【一】都なれは、歌よむと云人多し。皆口真似のえまねぬ也。師と云人も、我に似よと也。京極中納言の巧みによく似せんとそ。其師は、貫之、躬恒在し世も知らぬにはあらさるへし。貫之、忠岑は、人丸をたうとめりそかし。かゝるあそひにさへ、何謂はありて妨るよ。

【二】芦庵云、そなたは何わさもせすして在か、いたつら也、人の歌なほして、事広くして遊へよ、と云。答、人の哥直すへき事知らす、と云。いなや、たゝおろか者をかしこくしてつかはさせよと思ひて勤めよ、と云。いな/\、其方そうまれえぬ人は、かへりて愚にするにこそあれ、親におしへしわたらひをよく心得し人も、おのれになき才学は、学ふとはいへとも、愚になるのみ也、と云しかは、芦庵答なかしり。

【三】蒿渓(蹊)云、職人歌合久しく絶たりし、いさ、二人してよまんとそ。よむ事はかたからす、今の世には、商人歌合と題号をかふへし、といへは、黙して答へす。

【四】仮名つかひはなかつた事を書あらはして、魚臣(「彦」ト改)か木にゑらせし也。江戸の春海か翁は、とかくに学問に私めさるよ、と云こせしかは、答云、わたくしとは才能の別名也、堯か舜ニ天下をゆつりしはよき私也、蕩か、網の三隅をのそきて一隅をえん、と云しは、私の始なり、周か天下を治て、姓(姫)氏は四十二国を立て、殷の跡は宋一国を立しは、聖人も私をせられし也、此私か名目となりて、奪ふて代るを禅位といふよ、書典をとく事は有ましき業なれと、世久しくなりては、言語たかひ、文字にも、仮借、転注なと云て、たとへやら何やらをいふてとく事しやか、それはよし、此便りに我思はくをくはへてかしこけ也、陶淵明云、書は其いふ所の大意をよみ得たるにて、其余はしれぬ事は、其侭にしておけ、といひし、絃のかけたらぬ琴をかいなてゝ、趣をのみ知りて遊ひし、と云と同談也、此ことわりよし、翁か此論説をにくみて、誰人やら、さま/\云狂しとそ。翁答。

        大仏の柱はやけてなく成ぬせゝる蟻ともたんとわひたり

とそ。韓退之のおしやりし、前のほまれあらんよりは、後のそしりをおもへとそ。ほめるもそしるも、おのれ/\かひく方しやに。

【五】わかい時は人真似して、誹諧と云事を面白くたうとかりしか、歌よみ習ひて後も、時々言て楽しむ也。哥は中/\よみえられぬ事しやと、思ひたえて在しか、人のすゝめにて、何かしの中納言様の御墨をかけさせ給ふか有かたかりしにつきて、所々知らぬことのあるは問奉り(し)に、そちは心さしのよい者しゃ、考ておこそ、とおしゃつて、ついに御こたへなきに、心さひしくて、契沖の古語をときし書ともをあつめてよんたれと、猶所々にいふかしい事か有て、ふしきに、江戸の藤原の宇万伎といふ師にあひて、其いふかしき事ともをつはらに承りしか、此師も我四十四五さいの時に、京の在番に差れて上りたまひしか、ついに京にてむなしくなられし也。齢は五十あまりにて有し也。あたら事になけゝと、我もその比はくす士の業をつとめて、日々東西南北と立走りしかは、又よき師につきてとも思はす、四十三歳より五十五歳まて怠りなくつとめしかは、稚きより習はぬ事にて、ついに病に係りて、田舎へ養生のため隠居せしか、暇多けれは、又思ひ出して、魚の千里の学ひをせしほとに、又師かいひし事にも、肯られぬ事ともありて、本かへりて見たれは、大かたに心得らるゝやうなるか、猶しれぬ事は、陶淵明のおしやつ(た)につきてさしおきぬ。或人云、しいてしれぬ事をしらんとするは、かへりて無識しやとそ。是は聞えたとおもふて、しらぬ事に私はくはへぬ也。又此古言をしいてとく人あり。門人を教への子と云て、ひろく来たるをあつめられし人あり。やはり此人も私の意多かりし也。伊勢の国の人也。古事記を宗として、太古をとくとせられしとそ。翁口あしくして、

        ひか事をいふて也とも弟子ほしや古事記伝兵衛と人はいふとも

独学孤陋といへと、其始は師の教へにつきて、後  は独学てなけれはと思ふより、私ともいへ、何ともいへ、独窓のもとに眼をいためて考へて見れは、とうやら知れぬ事も六七分はしれたそ。

【六】桜を雲しやと見たて、又雪しやともいふ事、さいく人一二人に聞うからす、と真淵はいはれしとそ。西行ほとの道人か、とかく雲かさくらに見へ、桜か雲に見えて、よしの山に三とせ、行ひのひま/\には、雲しやと云歌たんとよまれたり。そこて翁か曰、此法師の哥は塵外塵中の二つあり、塵中の哥か世に多く云伝へたりき。哥にかきらす、何の道ても、藝ても、梅に鴬、道成寺、三輪な事多し。

【七】京師に客たる事、十五年来也。此ひとり言して在るか、太古はさしおいて云へからす、千年このかたの王城にも、代につきて盛衰あり。平城の結構にならひて、帝王の御坐と、朝堂院とて大事の政道と祭祀を行はせ給ふと、雙ひて二ところ也しとそ。帝宮の門を出て、南をさして朱雀大道と云しは、道の広さ十八丈有しとそ。京中の御幸の道は八丈にて、其余は四丈とそ。さりとは/\、十八丈の所はむかひか霞むてあろ。

【八】村上の御代の天徳四年の火に、宮殿のみかは、宝庫、文庫も跡なく亡ひて、国史といへとも、原書はなかりしかは、さま/\と附会して云事也。或人、有識のおしやりには、鏡も劒も恙なかりしと云か、亡ひた証拠しやとそ。

【九】 保元、平治の乱より大に変りて、鎌倉の右大将とのゝ、総追う補使といふつかさをかうむりたまひて、国々にも、国守の外に、国司といふをかま倉よりつかはされて、国守の勢ひはおとろへしとそ。さては都の御光も薄くならせし也。しかれとも、取りて代らねは神代より〓綿として、百余代の今日にいたれり。たふとひ事の限也。

【一〇】  歌は必〓神の御〓にてといへと、昔はそうてもなかりし也。後醍醐の御心のたけくましませしかは、鎌倉を亡ほさんと、内々はかっらせ給ふを、もらして、北条に告やりし者有しかは、其まこと謂をしりたる人々を責問る中に、れいせい殿を捕へてくたせしんに、あからさまに申されよ、と問れて、

        おもひきやわか敷島の道ならて浮世の事をとはるへしとは

と答へ給へしに、ゆるして京にかへせしとそ。此歌の心いかにそや。朝廷の官位高きも低きも、世外の事にあつからしものを、此心をえとかめすして、ことわり也と思へりしは、家亡ふへきものよ。同し時の、六波羅陥されては、千早責の大将こと/\く召とられて、六条河原にて、ならひて首を刎らるゝ中に、佐介何かしと云武士、はるか末にありしかよみしうた、

        皆人の世にある時は数ならてうきにはもれぬわか身也けり

とよみしは、実に涙落ることわりなり。又源義家との、奥の仇を討亡して上りし時、階下にて一軍物語を申せしを聞給ひて、江〓の、卿の、あたらものゝふの平法を学はぬよ、とつぶやかせしとそ。心を殊にかなへたらんには、いやしき民草たりとも、よき歌よむへし。すへての事、此ことわりにはつるましき也。

【一一】 たけきに過ては、ものゝふもついに亡ふる也。総見院右大臣との、明智光秀は股肱の臣なるを、事のたかへりとて、欄丸に命してつよくうたせられしにて、是をあたらぬ事とうらみて、反逆を企て、弑せし也。楚書といふ物に、任する者をはつかしむれは危し、と有は、信長公にあたりなりし。

【一二】 豊富公の大器も、始より志の大きなるにはあらさりし也。織田とのゝ御まへにかしこまりて、奉公を願はれし時、姓名を問せしかは、古主の姓によりて、木下と申され、又大名にならせし時に、姓を改めて羽柴とは、柴田、丹羽の二人を羨みて也とそ。丹羽は〓下にくたり、柴田はほろほさせしをおもひ見よかし。

【一三】儒者と云人も、又一〓になりて、妖怪はなき事也、とて翁か幽霊物かたりしたを、終りて後に恥かしめられし也。狐つきも癇性かさま/\に問答して、おれはとこの狐しや、といふのしや、人につく事かあらふものか、といはれたり。是は道に泥みて、心得たかひ也。狐も狸も人につく事、見る/\多し。又きつねても何ても、人にまさるは渠か天禀也。さて、善悪邪正なきか性也。我によきは守り、我にあしきは祟る也。狼さへよく報ひせし事、日本紀欽明の巻の始にしるされたり。神といふも同しやうに思はるゝ也。よく信する者には幸ひをあたへ、怠れはたゝる所を思へ。仏と聖人は同しからす。人体なれは、人情あつて、あしき者も罪は問さる也。此事神代かたりにいひたれは、又いはす。

【一四】伊勢人村田道哲、医生にて大坂に寓居す。一とせ天行病にあたりて、苦悩尤甚し、我社友の医家あつまりて、治する事なし。道哲か本郷より、兄と云人来たりて、我徒にむかひ、恩を謝して後、今は退かせたまへ、と云しかは、皆かへりし也。兄、道哲に云、汝京坂に久しく在て医事は学ひたらめと、真術をえ学はす、諸医助かるへからすと申されし也、命を兄にあたふへし、とて牀の上なから赤はたかに剥て、扇をもてしつかにあをき、又、時々薄粥と熊胆とを口にそゝき入て、一二日在ほとに、熱少さめ、物くふ。ついに全快したりしかは、国につれてかへりし也。是は兄か相可と云里に、寉田何かしと云医師の、薄衣薄食といふ事を常にこゝろ得よとて教へしかは、彼里ちかくすむ人は病せすとそ。是はまことに医聖也。その教へに、よきほとゝ思ふは過たる也とそ。しかるへし。翁ひそかに云、薄衣夏はいかにともすへからす、(と)つふやきし也。夏はかへりて、二更よりは一重を身にまとひて臥へし。

【一五】楊朱云、百年寿之大高、得百人者千無一焉、設雖有、孩抱昏迷者、幾居其中矣、夜眠所弭、昼覚之所遺、又幾居其半矣、量十数年之中、〓然而自得、無介焉之処、亦無一時之中爾。荘子云、吾生也有涯、而知也無涯、以有〓、随無〓殆已。

【一六】今世名利の人は、太平の煩はす也。芸技諸道さかんにして、涌か如し。是亦治国の塵芥也。

【一七】聖仏といへとも、遇不遇あり。桴に乗りて海にうかはん、とつふやきたまひしとそ。若我邦に来たりまふとも、仏氏に売せはめられて、心にあきたまふ事有へからす。七如来と申すもの、宝勝、多宝、妙色身、広博身、離怖畏、甘露王、阿弥陀也。六如来は貧厄也。多宝は小店商ひして、少々口か糊せらるゝ也。五如来の御名を聞事も希也。遇不遇、幸不幸は、人より甚しきか。

【一八】観音の念彼の巻をよみて見れは、とんな事しても助かる事のやうなは、切支丹の天師のやうな御利生しや。

【一九】金か敵とは、さりとは気のはつた事しやけれと、たゝ/\おしいたゝいておけはすむなるへし。

【二十〕昔てもなし、今ても無し、和泉のさかひの津に、血沼の波風もなくして、久しくつゝきしつく藻八左衛門と云富豪の人有。母一人をよくかしつきて、よろつに心にまかせぬ事なし。貧しき人ならは、おほやけよりめされて、白銀十枚を、有かたうこさります、と町内へも袴はひてあるくへし。春の日永きまゝに、障子日影さし、雀、からすの声面白きまて臥て、目さめたり。婢女かくるをまたすして、よめの発明者、臥具とり片つけて、御手水、御膳よと、残りなく立はしる。主いそき出て、けふはことに天気もよく候、すみ吉、天王寺、いつもの芳春庵てゆる/\お昼めされ候へ、と申せは、母もいつもなから機嫌よく、そなたも、とあれは、お供つかまつりたく候へとも、妻か親、紀州へ通りますに立より申と、申こしましたれは、今日は御供えつかまつりませぬ、とて立走りて、お駕かまいりましたと、茶箱、菓子取そろへたり。婢女二人、手代、丁児、門送りして出たゝす。この母は実母にあらす。もとはいやしからぬ者なるへし。よろつよくこゝろ得て、先主人につかへしかは、いつとなく一人寐のさひしさに、お伽奉公して子も産ねと、今の主人の心つけて、実母にかはらぬつかへして、母も、孝行にしてたもると、朝夕の悦ひ、孫の才物、手かひのから猫によりもつれて心をとる。出入医者百舌春沢、日々の見舞、お茶いたゝきましょと、又ちとおかわり申(しま)しょ、(と)手まへいと静也。この春沢か妻の父はもろこし人にて、張瑞図とて、明の乱より此津にわたり来て、客となりてまうけたる子也。親の才学を受次て、書かき、文章は李王の風韻、常の業に読書講尺、大人小児の分なく多く門に入て、おのつからに一人も、勧学院の雀よく囀りたり。一日天王寺のかへりに、岸つたひて、女郎花、われもかう、かるかやのくさ/\つみてかへる道に、大和橋のほとりて、貧女一人か乳のみ子に乳をふくめて、駕の跡について、手代に何やら書た物をさし出して、願ひありけに見ゆるを、ふしきなから取上てかへると、やかて御いん居のそはへ持て出て、かやうな物を、とさし出せは、御膳の後に、うらの戸口を明させ、婢女一人めしつれ、それにをるか、書つけの事よく分つたほとに、先かへれ、此家の疵になる事しやほとに、死ぬと云書つけ、親子とも死ぬとても何とせん、是てしのけ、とて金一両投あたへて、戸あらく立て入たり。此事を春沢か聞て、いちらしき事也、とて方々とさかさせ、つれかへりての深切、かの学問者の妻か、ようこそつれておかへりなされました、とていたはりかしつく事尤よし。夫婦して恵むほとに、十になる年、春沢か江戸の親の九十の賀をいはひに下るに、此子二人をつれて、しか/\の事とて物かたりす。父も、かなしき物かたり也、とてこゝにとゝめて、よい御殿へ出すへしとて、ついに青雲の時を得て、よておそれある御方へめされしとそ。かくあはれなる物かたりは有し也。

【二一】桑田変して茶や株つく。先考の御物かたりに聞し。昔三条の橋上から、祗園の神殿か見えたそ。それまては行々松の林並たち、鴨川は塵埃流れす、芝居は今の大和大路にたつた。むしろと縄て、からみつけて、は入て見たくもないわろは、つい/\といたといふたけな。此はなし、わつかに百年になるならす、人(今)の真葛の原は、風より、太鼓、三みせんてさわやかしく、時雨もふつたやらふらぬやら、聞えぬ所となりし、ちんちろりの虫のねは、楊弓のふうのおと昔しやない。大雅堂か書画の名海内に聞えて、今は字紙一まいか無価の宝珠となりし。翁か若い時、拝謁に參りたれは、たゝはあ/\と云て、頭を畳にすりつけ、すわり心のわろい事は、書損は丘につみ、墨はこほれて恒水の第三河也。一まいたまわれ、と云しかは、あなたは堂島しやとおしやる、とて黒舟忠右衛門を書てくれた。又、西国かたのお侍か、なんしやしれぬ物をかいて、是は野老をいはふて、と申される。この比白川橋へんの人か、大雅のおつかいなされた筆しや、と云て、只なんてもかても。親ともは周平様の味曾ついてもて行、米は御さりますか、とて一二升つゝおこします、さて、あなたのお陰て手か上りましたけな、とてお寺さまへ名号かいてもつて行。あるの(ママ)年のくれに、せつきはとうなされました、とて五岳の紋の布子のせんたくしてしんせる。玉蘭と二人して、茶やのかけ行灯をかいて、一軒に百文つゝのお礼物て、銭十貫文なけれは春かこさりませぬは、とて、又祗苑町の藝子か、たはこ入や扇面を、もしとうそ、といえば、ハア/\と云て、何やらしれぬ物かいてやるにも、礼物か一まい百文つゝ。大牢の滋味かはしらねと、芋やら餠やら、鰒やら牛肉やらて、玉蘭子なされぬかと、杯を持ながら、玉子も猿のやうな顔て、書初に玉蘭夫人。生前にはたんと礼せいても手に入れたのに、富家のくわんたいものか、周平にかゝせたとて、たつた一まい百疋の礼物。一二まい無名てかゝせた(と)贅言。表装して、元日にはかけまい、図もめてたい/\。又彼先生も、双林寺の庭に大雅堂と云所か出来うとは。何やら一風にたてゝ、たんとあつた弟子衆か、蘭亭の流にて、茶室かたつたて、茶の湯はとんとしらぬ人の追善会、ない雅堂となりました。今は塩かまの烟のきへたより、室町殿の館かやけたより、あわれになつた。又蕪村か絵は、あたい今ては高まの山のさくら花、俳かいしか信して、島原の桔更やの亭主か、たんとかいてもろうて、廓中のさい宝も、価か今は千金。富民の吝薔、やつはり徳もつかぬ物しやと思ふよ。又契沖の手跡を、近年鑑定の鑑札か出るやら、長町の八百やかたんと持ていたのを、此贋ははと見ききしまんする。はせをは百疋になる世かい。又ある鑑定家に表具させて、きわめなしに田舎へ、高田の門徒宗、北国からはやり出した。かの鑑定家は、人にやいわれぬ三条のとこやらの会所かようにせる、それは銀一両つゝて、たん尺も懐紙もとついていれれは、是ては水ものまれぬ。又大阪の淡〃か弟子に、秀鏡といふた上手かあつたけな。ある秋の月の夜に、独客の茶の湯を、谷松やというた道具やか手まえて、茶の湯かすむと、そのかけ物を、とをさめさせて、さて谷松きけ、俳道の衣鉢を、こよひ秀鏡子へゆつるそ、三千人の弟子にも、キ様のやうはない、此翁の句は生涯の秀逸しゃ、とて取つたへて後に、谷松きけ、此句の書いたのか又出たら、金十両てはなん時てもとるそ、といわれて、胸かさわ/\とうれしかつたも、南無三、うけつけられたと、無念なから、翌日金十両を持ていて、かたりめかとおもふた也。

【二二】翁か京に住つく時、軒向ひの村瀬嘉右衛門と云儒者か、京は不義国しゃそ、覚悟して、といわれた。十六年すんて、又一語をくわへて、不義国の貧国しゃと思ふ。二百年の治世の始に、富豪の家かたんとあつたれと、皆、大阪、江戸へ金をすい取られたか。夫ても家格を云てしやちこはる事よ。貧と薄情の外にはなるへきやうなし。山河花井鳥虫の外は、あやしきとおもふてすんて居。

【二三】皆川文蔵か、度々あふことに、とうしゃ、おやち、となふらるゝ事しや。同年、髪かくらうて、歯か落いて、杖いらすの目自慢しゃ有た。いつそやの出会に、とうやら骨か細うなつた、さきへお死にやろ、念仏申てやろ、といふか、はたしてそのとをりしやあつた。講堂もしつくい、溝の曲水も犬のくそのたまる所になつたよし。あほうにはちかいはない。又、弟の不二谷千右衛門は、兄よりかしこいて、学文も何もよかつたとそ。俳かいの友て、むかしは度々出合いました。互に又、国詩、国文の好にかわつた。大坂くたりにはちよこ/\よられた。女すきて、腎虚火動て、ほへ/\しなれたと、かいほうした書生かはなし也。そんなら是もあほうてあつた。

【二四】村瀬は智者て小まへな故、風流のない人しや。さて、大坂ては評判のわるい事かあつたゆへ、書た物ほしかる者かとんとない。

【二五】大坂の学校とは僭上な名目。郷校ても過ぎた事よ。黌舎といふかあたり前しや。開師三宅石庵は、王陽明の風な学士しやか、篤実てしんせつてよかつた故、富豪の者かよつて黌舎をたてゝ、すましました事しや。京の人て、もとは俳かい士しやけな。

