〔天理巻子本〕

むかしに、頼朝卿こそ忠誠なりしとおもふ。

皇朝のおとろへを悲しみて、父の仇とゝもに面ある平氏を□られし事在たりかし。

この卿も多欲にて、又よく謀りて、海内の総追補使といふ名と申くだして、ついに王城を乱す事、平氏に過たり。

才智ありて、大納言右大将にとゞまりしは、西土にて曹操が、帝とさしはさみなる宰臣までおわりしとひとつ也。

其子の曹丕は愚にて一つにうばい代る。

又骨肉にも、才あるはせまりて、七歩の詩に名をとらしむは拙なり、短なり。

曹丕かくの如く愚なりしかば、司馬に又かはらる。

この代々のみだれ、心ある者はうらみもし、にくむもして、〓{禾+尤↓山}康か徒の、大虚に心を捨はじむるは、高きに似て放なり。

頼ともよくはかりてすゝまず。

其子より家は愚にして、病に死ぬる。

政子、貞節を守りて尼となり垂簾のまつり事と諸臣とはかる。

諸臣の中に色あるは、ひそかに招れて、内乱ありし也。

あまさへ、酒に酔みだれて、実子の実朝をいだく。

さね朝才ありし、是にはかり事なし。

母にいだかれて、此愛に、父よりすゝみて右大臣に昇るが、又義時は美男也。

尼子めせとも来たらず。

是は義時がふかき心あることなり。

ついに奸して、又、さねともとあしくて代んとて、若僧に仇打とおふせて鶴が岡に弑逆せしむ。

其夜はとみに病ありとて、供奉を辞して兵士十人をすぐ[はか]りてしのび成たり。

公暁に力をそへて、又公暁を罪科にす。

よし時ついにひとり尼君とよし。

尼又秩父が大男にて、実体のかたもよしとてめすとも来たらざるとしりて、「実朝の弑逆につきてはかり事あらん[にせん]」とて、夜めす。

重忠いんぎんにいたる。

其夜雪ふりたり。

「この所にては事のもれん」とて、庭中の亭に雪をふんであゆみたまへり。

重忠かしこまりてあとにつく。

亭のひろさ、わづかに八席石灰爐に炎々たり。

尼公に座してちかくとめす。

重忠膝行していたる。

うしろより女ばらとりつきて、もん烏帽子をうばふ。

是はとおどろく中に、素袍の袖爾火つき多りあわやとてけさんとす。

一女ひもとをとりて帯ども切て、ついに衣服をうばへり。

尼も又前はだかになりて重たゞに組む。

くまれていかにせんと思ふうちに、陽精のうごき出て、ついに徹夜のたのしみをなせり。

さて、後にはめせども来たらず。

故に事によせて家を亡ぼさしむ。

実朝の事は内簾の坊門の娘のしりたれど、あらわすべきにあらねば、しくみてへしに弑逆にあひしを、時と處とそぎて、終にかへり、朱ざか野の八条に庵を結びて行いすませり。

後に六孫王の廟所とたてしかば、尼寺と云名今につたへたり。

社僧真言にて、婦人たるもの以外をかぎりとす。

尼将軍の好色にふかき、俗間に色気ちがいといふは是也。

北条の代々、時泰時より等実に似てつたなく、太平なくす。

ついに、高時にいたりて亡ぶは、九代の冥福のみ。

後だいごの内謀あらわれし、冷泉卿にとのとかまくらに捕へて事問ふ。

哥よまれたり。

「おもひきや我しき島の道ならでうき世の事をとはるべしとは」高時感伏していかしたり。

この哥なにごゝろぞや。

□□は哥によりて官位と申也。

我しき島の道さらずは聞へず。

又「うき世の事」とはいかに/\。

朝臣の朝政をとはるゝをや僧人ならばしかよむべし。

高時の暗愚、天下を失ふべし。

哥は堂上の事としてたまふを、もらして北条に告やりし者有しかば、其まこと譌をしりたる人々を責問る中に、れんぜい殿を捕へてくだせしに、「あからさまに申されよ」と問れて、「おもひきや我しき島の道ならでうき世の事をとはるべしとは」と答へ給しに、ゆるして京にかへせしとぞ。

