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吉野物語

              第二十一条

高橋の朝臣(あそん)手力(タヂカラ)、盗賊を許して我役(ヱダス)及(および)氏姓を譲(ゆず)り、高橋連(むらじ)足柄と名告(なのら)しむ。并(ならびに)盗賊をゐて碓日にこもる。

高橋の朝臣手力は、守部(モリベ)どもを集(あつ)め、俊雄(トシオ)・真鮪(マシビ)の二人をひかせ、並(ナミ)を調(とゝの)へて神田部をさして帰る。

夜もはや明行に、継松(タイまつ)を消させ、「まづ、二人の罪人(ツミビト)を囚(ヒトヤ)に下(くだ)し、厳しく繋(つな)げ」と云(い)ひしめし、守部等を家々にかへし、己は供人のみをつれて、神田部の訟所(ウタヘドコロ)に入(い)り、守にしか%\の旨を申し、「尚(ナヲ)此上(このうへ)、二人(ふたり)の罪人をも責問(せめと)ひ、其分目(わけめ)を[明し]さむらはん」と聞ゆるに、神田部の守つばらにきこし、かれ二人(ふたり)がゆゑもなく訟(うた)へ出る心を怪(あや)しみ給(たま)へり。

手力、守のみまへを退(しぞ)き、休み所に入(い)らんとする時、訟(うたへ)の庭騒(さはが)しくなりて、「相模の国の民等、山篭りの盗人を捕らへ*来たれり」と申す。

手力昨夜(よべ)の装束(シツヒ)ながら、訟所に出て、速(とみ)に其事を聞(きゝ)、其者を見んとす。

民等三十人(みそたり)あまり、太(フト)くなひたるゆはひ縄にて、かの盗人をしめて、其縄をとらへながら、ほど/\に引立られて中[の]門より入来たるに、*刀祢(トネ)だつ者三人四人(みたりよたり)、先(さき)ざまにはひ出て、申て曰(いはく)、「僕等(ヤツガレラ)は相模のくに足柄山の麓(ふもと)に住む瓜作(うりつく)りにてさふらふ。

夏にもなれば、さる業にいとまなくさふらへども、冬さり春かけては*(ハタヘ・ムギハタ)暇(いとま)ある比なれば、唯所につけて猟(さち)の業(わざ)を仕(つかまつ)り、世の*わたらひを致しぬるまゝ、今年はわきて春の雪*非時(ときじく)に降(フリ)つめば、毛の麁(あら)き猪等も、毛の和(ナゴ)き兎等も、多くは穴に篭(こも)り空木(ウツボギ)に隠れて侍るまゝに、山に接(まじり)て猟(さち)しありき候ふ。

さるは一昨日(をとつひ)の朝猟(あさかり)に、得物(えもの)もなくて侍るに、足柄山の御坂(みさか)の此方(こなた)、隠(こも)りが原と申林に入りて、をちこち猟(さち)しありきて候ふに、跡見(とみ)の者ひとつの空木(うつぼぎ)を見出て、『こゝに[は]*鼠(ムサゝビ)・狢(ムジナ)などこそをらめ。

いで来よ』とをらびてさふらふまゝ、皆人走りつどひて、空(うつぼぎ)の中を猟出して侍るに、さる物はあらで、是なる盗人(ぬすびと)めが猪の皮をかうぶり、雪に負(ま)けてこもり居(をり)しを、『盗人(ぬすびと)ぞあれ』とをらぶをきゝて、此者、空木(うつぼぎ)を踊(をど)り出(いで)、前なるも、後なる我/\をも、向(むか)ふざまに握(にぎ)り打(うち)、手に投(なげ)、足(あし)に踏(ふみ)ちらし、其(そ)がうへに、『いとうゑたり』と申かけ、我等がもたる朝食(アサゲ)の餅(もちひ)をもうばひ取り、其(そ)がうへに、『まだ寒かりつる』といひて、我等が着たる衣をもはぎとり、破れたるをば投(なげ)うち、少しも迷はざるをば、撰取(ゑりど)りに取(と)りて、あの如く着重(かさ)ね、人をば事ともせずふるまひて、真木(まき)通りに過(すぎ)候(さふらふ)まゝ、余(あま)りにくゝおもひ、又寄(よ)りつどひ候(さむら)へども、中/\力雄(チカラヲ)にて候(さうらふ)うへ、太刀はきて居(をり)候(さむら)へば、しひてもとらへがたく、『さるにてもいづこに行ぞ』と、遠目(とをめ)に見とりて候へば、村口(むらくち)なる酒屋に立入(たちい)り、価(あたひ)もせず、三升斗(みますばかり)の酒を貪(むさぼ)り候(さふらふ)ゆへ、其酒屋の主(あるじ)、則(すなはち)是に候(さむら)ふ股六(マタムツ)がおもへるは、「此盗人(ぬすびと)めは力雄(ちからを)に見ゆれば、謀(たばか)るにしかじ」と、三升(みます)が上に二升(ふたます)ばかりの酒をもり、呑(のみ)にのませ、酔(ゑひ)に酔(ゑ)はせ、やまだのおろちなすたふれさせて、[さて]おのれらを呼(よ)びて候(さふらふ)に、人みな走りつどひ、よく夢見て候(さふらふ)所を、しかゆはひとめて馬に打のせ、めしつれて候(さふらふ)に、一日二夜(ひとひふたよ)はよくねいりて事をわかず。

御訟所(おんうたへどころ)近(ちか)くなりて、先(さき)つ方(かた)やう/\に目さめ、「こは何するぞ」とたけび出(いだ)し、ゆはひ縄(なは)をも引切るべく、馬をものりひしぐべく立ちあれて候へども、よくしめて候ふ故に、先(まづ)事なくつれ来たり。

馬より打落(おと)し、いたくおさへなどし、かく御庭までは参りて候(さふらふ)。

御光(ヒカリ)をもてねぎらひ給はゞ、此囚徒(トラヘド)の外、悪(しこ)の[盗]人多(さは)にはべらむ。

ひとへに御勢(いきほ)ひをもてとらはせ給へ」と、落(おち)なく訟(うたへ)終(を)はり、尻高(シリタカ)にをがみ伏し、「足柄山の民等(たみら)一並(ひとなみ)にうたへ奉る」と申す。

高橋の連、つばらに聞終り、「足柄の猟男等(サツヲら)よくしたり。

村口の酒屋の何六(ナニムツ)とやらん、よくはかりたり」と称(タゝ)へ終り、つら/\盗人の面(おもて)よりはじめ、其ありさまを打見(うちみ)、頤(ヲトガヒ)を襟(ヱリ)に引入(ひきい)れ、或は頭(かしら)を横(よこ)ざまにし、口びるを合せ、鼻(はな)より息つぎ、しばらく物いわず。

とばかり考へをわるさまにて、「いかに山ごもりの盗(ぬす)人。

[名]はいかに申なり」ととふに、盗人尚(なを)面を高くし、声をふり出して曰、「此神田部の訟所(うたへどころ)に、臀(ヒヂ)はりておわする人の、などや問ひ事の稚(ヲサナ)びたる。

我たとへ名を告(の)らんも、実の名に侍(はべ)らんや」とてほゝ笑(ゑ)む。

手力(たぢから)も打笑(うちゑ)みつゝ、「此訟所(うたへどころ)に事をおさめて侍るおのれ、今汝が名を問(と)ふにいたりて、はやく汝が名も、また住所(すみどころ)もつばらにしれり。

今汝が申(まうす)如く実の名を告(ノ)らずんば、何ぞ他国(ヒトクニ)の声風俗(コハブリ)をもて我を欺かざる。

汝はそれ、大和(やまと)の国の声風俗(こはぶり)也。

我はやくこゝをしれば、大和一国を問(と)ひ尽(つく)さんに、いづれの人とふ事はなをに知(し)り得(う)べし。

こゝをもて我はやくしれりといへり。

*よしゑやし雪に苦しみ、かつうゑかつ寒きめを見て、空木(うつぼぎ)にかくれたるを、民等とらへ来たればこそ、囚(ヒト)やに入れられ朝夕を安んずるならずや」といひ終(をは)り、猟人に向ひて、「彼が罪は唯食(ケ)をむさぼり、衣をはぎて着たるのみか。

けだしや、人に疵(きづ)おふせたるか」。

民等うけ給はりて、「唯それのみ也(なり)。

人をあやまちたる罪は侍らず」と申す。

また酒屋の主に向(むか)ひて、「彼が罪は酒をむさぼりくらひたるのみか」。

股六(マタムツ)うけ給(たま)はりて、「いかにも三升(みます)の酒を貪(むさぼ)りたるのみなり。

外に二升(ふたます)の酒は、やつがれが心にて呑ませたるなり。

それも一升(ひとます)あまりは喰(く)らひて、小升七ツ斗(ばかり)は呑あまして候(さふらふ)」と申す。

手力つばらにきゝ*をはり、銭十貫(トツラ)あまりをとうでさせて、物算(ものよ)む役人(えだすびと)を召(め)し出(いだ)し、彼が奪(うば)ひたる衣(ころも)の代(て)にあつる銭いくつ、また業(ナリ)をさしおきて、是まで引来たる代(テ)*いくつ、亦足柄に帰るべき借代(カリテ)ども、また酒代(さかで)などもよく算立(ヨマセタテ)、そがうへに、たゝへ物として、白銀(しろがね)などをも授(サヅケ)、民等を退出(まかで)さす。

さて、「此盗人は、己(おのれ)が家にてひそかに責問(せめと)ふべき旨(むね)あり」といひのゝしりて、守にも其よしを聞え上て、守部等に引立(ひきたて)させて、共(とも)にゐて家に帰(かへ)るに、守部等を帰(かへ)し、家人等(いゑびとら)に引入(ひきいれ)させて、門をさしかため、戸をふさぎ、人をしぞけ、手(て)づからゆはひ縄を切(きり)ほどきて、「いと危(あや)うかりつる。

しばらく苦(くる)しめられ給ひつる[よ]」といひて、懐(ふところ)より一ツの文(ふみ)を出し、「此程(このほど)白猪(シライ)の老父(ヲヂ)よりひそかに間使(マヅカヒ)を立(たて)て申(まうし)こし給へるは、『巨勢(コセ)の長谷(ハツセ)、武蔵の国をさして下(くだ)り侍るに、御家にむけて参るべし。

事は彼に聞えつ』とのみなり。

さておのれ月日をよみて待(まつ)時なりし。

いまだ面(おも)*しらざれど、そここそは長谷(はつせ)にておはさめ。

いかにしてかゝる御有様(ありさま)なりし」と問(ト)ふ。

恥(ハヂ)にはぢ、先(まづ)あやまりを聞えをわりて曰く、「いかにも猟人等(サチビトら)が申(まうす)に違はず。

やつがれ真熊野(まくまの)の山路(やまぢ)より、人々に別れ参(まゐ)らせ、吾友なる巨勢(こせ)の猟野(カリノ)が空しき跡をとむらひ、そより古里(ふるさと)に行(い)きて、彼(かれ)が妻子にも、しか%\のよしを告(ツゲ)、また朝夕のかての事(こと)など物しおき、なをに伊吹山に*まいり候(さむら)ふに、かしこにても祖(ヲミ)の王(オホキミ)の御けしきをも給(たま)はりぬ。

扨(さて)、そこに侍りし間、いかばかりの御役(ヱダス)をもかふぶり奉らんと請のみて候(サブラ)ふに、白猪(しらい)の老父(をぢ)うけひかせ給ひ、「さらば武蔵(むさし)の国に往(イキ)て、手力(たぢから)を助け奉れ。

此手力と申(まうす)は、高市(タケチの)連(ムラジ)が孫にて、高市(たけち)の連高人(たかと)と申せしを、高島の戦(たゝかい)破(やぶ)れて此山に参り給ひて後、氏姓(ウヂカバネ)をもかへて、今は高橋の朝臣手力と告(の)り、武蔵の国にては神田部の守の解部(ときべ)となりて事をはかりおはするよしなり。

汝参りて、君達つゝがなくおはするむねを、手力の主に語(かた)れ』と、ねもごろにのたまひつる。

やつがれは、道を東路(あづまぢ)にとりて下り候(さむら)ふに、足柄のかなたにて、ゆくりなく盗人に出合(いであ)ひ、白猪(しらい)の老父(をじ)の給(たま)はりし金(こがね)をも奪はれ、借代(カリテ)もなくなりにたるに、からうじて*美坂(みさか)を越(こ)へ、あまりにうゑて侍る上(うへ)に、雪高くふりて歩(あゆ)みかね侍るまゝ、いかにぞせんとおもひてたゝずみ侍る時、猟矢(サツヤ)おひたる猪(しゝ)のまむかひにうだき来て、我をくはんとするを、太刀をけがさんも口おしくおもひつれば、握(ニギ)り打(うち)て打(う)ち殺し、皮を*さかはぎにはぎかけ、血を*すひ、肉(しゝ)を喰(く)らひてうゑを凌(しの)ぎ、皮は衣のうへにとりかけて、日も早(はや)くるゝに、よき空木(うつぼぎ)を見出て、其内(そのうち)にかゞまり臥し、いとつかれ侍る故にや、夜の明(あけ)しもしらでうまひしつるを、猟男等(さつをら)に見出されて、かゝる事に及べり。

そはさる事なれども、酒屋に立入りて、心得(こころゑ)もなきふるまひつかふまつりて侍るは、言(こと)わきてきこへ奉るべき故も侍べらず。

面を伏て候(さふらふ)也(なり)」といふに、手力(たぢから)聞終(きゝを)わりて、「こはそもあるべき事なり。

扨(さて)、おのれ神田部の解部(ときべ)となりて侍るより、あまねく恵(めぐみ)を加へ、多くの人を言向(ことむけ)て侍る。

尚(なほ)そこのおはしたるに、二人(ふたり)してはからふべき旨あり。

先(まづ)此ほど塩焼(しほやき)の王(おほきみ)ならびに不破内親王(フハノヒメミコ)を、ゆくりなく救(すく)ひ奉りしにつきて、弓屋の俊雄(トシオ)・人置(ヒトヲキ)の真鮪(マシビ)といふ二人(ふたり)の者を囚(ヒトヤ)の中につなぎ置(お)きぬ。

俊雄は家富(とみ)たる者なれば、彼が家よりいかばかりの金をも取(と)るべきなり。

事(こと)はしか%\なり。

また神田部の守をあざむきて多くの馬を盗まんことはしか%\なり。

汝我(わが)計(はか)りのまに/\したがふべし。

」と、始(はじ)め終(をは)りを語(かた)るに、長谷(はつせ)涙を落して手力が深き謀(はかりごと)をめでける。

手力、家人(イヘビト)を呼(よ)び、門をも戸をも開(ひら)かせ、「公(オホヤケ)の事にかゝりて、今日はまだ朝食(あさげ)をもたうべず。

そこにもうへ給(たま)ひつらん物を」とて、よき魚をつくらせ、食(け)をくひ、「酒をば過し給ひそ」などいひてしひず。

さて*(く)ひ終(をは)りて、長谷(はつせ)は我家にやすませ、おのれは馬にのり、矛(テボコ)を持たせて、訟所(うたへどころ)にのぼり、神田部の守に申(まうし)て曰く、「今朝なん足柄の民等が引(ひき)参る囚徒(トラヘド)は盗人(ぬすびと)にも侍らず。

おのれ先(さき)つ比(ころ)、毛の国信野(しなの)の方にうかゞひ人をしたて、国がら人がらをも察(み)させおきつる。

探目(サクメ)の目角(マカド)と申(まうす)者の弟(おとゝ)にて、同じく足疾(アシト)と名告(ノリ)候(さふらふ)者なり。

兄なる者、毛の国よりしなのゝ方にひそまり居て、かく見とめて候(さふらふ)に、碓日(うすひ)の山に盗(ぬす)人の住(すむ)所ありて、宝を盗(ぬす)むのみか、馬さへ盗み出しさむらふ。

こは盗人(ぬすびと)のみならず、徒(ト)をあつめて事をし出すべき者どもなり。

此手力に姿をかへ名をかへ、唯ひとり其辺(あた)りに罷(まか)りくだりて察(ミ)[させ]よと申つかひを、異人(コトヒト)にもなさせがたく、尚(なを)文(ふみ)などにては心ゆかずとおもひ、則(すなはち)弟の足疾(アシト)に申付(まうしつ)けて、信野(しなの)より甲斐の国をとほらせ、足柄山のあたりをも見とめて、神田部へ参れと申付(まうしつ)けておこしぬるを、美坂のあたりにて、盗(ぬすびと)人に借代(かりて)どもを奪(うば)はれ、いひにうゑて雪にまけて猟矢(さつや)負(お)ひたる猪を手打にし、その肉(シゝ)をくらひ、其皮(かは)を着(き)て、空木(うつぼぎ)の内に夜を明して候(さむら)ふを、猟男等(さつをら)が見出てとりさわぎ、めしとりて参りつるなり。

おのれ彼が面(おもて)は見しりさふらはねども、大方(おほかた)に思(おも)ひはかりて候(さふらふ)まゝ、我家(わぎへ)につれ行き、人をしぞけ、みそかにとひてさむらふに、思(おも)ひはかりしに違(たが)はず、しかある者也。

さる上(うへ)は、おのれ時をまたで毛の国に罷(まか)り下(くだ)るべし。

扨(さて)おもふ旨あれば、則(すなはち)足疾(あしと)にやつがれが氏姓(うじかばね)[を]ゆづり、御役(ゑだす)をもつかふまつらせん。

力(ちから)は仇(あだ)見(み)たる猪(しゝ)をも手打にし、弓取(と)るわざ矛(テボコ)つくわざをもよく心得て候(さむら)ふ者なれば、やつがれにまさりて御役(おんゑだす)をつかふまつるべき人にてさふらふ。

やつがれはなほしのびとゝなりて、国々を察(み)さすべし」と申すに、守つばらに聞(きき)とり給ひて、「汝が思(おも)ひはかりしまゝに違(たが)はずは、猶(なほ)異事(ことごと)も違(たが)ひあらじ。

しかすべし」とうけひき給ふに、手力まかりしぞき、おのれが同じ役に侍る人々へもさる旨を云(い)ひきかせて、家に帰(かへ)り、病にかこちて御役(おんゑだす)を異人(ことひと)にゆづり侍るよしを、願(ねがひ)文に認(したゝ)めて奉り、巨勢(こせ)の長谷を高橋の朝臣足柄と告らせ、よそひきらゝにかいつくろはせて、役所(ヱダス)にまうでさす。

神田部[の]守、尚(なほ)其人柄(がら)のをゝしきをめで給ひて、「手力がまに/\御役つかふまつれ」となん仰出(おほせいだ)されけるに、手力は、「思(おも)ふばかりにあざむきたりし」と心の内(うち)に悦(よろこ)び、さて足柄に此後の謀(はかりこと)をいひ合(あ)わせ、おのれは太刀をもはかず、唯短刀(ヒモカタナ)一ふりを懐(ふところ)にし、足結(あゆ)ひをゆひ笠をかうぶりたるまゝにて、毛の国をさして下る。

  さてからす川を渡(わた)るに、彼方の道より馬二ツを牽(ヒキ)て、此方ざまに来る人あり。

手力を見(み)て目くはせたるに、手力また目くはせて、供にゐて、坂本(もと)のうまやを過て、碓日(うすひ)の坂路(さかぢ)にかゝれば、多くの人出来(いでき)りて、手力を大将と称(タゝ)へ、いやまひかしづきて峠(たうげ)に登(のぼ)る。

これらの人いづらの人ぞ。

後々の巻(まき)をよみて得しらん。

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          第廿二条

高橋の朝臣足柄、俊雄が罪を許す。并(ならびに)兵(ツハモノ)をゐて碓日にむかふ。

高橋の連足柄は、訟所(うたへどころ)の役(ヱダス)をかうぶり、物を定(さだ)め、故(ゆゑ)をねぎろふに、其すみやかなる事は、たとへば五百箇(イヲツ)の爪櫛(つまぐし)をもて、朝髪(あさかみ)のみだれを解(とく)がごとく、八峯(ヤツチ)の嵐をもて、夕霧(ゆふぎり)の迷(マヨ)ひを吹はらふごとくなりしかば、訟(ウタヘ)出(いづ)る者どもゝ、たゞいける神也とたゝへ、守も、「いとよき正男(マスラヲ)を得(ゑ)つ」とめで給ひぬ。

俊雄等は、しるしなき筋をうたへ奉りし咎(とが)によりて、きびしく囚(ヒトヤ)につながれたるに、もとより、真鮪(ましび)は家(いへ)貧しければ、氏族(ウカラ)どもゝせむすべなくおもひをれど、俊雄が方はとみさかへたれば、囚(ひとや)の内のたべものよりはじめて、朝夕の衣、夜(よる)の物までも、おもふまに/\つくりしたてゝ、囚(ひとや)のうちに送(をく)らんとすれども、囚守等(ヒトヤモリら)かたくうけひかず。

食(け)は黒くし、衣は尚うすくし、席(ムシロ)はいとせまくして苦しめければ、俊雄今はたへがたき心持(コゝチ)し、金(コガネ)のあるかぎりをつくし、宝のもたるかぎりをうしなひても、囚守等(ひとやもりら)をなだめよ。

尚(なほ)ほつする役人(ゑだすびと)には、こふがまに/\幣(まひ)して、ひと時もはやく此苦しみをすくひてよ」と、小(チヒ)さき木(き)の切に爪(つめ)もてさる事をほりしたゝめて、みそかに立ふるまふ乞食等(かたいら)を頼み、家人に申遣(まうしつかはし)しけるに、「さも侍らんに」とて、先(まづ)金(こがね)おさめたる蔵をひらき、人目(ひとめ)にはそれと見ゆまじくつゝみかため、唯小石(こいし)などを礫(ツブテ)にうちすつるごとく、かのつゝめる金(こがね)を役人(ゑだすびと)のたもとにうちこみ、囚守(ひとやもり)がふところになげうち、乞食(かたゐ)までもしかしければ、色よくうごき出て、何事もしらぬ顔(かほ)に振(ふる)まひければ、唯一時(ひととき)に打(うち)かはりて、我(わが)家にほこり居(をる)さまになんなり行(いく)に、俊雄ひとりが光をもて、野伏・山伏ざまの囚徒等(とらへどら)も俄(にはか)にこえふとり、たちまちにあたゝまり出るに、囚徒(ひとやもり)・乞食等(かたゐら)などは富(トメ)る長(ヲサ)となりて、「よき囚徒(とらへど)かな」とぞかしづきける。

されど召出(めしいだ)して事を責問(セメトヒ)給ふ事もあらず。

かくてのみ日を歴(ふ)るに、中/\にうゑこゞへてくるしく、つながれたる時よりも、かくほこり出て後は、さばかりの醜女(シコメ)どもをこひわび、まして花木(はなき)がみやびなりしもおもひ出(いで)、花(はな)咲(さき)いづる春のけしきをいかにして見あるかんなどゝおもひつくまゝ、今は一時(ひととき)もかくてはありがたくおもふに、またさるみそか事を書(かき)しるし、家人等に送りて、「今は千万(チヨロヅ)の金を費(ツイヤ)しても、訟所(うたへどころ)の解部達(ときべたち)を和(なご)し奉れ」といひ遣(や)りたるに、家人等、氏族(うからびと)をまねき、「是はことわりにこそあなれ。

まづときめき給(たまふ)足柄の君をば、いかにして和(なご)し奉らん」と、とり%\いひはからふに、そが中にひとり、「おもひ得たる事の侍り。

今、世に名(な)だゝる風男(かざヲ)の大人(ウシ)は、俳人(ワサビト)の中(なか)の大人(うし)也。

是を呼(よび)て、さるはからひ事を頼まん」といふに、みな人、「しからん」といひて、俄(にはか)に風男(かざを)の大人(うし)をまねくに、とみにきたる。

まづ上座(かみくら)にすへて、「是、大人(うし)/\、しか%\のはからひを頼み奉る」とて、背中(セナカ)をたゝけば、かゝる事にはよく馴(なれ)たる男なれば、「いと安し。

何ぞあらん」とて、うなづく。

氏族(うから)どもは、あまりに風男(かざを)がはやぶるを心もとながりて、「其方便(てだて)はいかに」ととへば、風男(かざを)打笑(うちわら)ひて、「世に碁(ご)うちてかならずかたんとうけひく者に、『はじめをはりをいかにならべて勝(かち)たまはんや』と問ふとも、『しか打(うち)つぎてかたん』といふ者やあるべき。

勝(かつ)事はかならずかたんも、其方便(てだて)は時にのぞみてこそあらめ。

昔、明日香(あすか)岡本(をかもと)の宮(みや)の大御代(オホミヨ)に《皇極天皇》、鎌子連(ムラジ)、入鹿(いるか)をうたんとはかり給へども、入鹿常におはせる剣をとかず。

しかるに、吾(わが)遠祖(とをつおや)なる俳人(ワザビト)の雲男(クモヲ)をまねき、鎌子たのみ給ふをもて、雲男入鹿(いるか)の前に出て、吾家(わがいへ)の方便(て)をふるまひたるに、入鹿打笑(うちわら)ひて劔をとく。

扨(さて)こそおもふまゝに討(うち)ほろぼし給へり。

是らもはじめより、其方便を『いかに』とはとひ給はず。

氏族達(うからたち)こゝろへ給ふや」といふに、みな人うけひきて、「さらば、まかせ奉る。

よくおほせ給はゞ、宝はのぞみたまふまゝになん。

なをその幣(マヒ)の事は、万(よろづ)の金(こがね)を費(ツイヤ)すべし」と、頼みきこゆる旨(むね)を紙(かみ)にしたゝめ、おのれ/\が印(ヲシテ)をとうで、「少しもたがひあらじ」と書(かき)おはるに、風男是をうけとり、「いと安く仕(つか)ふまつらん」といひて別れぬ。

扨後(さてのち)、風男(かざを)は猟人(さちびと)にいひて、狼(おほかみ)の皮(かは)をうつはぎにしたるを得、これをふところに巻(まき)かくして、日毎(ひごと)にちまたにたち居て、足柄に行(いき)あはん事をはかりける。

ある夕部(ゆふべ)、足柄訟所(うたへどころ)をまかりて家にかへるに、馬に打(うち)のりて過(すぐ)るを、時こそきたれと、風男行過(ゆきすぐ)るさまに見せ、近くいより、かの尾先を袖よりとり出して、馬のしりえたにふりあてたるに、もとより狼(おほかみ)の臭(カザ)は、馬いたくおそれしかば、俄(にはか)にいなゝきてはねあがるに、風男は左の足をいたく踏(ふま)れて、うつぶけにたふれながら、声はいと高くして

足柄山にかゝりぬるかな

と唱(とな)へけり。

高橋は鞍(くら)をのりかため、あぶみをふみしめ、手縄をひかへてのりしづめんとす。

馬は鼻を吹ならし、眼(め)をあかくし、むねをおしはり、面高(オモダカ)に口をあきて、前足(まゑえだ)を高くとり、後足(しりえだ)をばひろく踏(フミ)、走(ハセ)出(いで)んとすれども、供人口を押へとめて遣(や)らず。

足柄かへり見て曰、「渠(カレ)はいづこの人ぞ。

名はいかに告(の)り給ふ」と問ふに、風男細声(ほそごゑ)にして、「あないたや、あないた。

かゝる中に名をとひ給ふは、いづらの人ぞ。

おのれは風男といふ俳人(わざびと)なり。

」と聞ゆるに、足柄とりあへず

風ならばよくべき物を雲とゐて

と、本(もと)の句(ツガヒ)をいひつぎければ、風男耳をかたぶけて、「あなおもしろや、おもしろ。

かゝることを聞ては、此馬もにくからず。

よき風流人(ミヤビゝト)ぞあれ」とて立(たち)あがるに、立(たち)得ず。

「あないたや、/\」とてふし居るに、足柄つら/\と彼(かれ)がありさまを見とめ、何おもひけん、馬よりおり来(きた)り、近くより、風男にいひて曰、「我は高橋の連足柄といふ神田部の解部(ときべ)にてさぶらふ。

唯今(ただいま)己(オノレ)がのりて侍る馬の足にかけてあやまちまいらせしは、ゆくりなしといへど、即(すなはち)我が馬にて人をあやまてるは、我おはせる劔(つるぎ)にて人をそこなひたるに同じ。

おのれいかばかりの料(ヲヒ)ものを奉りても、御ことわりをきこえざらんや。

先我(わが)家にゐて参らん」といひて、風男をいだきあげさせて馬にのせ、我は矛(テボコ)のみをもたせてあゆみ行(いく)に、家にかへりては、三重畳(みへだゝみ)をしかせて風男をふさせ、海のもの・山の物をあつめて、あるじぶりし、酒をもり、薬をとゝのへ、落(おち)なくいたわり聞え、さて、かたはら人なき時に、足柄風男にむかひて、「かくみあへつかふまつるは、おのれがあやまちをあがなひ奉る也。

此うへに、いかばかりの御望(のぞみ)事をうけ給はる共、黙(モダ)し奉らじ。

御心のうはべなく、何事にまれうけ給はらん」といへば、風男畳(たゝみ)をくだり、礼をなして曰、「御心厚くきこへ給はるによりて、申出(まうしいで)てたのみ奉り度(たき)旨(むね)あり。

うけひかせ給はんや」。

足柄聞て、「たゞ今申せしごとく、正男(マスラヲ)の一言(ひとこと)は一言主(ひとことぬし)の御神(おんかみ)よりも正(マサ)しかるべし。

何事にまれうけひき奉るべし」といへば、風男、「此うへは何かつゝみ侍らん。

やつがれは弓やの俊雄がいとこにて侍(さむ)ら[は]ん。

俊雄はいとおぞきうまれにて、中/\心より何事も仕(つか)ふまつり出べきにしもあらぬを、人置(ヒトヲキ)の真鮪(マシビ)がおのれが致す事をいたさんとて、俊雄をそゝのかし、しるしなき筋を訟(うた)へ奉り、かへりて御いましめをかうぶり奉り、きびしく囚(ヒトヤ)をつながせ給ふをくるしみ、今は命もたもつべくおぼへ侍らぬに、君ひとりの御心をもて、守のみまへをいかばかりにも御とりなしあらば、俊雄のみか、彼が妻、おのれらごとき氏族(うから)どもゝ、長く御めぐみはわすれやる時も侍らじ。

又御いやには、家の宝をかきはらひ[ても]奉るべし」といふにぞ、足柄、「さては、我おもひはかれるごとく、亦(また)手力ののたまひをしへ給ひし旨なり」と心におもへど、色にはいださず。

「御頼の筋は、我(わが)料(おひ)物とおもひて、いかばかりもはからひ侍らん。

しかれども、是はおのれらが役のうへには、たやすくつかふまつりがたき旨(むね)なり。

されど、わりなき事にあたりぬれば、いかにもうけひくべき[が]、『筋なく俊雄をゆるしたるは、足柄が私のはからひなりし』と、時の人いひさわがば、定ておのれは罪をおいて、いづこへかおひやられ侍らんに、さる時[は]立所(タチド)にもまよひ侍らん間、いだすまじき筋なれども、その事の末のはかりに、金(コガネ)ならば万の数をそろへて我にあたへたまへ。

その金を見て後、身のほろぶるにかへて、俊雄がうへははかり侍らん」といふに、風男大(おほい)に*喜(ヨロコビ)び、さは何かあらん。

只今其金はもたせ参らん。

今は足だにかろ%\となりて侍る」といふ/\、走り行て、走かへり、金(コガネ)万(ヨロヅ)を車につませ、夜なればしのびやかにとて、裏の門よりひき入れさす。

足柄、みづから其金をとりて蔵におさめ、「いと安くおぼせ。

明日なん事を定め侍らん」といひて、風男をかへし、夜(よ)明(あけ)もて行に、とく訟所(うたへどころ)にのぼり、守に申(まうし)て曰、「親なる手力、申付(まうしつけ)置(おき)て候(さふらふ)は、『俊雄が罪は、唯うたへ所をさはがし奉りたるのみなり。

真鮪(ましび)が罪は、俊雄をそゝのかし、金などいだしたる筋もくはゝれば、御とがめはしか%\のさまにつかふまつりをさめよ』と申(まうし)つ。

さる旨は、俊雄はきたなき生れにて候(さふらふ)うへに、妻なるものねたみふかく、かたへにさむらはす醜女(シコメ)どもにあきて、真鮪(ましび)がはからふにまかせ、色よき妾(をんなめ)をこもり妻にして侍るに、かの妾、俊雄をうとみ、さま%\つかふまつりがたき事を申(まうし)かけ、一夜だに添(そひ)ぶしをのがれんと仕(つかまつ)りたるを、真鮪(ましび)もうけひきたる事あれば、せんすべなく、俊雄をすゝめ、しるしなき事を申立て、訟所(うたへどころ)を騒(サハ)がし侍る也。

扨(さて)、其妾(をんなめ)は、しのびづまのきたりて、雪ふる夜半のまぎれに、いづこへか逃(にげ)さりてさふらふとおぼへ侍り。

暫(しばら)く囚(ひとや)にくだしてくるしめ侍るうへは、事なく御ゆるしをかうむらしむべし」と申に、守、「誠にしかなり。

さらば掟(オキテ)の如くしてゆるしやらん」との給ふに、足柄、訟所(うたへどころ)に出(いで)、囚守(ひとやもり)をめし出し、「俊雄・真鮪ふたりの囚徒を引きたれ。

并(ならびに)氏族ども[に]『金三百枚(ミホヒラ)をもち出よ』と申付(まうしつけ)よ」といふに、やがて守部(もりべ)ども前後(まへうしろ)をかこみて、其ふたりをひきいだす。

ふたりは、いかなる御咎にかあはんとおもへるさまにて、胸(むね)をば蛙(かはづ)のごとくにうごかし、目は魚のごとくにきらめかし、訟(うたへ)の庭にかしこみ居たり。

さて解部(ときべ)・守部(もりべ)、掟のまゝに並居(なみゐ)、まづ俊雄ひとりを引出(ひきいだ)して、仰文(オホセブミ)をよむ。

其文に曰、弓屋俊雄、私のいきどほりをもて、しるしなき事を申立、訟所を騒がし、上をかろしめ奉りし罪は、手の爪をぬき、足の爪をぬくにあたるといへども、公(おほやけ)の御めぐみ深く仰下(おほせくだ)さるゝによりて、さる罪を料物(ヲヒモノ)にかへて、御許(ユルシ)をかうむらしむるうへは、家ももとのごとく、尚(なほ)業(わざ)ももとのごとくたるべし。

さるは、深き御恵みのほどを添(かたじけなく)おもひ奉るべし。

右のよしは、神田部の守止伎与(トキヨ)、かしこみうけ給はりて是を定む。

天平勝宝三月廿八日

とよみをはるに、下司(シモヅカサ)ども料物(をひもの)の置戸(おきど)を開(ア)け、氏族(うから)に申付(まうしつけ)たる金(コガネ)三百枚(ミホヒラ)をとうでさせて積(つみ)おき、俊雄がゆはひ縄をときてまかりかへらす。

亦真鮪を引出(ひきいだ)させ、同じく仰文(おほせぶみ)をよむ。

其文に曰、人置の真鮪、俊雄が妾をすゝめ、みそかに金をいだし、そがうへに俊雄をそゝのかし、訟所(うたへどころ)を騒がし、上をあざむき奉る罪は、首(かうべ)を切(きる)べきに当るといへども、公(オホヤケ)の御恵深く仰下さるによつてさる御とがめをゆるされ、武蔵国・相模・毛の国、三国(ミクニ)をしめ、外国(トツクニ)にはらひやらふ。

そのうへは、御ゆるしも侍らざるに、しめ給ふ三国がうちに立かへり侍らば、生(いき)のはだたちにおこなふべき者也。

此旨(むね)かしこみうけ給はるべし。

尚(なほ)御恵みのいと深きを添くおもひ奉るべし。

神田部の止伎与、かしこみうけ給はりて是を定む。

天平勝宝三月廿八日

とよみおはり、真鮪がゆはひ縄をとき、守部等、左(ト)に右(カウ)にかこみて、やらふべき国のとうげをさして出行(いでいく)時に、手力(たぢから)が走使(ハセツカヒ)、訟所(うたへどころ)にはせ来て、ふところにもたる文を出して足柄にあたへ、尚(なほ)、「守の御まのあたりにてひらかせ給ふべし」となり。

  足柄、其文をさゝげて、守の御まのあたりに押(おし)ひらきて是をよむ。

その文に曰、事のそなへはかねてきこえをけるごとし。

汝日を歴(へ)ず、兵(ツハモノ)をゐて碓日(ウスヒ)の山にむかへ。

我ひそかに坂本の大野に逢ひて、よろづはからひ、さて、歩兵(ハセツハモノ)のたぐひ多からんも何かせん。

よき軍兵(いくさびと)、馬にのりたる[が]八百斗(やほばか)りあらば、たやすくこもり徒等は追放(オシハナタ)ん。

おのれ手力、よく事をうかゞひて侍るに、捨おきがたき醜(しこ)の盗人(ぬすびと)なり。

この旨(むね)守に聞えあげて、よくそなへてはや参れと、しかいふ

三月廿六日

高橋の朝臣足柄の主へ

高橋の朝臣手力

としるしたり。

守つばらにきかして、「足柄、さらばまかりくだれ」とあるに、軍兵(イクサビト)八百(やほ)をとゝのへ、歩兵(ハセツハモノ)二百(フタホ)ばかりをとゝのへ、卯月一日発路(ミチタチ)すべしと定め、則(すなはち)守の御まのあたりに其答文(こたへぶみ)をしたゝめ、走使(ハセつかひ)をばかへす。

已に其日にもなれば、辰の時といふに、軍兵千人斗(チタリばか)りをそなへ、足柄大将(いくさぎみ)となりて、毛の国をさしてくだりぬ。

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        第廿三条

高橋の足柄、偽(いつ)わりて死す。并(ならびに)手力、寄手の馬をたばかる。

碓日の山の西に、龍が窟(いはや)とて有(ある)は、こゞしき岩穂(イハホ)大空(オホゾラ)に秀立(ヒデタチ)、松柏(まつかしは)生(おひ)ふさがり、蔦蔓(ツタカヅラ)はひまつはれて、路を*せき、谷をせばめ、雲おほへば夜の如く、風ふけば神(かん)なす鳴(なり)さやぐに、猿等(マシラ)・*鼠(ムサゝビ)の鳴(なき)わたる外は、鹿さへおどろきて岩根(いはね)に爪(つま)づき、鷹(タカ)だに高くあがりて梢(コズヘ)に住(すま)ず。

もとより時しらず雪ふれば、谷は氷凝(ヒコリ)、峯(を)の上は雪消(ゆきげ)して、弥生ばかりは春としもなきに、時は卯月のはじめなれば、やう/\鶯の引(ひき)あげて鳴(なく)にぞ、打霞(うちカスミ)たる林(はやし)の末(すゑ)は、日影あたゝかにさしわたり、ひとへなる山桜の花の、時しり顔(がほ)に咲出(さきいで)たるを、此岩屋にこもり居(を)る兵(ツハモノ)の中に、是を見て歌をよみ、酒をたうべて心をやる人もあめれど、此ほど足高(アシタカ)の小蜘(コグモ)といふ者、烏川(からすがは)のあたりにて手力[にいきあひ]、なほにゐて此岩屋にかへり、則(すなはち)高橋の大将と称(タゝ)へ奉り、万(よろづ)此教(をしへ)をうけたまはれば、只相たゝかはんそなへをとゝのふるより外、夢(ゆめ)他事(アダごと)にかゝらず。

其上、手力走使(はせつかひ)をつかはして、足柄早く寄来(よせく)るべしとはかりて後は、心得ある者を、毛の国・武蔵のかたに出しおき、其[走]使のかへり来んを、日を算(ヨミ)てのみ待居(まちをり)けり。

時に岩村の日鷲(ヒハシ)・坂本の真鹿(マシカ)、鷲の羽うつごとく、鹿のはせのぼるごとく喘(アヘギ)来て告(ノリ)て曰、「御走使のまゝに、神田部の守うけひかせ給ひ、軍兵千人斗(ばかり)をそなへ、卯月一日辰の時に発路(ミチタチ)したまふ。

御使は御答へ文(フミ)給はりて走り出しが、足ふみそこなひて候(さふらふ)故に、我々御答(こたへ)ぶみを受(うけ)とりて、斯(カク)走(はしり)てまかりかへれると、則(すなはち)御答文(こたへぶみ)是に有(あり)」とて出(いだ)す。

手力大(おほい)に悦(よろこ)び、扨(さて)は、我(わが)はかりごとにのらせ給へる也(なり)」といひて、其答(こたへ)文をよむに、いよ/\ふたりが申(まうす)ごとし。

「いざや、此*いはやにを出て、碓日の山に侍べしといひて、心がまへしけるまゝ、にもつとりもたせ、荷(ニナ)ふ物は荷ひ出させて、碓日の稲垣(イナガキ)をはき清め、釜を備(そな)へ、米薪をつませ、大槽(おほフネ)には水をたゝへさせ、廻垣(ワガキ)はいと高くし、前なる路には茨からたちをきりかけ、木むらには見ゆべく見ゆまじくして、藁人形(ワラヒトガタ)を多く立(たて)させ、千巻(チマキ)の栲旗(タテハタ)をおちこちの梢にひきかけ、馬を雌雄(メヲ)分(わけ)て小屋につなぐに、かたみに恋(こひ)いばふ声いとかしまし。

手力立出(たちいで)て、坂路(サカヂ)を見降(ミクダ)すに、走使は杖をつきながら汗(アセ)をかきなげて峠(トウゲ)をさしてのぼり来(く)るに、またしもべより、望月(もちづき)の赤馬(アカマ)といふものゝ、駒のごとくに走りのぼり、先なるをも追過(おひすぎ)て、手力(たぢから)が前に来(きた)り、「神田部の軍兵(いくさびと)、すでに熊谷(クマガヤ)の堤(ツゝミ)をもいきどほらせ給ふに、今ははや神奈川(カンナがは)をもわたり越給ふならん。

おひてうかゞひの者等(ものら)告(つげ)奉らん」といふに、手力、稲垣にいりてこもりおれる兵の数をよみあらため、扨(さて)、はかりごとを三度(ミタビ)までいひきかせ、おのれは百(モゝ)余(あま)りの兵(つはもの)をゐて東方(ひがしべ)の谷にくだり、山路の平(ナラ)しき所を見とめ、茂りたる林を前にとり、草をはらひてかりほを作らせ、釜をそなへて飯(イゝ)をかしがせ、軍兵を伏させて待(まつ)に、其日の酉の時ばかりに、又うかゞひの者等はせかへりて告(つげ)て曰、「神田部の軍兵は左野(さの)の船ばしをわたり、鷹巣(タカス)の山のべにつき給へど、人つかれ馬よわみたれば、こよひは其山にこもりたまひ、明(あけ)なば坂本の大野をさして打出(うちいで)給(たまは)んとなり。

うかゞひとれる旨はしかり」といふに、手力、高き岡にのぼりて南ざまに見渡せば、卯月三日(みか)の夜の月はいと細にて、打なびく雲にかくろひ、くもり夜の迷(まよひ)には、そことしも見わかねど、鷹巣の山のへにやあらん、手火(タビ)の光は星のごとく、又火焼屋にやあらん、いとあかき烟の立(たち)のぼるなども見ゆ。

また、碓日の山は、ことのきて高ければ、此方よりは見降(みクダ)し、鷹巣の山のべより打見(うちみ)あげて、たがひにこの夜の明(あく)るを待(まつ)に、寅の時にもなれば、神田部の軍は鼓をならし、大角(ハラノフヘ)小角(タタノフヘ)を吹(ふき)あはせ、旗をさしあげ、弓弭(ユハズ)をふり立(たて)、矛(テボコ)をならべて、鷹巣をはなれ、坂本をさしていきとほる。

すでにあかつきと夜烏(よがらす)は鳴けども、梢の上は霧(きり)こめたるに、行先をわかねば、足柄馬をとゞめて曰、「爰(ここ)は坂本の大野也。

親なる手力、こゝに出むかひてまつべし」と聞えたるに、各々歩みをとゞめ、「しばし馬にも水かひたまへ」といへば、「実(ゲニ)しかり」とて、鼓を止(トゞ)め、笛をとゞめ、手縄(たづな)をゆるべて立(たち)ならぶほど[に、と]ばかり有て、朝日高くさしのぼるほど、山霧もうすくなりて、物合ひのやゝ見とほさるゝに、見れば、碓日(うすひ)の山の森の中には城闕(カキヤ)高くしかまへ、廻垣(ワカキ)いと広く打(うち)めぐらし、白き旗はあらしになびき、矛(てぼこ)の先は朝日にかゞよひ、軍兵(いくさびと)にやあらん、このもかのもに立居(たちを)り、駒のいばふる声などは其数をしらず。

「是はかりそめのかまへにあらず。

さばかりの手力、いかなる事を見とめて、かゝる少(すくな)き軍兵をもて、こゝにむかへとは申(まうし)こしつる」と、足柄が外(ほか)はおもひ居たり。

さてあるに、東の谷べ深く茂りたる林の木陰(コカゲ)より、人ふたりゐて、笠きたる武士の出来(いでく)。

誰(タゾ)やと見れば、高橋の手力也。

足柄はやく馬よりおるゝを見て、軍兵等、同じくおりんとす。

手力扇をあげて曰、「礼(イヤ)ある時にあらず。

さなおりそ」といふに、軍兵等は鐙(あぶみ)を踏(ふみ)はづし、手縄をひかへたる拳(コブシ)を胸(むな)がへにおろし、冑(カブト)のまへかしらを馬の鬣(タテガミ)につけて礼(いや)をなす。