        ついきけはきたない事しや梅たらけ

ひつつかんた口には、芭蕉なとゝいふこしらへ者か、よりつける事しやなかつた。

【二六】段々世かかわつて、五井先生といふかよい儒者しやあつて、今の竹山、履軒は、このしたての禿しや。契沖をしんして、国学もやられた。続落くほ物かたりといふ物をかゝれて、味曾つけられた事よ。竹山は山こかしと人かいふ。山はこけねと、こかし(た)かつた人しや。履軒は兄とちかふて、大器のやうにいふか、これもこしらへ物しや。老か幽霊はなしをしたら、跡て、そなたはさつても文盲なわろしや、ゆう霊の狐つきしやのと云事はない事しや、狐つきといふは、皆かん症やみしや、と大に恥しめられた。書生等と一しよに、門を出ると、うきよの事にくらいのか、学校のふところ子、といふたを、雪鵬といふおとけ者か、善太は黙していたりけり、と大キにたかくきこへて、履軒か立腹しやといふ事。其後にも度々あへと、何ともよういわぬ。白川侯よりむかいか来たとて、斬髪になつてことわり申た時、ふといたれは、かわつたあたましや、いふたら、しか/\の事てといわれた。是て相場はたつてある。学校のおとろへ、この兄弟て徳かつきたかしらぬ。こくもん所といふわる口を前からいふた。なるほと、ろくな弟子は出来ぬに、皆かねつかいの、しんたいはつふれ/\て、若死。長生きしたら、獄門にあいさうな人かあつた。

【二七】翁医たる時、西の方魚市の長に病人ありて、戸を叩てむかへ来たる。従て行、診察終りて、薬をあたへかへる時、市猶盛にて、往来の煩ひ今也。一個の魚商、籃をかさね荷ひて東に走る。後より一犬追来たりて、大魚の尾の籃にもれしをくわへて、ついに己か餌と思ひて去る。予か僕、犬魚をぬすめり、と告。魚商荷を捨、枴を〓て追せまり、大呼して打て、魚をとりかへせり。又荷を重しとして東にはしる。犬、魚は我物なりといふへきつらつきして、猶したかいゆけり。これを見ておもふ。人もし盗得たりとも、ふたゝひは悪念なし。犬の性、人と同しからさる所、是也。

【二八】播の何の里にては、婢女午飯の時、田所にひちりこにまみれし足をすます。すまし終りて、〓を垣ねにすてんとするに、狐こゝに臥たるをしらす、湯きつねにそゝきかけたり。狐おとろき去時、一たひかへり見て、婢女か面を見る。婢女しらす。其夜婢女口はしりて云、我ひるいしたり、何の為にか、すゝきし不浄の水を我にそゝく、といかりにらみて、徹夜狂ふ事恐し。あした村中の僧来たりて、狐に示すは、汝昼ねしたるは汝か宿りにあらす、婢かもとより汝をこゝに知りてそゝきしにあらす、しらすしてあやまつは、とかむるものゝあやまち也、人必しらす、打れ、むくいせす、汝畜生也、と示す。狐黙して、云、人はしらすしてあやまつは、あやまちとせぬよ、汝はしめて是をしる、畜生の愚あわれむへしと。狐ついに黙して後去る。此談犬の性と同しき也。

【二九】履軒云、きつね人に近よる事なし、もとより〓に魅せらると云はなき事也とそ。細合半斎は性慇〓にて、礼儀正しき人也。世人是をかへりてうとむは、世人の性乱堕なる者也。京師に在て西本願寺へ拝走す。あした三条油の小路を出て、昼過るに至らす。ついに日くれしかは、恍忙として宿にかへりし事あり。是、性のしつかなるをさへ、狐狸道を失なはす。翁亦一日、鴨つゝみの庵を出て、銀閣寺前の浄土院にゆくに、吉田の丘の北をめくりて、又東にゆく順路也。道もつとも狭からす。さるに、いかにして白川の里に来たりぬ。物思ひてまといしと心得て、やう/\東南の浄土寺村に来たりて、和上図南と談話のついてに、此事をかたる。和上、病なるへし、よくつゝしみたまへとそ。帰路、又よし田の丘の北に来て、大道につきて西に庵にかへらんとす。いかにして百万へんの寺前にいたる。こゝにてしる、狐道をうしなはせしよと。しかれとも、心忙然たらすして、午後かへりつきぬ。又一日、北野の神にまうつ。あしたに出て拝し、東をさすに、春雨蕭々とふり来たりて、老の足よわく、眼又くらきに煩ひ、大賀伊賀をとむらいて、午飯を食しぬ。雨いよゝつのりて、頭さし出へからす。今夜こゝに宿す歟、さらすは乗輿をめさん、といふほと、雨少やむ。庵には十二三丁の所なり。つねにかよひ馴て労なく思へは、雨をもしろとて、門を出て東をさす。一条ほり川にいたりて、雨又しきり也。傘を雨にかたふけて行々くるし。しかれとも、行々大道のみにて迷ふへからす。雨に興してくるほとに、ほり川のさわら木丁にいたりぬ。こゝに始て心つきて、笠のかたふきに東南をたかへしやとおもひ、又東をさすに、はからすしも、堀川の西にあゆむ/\。又所をしりたれは、いかにしてとて、心をすまして、ついに丸太町をたゝに東をさして、庵にかへりぬ。日正にくれんとす。病尼待わひて、辻たちしたり。大賀に在し、とのみこたへて入たるか、足つかれ眼くらみ、心いよゝ暗し。灯下に牀のへさせてふして、暁天にいたるまてうまいしたり。是亦きつねの道うしなはせしか、半斎も我も、性神たかわすして、一日をわするる事、狐か術の人のこへたる所也。学校のふところ親父、たま/\にも門戸を出すして、狐人を魅せすと定む。嗤へし/\。

【三〇】仏氏云、神仏同躰と。翁おもふ、仏は聖人と同しく、善根をうへて大樹とさかへさせ、ついに世かいを覆ふにいたるへし。うき世の民に袖覆ふと云師は小乗のみ。神は神にして、人の修し得て神となるにあらす。易云、陰陽不測謂之神。はかるへからすの事明らか也。されはこそ、人の善悪邪正の論談なき歟。我によくつかふる者にはよく愛す。我におろそけなけれは罰す。狐狸同しきに似たり。西土天竺の事はしらす、我国の神代かたりは、人のつくりそへし者にて云へからす。国史にしるす所一二暗記なからいはん。

【三一】欽明天皇在位アラセサシ始に、秦の大津父と云者、伊勢に商賈のかよひして、常に往来す。今日又出て、飛鳥の清み原を過るに、二狼かみあらそひて吼る事おそろし。ふひんなりとて、是をあつかいて、二狼か血にまみれたるを拭ひてかへらしめたり。天皇御夢有。神来たりて、秦の大津父、人よし、召てつかふへしと。さめて問ふに、人(し)らす。国中に触なかせは、何かしの里人にて、めしつれ来たり。汝、何わさをして神によくつかふと。何のわさしらす、こゝに一日清み原に二狼のかみあらそふに行あいたり、あつかひてわかれさらしめし事ありと。天皇曰、是かむくいよくしたる也、とて、御代になりて後なれは、大蔵つかさにめされたり。狼の性暴悪、文人の筆に云ところ也。しかれとも、我によくしたれはとて、此むくいとくしたりき。清み原を、一の名、真神か原と哥にはよむ。大口の真神か原とよむ也。又貞観それのとし、富士の山、大に焼て、峰くつれ谷をうめ、海を原となし、人民をさへ傷害して、災燐国に乃ふ事数日。甲斐国司後に奏す、富士の嶺の浅間名神の祝部祭祀怠るを、神いかりてこの事に乃ふと。即勅して、祝部等をいましむ。思うに、神もし祝部をのみ罪せよ。この大災をつとめて何そこゝろよしとするや。その前後はしらす、肥後の国の阿曾か嶽に二つの石神あり、又神池あり。一日神火もへて池水涸、ほとはしりて火となる事数日。国司等卜部を召てうらなはしむ。卜つて云、是は国のために祥瑞なりとそ。師に命して、九国をよく守しむ。浅間名神はおのか為に国をそこなふ。石神は国のために祥瑞を示す。神としてかくの如くたかふはいかに。本州北の村に菅神の廟あり。又客人の社あり。村中わつかに一丁をへたてゝ、寺院の内にあり。祭祀七月十五日、里人等神輿をふりにない、物をさゝけて神をなくさむ。おのれ等道のわつかになるになくさますそある。寺院宗門の事によりて、閑戸せられたり。神輿をふるに所なし。里正にうたへて、一日門をひらかん事をいふ。里正云公朝の命いかにそ守らさんや、たゝ門外に在て、といふ。里人等鬱悒してたのします。兼て一村のうち十丁をへたてゝ、堀川のへに夷のやしろ在、境内尤広し。ここに改ん事を神に問ふて、探湯を奉り、神楽を奏すれとも、三度にして神ゆるさす。今度の閉戸に乗して、神輿をさけて、夷のやしろにいたりて大によろこふ。惣に喧嘩紛擾して、血を見る事数人に乃ふ。

【三二】河内の国の山中に一村あり。樵者あり。母一人、男子二人、女子一人、ともに親につかへて孝養足る。一日、村中の古き林の木をきり来たる。翌日、兄狂を発して、母を斧にて打殺す。弟亦これを快しとして、段々にす。女子も又、俎板をさゝけ、庖刃をもて細に刻む。血一雫も見す。大坂の牢獄につなかれて、一二年をへて死す。公朝その罪なきをあわれんて、刑名なし。

【三三】みのゝ国の人のかたりて云、隣村の神祭に、戸々粢盛をさゝけて、社前につらね、吉祥をいのる。神奴をらひ声して是をたてまつる。白蛇あらわれ出て、粢飯をくらふ。汚れある家のは、忌てくらわす。一戸の男童、是を見て、怱に悪心をおこし、飛かゝりて白蛇の頭をうつ。白蛇たちまちに雲をよひてのほる。雨盆をくつかへすか如し。童か親大になけき、且いかりて、家につれかへりたり。熱症譫言、三日をへてやう/\治す。翌年の祭事に、此童の罪をわふるとて、一村の人、例より粢盛うや/\しくうつたかし。白蛇れいに出て粢飯をなむる。耳ひとつうたれてなし。童又大にさけんて飛かゝり、懐の刃をとり出て、蛇を寸々にきる。雨雲おこらすして童不事也。村民おとろき、親かなしめとも、病せすして日をふる。国守めされて、里正に曰。此童は丈夫心也、よく養ひよくめくめよと。祭事こゝにおきて止ぬ。西竺の天部、日本の神と同しきか。是又善悪邪正人とこと也。

【三四】天竺ては何たら(はんそく)太子のつかの神、大唐ては殷の妲己、我朝ては、鳥羽のいんの上はらは玉もの前と化して、世を乱さんとするは、さすかに畜生しや。殺生石も今ては腰かけても、蚋にくわれたほともかゆくなし。やはりもとのしのたの杜へいんて、うらみくすの根ほつてくたかよい事、蛸見せれはいやかるとまて、手目上られては、ぬるい化物しや。むかしかしまのいなりの森の下かけに、落穂ひろふてすみし。其祭酒権の守とのは、狐をにらみおとしやさますといふて、狐つきは駕にのせてつれてくるを、玄関から先きつと見らるゝと、もをかへります/\、といふて、出なんたを見た事しや。狐は人につかぬものといふ先生は、とこそて化されさしやろけれと、外見すの内ひろかりの見識ゆへ、是もきつかいあるましく候。

【三五】狸は又、化やうか、狐より上手て、きつねほとはれたゝぬ事しや。四国てはたぬきかつくけな。九州ては河太郎がつく。京、大坂ては、おやまや先生たち、茶人かついて、なやます事しや。いつれ安心てはゐられぬ世かい也。

【三六】おもふとも見るとも人にかたらしな耳なし山の口なしの花唖か物いふ、つんほか聞へる。そこて目くら殿の学者もあるしやて。聖人か、我こゝに在、とおしやつたか、孔子のおそはへ出るほとのめくらても、目の用はたゝぬはつ也。江戸の田舎なる事、是也といふへし。

【三七】大津は堂嶋の気介かある、と人のいふたにちかふて、気介はなしよ。京の貧国にしてはちと切はなれのよい、それも米市場はかり也。さゝ波やしかめは、あまかろけれと、たんと斗はたらぬしやあろ。

【三八】伏見の里あわれむへし。豊公の御座にて在し時は、諸大名の屋しきに立つまりて、まことに都会のやうにあつたけなか、今は二十畳しきも三十畳しきも、月に宿代か銭一貫文しやけな。すこし賑やかな舟つきは、さあ水か出ると、屎もみそも、おゑ様のはき物も、波にゆられてよるへなし。水国もたんとあれと、こんな難儀なところはないけな。昔豊公の御座の時は、山上に大城のきら/\しく、宇治も淀も一目にて、をくらの江は西湖の生たのに、寺社、煮売やかないたけよかろ/\。又かくおとろへては、西湖よりも、雨は蕭々桃花絳々、舟かつくと、あんま御用はといふてくる。一文菓子売かゝか、たひ/\めまきろしういふてくる。西湖には此富貴なかるへし。東坡つゝみも、淀のわたりにおとりぬへし。入江の蓮の花は、聞ては、見たい/\とおもふたに、大倉、みすに船さし入て、蓮池の中へくると、葉に覆はれて、花はあをむかねは見へいて、何やらブウ/\鳴むしか来て、身うちを刺す。水はあつくなり、さつと地獄の蓮池なるへし。これしや成仏して蓮台の上もうら山しくなし。利休か死んて風流なすまいかはやると、又豊嶋先生て、北山丸太もかも川石も、けもない事になりて、京の内かこいしうなりぬへし。成仏得達は、さびたふけいきな物だあろ。

【三九】京かうつつて、大阪もしわい事かはやるけなゝれと、とかく不調法なか田舎なるへし。金のたんとあるうまい魚の有田舎は、とうてしわいも、穴たらけなるへし。

【四〇】奈良の都のやへざくら、けふは九重にも似ずて、さひたほどに/\、冬も昼ねして、中戸をさいて鍵かけて有はいかにとゝへば、いや/\、是は鹿かは入ぬぬめの用心と也。鹿もはいつて何くう物もないには、おく山に紅葉ふみ分て鳴が、増なるべし。時々は熊野から塩魚が来る。是ばかりは、京、大坂にまさつたり。塩物のよい所は必わか狭じやといへど。

【四一】丹波太郎といふ雲が出るとて、何やらおそろしい所のやうにいへど、腹さもしい故、こわい事はなし。酒呑童子がありし時こそ、京奉公人を引つかんでいに、酒は、ならからや、京からや、伊丹からや、池田からや、たゞとり山のほとゝぎす、こんな事今あつたらよかろと、丹波の人はいふべし。

【四二】丹波は、むかし、丹後、但馬ひとつにして、一国じやあつたゆへ、崇神紀に、四道の将軍の一人は、丹波へ巡見にこへらるゝはづが、武はに安が反逆で、垂仁天皇の時に、任那国から帰化して、ひたいに角のある人が、舟さして来た。其ついた所をつぬがといふた。今は敦賀といふ所よ。又田道万守が、常世の国のかぐのみをとりにいたか、崩御のあとへもとつて、泣しにゝしたとも、史に見ゆる。多遅婆奈といふ、田道麻守か奉りし花しやといふこゝろそ。但馬といふも、丹波といふも、多遅花の国といふ事しや。この橘は今も東国にあるか、蜜柑のかたちて、苦味かつようて、うまい物てはなし。それても聖武の御勅言に、橘者茶子之長上とあるには、いにしへにうまい物はなかつた事しや。

【四三】何をいふてもしら河夜舟とは、古色な哥しや。法性寺の東門へは、しら河の流大いにて、良材をかも川にこき上したといふ也。

【四四】黒谷隣白河とは、今も見る所なり。にしこり野といふた昔は、錦織ものか此あたりにても住たと思はるゝ。そこて、

        のみや都の町は機たてゝにしき織なり花鳥のあや

此歌こゝに叶ふとにはあらす。都は春の錦しやと、比枝の山から見くたしての咏歌しやとやら。聚楽、西陣に、今はとゝまりて、錦はさておき、とんな唐おりても、上手かあつておる事しや。ひろうとはとんとしれぬ織やうしやと思ひて、聞しに、針かねを入てあつたので、又是もよく織也。さて、新織の名を付る事、もつともいやしくつたなし。壁土のやうな色て、糸かちよろ/\と見へるゆへ、カベチョロとはあんまり也。すへて愚俗の名つけ親なれは、いかにせん。是は、堂上方へ鴬の名をも乞やうに、付てもらいますれはよいに。

        鴬は田舎の谷の巣なれともたみたる声はなかぬ也けり

鴬かいか云は、田舎の鳥はなまりますとさ。西行も是ははたき/\。

【四五】嵯峨の山は、丹波へつゝいておく探しとさ。  松の尾の山のあなたに友もかな仏法僧の声をたつねて仏法僧は高野山て聞たか、ブツパン/\とないた。形は見へなんた。

【四六】高のゝ玉川か毒しやといふ事は、あろまい事しや。清けれはこそ玉川といふなれ。これは風雅集に阿一上人の哥に、たかのゝ玉川には毒か流るゝと、大師のいましめ給ふ哥ありとて、

        わすれてもくみやしつらんたひ人の高のゝおくの玉川の水

是は旅人かあまりきよさに、玉川といふ名水ともしらすに、くんてのんたといふのしやか、阿一の哥よまれぬ故に、ことはのつかひか違ふた。

        ワスレテハ手ニナムスヒソ旅人の高のゝおくの玉水

トヨミイテ(ズ)ハ、毒のいましめにはならぬそ。

        国こそはをちにへたゝれ山川のおなしきよきに氷なかるゝ

とよんたは。今はつのくにのはとんとしれぬか、真嶋へ出る川の流か砂川ていさきよいか、是かたま川てあろ。今いふのは泥の玉川しや。

        つのくにゝありといふなる玉川はうの花くたす流なりけり

うの花もきぬたも、跡のとめられぬ名所也。むさしの玉の横山の川にのそみしは、玉川と付しいわれ也。多婆郡てはあれと。玉川、玉水、玉ノ井、皆きよき水を玉といふたのしや。

【四七】平家西海に亡ひし時に、安徳帝の御あとかくされしと云所、九州、四国のあいたに、をちこちに聞へたり。是はかの真田か陰武者て、本家はしれぬなるへし。安徳帝はひめ宮しやあつたを、平相国の男宮とひろうして、即位あらせしは、相国に似やわせられぬ、ちいさかつた。女帝のためしむかしあり。又男宮しやといふても、次の太子か出きさしやらいては、うそか兀あたまの賢虚火動の入道さましやそ。

【四八】平家の世かしたわしいと、鎌くら殿をうらむも尤しや。佞にして奸にして、智あり勇あり術あり、とうもこなされぬ大将ゆへ、とうと天下を総追補使しや。それても女色にはぬからしやまして、尼将軍の婬乱に世はみたれたのみならす、後をさへ北条にしてやられたは、太祖の閨門の守りなしといふにもこへさしやました。則天は大也、呂后は小也、中ヲトッテ尼君しや。

【四九】畠山は直にして遅し。ついに北条にしてやられて跡なし。和田、三浦、千葉、梶原も、ひとつにくゝつて海へポイ。とかく藝技はかりて無イ、天下もしんたいも、二代三代か大事の所て、ソレカラ長持はせぬ事しや。

【五○】  二日にもぬかりはせしな花の春ぬかつた/\、我かしやの魚や殿、年しまひよく、かけよせてもとつた所か四つの太鼓。かゝ、酒かんしや、めてたい/\、ついにない掛のよりて、今此にしまふ事、親の代から覚へぬそ、とてめつたにめてたかる。ほんに、それはうれしいこさります、と火燵の火かきさかし、酒の燗はつたりといたしまして、肴はこの若狭もときの小鯛か、塩めかようこさります、吸物はさうにの味曾かすつてあるゆへ、くしらのあしらいに、大根の青み。よかろ/\と、女夫かよろこひの盃。丁児の松に餅やいてやりや。こりや、我やいてくへ、と丸餅なら餅三五つほつてやる。沙とうをおこつてやりや、ときけんのあまりの太平らく。それなりにこたつの横ね、内義は東枕と足さしかわして、いひきもほそ/\と。もし/\夜か明ました、といふにおとろきて、南無三おそし、と飛ておきる。雑煮の下かもゆるあいたに、天満しまの麁物の上に、あいそめの前たれのすみをしほり染にして、丁児も同し島の布子、かゝはまた着かへぬ内に、さうにの箸下におくと、荷こしらへして、初くしら五六十切、とくゐの数をかそへて飛て出る。抑このはつ鯨といふは、京にない事しやけな。としの始には大魚をいはふとの吉例。先今橋すしの助松やへ走入て、明ましてお目出たうこさります、と鯨を打かきに掛て、台所へ入ると、ヲゝおかし、はつくしらは元日にこそ、と下女かわらひ出す。新七たしなめ、けふは二日しや。エエ。ひつくりもあまりの事て、ね過すもほとかある、と家内大声上て、ハゝハゝハゝ。コレハ/\とはかり、花の春をしくしつたと、又次々にまわつても、とこも/\同し事。いつそけたいくそて、うらすにかへりて、かゝ/\、二日しやといやい。さいな、礼衆か見へて其あいさつ。けたいなけれと、春のはしめしや、住よし様へ参つてこ、と昼せちいはふて飛出し、三文字やへ先は入て、酒あつう、といふまに、これは/\、おめつらしい、と大座しきはふさいて、皆入こみてこさらしやる、小座しきへ、と中居かあないに行を見かけて、新七/\、元日から住よし参りとは、きつうけん気しやな、さあ/\。さやうてこさります、いつそあなたのおそはへ、とまつ盃二三はい、心かすまねは、マアきいて下さりませ、と二日の朝の門てをいふて、しらぬ相客まて、とつと大わらいになつて、初夜のなる頃、旦那衆の供して淡路町へかへる雁、北へとはちかはねと、ちかふた/\と、一句やりましよ、家ぬしのお医しや様に、あした直してもらいましよ。        すみよしや春は遠をい二日かけやつた/\、名句しや。上田の先生に見てもらや。おれも一句しよか。

