附リ

舞姫(まひひめ)の計(てくだ)の渕(ふち)游(およぎ)ても、何(なん)の添(そは)呂布(りよふ)ぞ。夢(ゆめ)に見た餅(もち)のかた喰(くふ)ても喰(くは)ひでも、おちついた関雲長(くわんうんちやう)此(この)相慕(あひほれ)の竟(しまひ)はどうさんす曹子建(さうしけん)

並ニ

軟生(いろごと)のぬけ穴(あな)御陥(おはまり)は、いかひ曹操(さうさう)の呼(よひ゛)いれの壷算用(つぼさんよう)。合(あは)さふと合(あは)すまいと時(とき)に取(とつ)ての張翼徳(ちやうよくとく)、其(その)三國(さんごく)の治(おさま)りはよいやうに諸葛亮(しよかつりやう)

〈呉服(くれは)/文織(あやは)〉時代三國志(じだいさんごくし)〈五段十場/全部六冊〉

追(おつ)テ

三韓國(さんかんこく)は日本(にほん)の犬位(いぬゐ)、支那土(しなど)の国(くに)迄(まで)智恵(ちゑ)をかす、神功(じんこう)の廣(ひろ)は田織姫(たをりひめ)の幼名(をさなな)に響(ひゞき)の有(ある)再縁(さいゑん)帰漢(きかん)貰泣(もらひなき)に升(よみ)の込(こむ)ひよこの真鳥襷(まとりだすき)

唐劇(からもの)は物(もの)さへ名(な)さへ警(たとへ)さへ、淡味(あふあぢ)に聞(きこ)ゆれど、膾(なます)の體(たい)なれば、和劇(わげき)の口馴(くちなれ)し臭味(くさみ)を和會交(あゑまぜ)て、常(つね)に聞(きく)名(な)をしたしもの有觸(ありふれ)ためうとの吸口(すいくち)、二の汁(しる)の御箸(おはし)やすめにあや葉(は)時代(じだい)を盛(もり)わけて、和颯比(わつさひ)と向附(むかふつけ)に為(せ)しまでか、真名板本(まないたもと)の働(はたら)き冝敷(よろしく)聞召(きこしめし)、御慰(おなぐさみ)にもと幸(さいはひ)を希(ねがふ)のみ。

辛丑の春

   庖人(はうじん)倍拝(ばい/\)

〈呉服/文織〉時代三国志(じだいさんごくし)第一   五段十場   作者  毛野村丹三郎

《序ノ白 マヒヲハルケイアルヒハ一トタビマフ 山ヤカタランカンガゝリ》

 重器(ぢやうき)は奪(うばふ)べからず。何為(なんすれ)ぞ負(おふ)て趨(はしら)しむ。己(をのれ)を知(しる)の主(しゆ)あれば命(めい)を竭(つく)すの良(りやう)あり、

 功籌妙画(こうちうみやうぐわ)世(よ)に蓋(おほふ)の功(こう)、壮猛(さうまう)の虎臣(こしん)は万人(まんにん)の敵(てき)、文才(もんさい)富艶(ふえん)筆下(ひつか)の章(しやう)ある、漢家(かんか)の四百(しひやく)長(とこしへ)に、爰(こゝ)に伝(つたは)る初平(しょへい)元年(げんねん)、孝献皇帝(くわうけんくわうてい)と称(しやう)し奉(たてまつ)るは、即位(そくゐ)の初(はじめ)諸国(しよこく)に大赦(たいしや)し、民事(みんじ)に怠(をこた)り給(たま)はねば、〈ヲロシ〉鼎(かなへ)は猶(なを)も動(うご)きなき《宮女トウコハジメル》並州(へいしう)の牧(ぼく)董卓(とうたく)自(みづから)相国(しやうこく)の事(こと)を執(とり)、長安(ちやうあん)に都(みやこ)をうつし暴悪(ばうあく)つのる士民(しみん)の恨(うらみ)、注進(ちうしん)絶(たゆ)るひま無(なけ)れども、掩隠(おほひかく)せる四方(よも)の凶事(きやうじ)、心(こゝろ)を放(はな)ち奢(おごり)を極(きは)め、〓塢(びう)の山荘(さんさう)美(び)を尽(つく)し玉(たま)を鏤(ちりば)む、結構(けつこう)壮観(さうくわん)。

 時(とき)は三月(さんぐわつ)乙巳(きのとのみ)の日(ひ)、帝(みかど)の渡御(とぎよ)を請奉(こひたてまつ)り鳳儀亭(ほうぎてい)に玉座(ぎょくざ)を設(まう)け、山海(さんかい)の珍(ちん)天地(てんち)の美(び)投壷(とうこ)の飾(かざり)囲碁(ゐご)の秤(ばん)、妓楽(ぎがく)を奏(そう)し慰(なぐさめ)の細(さい)腰皓歯(こうし)色芸(しきげい)の、選(せん)を究(きはめ)し羅綺(らき)の叢(くさむら)供奉(ぐぶ)の近侍(きんじ)は司徒(しと)王允(わういん)太傅(たいふ)袁隈(ゑんくわい)容壊(かたちくず)さず扈従(こしやう)する。

 董卓(とうたく)は主位(しゆゐ)に鬚(ひげ)をもみ李郭(りくわく)郭〓(くわくし)呂布(りよふ)が輩(ともがら)左右(さいう)に居(い)ながれ、我(われ)を忘(わすれ)て

「好/\(よう/\)」

と喝采(ほめる)酒興(しゆきやう)のありさまは、半(なかば)は主人(しゆじん)の楽(たのしみ)を戸(と)ざゝぬ《トウコ止妓女入ル》御世(みよ)も人(ひと)の口事(くちこと)がな。

 〈フシ〉誹(そし)る種(たね)ならん、帝家(ていか)も玉座(ぎよくざ)を離(はな)れ給(たま)ひ園中(ゑんちう)に玉趾(ぎよくし)をめぐらされ、泉石花木(せんせきくわぼく)の景物(けいぶつ)に眺望(ちやうばう)の興(きやう)催(もやふ)さる時(とき)に、忽(たちまち)晴光(せいくわう)くらみ、手(て)のうち見へぬ園(その)のうち。

「ともしよ明(あか)り」

とめさるゝ内(うち)、次第(しだい)に晴(はれ)る玉座(ぎよくざ)の上(うへ)、其尺(そのたけ)丈余(ぢやうよ)の白蛇(はくじや)の形(かたち)盤(わだかま)り、臥(ふし)たるは恐(おそろ)しくもまた怪(あや)しけれ。

 董卓(とうたく)臆(をく)せず

「誰(たれ)かある。あれ取捨(とりすて)よ」

と、騒(さは)ぐ間(あひだ)に、〓物(ながもの)は消(けす)が如(ごと)くに跡(あと)もなし。宸襟(しんきん)甚(はなは)だ安(やす)からず。きのふは白虹(はくこう)日(ひ)を貫(つらぬ)き、今日(けふ)はかゝるあやしみ、

「是(これ)のみならず近比(ちかごろ)は天台(てんだい)しきりに変(へん)を奏(そう)し、黄巾(くわうきん)白波(はくは)の賊徒(ぞくと)はびこり、諸道(しょだう)の州郡(しうぐん)良民(りやうみん)を苦(くる)しめ、漢家(かんか)の運(うん)も末(すへ)となり、天道(てんだう)厭(あか)せ給(たま)ふ」

と、御悲(おんかなしみ)の色深(いろふか)し。董卓(とうたく)は恐(おそ)れ入(い)り、

「過(すぎ)つる比(ころ)白波(はくは)の賊(ぞく)勢盛(いきほひさかん)にいひしかども、東郡(とうぐん)の太守(たいしゆ)曹操(さうさう)が討(うつ)てしづめ、黄巾(くわうきん)の賊(ぞく)は予州(よしう)の劉備(りうび)是(これ)を亡(ほろぼ)す。皆(みな)其(その)忠賞(ちうしやう)それ%\に厚(あつ)く申あたへ候得ば、忠勤(ちうきん)はげむ真最中(まつさいちう)、河北(かほく)の袁紹(えんしやう)江南(こうなん)に孫権(そんけん)、帝家(ていか)の盾(たて)は鉄石(てつせき)同前(どうぜん)、叡慮(ゑいりよ)を用(もち)ひさせ給(たま)ふな」

と申上(もふしあぐ)る折(をり)もをり、表(をもて)の方(かた)さはがしく、家(いへ)の子(こ)李官(りくわん)笑止(しやうし)げに董卓(とうたく)が前(まへ)に頭(かしら)をさげ、

「漢中(かんちう)の百姓(ひやくしやう)後訴訟(ごそしやう)大勢(おほぜい)御門(ごもん)に相(あひ)つめ候、『御別業(ごべつげふ)』と申、『殊(こと)に入御(じゆぎよ)の折(をり)ふし、明日(みやうにち)にても府中(ふちう)へ参(まひ)れ』と、叱(しかつ)ても畏(をど)しても詞(ことば)さへ聞(き/\)わからぬ土民(どみん)ども、致(いたし)かたなく候」

と聞(きい)て董卓(とうたく)大(おほい)に怒(いか)り、

「手(て)ぬるし/\、渡御(とぎよ)を憚(はゞか)らぬうづむし、無礼(ぶれい)の大罪(だいざい)かたはしに打殺(うちころ)せ」

と権(けん)をふるまふ無忽(ぶこつ)の下知(げち)。大傅(たいふ)袁隈(ゑんくわい)

「しばし」

とおさへ、

「常(つね)に心(こゝろ)に忘(わす)れさせ給はぬ民(たみ)の身(み)のうへ。是(これ)へ呼出(よびいだ)し直(ぢき)に叡聞(ゑいぶん)あるが却(かへつ)て宸襟(しんきん)やすかるべし。多人数(たにんじゆ)は留(とめ)をき、中(なか)に長(ちやう)たる一両輩(いちりやうはい)、園(その)の端迄(はしまで)召出(めしいだ)せ」

と下(しも)を痛(いた)はる政務(せいむ)の列座(れつざ)。《コレ出マセト言ヤク》司農官(しのうくわん)に《コゝニテリクワク二人下リテ左右ニ立》命下(めいくだ)れば、董卓(とうたく)顔(かほ)をふくらかし、

〈詞〉「これさ袁隈(ゑんくわい)、此相国(このしやうこく)の裁配(さいばい)がもどかしいか。入(い)らざる執持(とりもち)、イヤ叡慮(ゑいりよ)の常(つね)を能知(よくしる)それがし、いつはともあれ今日(こんにち)は御客(おきゃく)の御馳走(ごちさう)、御好(おすき)な事(こと)を叡覧(ゑいらん)に備(そなへ)るは亭主方(ていしゆかた)への取持(とりもち)」

と、座興(さきやう)に《下ノダンヘイヂウ門ヨリ》ゆづる目通(めどう)りへ、〈地〉夏冬(なつふゆ)分(わか)ぬ単(ひとへ)の麻衣(あさぎぬ)包(つゝむ)黔首(ぎんしゆ)の頭分(かしらぶん)両三人(ぶんりやうさんにん)に突出(つきだ)され、さきへ出(いで)たる虎鬚男(とらひげをとこ)土(つち)にひれふし、

〈詞〉「大内様(おほうちさま)の店前(みせさき)へ幾度(いくたび)御願(おねがひ)申ても、御手代衆(おてだいしう)に叱(しから)るゝばかり。今日(こんにち)は御幸(ごかう)とやらで王様(わうさま)が、これへ御(ご)ざしました所を見かけて催促(さいそく)を申ます。漢中郡(かんちうぐん)の土民(どみん)共、御遷(おわたまし)の次(ついで)にわしどもの居所(いどころ)を変(かへ)さしやました所で、宅(たく)がへに隙(ひま)をとられ荒地(あれち)に肥(こや)しは聞(きか)ず。今年(こんねん)の鍋(なべ)の内(うち)かすりまするゆへ、御米(おこめ)を借(かり)たい所での御無心(ごむしん)。人に物(もの)もらいに来(く)るは誰(たれ)しもいやな物なれど、私(わたくし)はいらちの急八(きうはち)と申てちつとゝとつとゝやるせなく、人夫(にんぶ)のことで宿接(しゆくつぎ)の元〆殿(もとじめどの)をしたゝかとづきまして、よく思へば私がわるいで、あやまつた所で、其過代(そのくわたい)として御無心(ごむしん)の願(ねが)ひの先(さき)へ出(で)る役(やく)を受取(うけとり)ました」

と、ひだわぢ〈スヱル〉/\とめいりがほ。叡聞(ゑいぶん)あつて恵(めぐみ)の旨(むね)下(くだ)るに董卓(とうたく)不祥々々(ふしやう%\)

「おのれら命(いのち)冥加(みやうが)な奴(やつ)。救(すく)ひの粟(あは)は隣国(りんごく)の御領(ごりやう)へ申付て得(ゑ)させん。早(はや)く出(で)をらふ」

とねめつけられ、

「目玉(めだま)が出(で)ても実納(みいり)がよい」

と私語(さゝやき)〈フシ〉悦(よろこ)び立出(たちいづ)る。

 董卓(とうたく)李郭(りくわく)の弐人に向(むか)ひ、

「今(いま)百姓(ひやくしやう)の願(ねが)ひの通(とふり)コリヤナ、合点(がつてん)か/\」

と小声(こごへ)にうつす日(ひ)もたけて、〈地中〉鷹(たか)が追(おふ)たる猟人(かりふど)が其(その)数(かず)多(おほ)く飛(とび)あさり、鳴(なく)や雉子(きゞす)の群(むれ)来(きた)り、玉座(ぎよくざ)の辺(ほとり)にすくみ入ル。羽(は)がいにはさめる結(むす)び文(ふみ)、何(なに)をかしるすと王允(わういん)が取(とり)あつむるを

「是(これ)へ」

とめされ、〈詞〉つら/\とよみおはらせ給ひ、

「いづれも同文(どうぶん)、其意趣(そのいしゆ)は、諸方(しよはう)の蜂起(はうき)、諸民(しよみん)の歎(なげ)き、言上(ごんじやう)せしを中塗(ちうと)に押(をさ)へ朕(ちん)に聞(きか)さぬを憤(いきどふ)りの投文(すてぶみ)。其中(そのなか)に遠(とを)きは匈奴(きやうど)の左賢(さけん)右賢(うけん)南蛮(なんばん)の孟獲(まうくわく)、近(ちか)くは山東(さんとう)の袁術(ゑんじゆつ)王匡(わうきやう)等(ら)相国(しやうこく)を恨(うらみ)の旗(はた)あげ、何(なに)にもせよ反逆人(ほんぎくにん)は漢家(かんか)の仇(あた)、きつと誅罰(ちうばつ)成敗(せいばい)せよ。今日(けふ)の設(まふけ)の心(こゝろ)づかひ休息(きうそく)せよ」

と促(うなが)さる、

 還御(くわんぎよ)の鸞輿(らんよ)にひつそふ王允(わういん)、御見送(みをくり)と董卓(とうたく)が後乗(あとのり)に守護(しゆご)し奉(たてまつ)る。小雅(しやうが)かけたる時(とき)ぞ、此君(このきみ)が思(おも)ひや〈三重〉繁(しげ)からん。《ケイソノマゝ》跡(あと)に残(のこり)し妓女(ぎぢよ)の輩(ともがら)

「サア/\是(これ)からこちらが御遊(ぎよいう)」

と、打(うち)くつろいで

「皆(みな)見(み)やんせ。今日(けふ)の御馳走(ごちさう)にさへ取(とつ)て置(をき)の鍋取殿(なべとりどの)」。

「鍋取(なべとり)とは何(なに)やらじやなあ」。

「日本(にほん)本(ぼん)の百任一首(ひやくにいしゆ)にソレ武官(ぶくわん)の御方(おかた)の弓持(ゆみもつ)て、冠(かふり)の下(した)にめしてござる老懸(をひかけ)とやらが其(その)もぢりぢやと聞(きい)ている」。

「ヲゝそれよ此(この)貂蝉(ちやうせん)殿。今日(けふ)も秘物(ひぶつ)。きつい物(もの)じやな。相応(さうをう)に物好(ものずき)の有(ある)ことはしらずにお鬚様(ひげさま)の大事(だいじ)がり、それそれ/\そこへけもない顔(かほ)で、〈間〉花(はな)へ見ずとも〈女同〉月(つき)さへあれば、ジヤ、さらばさへるやうに〓てやろ」

と広庭(ひろには)をのがさま%\立(たつ)てゆく。

 温侯(をんこう)ほつと歎息(ためいき)つき、

「お耳(みゝ)に入ルまいとかくしても、誰斯(どいつ)かいぢのわるいが雉子(きじ)の羽文(はぶみ)と珍(めづら)しい思(おも)ひつき。とう/\ばらしてのけをつた。しかし又あんまり奢(をごり)も奢(をごり)なり」

と独言(ひとりごと)する後(うしろ)から耳際(みみぎは)ちよいと中(あて)たるは思(おも)ひがけなき投壷(とうこ)の矢(や)。

「誰(たれ)じやい。コリヤまたこちらの耳(みゝ)をこすつて貂蝉(ちやうせん)が落るぞよ」。

「イヤ此貂蝉(ちやうせん)は落ぬ/\」

と屏風(ひやうぶ)の後(うしろ)を立出(たちいづ)る、舞女(ぶじよ)の誉(ほまれ)の軽盈(しなやか)に都(みやび)は飛燕(ひゑん)李夫人(りふじん)も面(おもて)覆(おほは)ん長袖(ながそで)は、能(よく)舞(ま)ふ態(ふり)の出立栄(でたちばへ)。呂布(りよふ)が見るより首筋(くびすぢ)もとからぞつとして、

「是(これ)は/\貂蝉(ちやうせん)殿(どの)か、めづらしい。王司徒(わうしと)の所(ところ)で見初(みそめ)て寄文(つけぶみ)した返事(へんじ)は有(あり)ながら、何(なに)のわけも取(とり)しまらぬ内(うち)、此館(このやかた)へもらはれたと〈地ハル〉噂(うはさ)ばかりで影(かけ)も見(み)ず。どうしたことじや」

と〈フシ〉もつれよる。

「さればいな。わしが身(み)は幼少(ようしやう)より王允(わういん)さまへみやづかへ。御家(おいへ)の舞妓(ぶぎ)になされんと御いつくしみ浅(あさ)からず。声楽(せいがく)をはげみ、多芸(たげい)を教(をし)へ、世人(せじん)も聞(きゝ)しる家妓(かぎ)なれど、恩義(おんぎ)は親(おや)も同(おな)じこと。近(ちか)き内(うち)表向(おもてむき)から呂温侯(りよをんこう)へ申入レ、轎(こし)を納(いれ)んとの御物(おもの)がたり。しかるに董卓(とうたく)夜宴(やゑん)のかへるさ、送(おく)れとあるに連(いれ)られてそれなりにかへさぬ我(わが)まゝ。其(その)うへに権威(けんゐ)の恋慕(れんぼ)、耳(みゝ)の役(やく)に聞(きい)てはいれど、舞女(ぶじよ)の心(こゝろ)はそれではなびかぬ。殊(こと)に夜(よ)に日(ひ)に諸方(しよはう)のうらみ長(なが)からぬ董卓(とうたく)、此人(このひと)いつか亡(ほろび)んとまつは果(はて)なき心(こゝろ)づかひ。弐人(ふたりが)一所(いつしよ)によらるゝはコレ、おまへのうら切(ぎり)が諸方(しよはう)の助(たす)け。此(この)ごろ聞(きけ)ば〓塢(びう)にもまさる金谷(きんこく)といふ所(ところ)に別殿(べつでん)の経営(こしらへ)、其(その)奥意(おくゐ)は貂蝉(ちやうせん)をかしづき入(い)れ、

〈挿絵一丁〉

縁類(ゑんるい)あらば大録(たいろく)に取(とり)たて富貴(ふうき)を以てなびける方便(てだて)。おかしやなんの富貴(ふうき)にうつらん。が、其内(そのうち)なんぞはづみがついて、実(まこと)な人じやと思(おも)ふたら、義理に心(こゝろ)がおはらんかと思(おも)ひすごしがせらるゝ」

と、こぼす涙(なみだ)は重瞼(ふたかは)の中(なか)はいかなる〈フシ〉水棹(みさほ)かや。始終(しじう)を聞(きい)てせきのぼし、気(き)を持(もつ)呂布(りよふ)が一(ひ)ト思案(しあん)。

「ヲツヲ気(き)づかひするな/\」。

「気遣(きづか)ひせいでは、おまへを国(くに)へやりをると月夜(つきよ)に御釜(おかま)塩釜(しほがま)のまがきが島(しま)にまつかいも。モ最(々)はや一生(いつしやう)お顔(かほ)も見られぬ」。

〈詞〉「コリヤ何(なに)を隠(かく)さん、諸方(しよはう)の勇士(いうし)、しのび/\に都(みやこ)に登り、それがし董卓(とうたく)に昵近(ぢつきん)するを皆(みな)が恐れて、ひそかに我(われ)をかたらへども、董卓(とうたく)の好(よし)みも捨(すて)がたく、心(こゝろ)いまだ一決(いつけつ)せず」

と、〈地ウ〉かたる半(なかば)のいつの間(ま)に、戟(ほこ)提(ひつさげ)て〓来(かけく)る董卓(とうたく)

「見付(みつけ)た/\。女(おんな)めが従(したが)はぬも道理(だうり)こそ。御身送(おんみおく)りより還(かへつ)て貂蝉(ちやうせん)を尋(たづね)るに、鳳儀亭(ほうぎてい)にて呂布(りよふ)に密語(さゝやく)と聞(きく)より一(い)ツさん、〓議(せんぎ)に及(およ)ばぬ科(とが)、ゆるさぬ小厮(でつち)」

と持(もつ)たる戟(ほこ)、たゞなか目当(めあて)に擲(なげ)つくる。さそくにかはす身(み)のひらき、屏風(びやうぶ)をめぐり脱(のがれ)ゆく。角(かく)と聞(きく)より一(いち)もんじに追来(おひく)る李官(りくわん)、引(ひき)とゞめんと行(ゆき)あふはりあひ、肥満(ひまん)の董卓(とうたく)うちこかされて、やう/\重遅(ゑち)/\起(おき)あがり、

〈詞〉「こりやなんとする」。

「真平(まつひら)/\たがひのはづみ」。

「幸(さいはひ)呂布(りよふ)は逃(にげ)のびた。コレ、人の腹(はら)に心(こゝろ)を置(をく)世(よ)の中(なか)。呂布(りよふ)が御側(おそば)を離(はな)れぬ故(ゆへ)、人も恐(おそ)るゝ御身(み)の守(まも)り。馴養(なつけやしな)ふ心(こゝろ)はなく、かゝる荒気(あらぎ)は禍(わざはひ)のもとひ。奢(をごり)は諸侯(しよこう)の歯(は)をくひしばり、都(みやこ)うつしに百姓(ひやくしやう)のうらみ。一日(いちにち)ならず御身(おみ)にあつまる。何(なに)かはない、貂蝉(ちやうせん)を呂布(りよふ)に与(あた)へ、禄(ろく)を増(まし)て心を結(むす)び、手足(てあし)をするが上分別(じやうふんべつ)」

と、諌(いさ)めさとせど、董卓(とうたく)は惜(おし)し畏(こは)しに片(かた)つかず。

〈詞〉「成程(なるほど)己(をれ)も気(き)がつかぬでもない。思案(しあん)こそあれ重(かさね)て」

と、〈地〉どぎまぎ其(その)場(ば)をとりおさむ。

 爰(ここ)に郭汜(くわくし)が息つぎあへず、

〈ノリ〉「されば、某(それがし)御下知(おんげち)うけ、《法永カゝリ》元(もと)より馬上(ばしやう)は達者(たつしや)の我等(われら)。士卒(しそつ)を引具(ひきぐ)し一(いつ)さん驅(かけ)、輪乗(わのり)輪差(わちがひ)おつかけまはり、落(をち)をとらんとさがり藤(ふぢ)。次(つぎ)は又(また)野中(のなか)の一本杉(いつほんすぎ)、ねぢ首(くび)筒(つゝ)ぬき梨子(なし)破茄子(わりなすび)の蔕(へた)おとし〈トル〉さんこ、みぢんと存(ぞん)せし所(ところ)に、百姓(ひやくしやう)めらははや川(かは)むかひ。橋(はし)のうへに只(たゞ)一人(いちにん)残(のこつ)ている虎鬚(とらひげ)おやぢ、丈八(ぢやうはち)ばかりの大竹槍(おほだけやり)苧(を)がらのやうに振(ふり)まはし、『漢中(かんちう)に名(な)をしられた燃株村(もへくいむら)のいくちの急八(きうはち)をしらぬか』と、樊〓(はんくわい)項羽(こうう)此(この)かたの大目玉(おほめだま)をくつとむき出(いだ)し、髪(かみ)がすく/\立(たつ)た勢(いきほ)ひ、雑兵共(ざふひやうども)がよりつかぬも尤(もつとも)。どうしたはり合(あひ)であつたやら、私迄(わたくしまで)が一足(ひとあし)も先(さき)へとてはいかな/\。あげくに身内(みうち)がぞ、ぞ、ぞ、ぞとつかみ立つるやうになつて、なむさん瘧(おこり)に極(きはま)つた。一先(ひとまず)帰(かへ)つて養生(やうじやう)と《文カゝリ》すご/\と引(ひき)かへし、イヤモ一生(いつしやう)の不覚(ふかく)、御免(ごめん)/\」

と面目(めんぼく)の汗(あせ)を拭(ぬぐ)ひて入(いる)日(ひ)かげ。李郭(りくわく)が縄(なは)つけ引来(ひききた)るは

「大傅(たいふ)袁隈(ゑんくわい)供奉(ぐぶ)の帰(かへ)りを待(まち)うけ、からめ取(とり)候」

と、〓(ひき)すへられて少(すこし)も臆(おく)せず、董卓(とうたく)を打守(うちまも)り、

「今日(けふ)は人(ひと)の身(み)のうへを知(し)らぬ愚人(ぐにん)のはからひ、命はおしまぬ、かつてに御しやれ」。

「ヲゝそれをおのれに習(ならは)ふか。相国(しやうこく)のい光(くわう)を恐(おそ)れず、しや/\り出るやつはどいつでも此通り」

と、戟(ほこ)を取より只一突さしつらぬきし悪事の超過(てうくわ)。李官が異見も是(これ)迄と戟にすがつて我とわが首刎落す諌(いさめ)の最期。戟投(なげ)すてゝ董卓(とうたく)

「ハハハハ/\ハハハハ/\荒(あら)嬉や。今日(けふ)はいかなる吉日ぞ。此比悪(にく)しにつくしの袁隈(ゑんくわい)めばかりか、説法(せつぽふ)するじやまおやぢまでよい片(かた)づき。〈地〉祝(いは)ひの酒事、誰(たそ)貂蝉(ちやうせん)を呼来れ。義縁(ぎゑん)直(なを)し」

とほこりがほ。身の程(ほど)〈三重〉知らぬ折(をり)からや、《ケイツイヂノカゝリダイリ門内ニヲンガクノサカリバノカゝリ》微(すこし)の御不例(れい)平癒(ゆ)の朝会(ちやうくわい)、未央殿(びやうでん)に管絃(くわんげん)ひゞき、長女の北掖(ほくゑき)門董相国(とうしやうこく)の参内(さんだい)と金花(きんくわ)の車(くるま)天子(てんし)をまねび、同車(どうしや)は秘蔵(ひざう)の妓女(ぎぢよ)貂蝉(ちやうせん)、温侯(をんこう)・呂布(りよふ)後(うしろ)を衛(まもり)、御門近(ちか)くもきしらする。

 貂蝉(ちやうせん)車(くるま)をすべり下(を)り、

「今日(けふ)の御遊(ぎよいう)を拝(おが)まんと御供に付ては来(き)たけれど、はれ%\しき朝廷(ちやうてい)へ、思へば人の笑(わら)ひぐさ、殿様(とのさま)の御為にもならぬこと、跡(あと)

〈挿絵一丁〉

から参(まい)りてこつそりと女官(によくわん)の後(あと)から拝(おが)ましてもらひましやふ」。

「ホゝそれなら勝手(かつて)にせよ。したがおれに付て来(く)るとよい場所(ばしよ)で見物(けんぶつ)するに、エゝあほうめ」

と泥(なづ)み顔(がほ)。涎(よだれ)は鬚(ひげ)に時(とき)ならぬ〈フシ〉つらゝ連(つらな)る築地(ついぢ)まへ。畜類(ちくるい)前知(ぜんち)ありけるが、車(くるま)に駕(が)したる馬(むま)嘶(いなゝ)き、跳上(おどりあが)つて跡(あと)ずさり。董卓(とうたく)怪(あやし)み、

「いかにしても心得(こゝろゑ)ず。車(くるま)をもどせ」

とたけれども、

「何(なに)の別条(べつでう)候はず」

と呂布(りよふ)が力(ちから)にやりつくる。時(とき)の、〈ヲクリ〉《ヘイヲタゝム内ニハトウタクヲトリマキ立》至(いた)るや、生死(せいし)の界(さかい)、門(もん)を過(すぐ)ればむら/\と、用意(ようゐ)の力者(りきしや)数(かず)しらず。李郭(りくわく)郭汜(くわくし)呂布(りよふ)もろとも敵(てき)となつてをつとりまく。董卓(とうたく)車(くるま)を飛(とん)でをり、呂布(りよふ)をにらんで、

〈詞〉「おのれ、恩(おん)を忘(わす)れて一(ひと)ツじやな」。

「ヲゝサ前日(ぜんじつ)戟(ほこ)をなげつけた其(その)根性(こんじやう)が恩義(をんぎ)のきれめ。此(この)呂布(りよふ)はナ、勅詔(ちよくじやう)を承(うけたまは)りて賊臣(ぞくしん)を誅罰(ちうばつ)するはやい。手(て)には掛(かけ)ぬ。自滅(じめつ)/\」。

〈地ハル〉董卓(とうたく)跡(あと)へはかへられず、

「よし/\玉座(ぎよくざ)に近(ちか)よつて、共(とも)に安否(あんひ)を定(さだめ)ん」

と、階上(かいじやう)さしてかけ上(あが)れば、玉簾(ぎよくれん)ひとしく捲上(まきあげ)て、立並(たちなら)びたる楽工(がくこう)は、すがたをやつし、人しれずこのごろ此(こゝ)に集(あつま)りし、荊州(けいじう)の劉表(りうひよう)《五人ミナ/\手ニガクキヲモツ》・河北(かほく)の袁紹(えんしやう)・呉国(ごこく)の孫権(そんけん)・山東(さんとう)の曹操(さうそう)・予州(よしう)の劉備(りうび)。家(いへ)の英雄(えいいう)引(ひき)つれて御殿(ごてん)の隅(すみ)%\すきまなし。

 〈地ハル〉董卓(とうたく)案(あん)に相違(さうい)して、腰(こし)を脱(ぬか)して階下(かいか)に蹙(すくめ)ば、司徒(しと)王允(わういん)声(こへ)をあげ、

〈詞〉「誰(たれ)かある。急(いそひ)で賊臣(ぞくしん)を誅(ちう)せよ」

と、辞(ことば)をはらずよりかゝり

〈地ウ〉「悪(にく)し/\」

の鉾(ほこ)だめし。乱鎗(らんさう)の下(した)に戮(りく)せらる。

 宮中(きうちう)宮外(きうぐわい)一時(いつとき)に悦(よろこ)ぶ声(こへ)のみちわたり、皆(みな)万歳(ばんぜい)をとなふなる、悪事(あくじ)の程(ほど)ぞ〈フシ〉思(おも)ひやる。

 〈地〉時(とき)に山東(さんとう)の曹操(さうそう)すゝみ出(いで)、

「此度(このたび)の計策(けいさく)、皆(みな)王司徒(わうしと)の大功(たいこう)。驚(おどろ)き入リ候」

と、ほむる片目(かため)にあたりを見(み)やり、李郭(りくわく)や呂布(りよふ)をしりめにかけ、

「董相国(とうしやうこく)も平生(へいぜい)に取挙(とりあげ)たる人多(おほ)かれ」

と、まさかの時(とき)はと目(め)くばせを内々(ない/\)一味(いちみ)の李郭(りくわく)郭汜(くわくし)階上(かいじやう)につか/\と王允(わういん)を取(とつ)ておさへ、物(もの)をもいはず首(くび)打落(うちをと)し、

〈詞〉「叡慮(ゑいりよ)かと思(おも)ひしに、させる罪(つみ)なき董相国(とうしやうこく)、皆(みな)こいつが工(たくみ)であつたかい。〈地〉敵(かたき)取(とつ)て進(しん)ぜるはむかし忘(わす)れぬ我々(われ/\)ばかり」

と自慢(じまん)広言(くわうげん)。人々無礼(ぶれい)を怒(いかり)の面色(かんしよく)。曹操(さうそう)つつと立(たち)よつて、李郭(りくわく)弐人が首筋(くびすぢ)つかみ階下(かいか)に投(なげ)やり、

「それからめよ」

と詞(ことば)の下(した)、爰(こゝ)に仲達(ちうだつ)夏侯淵(かこうゑん)、手(て)ンでに踏付(ふみつけ)しめあぐる。

「是(これ)はどうなさるゝ。此(この)筈(はづ)ではあるまいが」

ともがく李郭(りくわく)を曹操(さうそう)ねめつけ、

〈詞〉「何(なに)をぬかす筈(はづ)であるまいか。殿上(でんじやう)に劔(けん)を振(ふり)諸歴々(しよれき/\)を憚(はゞか)らぬ我(わが)まゝ。〈地〉其(その)罪(つみ)何(なん)ぞ脱(のがれ)ん」

