◆『風月外伝』跋

おほよそなへての人の。さえのうとするを見るに。いは樟の千枝にわかれ。かた糸のよる所。おのかさま/\なるそむへなるかな。易牙の口にかなふ。師曠の耳にさときは。昔のふみにもあけるらふ。今もそかたくひあり。捲足の足にたへなる。波高のおよひにたくみなる。後のふみには必あけるへう。捲足波高もとより斬公をからす。おもふに。捲足のわさや。道の残すへうもあらぬは。いましかわさのたへなるかも。波高なるものゝいふ。このふみをゐて橋に人またなむよりは。梓にひろめて朝ねするにはしかしとそ。ふみのこゝろはへは。鷺子のから綾をぬひものし給ふに。しつをりのせはきことのはもあらね。さてなむおきつ

霜ふる月しもふる夜

                          三餘閑人

                               しるす

                                 [花押]

    ◆女児宝(めのこたから)の叙

訓記(よみかき)の教(をしえ)の書(ふみ)は、今も儒者達(はかせたち)の口/\に罷(やみ)給はねば、績麻(うみそ)のみだりがはしきことも多かり。うらやすの国人(くにたみ)は、よみ書術(かくわぎ)よりも、算用(かそへこと)ぞいと貴(とふと)けれ。其(それ)を種(くさ)/\の量智(つもりもの)は、己(おのれ)らは何せん、あら玉の春たつ日より、年はつる其夜まで、九々八十(やそ)ひとつの法則(のりこと)だに心に認(とゞめ)なば、うらやすの国てふ理義(ことわり)は、違(たが)はじものを。此書(ふみ)は、算盤(かぞへもの)の玉はしらす師が宝にあらす。尼嬶(あまかゝ)、女(め)の児(こ)どもはもとより、頭(かしら)まろけたる法師、読書(ものよみ)教(おし)ふる儒者(はかせ)たちも、机(つくえ)の右に用(もちゐ)ある事、ものゝふの弓矢、船長(ふなをさ)の真梶(まかぢ)にも、をさ/\おとらぬ宝(たから)也けらし。書(ふみ)の名をこめのこ宝(たから)とよばんに、いかゞあらむ。己ら算用(かぞへごと)に愚(おろか)なれは、ひそかに男子宝(おのこだから)にぞありけるものを。

   安永元辰の冬

                           三餘閑人

                             しるす

     ◆九嶷子五体千文之序

文字はや心をいにしへにもとめ、かたちを旧きにならはまく云へり。其いにしへてふは、必しも秦の時よりあかりたるを云。其ふるきてふは、はた晋の世に降らぬをなんいへりける。それよ、上つ代の事は、天の八重雲立隔たり、わたつみの潮気打薫りつゝ、いとおほつかなきは、あけつろふへくもあらす。漢のみかとみかとには、猶いにしへを伝へたる人も、少からす聞えたり。しかして、程〓は隷字を造りて、人のめやすからむを思ひ、史游か章草、又それを省き成して世に便あらしめむとや。鍾〓か楷字におきては、うへいにしへを失なはす、後の世にあなゝひ宜しきよりして、彼国のみかは、見さくれ(は)、入日かくさふ高嶺のあなたなる仏のをしへをも、械の音のつばら/\にことわりなし、朝日耀やく大海をわたりこしては、我皇御国の神言をさへ、岩つぬの長く伝ふるはしも、文字てふ物のいさをにて、そかゆきかふ天地の極みには、競へ挙へき国つ宝もあらずなん。其楷又省かれて、行、草のあやなるをそ巧出たりける。こや晋の始の時の人の思ひはかりにけん、そのかたちの麗はしひたるや、花くはし、桜か枝のあるかなきのかぜにかをれるなし、其なからかなるや、旗薄ほに出てまねくらむ如に、さるは、其世のこれかわさにめてたきをかきかそふれは、おゆひもそこなはれぬへし。それか中に、王羲之てふ人ことにひてたりとなり。其子献之、つきて世にゆるさる。此人ゝ出こし後は、はま千鳥の跡うつしつたへまくするにも、遠つ人雁の使して言かよはするにも、ひたふるに此てふりをなん学ひなせる事と成んたるとや。文字はやこゝろをいにしへに尋むへく、かたちは旧きに擬ふへく云るも、こゝにしてことわりをまなふと、かたちのみを摸さまくすると、川しま水のふたゆくか如なれりけり。唐の代を云に、君も臣も心をあはせて、専ら二王の蹟をたとひなせりてへとも、みそかにおのか巧みをそへ、あやをも書交へしかは、似てあらぬものも、はし/\見ゆとなり。それより後ゝの人は、筆のあゆみのすゝめるまゝに、墨のつら/\乾かぬ限りよ、野辺はふ葛の行へさためす引はへなし、林に繁けき木の葉の風にみたるゝか如、或は、わさをき人のたつゝ舞なし、竜の馬のはなれて飛かけるはかり打ほこり、世にもてらへるわさとなんなれりけり。なへての事、いにしへは行ひすくなくて心広ら也、後ゝの代は事ひろく精しきに過て、其こゝろはへは、かへりていとさくくるしき物に成にたり。後漢の許慎のえらはれしを見れは、大よそ九千三百余字にして、いにしへに便あらしめたり。其いさをも、又すくなからすとなん。梁の顧野王のあつめしは二万二千七百余字、いといたうくはしきに似て、十かつ九つをあやまれりと聞えたり。それよ、くたりての人ゝは、或はたゝ言をましへ、あるは音をもよこなまりぬとや。こゝにして、後ゝの物よくしりたると云人も、秦の下つかさ、漢の世のわらはへにもしかさるよしに、あけつろふ人もありけり。そはいかにそなれは、こゝろことわりをいにしへに学はさるか病るなりけり。吾友九嶷ぬしは、弱きより筆の林にふかく分入て、やゝはたちあまりのとし月に、村肝の心をことかたにおもむけすして、猪名部か墨縄の筋たかはす学ひしかは、こゝろことわりを六書のいにしへに尋め、かたちを二王の旧きにならひて、唐を降れりとし、宋を漫りたる物にいみ避ぬる其論ろひそ、いとたかしとも高き極みなりける。、此比梁の周興嗣か韻を次しと言う千文を、五つのさまに写し出て見せらる。其、篆、隷、楷、行、草の字ゝ、ことゝゝ晋の時を降らず、二王にあらされは採す。事はいと狭きにゝたる物から、心はたかくはかりなしたりき。そを高しといふは、いにしへの聖の君の、国をゝさめ、あめの下まつりこちたまへるは、ひたふるに繁きを芟、事のわつらはしきをいみたまへるにそ、おのつから事さく心は、広くおほらかにまし/\ける、後を降れると云は、なへてのわさ精しからむとては、いにしへにあらぬことわり共を、おのかわたくしに引もてゆけれは、こゝるは橘の陰ふむ道の八衢にわかれ、思はかりは蔦かつらかなたこなたにたちまよはされつゝ、かれにねちけ是にほたされてよ、事はひろらに似てさくくるしく、心又それにかゝつらひて、あすか川の淵せ、あすは又いつちならむ、たのまれかたくおほゆかし。いにしへは文字の数少くして、ことわりおほらかに精しかりき。後ゝの世は、文しの数いとおほくなりて、しかも説わつらへり。文字すくなきは、ことわりも直く、文字おほきは、其まかひやすきを思ふには、かたちあまたにあやなしたらむそ、ほと/\写したかふらむ。さるを思ひてか、ぬば玉のよひ/\ことに神のなけきしてふ、なか/\なるおよつれ言も、さるした心してや作りも出けむ。おほよその事わさにつきても、繁きをかり、あた/\しきを省きてこそ、こゝろはひろくゆたけく、宮ひかにたのしからむものそ。これをつとむるは、九嶷ぬしなり。いそかきかも、ともしきかも。