手力、足柄をかたへにまねき、人をしぞけ、床几(アグラ)をすへさせ、手力、先(まづ)とふて曰、「俊雄等はいかにしつる」。

足柄聞(きき)て曰、「みな御はかりのごとし。

*おのへ御教へを心得て侍るまゝ、幣(マヒ)を金(こがね)万(ヨロヅ)を致(いた)してさぶらふ。

則(すなはち)鎧櫃(よろひびつ)にこめてもたせてさぶらふ。

尚(なほ)御掟(おきて)の定めも、の給(たま)ひしごとく仕(つか)うまつり、君には毛の国へくだり給はんとある時、つばらにの給(たま)ひきかせ給ひしが、うけ給(たま)はりおけるより、こたび参りて碓日のありさまを見るに、いとふかき御かまへなり。

いかにしてかくは侍る也」と問ふに、手力が曰、「おのれ訟所(うたへどころ)にさぶらひしより、多くの罪人をゆるし、深く恵(めぐみ)をくはへて侍る中に、倭蜘(やまとぐも)といふ醜(シコ)の盗人(ぬすびと)の弟(をとゝ)、足高(あしたか)の小蜘(こぐも)といふ者、罪つくりて囚徒(とらへど)になりしを、おのれ深くおもひめぐらす事のあるに、彼が命(いのち)をすくひ、其うへ目明人(ミサスビト)の役(ゑだす)をかうぶりて、尚(なほ)我(わが)家によびて、ひそかに後の事まで相(あひ)はかりおけり。

扨(さて)、先(さき)つ比(ころ)、毛の国にくだらん事も、はやく彼(かれ)に聞えおきぬる故に、日毎に烏川(からすがは)のほとりに出(いで)て我を待(まち)つるなり。

けふまた相(あひ)たゝかはんとき、碓日の軍兵等あとべしりへに出て、神田部の軍をつゝまん。

汝はやく茂みが中に打入(うちいり)て、死(しに)たるさまにふるまひ、かたき[に]しかばねもとられたるさまにして、城闕(カキヤ)の中にまぎれ入るべし。

我馬をぬすまんはかり事(ごと)はしか%\なり」といひあはせ、ふたりながら足床(アシラ)を立(たて)て、木陰をいきはなれ、手力、神田部の軍兵等に告(ノリ)て曰、「此碓日の坂路は、石高く土(ツチ)滑(ナメ)たれば、馬のあゆみ及ぶべからず。

汝達こゝゆ馬を乗(のり)はなし、馬は歩兵に守(まも)らせ、唯矛(テボコ)のみをもちて坂路をのぼり給へ。

おのれはやく城闕(かきや)の内(うち)をうかゞひ知れり。

さばかりに見ゆるは謀事(ハカリゴト)にて、軍兵等百(モゝ)にたらず。

さて坂路は半(なから)ばかりのぼり給はゞ、必(かなら)ず城闕の軍兵討出(うちいづ)べし。

さるときにあたりて、戦ふべからず。

坂路をうしろに逃(にげ)くだるさまに見せ、敵(かたき)を此大野に引出(ひきいだ)して、さて、各(おのおの)馬にうちのり、翼如(ツバサナス)とびかけりて、矛を指(さし)おろしてたゝかひ給はゞ、碓日の歩兵等(はせつはものら)、ひとりだもいきてあらんや。

おのれはしりへを守りて、こゝにあらん。

いでのぼり給(たま)へ」といふに、軍兵等いと安くうけひき、おのれ/\が馬をのり放(はな)ち、木につながせ、口をとめさせなどし、矛を引きて歩みのぼる。

坂路は左(ト)にめぐり、右(カフ)にめぐりて、梯立(ハシダテ)のごとくさかしければ、みな人、先をきそひて半(ナカラ)あまりはのぼりつくに、いきあへぎて咽(のど)かはくに、汗をのごひてしばし立居(たちを)るに、伏(ふせ)おきたる兵にやあらん、左りの篠原(シノハラ)を踏(ふみ)わけて来たりて、下の坂路を立(たち)ふさぐに、「こははかられたり。

」と、後を前にむけんとするに、又上の坂路より多くの兵、石をまろばしかけ、矛をさしおろして攻(セメ)くれば、先方(サキベ)しりべに軍をうけて、俄にたちとよみ、坂路はまたいとせまきに、たにはふかく、石は高ければ、たゞかふ者は踏(ふみ)たがへてころぶし、よぎんとするものは谷におち、すゝまんとする者は味方にさへられて、見るうちに七百斗(ナゝヲバカリ)の軍兵は死(し)ぬ。

足柄は又迯(にげ)る軍をおひて森の中に入りしが、是すら戦ひ負(マ)けん、「神田部の大将(イクサギミ)、高橋の連足柄が首を得たり。

からだもさなおきそ、もてかへれ」など打(うち)よばふ声きこへて、尚(なほ)ふかくしもとの原の中にいきかくれぬ。

神田部の軍は、百人斗(モゝタリばかり)からうじて下路(シモミチ)に迯出(にげいで)、坂本の大野に至れば、城闕(かきや)の兵さのみも追来(おひこ)ず。

「さは、此ひまに馬を打(うち)のれ」とて、つなぎおける木陰を見れども、馬は一疋もあらず。

守りおかせたる下部どもは、或はうち殺(ころ)され、或は切殺(きりころ)され、或は迯(にげ)さりと見えて、ひとりもあらねば、いかなる事ぞとおもひまどふに、かたへの山田に恵具(ヱグ)つむ男のあるを呼(ヨビ)て、「汝等は爰(ここ)におりて、事のありさまは知るべし。

いかに有(あり)つる」と問へば、「おのれら、さきつ比よりこゝにをりて、坂路の騒ぎをきゝて、『おそろしの事や』と申(まうし)てさぶらふ間に、此あたりの森の中より多くの人出来(いでき)て、馬をぬすみ迯(にが)するを、すまふ人をば切(きり)ころし、追(おひ)ちらし、みな/\其馬に打(うち)のり、外にはさし荷(にな)ひたるものをさへぬすみ行(いく)を、笠着ておはしけるよき武士と見ゆるが、矛をとりて立合(たちあひ)給ひしかど、是さへ矛を奪(ウバイ)とられ、いたく打(うち)たゝかれ、あまさへ縄にしめて馬にのせ、何方(イヅカタ)へかつれ参りぬ」とかたるに、軍兵等色をうしなひ、「さばかりの手力もしかりけるか。

さばかりの足柄もうたれ給ひけるに、おのれらかくてあらば、いか斗(ばかり)かからきめを見ん。

いで此旨をかへりて申さん。

いでいそげ」といへど、馬もあらねば、みな人履(くつ)を小田のひぢりごにふみ入、近き道こそあなれ」とて、こたびは富岡路(とみおかぢ)にかゝりていき過(すぎ)ぬ。

さて手力は、おもふまゝに[はからひ、馬をひかせて碓日にのぼれば、足柄手力を見て、其]はかり事の深かりしをたたゝへける。

さてかの山田に居(を)りつる男も帰り来て、「神田部の軍兵は、われらにさへあざむかれ、『さばかりの手力、さばかりの足柄さへさるさまなれば、長居はからきめみん』とて、富岡路にかゝりて迯(にげ)かへりぬ」とかたるに、城闕(かきや)の軍兵手をならして、碓日の山びことゝもに打笑ひぬ。

さて手力は、足柄がとりもてきたる万(よろづ)の金(こがね)をわかち、多く[の]兵にこれをあたへ、残れるはさし荷(にな)わせ、「龍がいはやはまたもこもるべき所なれば、木樵(キコリ)の童(はらべ)どもにも其所をな見せそ。

戸をよくかためよ。

道をさしふさげよ」などいひおしへ、まづ碓日の稲垣には四日五日こもりて、軍兵かへり来べき事もあらばと、其心がまへするに、音もなければ、「こゝを長居せんはようなし。

また、此稲垣のありさまをも人には見すべからず」といひて、火つけて焼(やき)はらひ、ぬすみ得たる馬どもの中により、よくとゝのひたる肥馬(コヘムマ)のみを撰(ヱリ)どり、兵どもを馬うる人にまねばせ、「木曽路を引(ひき)のぼり、伊吹山に引(ひき)こめよ」とて遣(つか)はす。

足柄をはじめ、兵どもを三十人(ミソタリ)五十人(イソタリ)に分(わけ)て、兵をかたらひうべき国々に行(いき)めぐらす。

手力は、足高の小蜘にしるべさせて、美濃の国をさしてのぼり、尚(なほ)倭蜘にあひて、相(あひ)ともにうけひせん事をはからひけるなり。

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吉野物語

                     第二十四条

盗人等、参河(みかは)・遠江(とほたふみ)にしのび、文石(あやし)の倭蜘(ヤマトグモ)をかたらひ、人の宝財(タカラ)を奪(ウバ)ふ。并(ならびに)赤坂の宿にて手力(たぢから)に行合(いきあ)ふ。

伊豆の国の盗人の司(つかさ)、伊良五(イラゴ)の真金(マガネ)、甲斐の国の盗人の司、酒折(サカヲリ)の山男(ヤマオ)、駿河の国の盗人の司、三保が崎の荒益(あらます)、参河(みかは)の国の盗人の司、二見の大海(おほうみ)、此四人の司は、よく矛(ほこ)をつき、よく太刀がきし、よく弓射、よく馬のり、よくはかり、よく物いふを以て、其国/\にちはやぶる盗人等を向和(ムケナゴ)し、かへりてそれらを我(わが)徒とし、盗人の司をしめたる也ける。

時に伊良五の真金、廻文(マハシブミ)を認(したため)め、三人(みたり)の司につかはす。

其文に曰、おのれおもひはからふ旨あり。

此月十日をさだめて、左夜(サヨ)の中山にまうで給へ。

おのれはやくそこにいきて侍(はべら)ん。

いめたがへ給ひそ。

かしこ。

と書(かき)しるし、黒目の隼人(はやと)・長羽の穴燕(アナツバ)・青羽の刀鴨(タカベ)といふ三人の足疾男(アシハヤを)にもたせて、其国に遣(つかひ)にす。

三人の司人(つかさびと)は、是を見て、時も過(すご)さず卯月十日といふにおのれが心をよく得たる徒三人(みたり)四人(よたり)のみを伴(ともな)ひ、さやの中山にまふで来るに、真金ははやくそこに至り、松並生(をひ)たる木陰にかりほを作らせ、食(け)をまうけ、魚(ナ)をとゝのへ、酒をたゝはして待つに、其夜の夕(ゆふべ)までに三人(みたり)ながら参りつどふ。

かくて足白(あししろ)の小盗人(こぬすびと)らは、左右に立ふるまひて饗(ミアヘ)するに、日暮て、松の木間(このま)をもり来る月影いとともしければ、火焼(ひたき)の老人前に出て火たく。

すでにくひおわり、のみおわりて、伊良五(いらご)の真金(まかね)二人に*むかひ、「おのれらは[い]きほひをふるひて、かく司にはなり侍れどもいまだ心を打あかすべきものを得ず。

いづれも/\足白き者ども也。

汝達はいかに侍る」。

三人共こたへて曰、「おのれら猶(なほ)しかり。

人の物がたるをうけ給るに、文石(アヤシ)の倭蜘が人を言向(コトムケ)和(ナゴ)したるは、白猪の老(ヲヂ)人にもまさりぬべし」といふを、真金きゝて、「さは其事也。

いかにして渠(カレ)をかたらひ、共に誓約(ウケヒ)て、我らか心得さむらはざる方便(テダテ)をはかり合(あは)さんとて、こゝにつどひし也」といふに、三人も、「いかにせん」と、くさ%\にはかりけるを、酒折(さかをり)の山男(やまを)に立添(たちそひ)ひ来たる男の中より、面白(をもしろ)くまだ若き男、前にすゝみて曰、「やつがれいとおぞしといへども、かくおはす司人はおほによしある人と見とりてさぶらふほどに、只今申(まうす)むねあり。

おのれはかくてさぶらへども、吉備(キビ)の武彦(タケヒコ)か曽孫(ヒゝマゴ)にて、吉備の武村(たけむら)が真子(マナゴ)、同じく武鹿(タケシカ)と申(まうす)者にてさぶらふ。

しろしめすごとく、功(イサホシ)ある家にてさぶらふを、いさゝかの誤(アヤマリ)にて、官位(つかさくらい)を召上(めしあげ)られ、我とゝもに、甲斐の国をおひやられ、親なる武村は其恥をしのび得ず、終(つひ)に口おしき筋にて身まかりて侍るを、おのれまだ若くさぶらふに、世のわたらひせんすべなく、心の外に山ごもりの盗人となりてさぶらふを、是なる山男(やまを)の大人(ウシ)にいきあひ、身の上を明(あか)し、こゝのいきほひのまさりたるを立(たて)て司(つかさ)とし、おのれは副司(かへつかさ)となりてさぶらふ。

さて、おのれひとりの妹の侍るを、小柴と申(まうし)てさぶらふが、さすらひはふりて侍りける間より、只今の給ひし倭蜘にぬすまれ、いきがたしらずなりぬるを、たづねめぐりて候(さふらふ)に、人のかたるを聞(きけ)ば、倭蜘かぎりなくめで、今は子まで孕(ハラ)み、いとゆたけく富栄(とみさか)へて侍ると申(まうす)に、かへりて彼は幸(さひはひ)を得つるよと思ひ過(すぐ)してさぶらふ。

はしむかふ弟也。

兄にて候へば、おのれ小柴にいきあひて、打(うち)あかして頼(たのみ)きこへなば、十が九ツは、倭蜘が心をうべくおもふに、其事はなをにおのれにまかせたるべし」と申す。

三人の司人大(おほい)によろこび、「実(まこと)に親(をや)の名を立(たて)たまふべき御ひとにもさぶらはん。

さはおもふまに/\はかり給へ」といふに、山男も、しかるべしとゆるせば、「さらば今十日斗(ばかり)は此山上にこもり居て、おのれがまかりかへらんを待(まち)給へ。

かゝる事には時を歴(ヘ)じ」と、足結(アユ)ひ、手作(タヅクリ)、腰つくりて、なをに菊川(きくがは)をわたり越(こえ)、夜たゞに倭蜘がこもりたる引馬野(ひくまの)の原をさして行(いく)。

三十人ばかりをちこちに、司人は、「幸(さひはひ)にたづきを得たり」と、すこし心をゆるべ、なをこゝにこもりて、こし方の物がたりをするに、「巨勢(コセ)の猟野(カリノ)はいかにしつらん」「伊吹山には、いかに人/\のわたらせ給ふらん」と、口やまずいひ出(いづ)る事は是なり。

さて吉備の武鹿(たけしか)は引馬野(ひくまの)にいたり、先(まづ)遠目にして家のありさまをうかゞひ見るに、城闕(かきや)なす稚室(わかむろ)は檜木をもて高く作(つく)り、檜の皮をもて屋根をふきなみ、萩(はぎ)の古枝(ふるえ)のいと長きをば[八]重の廻垣(わがき)とし、垣下(カキモト)には溝(みぞ)をほらしめ、淡海(アフミ)の水を引(ひき)のぼせてめぐらしいれ、石をきりかけて橋とし、また垣の内の中の重には、松・楓(カヘデ)・白樛木(ヌリデ)・槙(マキ)・桂(カツラ)を垣なみたり。

猶(なほ)ちかくいよりてうかゞふに、前つ戸は槙(まき)木を打割(うちわり)て押立(おしたて)たるに、かたへの門のひらきたるにより、見入(みいれ)たるに、内には*垣(キヌガキ)をはり、外重には帷幕(トマク)をかゝげ、外床(とつとこ)には千箭(ちのり)の靱(ゆき)をおきなみ、奥床には鎧櫃(ヨロヒビツ)・鞍(クラ)・鐙(アブミ)をおきなみ、千振の太刀をかけわたし、八尋(やひろ)の戟を立(たて)ならべて、小盗人(こぬすびと)等にやあらん、三重にかこみて門々を守れる。

武鹿、こゝよりはうかゞひかたしとおもひ、後(しり)へにめぐりて見入(みい)るゝに、垣は尚(なほ)高し。

溝(みぞ)はことに広くし、はしをひき、門をひそめ、めぐりの廻垣は柊(ひゝらぎ)の木をうゑ並(なみ)て、いとかたくしめたり。

武鹿はいかにせんとおもひ、また、前(まへ)つ戸(と)の方に行(ゆけ)ば、細

き田道より、俳人と見ゆるが、弾人女(ヒキトメ)・歌人女(ウタトメ)・*人女(マヒトメ)どもを十人(とたり)ばかりゐて来るにいきあひ、「汝達(なんぢたち)はいづこへ参り給ふ人ぞ」ととふに、俳人(わざびと)こたへて、「けふは、文石(あやし)の倭蜘の稚室(わかむろ)のほぎごとし給ふに参るなり」と聞ゆ。

[武鹿]さこそあらめと心によろこび、俄に頭(かしら)をひくゝし、手をもみあわせ、「さる事ならば、そこの御光(をんひか)りをもて、おのれをもあともひ給へ。

朝日なす打(うち)かゞやく稚室(わかむろ)の内をもおがませて給へ」といへば、俳人(わざびと)俄(にわか)に頭(かしら)を高くし、「さることは、かたくならぬよ。

おのれは男(をとこ)なれども御家人(いへびと)也。

よそより参らん者は、女どもの外は、男の童(わらべ)までもいましめ給ふ」といひ捨(すて)て過(すぐ)るを、袖にとりすがりとゞめて曰、「おのれはよく舞を舞さぶらふに、すがたを女にかへて、門守達(かどもりたち)も見咎(みとがめ)たまふまじくすべし。

是ぞ唯そこの御心ひとつなれ」といひて、金(こがね)三枚(ミヒラ)をとりて、俳人がふところにさし入れば、俳人少し目を細くし、さばかりにおがみたくおぼすに、すがたおもゝちさへ男ならずは、いかさまにもはからはん」といひつゝ、下男(しもおとこ)どもの荷(にな)ひたるつゝみより、紅粉(ベニ)・白粉(ヲシロイ)などをとうでゝ、武鹿(たけしか)が面(おもて)を作(つく)るに、もとよりきら/\しき若人(ワカヒト)なりしかば、面ざしのめゝしくなるを、かづらを打(うち)かけ、頭巾をうちかけなどし、さるにても熊曽多気留(クマソタケル)がためしもあればと、懐(ふところ)を探るに、匕首(ヒモカタナ)もあらねば、「さては心安し。

帯(ヲハ)せる太刀どもは此方(こなた)へ」とて受(うけ)とり、琴(こと)の櫃(ひつ)におさめ、秋をぎ・朝(あさ)がほなどの花すりたる衣をきせ、高麗(コマ)にしきの紐をゆひ、赤玉(あかたま)かざりたる帯をゆひたるに、かたへの女どもは、男なすおとりたるに、俳人(わざおぎ)打守(うちまも)り、「よき妾(をんなめ)ぞあれ、文石(あやし)君(きみ)が*わかれ、四人の物いひかけ給はんに、さる男(をとこ)のはじめをいかにせん」とて打(うち)わらひ、包(つゝみ)どもを荷はせ、さきに立(たち)て行(いく)に、つきて入れば、外をうかゞひしよりもみそかにて、守人(もりひと)多(をゝ)く並居(なみゐ)たれども、女なりと見過(みすご)すに、門々を通りて稚室(わかむろ)に登れば、倭蜘(やまとぐも)は八重畳(ヤヱダゝミ)をしかせ、白き綾(あや)を下に着かさね、青き唐衣(カラギヌ)に紋(あや)おりこめたるを上着(うはぎ)にし、くろき薄衣(ウスギヌ)を冠にし、白き鼠の皮を下沓に踏(ふみ)なし、脇息(わきつき)に打(うち)かゝり、前には海山の物を煮焼(ニヤキ)たる食(け)をまうけ、酒をば玉(たま)の壺(つぼ)に湛(タゝヘ)させ、大盃さゝげてたの[し]み居たり。

妻もともに八重畳をしかせ、衣は下より上にくさ%\のにしきを打(うち)かさね、帯紐には玉をかざり、髪にも真珠(マタマ)・赤玉をきこめ、かつらには玉をさしたれ、まへには伽羅の木をたかせて、これも脇息により居たり。

倭蜘、盃を俳人(わざびと)にさしやりて、「かくおそかりつるはいかに。

はやひかせよ、はやうたはせよ、舞せよ」などいふに、弾人女(ヒキトメ)は糸をしらべ、歌人女(ウタトメ)は扇をならしてうたへば、*人女(マイトメ)は立出(たちいで)て、室祝(ムロホギ)の*を舞おさむるに、倭蜘酔すゝみて、「下座(しもくら)なる今参りの舞人にも舞(まは)せよ。

いざ%\」といらつに、武鹿、女の声風俗(コハブリ)にいひまねびて、「さらば、みづからうたひて舞さぶらはん」とて、起(たち)て舞ふ。

其歌に曰

築立(ツキタツ)る稚室(ワカムロ)葛根(カタネ)築立る柱(ハシラ)は此家の長(ヲサ)の御心(ミココロ)なり添(ソヒ)立(たつ)る若草の妻木は焼鎌(ヤヒガマ)の利鎌(トがま)に刈(カ)られし酒折(さかをり)の小柴(こしば)浅茅原(あさじはら)つはら%\に面(ヲモテ)見よはしむかふ弟乙女(オトヒメ)が目に見よ味志伎(アジシキ)高彦根(タカヒコネ)の命(ミコト)こそこゝにあらめ

とうたひ舞おわるに、倭蜘[酔]沈(ゑひしづ)みて、さる歌の意をもおもひはからず。

たゞをらびて、「めでたし/\。

よき舞人女をゐて来たる。

あかず呑め、さゝ呑め。

俳人等(わざびとら)」といひほこりながら、臂(ヒヂ)をまくらにしてうまひせり。

妻は其歌の心をさとして、さて舞人女が面輪(オモワ)を見るに、なを/\に兄なる武鹿にたがはねば、いとあやしきまでおもひわかず。

我(ワガ)寝床(イドコ)やに今参(いままいり)を呼(よび)いれ、只今うたひつる歌の意をねぎらひながら、なを灯をとらせてちかく見るに、いよ/\たがはざれば、かたへなる女どもを退(しぞ)かせ、「さて、かゝる御ありさまにてよくも参らせ給へる。

かのさわぎの後は、みそかに人遣(ヤ)りにたづね奉りし。

かくてあるありさまをもきこへ参らせ、をちゐさせ奉らんと心を儘(つく)してさぶらふに、御住居所(すまひどころ)を知り得ず。

是まではおこたり奉りし。

まづ御物がたりどもゝあらめ。

夫の主のねいりて侍るまに、つばらに聞え給へ」といふに、武鹿、「かく来たれるはしか%\のよしなり」とて、はじめおわりをかたり、「汝が功(イサオシ)は則(すなはち)我(わが)功(いさほし)なり。

よく倭蜘をかたらへ」と聞ゆれば、小柴は立(たち)おどり、立(たち)よろこび、「さる筋ならば、今ははや御(み)姿をかへ給ふに及ばず。

我(ワガ)夫(セ)が親は、もと祖(をん)の王(オホキミ)の御馬飼(おんうまかひ)にてさぶらひしに、病(やまひ)にかこちて此国にしぞきてみまかり給ふ。

さて後は、都のさわぎをきゝて、我(わが)夫(セ)もいと口おしくおもひ、『かゝる時にあたりてこそ、御恵みの御報ひを仕(つかまつ)らふものを』といひて、多くの人を言向(ことむけ)、かくして時をまちおるにてさぶらふ。

『去(さる)にても、さばかりの押勝の君、たやすく打負(うちまけ)給ふべきにもあらず。

故こそあらめ、時こそあらめ』と、事に付(つき)ては口やまず申出(まうしいで)て候(さふらふ)時也。

先(まづ)我(わが)夫(セ)を此方(こなた)に呼(よび)て、引合(ひきあひ)奉らん」と立(たた)んとするに、上の一間に声して、「吉備の武鹿の主かく参り給へ。

我舅にておはす武鹿の主、かうおはせ」といふは倭蜘なり。

「さは立聞(たちぎき)したまへるならめ」と、小柴は悦びて戸をひらけば、倭蜘は冑(かぶと)を着(キ)、甲(よろひ)を着、手纒(たまき)をまき、足結(あゆひ)をしめ、太刀をかけはき、匕首(ヒモカタナ)をさし加へ、同じくしかよろひたる武士(モノゝフ)十人斗(トタリばか)りを其席(ムシロ)に居ならばせ、しひて武鹿を上座に居(を)らしめ、侍者(サムライモノゝ)丸槽(マルフネ)に湯(ゆ)をたゝへもち来て、武鹿に面をあらはせ、かづらをとらせ、帯紐をとかせ、衣櫃(ころもひつ)の蓋に*[下]かさねの衣を持出(もちいで)て、是を着せかへ、鎧・兜・手纒・足結・太刀・沓までも持出(もちいで)て、武鹿をよろひ立(たて)させ、床几(あぐら)をもち出(いで)、しひて其上におらせ、倭蜘面を正しくしていひて曰、「さて事なきにかくよろひ立(たち)て逢(あひ)奉る故は、おのれが志を見せ奉る也。

此外に聞え奉る事更に侍らず。

又小柴を給りて帰りては、天雲のよそにうち過(すぎ)しは、おもふ志を立(たて)て後、いかさまにもして逢(あひ)奉らんとおもひ過(すぐ)せる也。

我先に君ならん事をはかり得てさぶらふまゝ、わざと酔(ゑひ)ふしたるさまに見せ参らせ、さて後、くみ戸に立(たち)てうかゞひて侍るに、おもひしにたがはねば、かく深き志を見せ奉らん。

今は一時もはやく伴(ともな)ひ参らせて、其四人の司に誓(ウケ)ひせん。

又、我(わが)弟小蜘(こぐも)と申(まうし)て侍るは、足高の小蜘と名告(なの)り、さきつ比、武蔵・毛の国をうかゞひて侍りけるを、あやまつて神田部にとられ、命に及(およぶ)べく侍りしを、高橋の連手力、其訟[所](うたへどころ)におはして、いかにおもひはかり給ひけん、罪をゆるめ、命をたすけ、そがうへに目明人(ミサスビト)となして遣(つか)ひ給ふよしを申(まうし)こせしに、また此ほどの文には、手力ともに我(わが)弟とはかり、碓日の稲垣にこもりて、神田部の軍に打(うち)かち、馬をうばひて、頓(ヤガ)て木曽路を通り、赤垣のあたりに待居(まちゐ)て、おのれにも逢(あひ)給ひて、共にはかり事を合せたまはんよしを、つばらに小蜘申(まうし)こしぬるに、かくへだゝりてはさぶらへども、心は唯ひとつなる御徒也。

いで、かゝる姿には、道行(みちゆく)人見やとがむ。

常あるさまにしなし、夜のまぎれに出(いで)て行(ゆか)ん」と、そこに侍りし武士どもをもゐて、上下はな/\馬に打(うち)のり、後(シリ)へ戸より出て、東ざまにあゆます。

よをこめて置(おき)たりしほどに、次の日の夕つかた、左夜の中山のふもとにつく。

武鹿、さやに使(つかひ)を遣(つかは)してしるべしたるに、四人の司人、大によろこび、餉笥(カレヒゲ)・重箱(カサネバコ)ざまの物には食(け)をまふけ、魚をとゝのへ、壺には酒をたらし持出(もちいで)て、菊川(きくがは)のほとりにむかへ、武鹿が功(いさをし)をたゝえ、倭蜘が深き志をめで、ともにゐて、中山の仮庵(カリイホ)にかへり、天地(あめつち)の神に誓約(ウケヒ)ていひむすぶに及び、真金(まがね)は巨勢(コセ)の金石(かないし)なる事を告(の)りきこへ、山男(やまを)*は跡見(トミ)の武雄なる事をのり聞え、荒益(アラマス)は武雄が弟にて、則(すなはち)跡見(とみ)の武荒(たけあら)なる旨を名告(なの)り、大海も同じくひだの大太刀なるよしを名告(なの)り終り、扨(さて)、人を和(なご)しむべきはかり事を合(あは)するに、倭蜘が曰、「軍(いくさ)は唯時也。

いまだ其時を得ざれば、たがひに山ごもりの盗人となりて、そが間(あいだ)は足白(アシシロ)共をおそひあるかせ、まづ宝をうばひ、矛をあつむるにしかず。

扨(さて)、手力にも、やう/\美濃路をさしてのぼり給ふべきに、四人の主達(ぬしたち)も参り給ひて、なをも手力の謀計(はかりごと)をも聞(きか)せ給へ。

さて三河・遠江の間には、宝(たから)もたる長(をさ)ども多く侍るに、さしあたりこゝにおはすともがらをゐて、まづ今夜より出しさはがん」といひつゝ、みな人おもてをすみにぬり、黒きころもにかへ、草のかむりを着、火(ひ)うちぶくろを太刀に引(ひき)かけなどし、村里をおどろかし、蔵を破(やぶ)り、蔀(シトミ)をくだき、宝をうばひ、太刀・矛をとり得て、所々の小盗人にもたせ、昼(ヒル)は山に入りて林にかくれ、夜はしかつどひておそひありくほどに、夜には九(こゝの)夜、日には十日を歴(へ)て、夕つかた赤坂の里にいたる。

さて手力は、小蜘をゐて信濃路より甲斐をうかゞひ、飛騨山・美濃山をうかゞひて後、赤坂のさとにいたれば、倭蜘をはじめ四人の正男(マスラヲ)、先にきたりて手力を待居(まちをる)にいきあひ、倭蜘は手力に向ひて、「弟がための恩人(シタヒド)なり」といひておがみふすに、手力はまた、「我(わが)軍(いくさ)の案内者(しるべど)なり」とたゝへて、たがひに兄弟(はらから)の誓約(うけひ)せし。

また四人は手力をしらざりけるに、清丸の御うへよりかたり出、道(みち)の首(ヲウト)口足(クタル)がしるべにて、伊吹山にも参りつるよしをかたり、左(ト)につき右(カウ)につきて、一日二日赤坂のさとに侍らん。

猶(なほ)行先のはかり事をなんしかまへける。

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吉野物語

               第廿五条

国々の訟(うたへ)、奈良の都にのぼる。并(ならびに)道鏡はかりて、大伴の書持(ふみもち)を越(コシ)の白山にむかはしむ。

都は猶しづまりて侍れど、道鏡ほしきまゝに政(まつりごと)をとり、己(おのれ)がいきほひをもて人を落(おと)し、諂(ヘツラ)ふにつきて官位(ツカサクラヒ)をすゝむるほどに、大宮の内は、人々ひそやぎていふ事も多かり。

扨(さて)、刑部(ヲサカベ)の寮(ツカサ)には、「守部等、いまだ清丸・金丸をとらへ来(きた)らず。

追(おつ)て判官(マツリゴトノツカサ)を加へ、其事のさた日/\に及ぶといへども、其有(ある)所をしらず。

其上、紀の温泉(イデユ)にて清丸をとらへきたりしを、荒坂の津にてうばひかへされ、守部等直に都へもかへらず。

其まゝにわかれちりぬ」と、其所(そこ)より刀祢(とね)どもがうたへ出(いで)しに、道鏡いかりをかさね、清丸并(ならびに)金丸親子が面(オモテ)よりはじめて、身の丈(タケ)・其事がらをも委しく画(カタ)に書き、国々所々の関守(せきもり)等にも申(まうし)ふせて、尚(なほ)高き札に其旨をしるし、彼等をとらへ来たるものには、金百枚(モゝヒラ)を給(たまは)るべきよしを聞え給ふ。

扨(さて)、五月六月にかけては、国々より訟申(うたへまうす)事いとかしまし。

先(まづ)、伊豆・駿河の二国(フタクニ)より申(まうし)て曰、「伊豆の国には伊良[五](いらご)の真金(まかね)、駿河の国には三保が崎[の]荒金(あらかね)、此ふたりは盗人の司(つかさ)にて、多くの盗人等をゐておちこちをおそひあるきさぶらふ。

彼は面をば墨にぬりて、一並に黒き衣を着、梯(ハシ)立をもち歩行(あるき)て垣をこへ、槌(つち)をもちあるきて門を打破(うちやぶ)り、太刀をぬきて人をおどろかし、家の内にて男たる者をばしめくゝり、女どもをばつなぎならべ、鍵守(カギモリ)を責(せめ)て鍵をとり、蔵守(くらもり)をさいなみて宝をうばひ、[其外]太刀どもはおのれがあしきによきを佩(ハキ)かへ、矛をうばひ、ぬすめる物をば荷に作りて、其馬におふせ、或はおのれらも打(うち)のりて、夜の明(あく)るをもおそれず、酒をくらひ飯をくらひ、火にあたゝまりて、おもふまゝにふるまひ、しづかに立出(たちいで)てしぞき候(さふらふ)。

今に田毎に水を[引(ひく)]時にて、夜となればさる業(わざ)にかゝりてさぶらふを、かゝるさはぎをおそれて、男だつものひとりも夜の業(ワザ)は仕(つかまつ)らず。

『さりとは、秋の貢(ミツギ)も時を失ひ奉らん』と、民等これをなげきて候(さふらふ)のみ也。

唯御光をもて、盗人等をとらへさせ給はれ」とて訟(ウタヘ)奉る。

又、甲斐の国より申す。

「さきつ比より、山ごもりどもの侍りて、かつ%\村里をさはがし侍りしが、いづれも小盗人にて候へば、さもおぼへず打過(うちすぎ)侍りしに、いつのほどよりか、酒折(さかをり)の山男(やまを)と申(まうす)醜(シコ)の盗人、司となれるよしにて、其後山ごもり共(ども)のいさほひをまし、ほしきまゝにのゝしりあるき候(さふらふ)より、彼等がためにたからをうばゝれて候(さふらふ)者、甲斐一国(ヒトクニ)に数をしらず。

いかばかりにも御ねぎらひをこのみ奉ると聞ゆ。

又、三河・遠江の二国より申す。

「三河の国には、二見の大海(をほうみ)と申(まうす)司、多くの徒(ともがら)をゐておちこちに押入(おしいり)、一国をさはがし候(さふらふ)上、遠江の国の盗人の司、倭蜘とちからを合せて候(さふらふ)よしにて、人もなげにかすめ歩行(あるき)、少しも防(フセ)がんとするものをば討殺(うちころ)し、追(おは)んとするをば切殺(きりころ)し、そがうへに色よき女をば、人妻のわかちもなく打(うち)たはけなど仕(つかまつ)るに、さるめにあひて、みさほだちたる女は、みづからくびをまとひて死(しに)たるなども侍る。

されど、さるよこざま事するは、故なき小盗人にや侍らん。

遠目に其司といふ者を見とめてさぶらふに、いみじき武士にて、中/\さる筋もなきふるまひどもはすべき人がらにも見え侍らぬが、何[に]まれ盗人の司なる事は違(たがひ)あらず。

さいつ比も左夜の中山に、十日余り盗人ども寄(より)つどひたるとて、松の林の中に火焼(たき)たるあとなども見えて候(さふらふ)。

たとへまのあたりに見とめ候(さふらふ)とも、鎌・鍬もたるやつがれらがわざにかゝるべき者ならず。

ひとへに御恵みをたまひて、民等が苦しみを御すくひ給れかし」とうたへ奉る。

時に、武蔵の国神田部の止伎与(トキヨ)、走使(はせつかひ)を立(たて)てうたへて曰、「信濃の国、碓日の山に、城闕(カキヤ)をかまへてこもりゐたる醜(しこ)のもの侍るよしを聞(きき)て、則(すなはち)訟所(うたへどころ)に候(さふらふ)高橋の朝臣手力、同(おなじ)く足柄、此二人に千人(ちたり)ばかりの兵(つはもの)を加へてさしむけて侍る所に、山ごもり等[いと多(さは)に出て、坂路にてあひたゝかひ、神田部の]軍多くうたれ、あまさへ足柄は討死(うちじに)に死し、手力はかたきに生(いけ)どられ、そがうへに、馬ども八百斗(ヤヲばかり)は一疋も残ずうばゝれたるに、やう/\百人斗(モゝタリばかり)の兵(ツハモノ)、歩兵(ハセツハモノ)となりて、先(まづ)其場を退(しぞ)きて候(さふらふ)に、そがまゝに打過(うちすぎ)がたく、猶(なほ)うかゞひの者をつけて候(さふらふ)に、碓日の城闕(かきや)は焼(やき)はらひ、さるものひとつもをらず。

馬は四十疋(よそひき)ばかりも牧野の駒に交りてお[り]さぶらふものにぞ。

この村長(ムラヲサ)どもを呼出(よびいだ)し、『山ごもりの者ども、いづこへか立(たち)のきて侍る』と問ひて候(さふらふ)に、村長どもが申(まうす)は、『多くの人村里におし入(いり)、おもての戸をさしかため、大木をおほひかけ、透間(すきま)をふさぎ、「ひとりも此戸を出る者あらば、たちまた切殺(きりころ)さん」といひのゝしりて、門べに立(たち)ふさがりて有(ある)さまに見えさぶらふほどに、おちの村里も、十日斗(ばかり)の間は家の内にうづくまり居て、何事も見ず聞(きか)ず候(さふらふ)。

やう/\物のしづかになりたるさまにおぼへ候(さふらふ)まゝ、戸をひらきみるに、さる者はひとりもおらず。

尚(なほ)碓日の山にのぼりて見るに、家の焼落(やけおち)たる跡のみ残り、坂路(さかみち)を見れば、人のしかばねの多く侍るにおどろきて候也』と申(まうす)事のよし也。

尚(なほ)此うへに彼等引(ひき)しぞきて候(さふらふ)所を探(サガ)しもとめ候はん」とうたへ奉り終るに、官人達(ツカサびとたち)心の内には、「かゝるさわぎも出来(いでく)べき時也。

あな苦しの世のありさまや」と、おもひわぶるもおほかる時に、越の国より申(まうし)て曰、「白山のふもとに大きなる石屋の侍るに、多くの人々こもり居(を)れり。

はじめは盗人共(ども)のこもりたるよしにて、道行人(みちゆきびと)をあやめ、金(こがね)・衣(ころも)などをもうばひて候ひしが、近比(ちかごろ)は、さる醜(しこ)の業をもせず、木樵(キコリ)の童どもなどがおり/\其いはやの前にいきて其内を見るに、およそ千人ばかりはこもりをらんと申す。

さる者ども、唯弓矢をつくり、太刀を磨(ト)ぎ、牛の皮をなめて鎧を作り、銅(あかゞね)をのべて兜をつくるわざをのみしてこもり居るとぞ。

事なき間にうたへ奉る也」と申すに、官人等(つかさびとら)つばらに聞え、それ%\の官人に申(まうし)つぎて、猶天(アメ)の御耳にもきこへ奉るに、道鏡、法皇の席(むしろ)をたち、うへの大御前(おほみまへ)に申(まうし)て申さく、「国/\の民等うたへ出し盗人等の事は、広き家に鼠らがむれあふごとく、夜な/\さわぎあるくとも、あへて何ぞおどろかん。

碓日の山ごもりも、おもふに馬盗人にやあらん。

これもしか迯(にげ)さりたらば、そがまゝにても過(すぐ)べし。

唯白山のいはやにこもりたりと聞ゆる者等は、うしろめたき旨あり。

おもふに、そが中には、清丸らをかくろはせて侍るにもあらん。

何にまれ、盗人にもあらで、軍の具をつかまつると聞ゆる者を、いかにもさしおかせ給んや。

時も過さず、よき大将をゑらみ、軍兵(イクサビト)をさしむけ給へ」と奏(マウ)す。

天皇うべなはせ給ひ、「法皇いかにもはからひたまへ」とみことのりあるに、道鏡申さく、「さは、其大将(いくさのきみ)は、大伴(トモ)の書持(フミモチ)こそ侍るべけれ。

いかにと申(まうす)に、兄なる家持(ヤカモチ)則(すなはち)越中の守にてさぶらへば、ほどもちかし。

もし事せまりなば、救ひの軍をもつかふまつらせん」と奏(マウス)に、「いよ/\しかるべし」とみことのりありて、已に書持をめさんとす。

また、国/\よりうたへつるものどもには、「おゐて御定めあるべし」と聞えさせ、神田部の止伎与(トキヨ)にも、「尚よくねきらひしれ」とおほせて、走使(はせつかひ)はかえしたまひぬ。

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  廿六条

光明后宮湯室(ユヤ)を立(たて)て、手づから往来(ゆきき)の人をあらひ給ふ。并(ならびに)乞食(カタイ)来て事をあかす。

大后(オホキサキ)の宮には《光明后宮》、ことさらに仏の道をたふとみ給ひ、唯後の世とふ事有りしをのみ、常に御心にかけさせ給ひ、猶(なほ)仏のおしへごとを朝夕に唱へおはします。

あるあかつき、奇(くし)き御夢の祥(サガ)おはしまして、仰事(おほせごと)あらんと、則(すなはち)大后の宮の太夫(マウチギミ)佐伯の宿祢(すくね)高間・吉田の連浜寄等を御前にめさせて仰(おほせ)あるは、「われ昨日(きそ)の夜あやしき夢を見つ。

所は奈良山の森の内にて、つら/\仏の道のたふときをおもひ、西の方をむきて立居(たちゐ)るとおもふに、紫の雲を踏(ふみ)しだきて、一はしらの御ほとけ光りを放ち、まのあたりに立(たた)せたまふを、三度(ミタビ)拝みふして侍るに、仏、かほれる御息(をんいき)をつぎての給はく、『太上天皇(オホスメラミコト)《聖武》、ふかくほとけをいやまひ、是まで天皇(すめらみこと)の御ためしにあらざる御定(おんさだめ)をおかされ、御髪をおろされ、法(のり)の御諱(イミナ)を脉満(ミヤクマン)と申す。

かばかり大御仏(オホミホトケ)を作り給[ふは、此み国にては例(ためし)あらず。

されど大御仏(をほみほとけ)を作り給]ひ、其外(そのほか)、山をひらきて寺をたて、田畑を平(な)らして塔(アラゝキ)を作り給ふにつけて、多くの民ぐさをくるしめ給へり。

つとめ給ふ筋は仏のためといへど、行ひ給ふ御心のなきによりて、ひとつだも仏の道に叶(かな)はず。

其うへ都をばをちこちにかへたまはんとありしによりて、臣(おみ)はまどひ民はさわぎ、諸人(モロびと)安き心を得ず。

是はた御罪の二ツ也。

仏の道は唯人をすくふ道なり。

是がために諸人をくるしめ給ひしは、民の父母(ちゝはゝ)にお[はせ]る御身をわすれ給なり。

よてかんさり給ふといへども、いまだ天の神にもならびたまはず。

まして仏のおわすたふときさかひにもいたり給(たまは)ず。

黄泉(ヨミ)の間にさすらひませり。

大后(おほきさい)また仏の道をたふとみ給はゞ、先(まづ)、後の世の事をおぼししめんよりも、うつせみの世の上にて、横ざまの事にあひて、なげきくるしまん民をすくひたまへ。

千々(ちゞ)の寺をたて百(モゝ)の仏を作りこめ給はんとも、唯一人(ひとり)の人を横さまにくるしめ給はゞ、たちまち業(つみ)の炎(ホノホ)もへ来(きた)りて、百千/\(モゝチゞ)のよき事をばほろぼしなん。

さて、太上天皇(おほすめらみこと)の黄泉(よみ)の御さすらひを救ひ給はんとおぼす御心のあらば、此所(このところ)に浴室(ユヤ)を立(たて)て、御薬の湯をもて、みづから往来(ゆきゝ)の人をあらひたまへ。

さる往来の中には、いかにきたなき病にあたりたるも有(ある)べきが、さる事をいとひ給はず、御心ひとつをまこと[に]なして、さるつとめをなし、七日を三ツかさねて御ねがひはてなば、かならず太上天皇(おほすめらみこと)は黄泉(よみ)の御苦しみをまぬがれたまふべし。

ゆめうたがひ給ふな。

我は是、阿*仏(アシユクブツ)也』と教へ給ひて、則(すなはち)其雲にのり西方をさして入(いり)給ふと見えてさめぬ。

あまりに奇(あや)しくたふとき事におもひしみてはあれど、さるわざをつとむる事、天皇(すめらみこと)《孝謙》いかにおぼされん。

汝たち参りて天の御けしきをうかゞひ奉れ」との給ふに、二人の太夫(マウチギミ)、かしこみてうけ給り出て大宮にのぼり、天皇に御夢のよしをうかゞひ奉るに、天皇きこしめして、「太上天皇は則(すなはち)御父君也。

大后の宮は御母君也。

さる御ためとおぼしめして、母君のの給ひ下(くだ)し給ふ事を、いかでうけひき奉らざらん。

御父の天皇、はじめて施薬院を建(たて)給ひしも、深き御心こそおはしつらめ。

みづから往来の人をあらはせ給んは、其例(ためし)もあらねど、唯御父天皇の御為と仰出(おほせいだ)されたる事は、また民種(たみぐさ)の鏡にもなりて、後の世の御教にもなり侍らんに、さはゆるしきこへ上(あげ)よ」とみことのり有(ある)に、二人はかしこまりを申(まうし)てまかで、大后の宮に参りて、うべなはせ給ふ御ことのりをきこへ奉るに、大后宮よろこばせ給ひ、俄に太夫におふせ、奈良山の林の内に浴室を作らせ給ふに、「いそぎつかふまつれ」と侍りしにより、飛騨工(ヒダノタクミ)千人(チタリ)ばかりよりつどひて、唯二日ばかりに作り立(たて)ぬ。

