九  金鶏(きんけい)凶(きやう)を告(つげ)て惟房(これふさ)を陥(おとしい)る

かくて吉田少将惟房(よしだのしよう/\これふさ)朝臣(あそん)は。亀鞠(かめぎく)を将(い)て家(いへ)に立(たち)かへり。斑女前(はんによのまへ)に院宣(いんぜん)の趣(おもむき)

を告(つげ)て。彼(かの)女子(をなご)をよきに剿(いたはり)給へと仰(おふ)すれば。斑女前(はんによのまへ)やがて春雨(はるさめ)を召(よび)て。亀鞠(かめきく)に

浴(ゆあ)み沐(かみあら)はせ。新衣(あたらしききぬ)一襲(ひとかさね)をとり出(いで)て。ふるきを脱(ぬぎ)かえさせ給ふに。寔(まこと)に玉(たま)を

欺(あざむ)く美人(びじん)にて。霞被(かひ)軽(かろ)く装(よそほひ)ては。趙后(ちやうこう)新粧(しんそう)に〓(人+竒)(より)。金歩(きんほ)静(しづか)に運(はこび)ては。

潘妃(はんひ)舊怨(きうゑん)を舒(のぶる)かと怪(あや)しまる。正(まさ)に是(これ)春風(しゆんふう)一朶(いちだ)の野花(やくわ)。手折(たをり)来(きた)りて餘香(よかう)

濃(こま)やかなりといへども。外面(げめん)如菩薩(によぼさつ)。内心(ないしん)夜叉(やしや)。浮屠家(ほとけ)の憎(にくむ)も宣(うべ)ならずや。浩処(かゝるところ)に富小路(とみのこうぢ)に残(のこ)りとゞまれりし青侍(せいし)。平九郎盛景(もりかげ)を誘引(いざなひ)て来(きた)りしかば。

惟房(これふさ)呼(よ)び入(い)れて對面(たいめん)し給ふ。夥(あまた)の年(とし)を経(へ)て。面影(おもかげ)こそ少(すこ)し変(かは)れ。疑(うたが)ふ

べうもあらぬ行稚(ゆきわか)なれば。心(こゝろ)の中(うち)驚(おどろ)き怪(あやし)みながら。たえて言語(ことば)には出(いだ)し

給はず。はじめてあふがごとく待(もてな)して。その名字(みやうじ)を問(とひ)給ふに。平九郎は通路(みちすがら)青侍(せいし)が

物語(ものがたり)にて。一院(いちいん)亀鞠(かめきく)を召(め)させ給ふよしを聞(きゝ)しかば。ふかくよろこばひ。聊(いさゝか)も憚(はゞか)る

色(いろ)なく。伴(ともなは)れてこゝに来(き)たりし程(ほど)に。彼(かれ)もはやく主人(あるじ)の心(こゝろ)を猜(すい)して。行稚(ゆきわか)

なりとは名告(なの)らず。それがしは仁科盛遠(にしなもりとを)が族(やから)に。赤石(あかし)平九郎盛景(もりかげ)と申すもの

なり。年来(としころ)関東(せきのひがし)にありといへども。頼(たのむ)べき主(しゆう)もなければ。近曽(ちかころ)洛(みやこ)にのぼりて。

西洞院(にしのとい)六角(ろくかく)の片(かた)ほとりに住居(すまゐ)せり。しかるに今〓(雨+↓月)(こよひ)舞馬(ぶば)の難(なん)あるをもて。女児(むすめ)

亀鞠(かめきく)を葛籠(つゞら)に入(い)れ。脱(のが)れて富小路(とみのこうぢ)まで来(きた)れる折(をり)しも。盗賊(とうぞく)に出(いで)あひ。これ

を追〓(おひとめ)んとして其処(そこ)にありあはせず。灰(ほのか)に聞(きく)。上皇(じようくわう)〈後鳥羽院〉亀鞠(かめきく)をみそなはして。

忽地(たちまち)叡慮(えいりよ)に稱(かな)ひ。彼(かれ)を御所(ごしよ)に召(めさ)るるとか。こは盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)〈○ウキ〉にあへるより。なほ

稀(まれ)なる僥倖(さいはひ)なり。偏(ひとへ)に羽林(うりん)相公(しようこう)〈羽林(うりん)は左右(さゆう)近衛(こんゑ)の唐名(たうみやう)〉の吹挙(すいきよ)を仰奉(あほぎたてまつ)る。と〓(受+辛)(ことば)爽(さはやか)に舒(のべ)て