        春の海それてもかけはよせる波

とうしゃ/\。ありかたうこさります。ハゝハゝハゝ。

【五一】詩人の書生、涌とも/\〓出なし。ないはつ也。師の半徳をさへ得かねる事そ。その師の徳か、又さきの師の半徳なるへし。なんて段々おとる事しやしらぬ。詩は唐かよいと云相場古くたつたを、宗朝の小刀さい工、東坡、放翁、楊誠斎。翁わかき時、東坡の詩集は、紙かようてりつはても、五六匁よりは買人なかりし。是、その世か目かあかぬてはないしやあろ。今の宗風は小芝居のしこなし、大物のとんと出ぬはつしやと思ふ。それても歌よみより増しやそ。

【五二】今の儒教は、翁か若い時の俳かいしにもおとつた相場しや。今橋の学問所、万年先生の時は、さして学問をさすてはなしに、むすこを先あつけて、よい事を少ても聞す事のみ。又、金つかひになりをると、さそくあつけてをく所也。先生かたく門をさす、たはこ盆のさうし、茶の給士、羽折着せすにつかはれたて、心はつい改まる事しやあつた。竹山、履軒も、茶やへはゆかねと、ひやうしよう物をいふて、おもしろからす也。履軒か才さりとは/\。ある人か、

        初午や狸つく/\思ふやう

とはよういふた句しや、といふたら、あほな医しやか、そりやなんの事しゃ、としつこう問故、是寿伯、さりとは呑こみのわるい男しゃ、

        医者はやる儒者つく/\と思ふやう

と云心しゃ、といわれた。

【五三】内本喜斎と云た茶人は、姉か師しゃあつた。天神まつりに弟子か遊船にお山をのせて出たを見付て、爾来此方へはおことわり、といわれた。今の宗左は、鴻池の善五郎か梶原平二て、なんとやらいふた男か源太て、宗左は千鳥になつて、一力て遊んたを見た人かありし。宗可と今は云茶坊主、また俗の時に、宇治川の先陣の役わりに、千鳥になつて、よくけはひした顔に千鳥と銘をかいて。宗左か印を、又右へ頬つらへ書をつたて、源太も平治も丸まけしゃあつた事を見たそ/\。宗左か修行もかくの如し。

【五四】儒者のこわくないやうに成つた事は、翁か生涯の中也。学問や詩文は下手ても、きつと聖人のけつり屑は見へた事しやあつた。

【五五】女郎も昔はわるい物着て、木櫛さして、売つめる事かせんせいしやあつた。又、大坂やの万太夫、春木やの梶なとは、かくや姫のやうな無理いふても、客かたんと金やつた事しや。今きけは、客は小ぬす人て、おやまは猿て、きゝ合せてあふ事しやけな。それても金やらざ、とうてつまらぬものしや。やらぬ顔の悪鬼かすいと云物しやけな。これも翁か一生涯の中に、かくはかりかわつた。かわつたといへは、正月詞にて、おとろへたのしや。

【五六】たいこ持といふも、扇の一手も舞て、小鼓あしらふて、花見の供につれらるゝものしやあつたか、また若い時まてもあつた事しや。今のは、男ふりを見ると、なんともたとへやうのないものしや。

【五七】島原のおとろへ浅ましい物しやか、あれても客に行人はあるによつて、家か立てあるのしやあるへし。わかい時に遊んた時さへ、こゝの内であた(ら)しい物は、竹の子とらうそくしや、といふて、にくまれた事しやあつたか、それも五十年はかりのむかし也。

【五八】三十石船のせんとうは、昔は鬼のやうな物しやあつた。今は下り船には、板しめのじゆばんきて、黒ちりめんのほうかふりしている事しや。日よりかわるくは、必々のるへからす。

【五九】女かみゆひといふもの、敵討おやつの太鼓に、なんほひろい大坂ても、男のとりあけ婆と、女のかみゆいはこさんせぬ、と見えた事しやか、女の髪ゆいは、お久米と云たか元祖しやあつた。男のとり上はゝはなかつたか、賀川流か又出て、此三四十年はたんとある事しや。女の山上参りの先達も、大坂に一人あつた。まゝないものか、千石船のせん頭のみしや。女すまふはきたない物しやあつた。

【六〇】国学者か唐の事を考へると、儒者か日本の事をいふと、力かありたけて、儒者の方かすかたんか多い。

【六一】唐人を二度見た事をとし忘れといふ俳句かあつたか、翁は二度見たか、三度は見る事のならぬ事しやさうな。十五さいの時と、三十さいくらゐの時としやあつた。唐人といふたれは、儒者か韓人しやといふてしかつた事しやあつた。大坂の御堂へ、ちよと贈和に出た事かあつた。秋月、竜淵といふ二人の外は、下郎しやあつた。たゝ物をほしかる事しや。

【六二】鈴木伝蔵と云た対馬者か、何とやらいふた韓人をころして、大さわきしやあつた。興津能登守とのと云た町奉行か、きひしいきんみて、何の苦もなう逃たをとらへさせて、責たほとに/\、むこい事しやあつたけな。鵜殿出雲守とのは、理くつはつてはかり居て、藝は下手てあつたさうな。是皆、つしまの家老平田将監と云人の慾心から出来たさう動しやとさ。伝蔵はきんみすんて、尻なし川の韓人の舟の前て、首打たれたとさ。引れて行時に、辻々にたんと見物かあつたか、新町の西口てとやら、女等かたんと立ていて、それ/\唐人ころしか来た、といひて、駕の内を、美男しやあつた故に、あれかいな、あれかなんの人ころさうそ、公儀といふものは、むこいものしやといふたとさ。

【六三】能登守とのは、此きんみかあまり念か入過て、埒かあかぬ故に、江戸から勘定方の下役衆に、曲淵庄二郎といふ人か来て、事をすましたか、此曲淵は此功てか、大坂町奉行になつて、能登殿のしくしつた跡へ、甲斐守との受領して出てわせたか、きつい上手者て、大坂の丁人の悦ふ事かきりなし。孝子にほうひやる事も、此人か専しられた。さて家質会所といふ事は、丁人のなん義な事て、三郷の丁人か得心しかねたを、上手てたまして、とうと仰付られた。とかく佞智の人てなけれはしや。江戸町奉行に転任して、又大目付にまつてしなれたと也。実はわるい奉行しやあつ(た)と、心ある人はにくんた事しや。其比は手のわるい事は、曲淵か(と)いふ事かはやつた。将棊かつよかつたけな。これは俊明いん殿かお好ゆへ、其比はしやう木のつよい大名、はた本か、たんとあつたけな。御他界の(の)ちは、皆下手になられたしらぬ、とんとはやらぬ事しや。

【六四】絵はお上の御ひいきて、栄川と云人か栄分か、世にめつらしとて、探幽の(の)ちの繁昌しやと云た。絵はしらぬか、たんと上手てなかつたとさ。探幽は世に行われたけれと、五条の絵の具屋の蔵の壁か、ゑの具代のことわりて張てあるよし、今も見たといふ人かあるけな。

【六五】絵は応挙か世に出て、写生といふ事のはやり出て、京中の絵か皆一手になつた事しや。これは狩野家の衆かみな下手故の事しや。妙法いんの宮様か応挙か弟子て、この御すい挙て、禁中の御用もたんとつとめて、死た跡に、月渓か又応挙の真似して、これも宮さまの吹挙て、応挙よりはおかみに気に入て、追々御用をつとめる中に、腎虚して今に絵はかけぬにきわまつた。其弟子ともかたんとあれと、とれとつても十九文。

【六六】応挙は度々出会したか、衣食住の三つにとんと風流のない、かしこい人しやあつた。月渓は常に云は、くい物の解せぬ者は、なんにも上手にならぬ、といふたか、くい物はさま/\と物好か上手しやあつた。つく/\し、豆麩、ことによし、そういふたか、腎虚て上精下虚の病、屈に落入て、久しふりて見まふたら、不如法のさらし者を見るやうになつていた。

【六七】近衛豫楽いん様のおしやつたは、尚信かとかく上手しや。思ふは、心底に写生をこゝろへて、術は牧渓なとか筆法て、骨かあつたとそ。是は上評判なるへし。もはや、絵は芝ゐやすもふ取と同しやうに、大物は出ぬ事しやと見へた。そのくせに画料のたかき事、冶世このかたない事しや。是も応挙か俗慾てはしまつた。岸駒か画代をむさほる事、又一階上にあり。家を買てふしんするに、奢の酒屋の古手をかふて来た。同功館とやら付てほこるけな。絵は書典と功か同しい、と云た人かあつたについての山こかししや。

【六八】絵は図籍かはしまりて、書典にかきとられぬ事は、図にしてそへて、是を国政の大事として、めつたに見せなんた。孔明かこれを得て、天下を三分にわけてから出たのは、図籍の中しやあつた。それからうつつて山水をかくか、マア絵の古意しや。人物は又次て、これも聖仏の像をかいて、書典にそへておく事しや。花鳥といふは、女工のぬいおり物に同し事て、男子はすましき事しや。明人の詩経の図に、絵は詩を図にして見せたかはしまりしや、といふた。尤さうなうそてあろ。夜々鬼哭のことわりはこんな事しやから。

【六九】翁商戸の出身、放蕩者ゆへ、家財をつみかねたに、三十八歳の時に、火にかゝりて破産したあとは、なんにもしつた事かない故、医者を先学ひかけたか、村居して、先病をたんさく(たくさん)に見習ふた事しやあった。

四十二て城市へかへりて、業をひらいたか、不学不術のはつの事故、人の用いぬ事はしつてゐる故、たゝ医は意しやとこゝろへて、心切をつくす趣向かついて、合点のゆかぬ症と思へは、たのまぬに日に二三へんも見にいた事しや。

いや/\と思へは、外の医士へ転しさせても、相かわらす日々見まふた事しや故、病人もよろこふ、家族もとかくうけかよかつたて、四十七の冬、家を買てさつはり建直して、四十八の春うつつた。

十六貫目入たか、なんてやら出きたことしや。

医になる始に、願心を立て、金口入、たいこ持、仲人、道具の取つきはせまいといふて、一生せなんた事しや。

それ故癇症かくるしめて、五十五の春から又医をやめて、二たひの村居、母か前へひたいをつけて、不孝の罪此上なし、と申たれは、はて、なんとしやう(と)あつて、姑母もひとつにして、草庵つくりて住た事しや。

母は五年すんて、大坂の別家へ七月から遊ひに出られて、老病て霜月にしなれた。

年は七十六。

姑母は母よりさきに六月にしなれた。

ソレカラ夫婦の心甚つめさうになつて、髪をおろして尼て(に)なりしか、〓〓と名を付た。

いかにと問うた故、字はまゝの皮しや、コレ/\とよふに、かつてかよさしや、とこたへた。

姑母の物も母の物も、無益なは売払て、三四百目あつたを、ふところにして、度々京へ遊ひにのほつた事しや。

尼はもと京のうまれしや故、住たいと云故、まあこゝろみに、ちよと智をんいんの前へこしかけて、あそひ初たか、軒のむかいは村瀬嘉右ヱ門、月渓かよろこんて、出会互にしきり也。

酒は尼か好故、月子とのみ友たちて、豆麩、つくしのさかもり、又南せんしの庵をかりて移つたか、こゝもいわくかあつて、東洞院の月渓と同し長屋すみになつたか、ちといわくかあつて、又衣の棚の丸太町、そこも尻かすわらす、もとのちをゐん門前のふくろ町のふくろへはいつていたか、尼か頓死の後は、目か見えぬやら何しややら、不幸のつくしの世を又一年余くらして、羽倉といふたくらうひとの所へ、ちよとこしかけたは、ついしぬてあろの覚悟(て)あつたか、しなれぬ故、又南せんしの昔の庵のあつた所へ、子庵をたてゝ、七十三さいの春うつり申た。

大坂から金五十両て上つたか、ことして十六年、なんてやらくした。

蘆庵かすゝめる人よせしたら、用意金は一二年なくすへし。

麦たくり、やき米の湯のんたりして、をしからぬ命は生た事しやか、書林かたのむ事をして、十両十五両の礼をとつて、十二三年は過したか、もう何もてきぬゆへに、煎茶のんて死をきわめている事しや。

【七〇】儒者、哥よみといふも、皆〃商店て、けつく老かやうに閑寂の世はへぬ事しや。あわれな者ともしや。又老かまねてはなしに、隠者したてゝ筆畊を業とする人かあれと、老かやうに世は広かられぬと見へた。それといふか、才かあつても、学文かあつても、佞や鈍物やて、口過にもかゝりかねる様子しゃ。冥福の老もちと腹かちかふ故に、ソンナ小人たちは及はぬ/\  。

【七一】仏法のさかんなるは、此国にこゆる所なしとそ。西竺におとろへ、中土にゃゝ禅宗なみ寺院をこん立すと。この国は、いにしへ、華厳、法相、真言、中世より、善導の念仏、又達磨宗、日蓮宗。今にては門徒宗のさかんなる事、是に皆おさるゝはかり也。いつれも盛衰ありて、此門徒と云宗も、此頃はいさゝか衰ふへき端を見せたりき。されとも、其宗〃のいたつら事なる事、国の為にもならす、たゝ愚民の遊所とこそみゆれ。若き者の遊所にかよひ初めてより、一夜も宿にあらしとするに同しく、老たる男女は必宿に一日もあらしと立走りて、参りつかふる事。又さかんなるは、狐のつきたるか如し。是は釈尊の本意にあらさるへけれは、必竟は遊所と思ふてゆるしおかるゝなるへし。寂〃たる寺院は、仏も安座ましますかと思ひて、門に入ては心すめる也。高座に上りて雄弁の僧と云も、坐を下れは、大かたは俗民にて、たのもしき人もなしとこそ思ゆれ。たゝ今にては、僧も天下の民の業とゆるされて、万事は見ゆるしたまふへし。あまりに不如意の僧は、刑ありて橋頭に人に面をさらされ、又重きは島に流さるゝ也。しかれとも、不如法は改るとも見へぬは、不如法の世界の仏法にて。婬奔ならすとも、利慾にふかくして、財をつまんとするはいかにそや。一身の往生の後は、此財往か為そ。これたゝ利慾は婦人の情にて、つむをのみよろこはしきなるへし。人情につのりて世法にうとき愚人と云へし。新地に寺院たつかと思へは、又廟にて、或は宗門をかへるは、売利の丁人の宅居に同し。庵往して、さる不浄に交らぬ僧もあれと、是も稀也。談義とて法をかたりて、諸国に奔走するもあり。皆いたつら事にして、糊口のためのみとそ思はるゝ。

【七二】或僧の翁に意見するは、そなたは泥鰌をこのみてくふと云物かたりありし事を聞し、是はそなたとも覚へす、人は板歯に生れて、骨をかみて味ふへき者にあらす、馬牛のおそろしきも、人と同しくて板歯なれは、草秣をくらふならすや、牙歯の物天性にて、鼠のことき小物も、よく物を損して、牙を力として生涯をくらす也、これは止らるへしとそ。こたふ、眼医のゆるして、時〃くへと云しにくふのみ、好物にはあらす、止る事安し、しかれとも、魚肉獣〓もよく調味して、野菜に同しく、其骨をしからみくらふにあらす、俗民は是を何とも思はぬ自然の事也、大牢の滋味、天子の〓膳にもよく調利して奉る事、古代よりの習ひ也、みつから庖に入て、生を断すは、何の忌所かあらん、といひしかは、僧黙して止む。とかくに学才あるも、人情ひらけぬかよき僧と云へし。さるにてはたのもしき事もなし。

【七三】高野山に上りて、木食堂にゆきて拝す。あないの僧に、あの湯にかきたてゝ食せらるゝは何そ、と問とかは、蕎麦を今より多く作りてよ、と詔令ありし也、これをもしらぬ事いとほし、といひしかは、あないの老僧ことはなかりし。

【七四】翁この頃事をしるすニ、病気によりて、筆は心よりさきにはしりて、まゝならず。一客、書よめずと。こたふ、汝なんぞ問事のおそき、たゞよめずとまゝと。又、この頃の手ぶりは、まことニ凡ならず、仏祖たちのおのがまゝに似たり、と云。我こたふ、仏祖は誰ならん、吾書は鳥のあとをかく也、と云し。

【七五】翁浪花に客たりし時、一日野に出たり。萩多くうへたる茶屋にいさないたり。入りてみれは、木萩、草はきしけりあひて、花はこほれちり敷、むさき事見くるし。床に上れ、と云。上がりて座すれは、茶にん、と云。此野は水あしゝ、このます、と云て立。長大息してかなしかるを、いかゝ、と問ふ。是は萩の牢屋に入たり、と云。人みなわらふ/\。

【七六】萩の字、万えう集には、秋芽、又牙子花なと書たり。芽は花のかたちを云なるへし。西土にては、今は胡子花とよふ。又天竺花とも。名のよしは、天竺な(寺)と云庭に多くうゑしよし也。又胡はえひすの国の種にて、花の本名もあらす。又百菊の譜と云ものには、萩をも菊の中にかそえたり、西土の杜撰このたくひ多し。

【七七】女郎花、をみなへしと云て、和名抄に、三品の漢名しれぬ中にいふなり。又敗醤といへとあたらぬと也。楽天、放翁等か詩に、辛夷也と云。辛夷のかたちなるや。かならすも是も又杜撰也。男山ふもとの野辺風はくねらしと云は、この今有花なるへし。をみなへ(し)合せといふ事は、中古さかん也し。今はやめられて人愛せす。郭子も又、価やすしとてうらす。もとめて得かたし。秋の野に出てほり、うゑんより外なし。これ古色なり。〓よみしは、  をみなへしさかのゝ原にほりつれてたか宮つこそ夕いそきする又花のさかり過たるを、中より刈て、下枝の秋の末にいたりて、花より葉はもみちする、尤奇也。風人しらす。

【七八】われもかう、地〓也。薬用の外には人うゑす。女郎花ともに秋の野にさきてをかし。一日つみ来たりて、すゝき、りんとうをくはへて、隣の人に送る。隣の人、此日茶饗して好人をあそはしぬ。花は是等を生たり。客われもかうをしらす、何そと問。あるしこたふ、しろくさけらは梅なれと、これはことなり、隣の翁か送られし也、かへりさにとなりに問たまえとそ。一客は我しりたり。来たりて問。是は古書にみえたり、君しらすや、桔梗、かるかや、われもかう、刃の太刀をかうはいてと云語あり、といひしかは、絶倒してかへりし也。

【七九】荻の花すりこゝろみしに、斑にのみはあらて、かたちよくつき、又、色は今いふ紫におとらす。又、黄なる花しべもつきてあらわるゝ也。これをおもへは、牡丹餅をはおはきといふは、黄紫相ましはる故也。風流の人しらす。十年の昔より、紙にすりて物かく也。きぬには、人の女にすゝめてすらせし也。いと風流也。

【八〇】海棠、木瓜、せんふく花、鞁子花、木芙よう、水仙のくさくさ、寄所也。哥よみはえよます、拙也。我はつねによむなり。水仙の字の音のまゝによき、桔梗はきちこう、貫之かよみしは物の名のわつらい也。さりとて、蟻の火ふきと云名えよまし。我はよむへし。連〓をいたち〓、芍やくをえいす艸、いかによまさるや。

【八一】鴬は冬より鳴出て、秋まても鳴くに、流鴬を詩に作りて、宛転低昂の時と数るは、四月の木かくれなり。梅は冬より咲て、二月の水の鏡に老をみせて散ぬ也。梅花帳と云は、冬の寒きをいとふとて、梅の先さくより、ちりいつる二月迄も、帳中ニ薫らせたり。牀を入てふし、几をおきて書をよむ。花瓶をすみ/\の柱にかけて、梅をさし入。骨董家是を懸壁といふ。大かた金瓶也。予、哥あり、

