩を十頭(とかしら)の牛におはせ、豆を百人の一におはせ、はやく白山の岩屋に送りたまへ。

いかにとなれば、天下のいのりのために千人の法師をつどはせたり。

そはこれその供養する糧(かて)なりと申きこえ、守もし承引(うけひき)給はずは鷹をなかへしそ。

そのまゝに放(はな)ちやれ』

と聞えおきて、いずこともなくまかん出られしが、我泰澄が詞をわすれず、守に此事を伝(つた)へまゐらす。

此処(こゝ)ゆ御館(みたち)にかへらせば、かならずしかしたまへ」

ときこゆるに、守はいとやすく諾(うべ)なひて、鷹を左りにすゑかはしたれば、雲霧高く立のぼるに、翁いとかろげにうち乗りつゝ、「天下の事は我いはじ。

翁は橘諸兄にてあるぞ。

忌(いめ)人にな洩らし給ひそ」

と告(の)りて、弥百重(やほへ)の尾上を踏(ふみ)わたり、南をさしてゆくとみしに、家持くしきおもひをなして、馬をうちはやめてかへりたまへり。

本朝水滸伝巻之八

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本朝水滸伝巻之九

第十七条

守大伴宿祢家持糧(かて)を白山に贈る。並に和尓部真太刀家持の館(たち)に来る。

泰澄法師の教にまかせて、諸兄の翁に鷹を得給ひ、御館にかへりておもひめぐらすに、「あやしき人のありさまなりける。

何にもあれ誓約(うけひ)つるむねは違へじ」

とおぼし、俄に使を立てめすに、掾(じやう・マツリゴトビト)大伴宿祢池主、大目(さくはん)泰忌寸八十島(はたのいみきやそしま)、装束(よそひ)をとゝのへて頓(とみ)に来たるに、守大伴宿祢家持出居(でゐ)にむかへて告て曰、「けふなんしか%\のむねあり。

白山の泰澄はこれ太子の御祈の師なりしが、京師(みやこ)を退(しぞき)て白山にこもるといへども、天下の民のためには御祈仕まつるむねあれど、せまき袖をば天下の蒼生(たみくさ)におほひがたしときこえ、それ%\の事を我に頼みつるよしを、不意(おもはず・ユクリナク)諸兄の翁にあひて、法師の望をくはしくきゝぬ。

さて諸兄の翁は今は仙人となりおはし、木の葉を衣とし、草をあぢはへ、雲を道とし山を家とす。

さて我に別(わか)れたまはんとする時、『天下の事は我はいはじ』

とのたまひきこえ、みそらを渡りてさり給ひぬ。

さはこの一言(ひとこと)ぞ心あらん。

又泰澄が諸兄の翁をもてたのみ聞えつるむねは、百人の人に豆を負(お)はせ、千疋の馬に米をおはせ、十頭の牛に塩を負はせ、白山の窟に贈(おく)りやらへ。

そをもて千人の人に供養(そなへ)て民種のうへをいのらんとなり。

我是をうけひかずは、放(はな)てる鷹をかへさじとのたまふ。

我爰にしておもへらく、鷹はよしおもひ捨べき物なり。しひては是を得まくせねど、民くさの御祈とあれば我うけひかざらんやと、誓約(うけひ)てその所をまかんでしなり。

此事公(おほやけ)に似(に)て私(わたくし)なり。

私にして黙止(もだ)もならず。

汝達の御むねはいかに」

とあるに、池主・八千島ともに聞ていへるは、「こはいかで黙止(もだ)もあらん。

たとへかさねて公(おほやけ)の御とがめありとも、下官(やつがれ)らうけひき奉らん」

といひて、御蔵をひらかせ、米を出し、豆を出し、塩を出し、すなはち泰忌寸八千島に察(みさ)せ、人に負(お)はせ、馬に負(おは)せ、牛におはせて贈りやらふに、日に行(ゆき)、夜にいきたらはして、二日二夜のあかつきにいたりて白山のふもとに着ぬ。

岩屋とおぼしきあたりは里人に問(と)ひ聞えて、八千島まず馬をはせのぼせてゆけば、山半(なから)ばかりいきいたらざるに、おほくの民どもむかえ来り。

そが中には二人三人袴(はかま)に布かたぎぬをうちかけて太刀はけるもむかへ出て、「岩屋の道はいとさがしく、雪深く降積(ふりつみ)てはべるに、御おくりの人をわづらはしはべらんが無礼(・イヤナキ)ことに候へば、我々爰にてうけ給はりはたし、御贈の品をうけとり奉り、是の民どもに負(お)はせかへはべらん」

といひて、千人ばかりの民を出し、米をおはせかへ豆をおはせかへ塩をおはせかへて、釜を具へ湯をわかし、酒をあたゝめてもりをはり、かの太刀はけるが、ふところより筆を取出(とうで)て、一枚(・ヒトヒラ)の證文(・オシテブミ)をしたゝむ。

その文にいはく、

泰澄法師天下の御祈つかふまつるにつきて、千人を供養すべき糧とし侍る、米の俵二千(・フタチ)丸、豆の俵二百(・フタホ)丸、塩の俵十丸、白山の下(もと)にして是を負(おひ)かへてうけとり奉る。

ていれば御祈の事足ぬ。

すなはち泰澄が家人小松藤見、松任足日、うけひき奉るむねゆめ/\たがはず。

よりて印(・オシテ)をしるしてしかいふ。

天平勝宝元年十月廿日  白山泰澄

  泰忌寸八千島主へ

と、かいとゞめて出すに、八千島よみをはりて礼(・イヤ)をなし、文を懐にいるゝにいたりて、藤見、八千島にいつて曰、「今度の御礼使を立てむくひ奉らんと、守大伴卿へきこえあげさせたまへ」

と申すに、八千島承りをはりて、役(・ヱタス)の民に馬牛をひかせて帰りぬ。

さて今般(このたび)は四日ばかりを経(へ)て御館にかへり、守へしか%\のよしを申ぬ。

さて二日三日すぐるに、何方(いづこ)ゆともなく、馬に乗(の)り鉾(ほこ)をもたせ、先(さき)をはらへる供人(ともびと)、後(しりへ)をおさへたる供人、五十人ばかりを将(ゐ)て、身には装束(よそひ)し冠(かうぶり)したる武士の、守の御館の門辺(かどべ)にまうで来て、馬より下(お)りしるべを請(こ)ひて、礼正しく謂(いひ)て曰、「我白山の岩屋より来れり。