この歌の心いかにぞや。

朝庭の官位、高きも低きも世外の事にはあづからじものを、此こころをえとかめずして、ことわり也と思へりしは、家ほろぶべきものよ。

同じ時の、六波羅陥され[せ]ては、千はや責の大将こと/\く召とられて、六条河原にて、ならびて首を刎らるゝ

へにて空しく成たり」と人告たれど、一族たれも/\「にくし」とて問もゆかず。

五蔵法師は父なれば舟のたよりもとめて行。

死がらもとめて又舟にのせて庵にかへり、是も冢ならべてつきたれど、宗が墓は改葬といふ事して、すこし隔て祭りたり。

よろづに心ゆきて行ふ。

「かの親が鬼也」とて人皆いふ。

「いな、おやに似ぬは五僧法師こそ鬼子なれ」とて、鬼律師と名よびしとぞかたりつたへたりけり。

たまひぬ。

いかにしてと問へば、「よんべはしか事にて、酔ぐるひのあまりに、捨いしめとたはれたまひて、きのふ渠にくれたまひし劔のぬけ走りて、石わが高もゝにあやまちし。

其血飛ちり[はしり]て御面にまみれ、衣にもぬれ/\とつきたり」とかたる。

くすし等云。

「御供にありて、始をはりよくしりたまふ事は、たがふ事有まじ。

されどおのれ等がうかゝひたる時は、病にてこそあれ、いき絶ておはす。

国の守へしかうたへ出申さん」と申す。

ことわりなれば、「いづれもうたへたまへ。

我は本よりぞ」とて、姉に、「御かたはらにはなれ給ふな」と示してつれだちゆく。

守訴へどもを聞て、「事明らかに似て、捨いし病ならば、など、兄弟が夜すがら、夜明て」

くすしら申す。

「病は中風の一症に、卒倒して鼾を吹寝たるまゝに死ぬる者あり。顔は血洗ひて見たればいさゝかも疵なし。

たゞ病にて候」と申。

守聞入ず。

「長者が家高ければ、くす師らかよくいふ事も有べし。

目代つかはれば、肥ふとりしも、おとろへ、足たゝず。

「誰かたづねこしよとて見れば、わ子にてこそおはせ。

長者が死たまへるは病なるを、我しわざといひふるゝに、心もなくて迯はしり、御家の為あしゝと聞たり。

こゝにたづね来たまふは、仇打せんとなかへし。

生てかいなき命也。

首とりて、國の守に見せまつりたまへ。

この山の道ほり通せし功力にて今は極楽にうまれたりしよ」と、「主の御ため[館]にはいかにも成なん」と申。

小傳二云、「此山の大功力の事聞て、父が手向の供養にもやすると思ひて、仇うちもとよりすべきことわりなし。

召捕へて守に引つれ行、ありのまゝに申させて、命たすけ、我も家おこさんとて出しかど、もし愚なる者から、仇打するかと力だてせんには」とて、「習ひ得たる術見よ」とて、大なる石の岸に立たるをつとよりて蹴たれば、谷の底に毬の如くにころび落たり。

又、枯木の大なるが立たるを、刀ぬきて丁と切れば、やすく倒れぬ。

又、弓取出て、空ゆく鴈ふたつひようと引はなちたれば、つらなりて地に落たり。

鬼法師おどろきて、目口はたけ、手を「我足立たりとも、わ子には何の苦もなく首とられむ。

かくまでも習得させ給ふものか。

昔牛若殿の五條の橋の千人斬と云も、わ子にあひたらば弁慶どのよりさきにうたれたまはんよ」とて、稚きことのみいひてありがたがる。

「汝、もし力量にて我にむかはゞ、

歌のほまれ附宮木冢

山部の赤人の、「わかの浦に汐満くればかたを無み芦べをさしてたづ鳴わたる」と云歌は、人丸の「ほの/\とあかしの浦の朝霧」にならべて、哥のちゝ母のやうにいひつたへたりけり。

此時のみかどは、聖武天皇にておはしませしが、筑紫に廣継が反逆せしかば、都に内応の者あらんかとて、恐たまひ、巡幸と呼せて、伊賀・伊勢・志摩の国、尾張・三河の國々に行めぐらせたまふ時に、いせの三重郡阿虞の浦にてよませしおほん、「妹に恋ふあごの松原見わたせば汐干の潟にたづ啼わたる」又、この巡幸に遠く備へありて、舎人あまたみさきに立て、見巡る中に、高市の黒人が尾張の愛智郡の浦べに立てよみける、「桜田へたづ鳴わたるあゆちかた汐ひのかたにたづなき渡る」是等は同じ帝につかうまつりて、おほんを犯すべきに非ず。