        ふくむより散はつるまてへしほとに梅のかたひら引もせしかな

【八二】牡丹、かきつばた、山吹、つゝしは、夏かけてさく也。廿日艸と云は詞花集みニよりて、其もとは白氏か、開落二十日と云句によりたり。一花廿日をのふるニはあらす。咲かわりて、廿日は凡へぬへし。牡というからは、木勺薬は雄なり、艸勺薬は雌也といふなるへし。此花、蜀中にて柴薪とするよし。開元、天宝ニいたりて、大ニ賞翫す。魏紫、姫黄の名たかし。黄花は宋朝ニは詩につくりしかと、明代ニいたりてなし。王敬美、たま/\得たりとてほこる。翌春白ニ変したり。長息して、我あさむかれぬ/\、と歎きしとそ。

【八三】すえて、鳥も、けものも、花も、雄はよし。雌はおとるとのみ思しか、人のみ女のまさりたるはいかにと。又思ふ、よく/\思いかへせは、人も男よし。女は粉黛せすして、いと見にくし。朝寝の顔はいと見くるし。かゝること人は弁ぬ也。

【八四】桜を七日花というはあやまり也。万えう集に、大北人の難波へ御つかひニ、竜田山こへて来たるニ、さくら花さかりなり。さてよむ、

        我いきゝは七日ニ過したつた彦ゆめこの花を風ニちらすな

この七日は、御つかひの事のはてかたをかそへていひし也。はやく事とゝのいて、其あしたかへるに、又哥よみたり。西行か、

        思ひやるたかねの花の雲ならはちらぬ七日ははれし

とそ思ふかしこくよみたれと、実ニあらす。又、桜町の中納言の、七日の花を泰山府君と呼と、虎の尾とよふは、重辨のみならす、色もふかし。しかれとも、しほみて散きはむさ/\し。此種は必いのらすとも二十日は有なり。

【八五】さくらは海内の種にて、西土にあらぬと云、定説也。道本といふ僧の、長崎に来てつくりたる詩にあきらか也。白桜といふ字は詩にあれと、それは桜桃の一品にて、大樹もあるよし。山桜ともいへり。桜梅〔桃〕のこゝにあるは漢木にて、喬きニさかへす。

【八六】西行は、とかくニ、桜は雲しや/\とよんたは。よしの山ニ三年こもりて、此ことの歌多し。この法師は上手なりしかと、後京極、俊成、定家、家隆に負し心にてよまれしは、歌は美にて、世外の人のいふへからぬ也。山家集をみて、我、塵中と塵外のしるしつけたりしかと、是も古井ニ漂没したり。又しかの浦の歌ニ、        空さへて汀もしろく氷つゝかへる波なき唐崎の松此歌をしらみすよみに、我よみしは、

        空さへて汀ひまなし〔く〕氷けり波をかへさぬしかの浦風

これは我まさりたり/\。氷つゝの詞、つゝは何ことそ。

【八七】ほとゝきすは、詩人必晩春の物とす。さて、宋明の詩人は、かれか夜啼をいむ事甚し。こゝに夜なくをほまれとしたり。物思人のねやニひとりあらんに、一声啼て過たらん、しはしうさわするへし。又、四月をはつ音として、おのかさ月とよむ也。

【八八】鴬の名は、杜子美か百舌の詩ニいひしは、またくこゝのうくいす也。声反転として曲多しとか云し。又反〓とも、後者か云たり。人の説ニ、反〓は、この鳥舌長くして、鳴くニ舌夭〔尖〕の折かへりたるを名とすとそ。舌折かへりて鳴は、杜詩ニ云所、またくこの鴬に似たるかし。

【八九】翁五歳の時、痘瘡の毒つよくして、右の中指短き事、第五指の如し。又左の第二指も、短折にて用に足たされは、筆とりては右の中指なきに同しく、筆力なき事患ふへし。書くかく人の云は、そなたは必書を習うへからす、かたちよく似たりとも、骨法は得へからすと。此言につきて、廿三四より、姓名を記すニ足ねとも、商戸なれは、たゝ帳面ニむかいて、日記の用たにつとむれはとて、書ニ心なし。故ニ悪書なる事、人のみるところなり。ちか頃目くらく、老にいたりて、たゝ字とも何とも思はすして、心ニまかせて筆を奔らすを、ある人は、よめかたしと。傍より云、なんそ問事の遅きと古人も云し、とわらへは、又あるとき、善書の人か、翁か書は近頃妙なる所をかゝれたるそ、仏祖たちなとの豪牧にまかせられしに似たり、といふ。こたふ、仏祖は必書に豪牧なるやしらす、我たた鳥のあとにならふ、といひし。大にわらひて去ぬ。

【九〇】近年、善書の人はさるものなるを、書えかゝぬ人の、古人の筆跡をこのみて、その真贋を論する事あやしむへし。おのか手のほとを思ひて、かく高論はすましきものを、鑑定の談甚笑止なり。又鑑定家といふ人も、昔はしらす、今京坂の間に名ある人は悪書のみ。かくていかて定むと思へは、鑑定の物めは、近代の堂上の名家の書を始にみ習ふて、やう/\さかのほりにて、ついには、貫之、道風なとをも定むる事とそ。いとうけかたし。江村専齊か雑話に、蓮華御王院にありし貫之の土佐日記の自筆を、定家卿うつさせたまいしを、連歌しの玄的かところに有て、度々みたり、末の二三紙は、ていか卿の紀氏のまゝをうつせしといはれしに、其字のかたちは科斗の字のことし、今時の貫之とて人の云やふな物にはあらすと。その日記は加賀殿にめされしか、今は八条の宮に有とそ。是は目前にみし人の論談也。

【九一】又、池田の新太良様の御もとへ、京の儒者の扶持せられてありしか、年頭の拝礼に出たり。この此京にめつらしき事はないか、と御尋有しに、定家卿の筆をよく似する者ありて、人を惑はすかにくしと、人皆いへり、といひしかは、定家の筆はよく贋たりとも、翫物なれは世にさはらす、聖人の贋する儒者にくむへし、とおしやつたとそ。是かみによく似たりならは、今は其書さた真跡にまきれなかるへしと云へし。貫之の書とてあるも、道風のと云も、歌書切は名もなし、よく似たるのみといふて止へし。価をつのらんとて、鑑礼を出す悪書の人の、さても面皮のあつき事よ。又浪華人也とて、此頃我にもとむる事ありて来たりしは、鑑定今は浪華にて巨〓の人と聞。その幣物の書付の俗書、人の俗たる事、いかて是か見さめん。古鑑定といふて、町ゝをよはりありく人物こし。翁悪書なれは、容易に論談せすして、古色ありて能書の跡なりといひて止ん、とそ常に云し也。

【九二】難波の遠里何かしか所に、貫之の古今集の序の詞書ありとて、人賞誉す。乞てみしに、まことに善書の妙をつくしたる物也。しかれとも、序中の小字も同しつらに書て、わかたぬはいかにと、いふかしみたり。

【九三】池田の世粛は其かみの鑑定家なり。我か難せしを甚いきとをりあしか、後ニ又云は、俊頼なるへし、松屋の源(之)丞か茶湯の日記ニ、誓願寺の安楽庵の策伝か所招かれしニ、床の棚ニ貫之の古今集の序といふものをかさられたり、その箱ニ、但し俊頼也ともと有し由、此紀ニよりて、貫之と俊頼のまかふ事とすとそ。是も笑ふへし。其日記ニ有をよん所として、さのみ我眼の力あらす。いかさま遠里のもとし頼なるへし。よく似たり。又紙の古色なる、からの紋のかみの色々なるをつきてかゝれたり。是ニつきて思ふ所あり。物かたりニ、唐の紙とあるは紋ある紙へし。これをこゝにも習ひて制して、行成紙、貫之紙とは呼なるへし。当今の鑑札家の書、江田ニおとる事何階、江田は善書ならすといへとも、骨力ありしかは、人の書をも見定むへし。たゝ今のはやり物なれと、買ぬか鑑定の力なるへし。買ては、皆かつきのあまたるき人也。

【九四】翁か悪筆をさへ譌して商ふと聞。是、老か名利はあらねと、面目の事なり。其人ニあいて一礼云たし。

【九五】難波の小川屋の景範は能書ニて、学者にて、哥よくよみしと聞。この頃反古の市ニ出しを、一分といひて売たるとぞ。なか/\に値なくてもかな。

【九六】月渓か病ぜひもなし。たゝ隠者ていになりて、刀自に飯かしかせ、心はます/\奢りてあらく也、絵はもとの如くあらすも、高逸にて、価たかく云ともゆるさん。御所の御用、宮様のと云ことをやめたらは。又、御用ニ手のまゝにとあらは、屏障、壁なとの、大さうなるものぞつかまつらん、と云て、絹紙の一片二筆をかろく、墨かきを専にしてあらは、又一家なるへし。才物なれと俗癖あり。人相、家相、ト者ニあさむかれて、ついニ叶はすとも、又問は愚のいたり也。をしむへし/\。

【九七】書画、器物も伝来あらは、重宝たるへし。千両の価也とも、辻立の中ニてもとめし古器ニ同し。松屋の源之丞か、慈照院とのより賜はりし肩つき、茶盆、又呂氏の鷺の画と云は、肩つきの器はまことに古物也、鷺の絵は名も印もなし。しかも大なる物を後ニ切たるものそと。もし市ニひさかは、此ていの物は一匁ニなり兼る、と郷粛か云し也。されと伝来たり。しかも、公の御羽織をいたたきて表装したれは、いつまても千両/\。

【九八】翁目くらく成ては、書をよみかたし。ひさきつくしたる蔵書の中ニ、少し吝きは、正親町三条中納言公則卿ニ奉し也。禄ニは黄金十両たまはりし。其奉る時ニ、

        今はたゝ老波よするくつれきしふみとゝめととたのむ君哉

と申てありしかは、ろくにとりそへて、

        よしあしをわくるしるへも難波かせなにはおもはすかいあれ

とこそとよみてたまはりし也。さて又、残りてみくるしきは、いかゝせんと、とし月思ひなやみしに、去秋ふと思ひ立て、蔵書の外にも著書あまた有しとともニ、五くゝりはかり、庵中の古井へとんふりことして、心すゝしく成たり。村瀬聞て、さても/\ためしきかぬ人かな、とて後の毎月集の序中ニ、書て送られしなり。ためしあること、なにはの森川かもとより聞へし。宋の亡ふる時、鄭所南と云し人、大ニかなしひて、宅を去とて寺院ニ入て、葷をくらわす、北ニむかひて拝せす、又、一是居士の伝といふ物をかきて、心をやりし也。又、心史といふを書て、石函に納め、古井に落して、其井をうつめて日、後世是か出んとき、太平なるへしとそ。其心史か明の崇禎の末ニ、又告て人しりたりとそ。盗賊明を亡し、又達旦ニせめられて、太平といへとも、かの元の北にむかいて拝せぬと云しに同し。さらは翁か無益の物も、心史も、こゝにおきて同談也。

【九九】清の二世康煕帝は、さりとは/\英主也。国とりて後、中土の聖人の道をよく教示して、民も明臣の余党も、よくしたかへたり。さて、其君か聯句ニ、日月燈、江海油、堯舜生、湯武旦、曹奔外、末外浄脚、天地一大戯場、と云れたと也。何もかもよくこゝろへたまへは、先百余年の治世なるへし。されと天地の長きに思へは、たゝ一瞬のほとなるへし。海をさかい、山をへたて、衣服、食味、言語、すへて分別也。これをしたかへたりとも、不朽の事とも思はれす。

【一〇〇】天にさま/\あるはいかに。儒、仏、道、又我国の古伝に云所、こと/\くたかへり。天とあをきてのみもあらす。天禄、天資、天命、天稟なと、儒ニはいふ也。仏の天帝もくたりて、我法を聞となり。切支丹等の外道の法は、たゝ天師をして、天に尊称の君あり、これを願へり。この国には、天か皇孫の御本国にて、日も月もこゝに生れたまふといひし也。是はよその国ニは承知すましき事也。されは、よその国ニは君とあかめて崇敬すへきことありといふたれと、此ことわりはことわりなるへからす。

【一〇一】月も日も、目、鼻、口もあつて、人躰にときなしたるは古伝也。ゾンガラスと云千里鏡て見たれは、日は炎々タリ、月は沸々タリ、そんな物てはこさらしやらぬ。い中人のふところおやしの説も、又田舎者の聞ては信すへし。京の者か聞は、王様の不面目也。やまとたましいと云ことを、とかくにいふよ。どこの国ても、其国のたましいか国の臭気也。おのれか像の上ニ書しとそ。        敷嶋のやまと心の道とへは朝日にてらすやまさくら花とは、いかに/\。おのか像の上ニは、尊大のおや玉也。そこて、

        しき嶋のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花

とこたへた。いまからか、と云て笑し也。馭戒慨言と云物、かつてたらけニ書た終に、総見院右大臣との、豊国の大神、ともニ尾張の国より出て、天下をはらひきよめたまふ。是、熱田の神、草薙の劒の御徳也とやられた。三河の国ニは、何そその神宝のとゝまりたまひて、今や二百年の治ニ入事そ。売僧の談義弁、さして雄弁にも聞へす。

【一〇二】六月の大秡ニ、しら人、こくみとは、今も辺土の氏、子かたんとうまれてはとて、うみの子の面に紙布をはりてしろくするを、しろくしてしまやつたか、ととむらふ也とぞ。こくみは子をくひりころす也。かゝる治世ニも、まだいきとゞかぬ事かあるは。

【一〇三】儒の天はさま/\也。黄はく宗の油をつかはるゝに似たり。予云、天道人をころさすといへと、生殺しにはなさることしやと思ふ、といふたを、建仁寺の楞足の俊長老か、老病に死かねて、ほんニ餘斎のいはるゝ通しや、といはれしとそ。

【一〇四】神道乞食が門に立て、天神地祗八百万の大神を申くたす事、もつたいなし。異端しやの、外道しやのといふても、唐の人は門に立て、三皇、五帝、堯、舜、〓、湯、文、武、周公、大聖孔子、諸賢降臨ましませとまては、安うりせす。

【一〇五】翁は五花堂嶋の産也。黒舟確言に、堂嶋一国といひ、又、北のならひてとは、よういふた。気助任〓他郷にこへたり。五花堂とは、昔五花堂宗悟と云し人、京師よりこゝにうつりきて、一地を買てひらき、梅、桜、牡丹、菊、水仙の五品をうへて愛せしとそ、五花堂とは名つけしよし也。林羅山先生、又弘文院春斎先生等の文をおくられし有。朝鮮人の文もありし。一名弥左衛門嶋といふ地ニて、小刀屋の弥左衛門といふ人の開地也。米殻の市場となりたは、天下無双の繁昌とみへしか、又いつの頃より衰微しを、いにしへの五花堂も、再造すへき人すむへし。翁わかき時は、気助の富民の、茶の湯は貧乏神の湯たてしやとて、せさりしか、今は茶器買のたんとありて、湯たて所てはなしに、銭湯か温泉の入りこみとなりよし。そこて豪民はとこへやら神さりたまふと也。

【一〇六】仏印は東坡とうるはしき友也しとそ。印、俗たる時、宮中の仏場のさかんなるをみよとて、東坡ニはかられて、侍者とやつして入内せしニ、帝、異相なる哉、法師ニなれ、とて、勅命によりて剃髪せしとそ。仏印の才は東坡にこへたり。論談辯説、是も東坡か敗をとりしに、智に〓られて、思ひかけなく僧となりしを思へは、智といふは大かた悪才也。道が未和代

【一〇七】友なりし馬峻か曰、我天学をこのみて年久しけれと、十一屋か公朝よりめさるゝにおきて乃はす、渠は富ひにて、臺おつくりて、旋〓玉衡心ゆくもの二蔵めたり、我は難波はしの上二而天をうかゝふのみとそ。馬峻か学識人しらす。隣は〓池やの善五郎也。さる人ありとも知らす、とひたれは、それは東となりの紙やの久左衛門か事か、と答へし。人しらぬ論辯あまた有し。弁には時々示せしかと、目のくらき二失ひてなし。是即馬子か不幸也。

【一〇八】翁、三都二友のうるわしきなし。江戸の大田直次郎との、京の小沢芦菴、村瀬嘉右衛門は知己也。善友二非す。大田は初めおかち同心にてありしか、学才上聞二達して、林学校の講師の列二くは々りたり。板倉弾正との々忌たまひて、一たひ足利に謫せられし也。弾正殿退役の々ちに、又めしかへされていかにしてか勘ヶ由か下官となりし也。一とせ大坂の役にて、長崎の御用に出られし時、ふと出合して、互に興ありとす。狂詩、狂哥の名たかけれど、下手也。たゝ漢文の達意におきて、筆をやめすして成る。予におくる戯に、わか国にして我くにの文をよく書者亡し扶桑拾遺集を見て知るへし、我国の文を書事、餘斎翁一石の中を八斗の才を保つ也、残二斗は一斗四五升京坂のあいだに有へし、江戸はわっか四五升のみと。予こたへしは、曹子建の八斗の才をゆるされし事は恐るへし、しかれとも、八の数をいたゝくへし、予は八合盤八升の才也、正味六升四合也、のこり九斗余は誰そにあるへしと。又、長崎役にて二度出たたれし時も、大阪に在てたいめす。旅館は幕をはらせ、臺ちゃうちん二基、おめみへ以上の格とそ。其時、昇道かつゝら文を上木にするといふ事をきかれて、後序をかゝせよとて、長崎にいたりて書てあたへられし也。其文意和漢(に)わたりて事詳也。過当なから喜ふへし。この叙は、はしめに、昇法しか村瀬大儒也といへとも、国朝の事にはくらき故、書ともおとるへし。とかく博識てなけれは事はあたらす。大田蜀山子、今はおきての御族本にめされし也とそ。武技も上達の人也と也。ことし六十の春に、

        わるい歌わるい詩狂哥この方は勧進更に出し申さす

とつふやかれしとそ。わるい哥六十章、旧作交りに書ておくらんとせしほとに、かそへみたれは百六章ありき。それてまた書そへてやるは、三浦の大すけ百六つにて、馬上に出たちて、戦死せられしとそ、そなたも百六つまて活て、蝦夷の陣にて、見事うち死せられよ、と云やる也。

【一〇九】子もなく家産もなき漂泊の老か、七十になりたる春に、芝山とのより、哥よみて贈らん、題お、と乞せたまいしかは、このよしを申せ、とて大賀伊賀を中使にしたりし。この卿はとかくに御上手にて、いろ/\の所まてを撫順したまふ也。

【一一〇】三井は浪人者、日本やはきせる屋、かうの池は小酒や、小橋やは古手や、辰巳やは炭や也。神代からつゝいてある家のやうにほこる事おかしし。老はにくんて、茶やのはてしや、といふ。いいや、たいこ持古なつたのしや。こたへる、穢多てさへなけりゃ御めんの人交わり、何にもせよかし、たゝ今は山の大将我一人、お相手かこさらしやるまい。

【一一一】ふくの神も貧ほ神も、いろ/\の所へまて廻らしやます事しや。千陰といふ下手よみは、当時日本一の大家しや。手もよいやうてようなし。歌は下手也。文盲なり。たいこくさまかお入なされねは、あんな名利の人にやなられぬものしや。

【一一二】しん上ならすは江戸へことおしやる、江戸はしんしょのさためかや、とむかしはうたふた。今ては、江戸も京もゐ中も、おんなし事て、流人のなかさるゝ□□□、かね持て、新町やしま原の大夫を身うけしていんて、たのしむ事しや。

【一一三】朱雀のへ、六条の三すし町の傾せい屋か、うつれとおほせられる故、きつうあわたゝしい事てもあつたか、大夫もはし女郎も、手ぬくいかふつて、荷をはこんた事しやあつたけな。そのせつ島原陣て九州かさわく時しやゆへ、島原といふ名は綽号しや。大坂の北のに新地か出きて、野中に茶やかあるを、梅かへ新地とつけた。こゝに三軒かしこに五軒、是は俳かいしや。

【一一四】俳かいし、昔は京も田舎も家格かたつて、しさいらしい物しやあつた。その中に淡ゝといふたは、大坂の材木やのむすこしやあつたけなか、江戸のキ角か弟子になつて、京へもとりて、大商人になりて、又大坂へうつつて、風ていをかへたは。弟子か上手になると銭にならぬとて、みなし栗にかけんして、なんしやかきこへぬしさいらしい事いふて、弟子をとつたか、三千人に今は及ふといふて、午庵といふ僧にしまんしたら、おかしやれ、釈迦や孔子の弟子の一人にもあたらぬ弟子しや、といかめた。其午庵はこんいにあつて、物かたりしられた。

