墨田川梅柳新書(すみだがはばいりうしんしよ)巻之一

                                 東都 曲亭主人著

   一  卜部惟道(うらべのこれみち)嵯峨野(さがの)に孤(みなしご)を訪(と)ふ

むかし後鳥羽(ごとば)。土御門(つちみかど)。順徳院(じゆんとくいん)。三代(さんだい)の天子(てんし)に仕奉(つかへたてまつ)りし。吉田少将惟房(よしだのしやう/\これふさ)〈一説(いつせつ)に惟貞(これさだ)〉

といふ人ありけり。その先(せん)忍見足尼命(をしみのそくねのみこと)より出(いで)て。雷大臣(いかづちのおほひのうちぎみ)の後胤(こういん)。卜部吉田家(うらべよしだけ)

の庶流(しよりう)たりといへども。故(ゆゑ)ありて家世(かせい)久(ひさ)しく衰(おとろへ)。いと窶(やつし)くなりつる。惟房(これふさ)の父(ちゝ)

卜部(うらべ)の惟道(これみち)といひし人。いぬる安元(あんげん)治承(ぢしやう)の間(あひだ)。平家(へいけ)政(まろうど)を執(とり)ていと時(とき)めけるに。

所縁(しよえん)ありて左馬頭(さまのかみ)行盛(ゆきもり)〈基盛(もともり)の子(こ)清盛(きよもり)の孫(まご)也〉の家(いへ)に扶持(ふち)する。しかるにいく程(ほど)もなく

世(よ)の中(なか)大に乱(みだ)れ頼朝(よりとも)は豆相(とうさう)〈○イヅサガミ〉に起(おこ)り。義仲(よしなか)は北越(ほくえつ)に出(いて)。東軍(とうぐん)百万。威勢(いきほひ)猛(たけ)く

攻上(せめのぼ)れば。平家(へいけ)防禦(ぼうぎよ)に策(はかりこと)なく。安徳帝(あんとくてい)を衛(もりたてまつ)をりて。氏族(うから)親族(やから)みな遽(あはたゝ)しく

洛(みやこ)を落(おち)。摂州(せつしう)八部郡(やたべのこふり)須磨(すま)の浦(うら)に假(かり)の皇居(くわうきよ)となしまいらせ。且(しばら)く敵(てき)の

英気(ゑいき)を避(さけ)たりしかば。惟道(これみち)も行盛(ゆきもり)に従(したが)ひて。須磨(すま)の内裏(だいり)にぞ参(まい)りける。かくて三年(みとせ)あまり支(さゝへ)つゝ。百遍(もゝたび)千遍(ちたび)の合戦(たゝかひ)に。源氏(げんじ)動()すれば勝(かつ)に乗(の)りて。その鉾(ほこさき)

朝日(あさひ)の昇(のぼ)るがごとく。平家(へいけ)の陣(ぢん)はしらみかへりて。有明(ありあけ)の月(つき)にひとしく。なほ西(にし)を

投(さし)て落(おち)んとて。俄頃(にはか)に夥(あまた)の楼舩(ろうせん)を浮(うか)め。先帝(せんてい)〈安徳天皇(あんとくてんわう)〉女院(によいん)〈建礼門院(けんれいもんいん)〉を乗(の)せまゐらせ

讃岐(さぬき)の八嶋(やしま)に引退(ひきしりそ)きしが。又こゝにも足(あし)をとゞめ得(え)ず。長門(ながと)の赤間(あかま)が関(ぜき)に盾(たて)

籠(こも)りしを。いたく攻(せめ)られてふたゝび舩(ふね)にうち乗(の)り。高麗(こま)唐土(もろこし)の果(はて)までもと

漕出(こぎいづ)るを。源氏(げんじ)の兵舩(ひやうせん)八方(はつはう)よりとり巻(まき)て。一騎(いつき)も漏(もら)さじと攻(せめ)たるつれば。平家(へいけ)は

こゝに勢(いきほひ)究(きはま)り。宗徒(しふと)の大将(たいせう)或(あるひ)は討死(うちじに)し。或(あるひ)は生拘(いけど)られ。今はかうとみえしとき。

行盛(ゆきもり)潜(ひそか)に惟道(これみち)に私語(さゝやき)給ひけるは。足下(ごへん)は予(よ)が恩顧(おんこ)の家隷(いへのこ)にも勝(まさ)りて。かゝる今