此程の礼をきこえ奉らん。

守御目を賜(たまは)るべし」

とあるに、御館の家人承りを申、「先此方(こなた)へ」

ときこえて、広間の上座(・カミクラ)にとりむかへ、供人らは長屋にやすらはせて、さていりて守に申すに、守又装束し冠し出居にむかへてあひまみゆ。

武士礼(・イヤ)正しくし座(・クラ)をはひくだり、うなづきて申て曰、「下官(やつがれ)は白山の岩屋にはべる和尓部真太刀と申すものにて侍る。

此度(・コタビ)泰澄の御祈につきて、供養すべき糧を多(・サハニ)贈りたまふ。

難有までかたじけなき。

下官御祈につかふまつる役の者なれば、頓(とん)に参りてその礼をきこえ奉る」

と申に、守きこして、「是(こ)は御礼に過たり。

天下の事とはべるを承りては、かく官(つかさ)にさむらふ我々、いかで{てへん+勉}(なげ)にはつかふまつらん。

殊更我愛(めで)し鷹を泰澄のをしへによりてたやすく得て候へば、その礼又なからざらんや。

いと遠き所をかくまゐりたまふに、御あるじつかふまつらん」

ときこえて、杯(つき)は酒杯(さかづき)よりはじめて八百杯(やほつき)にいたり、物は飯よりはじめて千盛(ちもり)におよびぬ。

さて互(たがひ)に装束(よそひ)をやつし、くさ%\の物語ども聞ゆるにおよびて、真太刀硯をこひて、此守を称(たゝ)へる哥をよむ。

その歌にいはく、 橘の下照庭に殿たてゝ酒みづきます是(これ)の君はも

「いとおろかにはべり」

とて出す。

守いとうれしがり聞えて、「おのれ生(・アレ)ながら哥をこのみ、政務(まつりごと)のいとまは是にかゝれり。

いで御こたへ奉候ん」

とて、 酒みづく君によりてぞ橘の下照庭にけふはなりぬる

とうたひあひて、互(たがひ)に心を和(やわ)しあひけるときに、真太刀守にいひて曰、「つきなき事には聞給はんが、世の中いとさわがし。

守はまづ道鏡の法皇をばいかにかおぼせる」

守しばししてこたへたまはく、「我にしてはいひ難し」。

真太刀又とひていはく、「太宰府阿曽麻呂(だざいふのあそまろ)は守いかにかおぼせる」。

守とみに答て曰、「いと諂(へつら)へり」。

真太刀又とひていはく、「左大臣橘諸兄公はいかに」。

守こたへていはく、「是(こ)はたゞ時と老(おい)をしれり」。

真太刀又問ひて曰、「和気真人清麿はいかに」。

守こたへていはく、「いと忠誠(まめ)なり」。

真太刀聞をはり、「いとかしこけれど、塩焼王は不破内親王を伴(あとも)ひたまひ、祖王(おんのおほきみ)は内舎人(うどねり)を将(ゐ)ていづこともなく隠(かく)れたまふ。此二王はいかにと申さん」。

守聞てこたへ給はく、「いと深くしておもひがたし。思ひ得るも又いひがたし」。

真太刀又問ひて曰、「藤原恵美押勝はいかなる人ぞ」。

家持うちうなづきていはく、「押勝は天下をおもへる人なり。惜むべし/\。此あそ天皇に奏しきこえ給ふ哥に、 児輩(こども)らよたわゝざなせそ天地(あめつち)のかためし国ぞやまと島根は

ときこえあげ奉りて後、近江の高島に退(しぞ)きしとは聞しが、天地の時いたらずはべるに、二王もかくれ給ひ、押勝も首を佐保川に梟(かけ)られたりと聞て、いとかひなくくちをしかりし」

といひて、覚えず涙を拭(のご)ひ給ふに、真太刀ちかくよりて、「しばし聞え奉りたきむねあり。御側(かたへ)の人を退(しぞ)けたまへ」

と申すに、守きこし得て目をもてしめしたまへば、はべる人々みなしぞきぬ。

守ときに真太刀をよせてひさしくさゝやききこえ給ふ事あり。

その事は側(かたへ)に聞居ねば何事にかしらず。

さて御饗(・ミアヘ)終るに、真太刀退出(まかで)んとすれば、守

「しばし」

と留め、金三百枚(・ミホヒラ)を取出させ、「此度の御祈にそなへ奉る」

とあるに、真太刀すこしもいなまで、その金を箱にをさめさせ、供人をつどはせ、あるじぶりの礼(・イヤ)をきこえ終り、広間をはひくだり、家人に礼をきこえ、馬にうちのりて白山をさして退出(まかで)ぬ。

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本朝水滸伝巻之十

第十九条

人置(ひとおき)の真鮪(ましび)・韓臼(かるす)の犬神(いぬがみ)金をわかつ。並に弓屋の俊雄(としを)隠妻(かくしづま)をむかふ。

武蔵(むさし)の国豊島(としま)郡大江戸なる神田(かみだ)のあたりに、弓を削(けづ)りて業(わざ)とするものあり。

名を弓屋の俊雄(としを)といふ。

さるはその削(けづ)る弓工(ゆだくみ)どもをいと多くめしかゝへて、大なる長屋にすませ、年には千万(・チヨロヅ)の弓を造(つく)りて、国々の守に売(うり)あがなふほどに、家は富栄(とみさかえ)てたぐひなき長(をさ)なりける。

さるほどにおのれは業の事はしらず、唯人とまじらひて、酒のみし哥をうたひ、月花を愛(めで)て、遊び居事のみを事としけり。

妻はいとねたみふかくて、妾(をんなめ)ざまのものとみれば、いたく{勹+言}懲(のりこら)すほどに、顔よき女は、此家に参りてつかはるべしとおもふはなし。

さるよりあたりをたちふるまひする女どもは、唯(たゞ)醜女(しこめ)のみを撰集(えりあつめ)てげり。

かゝる事は彼(かの)ねたみ深(ふか)き妻のしわざなりと、人みないひながしけるほどに、奉公人(つかへびと)肝煎(ものする)ものどもも、俊雄が家につかはすほどの新参(いままゐり)は、世の中の男にうちあかれたる女のみをえり立て、さる時となればその家にのみ押(おし)立てつかはしける。

正月(・ムツキ)も過て二月(・キサラギ)の二日といふには、是等の国は召仕(めしつかへ)どもさしかへはべるに、さる醜女(しこめ)どもゝ、とかくに妻のねたみにおぢて、是等さへ

「さしかはらん」

といふに、そのわたりに奉公人肝煎屋(ものするいへ)の侍るが、その名を人置(ひとおき)の真鮪(ましび)といふ。

よく肥(こえ)たる男なるが、家のおもてには札をかけて、「給仕人(つかへびと)承引所(うけひきどころ)人置の真鮪」

としるしたり。

時にもなり侍るに、彼方(かなた)を此方(こなた)へさしかはるもはべり。

又奉公(つかへ)の年季(・サダメ)終(・ハテ)て親里(おやのさと)にかへるもはべり。

新参とてまうで来るも侍りて、二月二日三日になれば、真鮪が家は唯女島(・メジマ)とふ島のさまに女どもいりこみて、おのがじゝいひさわぎ、あるじが妻子は所狭(ところせ)くはべるに、竃のまへに下(お)り居(ゐ)て、彼方(かなた)此方へと物しさわぐに、彼弓屋へつかはさん醜女(しこめ)どもをえりたつるに、いとをかしくもさわがしくもあるかな。

さて今参りとて来りし一人は、かしらいとほそく、髪はみじかく、咽(のど)はふくらかにて、胸(むね)のいとたかくさしはりたるに、腹はうちこけて、尻のかたにさし出たれば、後は腰(こし)のうえに棚(たな)をひきわたしたるすがたなり。

裾(すそ)も又みじかくて脚(あし)はいと赤きが、先をば内のかたに踏(ふみ)まげて、沓(くつ)などぬぎおきたるは八文字をみるばかりなるに、真鮪うちみて、「よき女こそあれ。

よくとゝのひてはべるは。

いづこよりはひ出たるぞ」

と問へば、口をばいとちひさくあきて、声は唯咽(のど)の底(そこ)より響(ひゞき)出、「我(わ)なみは此国にて鳩(はと)が谷(や)と申里(さと)より参りつ」

といふ。

あるじ聞て、「よし/\、新参(いままゐり)に参り給ふ所あり。

人そへてまゐらせん」

といふ。

又次に来るは、眉(まゆ)はへ文字にはへ埋(うも)れて、額(ひたひ)のくまいとすくなく、鼻(はな)はおしたれてうちひらみ、頤(おとがひ)はいと長く尖(とが)りたるに、姿(すがた)はあまりなればいはず。

あるじうち見て、「是も又調(とゝの)ひつ。

弓屋の内君はいかに愛(めで)たまはん。

いづこの人ぞ」

と問へば、「毛野(けぬ)の国駒田(こまだ)にて侍る」

と申す。

さてその次に来つるは、色のいとしろきに、鼻の右左は紅粉(べに)引たらんさまなるに、腰(こし)は立臼(たちうす)の圍(かこみ)あるを、さすがに見せじとて、帯いと広くうちひろげて結(ゆ)ひ居(をり)たり。