世の人云へる言あり、草のなたらかなるや、読うへからす、はたまかひやすしと。おのれ思へり、是いにしへをしらぬのみならす、物をもはか/\しくよみえぬ人の心也。文字はや、字ゝ続きて言を成し、句ゝ聯なりて詞をしもとゝのへらんを、それよみ得ん人の、なたらか也とて見過すへきかは。今その一二をいはゝ、草のなたらかなるに、(列、別、武、封)等の相似てまかひやすきも、列張とつゝきては、物そなへ、いきほひをはれるとそ意得へく、送別誰かは門出を送るとよまさらむ。文武は二帝のうへに見あかち、封禅は祭の名なりと思えし人の、いかて紛るゝ事のあらむや。文字はや、或はつらなり、或はこゑをあはせつゝしてこそ、国つ宝のたときをもしるへかりけれ。さるを、後の世には、文字ひとつをとう出て、其ことわりを説なすかおほし。又、此ためしかしこのみにもあらすなむ、こゝの言霊のさきはひにも、阿といひ、免と云一こゑには、なにのこゝろもあらぬを、あ免と音を合わすは、天や、雨や、其聯なれるまゝに、言のこゝろをもよみうへし。さるは読易からす、まかひぬへく云は、おのかえよまぬ拙さにこそあれ。しかあらむ人の、柿本の朝臣をもて神と崇むれど、この神のよみませし手ふりを学なす人は、ひさしく世に聞えす成んたり。さるにても、筆採る人の必しも二王をとなふるも、其跡えらひ出て学ふは、世にかたしと聞えたり。おほよそ人のなすわさは、たゝにあせみの花のてらふのみよりして、まなひもてゆくめれは、いかていにしへをもとめ、旧きをたつぬへき、こをいみさくるは九嶷ぬしなり。いそしきかも、乏しき鴨。そもゝゝ此千文のはしめをとむるに、何人の造りいてけむ、、其いはれ、さたかならぬよしに云り。かの国に伝へて云、魏の鍾〓かえらへると云を、梁のみかとに求め出しか、あら玉のきへゆくとし月をこゝら暦しかは、しのふ草おふる檐の雨そゝきにやいふれにけん、呉竹あめるふるし/\のついてをさへ乱り、或は虫はみ破くたちつゝ、ことの心もわきかためりしを、周興嗣てふ人そみこと承りて、つかの木の次ゝをも、飛雁のつら/\をも、音によてしらへなせるなへに、某末のたらはぬをさへ補ひなして、正木つら長き国つたからとなせるなん、周氏のいさを少なからすとや。又、此み国に渡せし始を尋ぬれは、いにしへ軽島のあきらの宮に天の下しろしめしゝすめらみことの大御代に、百済の国より和迩てふ人にそへて、論語十巻、千字文一まきを貢たてまつれるよし、古事記にはしるされたり。こをかしこに推かゝなふるに、晋の武帝の時にあたれれは、梁にはいくはくの年をかさき立にけむ、かつ鍾〓か書りしときこえたるには。そも、漢、魏の間にありて、彼八斗の才なと、世にほめたゝへしたくひの人のつゝ知る名瀬市の谷戸、私には思ひけらし。いまやなにはつ麻香山についてて、手習ふ人の始にするなるは、かの国のかみは、此国に二つなきくにつ宝とおしいたゝけるになん。于時天明四と云歳春くはゝれるむ月、九嶷ぬしの需めにしるし侍る。

   ◆『あかたゐの哥集』序

おほみ田を田居の水鳥の加茂の真淵の翁、いともわかゝりしむかし、荷田のあつま麻呂のうしの、しば/\あつまにいきかひ給へりしたよりをなんえて、あなかちにすける心を聞えてそ、問まなひたまへりし、其まめこゝろなむ、わたつみのおきをふかめて、山菅のねもころにあかすしも見ゆるを、うしも世にありかたき人におほしとりてそ、道のしるへたと、十とせあまりなりしか、はたその神山の杉のしるしのたかきほまれをとりて、師かむなしき世にあつまにくたり、やんことなき御家にめし上られたまひしなん、ひとたひ(一才)たてし心のたゆますして、つひの世まてめてたかりし翁なりける。そかまなへる道や、すめら御国のあかりたる世のなほき手ふりをおしたとみて、あたし国ふみのさかしきをしへにまつはさるゝ事なく、つらぬる文のも、よみつる哥にも、ひたすらあかれる世のさまにのみしらへなしつゝなん、猶心こと葉はかりかは、つくれる家居、たならす調度をまて、いにしへをしのひては、かよりかくより、かうかへ出つゝして玩へるものから、このあかた居につとひまうつる人ゝをさへ、あかりたる世の人にあへるかことくになむありきと、かたりつたへたる。よめる哥、つらねしふみ、あ、あまたのとし月にこゝらおほか覧を、心とかいとゝめ給はさりしにや、春秋の雁のいきかひせし家らにのみ、木からしのあらしの風に散よろほひて、あらゝ浜まつのおち葉、かいつめおける人はありやなしや。おのれ峰の松風吹かよふしらへのさまを、わかしつ屋のうしにもとめはへりしかは、師やかて、翁のあらはせし哥の意てふふみにとりそへて、よそちまりの宮ひ言のかいつめたるをたまひて、これなむおきなのたかきしらへなる、常によみて心にのせ、打いつることにかきあはせよとなん、いともかたしけなく、わたのそこなるしら玉かつきえて、朝よひにめならはし侍るにも、いかにせん、あしひきの山の井なすあさきおもひには、から鳥のさへつりはかりも、えまなひいてぬにそ、たゝまもり神にのみおしいたゝきて侍るも、あらたまのとし月ひさしかりける。此ころ友垣なる野むらのふもとのいへるは、こきん歌集の打聞、すてに成ぬ、いにしへの哥のさま、うまくときえたり、さるは、翁のよめるてふりをも、このついてに世にあらはせよかしと、れいのすゝろきたてるを、こはおのれかなすへからぬまめわさなめり、今なほ翁のまへにかしこみて物なまひし人の、うつし身に世にたゝするも、をちこち少なからすとなん。さるを、いかてといへは、いさや、さる人のありともあらすとも、飛騨人の墨なはすしたかへるに社あらめ、なとかはとかむる人のあらむ、よしやひたふるにおしひめたらむ人と、おのかこゝろを心として、翁を後にする人とは、たまあはぬものにおくへくなん、君今やまひにかこつけて、竹の扉にしはしものとかなる世をいかていたるらなるへきと、あなかちにせめきこゆるまゝに、くらふの山路闇にこえなむおちまとひを、このますら雄におしたてられてそ、まつ師の給へるをはしめに物して、それかついてには、人のかたりくさなる、ものゝはしに見出たる、もゝたらすむそちまいかいつきしか、なほわつかにもらせしもあるは、それおのかさかしらしてえらひ物するにはあらて、聞たかへ、うつしもあやまちして、ことの心のおほつかなきを、おもひなやみてなん、まして其はしめなるとおいにてのしらへ、なとかはえりあかつへうもあらすなむ、かつわたくしにおもふは、いにしへたかきひきゝつかさ人たち、あるは世はなれてひしりたつ人なとの、たゝとし月のついてのまゝにかいとゝめた覧を、後の世に、あかの浦つたひする人の、玉ならぬかたわれをも、うつせなるをも、もらさすひろひなせにしは、うたておほゆるも、はし/\見ゆめるは、中ゝにさやけく、きたひなせしつるきの、見る/\身もさむけならむに、いみしきゝす見出たらむ心ちそせらる。滝つ川瀬になこりなくかいふてゝ、たゝひとくさをのみとゝめし人は、世のほかなるさかし心にやともおもほゆれと、たゝ/\おほか覧とすくなからむとは、いつれかまさりおとりすと、たちかへりておもふには、師かたまひしはしめの巻なるをこそ、翁のこゝろなるへけれは、しりへなるくさ/\は、よみ見ん人のさかしきまなこをこそ、たのむへらなれと、長柄の浜まつ蔭なる里人伝。