むかしの人はたゞ打見るまゝをよみ出せしか、さきの人のしかよみしともしらでいひし者也。

赤人の哥は紀の国に行幸の御供つかふまつりてよみしなるべし。

さるは、同じ事いひしとてとがむる人もあらず。

浦山のたゝずまひ、花鳥の見るまさめによみし、其けしき絵に写し得がたしとて、めでゝはよみし也。

又、おなじ萬葉集に、よみ人しれぬ哥、「難波がた汐干にたちてみわたせば淡路の島[に]へたづ鳴わたる」是亦同じ心なり。

いにしへの人のこゝろ直くて、人のうた犯すと云事なく、思ひは述たるもの也。

歌よむはおのが心のまゝに、又、浦山のたゝずまひ、花鳥のいろねいつたがふべきに非ず。

たゞ/\あはれと思ふ事は、すなほによみたる。

是をなんまことの道とは、歌をいふべかりける。

宮木が塚

本州川邊こほり、神ざきの津は、むかしより古き物がたりのつたへある所也。

難波戸に入る船の、又山崎のつくし衛に荷をわかちて運ぶに、風あらければ、こゝに船とめて日を過す。

その又昔は、猪名のみなとゝ呼し所也けり。

此岸より北は河邊郡とよぶ。

是はゐなの川邊と云べければ、猪奈郡と名付べかんめるを、「すべて国・郡・里の名、よき字二字をえらめ」めと勅有しによりて、言をつゞめ、又ことを延ては名づけたるに、大かたはよしと思へる中に、かくおろそげなるも有けり。

此泊りに日をへる船長・商人等、岸に上りて、酒うる家に入て、遊びに酌とらせ、たはれ興ぜし也。

何がしの長が許に、宮木と云遊びめは、色かたちより心ざまたかく、立まひ、哥よみて、人の心をなぐさむと云。

されど多くの人にはむかへられず、昆陽野の郷に富たる人あり。

是がながめ草にして、ほかに行事をゆるさず。

此こや野の人は、河守十太兵衛と云て、津の国の此あたりにては、並び無きほまれの家也けり。

年いまだ廿四にて、かたちよく、立ふるまひ静に、文よむ事を専に、詩作りて、都の博士たちに行交はりて、上手の名とりたる也。

此宮木が色よきに目とゞめて、しば/\かよひしほどに、今はおもひ者にして、外の人にはあはせずぞありける。

宮材も「この君の外には酌とらじ」とて、いとよくつかへたり。

十太は黄がねにかへてんとて、よく云入たるに、「いとかたじけなし。

人には見えじ」とて、長はうべなひぬ。

宮木が父は、都の何がし殿と云し納言の君也しかば、いさゝかの罪かうぶりて、司解け、ついに庶人にくだされしかば、めのとのよしありて、此かん崎の里に、はふれ来たりて住たまへりけり。