あるじみて、「是はすこしとゝのはざる所あり。

色のしろきが白珠(しらたま)の疵(きず)なり」

とて受(うけ)ず。

又次に来るは、としのほど十七八(トホマリナゝツヤツ)とみえて、眉いとほそく、眼皮(まかは)艶(にほ)やかに打かさなりて、鼻のかゝり清く、唇(くちびる)の紅(くれなゐ)なる、髪のいと黒く長き、面のしろくきら/\しきより、手脚(てあし)のほそやぎて艶(にほひ)深(ふか)きに、姿の前後(まえうしろ)とゝのひたるを、白き赤き下がさねして、上には藤の花色の染たるから衣、唐織(からおり)の錦の帯をふくさに結(むす)びたれて、あゆみ入るに、唯あたりなる女どもは雪のうへの山鴉(がらす)よりもいと黒く、初花にならべる枳殻(からたち)のはりよりもいとおそろし。

あるじうちみて、「かほどの今参り多き中に、かばかりとゝのはざる女もあらじ。

髪のめでたき、顔のうつくしき、姿のほそやかなる、詞のあてやかなる、世の中にしては下照姫(したてるひめ)なり。

弓屋にしては岩長(いはなが)姫なり。

さて又そこの物のたまふをきくに、都の人な。

かゝる東国(あずま)へは何しにくだりたまへる。

さるさまの人はいづこの守達(かみだち)もほしがりたまふに、何方へも参らせん。

さて名は何とか」

ととへば、「花木(はなぎ)と申さむらふ」。

「さて歳は」

と問へば、「ことし十八(トホマリヤツ)にて」

といふ。

「京(みやこ)は何処(いづこ)の人ぞ」。

「みやこは狙沢(さるさは)の池の南に年久しく住てさむらふが、さる事のはべりて、わなみの伯母(をば)なる人につれて、はるけき道をくれ%\とくだりさむらふ。

うけ給はり及つる長(をさ)のおはすに、弓屋の何とやらんうけ給はりたるかたへ今参りにまゐりたく、人に問ひてはべれば、さる望ならば人置の真鮪と尋て頼みたまへと申すに、参れり」

といふに、亭主(あるじ)頭(かしら)をかきて、「俊雄唯一目見たまはゞ、『いかばかりの禄なりともかゝる新参りは』

とのたまふべけれど、これ見たまへ。

爰の頬赤(ほあか)の腰臼(こしうす)さへ、すこし顔色(おもて)のしろきに調(とゝの)ひかねしとおもひてはべるに、そこをまゐらせば、唯一時に内君の手にかけて、髪をひきむしられ、顔はかきさかれ、手脚はうちなやされたまはん。

されどさる都の人のおもひかけたまふ事なり。

又俊雄にもかいまみに見させて、千年の命をひきのべて参らせんともおもふに、先爰に入おはせ」

といへば、「いかばかりにも頼みまゐらする」

とて、奥の方に入居たり。

さてあるに、韓臼(かるす)の犬神(いぬがみ)つと入来て、「あるじおはせるか」

といひてさしのぞき、「是は花木も此所にか」

といへば、「さいつ頃より参りて」

といふに、犬神あるじにむかひて、「此少女(をとめ)は、おのれ都にはべりし時よりよくしれる人なり。

いひもて行(ゆけ)ば徒弟(いとこ)のはしにもさむらふが、これの伯母子(をばご)とつれて此程くだりてはべるに、何方へも御奉公(つかへびと)にと申す。

おのれしりたまふごとく、日ごとに弓屋に入居て多くの米をふめば、折々は主の出おはして、都の物語など申ほどに、韓臼(かるす)とものたまはで、犬神/\とのたまひ喚(よば)ひて、我をばうるはしき友とおぼせり。

今朝(けさ)なん臼屋に米踏てはべるを、俊雄おはして、『我妹(わぎも)がねたみには為方(せんすべ)なし。

かく富(とみ)てはべるに、物のたらはぬ事はあらねど、唯是ひとつのわざはひにかゝりて、朝夕醜女(しこめ)どもに立ふるまはれ、穢(きたな)き色を見、くさき香をふるゝは、まづしき人のよき少女(をとめ)をほしきまゝに得たまふにははるかにおとりたり』

とわびたまふを聞て、おのれいとやすく承引(うけひき)ぬ。

『さる内君のねたみ給ふに、いかで御家のうちにはつかふまつらん。

近からぬわたりに家をもとめ、此花木に伯母をつけて、隠妻としたまひ置んに誰かしらん。

その御はからひは、人置の真鮪と申合せて聞えまゐらせん。

さるにても少女をかいまみ給はでは』

といへば、俊雄きかして、『たとへその女のけはひは、百(・モゝ)いふ事を唯一つにして聞得んも、我あたり立ふるまふ女にはまさりぬべし。

ことに都の少女ときけば、かいまみもせじ。

うかゞひもせじ。

はやさる筋を真鮪とはからへ。

金はいかばかりをも取出て、此事頓(とみ)にはたすべし。

けふは碓屋(うすや)に居(ゐ)な。

はやくゆけ』

などのたまふに参れり。

おのれもちかきころ京(みやこ)よりくだりてあれば、さる家もとめむ術(てだて)もはべらず。

又処の掟(おきて)などはゆめもしらず。

真鮪よくものしたまへ」

とてうち踞(あぐ)み居たり。

真鮪これを聞てうちよろこび、「是はいとよし。

近からぬ所といはゞいづべかよけん。

葛飾(かつしか)の真間(まゝ)のわたりはいと遠し。

玉河の辺も又遠し。

さるは此わたりにせん。

いかにとなれば、よき家のはべり。

かゝる事はちかきもよからず、遠きも又よからぬものを、よきほどのあたりなるに、庭は水せきいれて高楼(たかどめ)めく所などもうちはれてはべるに、爰に定めはべらん間、そこには今一度弓屋におはせ」。

さて、「家はもとめつ。

何くれと調(とゝの)へたつべき物もはべるに、金をまづ百枚(・モゝヒラ)ばかり此犬神におこしたまへ」

といふよしを短く書付て出せば、犬神ふところにして弓屋にいき、小娘の事わきまへぬがあるに、「ひそかに」

とて俊雄がもとへつかはし、我は碓屋(うすや)に入て待(まて)ば、俊雄は園のべの花などみるさまにしなして、庭の荒石(ありそ)をめぐりて碓(うす)やに来たり、「いとよし/\。

その家に定めよ。

その少女(をとめ)をもすゑおき、伯母(をば)をもつけおけ。

おのれはこよひまゐらん」

とて、金百枚(・モゝヒラ)まりを取出て、「是もてまゐれ。

その外にもとゝのへん立ん器物(・ソナヘ)どもは、何にまれ密(みそか)にいへ」

とて入る。

さて人置のもとに帰りて、「しか%\調ひたり。

今ゆそこと其家にいきて、塵(ちり)掻(かき)はらひ、畳(たゝみ)どもゝしきかまへん」

といへば、真鮪うち笑ひて、「その家はな、掻払(かきはらは)んにも塵ひとつだもはべらず。

漸々昨日かおとつ日か富人(とみびと)の立退(たちのき)たるいへなり。

そのすめる人は、文石(あやし)の何蜘(ぐも)とかいひつるやうにおぼえし。

いと忌(ゆ)々しく賑(にぎは)ひて、人などもあまた召つかひ、此わたりの守も及びたまはぬ住居(すまゐ)なりしが、俄(にはか)に事もなく立のきたまひ、家は我にあとらへおきて、『いかなる人をも住せ』

と申おこて出たまひし。

双六(すごろく)にがないたく打まけたまひつらん。

さるほどに、家のいみじき、道具(そなへ)のきら/\しき、畳の新(あたら)しき、庭のさまのおもしろき、たとしへなき家のさまなり。

さて此金は、さる家(いへ)求(もとめ)たり、さる器具(そなへ)もとめたり、さる庭(には)の木草もとめて植(うゑ)つ、石など求てすゑつとあざむき、家は我家なれば、まづ此金は百枚を我いたさん。