と、臉(かほ)でしらする相図(あひづ)はがてん、仲達(ちうだつ)夏侯(かこう)が抜手(ぬくて)も見(み)せず、今迄(いままで)〓(はね)ぎる両刃(もろは)の李郭(りくわく)、首(くび)は左右(さいう)へ〈フシ〉飛落(とびをち)、重(かさな)る政治(せいじ)に日(ひ)も入(いり)て、〈ヲクリ〉宮〓(きうとう)照(てら)す《トウロウスケル》諸侯(しよこう)の面々(めん/\)。猶(なを)退朝(たいちやう)の御暇(おいとま)も。内殿(ないでん)の方(かた)騒(さはが)しく、内竪(ないじゆ)の官人(くわんにん)周章(あはて)よばゝり、

「何者(なにもの)のしはざにや、前殿(ぜんでん)騒(さは)ぐすき間(ま)を見(み)て、宝庫(はうこ)にしのび、伝国(でんこく)の玉璽(ぎよくじ)紛失(ふんじつ)のうへ、帝(みかど)の御座(おまし)知(しれ)がたく、宮女(きうぢよ)も数人(すにん)御供(おんとも)」

と聞(きい)て、各(おの/\)大(おほい)に驚(おどろ)き、眉(まゆ)をよせ、評議(ひやうぎ)まち/\、国(くに)の大事(だいじ)。陛(みぎは)にひかへし美髯(びぜん)の勇士(いうし)、御階(みはし)間近(まぢか)くすゝみより、

〈詞〉「先刻(せんこく)より髯(ひげ)を握(にぎり)て見物(けんぶつ)し罷在(まかりあり)候が、李郭(りくわく)弐人が仕置(しをき)かくこそ、仲達(ちうだつ)夏侯(かこう)が眩術(てづま)の所作(しよさ)、岡目(おかめ)から穴(あな)が見(み)ゆる。帝爺(ていや)玉璽の置所(どころ)、骨(ほね)を挫(ひしい)で言(いは)せて見(み)せん」

と仲達(ちうだつ)目(め)がけ立(たち)かゝる。劉備(りうび)おさへて、

「左(さ)なせそ。雲長(うんちやう)帝(みかど)を奪(うば)ひ奉(たてまつ)るは〓(ほぞ)をかたむる佞人(ねいじん)のしはざ、未(いまだ)儲君(よつぎ)も定(さだまら)らねば、御内勅(ごないちよく)は官者(くわんしや)に有(ある)べし。〈地〉扨(さて)是非(ぜひ)もなき王允(わういん)の凶死(きやうし)、呂布(りよふ)の手柄(てがら)も褒美(はうび)は評定(ひやうじやう)。御行在(ごあんざい)を尋(たづね)る間(あひだ)、政務(せいむ)の下知(げち)は曹孟徳(さうまうとく)、誰(たれ)かは異論(いろん)あるべき」

と、あたへて計(はかる)と機転(きてん)の曹操(さうそう)、

〈詞〉「愚盲(ぐまう)のそれがし、此(この)儀(ぎ)は御用捨(ごようしや)。本国(ほんごく)に立帰(たちかへ)り、各(をの/\)がたの下知(げち)をうけ、御用(ごよう)に立(たつ)が器量(きりやう)一(いつ)はい。先(まづ)暇(おいとま)」

と席(せき)を退(たつ)。

 〈地〉かゝる時節(じせつ)は誰々(たれ/\)も本国(ほんごく)気遣(きづか)ひ、一(ひと)まづ帰国(きこく)と誰(たれ)か留(とゞま)る心(こゝろ)なく、銘々(めい/\)胸(むね)に抱(いだ)ける千慮(せんりよ)。一度(いちど)に御階(みはし)を立下(たちくだ)る。

 主(あるじ)なければ客(きやく)なき御殿(ごてん)、麋鹿(びろく)《カイジヤウニ五人立カイカニ五人三ツニワカル》棲(すみ)なん此(この)秋(あき)の露霜(つゆしも)いかに〈大三重〉深(ふく)る月(つき)、《クロマク下ノテスリ門内ノテイ外井ド》東明門(とうめいもん)の内郭(うちぐるは)、東(ひがし)がつての大名(だいみやう)はこれより出(いづ)る袁紹(えんしやう)孫権(そんけん)、後(あと)に跟(つき)たる蒋奇(しやうき)陸遜(りくそん)、皆(みな)宮闕(きうけつ)を顧(かへりみ)て、さしも繁花(はんくわ)の漢宮(かんきう)の結構(けつこう)、世(よ)の盛衰(せいすい)と見(み)めぐらす。旁(あたり)の露井(ろせい)に閃(ちらめき)て明減(あるかなきか)に映(ゑい)ずるは、劔気(けんき)か扨(さて)は宝気(はうき)かと恠(あやし)み認(とむ)る遙(はるか)の旁(かた)へ、下坐(げざ)する行夜(まはり)は呉国(ごこく)の間諜(すつぱ)。手跡(しゆせき)もかくや像糊(かたのり)のはげぬ因果(いんぐわ)を握(にぎ)り砂(ずな)。置上(をきあげ)文字(もじ)の符言(あひことば)殺気(さつき)近(ちか)しと見(み)てとる陸遜(りくそん)、孫権(そんけん)の袖(そで)をひき、

〈詞〉「月(つき)のくもるは雨(あめ)やせん。思(おも)ひがけぬ退散(たいさん)の時刻(じこく)、雨具(あまぐ)掌(つかさ)も参(まい)るまじ、何(なに)かさしをき御急(おんいそぎ)」

と促(うなが)せば、

「共々(とも%\)に井中(いのうち)見届度(みとゞけたく)存(ぞんず)れど、其段(そのだん)は御免(ごめん)。御先(おさき)へ罷(まか)る、折角(せつかく)御無事(ごぶじ)」

と互(たがひ)の挨拶(あいさつ)別(わか)れゆく。跡(あと)に袁紹(えんしやう)指(ゆび)さして、

「詞(ことば)をまたず、蒋奇(しやうき)が気逸(きばや)。井戸(いど)を〓(のぞ)きて物(もの)こそ」

と上衣(じやうい)を去(さつ)て下袴(したばかま)。腰(こし)の快縄(くわいじやう)すがり下(を)り、かげさへ見(み)ゆる井(い)の底(そこ)に、浅(あさ)くも人のすてし身(み)は、絶(たゆ)とたゆるな合(あは)せ縄(なは)、幾(いく)へからみて出(いだ)きたり。主従(しうじう)力(ちから)をたすけあひ、挽(ひき)あぐる死骸(しがい)は女官(によくわん)、すへ%\ならぬ昭儀(しやうぎ)の命服(めいふく)、懐中(くわいちう)に抱(いだき)たる錦(にしき)につゝむ一ツの匣(はこ)、将(まさ)しく玉璽(ぎよくじ)と袁紹(えんしやう)が袖(そで)にかくして、

「蒋奇(しやうき)必ず無言(むごん)、供(とも)せい」

と、〈ヲクリ〉心いさみて発足(ほつそく)す。《上ノ手スリナンモンノ出口》心々(こゝろ%\)は北南(きたみなみ)南明門(なんめいもん)の《下ノテスリ入口松ノ中ニトリ井》出口(でぐち)には、工商(こうしやう)の軒(のき)所(ところ)せき、朝起(あさをき)早(はや)き店開(みせびら)き。靴冠(くつかんぶり)の諸職人(しよしよくにん)、髪(かみ)の飾(かざり)の髻具店(かうぐみせ)。

「殿様(とのさま)がた御土産(おみやげ)召(めさ)ぬか。是(これ)は大内官車(おほうちくわんしや)の老工(らうこう)。御車(おくるま)の飾更(かざりかへ)仰付(おほせつけ)られ下され」

と、得意(とくゐ)求(もとめ)る片店(かたみせ)は御用心(ごようじん)の水噴機(みずはゝき)。木牛(もくぎう)流馬(りうば)老店(らうてん)と、看板(かんばん)掛(かけ)てさま%\の、名薬店(みやうやくみせ)の見(み)へざるは、いづれ古国(こく)と〈フシ〉知(し)られたり。車屋(くるまや)は欠(あくび)して、

「こち徒(と)が店(みせ)は売遠(うれとを)ひ。さらば内(うち)から看店(みせばん)」

と、はいる隣(となり)は旅出立(たびでたち)、髻具屋(こうぐや)とつかは夫婦(ふうふ)づれ。気(き)をせく夫(おつと)せかぬは女房(にようばう)内(うち)では却句(けく)に壁(かべ)に耳(みゝ)。

「わしはどこまでも参(さん)じるが」。

「先(せん)に馴染(なじみ)の深(ふか)ひ女中(ぢよちう)、跡(あと)でうらみであらふもの」。

「ハテ何(なに)をいふ、あれは懐妊(くわいにん)何(なに)ものゝ種(たね)やら」。

「好種(よいたね)ならばだまつていまい」。

「此世(このよ)の中(なか)にこぼれものかゝへてどこへ」。

「今(いま)でも来(き)おつたら面倒(めんだう)さに、手(て)ばやくかはすのじやはやい」

とうけつこたへつ急(いそ)ぎゆく。

 〈地〉爰(こゝ)にすばやき曹孟徳(さうまうとく)、ぬすみとらせし帝(みかど)に薄絹(うすぎぬ)、女姿(おんなすがた)を仲達(ちうだつ)が背(せ)をかりそめの御幸(みゆき)の車(くるま)、やがて還宮(くわんきう)なし奉(たてまつ)らん。しばらく人目(ひとめ)忍(しの)ばせ給(たま)へと推付

〈挿絵一丁〉

わざの御為(おため)顔(がほ)。髻具屋(こうぐや)が軒(のき)により、

〈詞〉「卒尓(そつじ)ながら此(この)女中(ぢよちう)、些(まかし)のあひだ休息(きうそく)を頼入(たのみい)ル」

と音(をと)なへど、〈地〉内には誰(たれ)か人影(ひとかげ)なし。跡(あと)より追手(おつて)近(ちか)づけば、

「何分(なにぶん)頼(たの)む」

と押懸(をしかけ)て、かしづき奥(おく)に入奉(いれたてまつ)り、仲達(ちうだつ)が相図(あいづ)の鹿笛(しゝぶへ)、こゝかしこより数十人(すじふにん)。一味(いちみ)は白波(はくは)の郭大言(くわくたいげん)、

「御家老(ごからう)何(なに)ぞ御用(ごよう)かな」

と立(たち)よる耳(みゝ)に口(くち)をよせ、

「余(よ)の大名(だいみやう)に目(め)な掛(かけ)そ。後日(ごにち)の邪魔(じやま)は劉玄徳(りうげんとく)。撮(つま)み殺(ころす)はやすけれど、手柄(てがら)を分(わけ)てやる程(ほど)に、ぬかるな頭領(かしら)。〈地〉サ、急(いそ)げ/\」

と己(をの)が身(み)は、店(みせ)に有(あり)あふ車屋(くるまや)の《クルマハヱツクコトシ》暖車(だんしや)の内に〈フシ〉匿入(かくれい)る。

 一隊々々(いつたい/\)出来(いできた)る帰国(きこく)の大名(だいみやう)多(おほ)き中(なか)、呂布(りよふ)が出立(でたち)のいそ/\に、心(こゝろ)ならずも貂蝉(ちやうせん)が水にさそはる流(なが)れ足(あし)、

「船(ふね)も車(くるま)も嫌(きらひ)なり。わしや路下手(みちへた)」

と蔕(へた)つける瓜子臉(うりざねがほ)のぬつぺりこつぺり。呂布(りよふ)が当惑(たうわく)

「なんとせふ。〈詞〉家来共(けらいども)とかはり%\負(おふ)てゆかずばなるまい」。

「ノフ、いやゝの/\。」

「ソレ、女房(にようばう)に孝行(かうかう)な者(もの)でござる」

と物(もの)もらひのやうに、

〈地ハル〉「わしや好(すか)ぬぞへ」

と我(わが)まゝの、後(うしろ)にひゞく鐘声(つりがねごへ)。

「温侯(をんこう)/\」

と呼(よび)とゞめ、関雲長(くわんうんちやう)礼義(れいぎ)して、

〈詞〉「今(いま)具(ぐ)せられしは、舞妓(ぶぎ)の貂蝉(ちやうせん)よな。色(いろ)を以(もつ)て人を傾(かたぶけ)し時(とき)の人妖(じんよう)。王司徒(わうしと)が美人局(びじんきよく)。温侯(をんかう)いまだ手(て)が見(み)へぬか。酔(よい)が覚(さめ)ぬか。〈地〉未練々々(みれん/\)」

と顔(かほ)打(うち)ふり、

「いかに貂蝉(ちやうせん)、なんじも爰(こゝ)で死(し)せざれば、〈地〉成(なせ)し手柄(てがら)も筆(ふで)にかれぬ。関羽(くわんう)が手(て)にかけ暇(いとま)を呉(くれ)ん」

と、振(ふり)あぐる偃月刀(ゑんげつたう)。

〈詞〉「アツアいかにも王允様(わういんさま)も思(おも)はぬ御最後(ごさいご)。生(いき)て誰(たれ)に誉(ほめ)られふ。今(いま)こそわらはが死所(しにどころ)。〈地色〉そうじや/\」

と独(ひとり)黙(うなづ)きわるびれず。をし直(なを)りて首(くび)さしのべ、帰(かへ)るが如(ごと)き思(おも)ひ切(きり)。関羽(くわんう)長刀(なぎなた)取(とり)なをし、髪(かみ)の飾(かざり)をかなぐりすて、

〈詞〉「男(おとこ)まさりの奇(け)な気(げ)もの。是(これ)より雉髪(ちはつ)し道姑(だうこ)方明(はうめい)と名(な)を改(あらた)め、あらゆる仙境(せんきやう)ゆきめぐり、蓬莱山(はうらいさん)と名(な)におへる、ゑもぎかほれる秋津洲(あきつす)は、大公望(たいこうぼう)が治世(ちせい)の兵法(へいはふ)、彼地(かのち)に遺(のこ)る君子国(くんしこく)、善言妙句(ぜんげんみやうく)を伝(つた)へ得(ゑ)て漢(かん)に忠(ちう)ある諸侯(しよこう)に授(さづけ)よ。いざふれ、やつ」

と押(をし)やられ、《マヒ》実(げに)人間(にんげん)の離合(りがふ)は幻(まぼろし)いづくか遂(つい)の宿(やど)りぞと、見(み)かへりもせぬ塵世(ぢんせ)の念(おも)ひ。行衛(ゆくゑ)〈フシ〉定(さだ)めず脱(のが)れ行(ゆく)。呂布(りよふ)もいふべきことばなく、浮世(うきよ)の月花(つきはな)もがれし心地。関羽(くわんう)に恥(はぢ)て

「何事(なにごと)もいかひ御世話(おせは)」

と立足(たつあし)も〈フシ〉なげ、首(くび)してぞ帰国(きこく)する。

 〈地色〉はるかおくれて出来(いでく)る玄徳(げんとく)。それと見(み)るより

「関雲長(くわんうんちやう)大人(だいじん)遅(おそ)し」

と立向(たちむか)ふ。玄徳(げんとく)小声(こごへ)に、

「御見やれ。曹操(さうさう)が今日(けふ)の仕(し)かた、発足(ほつそく)のせつ、孔明(こうめい)が草(くさ)の庵(いほり)で意(こゝろ)を添(そへ)しに違(ちがは)ず。彼(かの)王莽(わうまう)が模(かた)と出(で)ている。用心せられよ。〈地〉早(はや)く本陣(ほんぢん)にかへり手勢(てぜい)を円(まと)ひ、帰国(きこく)をいそがん」

と、語(かた)リつれたる行(ゆく)さきの《ウジカミノモリハ下ノテスリ》土神(どじん)の廟(びやう)に多勢(たぜい)の〈ノリ〉声々(こへ%\)。それへ来(きた)るは劉玄徳(りうげんとく)。

「遺恨(いこん)の我々(われ/\)黄巾(くわうきん)の別将(べつしやう)、名題(なだい)は根元(こんげん)山(やま)にたつ白波(しらなみ)、谷(たに)の郭大言(くわくたいげん)。やるな、のがすな、いんなんすんなんさんぜうせうけう不肖(ふしやう)/\」

と、〈地〉道(みち)を遮(さへぎ)る数十(すじふ)の奸卒(かんそつ)。関羽(くわんう)事(こと)ともあざけり笑(わら)ひ

〈詞〉「南外門(なんぐわいもん)の其内(そのうち)は、諸歴々(しよれき/\)も手(て)まはり斗(ばかり)と、慢(あなどる)黄巾(くわうきん)白波(はくは)より、心(こゝろ)の黒(くろ)ひ曹操(さうそう)が臭気(しう)にたかる蝿虫(はいむし)めら」

と青竜刀(せいりようたう)を振(ふり)まはす。まだ聞(きゝ)なれぬ八十二斤(きん)迂滑(うくわつ)の郭大(くわくだい)一(ひ)トさゝへも雉(なぎ)すてられて、二ツ三ツ、魂(こん)はあの世に白波(はくは)の残党(ざんたう)、僻易(いろめき)逃(にぐ)るをやりすごし、

「物(もの)の員(かず)とは存(ぞん)ぜね共(ども)、大人(たいじん)御失(おける)有(あり)ては」

と懐中(くわいちう)より取出(とりいだ)す、諸葛(しよかつ)が授(さず)けし思案(しあん)の錦嚢(きんのう)。開(ひら)き見(み)るより打(うち)うなづき、傍(あたり)見(み)まはし車屋(くるまや)の木牛(もくぎう)流馬(りうば)が暗号(あいじるし)。店(みせ)に倚(より)たる煖車(だんしや)をば、是(これ)幸(さいはい)と挽出(ひきいだいだ)せば、車屋(くるまや)内(うち)より走(はし)リ出(いで)、

〈詞〉「それは店(みせ)の標(だし)なれど、内(うち)は革張(かははり)至極(しごく)の要害(ようがい)。価(あたひ)の貴(たかひ)が御合点(ごがてん)なら売上(うりあげ)ませふ。〈地〉朝夕(あさゆふ)の出(だ)し入(い)レに会(ゑて)は〓人(すりめ)がかゞんでをる」

と、知らず目(め)つきをぬからぬ関羽(くわんう)大人(たいじん)、

「是(これ)に召(めさ)れよ」

と帷(とばり)掲(あぐ)れば、内(うち)より仲達(ちうだつ)抜刀(ぬきがたな)、飛(とび)かゝりて切付(きりつけ)る。払(はら)ひ落(おと)して利腕(きゝうで)つかみ、

〈詞〉「敵(かたき)の手(て)も借(かり)たき時節(じせつ)。ハテ好所(よいところ)へかくれんぼ。遅来(をそき)てはづれぬ腕助(うでたすけ)」

と、玄徳(げんとく)を車(くるま)にめさせ片手(かたて)に推(をし)ゆく。左(ひだり)の脇(わき)仲達(ちうだつ)をひつ挟(はさみ)睨(にらみ)まはして、

「小倅共(こせがれども)、ざは/\すると這厮(こいつ)から」

と先(せん)をとられて小〓〓(わや/\ども)、

〈詞〉「白癩(びやくらい)/\ごきうかぬれ」

と、仇(かたき)をとるより徳利(とくり)酒(ざけ)、無音々々(ぶをん/\)と〈フシ〉閉口(へいこう)する。

 此方(こなた)の店(みせ)の物陰(ものかげ)にかたづを呑(のん)で曹孟徳(さうまうとく)ねらひの手鏡車屋(てびやくるまや)がすかさぬ桿棒(よつばう)打落(うちをと)され腕(うで)くびさすり顔(かほ)を醜(しかめ)て怒声(いかりごへ)、

〈詞〉「をのれ何(なに)やつ。小指(こざし)出(で)て、是(これ)がなんと見ていられう。車(くるま)を売(うつ)た得意(とくゐ)の旦那(だんな)。おまへにほんとやらしては代金(だいきん)の請取所(うけとりどころ)がないてや。〈地〉何国迄(いづくまで)も御供(とも)し、価(あたひ)を受取(うけとり)此(この)砌(みぎり)大事(だいじ)の物(もの)は内(うち)に置れぬ。百官(ひやくくわん)百司(ひやくし)輿服(よふく)の格式(かくしき)。禁裏様(きんりさま)から戴(いたゞひ)た書(かき)もの。〈地ウ〉首(くび)にもかへぬ袱包(ふろしきづゝみ)」

と、〈クワンウチウダツヲセナニカヅク〉わゆがけられて〓(ちう)とも仲達(ちうだつ)、出(で)るに《手ヒヤトリマハシ又手ヲサスル》出(で)られぬ些(そつ)とも曹操(さうさう)、

「きつと諸葛(しよかつ)が文(あや)なす手織時(てをりとき)ぞ」

と思(おも)へ。折々(をり/\)漢(かん)に代(かは)れる夏衣(なつい)も着好(きよき)麻(あさ)の細布(ほそぬの)早晩(いつしか)に擣(うつ)や砧(きぬた)の音(ね)も貴(たか)き、錦(にしき)は〈チウダツヲハナスチウダツヘタルサウクワン見合テカホキル〉蜀(しよく)の名物切(めいぶつきれ)洗(あらへ)ば猶(なを)も光(ひかり)あり。

〈呉服/文織〉時代三国志第一終

〈呉服/文織〉時代(じだい)三国志(さんごくし)第二

《地 ナミノマク ゼンゴウミ 舟大小三ザウ》本朝(ほんちやう)十五代(じふごだい)の英主(ゑいしゆ)神功皇后(じんごうくわうごう)気長足姫(いきながたらしひめ)、熊襲(くまそ)の国(くに)を撃(うち)しずめ、其機(そのき)に乗(のつ)て武(ぶ)を輝(かゞやか)し、新羅(しんら)御征伐(ごせいばつ)の御船出(おんふなで)。冬(ふゆ)の初(はじめ)の三日(みか)の潮(しほ)さして筑紫(つくし)のうなばらや、和珥津(わにつ)の〈フシ〉沖(おき)に風待(かぜまち)ある。武内(たけうち)の臣(しん)軍令(ぐんれい)をつかさどり、吉備(きび)の鴨別(かもわけ)・大友(おほとも)の金村(かなむら)を始(はじめ)とし、いづれも甲冑(かつちう)頬(ほふ)あては武内流(たけうちりう)の利(り)かたの身固(みがため)。鴨別(かもわけ)の臣(しん)謹(つゝしん)で

〈詞〉「誠(まこと)に御軍(みいくさ)の向(むか)ふ所(ところ)敵(てき)なく、羽白(はじろ)の熊鷲(くまわし)土蛛(つちぐも)夏羽(なつは)つゞきて敗北(はいぼく)行衛(ゆくゑ)なく、筑紫(つくし)の害(がい)を除(のぞ)き給(たま)ふ御武徳(おんぶとく)。進退(しんたい)人和(じんくわ)の新羅責(しんらぜめ)。乾珠(かんじゆ)満珠(まんじゆ)の美徳(びとく)をくはへ御勝利(ごしやうり)は掌(たなごゝろ)。しかしなから常(つね)には秘(ひ)する御宝(おんたから)、何(なに)とぞいさゝか試(こゝろみ)て安堵(あんど)仕(つかまつ)リたき両(ふたつ)の珠(たま)。万一(まんいち)急(きう)なる場(ば)に臨(のぞ)み、水(みづ)が湧(わか)ぬか潮(しほ)が乾(ひ)ぬかで、味方(みかた)の手当(てあて)違(ちが)ひては大難義(おほなんぎ)。武内(たけうち)の臣(しん)も出船(しゆつせん)以来(いらい)帷幕(ゐばく)の内(うち)に引篭(ひきこもり)、対面(たいめん)無(なけ)ればかた%\以(もつ)て心(こゝろ)となし。叡慮(ゑいりよ)〈フシ〉いかゞ」

と奏(さう)すれば、御簾(ぎよれん)を捲(まか)せ勅詔(ちよくじやう)あり。

「何事(なにごと)も武内(たけうち)が軍略(ぐんりやく)。必(かなら)ずうたがふことなかれ」。

「ハツハ、綸言(りんげん)かへすに似(に)たれ共(ども)、上様(うへさま)も姫御子(ひめみこ)なれば恐(おそ)れながら叡察(ゑいさつ)とゞかせ給(たま)はぬこと多(おほ)かんめれ」

と心(こゝろ)を用(もちゆ)る評議(ひやうぎ)の軍政(ぐんせい)。角(かく)と聞(きい)てや後陣(ごぢん)の船(ふね)、幕(まく)しぼらせて武内(たけうち)の臣(しん)。諸臣(しよしん)に向(むか)ひて揖譲(いつじやう)し、

〈詞〉「もはや日本(にほん)の地(ち)をはなれし此(この)御船(みふね)、今(いま)はいづくに漏(もれ)きかん。語(かた)る軍機(ぐんき)を〈ハル色〉よく聞(きか)れよ。夫(それ)大国(たいこく)の拠(よりどころ)は山水(さんすい)の二ツにあり。〈地〉神代(かみよ)のむかし火(ほ)の酢折(すおり)の尊(みこと)、海(うみ)をも陸(くが)をも治(おさ)めかね、弓(ゆみ)に易(かゆ)れど獲物(ゑもの)なく釣(つり)に還(かへ)れば海利(かいり)を失(うしな)ひ、瑞穂(みづほ)の国(くに)の徳(とく)備(そなは)らで、浮沈(ふちん)のあひだに〈フシ〉苦(くる)しみ給(たま)ひ、火火出見(ほゝでみ)の尊(みこと)にへり下(くだ)り、賎(やつこ)となつて俳優(わさをぎ)は手馴給(てなれたま)ひし〈スシ〉口(くち)をしさ。陸(くが)の徳(とく)を乾珠(かんじゆ)と譬(たと)へ、海(うみ)の徳(とく)を満珠(まんじゆ)に表(たぐへ)、八洲四海(はつしうしかい)に〈ハル色〉及(およぼ)す心法(しんほふ)。匱(はこ)の内(うち)なる和国(わこく)の宝(たから)と外国(そとくに)を畏(をそれ)れしめ、敵(てき)を〓(おさ)ゆる〈半ノリ〉方便計略(はうべんけいりやく)。責(せめ)かたの進退(しんたい)は兼(かね)て修練(しゅれん)の鴨別(かもわけ)の臣(しん)。軍配(ぐんばい)取(とつ)て御手柄(おてがら)あれ。〈地中ヲニ〉大友(おほとも)の臣(しん)はこれより帰国(きこく)し後詰(ごつめ)の手配(てくばり)。御帰陣(ごきぢん)に引(ひき)ちがへ透(すき)をあらせず高麗(こま)百済(くだら)討手(うつて)を蒙(かふむ)る武内(たけうち)甘内(うまち)。むかふ時限(じげん)の違(ちがは)ぬやうに対談(たいだん)あれ。船(ふね)の用意(ようい)」

と〈フシ〉指図(さしづ)の詞(ことば)。

《カナムラフネニウツル》「いかに隊将(たいしやう)の面々(めん/\)、此函(このはこ)にこめたるはしかまの蜑(あま)。名草(なぐさ)が撈(かづき)し名月(めいげつ)の珠(たま)。乾珠(かんじゆ)とも満珠(まんじゆ)とも眼(まなこ)を泛(ひろく)見給(みたま)へ」

と、函(はこ)をひらけば、今既(いますで)に暮(くれ)わたりたる海原(うなばら)に、かゞやく光(ひかり)雲(くも)に入リ遠(とを)きをてらす〈ノリ〉古今(ここん)の名玉(めいぎよく)。《竹内カナムラノ舟一ドニマクヲロシ カナムラノフネコギモドス》折(をり)に順風(をひて)の吹初(ふきそむ)る碇(いかり)をひけとゑい/\ごへ。

〈木ヤリ〉「晴好日(はれよいひ)やな。晴好日(はれよいひ)やな。御出(おいで)船(ふね)」

といふ波(なみ)に櫨楫(ろかい)も労(らう)せぬ威徳(いとく)の大風(たいふう)。遙(はるか)の海上(かいしやう)時(とき)の間(ま)に矢(や)を射(い)るごとく〈三重〉《シンラ シロノカゝリ》押(をし)て行(ゆく)。数千(すせん)の軍船(ぐんせん)海水(かいすい)をせき、沖風(をきかぜ)に吹(ふき)あげられ、満水(まんすい)陸(くが)に上(あが)ること、新羅(しんら)始(はじま)り覚(おぼへ)ぬ珍事(ちんじ)と、国王(こくわう)番山君(ばんざんくん)大(おほひ)に恐(おそ)れ、臣等(しんら)微斯(みし)欣知(こんぢい)波珍(はち)干岐(かんき)評定(ひやうじやう)いまだをはらぬに、遠(とを)く聞(きこ)ゆる征鼓(せめつゞみ)。外辺(ぐわいへん)守護(しゆご)の官人等(くわんにんら)追々(をひ/\)逃来(にげきた)り、

「海上(かいじやう)一面(いちめん)旌旗(せいき)に覆(おほ)ひ、日本(ひのもと)の神卒(しんそつ)攻来(せめきた)り。武勇(ぶいう)名高(なだか)き武内(たけうち)、干珠(かんじゆ)満珠(まんじゆ)を船首(へさき)に捧(さゝ)げ、鬼(おに)に金棒(かなばう)竜(りやう)に水(みづ)、他国(たこく)の海(うみ)を乾(ほ)しとりて此国(このくに)を浸(ひた)すぞと、騒(さは)ぎ立(たち)たる民(たみ)の習(なら)ひ。珠(たま)のひかりのたび/\につれて見(み)る/\水(みづ)やそら。飲(のむ)もいや渇(かはく)もいやな世(よ)の中(なか)に、これはならぬと熊川(こもかは)すて、我先(われさき)逃(にげ)るを東莱山(とくねぎやま)、鴨緑川(あいなれがは)を飛(とび)こへて催促(さいそく)に応(おう)ずるもの一人も候はず。今(いま)かなはぬ御思案(ごしあん)」

と〈フシ〉勢気(せいき)尽(つき)たる注進(ちうしん)に、国王(こくわう)大力(おほひちから)を落(をと)し、

「これ迄(まで)呉国(ごこく)にしたがへ共(ども)、此上(このうへ)は古代(こだい)のよしみ、大日本(だいにつほん)に帰参(きさん)するが理(り)の当然(たうぜん)」

と一決(いつけつ)す。

 程(ほど)なく四方(しはう)に兵船(ひやうせん)充(みち)て、旗風(はたかぜ)耳(みゝ)を〓栗(びり)つかせ、責鼓(せめつゞみ)喊(とき)の声(こへ)国中(こくちう)振(ふる)ひうごかせり。降参(こうさん)の旗先(はたさき)に立(たて)

「新羅(しんら)国王(こくわう)日本(につほん)の隷(やつこ)」

と書付(かきつけ)、国王(こくわう)自(みづから)縛(ばく)にかゝり、御船(みふね)に向(むか)ひ頭(かしら)を叩(たゝ)き、

〈平ユリ〉「今(いま)より乾坤(あめつち)あらん限(かぎ)り、あひなれ川(がは)は逆(さかしま)に流(なが)るゝ共(とも)、船(ふね)の柁(かぢ)乾(ほす)ひまなく、春秋(はるあき)の貢物(みつぎもの)、〈平ユリ〉怠(をこた)るまじ」

と、〈地色〉重(おも)き誓(ちかひ)を聞(きこ)し召(めし)、皇后(くわうごう)御船(みふね)を下(を)りさせ給(たま)ひ、

「此(この)三韓(さんかん)は我(わが)昔(むかし)素盞推尊(そさのをのみこと)牛頭香君(ごづこんきみ)ひらき給(たま)ひし属国(したくに)。今又(また)討取(うちとる)其地(そのち)には制度(しをき)の表(ふだ)を建(たつ)るが軍例(ぐんれい)。よく心得(こゝろゑ)よ」

とつかれし御戟(みほこ)を門外(もんぐわい)の岩上(がんしやう)に、一(ひと)ゆりゆつて突建給(つきたてたま)ふ。軍慮(ぐんりよ)もちからも〈フシ〉足力男(たらちを)まさり。波珍(はち)干岐(かんき)すゝみ出(いで)、

「我(われ)は元来(ぐわんらい)呉国(ごこく)の監者(つけびと)陳潘章(ちんばんしやう)。是迄(これまで)付属(ふぞく)の新羅国(しんらこく)眼前(がんぜん)に表(ひやう)を建(たて)さす事、あまりといへば口惜(くちをし)」

と、立寄(たちよつ)て抜(ぬき)とらんと不敵(ふてき)に御矛(みほこ)に手(て)を触(ふる)れば、〈コハリ〉忽(たちまち)天地鳴動(てんちめいどう)し、さしもの悍勇(かんいう)眼(まなこ)くらみ反張(そりかへり)てぬたれふす。皇后(くわうごう)莞尓(くわんじ)とゑませ給(たま)ひ、

「忝(かたじけなく)も此(この)広〓(ひろほこ)は大已貴(おほあなむち)の尊(みこと)天孫(てんそん)に奉(たてまつ)りし形(かたち)を模(も)せし国(くに)の霊器(れいき)。身(み)の程(ほど)しらぬ頑(かたくな)ゑびす、ゆるし得(ゑ)さす」