けり。惟房(これふさ)朝臣(あそん)ははやく盛景(もりかげ)に。院宣(いんせん)の趣(おもむき)をしられて。ふたゝび驚(おどろ)き。懃(なまじひ)に

匿(かく)してはしかりなんとおぼして。すなはち亀鞠(かめきく)を養(やしな)ひ。叔姪(しゆくてつ)〈○ヲヂメヒ〉の義(ぎ)をもつて。

御所(ごしよ)へ進(まい)らすべき院宣(いんせん)を承(うけ給は)りたる首尾(はじめをはり)を。密(ひそ)やかに説聞(とききか)せ。まづ休足(きうそく)ある

べしとて。家隷(いへのこ)粟津(あはづの)六郎。松井源五(まつゐのけんご)等(ら)に仰(おほ)せて別室(べつま)に誘(いざな)はせ。厚(あつ)く饗應(もてなし)

給ひける。彼(かの)六郎源五(けんご)はをさ/\行稚(ゆきわか)を認(みし)りたるものどもなれば。事(こと)の為体(ていたらく)を

ふかく怪(あやし)み。いかに見忘(みわす)れ給へる歟(か)。まがふべうもあらぬ行稚丸(ゆきわかまる)にてはと密語(さゝやき)申せば

惟房(これふさ)朝臣(あそん)點頭(うなづき)て。われもはじめよりその人とはしりぬ。しかはあれ。彼(かれ)を行稚(ゆきわか)也

といふときは。亡父(ぼうふ)の志(こゝろざし)を破(やぶ)り。いはざれば君(きみ)を欺(あざむ)くに似(に)たり。むかし先考(せんこう)彼(かれ)と義(ぎ)

を締(むすば)して。惟房(これふさ)が弟(おとゝ)と呼(よば)せ給ひしに。彼(かの)人(ひと)不良(ふりやう)の志(こゝろざし)を抱(いだ)き。離別(りべつ)遙(はるか)に年(とし)

を経(へ)て。今又おほけなくも院宣(いんぜん)によりて。彼(かれ)が女児(むすめ)を姪(めい)とよぶ事。寔(まこと)にふかき

因縁(いんえん)ならん。もし行稚(ゆきわか)志(こゝろざし)を改(あらた)めて。ふたゝび出家(しゆつけ)いたすに於(おいて)は。舊悪(きうあく)をも償(つくな)ふ

べく。實(じつ)に一家(いつけ)の幸(さいはひ)なり。事(こと)のこゝに及(およ)ぶまでは。すべての人にしらすべからず。

われも又彼(かの)親子(おやこ)が素生(すじよう)を。斑女(はんによ)にも告(つげ)まじとぞ宣(のたま)ひける。さる程(ほど)に。次(つぎ)の日

四辻殿(よつつぢどの)〈後鳥羽院の御所なり〉より。亀鞠(かめきく)を召(めさ)るゝ事しば/\なれば。惟房(これふさ)朝臣(あそん)已(やむ)をことを得(え)

ず。みづからこれを伴(ともな)ひて。院(いん)の御所(ごしよ)に参(まい)り給ふ。その装(よそほ)ひ美(び)を盡(つく)して。

人の耳目(じもく)を驚(おどろか)せり。一院(いちいん)〈後鳥羽〉殊(こと)に歓(よろこ)びおぼして惟房(これふさ)には夕告(ゆふつげ)と名(な)づけ

給へる。御劍(きよげん)一〓(木+辰)(ひとふり)を賜(たまは)りぬ。この宝劍(ほうけん)長(ながさ)はづかに九寸五分にして。〓(革+尚)(めぬき)に金(きん)の鶏(にはとり)を

つけらる。もしこの劍(つるぎ)を佩(はく)ときに。人ありて害心(がいしん)を挟(さしはさ)めば。〓(革+尚)(めぬき)の鶏(にはとり)忽地(たちまち)声(こゑ)を發(はつ)

す。又その主(ぬし)殺罰(さつばつ)の氣(き)をあらはせば。又〓(革+尚)(めぬき)の鶏(にはとり)声(こゑ)を發(はつ)す。こゝをもて夕告(ゆふつげ)の名(な)