   ◆『しつ屋のうた集』跋

師かよみすて給ひしくさ/\の、わつかに心にしるしとゝめて侍りしを、さぬるとりの年、十余り三とせのたむけくさに物すへくはかりつるを、打つゝきて、あら妙のこきいろにそみつゝこもりてのみ侍りしかは、今はいたつらになしはつへきを、こたみ、あかたゐの哥集おほしたてるたよりのよろしきにとりそへてはへるも、このふた本の過にし人ゝの言のはを、ゆく水の世に絶せすは、はつせ河ふる川のへのふるきをしのふ人の、てならひにもとてなん。

                           阮秋成書

   ◆『奇鈔百円』跋

こゝに和漢の銭のいにしへ今のをあつめ。これがかたをかき。かうがへどもしるして。木にゑり。世におしひろむる人あり。名を羽積(はづみ)といへり。さてもかくえらびたる其はじめをきけば。いとあやしかりけり。此人市の中にからくのみ。なだのしほやきいとまなき身にしも。古銭をたしなむ癖(くせ)になくて。つげのをぐしのとりも見ぬかぎり得まくほりすれど。其真偽(しんぎ)をわきまへ。考証(かうしょう)をつまびらかにする。有識(いうそく)ならざるをいぶせみおもひつゝ。つかのまも此事をこゝろにはなたずして。其たしみなんもはらなりけるが。さすがに物をもてあそべば志をうしなふことわりを思ひ。あかねさすひるはひねもす。世わたらひのたづきをつとめ。ぬばたまのよるはすがらに。其たしみのほいとげん事をねがひけり。ある夜のうた(た)ねに。あやしうすさましげなるものの来り。手をとりてゐてゆく。あなやとさけべどかひなし。こゝをいづこと問ふに。閻羅王のみかどゝ(朝廷)なんいふ。こはあさましとにけまどひけるに。事つかさどる(有司)ものゝ出(いで)来りて。いましが古銭をこのめる。ありとあらぬかぎりをもとめて。其事にこゝろをくるしむるが。ものたしむすらたう(修羅道)なるをもて。我(わが)みかどにめしよせたまへるなり。そのゆゑは。さいつごろこゝに堕(た)たせし。中谷顧山(なかたにこさん)う扇。此たしみありて。孔方鑑(こうはうかん)なんどいへる書(ふみ)とも世にひろめけるが。当時(そのかみ)事いまだひらけざりしゆゑ。あるは図(かた)をうつしたがへ。あるはかうがへをあやまりしとで。つねに其事をうらみ念じけるをもて。罪(つみ)なくして今尚(いまなほ)とゞまれり。すべてわがみかどの政(まつりごと)は。いさゝかも娑婆(さま)に念あらんには。其念を解(とき)てのち。天堂(てんたう)におくるをおきてとせり。此翁がとしころ此事に心をゆだねたる。鑑賞(かんしゃう)のくはしき。考証の博き。もとより地府にてはえう(益)なきわざなれば。此いさほし(功)をいましにゆづらしめて。翁が念をけち(消)。いましがすら(修羅)をまぬからしめむ。大王儕(わなみ)つね%\かしこまりつゝしむ事にしあけれど。物このむの二なきがいたれるには。鬼神ありてこれに通ずといへり。又物の霊(れい)なるは。物に感(かん)ずるためしもすくなからず。まして銭の霊なる。いかで感ぜざるべき。人の寐(いぬ)るは常(つね)にて。夢は霊より生ずるものなり。又地獄天堂は。無中(むちう)に有(う)を説(とく)。仏家(ぶつけ)のをしへにて。かゝる霊なる事こそ。やがて無中の有(う)とぞいふべかめれば。ろうずともことわりわいたむべからず。たゞ怪異(けい)なるは。きのふしらざりしが。けふは畢鸞(ひつらん)をわきまふばかりに博識(はくしき)となれる事を。いかにせん。かの伊勢の御(ご)が。せにかはりゆくとよみしは。それのとおもひ。なにがしか滑川(なめりがは)にておとせしといふは。これならむととうでゞ。其かうかへどものつばらなるや。八島(やしま)のほかなる。えみしらが国々より。まれ/\来れるをさへ。其絵。その文字(もじ)。あるは其かたち其質(しち)など。毫釐(ごうり)をわきまへて。めづべくめづべからざる。あるは其真偽をことわるなど。みなこゝろに得て。目に明らむるのざえ(才)。人をおどろかすのみならず。みづからもあやしとはおもへれど。日ごろねがひし事の。とみにかなへるをよろこぼひ。たしめるわざに冥助(みやうぢょ)ありけることをありがたう思ふたまふて。中谷(なかたに)の翁が地下(ちか)の遺憾(いかん)をもなぐさめ。みづからがこゝろざし得たるをも世にきこえんと。まず此ふみつくりてなん。同好(どうこう)の人をいざなはむ事を庶幾(そき)せり。そも此羽積が泉(ぜに)をたしめるや。和〓(くわけう)が癖(へき)とおなしからざれば。魯道元(ろたうげん)が論(ろん)にもあづ(跋三う)からず。これやいにしへをこのむのひとつといふべけれど。猶好事(こうず)の罪(つみ)なきにあらず。されどひとたび地府に墜(た)しぬれば。其罪けつべうぞしられける。かくて此ふみを木にゑりはじめしは。去年(こぞ)の冬にて。おのれ其しりへに物かゝむ事諾(だく)せしは。ことし梅の花咲そむるあしたになんありける。例(れい)の懶惰(らんだ)なる。とかくにすまひて。夏(なつ)いき秋来りて。夜さむの風身にしむころ。蘆(あし)の屋(や)のともしびのもとに。思ひ出て筆をとる事しかなり