と詔(みことのり)。耳(みゝ)に入(いり)しや、陳番章(ちんばんしやう)夢(ゆめ)みし如(ごと)く起上(をきあが)り、心驚(こゝろおどろ)き肝(きも)ふるひ、はるかさがつて頭(かしら)をさげ、

「かゝる威徳(ゐとく)の神国(しんこく)に誰(たれ)かは背(そむ)き奉(たてまつ)らん。国(くに)に帰(かへ)りて我主(わがしゆ)に達(たつ)し、呉国(ごこく)の名物(めいぶつ)織女(をりひめ)女工(ぬひめ)貢(みつぎ)として奉(たてまつ)らん」

と我慢(がまん)くだけし心の発起(ほつき)。近(ちか)きをゆるし遠(とを)きを馴(なつく)るは治安(ちあん)の業(わざ)。

「呉国(ごこく)にかへらば角(かく)と告(つげ)よ。我(わが)海国(かいこく)は神代(かみよ)より海(うみ)の才(さい)ある船軍(ふないくさ)。へさきをむけなば一(ひと)ひしぎ。及(およ)ばぬ雲(くも)ゐ

〈挿絵半丁〉

を詠(ながめ)んより呉国(ごこく)の足許(あしもと)危(あやふ)し/\。我(わが)神国(しんこく)に帰伏(きふく)して、たつみの風(かぜ)の恵(めぐみ)を受(うけ)よ。此水襷(このみづだすき)はかけまくも檍(あをき)がはらに水(みづ)くゞりし、神(かみ)の遺制(いせい)を賜(たまは)るあひだ、いへづとにせよ。それ/\」

と、和布(わふ)に制(せい)せし菅包(すがつゝみ)押(をし)いたゞき/\、《宝舟アマタ出ス》むねんもさらに面目(めんぼく)と〈フシ〉本土(ほんど)を指(さし)て立帰(たちかへ)る。

 新羅(しんら)の上物(あげもの)土産(どさん)の綾羅(りやうら)珍奇(ちんき)の数(かず)。八十船(やそふね)に積(つみ)あげて御船(みふね)に従(したが)へ奉(たてまつ)る。帰陣(きぢん)の擁護(おうご)神風(かみかぜ)のうち吹返(ふきかへ)すしなどかぜ。すゝむも引(ひく)もはやちの機変(きへん)、御吹抜(おんふきぬき)の見(み)ゆるまで御船(みふね)を見(み)送り奉(たてまつ)り、

〈舟ウタ〉「永(なが)く下風(かふう)に太刀風(たちかぜ)の〈ハル〉袋(ふくろ)に収(おさま)る神功(じんこう)は後(のち)の世(よ)にまでも、〈三重〉吹(ふき)つたふ」。

《ヤカタカゝリ ヲリハタノカサリヲリヒメノ少女二三人神前アリ》〈フシ〉七ツ八ツにて糸(いと)くりならひ今(いま)は都(みやこ)で錦織(にしきをる)、〈地〉所(ところ)の名(な)さへ糸(いと)による平郡(へぐり)の里(さと)、志貴機(しきはた)たてし其昔(そのむかし)、武内(たけうち)の館(やかた)に命(めい)ぜられ機織(はたをり)五音(ごいん)を習(なら)はせらる。始(はじめ)を開(ひら)く〈フシ〉世(よ)のいさをし、

〈詞〉「扨(さて)も/\器用(きよう)な御衆(おしゆう)。〓(ひ)もはしる糸(いと)もつゞく。織上(をりあげ)の此匹(このひき)大分(だいぶん)地組(ぢぐみ)が卓(しまつ)て、上々の大和錦(やまとにしき)が出来(でき)るぞ。些(ちと)休息(きうそく)」

といふ声(こへ)に機楼(あやだな)下(をり)る文織(あやはどり)、呉服(くれは)もろとも手(て)をやすめ、

「ホンニ此御国(おくに)の姫(ひめ)ごぜは受取(うけとり)が早(はや)ひ。追付(おつつけ)こちらが後(あと)へよろ」。

「サアそれいな」。

「ソレヨ、文織(あやは)さんに問(とは)ねばならぬ。この織物(をりもの)の辺維(をりたし)に、宮中(きうちう)府中(ふちう)一体(いつたい)と八部字(はちぶじ)を命(めい)じ給(たま)ふ心(こゝろ)ばへ」。

「サレバわしも字(じ)を入レながら案(あん)じて見(み)たが、御事(おんこと)多(おほ)き折(をり)からと思召(おぼしめし)、奥(おく)ふかく召(め)す御衣(みけし)も、大臣(だいじん)方(がた)の職事(しきじ)に召(めさ)るゝも、紋(もん)こそかはれ同(おな)じ地組(ちぐみ)との、印(しるし)かいな」

と判(はん)じることばを聞(きゝ)、呉服(くれは)、

「げに有難(ありがた)き叡慮(ゑいりよ)や」

〈スヱテ〉と思(おも)ひ入(いり)たる風情(ふぜい)なり。〈詞〉扨(さて)織物(をりもの)と違(ちが)ひ不埒(ふたり)なは、弐人(ふたり)して教(おしへ)るおのこ御(ご)のよみこへ、

「サア/\津能殿(つのどの)三輪殿(みわどの)よんだ/\。曹奇(さうき)も一所(いつしよ)にけいこじや。よまつしやれ/\。『大学(たあや)之道(つうたん)在明明(つあいみんみん)徳(てき)在親民(つあいしんみん)、在止於(つあいつういゆい)至善(てつぜん)』。それはぜん/\にあとへもどる。ま一反(ひとかへし)も読(よん)だ/\」。

「ハイ/\、タカイヤマカラタニソコミレバ、サテモミゴトニヌノサラス」。

「是(これ)はしたりかはつたことをいふてじや。シタガ今日(けふ)は武内(たけうち)様(さま)の御機嫌(ごきげん)も勝(すぶ)れぬよし、それまでにして置(おか)つしやれ」。

「サア、賢(さかし)どの呉音(ごをん)の稽古先生(けいこせんせい)がかはります。それ/\、そこへ読(よん)だ/\」。

「アイ/\、『大学之道(だいかくしだう)、在明明徳(ざいみやうみやうとく)、在親民(ざいしんみん)、在止於至善(ざいしおしぜん)』、いやもふどふも口(くち)が廻(まは)ることではない。余所(よそ)で習(なら)ふたのは御経(おきやう)のやうになふて、『大学(だいがく)の道(みち)は明徳(めいとく)を明(あきらか)にするにあり』とあひだにテニヲハガ入れてあつてよみやすい」。

「成程(なるほど)口(くち)なれぬ音(おん)でなんぎは道理(だうり)じやが、いはゞ不器用(ぶきよう)なお衆(しゆう)じやぞや。自(みずから)は此(この)御邦(おくに)へ参(まひつ)てあひだはなけれど、独聞(ひとりきゝ)おぼへたを歌(うた)ふてきかそ。『かんわるナまいんぞやナアフ/\、たけのふしはナアア、とんめんてとまらぬナアア、いんとのみちかなんじやへ』」

と、歌(うた)ふうちから津能(つの)と三輪(みわ)

「わあい/\、おかしや/\。モすつきりとなまつてじや。しまひのなんじやへは、はへぬきの参宮平(さんぐうへい)じやぞへ」

と、はらをかゝへておかしがる。

「ソノ参宮平(さんくうべい)とはなんのこと」、

「ヤそれはあした来(き)ておしへてあげふ。けふはおいとま/\」

と〈フシ〉皆(みな)惣立(さうだち)に立出(たちいづ)る、

〈詞〉「文織(あやは)さん、聞(きい)てかへ。口卒(こうそつ)な弟子衆(でししゆう)、悪口(あくこう)ばかり達者(たつしや)で、漢音(かんをん)も呉音(ごをん)もこゝではあかぬ物(もの)じやなあ。私(わたし)も誠(まこと)に思(おも)ひ立(たつ)て此国(このくに)へ渡(わた)らんと呉国(ごこく)にたより。千〓高〓(ちはたたかはた)をりならひ、渡海(とかい)の道(みち)にて筑紫(つくし)の山賊(さんぞく)土蜘(つちくも)夏羽(なつは)にとらはれ、死(し)すとも男(おとこ)はもたぬ性根(しやうね)夏羽(なつは)が見ぬいて兄弟(きやうだい)の約束(やくそく)し、村津姫(むらつひめ)と名(な)をつけて山門(やまど)の塁(かまへ)に立(たて)こもり、手下(てした)の荒男(あらおとこ)を引(ひき)まはし、希有(けう)な身分(みぶん)になり行時(ゆくとき)、上(うへ)さまの御軍(みいくさ)が向(むか)ひ、夏羽(なつは)はのがれ、身(み)は生捕(いけどら)れ、助(たすか)りがたき場(ば)に成(な)りて、渡海(とかい)せし始終(しじう)の身(み)の上(うへ)委敷(くはしく)申上(もふしあげ)しかば、命(いのち)を助(たすけ)け此(この)府中(ふちう)におまへと一所(いつしよ)にをかるゝは、わけがあれども今(いま)はいはれぬ」。

〈地ウ〉「私(わたし)はもと名(な)もなきもの。蔡〓(さいゑん)さまは歴々(れき/\)で文姫(ぶんき)と人(ひと)によばるゝ御身(おみ)。幼(おさなき)をつれまして此国(このくに)へはどうしたこと」。

〈詞〉「ヲツヲわけが無(な)ふてなんとしやふ。貂蝉殿(ちやうせんどの)、わらはが父(ちゝ)蔡中郎(さいちうらう)は魏(ぎ)の曹操(さうそう)の一比(ひところ)は牛医者(うしゐしや)して、孟徳(まうとく)といふ時(とき)からとなりとし、狡猾(おうちやく)な人(ひと)なれど、見こみがあると大ぶん世話(せは)をやかれしが、其折(そのをり)しも戎(ゑびす)の乱入(らんいう)。多(おほ)くの男女(なんによ)を掠(かすめ)ゆく。わらはもまかれてあまさがる、鄙(ひな)もひなとて匈奴(きやうど)の戎(ゑびす)、左賢王(さけんわう)が手(て)に渡(わた)り、男(おとこ)もたねばならぬになり、弐人(ふたり)の男子(なんし)を産落(うみをと)し、其所(そこ)に一生(いつしやう)住(すむ)ことかと、思(おも)ふになまなか曹孟徳(さうまうとく)出世(しゆつせ)して漢帝(かんてい)の命下(めいくだ)り、とちかへさるゝは国の大義(たいぎ)私(わたくし)ならず。漢土(かんど)に帰(かへ)る、〈地色〉わしがやうなすこびた者でも、ひよつと色香(いろか)があつてかと、思(おも)ひの外(ほか)に爺(てゝ)おやの懇意(こんゐ)をうけたる恩(をん)がへしと、董祀(とうし)が妻(つま)に媒(なこど)して、年(とし)もたらぬに死(しに)をくれ、魏国(ぎこく)の府中(ふちう)にかへりすみ、忘れかたみの胎内(たいない)も曹氏(さうし)を名(な)のり家(いへ)立よと、行末(ゆくすへ)までも親切(しんせつ)なるに、〈詞〉二とせ過(すぎ)ての平産(へいさん)は、世間(せけん)の口(くち)に戸(と)がたゝず、曹操(さう/\)の子(こ)といふは必定(ひつじやう)頼(たの)もしづく。かけくのこと英雄(ゑいいう)たちの笑(わら)ひぐさ。其上(そのうへ)漢土(かんど)は国古(くにふり)ても人気(にんき)濁(にご)りて誠(まこと)なし。乱世(らんせい)に智(ち)を用(もち)ゆれば佞人(ねいじん)と人(ひと)に

〈挿絵半丁〉

悪まるゝ。せめて此子(このこ)は君子国(くんしこく)大日本(だいつぽん)の民(たみ)となし、誠(まこと)の人にそだてよと、番夷邸(ばんゐてい)に命(めい)を下(くだ)し、此子(このこ)をつれて便船(びんせん)もとめ、幾重(いくゑ)の波路(なみぢ)をしのぎし」

〈地中〉と、咄し半(なかば)へ、小(こ)しぎ姫(ひめ)、抱(だ)かれし君(きみ)が懐(ふところ)から文織(あやは)見知(みし)りて手(て)を出(だ)して、抱(だか)れるなれの子(こ)かはゆがり、

「今(いま)の弐人(ふたり)の咄(はな)しのやう、唐音(とういん)で聞(きゝ)わからねど、姫(ひめ)ごぜは大(おほ)かた同(おな)じ世(よ)のうきふし、武内様(たけうちさま)の御病気(ごびやうき)に、御介抱(ごかいほう)と《此子名ヲツケバトリヒコト言ベシ》うぶ子(こ)を引(ひき)つれ、つい来(き)たまゝではや二(ふた)とせ。なぜもどさぬと夫(おつと)のふきげん。〈地ウ〉それから品々(しな%\)こと起(おこり)、あいやけどしのいしふしひそ/\、〈詞〉たとへ離縁(りゑん)になるとても此子(このこ)はわらはがもらひぶん、姫(ひめ)ごぜなれど博学(はくがく)な文織(あやは)殿(どの)、どうぞおまへの子(こ)にもらふて下されぬか」。

「アノもつたいない。戎(ゑびす)のわたしが甘内(うまち)様(さま)の御子(みこ)をもらふて其しまひがつくものか。常(つね)からいとしぼふ存(ぞん)しますれば、憚(はゞかり)ながら我子(わがこ)より御大切(ごたいせつ)にぞんじます」。

「御辞退(ごじたい)は尤(もつとも)さもあらんが、是(これ)には内々(ない/\)。アレ鈴(すゞ)がなる。後(のち)にや」

といそぎ立入(たちい)る。〈フシ〉其跡(そのあと)へつか/\出るさかし小(こ)ざか。

「コレハもふいんでかと思(おも)へば」

と驚(おどろ)く文織(あやは)に打向(うちむか)ひ、

「女房(にようばう)無事(ぶじ)であつたか。此(この)間(あひだ)送(おくつ)た密状(みつじやう)定(さだめ)て見(み)るらん」。

「イヤコレ女房(にようばう)といはるゝ覚(おぼ)へないぞ。一旦(いつたん)国(くに)のみだれにあひ、思(おも)はぬ夫婦(ふうふ)子(こ)もあれど、縁(ゑん)無(なけ)ればこそ国法(こくはう)にて離別(りべつ)して本土(ほんど)に復(かへ)り、再縁(さいゑん)求(もとめ)し此(この)文姫(ぶんき)」。

「かまはぬことじやが、思慮(しりよ)あさき生(うま)れつき。此(この)日東(につとう)にさまよふは、コリヤ家国(いへくに)を失(うしな)ふたの」

と一本(いつほん)。さすれば一句(いつく)も出(で)ず、顔(かほ)をふくらし赤面(せきめん)す。こなたに小賢(かざか)が、

「コリヤ妹(いもうと)しらせの文(ふみ)の返事(へんじ)はどうじや」。

「何(なん)のへんじ所(どころ)か、こなさんみごとはづかしないか。悪逆(あくぎやく)募(つのり)、御軍(みいくさ)に責(せめ)られ、山門(やまと)の里(さと)を跡(あと)くらまし、女(おんな)ばかりを残(のこ)し置(おい)て、めしとられたるわらはを有難(ありがた)くも罪(つみ)をゆるされ、御用(ごよう)勤(つとむ)る身(み)のうへ。こなたまだ根性(こんじやう)がなをらぬか」

と、はぢしめられて

「ヲゝ、さすが女(おんな)のあさはか。姫みこの詞(ことば)にたらされ身につく富貴をしらぬな。悪(わる)ひことは言(いは)ぬ。共/\に力をそへ、病中の武内(たけうち)透(すき)まを見てさし殺(ころ)せ」。

「ヲゝこはい事いふ人や」

と出来ぬ相(さう)談。

 表(をもて)より

「御客/\」

といふ声(こへ)に奥(をく)と口とへ足(あし)ばやき、〈地〉筑紫(つくし)の宮(みや)より長途(ど)の露髪(ろはつ)上下(しやうげ)の略服(りやくふく)つけなれて、

「甘内(うまち)の宿称(すくね)御(ご)用に付、只(たゞ)今上都仕る」

と聞(きい)て出迎ふ女房(にようばう)小しぎ、〈地〉あんじくらせし年(とし)月も武内の家老(からう)〈フシ〉笠(かさ)目の〈フシ〉五百里(いをり)無事(ぶじ)の恐悦相述る。

〈詞〉「ヲゝ皆(みな)折(せつ)角あんじてくれたで有(あろ)ふ間がら」

と、〈地〉巧(たくみ)をうづんで甘(うま)内の臣(しん)。

「誰(たれ)が無事(ぶじ)でも、武内(たけうち)殿の御病体(ごびやうてい)、女房(にようばう)いかゞ」

と尋(たづぬ)れば、

「とかくすぐれず。日々(ひゞ)のおとろへまちかねてござつたが、どうも御目にかゝられぬ」

とそれをいかふ気の毒(どく)がり、

「イヤ気の毒は拙者(せつしや)十倍(ばい)。已(すで)に君(きみ)御出船(しゆつせん)の節(せつ)、新羅(ら)御平(たいらげ)の後(のち)還御(くわんぎよ)に引ちがへて、高麗(らい)百済(はくさい)の御征伐(せいばつ)。追討使(ついたうし)は武内殿

〈挿絵一丁〉

とそれがし承(うけたまは)る。病気ならば御辞退(ごじたい)もあるべきに、さもなくてまだ用意(ゐ)もなし。世上の雑説(ざつせつ)に武内(たけうち)御軍勢(ぐんぜい)をあづかり、其うへに三韓(かん)を我手(わがて)にしたがへ、御留守(おるす)を幸(さいはい)にむほんあると風聞す。それがしにも立(たち)こへてとも%\に実否(じつひ)正(たゞ)せと船(せん)中よりの勅命(ちよくめい)。勅使をおつ付むかふはづ。よもやと思へどしれぬは人心(にんしん)」

といふをいはせず女房(ばう)が、

「是はあられぬ御疑(うたが)ひ。さやうな武内(たけうち)ではござり申せぬ」

と、一家(いつけ)がいに只一(ひ)トこと取なしもせず。いしこさふぎんみやく、

「また上(うへ)さまにもうらめしい。臣下(しんか)も臣下によるもの」

と、夫(おつと)をはげまし君(きみ)をうらみかなしみあらそふ折からこそあれ、

「勅使(ちよくし)御入リ」

と先(さき)ばしり輿(こし)を離(はなれ)れて入来る。

 〈地〉大友(おほとも)の金村器量(きりやう)骨(こつ)がら股肱(こかう)の臣(しん)。着座するより、

「武内は病中とな。〈詞〉家(いへ)の子共〓に承(うけたまは)れ。武内の臣(しん)反逆(ほんぎやく)の風聞万民の心を穏(をだやか)ならず。数代(すだい)の忠臣いかでさあらんと思召(おぼしめせ)ども、親類(しんるい)の甘内(うまち)慥(たしか)の首訴(そにん)によつて、只今(たゞいま)それがしが立向(たちむか)ひ、武内(たけうち)守護(しゆご)し奉(たてまつ)る、三種(さんじゆ)の神器(じんぎ)、御安座(ごあんざ)の宝前(はうぜん)にて、熱湯(ねつたう)をさぐらせ、両人(りやうにん)の虚実(きよじつ)糺(たゞ)せとの勅命(ちよくめい)なり」

と、聞(きい)て驚(おどろ)く家内(かない)より、思(おも)ひがけぬは甘内(うまち)の臣(しん)。ぎよつとせしが臆(おく)せぬことば、

「それがしは何時(なんどき)でも、病中(びやうちう)の武内(たけうち)、さやうにはげしき誓(ちかひ)の相手(あひて)、心(こゝろ)もとなく存(ぞんず)る」

とをくれぬ顔(かほ)も色定(いろさだま)らず。〈地〉大炊寮(おほひりやう)の官人(くわんにん)ども、大(おほ)のくどこに鼎(かなへ)をかけ、はこびたゝゆる熱湯(ねつたう)に薪(たきゞ)を加(くは)へ、焼火(たくひ)のあかり。くらむは心(こゝろ)飛(と)ばしる湯玉(ゆだま)。甘内(うまち)歯(は)の根(ね)もあひかぬれども、武内(たけうち)よしやと思(おも)ふが力(ちから)、つよい顔(かほ)するそらわきみ。文織(あやは)つか/\立(たち)よつて、

「病中(びやうちう)といひ御老体(らうたい)の武内公(たけうちこう)かゝるするどき探湯(くがだち)をなさしめ給(たま)ふは、恵(めぐ)みすくなき叡慮(ゑいりよ)。憚(はゞかり)ながら此(この)文織(あやは)が御代(おかは)リに立(たつ)て湯起請(ゆきしやう)、甘内様(うまちさま)いざ御相手(おあひて)」

といへど、いさゝかとりあへず、〈詞〉いはれざる物(もの)ずき女(おんな)の対手(あひて)に甘内(うまち)の臣(しん)

「ならぬ/\、ソレハ御比興(ごひきやう)畏(こは)くはおまへ讒言(さかしら)に極(きはま)リまするがな。イヤ縁類(ゑんるい)の内(うち)からなんのざんげん。見届(みとゞけ)た事(こと)あつて身(み)はれのそにんさ。然(しから)ば早(はや)く御誓(おんちかひ)」

と手(て)づめになりて返答(へんたう)に口(くち)ごもりたる傍(かたはら)より、何(なに)思(おも)ひけん呉服(くれはどり)、甘内(うまち)の臣(しん)の探(さぐ)り湯(ゆ)の代(かは)リに立(たつ)は此呉服(くれは)、《クレハアヤハ片ハダヌグ 下ハカラノフク事スミテカタイレル》

「いざ御相手(おあいて)」

といふ顔守(かほまも)り、

「コリヤくれはどの、頓興(とんきやう)なあじやらではない。ほんまのあつ/\、耳(みゝ)つまんだ分(ぶん)では直(なを)らぬぞや。ムム心中(しんぢう)見(み)せて又(また)誰(たれ)ぞを行(ゆき)つかすのじやなひかや」。

「おいておくれ。色(いろ)けはなれた此(この)呉服(くれは)、異国者(いこくもの)でも二心(にしん)ない。誓(ちかひ)の湯(ゆ)だては胸(むね)にある」。

甘内(うまち)の臣(しん)ゑせわらひ、

「取(とり)をけ/\女(おんな)ばら。焼傷(やけど)しやふが行水(きやうずい)しやふがそれはかまはぬ。身(み)が名代(みやうだい)まけて見(み)よ。それがしがかぶりになる」

とかぶりふりて合点(がてん)せず、とあつて

「むざ/\ひかれまい、ノフくれはどの」。

「イカニモあやはどの、いざ」

と互(たがひ)に声(こへ)かけて、已(すで)にさぐらんつら魂(だましひ)、小(こ)しぎ姫(ひめ)は声(こへ)高(たか)く

「弐人(ふたり)の女(おんな)本心(ほんしん)見(み)へた。帝様(みかどさま)の御計略(ごけいりやく)これははあやはがかくしめしろ。文織(あやは)は呉服(くれは)に心(こゝろ)を付(つけ)よ」

と入(いれ)ちがへての目見(めみ)の役(やく)。又其横目(そのよこめ)は此(この)小(こ)しぎ。朝廷(ちやうてい)の御恵(おんめぐみ)に異心(いしん)なき条(じやう)起請(きしやう)に及(およ)ばぬと聞(きい)て両女(りやうぢよ)が悦(よろこ)び涙(なみだ)、心落(こころをち)つくいさみ顔(がほ)。金村(かなむら)大(おほい)にいかり声(ごへ)。

「女(おんな)におとつた甘内(うまち)の臣(しん)。勅使(ちよくし)のはからひ違背(いはい)は無礼(ぶれい)。神器(じんき)照覧(しやうらん)の階前(かいぜん)。自身(じしん)なりとも代人(だいにん)なりとも早(はや)く/\」

とせめられても、

「いやしき御勅使(おちよくし)、わかい御合点(ごがてん)。誓(ちかひ)を立(たつ)る神(かみ)は日(ひ)の本(もと)。漢土(かんど)の女(おんな)に賞罰(しやうばつ)心元(こゝろもと)なし。武内(たけうち)に仰付(おほせつけ)られば何時(なにどき)でもよはみをつけ込(こむ)無物好(ないものごの)み。一間(ひとま)の内(うち)よりこへかけて武内(たけうち)の臣(しん)それへ参(まひ)つて湯起請(ゆぎしやう)」

と、病(やまひ)にやつれ行歩(ぎやうぶ)さへよろぼひ出(いで)てやう/\いなをり、勅使(ちよくし)へ向(むか)ひ一礼(いちれい)し、

「日本(ひのもと)の諸神(しよじん)、三種(さんじゆ)の神器(じんき)も照臨(しやうりん)あれ。武内(たけうち)夢々(ゆめ/\)も悪心(あくしん)なし、熱湯(ねつたう)氷室(ひむろ)の如(ごと)くなるべし。讒言(ざんげん)の発頭(ほつたう)甘内(うまち)いざ立(たち)めされ」

とのがれがたなく思案(しあん)を極(きは)め、病(やみ)つかれたる武内(たけうち)しかたぞあらんと立(たち)かゝり、見(み)れば誠(まこと)の武内(たけうち)ならず。をのれ形(かたち)のよく似(に)たるを以(もつ)て先年(せんねん)も影人(かげびと)となり、武内(たけうち)の物まねして人も真根子(まねこ)と異名(いみやう)の家(いへ)の子(こ)。

「扨(さて)は武内(たけうち)御船(みふね)にありながら、都(みやこ)にのこると人心(にんしん)をおさゆるための尸代(かたしろ)。誠(まこと)は供奉(ぐぶ)に極(きはまつ)たり。我(われ)大望(たいまう)の手始(てはじめ)によい血祭(ちまつ)り」

と抜手(ぬくて)も見(み)せず切つくる、心得(こゝろゑ)たりとぬき合(あは)せ、刃(やいば)を振(ふつ)て《上ノテスリヘアガル》よせつけじと初太刀(しよだち)によはる老木(おひき)のまねこ。金村(かなむら)にかけより後(うしろ)にかこひ

「甘内(うまち)の臣(しん)、謀反(むほん)じやな」

「ヲゝサ兼(かね)て忍熊(をしくま)〓坂(かごさか)の二王(にわう)と心(こゝろ)を合(あは)せ武内(たけうち)を讒奏(ざんさう)。こりやあぢにこけて、生死(いきしに)しれぬ湯起請(ゆぎしやう)。何(なに)もかも取置(とりをい)て命(いのち)おしくは金村(かなむら)下知(げち)について忠勤(ちうきん)せよ」

と、始終(しじう)を聞(きい)て、女房(にようばう)が狂気(きやうき)のごとく立(たち)よつて、

「情(なさけ)なき思(おも)ひ立(たち)。邪神(じやじん)の見入(みいれ)る浅(あさ)ましや。及(およ)ばぬことの身(み)しらず。早(はや)く詞(ことば)をひるがへし、罪(つみ)の御詫(おわび)を勅使(ちよくし)へ」

と、あせりなげくに目(め)もかけず、

「ヤア/\兼(かね)て味方(みかた)の熊鷲(くまわし)夏羽(なつは)かせい/\」

とよばはれば、かけくる弐人は賢(さかし)小賢(こざかし)肌(はだ)具足(ぐそく)に大太刀佩(おほたちはき)、なみ/\ならぬ其骨(そのこつ)がら。

「加勢(かせい)を頼(たの)む甘内(うまち)の宿称(すくね)。約束(やくそく)かためて身(み)かたせん。羽白(はじろ)の熊鷲(くまわし)とは野伏(のぶし)の綽号(そらな)。誠(まこと)は南匈奴(みなみきやうど)の左賢王(さけんわう)。本国(ほんごく)は失(うしな)ひたれ共(ども)、此土(このど)に渡(わた)リて出世(しゆつせ)の望(のぞ)み。夏羽(なつは)と言(いふ)は弟(おとうと)の右賢王(うけんわう)。心(こゝろ)を合(あは)せ筑前(ちくぜん)筑後(ちくご)に立別(たちわか)れ、辻切(つじぎり)強盗(ごうだう)多(おほ)くの徒党(とたう)をなびけしに、皇后(くわうごう)の大軍(たいぐん)に跡(あと)をくらまし、今(いま)の身(み)のうへ、提(さげ)たる快器(くわいき)は匈奴(きやうど)の秘術(ひじゆつ)。人(ひと)も殺(ころ)せば相図(あいづ)も自由(じいう)、一声(いつせい)ひゞかせ目前(もくぜん)に手勢(てぜい)を聚(あつめ)て片腕(かたうで)とならば、筑紫(つくし)を我(われ)に配分(はいぶん)するや、なんと/\と手詰(てづめ)の約束(やくそく)」。

「望次第(のぞみしだい)」

とうけがふ甘内(うまち)。呉服(くれは)臆(をく)せず進(すゝ)み出(いで)

「コレ夏羽殿(なつはどの)。人聞(ひとぎゝ)よい山をいふ手間(てま)で、甘内(うまち)を生(いけ)どり身をのがるゝがよささふに思(おも)はるゝ。ノフ文織(あやは)さん」。

「ソレイナ、かまはぬ事ながら国(くに)に子共(ども)も有(あり)さふな、親(おや)がみすてゝなんとならふ。共%\に身(み)を全(まつた)く故郷(こきやう)に還(かへ)る思案(しあん)を」

と、人を思ふも子(こ)を思ふ金言(きんげん)耳(みゝ)にいら猿智恵(ざるちゑ)。

「サア手はじめに勅使(ちよくし)から」

と立(たち)あがるをやりすごし、

「さふはさせぬ」

と小ぎ姫(ひめ)両手(りやうて)に弐人を引もどす。

「いはれぬ女(おんな)の腕(うで)だて」

とあなたこなたへ身(み)をよじり、引(ひき)はなさんと働(はたら)け共(ども)血筋(ちすぢ)を引(ひく)や力(ちから)こぶ、手(て)づよく弐人を取(とつ)て引敷(ひつしき)武内流(たけうちりう)のひざがらみ、取(とり)しめして動(うごか)せず、気(き)ばかりあせる荒男(あらおとこ)。艶々(つや/\)鬢(びん)のなめくじにすくめられたる烏〓(からすへび)せんかたなくぞ見へにけり。文織(あやは)呉服(くれは)は顔(かほ)見合(みあはせ)

「方角(はうがく)ひいきじやなけれ共、賢(さかし)小賢(こざかし)の悪心(あくしん)がつのる根(ね)ざしの甘内殿(うまちどの)《クレアヤモロハダヌグ》。からめ取(とつ)て勅使(ちよくし)の味方(みかた)」

と、両方(りやうはう)より立挟(たちはさ)み、なをざりならぬ才女(さいぢよ)のきてん、機(はた)の具(ぐ)取(とつ)て剱(つるぎ)をさゝへ付入(つけい)リ開(ひら)き勝手(かつて)の進退(しんたい)。後(うしろ)に金村(かなむら)席(せき)をさらず、色(いろ)も動(うご)かぬ大度(たいと)の国臣(こくしん)、みやる小しぎが心(こゝろ)はあぶ/\、

「コレ叶(かな)はずば一向(いつかう)逃(にげ)たがよひわいのふ」

と、のび上ル/\思はずたるむ油断(ゆだん)を見(み)て両人(にん)一(いち)どにくゞりぬけ、鉄砲(てつはう)かまへて、勅使(ちよくし)は勿論(もちろん)弐人の女(おんな)、

「み方(かた)せずばゆるさぬ」

と、火ぶたをきらんず。飛(とび)だうぐに心ならずも三人(たり)の女、勅使(ちよくし)を囲(かこ)ひ立へだつ。其隙(ひま)に甘(うま)ちの臣

「こゝに納(おさむ)る三種(じゆ)の御宝(みたから)、かゝる手づめに我(われ)らが物」

とつか/\行(ゆく)を小しぎが引(ひき)とめ、

「スリヤどふあつても思(おも)ひとまらぬ御心(こゝろ)か。コレ此子の行すへ思はずや」。

「ヲゝサ思ひ立事一朝(てう)ならず。忍能王(おしくまわう)〓坂王(かごさかわう)にかたき契約(けいやく)、妻(さい)子にひかれぬ丈夫(じやうふ)の魂(たましひ)。悲(かな)しやもはや叶はぬ是迄」

と捨(すて)たる剱(つるぎ)ひろい取喉(のんど)につき立(たて)一トゑぐり。人々さはぐに見むきもせず、悪にこつたる甘内の臣宝殿(でん)にすゝみゆき、扉(とびら)を破(やぶ)り上だんにかけ上らんとする所を内より蹴(け)かへす。一(ひと)あてにはづみ

〈挿絵一丁〉

をうつて翻(ひるがへ)り、まつさかさまに仰(あを)ぎふす。痛(いたみ)をこたへ強(ごう)気をはり起あがらんも骨(ほね)砕け、脚(あし)なへすこしもうごかれす、歯(は)がみをなして