あり。かく奇異(きい)なる宝劍(ほうけん)なれば。後鳥羽院(ごとばのいん)殊(こと)さら秘蔵(ひさう)まし/\けるを。今度(こんど)の

恩賞(おんせう)として。惟房(これふさ)朝臣(あそん)に賜(たま)はりけるとぞ。抑(そも/\)この君(きみ)は文武(ぶんぶ)に渉猟(しようりやう)したまひて。

御譲位(ごじやうゐ)の後(のち)も土御門院(つちみかどのいん)。順徳院(じゆんとくいん)。天子(てんし)二代(にだい)の間(あひだ)。天下(あめがした)の政(まつりごと)は。なほ一院(いちいん)より制度(さた)

し給へば。よろづ愛(めで)たくましますに。天魔(てんま)の所為(しよゐ)にやありけん。白拍子(しらびやうし)亀鞠(かめきく)を

御寵愛(ごちやうあい)ふかくして。後宮(こうきう)の粉黛(ふんたい)もこれが為(ため)に顔色(がんしよく)なきがごとく。加之(しかのみならず)亀鞠(かめきく)

が父(ちゝ)平九郎盛景(もりかげ)を。五位(ごゐ)の検非違使(けびいし)になされし程(ほど)に。彼(かの)親子(おやこ)飽(あく)まで君寵(くんちやう)に

誇(ほこ)り。その威勢(いきほひ)肩(かた)を差(ならぶ)るものなし。これ併(しかしながら)一院(いちいん)の御はからひによるといへども。

盛景(もりかげ)は朝敵(ちやうてき)の子孫(しそん)として。還俗(げんぞく)亡命(ぼうめい)の沙門(しやもん)なり。今はがらざる富貴(ふうき)を得(え)

たる事(こと)。すべて惟房(これふさ)の庇(めぐみ)によれば。忽地(たちまち)先非(せんひ)を悔(くひ)て。彼(かの)人(ひと)の為(ため)には。よく誠心(まこゝろ)を

竭(つく)すべきに。さはなくして。いぬるころ亀鞠(かめきく)が。松稚丸(まつわかまる)に恥(はづか)しめ懲(こら)されたるを含(ふくみ)

て。親子(おやこ)竊(ひそか)に志(こゝろざし)を合(あは)し。惟房(これふさ)一家(いつけ)を滅(ほろぼ)して。その所領(しよれう)さへ押奪(おしうばゝ)んと謀(はか)りぬ。

寔(まこと)に貌(かたち)は人(ひと)にして。心は獣(けもの)にも劣(おと)れりといふべし。こゝに又松井源五純則(まつゐのげんごすえのり)は。當初(そのかみ)

群柏(むらがしは)を欺(あざむ)き殺(ころ)せしころより。惟房(これふさ)も彼(かれ)はたのもしげなしとおぼして。そのゝちは

たえて用(もちひ)給はず。あれどもなきがごとくなるを。源五(けんご)はふかく恨(うら)みて。密(ひそか)に野心(やしん)

を挟(さしはさ)みながら。相語(かたらふ)べき人もなかりし程(ほど)に。数年(すねん)黙止(もだ)して色(いろ)にも出(いだ)さゞりけるに。

亀鞠(かめきく)の父(ちゝ)平九郎判官(はんぐわん)盛景(もりかげ)は。行盛(ゆきもり)の遺腹子(わすれがたみ)。行稚丸(ゆきわかまる)なることをもしり。又

彼(かの)親子(おやこ)が。院(いん)の御(おん)おぼえ他(た)に異(こと)にして。よろづおのが随(まゝ)なるをみてふかく歓(よろこ)び。をり

をり彼(かの)家(いへ)に交加(ゆきかひ)て阿諛(おもねりへつら)ひ。何事にまれ。心くまなく聞(きこ)え給へ。命(いのち)にかけてうけ

給はり べしとて。いと真實(まめ)やかに聞(きこ)ゆるに。盛景(もりかげ)も心にものあれば。こはよきわが

方人(かたうど)なりと思ひて。厚(あつ)く歓待(もてな)し。いつも閑談(かんだん)夜(よ)をこめて立(たち)わかるゝを。人さらに

しらざりける。今茲(ことし)は既(すで)に暮(くれ)てあら玉(たま)の春(はる)立(たち)かへり。四辻殿(よつゝぢどの)には。院(いん)の拜礼(はいれい)。朝勤(ちやうきん)の