のこれる十枚あまりは、汝が使したる褒美(ほうび・タゝヘ)にやらん」

といひつゝとりわけつ。

犬神なま/\に聞きとりて、十枚の金はとりつ。

さて花木にむかひ、「かゝるさいはひはべり。

伯母子も爰へといはんに、所はいづべぞ。

人をやらん」

といへば、花木聞て、「さは願へるまゝにてはべる。

今しばし爰にて待人の侍り。

又伯母の刀自(とじ)もその人と伴(ともな)ひて、爰を教(をし)へ置てはべるに来り給はん。

まづ先(さき)に参りたまへ」

といふに、「さらばその人に逢ひて事はてば、下女(・シモメ)どもにしるべさせて、伯母子もともにその家へうつりたまへ。

物荷(にな)はする事などのあらば、下男(・シモヲ)もそこにさむらふに」

などいひちらし、「さて忘れつ。

弓屋の内君は今参りをや待給はん。

それ、さきに来給ひし鳩(はと)が谷(や)の鳩女(はとめ)と毛の国の駒女(こまめ)と、此二人は内君のおもひ人なり。

はやく参り給へ。

飯代(・イヒデ)は銭二百(・フタホ)おきていかせ。

そこにおはす頬赤腰臼(ほあかのこしうす)もつきて御目見(みへ)申させ」

など、落なくいひおきて、犬神をあともひて立出ぬ。

しばしあるに、笠深く着たるわかうどの、いと高貴(あて)なるが、はかまもきず、面(おも)ざしよりはじめて品ざまのいとたかきに、装束(よそひ)は立おくれたるのみか、世の中いと馴(なれ)ぬ人の、彼(かの)伯母(おば)とじが、年のほど四十歳(よそじ)ばかりにて、是もいと高貴(あて)なるが伴ひて、「人置の真鮪とふ人はこれにてはべるか」

といひて、太刀も抜(ぬき)おかずつといれば、花木はしり出て、「待まゐらせしに」

といらへて、手をとりてしるべし、上坐(・カミクラ)にいざなひ、伯母(おば)の刀自(とじ)にも打いらへなどして、彼今参りどもがたちみちたるに、いひたげなる事も侍るめれど、とみかうみてさすがにえいはず、「今しばしのほど、御つれ%\に堪(たへ)させたまへ。

何事も申聞え奉りおきぬる通(まゝ)なり。

さてみづからまゐる所は、いづこなるかはしらねど、此あたりとうけ給はりぬるに、伯母(をば)の刀自もてひそかにきこえ奉らん。

さは帰らせたまへ。

今までしばしの御隔(へだて)もつかふまつらざりしに、今夜(こよひ)いかにさびしくおはさん」

といひつゝ泣(なく)さまを見て、頭(かしら)は笠(かさ)ながらうちかたぶきて、鼻(はな)などうちかみ、「何事もよく心得てあるぞ」

と聞えをはり、伯母をばそこにおきて、しほゝに泣みだれて帰りたまふさまを、花木はつら/\と見おくりまゐらせて、伯母がまぐはせ袖引などするに、是も鼻うちかみて、「さて待居し人にも逢ぬ。

申事も果(はて)たれば、今はその家に参らん」

と聞ゆるに、下女(・シモメ)は先に立てしるべしける。

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第十八条

清麻呂・金麻呂手節(たぶし)の崎にて妻子にあひてともに将(ゐ)て伊吹山にのぼる。

紀伊(き)の温泉(ゆ)には、清麻呂・金麻呂をあやしき輿(こし)に乗せまゐらせて、道首口足(みちのおほとくたる)をゝしくその後方(しりへ)に立、大道(おほぢ)を往けば人しるべしとおもひ、道を真熊野の奥にさし、志摩に出て伊勢道(いせぢ)にかゝり、鈴麻の川を右に渡り、能保野を過ぎ蘆(こも)野をすぎ、玉倉部(たまくらぶ)を越て行んと、口足旅行をはかりけるにより、まづ真熊野をも事なく過て、志摩の国英虞(あご)の郡手節(たぶし)の崎に行たらはしぬ。

爰は人しるまじきあたりなれば、しばしやすらはせまゐらせんとて、一日二日とどまりをるに、清麻呂・金麻呂が夢のうちに、天照皇大神あらはれたまひて、「汝等今一日此処にやすらはゞ、二人ながら妻子に逢ふべし」

ときこえ給ひ、又口足が夢には、「汝此南の浜辺に出て待べし。

明日の夕汐に泊(はて)むずる船をよくもとめ得てよ」

と、神告(・カンノリ)に告(・ノリ)つきたまふとおもひてさめぬ。

三人は一時に頭をあげて、天(あめ)にあふぎ地(つち)にふして御祥(おんさが)をたふとみ奉り、日即(すで)にけふと明(あけ)ゆくに、三人身を浄(きよ)くし心をきよくし、御宮の方を立をがみ伏拝みて、口足とく南の浜方(はまべ)に出て、さるべき船や泊んと待に、時つ風吹おこりて、唯此陸(へ)をさして浪の来よるに、神祥(かんさが)爰に霊験(しるし)ありとあもひ、南の海辺にむかひて立に、帆はいと小さくて篷(とま)深くふきたる船の、釣船ともあらぬが、直(たゞ)に追ひ来りて磯回(いそわ)による。

その外は船もあらぬに、いとうれしく奇(あやしく・クシク)おもひて、とみにはせより、楫取(かぢとり)の翁にむかひて、「此船に人やおはす」

と問(と)へば、老父(をぢ)聞て、「人は一人もはさず。

荒坂の津より乾魚(ほしうを)を積(つみ)て遠江の海にくだるなるが、汐風心にまかせず爰によりてはべる」

といふ。

口足(くたる)ちかくよりて、「老父(をぢ)なかくし給ひそ。

我敵(あだ)すべきものにあらず。

老夫の乗せまゐらせし人々をすくひ奉るものなり」

といひさま、つとよりて篷(とま)をあげて船のうちをみれば、まづ金石ぞ乗(の)りゐたる。

大太刀も乗居たるに、「これは口足(くたる)にておはすか」

とて先船よりあがり、唯(ただ)

「よき夢をみつる」

とのみなり。

金石・大太刀あらましを語り、武雄(たけを)武荒(たけあら)の兄弟をよび出て、「彼方(かなた)は押勝君の御家人にて、仮(かり)に鼻彦とは名告(なの)りたまへど、御名は道首口足(みちのおほとくたる)にておはせり。

さは清麻呂の卿(きみ)、親なる金麻呂も将(ゐ)ておはさん」

などいふに、口足昨日(きぞ)の夜の神祥(かんさが)をかたり、「さて清麻呂卿の御妻子は」と問へば、船のうちにてとく聞きたまふに、いとうれしみとはひ出たまひ、「はや/\逢ひ奉らん」

とあるに、口足唯神祥のあやしきを恐(かしこ)み、人々も浜辺にうちたふれて神宮の方を拝み奉るに、楫取(かぢとり)の老夫(をぢ)はことをしらねば、「此老夫によき虚言(うそ・ヲサ)を申させたまへる」

とてあきれ居たり。

さて手節(たぶし)の崎なるやどりをさして人々伴(ともな)ひつゝゆくに、金石がいはく、「巨勢長谷(こせのはつせ)は道より御暇(いとま)をこひて荒坂に参り、巨勢猟野がなきあとをかくし、さる事を妻子にも告(つげ)て祭りの事どもいたしはてなば、追ひて伊吹山にまゐり来ん、と申す。

さて真熊野の道にかゝりて、山道をしのばせ奉らんとおもへるに、その日雪いとさむく降来、雪いと深くさへぎりたるに、山道のゆくさき物うくしたまはんとおぼえしにより、又荒坂の津のあたりに漁(いさり)する浦方(うらべ)にいきて、此浦船をたのみ、かくわたりつきてはべることも、まさに皇大神(すめおほかみ)の御祥(おんさが)なりけり」