   ◆再版『文布』序

ちりの世とおもふ心のつもりては身のかくれか山となりぬる、とよみしは、昔むさしの国のあさ草の市にかくれし人のはかな言なりとなん。いともかたしけなしや、はこやの山のいやたかきに聞え上て、かくれ家の茂助や世にあると、をり/\みことゝはせたまひしとなん、かたりつたへたる、いみしき世のさち人にこそ有けれ。おなし国のおなしほとりにさへおひてゝ、おなしあそひをさへすけるものから、またわかう世つかぬほとよりしも、ほまれある人のかきけちてむなしかりし其筆の跡なる、このふたむらのあや布を、ゝり/\くさに巻かへしつゝ見れは、あないみし、あなめてた、から糸ならぬうつゆふのほそきすしを千ゝくりためて、萩に、月草に、から紅にすりわきつゝ、或ははる花のちりのまかひに、秋のゝのちくさのみたれに、あるは朝雲のはたてにあめの鶴むらをさわかせ、ふかみとりなるゆふ川の流に、玉藻、いろこの数をうかへ、軒のしのふ艸をこちたきまてすりもとらせ、野への小松を、こくも薄くもにほはせたる、いにしへの呉のあやのはとりらも、いかてかはとおもふはかりに、かゝる手ひとも世には生れ出たりけるを、何その神のにくみにやと打かこたるゝは、我のみかは、しるしらぬ人のなけきこるわさにしも有かな。かはかりなる人の、たわやめにさへいとわかきにさへありて、あまつ空にも聞えあけぬを、いみしの世のまち人やなと打うめけるを、又立かへては、それなにかあらん、たゝうちつることに、文にも歌にも、いとあやしきまてみやひかなるをなん、こと玉のさち人と云は、このをとめ子かうへなりける。あはれ人のおほせことをしもたまはらは、野へはふ紫のすさみくさ五そち四巻のあとなしことをも、やす/\とまねひ出ましものをと、我輩の常のかたり草に、いひしもあへりけり。このふみ今一まき、にふ色のかなしきを(に)そめなしたるを、むすひとめさりし糸のはつれ/\て、

いまはときあらふわさもうたてしとて、かいやりつることわりを、おのれにかきそへよと、ふん屋の何かしかもとむるまゝになん。むかしのをとめこかうへは、むら田の君かはしにつはらなれは、さらにとめていふへくもあらすなむ。寛政ふたつと云年の秋八月、美津の秋成しるす。

   ◆『天降言』奥書

ひさかたの八重雲をちわきにちわきて、あもりませし御言の葉を、梓弓春吹風のそなたのつてにえてしより、玉床のちりうちもおかてよ、やかてかいとゝめて侍りきを、しつたまきくりかへしつゝ読たてまつるに、いともめてたし。なかきかそふ千いほとせの高き代、あすか藤原のみさかりなる時にしもあへるか如、いにしへ今の玉の声/\をえらひつめしふみゆ後は、たゝかまくらの右のおとゝと此殿なん、かゝるさまによみ出させ給ひて、さす竹の宮人の御あたりには、ふつに聞もしらす侍る。されと、なほ御うた/\をわきて申さんには、茅かや刈鎌倉のおとゝのみうたは、峰の松風吹かよふことえりして、しらへをしもよくとゝのへませしかは、あまつとふ御影うらゝかなる空にあしきつの舞あそふを、あふき見るおもひなんせらるる。殿のよませたまふ御てふりは、ひたふるに直く雄々しき上つ代みこゝろして、うつせみにあらふる物は、そかあとのありやなしやをとはさす、おもほすまに/\打出させたまふをしもみたせまつれは、ちはやふる大山つみのしつもります高山のしけきか本に、立むかふこゝちなんし侍るには、御心のたけくさかしくましつらんをさへかしこけれと、おほろかにおしもはかられまつるなりけり。今はや梺の野へのいろよき花をのみつみはやすもろ人たちの見はへりては、わたつみのおくかもしらぬものに、うちももたし侍らんかし。あなかしこ。さる人/\には、鶉すむ野の、かりにたに見さへからぬものになん。

                               三津秋成

こは序辞めきていひ出るにあらす。打めつるあまりに、おもふこと筆のゆくにまかせし也。ゆめ/\よつの眼になゆるしたまえそ。御家ちかき梅津川へかいふてゝたまへかし。

   ◆『訳文童喩』序

おほかたの世に立たらむ人は、こせのゝ椿つら/\に、あまとふ雁のくたりさまにも、ふみてふものは書へかりける。哥よむてふにも、春の山ふみ、秋の露はらに心をよせつゝうち出るには、をのへの松の声、こもり江の蘆のは風にしらへあはせてなん、あそふめる。それかあまり、おほやけわたくしの事しけゝきをり/\に、いひかよはすらむ言の葉、或は雨にゝほへる浅むらさきの花のしなへにゆひつけたる、あるはあしたおもなきにも、いひおくれるこゝろはへなとは、浜ちとりのあとかすことさたまれれ、いつれ文ならぬやは。其か事は心にはかられ、こゝろは言葉にいさなはれつゝ、うみ苧のなかはへ、菅いとのむすほゝれも、おのれ/\か、さえのかきりにこそ。此さとしふみをみれは、あないみしともいみし。かゝるまめわさをしも、道のしをりたと/\しからて、いともつとめたりな。されと、こは、めやし、あけ巻らかめならふへきかは。冠せしをのこたち、やつか髭おひたらむ翁も打かしこみ、わらはこゝろして、よみたまへかし。世にとくつきなむふみそ、このふみは。寛政これの年の冬、白雲のあはた山のふもとなるやとりにてかいしるせるは、友墻のちなみになむ。

                           阮秋成

   ◆『春葉集』序

あし玉も手たまもゆらに、神の織けんしつ機布、呉のあやのはとり等かうまこりのから錦も、其代ゝのめうつろひは、今なほしかりとこそ、人の真こゝろのひとつなんかはらねは、言の数さたまらぬいにしへふりをさへ、おほにも意得らるゝ時世なりけり。しかして、つき/\の代には、おのか心よりよみ出せる人あり、ひたふるにふるきをうつさまくする有、あかれる代の事いまは取見ぬをしへと、しひてもふる言をのみ囀るとは、おなじつらにや見はなしてむ、からの哥にもかゝりとそきこゆ。或は紅をやしほにふりてゝにほはさまくする人は、これなむいくひさの色と、めてはやすよ、そもやゝさめにては、こはなそなと、見もわかぬものにうつろふもて、さる手ふりをうたてとり見ぬ世の出くへし。まこゝろこそかはらぬ、道のをしへも言のあやも、よろつのわさをつらねて、としに月にうつろふなむ、こもよの常とそいふへかりかる。我荷田のうしの此よみ歌ともをみれは、いにしへ今もかはらぬまこゝろもて、こと葉は新草にふる草おひましはりたらむことに、いつゝの色とり、たてぬきのあやをも織なしつゝして、世にひとりたてるよみ人になむ、おはせりき。又、哥はさる物にて、あめつちのはしめの時より、うねひのかし原の宮に事立つたまひし御国からののりことを、つき/\おつるくまなく見わたしつゝ、から人の教へのさかしきにまみれす、まして仏のはかな言、心にそまんやは、ひたふるに遠つみおやよりつかへこし神のひもろきしめゆひし操の直かりしかは、つひにしるしの杉の喬き木末は、あつまの大庭に影見えしこそ、道のほまれ世にたくひなき物知り人になん、おはせりける。うしよりさいつ人難波のたかつの阿闍黎世にいてまし、あめのみはしらのみこと挙をはしめに、しくれふる奈良の林のしけゝきをさへときあかされしを見聞侍るには、たゝにそのかみの人にかもとあやしみつゝ、人みなさしあふきてそ侍るを、そのゝちいくほともなくて、うしいてまし、猶かうかへたらはし、猶かうかへたらはし、事たて給ひしかは、いまはうらやす国のうら安き学ひとしも成んたりける。かれあさりのいさをに、うしのまめ心をあはせてたゝへ言すとて、いにしへ延暦の帝のうたはせしおほむを、かしこきなからこのはしにうたへらく、そのおほん、