【一一五】釈迦も孔子も三千人とは、同し数ていふかしい。又、十哲、十六らかんも似た数しや。こんな事は皆後の人のさい工しやあろ。

【一一六】善書も、嵯峨の帝、空海、はやなり、又、道風、佐理、行成と、とかく三筆になるはいかに。この衛さま、滝本坊、光悦、是まては贋かついたか、今ては三人のえり出しか出来ぬ世しや。

【一一七】門徒宗とは身かつてな題目しや。一向宗ともいふか、是も一向一心の略て、きこへぬ/\。浄土宗も、真の字かもめるはつしやそ。肉食妻帯宗といひたいものしや。隠元か廿八日の精進日を笑われたかきこへた。それてもかくしてくふ侘宗よりはまししや、ともいふ人あり。

【一一八】門徒宗の勢ひ、唐にも日本にも、とこの国にもない事しやあろ。一向一心にて、本寺様のために、命をすて々身をすて々とする事しや。それてももし一起おこしたら、地頭に鉄ほう弓て防くと、あやまつてしまふてあろ。顕如上人の鷺の森は、これを幸に信長にうらみのある浪人ものかあつまつて、はたらいた故に。それてさへ、明智か信長とのをしてやらすは、鷺の森て、宗旨はとんとこななるへし。

【一一九】茶屋の仲居と、松林の湯豆麩やの女子とは、湯とうふやの女子か聖人にちかし。キャッ/\といふはかりて、智恵つかいなし。其代に、薄情、無心の段か、又天下に敵なし。湯とうふは、おあかりなされませぬか、と一人/\に問。湯豆麩の名目をわすれぬ所か、聖人の心にいるへし。

【一二〇】聖人もたん/\御しんたいか大きうナラシヤマシテ、悪人かたをか々へねは、芝居かうてぬやうになつた事しや。ある儒者か、聖人とはなんても国の乱たを治めたのか聖人しや、といふたは、末世のはやさん用也。国をぬすめは侯となる、侯の心に仁義、とはくた/\しいて、きこへにくい。その儒者とのか、その心ゆへ、身持かわるうて、徂来学しやといへは、今の俳かいしのやうな相場しやあつたけな。太宰といふか力まれても、とかくに本家の評判かわるいから、とんと跡かない。

【一二一】詩人は徂来かほめて、皇明の七才子か唐の骨法しや、といと、是はやつはり明風しやと、今ては相場かたつた。又、今の詩人の東  、陸放翁、楊誠斎といふはもと杜子美か本家なれとも、杜詩は中々骨かかたい事しやけな。宋の詩はきれさい工のおやま人形、明の詩はつくりつけのてこのほうて、はたらきかないけな。又、清の詩人はこれをようかき交て、又一風しやか、これも小刀かき々過て、唐詩に遠き事、千里の東西のたかひしやけな。

【一二二】七月十日の夜、雷三震。翁是におそれし事なかりしに、頻に動気責て、物すこく思しかは、さくり/\てこうをたき、雲雷鼓竃、ととなふ不。岡崎村に三箇、養法寺に一つ。此寺なかは大に荒て、庭地あさましく成しとそ。岡さきなるは本光寺の門前の松に、又二つは我友柳さいの庵室の東となりへとそ。庵の尼主大にさわく。柳斎写字の几上より、神鳴めはやくかへれ、おそくは目に物見せん、智了尼必々恐るゝに足す、とて泰然たる事、木偶の如し。又、東となりの庵のるすいの女は、四十はかりにて、小女一人とこゝに在。雷二つ、ひとつは軒に、ひとつは壁の外に。雷かへりたれは、其まゝ三条の本家へはしり行て、人や見にこん、煩はし、とく修理してよ、といふまゝに、其朝即工人来たりて、瓦をくはへ壁をぬりたるとそ。水屋はくたけて跡もなし。豪雄なること、柳斎にこへたり。よい女夫なるへし。老、性是におとろかす。廿二才の此、室町の四条の辻へおちしを、わつか十間はかりにて聞たれと、正気をうしなはす。又大阪にて、六月廿六日に、三十六箇落たる事あり。母と戸主とを蚊やへ入て、我は是を守りて身しろかすありしか、一町斗東かと聞し故、夜明て行見しに、我すむ家の南西の間に、三つおちたをしらすて在し。この夜、病によりて震動をうくおもひし也。螺贏か雄略帝の命にてとらへしほとこそあらね、病あらすはとらへもすへし。かくいふも癇気のもえあかるの也。

【一二三】仏氏方便品をとく。実に方便にして、人界に無益也。和漢にみる所許多なれは、あぐるに煩わし。よくいつわりたるは、実ならねとも興あり。わろきは女童もうけすして、実ニ無益なり。信するものはおのか愚にひかれてまよふのみ。

【一二四】人の善悪邪正も又、世につれて理断同しからす。米こく豊凶をいふこと、年々豊をよろこひ、凶を悪むは、和漢千古の撤いふに及はす。近年米穀豊にして民戸煩へり、と公命あり。いふかしむへき事也。例年の新嘗祭は、豊年をいのりたまふ也。深更、申嘉殿に出御ありて、暁天にいたるまて、祭礼丁寧慇懃、天明にいたる。是は何のためそや。豊をいむといふ事、帝いかに問せ給はさる。

【一二五】新嘗祭のあした、豊明会といふて、夜宴盃をたまひ、舞妓袖をふりて、あかつきの星をしたふ。この時に神事にあへる堂上、堂下の人、小忌衣とて山あゐをすりて例とす。思ふに、是いにしへにたかへり。祭事は皆浄衣也。あした浄衣を山あゐにすりて、文彩をかさり、常服とする也。祭日の山あゐすりは、必なき事也。中つかさか集に、このあゐを、たゝ時のまにすりてよ、と男のもとより来たる、中つかさよむ、

        とく/\とするとはすれとあしひきの山井の水は氷けらしも

是祭日のあしたの急務也。翁是をおもひて、小野主殿助重賢に乞たれは、小忌衣とゝけおくらる。浄衣にもやうあり、梅、柳、蝶、鳥、袖はかつかたなし。山あゐは透骨艸といふ物にて、潅木の子なるを、今は野の草に品ありて、例年用ゆとそ。透骨艸、里人所ゝに方向同しからす。其実をビシヤボといふは聞し。野あゐは鴨跖草也。つき草とよふは、よくすりつくか故也。古哥は、山あゐを山すり、野あゐをのすりともよむ。つき草、今又つゆ草とよふ。染との今は用ひさる品也。

【一二六】槐記をみれは、玉つしまの神像に賛をねかい来たると。乞に任せて言をくはへ給ひぬ。山科何かしかかたらるゝは、我この賛詞にて虚誕いよ/\きわまるとそ。いかにしていなみ給はさる、いふかし。玉つ島の神は島の神也。衣通姫にあらす。聖武行幸に、勝影をめて、明光浦と名つけたまへる、あかのうらたよむへし。わかは音のかよへれは也。和歌の字音につきて、御世迷へり。契沖か考に続日本記に、賜津守連通姓と見えしを姓の字を姫にあやまりて、通姫とするよりもいへりとそ。衣通姫のわかの浦に垂跡のよしなし。允恭の皇后、妹の通姫の美貌をにくみて、帝京をさらしむ。河内の国血沼の浦にありてすむといふ事見ゆ。帝、皇后をおそれて、しは/\かよひたまはす。姫一夜哥よむ

        我せこかくへきよひなりさゝ蟹のおこなひこよひしるしも

又、浦の浜藻のよる時に、なと申哥、全は忘たり。このよしと、浜藻を名のりそといふ事、共に国史にしるせり。たゝ哥二首にて、和哥の神たる事いふかし/\。

【一二七】人丸は哥の上手也。神と祟るもよし。されと、粟田の兼房公の虚夢のむかしは、人丸といふ人、わつかに、貫之、たゝ岑のみ。且哥よくよむとて、官位昇階の例なし。正三位は堀川のゐんの影供より後なるへし。今は正しく正一位の神也。人丸か少年行甚し。万葉集に、京、ゐ中に思ゐものあまたありて哥よむとそ見ゆ。又、ゐ中のみならす、任国の石見にて二人の妻あり。任のあいたに死して、都のむかいめの、しらすと我をいつとかまたん、とよみて、泣ゝ死たり。石見の国の人にあらす。真淵か近江の人かと云はよし。石見の女に、死たる後に子うまれて、四十二世とかつゝきて綿ゝたり。国の人と云、森氏とか云はいかに。柿本は先祖久しくて同姓の人多し。五位にのほらぬ人は史にしるされす。一族に猿といふ人、正四位と見たり。高つの山の社は、いにしへの跡にあらすとそ。一とせ、海潮わきて山丘くつれしにつきて、今の所は一里はかりの間をへたてゝ、又社祠をたつと云事、国人の云とて、蕉中和上の事跡考と見ゆ。語会氏とも云とは、古し(へ)をしらぬ談也。君崩して轜車に任し、陵墓にいたる道の中にて、車の中に人ありて、こゝいつこそ、なとかたりことするを、是一日の官にて、かたらいと云。下官たりとも、是にならいて葬式にはせし事か。人丸の葬に、かたらい人のありしなるへし。人丸の少年行にて、五十にいたらす死したりと思ふと、真淵はいひたり。よし/\。火止ともよみて、火難をさくる神也。又火にたゝるともいふよ。腎虚火動の火にたゝられて死たるへし。哥はまことに上手也。近江の荒都をかなしみ、藤原の三井の哥、又、藤原の京つくる時に、役民の哥といふは、人丸の代りてよみたる也。その世に敵なし。たれかよくうつさんや。まして民のよむへきに非ず。たゝをしむ、三井、役民の二首に、脱句、且又、入みたれて前後したりと思ふ事あり、つとめて是を正すとも無益也。近江にしは/\かよひしは、衣暇、田暇のたよりかといふ。よし/\。近江の荒都のうたの事、我、説ありて、常に人にかたる。又長言なれは、こゝには略していはす。

【一二八】家持卿は色このみ甚しき人也。哥の多きに見よ。婬首と云は此卿也。後世なりひらを婬首と云。高子の入内なきむかしと、加茂の齊院の述子を犯せしと二つにて、藤原家にうとまれ、東行し、又つの国にもいきて在し也。藤原この人を刑せは、高子の入内なるましとて、こもらせてのみおきたるそ。源氏物かたりに、業平の名をやくたすらん、と書しは、其人をゝしみたる也。東行の中の哥も、多くは紀行の作者のよみたる也。後世にえわかたすして混して、勅撰にさへ加ふ。真淵よく辨したり。家持卿の集とて後にあるは、いつわりとのみにあらさるへし。万葉の中十巻はかりは卿の家記也とて、真淵はいわれたり。しかれとも、二十巻の終に、天平廿年の正月かきりにて哥なし。桓武の御時まて世に在し人也。廿七年か間、哥よますてあらんや。後の偽撰といふも、家記の散乱したる一つなるへし。其子の謀反の罪に連累して、官位をそかれ、家亡ふにいたりて、家記も散乱したるへし。

【一二九】人丸の事はよく正しからす(と)云はよし。我、歌聖伝と云冊を書て、大概にくはしくす。蕉中仏氏にて、国史にくらきはゆるすへし。事跡考のおこる所は、石見侯の碑文を乞れしによりて書し也。記文、命にたかひて蒙朧也。阿諛にくむへし。さて、事跡をくわしくて、其阿をのかれんとすれは、何そ碑文を辞して安きにをらさる。人丸の碑、明石のは林春斎、大和の柿本むらのは林春常。又柿本寺と云か、布留のあたりに在。その文は百拙かきたり。いつれも正史をしらすして、人を迷路に入しむ。其中に、春斎の明石のは、事くわしくいはねはよし。此事我伝中に論しおきたり。蕉中、此伝をかりてよむて、茶のまん、とはん、と云て、ついにとはす。野僧也。友として往反するに足らす。

【一三〇】伊勢には、門に松をたてすとて、しきみの木をたてゝ、是さき木也。上古の遺風とそ。さか木とは常盤木の一名也。おく山のしきみの花、と万葉に見へて、さか木とはいはす。此実おちて水に入れは、毒ありて魚しぬると云。魚か訓解をつけしや、あしきみといふ釈を立。まことに魚か付たるへし。祭主藤波とのも是をたてたまへり。思ふに、しきみを立るは、国司と神官等しは/\争ひて、追うたれ、所を失ひて、伊せには神にもつかへすそありしかは、神殿朽たをれて、あさまし/\とて、尼か念仏して国中を走りあるいて、再造したり。其尼の功によりて、けいかう院と申て、今猶いせの神につかふる由也。尼かたて初て、しきみは用いしならめ。香木にて仏氏の供養にする也。香と花とを奉るは、仏在世よりのためし也とそ。神代紀の一書に、いさなき、なみの二神、きの国の熊野にしつまりまして、花の時には花をたてまつるとあるは、仏家によらさる古実なるへし。くまのは紀の国にはあらし。出雲のくまのなるへし。神代にいつもは事ありて、度々いふ所也。みくまのゝ舟とよむは、いつものくまのゝ早舟也。一に天の鳥ふねとも云。翅あるか如しとたとへたり。

【一三一】たけきものゝふの道に又たかひしにや。総見院とのゝ、豪傑にして且残忍なりしは、人皆しりたるを、こち/\しく筆にはいふへき。国泰院の大量且才ニすくれたまひて、天のしたはきよく、一たひはらひつくさせ給ひし也。此君も又、多慾にてこそありけれ。はしめ松下につかへし時に、かくてはとおほし立しこそ、大量の好(始)なりけれ。清洲に走りて、何にてもめさせたまへ、と御馬の先ニねかひ申させしかは、大将みたまひて、おのれは男ちいさく、つらみくるしけれと、骨たたかく眼つきたゝならす、先足かるにくはゝれ、とてめさせたまへは、名は、と問せしに、木の下藤吉、と名のりたりしとそ。中むらの竺あみか子にてあれと、主なりし松下をうらやみて、公のかたつかたをそきて、木下とは申たりけり。又、大名につらなりし時、柴田権六、丹羽五郎左衛門に一字つゝ乞て、羽柴と名のりし時の志、後には柴田を討ほろほし、丹羽はやつことつかへさせしニ、おもふには、はしめより、大量といへとも、かくはありけり。〓か竜と化して、池中の事忘れしとそ云へかりける。足かるなりし時、清洲の町ニ杉本平右衛門とか云質商人ニ、質の物もちはこひしニ、なしみて、おまんと云娘をしのひあひせしを、見顕はされて、にくきやつこかな、おのれに娘はくれし、とて棒もて追うちしに、逃かへりし跡につきて走り出、親のゆるさぬ夫婦となりて、後にまん所とあかめられたまひし。名のよしはしかにそ有ける。淀の君は、あたの浅井かむすめなるをめして、恩寵ことにふかゝりしなり。よとの君もかほよきのみならず、色好むさかのありて、後には大野修理をめしまつはさせしこそ、みたりかはしきにも、天のしたは是ニつきても失なはせしよ、とてにくむ人多かりけり。片桐市正、淀とのゝ艶色をふかくしのひて、人無ところにて、手とらへたりしかは、打はらひ、いかりにくませしかは、ついにうらめしく思ひて、仇となりけるはしめは、是そともつたへたりける。色にみたれて国をうしなひ家亡ほしたる人、和漢ニかそへてつくしかたし。人たるものゝ、いやしきおのれらかともゝ、よく/\心にいましめらるゝへきは、此一つニなんありける。

【一三二】今ははるかなるいにしへの事を思ひいつるは、みやこに年月やとりして、此ひとりことはすなりけり。皇朝の御いきほひ、かくもおとろへさせたまふものか。すむあたりにつきてそ、法性寺とのゝむかし、先しのはるゝ也けり。大門の跡そ、こゝの塔の段なと、野つかさにかたちとゝめたり。栄花ものかたりを思へは、東のかとは白川のたきつせむせひ流れ、西は大路をかきり、北は、黒谷、よし田の丘、南は、栗田山のふもと、三条の東西の国々に通ふ便よしとにや。修学の結構、昔の大内裏と云にもおとらせ給はさりしとにや。開壇のはしめ、ありかたき法をきかんとて、老僧いくらか地の下よりあらはれいて、高坐の前ニ蹲踞して在しとそ。此僧たちは、仏在世に鷲嶺の説法をきゝたりしか、又けふあらはれ出しといふこと、うたかひの巻に見たりしか、釈尊の法ニおとらすして、物よみきかせん人は誰なりけん。いともしのはるゝは物かたりなりけり。さて、土のしたは地獄かと思しニ、さらはおそろしき事もあらすなりぬ。

【一三三】藤原とのゝ御いきほひは、この時そさかりなりける。これは、いにしへより久しき外戚の、よせのかくもあるへき事也。平氏のほしきまゝに昇階すゝみ、太政大臣にまておしのほせし事を、かなしき世の始にて、頼朝卿は智勇の大将にてましましけれは、父の仇を兼て、西海にみなころしに責つけたまひて、又、皇朝のいにしへにかへされしは、まことに忠誠の君にてこそおはしけれ。法皇の御心あやしうまとはせしたまひしかは、此時よとて、惣追補使申くたして後は、一のわたくしのみそ、大まつりこと行はせしかは、こと国のやうにそ成んたる。天つちの神のゆるさせしを、いかにかせまし。しかれとも、大納言右大将にとゝまらせし事、曹操か宗臣の座を〓さるにやならひ給ひけん。曹〓おのかまゝに募位して、骨肉も才あるは、七歩の詩にせまりしは心みしか。かくよからぬ君なりけるとて、司馬氏かまた代りてより、世はいかに成行らんと、心ふかき人は、たゝ下なけきするより、〓康か徒の、心を大そらにして、世をも君をも、あなつらくして在しかは、ついにつみなはれしも、又いたつら人たちにてそありける。頼朝卿の智略は、御あと長かれとはかりたまひしかと、頼家卿のたわやきたまひて、世をはやうしたまひしかは、尼君さかしきまゝに、垂簾の政事をとらせし事、衰ふへきさかになんありける。将軍とさへあさ名しておそれし事、呂氏のむかし物かたりにひとしかるらん、淫〓ふかく、みたりかはしきことの多かりしを、筆にはつたへさりしかと、ひとのかたりつき、云つきしこそあさましけれ。若き色ある人はちかく召れて、蓮花の六郎、白馬寺の和上のためしなとありしとそ。又、酔のすゝみては、うみの御子の実朝卿をさへ、いたき戯れたまひしとも聞。公は才すくれたる君にて、歌よみては心たかくましませり。尼君寵遇のあまりに、父の卿にもこえさせ、右大臣にはやうなしのほらさせたまひし。北条義時はよき男にてありけは、めさせたまひしかと、ふかく謀事ある人にて、公の才あるをねたみ、公暁をもとらへて、又国の罪に行なひし。こは源氏の跡をたち、都より、皇孫、又藤原のきん達申くたして、おのれ是を〓みて、天下ほしきまゝにすなるは、尼君の酒えひの乱にそおこりける。秩父重忠は、名たかき忠臣の勇者にてありける。大男にて、目、鼻、口あさやかに、色黒く、まことによき男とは、此人をこそいふへき。尼きみ是をも思ひかけたまへと、思ひもよらぬ事に、恥見たまはんをおとひて、ふかくはからせしは、重忠参りし時、みそかに筆にしるして、実朝を殺せしは、またく北条か心のおそろしきなりける、義時は我弟なから、源氏の御ため、天のしたの為には、いみしき〓なるを、たやすくはほろほしかたきは、根よくかため、枝あまたにしけりたるを思ふには、汝とふかくはかりたらん事の心あり、ひそかに夜に入て参るへし、としるされたりき。北条のむすめ、義時か姉にてあれと、かく源氏をおしいたゝけるはかしこしとて、又の夜、雪のふるをふみ分てまゐりける。尼君たいめありて、この所は人の参る所なり、あの庭の亭に、とて打着かいとりて、先雪の上をゆかすに、女原承り、いさ、とて重忠に申す。かしこみて御あとにつきて、池の上の亭にのほりたり。わつか八席のしつらいにて、石灰炉に炎々とたきほこらせて、尼君そこに居させ、ちかく、とめされしかは、膝行してまゐるほとに、かの女原あやしうとり巻て、ひとりは烏帽子を打おとす、ひとりは、素袍、はかまを切さく、又ひとりは下の帯きりたちて、皆逃たり。これはいかにする、とさすかの力量の人も、手すくみたりしに、尼君はやくひとへに赤はたかに成たまひて、走り来てくませたまふを、はらひのけんとする中に、陽精怱におこりて、くみとめられしまゝに、夜すから歓楽をつくしける。五十にはまたならせたまはす、よき尼のいとうつくしうて、色はあくまて、あいきやうつかせしかは、さすかの人もみたれたりけり。実朝卿はうみの御子、よし時は実の弟をさへ、かくみたれさせしは、めゝしからぬさかしさの、かへりてわさはひになりにけり。重たゝ又めせと、おのれに恥、右大将とのゝ霊のいかににくませたまふらんとて、其後はやまひと申て、たえて出つかふまつらさりけり。この人の心にはさすかに恥て、生前はいかならんとて、讒人をこしらへ、ついに家をもほろほしたりける。和田、三浦等の人々も、さま/\いひさけられて、北条かために、是等もほろひにけり。世俗に云色気ちかひとは、此尼きみの乱にそありける。実朝公の御臺所は、坊門の御むすめ也けれは、尼君のはしめおはりよくうかかひしりて、御暇たまはり、都にのほりて、朱さか野ゝ八条通のかたへに庵むすひて、是はまことの尼君にて、よく行ひすませたまひけり。此所を、後に源氏の祖廟とあかめ祭しかと、尼寺と今によひつたへたり。社僧は真言宗にて、よくつゝしみ行ひ、きよき御寺にてそありける。義時、はらからの尼君とみたれて、父を相摸の北条にこもらせ、天のしたは安くうはひとりたりけり。泰時はかしこけれとたよわく、時頼は仏に志てたのみなし。九代の末に、高時と云愚ものゝ出て、つひに家はほろほせしそ。されと、天神地祗の御罰のおそかりしは、人しらぬ冥福のたすけたりけるなるへし。高時慕悪にて、宮古は手のしたの者にのみはからひしかは、御醍醐の御いかりつよく、みそかにみはかり事あらせしかと、たゝにあらはされたまひ、遠き隠岐の島へうつらせしこそ悲しけれ。はしめに冷せい大納言を鎌倉にめし下して、事問しかは、