猶(なほ)仏の御教をかしこみたまへば、飛騨人どもには多くの米(こめ)・金(こがね)を給ひ、また、さる御役に参りつどひし民等には、馬をかひ、田畑をかはん斗(ばかり)の代(て)を、銭をつみて給ふに、民ども御恵のいと深きをたふとみ奉りける。

扨(さて)、浴室の前には、高き札(フダ)にしるして曰、阿*仏の御教(おしへ)によりて、此所に浴室を建(たて)させ、三七日が間、大后御手づから往来の人をあらはせ給ふ。

殊更(ことさら)大御薬(オホミくすり)を煮たる湯なれば、病(やまひ)あらん者はかしこみ奉らず、爰(ここ)に来りて大御恵(オホンめぐ)みをかふむり奉れとぞ。

天平勝宝二年六月

大后の宮の太夫佐伯宿祢高間、同じく吉田連浜寄(はまより)、仰(おほせ)ごとをうけ給はりてしるす。

と筆(ふんで)を太(フト)くしてかけ給へり。

さて、其浴室の内には刀自(とじ)のとも・采女のともさぶらひつゝ、往来の人来(きた)る毎(ごと)には、大后の御よそひをぬがせ奉り、筑紫綿のおれる白綿(ゆふ)のゆかたびらに、御たすきをうながけ、手づからたなごひをとりてあらはせ給ふに、あまりかしこくたふとき筋なれば、常ざまの往来の人は、身をかへり見て入来(いりきた)らず。

心なき外国(トツクニ)の旅人(たびうど)、或は山がつの事をわかざる病人(やまふど)は、御くすりの御恵みをかうぶり奉らんとて入来(いりくる)に、あやしくきたなげなる病(やま)ふ人(ど)こそおほかれ。

そが中に、脚気(アシケ)の病(やま)ふ人(ど)は杖にすがり、**(カタハラ)《腹中の病也》やむものは腹をおさへ、痞(ヱガハラ)《小児腹病》ある子は乳母(ヲモ)におはれ、瘤(コブ)有るは面をつゝみ、其外*(しりおも)《利病》、淋病(しはゆばり)**(したつき)《舌不正の病》、*(みこと)《寐言》、*(はらふくれ)《腹満の病》、**(セン)虫(あくた)胡*(わきくそ)《腋臭》のたぐひも、皆高札につきてまうで来るに、疥癩(ハタケ)・白癩(シラハタ)の病人はかしこみを申(まうし)て入(いり)得ぬを、舎人等(トネビトラ)門方(カドベ)にさぶらひて、是をゆるして浴室(ゆや)に通らす。

又清盲(アキシリ)・雀目(トリめ)・失声(ヒコへ)《失声嘶咽》・吃(コトゴモリ)のいとかひなきは、此方(こなた)より手をひき、言問(コトゝヒ)してめし入(い)るに、はや御願ひも廿日を過(すぎ)て、ふみ月五日といふには三度(ミワタリ)の七日をわる日とて、こゝに御心をすゝめて往来の病人を待(また)せ給ふに、漆瘡(ウルシカサ)などいふさまの病人ぞ入来(いりきた)れる。

熱沸(アセモ)《細瘡なり》はこゞもりあがりて目鼻をわかず、手足はかきみだれて黒き血たり、眉はぬけおち、髪はふりみだれたるに、虱(シラミ)は米粒(ヨネツブ)などをとりつけたるさまに打[た]かり、身はひぢりこにぬりこめたる斗(ばか)りにあかつき、あやしくくさきからだに破(ヤレ)ごもをまとひ、肌(ハダ)には布のたふさぎのみをして、沓もはかで歩みきたり、「いとくるしき病人也。

御薬の御めぐみをかうむり奉らん」といふに、此方(こなた)へとて引入(ひきいれ)、さて見るに、疥癩(はたけ)・白癩(しらはた)の者といへども、かくまできたなげには侍らざりしに、「いかに御願には侍るとも、かゝる者をいかで御手づからあらはせ給はん」と申す。

大后きこしめして、「尚(なほ)さるものを洗はんこそ我願ひにあれ。

殊更(ことさら)けふは願のはつる日にあたれば、いかで見過(みすぐ)さん」とて、御ゆかたびらにぬぎかへたるたすきをうながけて入り給ふに、乞食(カタイ)の者少しもかしこめるけしきなく、たふさぎをぬぎすて、薦(コモ)をぬぎ、湯に入(いり)ひたりて立出(たちいで)、脊をさしむけて、「いで、吾脊(かひ)を洗はせ給へ」といふに、見たまへば、膿(うみ)ながれ血こぼれて、手をあつべきにもあらず見ゆるに、御願を怠(ヲコタ)り給ふまじと、おして手拭(タナゴイ)にかけてあらはせ給ふにも、乞食かへり見て、「我脊平(ソビラ)にひとつの瘡あり。

いたむ事たえがたし。

願はくは御口をよせて、其瘡の膿を吸(すひ)とらせて給へてよ」といふに、今はいかにせんとおぼし、少しいなみ給ふ御けしきを見て、「御願は已にけふに満べし。

さるをかばかりの事になづみ給はゞ、是までなさせ給ふ御願は、たちまち業(ツミ)の火にやけ失(うせ)なん。

御心をさだめてはやく瘡の膿(うみ)を吸(すひ)とらせ給へ」といふに、大后御眼をとぢ、ひとへに仏の御教(おしへ)なりとおもひとりたまふに、「かゝるいやしきものゝくるしき病にかゝり、いかに愁(ウレ)ひさまよふらん」と、めぐき御心の出来るに、きたなき事どもは打(うち)わすれ給ひ、すでに御口をあて給はんとするとき、乞食いと清き眼をひらき、「さなしたまひそ。

御願は已に満り。

我は是、御夢にまみへつる阿*仏(あしゆくぶつ)也。

我に御心を合(あは)せ給はゞ、あまねく天の下の民くさを救ひ給ふべき旨あり。

今さる事を教へ参らせん。

かたへの女どもをしぞけ給へ」といふに、大后はじめよりたゞならぬものとおぼしとり給ふに、いとたふとくおぼしかさね、刀自(トジ)をはじめ、さぶらはす伴(トモ)の雄(ヲ)に、「皆しぞけ」との給ふにつきてしぞけば、大后は御かしらをたれて拝み居給ふ。

乞食の者たふさぎをはき、又破れ薦(コモ)を身にまとひて、はるかに御あたりをくだり、手をつき頭をたれて、いや/\しく申(まうし)て曰、「君、仏の道に深くしろしめして、うへなき御願どもを立(たて)給ふといへども、唯後の世の有(ある)事のみをおぼし、此世に仏の教(おしへ)ある事をしろしめさず。

今、天皇道鏡を愛(メデ)給ふにつきて、御政(をんまつりごと)の横ざまにおはしまし、天の下の民くさ、是が為に愁(うれひ)苦しむ事は、実に黄泉(よみ)の王(オホキミ)の前にて、火にやかれ、臼(ウス)につかれて責(せめ)さいなまるゝ罪人(つみびと)にもこえたり。

君、是天皇の御母君にておはしますに、いかでかゝる事をばゆるしたまへる。

已に太子祖(オン)の王(オホキミ)・塩焼の王(おゝきみ)・不破(フハ)の内親王(ヒメミコ)もこれらの御いきどほりをもて大宮を出(いで)させ給ひ、ついに時にもあらず雲がくれましぬ。

其上、忠誠(マメ)なる臣(ヲミ)等も[刄]にふし、心ある者は官位(ツカサクライ)を捨(すて)、臣は愁ひ、民は歎く。

かくても寺を建(たて)、仏を作り給はゞ、天の下の御恵みにあたらんや。

おのれかゝる病人にも侍らねど、此願御ありとうけたまはるより此かた、いとかしこけれど、御まのあたりにさふらふて、うべなひ給ふ御心さへうけたまはらば、其上はもらしがたき世の有(あり)さままでも聞え奉らんと、身には漆(ウルシ)をぬり、眉をぬき、髪を虫の巣にし、石の薬をつけて膿血(うみち)のたるべき瘡(かさ)を作り、かく乞食の者となりて参るは、たゞ天の下の民草をおもひて也。

天の下の民等はたゞうつしき御子なりとおぼしとらば、何か此乞食が聞え奉る旨をもだし給はん」ときこへ奉るに、大后ひとつ/\聞しめて、「汝は是、さる者なりつれ。

かゝる事を我にきこゆるは、実に乞食にあらず。

我ための阿*仏(あしゆくぶつ)は則(すなはち)汝也。

汝が申(まうす)ごとく、天皇正(マサ)に我御子なれども、天の下の事は天皇しろしめす所也。

道鏡また法皇の位を授け給へば、已に太上天皇もひとしくおはしますに、今にしてはいかんとも申(まうし)がたく、我はやく天の下のなげきをしるが故に、かくはかなき願を立て、『こゝにあらば必(かならず)天の下の民をおもふ者出来(いでき)て、我にことをつげん。

さるときは、心ある臣(をみ)たちにも聞えて、いかばかりにも御政(まつりごと)をたすけ奉らん』とおもひて、夢の祥(サガ)有(あり)と天皇に奉(マウ)し、かく往来を手づから物したる也。

今一首の歌をよむべし。

是ぞ我ちかひの心也。

ゆめ申(まうす)事に違ひあらじ」とのらして、歌よみし給ふ。

その歌に曰

うけひする言(コト)のひゞきは天にいたり地(ツチ)さへゆすれ父母(チゝハゝ)のため諸人(モロヒト)のために

とあそばし、「汝よく歌の心を*聞ゆべし」との給はすに、乞食はあふれおつるなみだをのごひ、「いともたふとくおはしましける。

此うへは、何かつゝみ奉らん」と、祖(おん)の王(おほきみ)の世にながらへ[おはしますよりはじめて、押勝(おしかつ)伊吹山に御供つかふまつり、豊成(とよなり)にあとらへ奉りおきし事、さて押勝ら心をくだきて同志の伴雄(トモノヲ)をあつめ、道鏡をたまはりて民のくるしみを救ふべき願ひ、つばらにきこへ奉りをはり、「さて白山にこもりたるは、橘の諸兄(もろえ)の真子、奈良丸にておはします。

吾友(わがとも)和尓部(わにべ)の真太刀(またち)と申(まうす)者、御心をうけ給はりてつかふまつれり。

さる時にあたり、此ほど国々のうたへ繁(シゲ)き中に、白山のこもり人を討(うた)しむべき大将に、大伴の書持をなんさし下(くだ)し給ふべきよしならずや。

奈良丸、私の軍にあらず。

さる事をしろしめさずは、書持御功(イサホシ)を立(たて)たまふべくおぼして、いたく責(せめ)たゝかひ給はんとおもひ奉るに、山ごもりの軍兵千人に及ぶよしなれども、軍の備(ソナ)へ全(マツタ)からず。

太刀・矛・弓矢などのいとともしく侍るに、かならず]官軍(ツカサイクサ)に負(まけ)奉らん。

さる時は、いと口おしき筋にて、書持の勝(かて)る軍は、天の下の御恵みにあらず。

奈良丸がかてる軍は、正に天の下の御恵みなれば、かゝる筋をおぼしめぐらされて、ひそかに書持をめされ、さる心得侍らんさまに仰(おほせ)ごとたまはらんには、実(げ)に天の下の民をあはれみ給ふ也。

かく聞えたてまつる乞食めは、則(すなはち)恵美の押勝が家人書(フミ)の直(アタヒ)知徳(トモノリ)にてさぶらふ。

太上天皇大学(オホマナビ)の寮(ツカサ)をはじめ給ふ時、則(すなはち)吉備(きび)の大臣の御前をも歴(へ)て、文(フミ)作りて候(さふらふ)者也」と、つばらに聞え奉るに、大后しば%\御涙をのごはせたまひて、「さてはしかるか。

汝が才(かど)は、太上天皇にもしろしめして、御物がたりどもの序(ツイデ)には、我も御前にてうけ給はりしりき。

さるは、祖(おん)の王(おほきみ)世におはしけるよ。

しからば塩焼の王(おほきみ)をも、さる徒(トモガラ)かくまひ奉り居べし。

豊成さては世に侍りけるよ。

押勝もしかるか。

誠に忠誠(マメ)なるは死し、心あるはかくるゝといふ世なり。

今聞えつる書持がうへは、いかにも我心得てあるぞ。

さて、白山のこもり人は、奈良丸にてありけるよ」とて、いと珎(めづ)らかにおぼし給ふに、猶(なほ)とひ出(いで)たまへど、「時もうつれば、侍る人あやしむべし。

やつがれ身をかくして、まかり出べし。

所をはやくより見置(みおき)て候(さふらふ)に、こゝより姿(すがた)をかくし行(いき)うせ候はんに、いよ/\阿*仏(あしゆくぶつ)にありけりと、人々のおもはん。

君にもしかのたまはせ、世も事なくおさまりてさぶらはど、ふたゝび都に立出(たちいで)侍るべし」と申置(まうしおき)て、湯を流しすつる下樋の侍る板間ををしあけ、かいくゞりて行(いき)うせぬるに、大后今こそ御夢の心地(コゝチ)におぼしき。

しば%\おもひしめ給ふに、御願もはてたるさまなれば、御声を立て、さぶらふ人々をめされ、「たゞ今の乞食は、たふとき御法を教へたまひ、光りをはなちて天にあがらせ給ふに、我願もはてぬ」とのたまはし、みづから席(ムシロ)にふして天を拝みたまふに、侍らはす人々も、ともに御あとをおがみ奉りて、奇(ケシ)き事どもなりとたふとみつゝ、宮にかへらせ給はん御よそひを、とり%\にしける。

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吉野物語

       第廿七条

皇后、ひそかに書持(ふみもち)をまねき、事をあかし給ふ。并(ならびに)書持、佐保の郎女(イラツメ)に別(わかれ)を惜む。

大后、奈良山よりかへらせ給ひて後も、たゞあやしき人にあひておぼしめぐらすごとく、天(あめ)が下(した)の有(あり)さまを、御まのあたりつばらに聞(きこ)しめし給ふ事は、まことに御願のはて給ふ也と、いとたふとくもおぼすに、なを/\阿*仏(あしゆくぶつ)に逢(あひ)給ひて、深き仏の道をさとし給ひつるなど、表には仰(おほせ)ふれ給ふ。

ふりはへ御単使(ヒトヘつかひ)を立(たて)させたまひて、大伴の宿祢書持(ふんもち)を召さる。

もとより書持(ふんもち)が妻は、佐保の大納言の娘にて、大后の御櫛削殿(みくしげどの)にて候ひしが、書持いと若き比、相(あひ)しりて侍り。

大后おぼしとりて、御みづから仲人(なかひと)がねに仰出(おほせいだ)されて、書持が妻に定(さだめ)給ひ、はやすでに子までまうけて侍れば、外(ほか)ならずおぼすに、何事の御遊びなどにつけても、おり/\めし上(あげ)られて、くまなく御物がたりなども聞え給ひける。

さて、とみの御使とうけたまはりて、書持とりあへず打(うち)よそほひ、馬などにものらず走(は)せ参りて、唯今まふでたりしよしをきこし上(あぐ)るに、「こなたへ参れ」とて、ちかくめされ、「いかに、書持はかしこき勅(みことのり)をもて、白山のこもり人をうつべき大将に任(マケ)られたりな」。

書持受(うけ)給はりて、「かひなきやつがれにてさふらふを、ゆくりなくみことのりをかうぶり奉り、家のほまれ、身のさいわい、何か是に過(すぎ)ず。

かゝる事も、かねて此大宮の御光りをあつくかうぶり奉るゆへ也と、妹(いも)とし、今にはじめぬ御恵みを、かしこみ奉る也」と聞え上(あぐ)るに、大后きこしめして、「扨(さて)軍の道はいかなる物ぞ。

汝つばらにかたりきこへよ」との給はす。

書持かしこまりて、「それ、軍は物を欲(ホツ)して、民のくるしみをおもはず起(おこ)す軍を賊軍(ヌスビトイクサ)と申す。

亦(また)事にあたりて、止(ヤム)事を得ず起(おこ)す軍を義軍(のりのいくさ)と申せり。

[亦(また)天の下の為に起(おこ)す軍は是ぞ神軍にて、]已にこたび白山のこもり人をうたしむべき御軍(いくさ)などにやあたり侍らん」と申すに、大后きこしめして、「しかあらば、汝が心をとふべき旨有(あり)。

白山のこもり人(ど)は、いかなる者にかしり得ねば、それ[ら]もまた天の下の為におこせる軍ならば、汝はいかにすべき」。

書持こたへ奉りて、「若(もし)さる志をもておこせる軍に候はゞ、うかゞひを入れて、つばらにうけ給はり、扨(さて)弓矢にも及ばず、面をあはせていかばかりにも和(なご)し合(あひ)ぬる上にて、残なく御軍に加へ奉らん。

いとかしこくは侍れど、やつがれにしてはしかはからひ奉らん」と申す。

大后又のたまはく、「汝はしかおもひとるとも、こもりどもし軍は天の下のために起せども、其身は此軍は加(くは)はりがたき筋も侍らば、汝又いかにはからん」。

書持うけ給りて、しばし御こたへつかふまつらず。

とにかくにおもひめぐらしてきこへ奉りけるは、「はじめより御心深くおぼししめされて、とはしめたもふ御言(こと)につきて、此御とはしごとをおしはかり奉らむ。

もしや白山のこもり人(ど)と聞えしは、橘の諸兄(もろえ)は老(おい)な[み]て侍るによりて、しかともおもひ得ず。

もし奈良丸などが、法皇をうらみ奉る民どもをかたらひて、かの御かたさへ世におはさずあらば、天(あめ)が下(した)はしづかならんとおもひとりての軍にか侍らん。

みそかにももれきこへさせたまふ筋も侍らば、いかばかりも御教(おしへ)にしたがひ奉らん」ときこへ奉れば、大后亦(また)更(さら)に御こたへもあらず。

何となく御涙のこぼれ落(おつ)るを、御袖にてはらはせ給ふ御ありさまを見て、書持かさねて聞え奉りけるは、「やつがれは勇(いさみ)なく才(カド)なしといへども、しろしめすごとく、大伴の家は、高知穂(タカチホ)の岳(タケ)にありませし神の御代(みよ)より弓矢をとりて皇辺(スメラベ)に仕(つか)へ奉り、額に矢は立(たつ)とも、脊(ソビラ)には矢を負(ヲ)はじと、ひとつこゝろにおもひとりて、いくばくの年月を、祖父(オヤ)の名立(たて)ずにつかふまつり来(きた)れるに、此度(このたび)まかり下りて、其軍にあたり候(さふらふ)とき、いかばかりにもはからひおふせて、御心をも安め奉り、天の下の民のくるしみをすくふべき方便(てだて)、なきにしも侍らじ」と申上(まうしあぐ)るに、大后またの給く、「さはおもふべけれど、副将(ソハレイクサギミ)のこゝろも有(ある)べきに、汝たゞかしこき勅(みことのり)をかうぶりつる。

扨(さて)副将は誰にか」ととはせ給ふに、「いまだ其勅(みことのり)は誰としもうけ給(たまは)り侍らねど、ひそかに法王のはからはせ給ふ筋の侍りて、太宰府の阿曽丸が弟平群(ヘグリ)の駒丸にこそと申(まうす)也。

是はさきつ比より、津の国長柄(ながら)の堤(つゝみ)を作るべき任(まけ)にまいり居(を)るを、はや先に法王の御心をもてもらし聞えたまひおきて、駒丸もはら其かまへどもを仕(つかまつ)り立(たち)て侍るよしなり。

尚めしの御使も下りて候(さふらふ)よしもうけ給れば、大方はけふにもかへりまふでん。

さらば其勅(みことのり)もくだりて候はんに、十一日と申に[は]、かならず軍のみちたちつかふまつらん」ときこへ奉るに、いとゞ御心いたくおぼしめぐらさるゝさまにて、「さらば、はや事もせまりぬ。

亦(また)もまふで来(く)べきか」との給ひながら、御硯(すゞり)をめさせ、みづから御筆をとらしてかいつけ給ふ。

其御歌に曰、しきしまの大和のくにゝあきらけく名におふ伴(とも)の雄(を)こゝろつとめよ

「猶つとめて、なおこたりそ」とのたまひ、御かはらけに添てたまはりけるに、書持四度(よたび)ひたひにさゝげて押いたゞき、御かはらけとともにふところにおさめ、まかりしりぞくを、つれ%\とうちまもらせたまひて、亦(また)御涙をおしのごはせ給ふに、領巾(ヒレ)かくる伴(とも)の雄(を)たちに御めぐみの深きをかしこみ奉るよしを聞え奉りをき、「尚(なほ)みちだちつかふまつらん時は、大庭にまふでゝ、御いとまをかうぶり奉らん」と申(まうし)おきてまかんづ。

夜もいたく更(ふけ)たるに、初秋かぜいと涼しく吹(ふき)いでゝ、宵月夜(よひづくよ)の比なれば、月は西の山の方にうちかたぶきながら、影のさやけくさしわたるに、しばし立(たち)やすらひて

ものゝふはくるしきものとしらずしも月夜清しと妹や侍らん

と吟(によ)びながら家にかへれば、門守(かどもり)出(いで)て戸をひらくに、佐保の良女(イラツメ)はいねもやらず。

児達(こたち)三人(みたり)四人(よたり)さぶらはせて、「月見ると人にはいひて」と、うちによびつゝ待居(まちゐ)させ給ふに、とみにむかへ出(いで)給ひて、「御かへりのいとおそかりつるを、おもひ[わび]つゝ侍りし。

何事の御使(つかひ)にか侍りつる」と聞えたまふに、書持は何事もかたらず。

「軍の道だちもちかづきぬと、大御酒(おほみき)たまはらむとて召(めさ)れたる也。

尚(なほ)深き御心どもをも聞えさせ給ひて、御歌もみづから遊ばして給(たまは)りつる。

うへなき御めぐみにはおはしましけるになん」と聞ゆれば、「そはこよなき御事也。

されど、久しく御前にうづくみおはしましつらんに、すこしゆるべ給ひて、日比(ひごろ)このませ給ふ秋の草のかつ%\咲出(さきいで)て侍るをも見たまひて、しばし是にてなぐさませ給ひてよ」と、長床(ナガトコ)などまうけさせ給ひしに、「こはよかめれ」とて、かうむりよそひなどもぬぎてあがりければ、郎女(いらつめ)もうちならびて、「御かはらけ」などのたまふに、児達(コタチ)もち出(いで)てすゝめ奉るに、月は猶(なほ)影さやかにさしわたりて、虫などもなき出(いで)たるを、書持の君、さきそめたる萩の上枝(ウハヱ)をとりて、「彼(かれ)見たまへ。

此(これ)もとつかたへ、さきつ比より咲(さき)そめたりしが、はやもちり過(すぎ)ぬ。

此穂ずゑの花の莟(ふゝみ)がちなるは、おひても咲出(さきいで)つらん。

うつせみの世のことぐさに、『命は老若(おいわか)きさだめなし』と申せど、此はなにたぐひたらんぞ、まことのことわりなるべきを。

さて此花どもの咲ほこりて候はん時(とき)に、一枝(ひとえ)も残らずおしきりて、大后の宮の御なぐさみに奉り給へ。

実(げ)に大后の御うへには命をもおしみ奉らじ。

まして、草花のたぐひをや。

必(かならず)わすれ給ひそ」との給ふに、郎女(いらつめ)きゝたまひ、「さるにても、長月かけて咲出(さきいづ)る花も侍(はべ)るものを、さる比はたひらかにて帰らせたまふべきに、またの御なぐさみに、少(すこし)ばかり残しても侍らん」とのたまふを、書持おもほえず心のむせびて、涙にあらはるゝを、郎女(いらつめ)つれ%\と打(うち)まもらせ給ひて、「さはいと長き御旅路にて、秋の草花のちり過(すぎ)なんまでは、帰りこさせ給ふまじや。

一夜の御とのゐにさぶらはすだに、あかつきがたをばまちわびてさふらふものを、冬かけてかくとゞまり侍らば、いかにすべなからん。

こたびの勅(みことのり)をかふむらせたまふは、御家のほまれ、又ものゝふのうへのほいなりと、の給ひきこえさせたまふ[に]つきて、御別れをいとひ奉るめゝしきことをも、ましてかいなき心をも見え奉らじと、是まではゆめきこえ奉らざりしが、心のうちには、日をよみ、夜をかぞへて、一日(ひとひ)ひと夜とせまり行(いく)はかなさのみおもひつゞけて侍るを」とて、今は御声を立(たて)て御膝(ひざ)のうへに打(うち)ふさせたまひ、しばしして、歌一くさの句/\もさだかならず、やう/\にとなへたまふ。

中/\に死(しな)ばやすけん君がめを見ずひさならばすべなかるべし

ときこへ給ふに、書持はいと/\あはれとおぼして、涙をおしかくし給ふべくもあらず。

御袖を打(うち)かへして、なく/\

天ざかるひなに我あらばうたかたも紐ときさけておもほすらめや

などよみかはしたまふに、月も入ぬ。

書持打(うち)あふぎて、「夜(よる)の霧こそあだものなれ。

そでいたくぬれてさぶらふに、いで参りてぬべし。

さて長丸(をさまる)はいかにしておはする」とゝはせたまふに、児達うけ給りて、「さきつかた御目をさまさせたまひて、なきいさせたまひしが、只今は乳母(おも)がふところにつや/\ねむりおはします」と申せば、「よし、そのまゝにかきいだきて此方(こなた)へ参れ。

我見ん」とのたまふに、児達参りてゐてまいれば、ふところのうちをつれ%\とさしのぞきて、「いとほしの人や。

としまだ二ツなるみどり子の、いくばくの月日を歴(へ)てか、ゆかしきものゝふにはなり給ふらん。

秋の夜かぜはいとふべきものぞ。

はやいねませよ」とて、乳母(おも)がゑりをかきあはせ給ひ、「いざ、郎女(いらつめ)も」とうちたらひて、おく床にいらせたまひぬ。

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吉野物語

         第廿八条

書持白山にむかひてたゝかふ。并(ならびに)書持、たゝかひ死す

七月九日、大伴宿祢書持に三万の軍兵をたまひ、また例を異(そぎ)て、平群(ヘグリ)の朝臣駒丸一人に副将(そはれるいくさぎみ)の勅(みことのり)をたまひ、同じく軍監(ミサスイクサギミ)も笠の朝臣荒金一人に任(マケ)らる。

扨(さて)、十一日の寅の時に両将家を出(いで)、卯の二ツの鼓(コ)うちおはるを聞て、大御門(オホミカド)を入(いれ)て広前にまうづ。

天皇大極殿(おほきみみど)におはしまして両将を召(めさ)れ、書持には玉巻(たままけ)る矛(てぼこ)に御製(おほみうた)を添(そへ)て天盃(オホミカハラケ)をたまはる。

其大[御]歌に曰。

美雪降(ミユキフル)越の国辺(クニベ)に汝等(ナンヂラ)如此(カク)退去婆(マカリイニナバ)平らけく朕(ワレ)は遊ばん朕(ワレ)はいさまむ天皇朕(スメラワレ)珎(うづ)の大御手(おほみて)もてかき撫(なで)ぞねぎたまひ打(うち)なでぞねぎたまひかへり来(こ)ん日に相飲(あひノマ)ん酒ぞ此豊酒(トヨミキ)は

大丈夫(マスラヲ)の[去(ゆく)]とふ道ぞおほろかにおもひて行(いく)なますらをの伴(トモ)

と大[御]筆に深く給(たまは)りけり。

又駒丸には、玉巻(たまま)ける短刀(ノタチ)に真魚(マナ)とりそへて給(たまは)りぬ。

両将御階(ミハシ)を下りて、四度おがみ奉りてまかんづ。

猶(なほ)駒丸をはじめ、軍兵をば奈良山に立(たて)させて、書持ひとり手まはり馬まはりの軍兵のみをゐて、大后の大宮にまうで、かくときこへ奉れば、南の殿(トノ)に出(いで)ておはし、みはしちかく書持をめされ、こたびは何事ものたまはず。

「汝が真子(マナコ)長丸(をさまる)は、いよ/\清(スガ)/\しくてはべるならめ。

我あれば何事もうしろ安く思ひてまかでよ」とのたまはし、御手づから撞栗(ウチグリ)と昆布(おほひろめ)とをとらして、手にたまはれば、書持押(おし)いたゞき退(マカリ)しぞきて立出(たちいづ)。

奈良山に至れば、侍従(オモトビトノマチギミ)勅(みことのり)をもちきたりて、此発旅(ミチタチ)を問(トヒ)なぐさめ給ふ。

扨(さて)軍兵をとゝのへ、並(なみ)を定む。

かゝる時なれば、遠き旅路といへども、弓は弓袋(ゆぶくろ)を出(いだ)し、太刀は太刀袋を出(いだ)し、各(おの/\)肩(かた)に掛(かけ)てあゆむもの千人あまり、矛(ホコ)を捧(サゝゲ)、旗(ハタ)をつけ、楯(タテ)を荷(ニナ)ひて歩(アユム)者三千人ばかり、馬の*縄(カイナハ)をはなちて、騎(のり)つれたる武士(ものゝふ)、三並(みなみ)に一万(ひとよろづ)ばかり並ぶ。

また大角(クタノフヱ)・小角(コマノフヱ)をふきあわせ、鼓を打(うち)ならして歩む兵四十(よそ)あまり、糒(カレイ)・塩(シホ)ざまの物を馬に負(おふ)せ、斧(ヲノ)・鐘(カネ)・火鑽(ヒキリ)・熱艾(ヤイクサ)・手鋸(テノコギリ)[・刀子(かたな)]・弦袋(ツルブクロ)・鞋(クツ)などを肩に荷(にな)わせ、火毎(ほごと)に火頭(ホツカキ)打副(うちソヘ)つゝ行(いく)。

兵二百ばかり、是等の備(そなへ)にすこしたちおくれて、先を掃(はく)兵、旗をさし上(あぐ)る兵、弓・太刀・矛を肩負(おひ)たる兵、さて馬にて先を守る兵五百ばかりのしりにたちて、大伴の宿祢書持は、卯の花なす白き糸にてとぢたる鎧を着(き)、延(ノベ)たる金(こがね)の飾(かざり)したる兜に、鍬(すき)かたたかく打(うち)たるを着、弥塩入(やしほりいり)の紐をかたくむすび、手結(タユヒ)・足結(アシユヒ)にて白玉(しらたま)・赤玉(あかたま)をかざりたる鈴をかけて振(ふり)ならし、沓(くつ)は真熊(まくま)の皮もて作りたるを鐙(あぶみ)にはふみ余(あま)し、手には玉巻(たままき)の矛を手縄にもち添へ、鎧の上には和毛(ニコゲ)の毳(かも)を紅(くれなゐ)に染(そめ)たるに、白き糸にて唐獅子を縫(ぬい)出したるを唐衣なす打着(うちき)、玉をすり出して花房(はなぶさ)作りこめたる青き皮(かは)の帯をゆるくしめ、腰には大太刀(おほたち)をとりはき、又野太刀(のたち)をさし加へたるも、みなしろがねのかざりしたるに、紫のくゝりしたる太刀の緒に、火打袋ゆひかけ、また腰の右には、唐錦(からにしき)の薬袋・飯袋(イゝぶくろ)を、白き糸の網を覆(おほ)ひて引(ひき)かけ、脊(ソビラ)には槻弓(つきゆみ)の弭(ハズ)短(みじか)きに、霍啄(ツルバミ)の色に染(そめ)たる皮を弓束(ユづか)に巻(まき)、筑波峯(ツクバネ)の鷲(ワシ)の白尾(しらを)にはきたる征矢(ソヤ)に、山鳥の尾にはぎたる鏑矢(カブラヤ)たかく指添(さしそひ)て、靹(ウツボ)取負(トリオヒ)、馬は白眼(サメ)鴾毛(ツキゲ)の六寸斗(ムキバカリ)りにてよくこへたるに[鞍打(うち)おき、虎の皮の鞍*(くらおほひ)したるにまたがり乗り、鬣(たてがみ)をむすびて胸(むね)ざまに]練皮(ねりかは)をたりかけ、頭(かしら)には龍の面を作れる馬冠(マカブリ)を打(うち)きせ、轡(クツハ)をひきならして歩ますれば、侍ふ兵・薬師(くすし)ども五百あまり、おのれ/\によろひて馬に打(うち)のり、或は歩みて相(あひ)したがふ。

後(しり)には同じくかざりたる馬三疋、その外(ほか)皮の馬衣(ムマキヌ)をかけたる絹*(カトリノフトギヌ)を紫に染(そめ)たる*(ウハハラオビ)をしめて、尾韜(ヲブクロ)かけたる馬を五十疋斗(いそひきばかり)ひかせたり。

また平群(へぐり)の駒丸もいときららによろひて、玉巻(たままき)の短刀(のたち)を手綱にとりそへ、是も多くの馬をひかせ、軍兵を引(ひき)て打出(うちい)づ。

又押(をさへ)の備(そなへ)には、書持が従弟(イトコ)なる笠の朝臣荒金、同じく兵をゐて打出(うちいづ)。

是はまた名だかき弓雄(ゆみオ)なれば、檀弓(マユミ)の柱(はしら)ばかりなるに、いとふとき弦(つる)をはき、四尺(よさか)あまりに見ゆる白羽の征矢(ソヤ)をいと高く負(おひ)たり。

是を見る人、ゆゝしき大将(イクサノキミ)達かなとたゝへて、唯神祭(かみまつり)などをおがむごとく、参りつどひて、所せく並(なみ)ゐたり。

扨(さて)、行(いく)に、宇治を過ぎ、近江をすぎ、越の塩津山をこゆるとき、両将馬をとどめ、笠の朝臣にのたまひけるは、「彼見給へ。

谷三谷を隔(ヘダ)て、遠(をち)の岨に大きなる槙(まき)の立(たて)るに、猿多くつどへり。

前なる猿ひとつ射とめて見せ給へ」とあるに、笠の朝臣馬を乗よせ、「矢ごろいと遠く侍るに、かならず射中(イアツ)べしともおぼへず」といひながら、尖箭(トガリヤ)を引(ひき)かけ打(うち)しをりてはなてるに、矢はなりひゞきて三谷を越へ、猿のむなさかを射通して、槙の平代(ヒラテ)にいと深く立(たて)りと見ゆ。

書持扇を上(あげ)て打(うち)あふぎつゝ、称(タゝヘ)へたまふ歌に曰

大丈夫(マスラヲ)の弓上(ゆつへ)振(フリ)おこし射つる矢をのち見ん人はかたりつぐがね

とよみ出、心のうちには、妹(いも)がふところに残し置つる長丸が、いつの時にかおひさかへて、かゝる大丈夫(ますらお)*にたぐひなんとおぼしける。

扨(さて)、山をくだるに、塩津山うち越(こえ)ゆけは我(わが)のれる馬ぞつまづく家恋ふらしも

と口にとなへ[て]、行/\越の前をも過ぎ、文月(フヅキ)廿一日、白山のあたり近き小松が岡に着く。

御先代(さきて)かねて参り居つるに、其岡に仮庵(カリイホ)を作り、表には楯をおき並べ、帷幕(イバク)をひきまはし、大将達の御仮庵には*垣(キヌガキ)をはり、軍兵を三重にめぐらしてやどり給ふ。

またとみに走使(はせつかひ)をしたてゝ、御兄(おんあに)越中の守家持のみもとへ御文を奉りたまふ。

いかなる御文ざまにか侍りつらん。

次の日、廿二日、かねてうかゞひ人となりて姿をかへ、其あたりの案内(シルベ)見おきたる者どもをめし出して、事をとはせ給ふに、者等(ものら)申(まうし)て曰、「先白山の岩屋とおぼしき所に、坂路をさしかため、かたくさゝへて候(さふらふ)に、のぼりつきてうかゞひがたく、向峯(ムカツホ)にのぼりて見入(みいれ)候(さふらへ)ども、木深(コブカ)く打茂りたる林を隔(ヘダテ)てさぶらへば、そこともしりがたく、又夜になりて見れば、火の影多く打(うち)見えて[さ]むらへども、いかなる謀(ハカリゴト)をかまへて、所を見せまどはし候はんとおもふに、是また火の影をもては定めがたく侍るに、あかつきがたに烟の立(たち)のぼるは、飯などかしぐにて候はん。

其煙ののぼる所を合(あは)せかんがへ候(さふらふ)に、岩屋はひと所とも見さだめがたし。

また煙のほどかんがへ候(さふらふ)に、いくばくの兵こもりたりともおぼえず。

是ぞ御軍の場(には)にはしかるべし。

又それまでの道には、大なる川二ツ候(さふらふ)が、白山の麓(ふもと)に候(さふらふ)川は、咲川(さきがは)と申(まうし)て、打渡(うちわた)し見候(さふらふ)に、五十ばかりも侍(はべ)らん。

然れども川には露ばかりも水流れず。

川中には、萩・すゝき・かつら花など咲(さき)ほこりて、砂も石も唯白くなりをりて候(さふらふ)に、里人にとへば、『此川はきさらぎばかりは山の雪消(ゆきげ)に水まさりて、弥生の半(なかば)までは流れて候へども、夏冬の間はかく見たまふさまにて、田畑のためにはよしなき川なり』と申(まうし)き。

実(ゲ)に見とむるに、しかおぼへさぶらふゆへに、其水上(ミナカミ)正(タゞ)し侍らず。

また小松が岡を二里ばかり行(いき)て、此方なる川は、則(すなはち)小松川と申(まうし)て、二丁斗(ばかり)の川面(つら)に候(さふらふ)が、是も水にあらせで、たゞわたり候へどもよく見とめたるに、み艸も生(お)ひず、川藻(かはモ)などはいと青くて候(さふらふ)うへに、水たまりたるくま%\には、いまだ鮎子(あゆこ)なども生居(いきゐ)て候(さふらふ)。

猶(なほ)石をかへして見れば、石のうらには滑(ナメ)つきて候(さふらふ)など、いとあやしく候(さふらふ)により、里人にとひて候へば、『是は此ほど水上(みなかみ)をとめて高樋を作り、俄に水をせきとめたる也』とかたるにつきて、『いかなるものゝしわざにか』とゝひ候へば、『白山の岩屋にこもり居(ゐ)る盗(ヌス)人どものしわざ也。

彼らにかゝり、此二とせばかりは、此あたりに住む人、からきめに出(いで)あひぬるに、みなもちつたへし田畑をもすて、家財をすてゝ、他(ヒト)の国にたちのきてさぶらふ。

おのれらは家も定めぬ早蠅(サバエ)どもにて、此木の陰・石のはざまに住(すみ)て、芋・青菜(あをな)を作りて命を惜みさぶらふに、盗人も打(うち)すてがちにておき候(さふらふ)やらん、からきめにもあわず候(さふらふ)』など申せし。

扨(さて)、おのれらいぶかりおもひて、その川の水上にさかのぼり、其高樋をもよく見定(みさだめ)て候(さふらふ)に、誠に俄にしこめたる樋の口にて、何事もおろそかに見えて候(さふらふ)。

是はさだめて大将をはじめ奉り、軍兵一時に此川をわたる時、下樋をぬきて水をおとし、みな殺しにせんずる謀(はかりごと)にさふらはん。

是らの外(ほか)、道すがらにあやしき事はさぶらはざりし」と申(まうし)おはる。

大将たちきこしめして、「事は審(ツバラ)なり。

一日(ひとひ)爰(こゝ)にやすらひたるに、兵も馬もつかれはやみぬ。

さらば明日のあかつき、先其樋のあたりまで軍を出(いだ)し、樋をはなち水を落(おと)し、しかうして小松川をわたるべし。

尚(なほ)白山のふもとの大野によせて、事をはかるべし」とのたまひつゝ、其夜は岡のべに火を篝(かがり)にして、明るをおそしと待(まち)給へり。

扨(さて)、白山の岩屋には、奈良丸・真太刀相(あひ)はかりて、多くのうかゞひ人を里人にしなし、寄手をはかり、事を見出(みいで)て、唯かたはらに聞(きく)がごとく、其ありさまをうかゞひしりぬ。

しかれども、こたびの大将は、大伴の書持并(ならびに)笠の朝臣におはするよしを、さきつかた書(フミ)の直(アタヒ)知徳(トモノリ)、走使(はせつかひ)を立(たて)ていひこしぬるよりこのかた、岩屋の内には是をなげき、「家持の君の御弟にませば、いかにもして討(うち)奉らじ。

軍兵等命をすてゝも、いかさまにもいけどり奉れ。

岩屋の勢(いきほひ)わづかに千人あまりといへども、天の下の民のために誓(ウケ)ひたる軍なれば、寄手千万の軍をゐて参らんにも必(かならず)勝(かつ)べし。

唯此大将并(ならびに)笠の朝臣もいとこにておはせば、御命(いのち)をあやまち奉らざるさまにはからはん」と、かへす%\其事をねぎらひける。

奈良丸軍兵にのたまひをしへ、「かねてはかれるごとし。

今夜の中に三百人の軍兵は、小松川の高樋(たかヒ)の此方に嵐の森の中にこもりて、かねて相(あひ)はかれるごとくすべし」と、よく水をわたり、水潜(みクゞリ)する者百人、またよくゆはひ縄をとき、囚(ヒトヤ)をものがれ出(いづ)る術(ワザ)の者百人、又太刀かきし、よく人をくみとむるもの百人をゑりたてゝ遣(つか)わす。

「また三百の射部(いべ)は、咲川の此方(こなた)、桜か岡の林にかくれて、かねて相(あひ)はかるごとくすべし。

我と真太刀は五百人の軍兵をゐて、咲川の埋樋(うもれび)の上にあつまり、咲山の前に立(ち)てこもりをるべし」と、其夜、月のさしのぼる比に、糧(カテ)をたくはへ馬を並(ならべ)て打出(うちい)づ。

已に夜も明行(あけいく)に、小松が岡の寄手(よせて)は、川のべをさかのぼり、しるべのものを先にたてゝ、高樋を壱丁斗(ばか)り隔て、此方(こなた)なる高峯(たかみね)に集(ツド)ひ、さてみるに、岸たかく川は二丁斗(ばか)りに見ゆるが、うかゞひ人の申せしごとく、水は少しもながれとほらず。

両将馬を立(たて)て、朝霧の晴行(はれゆく)につきて見渡し給(たま)へば、高樋の此方(こなた)の森の中に、軍兵などのこもりたるにやあらん、朝鳥飛(とび)ちりて高くかけり、森のすきかげには、矛などの朝日[に]移りて見ゆるなどもはべるに、定(さだ)て下樋を守りて侍る兵ならん。

「さるは此高岸を下りてかしこに行(いけ)ば、しるべよくしれる軍兵どもの、横ざまに出来(いでき)て、ゆくりなきふるまひをやせん。

またはつかの人を遣(や)りて高樋を破(やぶ)らんとせば、必(かならず)人多く出(いで)て討(うち)とるべし。

いかにせん」とのたまふはしに、書持おもひ得てのたまはく、「軍はよく恐れ、よく進むべし。

おのれおもふに、はつかに壱丁斗(ばかり)を隔たれば、笠の朝臣の弓矢にかけて、高樋(たかひ)の板をくだかるべし。

しからば水あふれ落(おち)て、かたきの計(ハカリゴト)をむなしくせん。

そのうへ、かゝる弓雄(ゆみお)の寄手にありとしらば、野伏(のぶし)だつゑせ兵等、勢ひに負けて軍にも及ばず。

かまへて降人(クダリビト)となりて来(きた)らん者もあるべし。

いで高樋を射くだち給へ」と有るに、荒金受給(うけたまは)はりて、馬をおり、高岸(たかギシ)の上に歩み出(いで)て、朝日影を脊(ソビラ)にうけ、引(ひき)はり/\三度ばかり射つけたるに、大箭(おほや)は鳴(なり)とほりて、所も高樋のふき板にあたりぬれば、板四枚(ヨヒラ)ばかりうごき出て、湛(タゝヘ)たる水のあふれかゝるに、猶(なほ)五六度射つくる間に、高樋はうちやぶれて、あら汐の巻(まき)かへるごとくに鳴(なり)とよみて流れ出(いづ)れば、さばかりの川面(かはヅラ)は、唯潮(ウシホ)のごとく、しばしは白波を立(たて)てながれけるが、もとより浅き山川なれば、みるが内に水かさはひくゝなりてけり。

大将をはじめ多くの軍兵等、荒金が功(いさほし)をたゝへ、またかたきのはかり事のかひなきを笑ひ、「さるは浅沢(あさざは)のあやめに見えし方便(てだて)かな」とのゝしりあひて、平代(ヒラテ)なる川門(カハト)をくだり、川を半(なかば)ばかり[渡り]ゆくに、彼方(カナタ)の森の中より多くの軍兵立出(たちいで)て此方(こなた)ざまに来るに、「いで敵こそ」と見やれば、さはあらで、旗(ハタ)を巻(まき)、矛(ホコ)・太刀を打(うち)になわせ、白き旗に降人(クダリびと)の二字をしるして先にさし上(あげ)、田道をちかくとりてはひ来たり。