  いにしへの野中ふる道あらためはあらたまらむや野なかふる道

                          後学生阮秋成記す

    ◆東丸の書ける古今和歌集序の後に

ある日、荷田の信郷来たりていへらく、此古和歌集のはし文は、昔の手の習ひにとてや、書すさめられけむ、この比つゝら箱の中に探り得て見れは、文のつゝけ言のはふけ、世ゝのつたへにはいともことさまなるを、こゝろみによみて見るに、かゝりてこそ、菅糸のふしのたえめなく、秋の雁のつらをみたらて、 火たく屋のいふかしさもあらすなん、聞えたる、かれと、いにしへよりかくはつたはらさりしを、何こゝろしてしるしおかれたりけむ、君か佐太の浦の定め聞むとて、もては来たりとてなん。やかて きて見るに、むかしの賀茂の翁のさかしらは、是うしもよむところなりける。おのれ常にいへらく、いにしへのふるきふみらは、むらかみのおほん時、かくつちかあらひにもていにて、本かしはもとつふみなるは、ひと巻をたにとゝめすや有けん、其災ひの後に、をちこちの家に散よろほへるを、写しとらせ給へりしか、こゆるきのいそきて拾ひあつめさせしには、俣みまのたけくもあらて、ときゝぬの肩のまよひに、あやしきさい手つゝり着たらむか如見ゆるは、此ふみのみかは、さるを、近き代の物知人の力車推たちたる目さまし草のしけけく聞えくるを、或はおしいたゝき、あるは忌にくみつゝ、冬の林のさや/\に、秋の虫のこゝろきあらそふなむ、心高き人は、あなかま、うたてとも、耳ふたき給ふらんかし。足引の山口入そめしこゝろの先あるしと成て、夏の梢の日くらしの、それもぬけ出ん事のかたくとも、かたきつみなりける。このふみの事、藤原の清輔朝臣のいへりしは、延喜五年の奏覧の御本には、真名、仮名のはしふみ、共にくはへて奉らさりし由、これ等のつたへ、いまは物かたりののたくひに、なへての人、心とゝめすそある。さるから、此手ならひめけるふみをも、このついてに世におしひろめて、昔の人のわり子のてたて、かくこま/\心用ひられしを見せまほしといへは、信郷したゑみに咲て、うからののふよしにあつらへ、氷のしたゆく魚のあそひにうつしとらせてけり。此事のよしをもかきくはへてよと、このたひはかりは、なにかはいなむへき。されと、しほの山さし出の礒のさし過たらむは、くれのおもふせつへきあからめわさにこそ侍れ。

                        秋成再ひしるす

   ◆『古筆名葉集』序

かしこしや、いにしへのふん手の蹟、あやなる哉、いにしへの紙のあや、此ふたつにたよりして、跡とむるとよ。とめわつらへは、このふみ彼御あとにとむる、それは物しりのおはすなり。此二つを二つの眼もてとむる事のはし、目一箇うしなへる翁にとむるよ、世には僻こゝろの人もおはするかな。

                     瑞竜山下無腸七十伍齢書

                              [花押]