        おもひきや我しき嶋の道ならてうきよの事をとはるへしとは

とよみしかは、さる事におもひてゆるしてかへせしこそ、いとも/\愚なれ。我しき島の道とは、歌にのみこゝろをもちいて、官位も是にあつかることか。うきよの事とはいかに。法師のよむへき歌なり。是をことはりとおもひてかへせしは、家亡ふへき愚将になん有ける。

【一三四】歌は必雲の上につかへて、冠さうそくたたしく、もののふの道はあつからぬ君たちのよむ事となりしこそ、あさましけれ。武をわすれさせしにこそ、もののふにたわめられて、君とは申せとも、めめしきをうやまう事となりんにたり。神武の大和のみやこし、雄略のたけくて国おししらせし、天智の聖帝と申すも、皆たけくして、歌も事にゆきてはよませたまひし也。もののふといへとも、世は末なりといへとも、鎌倉ほろひ、六波羅の責つけられし時、ちはや責せしあつまの大将たち、たかきいやしきなく、六条河原にて首刎られし時、佐助何かしと云さむらい、はるかの末にいましめられてよみたる歌こそ、まことの哥にはありける。

        皆人の世にあるときは数ならてうきにはもれぬ我身なりけり

あはれ也/\。愚なる大将ともに手につきて、けふ罪なはるるには、同しつらなるか悲しと也。文官、武官のわかちはあらて、思ふ心をよむこそ歌なりけれ。又、納言の卿にも、源の義家奥の寇たひらけてまうのほりしに、御はしのもとにて、軍物かたりせよ、とみことのらせしに、かしこまりて、九年かあいたの物かたり、つはらに申上しを、聞せたまひて、あたらもののふの軍の法はしらぬよ、と独こち給ふと聞きて、やかて参りて、道の事問学ひしとはたへたる。是は大江の卿にて、歌もよくよみ、有職の御名たかく、又、つはものの道さへ、かく教へさせ給ふならすや。今は、歌は雲の上人、連哥はもののふたちの習ひとわかたせしニ、そのれん歌も歌も、ともにたをやきなよひて、口真ねはかりになりんたりける。末のよとはかかるを社いふにやあらん。

【一三五】大坂の天神橋をわたる時、川面に舟よそひして、やんら、めてた、とふたふを見たれは、ぬり舟に島津とのの勒の紋に、又太閤桐の紫の幕、風にひるかへりて、東にこき行。栗斎の北のの別屋にゆきて、今しか/\(の)物を見し、秀よりの後、さつまに有といふは、是かそれなるへし。我ちかひし女の、九十になりて死たる、其母も八十にこへてといふ、八十の母か十八の時に、木村につかへて、室のまへさらさりしと、打死の日に杯わあけて、室にたまいて、汝もよくせよ、といひて、馬にまたかり門を出る、室も門おくりすとて出て、待せたまへ、と一こゑを云、かへり見たれは、匕首もて咽をつらぬきたり、侍女かおとろきて、内にかかへて入、木村は馬を飛せて戦陣に行、いまた二十丁は行さるよと思ふに、君うち死也、と告かへる、つたへ云、若江村の戦場は一里の行程をへたてしかは、いかにして行いたらん、是は世に云説のことく、島津より、城内へ兵粮五百石を入ん、と乞、神君ゆるして入さしむ、米ををさめて歩卒等かへる、此中に、秀より、真田、後藤、木村もつれてしのひやかに出たりとそ。我かたる、河内の山へに、石かきとあさ名する民戸あり、木村の乳母か里也とそ、木むら戦死の日に香炉一口をおくりて、文をそへたり、その文のうつしを見たるに、譌の文也。又世に、戦死の日、兜の中に蘭奢たいを〓しめし、と云。みな口/\にたかへり。予か誹かいの句に、        君くれは木村か長門か首のかさ一座かんしてほむる。我もよくいひしと思へりし也。

【一三六】老も雲に似た歌、よん所なしニようたか、あまりほめられた事しやない。                      暁雲

          よしの山雲とまかへる花にもまかふあかつきの雲

              みやこに住つきての春

          すまて我みやはさためん粟田山あはたつ雲はさくら成けり

              雲有帰山情

          まかふやと花にわかれて小初瀬に夕はかえる春のうき雲

              春曙花

          足曳きの山桜戸のひまもれて花にまかはぬ有明のつき

              雲を          

花似ぬよし野ゝ山の雲はるゝを散と人はいふ也  すへてほめられた事はなし。これらはほめられたかる病人の歌しや。

【一三七】芝居も藝技も、見物かわるいてわるなつたのしやともいふ。申楽はあまりおとろへぬは、おも入をめつたにさせぬ故か。是も大物はない事しや。雅楽寮のおとろへはいかに/\。あんまり思ひ入させぬ故しやとも云。

【一三八】相撲とりのちいさいこそ、心得られぬ事しやか、これもかしこい、はしめから力もなし、関とりになる世の中故か。翁か若い時まて、丸山、綾川、たてか関、ひれの山、源氏山、四車なとゝいふのかありしに、近年ては、谷風といふへし。これもちゑしやて、むかひかよはひ故、天下の一人也。若いときに、四方関といふことかあつたは、すまひか多い故の事しや。丸山、阿蘇嶽、黒雲、戸根川、此中と根河は、後世云くわせものゝ初り也。今みれは、皆小魚の盆池に遊ふやうなのみ。八角といふたは、せかひくう横ひらたうて、つよいこと上なしに、上手の上に悪才ありて、すまふを下ゐて、まつたりと云ことの始しや。谷風を、まつたり/\と、足をしひらかし、かつた故に、谷風は讃岐の高松のおかゝへのおいとまか出た故、名とりのすもふに、たてか崎、相引、其外たれやらを四十五人つゝけなけにして、御前を立たゆへ、めしかへされたけれとかへらぬよし。後の谷風は、それからは、小児のちからのある、ちゑのあるのて、すまいてはないそ。芝居てするぬれかみといふは、両国梶のすけの事のよし。二枚櫛さして土ひょう入して、あいてにより、此くしをおとしたらまけにしよ、といふたよし。大山といふた大関と兄弟分て、大山は大力て、一はねにあたる者はなし。是も八角とゝる日に、投ておいてふみにしつたとの事しや。人をころして大坂をたちのきしに、尾張のすまふに、大山かかちのを、行司か見そこなふて、団上たゆへ、見物の中から、唐獅子か飛て出て、行司を取てほり、頭取ともをふみちらして、又行ゑしらすと聞た。又行司にも、岩井岡のすけといふは、老年になつて、近隣ゆへ、店はなしにわせて、いろ/\とすまふの昔はなしを聞た。相引と鷲尾とのすまふを、わしの尾え団を上たを、さぬきのかたやから、刀提て十人はかり土俵へ出て、行司め、といふたら、かねてかくこしや、さあこい、といふて、団の柄から釖をぬきたして、十一人に立むかふた所、東西の、とうとり、すまふか出て、わふすまふに、と云たれは、団を引やふつて、二たひ出なんたとそ。越前の福井とのへかゝへられて後に、是非御前はかりの行司せい、とおしやつたれは、団はなし、と申て、たゝの扇て出た。これか行司の常の扇もつ始のよし。越前屋の一郎右衛門といふて、御用たちにて、老て後には禅門になつて、常に翁のわかい時にかわいかられた事そ。すまふ共か前えつくはひて、礼してとをる事しや。兄/\、といふて、関とりも関分も、小ともあしらいした事しや。

【一三九】栲亭子は、前の清風瑣言に序書てたまえりし人なり。むかし軒をむかいてすみたりしかは、一日怠らす〓烹て清談す。栲亭の序、天は胸下ふさかりて病となり、煎は気のみなれは、眠をさまし、且心をすます益あり、と云しを、我友の中に、甚にくみて、序中此文なからましかは、と難波よりいひこせしなり。是は点に病をもとめし狂人なり。

【一四〇】茶を闘はす事、宋已来の狂のみ。必勝劣さためかたし。点は濃淡の手練ありて、其妙いたるへし。煎は、初順、二順、三順の、甘味、気色と共甚すみやかにうつりて、試かたし。点にも是は茶かふきと云とそ。実にかふき子のあそひなり。点式、貼着は、見るに目いたし。其立居も常異にて、能狂言みるよと思ふなり。剋限の愚も同し。文雅なきからの拙なり。市中を出し所、点饗の式いとよし。隣の喧嘩の声、大路の馬車のとゝろき、又、小家は壁垣のとなりの女夫からかひ、猫のさかる声、甚しきは、小水の音も香もするよ。茶は好てのめかし。市中に礼服つけて茶席をよろこふは、客主共に小児の業なり。古器伝来は賞すへし。価もて求しは、〓〓といへとも、古廃器なり。もとより、其用製せぬ物をとりなをしたる見くるし。手造の器葉、蛭子の神足たゝすともたちとも、流しやる物のみなり。たま/\中は用ふへきかあり。是は人の子の愛憎の、親の福果によりて得へし。価なき所か財を我家にては宝とすへし。

【一四一】放下のかたるをきけは、そちの母はいくつしや、八十三とか、大事にしや、万一人ないものしや、金銀ては得られぬそ、其かわり、売と云ても、三文にも買てはない、といふた。是季語なり。

【一四二】難波の玉造の岡の一陰者ありて、茶を好む。古者屋にて、色あひたしかならぬ古き釜を求めて、返りてきよめて、湯をたきらすれは、其ひゝ清くせんとて、すりみかきてみたれは、黄金なり。豊公の桐の紋をゑりつけたり。是はとおとろきて、あさにうとうてさゝけ出たれは、おきてかへれ、と云て、其後さたなし。金の性は悪なり。よくかくれては居す、夜昼走りまとひて、人をよろこはせ、人をいたましむ。故につみておくるといへとも、崩るゝ事すみやかなり。崩るゝにあらす、渠か性にたかへはなり。今の豪富に数は、券書のみを多くおさめて、数何万両といふよ。もし世乱たらは、一紙の廃物也。これ、金の性の人をにきはすは、又悲ひを求むるはしなり。銭の性は善なり。日  に走りて用たり、人のかへりみなけれは、宿さたまらすといへとも怨なし。神仏のぬさにとすれは、又乞食か一夜のやと銭、一飯のたすけとなる。銭の性善といふへきはこれなり。貧士の金縁うすくして、父祖より数代世をへるか多し。にはかに富たる家の、見るうちに古宅となるは、金性にあたはさるなり。もとめすともよし。

【一四三】当山の金地院と申院号は、本光国師のつけたまひしなるへし。昔、小納言信西は、子ともあまた有し中、時尚と云し人、みちのくに渡しやらすたり。性温柔にして、容貌端正なれは、国人いとおしみて、国人餞別にとて、砂金あまた袋にみちこほるゝはかり、貰ひ来たいしりな。罪なくて、この山に住たるに、此金をは、すむ所の地中に埋めしとそ。金気もふかくうつまれては、性悪の慕(暴)をいたしかたし。

【一四四】難波に子をあろす女あり。いと久しき家にて住ふりしかと、子なけれは荒はてて、六年はかり廃宅となりしかは、又もとむる人の有て、家をくつし、地をほりかへて、清くせんとす。穴ありて物あり。鍬にひしとこたへたり。堀入てみたれは、古き備前壷なり。中に又一器ありて、金をあまた盛ておきたり。即公朝にうたへ、ささけしかは、ととめさせ給ひて、後に召出され、半金は地ぬし、半金は其日の日傭五六人に分ちてあたへたまひしとそ。とかくかくれては居ぬくせあり。我とも何かしといふ医師折ふしまん所に脈しに参りあひて、其数を聞は、二百七十両はかり有しとそ。又、難波村の畠中にて、売妓のふみたかへてころひしに、穴ありて、ふみ(数字空白)中にきらきらしく見ゆる物あれは、ひろいて返りしに、金十両斗なり。それはとこにとて、聞人追こに行てほり得たれは、大数二百両につもりしとそ。公朝にうたへ出て、後ほろいそものへ、おのれらか得たるままにたまひしなりとそ。売妓は身を買て、親のもとにいにしとそ。其余ははくちうつあふれものともにて、二三夜ほとに飛散失せしとそ。とかくおしたまりては居ぬやつなり。

【一四五】南郭服子の詩を講する席に、真淵も參りて聞。講境りて後に、席をすすみて、先生の詩名、いにしへよりの巨臂と人申事なり、たたおしむらくは、唐の風体を棄て、古に泊りたまはぬことを、ときこゆ。服古あさわらひて、汝はゑせ言いふものなり、詩は初唐の気格高くして得かたし、盛唐より中唐の風に擬すへし、晩唐は又野なり、何心をもてかく云そと。答、今日の講には、汾上驚れ秋の詩、北風吹に白雲、万里渡に河汾、此二句にて意は尽たり、心緒逢落、秋声不れ可れ聞とは、上の二句の注解に似たり、四韻六句の〓に入て、このわつらひ有とそ思ふと。服子打もたたて、三十年おそく生れて、汝と同しく学はさる事よ、とて歎息せられしとそ。国風も三十一字に必と定りての後は、秀哥少きは、あし曳きの山鳥の尾のしたり尾の、と文装をくはへて、なかなかし夜の独寝のなけきの意を、くわしくはつくさすありし。五百年来は、たゝ心をつくして、思ふかきりをいはんとす。賎妓の物かたり聞ひとしく、いとくた/\しくうたてし。情の思ひにたえすして、長きは幾百言もあれ、短きは、我家の方に雲ゐたちくも、といひて、心やりはせられたり。孔子立川上、悠哉々々、逝者如此、不舎昼夜、と申されしを、しらすよみに、人丸の、いさよふ波のゆくへしらすも、といひて、思情を尽くしぬ。国語言多きにも、かく云て、夫子の字数より少くてわつらいなし。又、しろ少きを長はへていふは、詠曲の奥にありて、今の哥よむ人はえいはぬよ。つたなし、あさまし。

【一四六】花鳥の時々の物にも、式をさためて、彼を局中に入るなり。いるゝといへとも、彼かおのかまゝに、時をしりて囀か、時を待て開く物をや。梅の冬の中よりふゝみそめて、二月の水の鏡に老をなけくを終にする也。鴬は山を出て、ひとく/\のさゝやき、垣に園にわたりて、立春いたり、口やゝほとけ、夏山にいたりて、宛転低昂、是を流鴬と賞するかさかりなり。

        山里に住つきしより鴬は夏かけて鳴とりとしりにき

と、をなさけによみしを、いと新しきとて、人もとめてかゝすよ。物を思はぬ人のよむ哥には、春をかきりとし、又、五月音をいるゝとすれと、秋かけても此軒の林には囀るよ。其物をも分たぬ哥は、天地を動す事はさておき、鬼神も耳ふたきてかへらるへし。田舎の田うた、臼ひき哥は、かへりて人情をつくしたり。        思ひ思ふて出る事は出たか、舟の乗場て親恋し、

        鮎のすし桶なき輪かきれて、ことしやいはれよ

と覚悟した、人丸、赤人も上たゝんやは。播磨の綱引の盤桂、是を聞て、とてもにとて、臼ひき歌数章をつくりて、民戸にうたはしめたまへりき。中に、

        悪をきらふを善しやとおしやる、嫌ふ心か悪しやもの、

とは、ありかたき心なりき。是にならひて、国風も活道ありたし。

【一四七】かきつはたは菖蒲の類にて、水草の一種なり。されは、くよふ物は、水に咲花なれは、花あやめと云へし。かきつはたとは、垣津花の意なるへし。垣つ幡と万葉に見ゆるは、波と多と通音にて、ハタ薄、花すゝきの類ひの證訓なり。

        かきつはた衣にすりつけものゝふのきそひ狩する夏は来にけり

とは、またく五月五日の歌なり。おくれして咲は秋迄も有へし。

        弟咲に浅黄か咲たかきつはた

と戯ことせし事あり。菖蒲は水にあらても咲とわかつは、拙なり。石菖蒲、石につけていよゝ茂し。同物の性のまゝにこそ有。造化のなす所、いつれをもて定むへき。衣にするとよみし水艸は、試みしに、そみて色あかく、是も、かきつ花、あやめ、せうほ(ふ)の中ニ、よく染つくか有へし。いまたこゝろみす。

【一四八】なてしこは夏花とのみよむは拙なり。夏より咲て、秋冬の始まてもある也。後撰集に、十月ニなてしこを折て隣へおくりし哥あり。又さらしなの記に、もろこしか原をゆけは、夏はやまとなてしこのあまた咲と云をきゝて、もろこしか原に、大和なてしこはいとおかし、といひて行に、冬の始に猶咲残りたる有しと云は、おもしろ。

【一四九】菊は山路に咲か、こゝにむかしより有しなるへし。承和の御時に、異種の渡りしを愛したまひしより、是を始のやうに云は、いとくらし。山路の種の香の(も)花もし(る)きは、秋に第一とこそおほゆれ。きくと字の声のまゝによむは、御製よりやはしむらん。新撰字鏡に、からよもきと云名、いとよし。白と黄なるをよしとするは、誰も同しかるへし。

【一五〇】男子の歯黒そめ、粉紅つき、ひたひつくりしは、見よからす。後鳥羽院の男色をこのませしより、わかきん達によそほせしなるを、やかてよにあを歯なるは見苦しとさへ云しなり。男たましいなくて、王朝のおとろへゆく、是も一つなり。西土に黒歯国と云を、日本の事とするは、染すして黒色なる故なるをさへ分たぬよ。鉄漿にてとことわらさるからは、黒歯国は自然なるへし。

【一五一】鵙の草くき春されは、とよみしからは、此鳥の餌もとむとて、草くゝりあるくを、見へすとも、とはいひしなり。くきといひ、くゝる(り)といふは、延約の語例なり。

【一五二】蛙を谷くゝと云も、谷水をくゝりて住と云なり。三月末より鳴て、秋をさかりに声を賞する故に、万葉集には秋の題に出したり。六七月のあいた山谷に鳴て、声清亮たりと云。又、味水鶏に同しとは、食品にする事、西土の常なり。石鶏、又錦襖子とも云とそ。

【一五三】蝉を日くらしとは、朝より鳴出て、夕かけて鳴物と云名なり。よて、古歌は蝉と云題なし。古今集に、蝉の哥夏にありて、日くらしは秋に入しよりいふ。〓き式なり。清少納言かさう紙に、ほとゝきすの声たつねありかはや、といふに、加茂のおくに何とかや、たなはたのわたる橋の名ある所に、と云をかれしは、日くらしなりと書たり。

        朝またき日くらしの声きこゆなりこや明くれと人のいふらん

朝またきより鳴もあり。又、暮ちかきに鳴もあるを、しひて別たんとするよ。小蝉は、卯月山に鳴出て、梢ゆすりてかしまし。蜩を日くらしといふは、秋にと云もしかとあたらす。跳蝉とて雌なるはなかぬもあり。是をわからて歌よまんとする。いとほし/\。