般(いまは)までも立去(たちさり)給はざる誠心(まごころ)のうれしさに。後(のち)の事とも聞(きこ)え ならしること。

抑(そも/\)行盛(ゆきもり)が年来(としごろ)ゆきかよひつる。小櫻(こざくら)初花(はつはな)といふ二人(ふたり)の女房(にようぼう)あり。往(さき)に〈養和元年(ようわがんねん)秋(あき)七月なり〉洛(みやこ)

をおつるとき。小櫻(こざくら)は男子(なんし)を産(う)み初花(はつはな)も有身(みごもり)て臨月(りんげつ)に程(ほど)ちかきを。しか”/\の

処(ところ)にしのばせおきてしが。あふありては軍慮(ぐんりよ)に間(いとま)なくて絶(たえ)て一たびの音耗(おとつれ)も聞(きこ)えず。

既(すで)に五年(いつとせ)の春(はる)を過(すぐ)しぬ。足下(ごへん)元来(もとより)武芸(ぶげい)に富(とみ)て ざま勇(たけ)し。一方(いつはう)を切脱(きりぬけ)ん

事はいと易(やす)かるべかれば直(たゞち)に洛(みやこ)にかへり上(のぼ)りて彼(かれら)ほかちからともなりて給はるべし

こはわが紀念(かたみ)ともみるへとて。備前(ひせん)家次(いえつぐ)がいとわかくて打(うち)たりける短刀(たんとう)の〓(しのぎ)に

自他平等即身成仏(じたびやうどうそくしんじやうぶつ)と鐫入(ゑりいれ)たる一振(ひとふり)と背(はら)に梅(うめ)と松(まつ)を鋳出(いいだ)したる鏡(かがみ)一面(いちめん)を

とり出(いて)て与(あたへ)り。他(た人)事なくたのみ聞(きこ)ゆる惟通(これみち)彼(かの)両品(ふたしな)を受納(うけおさめ)て仰(おふせ)うけ給はりぬ

こゝろ安(やす)かれ。この事ようつかまつらんと應(いらへ)ながら。去(さ)らんともせず。依然(いぜん)として

舊舩(  のふね)にあり。行盛(ゆきもり)はかくいひ捨(すて)て。前(さきの)左少将(さしやう/\)有盛(ありもり)〈重盛(しげもり)の子(こ)〉とゝもに。敵(てき)の舩(ふね)に飛(とび)

乗(の)り/\。當(あた)るを幸(さひはひ)に切(きり)てまはり。思ふ程の戦(いくさ)して。二人ひとしく討死(うちじに)し給ふ

惟通(これみち)は思慮(しりよ)ふかき人なれば。とても一方(はほか)を切脱(きりぬけ)て落(おつ)る身(み)なり。いかにもして先帝(せんてい)を

【北條九代記を〓ずるに備前國の住人藤原三郎家次に仰せて後鳥羽院の打たせ給ひし太刀を御所焼と名づく又承久記には次家正に仰せ打せ給ふといふ】

救(すく)ひ出(いだ)し奉(たてまつ)らばやとて。つと身(み)を起(おこ)し秋(あき)の野にちり布(しく)木(こ)の葉(は)のごとく漕(こぎ)

ならべたる舩(ふね)どもを。此彼(これかれ)と乗(のり)うつり。先帝(せんてい)の御舩(みふね)に飛入(とびい)りて見奉(みたてまつ)れば。只今(ただいま)

二位(にゐ)の禅尼君(ぜんにきみ)を〈時に八才〉抱(いだ)きまゐらせて。御剣(ぎよけん)を腰(こし)に帯(おび)。千尋(ちひろ)の底(そこ)に沈(しづ)み

給ひぬとて。典侍(すけ)以下(いか)の女房達(にやうぼうたち)。舩(ふね)の艫舳(ともへ)に眇(ふし)まろび。聲(こゑ)を揚(あげ)て叫(さけび)悲(かなし)み

給へは。惟通(これみち)も今さらに驚(おどろか)れ。手足(てあし)も〓(なへ)麻(しび)るゝ におぼえて。御舩(みふね)にありける

唐櫃(からひつ)に。尻(しり)をかけんとしたりしかば。忽地(たちまち)に目眩(めくらめき)。鼻血(はなぢ)さへ流(なが)れ出(い)づ。亜相(あさう)時忠(ときただ)卿(きやう)