「それ、両将(りやうしやう)内(うち)にこもるは何(なに)やつぞ。外にはかまはず此宝殿(でん)いつその事に打みしやげ」

心得(え)たりと宝殿(でん)目当にねらひを定め、火ぶたはじけば、こはいかに。玉かへりて我(わが)たゞ中、思(おも)はぬ最後。羽白(はじろ)の熊鷲(くまわし)、羽(は)たゝきして落(らく)命す。夏羽(なつは)大(おほい)に狼狽(らうばい)し、手下を聚(あつむ)る相図(づ)の筒(つゝ)さき、向ふあとより金村(かなむら)が湯釜(ゆがま)を取て打かぶせ、勇気(ゆうき)みちたる落つきわらひ、あざみにあらぬ土蜘夏羽(なつは)、ゆびきの料理(りやうり)は古かくなれどてらさぬ朝敵(ちやうてき)、弐人の追罰(ついばつ)。此御代の記録(きろく)にのこる〈フシ〉功徳(いさをし)かや。

 〈地〉内陳(ぢん)の簾(みす)内より、《両臣左右ヨリミスマキ上》まかせ津野(つの)と三輪とが左右に侯(こう)じ、ゆるぎ出たる衣冠(いくわん)の軍旅(いでたち)。弓矢かき負(お)ひ双袖(もろそで)に大子(し)を抱(いだ)き頬(ほふ)あてに覆(おほ)へど《ホウアテヌグ》志るき武(たけ)内の臣(しん)。朝家(てうか)を治め守国(もりくに)の末世に画(ゑが)く〈フシ〉其形相(ぎやうさう)。案(あん)に相違(さうゐ)の甘内(うまち)貝忙(はいまう)。面(おもて)を伏(ふせ)て地(ち)を穿(うが)ち穴(あな)へも入(い)リたき風情(ふぜい)なり。武内(たけうち)の臣(しん)うや/\しく、太子(たいし)を三輪(みわ)に徒(うつし)ませ、末座(まつざ)にさがり座(ざ)をたゞし、甘内(うまち)をはつたと睨(にら)みつけ、

「縁者(ゑんじや)をけがすうろたへ者(もの)。我家(わがいへ)は先祖(せんぞ)より大公望(たいこうばう)が兵書(へいしよ)を伝(つた)へ、《異カメシク》ソレ其(その)兵略(へいりやく)を聞(きゝ)とらんと明(あけ)し呉服(くれは)が心(こゝろ)をつくし、今(いま)推量(すいりやう)の大臣(おとゞ)の挙動(ふるまひ)。御大事(おんだいじ)ある時(とき)は〈平クドキ〉面(おもて)をくろめ潜行(せんこう)して人気(にんき)を探(さぐ)り、軍中(ぐんちう)には頬当(ほふあて)に半面(はんめん)覆(おほ)ひおぼろげに、かげさす月(つき)はこゝかしこ、尸代(かたしろ)用(もちひ)て変(へん)に応(おう)じ、在所(ざいしよ)しらさぬ心手配(こゝろてくばり)。〈平一ノユリ〉彼(かの)烏賊(いか)といふ魚(うを)のかくるゝ時(とき)に墨(すみ)を吐(はき)、水面(すいめん)くらます心(こゝろ)を以(もつ)て、いかつの臣(しん)とも自称(じしやう)あり。此度(このたび)の御征伐(ごせいばつ)御供(おとも)ときかば、〈ウク〉帝都(ていと)の気遣(きつが)ひ、残(のこ)るときかば、軍中(ぐんちう)の気(き)おくれ、近侍(きんじ)の諸臣(しよしん)と誓(ひかい)の密事(みつじ)。頬当(ほゝあて)に文(あや)なして両大将(りやうたいしやう)と披露(ひろう)して、〈ユル〉元(もと)より大事(だいじ)は御留主(おるす)なれば、軍(いくさ)の手配(てくばり)定置(さだめをき)御船(おふね)にありと〈フシ〉見(み)せながら、〈ユル〉金村公(かなむらこう)と同船(だうせん)にて着岸(ちやくがん)。陸(りく)をいそぎてとくに御帰館(ごきくわん)、太子(たいし)と神器(じんき)の御守護(ごしゆご)はいさゝかゆるがぬ〈フシ〉御国(みくに)の礎(いしずへ)。〈武詞〉又(また)御帰陣(ごきぢん)まで太子(たいし)をかゝすゆへは、已(すで)に御誕生(ごたんじやう)ありしと聞(きか)ば、忍熊(おしくま)〓坂(かごさか)両王(りやうわう)がいよ/\位(くらひ)につかれぬねたみ、るすを窺(うかゞ)ひ謀反(むほん)は必定(ひつじやう)。さてこそかくは忍(しの)ばせ給(たま)ふ。我(わが)形代(かたしろ)の真似子(まねこ)が手疵(てきず)見(み)れば窮所(きうしよ)ははづれたり。妹(いもと)が自害(じがい)拠(よんどころ)なく、不便(ふびん)なれ共大罪人(たいざい)の家属(かぞく)、身内(みうち)の武内(たけうち)計(はから)ひがたし」

と、いふに金村(かなむら)すゝみ出、

「内縁(ないゑん)の御遠慮(ごゑんりよ)左(さ)もあるべし。しかし太子(たいし)に乳(ち)を分(わか)ち奉(たてまつ)り二心(ふたごゝろ)なき小(こ)しぎ姫(ひめ)。男子(なんし)の一命(いちめい)申なだめ此(この)金村(かなむら)が仮親(かりおや)となり、津(つ)のとやつせしは大臣(おとゞ)の次男(じなん)木兎(きつ)の宿根(すくね)に《キツノスクネ此小児ヲイダク》育(そだて)させ、実父(じつふ)の心(こゝろ)は邪(まがつ)とも真鳥(まとり)と名(な)のらせ大友(おほとも)の類家(るいけ)を立(たつ)る御願(おんねが)ひ。成人(せいじん)の後(のち)野心(やしん)あらば我等(われら)が家(いへ)より急度(きつと)糺明(きうめい)。甘内(うまち)はもはや足(あし)たゝず廃人(はいじん)となりぬれば、助命(じよめい)の沙汰(さた)はずいぶん取(とり)なし、何事(なにごと)も小臣(しやうしん)にまかせられよ」

と、聞(きい)て過分(くわぶん)の武内(たけうち)より、心落(こゝろおち)つく小しぎ姫(ひめ)。苦(くる)しき中(なか)にもせめての成行(なりゆき)。

「文織(あやは)どのゝ身(み)のうへ、唐土(もろこし)とてもかはらぬは、男(おとこ)の心(こゝろ)さだまらねば、妻子(さいし)の末(すゑ)も治(をさま)らず。夫婦(ふうふ)が中に設(まうけ)けても雛(ひな)あたゝむる母鳥(はゝとり)の恵(めぐみ)にそたつならひかや」。

〈リウキヒサモトニアリ〉「小しぎさまの悔(くやみ)の通(とほ)リ、うまずは何(なに)の苦(く)もなふて、呉服殿(くれはどの)がうらやましい」

と、訳(わけ)なき児(ちご)を抱(だき)あげて

〈ナゲフシウレヒ〉「いとしの若子(わこ)や。自(みづから)も女(おんな)のなまなか大義(たいぎ)にひかれ、〈クミノ地〉胡国(ここく)に遺(のこ)せしをとゞひが、見(み)すてゝ帰(かへ)るを見送(みおく)りて、兄(あに)は曹奇(さうき)に五ツ六ツ、今(いま)は長(たけ)なん其時(そのとき)は永(なが)き別(わか)れとしらずして、〈ナク詞〉あした早(はや)ふもどつてと目(め)に湧出(わきいつ)る涙声(なみだこへ)、何気(なにげ)もなげに弟(をとゝ)は乳房(ちぶさ)にあきてにこ/\と、笑(わら)ひを見捨(みすて)し其顔(そのかほ)が、忘(わす)れぬ夢(ゆめ)に抱(だき)あげてうれしと思(おも)ふが覚(さめ)ての悲(かなし)み、生(いき)れば生(いき)ていらるゝ物(もの)」

と人の憂(うれひ)を身(み)に感(かん)じ泣乱(なきみだ)れたる哀(あはれ)さよ。もらひ涙(なみだ)にくれはる介抱(かいはう)、小(こ)しぎ姫(ひめ)は息(いき)の下(した)声(ごへ)もかすかに、魂(たましひ)はさるとも残(のこ)る魄霊(からみたま)。

〈ナガカゝリ〉「浮世(うきよ)に女(おんな)の身(み)の上(うへ)は、人にいはれぬ難儀(なんぎ)をも、われを祭(まつ)らば、〈ウキン〉守(まも)りとならん。せめての利益(りやく)、我子(わがこ)頼(たの)む」

と指(ゆび)さしながら、しばしは息(いき)の〈フシ〉程(ほど)なきおはり、〈フシヲクリ〉折(をり)からひゞく音楽(をんがく)は《天王出シノハヤシ カヒドリキル》御凱陣(ごがいぢん)の《死ガイカタツケキヲメシテ下ダンヘサガル》破陣楽(はぢんらく)。

《御衣ノ上ニヨロイハカマ》「忝(かたじけなく)も足(たら)しの皇后(くわうごう)此所(このところ)を《甲太刀モタセ供二人カムリヨロヒ》よぎらせたまひ、神器(じんき)の殿(でん)を拝終(はいおは)り、〈詞〉今至(いまいた)らんとは皆(みな)も知(し)らじな、〓坂(かごさか)忍熊(おしくま)道(みち)をさゝへつれども、まろが先鋒(さきて)に忽(たちまち)自滅(じめつ)。凱陣(がいぢん)の船(ふね)ためらはず真西(まぢ)の追風(をひて)に早茅渟(はやちぬ)のよざみの浜(はま)に船下(ふなを)りせり。新羅(しんら)を打(うち)し其響(そのひゞき)高麗(くま)百済(くだら)も追々(をひ/\)降参(こうさん)、悦(よろこ)べ/\。呉国(ごこく)の戎(ゑびす)もあら肝(きも)ひしげ、既(すで)に貢(みつぎ)の艘(ふね)浮(うか)む」

と聞(きか)せたりとの御風聴(ごふいちやう)。

〈詞〉「太子(たいし)の生立(をひたち)健全(すこやか)に武内(たけうち)の忠誠(ちうせい)のこるかたなし。甘内(うまち)が反逆(ほんぎやく)刑罰(けいばつ)すべきも、かゝる吉利(きちり)の折(をり)からなれば、死刑(しけい)をなだめ官職(かんしよく)とゞめ起(き)の〓(ぢ)の直(あたひ)に推(をし)くだせ、まね子(こ)は、今(いま)より官(くわん)に昇(のぼ)せ、壱岐(いき)の直(あたひ)となして得(ゑ)させよ。小しぎ姫(ひめ)が忠貞(ちうてい)志貴(しぎ)の隣(となり)の小志貴山(こしぎやま)、名(な)に呼(よび)しこそ只(たゞ)ならず。麓(ふもと)に塚(つか)を営(いとなみ)て時節(じせつ)の祭(まつ)りをうけしめよ。男子(なんし)は太子(たいし)に乳(ち)の由親(よしみ)、金村(かなむら)宜敷(よろしく)計(はから)ひあれ。文織(あやは)が携(つれ)し魏曹(ぎさう)の種類(しゆるい)、我非(わがひ)をしるは智恵(ちゑ)の徳(とく)。家(いへ)する原(はら)を家原(ゑばら)とよび、《文シコケ》成人(せいじん)の後、八畝(やせ)の田(た)の上村主(かんむらぬし)と名(な)のるべし」

と和泉(いづみ)にのこる〈フシ〉帰化(きくわ)の民(たみ)。

〈地〉「弐人(ふたり)の女(おんな)もかれこれと身(み)を失(うしな)ひたる不便(ふびん)さよ。必(かなら)ず操(みさほ)を固(かたく)くせよ。〈詞〉此(この)日(ひ)の本(もと)に身(み)をよせて、五音(ごいん)を伝(つたゆ)る大学(だいがく)に、綿蛮(めんばん)たる黄鳥(くわうちやう)の止(とゞま)る所(ところ)を知(し)れるとは棲(すめ)るばかりのことならず。国(くに)を知(し)る身(み)も安止(あんし)のいさめ。至善(しぜん)に止(とゞま)る義(ぎ)は同(おな)じ。〈地〉女(おんな)は内(うち)を守(まも)る身(み)のあらかのすみに奥(をく)ふかくあるべきものを、我国(わがくに)は女神(めがみ)男神(おがみ)の建(たて)られし王業(わうげふ)怠(おこた)ることかたく、《ヒヨウク》戎(ゑびす)の国(くに)に兵(つはもの)を携(たづさ)へゆきし外国(そとくに)が牝鶏(めんどり)の晨(とき)と笑(わらは)んも時(とき)しらずせばやみもせん。〈詞〉呉服(くれは)が渡海(とかい)の初念(しよねん)を叶(かな)へ、書中(しよちう)はゆるさぬ《ヲリモノタマハルカナムラノヤク》其織物(そのをりもの)、大和錦(やまとにしき)の粗(あら)けれど、新羅(しんら)の伝(つた)へに漢土(かんど)におくり、其織〓(そのをりだし)の記号(きこう)の文字(もじ)、君臣(くんしん)内外(うちと)に隔(へだゝ)れども宮中(きうちう)府中(ふちう)一体(いつたい)に、心揃(こゝろそろへ)る大公(たいこう)が兵法(へいほふ)の肝要(かんよう)。故実(こじつ)に溺(はま)る井(い)の田(た)の蛙(かはず)。諸声(もろこへ)やめて是(これ)を聞(きか)ば、泗亭(してい)の長(ちやう)が創業(とりたて)たる漢(かん)の内竪(ないじゆ)の乱(みだれ)は非(あら)じ。〈地〉其文字(そのもんじ)さへ渡(わた)しなば、彼許(かしこ)に聡(さと)きもの有て、必(かならず)其意(そのゐ)を会得(ゑとく)せん。両女(りやうぢよ)諸共(もろとも)此後(このゝち)は津(つ)の国(くに)池田(いけだ)の里(さと)に移(うつ)り、追々(をひ/\)貢(みつぎ)の女工(ぢよこう)をひきい、呉服(くれは)〈フシ〉文織(あやは)の《ホウレンジチヤウキヌカツキコゝニテ出スコシニメスハ此トコロヨシメサズトモヨシ》土地(とち)に定(さだめ)よ」。

両女(りやうぢよ)は土(つち)にひれふして戴(いたゞ)く恵(めぐみ)みひろはたの、経緯(たてぬき)いともうるはしき、宮居(みやい)の《タケウチ太子ヲダキトル》名(な)さへ若桜(わかざくら)。還御(くわんぎよ)の鳳賛(ほうさん)大内桐(おほうちぎり)、木兎(きづ)と三輪(みわ)やが先(さき)大友(おほとも)、非常(ひじやう)をさゝ靏(つる)なでしこの、〈ウク〉太子(たいし)を供奉(ぐぶ)の武内(たけうち)は〈ウギン〉たぐひあらいそありす川(かは)、三ツの韓島(かんたう)つゞく代(よ)に、〈ウク〉貢(みつぎ)の女工(ぢよこう)富足(とみたれ)ど、まだ、《合カンシラセ》金〓(きんらん)のうすはらは、さへ/\にそみけしの絹(きぬ)おほよそきねの手(て)わざかや。

時代三国志第二 終

〈呉服/文織〉時代三国志 第三

《セリフコトバ シバノテスリ モリノテイ》「御評判(ごひやうばん)の気根(きこん)の薬(くすり)、《薬ウリサゲハコ衣ツケヱホンニアリ》御用(ごよう)はござりませぬか、此(この)相伝〈さうでん〉を申さふならば、彼(かの)先朝(せんちやう)の御忠臣(ごちうしん)胡国(ここく)にとられし蘇官人(そくわんにん)長(なが)ひ月日(つきひ)の朝夕(あさゆふ)を、木(こ)の実(み)草(くさ)の実(み)拾(ひろ)ひ喰(く)ひ、是(これ)では忍(たへ)ぬと思(おも)ひねに、此(この)薬(くすり)を感得(かんとく)し、節(せつ)を守(まも)るや故郷(こきやう)の錦(にしき)、麒麟殿(きりんでん)に形(かたち)をゑがく。よつてきりん円(ゑん)とも申(もふす)なり。八年(はちねん)九年(くねん)工夫(くふう)をこらし壁(かべ)をにらんだ名仙(めいせん)智識(ちしき)。出世(しゆつせ)の望(のぞみ)渡世(とせい)の始末(しまつ)。麁服(そふく)麁食(そじき)もきるくひこたへ。独身(ひとりみ)のやも助(すけ)見物(けんぶつ)の飛助(とびすけ)。道行人(みちゆくひと)はこゝでとまろが夜通(よどふ)し朝路(あさみち)さむきひだるさ、一粒(いちりう)一日(いちにち)、百粒(ひやくりう)百日(ひやくにち)。よめいりのおそきやしきりのひまいり。しんぼつよいが此(この)薬(しるし)の妙効(みやうこう)。御用(ごよう)はござりませぬかな。立あつまりし里人(さとびと)旅人(りよじん)」。

「是(これ)は重宝(ちやうはう)、めづらしい病(やまひ)にも聞(きゝ)まする。そこへこゝへ」

と買(かふ)て行(ゆく)。

「サテ/\、都(みやこ)ちかくは格別(かくべつ)。おれもつひにたべては見(み)ぬが、兎角(とかく)かはつたことでさへあれば買(かふ)て見(み)る人心(ひとごゝろ)」

と、独言(ひとりごと)する所(ところ)へ、庄官(むらやく)めきたる男(おとこ)が立(たち)より、

「此(この)ごろは気根(きこん)がよはりねつから記憶(ものおぼへ)がいんでのけた。評判(ひやうばん)の薬(くすり)一包(ひとつゝみ)ほしいが、となりあるきで持(もち)あはさぬ。用(よう)には立(たつ)まひが、これこゝに、曹操殿(さうそうどの)の自筆(じひつ)のすりもの、自慢(じまん)の御ながれ銅雀台(だうじやくたい)の画賛(ゑさん)。宮殿(きうでん)の彩(いろ)ざし見事(みごと)でないか」

とうりことば。

「おいろも読(よめ)ぬくせにさやうの物(もの)がおすき。薬(くすり)の代(だい)にいたゞきましやふ」

とかゆれば、悦(よろこ)ぶついしやうに、

「コレうつくしいお姫(ひめ)と若殿(わかとの)の道行(みちゆき)、見付(みつけ)たら捕(とら)へさしやれ。魏国(ぎこく)の金(かね)になるぞや。さらば次(つぎ)の宿へ急触(きうぶれ)」

と、足元(あしもと)はやき年月(としつき)も、〈歌〉其(その)きさらぎの花(はな)ぐもり、あめかあらしのおとすれば、うつらふ色(いろ)を惜(おし)まるゝ。木(こ)の実(み)数(かぞへ)て七ツ三ツ。花(はな)の香(か)もなき人ごゝろ、まだな時(とき)かと〈ナラス〉思はるゝ。〈地〉丁鬣(こめろ)相手(あひて)の道草(みちくさ)は、〈長地〉幾春(いくはる)かへる支那(しな)の空(そら)、仕習(しなれ)ぬ事(こと)を一興(いつきやう)と、荷(にな)ふ茶出(ちやいだ)しに袒(はだぬぎ)し、臂敷(ひじき)物(もの)まで曹子建(さうしけん)。甄麗玉(しんれいぎよく)にあはせよるむすぶの神(かみ)の染糸(そめいと)の、うきふしとけぬつかね苴(そ)や。

《シキモノ下女チヤヲシカケル》「ヲツト一休(いつきう)仕(つかまつ)ろ。コレこゝが名高(なだか)ひ靏(つる)の森(もり)。目(め)を見合(みあはせ)てはらむといふ、まことに互(たがひ)の心(こゝろ)が通(つう)じ、言(いゝ)あはせねど同(おな)じ日(ひ)の家出(いへで)、行先(ゆくさき)までも外(ほか)ならぬ伯母(おば)さま。『草(くさ)むらの為(ため)に雀(すゞめ)逐(お)ふ、鷹(たか)の爪(つめ)ながい曹操様(さうさうさま)が婢妾(めしつかひ)に上(あ)ゲよ』と、親(おや)甄逸(しんいつ)へしげ/\の使(つか)ひ。まだ其上(そのうへ)にあきれたは、曹植殿(さうちどの)の日文(ひふみ)日使(ひづか)ひ。〈地色〉事(こと)がせまつて逃(にげ)たのが却句(けく)媒(なかだち)になつたか」。

「ホンニそんな物(もの)かい。路(みち)の間(あひだ)は一向(いつかう)きさんじつけたる小女(しやうぢよ)の其外(そのほか)は、たれはゞからぬ旅(たび)の空(そら)。〓城(げふじやう)も近(ちか)くなる」。

「これからはまたそなたもおれも、窮屈(きうくつ)なめをせずばなるまい」。

「ホンニ思(おも)ひ初(そめ)しはかはつたゑにし。たれぞ余所(よそ)のうつくしいお姫(ひめ)をほめてのことでかな」。

「おまへの自筆(じひつ)の洛神(らくしん)の賦(ふ)、わらはに賜(たまは)る其中(そのなか)に、軽(うす)き雲(くも)の月(つき)を蔽(おほ)ひ、芙蓉(ふやう)の水(みづ)を出(いづ)るとは、御料人(ごりやうにん)をほめての詞(ことば)じやと、私(わたくし)を悦(よろこば)す使女(めしつかひ)が仲人詞(なかふどことば)。はづかしいやらうれしいやら守(まも)り袋(ぶくろ)に入(いれ)てある。コレちつと御目(おめ)に掛(かけ)ふか」

と、取出(とりいだ)し見(み)すれば取(とつ)てなげすて、

〈詞〉「見つ見られつで何(なん)にもやめじや。女(おんな)の出過(ですぎ)た詩文(しぶん)がすき。孟徳公(まうとくこう)の銅雀台(だうじやくたい)でさへ大事(だいじ)がつて取(とり)まはして置(おく)でないか」

と悋気(りんき)めく。

「ホヲゝあれは本(もと)がおまへの文章(ぶんしやう)、はめ句(く)したといふことよふ知(しつ)ております。殊(こと)におまへにうつしてもらふたさかいじやわいな」。

「コレハ〈地〉一番(いちばん)はやまつた」

と千早(ちはや)古言(ふること)誰(たれ)がきかん。見(み)へぬ後(うしろ)に薬屋(くすりや)が巻物(まきもの)拾(ひろ)ひさら/\よみ。独(ひとり)感心(かんしん)くる/\まき。

「ハア是(これ)は女中(ぢよちう)さまの大事(だいじ)の物(もの)さふな。ちやつと納(おさ)めてをかしやりませ」。

「コレたつた今(いま)御(お)ふたりの人相(にんさう)をふれて通(とほつ)た。〈地〉心(こゝろ)ゆるしてあんべらの敷物(しきもの)所(どころ)で有(ある)まいが」

と、立(たち)よつて両方(りやうはう)を見(み)あげ見おろし手(て)をうつて

〈詞〉「今(いま)の巻物(まきもの)、と、見(み)た所、柔情綽態言語(よはきこゝろゆるやかなるすがたことば)に媚(こび)あり。波(なみ)を凌(しのぎ)て微(かる)く歩(あゆめ)ば羅(うすもの)の韈(したふづ)塵(ちり)を生(しやう)ずと、かゝる容儀(やうぎ)を洛神(らくしん)に作(つく)り立(たて)たは今(いま)の世(よ)に、又(また)と類(たぐひ)のあるべきか」

とあをぎて立(たて)/\、

「才子(さいし)なり、佳人(かじん)なり、玉(たま)と玉との一対(いつつい)も、エツエまゝならぬ世(よ)の逃(にげ)かくれ。アレ/\人馬(にんば)の音(をと)がする、サア/\早(はや)く逃(にげ)た/\、二人(ふたり)づれは人目(め)立(たつ)、若殿(わかとの)はさきへござつて、むかふのわかれにいつを轎(こし)、やりましやふが出ているほどに、それにのつて待(まつ)てござれ。コレ脱(ぬひ)だ草鞋(わたぐつ)は必(かならず)ゆかぬ道(みち)の方(かた)に棄(すて)たがよし」、

と〈地〉さしづにまかせ曹子建(さうしけん)心添(こゝろそへ)られ

「忝(かたじけな)し。我(われ)は先(さき)へ」

とはしり行(ゆく)。

 すきをあらせず曹孟徳(さうまうとく)、年経(としふ)る出世(しゆつせ)魏公(ぎこう)の威勢(ゐせい)。遠目(とをめ)からうなり声(ごへ)足(あし)も〈スヱ〉ふるはれ立(たち)かぬる。

〈詞〉「女(おんな)うごくな。甄麗(しんれい)玉璽(ぎよくじ)が見(み)入レた。のがれぬ/\。此度(このたび)の〓城(げふじやう)ぜめと、大(おほ)かたそちが逃(にげ)ゆかんと、それ第一(だいいち)の目当(めあて)の敵(かたき)。〈地ウ〉城(しろ)へは入(いれ)ぬ、直(すぐ)に陣所(ぢんしよ)へめしつれん」

と、抱止(だきとめ)て動(うご)かさず。さすが形(かたち)はさゝがにの糸(いと)にかゝれるあげはの蝶(てふ)。のがれかたなくせんかたも羽(は)たゝく外(ほか)は力(ちから)なし。以前(いぜん)の薬(くすり)やつか/\と、

〈詞〉「これは/\御仁体(ごじんたい)に似(に)あはぬ」

と抱(いだ)きし双手(もろて)をもぎはなし、

「どこの姫(ひめ)やら人遠(ひととを)い此林(このはやし)にはふらち/\。早(はや)くござれ」

といふしほにのがれて泳(くゞ)る〈フシ〉鰐(わに)の口(くち)。〈地ウ〉獣面(じうめん)作(つく)る曹操(さうそう)より家来共(けらいとも)口々(くち/\)に《サウサウ床几ニヨル》、

「おのれ匹夫(ひつふ)め。曹相国(さうしやうこく)に向(むかつ)てかゝる慮外(りよぐわい)。なにゆへ女(おんな)を取(とり)にがした」

と聞(きい)てびつくり、頭(かしら)を下(さ)げ、

〈詞〉「扨(さて)はさやうか。真平御免(まつひらごめん)、下し置(をか)れよ。御威光(ごゐくわう)と申(もふし)、文武(ぶんぶ)の達人(たつじん)、誠(まこと)やあなたの御作(ごさく)とてもてはやす此(この)文花(ぶんくわ)、並(ならび)に御筆(おふで)でござりますか」、

「ヲゝそれこそは銅雀台(たうじやくたい)の落成(わたまし)に即席(そくせき)の身(み)が筆作(ひつさく)さ。シタゾ、見ますれば此中(このなか)に、二喬(にきやう)を左右(さいう)に挟(さしはさむ)との御句(ぎよく)が見(み)へます。其(その)二喬(にきやう)の美人(びじん)は二(ふた)かたとも、今(いま)では急度(きつと)御大名(おだいみやう)の奥方(おくがた)とも承る。それを御前(ごぜん)が酒肴(さけさかな)かなんぞのやうに、〈地〉さしはさむとはつがもなひ御趣向(ごしゆかう)かと存じます」

と、問れて俄(にはか)に行つまり、

「それはナニ物(もの)じやわい。それ/\山の名(な)にもあるぞよ。然(しか)し我等(われら)が二喬(にきやう)とはつひ弐人(ふたり)の女(おんな)と艶(ゑん)に持込(もちこん)だ物(もの)じやが、女偏(おんなへん)を落(をと)してのけてひよんな物になつたのじや。いかにも、しかし丞相(しやうじやう)の台(うてな)の上(うへ)に女(おんな)弐人(ふたり)にかぎつたも御倹約(ごけんやく)なものでござります。されば今の女(おんな)も彼二喬(かのにきやう)のごとくに名(な)のついたものなら、御名(な)のけがれと存じ奉(たてまつ)り、いらざる無調法(ぶちやうほふ)、私には悪(わる)ひ虫(むし)がござります。何事(なにごと)も大海量(だいかいりやう)御免(ごめん)/\」

と立て行(ゆく)。

「アレのがすな」

と目くばせで下知(げち)する所(ところ)をふりかへり、

〈詞〉「アレ/\、そこへテモまつかいな目の大(おほき)な小鳥(とり)が、それ/\そこへ紅(べに)すゞめか十二紅(こう)か。是(これ)は見(み)のがしにはならぬ」

と、〈地〉提(さげ)たる箱(はこ)よりくり出(だ)す矢さきは連珠(れんじゆ)の諸葛(しよかつ)弩(ゆみ)。びつくり驚(おどろ)く曹操(さうそう)は目先耳(みゝ)びたい、すつて

〈挿絵一丁〉

通るに身を縮(ちゞ)め、袖(そで)をかづきて何をひろぐ、コリヤあぶないがな、もふおきをれやい。もふおいてくれをれやあい」

と、思(おも)はずそこに射(い)すくめられ、しかみ火鉢(ち)にひげづらのこりたるさまに

「さらばこれまで。〈詞〉アゝあつたら鳥(とり)なれど、助(たすけ)てやるが大鳥(おほとり)」

と、後(うしろ)の繁(しげ)みに立(たち)かくるゝ。所(ところ)の名(な)さへ靏(つる)の森(もり)、凡鳥(ほんちやう)ならぬは振(ぶり)なり。曹操(さうそう)やう/\からだをのばし、

〈詞〉「ノフあぶなや/\。扨(さて)も/\学問(がくもん)も武芸(ぶげい)も今の世(よ)におれをゑち/\させをつた。アリヤまあどうした二才(にさい)めじや。〈地〉これを思へば油断(ゆだん)は大敵(てき)。人の国(くに)にも人あか/\深(ふか)入するな」

といふ所(ところ)、新参(しんざん)の奔攸(ほんしう)賈人(こにん)土法(どほふ)内(うち)を召つれて、

〈詞〉「今日(けふ)御物色(ものみ)の途(と)中ながら、兼て、執達(しつたつ)仕ル此珍器(ちんき)。〈地〉功(こう)用は書添(かきそへ)たる秘決(ひけつ)に明白(めいはく)。猶(なを)又(また)器の伝来(でんらい)を御前(ぜん)で委敷(くはしく)申上」、

〈詞〉「ハツア私義(わたくしぎ)は代々南海(なんかい)に通(かよ)ふ商人(あきふど)。先祖(ぞ)土蔑相師子国(とめつさうししこく)の神、市にて得(ゑ)たる彼珍器(かのちんき)、其国(そのくに)仏法(ぶつほふ)流布(るふ)の地(ち)にて、竜神(りうじん)の所為(しよゐ)と申伝(もふしつた)へ、海辺(かいへん)にて夜中(やちう)に交易(うりかい)仕(つかまつ)る。海辺(うみべ)に貸物(しろもの)並置(ならべをけ)ば、其価(そのあたひ)にかへ物(もの)あれ共、人影(ひとかげ)見へぬ奇怪(きくわい)の神市(かみいち)。〈地〉今(いま)は人家(じんか)も多(おほ)くなり、怪(あや)しきことも候はず」

と、語(かた)るを聞(きい)て奔攸(ほんしう)手(て)をつき、

「我君(わがきみ)、此器(このうつは)を以(もつ)てはかり給(たま)はゞ御望(おのぞみ)の女(おんな)でも男(おとこ)でも、智恵(ちゑ)を失(うしな)ひ気脱(きぬけ)同前(だうぜん)。御心(おこゝろ)まゝに事(こと)はする/\」、

〈地〉曹操(さうそう)ゑつぼに入(いり)ながら人柄(がら)つくりて打笑(うちわら)ひ、

〈詞〉「よつほどに尽(つく)せ、奔攸(ほんしう)。女(おんな)が気(き)ぬけになつては病人(びやうにん)の伽(とぎ)。なにゝなる物(もの)ともあれ奇物(きぶつ)なれば買(かつ)てくれる。コリヤ身(み)に売(うり)たると人に語るな。価(あたひ)をたびて近習(きんじふ)におさめさせ、是(これ)をみやげに〈フシ〉《ケイゴウク》〈ノルフシ〉帰(かへ)らん」

とゆくての、並木(なみき)に岐路(わかれみち)。そこに捨(すて)たる男女の草鞋(わらぐつ)。

〈詞〉「扨(さて)は女がこゝまで来(き)て、これから乗(のつ)て逃(にげ)たと見(み)ゆる。〈地〉遠(とを)くはゆかじ、いざ逐(をつ)かけん。ガイヤ、〈詞〉くつをすてた方(はう)へ行(ゆく)と見せて、こちらの道へうせたのか。イヤ但(たゞ)しトおもはせてやつはりあちらか。〈地〉我(われ)をあざむく猿智恵(さるぢゑ)むまふにたべぬ」

とさいまぐり、近路(ちかみち)すてゝまはりして、しかと難所(なんじよ)をどつたぐわた、すかたん路(みち)を追(をふ)て行(ゆく)。我(わが)さる智恵(ぢゑ)にすべりたる後(のち)の咄(はなし)の〈三重〉《テツハウナリアゲキヌ》枝(ゑだ)ならん。