【一五四】紅葉は九月はまたき(に)て、十月をさかりに、散は必冬なり。時雨に袖かつきてあるくは、年々の事なり。かつ散といはては秋ならすとは、心せはし。水仙は金台銀台の賞最面白し。和名なくは、何にても字のまゝによめかし。たそや、よむな、と云し。是を水と云字の形にて水仙とは云かと云し人おかし。香草ニテ、根は最かんはしといふ。我は臭しと思ふなり。香、臭のたかひ、おのかこのむまゝにこそあれ。牡丹の香、是も臭し。楊貴妃の腋臭ありしといふには、名花、傾国、両相臭といはん。猶あるへけれと、暗記なれは忘れたり。思い出て又いはん。

【一五五】茶をは、陳梅徳か天中記に、聘礼の中に婚姻には必茶を贈るよ、凡茶は子をまきて種るなり、移し植れは必枯るとて、再縁なきやうの祝物とするなりと。山内の一老夫か、茶は枝葉を去て、根をよくつきかたむれはつくなり、

        つけはつくつかねはつかぬ茶の木かな

と云名哥あり、といふ。父母の教戒かたくつきかためたらんには、再嫁の患あるましきなり。死別はいかにせん。ぬかた姫といふ夫人は、天智の太子と申せしより愛寵ありて、即位の後は、かたはら去す侍りしよ。春秋の遊を判しさせ給ふ歌の心は、実にをみなしくて、かたちさへおもほゆ。崩御の後、山科の殯宮より出しかなしみの歌、あわれなり。天武の心にかけさせたまへは、清みん原にめされて、皇妃の数に列し事、日本記には見へたれと、はしめ天智の愛姫といはぬは暗し。秋風の簾うこかし吹をさへ、君くや、とよみしを思ふへし。三山のあらそひにたとへ、兄弟しのひ/\に得んとせまくせられしこそ、うつせみも妻を争ふ        き、とは天智のおほん也。すへて、忠臣、考子、貞婦とて、名に高きは、必不幸つみ/\て、節に死するなり。世にあらわれぬは、必幸福の人々なり。

【一五六】大友の太子は天智の長子にて、人のよせなし。才学いにしへよりならひなき君ゆへに、父帝恩寵あつく、廿一にて太政大臣を授け、万機をうしろみさせたまひしに、王臣おそれつゝしみて、粛然たりしなり。よて、廿三にて皇太子にすゝませしかは、いよいよ骨肉のしたしみ薄くて、叔父の天武に皆心かよはせしなり。崩御の後、人皆清み原に參りて、大津宮は亡しなり。是は父天皇のいとはやまり給ふなり。大友は才にほこりて、兄弟を侮とり、老臣を見くたし、叔父をちにはねたくおほせしなり。藤原の鎌公、夢を判して後、いさめを納れ、愛女を帚箕(箕帚)に奉られしに、此臣の伏したまふことしるし。叔父は英傑にてませは、百臣を撫し、骨肉をしたしみて、とりより簒弑の意ありしなり。たゝ鎌公をおそれて、ことにしたしみよくし給ふは、公もついに此世ならんにとうなつかせて、黙したまへるならん。入道して吉野山に入せかしかは、古人皇子の御跡なれと、人おしたまりていはす。この山よりひそかに東国に下りて、みのゝ国に籏上させ給し。其事のよしをとへは、叔父を害せんの心ある故にと、史にしるせしは、質に勝の譌文なり。兄弟たちも大友を忌たまえは、皆属して亡し給へりき。みのゝ国わさみか原とは、今云関か原なり。天下の定めは必こゝに、とう万伎か詠し哥あり。大友の才くらふ(る)人なきか、亡ふへきいはれなり。詩文の祖とは此君なり。大津としるせしは、史官の阿(諛)なり。

【一五七】才は花、智は実、花実相そなへし人かたなし。大友の、唐使劉高徳に、臣たるの相にあらす、と甲を聞しめし、大津は新羅の僧行信に反逆の根さしをすゝめられたり。又、鎌倉の右大臣の、宗の陳和卿と云有髪の僧にみせられ、前生の西土にゆきて霊山を見んとて、大船を造らしむ。舟工拙くて海に没す。是も、才をたのみて、無益の誹りをもとめたまいしなり。北条義時おそれて、我家の亡ふは此君そ、とて、公暁と云弱僧に弑させしなり。歌よませ給ふに、古調を好たまひて、群に秀させしかは、定家卿の、此君の歌を見れは、この道のおほつかなくなるよ、とねたみ給ひしとなり。才は花なれはもろくちり、実は智にて利益あるから、人を損害するなり。西土にても智者と云は必悪臣なり。

【一五八】さゝ波のしかの宮古のあれしとて、人丸のかなしけによみしは、誰も心つかぬよ、大津の忠臣の末のものゝ心なり。皇宮はいにしへより、御代ことにこそあらね、新たにうつさるゝを吉例とするなり。さるから、みつ垣の宮、ふし垣のみやなとゝ、芽茨きらすの結構ありし。百しきと云も、石をつきかさねて垣とし、其中に安居ならせしなり。奈良にいたりて、壮観大なり。東西の京をわかち、殿堂十歩に一楼の文華に似たり。又、寺をたてゝ福果を祈る事、弱主のこゝろなり。此費の本は、欽明の御時、百済国の朝に媚て、釈迦の銅像、経典、幡蓋等を奉りて申す。此法、諸法中におきて最尊し、周公、孔子もしる事能はす、福徳心のまゝに菩提心を得るなり、よく修したまへ、と奏せしかは、帝王の足はぬ事なき御心にも、是修せんとて、群臣に問しかは、皆おのか心に慾して、よし、と答たり。物部の大連尾輿ひとりすゝみ出、開国より天神地祗をまつりて、三十代の今にいたらせるにあらすや、蕃神を入て地をかしたまはゝ、国津神のたゝりまさん、と申。忠直のこと嘉したまひて、猶修せんとおもふ者に授ん、とのたまいし。蘇我大臣稲芽、我修せんとて、こひとりて、向原の家を寺に改め、修行専らなりしかは、其徳によりて、三代の猛威、君をさへなきものに、馬子か崇峻を弑し奉りて、ためしなき女主を立、是を夾みて朝政おのかまゝなり。厩戸太子とすゝみ給へと、馬子に伏せられて、もとより仏道の慾情相かなひしまゝに、万機を馬子の思ふにしたかひ、十七憲法といへども、字紙となりしなり。馬子か君を弑せし罪を問せ給はぬ太子も、同罪そとて、儒者はにくむなり。御子山脊王も次て弱にてましましけれは、推古の勅をたまはりて、嗣位あらんを、蝦夷かためて、遺勅は田村王なりとて、善柔の人をゑらみて、即位なしませしなり。山背王蝦夷に矯られ、又、入鹿にせまられて、みつから維(経)死したまへりき。福果を祈り給ふ御父の修行はかひなく、後をさへ断たれ給ひし也。天智、鎌公あらすは、神孫をさへたつへし。国つ神も、いかなれは此仏法にこゝろし給ひて、地をかし、万世にさかえしめ給ふには、今なにをかいはん。奈良の造営の美観にもまさりて、東大寺の毘盧舎那仏、五丈余の大像をつくりて、殿堂は雲につき入はかりなり。此時陸奥山に黄金出て、此費をつくのひしとなり。さらは、日本はもとより仏国なり。達磨、善導の、有を棄、無に帰在(せ)よ、と云しは、此始てわたりしに大にたかへり。さらは、東坡か真味の仏法も、後の世につくりそへて、人をよろこはしむるか。儒道は応神にわたりしかと、人のこゝろを善に揉るのみを聞しらせしかは、皆よしとおもへと、おのれ/\か情慾にたかひ、わつかに備忘の史臣のみ、つたはりしものなり。是善はなしかたなく、人情のままに有たき慾心なり。太子の憲法は実言にて、孝徳の政令は、かの国の威厳に、外国もおそれてつかふる羨しさに、こゝもしか有たきの情慾のなす所なり。されはこそ、我神道をかろんし、仏道をたふとみ給ふと、史には分明にしるしたり。何事よりも、我におこりたえて、風土狭き長柯に皇宮をうつし給ふは、みそかに我意なり。我遷都の題に、

        飛鳥よりうつりて見れは豊崎のなからの宮も河洲なりけり

生島の郡、東を大郡、西を小郡といひしを、今見よ、海うもれ、西生の大郡、十三郡の中に最一なり。天智の是を悪みて、母帝皇后をさへいさないまして、大和へかへらせしを、深(く)うらみて、位はかならす嗣君なれは天智なるへきを、みそかに、母帝、もとより、入鹿を亡くせしを、我子なからねたくおほして、ためしもなき重祚にのほらせしなり。天智さとく知り給ひて、かにかくも御心のまゝにと、反逆の御心なきは、鎌公とふかくはかりて、つゝしませしふるへし。入鹿をおしませしは、必よ〓し奉りしとは、史官の筆ににほはせてしるせしなり。此臭に、女帝の再祚、孝謙の婬乱も、これにもとつけるなりけり。

【一五九】天智、大津にうつらせしは、孝徳の水国をよしと宮つくらせしを羨みて、もとより、山をうしろに、江湖を前に、小嶋の心ゆかぬにはあらす。それをさへ、人丸の、いかさまにおほしめしてかと、そしりたるよ。大和故宮をおしむは人情なり。

【一六〇】入唐の益は交易のみなり。仏教、儒道のさかしきを習ては、簒位弑逆の事やます、百年千戈の休む時なし。此御治世になりてこそ、二百年来実に大平なり。今の清朝は女直国と云。朝に 尿溺をもて面を洗、清しとせし国也。いつのまにか金と名のりて、中土をうはひしを、明に亡されて跡なかりしか、明の弱主の亡ふへきときに、盗賊おこりて国を亡せしなり。されと、呉三桂の忠心に、順治のとなりの国まて切ひらきて、聖徳ときゝて、行てたのみしに、順治、時よしとて李時成を亡し、中土の主と成、三桂、約にたかふ、といへとも、いな、国はかへすとはいはさりし、とて、ついに清といふ朝か立たり。

【一六一】仏はさても/\かしこい人かな。人情の慾のかきり、先説入て、無の見に入んとするよ。三千年にして、今に直かならぬなり。達磨、善導の本源の心も、口にのみさとり〓にて、身の行ひをみれは、高坐にのほりしとは人たかひなり。一文不知の僧と剛毅木訥の民とには、必無の見成就の人あり。前うしろのたかひふに及はぬことそ。

【一六二】四方の国々の服従するも、時あるへし。先、夫迄は門をまもり、垣をかたくして守れかし。是まての酔言は、あまりに分をすこしたりな。

【一六三】仏教のついへなるも、融通と見てはうらみなし。七大寺も大社同直段てはあわぬか。玄肪、実忠、道鏡か帳内に入て、帝坐を穢す事、神も仏も見ぬ皃とは、いかにいかに。清丸独り神勅をためすして、皇統をつかめしたり。其忠臣にも中納言にて終るとは、不幸か天禄か、ひいき心ては、一番肩ぬいてかゝりたし。此卿の像に賛辞こはれてせしは、

        忠言〓直、緇而不涅、若矯神勅、則豈有今日哉。

        あしの浦のきたなな丸てふぁた波をかけてもきよき名に流れけり

其朝には、大臣あまたか中に、吉備公こそにくむへし。人道の学をつくして、時をはかり、出たりはいつたり、鼠の物とるやうな心もち、にくしにくし。周勃、陳平か佞を思ひて、大器を持してかたふけすとは云しかと、是はいつはりなし。まことには、あのけいせいつらめ、といひたし。

         ◆膽大小心録 書きおきの事(異文1)

哥よむといふ人、都なれは多し。皆口まねのえまめぬ也。師家も我に来たらさんとて、そなたはつらゆきの口ふり也。定家卿のたくみによく叶へり、といふに、さてはとおもふが、貫之にも定家にも、口まねはかりもえせぬそいかし。〔一〕

盧庵、吾に意見して云、何わざもせてあるは、いとほしき也、人の歌なをして世に交はりたまへ、そなたはかたは心な人じゃ、たゞ人をかしこくしてやると思ふて、とおしゃる。こたふるは、人をあはうにするのではないか、といふたれば、いかりにらみて、其ことわりいかにと。こたふ、人は親のたま物そ、世のわたらいかしこきも、しらぬ事学へは、必おろかになるそ(か)し、すぐれてよくするは天稟にて、千人に一人なるべし、といひしかば、長き息をつきて、返答なかりし。〔二〕

嵩渓と云売りものか云、職人うた合久しく絶たり、そなたとつぶふてよまばや、といふ。よむはいと安きほとの事也、題号をかへてならは、といひしかは、何と題せん、と問。商人哥あはせとしたし、といひしかば、常につば吐ちらして物よくいふ人も、えこたへずてありし也。〔三〕

かなつかひと云事、もとなき物なりしといふ事かいてあらはせしに、江戸の春海か、そなたは学文に私する人しや、といひこせしかば、そなたは、師のいふたとをりを、いつまでも守る歟、私とは才能のあさ名也、むかしよりわたくしせぬ人、智者にも才士にもなし、尭か舜にゆつり、又禹にゆつるもよい事ながら、私也。三隅の綱の一隅を我に来たれ、といひしか、私のはじまりなるべし、殷の後は、宗一国にて姫氏四十二国とは、なんと私の親玉ではない歟、其余は云にたらす、東家の久兵衛とのも聖教を立て、自然の人情にたがふへし、神国の口には、やはり中土をうばゝれしこと始にて、指を折れば、事のなるとならぬとこそあれ、わたくし心のない人はおじやらぬ、まして天下をとつて代るはわたくし也、財をぬす(め)ば賊也、国をぬすめば侯となる、侯の心に仁義ありとは、ぬす人たけ/\しい私こと也、口かようても、しおほせぬ人は、運とやらのないわたくし人也、そなたの師の真淵も、たんと私はいわれたそ、といふてやつれば、御もつとも、とのみに、二たひはえいはず、陰ではいろ/\とそしるとそ。

  大仏の柱は已にやけにけりせゝる蟻どもたんとわいたり

といふて、あい手にはならぬ。

韓退之が、前のほまれあらんよりは、後のそしりを、といわれたは、文章の親玉しや、と東坡かいふて、唐三百年に文章なし、李愿か盤谷にかへる序にいたりて、我筆とりては、これを思ひて口ふたがる、あゝまゝよ、古今に、きやつを独歩さしてやれ、と云しは、粋言ながら、前のほまれも後の誓も、みなひいき/\の私也。孔夫子が出て、われがよい、とおしやつたらしらす。人にはちともほめられたいと思ふは、十すちもたらぬ狙とのちや。〔四〕

 秋の雲風にたゝよひ行みれは大はた小幡いもかたく領巾

といふ歌をよんだは、と人にかたりしかは、都鄙の哥よみの皆あしく云よし。遠くの人はしらす、我ところへ来る人の中には、たれもこの歌の味のしれるひとはいない。古体じやの今体じやのと、又、人のいふは、中世の古いところしや、といわれると。口まねはかりの狙どののみ。腹になんにもないから、此うたの味がしれてたまるものか。小家かり、又小庵をかりて、いつかとの商ひせらるゝ哥よみの、命の中にはしれまい事じや。さしてよいといふのてはない。古意にて、古体にて、等類ないかと思ふたのなり。秋風吹白雲飛と云を、ちとおもしろがらせたのみ。調のたかき事か自まんじや。

翁若き時は、俳かいとかいふ事を習て、凡四十ちかくまて、是よりほかの遊びはなかりし。其時は師の口まねせん、何がしのやうには、えなろまいとのみ思しに、四十にならん頃に、人のいふは、哥よめ、はいかいかいやし、とそいひしかど、歌はお公家さまのまねが出来るものか、といひしかど、すゝめるにまかせて、しものれんせい殿のお点をこひしに、そなたはよい口じや、とおほめなされて、物とへは、しほらしい事よく問ふ、いつそは考へておかう、とおしやつて、ついに御返答なし。契沖の著述をかいあつめて、独学のあいた又二三年、うま伎といふ人にあいた、師とかしつきたれと、江戸の人故、七年かあいたに、文通てとふた事わつかなり。此師も五十過てはやく世をさらせしかば、又独学にて、それも市井の医の奔放にいとまなければ、こゝろにおもふたはつかりしや。いせの宣長といふ人の著述を、人のつてにてかりしに、是も心にたがふ事多し。おもえば/\、哥も文も、云いたい事いふて遊ぶがよしと心かついて、師家といふわろ達のいつわりこともしれてくるから、誰にも交はるはいらぬ事と、一決したりし。師といふ人もありしかと、ないに同じく、又はいかいをかへりみれば、貞徳も、宗因も、桃青も、口まへのみの者とも也。古人は心のまゝにありしも、うつせどうつらぬか人の性質なり。濁り江の水草しけらせて、いつ月かうつらうそ。下手な口は親のたま物、しよ事がない。心はおのか物なれは、人丸も、つらゆき、定家、後京極も、よい事はまねんで、わるい所は捨小舟、ろかいなしにこきしやてや。七十五さいの今日にいたりては、友はすつきりとなし。されと、哥よみの三松、長太らうが問よれと、やすんていなしやれじや。独学孤陋とは、とんと師匠なしの名なし草、花がさいても、たれもつまぬぞ。師のすじに入て、又其すじを出て、よからぬ所を見て、すつるほどの気介がなけりゃ、なんにも出来る事てなし。師を学へは師の半徳を滅すと。その半とくはとれほとであろ。独学の心さし立ては、跡をかへり見れは、高い山から谷そこ見れは、師匠かわいや、恥さらすしや。食禄も芸枝も、天稟とおやのたま物なれは、下手しやとてしや(う)事がない。梅に鴬、道成寺、三輪、おさだまりの事では、風韻といふ事にはいたらねぬ。風韻といふこと、うまれ付と習ふていたるとあり。習ふていたつた故、さてもしんとい事しやあつた。儒者も、今の世のは文章詩作の商人で、三条通りの絹やの八兵衛とのか、風韻なしに男ぶりをつくるのじゃ。里冠、歌七を見ねと見るやうな/\。世をみれば、酒のんで餅くふて、こい茶ねぶつて、風流じやと覚つた人のみ也。ある人、さめてのあんかけは、きらいもあろ、といひし。是小天地の確言也。女郎かいに問て見た事あり、今ではなんといふのが第一じや、といふたら、おのが買のが第一じやと。是も確信也。

美人はもとより、鼻缺もめくらも、男たかへすに正月はせぬ也。首の居るは締めのみ也。心があふては、首はどぶでも大事ない。〔五〕

金といふ奴は、さても/\悪人じや。たんとつむほどつみたくなつて、人のもかちおとす心になつて、さて又、くづれてしまうじや。奔走日夜やむ事なし、といふたはきこへた。金が敵といへど、銭がかたきとはいわぬ。銭は善也、と注すべし。一文から一貫まで、毎日/\はしりあるいて、丁人も士も、乞食も出家も、分相応に助けらるゝ也。銭さへあれば、金はいらぬものじや。四文せんの用考ては、ことにまし。時々一文につかふ人、是は善根じや。銭の通用、天下第一の宝也。魯褒が銭神ろんは、貧乏ひがみのすね言しや。いつも月夜にこめの飯、へらぬ物ならぜに百文、其うちに月夜はなくてもすむ。

聖人と云東どなりの久兵へどのも、ちよといつはらるゝ事があつた。江河へ大キ物物(ママ)が流れて来たを、とり上て見たら、外は青うて中はしろい(う)て、又赤うてとあるを、是萍実也、とは出たらめじや。西瓜としらぬさきに事よ、といふ人あり。家語の孔子と左伝の孔子と、論語のと、人がちがふやうなり。どうであろ、彼萍実の出たらめを学んだ人のいつわりは、からべたなるべし。〔一四二〕

人丸はさつてもやつし形ぢや。万葉集の中にたんとある哥が、大かたが女房ぐるいじや。京に(も)、田舎にも、遠国にも、くいさがしだらけで、五十にたらいでしぬる時、みやこのによんぼが/\、と泣てしなれたは、まことに若い時のこゝろじやてい。四十こして、陰心が陽心にかはりても、腎虚火動の火とまる様じや。白髪の老人のすがたは、いふにもたらぬあだ夢じや。火止ル、といふて、火事のゆかぬに、信心せい、と云て祭る人もあり、又、火にたゝる、といふ人もあり。腎虚火動の火がたゝるなるべし。家持卿は、さても/\、人丸よりは男ぶりよかるべし。人がら(に)もよるへし。女がたんとほれた事じや。業平を婬首と云は、中将どのゝふしあわせ也。高子の君との外には、悪名もないに、藤原家にいまれての東くだりじや。筆のまつわる人が、いろ/\とやつし形にして書たるよ。源氏物(が)たりに、なりひらの名をやくたすらん、とは書れたり。〔一二七・一二八〕