   ◆賜摂津国西成郡今宮庄弘安之勅書并代々之御牒文序

豊あし原千いほ秋みつ穂の国は、国ちふくにに安国ならぬはなく、郷ちふさとににきひぬもあらすなも、すめらみかとの御垣の内つ国は、更にもいはし、山の道ゆけは、山人の真柴こりつみはこく市路、かかなく鷲の巣かく高山の奥迄も、いかき大まつり事のゆきたらひめくみたらはし、海つみちゆけは、やその湊毎にいほつ宝をうかへ、いすくはし鯨とる浦郷も、家居しけく住つきて、月日と遠長き大御代のさかゆくすゑを、おのれこここか子うまこにはかりあへつつ、齢をも経ぬるには、かしこきつかさ/\の巨達をはしめ、さみたれの門田のさは田にさなへとるをとめら、ぬてゆらくうまや路に馬の口とるをとこ等まても、きたなき心枉れる思ひかねさへあらてそたのしめるには、ちはや人のたはわさ、ひまもとむへくもあらす、まして八十袋師等か立かくるる林やはある、窟やは有。うへしもめくみ足はしぬるおほむいさおになも有ける。虚みつ大和の国は、いにしへの代代のすめらみことの宮居しつもりませしを、をちこちかそへも尽さし次嶺歴山城の国は、たた三度の宮居なから、国土やふさはしけむ。大御こころをたひらの宮とたたへまして、御代は七そちまりの大みよをへたまひ、年は千とせまりの年月をわたらして、したつ岩ね動きなく、大みやはしらふとしきませしより、ことし天明はしめの年と改めさせたまへるを、なほ千万代ののち迄も、安倍橘のとこよなすすめらみかととことほきたてまつる事を、鳥か啼くくあつまの大とののふとまへをはしめてたてまつりて、八洲の国国しらせますつかさ/\の巨達、おのか国つ宝を千〓にささけて、千くらのおきくらにおきたらはして、まゐりつかうまつれる事の、いみしうかたしけなきためしにこそ。そのすかんまつれる御つかひさねのいきかひは、あか駒の足かきをはやみ、あけのそほ舟に真械ししぬき、山の道ゆ、海の道ゆ、飛騨人の墨縄ひきはへなし、朝鳥のむれて参りつかんまつれりけり。おし照難波の国は、同し御墻の内つ国にして、民くさの心も、おのつから宮ひなりてへと、其いにしへをとむれは、大伴の三津とたたへて、いほつ舟のつとふうな戸にして、網引釣する子等か家居しけく、むこの浦には、よき日は蜑ふねともの打みたりつつ、日ねもすいさりするも、あはや芽沼湾よりむらさめのふりくと見れは、あた網おさめて漕かへるなも、今もひと日おちすいそしかりけるも、やかてわたつみの奉れる日ゝのおほんへにて、山も川もよりてつかふ祭れる皇孫の、おほみいつくしみになもよりける。そか旧きあとを、かちのとのつばらに思ひめくらせは、そも/\難波高津の宮に天のしたらしましゝすめらみことの、いまたみことまをして浪速におはしましゝ時、ほむ田のすめらみことは、河内の国軽島のあきらの宮に神あかりましゝかは、日嗣の皇子宇治のわきいらつこのみこと、かたみに御位譲らせたまひて、高御くら三とせかあひたむなしかりけるに、此灘波の浦人等か奉れるにへつ物をも、宇治にこそとてたてまたし給へは、あれすめらきにあらすとて、なにはに奉らしめたまへりけり。こゝに蜑人等かさゝくる日ゝの贄つものも、いきゝの道の空に〓れしかは、時の人の諺に、蜑なれやおのか物からもていさつ、となもうたへらく。是そ浪速ひとか日ゝの大にへはこひたてまたすふるきあとにして、民くさの心の、世ゝに直くいそしかるさかになも有りける、国からになも有りける。宇治の皇子みかくれたまひしかば、やかて灘波のみやを大宮としつもりまして、高みくらにあまつひつきしろしめしゝ、これをなには高津のみやにあめのしたしらす大さゝきのすめらみことゝ、たゝへ奉る。このおほみよをなも、ことに聖のおほむいつくしみませりとて、いとものちの世まても、ひたふるに崇めまつりて、仁徳ちふ唐名をしも贈奉れりき。此おほんいつくしみのたかくたふとき事ともは、日本紀、古事記等にしるし奉りて、つばらかなるにも、三とせのみつ(き)をとゝめさせて、民草栄えぬると、江をほり提をつかせて、あふるゝ横波をとほらせしかは、田畠さはに、国かたとゝのほりて、今のうつゝにもさかゆきにきひぬるなも、此おほむいつくしみのたかきあまりなりける。さるは、わたつみも河の神も、ひとつこゝろをやあはせたまふらむ、日ゝのおほんへを、この浦の蜑等して奉らしめたまふ。是そこの国からのさきはひにて、大御こゝろをたひらの宮にうつりましても、猶内の御くりやに参りて、其代〃のかしは人して、鮮らけきくさ/\のものを、よつの時々の豊のあかりに奉れるは、延喜の式ちふふみにもしるかりけり。そのあま人らかもてはこへるありさまは、大江の岸のおほな/\かつきつれつゝ、しきつの浦のしき浪なして参りかよひけらし。いまや大まつりことめくみたらはして、国ちふ国にやす国ならぬはなく、郷ちふ郷のにきひぬもあらてよ、日〃にさかゆくまに/\、国のこと/\くにかたとゝのほひて、いにしへにあらす、さとの名もふるきよへるはいともともしきを、まして上つ代のかしこきあとのゝりたかへさらむは、うへすくなかる事にし有かも。こゝに西生の郡今宮の庄は、かみつ代の旧き法のまゝに、掛まくもかしこき大宮つかへをなせる事、このくぬちには、唯此一さとのみにして、二千ゝあまりのいにしへなす、直くいそしきさかもて、参りつかんまつれる。其つかふまつれるありさまは、河の神の持こせるもの、わたつみのもてさゝくる物、おはな/\かつきもて、しきしきにもてはこぶを、御くり屋のつかさ人の見しあきらめて、日々のおほんへにそなへまつらしめたまへりけり。さるを、いとくたちたる世ゝにして、いともかしこきあきつ神のおほみ心を、たひらの宮の御かきの内さへ、千早人らさやめきて、大庭をくゑはらゝかし、鼓のおとはいかつちの声とひゝかせ、旗のなひきは春野をやく火なして、おのかとち/\あらそふはし、とこやみなす代々もひさしかりしかは、よろつのゝりことも、おのつからうつろひかはらふまに/\、よさせる事のいともすゑなるはしも、なそいにしへなるやあらむ。此さと人のたてまたす日ゝの御つきも、ほと/\絶ぬへかめるを、民くさの心のなほきにかも、国からのさきはひにかも、古き代ののあとたかへす、いまもあら珠のとしの始には、鮮らけきおほんへを千さゝけにさゝけもて、昔なす大宮つかへをなもなせりける。かれいさをしもしるく、かけまくもかしこきあつまの大まつりことに、聞あきらめさせたまひて、年のはの田なつ物をゝさめ奉るあまりなる、くさ/\のおほやけ事は、なへてみるさせたまふ事、くぬちにたゝ此一さとのかしこみになも有けるを、里人等悦ひ身にあまり、ゑみさかえつゝたふとみあへるなも、むかしよりかはらふわさにやも。又聞、みやこひかし山のふもと、賀茂河の辺に鎮もりませるはやすさの男の大神、としのはのみな月には、みそきはらひのかんわさなし奉る、それか出ましの日も、かへりまをしの日も、この郷人ともまゐりつとひて、興かきのよほろをなもつかんまつれる事を。後の宇多のすめらきの大みことのりふみ、代々のみさとつかさの御くたしふみをもおしいたゝきつゝ、此里長か家に神とあかめ奉れりき。内のかしは手のつかさ人高橋の朝臣なも、此鮮らけき物を見あきらめて、たてまたし給へりとそ。

たかはしのあそのこをとりおこなはせたまふゆゑよしは、いにしへ大たらし彦おしろわけのすめらみこと、かたしけなくも、おほんみつから、あつまの国くに見めくらせ給ひし時、上総の国より安房のみなとをわたらせたまふわた中にして、うむきちふ物を獲させたまひし、こゝにかしは手の臣の遠つおや、名は磐鹿の六雁ちふ人、蒲の葉もてたすきとなし、此えものを鰌につくりて、すゝめ奉る、かれむつ雁の臣かいそしきをめてまして、かしは手の大伴部ちふ姓を賜はせし事、やまとふみに挙て、いちしるかりける、しかして後、あめのぬなはらおきの真人のすめらみことの天のしたしろしゝ御代に、かしは手の臣を改めて、高はしの朝臣とたまはせし事、新撰姓氏録にみえて、こもしるかりけり。さるは、この里人等、いまも此あその家に參りつかふまつりぬるを、悦ひ身にあまり、ゑみさかえ立をとりつゝ、かしこみあへるにも、猶おのか子うま児の商の末らにもつたへて、はつせ河ふるかはの辺のふるきあとある事を、野へはふくすのよゝに絶さらしめしとて、こたひあらたなるのりを、おのかともとち、くさ/\さたしおきて、これかはし書しるさまく、此さとに出居つくれる浅田の久春のもとめらるゝに、いとめつらかなるのみかは、おのれ秋成、此くにのこの都におほ父より住つきぬるには、国からのさきはひを悦へるあまり、さと人等か千万代にたえせぬ大みやつかへをつかむまつれる事を、ふることのはし/\に思ひわたれるをもて、つゝしりなりけり。さるは、あたしさと人等のもり聞つたへきゝもして、此郷の幸はひをあふかさらめかも、しぬはさらめかも。よてうたへらく、