 忠臣(ちうしん)の《カラノシロヤクラヘイノ上ヲ内ニ用ユ》肝脳(かんなう)地(ち)に塗(まみる)の時(とき)、《ニシキウリイネムリイル》烈士(れつし)功(こう)を立(たつ)るの機会(きくわい)と自(みづから)励(はげみ)し河北(かほく)の袁紹(えんしやう)、去(さんぬ)る比(ころ)許都(きよと)に責(せめ)よせ、味方(みかた)大(おほい)に敗軍(はいぐん)より、心慮(しんりよ)を困(くる)しめ病(やまひ)に臥(ふ)し、日(ひ)と月(つき)に起居(ききよ)安(やす)からず。其虚(そのきよ)にのつて付入(つけい)リに曹操(さうさう)が大軍(たいぐん)責囲(せめかこみ)、此(この)一城(いちじやう)に《ウチニテヲンガク》せばめられ、勢(いきほ)いせまる籠城(らうしやう)に、心(こゝろ)屈(くつ)せず朝夕(ちやうせき)の家楽(かがく)をすてぬ大勇(たいいう)は、げに巨擘(ゆびおり)の〈フシ〉大将(たいしやう)かや。此比(このごろ)こゝに絹売(きぬうり)の路(みち)をふさがれ思(おも)はぬ籠城(らうじやう)。《カクル妓女内ヨリ出ル》役目(やくめ)おはれば多(おほく)の家妓(かぎ)うち寄(より)て遠慮(ゑんりよ)なく、

〈詞〉「絹屋殿(きぬやどの)もさぞ退屈(たいくつ)。こゝへよつて咄(はな)さつしやれ。なんのまあ、旅商(たびあきなひ)の行(ゆき)つき次第(しだい)。何年(なんねん)でもあくびは致(いた)さぬが、矢(や)さけびとやらでヤア/\が〈地色〉胸(むね)にこたへて」

といふ下(した)から、

〈詞〉「たしなまんせ、こちらは女(おなご)でさへ乞(きつ)との〓ているに、ソレヨホンニ張十郎(ちやうじふらう)はどふじやへ」

とやぶに飛(とび)つく隣(となり)の猫(ねこ)にやんのけんによも三ツ指(ゆび)で、

「ナニ張十郎(ちやうじふらう)とな。私(わたくし)が存知(ぞんぢ)よりに〈地〉左様(さやう)な人(ひと)は聞及(きゝおよ)ばず」

とあんじがほ。

〈詞〉「コリヤおかしい絹屋殿(きぬやどの)は一向(いつかう)方頭(むひつ)じやなあ。《ウタサハリ》聞(きこ)ふ/\とはづんでいたに、〈詞〉ソンナラ蜀(しよく)に勾〓(しばい)が今年(ことし)は何軒(なんげん)御産(ござん)すや。其内(そのうち)に居(い)るわいの」。

「ハツア〈地〉心懸(こゝろがけ)ねば、其儀(そのぎ)もしかとは、どふやら咄(はなし)が合(あひ)かねる」

と、〈フシ〉頭(かしら)かき/\次(つぎ)へ立(たつ)。

〈詞〉「莉花殿(りんくわどの)たしなまんせ。御上(おかみ)の御機嫌(ごきげん)も知(しら)ずに、張十郎(ちやうじふらう)が口(くち)を離(はな)れぬ。ちつとわしが実言(じつこと)きかんせ。魏国(ぎこく)に若殿(わかとの)無(な)いさきに養子(やうし)に御座(ござ)つた袁熈様(ゑんきさま)は、今(いま)のお腹(はら)で名(な)にうれし風流人(ふうりうじん)。中美(このくに)の文(ふみ)は宵(よひ)の内(うち)大和(やまと)歌まで深(ふけ)た物(もの)じやげな。誰(たれ)も彼(かれ)も見(み)たい/\といふていたに、折(をり)も折(をり)と此間(このあひだ)お姫(ひめ)をつれて忍(しの)びの御(お)かへり。不埒(ふらち)者(もの)と御病中(ごびやうちう)の御機嫌(ごきげん)悪敷(あしく)、今(いま)に御対面(ごたいめん)もなされず、〈地色〉心(こゝろ)くるしき軍(いくさ)の中(なか)、御台(みだい)さまの気の(き)毒(どく)がましてお顔(かほ)の痩(やせ)が又一トしほめかりきりじや」

といふ下から、

「三五殿(どの)知(しつ)てか、アノお姫(ひめ)さまの時々(とき%\)読(よ)んでござるはなんの御経(おきやう)じやや」。

「ちよつと聞(きい)たが、あれは御経(おきやう)でもない物(もの)じやげなれど、大事に思召(おぼしめし)て常(つね)に御経(おきやう)とおつしやるのじやといの」。

「そんならほれげ経(きやう)とやらかいの」。

「サレバなみだ経(きやう)でもあらふか」

と、〈地〉いづれしまらぬざれことは、仕(つか)へする身(み)の〈フシ〉欝散(うつさん)ばなし。〈地ウ〉病足(びやうそく)ながら扶(たすけ)られ、城楼(やぐら)をおりる大将(たいしやう)袁紹(えんしやう)、劉夫人(りうふじん)に手(て)を引(ひか)れ病牀(びやうしやう)に憑(より)かゝり、

〈詞〉「思(おも)へば微運(びうん)の某(それがし)、此(この)際八きはに及(およぶ)か口惜(くちをし)や。せがれ袁譚(ゑんたん)は延津(ゑんしん)の砦(とりで)を守(まも)り、通路(つうろ)を塞(ふさ)がれ便(たよ)リきかねど、今日(けやふ)もかはらず無事(ぶじ)をしらせの昼(ひる)の揚物(あげもの)、片時(へんじ)の安堵(あんど)。過(すぎ)し比(ころ)、わが従弟(いとこ)山東(さんとう)の袁術(ゑんじゆつ)、遂(とげ)もせぬ帝号(ていがう)を僭上(せんじやう)し、已(すで)に亡(ほろぶ)る期(ご)にのぞみ、我(わが)もとに玉璽(ぎよくじ)あるよし、幸(さいはい)に帝号(ていがう)を立(たて)よとのすゝめ。玉璽(ぎよくじ)は曽(かつ)て存(そん)せずとかくせしが、此ごろ奔攸(ほんしう)めが敵(てき)にうらがへれば漏(もら)すは必定(ひつじやう)。それのみならず付智恵(つけちゑ)して烏巣(うさう)の出城(でしろ)を急責(きうせめ)させ、まもりふせぐ淳于瓊(じゆんうけい)が勝負(しやうぶ)はいかゞ。〈詞〉今日(けふ)の陣気(ぢんき)は望(ばう)わるし」

と、見(み)やるむかふに馬烟(むまけふり)。無事(ぶじ)の足(あし)どり小々波(さゞなみ)踏(ふま)せ、淳于瓊(じゆんうけい)が本城(ほんじやう)見(み)まひ門前(もんぜん)に駒(こま)を立(たつ)れば、城楼(やぐら)に出(いづ)る蒋奇(しやうき)が取次(とりつぎ)、

「是(これ)より言上(ごんじやう)。御機嫌(ごきげん)窺(うかゞ)ひ奉(たてまつ)る。〈詞〉今日(こんにち)は沛国勢(はいこくぜい)に牒(てふ)しあはせ、一方(いつはう)を打破(うちやぶ)リ、袁譚公(ゑんたんこう)と一所(いつしよ)にならば左右(さいう)なふ敵(てき)はよせつけじ。御気遣(おんきづか)ひあるまじ」

と言(いゝ)すて駒(こま)を〈フシ〉立(たて)なをす。

 向(むか)ふに一隊(ひとて)のぬけがけは、間道(かんだう)あないの反臣(はんしん)奔攸(ほんしう)。城(しろ)ぎは近(ちか)く働(はたら)く諜者(ものみ)馬(むま)のりすへてあざ笑(わら)ひ、

〈詞〉「いとしや/\。おつゝけ腹(はら)が背(せ)につくべい。咽(のど)じめ役(やく)の我(われ)らが執持(とりもち)で、甄麗玉(しんれいぎよく)を魏公(ぎこう)に差上(さしあげ)、降参(こうさんひ)めさるが上分別(しやうふんべつ)。さしもの呂布(りよふ)も

〈挿絵一丁〉

近(ちか)ごろ自滅(じめつ)。荊州(けいしう)の劉表(りうひよう)は降参(こうさん)して家相続(いへさうぞく)、よき手本(てほん)は目(め)に見(み)へぬ」

と、人をなみする悪口(あくこう)たら/\。堪(こらへ)かねて淳于瓊(じゆんうけい)、

「うらがへりもののがさじ」

と、ま一もんじに刺鎗(さすやり)を横(よこ)に開(ひらい)てなぐ鎗尖(やりさき)、からみつ引(ひき)つ馬上(ばじやう)の鎗(やり)あひ。双方(はう)士卒(しそつ)も入(いり)みだれうけつながしつ〈トル三重〉しのぎあふ。城(しろ)には弓(ゆみ)の手(て)立(たち)ならび敵(てき)を見下(みくだ)しすぐり射(い)る。あだ矢(や)なければいろめく所(ところ)を付込(つけこむ)得手(ゑて)に切(きり)まくられ、足(あし)ためかねて奔攸(ほんしう)がた、逃足(にげあし)早(はや)ひが勝(かつ)手道(みち)〈ウ地カハリ〉敵(てき)の入リしに驚(おどろき)て本陣(ほんぢん)心(こゝろ)もとなしと、をひすがふて淳于瓊(じゆんうけい)一さんかけて急(いそ)ぎ行(ゆく)。

 袁紹(えんしやう)見(み)やりて苦(にが)わらひ、

〈詞〉「小人(しやうじん)の心(こゝろ)にくらべ、喰(くら)ひ物(もの)のことばかり。然(しか)し此(この)沛国勢(はいこくせい)は玄徳(げんとく)よりの加勢(かせい)。是(これ)も間(あひだ)をとり切(き)られ我(わが)かたより送(をく)らねば、客軍(かくぐん)の兵糧(ひやうらう)定(さだめ)て決乏(けつぼく)思(おも)ひやる。ハテなんとしやう。それはそれ、ナフ劉夫人(りうふじん)、無頼(ぶらい)の倅(せがれ)がつれ来(きた)るそちが姪(めい)の甄麗玉(しんれいぎよく)は、女(おんな)なればさも有(ある)べし。かゝる時節(じせつ)に逃帰(にげかへ)る倅(せがれ)が不届(ふとゞき)。実父(ぢつふ)がかこふと聞(きこ)へては仇(あた)は仇(あた)、義理(ぎり)は義理(ぎり)。ぼつかへして曹操(さうさう)が心まかせにさせたがよふをりやる。うき目見(めみ)をるとて用捨(ようしや)ならず。アゝ〈地〉ことなふつかれたり。休息(きうそく)せん」

と、臥床(ふしど)に入れば、劉夫人(りうふじん)倍従(つれ%\)までも〈フシ〉次(つぎ)へたつ。

 〈地下〉善価(よきあたひ)に賈(うら)ばや筆(ふで)の曹子建(さうしけん)、倣(なら)ふ離騒(りさう)の模事(もじ)ならで〈スヱテ〉思案(しあん)うか/\〈イロ〉こゝに出(いで)、

〈詞〉「とかく此身(このみ)は不孝者(ふこうもの)。実父(じつふ)にも養父(やうふ)にも不興(ふきやう)をうくる行跡(こうせき)。近比(ちかごろ)聞(きけ)ば曹孟徳(さうまうとく)以(もつて)の外(ほか)の御怒(おんいかり)。かゝる時節(じせつ)に逃(にげ)かへるは養(やしな)ひ親(おや)に不義(ふぎ)なるのみか、諸軍(しよぐん)の見(み)せしめ。おもき罪(つみ)に下(くだ)さんとの思召(おぼしめし)。かくてはおのづと此城(このしろ)に悪(にく)しみかゝり、弥(いよ/\)和睦(わぼく)も出来(でき)ぬ道理(だうり)と、〈地〉いふてこゝで自滅(じめつ)は犬死(いぬじに)。所詮(しよせん)辱(はぢ)をすて魏軍(ぎぐん)に帰(かへ)り、身(み)は醯(ひしびしほ)になるとても何(なに)かいとはん。たゞ一つ、甄麗玉(しんれいぎよく)が歎きも不便(ふびん)。かはす盟(ちかひ)の忘(わす)れぬすへ、書(かき)のこさん」

と絶命(ぜつめい)の、〈イロ〉詞(ことば)の林(はやし)、春(はる)ながら〈ナガカゝリ〉思(おも)ひ入ル。身(み)は花(はな)もなく、筆咬(ふでかみ)しめす葉(は)の秋(あき)か、露(つゆ)か。涙(なみだ)を硯石(すゞりいし)、堅木立(かたきこだち)を白樫(しらかし)や、〈フシ〉五葉(いつゝば)はらといつまでも、〈ハル地〉疑(うたが)ふ女(おんな)は糸(いと)ずゝき、風(かぜ)になびくなたてぬきの、(文下)一筋(ひとすぢ)先(さき)へぬくるとも、黄泉(よも)ひら坂(さか)の一(ひと)むらになびきあはんと続墨(つゞすみ)の〈文ハル〉すゞろあらへる袖(そで)なみの、〈ナヲス〉くさりもわかぬかず/\は、書(かき)とゞむべきすべもなく、筆(ふで)なげすてゝ忍(しの)び泣(なき)。〈ノルフシ〉思(おも)ひます穂(ほ)の乱(みだ)れくさ。後(うしろ)の障子(しやうじ)をしひらき走(はしり)よつたる甄麗玉(しんれいぎよく)、

「ヤア此(この)絶命(いまは)の詞(ことば)とは何(なに)のため。わらはにしらさず死(しぬ)る気(き)か。情(なさけ)なの御覚悟(おんかくご)。おまへをかへしうきめを見(み)せ、袁紹(えんしやう)さまの為(ため)にもならず。わらは身(み)をすてかへりなば、おまへの悪(にく)みもうすくなり、〈サハリ〉此(この)城(しろ)和(やは)らぐ種(たね)ともならん」。

〈ハル〉「禍(わざはひ)も〈イロ火〉時(とき)の用(よう)。〈詞〉右(みぎ)と左(ひだり)の魏軍(ぎぐん)の備(そな)へ。どちらの陣(ぢん)へ行(ゆく)とても、かく表(おもて)だつことなれば、孟徳公(まうとくこう)がとらんとも、五官(ごくわん)の将(しやう)が留(とゞめ)んとも、速(すみやか)に事(こと)定(さだま)らじ。其間(そのあひだ)に責口(せめくち)ゆるみ救(すく)ひを待(まつ)のたよりとなり、城(しろ)かたの息(いき)をつぐ一(ひ)トツの利(り)かた、〈地〉すきまを見(み)て一(ひと)すぢの〓(ひも)に懸(かゝ)るが我身(わがみ)の終(おは)り」。

「イヤ、〈詞〉そちをやつては夫(おつと)たる身(み)のいひかいなく、元(もと)より実子(じつし)ならね共、一たび曹氏(さうし)の子(こ)となれば、親子(おやこ)互(たがひ)に名(な)のけがれ。〈ハリマ地ウ〉実父(じつふ)の怒(いかり)も休(やすむ)るため〈ハル〉それがしが行(ゆく)こそ順道(じゆんだう)」

「イヘ/\、〈詞〉おまへがござつては底意地(そこゐぢ)わるき孟徳公(まうとくこう)、逃(にげ)たはらいせ恋(こひ)の意趣(いしゆ)、苦(くる)しみうくるばつかりでわしが行(ゆく)にはおとつたこと」。

〈地サハリ〉「おまへもわしをすてたと思(おも)ひ、了簡(りやうけん)付(つけ)てやつてたべ」。

〈詞「〉おろかや。霜(しも)底蘭(ていらん)をからす時(とき)、黄菊(くわうきく)ひとり残らんや」。

〈地色〉「ヲツヲ、さふじや辱(かたじけな)ひ。兼(かね)てうらなき御心(おんこゝろ)、生(うま)れし日(ひ)はかはるとも、死(しぬ)るは同(おな)じ日(ひ)同(おな)じ時(とき)。同(おな)じ処(ところ)でゑしなずとも、おまへの賜(たま)る洛神(らくしん)の賦(ふ)、聖(ひじり)の御経(おきやう)と戴(いたゞき)て夜(よ)に日(ひ)にわすれず暗記(そらおぼへ)。此城(このしろ)を出(いづ)るよりわしも読誦(どくじゆ)、おまへも読誦(どくじゆ)。口(くち)には他事(たじ)を語(かた)る共(とも)、心(こゝろ)に章句(しやうく)の譜(ふ)を定(さだ)め、〈詞〉遅(をそ)からずはやからず、三百反(さんびやくへん)のをはる時(とき)、たがひに此世(このよ)の離(はなれ)ぎは、必(かならず)時刻(じこく)を怠(おこたり)て給(たま)はるな。エ、エ、〈詞〉おばさまにしらせなばさはりとならん。たゞひそかに〈地〉下(しも)/\へ仰(おほせ)られ、早(はや)く車(くるま)の御用意(ごようゐ)あれ。是(これ)が此世(このよ)の見(み)をさめ。コレ顔(かほ)あげて下(くだ)さんせ」

と、すがりよつたる愛執(あいしふ)に、広(ひろ)い国土(こくど)の其内(そのうち)に、上は錦帳(きんちやう)玉(たま)だれより、下(しも)は葉(は)にふく草(くさ)の床(とこ)、つらなりならぶ家(いへ)ごとに、夫妻(おとめ)対(むか)ふは世(よ)のならひ。奔(はや)るもあれば媒(なかだち)のさま%\ちなみあるべきに、我々(われ/\)が身(み)のかくばかり思(おも)ひするものあるべきかと、又くりかへす悔(くやみ)ごと、かぞへ尽(つく)すに尽(つき)めやは。蒋奇(しやうき)がとかく調(しつらひ)て早寄(はやよせ)かくる女車(おんなぐるま)。かゝらざりせばかゝる身(み)も、〈サハリ〉八千代住(やちよすむ)ともあく時(とき)の、有(ある)べきかはと立(たち)あがり、乗(のり)たつらんず車(くるま)のうち、

〈詞〉「イヤ此(この)車(くるま)をれが乗(の)る」、

麗玉(れいぎよく)びつくり、

「ナニ、おまへの召(めす)とは《玉璽ノ袋モツ》おばさま。ヲツヲ世(よ)の中(なか)の作法(さはふ)はしらず愚(おろか)のことをいふ人や。さきで婚礼(こんれい)せぬとても、女(おんな)の輿(こし)が得心(とくしん)で、門(もん)を出(いで)たら向(さき)の物(もの)。嫁入(よめいり)にたつ名(な)のけがれ。夫(それ)袁紹(えんしやう)の代(だい)として、わらは玉璽(ぎよくじ)を守(も)り奉(たてまつ)り、敵(てき)に降(くだ)れば人質(ひとじち)同然(だうぜん)。〈詞〉家(いへ)の為(ため)にも悪(あし)からず、盛(さかり)の人(ひと)の命(いのち)も続(つぐ)思案(しあん)究(きはめ)て行(ゆく)ぞかし」。

〈詞〉「スリヤおまへの一族(いちぞく)劉玄徳(げんとく)の器量(きりやう)見立(みたて)て譲(ゆづら)んとのあの玉璽(ぎよくじ)。他家(たけ)へ渡(わた)シて袁紹(えんしやう)さまの御詞(おことば)が立(たち)ますかへ」。

「サアそれは袁紹殿(えんしやうどの)の志(こゝろざし)。女房(にようばう)の一族(いちぞく)に渡(わた)せしと(おつと)を人に笑(わらは)せず、魏国(ぎこく)へ渡(わた)し、なさぬ中の袁譚(ゑんたん)が、続(つぐ)べき家(いへ)の立(たち)ゆく仕(し)かたは、是(これ)又わらはが志(こゝろざし)。〈地〉必留(とめ)てくれるな」

と、せつなる思ひ何国(いづく)にも、義理(ぎり)の〓桎(ほだし)はのがれなき。

〈中地ウ〉間近(まぢか)く聞(きこ)ゆる吶喊(ときのこへ)。〈ヒロイ〉飛来(とびく)る飛石(ひせき)は〈下ヲクリ〉降雨雹(ふるあめあられ)。魏国(ぎこく)に用(もちゆ)る〈コハ〉石車(せきしや)の責具(せめぐ)。門(もん)も櫓(やぐら)も堅(かた)けれど、飛(とび)こす石(いし)はひやいの目前(めさき)。〈中〉支軍(しぐん)蒋奇(しやうき)が下知(げち)をなし、幕(まく)よ盾(たて)よと〈フシ〉拒(ふせ)ぐ所(ところ)に、五官(ごくわん)中将(ちうしやう)曹植(さうち)出張(ではり)の軍(ぐん)を打破(うちやぶ)り、淳于瓊(じゆんうけい)が首(くび)提(ひつさ)げ、

「いかに〓侯(げふこう)

〈挿絵一丁〉

漢帝(かんてい)を戴(いたゞ)く我軍(わがいくさ)。手向(てむか)ひあるは不覚(ふかく)/\。後(うしろ)は夏侯(かこう)が疾(とく)より囲(かこめ)ば退場(のきば)もあるまじ。蔵(かくし)し置(をく)伝国(でんこく)の玉璽(ぎよくじ)をわたし、降参(こうさん)あらば、一族(いちぞく)の命(いのち)は全(まつた)からん。迷(まよひ)をとられな城中(じやうちう)」

と大音声(だいをんじやう)に呼(よば)はつたり。〈地ウ〉城中(じやうちう)はのがれずと降字(こうじ)の旗(はた)に書添(かきそへ)る、玉璽(きよくじ)人質(ひとじち)出城(しゆつじやう)と、〈ウキン〉立(たつ)るやいなや責口解(せめくちとけ)て、《サウチシロヘイル》金鼓(かねづゝみ)松吹風(まつふくかぜ)とたちかはる。

 〈地ハル〉思(おも)ひがけなき城楼(やぐら)より、甲冑(かつちう)かため曹孟徳(さうまうとく)あらはれ出(いで)てあたり見(み)まはし、

〈詞〉「我(われ)玉璽(ぎよくじ)の在所(ざいしよ)心元(こゝろもと)なく、窃侯(しのび)を以(もつ)て窺(うかご)ふに、此(この)高楼(たかどの)樽木彫(たるきほり)もの枡(ますがた)に彩色(さいしき)敬(うやま)ひをさむる真(まこと)の玉璽(ぎよくじ)。只今(たゞいま)裏塀(うらべい)をのりさぐり取(とつ)て、是(これ)こゝに。つまみの竜(りよう)の角決(つのかけ)たるは、いゝ伝(つた)へに違(ちがひ)なし。其(その)似(に)せ物(もの)はくはぬ/\」。

〈地〉聞(きい)て夫人(ぶにん)がはつと赤面(せきめん)。

「これまでなり」

と閃(ひらめ)く懐剱(くわいけん)。子建(しけん)かけ出(いで)刃物(はもの)を奪(うば)ひ、曹操(さうさう)が前(まへ)に平伏(へいふく)し、

「後(のち)の親(おや)を親(おや)として、武器(ぶき)をいはゞ此度(このたび)の寄手(よせて)一方(いつはう)を承(うけたまは)り、高名(こうみやう)の手柄(てがら)を願(ねが)ふべきに、征罰(せいばつ)の評議(ひやうぎ)にもかへられず。又(また)許都(きよと)に残(のこ)りおるならば裏(うら)ぎりせんかと御疑(おんうたが)ひ、身(み)しりぞくより外(ほか)になく、女(おんな)を此国(このくに)にゆたねをき、いかなる海浜(かいひん)にも隠(かく)るべきに、城(しろ)は危(あやふ)く実父(じつふ)は老病(らうびやう)、一日(いちにち)/\こゝに滞留(たいりう)、〈地〉面目(めんぼく)もなき拝顔(はいがん)」

と低頭(ていたう)涙(なみだ)にくもりごへ。袁紹(えんしやう)は病床(びやうしやう)より肌具足(はだぐそく)に身(み)をかため、よろばひ出(いで)て、

「いかに曹操(さうそう)。〈詞〉昔(むかし)は膝(ひざ)をくみし旧友(きうちう)、互(たがひ)に出世(しゆつせ)の今(いま)の身(み)の上(うへ)。公(おほやけ)の事(こと)ならば大目(おほめ)に見(み)るがせめてのよしみ。かほどに玉璽(ぎよくじ)のせんさくは、其方(そのはう)帝位(ていい)の望(のぞみ)よな。心外(しんぐわい)なるは劉夫(りうふじん)、我(われ)志(こゝろざし)を背(そむ)くのみか、贋物(にせもの)を制(せいす)るふとゞき。〈地〉我手(わがて)にかゝる」

と及(およ)びごしに打剱(うつけん)の、目(め)あては曹操(さうさう)、目早(めはや)き男(おとこ)、しかいにすはれば打(うち)こして、劉夫(りうふ)人の肩(かた)さきに胸(むね)いたぬきてざつくと立(たつ)。思(おも)はず袁紹(えんしやう)曹子建(さうしけん)麗玉(れいぎよく)かなしく抱(だき)かゝへ、車(くるま)を下(おろ)し介保(かいはう)す。曹操(さうさう)は見(み)やりもせず、

〈詞〉「此国(このくに)残(のこ)るはわづかながら、家(いへ)の案否(あんぴ)は追(おつ)ての沙汰(さた)。家内(かない)は残(のこ)らず我(わ)があづかる、味方(みかた)の諸軍(しよぐん)勝喊(かちどき)/\」。

「威々(ゑい/\)、〈地ハル〉応(おう)」

と響(ひゞき)て五官(ごくわん)の将(しやう)」。

〈詞〉「待(まつ)た/\父(ちゝ)うへ。袁氏(ゑんし)の一族(いちぞく)は此(この)曹植(さうち)が預(あづか)り保(たもち)ち、少(すこ)しも指(ゆび)はさゝせぬ。〈地色〉恐(おそ)れながら父(ちゝ)うへの御心(おこゝろ)の内(うち)はかりがたし。甄麗玉(しんれいぎよく)は曹植(さうち)が賜(たまは)る。〈詞〉かしぎてもゆるも同(おな)じたじろぐさ、いたくなもへそたぎる涙(なみだ)を、是(これ)は先年(せんねん)聊(いさゝか)の争(あらそひ)に、兄上(あにうへ)のしめされし七歩(なゝあゆみ)の大和歌(やまとうた)〈地〉三十(みそ)に一ツの唇(くちびる)ごへ、漢字(かんじ)も及(およば)ぬ和風(わふう)の妙(みやう)。此(この)意(こゝろ)を感(かん)じてより垣(かき)の外(ほか)へは聞(きか)さぬ同胞(はらから)。一生(いつしやう)中(なか)よくせんものと心(こゝろ)に誓(ちか)ひも世は戦国(せんごく)。親子(おやこ)の間(あひだ)も機(き)をかくし、心(こゝろ)ならずも〈フシ〉へだゝりし。正(まさ)しく親子(おやこ)三人が一人(ひとり)の女(おんな)に心(こゝろ)を懸(かけ)しと後(のち)の世(よ)の笑(わら)ひもの。仏氏(ぶつし)の所謂(いわゆる)宿世(すくせ)の業(ごふ)」

と口惜(くちおし)がれば、曹孟徳(さうまうとく)から/\かつらと打笑(うちわら)ひ、

〈詞〉「漢家(かんか)の礎(いしずへ)をかため四百余州(しひやくよしう)に羽(は)をのす大鳥(おほとり)。一朝(いつちやう)に時(とき)を得(う)れば羽(は)がいの下(した)は皆(みな)臣妾(しんしやう)。美食(びしよく)を艶(ゑん)するは一旦(いつたん)の事(こと)。大志(たいし)あるもの何(なに)の頓着(とんぢやく)。女(おんな)はいまだ嫁(か)せざる内(うち)は、世界(せかい)の人(ひと)が皆(みな)夫(おつと)。さま%\のこといふやつはいはせてをけ。甄麗玉(しんれいぎよく)は今年(こんねん)廿四、曹植(さうち)は十八、あたらぬ配偶(はいぐうう)うつほれたは〓(なんじ)がうつかり。かと思へば我(われ)が恋慕(れんぼ)を隔(へだ)て、曹子建(さうしけん)に添(そは)せんと心を尽(つく)せしそらぼれならん。我(われ)は亦(また)麗玉(れいぎよく)が叔母(おば)にたより、玉璽(ぎよくじ)をとゞめ工夫(くふう)の一ツ、今(いま)手(て)に入(いつ)たる此上は、何(なに)もかも余念(よねん)はないぞ」。

〈地ウ〉聞(きい)て曹植(さうち)も安堵(あんど)の上(うへ)、

「某(それがし)は是(これ)より隠逸(いんいつ)。兼(かね)て帰依(きゑ)する左慈(さじ)が門下(もんか)。皆(みな)おさらば」

と立上(たちあが)る。さうはさせぬと曹子建(さうしけん)引(ひき)とゞむれば、忽(たちまち)に、《仙ジユツ ニンギヤウヲ羊ニカヘテヨシ フクヲヌグベカラズ》年経(としふる)羊(ひつじ)と身(み)を変(へん)じ、

〈詞〉「再(ふたゝ)び魏都(ぎと)にはゆくまじ」

と城(しろ)を飛(とび)こへ〈ハクムフシ〉かけり去(さ)る。〈地ハル〉忙(あきれ)ながらも屈(くつ)せぬ曹操(さうさう)。誰彼(たれかれ)なしに

「軍功(ぐんこう)を以(もつ)て家督(かとく)とするが戦国(せんごく)のはげみ。女房(にようばう)をあやめしも、正(まさ)しく我(われ)を目(め)あての剱根(つるぎね)意気(ゐき)のしれぬ袁紹(えんしやう)の首(くび)取(とつ)て功(こう)を立(たて)よなどゝ、〈詞〉行(ゆき)つまつたせりふは言(いは)ぬ。〈地ウ〉銘々(めい/\)得方(ゑかた)の器量(きりやう)を以(もつ)て一ト手柄(てがら)して立帰(たちかへ)れ。今幾(いまいく)つにも分(わか)れし世(よ)の中(なか)、一統(いつたう)させてかたづける工夫(くふう)を忘(わす)れず〓(なんじ)が名(な)、〈詞〉一(いつ)ならずの心(こゝろ)も取(とつ)て曹丕(さうひ)と改(あらた)め時(とき)をまて。〈地〉さらばよ帰陣(きぢん)」

と〈フシ〉立出(たちいづ)れど、〈地ウ〉軍事(ぐんじ)にすゞどき時(とき)の英雄(ゑいいう)、

「取(とつ)てかへして此城(このしろ)を」

と、目くばせがつてん端平(だんぺい)陰平(いんぺい)、役目(やくめ)の石車(せきぐるま)を按排(あんばい)し、又もや石(いし)を搬(はこば)せて大勢(おほぜい)たかる責支度(せめじたく)、〈下ウ〉遠目(とをめ)に見(み)やる城中(じやうちう)は、降参(こうさん)のうへ是非(ぜひ)なしと、今(いま)は必死(ひつし)のからめて口(ぐち)。燕人(ゑんひと)張飛(ちやうひ)いつの間(あひだ)に、

「後詰(ごづめ)の先鉾(さきて)」

と〈ハル色〉叫声(さけぶこへ)。虎鬚(とらひげ)左右(さいう)へ竜登(たつのぼ)る。

「ソリヤ張飛(ちやうひ)じや」

と捨(すて)ゆく石車(せきしや)めき/\ぐわらりと踏砕(ふみくだ)き、さゝへる雑兵(ざふひやう)、〓鉾(じやばう)にながれ、蹴上(けあげ)られ、よりつくものも嵐(あらし)この、葉武者(はむしや)の手(て)には及(およば)じと左右(さう)より組(くみ)つく端平(だんぺい)陰平(いんぺい)。曳倒(ひきたを)さんと力(りき)めども、

〈コハリ〉「彼神国(かのしんこく)の要石(かなめいし)。地軸(ちぢく)の端(はし)などはへぬく丈夫(じやうぶ)。コリヤ脇(わき)ばらがこそばゆくてならない」

と、両(りやう)の首筋(くびすぢ)ひつ〓(つか)み、頬(つら)と頬(つら)とを相打(あひうち)に真額(まつかふ)砕(くだ)かれ悶絶(もんぜつ)す。とゞめは背骨(せぼね)と両足(りやうそく)に蹂躙(ふみにじられ)て、大のおのこ

「ぎやつ」

ともいはず死(しゝ)てげり。

 〈ハル〉ひかへて勝負(しやうぶ)を見合(みあは)す曹操(さうさう)。肝(きも)を振(ふる)はせ、飛(とび)のる馬上(ばじやう)に声(こへ)をかけ、

〈詞〉「大半(たいはん)和睦(わぼく)相調(あひとゝの)ひ、互(たがひ)に満足(まんぞく)。先手(さきて)御苦労(ごくらう)々々(ごくらう)」

と壊(くづ)れ立(たつ)て引(ひい)て行(ゆく)。腹(はら)を抱(かゝへ)て張飛(ちやうひ)が笑(わら)ひ、

「ハハハハ/\てもぬつへりと撫(なで)おつた」

と物(もの)かげ〈フシ〉深(ふか)く立休(たちやす)らふ。

 他人(たにん)無(なけ)れば劉夫人(りうふじん)を子建(しけん)が膝(ひざ)に扶(たす)けよせ、

〈詞〉「コレ反(そる)まいぞ/\、麗玉(れいぎよく)それきつとかへよ、アイおばさま気(き)もちを張(はつ)て」

といたはるぞ、苦痛(くつう)をこたへて、

〈地ウ〉「此事(このこと)いはねばなんぼでも、いつかな死(し)なぬ一大事(いちだいじ)。わらは稚(おさな)き其(その)むかし、玉璽(ぎよくじ)に古今(ここん)の伝(でん)ありと、〈クル〉蔡中郎(さいちうらう)のもの〈中〉語(がた)り、〈詞〉連城(れんじやう)の価(あたひ)ある卞和(べんくわ)が玉(たま)にて刻(きざめ)る秦璽(しんじ)。漢(かん)の元后(げんこう)嗣目(つぎめ)を怒(いか)り、使(つかひ)に擲給(なげうちたま)ふ時(とき)、釖(ひもつけ)の竜(りよう)角(つの)決(かけ)てより、秦(しん)の玉璽(ぎよくじ)は漢(かん)に用(もち)ひず。〈地ハル〉新(あら)たに彫刻(ちやうこく)六ツの玉璽(をして)、曹操(さうそう)いまだ伝(でん)を得(ゑ)ず。わが驚(おどろ)きにいよ/\信(しん)じ取(とつて)行(ゆき)しは無用(むよう)の剰物(むだもの)。又(また)自(みづから)がこゝに持(もち)たるは袁熈(ゑんき)が戯(たはふ)れ、琢磨(たくま)の篆刻(てんこく)。これを持行(もちゆき)あらはれなば、〈色〉其時(そのとき)死(しぬ)るかうきめにあふか。何(いづ)れ〈ハル〉脱(のが)れぬ我(わ)がいのち。袁紹殿(えんしやうどの)の手(て)に懸(かゝ)り、こゝで死(し)ぬれば〈色〉仕合(しあはせ)もの。蜀(しよく)へわたす真(まこと)の玉璽(ぎよくじ)、請取人(うけとるひと)はいづくに」