行幸(ぎやうこう)などよろづめでたくとり行(おこなは)せ給ふも。亀鞠(かめきく)はその形勢(ていたらく)。后妃(こうひ)〈○キサキ〉にも劣(おと)らぬ

ぞ。愚(おろか)なるは羨(うらや)み賢(かしこ)きは歎(なげ)きぬ。惟房(これふさ)朝臣(あそん)いと浅(あさ)ましく覚(おぼえ)て。しば/\諫奉(いさめたてまつ)

れども。一院(いちいん)たえて用(もちひ)給はず。亀鞠(かめきく)又この序(ついで)をもて。彼(かの)人(ひと)をあしさまに申なす

によりて。いよ/\疎果(うとみはて)給ひて。君寵(くんちやう)忽地(たちまち)に衰(おとろへ)たり。惟房(これふさ)朝臣(あそん)は。諫言(かんげん)容(いれ)られ

ざるをもて。こゝろ欝々(うつ/\)とたのしまず。ある日御所(ごしよ)より退(まか)りて。只顧(ひたすら)に嘆息(たんそく)し。

われはじめ亡父(ぼうふ)の志(こゝろざし)に悖(もと)り。且(かつ)君命(くんめい)に違(たが)はんことをおそれて。亀鞠(かめきく)を進(まゐ)らせ

たるは。一生涯(いつしようがい)の過(あやまち)なり。縦(たとひ)今(いま)に至(いた)りて彼(かの)親子(おやこ)が素生(すじよう)を申あかすとも。一院(いちいん)既(すで)に

亀鞠(かめきく)が舌頭(ぜつとう)に惑(まどは)されておはしませば。實言(まこと)とは聞召(きこしめす)べからず。嗚呼(あゝ)悲(かなし)きかな。世(よ)の中(なか)

これより乱(みだ)れんには。みな惟房(これふさ)が罪(つみ)なり。所詮(しよせん)亀鞠(かめきく)が命(めい)を断(たち)て。天下(あめがした)の禍(はざはひ)を除(のぞ)き。

われ又自害(じがい)せんにはと。既(すで)に心を定(さだ)め。その夜(よ)人(ひと)定(しづまり)て。心中(しんちう)の機密(きみつ)。なき後(のち)の事(こと)を

さへ審(つまびらか)にかい写(したゝ)め。詰朝(あけのあさ)松稚丸(まつわかまる)に宣(のたま)ひけるは。われこのころは公務(こうむ)に暇(いとま)なくて。久(ひさ)

しく月林寺(ぐわつりんじ)の阿闍梨(あじやり)を訪(とは)ず。又梅稚(うめわか)が安否(あんひ)を聞(きか)ねば。御身けふ叡山(えいざん)に登(のぼ)りて。

この一封(いつふう)を阿闍梨(あじやり)へ進(まい)らせ給へと仰(おふ)すれば。松稚丸(まつわかまる)こゝろを得(え)て。父(ちゝ)の書簡(しよかん)を

受(うけ)とり。従者(ともびと)をばいと窶(やつ)して。やがて比叡(ひえ)に赴(おもむ)き給ふ。惟房(これふさ)今は心易(こゝろやす)しと

おぼして。恩賜(おんし)の宝劍(ほうけん)夕告(ゆふつげ)を懐(ふところ)にかくしもち。衣冠(いくわん)厳(おごそか)に装(よそほひ)て出(いで)たまふに。

松井源五(まつゐのげんご)太刀(たち)を持(もち)て後方(あとべ)に従(したが)ひ。廊下(ほそどのもと)を過(よぎ)る折(をり)しも。怪(あや)しいかな主君(しゆくん)の袖(そで)

の中(うち)にて。鶏(にはとり)一声(ひとこゑ)鳴(なき)にけり。かくて惟房(これふさ)参内(さんだい)し給ふの後(のち)。源五(げんご)つく”/\思ふやう。

彼(かの)夕告(ゆふつげ)の宝劍(ほうけん)は。そのぬし殺氣(さつき)あるときは。〓(革+尚)(めぬき)の金鶏(きんけい)声(こゑ)を發(はつ)すると伝(つた)へ聞(きく)

たるに。今(いま)主(しゆう)の懐(ふところ)にて。鶏(にはとり)の鳴(なけ)るこそ不審(いぶかし)けれ。察(さつ)するところ亀鞠(かめきく)殿(どの)父子(ふし)の威

勢(いきほひ)を妬猖(そねみ)。潜(ひそか)に刺殺(さしころ)さんとて。かの劍(つるぎ)を懐(ふところ)にしたるもの歟(か)。よしさなくとも兵刃(はもの)