見給ひて。内侍所(なひしところ)の御箱(みはこ)也。狼藉(らうせき)なせそと宣(のたま)へば。惟通(これみち)大に駭(おどろ)き怕(おそ)れ潮(うしほ)を沃(そゝぎ)かけ

て身(み)を清(きよ)くし。件(くだん)の唐櫃(からひつ)負奉(おひたてまつ)りて。ちかく寄(よ)せたりし源家(げんけ)の侍(さふらひ)伊勢三郎

義盛(いせのさぶろうよしもり)が舩(ふね)に到(いたり)て。われは吉田(よした)の庶流(しよりう)に。卜部惟通(うらべのこれみち)といふもの也。平家(へいけ)重恩(ぢうおん)の人

にもあらねば。源氏(げんじ)に對(たい)して恨(うらみ)もなし。只(たゞ)假初(かりそめ)の所縁(しよえん)ありて。前(さきの)左典厩(さてんきう)行盛(ゆきもり)に

伴(ともなは)れてこゝに来(きた)り。今(いま)先帝(せんてい)の御舩(みふね)に参(まい)りあひてはからずも神鏡(しんきやう)の御箱(みはこ)を

守護(もり)て来(きた)れり。このよし大将軍(たいせうぐん)に申させ給へといへば。義盛(よしもり)聞(きゝ)て時(とき)を移(うつ)さず。

惟通(これみち)を将(い)て大将(たいせう)の舩(ふね)にまゐりしかば。義経(よしつね)斜(なゝめ)ならずよろこびおぼして。件(くだん)の唐櫃(からひつ)を受(うけ)とらせ。やがて惟通(これみち)を厚(あつ)く待(もてな)し給へり。時(とき)に文治(ぶんぢ)元年春(はる)三月廿五日。

平家(へいけ)の氏族(しぞく)悉(こと”/\)く滅亡(ほろびそ)せ。神爾(しんし)内侍所(ないしどころ)は故(ゆゑ)なく洛(みやこ)へかへら入れ奉りしかど。

宝剣(ほうけん)は海(うみ)に沈(しづ)みてふたゝび出る事なし。もし惟通(これみち)守護(もり)奉(たてまつ)りらざれは。内侍所(ないしどころ)も

いかになり給ふらん。こは全(まつた)く彼(かれ)が績(いさをし)なれば。よろしく勧賞(おんせう)あるべしとて。法皇(ほうわう)

〈後白河院(ごしらかはのいん)〉よりこの旨(むね)叮嚀(ねんごろ)に仰(おふせ)出(いだ)されけり。さらば一処懸命(いつしょけんめい)の地(ち)をも宛(あて)行(おこなは)れ。

官爵(くわんしやく)をも制度(さた)せらるべきけど。 (きた)えしけど。惟通(これみち)さらに承(うけ)奉(たてまつら)ず。今思ひ

もかけず朝恩(ちやうおん)に浴(よく)し。久(ひさ)しく衰(おとろへ)たる家(いへ)を興(おこ)さん事。歓(よろこ)ばざるにあらず。しかは

あれ。惟通(これみち)苟(いやしく)も人の禍(わざはひ)に由(より)て。身(み)の福(さいわひ)謀(はか)るにしのびゆかず。且(かつ)近曽(ちかごろ)壇浦(だんのうら)

にて討死(うちじに)せし。平行盛(たいらのゆきもり)に妾腹(せうふく)の児(ちご)二人あり。彼人(かのひと)洛(みやこ)を落(お)つるとき。小桜(こざくら)と

文治元年(ぶんぢがんねん)

三月廿五日

壇浦(だんのうら)水戦(ふないくさ)

平家(へいけ)敗軍(はいぐん)

先帝(せんてい)入水(じゆすい)

卜部惟通(うらべのこれみち)

内侍所(ないしどころ)を蔵(おさめ)

たてまつりし

唐櫃(からひつ)を守護(しゆご)して

源家(げんけ)の侍(さふらひ)伊勢三郎(いせのさぶろう)