とて、かたりもてゆくに、旅のやどり近くなれば、清麻呂・金麻呂むかへ出て、泣み笑ひみうちきほひて、その夜はそのやどりにこしかたを語りあかし、夜明もてゆくに、「かくうき世をしのぶ旅行には、誠に船こそよかめれ」

とて、直に手節(たぶし)の崎を乗(の)り出し、船を阿漕(あこぎ)が浦に追ふに、風すゝみ汐かなひて、唯一時に追ひつけば、人々岸にのぼり、輿にしのばせ馬(うま)に乗りなどして、五里ばかりの道をとく行。

さて能保野の原にいたれば、清麻呂人々に告(の)りていはく、「此野は、むかし倭建尊(やまとだけのみこと)、東の国よりかへりのぼらせ給ふとき、此処にて御病のはげしくおはしますに、天下の民くさをおぼし、『いのちまたけん人は平群(へぐり)の山の熊檮(くまかし)が葉を髻華(うず)にさせ』

とよませたまへり。

此平群(へぐり)の山といふは大和の国なれども、此御歌によりてや、此尊(みこと)崩御の後、おのづから陵(みさゝぎ)のへに熊檮(くまかし)俄(にはか)に生ひ出て、百枝怱にさしひろごりしと、むかしよりいひ伝へし。

さればぞその檮の葉は、彼(かの)平群の山なるにかはらず」

と聞くに、人々小枝(こえだ・サエダ)の抄(さき・ウレ)を折とり髻髪(うず)にさす。

清麻呂の卿又いはく、「此尊は、明(あかり)の宮の天皇の祖父(おほぢ)の御神にておはしませば、これといひ彼といひ、直に御前をわたらんや。

我此陵(みさゝぎ)に手向して、願ひおもふ事を祈(のり)奉らん。

人々も祈たまへ」とて、おの/\陵にまうで、旅の事なれば大野の原の松が枝を折て、とりあへぬ幣(ぬさ)奉りて、  手にまける珠松(たままつ)がえの手向ぐさ幾代(いくよ)までにか年(とし)の経(へ)ぬらん

また妻の刀自(とじ)は、「はしきやし我家(わぎへ)の方(かた)ゆ雲ゐ立来(たちく)も」

と国しぬびませる御哥をおもひ出て、  此処(ここ)にして家もやもいづこ白雲の棚引山を越て来にけり

人々の手向の哥、又道行ぶりによみ出るもおほかめれど、爰にのせず。

さて夜にもなれば、むかし御墓づかへとて此処に殿(との)造(つく)りてはべりし波多(はた)の金森(かなもり)の子孫(・ハツコ)の、今は祝部(はふり)にて此処にさだかにすまゐしけるがもとに宿りをこひて、その夜をあかし、あかつき又かへりまうしして菰野(こもの)をすぎ、それより美濃(みの)の国玉倉部(たまくらぶ)にいたり、此尊御脚(みあし)ひたし給ひつる清水(しみず)の、今も猶いときよくてあるを、殊更おもひ出る事のあるに、  芦芽(あしかび)のあしなへし我ぞむかししぬばゆ

とよみて涙を拭(のご)ひ、はるかに宇佐(うさ)の御方をさへ伏拝(ふしをが)みつゝ、日も高くさしのぼるに、口足(くたる)さきに立て、近き方はいとさがしけれど、はやく伴(とも)なひまゐらせたくおもふとて、しもとおしわくる道をゆきて、伊吹山にのぼるに、此所(こゝ)もぞ雪さむく降しけり。

武雄兄弟君達を負(お)ひ、大太刀(おほだち)清麻呂をたすけ奉り、金石父を負ひまゐらせ、口足はこの山道の御しるべして、霜降月の中の一日、白猪老夫(しらゐのをぢ)の大城(おほき)につく。

口足先(さき)に参りてかくと申せば、祖王(おんのおほきみ)もきこしめして、いとめでたくおぼしめされ、白猪を妻も出むかひたるに、金麻呂日頃(ひごろ)おもひ恋(こひ)し娘の、さながら老(おい)なみたれど、白猪(しらゐ)がつまはそれなりけるに、「こはそゞろなり。

ゆくりなし」

などいひて、もの語まづ他事(・アダシゴト)なし。

白猪もいとあやしきまでそのえにしをおもひつゞけて、事おほくいひ出べくおもへど、まづ清麻呂のおはしますに、とりなし礼(いや)厚(あつ)く聞え奉り、人々もむかへいれぬ。

これらの物語はいふさへもあまり、かいつけんはなほそこばくならんに事そぎぬ。

祖王清麻呂に御目をたまはり、彼が忠誠(・マメ)なるこゝろざしを感愛(めで)たまひ、なほ金麻呂親子が志を称(たゝ)へたまひ、并に大太刀・武雄(たけを)・武荒(たけあら)も大まへにめし出させて、そのこゝろざしの直(なほ)なるをめでおぼし、又勲功(いさほし)の武きを称へ給ふに、巨勢(こせの)猟野ともしらずあやまりて殺したるを、武雄兄弟悔(くい)て申す。

祖王つら/\に聞おはらせたまひ、まづしばしのやすらひをゆるしたまひ、白猪の老夫はからひきこえ、「清麻呂妻子并に金麻呂に爰にあらして、おほきみの御なぐさみを申させたまへ。

武雄兄弟・金石・大太刀の輩は、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、伊豆のわたりにさむらはせて、人の志を合せたまへ」

とて、その月十まり七日、各印を賜(たま)はりて山をくだりぬ。

さても冬枯し奥山に、さむらはす人は姫のみなりしを、今はかく都人のいりつどひませるに、祖王もうちにぎびておぼしめしける。

本朝水滸伝巻之九終

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第二十条

 弓屋の俊雄・人置の真鮪訟(うたへ)す。并に高橋手力(たかはしのたぢから)二王(ふたおほきみ)をすくふ。

人置の真鮪・韓臼(かるす)の犬神、先に参りてはべるに、案内(しるべ)の下女花木に伴(ともな・アトモ)ひて参りつるに、「よくこそ」

とて、石立(たて)くはへたる荒磯(ありそ)に造(つく)り出せる殿の侍るにすゑおきてみれば、さきに我家のあやしきにすゑて逢ひつるよりは、いやまさりに増(まさ)りて、面(おも)ざしのいと貴(たか)く、あてなるものいひ、立ふるまへるまでも、いかなる大宮の皇女(・ヒメミコ)と申さんにも、又此うへはおはさじとみるに、彼伯母といへるも、なみ/\の人にあらず。

貴(・タカ)く生れ出たる様のはべるに、さるかたにはよく馴(なれ)たる人置なれば、犬神を一間にまねきて、「此少女(をとめ)平人(・ナホヒト)にはあらず。

そこには

『都よりしりつる人ぞ。

しかも従弟(いとこ)のはしなり』

といひしが、そこも碓踏(うすふみ)てあらん人とも覚ねど、今此御人ざまの位をもていはゞ、彼少女は神の御すゑなり。

はらあしくなしたまひそ。

伯母子とそこはその御仕人(つかはれ)のたぐひならん。

ていればさいふべくもあるかな。

さて此所の守は神田部(べの)止伎(とき)与と申たまふが、物がたくおはするにより、我々が業(なり)のうへにても、人の身の程又生れし所聞(きゝ)に聞尽して、さて奉公人のために我も印(・オシテ)を押(おし)、事あらばうけたまはらんといふ事をしたゝむるなり。