大将の御まのあたりを遠くしぞき、ひたつちにいばひふし、声を高くして申(まうし)ていはく、「やつがれらは、白山にこもれるぬす人どもにて候(さふらふ)。

尚(なほ)大将とたのみ侍る人のためにかく高樋を作り、かれなる林にこもりて、はかりごとをかまへて候(さふらふ)に、あらはに見出(みいだ)され奉り、其うへ大箭(おほや)に射付(いつけ)て樋の口をくだき給ふ御勢ひにおそれ、なか/\に太刀・矛をふり起(をこ)してたゝかひ仕(つかまつ)るべき心もあらず候(さふらふ)に、みな一並(ヒトナミ)に申(まうし)あはせ、かくはひ出(いで)て候(さふらふ)上は、御恵みをもて命を全(また)くし、御馬飼(うまかい)の役(えだす)をだにかうぶり奉らん。

尚(なほ)偽りなき旨は、探湯(サグユ)の誓約(ウケヒ)にても仰(おほせ)をそむき奉らじ」と申(まうす)に、軍の司人(つかさびと)等御前に出(いで)て、「降人(くだりびと)等は定(さだめ)のごとく、先(まづ)縛縄(ユハイナハ)にしめ候はん」と申せば、書持心の内におもひしめたまふ事のあるに、いと高く打笑ひたまひ、「さこそあらめとは、先(さき)にいゝつ。

なでふ山ごもりのぬす人ら、何ぞ定(さだめ)のごとくいましめん。

太刀も矛も其まゝにあたへて、おのれがしりに立(たち)て参りこよ。

尚(なほ)其上に功(いさお)もあらば、いかばかりの役をも申付(まうしつけ)ん。

いざ来たれ。

時こそうつれ。

早(はや)此河を渡れ」とのりて、行/\またうかゞひ人のいひつる咲川のべにおはしつるに、其河を見れば、ことにしるべどもの申せしごとく、石かれ砂かはきて、大野のごとく艸(くさ)生ひたり。

さるは秋の日かげ、午の時を過(すぐ)るに、軍兵等、「昼の餉(カレイ)たまはらん」といふに、大将達は此方の高き岡に*垣(きぬがき)をはりてやすらはせ給ふに、駒丸は岸をくだりて、川中の石間(イハマ)に同じく絹垣をはらせ、軍兵残りなく中島とおぼしき所に並居(なみゐ)、岸辺にいとほそくて流るゝ清水を汲(くみ)もちて、おの/\腰なる飯袋をひらき、餉(かれい)くはんとする時、はつかにちかく川上に見へつる狭山の陰(かげ)をめぐり出て、いと早き水の高さ二丈ばかりなるが、白雲のごとくおこりきて、五丁ばかりの山川にいきわたりて流れきたるに、軍兵「あはや」とさわぎ立(たて)ば、駒丸が手まはり大将をさゝへて、中島の方にゆかんとすれども、立(たち)かさなる波におしながされ、行衛(ゆくゑ)も知らず溺(オボ)れ失(うせ)ぬ。

猶(なほ)中島にいきたゞよふるは、むかひの岸辺なる森の中より射部の者ども多く出て、葦(あし)の花なす射かけたるに、一人もたまり得ず射殺されて、見るうちにやう/\百ばかりの軍兵は残りてけり。

さるさわぎの間に、降人(くだりびと)の中より翁だつもの二人三人(ふたりみたり)、書持の前に出(いで)て申(まうし)て曰、「山ごもりの軍は神軍(かんいくさ)にて、唯天(あめ)の下(した)の為につかふまつるなり。

大将御心をあわせ給はらば、やつがれらがうへにも尚(なを)此うへや侍らん。

たとへ此上(うへ)にたゝかはせ給ふとも、我らが命は御劔(ミツルギ)の下にまかせ奉り、いとかしこけれども、御大将及び笠の朝臣の二君はいけどり奉りて、岩屋に御供つかふまつるべき也。

すでに河水もおちかたにさぶらへば、むかひの森より只今出(いで)きたらん軍兵など[いと]多し。

さるうへは御手まはりをもていかに防(ふせ)がせたまふべき。

ひたすら我々が願ひ奉る旨は、則(すなはち)岩屋の大将が申(まうし)つけたるにてさぶらふ」と申上(まうしあぐ)るに、書持いかにおぼしけん、更にこたへ給(たまは)ず。

「荒金心得たまふや」との給ひをはり、馬に打(うち)のり、兜の緒をしめなをし、あまれるをおしきり給ひて、みづから矛(てぼこ)をとりてのたまはく、「汝らが軍は天の下のためにすとな。

我尚(なほ)天の下のためにたやすく汝らにははかられたり。

我死なんずる後に、大将にはしかつたへよ」といひおはり、「侍(さむら)ふものひとりも生(いき)ては有(ある)べからず」とて、三百斗(ばかり)のかたきを前後にさゝへ、「書持が首をとりて汝らが功(いさをし)にせよ。

いで来(こ)よ」とて、矛をのべてつきかけたまふに、軍兵等命を惜まず、唯手にいけどり奉らんとす。

かゝるはしに、川をうちこへて多くの軍兵打(うち)かこむに、さぶらふ軍は残りなくうたる。

又書持・荒金を生捕(いけど)らんとて討(うた)るゝ軍兵も多かりける。

さて岩屋の両将声をはりて、「いかばかりにもおぼしかへて御命をおしませたまひ、我々に御心をあはさるべし。

此うへ多くの軍兵をそこなひ給(たま)ふとも、此方(こなた)よりは刄をもてむかひ奉るものは一人もあらじ。

甲斐なき人を切殺(きりころ)したまはんより、願ひをうけひき給へ」といふに、「さらばしばし軍をゆるべたまへ」との給ひ、又高岡に走(はせ)のぼらせたまひ、馬の上(うへ)ながら御鐙のうは帯をひき切(きり)、ひきあはせくつろげ給ふと見しが、腹広(はらひろ)くたち破り給ひ、咽(ノンド)をたちはなちたまふに及びて、人々走りのぼれどもいとかひなくて、馬のたて髪(かみ)に打(うち)ふさせ給ふを、「とにもかくにもおぼしさだめ給ふなり」とおしさゝへて、御からだを守り奉る間に、荒金同じくしかせんとするを、多くの軍兵こぞりよりて、しひて御命を惜み奉るに、両将馬を打(うち)よせ、「是は橘の奈良丸なり。

かく申(まうす)は、え美の押勝が家人(いへびと)和尓部(わにべ)の真太刀(またち)にて候(さふらふ)。

さきつころ、家持の主にあつき御恵みを得つるより、此度(このたび)のはかり事(こと)は、唯大将とそことの御命をおしみまいらせるのみの事なり。

見たまふごとく、二万(ふたよろづ)の軍兵、駒丸をはじめ劔(つるぎ)に血もかけずみなごろしにしつれど、御二方(ふたかた)をたすけ参らせんとして、をしき兵どもを失ひたり。

此うへは御心をあわせたまひて、ともに天の下の民を救ひたまへ。

書持の主の御うへは、くひてもかへらず。

則(すなはち)また御はふむりの事は、泰澄法師にみのりの事を申(まうし)たのまん。

いざ朝臣ゐて奉らん」と、事をきこへおはり、書持のしかばねは*輿(アミイタ)にかきのせまいらせ、並(なみ)をとゝのへて白山の岩屋に帰るに、此方彼方(こなたかなた)のしかばねをとり分(わき)て、ふかく土にうづみ、塚(つか)をつき、矛(てぼこ)をあつめ、太刀を荷(にな)はせて、各(おのおの)夜をこめて白山にかへるもあり。

又夜たゞに此岡に火焼(たき)てとゞまるも侍り。

さるは水付(ミヅキ)屍(カバネ)・草むす屍(カバネ)、ともに此野べの露(つゆ)と残れり。

雲(くも)くろうして月うすく、風寒うして秋凉し。

いづれか身にしむ時ならざらむ。

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           第廿九条

大伴の家持、世をそむき立山に隠る。并(ならびに)書持[の]霊魂出て家持にまみゆ。

七月廿三日の暁(あかつき)、小松が岡よりしたてたりし走使(はせつかひ)、書持の文をさゝげて家持のみたちに来(きた)る。

かねて都よりかくと聞えつる事のあるに、守おぼしあたる事のあれば、はやくその書(ふみ)をひらきてよみ給ふ。

其文に曰

つゝしみいやまひて兄(コノカミ)の君に告(の)り奉る身なり。

[弟なる]書持かしこき勅(みことのり)をかうぶり奉り、三万の軍兵をゐて、こたび白山のこもり人をうたむとす。

弟必(かならず)こもり人の為に打(うち)まくべしとおもふ旨あり。

兄の君といへども、さる旨(むね)は聞え奉りがたく侍るに、めゝしきふるまひをつかふまつりて、大伴の家の名をくだちたりとなおぼし捨たまひそ。

尚御任(マケ)も果(はて)て都にかへりまさば、長丸(をさまる)が上(うへ)はいかばかりにも御うしろみをたのみ聞え奉るなり。

軍は明日さりて此三日になんきはめつる。

事はつばらに告(ノ)り奉らず。

あなかしこ/\

七月廿一日

兄(せ)の君越中の守に奉る

                      弟大伴の宿祢書持

とかいとゞめたるを見て、家持しばし物のたまはず。

侍(はべら)ふ人をめして、「走使(はせつかひ)の者に申(まう)さんには、軍は定めてけふにて有(ある)べし。

此こたへはつかふまつるに及ばず」ときこへさせ、扨(さて)、「よく饗(アヘ)してかへすべし」とのりきこへ、「けふは心地いとあしき」といひて、おましを引立(ひきたて)てさしこもり、朝夕の食(ケ)をたちて、其夜も明(あく)るに、猶(なほ)おましを出(いで)ず、はつかに粥(カユ)などを煮(ニ)させてたうべ給ふ。

扨(さて)、廿五日の夕(ゆふべ)に至(いた)り、仏の衣をきたる*世捨人(よすてびと)の、二人まで家持のみたちに来(きたり)て、門守(かどもり)に申(まうし)て曰、「おのれらは泰澄法師の徒(ともがら)にてさぶらふ。

守(かみ)さきつ比、御いのりの為におほくの糧(かて)を白山におくり給ふに、みのり落なくはてゝ候(さふらふ)。

さるより、其みのり事(こと)仕ふまつりたりし御礼(みいや)どもを奉りたく、さゝげて参りつるに、御目をたまはらば、尚(なほ)御まのあたりに奉(たてまつら)ん」と聞(きこ)ゆ。

家持はやくおもひ得たまふによりて、「かく病(やみ)てはあれど、世捨人の事にあれば礼(イヤ)もたゞさじ。

此方へともなひ参れ」とて、其おましにまねきいれ給へば、二人の法師が一ツの箱をさゝげて来たりて、守の御前にさし置(おき)、「扨(さて)、是はみのり[の]み礼にも侍らず。

白山の軍は、廿三日の午の時にて候ひし。

よせ手、咲川(さきがわ)の水をせきたりしをしらず、さきに小松川の樋の口を破(やぶ)りたるに心ゆるびて、副将駒丸の主(ぬし)をはじめ、三万にちかき軍兵みな咲川(さきがわ)の*石原(いしハラ)に並居(なみい)て、昼食(ヒルケ)をまいりて侍る間に、埋樋(うもれひ)をきり放(ハナ)ち、多くの水を落(おと)し懸(かけ)たりしに、大将書持の君并(ならびに)笠の朝臣荒金の主は、さひはひに彼方(かなた)の高岡(たかおか)に登(のぼ)りて休みたまふ時なれば、はつかの軍兵ながら御命につゝがなくおはしませしにより、兼てはかりて降人(くだりびと)に作りたりしもの[ど]も三百あまり、大将の御命并(ならびに)朝臣の御命をもおしみ奉り、吾(わが)命のきはまではいとわで、唯手に生(いけ)どり奉らんとせしに、書持の君つよくおぼし召(めし)定(さだめ)られしにや、人参りつどふ間に、高岡に御馬を走(はせ)のぼせて、いときよく御腹をたゝれてかくれます。

扨(さて)、やう/\朝臣をば生(いけ)どり奉り、此方(こなた)の大将[達]をさま%\に申わき聞(きこ)え奉りて、御命をばとゞめ参らせし。

奈良丸の君をはじめ奉り、真太刀も、唯大将の御命をとりとめざりし事をくいて候(さふらふ)のみなり。

則(すなはち)其夜丑ばかりに、御しかばねを白山にはふむり奉り、泰澄よく御法(みのり)をつかうまつりおさめて候(さふらふ)。

是はめされたる御兜にて、なをその中にかい付(つけ)て残したまへる御歌もさぶらふ。

又御かしらの髪を少しそぎて、かくつゝみ添(そへ)て候(さふらふ)は、都の御便りに送りたまふべき御かたみにもや」といひつゝ、世捨人といへども、守(かみ)の御心をおしはかりて、衣の袖をうちかへして泣(なく)に、守(かみ)も今は御涙をとゞめ得ず。

とばかりありて、御歌をとり上(あげ)て読(ヨミ)給ふ。

其歌にいはく、しら山の白き雲井とたつならんかゝらばそれと君が見んため

とあるを、打(うち)かへし/\見給ひつゝ、「かゝらずはげに大伴の氏の子には侍らじを」とて、なみだは雨のごとく落(おち)かゝるをおしのごはせたまひ、「汝達(たち)白山にかへらせたまはゞ、泰澄の大人(ウシ)に申(まうし)たまへ。

『かねて都(みやこ)より仰(おほせ)をかうむり奉るは、官軍(をみのいくさ)若(モシ)かひなく侍らば、家持に救軍(すくひいくさ)を出(いだ)すべきよしなり。

いかなる軍の岩屋にこもりて、斯(かく)さわがせ給ふやはしらねど、軍は必(かならず)勝(かち)に進(スゝマ)ずと*申に、はやくいづこへも立(たち)しぞき給ふこそよかんめれ。

おのれ近きに多(おほく)の軍を出(いだ)して、書持がためにからきたゝかひをつかふまつらん』と聞(きこ)え給へ。

猶(なほ)又かゝるものをおくり給へるは、大人(うし)の御心深きにあれ。

其礼(いや)はよく聞(きこ)えたまへ」とて、いとねもごろにあるじぶりし、金百枚(モゝヒラ)をとうでゝ、「これは泰澄大人へ奉る。

其故は、書持が御(み)のりをなを/\たのみ奉る心也」と云(いひ)て、二人の世捨人をかへし、さるかたみどもは箱におさめ、そがうへにいく重(へ)にもつゝみ、文をかき、歌をよみ添て、佐保の郎女(いらつめ)に送りやらんと、とみに走使(はせつかひ)三人四人に仰(おほ)せて、その夕(ゆふべ)にみたちを出(いだ)し給ふ。

さて次のあかつきに至り、掾(スケ)大伴の宿祢池主(イケヌシ)・大目(サクハン)秦忌寸八十島(ハタノイミキヤソシマ)、よそひして守の御(み)たちに出(いで)、「白山のたゝかひ、救(すくひ)軍にも及ばず、こもり人らがはかりごとにあいて、かひなく大将をはじめ討死(うちじに)にしにたまひ、笠(かさ)の朝臣はいけどられたまへるよし。

誰(たれ)告(つげ)きたる人もあらねど、おひて民どもが申(まうす)にさもたがはじ。

ことに書持の君は御弟にてませり。

笠の朝臣は御いとこにて侍(はべ)り。

しばしも時をうつさず御軍をむけ給ふべし。

其御はかりごとを仕ふまつらんと、まだきにまうで候(さふらふ)也」と、侍(はべら)ふ人/\をもて聞え入(い)るゝに、侍(はべら)ふ人/\うけ給(たまは)りて、「さて守のおましに参りて申さん」とするに、おはしますさまにもあらねば、隠(かく)し所にや入(いり)たまへるとおもひてしばし侍(はべれ)ども、さる事(こと)にもあらねば、おちをもとめこちをたづね[た]てまつるにおはさず。

「こはいかに」とて立(たち)さわぎつゝ、外(ト)を見、内をもとむるに、更におはせる所もなし。

扨(さて)見るに、常におわせる太刀の二ふりあらねば、いづこへかおはせるなるべし。

あまりに時うつればとて、池主・八十島のみまへに出(いで)て、「守、何方(いづかた)にもおはしまさず。

尚(なほ)御太刀のあらぬにておもへば、若(もし)いづこへか立出(たちいで)たまひしならん」といふに、池主・八十島ともに打(うち)おどろきて、いかにせんとたちさわぐはしに、池主が曰、「常に御はかりごと深くおはするに、かゝる筋はかりそめにもおもひとりがたし。

又守の出(いで)うせ給ふなど広くいひふれんは、此一国のさわぎのみか、天の下の聞えだに侍らんを、先(まづ)みそかにして、今十日ばかりも御はかり事(ごと)を待(まつ)べし。

もとよりかくといひさわぎて、御跡をもとむべからず」ときこゆるに、「さこそあらめ」と人々もおもひて、しばし立(たち)しづまりて、下部(しもべ)どものきゝしらぬさまに、「守は御いたつきにかゝり給ひつ」と申(まうし)ふれぬ。

扨(さて)も十日ばかりをふれども、さる御はかり事(ごと)のしるしも見へぬに、また池主・八十島の人々をはじめ、此たびは下司(しもづかさ)までをつどはせていかにとはかるに、守のかくうせ給ふ御心をはかり得ず。

「さるにても、都より御使などあらば、時にあたりていかにせん。

また此まゝに都にうたへ奉らば、大伴の御家をうしなふに似たり。

唯にはかの御病にてかひなくうせ給ひつると申さんには、我/\立合(たちあひ)て見とめ奉るうへは、事なからん」といひ定め、さる御[日]がらをよくつくろひ立(たて)て、薬師(くすし)どもにも心得ふかくものし、扨(さて)俄(にわか)の御病にてうせ給ひぬるよしをいひつくりて、都に走使(はせつかひ)をたてゝうたへ奉り、御子春持の君へもつばらにきこへ、また御はふむりなども、さるべくつかふまつり[おはりぬ。

]

さて、家持の君は、深くおぼしめぐらすよしのあれば、しのびやかにみたちを出(いで)給ひて、立山の麓(ふもと)、かたかひ川のほとりに、先(さき)つ比御沓持(おんくつもち)仕(つかまつ)りたる翁の、今は老(おい)かゞまりてあるをとひつけたまひ、しばし世をのがれおはしましたくおぼすよしの御心を、みそかにかたり給ひ、此翁の孫にて猟丸(サチまる)といふ男のいさみあるをひとり伴ひつゝ、立山にのぼり給ふ。

さるは、此山は、西を前にし東をうしろにし、雲にそびへ霧にこもりて、夏冬となく雪ふりつめば、松ははひふし篠(シノ)は乱(みだ)れて、行(いく)に路なくめぐるに坂なし。

あふげば日の影のかすかに木むらをもれ出(いで)、のぞめば水音の遥(ハルカ)に谷辺(たにべ)をつたひて、なをも心をすますより外(ほか)は、友をもとめ家をさだむべき所もあらず。

かすみをくらひ雲に打(うち)ふす人の外(ほか)は、いづらの者か此山にはこもらんとはすらん。

家持猟丸(さちまる)にのたまはく、「此山、誠(まこと)に道なくして、いづこに行(いく)べき所もあらねど、道なきうき世に住(すみ)なんよりは、はるかにまさりぬべくおもふに、我此森(もり)の中にかり庵(いほ)を作りて、住(すみ)あかんまではさむらふべし。

汝薪をとり水をくみ、朝夕をたすけてさむらへ」とあるに、猟丸(さちまる)はもとより猟(さち)になれて、常(つね)にかゝる山住(やまずみ)すれば、いと安くうけひき奉り、糧(かて)儘(つく)ればかたかひ川にくだりて、米を荷ひ魚をとり来(き)て、心ひとつにつかへまつれば、守いとめでたくおぼして、三十日*あまり住つき給ふに、秋も葉月の末になりて、木の葉ちり乱れ、嵐(あらし)いと寒く吹(ふき)わたり、雪しぐれはふりかさなりて、今は御住居(すまゐ)をもたえがたくおぼすに、猟丸きこへ奉りて曰、「いかに御心をすまさせ給ふとも、秋の最中だにかくのごとし。

此*末は、たゞ雪氷りの高くなるに、林の梢(こずえ)どもゝうもれ行(いき)て、生(いけ)る者(もの)は猪(しゝ)だにも通はず。

鳥さへも飛渡(とびわた)らず。

さる時は、いかでかはたへ給(たまは)ん。

雪ふかく降(ふら)ざる間に、翁が家にかへりたまへ。

まづ御糧(かて)もつきて候(さふらふ)に、けふあすの御糧(かて)をとゝのへ参らん」と申(まうし)て、麓(ふもと)に行(いく)。

守ひとり薪を折(おり)たきて、世のはかなさをおもひしめ給(たま)ひ、わきて書持の御うへをおぼし出(いで)たまふに、「白山のしろき雲井と立(たち)ならむ」とよみ残したまへるを、灰かきにかきつゞけながら、立山にたてるしら雲心あらば雲にいざなへなき人を見む

とよみ出(いで)給ふに、たける火の中に、唯烟(けむ)りのごとくしろき鎧を打(うち)きたる人のおわすに、「心からにや」とおぼして、尚(なほ)つら/\と見(み)とむれば、書持の君いとやつれたる御面(おも)もちにて、声は唯空にきこえてのたまはく、「御歌の心のいと深きに、しら雲[に]いざなわれて書持御前(おんまへ)に参れり」とあるに、家持の君、御心もうつゝなくなりて、「扨(さて)も恋(こひ)しかりし人のいかでかくとひまうで給へる。

いとかなしきかたみをみしより、世の中の事をあぢきなく、家の事をもわすれて、今はかく山ごもりしてさむらふに、おぼししめたる御心をかたり給へ」とあれば、書持尚(なほ)有(あり)し御姿になりて、守の御前(みまへ)にかしこまり居て、「さても有(あり)さまは聞(きか)せ給ふごとく、唯天(あめ)の下の事をおもひしめて侍るより外の事は候はず。

君やつがれが事をおぼす御心まどひにて、かく山ごもりしたまふ。

こは有(ある)まじき事也(なり)。

猶(なほ)白山の軍兵も、奈良丸をはじめ、やがて御跡をしたひて此山に来(きた)るべし。

さる時をまたせ給ひて、ともにゐて陸奥外が浜にくだり給へ。

外が浜はえ美の押勝すがたをやつしてかくろひ、えみしを言向(コトムケ)て軍人に加(クハ)へん事をはかる。

君そこにくだりおはさば、押勝いかばかりか志を得ん。

此事をきこえ奉りたくおもひて、はるけく参りぬる。

今はまかでなん」との給(たま)ふとおぼすに、たゞ御夢のさめし心地にて、扨(さて)見たまへども書持はおはしまさず。

尚(なほ)薪を折(おり)くべて烟(けむり)のうちを見れども、さりし御姿も見え給はぬに、いと/\かなしくなりて、むね打(うち)たゝき、あしずりをして、わらべなす声をはなちて、書持の君をよびかへし給へど、唯山彦のよびつぐより外(ほか)は音もなく影もあらねば、立出(たちいで)て見たまふに、猟丸(さちまる)米を負(おひ)、魚(な)をつゝみ、手火(タビ)をふり立(たて)てかへり来るに、その御ありさまを見て、「いかで物ぐるはしくし給(たま)ふ。

山の神等(ら)やおどろかし参らせし」とて、かきいだきて入(いり)まいらせするに、ありし有(あり)さまをかたらせたまへば、「まことにもさもおわすべき事なり。

さらば明日(あす)なん我(わが)家にかへらせたまひ、雪白くふりしかざる間に、みちのくをさしてくだりたまへ。

おのれ御供つかふまつらん」とぞいさまひける。

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吉野物語

                 第三十条

鞍馬(クラマ)の高神(タカゝミ)、陸奥にありて術(バケ)を売(うる)。并(ならびに)勝虎兄弟、塩焼・不破の二王をゐ奉りて奇丸(クシまる)に逢(あふ)。

「陸奥山(みちのくやま)に金(こがね)花さく」とよめる山のへに、鞍馬(くらま)の高神(たかかみ)といふ者あり。

あやしき術(バケ)をうりて業(ナリ)とす。

宮寺(みやてら)、花紅葉にかこちて人多く参りつどふ所には、いづこともなく行居(いきゐ)てかの術(ばけ)をうるに、是を学び得んとて、吾(わが)大人(うし)と称(たゝ)へて参りつどふ徒も多くなりにき。

扨(さて)、さる所/\には必(かならず)ゆき居て、終日(ヒネモス)業(なり)をつとめて有(ある)とは見ゆれど、おのれは正(まさ)に家を出(いで)ず、人問きたれば立合(たちあひ)つゝあるに、また、かしこには正(まさ)しに行居(いきゐ)て有(あり)とぞいふ。

さるは其身の二人まで有(ある)にもあらず。

尚(なほ)ひとりにはあらざりければ、世の人是が名を奇丸(クシまる)とよびつゝ、其術をもとめて見るのみか、占(ウラ)をとひ、いのりなどたのみ聞ゆるにつきて、多くの宝をまうけ、尚(なほ)其上にいやまひにあひて、此奇丸になびきしたがはざるものもなかりき。

さるは先の大御代(おほきみよ)に《聖武》、はじめて此山より金をほり得て奉りしより、人住(すむ)山となり、さかえて、町を建並(タテナミ)、蔵(クラ)をたてなみ、さてわたり来る舟どもをあらため、また荷(にな)ひ物を見とむる役所(ゑだす)を城闕(カキヤ)のごとくしかまへ、上の司(つかさ)下の司は星(ほし)のごとくにつらなり居(を)り、金(こがね)を堀出(ほりいで)、これを吹(ふき)いだすものは雲(くも)のごとくにむれつどひて、そのにぎはひたるありさまは、おもふに都(みやこ)にもまさりぬべし。

さて高神が業(なり)する所(ところ)は、鼻節(ハナフシ)の神社の御まへに仮庇(サスキ)をいとたかく作り、廻垣(わがき)をいとあつくめぐらし、木戸は唯ひとつをかまへて、其木戸のかたへには手拭(タナゴイ)引(ひき)かぶりたる男どもの寄居(よりゐ)、声はいと高くして、「はじまり/\」といふ事(こと)をおらぶ。

入来(いりく)る人さしのぞきて、「人はいまだ立(たて)こまず。

*いかにはじまりならん」といふに、男共(ども)が、「只今にて侍るよ。

はやからんは近くて見たまふべし。

おそからんは又遠かるべし」といへども、皆木戸のおもてにいさよひつゝ、上(うへ)にかけたる札(フダ)をよみ、また絵書(かけ)る札を見るに、高神が大きなる牛(ウシ)を頭よりのみ入(い)るさまも有(あり)。

或はかひなを切落(きりおと)したるをつき合(あは)するさまもあり。

或はおのがからだに大なる釘(くぎ)はりを打込(うちこま)するさまもあり。

或は一間に高汐(たかしほ)のみなぎり落(おつ)るさまも有(あり)。

さてかけ札をよみて見(み)れば、「口の上」といふ二字をしるして、其事にいはく、やつがれ、ちか比京(みやこ)よりまかり下(くだ)り、こゝにてはかなき術(ばけ)を見せ奉るに、日毎に晨(ツト)めておはしましつゝ見たまふ事、やつがれ此高神をはじめ、なべて此座(クラ)に侍る者どもゝ、ありがたきまで添(そふ)と申(まう)さんや。

礼(イヤ)は詞(ことば)をもて聞え奉(たてまつ)るべくもあらず。

尚(なほ)はしけき御心をもて、長くおはしまし給へとなむ。

術(バケ)の座下(クラモト)鞍馬の高神

としるしたり。

扨(さて)、高仮庇(たかサヅキ)に鼓(ツゞミ)をかけて打鳴(うちな)らすにつきて、往来(ゆきき)の人も立入(たちい)り、尚(なほ)このみて参りつるは、木戸の口をいそひ入(い)るに、男ども木の札をあたへ、*銭にかへて是をもたしめ、或は紙をひねりて一字をしるしたるなどをもあたへて入(い)るに、飯(イゝ)をうり宍(シゝ)をうる家の子は、餉笥(カレイゲ)ざまのもの、或は平盤(ヒラテ)ざまの物を為手(トテ)にさゝげ、麻(アサ)の赤裳(アカモ)を前のかたに打(うち)たれて、賓客(マロウド)を引き小女(ヲトメ)をゐて、或は仮庇(さつき)或は下席(シタムシロ)へ行(いく)に、術(ばけ)をつとむる板間の前には傭布(チカラヌノ)の帷幕(トバリ)を張(はり)て、しばし見る人も打しづまる時、*木戸の外(ト)の辺(ヘ)に鉄杖(カナツヱ)のおとし、楚(シモト)とる村長(ムラオサ)・棒振(ツヱフル)刀祢(トネ)どもいと多く立来(たちくる)事有(あり)て、「*高神を召(めし)とり給ふ。

彼方には上司(うはづかさ)もおはしませる。

是見んとて参れる人はあやまちあらぬさまにはからふべし。

尚(なほ)うらのかたにも刀祢(トネ)どもをめぐらしおけば、高神はいづこへものがるべからず。

いで取らん。

いで得(え)ん」といひつゝ、楚(シモト)をふり上(あげ)、杖を引(ひき)ならして立入(たちい)るに、物見んとてきたれる人/\は、唯かしこみしづまり居(を)るに、先其帷幕(とばり)をかなぐれとて、みな立(たち)よりて引(ひき)ければ、はつかにせまかりし板間と見えしは、はるけき海原と打(うち)かはりて、千鳥(ちどり)・鴎(カモメ)飛(とび)かはし、しき波よする青海(あをうみ)の上に、やかた作りたる舟をうかべ、網をひかせ鉤(ち)をおろし、宍人(シゝビト)真魚(マナ)の板を洗ひ、刀子(カタナ)をかまへ、鍋に火たきてさふらふものも見(み)ゆるに、高神は上座に居(お)りて盃をとり、うたをうたひて楽(ヱラキ)居(を)れり。

刀祢ども上司の人をむかへて、「彼見たまふごとしといへども、もとより邪(ヨコシマ)の術なれば、海と見(み)ゆるも海ならず。

舟とみゆるもあらぬことなり。

直(なほ)に打入(うちいり)りて召捕(めしとり)さぶらはんや」といひつゝ、各(おのおの)其海に*をどり入るに、入るもの見るがうちに魚となりて、波にうきておよぎあるくに、「是もまた術ならめ。

いで来よ」と、上司をはじめ、打入/\魚となりつゝ、鯛(たひ)・鱸(すゞき)・蛸(たこ)・かつほざまのいと多くうきあるくに、高神は打笑(うちわら)ひて、「海の猟(さち)心よし」とて、網に引上(ひきあげ)させ、鉤(ち)につり上(あげ)て、まのあたりに宍人(シゝビト)につくらせ、或は煮(に)、或は膾(ナマス)にして、心よく打(うち)くらひ、侍(はべら)ふ者どもにもたうべさせて、「是見たまふ人々へも、少しはまいらせたきものかな」などいひつゝ、あくまでにくらひをはり、「あまりに咽(ノンド)のかはきたるに、いで此大海をのみほさん」といひつゝ、口を波の穂(ほ)によせてのむにしたがひ、吸ふがまに/\、さばかりの海は呑(のみ)ほされて、もとの板間になるぞと見(み)しが、高神たちまちかたちをかへて、廿丈(ハタたケ)あまりのおろちとなるに、俄に雲おこり神鳴(かみなり)はためき、光りみちて打(うち)と[ゞ]ろくに、是を見る人心をうしなひ、「あなかなしや。

あなかしこや。

高神にたすけたまへ」とさけぶに、高仮庇(たかサスキ)より鼓(コ)を打(うち)ならし、「明日(あす)なんつとめて参り給へ。

評判(トリナシ)/\」といひさわぐに、まだ朝なりとおもひしは、はや暮にくれて月も出るに、ありつるおろちはいづこへか消(きえ)て、雲霧も晴(はれ)わたるに、見れば板間には焼火(ともしび)を立(たて)、高神よそひしてかしこまり居(を)れり。

見る人、「高神が術にあひて、いとおそろしかりつるよ」と、くち%\にいひのゝしりて出行(いでいく)。

さて、高神は業(なり)を仕(し)終り、銭をあつめ袋におさめ、徒(トもがら)に負(おふ)せて帰り行(いく)に、魚(ナ)をうる市に立(たち)より、けふ求めつる魚(ナ)の代(て)いくつとよみて銭を遣(ヤ)り、「扨(さて)、さきつかた、我いほりにまろう人(ど)のおはしましつらん。

饗(ミアヘ)つかふまつらではあらじ」とて、銭多く出して真魚(まな)をもとめ、菜屋(ナや)にいきて菜(な)を*もとめ、酒をもとめ、木の実をもとめ、皆徒(ともがら)どもに荷わせて、すでにいほりの門に入(い)らんとする時、徒(ともがら)二人三人(ふたりみたり)にいひて曰、「汝達心(こゝろ)ふたつなきありさまはよく知り侍れど、猶(なほ)我(わが)ためには命もおしまず、いかなる役(ゑだす)もつかふまつるべきや。

心をさだめてうけひせよ。

いほりにおはしましぬる賓客(マロウド)の御うへは、深(ふか)くひそめ奉れば、今にいたりてかくいふなり」と聞(きこ)ゆるに、徒(ともがら)どもかしらをさげて、「たとへいかばかりの御役(ゑだす)をうけたまはるをもそむき奉らじ。

尚(なほ)見きゝたる事どもゝ正(まさ)にもらし奉らじ」といひをはりて、神に誓約(うけひ)て申(まうす)に、高神今は落居(おちい)て、「さらば我につきていほりに入(い)り、御みあへの事つかまつれ」といひ、立入(たちいる)よと見れば、奇丸(クシまる)畳をくだり、「さきつかたより御饗(みあへ)をつかまつりたく、みづから市に行(いき)て魚をもとめ、菜(な)をもとめ帰りし。

まづ御木(コ)の実(ミ)を奉らん」といひさわぐ。

徒(ともがら)どもうちさゝやきて、物のすきかげに見れば、あてなる御男に、引(ひき)そひておはしますをみなもたゞ人ならず。

また御かたへにはべる刀自(トジ)も、人がらのいと高きに、武士(ものゝふ)ふたりいとをゝしきがさし添(そひ)奉りて、主の奇丸(クシまる)と打(うち)とけたる御ものがたりどもなり。

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            第三十一条

酒屋足丸、外が浜にありてえみしをはかる。并(ならびに)家持、北国の軍兵をゐて外が浜に下る

足丸(たるまろ)、下(しも)つ女をのりて曰、「何とて汝等はねぎたなきぞ。

夜はくるめきに打(うち)もたれて、綿をくりながらいびきを鳴らし、朝はみづから起(おき)たつ事なく、此主(あるじ)に門をひらかせ大路(おほぢ)をはかす。

是きけ。

京(ミヤコ)の女どもはな、夜は夜たゞに機(ハタ)を織(おり)、糸をおり、朝は晨(ツト)めて蔀(シトミ)をあげ、門を払清(はききよ)め、竈(かまど)をはらひ、湯(ゆ)をわかし、食(ケ)をまうけ、身はひとつ手はふたつあれども、十人斗(とたりばかり)のうへをつとめて、主の心をそこなふ事(こと)なし。

さるを汝等は、巻上(まきあげ)てだに髷を結(ゆ)はず。

赤(あか)ばりたるひたひをば付藻(ツクモ)のごとくうちみだし、爪(ツメ)は鷲(ワシ)のごとくにし、かく*(ノレ)ば猿(サル)のごとくし、面(ツラ)は蚶(キさ)のごとくにふくらし声は犬のごとく息噛(イガミ)て物をなげうち、陶(スヱモノ)を破りて、主をば仇のごとくす。

また、なごめてつかへば、笑(ヱミ)さかへて今朝(けさ)のごとく朝寝(アサイ)す。

とにもかくにもえみす*なるよ。

そは、さきつかた御馬屋(ミムマヤ)の浜の舟人(フナビト)どもが入り来(き)て、酒百壺(モゝツボ)をかはんといひしが、やがてきたるべし。

来たらば常(つね)のごとくあるじぶりせん。

下部(しもべ)どもにはや起(おき)よといへ。

朝食(アサゲ)はやくたべさせよ」などいひおしへて、酒うる座(くら)にのぼり居(をり)、筆(ふんで)をとり、昨日の夜の事など何々とおもひ出(いで)て帳(フンダ)にしるし、算盤(ヨミサラ)をかきならして男どもをよび、「昨日(キソ)の夜うりつる酒壺の数は、是が外にはなかりしか。

それ忘(ワス)れつ。

津軽(ツガル)のタツヒレト[と]いふえみしがもとへ、酒壺(さかつぼ)六ツ。

是はをとつひの事か、馬に負(をわ)せて遣(や)りつるが、其酒代(テ)はとりしか」といふに、男が、「是は此月のつごもりに、弓(ゆみ)十張(とはり)・毒矢(ブスヤ)三百篦(みほノ)を作りて、其酒代(さかて)におさむべしと申(まうし)き」といふに、足丸(たるまろ)筆をそめて其旨(むね)を帳(ふんだ)にしるし、「其外(ほか)落(おち)たる事はあらざるか」など、ねぎらふはしに、船子ども多く入来(いりきたり)て、「千島の主トビカラの君へ参る酒壺、今朝も申(まうす)ごとく百壺(モゝツボ)をかはん。

風よければ此青森(あをもり)の津(つ)より積(つみ)出(いだ)して参らん。

よて御馬屋(ミムマヤ)の舟は此津へまはし来たりぬ。

此追風(おひて)のすゝむうちに、其壺どもをつみなん」といふに、足丸聞(きき)て、「いかにもつますべし。

しかれども、秋より三百壺(みほつぼ)とふ酒をうりし[が]、其あたへを見(み)ず。

其上にまた百壺をおくらんは、心遣(こころや)りならず。

*誰にもせよ、其酒代(さかて)の事をうけひく人あらば、事は正(たゞ)しくて後つみなん」といふに、舟子どもきゝて、「是はことわりにこそ。

千島も春より海の猟(さち)かつてなし。

山の猟(さち)も、いかなる事にか、山には猪(しゝ)・熊(くま)どもの乾跡(カラト)も見えず。

さは何をくらひて命をたもたん。

まだトビカラの御勢ひにて、内子鮭(コゞモリサケ)・鰒(アハビ)・煎鼠(イリコ)・*(ソハリ)・昆布(エミスノ)などを蔵にたゝへて持(もち)給へばこそ、多くのえみしをたすけ給へるなれ。

此うへ今年の冬より春にもかけて、さる猟(さち)もあらずは、軍にてもおこし、是らの国をうかゞひ給はんより外(ほか)はあらじ。

いとおそろしの事ぞ。

海もなぎ山もしづまりて、いとゆたけくあらんさまに、我らも願ひ侍る。

さはきこへ参らするごとくなれば、此百壺の酒代どもゝ、先(まづ)さしあたりてのおきのりはあらじとおもふ也。

」といふに、足丸きゝ得て、「こはいとさわがしき事ぞ。

さるにても、舟には通辞(コトゝキ)の来ておはさんに、是(これ)へ来たらせよ。

酒はいかにもおくるべきが、事は正しくちぎらはん」といふに、舟子どもいきて通辞(こととき)をつれて来たるに、其姿は、頂(イタゞキ)の前は*少しばかり剃落(ソリおと)して、髪は糸をもて高く結(ユヒ)、眉(マユ)は生ひうもれ、髪は八束(ヤツカ)に押(おし)たれ、眼(め)はあかく面(おもて)黒く、耳には輪金(わがね)をさしはめたり。

衣は栲(*タく)の皮を織(おり)たるに、袖はいと細(ほそく)して着(キ)たり。

さて太刀は鞘(さや)には小波(サゞレナミ)をほり付(つけ)、束(つか)には唐艸(からくさ)をほりつけたるに、紐つけざまの所には、みつあひに組(くみ)たる緒(を)をさし通して、右のかたにかけ、太刀は左りの腰にたりはけり。

足丸(たるまろ)を見て打(うち)あぐみ、髭(ひげ)をかきなでゝ曰、「先(さき)に舟子どもゝ申(まうし)つらん。

千島(しま)は秋のころより糧儘(つき)て候(さらふ)に、いくばくの酒代をもいまだおさめず。

千島の司(つかさ)ボンデントビカラ、是をうれひ歎くといへども心にまかせず。

又其上に百壺の酒をもとむるは、心なきに似たれども、えみしとふものは、ひと日も是をのまでは有(あり)がたし。

爰(ここ)をもて、しひて酒をうけ得て参る也。

やがて海山のどけくなりなば、いかばかりにも猟(さち)のあたへをとゝのへて、酒代を参らせん。

おのれうけひき奉る」といふに、足丸ひとつ/\聞得(ききえ)て、「先(さき)に其ありさまをうけ給はりぬ。

おのれも京(ミヤコ)よりはるけくまかり下りて、かく業(なり)をいたすに、多くの人を遣(つか)ひ、家もかく作りひろげ、蔵をも作り、長屋を造り、酒を醸(カモ)し候(さふらふ)に、いかばかりの宝(タカラ)を費(ツイヤ)せしとかおぼす。

然ればあたへなき酒は、唯一盃(ひとツキ)といへども参らせがたし。

しかれどもおもふ旨もあれば、此たびは積(つみ)わたす。

ともに四百壺(よほつぼ)の酒なり。

是を酒代につもりて算(カゾ)へて見(み)れば、おほに二百(フタモゝ)あまり十枚(トヒラ)とふ金(コガネ)なり。

さて誓約(ウケヒ)せんは、もし春かけて海山の猟(さち)なく、飢(ウヘ)にのぞみ給はゞ、おのれその二百(ふたほ)あまりの金(こがね)をもとらず。

いかさまにもはからひて其うへをもすくひ参(まゐ)らせん。

其時、此足丸が申(まうす)事(こと)を背(そむ)き給ふまじや。

そこは言解人(コトゝキビト)におはせば、よく心を定めてこたへしたまへ。

若(もし)此誓約(うけひ)をいなみ給はゞ、此百壺の酒もつまじ。

尚(なほ)舟にのりて千島にわたり、三百壺の酒代をもしいてとらんず」といふに、通辞(コトゝキ)しばしこたへ得ず、もだ/\にあるを、「こたへなくばしかせん。

男ども其つぼ[ども]を荷ひ入れよ」とをらぶに、通辞手をもみ出して、「さるにてもトビカラの御心[をしらねば、事にあたりていと苦しく侍る。

いかにも御心]はうけ給はり得ず。

何事も我にまかせたまひて、其酒は心よくおくり給へ。

えみしの風俗(てフリ)として、恵(メグミ)にあひてはよく報ひ、仇(あだ)にあひてはあしくむくふ。

少しも御心を背(そむ)き奉らざるさまにはからはん」といふに、足丸かねてえみし丸が申(まうし)つる事もおもひ合(あは)せて、「さらば御詞(ことば)をもて、事なくおくり奉らん」といひて、やがて百壺を船に積(つま)んとするに及(および)、しかまへつる饗物(アヘモノ)を通辞にも舟子どもにもあるじゝ、酒をもりうたひ、時のうつるに、「汐もかなへり。

おひてもよし」とて、いづれも百壺の酒をつみもちて、青森の浜を漕(こぎ)はなれぬ。

扨(さて)あるに、えみし丸はせ来たりて申(まうす)は、「おのれ此程仰(おほせ)をかうぶりて、津軽のかたを行(いき)めぐりて、心深き者どもをかたらひ置(おき)、近きに千島にわたりて、トビカラに事をはからんとおもひ候(さふらふ)所に、千人(ちたり)あまりの武士(ものゝふ)、秋田路を歴(ヘ)て碇(イカリ)の関山(セキやま)をこえ、石黒(イクリ)が崎をわたりて外が浜に参ると申す。

さていかなる人々なるぞと、是をうかゞはんため、鍬を肩(そびら)におひて里人にたぐひ、ちかくたゝずみて候(さふらふ)に、ゆゝしきものゝふたちもの多く打荷(うちにな)わせ、中に立(たち)たるは大将にやあらんとよき馬に[打乗たるが四人(よたり)までをはしますに、其馬に]乗りたる中には、伊吹山にて見参らせし真太刀とやらん申(まうす)御人のおわすに、あまり怪しく心得がたければ、御供人にとひて、『いづこをさして参り給ふ人/\ぞ。

又外が浜と申(まうす)も、いと広き所也。

浜にては、いづこいかなる人をかたづねて参り給ふ』ときこへてさぶらへば、『外が浜は青森の津にて、酒屋の足丸といふ者の方へ行(いく)なり』とのたまひし。

おのれしかうけたまはりしより、唯そらをかける斗(ばかり)にはしり来て、事を告(のり)奉る也」と申す。

足丸打笑(うちヱミ)て、「我かねて其人[々]を待得(まちえ)つれ。

大かたけふの暮かけて参りつき給ふらんな。

その為にかくさきつ比より、家を作り広げてはおきつれ。

去(さる)にても、千人ばかりもあらば、浜手の家をもかきはらひて、そこに下部だつ人を入(いれ)まいらせよ。

飯(イゝ)ども能(よく)とゝのへよ。

湯をわかせよ。

魚(ナ)をもとめよ」などいひさわぎてまちをるに、神無月二日といふ今夜、奈良丸・家持・荒金・真太刀(またち)を先(さき)として、軍兵(いくさびと)千人あまり、鎧を荷ひ、弓矢を荷ひて入来(いりきた)るに、足丸わざと姿をかへず、いや正しく出向(いでむか)ひて、「此方(こなた)へ」と*むかへいれ、先(まづ)君だちに向ひ奉りて曰、「かねて白山の御城闕(かきや)より、真太刀はしり使(つかひ)を立(たて)て申(まうし)こしぬるうへに、此ほど秋田路よりまた使(つかひ)をはせて、『此度(このたび)は家持の主・荒金の主をもゐ奉りて』と申聞(まうしきこ)え、事はつばらに書(かき)つけず。