陶淵明がおしやるは、書をよんで、その書をよんで、その書の大旨をこゝろへたら、跡はくだ/\しくすますは愚じや、といわれた。無絃の琴で味われてたのしまれたと同般じゃ。今の世の人はえこぜぬせんさくして、注解をつとむるは愚人じゃ。儒者ろん語、医さは傷寒ろん、哥よみは万葉集、無絃の琴よりはよりかけた糸で、よしのゝ山を雪かと見れは、五尺いよこの手ぬぐひ、と弾ならひから、何じやませる事じや。〔四〕

歌はちと習ふたれど、書は悪七兵衛のめくら書じや。ある人、何による、と問れた故、草隷のはじまりを書のじや、とこたへた。義之も献子も、顔魯公も東坡も米元章も、かしこまつた事はいやしや、といふた。〔七四〕

田舎ものゝ、我国にたま/\よい事かあると、日本一しやとほこる。此くせは京の人にあるぞ。京によい事が一多いかわりに、いつちわるい事がある。十六年前に京に住うと思ふ時に、ある儒さの、京は不思議じやほどに、としめされた。今一名貧国の不思議といふべし。不義は貧からの事、太平の後百余年あまりに、金がすつきりとない国となりて、不義に落入たのじや。負をしみといふ事は、京の人が第一ばんじや。〔二二〕

食菜の好みは京の人よし。難波人は無塩に富て好者なし。しかれども、あまりにこのみ過て、禁忌の毒にあたらふもしれぬ。しかれども、何をくてもあたらぬ物じゃ。延喜の大膳、正膳、内膳の式を見れば、今くわぬ物多し。天子さまも、昔は脾胃御つよかつてじやあろ、鹿肉は必脯にしても度々まいる事よ。野菜も、蘿、蒜のたぐひを、十二月の月などにめされしが、ない時は干菜にしてたくわへたは、いぶかしき事也。万国の中に、五穀がこの国がいつちよいによつて、米ほしや、綿ほしや、と蛮人も、むさぼりにくるじや。米くわず、綿あたゝかなどしらぬ先の心でくらせばよいに、とかくおたがいに垣を固くし、内を守るが大事じや。長喙と云て、あかぬは鄙情也。三ばいの飯、茶、酒にせよ、満たらばすんだ事じや。まだいふ事があれど、あゝくたぶれた/\。手がなへた。〔七二〕

   ◆膽大小心録(異文二)

歌よむといふ人、都なれは多し。皆口まれのえまねぬ也。師と云人、我に来たれとて、そなたの口つきはつらゆき也、定家卿の巧によく似たり、と云。其師か、貫之、定家卿もえまねぬそかし。又是を聞をさない人たちも、こは阿諛とはおもえとも、たゝ酒食のあそひして、月日過す為として、心にはかけす。ともに都人の薄情也けり。〔一〕

蘆庵云、そなたは何もせすして在るは、いたつら人也、人の歌なをして、世に交はれよと。答、人のうたなほすへき事、いかにしてともしらすと。さりとはかたゐ心也、たゝ人をかしこうしてやると思ひて、交はりせよ。答、我は人を愚にするとおもう也。いかりにらみて、其よしいかに。答、人は天稟のまゝにして、又親のたま物を受つき、世よくわたる者をまて、芸技学へは、大かたに愚かになるそ、学ひて千人の中にひとりはおしやるまい、といふたれは、ため息つきて、何ともおしやりやなんた。〔二〕

蒿蹊か云、職人うた久しくたえたり、そなたを(と)つかふて、よまはや。答、これよむ事安かるへし、たゝ題号をかえす、と云。何とかへん、と問ふ。商人うた合とかえねは、今の世しやおしりやぬ。つはき吐散して物多くいふ人の、おしたまつて、飯まいれとぞ。〔三〕

仮字つかひと云事、本はなかつたという事書あらはせしを、魚臣か木にゑらせた。江戸の春海かもとより、翁はとかく学文に私めさるよ、といひこせり。そなたは師の示、一こともたかえしとせらるゝ歟、私とは才能のあさ名也、智者才子ほとわたくし多し、尭か舜に譲り、舜か又商にゆつりしは、よい私にて、聖人とたふとむ、三隅の網の一隅は我に、と云し人か、わたくしの始よ、殷のあとは宋一国にて、姫氏四十二国とは、武王、周公のわたくしよからす、其余は云に足す、東となりの久兵衛とのも、聖教を立て、人情をためらるゝは私なり、此国にては、神武の東征あそはして、にき早日のしらせし中土を奪ひたまふか、私の始にて、代々を云はゝ、多き事はかりかたし、宝をぬすめは賊とて刑せられ、国をぬすめは侯となる、侯の心に仁義ありとは、私の口かしこひ也、口通う手もし御布施根は、人かにくむ、天子、将軍、是は運とやらにあつかるへし、そなたの師の真淵は、たんと私おい(や)つた人しや、とこたへたれは、御もつとも、とのみいひこして、さて、陰口わるうそしる事しやと聞いた。そこて、

  大仏の柱はやけてなかりけりせゝる蟻ともたんとわいたり

といふて、相手にやならぬ。

韓退之云、前のほまれは後のそしりを思ふ、といわれたを、東坡か云れた、唐三百年に文章なし、李愿か盤谷にかへるを送る序のみ、筆とれは先この文か目さきに立て、心おくるゝ也、あゝまゝよ、古今に独歩させてやれ、とは粋さましや。されと、前のほまれもあとの〓も、おのかとちのひいき/\にて、孔夫子の出られて、われかよい、とおしやらねは、しれぬ/\。わたくしのほめそしりの狙殿か、万疋あつたとて、なんともなし。〔四〕

  秋の雲風にたゝよひ行みれは大はた小幡いもかたく桍巾

このうたは、よんたは、といふたれは、さあ狙ともか千万疋してそしるとそ、そしるけな。さて、よいといふたは、古言にて等類かないと思ふたのと、調か高いといふたのしや。秋風吹白雲飛といふ句を、おもしろう味つけたのみしや。

わかい時は、人のすゝめて、俳かいといふ事習ふたれは、さつても/\よい口しや、とほめられたのて、四十にちかいまて、是を学ふにひまかなかつた。人の云は、歌よんたかよい、俳かいはいやしい物しや、といわるゝに、ふと思ふたは、哥はお公家さまの道しやとおしやれは、こちとのよんたとてと思ふたけれと、人のすゝめにて、下のれんせい様へ入門したれは、さても、そなたはよい哥よみにならりや(ろ)。問やる事ともは追てこたよふ、とおしやつて、そのこたへなし。

契沖の著書をかいあつめて、物しりになろうと思ふたれと、とかくうたかひのつく事多くて、道はかいかなんたを、江戸の宇万伎といふ人の城番にお上りて、あやたりか引合して、弟子になりて、古学と云事の道かひらける。はしめはあや足か、教よ、といふについて学んたれと、とんと漢字のよめぬわろて、物とふたひに、口をもし/\として、其後にいふは、幸い御城内へ宇万伎といふ人か来てゐる、是を師にして、といふたか、縁しやあつた。江戸人なれは、七年かあいた文通て物とふ中に、五十そこらて京の城番に上つてお死にやつたのちは、よん所なしの独学の遊ひのみにて、目かあいたと思ふ。

伊勢の宣長といふ人は大家しやと聞て、人のつてて著書ともをかたりて見たれは、これも私のおや玉て、文学といふ事にはうと/\しく、田舎たましいてやつつける人しや。門人かたんとついたは、物学はすに高い事いわるゝかよさの事故、一人も人物か出る事てはない。たゝ弟子をとりへのゝ烟になるまてほしかられた。そこて、

  僻ことをいふてなりとも弟子ほしや古事記伝兵へと人はいふとも

とやらかしたれは、皆にくんた事そうな。ある人、古事記伝おみて、是は坊主落か、と問はるゝ。いや子児いしやの片店商ひしや、といふたれは、なんても仏学者に尻もつてもらふていふと見へる、注解のしやうか仏書の例しや、といふた。この人死んては、いよゝ火かふいと消てしまふた/\。

市井の庸医の事故、日々東西に走って物学ふいとまかない故、漢学はやめて、わつかよむと事のすむ古学者といわれたは、幸福しや。

歌も文も、我思ふ事をいつわらすによみかきせうと思ふてかゝん古哥をたんとおほようとも思はすして、楽な遊ひしや。

独学孤陋といふは、初めより師なしにまねふ事をいましめたのしや。此すちゆけ、と示されて後に、又それよりよい道を見付て学ふか、真の好者しや。師を学へは其半徳を、といふそ。その師の半とくはいかにそ。独学して師にこゆるか道の為の忠臣しやとい。〔五〕

雪を桜しやの、さくらか雲しやのといふ哥、さいく人一人は、と真淵かおしやつたよし。西行ほとの上手か、よしの山に三とせこもりて、常見る花を雲しや/\とはとうそ。此世の人はとかくに雲とみたを、世外のひとのおんなし事おしやつたはいかに。山家集に、塵中、塵外のわかちをしるしして、失つたれは覚えぬ事よ。

老も雲に似たの哥よん所なしにようたか、あまりほめられた事しやない。

    暁雲

  よしの山雲にまかへる花にもまかふあかつきの雲

    みやこに住つきての春に

  すまて我みやはさためん粟田山あわたつ雲はさくら也けり

    雲有帰山情

  まかふやと花に別れて小初せに夕はかへる春のうき雲

    春曙花

  足引の山さくら戸のひまもれて花にさかりぬ有明の月

    雲を

  花にゝぬよしのゝ山の峰の雲はるゝを散と人はいふ也

すへてほめられた事はなし。これらはほめられたかる病人の哥しや。〔六・八六・一三六〕

俳かいをかへりみれは、貞徳も、宗因も、桃青も、皆口かしこい衆て、つゝまる所は世わたりしや。桧の木笠、竹の杖も、田舎商いの上手者しや。是をうつせは、濁江の水草て、しけい中へは月はうつらぬそ。歌もはいかいも、今時のは、やうちんへ堕たそ/\。

下手なおや父は、天稟の才のまゝをいかにせん。人丸、つらゆき、後京極、ていか興、よい所とつて、あとは小舟、ろもかいも入らぬ/\。

哥よみの三太郎、長松とのをよせて愚にする事、是も百年あまりこなたの世わたり也。梅にうくいす、道成寺、三輪、おさまりな事をよんてあかぬとは。たゝ風流風韻、うまれつきと習ふていたるとあり。翁は習ふていたりました。

儒者も三条通の紙やの八兵へとのか、物しつて詩文つくるのみ。又、書生かしろい髭の

はへたとしや。詩も哥も、男ふりをつとめては風韻なし。里冠とやら歌七とやらのしこなしと同しかるへし。里冠も歌七も見ねと、ひち/\はた/\、川海老を岡へほり上たやうにあろう。芝居も藝技も、見物かわるいてわるなつたのしやとも云。〔一三七〕

申楽はあまりおとろへぬは、おもひ入をめつたにさせぬ故か。是も大物はないよし也。

雅楽寮のおとろへはいかに/\。あんまり思ひ入させぬ故しやとも云。〔一三七〕

相撲とりのちいさいこそ、心得られぬ事しやか、是もかしこいすめから、力もなしに関とりになる世の中故か。翁かわかい時まて、丸山、綾川、たてかせき、源氏山、ひれの山、四車なとゝいふのかありしに、近年ては谷風といふへし。是もちゑしやて、むかいかよわい故か、天下の一人也。

わかい時に、四方関といふ事かあつたは、すまひか多い故の事也。

丸山、阿蘇嶽、黒雲、戸根川、此中にとね川は、後世いふくわせ物のはしまり也。今見れは、皆小魚の盆池にあそふやうなのみ。八角といふたは、せかひくう横ひらたふて、つよい事上なしに、上手のうへに悪才ありて、すまふやうを下にゐてとると、まつたりと云事の始しや。谷風を、まつたり/\て、足しひらしかつた故に、谷風、さぬきの高松のおかゝへかおいとまか出たゆへ、名こりのすまふに、たてか崎、相引、其外たれやらを、四五人つゝけ投にして、御前立たゆへ、めしかへされたけと、かへらぬよし。後のたに風は、それからは、小児のちからのある智恵のあるのて、すまひてはないそ。

芝居てするぬれかみといふは、両国梶のすの事のよし。二まい櫛さして土俵入りして、あいてにより、此くしをおとしたらまけにしよ、といふたよし。大山といふた大せきと兄弟分て、大山は大力て、一はゐにあたる者なし。是も八角かたましてかつた故に、大にいかりて、八角ととる日に、投ておいてふみにしつたとの事しや。人をころして、大坂を立のきしに、尾張のすまふに、大山かかちのを、行司か見そこなふて団上た故、見物の中から唐獅子か飛て出て、行司をとつてほり、頭とりともをふみちらして、又行くへしらすと聞た。

又行司にも、岩井団の介といふは、老年になつて、近隣ゆへ店はなしにわせて、いろ/\とすまふの昔はなしを聞た。相引と鷲の尾とのすまふを、わしの尾へ団を上たを、さぬきのかたやから、刀提て十人はかり土俵へ出て、行司め、といふたら、かねてかくこしや、さあこい、といふて、団の柄からつるきをぬきたして、十人に立むかふ所、東西のとうとり、すまふか出て、われすまふに、と云たれは、団扇を引やふつて、二たひ出なんたとそ。越前の福井とのへかゝへて後に、是非御前はかりの行司せい、とおしやつたれは、団はなし、と申て、たゝの扇て出た。是か行司の常の扇もつ始のよし。越前やの市郎右ヱ門といふて、御用たちにて、老て後に禅門になつて、常に翁のわかい時にかわいかられた事よ。すまふともか前へつくはひて、礼してとをる事しや。兄よ/\、といふて、関とりも関分も、小ともあしらいした事しや。〔一三八〕

                 七十六歳 餘斎 [花押]

   ◆膽大小心録異本(異文三)

高のの玉川は毒水と云はいかに。毒ならは、たれか忘れてくまん。もし毒ならは、忘れては手にな結ひそ、とこそよまめ。

国々にわかれたと、六所にかきらす、清流はいふ也。山城の井出の末も、玉久世川とよみ、つの国のは、今も小渠泥水なり。こゝに過しに、大冢といふ川辺の郷に出る砂川あり。忘れてもむすふへし。是そ古河の名也。今は名の改まりて、人しらす。玉河、玉水、玉の井、皆きよきを呼ふ称也。〔四六〕

有蟹石翁者。形不以醜已、心亦醜也。以横行為直、雖眼高性躁、而〓々志変。二螯八跪之剛、不以人恐。口吃常涎沫流、言語不分、以螯為筆、好理論辯説、人不必要其言。於是穴居崖下、為有一天地。春地不順、花卉鳥虫無時。近曾発憤言、人云美我見之醜、美醜不相分、則又無有善悪邪正矣。甲堅螯振、遂爪折、身為廃物。於是愈逡巡、守独幽耳。

翁此頃事を記するに癇気によりて筆をとりはしりて、よみかたし。一客云、翁か書体誰にかよる。答、たゝ鳥の跡をとおもふ也、詩も又、其はしめは韻字有んや、韻をふめは格あり、故に随意ならす、まして平仄をや。〔七四〕

荻の花すりこゝろみしに、紫色、花枝にみるより濃くてよし。又黄なる花〓ありて、するにあらはる。牡丹餅をお萩といふは、此よしなるへし。〔七九〕

すへて鳥毛物も花も、雄はよし。雌は劣れり。人のみ女をまさるとす。もし粉黛紅脂を用いされは、男必よし。〔八三〕

西行の哥は、塵中、塵外の二体あり。花はとにかくに雲雪、是は時にならひたる譌妄也。賀茂翁云、さいく人一二人こそいはめ、とは金言也。

  よしの山やかて出しと思ふ身を花ちりなはと人や待らん

又、雪のふる日はさむくこそとは、世外の言也。〔八六〕

師の哥に、

  志かの浦は問う汀もしろく氷つゝかへる波なきからさきの浜

是をはしらすよみによみし、

  空さえて汀ひまなく氷けり波をかへさぬし賀の浦風

是は、行司は団扇を挙へし。〔八六〕

詩人の書生、涌とも/\傑出なし。師の半徳を得かぬる者を、辺国の産には、いかて/\と思ふ也。〔五一〕

儒者のこはくない事、我生涯のうち也。学文はとけれと、倫性堕にして規律なし。〔五四〕

国学者か唐の事を云と、儒者か日本の事を考へたと、同病憐むへし。〔六○〕

絵は、或高貴の御説に、狩野の尚信は、牧渓の風を心におきて、万物を模写して妙を得たりとそ。近来応挙と云人は、写生を宗として、筆端自在也。しかれとも、尚信にくたる、と云人あり。〔六七〕

明人の詩経の図に後序をくはへて云、絵は本、書典に説えぬ事を地図に著はして、朝廷の秘録なりしを、聖仏の像を画きて、信仰渇仰の便とせしは次也、其余の人物は、三百篇の教へを図にあやなして、人心のたすけとそ、花鳥草木は女この縫織に似て無益の業也、山水は図籍より来たると。此説、明人の言のみならす、翁か思ふにまかせし事も交たり。〔六八〕

仏法のさかんなる事、此国にこゆる所なしとそ。さかん也といへとも、仏意なけれは国に損害なし。雄弁の僧は劇場の生旦に同し。高坐をくたはれは。尋常の人也。〔七一〕

或師の意見に、老か泥鰌をくらふ事奇怪也、人は板歯にして牙歯なけれは、肉はくらふへからす、牛馬といへとも、板歯は草秣をくひて峭壁をこえ、日々に重荷を運ふならすや、是天稟の性也と。答、承りぬ、しかれとも、庖厨に入りて調味せしは、我くらふは野菜に同しく、且生を断事なしと。又、泥鰌は我左明を得させし[以下欠]〔七二〕

   ◆〔膽大小心録〕(異文四)

[前文欠]はさる事よとて、嘆息せられしとそ。国風も三十一文字に必と定まりての後は、秀哥少なきは、あし引の山鳥の尾のしたり尾の、と文装をくはへて、なか/\し夜の独寝のなけきの意を、くはしくはつくさすありし。五六百年来は、たゝ心をつくして、おもふかきりをいはんとす。賎奴の物かたり聞にひとしく、いとくた/\しくうたてし。情の思ひにたえすして、長きは幾百言にもあれ、短きは、我家の方に雲井たちくも、といひて、心やりはせられたり。孔子立川上、悠哉、逝者如此、不舎昼夜、と申されしを、しらすよみに、人丸の、いさよふなみのゆくへもしらすも、といひて、恩情を尽しぬ。国語の言多きにも、かく云て、夫子の字数より少くて、わつらひなし。又、しろ少なきを長はへていふは、詠曲の興にありて、今の哥よむ人はえいはぬよ。つたなし、あさまし。〔一四五〕

花鳥の時々の物にも、式をさためて、彼を局中に入るなり。いるゝといへとも、彼かおのかまゝに。時をしりて囀り、時を待て聞く物をや、梅の冬の中よりふヽみそめて、二月の水の鏡に、老をなけくを終りにするなり。鴬は山を出て、ひとく/\のさ々やき、垣に園にわたりて、立春にいたり、口やヽほとけ、夏山にいたりて、苑転低昴、是を流鴬と賞[以下欠](一四六)

[前文欠]栲亭の序に、点は胸下にふさかりて病となり、煎は気のみなれは、眼をさまし、且心をすます益あり、と云しを、我友の中に、甚にくみて、序中此文なからましかは、と難波よりいひこせしなり。是は点に病をもとめし狂人なり。〔一三九〕

煎茶の清は文雅の友なり。よりて心をすまし閑を〓ふ。東坡云、富にたふる人なし、閑にも又たへかたしとそ。是又□□のそしりなり。老、文雅に友なしといへとも、日夜枕に窓に来たる人あり。其外は我をしるとのみの人なり。其も多からす。なへての文人は、木草花の見しらぬ、鳥虫の音のかれは何とおもふのみにて、其とき過して思ふことなし。よく云は、文にほこるか。□□□□拙なりといへとも、我をなくさむる心、人のなくさむとは異なり。我非彼是、彼是我非、我佗彼此のたかひなり。知己と云は、必よく文を玩ふ人にあらす。文の意をしりて問かわす人なり。東都に南畝子といふ人あり、我をしる人なり。京には、栲亭子、芦庵翁なり。浪花になし。〔一〇八〕

茶を闘かはす事、宋己来の狂のみ。必勝劣さためかたし。点は濃淡の手練にありて、其妙に至へし。煎は、初順、二順、三順の甘味、気色[以下欠]〔一四〇〕