と、呼(よぶ)に答(こたへ)て立出(たちいづ)る、〈トウクカゝリ〉張飛(ちやうひ)出(で)たちを其侭(そのまゝ)の、帯噛(をびくひ)肩噛(かたくひ)ぬぐかた手(て)。〓鉾(じやばう)も《ニモチヲツコ下ヘ出ル》しこみの荷(にな)ひ棒(ばう)錦売(にしきうる)なる蜀商人(しよくあきびと)、下に鎖(くさり)の軟戦(なんせん)ひらき、

「某(それがし)こそ劉玄徳(りうげんとく)の使(つかひ)、常山(じやうざん)の趙雲(ちやううん)」

と名乗(なの)るに、しるき誉(ほま)〈フシ〉れの勇者(いうじや)。荷箱(にばこ)の内(うち)より時行(はやり)出(で)の和国模様(わこくもやう)と指出(さしいだ)せば、袁紹(えんしやう)が袖(そで)に合(あは)せる金比甲地紋(きこうかたぢもん)一手(いつて)の軍繻(わかふきれ)。

〈詞〉「劉夫人(りうふじん)、割符(わつふ)は合(あふ)たぞそれ/\」

と、〈地〉使女(しじよ)に命(めい)ずる一包(ひとつゝみ)、錦(にしき)の価(あたひ)と、渡(わた)せば、開(ひら)く箱(はこ)の内(うち)、炳(かゞや)く光(ひかり)を手早(てばや)くおさめ、

〈詞〉「夫人(ぶにん)の深手(ふかで)御いたはしけれど、戦場(せんじやう)数合(すがふ)の討死(うちじに)も同前(だうぜん)。此上(このうへ)は御老身(ごらうしん)心(こゝろ)もとなし。一ト先(まづ)蜀(しよく)へ御供(おんとも)」

とすゝむれど、頭(づ)を打(うち)ふり、

〈地〉「人間(にんげん)の吉凶(きつきやう)何ぞ驚(おどろか)ん。河北(かほく)の袁紹(えんしやう)他国(たこく)の土(つち)にはならぬ。超雲(ちやううん)をさし越(こさ)れよ」

とさしづの使(つかひ)。張飛(ちやうひ)を恐(おそ)るゝ曹操(さうさう)を走(はし)らす勇気(いうき)、真(まこと)の張飛(ちやうひ)も外(ほか)ならず。

「一旦(いつたん)曹操(さうさう)和(やはら)げ共(ども)、他日(たじつ)必定(ひつじやう)、又(また)取(とり)かけん。其時(そのとき)は好(よし)みの蜀(しよく)、袁譚(ゑんたん)が加勢(かせい)頼(たの)みをくと伝(つた)へられよ」

と其(その)あとは、わき目(め)に見(み)やる春霞(はるかすみ)、河(かは)を、〈ヲクリ〉隔(へだ)て《ヨコクモサガリソノ下ニクラカハアリコノトコロ小人形下ノテスリノワキ》此方(こなた)なる、夏侯(かこう)奔攸(ほんしう)監(かん)する米倉(こめぐら)、士卒(しそつ)をしたがへ油断(ゆだん)せず。

 かゝる所(ところ)に本陣(ほんぢん)の急使(きうつか)ひ、令旗(れいき)を振(ふつ)て

「いかに〈ノル〉典軍(てんぐん)、何(なに)かはしらず沛国勢(はいこくぜい)、只今(たゞいま)御本陣(ごほんぢん)に不意(ふゐ)を打(うち)、勢(いきほ)いけはしく責(せめ)かゝり、小勢(こぜい)なれども手(て)くばり達者(たつしや)。拒(ふせぐ)に唯忙(とはふ)味方(みかた)の周章(あはて)、あとさきよりたて挟(はさ)み討(うち)とり給(たま)へ」

と、言捨(いゝすて)馬(むま)を馳(はせ)かへる。

 両将(りやうしやう)思案(しあん)し、

「城(しろ)は已(すで)に降参(こうさん)。前(まへ)は流水(りうすい)。船(ふね)一艘(いつさう)も置(をか)ぬ所(ところ)、子細(しさい)あらじ」

とこゝを捨(すて)、本陣(ほんぢん)さしてかけりゆく。《ダウグヤ》一時(いちじ)に敵(てき)の気(き)をうばひ、一手(ひとて)分(わか)れし蜀(しよく)の勢(せい)、老将(らうしやう)黄忠(くわうちう)下知(げち)をなし、兵糧(ひやうらう)蔵(くら)を打破(うちやぶ)り、はこびて出(いだ)す片手(かたて)には、ならべしひしを取あつめ、柵(さく)を解(ほどき)てからみつけ、偶配(ぐはい)がてんの軍家(ぐんか)の寸尺(すんしやく)、つもり合(あは)せし俄(にはか)かの筏(いかだ)《トリヲイ》積上(つみあげ)/\

「蔵(くら)を尽(つく)すな、事足(ことたり)ぬ」

と水(みづ)に浮(うか)べて棹出(さしいだ)す。《トリヲイ》味方(みかた)の屯(たむろ)へ其間(そのあひだ)平地(へいち)になれば組直(くみなを)し、《大コク》車(くるま)を仮(から)ぬ運送(うんさう)は末世(まつせ)に語(かた)れる孔明(こうめい)が木牛(もくぎう)。流馬(りうば)は〈フシヲチ〉是(これ)ならん。〈地ハル〉米倉(こめくら)大事(だいじ)と立帰(たちかへ)る。奔攸(ほんしう)見るより大にいかり、

〈ノル〉「あれくひ留(とめ)よ」

とかけまはる。

 〈地色〉折節(をりふし)落逢(をちあふ)趙子竜(ちやうしりやう)、錦売(にしきうり)の一荷(いつか)の箱(はこ)うへ、下(した)に立直(たてなを)し、外(そと)ばこ取(とつ)て機関(きくわん)を挽(ひき)、筒先(つゝさき)並(なら)び飛(とび)出る。《ハナヒシカケ》昆屯(こんとん)没巴(もつは)の雷火炮(らいくははう)、打(うち)ぬく奔攸(ほんしう)手勢(てぜい)も微塵(みぢん)、甲(かぶと)の片(かけ)も、〈フシ〉余(のこり)なし。今(いま)はの手負(てをひ)が耳(みゝ)に入(い)リ、扶(たすけ)られても目(め)は暗(くら)み、すこしは笑(ゑみ)を〈ナガス〉此世(このよ)の名ごり。子建(しけん)おぼへず声(こへ)をあげ、

〈クル〉「思(おも)ひがけなき御最期(ごさいご)や」

と夫婦(ふうふ)が顔(かほ)を見合(みあは)せて、

「そちが難義(なんぎ)を身(み)にうけて、かはらせ給(たま)ふいつくしみ、いゝゑいなあ姪子(めいこ)といへど、血(ち)を分(わけ)しおまへに繋(つなが)るわらはに恵(めぐみ)。〈上色〉御恩(ごをん)をわすれ給(たま)ふな」

と思ひ出(だ)しては泣涙(なくなみだ)、水(みづ)もつ空(そら)の春雨(はるさめ)に河(かは)の水(み)かさや流(ながれ)れ添(そ)ふ。

 〈地ウ〉命(めい)を悟(さと)れる袁紹(えんしやう)、

「夫婦(ふうふ)が不覚(ふかく)の歎(なげき)を恥(はぢ)しめ、四季(しき)の変化(へんくわ)は常(つね)の世(よ)に、不定(ふじやう)の中(なか)の不定(ふじやう)の此時(このとき)、死骸(しがい)を片時(へんじ)もためらひ難(がた)し。先祖(せんぞ)の〓(つか)に葬(はふむ)り営(いとなみ)、弐人も早(はや)く立退(たちのく)べし」

と、以前(いぜん)の車(くるま)を殯(かりもがり)。夫婦(ふうふ)しほ/\〈フシ〉舁(かき)うつす。憂(うれひ)に屈(くつ)せぬ袁紹(えんしやう)

「沛国勢(はいこくぜい)は天晴(あつはれ)味方(みかた)。ゆだんするな」

と蒋奇(しやうき)に下知(げち)し、物見(ものみ)を遣(つか)ひ引敵(ひくてき)の物間(ものあひ)に心(こゝろ)を付(つけ)、余厳(よげん)の《ハルカワキニ木牛多ク山ミチヲ出ル》きてんは大義のはじめ、上(さゝげ)し書(ふみ)に曹操(さうさう)が肝(きも)を寒(ひや)せし河北(ほく)の〈イロ〉名木(めいぼく)、若木(わかき)に秀(ひいづ)る麗句(れいく)の達者(たつしや)。〈サハリ〉詞(ことば)の花(はな)は多(おほ)くとも為(なす)こと〈フシ〉なきは口(くち)惜し。蘇秦(そしん)張義(ちやうぎ)にあらねども、諸国(しよこく)に説(とい)て和合(わがふ)は忽(たちまち)、七歩(しちほ)に詩賦(しふ)の魏晋(ぎしん)の才子(さいし)、思(おも)ひを陳(つらぬ)る自在(じざい)の筆(ふで)も、《シケン女トゝモニ出ユタキハ》心(こゝろ)にまかせぬ世(よ)の盛衰(せいすい)、つれて行世(ゆくよ)のすがたなり。

〈呉服/文織〉時代三国志第三終

〈呉服/文織〉時代三国志(じだいさんごくし)第四上

〈地  ヒロマノカゝリ  玄トクイスニヨル 告事半スミタル処〉

劉玄徳(りうげんとく)漢中(かんちう)を定(さだ)め給(たま)ひしより、政道(せいだう)いたらぬ隈(くま)なけれども、有智(いうち)の人(ひと)上(かみ)にあれば下(しも)に必(かならず)珍事(ちんじ)を生(しやう)じ、威(をど)せばくねりなつくれば、着(つき)あがりする民草(たみぐさ)は養(やしな)ひ〈フシ〉がたき例(ためし)かや。〈地〉百(もゝ)の司(つかさ)を励(はげま)さんと截断(さいだん)の折(をり)からは、自(みづから)政府(せいふ)にならせられ、〓統(はうたう)黄忠(くわうちう)左右(さいう)に近持(きんじ)し、處々(しよ/\)の政司(せいし)の沙汰(さた)を経(へ)て、状詞(じやうし)すみたる告状(こくじやう)訴人(そにん)、次第(しだい)を挨(つめ)て並(なら)びいる。時(とき)に執役(しつゑき)事(こと)を報(はう)じ、債家(かけかた)負方(おひかた)打欧(うちたゝき)、それ/\の所置(しよち)速(すみやか)に、公案(こうあん)すみて落着(らくぢやく)結(むす)び、恩(をん)を拝(はい)して〈フシ〉立(たつ)跡(あと)に、俗(ぞく)にはあらぬ葛巾(かつきん)〓衣(けごろも)

「望帝観(ばうていくわん)の道士(だうし)向不看(かうふかん)は〓(なんじ)よな。〈詞〉近比(ちかごろ)神座(しんざ)の下(した)より神札(しんさつ)日々(にち/\)に出現(しゆつげん)し、縁日(ゑんにち)子規(ほとゝぎす)の声(こへ)を聞(きく)もの、掛(かけ)たる願(ねが)ひ成就(じやうじゆ)とたれいふともなく杜宇(とう)の岡(をか)に群集して、神札(しんさつ)をいたゞき帰(かへ)るとな。神(かみ)に形体(けいたい)なく神札(しんさつ)は人作(にんさく)。神号(しんがう)かならず筆者(ひつしや)あるべし。訴(うつたへ)の状詞(じやうし)に人をやとへば、筆者(ひつしや)の名(な)まで記(しる)すが大法(たいはふ)。筆者(ひつしや)しれずは神託(しんたく)祈(いのり)得(ゑ)て申出(もふしいで)よ。筆者(ひつしや)これなき神札(しんさつ)ならば、見(み)へ次第(しだい)焼捨(やきすて)にせよ。心(こゝろ)得たるか」

と、邪神(じやしん)は邪神(じやしん)の取(とり)さばき。一目(ひとめ)ニ見(み)こす山(やま)壊(くへ)て、はら/\〈フシ〉立(たつ)てまかり出(い)づ。

 岷山(みんざん)の百姓(ひやくせう)ども、階上(かいしやう)に舁居(かきすへ)し、魚龍(ぎよりやう)のかざり天然(てんねん)と彫(ゑつ)たる如(ごと)き自然石(じねんせき)、形(かたち)太鼓(たいこ)に似(に)たれども、打(うつ)て無興(ぶきやう)の人々(ひと%\)がつんぼ石(いし)かとさゝやくにぞ、玄徳(げんとく)つら/\見給(みたま)ひて、

「其(その)石(いし)の外(ほか)にさしたるものもあらざるや」

と、見(み)まはし給(たま)ふこなたには、〓(びん)のほとりの油石(あぶらいし)、蝋珀練(らふはくねり)の棒(ばう)ならで、盤(ばん)に積(つみ)たる尺余(しやくよ)の條石(ながいし)。是(これ)も自然(しぜん)と魚鱗(ぎよりん)の形(かたち)」、

「異石(いせき)もあればあるもの哉(かな)。吉凶(きつきやう)いかん」

とひそめけば、玄徳(げんとく)打(うち)笑(わらは)せたまひ、

「是式(これしき)になんの吉凶(きつきやう)。蜀(しよく)には古来(こらい)異石(いせき)多(おほ)し。禹王(うわう)の山海象(さんかいしやう)に『魚磬(ぎよけい)出(いづ)れば魚石(ぎよせき)あり』と記(しる)せり。誰(た)ぞ此(この)石(いし)を以(もつ)て彼(かの)石皷(せきこ)を打(うつ)べし」

と仰(おほせ)に、黄忠(くわうちう)立寄(たちよつ)て、

「これがなんの」

と一ト打(うち)に〓(だう)ど鳴(なる)音(こへ)殿中(でんちう)ひゞき、耳(みゝ)おどろかす〈ウフシ〉うなりごへ。

「コリヤ両所(りやうしよ)の者共(ものども)、此(この)石(いし)奇(き)なりといへども用(よう)なき異物(いぶつ)。取(とり)かへりて本所(ほんじよ)にうづみ〈地〉人(ひと)を騒(さはが)すことなかれ」

と、博識(はくしき)明智(めいち)に感服(かんふく)し、拝(はい)して出(いづ)る其(その)次(つぎ)に、無官(むくわん)なれども鄙(ひな)びぬ少年(しやうねん)、

〈詞〉「〓〈なんじ〉は先代(せんだい)蜀(しよく)の守(まもり)、益州(ゑきしう)の刺史(しし)劉璋(りうしやう)が長子(ちやうし)劉循(りうじゆん)な。其方(そのはう)が身分(みぶん)、蜀(しよくに)足(あし)を留(とめ)させ度(たき)」

と、父(ちち)が在(います)日(ひ)申(もふ)せし由(よし)にて、遺書(ゆひしよ)の告状(つげぶみ)。緘(しめ)をひらけば、内(うち)は白紙(しらかみ)。あぶり浸(ひた)せど見(み)るべき字(じ)なし。只(たゞ)鳳雛(ほうすう)執事(しつじ)と当名(あてな)せし。其(その)人(ひと)定(さだめ)てあるにあらず。諸葛(しよかつ)が臥龍(がりやう)を世(よ)に伏龍(ふくりやう)とよび、それに対(つい)する鳳雛(ほうすう)の人物(じんぶつ)多(おほ)くあらんと、世(よ)のいひなしにのつて聞(きこ)への為(ため)に名目(みやうもく)をたて、近来(きんらい)は多(おほ)く馬謖(ばしよく)を用(もちひ)て人心(じんしん)を服(ふく)せしむ。取(とり)定(さだ)めぬ名(な)を書(かき)しも白紙(はくし)と同意(だうゐ)。身(み)をへりくだり我(われ)に託(まか)せる温柔(おんじう)の劉〓(りうしやう)。〈地〉旧家(きうか)の好(よしみ)忘(わす)れぬ劉備(りうび)、筆(ふで)はそれがし、地白紙(ぢしらがみ)は亡父(ばうふ)、君父(くんぷ)の命(めい)を能(よく)守(まも)れど、中郎将(ちうらうじやう)の官(くわん)となし、昔(むかし)の山荘安堵(さんさうあんど)の自筆(じひつ)、奉録(はうろく)重(おも)く給(た)びければ、首(かうべ)を叩(たゝ)き〈フシ〉恩(をん)を謝(しや)す。截断(さいだん)已(すで)に終(おは)る比(ころ)、

「〓郡(すいぐん)の太守(たいしゆ)馬謖(ばしよく)が使(つかひ)として、別駕(べつか)陳儔(ちんたう)参上(さんじやう)」

と告(つぐ)るにぞ、玄徳(げんとく)〓統(はうたう)に向(むか)はせ給(たま)ひ、

「彼(かの)陳儔(ちんたう)といふ者、文筆(ぶんひつ)を自負(じふ)し、我(わが)蜀(しよく)いまだ史官(ふひと)なければ、彼(かれ)を其(その)職(しよく)にふせられよと馬謖(ばしよく)再三(さいさん)吹挙(すいきよ)す」

と、〈地〉のたまふ中(うち)に進(すゝ)む陳儔(ちんたう)、瞻視(せんし)正(たゞ)しく手(て)を拱(こまぬ)き、

〈詞〉「馬謖(ばしよく)、先達(せんだつ)て虚山(きょざん)の先鉾(さきて)仕(つかまつ)り、魏(ぎ)の将(しやう)張〓(ちやうがふ)が為(ため)に破(やぶ)られしは、味方(みかた)の隊将(たいしやう)才智(さいち)をそねみて見続(みつが)ざるゆへ、思(おも)はぬ大敗(たいはい)急度(きつと)慎(つゝし)み罷(まかり)在(あ)る。馬謖(ばしよく)時勢(じせい)を考(かんがふ)るに、兎角(とかく)呉国(ごこく)と合体(がつたい)あるが、魏(ぎ)を弱(よは)める始終(しじう)の利(り)かた、不才(ふさい)なれども此(この)陳儔(ちんたう)を使(つかひ)となし、呉国(ごこく)に説(とか)しめ給(たま)へとの、啓書(けいしよ)是(これ)に」

と呈上(ていしやう)す。〈詞〉随(やが)て〓統(はうたう)よみ上(あげ)る其(その)詞(ことば)、

「利害(りがい)をそなへ時宜(じぎ)を弁(べん)じ、使(つかひ)を望(のぞ)む此(この)陳儔(ちんたう)、造次(かりそめ)の花(はな)無(なけ)れども始終(はじめおはり)を克(よく)する美(び)あり」

と、残(のこ)る方(かた)なき吹挙(すいきよ)の文。玄徳何(なに)とか怒(いか)りの気色(きしよく)。

〈詞〉「をのれ属官(ぞくくわん)の身として、さしひかへなくかゝる大事(だいじ)の使(つかひ)せんとは不届き(ふとゞき)千万(ばん)。今(いま)此(この)啓書(けいしよ)も執筆(しゆひつ)は自進(てほめ)我慢(がまん)の〓に筆(ふで)とらさば、蜀には人なく書(かき)なさん。永(なが)くいとまを賜(たまは)るあひだ、此国に足(あし)を留るな。あれ引立(ひつたて)よ」

と仰(おほせ)ある。〈地〉陳儔(ちんたう)面目(めんぼく)失(うしな)ひて、詞(ことば)もなくて退(しりぞ)きいづ。〓統(はうたう)御座(ござ)に謹(つゝしん)で上意(じやうい)の程(ほと)をうかゞへば、

〈詞〉「いやとよ、侫人(ねいじん)は家(いへ)の虫(むし)、小侫(しやうねい)でも去(さ)るが当然(たうぜん)。其上(そのうへ)馬謖(ばしよく)は詞(ことば)ほどに功(こう)なき者(もの)。先鉾(せんはう)に用(もちひ)たる〈地〉目利違(めきゝちがひ)」

と仰(おほせ)に、〓統(はうたう)、

〈詞〉「兼(かね)て諸葛(しよかつ)が手(て)がはりにもなるべき者(もの)。器量(きりやう)の尺(たけ)を振(ふるは)せんと、宿(ふる)き大将(たいしやう)さし置(をい)て、先鉾(さきて)に用(もちひ)候所、才ありながら若(わか)げの止度(しど)なさ。夫(それ)ゆへ近々(きん/\)呉(ご)魏(ぎ)の取(とり)あひ。呉(ご)の周郎(しうらう)が相談(さうだん)柱(はしら)多用(たよう)の諸葛(しよかつ)拠(よんどころ)なく、窃(ひそか)に罷越(まかりこ)す仕合(しあはせ)」

と、評議(ひやうぎ)の折(をり)から

「勅使(ちよくし)御入(おいり)」

と呼(よび)つぐこへ。

「何事(なにごと)か。使(つかひ)は定(さだめ)て張〓(ちやうがふ)か夏侯淵(かこうゑん)。張〓(ちやうがふ)ならば後日(ごにち)の畏(こは)もの、帰(かへ)る道(みち)にて打(うつ)てとれ。夏侯(かこう)ならばつみつくり。〈地〉国号(こくがう)迄(まで)は

(挿絵半丁)

格式(かくしき)」

と客位(かくゐ)設(まうけ)て待(まつ)所へ、典軍(てんぐん)校尉(かうい)夏侯淵(かこうゑん)、時変に疾利(すゝどき)頬(つら)くせもの、魏国(ぎこく)の肺腑(はいふ)とよせおもく、跡(あと)に添(そひ)たる倍臣(ばいしん)は、只今(たゞいま)逐(をは)れし陳儔(ちんたう)がわるびれもせぬあつかは生(うま)れ、夏侯(かこう)が慇懃(いんぎん)揖礼(いつれい)に玄徳(げんとく)答拝(たふはい)。事(こと)をはり、

「勅使(ちよくし)大儀(たいぎ)」

と会釈(ゑしやく)ある。ぬからぬ夏侯(かこう)は横正面席(よこしやうめんせき)をひかへて座(ざ)になをり、

〈詞〉「去ンぬる比(ころ)新帝(しんてい)即位(そくゐ)に付(つき)、尋求(たづねもとむ)る伝国(でんこく)の玉璽(ぎよくじ)、河北(かほく)袁紹(ゑんしやう)より蜀臣(しよくしん)趙雲(ちやううん)授(さづか)リて、劉皇叔(りうくわうしゆく)の所(ところ)に収(おさ)めをかるゝよし、慥(たしか)に叡聞(ゑいぶん)。扨(さて)大変(たいへん)に行衛(ゆくゑ)しれざる李才人(りさいじん)と申官女(くわんじよ)。是(これ)も蜀(しよく)に存命(ぞんめい)と聞(きこ)し召(めし)、容儀(ようぎ)といひ故実(こじつ)知(し)り。此度(このたび)帰(かへ)し参(まひ)らせらるゝやうに〈地〉承知(しやうち)あれ」

と宣(のべ)をはり、席(せき)を下(さが)つてひかへいる。玄徳(げんとく)の仰(おほせ)を待(また)ず、老臣(らうしん)黄忠(くわうちう)あざわらひ

「ハハ々々、〈詞〉例〈れい〉の曹操(さうさう)の勅使(ちょくし)標挽軒(だしだんじり)がだん/\  出(で)ると、見(み)へのよい昇幻師(しなだまし)と勇者共(いうしやどもの)笑(わらふ)が非(ひ)か、李才人(りさいじん)など蜀(しよく)にありとも、あるひは人に具(ぐ)するかまつた入道(にふだう)などせんに、召(めし)とつて送(をく)らるべきか、是(これ)も全(まつた)く曹相国(さうしやうこく)が銅雀台(たうじやくだい)の酒宴(しゆゑん)の興(きやう)、ちよつと吸(すひ)もの注(つぎ)めのあひ、胸(むね)わるくて嘔(ゑづき)が出(で)る」

と膠(にべ)なき言葉(ことば)。夏侯淵(こうゑん)大(おほい)に憤(いか)り、剣(けん)取直(とりなを)し、

〈詞〉「なんぞや、勅使(ちよくし)に礼法(れいほふ)なき雑言(ざふごん)。今一度(いまいちど)ゆつて見(み)らふ」。

「ヲゝ聞(きゝ)たくばそつちの耳首(みゝくび)ぐるめにこつちへ取(とつ)て」、

「ヤ老(をひ)ぼれの口(くち)ばつかり、稗(ひへ)雑水(ぜふすい)の蜀(しよく)力(ちから)、大国(たいこく)の録(ろく)を食(はむ)夏侯(かこう)が手並(てなみ)ちよつとさはつてもひゞきが入ルぞよ」。

「ほざいたり河北(かほく)の石火矢(いしびや)ぶつかけ蕎麦(そば)打(うち)のこし、此国(このくに)の臭(くさ)みを嗅(かぎ)に来(き)た犬勅使(いぬちよくし)」

と、〈地〉競(あらさ)ふ双方(さうはう)、玄徳(げんとく)声(こへ)かけ、

「黄忠(くわうちう)さがれ。夏侯淵(かこうゑん)、老臣(らうしん)が性急(せいきう)、彼(かれ)は打(うち)やり、玉璽(ぎよくじ)の返答(へんたふ)よつく聞(き)け。〈詞〉趙雲(ちやううん)は長坂坡(ちやうはんは)の戦後(せんご)、久病(きうべう)いまだ調護(ちやうご)の内(うち)、何(なん)ぞ他国(たこく)に立越(たちこへ)ん。外(ほか)に我国(わがくに)地中(ちちう)より掘出(ほりいだ)せし玉璽(ぎよくじ)あれ共(ども)、丞相(じやうじやう)諸葛(しよかつ)深(ふか)く収(おさ)め、鳳雛(ほうすう)鑰(かぎ)を典(つかさど)る。其(その)鳳雛(ほうすう)とは我国(わがくに)にて才(さい)ある者(もの)の惣名(さうみやう)にて、さだめにいはぬ諸葛(しよかつ)が深意(しんゐ)。言合(いゝあは)さねど君臣(くんしん)一体(いつたい)。或(あるひ)は御求(おんもとめ)にまかせ是(これ)を奉(たてまつ)るとも、時(とき)の相国(しやうこく)直々(ぢき/\)に請取(うけとる)先規(せんき)が玉璽(ぎよくじ)の威光(いくわう)。李才人(りさいじん)とやらん、たとへ我国(わがくに)に隠(かく)るとも、一乱(いちらん)に跡(あと)をくらまし、面(おもて)の立(たゝ)ぬ罪(つみ)をしらば、名のり出(いづ)べきやうもなし。又召帰(めしかへ)されてこゝろよからじ」

と、〈地〉道理(だうり)つまれば、さしもの夏侯(かこう)、

「成程(なるほど)、領状(りやうじやう)仕る。御返答(ごへんたふ)の逐一(ちくいち)を違(ちが)はぬやうに」

と陳儔(ちんたう)が懐筆(くわいひつ)取て、さら/\とかきつらねたる筆(ふで)まめもの。無事(ぶじ)に其(その)場(ば)を退出(たいしゆつ)す。

 式台(しきだい)拝辞(はいじ)の〓統(はうたう)黄忠(くわうちう)、

〈詞〉「かさねて出会(であい)は大方(おほかた)甲冑(かつちう)、イヤ老人(らうじん)相手(あひて)に何(なに)の甲冑(かつちう)、ホゝウ生皮(なまかわ)おどしの魏国(ぎこく)のよろひ、イカサマきるとて所詮(しよせん)ハハハハハハ」

と或(あるひ)は笑(わら)ひ或(あるひ)は睨(にら)み、帰(かへ)りとゞまる。

 〈三重 コハリ 地〉《夜ケイ》地(つち)に起(をこ)リ、天(あめ)に遊(あそ)び、雲(くも)を友(とも)とし、焔(ほの)を子(こ)とし、十日(しうじつ)一吹(いつすい)四季(しき)四六(しろく)、〈下キン〉時(とき)ならねども〈ウ〉日(ひ)の本(もと)の東南(たつみ)の風(かぜ)にさへなす、邪軍(じやぐん)をしりぞけ民草(たみくさ)を、安(やす)んじ給へと東(ひがし)に向(むか)ひ、神護(しんご)を仰(あふ)ぐ〈大ハル〉諸葛(しよかつ)が祈(いのり)、髪(はつ)と納(あふぎ)稽〓(けいさう)百拝(ひやくはい)、風伯(ふうはく)などか〈ナヲス〉受ざらんと、実(げ)にたのもしく見(み)へにけり。時に吹来(ふきく)る巽風(たつみかぜ)、旗(はた)を吹(ふき)ちり吹(ふき)なびけ、風(かぜ)たま〈ウフシ〉木(こ)だま。兵(つはもの)ども口々(くち%\)に

「さあ/\、むまひ風(かぜ)が吹(ふき)まする」

と、〈地〉いふに聞(きゝ)とる五音(ごいん)の風角(ふうかく)。孔明(こうめい)うなづき、

〈詞〉「甘(むま)しといふは食味(しよくみ)の至(いた)り、むまい風(かぜ)とは曹操(さうさう)が風(かぜ)を食(くら)ふて逃(にげ)たであらふ。ハハア残念(ざんねん)なれど、それがしは、孫権に頼(たの)まれて風(かぜ)さへ吹(ふき)なば、其(その)余(よ)はまゝよ」

と、味方(みかた)の手(て)つがひ、急使(きうし)の割符(わりふ)したゝめる。所(ところ)は名高(なたか)き〈ハルウフシ コハリ下 マキウチニスルトコロイサゝカミルベシ〉南屏山(なんへいざん)。北(きた)にあたつて明(あか)りさし、黄河(くわうが)の面(おもて)昼(ひる)となり、ならび浮(うかべ)る魏(ぎ)の兵船(ひやうせん)。〈コハリハル〉さしもの大河(だいが)をふさぎし〈ナヲス〉大軍(たいぐん)、呉国(ごこく)の早船(はやふね)〓(あひづ)を定(さだ)め、風(かざ)かみより船(ふね)をはせ、不意(ふゐ)を焼(やき)うち魏国(ぎこく)の勢(せい)。船(ふね)こぎのけんも鎹(かすがい)くさり力(ちから)およばぬ惣(さう)くづれ、鎧(よろひ)に燃(もへ)つき煙(けふり)にまかれ、火(ひ)とも水(みづ)とも我(われ)ならで、泣(なく)ばかりなる〈ウコハリ〉難儀(なんぎ)の進退(しんたい)。〈地中〉水(みづ)に飛入(とびい)リうきしづむ。〈フシ〉こゝに呉国(ごこく)の水練(すいれん)ども、日本(ひのもと)伝授(でんじゆ)の水(みづ)たすき、水鞜(みづくつ)つけて自在(じざい)のはたらき。氷魚(ひを)か発尾(ゑぶな)か汲鮎(くむあゆ)か、あじろ鵜(う)の羽(は)にかゝりし得物、生捕(いけどり)殺傷(さつしやう)叫(さけぶ)こへ、数万(すまん)の敵(てき)を鏖(みなごろし)にとりひしぎたる周郎(しうらう)が、手柄(てがら)も諸葛(しよかつ)が風(かぜ)の便(たより)と、世(よ)の語(かた)り草(ぐさ)〈三重〉

   道行(みちゆき)仲達(ちうだつ)軍落(いくさをち)

《山ノケイ谷水スコシツゝヒキ 夜気》しげるなる、路(みち)〈フシ〉ふみわけて、

「皆(みな)のもの、来(く)るか/\、暗(やみ)の夜(よ)の粘土(ねばつち)堤(つつみ)すべるなよ/\」。

「ハイハイ、合点(がつてん)でござります、ア今(いま)思(おも)へばナア、七夕(たなばた)や閃(ちよ)と出(で)た月(つき)に星(ほし)迯(にげ)て、誰何(どやつ)渡(わた)さん烏鵲(かさゝぎ)の橋(はし)。此(この)初(はつ)秋に丞相(しやうじやう)さまの御佳作(ごかさく)モ、とんと壷(つぼ)でござります」。

〈ウク〉「道理(り)/\」

と石壁(せきへき)の軍(いくさ)に負(まけ)たる曹孟徳(さうまうとく)の貌(かたち)に扮(やつ)す司馬(しば)仲達(ちうだつ)。やう/\そこで、人心地(ひとこゝち)