世わたる事はいかにしてともしらせ給はねば、もたせしわづかのたからも何も、今は残りなく失ひて、わび泣してついに空しくならせけり。

母も藤原なる人にて、父につかへて、おのが里といふ家にはかへらで、此首細き人にしたがひ、田舎にと聞て、家よりは、「など姫君の為思はぬ。

めの子ははゝにつく者也。

手とりて帰れ」と、情なく云こさるゝに、いよゝ悲しくて、ふつにこたへはしたまはざりき。

みはうぶりの事も、もてこし小袖てう度賣払ひて、まめやかに行なひたまへりけり。

彼めのとは寡ずみして、人にやとはれ、ぬひ針とりて口はもらへど、御かた/\の為にや及ぶべからねば、あはれ貧しさのみまさりけり。

母は稚きを膝にすゑて、たゞ涙の干るまなくぞおはしけるに、めのとが云。

「かくておはさば、姫君も我も土くひ水飲てぞ、いのち活ん。

いかにおぼしめすや。

此ひめぎみ、このさとの長が、「むすめにたまはれ」と、「たのみのしるしに黄がね十ひら奉らん」と申。

彼長は此里に久しくすみふりて、家富、人あまたかゝへ、夫婦の志も、都の人恥かしきばかりになんある。

かしこに養なはせ給へ。

よき婿とりして、後はよくつかへさせんものぞ」と、すかいこしらへ云さる。

「たのもし人の心よりて、事もよくのたまふには、憂か中の喜び也。

よく申てむかへに来たまへ」といふ。

遊びと云者の、いやしき世わたりともしらで、鳥飼のしろめが、宇多の上皇の御前にめされて、「濱千鳥」とうたひしためしにのみおぼししりて、ゆるしたまへりけり。

めのと、「よくいひし」とて、長がもとへ走ゆきて、「御為よしと申たれば、「おくらんと」のたまふ也。

しるしのこがね見せ奉らん」といふ。

長即かぞへてわたすを、母君に、「是見給へ。

人の失ふ寶をかく多く積もちて、安く贈りたるぞ。

姫ぎみこよひ出し立て、おくりたまへ。

御供は我つかふまつらん」とて、あやしきわざの家の内見せじとて云。

母君、「いかにもせよ。

稚きものは、母が手離れて、一日ひと夜もほかにあらぬものから、泣わぶらん」と、悲しげにのたまふ。

ひめ君きゝて、「御ゆるしある所ならば、いづこへも行て、女はおとなに成ば、必人に送らるゝものならずや」と、おとなしくのたまふ。

「今は名残ぞ」とて、背を撫、うなゐ髪かき上て、さめ/\ない給ふ。

めのと、「さては、今いかにしたまへる。

しるしとて納めたれば、かなたの子也」と、ことわりせめられては、「ゆけ」とのみないたまへり。

手とりてつれ立行。

何の心もあらぬものから、にぎはゝしき家に入て、「よき所也」とよろこぶ。

長夫婦、「いとし子ぞ」とて、物きよくしてくはせ、小袖も新しくてうぜしを着す。

をさなき心には、たゞ「うれし」とのたまひて、此夜よりなつかしきものに馴むつれたまふ。

「母君はあす必来たまへ」と云。

めのと「しか申さん」とていぬ。

「ひめ[はゝ]君ぞ、いとよく馴々しく物などよみて遊びたまへりき。

御心落ゐたまへ」とて、「しるしの中二ひらかしたまへ。

さき/\御父のために、おぎのりわざして、今にかへさぬぞある」とて分ちとる。

周の制に什が二つと見しためしに、しかするなるべし。

いにしへ人もおのれよしに事は行ひたりけり。

はゝ君は、「この家にゆきて、よろづたのみなん」とおぼせど、「御小袖あたらしくて、日がらえらびて」と妨られて、何の故ともしらず。

「姫ぎみの顔見せよ/\」とて、朝ゆふのみならず、ないたまへりしが、ついに是も病して、むなしく成たまへりけり。

宮城十五といふ春に髪揚して、長が、「まろう人の召也。

出てよくつかへよ」とていそがする。

さかしくおはせしかば、「物がたりに見しあそび女とは我事よ。

母のゆるして養なはせしかば、うらむべき人無し」とて、心をさだめ、長夫婦が習はす事ども、うしと思つゝ、月日わたりて上手に成りたり。

「かたちよし。この郷の遊びには、かく宮びたるは久しくあらざりし」とて、人多くかへり見しけり。

宮木と云名は、何のよしにか長が名付たる。

かくて河守の色好みにあひそめて、後には、「人には見えじ」といふを、「よし」とて、長にはかりて、「迎へとらむまでは」とて、「遊びのつらにはあらせじ、此花折べからず」と、しるし立たりけり。

春立てやよひの初め、「野山のながめよし。いづこにも率なひて見せん」とて、兎原の郡生田の森の桜さかり也と聞、「舟の道も風なぎて」とて、宮木を連て一日あそびに行けり。