彼少女はけふなんすゞろにおはしたるに、誰をか頼み所とせん。

そこも都の人にて、少女が家もしりたまふとあるに、證文(シルシブミ)一通(ヒトトホリ)したゝめて出したまへ。

おのれ又その上に印をくはへん」

といふ。

犬神聞て、「いとやすき事にははべれど、我は文字をしらず。

唯今とて書したゝめん事はえせじ。

よし/\、此伯母子はよく男手かきたまふに、爰にたのみてかいしたゝめて、先おちゐる事は落居ん。

人置の先生(・ウシ)硯おこしたまへ」

といへば、「をい」

といらへて、玉を磨(とぎ)出したる箱の、墨いとかをりてこまやかなるを、あらけくすりのべて、「伯母子爰へ」

とまねきて、「奉公人(・ツカエビト)の証文(・シルシブミ)をかいたまへ。

是はよのつねあるべきさまの事にてはべれば、文言(・フミノコトバ)は我より申さん。

夫にて書たまへ」

とて、陸奥(みちのく)紙のいとしろきをもて出て、「さて申べし」

とて、「何々一条(・ヒトクダリ)、一つに此妾(・ヲンナメ)の事」

といひ出せば、伯母筆をとゞめて、「彼子は御仕人にこそとは申たれ、妾(・ヲンナメ)と申す御ちぎりは仕らず」

といふに、「さはとて、かゝる家をもとめ、おほくの道具を調へしは、隠妻(かくしづま)とあるによりてのまうけなり。

妾にあらでは我々事のおこなひたらはざるにて、俊雄のいかりにあひはべる事なり。

なにゝもあれ妾と書たまへ」

といふ。

伯母の刀自きゝて、「さらば彼子もさる心にもはべらず。

自も又さる事にてはさし添ひ難し。

そのうへにも妾とあらば、かくてはさしおきがたし。

さらば花木よ、爰を退出(まかで)ん」

と申て立に、真鮪あきれて、「さは我はからひたらず。

是なる犬神も御いかりをうけて、かさねては米も踏せたまふじきに、よき業の門をうしなひたらん苦しかるべし。

犬神、何故にもいはぬぞ。

おのれが俊雄をそゝのかし奉りたるにあらずや。

今となりてなど黙止(だまる・モダス)ぞ」

といへば、犬神聞て、「我は唯都少女のいろよき事をこそ申たれ。

妾などの事はちぎり申さず。

又此家等の事につきては、汝おほくの金を致したるならずや。

さるよき事したれば、そここそいかばかりにもはからひ給ふべき事なれ」

とて、更にも立あはずあるに、人置かしらを掻、眉をあつめて、「さるにても、今夜俊雄の来んとのたまひこしつるに、さる事終(はて)ではことわりも聞え難し。

いかにせん/\。

よし/\、まづ證文(・シルシブミ)のうへは御仕人(・ツカヘビト)と書せたまへ。

そのうへの事はいかばかりにもはからひはべらんに」

といふに、伯母の刀自、「さらばそこより申たまへ」

とて、いふがまに/\かいつけたる證文にいはく、

一つに、此仕人花木の事は、大和国添下郡奈良の都のものなり。

此度御家に仕人となりて、御見扱(みあつかひ)仕ふまつりぬ。

二つに、御家の風(・カゼ)はうけ給はるごとく何事もそむき奉らじ。

三つに、天が下の御掟にたがひ侍らず、よく守らせ奉るべし。

四つに、たとへいかさまの横事いできぬとも、我々出て主を苦しめ奉らじ。

五つに、一年に賜ふ料(・モノ)とて金三枚(・ミヒラ)を賜るうちを、此度金二角(・フタケタ)受とり奉る。

此年のさきも御えにしはべりてめしつかはれば、すなはち此定をもてたまふべきなり。

此後の事あらんときのために、此證文条(くだり)のごとし。

 天平勝宝二年二月二日       韓臼の犬神

                  人置の真鮪

    弓屋俊雄どのへ

と、すこしも女びず、男手を墨くろくかいつけて出せば、人置よみ終り、「是は男の物書などいふはいかばかりかおとれる。

此手もて女子集(あつめ)て、手習の大人(うし)を業(なり)としたまへ」

などいひたゝへ、懐の袋より印(・オシテ)ひとつ取出て押(お)せば、犬神は

「さる物も持(もた)らず」

といふに、「こはある事」

とて、手の大指(おほゆび・オホオヨビ)に墨をぬりて押(おさ)せ、さてその事もはつるに、「まづ食(け)のまうけせん」

とて、真魚屋(まなや)には魚(な)をもとめ、菜(な)屋には菜(な)をもとめ、酒屋には酒をもとめ、宍人(りやうりにん・シゝビト)をよびたてゝ、夕食(・ユウゲ)いと清らにとり調(とゝの)へて、まづ少女(をとめ)だちにまゐらせつゝ、おのれらは酒うち飲(のみ)て、日の暮るを待(まつ)に、人置の下女にしるべさせて、俊雄入来るに、「長君(をさぎみ)/\、いと遅(おそ)し」

といひ立れば、「けそふ人は夜にまぎれて」

などいひにほやぎて、「はやまゐりてか」

といふに、「先(さき)より参りたまひて待わび給へり」

ときこゆるに、「すこし覗(のぞか)んや」

とて、物のかくれによりてつく%\と見をりて、ひそ/\とあゆみかへり、二人をまねきて、「是は人にはあらじ。

唯物の化(ばけ)たるなりとぞおもふ。

かゝりとしらば我よくけそふし、衣(ころも)などもかをりこめて参らんに、彼山の神のいづこへとていたくあれ給ふに、ぬきあしをして内をいでつれば、唯かゝるさまなり。

櫛(くし)やもたらぬか。

もとゆひのみだれたる。

洗頭槽(ゆするぶね)やなき。

顔のいと黒みたるを」

とて、俄(にはか)にかいつくろへど、もとより此男のさまは、面(かほ)いとみじかく、頭打ひらき、眼(め)のしりうちたれたるに、鼻のうへはいとひきく、二つの穴は空(そら)ざまにあきて、口は髭(ひげ)にうち埋(うも)れ、髪は古草(ふるくさ)のごとく打枯て、白髪(しらが)生(お)ひ交(まじ)り、丈(たけ)は四尺(・ヨサカ)あまりなるに、耳(みゝ)のみいと長く押たれて、唯狛(こま)の犬(いぬ)なせり。

さはいかにけそふするとも、花木あに艶(にほ)ひそめんや。

犬神奥にいきてうちさゝやくに、伯母も花木も出来て、「とのゝおはしたるにおもひしらで、御迎(むかへ)にも出ず、礼(いや)なき事」

などいへば、俊雄は頭(かしら)を席(むしろ)にひしとつけてうなづき、「まず彼方(かなた)へおはせよ。

是はいとかしこし。

先彼方へ/\」

といふを、人置をかしがりて、「是は何ゆゑぞ。

御仕人にて候。

唯今證文も書定めてさむらふに」

といへども、唯ほと/\として、いと黒き顔のうへを、丹塗(にぬり)にうちはきたるばかりにうちあからめ、あるは光(ひか)り出などするに、汗(あせ)はひたなぎに掻(かき)なぎ、二人が手をとりいざなふをば、命の極(きはみ)とくるしくしたり。

さて正目(まさめ)にはむかひ居難(がた)ければ、いざり出、池のうへに造(つく)りかけたる簀(す)の子のはべる上に、庭なる山に向居て、「梅こそ盛なれ。

いとよき花」

とぞ称(たゝ)へをりける。

伯母ちかくよりて、「今参りのものは年まだわかく、何事もうひ/\しくはべるに、東国(あづま)の風俗(ふり)もしらざれば、御心隔(へだて)ずうちこらしてつかひ給はれかし」

といふに、「をいな/\」

といらへてすこしも見むかず。

人置は頭をかきありきて、「酒ひとつ」

とてもりわたせども、俊雄は手をふるはせて、いくたびかうちこぼし、漸々口にさしよすれども、口ごめにふるひあがりて、歯(は)はごち/\と鳴合ふに、酒はおとがひに飲こぼしてあるを、花木はふところ紙を出してのごはんとすれば、「おかしませ/\」