〈詞〉「ヱツヱ、あつはれ旦那(だんな)は頭(かしら)して喰(くふ)ほどある。奈(どふ)でもこゝは歩踏(あしば)が勝(すぐ)れぬ。陣場(ぢんば)を見たてゝ来(こふ)わい。をれがかはりに此なりでと、やつはり船(ふね)に居(い)ると見(み)せ、ひそかに立(たて)もの衆(しゆう)をつれて、未明(みめい)から出(で)てかへられぬは、大方(おほかた)ついとてあたさふな。

〈挿絵半丁〉

跡(あと)でてつきりへらず口(くち)。引(ひき)しなに、船(ふね)をやきすてにしたものじやわやいなんどであろ。ガ皆(みな)の者(もの)、気(き)をしやつきりともてよ。英雄(ゑいゆう)といふものが此(この)やうな事(こと)に気(き)をくれしてよいものか。身共(みども)にさへ従(つい)てくれば、大舟(おほぶね)に乗(のつ)たとおもへ」。

「ハイハイ、其(その)大船(おほぶね)の敗軍(はいぐん)に〈ウ〉なんぎしたものでござります。うはさに違(ちが)はず今度(こんど)の仕組(しぐみ)も諸葛(しよかつ)めが半分(はんぶん)乗(のつ)てをりますといな」。

「ほんにかよ。やれ恐(をそ)ろしや/\。けつく今(いま)むねがおどつてあとが見らるゝ」

と、〈中〉ふりかへり見(み)る〈ウフシ〉こしかたに、数(かず)の把火(たいまつ)人声(ひとごへ)す。

「アレ敵(てき)がしたふぞ。コリヤならぬ。〈地ウ〉どこぞそこらにこつそりとかくれ所(ところ)」

と堤(つゝみ)の下(した)〈ウヲクリ〉葡(はふ)/\くゞる片(かた)すべり。〈フシヲクリ〉葦茅(あしかや)、深(ふか)く〈フシ〉縮(すく)み居(い)る。程(ほど)なく追人(をつて)が松(まつ)ふりたて、

「こゝらけぶさい気(き)を付(つけ)よ、〈詞〉中(なか)で鬚(ひげ)の長(なが)いが曹操(さうさう)。〈ウク〉それが目当(めあて)」

と聞(きく)こはさ。命にかゆる鬚(ひげ)をしからずと弗(ふつ)つり切(きり)たる〈フシ〉早(はや)がてん。

〈詞〉「イヤ/\おんともが見(み)た曹操(さうさう)は、鬚のない背(せ)のひくふいがそれぞや」と、〈ハル〉聞(きく)に、南無(なむ)さん切(きつ)たひげ、〓ことにざん念(ねん)さ。めつたに足(あし)をつまだてゝ気(き)をもむうちに、追手(おつて)の武者(むしや)、人々のまたさぐりゆく、仲達(ちうだつ)者共(ものども)葡上(はひあが)り、

〈詞〉「もふきづかい〈ケイウゴク〉ない/\。呉(ご)の国(くに)ははなれたぞ。コレこゝからが蜀(しよく)の領分(りやうぶん)。そちたちは孔明(こうめい)をめつたに恐(おそ)ろしがれど、気(き)が付(つか)ぬか、かまはぬか。此(この)仲達(ちうだつ)に呉国(ごこく)の加勢(かせい)さしてみよ。ソレ/\向(むこ)ふの丸木橋(まるきばし)のあひだに、兵(つはもの)を伏(ふ)せたらば、一寸(いつすん)もむかふへ行(ゆか)れぬはさて。〈中〉是(これ)に気(き)がつかいでは」

とかたる半(なかば)の並木(なみき)の内(うち)、数百人(すひやくにん)の小〓〓(しやうろうら)詞(ことば)を揃(そろ)へ、

〈詞〉「それへ見ゆるは魏国(ぎこく)の敗軍(はいぐん)。これは此辺(このへん)の野武士(のぶし)ども。案内(あんない)しれば気(き)を付(つけ)て討(うつ)てとれと、諸葛殿(しよかつどの)より急遞(きうぶれ)。されども御命(おいのち)とる気(き)でなし。鎧兜(よろひかぶと)帯剣(こしかたな)銘々(めい/\)にをいてござれ。〈エト〉さなきや通(とふ)さぬ/\」

と道(みち)をふさがれ、気(き)はいそぐ。

「所詮(しよせん)かなはぬ。やれ/\/\」

と、〈アミ 丸木ハシワタル〉素肌(すはだ)になつても口分限(くちぶげん)、

〈詞〉「なんと見(み)たか、をれが智恵(ちゑ)にすこしもちがはぬ。広(ひろ)い世界(せかい)にたゞ弐枚(にまい)の〈ノル〉貨物(しろもの)」

と、〈ナカチ〉自慢(じまん)重(かさな)る《ケイウゴク》谷(たに)また谷(たに)、往還(わうくわん)ならぬ間道(かんだう)を、気(き)ばかり先(さき)へ落武者(をちむしや)の仲達(ちうだつ)士卒(しそつ)を引立(ひきたて)て、

〈詞〉「頓(やが)て此(この)方(はう)の領分(りやうぶん)へ着(つい)たらば、広(ひろ)い本陣(ほんぢん)に宿(とまつ)て土妓(どぎ)でも買(かつ)て酒(さけ)にするぞ。皆(みな)拍子(ひやうし)を取(とつ)て歩(あゆ)め/\」。

「ヲツトまかせ」

と声(こへ)そろへ、

「だなさん、山道(やまみち)よごれた着込(きごみ)」。

宿屋(やどや)のはしご、ぐわた/\/\、すう/\/\、ゑい/\/\、〈ヲシ〉声(こへ)を力(ちから)のつかれあし、

〈詞〉「コレ此(この)境牌(たていし)が花容道(くわやうだう)。路(みち)はましになる、〈廿三ヤノツキ〉月(つき)は升(のぼ)る。我家(わがや)の内(うち)も〈道〉同(おな)じこと。扨(さて)と、某(それがし)なれば、野伏(のぶし)は頼(たのま)ぬ。此(この)陜(けはし)き所(ところ)に名(な)ある大将(たいしやう)待(また)せ置(をい)て、撃(うつ)て取(と)ル。〈半中〉てんしよむしやうな諸葛亮(しよかつりやう)、(ヲクリ)むべやま道(みち)は我(わが)近国(きんごく)」

と、大手(おほて)を振(ふつ)て行先(ゆくさき)に、〈ハルギン〉盆(ぼん)ぼり照(てら)す手(て)も揃(そろ)ひ、天窓(あたま)ばかりで見分(みわけ)ぬ脚(あし)を〈中色〉引出(ひきだ)す馬(むま)は真赤(まつかい)に、片手(かたて)に髯(ひげ)を握(にぎ)リの手(て)つき、此(こゝ)に関羽(かんう)が〈フシ〉休(やすみ)のしるし、〈地中〉関字(くわんじ)の旗(はた)に肝(きも)を化(け)し、仲達(ちうたつ)今(いま)は脱(のが)れずと、覚悟(かくご)しながら手(て)を拱(こまぬ)き、曹操(さうさう)の音(こへ)に似(に)せ

〈鼻〉「御備(おそな)へは関上軍(くわんしやうぐん)な。地獄(ぢごく)にも知人(しるひと)昔(むかし)の客人(まらふと)。仁心(じんしん)深(ふか)き無双(ぶさう)の勇者(いうしや)、討取(うちとら)んとのことならば角(かく)迫(せま)リたる我(わが)運命(うんめい)。勇将(いうしやう)の手(て)に懸(かゝ)れば〈モツ色〉死(しゝ)ての誉(ほまれ)」

と〈ナヲス〉投出(なげだ)す命(いのち)。関羽(くわんう)不便(ふびん)とおもひけん、〈フシ〉駒(こま)たて直(なを)し旁目(わきめ)〈ユル〉する、ゆとりにそろ/\後(あと)ずさり、足(あし)はやに遁行(のがれゆく)、頓智(とんち)の程(ほど)こそ危(あやふ)けれ。跡(あと)に残(のこ)りし二合半(にがふはん)、かきたておつけのうかしにせんと、矛(ほこ)取直(とりなを)すを

「アゝコレ、申/\、かんじんの切身(きりみ)はきらずにたゝき菜(な)がなんの御手(おて)ぎは。関羽様(くわんうさま)は御堅(おかた)い御人(おひと)。〈角詞〉かく申(もふす)者共(ものども)は、軍(いくさ)に立(たち)たる其日(そのひ)より、〈角地ウ〉女房(にようばう)のことは思(おも)はずに、皆(みな)年(とし)よつた老母(らうぼ)もち。〈ハル〉此間(このあひだ)は夢見(ゆめみ)がわるふて明(あけ)くれあんじ〈ユル〉居(い)られまし〈ユリ〉やふ」、

〈詞〉「何(なに)を弁口(べんこう)な。女房(にようばう)の事(こと)思(おも)はひでよいものか。しかし、そちたち 仕合(しあはせ)じや。此(この)関羽(くわんう)は近頃(ちかごろ)眼病(めやみ)。目(め)にかゝらばなでぎりじやぞ。アゝ絵(ゑ)に書(かい)たさへ細(ほそ)い御目(おめ)さま。お悪(わる)かお見(み)へぬがお尤(もつとも)。サア/\皆(みな)の衆(しゆう)、御目(おめ)に構(かま)はぬ様(やう)に卑(ひくふ)ゆかつしや」

と、〈ウク〉おつとまかせと四(よ)ツばひに、戌亥(いぬゐ)の方(かた)へとのがれゆく〈三重〉。

  四上終

〈呉服/文織〉時代三国志(じだいさんごくし)第四下

〈地ハル〉《ヤカタキヤクデンシキカハラタウフスマ》いつしかに又(また)立帰(たちかへ)る此年(このとし)も、秋風(あきかぜ)卓(しむ)る蜀山(しよくざん)の、諸葛(しよかつ)丞相(しやうじやう)の館(やかた)には、曹孟徳(さうまうとく)の入来(じゆらい)とて、臨時(りんじ)に設(まう)ける客(きやく)の席(せき)。孔明(こうめい)の奥(をく)がた黄細君(わうさいくん)、馬謖(ばしよく)が妻(つま)も差添(さしそひ)て、下司(したつかさ)の黄忠気(くわうちうき)をくばり椅子(いす)拭〓座具(ふくこしかけざぐ)直(なを)す洒掃(さいさう)、こゝに〈フシ〉従事(じうじ)せり。別殿(べつでん)の内客(ないきやく)は、相府(しやうふ)の留守(るす)を見廻(みまひ)の関羽(くわんう)、箒(はゝき)放(はな)さぬしかみづら、夫(ぶ)に上(あが)リたる百姓(ひやくしやう)の、庭(には)もりなれぬいらちの急八(きうはち)、関羽(くわんう)打(うち)ゑみ

「コレハ園守(にはもり)、精(せい)が出(で)るよ。しかし大(おほき)な掃除(さうじ)を目(め)がける今日(けふ)の客人(きやくじん)。そこらは好(よい)かげんに打(うち)やつて酒(さけ)にせよ」。

「いかさまおしやます通(とふ)リ、よかろ」

と箒(はゝき)引(ひい)て入(い)る長(なが)き短(みじか)き〈フシ〉髯(ひげ)と〈ユル〉鬚(ひげ)。〈地ハル〉時(とき)も羊(ひつじ)に日着(ひつき)の珍客(ちんきやく)。季漢(きかん)を補佐(ほさ)の曹孟徳(さうまうとく)、内(うち)は帝位(ていゐ)を我物(わがもの)と、眼(まなこ)ひからす典韋許〓(てんいきよちよ)、虎(とら)と熊(くま)とのゑらみの勇力(いうりき)。近侍(きんじ)の役(やく)は夏侯淵(かこうゑん)、某々(それ%\)、席(せき)に〈ノシ〉ひかへいる。

 主人(しゆじん)が衣冠(いくわん)の出迎(でむか)ひに、曹操(さうさう)柔和(にうわ)の貌(かたち)をつくり、上国(じやうこく)の使(つかひ)なれば上座(じやうざ)御免(ごめん)と揖譲(いつじやう)し

〈詞〉「サテ高名(かうめい)の諸葛殿(しよかつどの)。初(はじめ)ての対顔(たいがん)、小国(しやうこく)には惜(をし)い/\。大国(たいこく)の執政(しつせい)も世話(せは)や/\。既(すで)に去年(こぞ)冬(ふゆ)も、呉国(ごこく)征罰最中(せいばつさいちう)に持病(ぢびやう)をこり、わざと舟(ふね)を焚(やき)すてゝ急(きう)に帰陣(きじん)のめいわく。ならふことなら徳(とく)あるに譲(ゆづ)リて、我等(われら)は退休(たいきう)」。

「是(これ)は/\、承(うけたまは)リ及(およ)ぶ曹相国(さうしやうこく)、誰(たれ)か其右(そのみぎ)に出(いで)ん。〈地色〉自今(じこん)は面体(めんてい)御見知(おんみし)リ」

と、顔(かほ)を挙(あぐ)ればじろ/\見(み)て、

「足下(そこ)はどふやら見たやうな」。

〈詞〉「それよ、河北(かほく)の鶴(つる)の森(もり)で、モきついめにあはせた薬(くすり)うり」。

「ヤ是は不調法(ぶちやうはふ)申(もふし)た、まつひら/\、イヤ国(くに)に事なき折節(をりふし)は軽行(けいこう)微服(びふく)所(ところ)定(さだ)めず、御目(おめ)にとまりしことも有(ある)べし。」

〈地〉「扨(さて)今日(こんにち)の御来駕(ごらいか)は定(さだ)めて玉璽(ぎよくじ)を御(おん)うつし」、

〈詞〉「成程(なるほど)誠(まこと)に先達(せんだつ)て駅伝(しゆくつぎ)を以(もつ)ての投文(なげぶみ)。此国(このくに)格別(かくべつ)に号(な)を設(まう)け年号(ねんがう)をも建(たて)らるゝとな」。

「僣上(せんじやう)と存(ぞんず)れど、正(まさ)しく景帝(けいてい)の王子(わうじ)中山王(ちうざんわう)の後胤(こういん)、帝家(ていか)にも皇叔(くわうしゆく)とよばせ給(たま)ふ劉玄徳(りうげんとく)。底意(そこい)は漢(かん)を輔(たすく)る所存(しよぞん)」。

「それはとがめず、伝(つた)へ聞(きけ)ば伝国(でんこく)の玉璽(ぎよくじ)、袁紹より転伝(てん%\)共(とも)、又地中(ちちう)より堀得(ほりゑ)られしとも承(うけたまは)る。時(とき)の相国(しやうこく)へ直(ぢき)に渡(わた)す先格(せんかく)との口上(こうじやう)。其(その)趣(をもむき)によつて某(それがし)是迄(これまで)罷(まか)リ越(こす)。扨(さて)玉璽(ぎよくじ)に添(そひ)たる四百余州(しひやくよしう)一統(いつたう)の図籍(づせき)。是(これ)を相添(あひそへ)大漢(たいかん)へ還(かへ)し入(いれ)奉(たてまつ)られ道理(だうり)よからん。一種(いつしゆ)にても闕(かけ)るにおいては漢土(かんど)一統(いつたう)の望(のぞみ)紛(まぎ)れなければ、諸国(しよこく)に仰(おほせ)て討罰(たうばつ)あるべきとの勅詔(ちよくじやう)」

と、〈地中〉聞(きい)てこなたは何事(なにこと)か徹胸(とむね)当惑(たうわく)思案(しあん)を極(きは)め、

〈詞〉「成程(なるほど)其(その)二品(ふたしな)とも鳳雛(はうすう)預(あづか)リ守護(しゆご)すれば、揃(そろ)へて  呈上(ていじやう)仕(つかまつ)らん。玉璽(ぎよくじ)は兼(かね)てかざり置(をく)」

と、〈地〉上段(じやうだん)よりうつし取(とり)座上(ざじやう)に置(をけ)ば、曹孟徳(さうまうとく)、容(かたち)改(あらた)め手(て)に取上(とりあげ)、うへしたとつくと〈イ口〉一覧(いちらん)し、近侍(きんじ)にもたせし手道具(てだうぐ)の壷(つぼ)より取出(とりだ)す錦(にしき)の袋(ふくろ)、大(おほひ)さひとしき玉璽(ぎよくじ)とならべ、

「見(み)れば鼻鈕(つまみ)の決(かけ)たるまで、それかこれかと見(み)まがふ同物(だうぶつ)。ムムイヤ是(これ)ならば受取(うけとる)に及(およ)ばず。一杯(いつはい)食(くらふ)た同じもりかた、趙雲(ちやううん)の久病(きうびやう)も虚説(きよせつ)ならずと陳儔(ちんたう)が言上(ごんじやう)、ハテいぶかしけれどそれはそれ。図籍(づせき)ばかりを受取(うけとり)申さふ」

と、〈地ハル〉向(むか)ふになをす壷(つぼ)のふた取(とつ)て何気(なにげ)も

〈詞〉「ナフ孔明殿(こうめいどの)」、

「是(これ)はしたり何(なに)の御思案(ごしあん)」、

「是(これ)さ孔明(こうめい)」

「ハハツ」

とこたへて見(み)やると其(その)まゝ、〈地中〉ちやつとふたしてをさへた手付(てつき)。こなたは瞑眩(めんけん)眠(ねふ)るがごとく俯(うつぶき)て言葉(ことば)出(いで)ねば、黄忠(くわうちう)驚(おどろ)き立(たち)よつて、呼(よび)うごかせど正気(しやうき)なし。曹操(さうさう)も笑止(しやうし)げに

「これは持病(ぢびやう)の眩暈(げんうん)ならん。しばらく内(うち)へ扶(たす)け入(い)れ、典薬(てんやく)召(めし)て調養(ちやうやう)あらば、すこしの間(あひだ)に気(き)がつかふ」

と、さしづに人々かき抱(いだ)き、

「是(これ)は隙入(ひまいり)御退屈(ごたいくつ)」。

「イヤ/\少(すこ)シも苦(くる)しからず。我(われ)はしばらく椅子(いす)により睡眠(すいめん)せん」

と障子(しやうじ)たて、次(つぎ)の殿(でん)には従(したが)ふ勇者(いうしや)。つき/\までもさゝやきあひ、

「てもはりこんだ座上(ざじやう)のかざり。卓(しよく)に積(つみ)たる摘菓子(つみくわし)も見(み)やりもするな。何(なに)が出(で)やうとくらふなのむな」。

「がてん/\」

とうなづく所へ、黄忠(くわうちう)が対客(たいきやく)口上(こうじやう)、

〈詞〉「皆(みな)歴々(れき/\)の御供(おとも)、御馳走(ごちさう)にかぎりはあるまひが、かゝる時節(じせつ)に御遠慮(ごゑんりよ)申、一向(いつかう)御茶(おちや)も出(だ)さぬかくご。〈地ウ〉かざりましたは食物(しよくもつ)ならず。御帰国(ごきこく)の御土産(おみやげ)にもと、蜀(しよく)の名石(めいせき)まんぢう石(いし)あんもち石(いし)、あさみ蛸(だこ)まで自然(しぜん)の土産(どさん)。陰陽石(いんやうせき)は御笑(おわら)ひぐさ。扨(さて)山国(やまくに)は夕風(ゆふかぜ)寒(さむ)し、立(たて)まはすが御馳走(ごちさう)。其外(そのほか)に御用(ごよう)あらば御遠慮(ごゑんりよ)なく」

と丁寧(ていねい)尽(つく)し〈ノシ〉内(うち)に入(い)る。

 〈地色〉既(すで)に其日(そのひ)も薄暮(うすぐれ)て、曹操(さうさう)夏侯(かこう)が耳(みみ)に口(くち)、早(はや)くうなづく承知(しやうち)がほ、身軽(みがる)に用意(ようい)庭(には)にをり、壁(かべ)に掛(かけ)たる機匣(しこみばこ)、此比(このころ)弘(ひろま)る諸葛(しよかつ)弩(ゆみ)、敵(てき)の用心(ようじん)われらが受用(じゆよう)と矢数(やかず)をかぞへ簇(やじり)をさぐり、《ケイヒキカハル》腰(こし)の活薬(くわつやく)心(こころ)は姦毒(かんどく)、一挙(いつきよ)に敵の根(ね)をたつ豪気(ごうき)。〈ヲクリ〉築山(つきやま)伝(づた)ひに近(ちか)よれば、《ヲクニハ小ザシキツキ出ス》あれこそ聞(きこ)ゆる洛鳳軒(らくはうけん)の、内(うち)に臥(ふし)たる保養(ほやう)の諸葛(しよかつ)、折(をり)ふしひらく障子(しやうじ)の内(うち)。目(め)あてたしかにくり出(だ)し/\、あだ矢(や)はなかりし我為(わがため)の邪魔(じやま)はさりぬと樹密(しげみ)の間(あひだ)猶(なほ)もかまりにのこる主命(しゆうめい)、習煉(しゆれん)の窃(しの)び〈フシ〉影(かげ)もなし。

 〈地中〉手負(ておひ)は声(こへ)を立(たて)ざれど女房(にようばう)がしらせの喚鐘(くわんしやう)、勝(かつ)手(て)へ見(み)まふ諸士(しよし)の中(なか)、身(み)を固(かため)たる関雲長(くわんうんちやう)、広庭(ひろには)さして躍(おどり)出る。

「関公(くわんこう)必(かならず)さはがれそ」

と、呼止(よびとゞ)むるはいらちの急八(きうはち)。関羽(くわんう)見(み)かへり打笑(うちわら)ひ、

〈詞〉「誰(たそ)と思(おも)へば燕人(えんひと)張飛(ちやうひ)。騒(さは)がれそなどゝは珍(めづら)しきことのはや。イヤサ髯(ひげ)の長(なが)いと優長(いうちやう)は、名(な)の通(とふ)つた関雲長(くわんうんちやう)。時(とき)によりての長短(ながみじか)。朝(あした)は趙雲(ちやううん)となり暮(くれ)には急八(きうはち)。〈地中〉館(やかた)のめぐりは数百(すひやく)のすつは。鼠(ねづみ)の子(こ)も逃(にが)さぬ用心(ようじん)。さはいで敵(てき)をもらすまじ」

と弐人が〈イロ〉評議(ひようぎ)。孔明(こうめい)の奥方(おくがた)長刀(なぎなた)ひつさげ気(き)をくばり。

「コレ客殿(きやくでん)には珍客(ちんきやく)あり。内外(うちと)の看守(まもり)は御両所(ごりやうしよ)とも、御心添(おこゝろそへ)宜敷(よろしく)」

と、聞(きい)て黙(うなづ)く関張(くわんちやう)は、中口(なかくち)さして〈フシ〉ひそみゆく。〈地色〉使女(こしもと)了鬟(あくわん)を遠(とふ)ざけて、立寄(たちより)見(み)ればむざんの有(あり)さま。小箭(せうせん)なれども毒矢(どくや)と見(み)へて鮮血(せんけつ)はしる不運(ふうん)の窮所(きうしよ)。毒気(どくき)に乱(みだ)るゝ気(き)を取直(とりなを)し、旁辺(あたり)見(み)廻(みまは)し

「庭(には)に立(たち)まふ人影(ひとかげ)なきか、〈地〉看園(にはもり)はいづくにある」

と、窓(まど)さき隅々(すみ%\)睥(にらみ)つけ、

〈詞〉「女房(にようばう)近(ちか)くへ、丞相(しやうじやう)の奥(をく)がたへ申上る、我身(わがみ)の首告(そにん)、毒矢(どくや)心胞(しんはう)に穿(うが)ち〈ハル〉片時(へんじ)も保(たも)たぬ。それがし角成は天罰(ばつ)、一ツには丞相(しやうじやう)さまの当(あて)ぬばち、〈詞〉恨(うら)めしや某(それがし)志学(しがく)の初より、聖教(しやうきやう)に疏(うと)く、老荘(らうさう)の文(ふみ)を翫(もてあそ)び、高い/\と思ふが放蕩(はうたう)。大罪(だいざい)を犯(をか)すこと度々(たび/\)。只丞相(しやうじやう)の憐愍(れんみん)深(ふか)く、誠(まこと)に引あげるやうに思召、〈地ウ〉かゝる懦弱(だじやく)を抜(ぬきんで)られ、羽翼(うよく)にもなるべき御見立、〈詞〉日ならず乱(みだれ)ん漢(かん)の都(みやこ)。案内しつたる〓(なんじ)が入こみ、大事おこらば帝(みかど)を御供(おんとも)、伝国(でんこく)の御璽(ぎよじ)必(かならず)他家(たけ)へとられぬ手当。人しれずぬかるなとの御仰(おんおほせ)。演縁(てがゝり)を伝ふことは拙者(せつしや)が得(ゑ)ものと、手に取やうに御受申、疾(とく)に立こへ禁宮(さんきう)のほとりに身(み)をやつし、宮中(きうちう)の端迄(はしまで)常(つね)に立入(たちい)リ、董卓(たうたく)李郭(りくわく)が退治(たいぢ)せられしさはぎに、宮女(きうぢよ)に馴(なれ)あひ、玉璽(ぎよくじ)はやう/\ぬすみとらせ、即(すなはち)其女が懐中(くわいちう)、又立入リて図籍(づせき)を取て出る折から、〈地ウ〉今の女房李才人(りさいじん)九嬪(きうひん)の女官(によくわん)なりしが、曹操(さうさう)に奪(うばは)れゆくを、横(よこ)あひより掠(かすめ)とり、女は我(わが)手に入たれども、帝は却(かへつ)て曹操(さうさう)に取れ、剰(あまつさへ)玉璽(ぎよくじ)を預(あづけ)し女のこと

〈挿絵一丁〉

打(うち)わすれ、李才人(りさいじん)を見すてかたく、彼(かの)宮女(きうぢよ)やしたひ来(きた)らんと、其所(そのところ)を連(つれ)て立のき、かさだかなれば何(なに)の無用(むよう)と図籍(づせき)の箱(はこ)、寓居(ぐうきよ)に其まゝ遺(のこ)せしふとゞき。跡(あと)にて聞(きけ)ば彼(かの)宮女乱(みたれ)の折から進退(しんたい)なく、露井(ろせい)に身(み)を投(なげ)死(しゝ)たるを、袁紹(ゑんしやう)取(とり)あげ宝(たから)を得たりと、時過(ときすぎ)て思ひ出せば冥加(みやうが)つきたる某(それがし)。天然(ねん)宝(たから)は蜀(しよく)に帰(き)すれど、図籍(づせき)は何(いづ)くに渡(わた)リしや」、

〈詞〉「今日曹操(さうさう)両種(ふたしな)とも受とらん」

と、いふに初て胸(むね)ふさがり、

「覚へある身(み)に無(ない)ともいはれず。咎(とが)を引(ひき)うけ死る覚悟(ご)、両種(ふたしな)ともに渡(わた)さんと心易く承知(しやうち)して、〈地ウ〉わざと眩暈(げんうん)、今(いま)までも正気(しやうき)なき体に見せ、此侭(まゝ)自滅(じめつ)と定るうち、諸葛(しよかつ)弩(ゆみ)に毒根(どくね)をすげ、不意(ふゐ)を射たるは曹操(さうさう)が丞相(しやうじやう)と思ひこみ、畏(こは)ものゝ根(ね)を絶(たつ)しはざ。洛鳳軒(らくはうけん)の簷(のき)の露(つゆ)消(きゆ)る末世のかたり句に、落鳳坡(らくはうは)の乱箭(らんせん)に鳳雛(はうすう)〈クル〉射(い)らると取(とり)〈イロ〉なさば、敵(てき)を引うけ戦(せん)死も同然(だうぜん)。我首(わがくび)を曹操(さうさう)に渡(わた)し、図籍(づせき)失たるいひわけにしてたべ」

と、前非(ぜんひ)を悔(くひ)の八十孫(やそつかさ)、心軽(こゝろかろ)きの〈フシ〉戒(いましめ)かや。

 孔明(こうめい)の妻(つま)涙(なみだ)ながら、

「丞相(しやうじやう)の常々(つね%\)に、まだ取(とり)しまらぬ軽(かる)はづみ。大事(だいじ)の職(しよく)は托(まか)されぬ。後々(のち/\)にいたりなば、我(わが)心労(しんらう)をすこしでも分(わけ)て呉(くれ)るはかれめが才智(さいち)、〈詞〉心長(こころなが)ふ待(まつ)たがよいと〈地〉仰(おほせ)られしが今(いま)さらに御力落(おちからをと)し思(おも)ひやる、図籍(づせき)の事(こと)もよく御存(ごぞんじ)、〈詞〉其方(そのはう)がよこ目(め)として面(おもて)見(み)しらぬ新参(しんざん)の姜維(きやうい)御要害(ごようがい)の車(くるま)を守(まも)り、即(すなはち)〓(なんじ)か隣家(りんか)の棲(すま)ひ。手(て)に入(いり)たる帝(みかど)を取得(とりゑ)ぬのみか、大(たい)せつの物(もの)踈末(そまつ)にせし〈地色〉沙汰(さた)のかぎりと携(たづさへ)かへり、蜀(しよく)の文庫(ぶんこ)に納(おさ)めある、略図(りやくづ)を見(み)せん」

と背反(うらがへ)す、天地(てんち)を籠(こむ)る一間(ひとま)の紙門(ふすま)。工夫(くふう)の種(たね)を蒔(まき)砂子(すなご)隈(くま)に分(わか)てる四百州(しう)手(て)に取(とる)ごとく〈フシ〉写(うつ)されたり。〈下ギン〉見(み)るに鳳雛(はうすう)はづかしくも、亦(また)うれしさの〈フシ〉悦(よろこ)びなみだ。

「かゝる高明(かうめい)の丞相(しやうじやう)、まだな目(め)からは却句(けく)に軽(かろ)しめ、軍略(ぐんりやく)は展(のび)ぬなどゝ出放大(ではうだい)、智恵(ちゑ)袋(ふくろ)の内(うち)をまはつているとはしらず、軍配(ぐんばい)ゆるされぬを恨(うらみ)たる誤(あやまり)、曹操(さうさう)が石壁(せきへき)の敗軍(はいぐん)にも、関雲長(くわんうんちやう)の戎粧(いでたち)に模(うつ)して、夜目(よめ)に威(をど)して打(うつ)てとれと臨時(りんじ)の配符(はいふ)受(うけ)ながら、なんの此(この)路(みち) 来(きた)らん」

と、女房(にようばう)引つれ遊興(いうきやう)かたて大酒(たいしゆ)に臥(ふし)て正体(しやうだい)なかりし、

〈詞〉「アツア息だはしや此すへは女房(にようばう)包(つゝま)ず申上(もふしあげ)〈中〉よ」

と夫(おつと)が指図(さしづ)に李才人(りさいじん)、器量(きりやう)ありても酒興(しゆきやう)には大事(だいじ)小事(しやうじ)を放下(はうげ)する生得(しやうとく)、幾度(いくたび)いふても取敢(とりあへ)たまはず。

 〈ハルフシ〉其夜(そのよ)も深(ふか)き山路(やまみち)を誰(たれ)かこぬれに立(たち)さはぐ〈ギン〉ねぐらの鳥(とり)のひゝ鳴(なく)にぞ。落人(をちふど)来(きた)ると〈フシ〉心(こゝろ)せき、〈江ハルフシ〉着(き)なれぬ腹巻(はらまき)、戦袍(せんはう)を結(むす)び、頭巾(づきん)に皃(かほ)深(ふか)く似毛(にげ)の赤兎馬(せきとめ)引(ひき)よせて、片手(かたて)に手綱(たづな)、片手(かたて)には八十二斤(きん)にあらねども、〈サハリ〉女ちからに堪(たへ)かぬる形(かたち)は同(おな)じ偃月(ゑんげつ)の〈ハルキン〉有明(ありあけ)そらを幸(さいはい)に、心(こゝろ)ならずも〈ウフシ〉押出(をしいだ)す。顔(かほ)を見(み)せじと背(そむく)ればあなたも見(み)せじと俯(うつぶ)く人柄(ひとがら)。曹操(さうさう)ならぬ物(もの)ごしに扨(さて)は表裏(ひようり)と大(おほ)やうに、見(み)のがしやりて其場(そのば)をふさぎ、あられぬ身(み)ぶりも夫(おつと)の為(ため)かへらぬ昔(むかし)と伏(ふし)たをれ、絶(たゆ)る斗(ばかり)に泣(なき)〈中〉しづむ。馬謖(ばしよく)せつなき声(こへ)をはり、

「それがし鳳雛(はうすう)の任(にん)に用(もちひ)られ、身(み)に付(つく)手柄(てがら)を取(とり)はづし、恩(をん)に助(たすけ)し関羽(かんう)の人品(じんひん)、後(のち)の世(よ)蜀(しよく)の誉(ほまれ)にならば、我名(わがな)は朽(くち)ても花(はな)ある此身(このみ)。馬謖(ばしよく)かくなる身(み)の変(へん)を知(し)らずば味方(みかた)の手配(てくばり)いかゞ」