故(ゆゑ)こそあらめとおもひめぐらし候(さふらふ)ときなり。

長き御旅寝の御つかれも侍らんに、御ありさまはしづかにかたらせ給へ。

人間(ひとま)にも必(かならず)押勝とな呼(よび)給ひそ。

トビカラを我軍(わがいくさ)にくはふるまでは、いつまでも酒屋の足丸にてさぶらはん」と打(うち)ゑみ、先(まづ)御手まはりの軍兵たちを休め参らする所、さて下(しも)つかたを臥(ふ)さするくま%\の事を物しさわぎて、其夜はいたく更(ふけ)ぬ。

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               第卅二条

蝦夷(エミシ)の棟梁(トウリヤウ)カムイボンデントビカラ、徒党(トトウ)をゐて海をわたり来る。

夜明(よあけ)もて行(いく)に、足丸、真太刀をまねきて、久しき間の物語をとひ聞(きき)、書持(フミモチ)の君の御命をとりとめ奉らざりし事どもを、ともにくやみていひ出(いで)ける。

大将たちもおきいでたまふに、朝食(アサゲ)*などみあへおはり、足丸、家持の君并(ならびに)荒金の君にむかひて、「誠にかくおはしましぬるは、ゆくりなくおもひ奉るに、荒金の御うへの事は、さきつかた、真太刀、白山の御軍の事につきて、くはしく物語り聞えぬ。

家持の君の御うへは、いまだつばらにうけ給(たまは)り奉らず。

はじめよりとりてきこへさせたまへ」と申(まうす)に、奈良丸の君、御かたへより、「そはおのれかたりてきこえ参らせん。

白山の軍すでにおはり、笠の朝臣の御命をば、ひたすらに願ひてとりとめ参らせしうへに、書持主の御はふむりどもをねもごろにつかふまつり、御かたみを此卿に送りまいらせしに、さだめて此上は救軍(すくいいくさ)の勅(みことのり)あるべしとおぼし、道ならぬ御軍むけ給(たまは)んことを口おしくおぼし定め、書持の卿の御わかれをいたみ給ふさまにしなし、みたちを出(いで)おはして立山にかくれましませしに、書持の奇魂(クシタマ)そこにおはして正(マサ)にまみへたまふうへに、『外が浜にくだりおはしまして、押勝に御心をそへたまへ』と教(おしへ)給へるよし。

またおのれにも其卿の奇魂正にまみへたまひて、『爰にとゞまりあらんはよしなし。

早く軍をつどはして立山に参れ。

其山の麓、かたかひ川のほとりに家持の卿おはしますべし。

是をもゐ奉りて、ともに外が浜に行(ゆか)ばしからん」とをしへ給ひしによりて、かく申(まうし)あわせ、はるけくは参りたまふなり」と聞(きこ)えたまふに、足丸涙をおさへて、「ますらをの御心は、誠にいけるごとくにおはしましけるか。

此うへは、やつがれにも御はかりごとをあわせたまひて、唯多くの軍人をあつむるにはしかず。

さて我(わが)家人にて、三田(ミタ)の首(ヲウト)奇丸(クシマロ)と申(まうす)者の候(さふらふ)。

かねてみちのくに行(いき)て、をちこちうかゞひて候(さふらふ)に、先(さき)つ比(ころ)ゆくりなく塩焼の王(をゝきみ)・不破の内親王を御内(ミウチ)舎人(トネリ)秦忌寸(ハタノイミキ)勝虎夫婦・同弟勝行してゐ奉り、奇丸が庵(イホ)に着(つき)給ふ。

かゝるはからひは、武蔵の国に参りおれる高橋の手力(たちから)がつかふまつりたるよしなり。

奇丸はじめすまひ侍る所は、しろすごとく金(こがね)花咲(はなさく)山の辺(へ)にさぶらひしを、海をわたり行(いく)島なれば、よろづ心遣(こころや)りならずとやおもひつらん、今は松島のあたり、梅が浦と申(まうす)所にいほりを作り、二王(フタオホキミ)をしのばせ奉り、[尚(なほ)内舎人等を付添(つきそ)はせ奉り、]おのれは業(なり)にかこちて多くの人を言向(ことむけ)さぶらふよしを、さきつ比申遣(まうしつか)はせし。

いかさまにもえみしどもをかたらひ得てさぶらはゞ、君達の御供つかふまつり、松島のあたりにのぼり行(いき)て、浅香の王(をゝきみ)を言向(ことむけ)奉らん。

さるうへは、多くの御いきほひにもなりてさぶらはんに、[ほ]いかならずとぐべくもおもひ*奉る。

扨(さて)、春にもなりて雪消(ゆきげ)侍らんまでは、ゆたに此家に御やすらひ有(ある)べし。

家はひろく作りかまへ、糧は多くたくはへさぶらふに、此御軍兵のうへに万の兵をまさんも、御厭(イト)ひは侍るべからず。

尚(なほ)御はかりごとはしづかに聞えおはせよ」など申(まうし)て、海山のものをとゝのへて、朝夕にみあへしける。

扨(さて)み冬つぎ春来(きた)れども、雪降(くだる)に海は満汐に鳴(なり)さやぎ、山は嵐に吹(ふき)あれて、ともに猟(さち)どものなかりしかば、富める蝦夷は養(かひ)おける熊を討(うち)て飢をしのぎ、まづしきはまた女萎(トコロ)をほりてくらひ、葛根を噛(カ)みて、雪消(きえ)んまではと命をおしむに、二月にも*なれど、猶(なほ)猟(さち)すべきけしきにもあらざるに、えみすの司(つかさ)カムイボンデントビカラ、徒(ともがら)をあつめて曰、「かゝるけしきにては、三月四月をまつといへども、いかでのどけき事のあらんに、さる間には、千島にすまむ者死(しに)たるべし。

かねてはかるごとく、女子(メノコシ)《エミシノ詞》どもには残れる糧をあたへ島にとゞめ、我力雄(チカラヲ)・弓雄(ユミヲ)をば撰(ヱ)り立(たて)て伴(アトモ)ひ、外が浜に打(うち)わたり、横ざまに堺をおかし、宝を奪(ウバ)ひ糧を致して、千島のえみしどもを救ふべし。

事はまがれりといへども、事にあたりてせんすべなし。

また酒屋の足丸には、酒代いと多くおひたるうへに、また百壺をおくりて、其上通辞どもに申遣(まうしつか)はせし旨(むね)もあれば、必(かならず)さる時に臨(ノゾ)むとも、足丸が家はおそふべからず。

なをおもふまに/\宝を得て後(のち)、足丸にはあつく礼(イヤ)をもて報(むくは)ん。

此ほどの風、西南に吹(ふき)て止(ヤマ)ず。

よきわたりとなるに、みなさるかまへせよ」とふれて、二月五日、三百(みほ)ばかりのえみしに弓矢をたくはへさせ、筏(いかだ)を作りて乗出(のりいで)、風のすゝみぬるに、唯一時におひわたりて青森の津のおきべにかゝり、うかゞひをつけて津のありさまを見んとす。

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             第卅三条

恵美の押勝・家持はかりて和(ナゴ)す。并(ならびに)カムイボンテントビカラ、美人を乞う。

扨(さて)、かく沖べにえみしが舟のとゞまるを見て、浦輪(ウラハ)の漁夫(イサリヲ)たち騒(さは)ぎ、「ボンデントビカラ、多(おほく)のえみすをゐて此津におそひ、家を破り人を殺し、宝をうばゝんとて来たる也(なり)。

いかゞせん」とまどひあるくに、ゑみの押勝は、家持・奈良丸・荒金の君達并(ならびに)和尓部(ワニベ)の真太刀を加へて、ともにはかりて曰、「たゞ是やつがれがおもひ得るにて候(さふらふ)。

ボンデン此津をおそはんとて来るは、此津は商人のみすまひて侍る所なれば、えみしらたやすくおもひて舟をよせ来(きた)るならん。

幸(さいはひ)千人にあまる軍兵の有(ある)に、ひそかに打鎧(うちよろ)はせて山かげに伏(ふせ)おき、御大将は奈良丸、荒金并(ならびに)真太刀は司をつかふまつるべし。

えみし等(ら)陸(くが)にあがりて、民どもの家をおそひあるかんとき、一村に千人の軍兵を出(いだ)され、矢を揃へて前なるえみしどもを射ころさせたまへ。

中にも荒金の御弓矢をもて、えみしの大将とおぼしきは、定めて龍(たつ)を織出(おりいだ)したる錦を着て侍らんに、さるものどもはよけさせたまへ。

いやしき姿に侍るをば、いとひなく討(うち)ころさせたまへ。

ゑみしまた毒矢(ブスヤ)を射(い)かくるとも、是はいと近くして射るものなれば、なか/\此方(こなた)の矢比(やごろ)には及ばじ。

もとより毒矢は篠(シノ)の細箆(ホソノ)に木切加(きりくは)へて、其とがりに毒をぬり、檜[の]木のたり枝を弓につくりて射れば、弓の力矢のわざは、はつかに[毛]ものゝ皮をやぶるに[過ず。

]扨(さて)その毒はしるしはあれど、弓は鎧をとをすべきちからなし。

さて矛(てぼこ)をさし上(あげ)、太刀をひらめかしておどろかしたまはむには、中/\かたへにも参り得ず。

さる時を見て、おのれと家持の君とボンデンにまみえて、彼をよく和(ナゴ)しいるゝ謀計(はかりこと)のあり」と申(まうす)に、「ともかくもまかせ参らせん」と有(あり)て、俄に鎧(よろひ)立させ、西のべの彼方に千人の軍人をひきておはせり。

ボンデンは舟を漕(こぎ)よせ筏をつけて、皆(みな)/\陸(くが)に打(うち)あがり、弓矢をとり、斧をさげ、門をくだき、長屋をやぶり、宝をうばひ、人をおひて、おもふまに/\ふるまへども、足丸が家は唯除(ヨキ)によきて、隣(トナリ)をだにも騒(さはか)し立(たて)ず。

既に青森の津は残りなくおそひ終(おは)り、多くの粟稗(アハヒヱ)を盗(ぬすみ)とり、釜をぬすみ酒をうばひ出(いで)て、松の生並(ヲヒナミ)たる白浜(しらはま)に集(アツマ)り、久しくうゑたりしにや、先(まづ)釜に火たき、粟どもを煮(に)て心よげに打(うち)*くらふ所を、ゆくりなく西方(にしべ)の山かげより、鼓を鳴らし、笛を吹(ふき)、大鐘(おほカネ)をつき、楯をたゝき、矛は垂氷(タルヒ)を逆(サカ)さまに立(たて)たるごとくさし上(あげ)、[太刀は]鏡を打(うち)ふるごとくひらめかして打出(うちいで)、矢ごろを遠く隔(へだ)て、かの錦を着つれたるをば除(ヨキ)て、射部(いべ)のもの雨のごとくいかけたる中に、四尺(ヨサカ)あまりの鳴矢(ナリヤ)は、いかづちの落(おち)かゝるごとくひゞき*(ノゝシ)りて、二人斗(ふたりばかり)のえみしは、家(いへ)の芋(いも)を串にさしぬけるごとく射通すに、ボンデントビカラ大きに驚(ヲドロ)き、「こは人の軍にあらず。

神(カムヒ)《エミシノ語》の御軍(みいくさ)也。

われ/\横ざまのふるまひしたるをにくみ、斯(カク)は責(セメ)給ふならん。

立(たち)ておがめ。

居て拝め」とて、「唯々(をゝ)」とさけびて泣(なく)を見ければ、*少し弓矢をおさめて見るに、ゑみしどもは、「神の御心少しは和(なご)したまへりとおぼへ、「猶(なほ)/\拝め」とてをらぶ処へ、押勝・家持の、御すがたをも商人(アキビト)にやつし、なを我も扇のみを腰にさし、えみし丸ひとりをあともひ、三人ながらボンデンの前に行(いき)ていわく、「おのれは酒屋の足丸なり。

また、是なるは京(ミヤコ)べのいとこにて候(さふらふ)。

扨(さて)斯(かく)参る事は、去年(コゾ)の秋より四百壺(よそつぼ)の酒を売(うり)参らせたるに、今におきて其酒代(さかて)をたまはらず。

只今請取(うけとり)まいらせたくて、此いとことゝもに参れり」と申せば、トビカラまた打(うち)おどろきて、「いと/\くるしき事かな。

えみしの風俗(テブリ)として、人に物おひては、まことに千疋(チビキ)の石をおひたるよりもおもく心得、『いかにして返さん、いかにしておきのりせん』と、たがひにおもふ事にて候(さふらふ)。

然れども、きこしめすごとく、海山のさちたえてあらず。

千島のゑみしども、飢(うゑ)にうゑて死(しに)たるをしのび得ず、かゝる人の堺をおかして候(さふらふ)は、人をもすくひ、又そこのおひものをも残りなく仕(つかまつ)らむとおもひての事也。

先(まづ)是に盗得(ぬすみえ)たる銭どもの候(さふらふ)に参らせむ」とて出(いだ)せば、家持きかして、「我は足丸がいとこにて候(さふらふ)が、かれに負(おは)せたる金の侍るを、此度(このたび)とりかへさんとて下(くだ)りつるに、千島のうゑさまよひたる事は、おのれらがしらざる所也。

さる偽をきこえ給はず、わづかの銭どもを出(いだ)されんより、足丸がおわせたる二百枚(ふたもゝひら)あまりの酒代を早(はや)く返したまへ」と責(せむ)るに、ボンデン手足をすりて、「前には神軍(かんいくさ)をさゝへ、かたへには負物(おひもの)を責(せめ)給ふ人あるに、今はいかにせん。

いかばかりの御望(のぞ)みをも申(まうし)たまへ。

少しも背(そむ)き参らせじ。

しばし其負物を責(せめ)給ふ事はゆるべ給へ」といふことを、えみし丸一ツ/\聞(きき)とり、二人(ふたり)の君たちに聞え、扨(さて)、えみし丸出(いで)て曰、「ボンデンよく聞(きこ)しめせ。

此うへにも横さまのおそひ事(ごと)をしたまはゞ、神軍(かんいくさ)尚(なほ)いかりまし/\て、そこをはじめ、ひとりも残らず弓矢にかけて殺したまふべし。

然れども、よこしま事を止めば、糧儘(つき)てまた千島の人は死(しに)うせなむ。

こゝをもて、此足丸の去年(こぞ)も通辞(ことゝき)にいひ遣(つか)はし給へるごとく、万(よろづ)足丸のこゝろにまかせ給はらば、おぼすまゝになるがうへに、聟となしてみやこの姫を御仲人となりてまいらせんとの事也。

かゝればよきのうへのよき事ならずや」と欺(アザム)くに、トビカラ打(うち)よろこび、「そこはもとえみすにて、ゑみすの心はよくしり給ふべし。

よき事にあたりて、何をかおもひめぐらさん。

はやく足丸の御心をうけたまはらん」といふに、「さらば神軍に従(したが)ひてものゝふとなりたまひ、其(その)うへ、千島をも此方(こなた)の領所(シルトコロ)にわかちたまふべし。

しかあらば、よき姫をまいらせて我(わが)聟とせんは違ひあらじ」といふに、カムイきゝて、「さらば此方(こなた)にてはたがふまじ。

先その姫はいづこにかおはす。

唯今こゝにて誓約(うけひ)し、我(ワガ)領(シル)千島を二ツに分(わけ)て足丸に参らせ、其上にえみしの衣をぬぎ、名をかへて、いかにもそこの聟となり、いかばかりの軍をもつかふまつらん」といふに、事は定(さだま)るといへども、其姫のなきにゆきあたりてせんすべなく、「さるは日をさだめて婚礼(*メアひ)のほぎ事をせん。

先(まづ)そが間は、我々願ひて神軍をばとゞめ参らせ、尚(なほ)人々は我(わが)家にとゞめて、しづかに御すがたをもものゝふに仕(つかまつ)りかへん」といへども、「我々とゞまり居(ゐ)る事はいかにもせん。

其姫を見ざる先には、輒(タヤスク)くすがたをばかへじ」といひつのるに、家持・足丸、「先(まづ)しづかにはからはん」といひあわせ、さて、扇をあげて軍兵にむかひ、彼方(カナタ)へ/\とまねけば、大将たちその和(なご)しつる有さまを見とらせ、軍を山陰(やまかげ)に返したまふに、また、足丸は安方(やすかた)とふ浜辺の家をかきはらひ、えみしの徒(と)をむかへいれて、酒をすゝめてあるじしける。

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                                    第卅四条

奇丸(くしまる)が文、外が浜に来たる。并(ならびに)家持、松島に行(いき)て不破(フハ)内親王(ヒメミコ)をゐて参る。

二人の走使(はせつかひ)、足丸が家をとひ来(きた)りて、奇丸(くしまる)が文を出(いだ)すに、押勝みづから走使(はせつかひ)にあひて其有(あり)さまを見るに、年のほどはまだ若く見ゆるが、をゝしきものゝふなれば、「そこはいかなる御使の人ぞ」ととふに、礼(イヤ)正(タゞ)しくして、「やつがれらは奇丸が徒にて、是は鎧島(よろひしま)の袖丸、やつがれは鐙島[の]武蔵丸と申(まうす)にて候(さふらふ)。

我(ワガ)大人(ウシ)已(スデ)に本(モト)つ御名をあらはされ、三田(みた)の首(おふと)奇(くし)丸と*うけ給はる上は、足丸と申(まうす)御名をば呼(よび)奉らじ。

大臣(ヲミ)ひとへに御心をゆるされ、いか斗(ばかり)の御仰(おほせ)ごともうけたまはらば、身にあふせぬ御役(えだす)事にても、命にかへて仕(つか)ふまつらん」といふをきかぬ顔にて、先(まづ)奇丸が文をひらく。

其文にいわく、先に聞え奉るごとく、二王いよ/\安らけく平らけくて、梅が浦*の庵におはします。

尚(なほ)勝虎夫婦・勝行もまめに御みやづかへを仕(つか)まつりぬ。

やつがれもくさ%\の術(ばけ)をつかふまつり、人を和し入(いれ)て候(さふらふ)に、已に百(もゝ)ばかり*は志をゆるすべき徒(トモガラ)を得たり。

中にも此二人は、くまなく志をあかして候(さふらふ)によりて、此度の使ひをも申付(まうしつけ)て候(さふらふ)。

先(まづ)申さんは、術の事をもて、みちのくの兄長(このかみ)にておはす浅香の王(おほきみ)の御(み)たちへも参るに付(つけ)て、おもふ旨あつて、塩焼の王をゐ奉り、おのれが徒の俳人(わざびと)にしなして王にまみへ奉りしに、浅香の王の姫、山の井の君深く我(わが)王に御心をかよはし給ふさまに聞えつ。

是らの事にとり寄(よせ)てさぶらはゞ、浅香の王をも此方(こなた)の軍に加へ奉るべき筋もいでこめ。

さる事おもふまに/\つかふまつりあふせて侍らば、まだきに外が浜の御徒を集めて、此(この)あたりをさしてのぼらせたまへ。

先(まづ)かゝる事どもをもきこえ参らせたくてかくなん。

尚(なほ)此二人の使には御心(こゝろ)を隔(へだて)ず、いかばかりの事をも仰(おほせ)たまはるべしと申す。

二月廿三日

吾君恵美の大臣へ奉る

                                                        臣三田の首奇丸

としるしたり。

押勝読おわりて、「二人を此方(こなた)へ」と申(まうし)て、饗物(あへもの)よくとゝのへさせて、「何か此うへは心を隔(へだて)侍らん。

いさゝかはかる事の有(ある)に、一日(ヒトヒ)はとゞまり給へ」とてとゞめ、さて君達とはかりて曰、「ボンデン、已にしろしめすごとく、心を和(なご)して候へども、都の姫と申(まうし)きかせて候(さふらふ)詞(ことば)をわすれず。

唯此事の障(サゝ)はりてさぶらふは、えみし丸が詞の誤(アヤマリ)にて候へども、えみすの風俗(テブリ)として、仮染(カリソメ)にもいひ出(いで)たる事をたがひに背(そむき)き侍らず。

聊(イサゝカ)も詞と其事と違ふ時は、あらそひのはしとなりて、心を和す時なく候(さふらふ)。

さはとて此あたりの女どもをいかばかりに作り立(たて)て欺(アザムキ)候(さふらふ)とも、かれよくうけひかんともおぼえず。

只今奇丸が使を遣(つかは)したるにつきて、おもひ得て候(さふらふ)。

君たちの中御一方、奇丸が使を直に御供にめしつれられて松島に参りたまひ、猶(なほ)奇丸とはからひ給ふうへにて、内親王をゐ奉りてくだり給はゞ、彼に御よそほひたかき御姿をおがませ、さて其時にあたりて、神の御(み)すゑのいとたふとくおはします旨をやつがれ申聞(まうしきか)せ、御徳(いきほひ)をもてよく和(なご)したらんには、中(なか)/\横さま事を申出(まうしいづ)べきともおぼへず。

さるうへにて、君達をはじめ、やつがれらが名をのりきかせ、軍兵に加へ侍らんとおもひ得て候(さふらふ)。

唯王の御心を宥(なだ)め奉り、しばしの御わかれをいとはせたまはざるさまに申たもふ筋は、御はからひともに有(ある)べき事也」と聞ゆるに、三人の君、「しからん」とうけひかせ給ひ、奈良丸はいさゝかの御いたづきおはしますにより、則(すなはち)家持の君、「松島は名ぐはしき所なり。

殊にやつがれいと若き比、金花咲(こがねはなさく)とよみて奉りしみちのく山をも見たくほりするに、幸(さひはひ)に女王(ヒメオホキミ)の御むかひにまうでゝ、よろしく親王にはきこへ奉りて、必(かならず)御供(みとも)してまかりかへらん」とのたまはし、俄に御旅よそひありて、御供には猟丸にひとりふたりを加へ給ひ、袖丸・武蔵丸に道のしるべさせて、こたびは南部(ミナミベ)の道をのぼりたまふ。

さて、浅虫(あさむし)山をこへたまふに

つがるのゝ岩木の山のいはひづらまたいはひ来ん此山みちを

都島といふ所を過(すぎ)給ふとて、うちひさす都の島はこゝとへど都の空の遠くも有(ある)かも

などいひなぐさめておはすに、松島[の]うらべなる梅が浦に着(つき)給ふに

むめの花さける春辺はみちのくの梅が浦べもかはらざりけり

また、「海辺(うなべ)にいと高く見えて侍るが金(こがね)花さく山にて候(さふらふ)」と申(まうす)に、打(うち)見やり給ひて、おもひきやこがね花さく山とよみしやまべをこゝにけふ見なんとは

扨(さて)、御すがたは、市女笠(いちめがさ)などめしてやつし給ふに、道行(みちゆく)人は唯有(ある)旅人なりと見過(みすご)し奉るに、しばし門にたゝずませ参らせ、武蔵丸・袖丸御いほりに入りて、先(まづ)奇丸・勝虎兄弟にも斯(かく)と聞ゆれば、打(うち)おどろきて、「先(まづ)此方(こなた)へ」とて、奇丸先(さき)に立(たち)てむかひまいらせ、御ともは休らひ所に遣はし、足洗槽(アシマスフネ)など取(とり)あへずもて*きて、猟丸旅の御よそひをぬがせ奉る間に、御湯槽(ユブネ)などつかふまつりきこえて、御浴(ユアミ)もせわるに、先(まづ)御あるじぶりをつかふまつり、御髪などをば勝虎が妻とりあげ奉り、御荷ひ物の中よりかうぶり御よそひなどをとうでさせて、家持御すがたをあらため給ふに、さて王御二かたの御目をたまはる。

王たちも唯御夢のごとくおぼしなりて、珎らかにもあやしくものたまひ出(いづ)る事(こと)に付(つけ)ては、御泪のみとゞまり得ず。

家持も久しく越の中津国(なかつくに)に下(くだ)りてありし間の御さわぎよりはじめて、かゝる有(あり)さまどもをとうで/\御物語を申(まうし)なぐさめたまふに、一日ふた日は御とひ事(こと)*また聞え奉る事どもにて、御前もまかでずおはしたまふに、「さて、かく参る旨は、しか%\のよしなり。

暫(しば)しの御別れをいとはせたまはずは、よき軍兵(いくさびと)三百あまりは加へ奉らん。

こは唯天が下の民をおぼしたまふ御心一ツの事に社(こそ)」と、ことはりきこへ給ふに、「そこにもはるけき道を、かくやつして参り給ふからは、いかにめゝしくさる筋にいなみ侍らんや。

尚(なほ)そこにもしかおぼして、家持をゐて外が浜へ参り給(たま)ひ、事はてばとみに[かへり]おはせよ。

かゝる事あらずは、いかでさるえみしの国を見給(たまは)ん」とのたまわするに、よく聞わき給ひて、ひと日二日の内に御たびよそひし、猶いぶせけれど、肩負輿(カタヲヒコシ)にめさせて、人見咎(とが)むまじくすべし」と、奇丸等よくはからひ立(たて)て、三月七日、桜が浦を出たまふ。

親王(みこ)、おくりたまふ御うたに曰、遠つ人松といふ島に我すめばまつとふ詞(こと)はいはずもあらなむ

女皇こたへまして、とゞめ給ふ御歌に曰、常盤(ときは)なるまつの木下(コモト)の色かへで我をまたせよまつしまの君

尚(なほ)家持にはくさ/\のたまひきこへ給ひ、御送りの御歌をたまふ。

ゑみし等をことむけせんと大丈夫(ますらを)が遠き国辺をいきかへるらむ

「よくつとめたり。

罷(まかり)かへらば、奈良丸にも荒金にも、『尚(なほ)押勝には、千々(ちゞ)に心をくだける有(あり)さまをつばらに聞(きき)つ』と申せ」とのたまひて、遥(ハルカ)に高き所にのぼりおはして、御袖をふらせたまひつゝ見おくらせ給ひける。

さて、家持によきものゝふ四人五人(よたりいつたり)をさしそへ、女王には勝虎が妻と、又奇丸が徒のいとこにて、やもめなる女の玉衣(たまぎぬ)といふを、此程御宮づかへに奉りしをもさしそへ奉る。

さるはこたびも南部(みなみべ)の山道を過(すぎ)、海辺をわたりて、弥生十八日、外が浜に着(つか)せたまひぬ。

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             第卅五条

足丸、はかりてカムイボンデントビカラに内親王を拝ましむ。并(ならびに)トビカラ、神孫のとふ[と]きを聞て悉(コトゴト)くしたがふ。

内親王をゐ奉りて、はるけく家持のかへりおはすに、はき清めたるおましにいれ参らせて、奈良丸・荒金もよそひをあらためて、御けしきをうかゞひ奉り、猶(なほ)くさ%\の御慰(ナグサ)めきこへ奉り、一日ふた日過(すぐ)るに、足丸又家持の御すがたをやつし参(まい)らせ、えみし丸をもつれて、トビカラがさむらふ所に参りて申さく、「月日の移りぬるに、定めて此酒屋が偽りをがな申(まうし)つらむとおぼし疑(ウタガ)ひつらん。

則(すなはち)都の姫をむかへ奉りぬ。

あすの暁(あかつき)、聟がねの定(さだめ)せんに、よそひども能(よく)とゝのへて、うからやからをあともひ、我(わが)家に来(きた)りたまへ。

猶(なほ)事果(はて)ば、契りつるごとく御すがたをかへまいらせん」といふに、ボンデン大(おほき)に悦び、「さるうへは、何かうけひにたがはむ」といひて、明日(アス)にもなれば、よそひよくとゝのへ、うからやから三十人斗(みそたりばかり)をゐて、足丸が家に来たる。

其よそひをみれば、髪を巻(まき)、髭をたれ、金(こがね)の耳がねをさしはさみ、下には和毛(ニコゲ)の毳(カモ)の黄(き)に染(そめ)たるを着(き)、うへには花田色に爪(つめ)五ツある龍(たつ)の十あまり村雲の中にはひもこよふさまを織(おり)たるに、裾(スソ)のかたは波の八重(やへ)折(を)る中に、海龍神(ワタツミカミ)の宝どもを織(おり)たる衣を着、しろがねなすものにて束(ツカ)鞘(サヤ)巻(マキ)たる太刀を、右の肩より左の腰にたりはき、高麗沓(コマグツ)をはきながら打(うち)あぐみ居(を)れる。

先(まづ)酒をもりてあへす。

そは又大碗(おほまり)にもり渡し、箸ひとつを打乗(うちのせ)て前にすえなみたるに、トビカラより取上(とりあぐ)れば、やから共(ども)ともにとりあげて、一時(ひとゝき)に其箸をにぎり、鼻のへなる髭をかきあげつゝ、髭(ヒゲ)が下より其酒をのみて、「ほゝ」といひて息つきをれり。

猶(なほ)かさねてもりつぐに、三盃(ミツキ)ばかりほして、「いとめでたき時也。

いでうたはばや」といひて、肘(ヒヂ)をひらき、胸を打(うち)ならし、或は胸(むな)わきの右ひだり*をかはる%\うちつゝうたふ。

其歌に曰、猿目(サルメ)が張れるもホ梅の木株(カブ)つなせ[る]もホ尻(シリ)は棚(タナ)なす尻なも妻(ツマ)としあらば美子(ウメコ)神子(カンコ)ゑうべな/\進(サミ)こそ《エミシノ歌ナリ》

と、後はたち踊(ヲド)りてうたひけるに、えみし丸出て、「いと/\めでたしや。

さらば都の姫の御目たまはらん」とあるに、「こなたへまうで給へ」とて、わたどのめく所を七間(ナゝマ)八間(ヤマ)しるべして、高きおましにいざなひつゝ、「彼にましますこそ」とて引出(ひきいだ)すに、ボンデンあふぎ見れば、いと高くしたる御座所(ヲマシドコロ)に玉の簾(スダレ)をまかせ、玉を餝(かざ)りたる御かづらのいときら/\しきに、下より上に濃(こき)うすき御衣をかさね、紅裳(アカモ)いと長くひかせ、扇をさしかざしたる御おもゝちの半(なから)もれ出(いづ)るに、唯初桜の咲(き)出たる峯(を)の辺(へ)より、春の月影のいとにほやかにさしのぼるばかりに見(みえ)たまふをはじめ、うからやからは、唯生(いけ)る御神をおがみ奉るとおもひ、おもほへず御いきほひにかしこみて、頭の押(おし)たるゝに、右左(トカウ)を見れば、奈良丸は黒き御よそひに、藤の花色の袴(はかま)を着て、かうむりを高くめしておはします。

家持また同(おな)じくよそひ、荒金は朱花(はねすいろ)の衣を着て、是も冠をたゞしくしたり。

さて酒屋の主(あるじ)と見しは、左の上座(カミクラ)に、黒き衣に紫のはかまを着て、是もかうむりをたかくいたゞきてさぶらへり。

其外(ほか)、猟衣(かりきぬ)に袴を着添(きそへ)、冠したる人/\、唯すがたをきざめるごとくにとゝのひて並(なみ)おれり。

トビカラわなゝき出(で)て、たゞ[た]ふとくおもひぬるに、えみし丸をまねきて、「これはいかなる神(かん)たちぞ。

是の足丸もいづれのひまに、かゝる神にはなりたまひつる。

おそろしの聟がねや。

かゝるかしこき御妻(メ)をたまはらば、頭うちあげむ暇(いとま)もあらじ。

さるにても此故をきこへたまへ」と申(まうす)に、押勝、えみし丸を呼(よび)て、「汝よく言解(こととき)せよ。

彼におはしますは、則(すなはち)天照大神(アマテラスオホンカミ)の此国しろしめさせたまふより、御代(ヨ)は四十五継(つぎ)の御代(ミヨ)、天璽国押開(アメノシルシクニオシヒラ)き豊桜彦(トヨサクラヒコ)の天皇(アメノスメラギ)の御娘(ミムスメ)、不破(フハ)の女皇(ヒメミコ)にておはします。

大宮には横さま人のおはしまして、民をくるしめ給ふ事をかなしみおぼして、御夫(ツマ)なる塩焼の王とともに大宮を出させたまひ、我/\をたのみおぼしめして、心深き軍兵を言向(ことむけ)給(たまは)んと、はるけく天降(アマクダリ)ませり。

ボンデン、今よりえみしの心をかへて、神の御すゑの御君につかへ奉るべし。

さらば、永き代にものゝふの子孫を残すべし。

我さきに汝を聟にせんといひちぎらひし武士の一言は更にたがへじ」といひて、勝虎の妻にむかひ、「其(その)花つよめをこゝにゐて参(まい)りたまへ」とあるに、よそひよくしたるおとめをいざなひ出(いづ)るに、押勝また曰、「是なる女は、女皇のめしつれたまへる侍女(ヲモトメ)にて、名を玉衣(たまぎぬ)といふ。

汝が妻(め)にさだむべき間、汝またうけひくごとく、衣をあらため、かたちをかへて、唯今聞えつるごとくせよ」といふに、ボンデン手をあわせて、「唯今すみやかにかたちをもあらため、尚(なほ)御まのあたりにきこえ奉(たてまつ)りたき旨あり」と、詞もいと正しくいひとり、御前をしりぞき、もたせたりし包より上着(ウハギ)・下着(シタギ)の倭衣(シヅゴロモ)をとうで、上には襴衣(スソツケゴロモ)を着、はかまを着、かしらには圭冠(ハシカタノカムリ)を着、二(フタ)たび御前にはひ出(いで)て曰、「やつがれもとよりのえみしにさむらはず。

みちのく山に金を掘出(ほりいだ)して候(さふらふ)高麗(コマ)の安多倍(アタベ)が次の子にて、もとつ名は高麗(コま)の白主(シラヌシ)と申すにて候(さふらふ)。

しろしめすごとく、金を堀(ほり)いだせし功(イサホシ)によりて、親は其山の上司(カミツカサ)に任(マケ)られ、役所(ヱタス)を承(うけたま)はりてさぶらふに、兄また同じくさる御役をつかふまつり、おのれもさて有(ある)べき所を、いさゝかの咎(トガ)を仕(つかまつ)り、御山の掟(ヲキテ)に背(そむき)て候(さふらふ)に、はるけくおひ遣(や)られ、立所(タチド)にさまよひて千島に渡り、親のえみし*サムイデンと申(まうす)にとりいり、則(すなはち)軍聟となりて候(さふらふ)に、道なきえみしの島には候へども、我神道(カンミチ)を教へ、いさゝか物のことわりを示(シメ)して侍(さむら)ふにより、かくて侍るうからやからも、なみ/\のえみしにはさむらはず。

さて、親も妻(メ)も身まかりて候(さふらふ)に、『いかにもして此堺をおかし、事よく仕(つかまつ)りおふせたらば、おのれ一国のあるじとなりて、古(ふる)さとの親兄へも、それがいさをしによりて、ふたゝび面を合(あは)せ候はん』と、さもなき波風を申(まうし)たてゝ、『千島のえみし等はうゑ死(じに)す』といひふらし、先(さき)つ比(ころ)のふるまひに及べり。

尚(なほ)酒屋の主(あるじ)と聞えしを、人をしのばせてうかゞはせ侍るに、ゆえある武士(ものゝふ)のかくふるまひておはするよしをきゝ出し、『是には恵を得たれば』と申(まうし)たてゝ家をおかさず。

おほよそに人をおそひて侍るに、多くの軍兵西山の彼方(かなた)より出(いで)て、矢を射懸(いカケ)ておどろかし給ふ有(あり)さま、猶(なほ)足丸と名のり、いとこといひて、*それにおはします君をゐておはしぬる時、はじめて面を知らる。

常ならぬ人也とは心(こゝろ)得つ。

そがゆへにいとおろかなる言(こと)をいひつのり、わざと此浜にとゞまり居て、みそかに/\御有(あり)さまどもをも窺(うかゞ)ひ知れり。

尚(なほ)此玉衣(たまぎぬ)とあるは、我(わが)もとの妻(メ)にて候(さふら)得ども、めあひしてほどもなく家を出て候(さふらふ)うへに、かゝるあらえみすの姿にかはり候(さふらふ)間、かくいふともおぼろげにさむらはむ。

なをわれをば見しりつらん」などいひて、玉衣をみれば、玉衣は、「さきつかたより、よく似て侍る人も世に有(あり)けりとおもひて侍りしに、ゆくりなき御ゑにしにさむらへ」とさしいらふに、女皇をはじめ奉り、君達も、「いとくしきえにし也(なり)」とのたまふ。

白主(しらぬし)かさねて申(まうし)けるは、「そは過(すぎ)し昔の事也。

今あらたに御侍女(おもとめ)をたまひ、押勝の[君の]御聟とあらんはかしこみあれば、御家人達の御娘として我にたばへ」と申(まうす)に、「しからば、真太刀が娘として、日をあらためてめあひさせん」と有(ある)にぞ、白主打(うち)よろこびて、「かゝるうへは、我よく軍の法(ノリ)をもおしへ立(たて)て候(さふらふ)えみしら、三百余人にあまれり。

尚(なほ)遠きしま%\もみな我知る所なれば、ともにつどわせたらんには、御役(ゑだす)をもうけたまはる人がらの者は、千々に満(みつ)べし。

日あらずしてまねきあつめん」と申出(まうしいづ)るに、女皇にもおぼすまに/\侍れば、「近きほどに御供つかふまつり、松島(しま)をさして参りのぼらん」と申(まうす)。

「御ほぎ事あらん時なり」とて、御かはらけを奉りける。

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              第卅六条

塩焼の王、塩焼となりて、浅香の王の姫にかたらふ。并(ならびに)守部等(モリベラ)、王を射殺(いころす)。

近江大津の宮に御代*しろしめしゝ天皇《天智》、いと若うおはしまして、大御名(おほみな)を葛城(カツラギ)の王と申(まうし)奉りしころ、御父天皇の勅(みことのり)をうけもちてみちのくに下りませしに、其国の守の娘、采女を暦て家にかへりおはせしに、御かはらけを奉るとて、「浅き心は我もはなくに」とよみて奉りし歌にめで給ひて、則(すなはち)御かたへにさむらはせ給ふに、此娘、一夜二夜の中にはらみて、やがて御子なんうめり。

御名をば浅香の王と告(の)らせたまひ、其後御代しろしめしゝかば、都へめしたりしかども、「我はみちのくをしりなん」とのたまひつゝ、爰(ここ)にいと広くしるよしして、今は御年(おんとし)も百(モゝ)まり十(トヲ)に老(おい)なみておはします。

其御(み)子あまたおはします中に、はての御子は姫にて、御名を山の井の君と名づけたまふ。

扨(さて)ゆたけくさかへおはしますにつけては、世にあるとある御遊びごとは、何によらず出(いで)ても見(み)たまひ、めしても見させたまふに、「梅が浦の奇丸(くしまる)ぞ、たぐひなき俳人(わざびと)なり」といひはやすに、ほどもあれど、折/\宮にめされて、父王をはじめ御はらから達の見させたまふに、さいつ比奇丸が色よき若(わか)う人(ど)をめしつれ来(きた)りて、我する業(なり)の相手(つま)につかふまつらせたりしを、山の井[の]君ふかく[御心に]めでおぼしけるに、ひそかに侍女達(ヲモトメタチ)におほせて、「かの若う人の名はいかに。

扨(さて)いづこの者ぞ」ととはせたまひける時、奇丸申けるは、「渠(かれ)めは我(わが)徒にて、名は粂丸(くめまる)と申候(まうしさふらひ)て、彼(かれ)が住(すむ)所は塩釜の神社(かんやしろ)のあたりなる浜にて、業(なり)は塩焼をつかふまつりて世をわたる者」と聞(きこ)え置(おき)たりしに、姫はかぎりなく御心にとまりて、「塩焼ならば塩風にあひて面も黒みこがれたらんを、いかにしてさばかりきら/\しき。

さるのみならず、よろづ物のあてやかに見えつるぞ心ゆかね。

いかにして彼が住(すみ)ける塩釜の浜とやらんに行(いき)て、心ゆくばかりにありさまをとひ得(え)てしがな」とおぼしそめてより、昼は日の暮(くる)るまで、夜は夜の明(あく)るきは迄おもひつゞけたまふほどに、かゝる御心のつのりにや、御胸もふたがりて、此ほどは物などもまいらざりしに、御身は朝皃(あさがほ)のごとくやせほそり給ひて、散かふ桜の花の陰に出(いで)て立(たち)やすらひたまひては、花の匂ひのほのかに御袖にとまるを、唯其人の面影さらに立添(たちそふ)ばかりにおぼし、夜の月影の御枕辺(まくらべ)にさし入(いる)をば、御手にいだきて添(そひ)ふしたまふ御心ならひになんなり行(いく)に、今は物病(ものやみ)にやみふさせたまふを、父の王ふかく歎(なげ)かせ給ふ。

侍(さむ)らふ女どもを召(めさ)れて、「姫が心に叶(かな)はむばかりの事は、いかなる筋にてもとひ出(いで)て物せよ。

気色悪敷(あしき)もの病(やまひ)にはあるぞ」としば/\のたまはするに、御心へだてずいひ聞えたまふ女たちは、世の物語りにとりなして、さま%\御心のうらとひつかふまつるに、いつぞや奇丸かゐて参りし粂丸が事を、ねたきまで其住所(すむところ)をさへとはしめ給ひしが、「もしさるかたの御心まどひにや侍らん」とおもひつきて、御枕べに参りて御薬などまいらするついでに、「春の気色はいつもあれど、ことしは殊(こと)に花どもゝ心よげに咲(さき)わたりて、野山のけしきもいとよしと申(まうす)に、十日ばかりの御旅寝(たびね)を、神まうでにかこちてなさせまいらせば、いとよき御心ばらしならん。

さて御旅寝はやつしにやつしたまひ、道は肩負輿(カタオヒコシ)といふ駕(カタマ)にめさせ、簾(スダレ)は打(うち)あげて四方(よも)の山川を見遣(みや)り給(たまは)んさまにし、又道芝面白く生ひたる所にては、輿(コシ)よりおろしまいらせて、つばなぬく/\浅茅(あさぢ)がすゑをあゆませ奉り、又水音清き川のべにては、かづらにすべき柳のもとに御席(ヲンムシロ)などかまへて、摘(つ)みたるおはぎ、芹などを煮(ニ)て昼食(ヒルゲ)奉らば、いとおかしからん。

さて侍らはす男達も、面皺(オモテシハ)び髪しらげたる醜人(シコびと)どもは参らせず、都にては大伴の田主(たぬし)の君などきこへたる御よそほひにもおとらぬ人達をえりて、御かたへにまいらせば、我々も梅桜にもまさりて命のぶる物見に侍らん。

またおはします所は、松島の御神にて、塩釜の神社と申(まうす)にまうでさせまいらせ、塩釜と申(まうし)て塩やく所のさぶらふにも御ともつかふまつり、かの塩木の中より、能(よ)き御琴となるべき焼さしなども侍らば、とりて奉らん。

御心だにしかせんとおぼさば、御父君は『いかばかりにても御なぐさみを』とのたまひ付(つけ)て候(さふらふ)にと、とり%\いひはやして聞え奉れば、山の井の君、ほゝゑませたまひ、「夫はいとよからん。

父王へ願ひ奉りて、明日にもさる旅だちすべし。

子たちのいひはやしたまふ言(こと)からにや、胸のさしふさがりたるが少しはるけたるさまなるに、物たうべん」などのたまひなと[のたま]いつるに、女達立(たち)よろこびて、父王に斯(かく)と聞(きこ)え奉れば、いと嬉(うれ)しがり給ひて、「さらば花いたくちらざる間に、はやゐたてまつりて、塩釜の神まうでせよ。

かゝる春雨の晴(はれ)間には、のどけき空も打(うち)つぎてよからん。

道のべは若菜も生(おふ)らん。

明日(あす)の暁(あかつき)に出(いで)たゝせよ」とのたまうに、われ/\が旅よそひまでも俄にとりまか[な]ひて、次の日まだ明ぐれなるに、浅香の宮を出(いで)て下り給ふ。

扨(さて)、かく立出(たちいで)たまふより、御物病(ものやみ)のけしきもおこたりて、道のほどにはいさよはせ給はず。

唯、「其御神へいそぎて物せよ」といそがし立(たて)たまふに、四日ばかりの夕かげに着かせ給ひぬるに、先(まづ)御神をおがませたまひ、「はや日も暮(くれ)なんず」とて、其あたりにやどらせ参らせ、さて明日といふ[に]、旅ながら御よそひをねもごろにせさせ、御気添(おんケソウ)心常よりも深くおはしまして、「塩釜にいきて、塩焼さまをも見ん」とのたまふに、女達、心の中*には、「たゞ其かたの御すゝみにこそ」とおもへど、色には出さず、「いかにもして、かの粂丸(くめまる)ぞ其浜に参り居(を)れかし」とおもひつゝ参(まいり)ぬ。