義盛(よしもり)が舩(ふね)に到(いた)る

いへる女房(にようぼう)かは。既(すで)に男子(なんし)出生(しゆつせう)し。初花(はつはな)といへる女房(にようぼう)は有身(みごもり)てありけるを。人の

家(いへ)に潜(しのば)せておけるよしを聞(きゝ)ね。今はその児(ちご)おの/\五歳(ごさい)なるべし。あはれこの

度(たび)の勧賞(おんせう)に。彼(かの)二人の稚児(をさなこ)を賜(たまら)ば。その往方(ゆくへ)を索(たずね)出て。惟通(これみち)が子(こ)とし養(やしな)ひ。

成長(ひとゝなる)のち出家(しゆつけ)させて。父祖(ふそ)の後世(のちのよ)をも吊(とは)はせひけれ。これ行盛(ゆきもり)が年来(としごろ)の

恩恵(めぐみ)を報(かへ)さんと思ふのみ。この事許(ゆる)させ給へかしと願(ねぎ)たてまつるに。法皇(ほうわう)聞(きこし)

食(めし)て御感(ぎよかん)浅(あさ)からず。惟通(これみち)が申すところ義(ぎ)あり信(しん)あり。まげて行盛(ゆきもり)が子ども

を助得(たすけえ)さすべしとて。縁由(ことのよし)を鎌倉(かまくら)へ仰(おふせ)つかはされしかば。頼朝卿(よりともきやう)謹(つつしみ)てこれを

うけ給はり。行盛(ゆきもり)は平家(へいけ)の嫡流(ちやくりう)朝敵(ちやうてき)の首領(しゆれふ)たり。その子(こ)幼少(いとけなし)とも助(たすけ)おくべきもの

にあらす。さは申せ。天下(てんか)に信(しん)を失(うしな)はじとの院宣(いんせん)を。固辞奉(いなみたてまつ)らんせうなし。しからば惟通(これみち)

が望(のぞみ)申ずにまかせられて。行盛(ゆきもり)か子ともを養(やしなは)せ。とし十五に及(およ)はゞ佛門(ぶつもん)の徒(ともがら)となすべし。

又初花(はつはな)とやらんが腹(はら)なりける児(ちご)。女子(によし)彼(かれ)が随意(まに/\)養育(はぐゝま)ん事勿論(もちろん)也。

もし男子(なんし)ならば。これ又もろともに出家(しゆつけ)いたさすべし。かくの如(ごと)く仰含(おおせふくめ)らるべらりや

と回答奉(いらへたてまつら)せらる。この時(とき)當今(たうきん)〈後鳥羽帝(ごとばてい)〉は。幼少(いとけなく)おはしませし程(ほど)に。天下(あめがした)の事大小と く。

院(いん)〈後白河(ごしらかわ)〉より制度(さた)し給ふなれば。法皇(はうわう)やがてしか仰出(おふせいだ)されけり。惟通(これみち)は忽地(たちまち)に望(のぞみ)

足(た)りてふかく歓(よろこ)び。行盛(ゆきもり)の遺言(ゆひげん)を心あてに嵯峨野(さがの)の奥(おく)に索(たづね)ゆきて。まづ小桜(こざくら)

の女房(にやうぼう)を訪(と)ふに。はじめは鎌倉(かまくら)より捜出(さがしいだ)さるゝかと疑(うたが)ひて。左右(さう)なくそれぞとも

いはざりしを。惟通(これみち)赤心(まこゝろ)をあかして。事(こと)審(つまびらか)告(つげ)しかば。あるじの老女(おうな) 涙(なみだ) らて。さては

その方(かた)ざまの人にてやおはする。抑(そもそも)行盛(ゆきもり)朝臣(あそん)西海(さいかい)に漂泊(ひやうはく)し給ひてより。たえて

音耗(おとづれ)もあらずとて。小桜(こざくら)の局(つぼね)は且暮(あけくれ)憂(うき)におもひ沈(しづ)みながき病著(いたつき)に首(またら)さへあげ

給はず。遂(つひ)に去年(こぞ)の神無月(かみなづき)黄泉(よみぢ)の客(たびゝと)となり給ひぬ。かくうつりゆく世(よ)の中(なか)の人

こゝろも常(つね)なくて。冊(かづ)きまゐらせし一人の老黨(ろうどう)も。やうやくに心うつりし。おのが世(よ) (へ)ん

とてや稚君(わかぎみ)を捨(すて)おきて。いづ地(ち)ともなく逃去(にげさり)にき。わが身(み)は里(さと)に久(ひさ)しく住(す)めど。ふかき

恩(めぐみ)を禀(うけ)たるにもあらず。聊(いさゝか)の縁(え)にしありて。年来(としごろ)のあるじまゐらせたれば。稚君(わかぎみ)の事(こと)