林の花みだれ咲たるに、幕張て遊ぶ人あまた也。

宮木がゝたちをけふの花ぞとて、こゝかしこより目偸みて見おこす。

玉の扇とりてもたす。

たゞつゝましうて、酒杯しづかに巡らし有る。

十太は今日のめいぼくに、若ければ思ひほこりてなんある。

河守の此在さまに、心劣りせられて、「宮木がかたちよし」、「ねたし」など云。

此さやめく中に、こや野のうまやの長藤太夫と云も、けふこゝに来たりて、つれ立しくす師、何某の院のわか法師に「耳かせ」とて、云事かん崎の津にて亥中也。

かへりきて、「是はいかに/\」と問ふ。

翁人腋の戸から出て、「しか/\の事なん侍りて、あはたゝしく閉めたまへりき。

いきてわびたまへ」と云。

たゞちに長が前に畏りて承る。

長怒て「此月は汝が役つとむるべきにさし置たりしに、我に告ずして、いづこにかうかれあそぶ。

今は取かへされず。

五十日は篭りをれ」とて、言荒く云のゝしりて入ぬ。

「花はまだ盛と見しを、此嵐に今は散なん。

我只こもりをらん」とて、息つぎ、つゝしみをる。

其あした長申つぐる。

「御使、赤石の駅より飛檄つたへたまへる、『汝がりにやどりしてんを、夜にまよひて馬の脚折たり。

今は、舟にて竺石にくだる也。

波路は御つかひの人の乗まじき掟をたがへたるは、日のをしき罪のかしこさに、しかすれど、又風波あらくばいかにせん。

五百貫の価の駿馬也。

このあたひなんぢが里より債へ』と申来たりき。

さと人誰かは受ん。

汝こそ五百貫の銭今たゞいま運べ。

此銭を都の御家に送る費せよ。

又卅貫文なり」とて、取たてゝはこばす。

「五十日は猶こもりをれ。

つくしの御使事はてゝ上りたまはんに[けに]、わびたらん」とて、つゝしみをらす。

此間に藤大夫、くす士理内をつれて、神崎に「酌とらせよ」と云。

「此者は御里の河守殿のあづけおかれて、『他の人には見えそ』と。

此曾御つゝしみの事にてこもらせしかば、問まいらせてんたより無し」とて出さず。

いよゝます/\妬く、ほのほの如に、つら赤めて酒のみて、耳だゝしく、「河守めは此度の御咎めに首刎られつべし。よき若き者をしゝ」といひおとしてかへる。

宮木、こゝちつとふたがりて、佛に願たて、命またけん事をいのる。

お物もたちて十日ばかり篭り有しかど、よき風も吹つたへこず。

長夫婦云、「物くはで命やある。よく養ひて出させたまふをまて。長が酒酔のにくて口聞たる也。ま事ならじ。御罪の事は五佰くわんの馬買てあがなひたまへば、やがてめで度門ひらかせんを」と云に力を得て、経よみ写し、花つみ水たむけ、焼くゆらせ、「観自在ほさつ」と、中山でらのかたを拝む/\。