  大伴乃三津能蜑人伊満毛迦茂網引釣春類日々乃美川藝耳

                              阮秋成

    ◆西生郡今宮の庄に賜はせしみことのりふみの序

豊葦原千五百秋瑞穂の国は、国ちふ国に安国ならぬはなく、里ちふ里ににきひぬもあらすなも、すめさみかとの御垣の内つ国は、更にもいはし、山人のつまき樵つみはこふ市路、かか啼鷲の巣かく高山の奥まても、いかき大まつりことのゆきたらひめくみたらはし、海つ道住けは、やその奏毎にいほつ宝を浮かへ、いすくはし鯨取る浦しも、民草の家居しけゝく住着て、月日と遠長き大御代の栄ゆく裔を、おのか子うまこにはかりあへつゝ、齢をも歴ぬるには、かしこきつかさ/\の臣達は云へくも非す、五月雨の門田の沢田に早苗採をとめら、駅鈴ゆらくうまや路に馬の口とるをとこらまても、かくれたる心枉れる思ひかねさへなくてそたにしめるには、ひきもとむへくもあらず、まして八十梟師らか立かくるへき林やはある、岩屋やはある。うへしも大政のゆきたはらし、恵み足はしぬるおほむいさをになもありける。虚見つ大和の国は、いにしへ代ゝのすみらみことの宮居鎮もりませしを、をちこちかそへも尽さじ、次嶺経山城の国は、たゝ三度の宮居なから、国つちやふさはしけむ。おほみ心をたっひらの宮とたゝへまして、御代は七十余りの大御代を経たまひ、年は千歳まりの年月をわたらして、下つ岩根動きなく、宮柱ふとしきまして、高天の原に垂椽高しりませしより、今歳天明はしめの年と改めさせたまへるを、猶ちよろつ代の後まても、あへ橘の常世なすすめらみかととことほき奉る事を、鳥か啼あつまの大殿のふとまへを始まつりて、八洲の国ゝしらせます司々の臣達、おのか国つ宝を千〓にさゝけて、千坐のおきくらに置たらはしつゝ、参つかうまつれり。其つかむまつれる御使主の往かひは、赤駒の足掻を早み、朱のそほ船に真械しゝぬき、山の道ゆ、海の道ゆ、飛騨人の墨縄引はへて、朝鳥の群つゝまゐりつかんまつれりけり。おし照難波の国は、おなし御墻の内つ国にして、民草の心も、おのつから宮びかなせりてへと、其いにしへをとむれは、大伴の三津とたゝへて、五百つ舟の舟のつとふ海戸にしもあれは、網引釣する子らか家居しけゝく、武古の海原には、よき日は釣舟共の打乱つゝ、波の上ともなくいさりするも、あはや茅渟湾よりむら雨の降くと見れは、綱手網をさめて漕かへるなも、今も一日おちずいそしかるも、やかてわたつみの奉れる日々の大にへにて、山も河もよりてつかうまつれるすめみまの、大みいつくしみになもありける。そか旧きあとを、械の音のつばらに思ひかへせは、そも/\難波高津の宮に天の下しらせましゝすめらみこと、またみ子とまをして、難波におはしましゝ時、御父ほむたのすめらみこと、河内の国軽島のあきらの宮に神あかりまして後、日嗣の皇子宇治のわきいらつ子と、御位をかたみに譲らせたまふて、高みくら三歳かあひたむなしかりけるに、此なにはの浦人等か奉れる贄つ物を、宇治にこそとて奉(タテ)またし給へは、日嗣のみ子、あれすめらみことにあらすとて、難波にたてまたしめたまへり。こゝに蜑人らか奉れるにへつ物も、いきゝの途に〓れしかは、時の人の諺に、蜑なれやおのか物からもていさつ、となもうたへらく。是そ浪速人の日ゝの大にへを運ひたてまたす旧きあとにして、民草の心の、世ゝに直くいそしかるさかになも有ける、国からになも有ける。宇治のみこみかくれたまひしかは、やかて此難波の宮を大宮と鎮もりまして、高みくらにあまつ日嗣しろしめしゝ、これをなには高津の宮に天の下しろしめす大さゝきのすめらみことゝ、たゝへ奉る。此大み代をなも、ことに聖のおほんいつくしみませりとて、いとも後の世まて、ひたふるに崇めまつりて、仁徳ちふ唐号(カラナ)をも贈奉れりき。此おほんいつくしみの高くたふとき事共は、日本紀(オホヤマトブミ)、古事記(フルコトブミ)等にしるし奉りて、つはらかなるにも、三とせの御調を停めさせ給ひて、民くさら富栄えぬると、江をほり提を築せて、溢るゝ横浪をとほらせしかは、田畠さはに、国形とゝのほりて、今のうつゝにもにきひさかゆくなも、此おほんいつくしみのたかきあまりなりける。さるは、わたつみも河の神も、ひとつ心をやあはせたまふらむ、日ゝのおほんへを、此浦の蜑らして奉らしめたまふ。是そこの国からのさきはひにて、おほみ心をたひらの宮にうつりましても、猶内のみくり屋にまゐりて、鮮らけきくさ/\の物を、よつの時ゝの豊のあかりに奉れるは、延喜の式ちふふみにもしるかりけり。其あま人らかもてはこへるありさまは、大江の岸のおふな/\かつきつれつゝ、しき津の浦のしき波なしてまゐりかよひけらし。今や大まつりことめくみたらはして、国ちふ国に安国ならぬはなく、里ちふさとの賑ふぬもあらてよ、日ゝに栄ゆくまに/\、国のことゝゝ国形とゝのひて、いにしへに非す、里の名も旧きをよへるはいと乏しきを、まして上つ代のかしこきあとの法たかへさらむは、うへすくなかる事にしあるかも。ここに西生の郡今宮の庄は、かみつ代のふるきのりのまゝに、かけまくもかしこき大宮仕へをなせる事、此くぬちには、唯此一さとのみにして、二千あまりのいにしへなす、なほくいそしきさかもて、參りつかうまつれる。其仕んまつれるありさまは、河の神の持こせる物、わたつみのもてさゝくる物、おふな/\かつきもて、しき/\にもてはこふを、御厨屋のつかさ人の見しあきらめて、日ゝのおほんへにそなへまつらしめたまへりけり。さるを、いとくたりての世ゝにしては、いともかしこきあきつ神のおほみ心を、たひらの宮の御墻の内さへ、千はや人らのさやめきて、大庭をくゑはらゝかし、鼓の音は雷(イカツチ)の声と響かせ、旗のなひきは春野を焼火なして、おのかとちとちあらそふはしに、常闇なす世ゝもひさしかりしかは、よろつのゝり事も、おのつからうつろひかはらふまに/\、よさせる事のいともすゑなるはしも、なそいにしへなるやあらむ。此さと人のたてまたす日ゝの御調も、ほと/\絶ぬへかめるを、民くさの心のなほきにかも、国からのさきはひにかも、古き代のあとたかへす、今もあら珠の年の始には、鮮らけきおほんへを〓けもて、昔なす大宮つかへをなもなせりける。かれいさをしもしるく、かけまくもかしこきあつまの大まつろへことに、聞あきらめさせたまひて、年のはの田なつ物をゝさめ奉るあまりなる、くさ/\のおほやけことは、なへて見ゆるさせたまへる事、くぬちに唯此一さとのかしこみになも有けるを、里人等悦ひ身にあまり、ゑみさかえつゝたふとひあへるなも、昔より今にかはらふわさにやもあらん。又聞、みやこ東山の麓、賀茂河の辺にいはひ祭れる速須左の雄の大神、としのはのみな月には、身そきはらひの神わさなしませる、それか出ましの日も、かへりまをしの日も、此さと人らまゐりつとひて、輿かきの丁(ヨボロ)をなもつかうまつれる事、五百とせ余りこなたのかしこまりにて、日ゝの貢におしなへてつかんまつれる事を。