あまりに痛(いたま)しく。なほ家(いへ)に養育(はぐゝみ)て。一椀(いちわん)の飯(いひ)をわかち進(まゐ)らするのみ。さるを朝廷(みかど)

より御免(おゆるし)を禀(うけ)給ひて。世(よ)をひろく生育(おひたち)給はんは。こよなき幸(さひわひ)にこそ。稚(わか)はいづ地(ち)ぞ。

こや喃々(なう/\)と呼(よび)たつる。おいと應(いらへ)て破(やれ)たる籬笆(たけゞき)のほとりより。年紀(としのころ)五つばかりなる童(はらべ)。

引捨(ひきすて)たる菖蒲(あやめ)を挿頭(かざし)つゝ走来(はしりきた)れり。世(よ)につれ時(とき)にしたがひて。日(ひ)やけの額(ひたひ)にふりかゝる

総角(あげまき)の。いつ梳(くしけづ)りしとも思えず。垢(あか)つきたる単衣(ひとへきぬ)も。針目(はりめ)あらはにして。膚(はだへ)を裏(いく)むに

堪(たへ)ざれば。これなん行盛(ゆきもり)の遺腹子(はすれがたみ)かと思ふに。惟通(これみち)漫(そゞろ)に落涙(らくるい)し。さてあるじに浅(あさ)からぬ

志(こゝろざし)をかろこび聞(きこ)え。折(をり)ふし携(たづさへ)たる物(もの)を残(のこ)しとゞめて。この日の贈(おくりもの)とし。又初花(はつはな)の女房(にようぼう)

を訪(とは)んとて立出(たちいづ)るを。老女(おうな)しばしと引(ひき)とゞめ。いまだ初花(はつはな)のなり き給ふをしらずやおは

する。彼(かの)婦人(ふじん)は仁和寺(にんわじ)の片邉(かたほとり)にかくれ住(すみ)て。 ()く小桜(こざくら)と訪(と)ひりく訪(とひ)れたりて。かたり

慰(なぐさ)め給ひしが。産(うみ)給ひたるは姫(ひめ)にて侍(はべ)り。しかるに今茲(ことし)弥生(やよひ)の下旬(すゑつかた)。平家(へいけ)の氏族(そそろ)親族(やから)。たな壇浦(だんのうら)とやらんにて滅亡(ほろびうせ)。行盛(ゆきもり)朝臣(あそん)も討死(うちじに)し給ひぬと聞(きこ)えし (など)に初花(はつはな)

いたく叫(さけ)び悲(かなし)みて。終(つひ)に大沢(おほさは)の池(いけ)に投(しづみ)給ひしとぞ。その時(とき)までも傳(かしづ)き侍(はべ)りつる春雨(はるさめ)

とかいへる〓母(めのと)。ふかくうち歎きて。幼(いとけな)き姫(ひめ)をかき抱(いだ)き。東國(あづま)にしるべあれば。其処(そこ)へ ()てこそ。

左(と)も右(かう)もはべ れとて。旅(たび)たつ朝(あさ)さへも立(たち)よりて。姨(うば)に稚(わか)の事(こと)たのみ聞(きこ)えたりしは。いねる

廿日(はつか)あまり七日八日のころかと覚(おぼえ)し。小桜(こざくら)世(よ)を去(さ)り給ひしより。初花(はつはな)もいよゝ心(こゝろ)ほそき事

にて。いつか頭殿(たうのとの)〈行盛(ゆきもり)に〉會(あひ)まゐらせて。二人(ふたり)の児(ちご)たちを逓()し侍(はべ)るべきなど宣(のたまひ)て。折

ふしは稚(わか)の安否(あんひ)をも問(とは)せ給ひたるに。行盛(ゆきもり)朝臣(あそん)討死(うちじに)ありしと聞(きゝ)て。愁傷(しうしよう)のやる

かたなきにか。幼(いとけな)き人を遺(のこ)しおき。大澤(おほさは)の池(いけ)の水屑(みくず)となり給へる。御(み)こゝろの中(うち)推量(おしはか)