扨(さて)、奇丸はよべの夕占(ゆふうら)を見て、かゝる御有(あり)さまをさとしぬれば、塩焼の王によろづの事を聞え奉り、「此姫とだに御心をあはせ給はゞ、浅香の宮を言向(ことむけ)奉らんことはいと安し。

殊更(ことさら)不破の君もおはさねば、よき折にこそ」と笑立(ヱミたて)、「さるにても御よそひをやつさん」と、かろく真柴(ましば)を作りて御肩におかせ参らせ、おのれは鎌などを帯にさし、是も薪を荷ひて、さて山路をおり来(きた)るさまにみせて、塩がまの浜辺をさして行(いく)に、かのかたは先に塩釜のべに参りをらせて、「かゝる塩やきやある。

粂丸といふものや此浜にある」と、下部(しもべ)どもをおちこちにとひあるかせたまふ折(をり)なるに、女達はをちかたより柴おひて来る人を見出(みいで)、姫君の御たもとをひきならして、「浜づたひにこなたへ参るぞそれならずや」と申せば、山の井の君は、かのおもかげさらずおぼししめし人なれば、遠目にも見たがへたまはず、「それなるぞ。

*いかにせん。

爰(ここ)過(すぎ)て他(アダ)し所へ参らざる先に、とりとゞめて、めして来(こ)よ。

にわかに胸のひゞき出(いづ)るに、我は物も得いひ出(いで)じ」など、御膝(ひざ)をば打(うち)ふるはせて立(たち)給ふに、二人(ふたり)は間近く来(きた)れば、女たちいきあひて、「是は奇丸か。

さきつ比、浅香の御宮にて術(ばけ)つかふまつりたりしにぞ、この面はよく知れり。

又かれなる若う人も、さる時はまうでたりし事のありしに、*少しもくるしからず。

姫君の御まのあたりへ近く参れ。

塩やくありさまのものがたりをも、聞(きこ)しめしたくおぼすに」と聞ゆれば、事なく御そばへ参るに、燈(ともしび)の影に見初(みそめ)たまひける時よりも、かくあからさまにさしむかひては、殊さらにきよくみやびなる御おもざしなるを、わざと御髪などはうちみだし給(たま)ふに、御かしらのいと黒くつや/\しきより、御爪並(つまなみ)のほそやぎたる、御むねなどのうちあわせより、たゞ雪のごとく顕(あらは)れたる[な]どを、山の井の君つれ%\と見とり給ひ、何事ものたまひ出(いで)ず、さと御泪のこぼるゝを、女達立(たち)よりつゝ、「こはいかに」ときこへ奉れば、「此塩焼の久米丸と申(まうす)を、かたへにてつれ%\と見るに、かく浅ましく侍らんものにはおはさじ。

いとたかくうまれ給ふ人の、ゆへ有(あり)て斯(かく)やつしておわすならん。

父王常に古物語りを聞え給ふ中に、於初(オケ)の王(おほきみ)たちの御ためしもあるものを、ことゝひて見まほしきよしも有(ある)に、奇丸とやらんが庵(いほり)もちかくてあらば、たとへ葎(むぐら)はふいやしき家居(いへゐ)なるも、みづからはいとはじ。

我(われ)もともにゐて参(まい)れ。

さいつ比より、物もたうべず、わづらひふして死なんとせしも、唯此一事に侍れば、ひたすら願ひをかなへてよ」とのたまはするに、御ことはりとおもひ、女達は奇丸に[打(うち)]さゝやけば、御供人はよきばかりにいひまぎらして、奇丸御しるべ仕(つか)ふまつり、女達二人斗(ばかり)さしそひ奉り、山の井の君は粂丸にかいつらねて、梅が浦をさして参り給ふ。

「こゝぞ奇丸が庵なり。

いで入らせたまへ」とて入奉るに、塩を焼て世をわたる人の住居(すまゐ)ともみへず。

いと所せき中に、御高床(たかと)だつおましに、小簾(をす)は巻(まき)あげ、玉の緒は打(うち)たれて、並/\の者(もの)の居べき住居(すまゐ)にあらねば、姫君[は]猶(なほ)おもひはかれるさまなりとおぼしとり、「扨(さて)、此上はさるいやしげなる仮の御すがたをかへさせ*給へ」ときこへたまふに、王もさとられたりとおぼし、今は御よそひをあらためたまふに、小簾(ヲス)は深くたれこめ、御戸などもさしふさぎて、御ふた方(かた)を入れ奉り、奇丸は女達をまねきて外床(トツトコ)に出て、みあへどもの事をつかふまつる。

さるは、散(ちる)花を御袖にとめて、其(その)人の面影也(なり)と見給ひ、月の影をかき抱(いだ)きて添(そひ)ふししたまへる夜半(よは)の御物おもひをも、打(うち)いで/\きこへ給ふなるべし。

女達は折/\遠でにさしうかゞひ[奉り]て、「御饗つかふまつらんに、御手水(ミテヅ)の槽(フネ)などまうけてさふらふ」と聞え奉れど、いまだ進ませたまはぬよしなど仰出(おほせいだ)さるゝにぞ、女たちは打(うち)ゑまいて、「春の日はいと長きものを」などさゝやきあへり。

さて、日も暮るにとて、申合(まうしあはせ)たる御供の人御むかひに参れど、「今宵はこゝにやどらん」とのたまはして、中/\かへらせたまふべき御けしきにもあらねば、奇丸取(とり)はらひて、御供人は長屋などに臥(ふせ)させ、扨(さて)、次の日にもなれば、御供人達のいそがせ参らするに、何事にかあらん、深くいひちぎらせ給ひてかへらせたまふ。

奇丸は、「おもふさまにも有(ある)かな」とよろこび、「御ありさまはいかに侍りつ」ととひ奉るに、「何事も汝がをしへしさまに姫には聞えおきたり。

姫の頓(やが)てかへりつかせ給はん比に、我は勝虎兄弟をゐて、浅香の宮にまうでん。

尚(なほ)しのびいるべき所/\を、よく姫のおしへ置(おき)てかへり給ふに、先(まづ)姫がもとへいきて、さてある間に、浅香の王へも直(ナホ)に逢(あひ)奉るさまに、姫のはからひ給(たも)ふべきよしなり。

またはかりごとゝはいへども、事も異(コト)なれば、願(ねがは)くは外が浜よりかへらせ給はぬ先に、宮へは往(い)て参らんとおもふなり」とのたまひ、ひと日二日過(すぐ)るをもまたせ給はず、奇丸が業(なり)に行(いき)て帰(かへ)るをもまたせ給はず、勝虎兄弟を伴ひて浅香の宮をさして出給ひき。

さて宮の御門(ミカド)におはしつきて、其めぐりのさまを見給ふに、いと/\みそかなれば、夜の更(ふく)るをまたせ給ひ、姫の教(おしへ)奉りし北の門辺(かどべ)に、大なる桜の散(ちり)がたになりて、若葉(ば)のさし広(ひろ)ごりたる水枝(みづゑ)を見給(たま)ふに、のたまひ教へたまへるごとく、ふとくなひたる綱(つな)の打(うち)たれて有(ある)に、爰(ここ)ぞとおぼし、先(まづ)勝虎をのぼせたまふに、ことなく綱にとりつきて、高垣(たかがき)をこえたるにぞ、王の御腰をば勝行が押上(おしあげ)奉りて、是もいと安くこえ給ふに、勝行もつきて入りぬ。

扨(さて)、池の有(ある)をめぐり行(いき)て、中の御門の角のかたに鈴を懸(かけ)たる紐の押(おし)たれたるも、尚(なほ)おしへ置(おき)給ふさまなれば、王さきに立(たち)てひそやかに引鳴(ひきな)らし給ふに、また中なる御門も侍るならん。

しのびやかに其門の鍵をこじ明(あく)る音などのきこゆるが、うれしとおぼして立(たち)やすらひ給ふを、常はあらぬ事なれば、夜の犬の見とがめ、一ツが吼出(ホヘいで)たるにつきて、いくつも垣の穴を這出(ハイいで)て頻(シキ)りに打(うち)なくに、門守(かどもり)等起出(おきいで)て、先(まづ)北の御門を見まはし、さて中の御門を見つるに、あやしき人三人まで立(たて)るを、「盗人ぞあれ」とさゝやきて、射部(いべ)の者にかくといへば、早く立来(たちき)て、「何にまれ射とめん」とて、橘のたり枝(ゑ)の茂りたるかげに居寄(ゐより)、先に立(たて)るをねらひて引(ひき)はなつに、真中(まなか)を射通したるさまにおぼえ、「あなや」と、唯一声きこへて、御門[の]前に打(うち)たふるゝ音しけり。

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               第卅七条

勝虎兄弟、守部等に生(いけ)どらる。并(ならびに)姫、追ひて死(しに)たまふによりて、浅香王組す。

勝虎兄弟は、此ありさまに心まどひ、魂(タマシイ)きえて、いかにともせんすべなく、ちからも落(おち)、足もたゝず。

唯夢のさまにて有(ある)を、守部らは、「残れる盗人は生どりにとらへよ」とて、棒(ツエ)楚(シモト)をとり来て打(うち)さいなみ、輒(タヤス)くふたりを縛縄(ユハヒナハ)にしめ、一人(ひとり)が屍(シカバネ)をかきあげ、さて、宮の訟所(うたゑどころ)に出(いで)て、「唯いまぬす人をかくのごとくつかふまつりあふせたり。

なをきびしく此二人を責(せめ)とはせたまへ」と申(まうす)に、是等の役人(ゑだすびと)出(いで)て、「先(まづ)其屍(シカバネ)よりあらため見ん」と立寄(たちより)、矢の疵(きず)を見るに、右の胸腋(ムナワキ)より左りの脊(そびら)に射通したるが、尖(トガ)り箭(や)の先三寸(ミキ)ばかり折(おれ)たり。

「是はのけざまにたふれたる時にしかなりつらん」といひて、右を見(み)れば、羽もと一寸(ヒトキ)ばかりおちて、箆深(ノブカ)に射付(いつけ)たるに、「忽(たちまち)命(いのち)をうしなひたるもことはり也(なり)」といひて、さて、其者の面よりはじめ、手足のさまを見まはし、「是(これ)はあてなる人なり。

中/\足黒の盗人にはあらず。

いかなるしのび人にや有(あり)けん。

尚(なほ)衣をはぎてしづかにかいあらためん」とて、二人の囚徒(トラヘど)を引出(ひきいで)させ、「三人(みたり)ともに太刀をはき、またあやしき姿もせず、御宮の内へしのび入つるは心得ず。

先(まづ)御門(みかど)をばいかにしていりつる。

其垣や越(こえ)つる。

けだしや破りつる。

また梢をつたひて棟瓦(ムナガハラ)をわたり、御門の中にや下りつる。

又は[此]みやの内よりしるべして引(ひき)たる者やはある。

直(ナホ)に申せ/\」と*(の)れどもこらせども、二人は唯眼に泪をうかめ、口をとぢ、歯はかみならす斗(ばかり)にて、何事もいはず。

「こやつくせ者ぞ。

囚(ひとや)につなぎて石にひしぎ、楚(シモト)にうちて責(せめ)とふべし」といひさはぐ間に、わたどのゝ方より人多く走(ハシ)り来りて、「山の井[の]姫君、いかなる御事にか、みづから刄(やいば)に御胸をさきて失(うせ)給ふ。

猶(なほ)書(かき)おかせたまふ物は、唯今大殿へ捧げ承りつる。

しばしそこのとよみをしづめ給へ」といふはしにも、女達はをちこちに走(はしり)ありきて立(たち)さわぐに、役人等も声をひそめ、いかなる筋かとうかゞひをれり。

さてあるに、「王これへおはします也(なり)」とて、わたどのより先(さき)を払ひ、火をともしつれて、侍(はべら)ふ人々立出(たちいで)たまふに、御まのあたりにつかふまつる役人(ゑだすびと)のみはさむらひ、下部(しもべ)どもは外(と)の方へ立(たち)かくるゝに、屍(シカバネ)ともに囚徒(とらへど)をも引(ひき)のけんとすれば、そは其まゝにさし置(おく)べしと仰(おほせ)有(ある)よしを申(まうす)に、頓(ヤガ)て御杖をつきならして、王はしぢかく立出(たちいで)たまひ、侍(はべら)ふ人々へ仰せ、「其屍はことたへ給ふに、矢をぬき御穢(ケガレ)どもをのごひて、皆よく守り奉れ。

我(わが)姫のなきがらに御枕をならべてすへ奉るべし。

扨(さて)、其二人の囚徒(とらへど)は縛縄(シバリなは)をとき、此方(こなた)へめしきたれ。

我直に*きこゆべき旨あり」とのたまはして入(い)らせ給ふに、役人等、何事の御故ぞとあやしみながら、仰(おほせ)ごとのまゝに縄をときて、西の方(べ)の殿の前にめしつれ参れば、王は奥床(ヲクトコ)におらせたまひ、其二人に打(うち)むかわせたまひ、兄の勝虎、弟[の]勝行、左(さ)こそほいなからめ。

いとかなしからんな。

我若かりしより此みちのくをしめて、都の御政(まつりごと)はうけ給はらずといへども、近江の国三尾の崎のさわぎに、二王(ふたおほきみ)ならびに不破の君も失(うしなひ)たまひぬると有(ある)事はきゝつ。

しかるを塩焼の王、はからずも今宵(こよひ)我(わが)宮の中にて、賤(いや)しき射部*が矢にかゝりて雲がくれませる[は]、ゆくりなき事にてあるぞ。

唯今申(まうし)つるごとく、三尾が崎にて失(うせ)たまひしときゝつる王の、いまゝで斯(かく)ておはしませしからは、不破の君はもとより、祖(おん)の王もいづこにか平らかにておはしますらむと、[或はなげき、]或はたのもしくおもひなりぬ。

扨(さて)、我姫が呉(くれ)%\と頼(たのみ)おきて書残(かきのこ)せる心*をおもふに、老の命いくほどもあらねど、塩焼の君の御心づくしもだしがたく、又姫が志もいとかなしくおもふにつきて、此うへは恵美の押勝をたすけて、西の国はしらず、此東路は残りなく祖の[王の]御心(みこころ)に従(した)ひ奉るべきさまにはからふべし。

汝等兄弟は王の御屍をもり奉り、尚(なほ)此方よりも厚くはふむり奉らんなへに、姫が願ひおけるごとく、其梅が浦とやらんに御塚をきづき、かたへに我(わが)姫をもはふむりおさめん。

侍ふものども、早う御はふむりのかまへすべし。

猶(なほ)、『此二人にも白妙に衣とり着(きせ)よ』と申せ」などのたまひ下(くだ)すに、二人は御こたへつかふまつる身の程にもあらねば、唯土に[ふ]して、有(あり)がたき御恵みのほどを御うへの人々に聞え奉りあぐるに、[王また]侍(はべら)ふ人をめされ、「今夜王を射ころし奉りし守部を是へめし出(いだ)せ」とのたまふに、人々、「ゆはひなはにいましめてつかふまつらんや」と申せば、王きこし召(めし)て、「渠(かれ)はかれが役(ゑだす)をつかふまつりたるに、なんぞいましめん。

唯申(まうし)きかせる旨有(あれ)ば」とのたまはするに、其射部の者を御庭にめし参れば、王うち見たまひて、「汝が名は何と申(まうす)者なるぞ」と有るに、「やつがれは真壁(マカベ)の平四(ヒラヨ)と申(まうす)射部にて候(さふらふ)」と申(まうす)。

王きこして、「怪(あや)しきものを射とむるは汝が役也(なり)。

今夜の事*におきては更に咎(トガ)なし。

然れども、おもひの外(ほか)に我(わが)聟の王にておはしけるは、汝が天(あめ)の罪をのがれざる所也。

しかのみならず、我(わが)姫は則(すなはち)汝が主なるに、さる事よりおこりて、姫[が]みづから命をうしなひたり。

是又汝が知(しら)ざる事にはあれど、おのづから天の罪をかふむりたる二ツなり。

汝天(あめ)の御いかりを二ツまでかうぶり奉りて、いづこにか立(たち)すまはん。

たとへ命をうしなふとも、天にまどふ罪はほろぶる時なからん。

さはあれど、役の事につきて、我また汝にむかひていかにともせんすべなし。

しかは、と[に]もかくにも弓矢をとりて世にあらむ事は、汝がかしこむ処なれば、これよりいかなる修行者(ヲコナイビト)ともなりて、世の中いとさわがしければ、恵みをかうぶりたる方々のうへに、もし事あらん時は、いかばかりにも御つかへ事(こと)をつかふまつれ。

又今いひつる天の罪は、汝が為にほろぼしてつかはすべし」とのたまひ、御沓をはかしまして、大庭におりさせたまひ、御杖を立(たて)て、「我は汝が主なれば、汝が為には是天(あめ)也(なり)。

さは天の御いかりは只今汝に負(おは)すべし」とのたまひ、先左の御沓をあげて真壁が額(ヒタヒ)に*踏あてたまひ、「是にて一方(ひとかた)の罪はゆるびぬ」とのたまひて、又右の沓をあげて、真壁が額にふみあてたまふに、皮はやぶれて血のいたく流るゝに、つれ%\と見たまひて、汝*は射部の中にもいさましきものゝふなりとは見ゆれ。

たゞ時のわざはひはのがれがたくありけるに、今申せるごとく、野山にふしてよくおこなひ仕(つか)ふまつれ」とのりおかせたまひ、御沓の穢(ケガレ)ざるにめさせかゆれば、真壁は御沓をさゝげて、御恵みをば八度拝み奉り終り、則(すなはち)沓を額につけてまかでぬ。

王かさねて兄弟の者に、「今夜にも罷(まかり)出(いで)て、やがて住所に参らば、奇丸とやらんに申(まうし)ふれて、みちのくにさむらはんほどの軍兵等に此宮をさしてまうで来よ。

我(わが)真子達(マナゴたち)にも其心がまへさせおかん」とのたまひていらせ給ふに、とり%\御はふむりの御みちだちをもよふしすゝめ[け]る。

扨(さて)、梅が浦には、奇丸業(なり)より帰りたるに、「王はや兄弟をゐて浅香の宮に参り給ひぬ」と聞て、先(まづ)占(うら)をひらきあはせ見るに、いとあしき事ひとつ、又よき事のひとつあるに、猶(なほ)見るがごとくにさとしぬれば、道にてむかへ奉らんと、とみに旅よそひしてはしり出ぬ。

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              第卅八条

不破の内親王、塩焼の王の墓をいだき[て]隠れたまふにより、人々かなしみの歌をよみ、姫の墓とならべてつくる。

奇丸道をいそぎて、夜もわかずのぼり行(いく)に、所だにかなしの岡といふあたりにて、春野やく野火かと見れば、さもあらで、此方(こなた)ざまにまうで来る旅人の、いとしづまりたるが、ともしたてたる炬(タヒ)の光りなるに、みさきを払ふ人もみなしろたへに打(うち)よそひて、御棺(みヒツギ)のあたりならむ、かなしきこゑ立(たて)て、泣女(ナキメ)ども[が]なくを、さてこそとおもひて尚(なほ)見るに、御次にもさるよそひしたるが見(み)へたまふに、間ぢかくなれば、かたへにうづくまり居て、「奇丸にてさむらふ」と申す。

勝虎しばし御供をしぞきて、奇丸に打(うち)ひそやくにぞ、奇丸はかたへの近道を通り、御先をこへていそぎかへりぬ。

尚(なほ)二日三日(ふつかみか)過(すぎ)て、御棺どものくだりつかせたまふに、御はふむりの定(さだめ)につかふまつり立(たて)て、梅が浦のいと高き所に御墓(みはか)をならべてきづき奉り、兄弟をはじめ、彼方の御供人達も御墓守(みはかもり)して、しばし其所に侍(はべら)ひける。

奇丸はみづから旅よそひし、しるべ知りたる徒一人をゐて外が浜にくだり、押勝をはじめ、君達の御耳へひそかによき事一ツを語りきかせ参(まい)らせ、次に「其よき事の故(ゆゑ)はしか%\の筋にて斯(かく)なん」とかたれば、「痛はしき御うへには侍れど、[さる事より浅香の王の御心を寄(よせ)給へるなれば、]是正(まさ)に天の下のためにかくれませるなり。

去(さる)にても、女王に直にきこえ奉らば、御なげきのあまり、いかなる御心みだれかいでこむ。

さなきだに、しばしとゞまらせたまふ間に、御いたつきおはしましぬるに、御旅寝のほどをうしろめたくおもひ奉りて、ひと日/\ととゞめ奉りき。

さは何となく奇丸御むかひにくだりつるよしをきこへ奉り、先(まづ)こたびは御軍兵をばめしつどはせず、和尓部(わにべ)の真太刀(またち)并(ならびに)高麗(こま)の白主等(しらぬしら)に申付置(まうしつけおき)、奈良丸・家持・荒金の御かた%\ものぼらせ給ふさまにはからふべし」と、押勝よろづの事を物し置(おき)、女皇の御道(みち)だちをいそがせ奉り、御供人ははつかに百人斗(もゝたりばかり)を伴はせ給ひ、梅が浦をさしてのぼらせ給ふ。

さてうらには御墓守(みはかもり)達、朝に暮(け)につかへ奉り、玉笥(タマゲ)には飯(イゝ)さへもり、玉碗(ケ)には水さへもりて、いまそかりける時にたがはず物し奉る折に、君達已に梅が浦につかせ給ふほど、押勝はかりて、「直(なほ)に奇丸が庵(いほり)に帰り入らせ給ふは、然るべからず。

道を御墓所(みはかどころ)へかけて、先(まづ)御墓(はか)にまうでさせたまふさますべし。

そこにて是までかくしまいらせける心を、あからさまにきこへ奉らん」といふに、君達先(まづ)御あはれをもよふさせ給(たま)へども、女皇へは更にもらし奉らず。

御輿(こし)をまもり行(いき)て御墓所の前にすへ奉りて、「しばしおりさせ給へ」ときこへ奉るに、何心もおはしまさず、恋しく*おぼししみて帰らせたまふに、君おはすらんとおぼして、頓(やが)ておりさせ給ふに、白妙によそひ祭りし神宮(かんみや)の御ありさまを見たまひて、「こは何事にか」とのたまはするを、押勝・奇丸ともに真袖(まそで)になみだたりて申て曰、「君はしか%\のよしにて、時にもあらず雲がくれませり」と申せば、唯打(うち)ふさせ給ひて悲しみ、御息だにきこへたまはぬを、勝虎が妻いたわり奉りて、かいおこしまいらすれば、御なみだながら、見まくほり我する君もまさなくに何しか来けむ馬つからしに

とのたまひながら、かたへの御墓の事はとひも出たまはず、唯君の御墓にむかひてあゆみ行(いか)せたまふと見しが、其まゝ御墓をかきいだきて、「あ」とさけび出させ給ふのみにて、御息たえてかくれ給ふに、人々せんすべなく、「斯(かく)までにもおぼししませ給ふは、御ことはりにこそ」と聞えて、泣/\又御墓をならべてはふむり奉りおはりぬ。

時は天平勝宝卯月十日、君達も今夜は御墓の前(まへ)に旅寝したまひ、いたみかなしむ心をよみて奉りたまふ。

さむらへど御言(みこと)とはさず今よりは左(と)にめし右(こ)にめしたまひなん

  右藤原の朝臣恵美の押勝

はしけやしとをとめが友にたぐひつゝひとりの君につかへたまはむ

   右橘の朝臣越の奈良麿

卯の花のうき時ならし一ときにかゝる仕(つか)へをつかふまつれる

   右大伴の宿祢家持

みちのくの梅が浦辺に鳴(なく)鳥も夜なきかはらふ時にはなりけり

   右笠の朝臣あら金

まきはしらふとき心はありしかど此我(わが)こゝろとゞめかねつも

   右内舎人秦の忌寸勝虎

天地とともにを歴(へ)んとおもひつゝつかへまつりし心たがへぬ

   右内舎人秦の忌寸勝行

しら玉の君に見せんと手折(たお)らせしうき卯の花をこゝにまつらむ

   右勝虎か妻大町

玉藻なすかよりかくよりおはせども妹とものらず夫ともとはさず

   右三田の首奇丸其外も侍りしかどもしるさず。

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              第卅九条

宇佐八幡の森に天狗集る。并(ならびに)阿曽丸、前(サキ)の采女を得たり。

豊前(とよのさき)の国、菊の高浜のあたりに、海人(アマ)の男狭磯(ヲさキ)といふ者あり。

神無月の末つかた、うちつぎてしぐるゝ比ほひ、海あれ波さはぎて猟(さち)の業(わざ)も侍らぬに、かゝる間に宇佐の御神にまうでんとおもひて、二日斗(ばかり)にはいきたらはす所なれば、仮染(かりそめ)に旅よそひして出(いで)しが、雨は雪雑(ゆきマジリ)に降(ふり)つのりてやまず。

からうじて其夜は中津の浜辺にやどり、明(あく)れば雪のみふりかさなるに、路(ミチ)もわかねど踏分(ふみわけ)/\たどり行(いく)に、宇佐の御神にもつけば、幣(ヌサ)奉りて心をひとつに拝み奉り、「扨(さて)、日も暮(くれ)たるに、こゝゆまた出行(いでいき)てやどりを乞ふべきにもあらず。

今夜はこの森のかげに篭(こも)り居て、夜通(よたゞ)にねぎ奉るべき旨もあれば」と、その森の有(ある)が中に、夜古(ヤコ)の杉(すぎ)といふ老木(をいき)の立(たち)さかえたるがもとに居寄(ゐより)、餉(カレイ)などをひらき、又ひさごに入(いれ)てもたりしいさゝかの酒などをうちのみて、いと寒く吹(ふき)わたる夜嵐を防ぎ、眼をふさぎて神を祈(いの)りする心のひまには、世の来(コ)しかたをばおもひいで、或は行先をおもひつゞけて、「扨(さて)、紀の国より別れ奉りし人/\はいかにおはすらん」など思ひ出(いで)ながら、いとつかれたれば、打眠(うちねむ)りたりしとおもふに、夜も更(ふけ)ぬらん、雪はなを降乱(ふりみだ)れて木陰だにうち埋(うも)るを、笠にふせぎ、真袖(マソデ)にはらひ、簑(ミノ)につゝみてうづくまり居るに、杉の梢物さはがしくなりて、空に怪しき火の影の見えつゝ、猶(なほ)其火影のうつりに、十人(トタリ)ばかりの人の物いひかわす声などもけざやかにて、間ぢかく木(コ)の下(モト)に聞えわたれば、男狭磯(ヲサキ)はあやしきおもひをしめて、さはとて今迯出(にげいづ)べきにもあらず。

しづかにかくれ居て、其有(あり)さまを見むとおもひ、息だにもせず、簑笠にこもりて其事を聞居(ききをる)るに、先(まづ)ひとりの声として、「雨降(アフリ)山の山祇(ヤマズミ)は何とておそく侍りし。

并(ならび)に秋葉の山祇(やまづみ)・白山の山祇・立山(たてやま)の山祇・羽黒(はぐろ)の山祇・二荒(ふたら)の山祇・岩木の山祇、ともにいとはやくおはすべきを、我々久しくこゝに来りて侍つるよ」と聞ゆるに、「何事も雨降の山祇がかたり聞え参(まゐ)らせん」といふ声して、「いづれも/\役(ゑだす)はよくつとめ給へり。

先(まづ)碓日(うすひ)の軍はおのれがつかふまつる所なれば、事もなく致しおふせて、手力(たぢから)に小蜘等(こぐもら)も美濃路にうつりき。

又白山の軍は其山祇(やまずみ)のはかれるにたがはず、書持をはじめひとりもあらず、官軍は死(しに)うせ、其後立山の山祇がはからひたるに、北国の軍兵残りなく家持ともにみちのくへうつりぬ。

扨(さて)、岩木の山祇、羽黒・二荒(ふたら)の山祇ら物せるによりて、奇丸にちからをくわへ、終(つひ)に浅香の王の心に入りて、是も押勝に組し給ひ、東は白川の関をとざして、夫よりえみしの千島(ちしま)に至るまで、ひとりものこらず祖(おん)の王(おほきみ)に組し参らす。

秋葉の山祇は倭蜘(やまとぐも)が心にいりて、其あたりの国べを騒(さわが)がしぬる。

かゝる事に懸りて、斯(かく)参りつどう事のおそかりし。

さて、南は讃岐(さぬき)の金比羅(かなひら)の山祇ぞ、よきはらひ事もおはし給ひなん」と聞ゆる声のするに、其山祇にやあらん、「我住(すむ)あたりも人うごきぬ。

おひて又はからふ旨も侍り。

唯さいつ比、大和・紀の国のあたりに有(あり)て、金丸にちからをくわへ、多くの人をあざむかせ、終(つい)に清丸が妻子までもたすけたりし。

是は我(わが)役(ゑだす)にて侍りき」と聞ゆるに、男狭磯(をさき)は身のうへに覚(おぼえ)たりし事よりはじめ、北国(キタグニ)・東路(アヅマぢ)のありさまを唯(ただ)まのあたり見るばかりに聞えて、あやしくも頼母(たのも)しくもおもひ居(を)り。

尚(なほ)此すゑを聞(きか)んとおもひてうちしづまるに、「筑紫の彦(ひこ)の山祇を呼(よぶ)声して、「西の国はいかにか侍る」と問ふに、「おのれが役(ゑだす)はいまだ侍らず。

さる故は、道鏡・阿曽丸がうへを祈る事久し。

よつてうかゞひとるすきに間(ひま)あらず。

されどちかきにははからふ旨あれば、大かたは乱れなん。

唯道鏡が上ぞうかゞひがたき」といひ出(いづ)るに、伊駒(いこま)・葛城(かつらぎ)の山祇、耳かの岳の山祇と聞ゆるが声して、「是もまた時あらん」といひつゝ、立(たち)わかるゝ折にやあらん、火の光りも消て、嵐高くふきわたり、雲もいと黒く打(うち)きらひたるに、あかつきがたにやあらん、遠里(とほさと)の鶏(とり)の声、さとびたる犬の声なども聞(きこ)ゆるに、雲のまよひもうすくなれば、東のほがら/\と打(うち)しらみて明ぬ。

男狭磯(をさき)はあやしきおもひにしみて、「扨(さて)は国/\の高津神のこゝにつどひたりけるならん。

何にまれ此御神の御守りにこそ」と、重(かさ)ねて幣(ぬさ)奉り、拝みおわりて出(いで)ぬ。

こゝに、筑紫の前の国葦城(あしき)の県主(アガタヌシ)といふ人有(あり)。

もとは此所[の]防人(サツビト)にてくだれるが、不意(ユクリナク)此所に妻をまふけて、今はとし老(おい)たるに、ひとりの娘は大后《光明皇后》の采女(うねめ)を歴(へ)て、さきつとしこゝにかへりすみ居(を)るに、夫婦かしづきて侍るに、よき聟もあらねば、年は廿才(はたち)をこへてなをひとりすむを、色よくとゝのひたりと、聞(きく)人さま%\いひよれども、父母もゆるさず、尚(なほ)みづからも心にたらず。

かくて月日をへる間に、太宰府の阿曽丸が妻みまかりて、いまだ後妻(ウハナリ)の事も聞えざるに、此父母が心に、「いかなる筋にもあれ、よるべあらば爰(ここ)に」とおもひ寄(より)たるに、阿曽丸も又、此采女が顔よしと聞(きゝ)て、頻(シキリニ)に見まくおもひければ、鳥猟(トガリ)すといひふらして野山をいきめぐり、わざと日の暮(くる)るゝを待て県主が家をとふに、主はかねてへつらひふかくうまれたるうへに、尚(なほ)かの望みひとつあるに、天(あめ)より降(クダ)れる幸(サチ)也(なり)とよろこび、此方(こなた)へとむかひて、夫婦出(いで)てあるじぶりするに、雪ふり出(いで)てやまず。

「かくては夜道(よみち)をいかに帰りおはさん。

いとわびしくおぼさんが、今宵は其供人を返され、わづかに若う人達(わかうどたち)を御手廻(てまは)りに残しおかれて、とゞまりおはしませ」とせちに聞え立(たつ)るを、阿曽丸は又地(つち)よりおひ出(いで)し幸(さち)なりと悦(よろこ)び、「さらば御あるじをわづらはせ奉らん」といひつゝ、打(うち)ゆるみて物たうべ、酒たうべて少し酔(ゑひ)すゝむに、「娘にておはする采女(うねめ)の琴(こと)一手あそばすを、物ごしにうけたまはらんには、命のぶるわざなるべし。

ひたすらに」といひ出(いづ)るを、県主聞(きゝ)て、「いとおぼつかなく侍るに」といひてまかり立(たち)、しばしして出(いで)て曰、「唯はぢらひて得(え)仕(つか)ふまつらず。

さるにても、いかに聞え奉らんと申(まうし)こらしてさむらふに、かゝる歌をよみつるを」とて出(いだ)す。

阿曽丸大きにめでゝ、「琴何ぞ歌にしかん。

いで見候はん」とてひらくに、手は大后(おほきさき)の御筆ぶりを学びて、かいつけたる真名(まな)ざまも、いと高くいはんかたなきに、よめば、あまざかるひなにいつとせさむらへば都の風俗(テブリ)わすらひにけり

とあるに、「是うけ給はれ、若う人等」とて、うちかへし/\よみとりて、「さらば御まのあたりに御こたへをつかふまつりてん。

父君母君さしゆるし給ふべしや」といへば、「いとふつゝかに侍れど、何と君がためにこりほかせ奉らん」とて、入りて、さてよそひ立(たて)て出(いづ)るを見るに、唯木(コ)がくれたる初花の、風につきて薫(カホ)りくる斗(ばかり)に打(うち)匂ひて、さすがにまばゆげに、槙柱(マキバシラ)のかげざまに居(ゐ)よりて、さしうつむきたる額(ヒタヒ)つき、髪のかゝり、いとめでたく見ゆるに、阿曽丸もさむらふ若う人も、たちまち気(け)のぼり耳ほてりて、眉根(マユネ)のおもくなるを、猶(なほ)膝(ヒザ)を引入(ひきい)れ、手をみじかくし、ひくゝすわり、身をほそくして、つれ%\と見居(みを)れり。

母が何くれと取(とり)あわせたるに、やう/\物うちいひ出(いで)て聞ゆれば、網にさしたるうぐひすの、はじめて篭(こ)の中に鳴出(なきいで)たるおもひになん。

言(こと)一ツに二ツばかり「唯/\(ヲゝ)」とこたへとりて打(うち)いらふに、さらばさきつかたの御こたへをしたゝめて奉らんとて、硯めしよせ、火はいとちかくもとらせず、かたへに打向(うちむき)てかいつけて出(いだ)すを、父母いたゞきて采女が前におけば、もとの句(ツガヒ)をよみとり、末の句(ツガヒ)は細声(ほそごゑ)にて打(うち)まぎらしつゝ、押(おし)まきてさしおきぬ。

いかなる気添(ケソフ)をか読出(よみいで)つらん。

さて、父母、「御さかづきを」など申(まうし)て、いたゞかせたるうへに、「聊(いさゝか)聞え奉(たてまつ)りたきよしの侍るを、此方(こなた)へいらせ給ふまじや」といふに、阿曽丸立(たち)て行(いく)に、何事にかあらん、いと久しくうちさゝやきて、「妹もこなたへ来よ。

采女も此方(こなた)へさむらへ」とて呼(よび)いれ、扨(さて)、いたく更(ふけ)ぬるに、阿曽丸をば其まゝに奥の間にやどらせ、若う人どもをば、其出居(でゐ)にふさせける。

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             第四十条

阿曽丸、政(まつりごと)をみだる。并(ならびに)箱崎に遊女(アソビメ)をおく。

阿曽丸かねて恋おもひけるまゝに、県主(あがたぬし)がむすめなる前の采女にかたらひ、猶(なほ)日をえらび、事をあらためて、館のうちにむかへとり、花にかへ月にかへて是をめでけるに、それにつけたる物おごりどものあまりに、「四ツ[の]時を四つのけしきにて見るべき殿を作り、そこにかの采女をすへ置て、夜昼をわかずゑらぎあそばゞ、たのしみなにか是に*まされるやあらん」とおもひつきしより、多くの木工(コダクミ)を集(あつ)め、先(まづ)殿作りの図(カタ)を書(かゝ)せて、こゝには高殿(タカドノ)、かしこには鉤殿(ツリドノ)など、大宮のさまにもおとらざるばかりに物ごのみし、「扨、柱どもはふしなくゆがまざるばかりを撰立(エラミタテ)こときよ」など申付(まうしつけ)たるに、木工どもが曰、「さる真木柱(マキバシラ)どもを物し立(たて)んには、近山の中にはおぼへさむらはず。

若(もし)、彦の山に立(たて)る真木どもならば、このませ給ふさまなるは、いかにも侍るべきが、其山は昔より高津神の住(すみ)てをしませ給ふに、森の一葉も取(とる)事あたわず。

又いと近(ちか)きにて申さば、香椎(カシヒ)の宮の神領(カンチカラ)にてよき森の候(さふらふ)には、すぐれたる真木ども多く侍れど、是は取(とり)わきては[ゞ]からせ給ふべき事なり。

夫(それ)よりもまのあたりは箱崎の森にて候へども、猶(なほ)しもさる事はつゝしませ給ふべきに、いそがせ給はぬ事ならば、薩摩がたにもよき美山の候(さふらふ)に、杣どもを入(いれ)さすべし。

又*荒峯(あらね)よし対馬とさへ申(まうす)に、此島山にはよき宮木どもの侍らん。

去(さる)にても海路を歴(ふ)れば、とみの事にはとゝのひがたし」と申(まうす)よしを阿曽丸に聞ゆれば、「何(なに)、木工(こだくみ)どもがしか申(まうす)か。

そは心ゆかぬ事ども也。

おのれが性(サガ)として、かうと思ひそめし事(こと)は、一時もゆるべがたし。

先(まづ)、彦の山は高津神の住(すみ)て、森の一葉だにをしむとな。

いとにくき奴かな。

おのれは勅(ミコト)もちのつかさ也(なり)。

天の下の御主の勅をうけもちて、かく侍るからは、たとへ国津御神にもおわせ、我(わが)申(まうす)ことをば[い]なみ給はんや。

いはんや鳥にたぐへる高津神等なり。

我(わが)なさむ事を背くべき。

もしいなまば、高き鼻をそりおとし、羽を引(ひき)ぬき、爪を引(ひき)ぬき、皮を*うつはぎにはぎて、小田に鉤おき、からす共(ども)をおどろかせよ。

先(まづ)、彦の山に入りて杣(そま)入(いれ)よと申せ」と、厳(キビ)しく*のり聞え、其杣[の]司(つかさ)には真髪(まかみ)の黒丸(くろまろ)をつかはさん。

木工等(こだくみら)つき従ひて、明日(あす)なん行(ゆけ)」とのゝしり聞え、又庭作り、鍛冶等(かたしら)を呼立(よびたて)て、時の木草を申(まうし)つけ、金(かね)・白銀(しろがね)の餝(かざ)りどもをつくらせける。

 扨(さて)、一日(ひとひ)二日(ふたひ)過(すぐ)るに、走使(はせつかい)参りて申(まうし)て曰、「真髪の黒丸、木工をめしつれ、彦の山をさして参れるに、空のけしき俄(にわか)にかはり、風は吹巻(ふきまき)、雨は横(よこ)ぎりて、いとおそろしく覚へける時、丈(タケ)は七尺(なゝさか)ばかりに、おもて赤く、眼(め)はまろく、鼻は七咫(ナゝタケ)ばかりも侍らん、猿田彦(さるたひこ)ともいふべき神の、むかふざまに出来(いでき)て、『汝等、我(わが)山の木をきらんとすとて参るか。

命(いのち)二ツあらば、ともかくもせよ』といひつゝ、木工(こだくみ)らが首を引(ひき)ぬき、手をぬき、股(マタ)をさき、扨(さて)、黒丸を捕(と)らへて、勅(みこと)もちの司(つかさ)なれば我々が鼻(はな)をそぎ、翼(ツバサ)をぬきて、小田のおどろかしにすゑんといひきや。

我より先、汝

をしかせん』と*(のり)りて、石に打(うち)つけ、踏(ふみ)もちて、骨(ほね)をくだきて、袋のごとく並木(なみき)の梢にかけおき、さばかりの人をば皆殺(みなごろ)しにころして、唯笠(かさ)荷(にな)ひたる木工(こだくみ)の童(ワラハ)一人(ひとり)をたすけ、『汝はやくかへりて、此よしを阿曽丸に申せ』といひて、其まゝ雲に入りてうせぬと申す。

さて、其童はしばらく心(こゝろ)きえて、*路にふし居[た]るを、呼(よび)たすけ、所の刀祢(トネ)ども、さるあとをつばらに見とめ、其童も倶(とも)にゐて参りて訟(うた)へ奉る」と聞えたるに、阿曽丸大(おほき)に怒り、「我(わが)申(まうす)事をうけひかず、あまさへ人をあやまちたるは、公(おほやけ)をおそれざる曲者(くせもの)也。

おひて申立(もうしたて)て、彦の山を枯山(からやま)にせん」とのりちらし、「よし/\、さらば間ぢかき香椎の森の木をきらさん。

木工等打(うち)つれて参れ。

其司には、丸木(マルキ)の大的(オホマト)をつかはさん」と申付(まうしつけ)るに、木工等いたく恐(おそ)れて、「いかでか神の森に杣を入れん。

むかし、後(のち)の岡本(をかもと)の天皇《斉明天皇》朝倉の宮を作らしめんとて、則(すなはち)神杉を伐(きら)しめ給ふに、程なくそこに崩(カンサリ)ませりと申す。

天(あめ)の下の御主(あるじ)さへ、さる御罪(をんつみ)は遁(のが)れたまはざる事を、則(すなはち)木工の家に申伝(まうしつた)へ、いかばかりの事有(ある)とも、神の森はあらし奉らじと誓約(うけひ)て候(さふらふ)。

已に此ほど彦の山に杣いれんとて、いのちをうしなひたるためしもまのあたりに候へば、此事はゆるし聞(きこ)えさせたまへ」と、こま%\申(まうし)ことわるよしを、とり%\聞ゆれども、阿曽丸さらにうけひかず。

「朝倉の宮の事は我猶(なほ)よく知りぬ。

夫(それ)は朝倉の宮木をきらしめたまふ故にこそ、神のいかり給ふなれ。

香椎の森はさる事にもあらず。

神祝(カンチカラ)の内に侍る森なれば、事(こと)も異(こと)也。

其うへ、我其森をきらんとするかはりに、高田・窪田ともに十町(トゝコロ)を納(をさめ)奉る。

さる上(うへ)は神何ぞ御言(ミコト)あらん。

しかし、此上にも汝等いなみを申さば、則(すなはち)我(わが)詞をそむくなり。

我をそむくはまた天皇を背(そむ)きたてまつるにも同じければ、木工等が首を一時にきりなめて、大路(おほぢ)にかけていましめとせん。

いなまんや、うけひかんや。

こたへ申させよ」と申つくるに、其よしを聞(きこ)ゆれば、木工等、こたへもあらず。

「さるうへはせんすべなし」と、丸木の大的に後(しり)にたちて、多くの木工等香椎に至(いた)り、さて杣を入てきりはらふに、雨ふらず風吹(ふか)ず、少しも御とゞめのさまもあらねば、「扨(さて)は十町の神祝(かんちから)を奉らんと有(あり)しに、神はめで給ひける也(なり)」とおもひとりて、用(もち)うべき真木どもを伐(きり)おろし、車(くるま)に積(つ)み、肩(かた)に負(お)ふて、事なく其森をかへらんとする[に]、「時こそ来たれ」とて、打笑(うちわら)ふ声のひゞきわたるに、大的をはじめ振(ふり)かへり見(み)れば、香椎の森の杉の上に、大笠きたる鬼のかたちいとたかく顕(あらは)れ出(いで)て、ものどもを見て打笑(うちわら)ふ也。

者ども、「さは御とがめなるぞ。

足をはやめよ。

*とくゆけ」などおそれていそき出(いで)ぬ。

されどかゝる事を申立(まうしたて)ば、いかなる御いかりかかうむり奉らんと、鬼よりなを阿曽丸をかしこみつゝ、唯打(うち)さゝやくばかりなりき。

 阿曽丸、おもふ間(ま)に/\木をきらせて、かの殿をつくりたつるにつきては、人をそこなひ、業(なり)をさまたげ、貢(みつぎ)をむさぼるたぐひの事、数もしれねど、あまりにさが*なければしるさず。

猶(なほ)国の政(まつりごと)は、舅なる県主が*にかたらひ合(あひ)て、下を苦しむるあまり、箱崎の浜に遊行女婦(サブルコ)をおきて、行来(いきき)の人の宝をもあつめんとす。

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               第四十一条

阿曽丸が家人、秦(ハタ)の金明(カナアキラ)いさむ。并(ならびに)妻子を殺さる。

家人秦の金明は、田税(タチカラ)どもの事につき、去年の秋より都にのぼり、弥よひばかりに家にかへりて、先(まづ)妻子どものかたるを聞(きく)に、「司は県主の娘をむかへ給へるより、有(あり)しよりも御心ゆがみ、政(まつりごと)[を]横さまにし、人をそこなひ、民をくるしめたまふのみを事として、神の道をかろしめ、欲(ほり)するわざをこのみ、神の木をきりて、目にかゞやく殿を作らせ、箱崎の御社を穢して遊女(あそび)をおき、貢(みつぎ)をむさぼり、民の宝をうばひ、道にあたれる御政(まつりごと)は毛の末ばかりも行(おこな)ひ給(たまは)ず。