そのかみの大みことのりふみ、世ゝの御くたしふみらを、こゝたおしいたゝきて、此里長か家に神と崇むるなりけり。内のみかしは手のつかさ人高橋の朝臣なも、此あさらけき物を見あきらめて、たてまたしたまへりとそ。高橋のあそのこをとりおこなはせたまふ故よしは、いにしへ大たらし彦おしろわけのすめらみこと、かたしけなくも、おほんみつから、あつまの国ゝ見巡らせたまひし時、上総の国より安房のみなとをわたらせたまふわた中にして、うむぎちふ物を獲させたまひし、こゝにかしは手の臣の遠つおや、名は磐鹿の六雁ちふ人、蒲の葉もてたすきとなし、此えものを鱠につくりて、すゝめ奉る、故六雁の臣かいそしきをめてまして、かしはての大伴部ちふかばねを賜はせし事、やまとふみに挙ていちしるかりけり、しかして後、あめのぬな原瀛の真人のすめらみことのあめの下しろしめしゝ御代に、かしはての臣を改て、高橋の朝臣とたまはせし事、新撰姓氏録に見えて、こもしるかりけり。さるは、此さと人等、今も此あその家にまゐりつかふまつれることを、悦ひ身にあまり、ゑみさかえ立躍つゝ、かしこみあへるにも、猶おのか子うま児の裔の末らにも伝へて、初瀬川旧川のへのふるき例(あと)ある事を、野へはふ葛のよゝに絶さらしめじとて、こたひあらたなる法を、おのかともとち、くさ/\さたしおきてゝ、是かはし書しるさまく、此里に出居造れる浅田の久春の需めらるゝに、いとめつらかなるのみかは、おのれ秋成、此国の此こほりにおほ父より住つきぬるには、国からのさきはひを悦へるあまり、さと人から千万代に絶せぬ大宮仕へをつかんまつれる事を、ふることのはし/\に思ひ残れるをもて、つゝしりなせりけり。さるは、あたし里人等のもり聞つたへきゝもて、此さとの幸はひをあふかさらめかも、しぬばさらめかも。よてうたへらく、

  大伴廼三津乃蜑人今毛迦母網引釣為留日日能御調耳

    ◆『西帰』奥書

加茂のかたぬしの翁か、故さとにまかり申せし道くさのふみなり。ふん屋明田の何かしかさゝけ来て、是そ翁の筆也と人云、見あきらめて、しかるとし書くはへてよと云。よく見れは、あらて、我しつ屋ぬしの家に写とゝめられしなり。都に在てむなしくならせし時、枕にやありけんを、誰とりかくして、かく世には散よろほひけん、むかしおもほえて、涙おとさるゝなへに、よみかへしつゝ見るに、所々たかへりと思ゆるかあるは、あほやけのいとまぬすみて、いとあはたゝしかりけん、おもほゆ。そを今かたはらにしるしつけぬ。猶人よく見かうかへよかし。藤原の宇万伎、静舎は、すむ家のよひ名なりき。

  享和二年しはすのはしめかいしるしぬ

                            上田秋翁[花押]

    ◆『西帰』奥書(異文)

此紀行は、我静屋ねしの筆也。都にてむなすくならせし日、枕に屋置かれ健を誰とりかくして、かく世には散よろほはしけんと思ふも、いとかなしきにそ。せめてむかししのはるゝ心やりにとて、くらき眼を見はたけつゝ、たかへしと写とゝめ侍る。今ははや二めくりはかりにや成haへらむ。浜千鳥の跡はかりなつかしきものはあらねよ。あなしのはし、あなかなし。

 享和二年霜月廿日あまり、ふん屋明田か、加茂の翁のみつからかいするされし草本なりと云、見あきらめてかいくはへてよと、乞来る。見れは、あらて、師か写とゝめられしなりよ云事を、彼巻の末にかいつけてあたへぬ。是はこゝにしはしとゝまりてあるほよに、うつせし也。いと長ゝしき事を、たゝ問に、五日かほとにいとあはたゝしかりしかは、筆はあさなしう立よろほひてなん。

                        六十九翁無腸書

   ◆『絵入女誡服膺』後序

道に法あり。法に教あり。さとすといましむはをしへのえだ葉なり。これをきゝ知りて守るは。をみなのをみなしき也。おもてには秋の葉の色ににほひ。なよ竹のなよびてあらんにも。うらには松かしはのかたきみさをゝたてよかし。いにしへにほまれる中にも。親をとこのかなしき世にしたがひて。刃にふし水に入したぐひは。をみなにして男心したる。されどいかにせん。身さいはひなきが。ついのためしどもを。常に心におくべきもあらずと思ふを。春の野に。老がつみつる。こと草の。地理にぞ荒場。道に捨てよかしと云。文化二年二月。需めのまゝにしるしぬ

                            七十二翁餘斎

                                間斎書

    ◆介中拙斎国手追悼之叙

今はや、くすしの道は、世挙るて黄岐を学ふてへとも、かしこくも少彦名の神のくしきみ心をしもつかさるは、是医師のえらひにあらず。其神のくしき御こゝろてふは、うつせみの人の、もろ/\の病をのみ、大直日の見なほさせたまへるやは、くぬちにあらふまかつみの、大直日の見なほさせたまへるやは、くぬちにあらふるまかつみの、まかことにましこれる罪科、はふ虫、高つ鳥のわさはひをまて、級戸の風なす吹やらはせたまふなん、いとたときとも貴き御こゝろなりける。こゝに介中の翁は、黄岐のみわさをしもうまくあきらめて、うつし身の人の病を、しなとの風なす吹やらひぬるあまりに、くしきみ心をしもつき得て、御国魂ふとしきますら雄心なむおはして、疎きをしたしひ、まつしきを恵めるさかのまにまに、事おこなはせしかは、うからやからはさらにもいはし、大伴の久米部かおへる友垣のかきり、或は物まなひくしきわさうけつける人らまで、此恵み見たるそ、ここら多かりける。慈歳ひとゝせの手むけわさを、くしきわさつきませる野村遜志そ、まめ心おほしたゝれける。其手向まつれるくさはひは、翁をしのふ人の疎きしたしきかきりか、なけきのこゑの、からやまとのまめ言ともを、かきつめてさゝけまつれるに、是かはし書へき事をもとめたまへりき。おきな世にいましける日は、しば/\いきかひて、かやかくと相かたらひしかは、黄岐のわさのなほならさりしをもしり、かねては、御国魂ふとしきますら雄になんおはせしをさへ、見きゝし物故、此端に書著はして、野むらのもとめにむくひ、且は、翁とひさしき契りをもわすれぬまゝに、あなかしこ、此ことを述るものそ。

   ◆瑚〓尼筆『ゆきかひ』識語

此冊子は、加茂の真淵翁の、弁の君と云もとへ、時々言かよはせしふみともをあつめて、彼君のかいとゝめおきし也。なき尼か若かりし時、かりて写せしみそかわさなれは、世に散よろほひなん事のほいならしとて、さきの二巻のたくひに、御もとに収めさせたまはん事をねき奉る。あなかしこ。

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