をかくしもちて院参(いんざん)せば。弑逆(しいぎやく)の罪(つみ)いかでか脱(のがれ)ん。生平(つま)にまづ参内(さんだい)して。後(のち)に院(いん)

の御所(ごしよ)へ参(まい)らるれば。いまだ事を發(はつ)せざる以前(いぜん)に。はやく彼(かの)人(ひと)にしらすべし

とて。遽(あはたゝ)しく縁由(ことのよし)を書写(かいしたゝ)め。心しりたる下郎(げらう)にもたして。赤石(あかし)平九郎判官(はんぐわん)盛景(もりかげ)

が第(やしき)へ遣(つかは)すに。盛景(もりかげ)は四辻殿(よつゝぢどの)へ参(まい)る途(みち)にて源五(げんご)が使(つかひ)に行(ゆき)あひ。馬上(ばじよう)にその

書(しよ)を披(ひら)き見(み)つゝ。或(あるひ)は驚(おどろ)き或(あるひ)は歓(よろこ)びて。彼(かの)使(つかひ)をばこゝより帰(かへ)らせ。鞭(むち)を鳴(な)らし

足掻(あがき)をはやめて。直(たゞ)に一院(いちいん)の御所(ごしよ)に参(まい)り。源吾(げんご)が密書(みつしよ)をもて。首尾(はじめをはり)と亀鞠(かめきく)

にしらすれば。亀鞠(かめきく)はわが怨(うらみ)を復(かへ)すべき時(とき)到(いた)りぬとこゝろに笑(えみ)て。やがて院(いん)の玉

座(ぎよくざ)ちかう参(まい)りて。潜然(はら/\)と落涙(らくるい)し。誠(まこと)やらん吉田少将惟房(よしだのしよう/\これふさ)。日来(ひごろ)亀鞠(かめきく)父子(ふし)が

吉田少将惟房(よしだのしよう/\これふさ)

君(きみ)を諫難(いさめかゆ)て已(やむ)

ことを得(え)ず亀鞠(かめきく)を

殺(ころ)さんとするに

事(こと)ならずして

自害(じがい)し給ふ

君寵(くんちやう)他(た)に超(こえ)たるを妬猖(そね)み。けふしも短刀(たんとう)を懐(ふところ)にして。妾(わらは)を殺(ころ)んと謀(はかり)ぬるよし。

人ありて告(つげ)侍(はべ)りぬ。君(きみ)の為(ため)に捨(す)つべき命(いのち)なりせば。つゆばかりも惜(をしむ)に足(た)らねど。

憖(なまじい)に人の恨(うらみ)に因(よつ)て。君(きみ)を驚(おどろか)し奉(たてまつ)らんは。罪(つみ)いとふかし。只(たゞ)速(すみやか)に身(み)の暇(いとま)をたま

はりて。軒漏(のきもる)月(つき)を友(とも)とせし。舊(もと)の住家(すみか)にかへさせ給へかしと申もあへず。よゝと

泣(なき)て轉輾(ふしまろへ)ば。一院(いちいん)ふかく驚(おどろ)き給ひて。こは奇怪(きくわい)なり。惟房(これふさ)刀劍(たちつるぎ)をかくしもちて

院参(いんざん)せば。問(とは)ずして逆心(ぎやくしん)明白(めいはく)也。忽(ゆるかせ)にすべからずと宣(のたま)ひしが。殊(こと)に御怒(おんいかり)の色(いろ)見(み)

えて。赤石(あかし)平九郎判官(はんぐわん)盛景(もりかげ)に。謀(はかりこと)を仰(おほ)せられ。専(もつはら)非常(ひじよう)に備(そな)はし給ふ。惟房(これふさ)

朝臣(あそん)は機密(きみつ)の漏(もれ)たるをしり給はねば。朝(おほうち)より退(まか)りて。四辻(よつゝぢ)の御所(ごしよ)に参(まい)り。南

面(みなみおもて)なる孫廂(まごびさし)の下(もと)に立在(たゞすみ)て。后町(きさきまち)のかたを窺(うかゞひ)給ふに。時(とき)ならずして鶏(とり)の声(こゑ)しば/\