其上に舅君なる県主ののたまふ事のみをとりて、心ある御家人のいさめ奉る事は、仇のごとく聞(きゝ)給ふ。

かくては、法王いか斗(ばかり)にひき給ふとも、御司の御役(ゑだす)も召(めし)上られ、いかなる御咎(とがめ)をかうむり給はん。

かゝる事もおはしたまはざる間に、とみに殿に出て御諌(いさめ)を奉り給へ」となく/\かたるに、金明つばらに聞(きき)て、「さればこそ、我かへり来るちまたのさたにも、さま%\耳にふれつる事も侍りき。

いかばかりにもいさめ奉らん」と深く思ひめぐらして、たゞちにのぼり、阿曽丸が前に出(いで)て、役共(ゑだすども)の事をかたり、帳(ふんだ)どもの上にたがひなかりし事をもきこへおはり、扨(さて)、言を正しくして申(まうし)て曰、「しろしめすごとく、天皇は民の父母にてませり。

又、勅(みこと)もちの司は其父母の[み]ことのりをうけもちて、民をめぐみ給(たま)ふ御役也(なり)。

さればこそ此太宰府は、正に是遠(とほ)の御門(みかど)にて侍るなれ。

かゝる御司におはしながら、神をないがしろにし、下を邪(よこしま)にくるしめたまふ。

また妻は内を守る、子孫(はつこ)を継(つぐ)べきまでのもの也(なり)。

さるを何ぞ是がために色にふけり、酒にみだれ、あまさへ人をそこないて是が為に殿を作り、おごりをきはめ、上をかしこまず、ほしきまに/\ふるまひ給ふうへに、箱崎の神社をはゞかりたまはず、其浜には遊行女婦(さぶるこ)を置(おき)、色をうり、宝をむさぼり、人をみだりにし、交(まじはり)をたがはさしむ。

已に唐言(からこと)にも、国を傾(かたむけ)、城を傾(かたむけ)るとは女の色を申さずや。

かゝる事どもは、君よくしろしめすべきを、いかなる御心まよひにて、おのれしばしあらざる間に、かゝる横さま人とはなりたまへる。

なほに我(わが)申(まうす)事をうけひかせたまひて、早く殿をやぶり、遊女をはらひ、神には神税(かんちから)に、尚(なほ)矛杉(ほこすぎ)を千本植添(うゑそへ)て、神祭(かみまつり)を奉らせ、大祓をつとめたまへ。

さらずは御罪のとがめ遠(とほ)かるまじ。

又其うへに民をめぐみ、むさぼりとれる宝をかへし、是まで横さまにふるまひ給ひつる心を、麻の直きがごとく、玉の丸きが如くに改(あらた)め正し給ふべし」と、席をうち、面を正し、涙をうかめて聞えたるに、阿曽丸ほゝゑまひて、「汝ひとり清(す)めりといふ面(おも)もちなり。

申せる事いとかしまし。

我に功あればこそ、此司に三島をくわへ、五島の司とはなし給へり。

さばかりの阿曽丸、何ぞ汝等[が]ごとき言を用ひん。

汝さきに天皇は民の父母なりと申さずや。

太上天皇の御うへを見よ。

奈良の都に大仏を作らせ、いくばくの人をくるしめ給ひ、あまつさへ我は仏の奴(やつこ)也とはのたまひし。

是はた我色にふけるにもまさりて、神の御末とふ事をわすれ給へるに似たり。

我また色にふけりて、葦城が姫をたふとめども、終(つひ)に葦城が奴(やつこ)也とはいはず。

また、色にふける事をいましめば、何を以て道鏡には法王の位をゆるし給へる。

汝が申せる其父母さへかくの如くにいませり。

我は其臣(おみ)なれば、直にこれ御子なり。

子として其父母の御学びを仕ふまつらざらんや。

下をくるしめ、民をしひたげ、宝をむさぼるもまた上にならへり。

汝はまた我(わが)家人なれば、天皇より申せば孫(うまご)也。

我よりいへば真子(まなご)なり。

さらば汝なんぞ父母のまなびを致さゞる。

今より、さるさかしら事を止めて、父母にならひて色にふけり、酒をのみ、家を作(つく)りて、おごりをきはめよ。

あなきたなの汝が言や。

耳のよごれたるをばいかにせん。

いで侍(はべら)ふ者等、酒をもちいでゝ、金明にもれ。

*人(まひど)をつれ来てまはせよ」などいひおごりて、足をなげ出し、つばきを吐(はき)て、さらにうけひくべきさま見へねば、金明ちかくいよりて、「たとへを引(ひき)たまへる事ははなはだたがへり。

『君々(きみきみ)たらずとも、臣々(おみおみ)たらざらんや』といふ事はいかにわすれたまへる。

已に文王と聞えしは、悪(あ)しき王(おほきみ)のためにとられて、囚(ひとや)にくだりおはせしに、身に御罪は露ばかりもなけれど、『天皇は正に、いと深き御めぐみなりける。

臣(おみ)か身討(うつ)にあたれり』とはのたまへり。

かばかり君はたふときものを、何とて御身の罪のために、かしこき御例(ためし)をうばとり給ふ。

おのれ御家人に侍らひて、朝(あさ)に夕(け)に物たうべて、こえふとりて候(さむらふ)事は、正に是君の御恵みなり。

亦(また)我のみか、妻子も候(さふらふ)が、皆(みな)あたゝかに着、あくまでにくらひてさむらふ。

是みな御光りにあらずして、何にか侍らん。

扨(さて)、人としては妻にまさるめぐきも侍らず。

子は猶(なほ)妻にまさりて侍る事は、空の鳥・地のけものだにしかり。

まして人のうへに侍るをや。

さるめぐきものも、君のためには、塵(ちり)あくたのごとくおもひかへてつかふまつるは、是臣の道也。

唐国(からくに)はそれ孝の国也。

我(わが)御国は忠の国也。

されば君のために命もおしまじ、妻子をも思(おも)はじ。

ひたすら御心を改めたまふまでは、いつまでも諌め奉るなり」といひ出(いづ)るを、阿曽丸つら/\と聞居(ききゐ)て、「汝は唐言をよく知(し)れり。

さらば、君を諌(いさ)めて胸をさかれたる、何とやらんいひつるひが者の事をも知りつらん。

汝が胸にもさこそおもしろきものゝあるらん。

我今打(うち)さきてなぐさむべきが、汝が忠なる心にめでゝ、是斗(こればかり)はさしゆるさん。

さて、『君の為には妻子をば塵芥(チリアクタ)のごとくす』とな。

よし/\、忠なる人の詞、少(すこ)しもたがひあらじ。

いで侍らふ者、金明が妻子をめしつれ来たれ。

はやくせよ」とのゝしるに、侍(はべら)ふ人々参(まい)りて、金明が妻と兄(あに)の子并(ならびに)弟(おと)なる子、緑子(ミドリゴ)をもかきいだきて、阿曽丸が前にいだせば、阿曽丸は打見(うちみ)やりて、「いよ/\、今いへるごとく、我(わが)ためには妻子をかへり見ずとな。

金明が妻もそこに聞(きく)べし。

汝が夫は、『君の為(ため)には妻子はちりあくたのごとくなり』といへり。

さらば、金明が目の前にて、我汝をおかすべし。

是則(すなはち)汝をほこりのごとくするなり」といふまゝ、妻の上帯をとりて前に引(ひき)よせ、裳をひらき下ひもをとかんとす。

金明は目もやらず、侍(はべら)ふ人々もさし出(いで)がたくするに、妻は打(うち)おどろきて迯(にげ)さらんとするを、「汝は是我(わが)米をはむものなれば、我(わが)ための子なり。

子なんぞ親のいふことを背(そむ)ける」といひざま、太刀をぬきてきるに、妻は左の肩より右の腰まできりはなたれたり。

兄の子はたちをどろき、弟の子は泣出(なきいだ)すを、ともにとられて一ツの太刀にさしつらぬき、太刀の手上(タナカミ)をひねるにつれて、いとくるしければ、やいばにとりすがるに、指(ユビ)はきれおち、手(た)なひらはきりさかれて、うめきわなゝくを、金明なを眼もやらず。

阿曽丸、猶(なほ)二人(ふたり)の子にくるしみを見せて、金明が面を見るに、事ともなければ、「只今汝が申(まうし)たることばにはたがはず、いつはりなきこゝろをしりぬうへは、われ汝がいのちをばゆるし、妻子が屍(かばね)は汝にあたふるなり」といひざま、太刀をぬきてふたりの子をきりはなち、さむらふものどもを召(めし)つれて入(いり)ぬ。

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              第四十二条

藤原の清川、揚貴妃をゐてひそかに筑紫に帰りすむ。

藤原の朝臣清川は、唐の大御使事(オホミツカヒごと)をはりて、已に本津国(モトツクニ)へ帰らんとするに、阿部の仲麿は、いと若きより唐にいりて書生(フミマナビ)となり、今(いま)は秘書晁監(ヒショチヤウカン)といふ官(ツカサ)にも侍れど、故郷難忘(コキヤウボウジガタシ)とふ事を申立(まうしたて)て、是も清川が舟に乗りて、すでに倭(やまと)にかへらんとするに、かねて詩(からうた)よみかはして侍る友がき、いと多くおくり出(いで)つゝ、明州の浦べにおり居(ゐ)て、人々酒のむ中にも、王維と聞えし人は、詩よく作り得たるに、五言八句(イツコトヤツカヒ)の詩を作りて仲麿をおくる。

さてある間に、日暮て、はるけき海路(うなじ)に月のさしのぼるを、清川にむかひて、「我若かりし時(とき)より唐に入りて、唐言のみを学び、本津(もとつ)国の歌は是までかいつらねたることもあらねど、已に此津をはなれ[て]は、やまと人也(なり)。

何ぞ国風俗(くにぶり)の歌をよまざらんや」といひて、大海ばらふりさけ見れば春日なるみかさの山に出(いで)し月かも

とよみ出(いで)けるに、清川はめでたくおもへど、唐人は聞(きき)もわかざりければ、通辞(ことゝき)の人々其歌の心をときわきて聞えけるに、人々涙を落し、清川にもこひけるほどに、いざ子どもはやく倭(やまと)へ大伴の三津のはままつまちこひぬらん

とよみ出(いだ)せるも、通辞(ことゝき)よくいひわきて聞えつるに、皆々めでける。

 さて、袖をふりわかれて、沖中ちかく漕出(こぎいで)しに、東の風いと黒くふきおこり、波は立(たち)かさなりて、舟子は、「いかにせん」と立(たち)さはぐに、先(まづ)副使(ソヘツカヒ)ののらせ給へるはくつがへりて、波の底に入りぬ。

此方(こなた)の舟も梶折れ、柱もたはみて、見るがうちに、艫(トモ)も舳(ヘ)も打(うち)やぶれて、人みな波の上にたゞよひ出(いで)ぬ。

さる中に、いかにしけん、清川と仲麿と手を引(ひき)あひて、かすかなる板にうちのり、波にまかせ風にしたがひて、もとの唐国にはよりぬれども、知るべもなきあたりなれば、せんすべなく、「いかにせん」とて、なぎさに立(たて)るに、ひとりの翁、供人をゐてきたり。

二人の人を見て、ちかく来(きた)り。

「いかなる御かたぞ」と問(とわ)せけるに、「しか%\の者ども也」と、はじめよりかたれば、翁うちおどろきてそばに居(ゐ)より、「清川の御うへは、此度の御使実(ツカイザネ)なれば、うけ給(たまは)り及ぬ。

また、晁監の御名は、此耳にとゞろく事、雷のごとし。

猶(なほ)御面を見て、それともしらざりしは、目有(あり)て*山(タイザン)を見ざるごとし」などいひて、かくあひつるをふかくよろこび、「何かあらん。

我家におはしたまへ」とて、もたせたる衣にぬれたるをとりかへ、馬に打(うち)のせて、我も打(うち)ならびて家にかへり、高床にむかへ、礼(いや)を正しく名を告(のり)て曰、「我は楊蒙(ヤウモウ)と申(まうす)者也。

我(わが)弟なる者、ひとりの娘をもてり。

即(すなはち)帝の御恵(めぐみ)を得て、楊家の娘なればとて、其名を揚貴妃とめす。

さる御めぐみのあまり、姪が為(ため)に氏族(ウカラ)家族(ヤカラ)もそこの御国の言(こと)にうけたまはるごとく、実に、『氏(うぢ)あらで玉の輿』とやらんには侍れど、おのれはひがものにて、さる事にすむべくおもわねば、たゞかゝる海辺に釣などをたのしみて、『万事無心一釣竿(ばんじむしんいつちようのさほ)、不換三侯此江山(サンカウニモカヘズコノカウザン)』と口ずさみてをりさむらふ。

さる間に物(もの)さはがしき事(こと)どもゝ候(さふらふ)に、さるおこりは、姪どもの筋より御めぐみのあまれるによれりなど、うるさき事どもをもうけ給はり及(および)ぬ。

こはとはずがたりとやらん、心におもふ事を申せり。

唯いつまでもこゝにおはさんには、御心づかひは侍らじ。

猶(なほ)、本津国にかへりたくおぼさば、爰は即(すなはち)蜀道にて、都にもほどちかし。

我(わが)供人を添(そへ)て晁監の主を都にまうでさすべきに、事をあからさまに申(まうし)たまひて、おくりかへし奉る舟どもの事をも物(もの)しさむらはん」とねもごろにきこえ、牛を殺し、鵞をころし、海山のものをあつめてあるじぶりするに、三日、四日を過(すぎ)て、「いかさまにも本津国にかへらむずる。

しからば、晁監に御家人を添(そへ)られて、都にやらしめたまへ。

我は此所にとゞまりて、此うへの御めぐみをかうぶり奉らん」と聞ゆるに、楊蒙[も]、「何かあらん」とうけひき、みづからも書(フミ)をしたゝめ、心得たる家人十人(とたり)あまりをそへ、馬にのらせ、荷をつくり、仲麿をまうでさせぬ。

 清川は、ひとりそこにとゞまりて、何くれとものがたりをるに、三日四日も過(すぎ)て、所の民ども立(たち)さわぎ、「かねてたくめる安禄山、俄に軍をおこし、都をば焼(やき)はらひたるに、帝は此道を蜀の国に落(おと)させたまふなり。

猶(なほ)禄山大軍をゐて、追討(おひうち)奉らんとするなり」と、西に走り、東に迯げて、舟をうかめて漕出(こぎいづ)るもあり、筏に打(うち)のりて海にうかぶも有(ある)を、楊蒙すこしもおどろかず、「かくあらんとはかねてしりき。

去(さる)にても、帝、蜀の国を頼(たのみ)おぼして、こゝを過(すぎ)させたまふとあらば、事(こと)によりては、清川君に、わりなき御たのみ事を聞え奉るべき筋の侍らんや」といふに、「何事にまれ、翁は是恩人なり。

やつがれ、何をもていなみ奉らんや」といへば、翁うちよろこびて、家人をまねき、「汝ら、はまに行(いき)て、よく浮むべき舟をよそひし、糧を入(いれ)、薪を入(いれ)て、日数を歴(ふ)べきかまへせよ。

猶(なほ)舟子は東の海路(うなぢ)をのり得たる者に申(まうし)つけよ」などいひふれて、扨(さて)、冠よそひて大路に出(いで)て待(まつ)に、みさきもはらはず、はつか五十人(いつたり)ばかりの軍兵、御車をかこひ、大路に引来(ひききた)り、臣等申(まうし)て曰、「君、揚貴妃の色にめでたまひしより、禄山かくはかりて候(さふらふ)に、いまだ貴妃をば捨(すて)給はず、御車を同(おなじ)うしてめしたまひぬ。

こはまたあるまじき事也(なり)。

たとへ蜀の国を御頼(たのみ)ありて、めでたく御心に叶はせたまふ事有(あり)とも、又貴妃にめで給はゞ、ふたゝび天の下はみだれなん。

さりとも天の下の民にかえて、そのひとりをめで給はんや」と、ことわりをのべて聞えたまふに、貴妃は御車をくだりて、「とにもかくにも、我故に侍らんには、いかで天の下の民にかへさせ給はん。

我をば此所にうしなひ給(たま)ひ、大御心(おほみこゝろ)やすく、はやくおはします国へいでまさせて、天の下を治めさせたまへ」と、泣/\きこへ奉るに、君は御こたへの御ことばもあらず。

御車にさむらふ牛飼の者ども、「唯御心の残らざるさまに、貴妃が申せるごとくすべし」と、貴妃が手をとりて、御車の前輪にしきて、已に御車を引(ひき)かけんとする時、楊蒙はしり参りて、牛飼が耳にかたり、「さすがに姪なれば、命をばすくはん。

かれが衣を御車に引(ひき)もぢれたるを見せ奉りて、『貴妃は馬塊(バクハイ)が原の土となりし』と申(まうし)きこへ、おぼしきらせたまふさまにはからふべし」とて、裙裳(クンシヤウ)・羅帯(ラタイ)をときすてさせ、我かたにおひて走りかへり、清川にむかひて曰、「かくても此女、御政をみだりて、あまねく天の下[の]恨(うらみ)をうけたれば、此国にはとゞめがたし。

仲麿は都のさわぎにさえられたまひて、はやかえりおはすべきともおぼえぬに、われあらかじめ此事をはかりおければ、此まゝ浜辺に御ともなひありて、日の本へあともひ、いかさまにもはぐゝみたまはれ」といひつゝ、とにかくにいそぎ立(たて)て、風もすゝみ、潮もかなひぬに、清川、揚貴妃とゝもにうちのり、海ばらはるけくおもひ出(いで)つゝ、事もなくて日の本へはつけども、かねて道鏡を恨み給ふに、都にはかへらず、猶(なほ)清川の御名をつゝみて、松浦の里にかくれをらせける。

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               第四十三条

清川、松浦の娘子(ヲトメ)に契る。并(ならびに)阿曽丸にちかづく。

清川、松浦の里人と成(なり)て、姿をば海人(あまびと)にかへ、名をば能里曽(のりそ)とかへて有(ある)に、わたらひごともせねど、楊蒙がよく心得、*たまはりたる器(ウツハ)ざまのものよりはじめて、此あたりにはめなれぬ宝どもを多く舟につませたるをうりて金を得(う)れば、おもてはいやしけれども、家のうちはものゆきたらひて、かの貴妃をやしなひけるに、髪かたちの異(こと)なるに、人も見とがむれば、頭は倭髪(やまとがみ)にまきあげ、衣も似つかはしくし、「我(わが)いもと也」といひふれて侍れど、唐言(からこと)いひ出(いづ)るにはせんすべなくて、「是は吃(コトゞモリ)の病にて候(さふらふ)まゝに、のち/\は尼にもせんずるより外(ほか)もあらず。

是が事を心にしめて物病(ものやみ)となり、父母も過(すぎ)給ひ、今我ひとりをたのみて、かくて候(さふらふ)」などゝよきほどに聞えおくに、見る人いとほしがりて、「うつくしの御妹(いもと)や。

唐の絵などには、かゝる面ざしの女もおはせ。

今(いま)唐の世にては、揚貴妃とやらん、帝の御代をさわがし給へるほどの御面ざしならん。

たぐへたらばそれらにこそ」などいへども、貴妃は倭言(やまとごと)をきこしわかねば、何ともおぼさず。

人もをらぬときには、鳥などのさへづるさまに、御心のかなしさなどにやあらん、詩につくりてうたひいで給ふを、隣のほどちかき家には聞(きき)つけて、「片輪人(かたはびと)のうたうたふをきけ」などいひて笑ひあひける。

 さてあるに、六月(みなづき)ばかりいとあつくなるに、人みなは門辺(かどべ)に涼みとりて、夕風に打(うち)むかひつゝ浴(ゆあみ)などすれども、さる事は深く恥らひ給ふに、せまき庭べに席(むしろ)など引(ひき)まはして、湯槽(ユブネ)をすえてなさせ参(まい)らするに、やがてうちひたりたまふすがたの清らさ、池の蓮もなぞ及(およぶ)べからず。

されど御かたへにさむらひて物し奉る人もあらねば、おのづから打(うち)わびつゝなかせたまふを見るに、さやけき李(すもゝ)の花のうへに、ふりかゝりたる雨にもたぐへて、いとも/\あでやかなり。

さるは、清川は妻もあらねば、かゝる御ありさまを見出(みいづ)るにつけて、唯いた/\しく思ひ奉るに、「いかなる妻をしも得て、御かたへに侍(さむ)らはせ、御みやづかへを仕ふまつらせん」と、日比(ひごろ)おもひとりてはべるはしに、「松浦の川に鮎(アユ)こそよれ」とて、人々これをとらんと打群(うちむれ)出(いで)て行(いく)に、「我もゆきて鮎をつり、此君にめさせ奉らん」とおもひて、松浦川に出(いで)て見(み)れば、此あたりのをとめ共(ども)にや、色よき女子(をんなご)の赤裳(アカモ)をひきかゝげて川なみにひたり、のぼり来(く)る鮎を釣り上(あぐ)るを見(み)て

松浦がた玉しま川に鮎つると立(たゝ)せる子等がいへ路(ヂ)しらずも

とよみ出(いで)つゝ、「家はいづこ」と問ひければ、さる中にひとり秀(ひで)て色よかりしが、こたへてよめる、

たましまの此川上に家はあれど君をやさしみあらはさずありき

ときこへつるに、貴妃のあてなるをば御かたへに見れども、言(こと)通はねば絵にかける女のごとくもおもひつかで侍らひしに、色はおとりたれども、倭言(やまとごと)ざまのかよはすをきゝて、清川たちまちほれまどひつゝ、またよめる、

遠つ人まつらの川に若鮎(わかあゆ)釣(つ)るいもがたもとをわれこそまかめ

とよみ出ければ、

まつら川七瀬の浜はよとむとも我はよどます君をしまたむ

とこたへたるを、*猶(なほ)とひよりて、妻とさだむべきかたらひししける。

 かくてあるに、先をはらふ人はしり来て、「阿曽丸、此川辺(べ)の御なぐさみにおはしたまふ。

行来(ゆきき)の人はゆきゝをとゞむべし。

海人どもはなを爰(ここ)に有(あり)て、仰(おほせ)ごとをうけたまはるべし」といひ触(ふれ)て通るに、清川こゝろのうちにおもふ事(こと)あれば、かのをとめが耳に打(うち)さゝやきて、「もとよりの夫婦なりと申せ」とをしへ、川風ふきわたる柳かげにたちより、鉤をおろして打(うち)ならびおるに、やがて阿曽丸は馬に打(うち)のり、供人あまためしつれて、とまり猟(かり)に出(いで)けるなへに、松浦の鮎子鉤せんとて来たる。

夕日影のてり入るに、*垣(きぬがき)をはらせ、毳(カモ)などをば八重にしかせて打(うち)あがり、風は吹入(ふきいる)べくしつらひたるに、川面(かはづら)にむかひをれり。

猶(なほ)もたせたるわりご・重箱(かさねばこ)などには、玉をかざりたるをひらかせ、酒壺を百ばかり打(うち)ならべて、「皆出(いで)て鮎つれ。

鉤得ば鱠にして出(いだ)せ」など、興(コゝロズサミ)にのりて遊びけるに、日も入(いり)がたになりて、涼しき風のみ吹(ふき)わたるに、「少し岸べに出(いで)おはして、松浦のおとめどもか鮎つるさまをも間ぢかくて見ませ」などきこえけるに、阿曽丸、「いかにもおもしろからんよ」といひつゝ、川柳のうちなびきたるきし辺にあゆみ行(ゆけ)ば、よき男とをみなと打(うち)ならびて鉤をるに、阿曽丸、此方(こなた)にはいと*すくめるくせあれば、「をかしの鮎つりや。

鉤得つる鮎のあらば、こゝへもて来よ」といふに、さむらふ者参りてさるよしをいへば、二人ながら、かたまに入(いれ)たるをもて参るに、「それもとめよ」といひて、「故(ゆゑ)有(ある)べきいもせの者ぞ。

かたらひそめし昔をかたれ。

夫(それ)をさかなにして酒のまん」といひ出(いづ)るを、かたへの人々、「いでかたれ。

いで申せ」と責(せむ)るに、清川いらへて、「しかのたまひては、罪人(つみんど)などが訟所(うたへどころ)に出(いで)たるさまにて、けそふ物語りには似つかず」と申すに、さすがの阿曽丸、「是はさることなり。

さらば一ツたうべてうちゆるび、はじめより落(おち)なくかたれ。

おのれは先(まづ)このあたりの人ざまにもあらず。

いかにしてちぎりそめし。

ゆかしの物語りや。

はや聞えよ」と責(せむ)るに、をみなはさしうつむきてはぢらふを、清川は何にまれ阿曽丸が心(こゝろ)にいらむとおもふ時なれば、打(うち)わらひて、「今一ツたうべてこそ申さめ」とて、また一ツもりてのめば、「おもしろの男や。

扨(さて)かたれ」とせちにいへば、「さらば、けそふ物語りのはじめ[なり。

]よくきこしめせ」とて、口のまに/\かたりいでける。

 「扨(さて)も、吾(わが)親は山の猟(さち)を仕(つかまつ)りけるに、おのれも弓矢を手にゝぎり、山に入(いり)、岡にのぼり、野山の毛ものをとりつくして、世のわ[た]らひをつかふまつる。

亦(また)隣の家に我(わが)兄にて候(さふらふ)ものは、海辺(うなべ)・川辺(かはべ)に立出(たちいで)て、鉤するわざを業(なり)としけるに、ある時我(わが)兄われに向ひ、『汝と我と猟(さち)がへせん。

其弓矢を我にこせ。

我(わが)鉤(ち)は汝にやらん』と申(まうす)に、『いかさま、海の猟はおもしろからん』と、其鉤(ち)を弓矢にかへ、扨(さて)、此川のべにて鉤さむらふに、終(つひ)に其針をしがらみに引(ひき)かけ、糸きれたれば取(とる)事あたわず。

いかにせんとおもひまどひて侍らふに、兄きたりて、弓矢をかへし、『山の猟はおもしろからず。

其鉤(ち)を我にかへせ。

只今かへせ』と責(せめ)ける故に、鉤はうしなう、兄はせむる、唯泣(なき)になきてせんすべなく、この川のべを上(かみ)へのぼり、或はくだりていさよひ侍るに、塩焼の翁あゆみ来たり、『何をもとむる人ぞ』ととへるに、しか%\の旨(むね)をかたりければ、『よし、さらば其鉤をとり得てかえさん。

しばしまたせよ』とて、是なるをみなを呼出(よびいだ)し、『是はこれ我むすめなり。

水にうかぶ事瓢(ひさご)のごとく、水をくゞること鵜(う)のごとし。

其鉤を落せる所をしらば、必(かならず)とり得ん』といへるまゝに、『あれなる柳の下かげに、かゝるしがらみの候(さふらふ)所なり』といへば、女たちまちかたちをあらはし」とかたるに、阿曽丸も人々も、「こはおもしろのものがたりや。

さて何と[か}かたちをあらはせる。

[偖(さて)は龍(たつ)などにや侍りし、蛇(をろち)などにや侍りつる。

何とかたちをはあらはせる」]といふに、清川打(うち)笑みて、「[扨も]色こくとはせたまふ。

其かたちとはいとしろきかたちなり」といふに、「こはをかし」とて皆わらふ。

「さて/\いかにしつるぞ」ととふに、清川、「しばしまたせ給へ。

此次こそ申(まうす)事あれ。

またひとつたうべん」とて、ひき受(うけ)て呑(のむ)を、阿曽丸うれしがりて、「心よきものかな。

さて/\いかに」とまたとふに、「已(すで)にかたちをあらはして、腰(コシ)には千尋(チヒロ)の縄をつけ、我が前にきたりて曰、『もし此鉤をとり得たらば、この縄をうごかすべし。

其時かならずちからをあはせ引上(ひきあげ)たまへ』とちぎりおき、柳の[木]かげにしづみぬるが、ことなく鉤をとり得てかえりぬ。

時しも秋の夜なりけるに、月はくまなくさしわたり、風はやゝ寒く吹(ふき)そふに、其鉤(つりばり)はとり得しかども、たゞ冷(ひえ)にひへてくるしみけるまゝ、心なき兄をばつりをかえしておひ遣(や)り、扨(さて)いかにして其(その)はだへをあたゝめ侍らんと、此次はかたるまじ、先(まづ)けそふものがたりは申(まうし)終りぬ」といふに、「さるのみにては心ゆかず。

さていかにしてあたゝめつる。

其つぎをかたれ。

其後はいかに」と責(せむ)れど、清川うちわらひていらへねば、「扨(さて)もおのれは神代の人にさも似たり。

おもしろのいもせのなかや。

いづこに住(すむ)ものぞ。

かさねて我(わが)たちへもまねきて、其後の物がたりをきかん。

かならず参れ。

侍(さむろ)ふものら、奴等(やつこら)を遣はし、彼が住所(すむところ)を見とめさせておけよ」といふに、「さらば我/\につきて参りたまへ」とて、奴等二人をあともひつゝ、御酒(みき)たまはりし礼(いや)をきこへ、妻もともにゐて家にかへるに、*つきそひ来るやつこらどもが、家の内を見入れて、「是はいとせまき住居(すまゐ)なり。

さだめて蚊もおらん。

風も吹入(ふきいる)まじ」などいふに、清川こたへて、「はまべにさむらへば蚊家(かや)をはるばかりに蚊もをらず。

風も彼方(かなた)の口よりふき入(いり)て、中/\夏も住(すみ)よくさむらふに」といふを、「戸のくちはいづこに有(ある)ぞ」とさしのぞきて、貴妃のともし火に打(うち)むかひ、書(フミ)よみておわするを見出(みいで)、「扨(さて)も美(ウマ)しや。

よみたまふ書(ふみ)は何ぞ」と又立(たち)のぞきて、「こは一文字(ヒトモジ)もよみ得ず。

是よみ給ふはいとかしこ、倭人(やまとびと)にはおはさじ。

先(まづ)かほかたちのあでやかなる」とてうちむかひ、「扨(さて)こそ、唐面(カラヲモ)におはすれ。

いかなる唐の毛やつこめ[が]うみおきてかへれる娘(むすめ)ぞ。

かゝることを君に申さば、さこそ見たがりたまはめ」といふを、詞(こと)はわきまひ給(たまは)ねど、奴等があらけなくいひのゝしるを、かしこくおぼして机をおしやりてかくれ給ふに、清川かいとりて、「君達、さなちかく居(ゐ)より給ひそ。

彼は我(わが)妹(いもうと)にて侍り。

はぢをかたらざれば、其理はわきたまはじ。

渠(カレ)めはかたわにて、物申(まうす)ことかなはず。

其うへからだに、めのはじめといふ物なくて、小便(ユバリ)はヘソよりながれ出(いづ)るに、いと/\くさし。

それをはぢて、御人にはちかくまみえまさず。

おさなきよりこもり居(を)るに、父母いたくかなしみ、深く愛(メデ)て、『後は尼になすべき子なれば、文字書(かく)事、書(ふみ)をよむ事をならはせよ』と申(まうし)つけてさむらふに、我/\いとまづしといへども、父母が詞にそむかず、かく姫君などのさまにみやづかへし、書(ふみ)のみよませおきて候(さふらふ)」といふに、扨(さて)奴等手を打(うち)ならして、「扨(さて)もおしき娘かな。

そは花さかぬ桜のごとし」といひつゝかえりしが、たち戻りて、「実に、主の名は何とかいひつるぞ」ととふに、「能里曽(のりそ)と申(まうす)」といへば、奴等、「浜藻(ハマモ)にこそさる名はあれ。

かさねて君の御たづねもあらむ。

さる時はまた来ん。

扨(さて)おしき妹かな」と、又かへり見つゝ出(いで)て行(いき)ぬ。

 清川いとおかしくおもひつゝ、家の内をとりまかなひ、松浦をとめによくかたりきかせ、貴妃の御みやづかへを頼みおくに、能(ヨク)ことはりをきゝとりつゝ、うらなく見ゆるに、「さて、そこの家は、さきつかた仮そめにはきゝつる。

いづれのあたりにて有(あり)し」ととふに、「是より五里(イツサト)ばかりの山のあなた、卯の市といふ所なり。

夏は此あたりに出(いで)て、人のもとにやどりをり、見たまふごとく、鮎をつりてをりさむらふに、此所(こゝ)[に]は父母も住(すま)ず、はらからもあらねば、かく参りてさぶらふことも、唯我(わが)こゝろひとつにて、誰にもとひきこえさむらはず」とかたる。

清川、「扨(さて)は」とおもひ落居(おちゐ)て、「去(さる)にても妻となりてながくとゞまりたまはんには、父母にもかくと聞えずはあらじ」といふに、「御心だに見捨(みすて)たまはずあらんには、明日(あす)にも君と打(うち)つれだちて、いさゝかの酒をとゝのへ、魚(ナ)を添(そへ)、さて布(ぬの)一疋(ヒトムラ)をとり加へて、我(わが)父母にたまはらば、是ぞいもせの*定めにて候(さむらふ)」とかたるに、清川うちよろこび、「さらば明日ははやく参らんに、此姫ひとりをいかに残し置(おき)参らせん。

是は牛をかり得てのせまいらせ、酒魚布(さかなぬの)などをもと[り]つけ、久しく門辺だに見たまはぬに、山路のけしきを見(み)せ奉らん」とて、をちこちにたちあるきて、さるものどもを[も]とめ、牛も二日ばかりといひて借得(かりえ)、さて荷を作りて衣などをあらため、あつき比なれば、まだきに出(いで)んとて、仮染(かりそめ)の手枕に千とせをかけてちぎらひ、貴妃をもおこしたてまつり、「けふは野山のけしきを見せまいらせんに、女も侍れば、御心おかず遊ばせたまへ」といふことを、文(ふみ)に作りて見せ参(まい)らするに、いとうれしくおぼし、まだあけぐれに起出(おきいで)たまふを、御衣(みぞ)の上着(うはぎ)は倭(やまと)衣をきせまいらせ、玉のかざしをつげの小櫛(をぐし)にかざりかへて、よろづ松浦女が御みやづかへ申(まうす)に、*いさましくしたまひつゝ、桃(もゝ)の林(はやし)にては見たまひつる牛(ウシ)の脊(そびら)に、毳(かも)などをうち敷(しき)てのせまいらせ、夫婦左右(トカウ)につき添(そひ)奉り、坂をのぼり、岨をめぐり、すゞしき朝風をおひていゆきたまふ。

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              第四十四条

小治田の連珠名(たまな)、清川に逢ひてむかしをかたる。并(ならびに)阿曽丸をうたんことをはかる。

尾張の国熱田の御神の祝子(はふり)に、小治田(をはりた)の連といふ者有(あり)。

阿曽丸都にはべりける時、道鏡とゝもにはかり、使を立(たて)て申(まうし)て曰、「熱田(あつた)の[御]神の御神すがたを拝み奉らん。

うけひかば、公にきこへ奉りて、ともに尾張の国にまかり下らん」と聞えたるに、連こたへ申(まうし)けるは、「むかしより此御神の御神すがたを拝ませ奉りしためしなし。

いかなる御いきほひにてくだらせたまふとも、さる事はかなひ侍らじ」と申(まうし)つるに、道鏡は阿曽丸とゝもにいかりて、「扨(さて)こそ、真(まこと)の御神すがたはうしなひ奉り、あらぬ物に仕ふまつりかへ置(おき)たるならめ」といひつのり、横さまの掟をもて、小治田が官位(つかさくらい)をめし上(あげ)、はづかに西の国に住所をゆるし、多くの国をしめてはらひけり。

扨(さて)、阿曽丸が末の子を立(たて)て熱田の祝子(はふり)としけるによりて、連はいきどほり骨にとほるといへども、道鏡、法王のいきほひをもてかくはからひつる上はせんすべなくて、西の国にくだり、比良戸の浜辺にえみしとなりて、いとかすかに世をわたりけるに、尾張に残せる妻の古止与(コトヨ)と申(まうし)けるが、はるけくしたひくだりて、をちこちにさまよひ、からうじてめぐりあひつるに、いとゝもしき業(なりはひ)を妻も我もいとなみつゝ、月日をへたり。

 さてあるに、友どちのすゝめ聞(きこ)えて、「こゝは倭(やまと)の西の果(はて)にて、入り来る人もすくなきに、業の事も心ゆかじ。

御妻のよく物ぬひとりたまふに、松浦のみなとに住(すま)ひたまはゞ、さるわざのいと多く有(ある)なん。

また、いさりのわざも有(ある)所なれば、そこの御業にもしからん」といふをきゝて、「いかさま、さるかたに住所もとめん」とて、いとかそけき家の内をかきはらひ、古櫃(フルビツ)・破薦(ヤレコモ)など、うちひづみたる陶皿(スヱモノザラ)・陶盤(ヒラデ)などさまの物まで、とりあつめて牛に負(おは)せ、隣の老父(ヲヂ)・老母(ヲウナ)などには、久しくめぐまれたりし礼(いや)どもはねもごろにきこへおきて、山ゆこへ行(ゆけ)ばいと近しと聞えつる路を、たどる/\松浦のみなとを心ざして来るに、みな月十日ばかりなれば、日はてりにてりて、たゞ紅(くれない)ひなる蓋(キヌガサ)を大空にさし上たる斗(ばかり)にいとあかき日の、雲にもかくれまさずさしわたるに、高きから山なれば、立よる木陰もなくて、土はこがれ、石はやけて、あゆみくるしきに、牛もうちあへぎて坂をのぼらずして、まして夫婦はあゆみかねて、よき清水の有(ある)がうへに、一むら打(うち)茂りて山蝉のあつまりなく木かげを見出(みいで)、いかにもして此坂路をめぐり、見(み)えたる木かげにうちやすらひて、水もたうべ餉(かれひ)もくはむと、牛のしりえだを打(うち)たゝきて、からうじてのぼり行(いく)に、また少し下(おり)ざまになれば、谷風はるかに吹(ふき)のぼりていと涼し。

 かくて、其森のかげにあゆみよりて、黄泉(よみ)にさまよふ餓鬼の水を*得しごとくうちひたり、手にむすび、手拭(タナゴヒ)にひたし、額にあて、胸(むね)にあてゝ、汗をのごひ、扨(さて)牛にも水かひて草に放ち、我/\も餉(かれひ)をひらき、心よくうちくひて、しばしやすらひに、薪(タキゞ)樵(コ)る人のくだり来れば、「よき人ぞあれ。

路をとはん」と、「松浦のみなとへはかく参るや。

路はこのまゝにて侍るや」と問ふに、「唯一道(ひとみち)なり。

ちまたはあらず。

唯東にむきて参りたまへ。

されど、今八里(やさと)ばかりも侍らむに、けふはいかで参りつかせむ。

是より三里(みさと)行(いき)たまはゞ、駅(ウマヤ)にもあらぬが、卯の市と申(まうし)てさとの侍るは、人をとゞむるやどりもさむらへ。

そこにて夜を明(あか)したまはゞ、明日(あす)ははやく松浦のみなとにつかせたまはん」といひて、是も清水にのどをうるをしていき過(すぎ)ぬ。

 扨(さて)、日影を見れば、未(ひつじ)の時ばかりなるに、「いと長き比なれば、ゆた/\にあゆむとも、三里ばかりは日も暮(くれ)じ。

すこし木のもとに打(うち)やすまむ」と、牛はかけ綱を長くつなぎて、我/\は荷ひものを枕にしつゝ、しばしいねつ。

さる夢のうちに、頭(かしら)は臼のごとく、からだは丸木のごとき蛇(ヲロチ)の、梢よりはひくだりて、夫婦の者をのまんとするに、二人(ふたり)は気をうしなひて、うごき出べくもあらず。

わなゝきて有(ある)に、二ふりの劔(つるぎ)、空より飛(とび)くだりて其蛇(ヲロチ)をさゝんとするに、「おろちは少しく刄にあたりて、梢の茂みにまぎれいりぬ。

しかうして、心もすが/\しくなるに、「いと奇(ケし)き事かな。

劔(つるぎ)は熱田の御神すがたなるに、我/\を守りたまはりつ」と夢の中に思ひて、其劔(つるぎ)をみれば、二ふりながら半(なかば)よりおれて、刄(やいば)もいたくこぼれたるに、夫婦は汗(あせ)にひぢて、夢ともおぼへず、心のひへわたりたるに、息つき合(あひ)て起(おき)たち、「これ正に神のまもりたまへるなり。

いかでかゝるあやしき森の下には臥(ふし)けん。

いそぎて行(いか)ばや」とて、清水にみそぎして、はるかに熱田(あつた)のかたを拝み、牛を引(ひき)よせ、荷を負(おは)せて、道は坂路(さかぢ)をくだれば、いとすゝみて、日はまだ申(さる)の時を過(すぐ)る比、卯の市につきぬ。

 さて、よきやどりをもとめて物たうべなどし、いねむんとするに、此家の娘がよき聟とりて、ともにゐてきたるよしをいひさわぎ、牛にのりつるをとめなどもゐて、おもてに下(お)りたち、「先(まづ)、こなたへ」といふにつきて、其聟にやあらん、一間(ひとま)のかなたへ入(い)り来(きた)る。

扨(さて)、さふらふ面ざし見るに、過(すぎ)し比、熱田の御使にくだりて、此連がもとにとゞまり居たまひし藤原の清川君なり。

「さるにても、此君は遣唐使(カラヲンツカヒ)に参り給ひ、かへるさには舟破れて波にたゞよひうせたまひぬるよしを、とり%\人の申せしに、左(さ)もあらじ。

扨(さて)も、*正に其御面(オモ)なり。

猶(なほ)物のたまふもたがはず」と見入るゝを、かなたよりも打守(うちまも)り、「彼方の旅人は熱田の祝子(ハフリコ)小治田の連珠名(たまな)に少しもたがはず。

いかなる目もあやにか」と、或は見つめ、あるひは守(まも)りて、みれども/\たがはねば、たもちかねて、清川先(まづ)いひかけて、「そこの御旅人は小治田の連にてはおはさずや」ときこゆるに、さればこそとおもひ、「しかのたまふは藤原のか」といひて、手をとりかはし、こしかたの昔をかたり出(いづ)るより、あやしきえにしを思ひ合(あはせ)ける。

さて、珠名が年月口をしかりしをかたり出(いで)、ともに阿曽丸を討(うつ)べき心をもあかし合(あひ)ける。

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              第四十五条

金明が食(かて)をたちて、香椎の宮に祈る。并(ならびに)姑の老婆、来りてなげくといへども、金明いさむるによりて、ともにいのりて、爰(ここ)に餓死す。

金明は、まのあたりに妻子を殺され、いかりは君ともおもふまじきを、さることはすこしも厭(いと)はず、唯阿曽丸がよき心に[なり]なん事をおもひて、さま%\のことはりを申(まうし)ていさめしかど、さらに用ひざれば、「今は神を祈りて、其御ちからをかり奉るばかりなり」とおもひとり、香椎の御宮にこもりて、心ひとつに其事をいのりけるは、「我(わが)主阿曽丸がこゝろをなをしたまらずは、我(わが)いのちをめしたまへ。

いきて何か世にあらん」といふことを祝詞(のりこと)に告立(のりたて)て、口には食(け)をくらはず、水をものまず、身には麻(あさ)のひとへを着(き)、席(むしろ)にはあらごもをしき、夜昼をわかずいのりけるが、五日ばかりも歴(ふ)るに、身はつかれやせて、咽(のんど)かはき、舌はこがれ、気(き)はのぼりて、たゞ夢のこゝちになるをば、心をふりおこし、魂(たましひ)を定めて、声はうせ、息も絶ふるをも厭はず、天(あめ)にあふぎ、地(つち)にうつぶしていのりけるに、七日といふあかつき、あまりにつかれて心をうしなひ、ねぶる[が]ごとくにて打(うち)ふしゐたるを、姑の老婆(ヲバ)の侍(さむ)らひけるが、阿曽丸に娘を殺され、孫をころされしより、なげきつのりて、物ぐるひ[の]さまに立(たち)ありきけるが、聟なる金明、かく食(け)をたちて、香椎の宮にこもれると聞(きき)、鍋をたづさへ、米(こめ)をふところにして、跡をとめて来たりけるに、御宮の前にあらこもをしき、身には麻衣を着て、手には幣(ぬさ)を捧げながらうつぶし居(ゐ)けるに、「扨(さて)は聟也(なり)」とおもひて、ちかくより「金明」とよぶに、こたへざれば、いとつかれねいりたる也(なり)とおもひ、よりてゆりおこしかきおこすに、眼は見ひらきながら*死(しに)たるさまにて、息は少しかよへども、心消え、魂たへて、言のわきまへもあらざりければ、「けふ已に七日の願ひは終りなん、扨(さて)も夜日をわかで、かくあらき行ひをしつるによりて、かゝらん」とおもひ、薦(コモ)の上にすへながら、しづかに此方(こなた)に引き[た]りて、一木(ひとき)の陰によせおき、さて枯枝をかきあつめ、松の葉の落(おち)ちりたるを集めて、もたる指鍋(さへなべ)に湯をわかし、米を打入(うちいれ)、いとうすく粥を煮て、竹の管(クダ)に口をおしわりて、やう/\吹入(ふきいれ)つゝ、咽をなで、胸を押てしばし見とりけるに、心もつきたるにや、目にも見、耳にも聞え、しづかにおきあがり、「こは老婆(をば)にてますか。