といひつゝ、我着たる袖などにてかきはらひ、唯

「水をもて来(こ)。

湯をもて来。

いと/\咽(のど)のかはくに」

などいひをれり。

「さ夜更(ふく)る風のいとさむく、春霜(はるのしも)や置わたらん。

はし居はよからず」

とて、戸などさしこめて、人置も韓臼も次に立ば、「やよいづこへゆくぞ。

爰にをれ/\」

といひて放(はな)たず。

さるにても、目をくはせて二人ながら次にいきて居(を)れば、鬼すむ島に我ひとり捨(すて)られたるおもひにて、唯うつむきてあるを、伯母の刀自ちかくよりて、背(せ)をかいなでなどし、「花木は御心にとまりはべらば、此伯母がともかくもはからひまゐらせん。

そがかはりには此方(こなた)の望をも」

といへば、俊雄恐(おそろ)しげにふりあげて、「伯母君いとかたじけなし。

此翁がかゝるさまをもゆるし給はゞ、いかばかりの御望をも」

といふに、「世のたからはさま%\にはべれど、金にこえたる財宝(たから)ははべらじ。

我々かく遠き国にくだりて、御見扱(あつか)ひつかふまつらんと申すも、貧(まず)しければ望かなはず、何事につけても世のこぢたきのみなり。

今夜はまづかくて帰らせよ。

明日(あす)の夜おはしまさば、金三百枚(・ミホヒラ)ばかりを袋に入てもて来たまへ」

といへば、俊雄はうちうなづきて、「いとやすし」

といふ。

さてあるに、「ぬしは何所(いづこ)へかおはしたるとて、松燈(とも)させて内君のいたく尋ねさせ給ふ」

と、人屋の下女が来りて告るに、「いでやいたきめにあはん。

明日(あす)の夕暮に待せよ」

と、沓(くつ)は逆(さか)さまに踏(ふみ)て、「これは他沓(あだしぐつ)ならん。

脚もいらず。

はかで往ん」

などいひて走帰(はしりかへ)りぬ。

人置は跡とりつくろひて、「かくおほきやかなる家に、女のみいかでおはさせん。

犬神守(もり)ておはせよ。

火はよく埋(うも)らせよ。

門はよくしめてよ」

などいひて出ぬ。

犬神うち見おくりて、門をば鎖(さし)かため、たちかへりて、「妹(いも)よ、我妹よ」

と呼ぶに、君は、「いとをかしかりつる」

とのたまはすれば、犬神夫婦(・イモセ)のもの立退(しぞ)き、君を上坐(・カミクラ)にすゑ奉り、「いと/\かしこくもはべるかな。

今夜はおほきみのいかにうちわびておはしますらん。

我弟なるものにはよく聞えおきて候へば、御うしろやすくおぼさるべし。

我妹よくたぶらかして候へば、明日の夜はかならず金持て参るべし。

さこそはかなきたからをむさぼるなどおぼすべきが、かゝる世の中に人の心を見出、こゝろざしをあはせ、徒(と・トモガラ)をむすび候はんには、彼なんともしくてはいかにせん。

又弓の事は、おほきみ御軍あらんとき、弓なくてはいかにせん。

かゝる序(ついで)にと、かねて我妹(・ワギモ)と申あはせさむらふ。

やつがれ伊勢の大淀の浜に、志を合せたる者のはべるに、弓屋をよくたばからせて、此浜まで船にておくらせはべらんとおもふなり。

君かくていかで長くおはしまさん。

今夜より十日ばかりは、かく御すがたをやつれされて、しばらくの御へだゝりをおぼしたへ給へ。

やがてよき時をみて此処を出し奉り、よき所をまうけてしのばせ奉らん」

と、こしかた行末を聞え奉るに、君は、「唯夫婦の人を頼み聞ゆるなり」

とのたまふに、夜も更(ふけ)ぬればしづまらせ奉り、妹はさし添ひ奉りて臥(ふし)ぬ。

犬神は外(と)の方(かた)を守りて寝(いね)つ。

夜明もてゆくに、人置もはやくいで来て、「いかに昨夜(よべ)は鼠どもの騒(さわぎ)つらんな。

皿(さら)杯(つき)など破(やぶ)りつや」

などいひて、唯妾と書したゝめざるを、けふも又うしろめたくいふを、犬神聞て、「伯母がいかさまにもはからふべし」

といひ消してをりつ。

その日の夕暮になれば、此度は衣(ころも)などいと新(あたら)しくて、金はいひし数を袋にいれてもて来、「これ伯母君よ、それまゐらす。

能(よく)頼み奉る」

などいひて、今夜は金やりつとおもふ誇(ほこり)にや、すこし主人(あるじ)めきてさのみも恐れず。

花木ちかく参れど、さながら逃(にげ)もせであるに、いたく地震(なゐふり)てひし/\となり、どゝととよめくに、「我山の神はいたくこはがりたまふに、さだめて尋ねもとめん。

あな醜(しこ)の地震(なゐふり)や。

我恋の敵よ」

などいひて、うちよろめきながら、「明日(あす)の夜又」

といひて帰るに、「まづ一方(ひとかた)の望(のぞみ)は得つ」

とて落居ぬ。

さる騒に人置も帰りたければ人もあらず。

今夜は君の殊に恋しがりたまふに、妹が犬神にむかひて、「今のさわぎなどに殊更におぼし出たまふ御ことにさむらへば、ひそかに迎(むかへ)いれ奉らばや」

といふに、犬神聞て、「御ことわりにははべれど、天下(・アメノシタ)の民をおぼされて、皇太子(・ヒツギノミコ)の御うしろみも聞えおはさんとはべる君の、かゝる筋にかろ%\しくおはしましては、俊雄ははや参るまじきが、いと近ければ人置ゆくりなく立いらば、君をいかに立しのばせ奉らん。

よべもきこえ奉るごとく、君のかゝるあさましき御すがたにやつさせ給ふも、唯天の民種をおぼす故なり。

さらばしばしの御したひ心をや」

といへば、君よく聞しめしとりて、「犬神いかにかひなくくちをしき女とおぼすらんがやさしくこそ」

とて、真袖を御顔に押あてたまふに、いとをしくは見奉れど、心づよくもてなしきこえ奉るに、その夜も明(あけ)て又の夜になれば、弓屋はいとよくけそふして、今夜はとおもひつるに、人をも召つれず手づから松燈(とも)して入来たりぬ。

伯母出むかひて、「今夜はよくやはしおきてさむらふ。

花木も待(まち)に待参らせしが、又ひとつ伯母が望の」

といふに、「何にまれいへ。

直にまかせ参らせん」

と聞ゆるに、「我々が従弟(いとこ)の都に候が、これも御ぬしとおなじ弓屋にてははべれど、是はいと貧(まづ)しく候。

弓削者(ゆげのもの)もかゝへかねて、手づから削(けず)り候に、さいつ頃真鉋(まかな)もて手の指(ゆび)を三つ四つ切落し、今は業(なり)の事かなはず。

そがうへに、西国(・ニシノクニ)の守に千張(・チハリ)の弓を作(つく)りて奉るべき御ちぎりを仕り、その弓代(・ユデ)はさきに賜りてはべるを、その金を盗人にとられ、手はかなはず弓は削らず、守の御咎(とがめ)にあひていと苦しくしてはべるときなり。