られていとあはれなり。しかれば彼処(かしこ)尋(たづね)ゆき給ふとも。絶(たゑ)てそのかひあるべからずと

物(もの)がたる。惟通(これみち)ます/\遺憾(いかん)〈○フユリオホサ〉に堪(たへ)ず。なほ彼(かの)春雨(はるさめ)がゆきたる ( に)を問(とふ)に。東国(あづま)とのみ

聞(きこ)えて審(つまびらか)にはしらずといふ。かくてあるべきにあらねば。稚人(をさなきひと)の手(て)を引てこゝをたち

卜部惟通(うらべのこれみち)

朝廷(みかど)の御免(みゆるし)

を被(かうふ)りて

行盛(ゆきもり)朝臣(あそん)の

遺腹子(わすれがたみ)二人(ふたり)の

幼弱(をさなき)をたづねて

嵯峨野(さがの)の

隠家(かくれが)へ

来(き)たる

初花(はつはな)の女房(にようぼう)は

行盛(ゆきもり)討死(うちじに)

の を聞(きゝ)て

悲歎(ひたん)に迫(せま)り

わつる

五才なる姫(ひめ)を

遺(のこ)しおき

大沢(おほさわ)の池(いけ)へ

投(しづみ)給ふ

乳母(めのと)子(こ)

春雨(はるさめ)

愁傷(しうしよう)を

出(いで)さりともと思ひて仁和寺(にんわじ)のほとりに赴(おもむ)き。里人(さとびと)に縁由(ことのよし)を告(つげ)て初花(はつはな)の事を

尋(たづぬ)る。彼(かの)老女(おうな)がいへるにつゆ違(たがは)ざれば。ちからなく立(たち)かへり。人に就(つき)て事審(つまびらか)に奏(そう)し

聞(きこ)え奉(たてまつ)れば。法皇(ほうわう)いと憐(あはれ)みおぼして。行盛(ゆきもり)が女児(むすめ)の往方(ゆくへ)定(さだ)かならずはいかにせん。

これをば緩(ゆる)やかに索(たづね)ねべし。今(いま)携(たづさへ)来(き)れる。稚(をさな)きものを養育(はぐゝま)んに。一畝(ひとうね)の田一〓(竹+↓束)(ひとつかね)の稲(いね)

もなからぢは便(びん)なからめとて。近江国(あふみのくに)志賀郡(しがのこふり)にて。荘園(せうえん)一箇所(いつかしよ)を賜(たまは)りたれば。惟通(これみち)

ふかく朝恩(ちやうおん)を謝(しや)し奉(たてまつ)り。やがて彼処(かしこ)に家(いへ)作(つく)りしつ。件(くだん)の孤(みなしご)をば行稚(ゆきわか)と名(な)づけて

愛(めで)やし給ひぬ。惟通(これみち)元来(もとより)一子(いつし)あり。柳王(やなわう)とよびて今茲(ことし)七歳(しちさひ)なり。妻(つま)は産後(さんご)に

身(み)まかりしが。いねる養和(ようわ)元年(ぐわんねん)。行盛(ゆきもり)に従(したがひ)て。惟通(これみち)洛(みやこ)を落(おつ)るの日。稚(おさな)きは手足(てあし)

まつはりなりとて。叡山(えいざん)月林寺(ぐわつりんじ)の仲圓(ちうゑん)阿闍梨(あじやり)とは。その身(み)従弟(いとこ)なるをもて。

そのころ僅(わづか)三歳(さんさい)なりたるわが子柳王(やなわう)を。彼(かの)寺(てら)に預(あづけ)おきてしに。これをも家(いへ)に迎(むかへ)たりけり。

成長(ひとへなる)の後(のち)吉田少将惟房(よしだのしよう/\これふさ)といへるはこれ也。さて惟通(これみち)は幼少(いとけなき)よりこの二人(ふたり)に義(ぎ)を結(むす)ばせ

て兄弟(きやうだい)とし。行稚(ゆきわか)は年(とし)も劣(おとり)たれば弟(おとゝ)也と定(さだ)め。もろともに物(もの)学(まなば)せて。慈愛(ぢあい)に親疎(しんそ)

あらざれば。これを伝(つた)へ聞(き)くもの惟通(これみち)を称讃(せうさん)し。寔(まこと)に当世(たうせい)の義士(ぎし)也とぞいひまはりたる。