何ごとにか来(きた)りたまへる」といふに、老婆は泣(なき)いさちて、「身は老ぬ。

子はころさる。

そがうへに、孫(まご)をさへうしなひたるに、世には君ならで誰をかたのみ聞えん。

さるもまた、かくて身をほろぼし給はんには、岸にうつなみのよるべもなく、松にはふ葛のたのみも絶(たえ)て、此老婆(をば)が世をばいかにせん。

むかしありし倭唐(やまとから)のものがたりを聞(きく)だに、聟君のごとく、妻を殺され、子をころされしもいとひ給(たま)はず、そがうへにまだ命をも捨(すて)て、君をいさめ参らせしとふ事はきかず。

君にもまた、我(わが)君のごとき、心ゆがみて横さまにおはす君はきかず。

聟君いかばかりの御恵みをかうぶり給ひて、妻をすて、子にわかれ、此老婆までを見捨(みすて)たまひて、君をばおもひたまへる」など、かつ恨みいとなげきて、「ひたすら此いのりを思ひとゞまり、家にかへり、時をまちて、君をいさめ、身をたもち、此老婆が世をもすくひ給へ」と打(うち)かへし、くりかへしていふを、つれ%\と聞て、「老婆君、今我をばいかにしてたすけたまはりし」と問ふに、老婆聞(きき)て、「かくいのり*ふして、息もたへおはせるを見つゝ、あまりにかなしかりつるに、木の葉をあつめ、粥たきて、君が口に吹入(ふきいれ)つるに、咽(のんど)やとほりつらむ、かくいき出(いで)たまひつる」といへば、金明、歯をかみならして、「いと口おしき御心なりける。

おのれかくいのりて死なんとするは、妻子を殺され参(まい)らせし恨(うらみ)を聞え奉るにあらず。

さればこそ、其後もかれらがしかばねをはふむりおさめ、喪をつとめ、事を改め、もとのごとくみたちにのぼり、役(ゑだす)の事もよくつとめて、尚(なほ)其志をうしなはず、折(をり)/\諌(いさ)め参(まい)らせけるなり。

是その恨(うらみ)をとゞめざる心也。

さるにても、御心なをらず、横さま[事]にふけりたまふを、とにもかくにも我(わが)ちからにはとげじとおもひ、此御神にいのり奉り、『さらでも御しるしあらずは、此金明がいのちをめせ』と神にうけひて、かくは侍り。

君いかで我(わが)いのりする事をきこしめしうけざらむ。

もし御心あらたまらば、かならず使(つかひ)をたまひて、我をめしかえし、罪の御悔(くやみ)は侍らんことを、けふ七日御(み)たちに[も]のぼらず、かくいのれども、さる事なきは、神はうけずやおはしましつらむ。

さては我死ぬべき命なるを、かく老婆の君のよびたすけ給へるに、神にうけひする心もたがへば、是より又くるしみをかさね、おこなひをつみて、こゝに死(し)なん。

唯今のたまひきこ[え]し事どもは、我もわきまへしらぬにはあらねど、妻子も是(これ)まで君の御めぐみにこそ、命はたもちたれ。

さる命の親の御手に死せるは、御恨みも更に侍らず。

老婆の君まだ*(ヤモメ)におはすをもて、我がやしなひをもて、是までの御命をたもたせたまふ。

さるやしなひは、即(すなはち)是君の御やしなひなれば、其御報ひを仕ふまつらせずは、いけるかひもおはさじ。

唯我とともに、御神にいのりて、しるしなくば、また我とゝもに死(し)なせたまへ。

此上(うへ)、金明が申(まうす)事あらじ」と聞えて、また、水に口あらひ手あらひ、御宮のまへにあらこもを引(ひき)よせ、かたへもかえり見ずいのるありさまをみて、老婆もよくわきまへしれるに、おなじくみそぎして、打(うち)ならび、声をそろへていのりけるに、金明は四日(よか)ばかりいき居(ゐ)てそこに死し、老婆は七日にみたでともに死(しに)ける。

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              第四十六条

揚貴妃、日本言(ヤマトゴト)を習ふ。并(ならびに)珠名が妻とゝもに阿曽丸につかふ。

清川・珠名、ゆくりなく卯の市にてめぐりあひしに、ひと日二日はそこにとゞまり、ともに打(うち)つれだちて松浦にかへり、今は相(あひ)ずみに住(すみ)て、ともにわたらひするひまには、珠名が道鏡・阿曽丸を恨むる事ふかく、清川また、かくてさすらふも、大宮にかえりて、故無人(ユヱナキヒト)の下につかむをはぢらひたまへに故に、身は海原にたゞよひはてしと聞えさせて、かく打(うち)わびつゝすまひたまふに、先(まづ)阿曽丸をうつて、西の国[の]民をやすめ、扨(さて)後心を合(あは)する人もあらば、道鏡を申(まうし)たまはりて、天の下をすくはん事をはかり合(あはせ)給ふに、「貴妃のかくておはするぞ、実に天のあたへたまふなれ。

已に唐国(からくに)にては、玄宗皇帝の御心をみだし給へるばかりの御色におはせば、是を妾(おんなめ)などにしたてゝ、阿曽丸にちかづけば、県主が娘といふともけをされ、終(つひ)には其しるべをもて、我(われ)/\が心のまゝに事をしおふせん」と、みそかにはかりあひたまへど、大倭言(ヤマトゴト)をわきまへたまはぬにすべなく、「是より二人(ふたり)して御言風俗(おんことぶり)を*なほし、大倭言におしへたてんず」と、かたはらさらずつき添(そひ)参らせて、「那火来(ナホライ)」とのたまふときには、「『火をもて来(こ)』とも、『火をもて参れ』と[も]のたまへ」と、一度おしへ奉れば、たちまちしらして、かさねては唐言(からこと)にのたまはず。

されど御心にそまぬ事の有(あり)て、かたはらをしかり給(たま)ふ[な]どには、「呆子(ガイツウ)」とのたまふを、「さる事は、此国にては、下々には『馬鹿(バカ)』と申(まうし)て、人をあざける言(こと)にてさむらへ。

しかれども、倭にてはよき君たちののたまふ御詞にあらず」などをしへたまへば、はぢらひたまひて、かさねてはのたまはず。

 扨(さて)、しばしが間に、清川・珠名が言をもてをしへ奉り、珠名が妻ももとは都よりさむらひつれば、つたへ参(まひ)らする言(コト)の風俗(フリ)[はみな]奈良の都の言風俗(ことぶり)なれば、いとゞあでやかさも添(そひ)たまふに、歌などもよみ出(いで)たくおぼし、「我皇帝の御かたへに」とのたまひ出せるを、また教(をし)へ参(まいら)せて、「それは『天皇(すめらみこと)』とのたまへ」と申せば、たちまちのたまひかへて、「その天皇(すめらみこと)の御かたへにさむらひし時、臣(おみ)の李白(りはく)をめされけるに、いたく酔(ゑい)ふしてまうでざりしに、しひてめしたりしかば、人にいだかれて、酔沈(ゑひしづみ)ながら、我うへを詩に作れり。

其詩は、雲(ウン)想(サン)衣(ヱ)裳(シヤウ)花(ハウ)想(サン)容(ヨウ)春(チヤン)風(ホン)払(フ)檻(カン)露(ル)華(ハ)濃(ノン)若(シヤク)非(ヒ)群(キヤン)玉(ヨ)山(サン)頭(テウ)見(ケン)会(ヱ)向(ヒヤン)瑶(ヤウ)台(ダイ)月(エ)下(ヒヤ)逢(ウオン)

となんいへる。

其外(ほか)も侍りしがわすれつ。

かゝることは、大倭(やまと)歌にはいかに作る」とのたまふに、清川はよく聞(きき)わきてあれども、珠名もいとおかしくおもひ、二人の妻もきゝかねて打(うち)ゑむに、今はみづからもおかしくおぼすさまにて、「我(わが)国の詩も、やまと言(ごと)にや唱(トナ)ふる。

先(まづ)今の詩を倭歌(やまとうた)によみかへてきこへよ」とのたまふに、清川申(まうし)たまふは、「さる詩は、七言(ナゝコト)にて四句(ヨツガヒ)也。

我国の歌に五句(イツゝガヒ)にて三十一言(ミソヒトゴト)なり。

また長歌と申(まうす)には、くさ%\よみつぎぬることもあれど、三十一言(みそひとこと)の短歌(みじかうた)は、心ひとつをよみとる物なれば、のこりなくはよみ得がたし。

よみとるさま、唯さるおもむきをよみ得(え)むには、かくも侍らむや」とて、俤(おもかげ)のはなに雲にもたぐひなば春の山(やま)へにあふべかりける

「心少したらはねども、かゝるさまにてさむらふ」といへば、今はよくわきまへしりたまひて、「さらばわれもまたよみて見ん」とて、天(てん)にあらば比翼(ひよく)とちぎり地(ち)にあらば連理(れんり)とのりし君ぞこひしき

とよみて泣出(なきいだ)したまふに、人/\あはれと見奉る。

 さるはしに、阿曽丸が家人、しるべの奴等(やつこら)をゐて入来(いりきた)り、「能里曽は家に有(ある)か。

我(わが)君、汝らが事をのたまひくらさせたまひ、『かの松浦の釣人(つりびと)をゐて参れ。

おもしろき物がたりさせん。

ならびに、かたわな[がら]よき妹(いまうと)のあるよしなるに、是も又めしつれて来よ。

我見ん』とのたまはす」とあるに、清川かいつくばいて、「こはいとかたじけなき仰(おほせ)をうけたまはる。

妹もさま%\みとりてさむらふに、少し口もとうごきて、やう/\人のことばも、我(わが)申(まうす)こともわかちて候(さふらふ)に、つきそふ者あらでは、*かの申せし一(ヒトツ)のやまひをはぢらひて候(さふらふ)に」といへば、珠名は我(わが)妻にまくはせて、「我は此主(あるじ)がいとこにて、此ほどこゝに参りをれり。

さは是なる女を添(そへ)て奉らんや」といへば、奴等さしのぞきて、「いとよき女ぞ。

それよからんは能里曽とりまかなへ。

此松浦川を舟にのりてさかのぼりに参るべければ、女達のわづらひもあらじ」と、いそぎにいそがし立(たて)て、清川、貴妃の御よそひを妻として作りまいらせ、珠名が妻もゐて参りぬ。

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              第四十七条

阿曽丸舟をうかめてたのしむ。并(ならびに)あやしき魚、阿曽丸をうかゞふ。

金明、姑と倶(とも)に香椎の御神にいのり奉りしに、その願しるしなく、直に広前にふして死(しに)けるを、「たぐひなき忠誠人(マメびと)かな」と、聞(きく)人涙を流し、かたりつぎいひつたへて、歌[に]よみ書(ふみ)につらねて称(たゝ)へけるよしは、東の国にも聞えわたりて、「猶(なほ)末の代の鏡にこそ」といひはやせども、阿曽丸は少しもうけひかず。

「渠(カレ)がいのること道に*あたらば、神何ぞ彼を殺したまはむ。

彼は妻子を殺されたる恨(うらみ)をむくはんと、横さまの心をもて、我を咒(トコヒ)にかけて、神いのりせしにより、かえりて其身のうへにむくひ、あまさへ、姑なる老婆(をば)迄(まで)も其所にて身(み)まかりたり。

神の御咎(とがめ)はかしこきものぞ」といひのゝしるを、諂(へつ)らひつかふるものども、一人(ひとり)もことわりをときわたるはなく、「いかさまにも、君ののたまふごとく、我と我(わが)身のむくひをまねきたる也(なり)。

先(まづ)渠(かれ)を申さば、時世の風俗(ふり)にあはず。

奈良山のこのてがしはにて候(さふらふ)也(なり)」など、うはべを作りてそしりあへり。

 扨(さて)、阿曽丸、さいつころの松浦の川べの遊びをわすれず、尚(なほ)人を遣(つかは)して松浦の能利曽をよひよせしに、渠(かれ)が妹(いもうと)なるといふ吃(コトゞモリ)の娘さへ参りつるに、いとおもしろき遊びをきはめ、たのしまんずとおもひ、舟を菊の高浜の海にうかべ、なれたる海人どもに、水潜(ミクゞリ)をせさせ、水付(ミヅク)白玉(しらたま)を得させて見ん。

猶(なほ)はた浅き磯にては、能里曽に魚釣せて是を見む」などいひさわぎ、「ほども遠ければ、またとまり猟(かり)にことよせて出(いで)んず。

はや、明日(あす)なん出(いづ)べきに、先(まづ)能里曽が参りたらば、その妹をゐて此方(こなた)へ参れ。

さこそ妻をもゐて来つらむ」など問ふに、「いな、妻めはゐてまいらず。

妹にさしそはせて、いろよき都をとめを伴ひ、彼是三人にて参りつる」と申(まうす)に、「こはめづらかなり」とて、秋の野作りかまへたる庭の、いと広きを見通すとのにうつり、「此方(こなた)へ」といへば、能里曽は貴妃のよそひを作り、連が妻は髪などをかいなでまいらせて、かゝるとのつくりは常にふみなれたる人/\なれば、はゞかりかしこむけしきもなく、まして、貴妃は玉のうてなにすませ給ふに、何事ともおぼさず参りたまひ、上座(かみくら)にゆかんとするを、袖をひき、目をくはせなどし、こなたのはしに参りければ、阿曽丸はるかに見やりて、「能里曽よく参れり。

さて、妹がうへをきゝしに、奴等(やつこら)が見出(みいで)て参りたるよしを、つぎ/\に*語りしよりもきら/\し。

かゝるけはひは、大宮の内にもうけ給(たまは)りおよばず。

汝はよき妹をもたるな。

されど吃(ことゞもり)なるうへに、きたなげなる病ありといふが、さはいつはりならずや。

もしさらば、我(わが)家には少那彦(スクナヒコ)にもおとらぬよき医師(クスシ)どものあるにかけて、其病をなをさん。

さるうへにては、我(わが)かたへにさむらはせ、めしつかふともうへなきけはひ也(なり)。

また、妹につき添(そひ)たるは、汝がためにはなぞの女ぞ」ととひ出るに、能里曽うけたまはりて、「是は我(わが)いとこの妻にて候(さふらふ)が、此ほど参りて侍る間に、妹をめされければ、吾(わが)妹めがものはぢつかふまつり、『いかでさしそひて参らん』など申(まうす)によりて、此女をたのみて、かたわものにはさし添(そへ)させける也(なり)」といふを、「扨(さて)はしかるか。

これも都おとめときゝしが、さもあらん、けだかき女ぞ。

汝は色(いろ)よき女を、うからにはもちたりな。

まづ次にたちてやすらふべし。

けふは空もしづかなるに、黒崎のはまより舟にのり、高浜の海辺に舟出せん。

みなめしつれ参らん」といふ間に、御供人よそひ立て、「先(まづ)、川舟にて黒崎の浜まで」と申すに、よそひせし舟どもを引きたれば、阿曽丸、まへの采女と相(あひ)のり、侍る女百人(もゝたり)ばかり、「能里曽もふたりの女をゐて其舟に」と有(ある)に、うちのる。

扨(さて)、御供にさむらふ人々の舟、饗(あへ)つかふまつる宍人(しゝびと)のふね、酒・魚をつみたるふね、夜のものども、笠・雨衣(あまのきぬ)などをつみたる舟どもに、舟五ツをさしつなぎて、黒崎をさしてくだり行(いく)。

 文月末の五日なるに、いとあつけれ*ど、さすがに秋の風は吹(ふき)そひて、きしべには花すゝきやう/\穂に出(いで)、おみなへしなどの咲(さき)ほこりたるを、棹(さほ)をとゞめさせて、女たち折(おり)とり給(たま)ふに、貴妃は唯御心のうちに、太液(タイヱキ)の波に船をうかめ、蓮の花を採らせたまひし御遊びなどをおぼし出て、折(おり)/\御涙をのごはせ給ふを、能里曽はかにかくに心遣ひしたり。

 扨(さて)、高浜の海辺になれば、なぎわたりたるきしの辺に御舟をつけて、碇をおろし、綱に引(ひき)とめなどして、盃をあげて舞(まひ)をどるに、「能里曽が妹はいかに」とあるに、「かくかたはにてさむらへども、おのれは笛を一手おぼへてさむらふに、是をふけば、羽衣の舞と申(まうす)をつかふまつる。

見たまはんや」といふに、「それよからん」とて、「いざ」とあるに、能里曽ふところより笛をとうでゝ、清平調を吹(ふき)ならしたるに、むかしをおぼし出(いで)て立(たち)まはんとしたまへども、御袖のみじかくてあるを、「けはひうつらず」とのたまうに、「是はさもあらん」と、采女がめさせたるうへの衣(コロモ)をとうでゝたまふに、うち着させ、「裙裳(キヤンシヤン)は」とのたまふに、清川頭(かしら)をかきて、「かゝる吃(ことゝもり)なり。

『はかまのなくては』と申(まうす)事を、おかしき物いひ仕(つかまつ)るなり」と申せば、「げにも」とて、又紅のはかまをとうでゝたまふに、又、「扇子(センツウ)は」とのたまふに、清川いひまぎらし、「『あふぎはなきや』と申(まうす)なり」といへば、つまいたうこがしたる扇(あふぎ)をたまふに、とりてはかまをふみしだき、袖をかえして舞出(まひいで)たまふに、清川おもしろくふきあはせたれば、「よしのゝ山に天(あま)くだりし天津(あまつ)をとめの御すがたも、是にはなか/\まさりたまふまじ」と、人々うちあふぎて、心をうしなひ、阿曽丸はたゞ口を押(おし)ひらきて、おとがひをたれて見入(みいり)たるに、かたへの御供舟より声をかけて、「あやしき魚の、劔(つるぎ)をふくみて、御すがたの波にうつるをうかゞひぬる。

我(わが)君御心かまへおはしませ」といふに、阿曽丸立(たち)あがりてみれば、はや水底にやかくれ入(いり)けん、さるものは見へず。

阿曽丸舞をとゞめさせて、「おのれ、さきつかたより、何となく胸(むね)のさわぎ出(いで)しは、いとあやし。

はや舟にはのらじ。

先(まづ)是より馬をはやめて帰らん。

女どもは舟より帰(かへ)れ。

供人[は]したがへ」といひつゝ、打(うち)あがりて、近路(ちかぢ)をいそぎて館にかへりぬ。

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               第四十八条

海人の男狭磯(をさし)、清川に逢ふ。并(ならびに)男狭磯に事をはかる。

阿曽丸御館(みたち)にかえりて、「けふはいと珍(めずら)しき舞を見つるに、たぐひなき楽をきはめし。

さるにても、あやしき事の侍りて、興をうしなひたるをばいかにせん」とて、能里曽を呼出(よびいだ)し、「扨(さて)、汝は笛をよくつかふまつるなり。

何[に]まれおかしき男ぞ。

我(わが)こめをあたへてめしつかはん。

我かたへに有(あり)て、俳人(わざひと)となれ」とあるを、能里曽かしこまり、「こはおもひがけぬほいどもをうけ給はりぬ。

願ひ奉りてこそ申(まうす)べき事なれ。

しかるに、えみしにて、此とし比猟のみをわざと仕ふまつれるに、たま/\御まのあたりにさむらひて、わざをぎ仕ふまつる事などはいとはず。

君とあふぎ奉りて、ながくつかふまつるわざは、いかにして仕り得ん。

君にもたまさかに下ざまの事をきこしめすによりてこそ、しかおぼせ。

いかで、朝夕に、やつがれごとき海人のふるまひを見たまひとげん。

さらばやつがれは、ことわり奉る間、妹やいとこの女などは、御家人にはなさせ給(たま)はずとも、御局(つぼね)たちの御すへにさしおかれて、かたわの舞などは仰(おほせ)たまへ」と申(まうす)に、「げに[さ]もあらん。

さらば妹には其儘(まま)にさしおけ。

いとこがつきそひたらば、うしろ安からん。

またもまうでよ」などいひて、多くのかづけものし、「酒たうべて帰れ」などいひて入りぬ。

 能里曽は、珠名が妻によくかたらひおきつゝ、「またちかきにまうで来ん」とて、みたちをまかる。

博多(はかた)のみなとをさして行(いく)に、夕立の雨ふり出て、神とゞろき、大路は水あふれて歩(あゆ)みがたきに、よき亭(アバら)のあるに、人もつどはず。

あるじの老女(をば)と旅人のひとりが、晴間を待てをりたるのみなるを見出(みいで)、はしり入て休らふ間に、風吹(ふき)そひて、雲は海原をさしていきたゞよふに、神も彼方のそらにとゞろき行(ゆけ)ば、水も頻(シキ)りにあふれ[出]て、行先のうちはしなどはながれてうせぬなどいふに、しばし出(いで)かねて、もたる餉(かれひ)などひらき、さてみたちにてたまはりしかづけものゝ中には、よき菓子(このみ)などのめづらしきが有(ある)をもとうでゝ、主の老女にもたべさせ、おのれもくひて、そこなる旅人にも、「是めせ」とて、あかち遣(や)るに、旅人いたゞきて、「是は下ざまの菓子にあらず。

そこは海人と見(み)ゆる御人の、いかにしてかゝる菓子[は]もちたまふぞ。

おのれも海人なれば、[かゝる物は]見もしらず」とかたるに、能里曽は、「そこは海人とのたまふが、いせの海人か。

詞は都ぶり也(なり)。

さなくば難波か。

さるにもあらず。

とにかくに都人なるぞ。

さらばかゝる菓子などは知り給(たまは)んに」ととへば、[旅人きゝて]「いかにも都あたりの者なるが、今は此あたりに住(すみ)て侍る。

そこも又都言(みやこゝと)也(なり)。

今はいづくに住(すみ)たまふぞ」と問ふに、「いかにものたまふごとく、今は松浦に住(すみ)なり」といへば、旅人聞(きき)て、「さらば御名は能里曽と申さずや」と問(と)ふに、「いかにもしかり。

何とて知らせ給ふ」と[いふに]、「しる者の侍りてよくしりぬ。

かく参るは、そこの御うへをとひまいらせんと、松浦をさして行(いく)旅也。

こはめづらかにも侍るかな。

爰(ここ)にて事をかたらんはよしなし。

雨もおやみ、水もひきぬ。

はしの流れたるは、我少しも厭はず。

水[を]わたりくゞる事は、我よく得てさむらふに、いかばかりの川に有(ある)とも、御衣をもぬらし参らせじ」などいひて、袋の銭を出し、老女にあたへ、「久しく休みたるいやなり」とていひおき、「さらば伴(ともな)ひ奉らん」とて行(いく)に、能里曽もいぶかしく思ひながら、しかいふまゝに伴ひ行(いく)に、生(いき)の松原にかゝりて、行(ゆき)通ふ人もあらざるを見て、彼(かの)旅人、能里曽にむかひ、礼を正しく[し]頭を下て、「いと久しければわすれ給ひてん。

やつがれは恵美の押勝が家人、忌部(インベ)の宿祢(スクネ)海路(ウナジ)にて候(さふらふ)。

君押勝と御間(あはひ)よろしく、花につけ月にかこちて、田村のとのにあつまらせ[た]まひき。

扨(さて)、後の事はかたり出(いで)んも事長し。

さるを、唐の御使の先にて、波におぼれ失(うせ)たまひぬとうけたまはりし後、松うらの里にはあやしき人の海人となりておはするよしを申(まうす)者の侍りしうへに、昨日(きそ)の日、阿曽丸舟を菊の高浜によせて打(うち)ゑらくとうけたまはり、やつがれ水潜(ミクゞリ)のわざをよく得てさむらふにより、油衣(アブラギヌ)にて大魚(おほを)のかたちを作り、さて其内にかくれ、已に阿曽丸をうつべき所、供人見出(みいで)てつげたるゆへに、空(むな)しく阿曽丸をいけてかえしぬ。

さるに、舟の中をよく見入(みいり)て候(さふらふ)に、君には笛を吹(ふき)ておはせるならずや。

扨(さて)こそ人の申せるに違はず、まつら人の海人と申せしは、君の御うへならん。

いかにして阿曽丸が俳人(わざびと)となりて、さる御すがたにはやつし給へる。

故こそあらめ。

御やどりをとひ奉りて、御名もきゝ、我名ものりて、又あからさまに御はかりごとをうけ給(たま)はらんとおもひつゝ、きその夜すぐに庵りを出(いで)て参れる也。

猶、やつがれは、阿波・讃岐・伊予のかたに心をあわせて侍るものいと多くいできぬるに、吾(わが)友布施の臣(ヲミ)古(フル)丸が筑紫がたにさむらふをたづねて、しばし菊の高浜にすがたをかえてとゞまりさむらふ」とかたるに、扨(さて)はとおぼして面を見たまふに、押勝の殿にて御饗(あへ)つかふまつるとて、御前を立振舞(たちふるまひ)し男なるに、よろづおぼし出(いで)て、「こは奇(くし)きえにしなりけるよ。

我かくて有(ある)は、しか%\の旨なり」と、御心をあかし給ひ、「松浦のさとに来たらば、小治田(をはりだ)の珠名、しきりに阿曽丸を討(うた)ん事をはかれり。

此うへは汝を得たれば、ともかくもちからを加へよ」とのりて、今は「清川の君」「海路の主」と呼かはして、ともにゐて帰りたまふ。

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               第四十九条

阿曽丸、箱崎の浜にわざおぎやをつくる。并(ならびに)遊女等、わざおぎ舞す。

阿曽丸、又能里曽を呼(よび)とりて曰、「扨(さて)、汝が妹を医師(くすし)どもに申(まうし)つけて、さま%\にうかが[は]せて侍れ[ども]、物はぢをふかく致すに、中/\ふところをひらかず。

よて、さし添(そへ)る女に申(まうし)つけて、さる膏薬(アブラグスリ)をさゝせ、猶(なほ)呑薬(のみぐすり)などをも物させてうかゞふに、かの小便病(ユバリヤミ)も大かたにをこたり、折々臍(ホゾ)よりあふれ出(いづ)るのみ也(なり)と。

かくては、遠からず癒(イヱ)はてんに、さる時はいよ/\めし上(あげ)て妾(をんなめ)とせん。

おり/\めし出(いだ)して、おもざしを見るに、上(うへ)なきけはひ也(なり)。

猶(なほ)吃(ことゞもり)もおほにいえて、ものなどもいらへ聞(きこ)ゆるに、いよゝめぐゝなりまさりぬ。

汝はよきものを得させつるぞ。

扨(さて)、米(こめ)をあたへて、汝をめしつかはんとすれば、先(さき)つ比のさまにいひ立(たて)れば、しいても物しがたく、よて箱崎の松原をはらひて、遊女どものなみに芝居(わざおぎや)をつくりて、汝をすへて坐本(くらもと)とし、すなはち遊女どもにわざおぎさせて、行来(ゆきき)の人にも、猶(なほ)、所の人にも、是を見ん者には、銭を出させて、是を汝が業とさせん。

さるかまへははやく申付(まうしつけ)ぬるに、すでに出来(いでき)なん。

また其遊女の中(なか)へ、彼(かの)舟にて見つる羽衣の舞をも加へてまはせよ。

さる時は、汝笛をつかふまつれ。

我もまた仮[庇](さずき)をつくらせ置(おき)つれば、時(をり)々に行(いき)て見ん。

先(まづ)、妹もいとこもつれ行(ゆき)、わざおぎのかまへせよ。

尚(なほ)、よくわざおぎのさまを作らひ立(たて)よ。

必(かならず)妹をも遊女(あそび)どもにくはへて舞(まは)せよ。

明日の夜は行(ゆき)て見ん。

けふ明日の間によくはかりおけよ」と申(まうし)つけたるに、能里曽ありがたきまでかたじけなきよしを申(まうし)、ふたりの女をゐて箱崎にいたれば、舞どの・仮庇(サスキ)・回垣(ワガキ)・木戸(キド)もすでに出来をはり、遊女どもよりつどひて、「いかなるわざおぎをせん」といふ。

 能里曽は、座本(くらもと)と仰出(おほせいだ)されたるに、其よしを申渡(まうしわた)し、「明日の夜は君も見させたまふべきよしなるに、おかしき事をつくりかまへん」といひあはするに、能里曽おもひ得て、「是は、さしあたる筋の事は、御宝(みたから)のうせたる、或は上の横さまにおわすよしなどをくわへて、忠誠(まめ)なる臣(おみ)の御諌(いさめ)などつかふまつる筋は、いとおもしろき物なれども、もし君の御心にさはらば、かへりて御いきどほりをかふむらんに、唯今の代の有(あり)さまをはなれて、いと古き御代の事ぞよからん。

去(さる)にても、男女の事にあらでは、ことはり過(すぎ)てをかしからじ。

まづおもふに、所も箱崎の事なれば、品陀和気(ホンダワけ)の天皇の御代《応神天皇》に有(あり)し、春(はる)山の霞男(かすみをとこ)・秋山の下乾男(シタヒをとこ)の事をとり入れ、伊豆志(いづし)おとめの気(け)添(さ)ふ事をせんには、君必ずめでたまふべし」といふに、「何か此うへやあらん。

さらば其いふ[こ]と、する事(こと)を教へたまへ」と遊女どもがさし出(いづ)るに、能里曽筆をとりて、おのれ/\がいふ事を、小さき紙に書とりてあたふれば、其身の風俗(ふり)を教(おしゆ)るものは、「爰(ここ)に立(たち)、かしこに立(たち)、面はしかむかふべし。

手はこなたへあぐべし。

足はかくふめ」などをしへとるに、おほにいできぬれば、是が番/\を云(いひ)したゝめ、また其仕ふまつる役(ヱダス)の他名(アダシナ)を書(かき)しるせる下書をし、そを又いと長き紙にうつして、舞どのゝまへに出(いで)て、よみ立(たて)る事のあるに、能里曽墨をすらせ、紙をとゝのへさせてしるす。

其事にいわく、

箱崎(はこざき)の松賀枝(マツガヱ)

                    座本(くらもと)松浦方(まつらがた)能里曽(のりそ)

博多(はかた)の小志麻(ヲシマ)

 ひさかたの日矛(ヒホコ)の巻(マキ)五番(イツゝガイ)

 第一番(くだりのひとつがひ)

たくつねの新羅国(シラギノクニ)の沼水(ヌマミヅ)の、したよばひつゝ、こひわたる日のあし。

并うめる子はさにつらふあか玉。

 第二番

あしひきの山田にかよふ牛飼(うしかい)の玉は、さしのぼる天(あめ)の日矛(ほこ)のうつし妻。

并(ならびに)くさ%\のたからは花つよめのたまもの。

 第三番

芦(あし)が散(ちる)難波の浦は鶉(うづら)鳴妻の古里。

并(ならびに)ちはやぶる神風にふきかへされし但馬(たじま)の浦辺。

 第四番

春山の霞に立添ふ女心はたらちねの母の清澄(キヨズミ)。

并(ならびに)秋山の下乾(シタヒ)とおもひこがるゝあだ男。

 第五番

かこじものひとり子は兄のほむら。

并(ならびに)母の詛言(トゴト)は伊豆志河の清き心。

道行ぶり    羽衣(ウイ)の曲(キョク)

 俳人(ワザビト)他名(アダナ)の序(ツイデ)

新羅国主(シラギノコクシ)の子ニ    *佐由利小女(さゆりをとめ)

山田の牛飼ニ              多麻与小女

但馬の股尾ニ              加都良小女

同娘前津美(サキツミ)ニ        波奈子小女

伊豆志遠止米(ヲトメ)ニ        伊古麻小女

春山の霞男ニ              美田伎小女

秋山の下乾(したひ)男ニ        外山小女

母の婆清澄(きよすみ)ニ        付藻(つくも)小女

其外(ほか)、諸男(モロヲ)八十神達(ヤソカンダチ)は、座(くら)の中(うち)に侍る女等残りなく出(いで)て仕(つか)ふまつるなり。

千(チゞ)の秋万(ヨロヅ)の歳。

とかいおさめて、是をまき、さて舞どのゝ柱(はしら)には一番(ヒトツガヒ)づゝの札をかけ、花をかざり、帷幕(トバリ)をひきて、申のときばかりにもなれば、鼓をうちならし、ともし火を出(いだ)し、人の寄来(よりくる)るを待居(まちゐ)ける。

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               第五十条

清川が妻、珠名が妻とゝもに阿曽丸に殺さる。并(ならびに)珠名、揚貴妃をゐて熱田へ帰る。

海路(うなぢ)は、ゆくりなく清川に行(いき)あひ、直(なほ)にまつらにともなひて、珠名にも逢ひて、むかしをかたり出(いづ)る中に、さいつ比、宇佐の大神にまうでゝ、あやしき事を聞(きき)つるよしを物がたりし、「阿曽丸、かくほしきまゝの事を致すも、彼(かの)高津神の見入(みいれ)たる也。

おごりいかに長く侍らん。

道鏡、今天の下にいきほひをふるふも、もと阿曽丸がつかふまつりたる事なれば、先(まづ)彼をうちて、西の国の民をゆるべざらむや」と、とり%\いひはか[ら]ふに、清川は阿曽丸にまねかれて、箱崎の松原に、かゝるわざおぎの舞をすといふに、はやく使(つかひ)を立(たて)て申(まうし)こしぬれば、珠名・海路大きによろこび、「さる時ぞよきあはひもあらん」と、まつらおとめもともにゐて、よべより箱崎にいたれば、能利曽よくとりまかなひて、「何にまれ、よき時もあらばちかづきて物せん。

また、珠名の御内君は、ふかく恨みたまふ御心のあるに、常に匕首(ヒモカタナ)を懐にして、をりあらばとねぎらひたまへり。

阿曽丸心がまへふかしといへども、女には心ゆるべてさむらふに、さだめて、今夜も貴妃をかたへにめしたまはん。

さる時はせんすべあらん」とよろづいひ合(あは)せて、珠名にもあらぬ名をよび、海路はもとより男狭磯(をさし)と呼(よび)て、「みな/\まつらの海人なるが、能利曽がよき役(えだす)をかうむりたるに、友がきいはひて、松浦の浜より来(きた)りつ」といひふらし、扨(さて)阿曽丸が来るを待(まつ)に、酉の時ばかりに、あまたの人をゐて、高き仮庇(さずき)十間(とま)ばかりをひらかせ、ともし火を多くてらし、錦(にしき)を引(ひき)まはし、しとねを高くし、前には酒をたうべ、食(け)をまうけ、采女を右にし、姑(しうとめ)を左におき、妾達をばうしろに並居(なみゐ)させ、「いではじめて見すべし」とのゝしり出(いづ)るに、侍ふ者ども、声をはりて、「はじめよ」「はじむべし」などゝいふにつれて、帷幕(とばり)を少しあげて、よそひしたる遊女(あそび)の出て番(ツガイ)/\をよみ立(たて)、役のあだし名をよみおはり入れば、帷幕(とばり)を引(ひき)のけて、とり/\わざおぎをつかふまつるに、阿曽丸興にのりて、「おもしろや。

是は誰がつくれるぞ」とゝはせたるに、「能利曽が俄(にわか)に教(をし)へたてゝ候(さふらふ)」と申(まうす)に、「渠(かれ)はさかしらものぞ。

扨(さて)、妹の舞は加へつるか」ととはせけるに、「いかにも頓(やが)てつかふまつらん」とて、其番(つがひ)にもいたれば、伊豆志おとめの道行ぶりを、羽衣の曲になぞへて舞出(まひいで)けるに、こたびは松浦をとめもたちそひて、裳をかゝげて、袖をつけ、珠名が妻も[ま]いりたるに、阿曽丸ちかくよせて、「かゝる君のいかなるむくひにて、さる病やはおはす。

かいさぐりて見ん」とて、はゞかりもなくたもとをあけて手をさし入るを、いなみ給ふに、松浦をとめ、珠名が妻も、「こはいかにしたまふぞ」とて立(たち)よるを、「さらば此君をいたはりたるに、此をみなも唯ならぬよ」とて、珠名が妻のふところにつとさし入(いる)れば、匕首(ひもかたな)の有(ある)に、「扨(さて)こそ心得たり」といふはおそく、ぬき出すはいとはやく、太刀を引(ひき)ぬき珠名がつまをむかふざまにきれば、まつらをとめもふところにもたりしをとり出(いで)て、阿曽丸をさゝんとす。

「こはくせものなり」といひて、おなじく横さまにきりはなつとき、おとめがおもひしみし匕首(ひもかたな)の先(さき)の、はつかに阿曽丸が腹にたつを、ことゝもせず*たちあがるに、血はいたく流れ出(いづ)れば、侍(はべら)ふ者ども参りあひて、阿曽丸をいたわる間に、貴妃は只夢の心地に仮庇(さずき)をおどりて落(おち)たまふを、かくと見しより、三人(みたり)の者走り参りし折にあれば、いとかろくいだきとめて、珠名に預けまいらせ、うらの口より松原に出て、「我々が参るを待(まち)たまへ。

此さわぎに立(たち)まぎれ、男狭磯と我/\してかならずうたんず。

此うら道を参り給へ」と教へ、物見る人のかげに立交(たちまじ)れば、阿曽丸声をはり出して、「能利曽をとらへよ。

妹をとらへよ。

かれらはあやしき者どもなるぞ」と、たけびにたけびてをらべども、侍(はべら)ふ者すら阿曽丸をうらみて、「かゝるまぎれに、ともかくもなりね」と、おもひ捨(すて)て侍りけるに、ひとりも出てとらへんとする者もあらず。

ふたりはさわぎの中に立(たち)て、此方彼方(こなたかなた)とうかゞひありけど、多くの人/\かしづきたるに、「時こそあらめ」といひしめして、うら道をめぐりてしのび出(いで)ぬ。

珠名は、あへなく妻をうたれ、そがうへに、足よはき人をうけひき、いかにともせんすべなく、はら立(だち)しくて、夜は暗し、道はしらず、こゝかしこと*たゞよひゐたるに、ふたりの人は、此事のとかくと心にかゝりつれば、いひおしへたるかたをさして、西にたづね、東にもとめて、やう/\に行逢(ゆきあひ)つゝ、「我々阿曽丸をねらひつるも、人多く打(うち)かこみぬればはたさず。

さて、御内君(うちきみ)のかひ%\しく物したまへるに、あへなくうたれ給(たま)へるは、いと口おし。

いかばかり歎かせ給ふとも、さはかへらじ。

我も仮染(かりそめ)の妻をうしなひつるは、ほいなき事ながら、これらの屍(しかばね)をとり得んとせば、かひなきふるまひにあわんずる。

君も我もさる事はおもひ捨(すて)て、唯一時に阿曽丸にはむくひすべし。

已にまつらの住家もしられぬれば、いかでさるかたへは帰り得ん。

ともかくも我/\はしのび得(う)べきが、唯此君の御うへぞせんすべなき」といふを、貴妃きゝとらせ給ひて、「はるけく他の国にわたりて、よるべなきうへに、かゝるさわぎを見て、今はいきのびてあらんともおもはず。

されど、我母の常にのたまはく、『御身をはらめる事たゞならず。

夢のうちにひとりのをとめ、此唐[国(からくに)]にはめなれぬさまにて、枕に立(たち)てのたまはく、「我は是、倭(やまと)の国の者也。

名をは宮酢姫(ミヤズヒメ)といふ。

しばしがほど、汝が腹をかりてやどらん。

またうまれて時来(きた)らば、かならずもとつ国にかへるべし。

住所は尾はりの国熱田といふ[所也]」とのたまはすとおもふに、夢さめて、終に身のふくらかになるに、うまれしは御身なれば、[よく]夢の祥(サガ)をおぼえてよ』とのたまはせしに、はからず此国にわたり、扨あるに、珠名の君と聞えし祝子(はふり)の、尾張の熱田(あつた)よりおわせしときいて、母君の御物がたりをおもひあはせて侍りき。

扨(さて)、かゝる御かなしみの時に、きこへ出べき事にはあらねど、願くはその熱田とやらんに、我をゐて参り給(たま)ひ、いかさまにもすませおきたまひ、其後、人/\と御心をあはせて、御妻のかたきをねらひたまへ」など、泣/\いひ出(いで)てたのみたまふに、珠名さしあたりて膝(ひざ)をうち、「さる御夢の物がたりにつきて、さいつ比、山越(コシ)の路を参れる時、夢のうちに、蛇(をろち)のはひくだりて、我/\をのまんとせしを、二ふりの劔(つるぎ)飛来(とびきた)りて、其蛇をきらんとするに、をろちはすこし血をあやしたるまで迯(にげ)さり、ふたつの劔はうちおれたりしが、まことに唯今のありさま也(なり)ける。

されば、阿曽丸は、うたるべき時にあらず。

ふたりの女は死ぬべき時にあたれり。

我何ぞさる事を悔(くや)まん。

御母君の御夢の祥(サガ)は、誠(まこと)に我(わが)まつる御神をもらせ[給ふ]媛(ヒメ)なれば、さる御宮の祝子(はうり)として、何ぞや君を守り奉らざらん。

我さきに、尾はりの国はおひやられてさむらへども、しばらく月日を過(すぐ)したるに、いかばかりにも世をしのびて、御住所(すみところ)をさため侍らん。

猶(なほ)人/\は此あたりにとゞまり給ひて、我(わが)妻(め)のかたき、我のかたき、御身のうへにも敵にてある阿曽丸をうたせよ。

海路、よくはからひ給へ。

さるにても、遠き旅路をいかにして参らん」といへば、男狭磯、「何事もうけひきぬ。

我(わが)住所まで釣舟に打(うち)のり、扨(さて)、高浜より大舟の便りを求め、よろづ我(われ)はからひ参らせん。

夜はいとくらしといへども、此あたりにさまよひあらんはうしろめたし」と、よく知り得たる近路(ちかぢ)によりて、貴妃をば珠名が負ひ奉り、能利曽はしたがひ、男狭磯はすゝみて、浦は磯屋より舟にうつりて、菊の高浜をさしていそがせたるに、たゞ一時にこぎ寄(よせ)れば、男狭磯は我(わが)家にいざなひ参らせ、旅のよそひどもをよくしたゝめ、大舟の一間を借(か)り得て、貴妃と珠名を乗せまいらせ、我は清川ととゞまり居ける。

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吉野物語

               次々目録

第五十一条

道鏡はかりて、家持・書持・荒金の後(アト)を断(タツ)。并(ならびに)大伴の池主(イケヌシ)・秦(ハタ)の八十島(ヤソシマ)を召上(めしのぼ)せて遠流(をんる)す。

第五十二条

乳母(ウバ)、長丸(ヲサまる)をいだきて有馬にさすらふ。并(ならびに)乳母が姉のうはぎ、長丸を預る。

第五十三条

有馬のうはぎ、我(わが)子川雁(カハカリ)の文那(フミナ)をかねて勘当(ヲヒヤル)。并(ならびに)文那を許(ユル)して長丸をたのむ。

第五十四条

文那、かねて難波男(ナニハヲトコ)をかたらふ。并(ならびに)坂上家(サカノヘケ)の女清美(キヨミ)に契る。

第五十五条

網(アミ)の平衛(ヒラエ)、家持の真子(マナゴ)春持をはぐゝむ。

第五十六条

神鳴(カンナリ)の須久呂(スグロ)、荒金の妻并(ならびに)姫の小太加(コダカ)をはぐゝむ。

第五十七条

網の平衛、貧(ヒン)にせまる。并(ならびに)渡守(わたしもり)となりて人の宝をうばふ。

第五十八条

神鳴の須久呂、貧にせまる。并(ならびに)平衛来(きた)つて姫をたばかりて奪(ウバ)ひ出(いづ)る。

第五十九条

平衛がうばひ来たる姫に春持行逢(ゆきあひ)て、夫婦のかたらひす。

第六十条

姫の母なげきに死す。并(ならびに)春持、姫と葬(ハウムリ)事をせむとす。

第六十一条

平衛、須久呂とゝもに盗人となりて、文那が家に入る。并(ならびに)文那、ふたりが志にめでゝ交(マジハリ)りをゆるす。

第六十二条

平群の駒丸が弟平群の黒丸、再び長柄の堤を作るにつきて人をくるしむ。

第六十三条

黒丸、古例によりて長柄の堤に人を埋めんとす。并(ならびに)文那が舅殺さるゝ。

第六十四条

神麻(カンアサ)の舎人(トネリ)、出雲の国にて八十島を大将とす。并(ならびに)布施の古丸、薩摩潟にて池主を大将とす。

第六十五条

男狭磯、清川を讃岐の国にしのばす。并(ならびに)八十島・舎人・池主・古丸の四人、徒をゐて男狭磯と高浜のわたりに行逢(ゆきあ)ふ。

第六十六条

阿曽丸都に上ると聞え、人々石見の国津山にこもりて待(まつ)。

第六十七条

黒丸、津の国の民をくるしむるによりて、民共(ども)、兄阿曽丸に恨(うらみ)をむくはんとす。

第六十八条

難波男等(ナニハヲラ)、黒丸が領所の司人(つかさびと)を殺して、罪を其所の舟人にかこつ。

第六十九条

舟人等召(めし)とられて、罪極まる。并(ならびに)獄門(ゴクモン)におこなはれんとす。

第七十条

阿曽丸、有馬に行(いく)。并(ならびに)五人の難波男はかりて、舟獄門となりて阿曽丸をねらふ。

   目録終

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