御主人(あるじ)此花木をおぼし給はゞ、千張の弓を船に積(つま)せて給へ。

さらば此證文をも妾とかいあらため、よろず御心に随がはせ奉らん」

といふに、「是は又金よりもいとやすし。

されど今夜とては成難し。

明日なん申つけて千張の弓を贈(おく)るべきが、さは又浪花(なには)の浦におくらんや。

いづこへ」

といへば、「伊勢の大淀(おほよど)の浜まで」

といふに、俊雄聞て、「いかにもそこの御便よからんさまにすべし。

さてこよひは」

といへば、伯母うち笑(ゑ)みて、「宮醋姫(みやずひめ)にてさむらへ」

といふに、俊雄うち驚きて、「宮醋姫とはいづれの事ぞ」

といふに、「おすひの裾(すそ)に」

といへども/\、俊雄さらに聞得ず、「おすひの裾に/\」

とていくたびも考えるに、「月経(つき)つきにけり」

といへば、俊雄頭をかきて、「こは忌むべき事なり。

されど弓の事はたがへじ。

明日なん犬神を浜につかはしおきて、否(いな)か然(せ)を見定めたまへ」

とて出て帰るに、道にて人置が来たるにあひて、「いづこへ」

と問へば、人置は、「彼御隠家(かくれが)に参るなり」

と申す。

俊雄人置をちかくまねき、「心ひとつに定め難(がたき)事の出来ぬ。

是聞たまへ。

伯母も花木もよくみるに直人(たゞびと)ならず。

おのれおとつ日の夜よりいと愚なるものになりて、つら/\形状(ありさま)を考へてみるに、天下を騒動(さわが)したつべきひとの徒(ともがら)にはべるとみき。

まづその夜は金三百枚をこひしまゝに、いとやすく承(うけ)引て、又の夜もて参りてやりつ。

こよひなほおもひとがめてはべるむねは、いとこの弓屋に贈(おく)りやらんなど、さまよくいひとりて、我に千張の弓を贈りたらば花木は心にまかすべしといふ。

たとへ誠にまれ、天下の掟(おきて)あれば、さる兵具(・ツハモノゝソナヘ)を私におくりやらふべきや。

此者らいかなる人ぞ。

其許(そこ)には人置にてよくかゝる事にはふれ給ふべければ、とかく見定めてたまへ」

といふ。

人置聞て、「さは今夜参れるはそれらの事にぞ。

さきの日御隠家(かくれが)をもとめて、女達をうつし侍らんとしけるとき、おのれらは居らざりしが、下部共の見定てはべりけるは、笠深く着て、世をしのぶさまの人来りて、何にかあらん花木とうちさゝやきなどし、深くいひちぎらふさまなどのはし/\聞えて、たがひに涙を拭(のご)ひて別れつと申。

その事は、漸々さいつがた下部どもの申きかせて候により、是は心得ずとおもひ、女どものありさまどもをためし、又犬神がいさみたるありさまを考ふるに、その弓など金などいひかけてさむらふ始終(・ハジメヲハリ)のさまもいぶかしく侍るに、何にもあれ明日にもならば、御心を定て訟(うたへ)の御場(には)に出て、頓(とみ)に委細(いさい・コトワキ)をきこえあげたまへ。

おのれも立そひて、よく聞とりたまはんさまに訟へ奉らん」

といふにぞ、俊雄も

「さる事ぞ」

と打うなづき、「さらば明日なん」

といひてわかれぬ。

又の日の夕つがたになれば、春のあわ雪はだれにふりて、いと淋しげなるに、花木は御うへの事のみをおもひつづけて、いとかなしく打うらぶれて、心もやましくて臥居(ふしい)たり。

伯母の刀自ちかくよりてなぐさめつゝ、「今夜は雪も降るに、弓屋のあるじもおはさじ。

人しづまるころにならば、物がたき我(わが)夫(せ)の心をいひなごして、御うへをひそかにむかへいれ奉らん」

といへば、いと喜(うれ)しく物たのもしくおもほして、火などもともしたるに、漸々おき出て湯漬(ゆづけ)などまゐれり。

雪はいと白く降かさなりて、風さむく吹くに、門辺は人も通らず。

戌(いぬ)の三つばかりになれども、弓屋のぬしもみえず。

人置はまして来ねば、今夜こそあれとおもひて、犬神が寝(ね)て侍りしをうちおこさんとて立に、門辺におもしろく笛を吹ならして、行過もせず吹いるゝ声の聞もたがはざれば、「御うへこそしのびましつれ。

出てみん」

とて、犬神が目をさましてさしとゞめんとおぼすに、やをら戸を引あけ、伯母と二人して門の金戸(かなど)をもこじあけなどしてみれば、犬神が弟を唯一人伴ひ給ひ、御笠はいと深くして、笛を吹てたゝづみたまへり。

「是はいとをし」

とて、御手をとりて引入れ奉るに、いとひえておはしますを、ふところにかい入れてあたゝめまゐらすれば、伯母は真袖もて御衣(みぞ)の雪をかきはらひなどして、門をばさしよせ、しづかに犬神が寝たる枕方(まくらべ)をとほりて、奥床に入れまゐらせ、「一日二日の御隔りを千年(ちとせ)のごとくおもひ過ぬ」

とて、まづうちならびてふさせ給ふ。

犬神は寝たるさまにして、心には、「御ことわりなり。

我起出ばやさしみ給はん。

弟もせんすべなからん」

とおもひ、わざと鼾(いびき)をうち鳴らしてあるに、何にかあらん、丸矢(まりや)なす鳴ひゞきて、我寝つるうへ四尺(・ヨサカ)ばかりを鳴とほりて、柱にあたりて枕方(まくらべ)に落たり。

犬神、「あはや」

と起(おき)あひてみれば、白鳥の羽にてはぎたる矢を、表の方より射(い)いれたるなり。

いで事こそあれと、燈(ひ)をあかくしてみれば、矢には書簡(ふみ)をさしくゝりて侍るに、とりてみれば、表(うへ)には、「藤原恵美押勝が家人高橋手力これを贈(おく)る」

とかいしるしたり。

いとあやしと思ひて、頓(とみ)にひらきみるに、その文にいはく、

事せまりぬれば何事もしるさず。

此家には塩焼王(しほやきのおほきみ)ならびに不破内親王立しのばせ給ふならん。

今朝なん弓屋の俊雄、人置の真鮪が訟(うたへ)の場(には)にかくとつげきたりぬ。

やつがれおもふむねありて、此神田部(かんだべ)の訟所(うたへどころ)に解部(ときべ)となりてあるが故に、はやく御ありさまをしれるなり。

今夜子(ね)の時を過ば、神田部の守部等に此家をかこませ、君達を捕(とら)へ奉らん。

今唯今いづこへも立しのばせ奉り、明なば陸奥(みちのく)をさして下りたまへ。

みちのくの方には我友三田奇麻呂(みたのくしまろ)参り、又蝦夷(えぞ)の国にはすなはち我主恵美押勝まゐりて候に、尋ねあひて御うへを頼みきこえよ。

あなかしこ。

    二月五日        高橋乃手力(たかはしのたぢから)

 内舎人野泰忌勝虎(うちよねりはたのいみきかつとら)主

 同     勝行(かつゆき)主

と、かいとめたり。

犬神その文をおしいたゞき、「さてもよくしられたりな。

いとたのもしき人にあひつるかな。

いでしのばせ奉らん」

と、まづ我妹をよび出て

「しか%\なり。

今一時ばかりの間に立しのばせ奉らん。

いざ旅の御よそひをいかさまにもかいつくろひ参らせよ。

我もものせん」

とて、かねて隠(かく)しおける草包(くさづゝみ)のうちより太刀(たち)二振(ふたふり)を取出てわきばさみ、たすきをうなかけ、脚結(あゆひ)をゆひ、弟の勝行をもよび出て、彼伯母がたばかりとれる三百枚の金を袋(ふくろ)にいれふところにをさめ、君だちは下部の蓑笠(みのがさ)をうち着せ参らせ、我はおほきみの御手をとり、妻は内親王(・メオホキミ)をたすけまゐらせ、勝行に御先をはらはせて、葛飾(かつしか)のかたをさして出ぬ。

さて子(ね)の時を過るに、神田部の解部守(ときべ)部(もりべ)、所の刀祖(とね)等を先にたてゝ、継松(たいまつ・ツイマツ)をふり烈(なみ)をとゝのへ、此家を五百重(いほへ)にかこみ、門をひらき戸をこじて立入てみれども、人とてはあらねば、こはいかにぞとて、弓屋・人置の二人をまねきて、物のくまびをもとめさするに、人はさらにもあらねば、「心得もなき事を申て、訟所(うたへどころ)をさわがし奉れるよ。

先おのれらをしばりて、ことの分別(ワイダメ)を申ひらかせん」

など、解部のともがらいひこらして、彼二人をいたくしばり、神田部の館(たち)をさしてかへりぬ。

本朝水滸伝巻之十終

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