す。亀鞠(かめきく)はこれを聞(きゝ)て。なほその氣色(けしき)をあらはさせん為(ため)に。何気(なにげ)なきおもゝちして。袖(そで)に

一面(いちめん)の琵琶(びは)を抱(いだ)き。端(はし)ちかう立出(たちいづ)るを。惟房(これふさ)は翆簾(みす)をさとかき揚(あげ)つゝ走(はし)り

入(い)り。夕告(ゆふつげ)の劍(つるぎ)を抜挿(ぬきかざ)して跳(おどり)かゝれば。亀鞠(かめきく)はやく手(て)にもてる。琵琶(びは)を〓(石+殷)(はた)と

投(なげ)つくるを。物(もの)ともせで切拂(きりはら)ふに。四(よつ)の緒(を)かけて一刀(ひとたち)に。琵琶(びは)は左右(さゆう)へ飛散(とびちつ)たり。

その隙(ひま)に。亀鞠(かめきく)は奥(おく)ふかく走(はし)り躱(かく)るゝを。なほ討留(うちとめ)んとてふり揚(あぐ)る劍(つるぎ)の下(した)に。

盛景(もりかげ)つと走(はせ)よせて。矢庭(やには)に組伏(くみふせ)んとするを。身(み)を潜(しづ)めて投退(なげのけ)たり。時(とき)に合

圖(あひず)や定(さだ)めけん。北面(ほくめん)西面(さいめん)の勇士(ゆうし)物(もの)の蔭(かげ)より走(はし)り出(いで)。右(みぎ)より左(ひだり)より組留(くみとめ)て。われ

生拘(いけど)らんと鬩(ひしめけ)ば。惟房(これふさ)朝臣(あそん)遂(つひ)に志(こゝろざし)の遂(とげ)がたきをみて。〓(口+(田+↓日))然(いせん)として長嘆(ちようたん)し。

むかし伯邑考(はくゆうこう)。妲已(だつき)を罵(のゝし)りて。醢(にくひしほ)の刑(けい)にあへり。恨(うらむ)らくは君(きみ)を聖王(せいわう)になし奉(たてまつ)る

ことあたはず。わが忠心(ちうしん)却(かへつ)て死後(しご)に逆臣(ぎやくしん)の汚名(おめい)をのこさんことをといひもあへず

劍(つるぎ)を吮(のんど)に衝(つき)たてゝ。組(くま)れたるまゝに死(かし)し給ふ。時(とき)に承久(じようきう)二年十二月八日。行年(ぎやうねん)四十

歳(さい)と聞(きこ)えし。この時(とき)一院(いちいん)は事(こと)の形勢(ていたらく)を聞食(きこしめし)てます/\怒(いか)らせ給ひ惟房(これふさ)衛府(ゑふ)

の重職(ちやうしよく)にありながら。御所(ごしよ)に於(おい)て劍戟(けんげき)をふるふこと。古今(こゝん)未曾有(みぞう)の椿事(ちんじ)

悪虐(あくぎやく)和漢(わかん)に例(ためし)すくなし。はやく彼(かれ)が妻子(さいし)を搦捕(からめとり)て進(まゐ)らすべきよしを。平九郎

判官(はんぐわん)盛景(もりかげ)に仰(おは)するにぞ。盛景(もりかげ)時(とき)を移(うつ)さす使の〓(厂+聴)(ちやう)の官人(つかさ)〈○クワンニン〉夥(あまた)を将(い)て。北白川(きたしらかは)

へ馳(はせ)むかふ。かくて後(のち)一院(いちいん)は夕告(ゆふつげ)の短刀(たんとう)を。更(あらた)めて亀鞠(かめきく)に給はり。この〓(革+尚)(めぬき)の鶏しば

しば声(こゑ)を發(はつ)せしをもて。汝(なんぢ)が身(み)を恙(つゝが)なき事を得(え)たり。故(ゆゑ)に賜(たまは)る所(ところ)なりと宣(のたまは)

すれば。亀鞠(かめきく)は君恩(くんおん)を拜射(はいしや)して。いと面目(めんもく)を施(ほどこ)しけり。

後鳥羽院(ごとばのいん)第一(だいゝち)の御子(みこ)。土御門院(つちみかどのいん)。いぬる承元(じようげん)四年に位(くらゐ)を御弟(おんおとゝ)皇子(みこ)守仁

王(もりひとおほきみ)に伝(つたへ)給ひぬ。順徳院(じゆんとくいん)これなり。よつて後鳥羽院(ごとばのいん)を一院(いちいん)と稱奉(となへたてまつ)り土御門

院(つちみかどのいん)を新院(しんいん)と申せし也

墨田川梅柳新書巻之三 畢