さて、十駝はかく慎みをるほどに、風のこゝちになやましくて、「くす師よびむかふ。「当馬と云は上手ぞ」とてむかへたり。診みて、「あな大事也。

日過ては斃れん。

よき時見せし」とて、ほこりて匕子とる。

女あるじなきには、誰もあきるゝのみにて、怠りぬべし。

長が方へも、くすし此頃日々に来て、「十太兵衛大事也」とかたる。

耳にひそかに言つけて、「かの五百貫の中わかちて奉らん。

薬たがへてよ」と云。

くすし首打ふりて、「大事の御たのみ也。

我は承らじ」といへども、「ついつたをるべし」と云て、隔症あらはなるに、附子つよく責てもりしかば、ついに死ぬ。

長いと喜びて、外の事のゐやまひにとりなして、百貫文をおくる。

宮木が方へかくと聞しらせしかば、「倶に死なん」といひて狂ふをせいして、「御仏のいのりたる験なき御命也。

よく弔ひて御恵み報へ」といへど、せいし兼たり。

かくて在ほどに、藤大夫よくしたりと獨ゑみす。

宮木がもとへしば来て、言よくいひこしらふれど、露したがふ色めなし。

長呼出て、彼五百貫の銭ののこりはこばせけるとなん。

「一月の身のしろよ」と云。

欲心には誰もかたぶきて、「一月二月、猶増てたばらば、生てあらんほどはつかへしめん」と云。

さて宮木に示すは、「十駝どのなく成たまひてよるべなし。

かの里にては長なれば、此人につかへよ」と。

心にもあらねばこたふべくもあらぬを、「命の限買たるからは、汝が物とな思ひそ。

親なく成てたよりなきを、今迄養ひたりと思へ。

まことの親より恩深し。

死なんとせば過たまひし母君のみ心にたがひ、今の親の吾々にも罪かうむりて、何にする。

だたゆふよるべとこそたのめ。

先席に出て物いへ」とて、出したつる。

藤太も言を巧みて、さま/\に心をとる。

「十太世に在ともあらずとも、女と定まりしに非ず。我は女なし。命長くて相たのまん」など、さま/\いひこしらへて、ついに枕ならべぬ。

一夜酔ほこりて、くすし理内が云。

「生田の森のさくら色よくとも、我長のときはかきは[かり]に齢まけたりき。

君もよき舟にめしかへらせしよ」とそゝる。

「いかにしていくたの咲良かたり出けん。藤大夫が始をはりのいひ事たのもしきにあらず。男ぶりよりして、はかり事すべき人也。十太どのをい何にはかりて罪したるよ。病はかなしきもの也。

生ておはしたまはんには、作りて罪せしむくひたまはんを」と、にくゝ成ては、「胸やみたり」といひて、相見ざりけり。

こゝに、其頃、法然上人と申て、大とこの世に出まし、「六字の御名だに信じとなへなば、極らくに至る事安し」とて、しめしたまへば、高き卑しき老もわかきも、たゞ此御前にありて、「南無あみだふち」ととなふる人多し。

御鳥羽のゐん上つぼねに鈴虫・松虫とて、二人のかほよ人あり。

上人の御をしへをふかく信じて、朝夕念ぶつし、ついに宮中をのがれ出て、法尼となり[る]、庵むすびて行ひけるを、帝御いかりつよくにくませしかど、いかにすべく思ひ過したまふに、叡ざんより[の]「佛敵也」と申て、上人を訴へ出づ。

「是よし」とて、土左の国へ流しやりたまふ。

「けふ上人の御舟、神ざきの泊して、翌は波路杳にと、汐船にめしかへて」ときく。

宮木長にむかひ、「しばしいとま給へ。

上人の御かたちを近く拝みたいまつりて、御陰たのみて、十太どのゝ後の世手向させたまへ」と云。

長夫婦、「是はことわり也」とて、心をとりて、物に馴たるうばら一人、わらはめ一人そへて、小舟にてこぎ出さす。

上人の御ふね、やをら岸遠はなるゝに立むかひて、「あさましき世わたりする者にて候。

御念佛さづけさせたまへよ」と、泣泣思ひ入て申。

上人見おこせたまひ、「今は命すてんと思定たる人よ。

いとかなしくあはれ也」とて、船の舳に立出たまひて、御聲きよくたふとくたからかに、念仏十ぺん授させたまひぬ。

是をばつゝしみて、口に答申終り、やがて水に落入たり。

上人、「念佛うたがふな。

成ぶつ疑がふな」と、波の底に示して舟に入たまへば、汐かなへりとて漕出たり。

うばら童、驚め、業は多かるものを、何鹿も、心にもあらぬ、たをやめの、操くだけて、し長鳥、ゐ奈の湊による舟の、かぢ枕して、波の共、かより依是、玉藻なす、なびきてぬれば、うれたくも、かなしくも有か、かくて鑿、在はつべくは、生る身の、いけりともなしと、朝よひに、うらびなげかひ、年月を、息つぎくらせし、玉きはる、命もつらく、おもほえて、此かん崎の、川くまの、夕汐またで、よる浪を、枕になせれ、黒髪は、たま藻となびき、むなしくも、過にし妹が、おきつきを、をさめてこゝに、かたり次、いひつぎけらし、此のべの、浅茅にまじり、露ふかき、しるしの石は、た[手]が手むけぞも。

となんよみたる。

此跡今は無きとも人のいふ。

三十年の昔

拾之下

つぬがの浦のあなひ聞て、「夜よし」とて、月にあら乳の関山こゆる。

岩の上に小男の居て、「法師めはいづこへ行ぞ。

懐に物あらん。

酒代においてゆけ」と云。

「ふところの物は金也。

下てとれ」と云。

「にくき坊主」と、岩より飛ておりて前に立。

懐に手さし入れば、其手つよくとらへて、足にて横のかたへ蹴たをしたり。

うしろに人ありて、「腕だてするともゆるさじ。

金無くば破布子