と、勢気(せいき)を張(はつ)てにじりより、軒端(のきば)の柱(はしら)にすがれども、踏(ふみ)ためかねて尻居(しりい)にどうど、むねん/\と抜(ぬき)とる矢柄(やがら)、根(ね)無(なき)も〓巧(かつて)燈下(ともしび)うつし、はつしと打(うつ)たる簷(のき)の額、鳳(がくはう)の字(じ)砕落(くだけをつ)る雁(かり)羽音(はをと)にあらぬ左儀丁(さぎちやう)の、一声(いつせい)ひゞき飛出(とびいづ)る其(その)いろ青(あお)く流星(りうせい)の、雲(くも)ゐに入(いる)や我魂(わがたま)の、落(をち)こち人や〈フシ〉見(み)まがはん。〈地〉《キヤクデンニヒキモドス》此方(こなた)の愁嘆(しうたん)表(をもて)には何気(なにげ)もなげに曹操(さうさう)が得(ゑ)つぼのしこり是(これ)は扨(さて)、思(おも)ひの外(ほか)に夜(よ)も深(ふけ)たり。

「早(はや)く/\」

といらだてる、黄忠(くわうちう)慎(つゝし)み手(て)を下(さげ)て、

〈詞〉「丞相(しやうじやう)気絶(きぜつ)仕リ、鳳雛(はうすう)は此比(このころ)病中(びやうちう)、推(をし)て出伺(しゆつし)仕(つかまつ)れど再三(さいさん)申付(もふしつけ)候」

と云(いふ)をいはせず、

「勅使(ちよくし)を軽(かろ)しむ蜀(しよく)の倍臣(ばいしん)。兎(と)や角(かく)と延引(ゑんいん)す。たゞし玄徳(げんとく)反逆(ほんぎやく)と諸侯(しよこう)に触(ふりや)ふか」。

「イヤそれでは迷惑(めいわく)仕(つかまつ)る。〈地〉曹相国(さうしやうこく)の寛仁(くわんじん)偏(ひとへ)に御宥恕(ごいうじよ)頼(たのみ)上る」

と返答(へんたふ)あぐみし其(その)〈イロ〉時(とき)しも、まだ爽昧(あけくら)き門外(もんぐわい)に、

「御帰陣(ごきじん)」

とよびつぎて、掲燈(けいとう)提灯(ていとう)数(かず)しらず、人をとひゞき馬いなゝき、曹操(さうさう)びつくり不審皃(ふしんがほ)。〈地ウ〉程(ほど)なく帰(かへ)る綸巾(りんきん)鶴〓(くわくしやう)、眉(まゆ)に江山(みくま)の色(いろ)秀(ひいで)、胸(むね)に天地(てんち)の機(こゝろ)を蔵(かく)し、威(ゐ)あつて柔和(にうわ)の諸葛亮(しよかつりやう)礼義(れいぎ)施(ほどこ)し 、

〈詞〉「是(これ)は/\曹相国(さうしやうこく)、思(おも)はぬ失礼(しつれい)。某(それがし)南方(なんばう)の毛獲(もうくわく)をおさへ、生捕(いけどり)ながら撫恩(ぶをん)を加(くは)へ盟(ちかひ)をさせ、こゝろしづかに帰陣(きぢん)の道(みち)。今暁(こんきやう)五丈剣(ごぢやうげん)にて府中(ふちう)に事(こと)ある号(しらせ)の流星(りうせい)。心急(こころいそ)がれ程(てい)を促(うなが)し路々(みち/\)御来儀(ごらいぎ)の様子(やうす)承(うけたまは)る。〈地〉玉璽(ぎよくじ)は定(さだめ)て御受取(おんうけとり)、兼(かね)て御客(おきやく)の左右(さう)聞(きゝ)ながら、在府(ざいふ)致(いた)さぬも失礼(しつれい)なれど、玉璽(ぎよくじ)指上(さしあげ)すむべきことと、未(いま)だ拝謁(はいえつ)せぬを幸(さいはい)、馬謖(ばしよく)を拙者(せつしや)と申なし、応対(おうたい)宜敷(よろしく)はからへと任置(ゆだねをき)しが、黄忠(くわうちう)〈色〉いかゞ」

と、云(いふ)顔(かほ)見上(みあげ)見(み)まはして、

〈詞〉「これさ黄忠(くわうちう)、是(これ)が正真(しやうじん)かや、又銅白(だうみやく)ではないかや、同(おな)じ口上(こうじやう)二度(にど)はめんどい。御奏者(おさうしや)より通達(つうだつ)/\、イヤ荒(あら)まし道(みち)まで申こす、此度(このたび)二品(ふたしな)の内(うち)一品(ひとしな)は図籍(づせき)とやら、董卓(たうたく)が一乱(いちらん)に漢家(かんか)の記録(きろく)は司徒(しと)王允(わういん)が大切(たいせつ)に取(とり)かくし、蜀(しよく)には一向(いつかう)存(ぞん)ぜぬ事(こと)。有皃(ありがほ)するは世間(せけん)の聞(きこ)へ」。

「図籍(づせき)無(なく)ては手前(てまへ)も事欠(ことかけ)」。

〈地〉「夜(よ)も明離(あけはなれ)て候へば、得(とく)と暢(くつろ)ぎ御対談(ごたいだん)」

と主客(しゆきやく)の椅子(いす)に憑(よりかゝ)れば、また閃(ちよろ)まかす曹操(さうさう)が件(くだん)の壷(つぼ)を旁(かたへ)に置(をき)、

〈詞〉「ノフ御執権(ごしつけん)、此器(このうつは)は行(ゆく)先々(さき%\)持(もち)あるき、彼(かの)今(いま)行(おこなは)るゝ袖銅鶏(そでとけい)、あるひは気付薬(きつけくすり)菓子(くわし)さま%\の入(い)レもの、外国物(ぐわいこくもの)と存(ぞんず)るが、些(ちと)御覧(ごらふ)じて下(くだ)されふ」、

〈地〉「なんと/\」

と、云(い)へども孔明(こうめい)答(こたへ)なく、夫(それ)をとさしづに近習(きんじふ)が捧持(さゝげもち)たる袋(ふくろ)より、寸分(すんぶん)違(ちが)はぬ壷(つぼ)の形(なり)、旁(かたへ)にさし置(をき)

〈詞〉「是(これ)は此度(このたび)毛獲(もうくわく)が追従(ついしやう)の呉物(くれもの)。此壷(このつぼ)の蓋(ふた)を取(とり)手元(てもと)に置(をき)悪(にく)しと思(おも)ふ人を呼(よ)び、一声(ひとこへ)こたゆる其人の、魂(たましひ)忽(たちま)ち壷(つぼ)に入リ正気(しやうき)なくなるゆへ、吸魂瓶(きうこんへい)と名(な)づけ、奇怪(きくわい)の蛮物(ばんもつ)。是(これ)も一旦(いつたん)人を封(ふう)じたる跡(あと)はしるしも薄(うす)きゆへ、人手(ひとて)を経ぬを重宝(ちやうはう)す。〈地〉制作(せいさく)新(あら)たの此壷(このつぼ)、足下(そこ)の御所持(ごしよぢ)はよつほと古(ふる)物。ふるきが好(よい)か、ノフ〈詞〉これ孟徳公(まうとくこう)、コレ

〈挿絵一丁〉

曹相国(さうしやうこく)」

と〈地〉問(と)へども/\返事(へんじ)を恐(おそ)れ、口(くち)を鉗(つぐ)みて気(き)の毒(どく)げに、息(いき)を閉(とじ)て俯(うつふ)きいる。可笑(おかし)さ耐(こたへ)て諸葛亮(しよかつりやう)、

〈詞〉「扨(さて)は御慰(おなぐさみ)に其瓶(そのつぼ)を以(もつ)て鳳雛(はうすう)を吸(す)はせて御覧(ごらう)じたじやまで。ハテ扨(さて)悪要(わるさ)をする御客(おきやく)。サア/\早(はや)く解(ほどい)て遣(つか)はされい。用人(ようにん)の馬謖(ばしよく)御互(ごたがひ)に手支(てづか)へ、〈地〉早(はや)く/\、〈詞〉是(これ)はしたり。御当惑(ごたうわく)の体(てい)。解(ほどき)やうを御存(ごぞんじ)ないか。それをしらずに行(やつ)て見(み)たのか。是(これ)は速(すみやか)な御客(おきやく)ではあるぞ。其瓶(そのつぼ)を是(これ)へ遣(つか)はされい、

 《サウサウキヲトラレツボワタス》誰(たれ)かある。馬謖(ばしよく)を是(これ)へ抱(かゝ)へて参(まひ)れ。〈地〉此壷(このつぼ)を枕(まくら)にさせて、呼(よび)かへしは某(それがし)が鍛練(たんれん)。早(はや)く/\」

といふ所へ黄忠(くわうちう)あはて罷出(まかりいで)、

〈詞〉「さいぜん何者共(なにものとも)知(し)らず御後堂(ごかつて)の庭(には)より、馬謖(ばしよく)が所持(しよぢ)の弩弓(どきう)を以(もつ)て寝所(しんじよ)へ射(い)こみ、毒薬(どくやく)を用ひたり。鮮血(せんけつ)はしりさしもの馬謖(ばしよく)只今(たゞいま)落命(らくめい)仕る」

と、〈地〉やがて死骸(しがい)を舁出(かきいづ)る。孔明(こうめい)驚(おどろき)立(たち)よつて、疵(きず)を改(あらた)め、矢(や)を抜(ぬき)とりてとつくと見(み)、

「抜(ぬか)ぬは毒根(どくね)の遺(のこ)るおそれか。平生(へいぜい)人の悪(にく)まぬ 男(おとこ)、府中(ふちう)に誰(たれ)か害心(がいしん)あらん。〈詞〉矢(や)の根(ね)に毒(どく)をぬることは軍中(ぐんちう)にも大将(たいしやう)のたしなみ。敵(てき)にも依(よる)べし。むこヲい意地(ゐぢ)のわるフい大将(たいしやう)が、得(ゑ)ては用る不仁(ふじん)のわざ。誰(たれ)いふともなく近比(ちかごろ)は魏国(ぎこく)の毒矢(どくや)と雑言(ざふごん)す。我等(われら)が〈地〉国(くに)にはないこと/\、〈詞〉是(これ)は外でない孟徳公(まうとくこう)。何(なん)ぞ御気(おき)に逆(さか)ふことありて御悪(おんにく)しみを晴(はら)されしな。そこが貴人(きにん)の勢(いきほひ)をしらず、殺(ころ)さるゝやつか無調法(ぶちやうはふ)ナ。さふで御(ご)ざらふが」

と〈地〉星(ほし)をさゝれて左(さ)ながらに、比興(ひきやう)もいはれず曹孟徳(さうまうとく)、

〈詞〉「イヤそれはヲゝそれよ、丞相(しやうじやう)の名(な)を詐(いつわり)、勅使(ちよくし)をはめたる一ツの罪科(ざいくわ)。又先年(せんねん)鶴(つる)の森(もり)でかの弩弓(どきう)を以(もつ)て我(われ)をあやぶめし悪(にく)しみあれど、〈地〉殺(ころ)せしことは覚(おぼへ)なし。ムムいづれにも高位(こうゐ)に罪(つみ)を得(ゑ)たるが不運(ふうん)。有(あり)もせぬ図籍(づせき)を物ありさふに勅使(ちよくし)に向(むかつ)て飾言(かざりこと)、〈地〉いやはや不調法(ぶちやうはふ)千万(せんばん)なれど、御見及(みおよ)びの通(とふり)なれば、首(くび)を離(はな)して進上(しんじやう)にも及(およば)ず。御不肖(ごふしやう)ながら」

と理詰(りづめ)の返答(へんたふ)。

 時(とき)に折(をる)こそ、曹操(さうさう)が足(あし)もと近(ちか)き〓瓦下(いたかはらした)より撥上(はねあげ)ぬつと出(いづ)る、さもすさまじき神茶爵律(しやうきだいじん)小鬼(こをに)辟提(ひつさげ)釼(けん)打(うち)ふり

「捉(はらふ)た/\悪魔(あくま)を払(はろ)た」

と畏(かしこま)る。曹操(さうさう)周章(あはて)驚(おどろき)て椅子(いす)を離(はなれ)て剱(けん)かいこみ身構(みがまへ)用心(ようじん)。孔明(こうめい)声(こへ)かけ、

〈詞〉「呉国(ごこく)の細作(さいさく)周倉(しうさう)今(いま)かへりしな。遠慮(えんりよ)はない委(くはし)く申せ。御客(おきやく)あれどもあなたもぬからず〓(しのび)はさま%\。〈地〉おそきか早(はや)きか聞(きか)るゝ取(とり)ざた」、

「ハツア下官(げくわん)かやうに様(さま)をかへ、呉国(ごこく)へ入(いり)こみし初(はじめ)は、専(もつは)ら日(ひ)の本(もと)を襲(おそは)ん手配(てくばり)相見(あひみ)へ候処、頼(たのみ)にしたる三韓国(さんかんごく)、去(さんぬ)る比(ころ)日東(につとう)の姫帝(ひめみかど)自(みづから)征伐(せいばつ)、乾珠満珠(かんじゆまんじゆ)の光明(くわうみやう)国中(こくちう)にかゝやき、海水(かいすい)陸(くが)にのぼり、武内(たけうち)の臣(しん)武勇(ぶいう)を奮(ふる)ひ、日本(ひのもと)の神軍(かみいくさ)三韓国中(さんかんこくちう)震動(ふるひうご)き、長(なが)く日本(ひのもと)の奴(やつこ)となりし、神威(しんゐ)聞(きい)てさしもの孫権(そんけん)東(ひんがし)する気(き)はそれゆへ却句(けつく)、〈地〉西北国(にしきたくに)に軍(いくさ)をうつさん。御用心あるべし」

と、低頭(ていとう)屈身(くつしん)〈フシ〉立(たつ)て入る。

「あれ御聞(おきゝ)あれ、孟徳公(まうとくこう)。聡明(さうめい)妙(たへ)なる和国(わこく)の女帝(ひめみかど)、武機(ぶき)をはづさず三韓(さんかん)責(せめ)つけ、〈地〉盟(ちかひ)をさせたる英雄(ゑいいう)人傑(じんけつ)、武内(たけうち)の臣(しん)は我(わが)後漢(ごかん)のはじめより、今(いま)に長命(ちやうめい)心得(こゝろへ)ねども、是(これ)又(また)他国(たこく)の聞(きこ)へを専(もつは)ら、名(な)にあふ 武内(たけうち)今に新羅(しんら)を威伏(いふく)する。それに等(ひと)しく此蜀(このしよく)も〈詞〉百年(ひやくねん)の後(のち)たりとも、孔明(こうめい)が霊(れい)のあるたけは、仲達(ちうだつ)なんどか血(ち)を吐(はい)てもいつかないかな、邪智(じやち)を拒(ふせぐ)はこつちも邪智(じやち)。文武(ぶんぶ)多芸(たげい)の孟徳公(まうとくこう)、此以後(このいご)奸智(かんち)をとり置(をい)て、互(たがひ)に武略(ぶりやく)で敵対(てきたい)あれ。司馬(しば)仲達(ちうだつ)にいま数年(すねん)、学問(がくもん)させたる役(やく)にも立(たと)ふ。武勇(ぶいう)は関張(くわんちやう)二頭(かしら)に〈地〉劣(おとら)ぬ勇者(いうしや)を随分(ずいぶん)ゑらみ何時(なんどき)にても〈ハルイロ〉対陣(たいぢん)/\」、

〈詞〉「コレサ高(たか)みからお出(いで)るな。漢帝(かんてい)に頼(たの)まれて震襟(しんきん)休(やす)むる此(この)孟徳(まうとく)。初(はじめ)劉備(りうひ)の宜城侯(ぎじやうこう)も我執成(わがとりなし)にて下(くだ)せし封命(はうめい)。関羽(くわんう)は漢(かん)の寿帝侯(じゆていこう)、此(この)丞相(しやうじやう)に一言(いちごん)の礼法(れいはふ)しらぬ蜀(しよく)の人柄(ひとがら)。ホツヲ〈地〉御頼(おたのみ)あつたる無(なか)つたか、震襟(しんきん)安(やす)いか苦(くるし)むるか、〈詞〉看官(みとゞけ)是(これ)に」

と女の声(こへ)〈地中色〉馬謖(ばしよく)が妻(つま)の李才人(りさいじん)、十二の数(かず)の重(かさ)ね袖(そで)、故宮(こきう)の艶色(ゑんしよく)猶(なを)光(てり)て、見(み)とれる如(こど)き〈フシ〉内家粧(だいかさう)、曹操(さうさう)なをも気味(きみ)わるく

〈詞〉「是(これ)は先生(せんせい)ぢうでござる、爰(こゝ)へ女(おんな)の出(で)る所か、拙者(せつしや)女(おんな)がきらひだぞ/\」、

李才人(りさいじん)打笑(うちわら)ひ

「孟徳公(まうとくこう)の女嫌(おんなきら)ひ、三国(さんごく)にしらぬ人は〈イロ〉ない、〈地〉先勝(まんがち)なことは都(みやこ)の乱(みだ)れ 、劉皇叔(りうくわうしゆく)の所へ入れ奉(たてまつ)れとむつかる帝(みかど)さま。孟徳殿(まうとくとの)か勿体(もつたい)なくも、手(て)ごめにしての御供(とも)、御頼(たのみ)ないは其時(そのとき)〈イロ〉明白(めいはく)、〈詞〉扨(さて)いろ/\のものを出(だ)してしやべらする、渡(わた)す物(もの)には箆(へら)つかひ、失礼(しつれい)の返答(へんたふ)にこまり、こりや勅使(ちよくし)を会(あへ)るのか、イヤよひかげんに聞(きい)てござれさ、今(いま)は我蜀(わがしよく)一国(いつこく)さばき名目許(みやうもくばかり)の漢(かん)には属(つか)ぬ。〈地中〉昔(むかし)をいはゞ互(たがひ)に異論(いろん)。関雲長(くわんうんちやう)が亭侯(ていこう)の、漢寿(かんじゆ)といふは蜀(しよく)の地名(ちめい)。漢(かん)の一字(いちじ)がかたよる/\。府中(ふちう)を汚(けが)し無法(むはう)の客(きやく)ぶり。恕(ゆる)さぬはづを、随分(ずいぶん)と、仕(し)て見(み)る心(こゝろ)が殊勝(しゆしやう)さに、〈詞〉助(たすけ)て帰(かへ)す、たしなめ孟徳(まうとく)」、

「だまれ。なんのわぬしに助(たすけ)てもらを」

とあたりさがせど、号器(あひづ)を入(い)れし壷(つぼ)はあなたに、曹操(さうさう)が

「者共(ものども)典韋(てんい)はなきか、許〓(きよちよ)はいづくに」

〈地〉「是(これ)に/\」

と黄忠(くわうちう)が下部(しもべ)にさしづ、魏国(ぎこく)の勇将(いうしやう)肩(かた)にかゝつて 足腰(あしこし)立(たゝ)ず、曹操(さうさう)いかりの歯(は)がみをなし、

〈詞〉「孔明(こうめい)、是(これ)は横着(わうちやく)して毒薬(どくやく)用(もち)ひたな。しかしこゝで酒食(しゆしよく)はさせぬ為(ため)、路(みち)でたらふく飲(のま)せたうへ、腰兵粮(こしひやうらう)もたつふり用意(ようゐ)。〈地〉いかなる手(て)だてに乗(のつ)たる」

と忙(あきれ)し有(あり)さま、

〈詞〉「イヤ気遣(きづか)ひなことでも有(ある)まい。我(わが)此(この)府中(ふちう)は湿気(しつき)深(ふか)く、新造(しんざう)の客殿(きやくでん)壁(かべ)の赤(あかき)は山椒(さんしやう)附子(ぶし)、薬料(やくりやう)加(くは)へて塗(ぬり)たてたれば、〈地〉下地(したぢ)に酒気(しゆき)の有(ある)者(もの)は心得(こゝろへ)せねば熱気(ねつき)に薫(くん)じ、しばしは悶絶(もんぜつ)手(て)あし遂(かなは)ず。ハテ気(き)の毒(どく)なれど門(もん)を出(いで)なば追付(をつつけ)快然(くわいぜん)。珍客(ちんきやく)の供(とも)まはり飲(のん)で入来(じゆらい)は失礼(しつれい)/\」、

所(ところ)に飛出(とびで)る張飛(ちやうひ)かいらだて

〈詞〉「向(さき)ふから次(つぎ)の間(ま)にふされて手はもじや/\とたへられぬに、口上(こうじやう)ばつかり撚(ひね)くつて一ツも訳(わけ)がたゝぬ。此やうな悪人(あくにん)を片付(かたづけ)てやるが〈地〉世界(せかい)の為(ため)」

と立(たち)かゝる。

「無分別者(むふんべつもの)恐(おそろ)し」

と、曹操(さうさう)も心(こゝろ)おくれ、色(いろ)青醒(あをざめ)ても口(くち)は重宝(ちやうはう)、

〈詞〉「爰(こゝ)へ来(く)るよりめつたに〓々(びく/\)、持病(ぢびやう)の積(しやく)が募(つのつ)て来(き)た。此節(このせつ)は敵(てき)の助語(じよご)にも付(つく)が発明(はつめい)、助(たすけ)るとあらば助(たすかつ)て帰(かへ)ろかい」。

「ヲゝサ惜(をし)まぬ/\、〈地〉惜(をし)むはわらはが夫(おつと)の仇(あた)」

と、傍(かたはら)より李才人(りさいじん)恨(うらみ)の角力(つのゆみ)射(い)はなす矢筋(やすじ)。孔明(こうめい)羽扇(うせん)投(なげ)かけて

〈詞〉「コリヤ懐(ふところ)に入(いり)たる敵(てき)に過(あやまち)あつては、〈地〉大かたならぬ蜀(しよく)の恥辱(ちじよく)。供の勇士(いうし)は 皆(みな)不快(ふくわい)〓(ふる)ふ主人(しゆじん)の御足(おあし)もと、心許(こころもと)なし誰(たそ)送(をく)られよ」、

〈詞〉「いで其(その)役(やく)は張飛(ちやうひ)とうらはら、ゆるり関羽(くわんう)が見送(みをく)り申ス」

と、〈地〉こなたへ出(いづ)る〈フシ〉関雲長(くわんうんちやう)。李才人(りさいじん)進(すゝ)み出(いで)、

「まだ〈詞〉御供(とも)が齊(そろひ)ませぬ」

と、弓矢(ゆみや)つがひて園中(ゑんちう)の篁(たけむら)目当(めあて)に切(きつ)て放(はな)せば、物(もの)こそあれ、七転八倒(しつてんばつたう)葡出(はひいづ)る竊(かまり)にのこせし夏侯渕(かこうゑん)、

「見付(みつけ)られて残念(ざんねん)」

と、矢(や)を抜(ぬき)とれど創(きず)深(ふか)く、眩(くら)む眼(まなこ)を我漫(がまん)に力(りき)み、

「是式(これしき)のかすり矢(や)、明日(あす)は平愈(へいゆ)、〈詞〉ちとよはつても百人力(りき)、相手(あひて)があつて楽(たのしみ)」

と、

「太言(たいげん)悪(にく)し、息(いき)の根(ね)を」

と忍(こらへ)ぬ黄忠(くわうちう)、

「是(これ)/\老将(らうしやう)、直(あたひ)の下(さか)つた獲物(ゑもの)は無用(むよう)、〈詞〉何(なに)是(これ)御客(おきやく)さまや鳳雛(はうすう)が魂(たましひ)こもりし瓶(かめ)は留(とめ)をく。此(この)鋳(い)おろしの呼入(よびい)れ瓶(つぼ)、御苞苴(おみやげ)に進(しん)じやうか。貴公(あなた)のやうな智者(ちしや)でなければ〈地ウ〉用ひおふせぬ此(この)器(うつは)」

と、はるかに投遣(なげや)る《ツホ二ツニワレケフリ出ル》。

 内(うち)よりばつと、〈ハツム〉たつや煙(けふり)の異香(いけう)の中(うち)、忽(たちま)ち正気(しやうき)魏国(ぎこく)の勇士(いうし)、酔(ゑい)が醒(さめ)ても方角(はうがく)なく言葉(ことば)も出(いで)ず〈フシ〉立出(たちいづ)る。

 《ウタヒサハリ》「今(いま)は送(をく)るに及(およは)ず」

と簷(のき)より見(み)やる二王立(にわうだち)。あうんの関張(くわんちやう)不敵(ふてき)の勇士(いうし)。〈ナヲス〉中(なか)に諸葛(しよかつ)が彬々(ひん/\)たる、文質(ぶんしつ)そろひし軍師(ぐんし)の中尊(ちうそん)。是(これ)こそ蜀(しよく)の三幅(さんぶく)と、三ツ児(ご)も見(み)しる絵像(ゑすがた)は我国(わがくに)までも、隠(かくれ)なし

時代三国志第四下終

〈呉服/文織〉時代三国志第五

《ウタヒ テスリ 水キハ》風(かぜ)冷敷(すさまじき)濾水(ろすい)の済(わたり)。空(そら)五月雨(さみだれ)の暑(しよ)は蒸(むし)て、昼(ひる)さへ暗(くら)き大(おほ)しけに、南蛮(なんばん)征伐(せいばつ)押来(をしきた)る、蜀(しよく)の軍(いくさ)に先(さき)越(こへ)て、孟獲(まうくわく)をしたがへんと呉国(ごこく)の先陣(せんぢん)趙濯(ちやうたく)周祇(しうぎ)、此(こゝ)に着(つく)より打(うち)つゞき、霧(きり)に非(あら)ず煙(けふり)に非(あら)ず、日明(じつめい)遮(さへぎ)り、幾度(いくたび)か渡(わた)らんとすれど風(かぜ)あらく、砂石(させき)を飛(とば)し眼(まなこ)を冥(くらま)し、渡(わた)リかねたる岸頭(がんたう)を、退屈(たいくつ)したる涼(すゞ)み比(ごろ)。冷酒(ひやざけ)上(じやう)かん大御酒(おほみき)や、酒宴(しゆゑん)の厨(くりや)を一提(ひとさげ)に、肩(かた)のしこりを按摩(あんま)とるけん/\びき/\しらせの鈴(すゞ)、すへの納涼(すゞみ)へとこなつのいつも渡世(とせい)は漕(こぎ)めぐる。

 《クマノフシ》遊山舟(ゆさんぶね)とは西湖(せいこ)にかぎり、煮売船(にうりふね)迚(とて)陸(くが)までかけて、女(おんな)ひでりか花無里(はななきさと)に鬢(びん)の梅花(ばいくわ)を〈ナヲス〉かはかうの、

「コレ御酒(ごしゆ)あがらぬか。おでんもあり、舟(ふね)へ御こし、コレ申」

と酒売船(さけうるふね)に村〓(そんしやう)の徘徊(ぞよめく)人を目(め)で留(とめ)て、詞(ことば)で酔(よは)す色(いろ)ざけは、諸白(もろはく)といふ〈フシ〉仰かや。〈地〉嬌(なまめく)こへに心うかれ  労(つかれ)晴(はら)しと乗(のり)うつる、趙濯(ちやうたく)周祇(しうぎ)せき酒(さけ)の、大盃(おほさかづき)酌(しやく)を執(とら)する川下(かはしも)より、同(おな)じ煮売(にうり)の女(おんな)の口々(くち%\)

「これ、そこな見(み)なれぬ船(ふね)。此(この)川筋(かはすぢ)の生計(すぎはひ)は他所(たしよ)からはかせがさぬ。いんだ/\」

とつかふどなる、趙濯(ちやうたく)が力味(りきみ)出(だ)し、

「こちらが得意(とくい)になるからは、気遣(きづか)ひするな」

と、あたまから大やうに、

「なんぞかはつた肴(さかな)はないか。持(もち)あはせの貝類(かいるい)でも、ちよつと吸物(すひもの)口写(くちうつ)し。どうじや/\」

となまよひごへ。

「なんぞ御馳走(ごちさう)したふても、此(この)川水(かはみづ)に赤貝(あかがい)鮑(あはび)はなし。蛤(はまぐり)ならばつい取(とつ)て魚湯(すひもの)にして上ケませふ。是(これ)見なされ」

とこちらむく、今まですかしのとうろう鬢(びん)、扇(あふぎ)合(あは)せた大口あき、

「はまぐりめせいの。蛤/\はたゝくをとやればけものよ」

と迯(にげ)あがる。一人(ひとり)はすくむ、一人はこはさ。釼(けん) ぬきはなしひらめかせば、船(ふね)は忽(たちま)ち大はまぐり、波間(なみま)にしづみ〈フシ〉跡(あと)もなし。

「コリヤどうじや」

とあきれて胸(むね)をなでおろす。こなたの船(ふね)から招(まね)きかけ、

「出所のしれぬ煮売船(にうりぶね)はたらかさぬはきこへたかへ。此渡(このわた)リは浅(あさ)けれども、水神(すいしん)祭(まつ)らねば、他国(たこく)の人はけさゝあり。此間も歴々(れき/\)が渡(わた)るとて人身御供(ひとみごくう)をそなへて、多人数(たにんじゆ)やす/\御通(おんとほ)り」。

〈色〉「おまへがたのそりやくゆへ夜昼(よるひる)わかぬ此くらさ、立寄(たちよる)客(きやく)もなつがはらあてにする煮(に)うりのめいわく、〈詞〉こちらは代々(だい/\)所(ところ)の出売(でうり)気遣(きづか)ひなしにこゝへ/\」

と〈地〉きけどもこりてかぶり振(ふり)岸(きし)をうごかず

〈詞〉「然(しか)し、びつくりおさへに飲(のみ)なをそかい。酒(さけ)も肴(さかな)もおかで/\」。

〈色〉「アイ」

とこたへてさし出(だ)す酒肴(しゆかう)。

「それからこゝへとゞくものかやい」

〈色〉「アイ心をこめた御馳走(ごちさう)、とゞかいでよいものか」

と、ずんずとのばすかた手(て)の長さ、五尺八尺かたぎはにひよつくり茶碗(ちやわん)のまん丸(まる)さ、片目(かため)片頬(かたほ)の異形(いぎやう)にびつくり、

「ソリヤ又しや」

と見(み)やる船中(せんちう)の女(おんな)はのこらす手長(てなが)ゑび。船(ふね)はすなはち船盛(ふなもり)の川瀬(かはせ)にしばしたゞよふて忽(たちま)ち水(みづ)にひそみ入(い)る。〈コハリ〉其外(そのほか)暗(くら)き

〈挿絵一丁〉

煙霧(ゑんむ)のうち、非常(ひじやう)の水物(すいぶつ)蛟顔(こうがん)〓形(じやぎやう)波(なみ)《コノトコロバケモノヲノ/\カケリアリ》をけたてゝ〈三重〉徘徊(はいくわい)す。身(み)の毛(け)立(たつ)足(あし)胴(どう)ぶるひ、色(いろ)青(あを)ざめて〈フシ〉逃(にげ)かへる。

 《江ト》味方(みかた)にはなれたゞひとり自(みづから)物見(ものみ)呉(ご)の陸遜(りくそん)、水辺(すいへん)みまはし大にいぶかり

〈詞〉「風(かぜ)さはぎ霧(きり)くらく、鬼哭(きこく)怪声(くわいせい)物(もの)すごきは、聞伝(きゝつたふ)る濾水(ろすい)の渡(わた)リ、他国(たこく)の人を渡(わた)さぬ 水怪(すいくわい)。生贄(いけにへ)祭(まつ)りわたるときけど、罪(つみ)なきものを殺(ころ)すも不仁(ふじん)。こゝは諸葛(しよかつ)がいかゞする。先(せん)をゆづりて後(あと)から渡(わた)リ、先(さき)へまはる軍機(ぐんき)はさま%\。罷々(よし/\)」

と、〈中〉後陣(ごぢん)にかへる其あとへ、〈地〉心も足(あし)も地(ち)につかず両個(ふたり)の旅人(りよじん)にひつぱられ  

「アゝ是(これ)申、《ウタヒコトバ》是は此あたりに住(すみ)かね候。昼(ひる)は村学究(てらこや)夜(よる)はけんびきでござります」。

〈詞〉「祭文(さいもん)とやらはあだ口(ぐち)きけど、作(つく)つた覚(おぼへ)ござりませぬ。ソレテモ云(いゝ)付(つけ)たお人が筆(ふで)がまはるから誰(たれ)でもすると思(おも)ふてござる」。

「どふでもだんない書(かい)てくれ」。

「カエ、そんなら書(かく)手間(てま)で私(わたくし)がすぐによみ上(あげ)ませふかい」。

「それは手(て)まはし、いざ/\」

と僕(しもべ)が負(をふ)たる包(つゝみ)をひらき、俎器(あしうち)にそなへ列(ならべ)るにぞ村学究(そんがくきう)はうや/\しく、報君(あんま)知(しらせ)をがらつかせ、

〈ウタヒカゝリ〉「謹上(きんじやう)再拝(さいはい)。扨(さて)は是(これ)、〈地〉所は濾水(ろすい)のひやし物(もの)。がは太郎殿(たらうどの)かや〈フシ〉あぶれのみ。〈サイモン〉ひぞりなますをとめたとて、一文(いちもん)きなか生貝(なまがい)じや。あやまつて申」

と跡(あと)〈フシ〉をも見(み)ずして迯(にげ)て行(ゆく)。

「ヤレやるまいぞ/\。シタガさつとすんだは」

と済(わたり)のかみ下立(たち)わかれ、人頭(くび)のかはりに納受(なうじゆ)して渡(わた)リをやすくとぬつへり饅頭(まんぢう)、餡(あん)はしらねど其数々千(そのかずすせん)水(みづ)に投込(なげこむ)をとやかねこか皆(みな)水底(すいてい)に沈(しづみ)しは、水神(すいじん)感応(かんおう)うたがひなし。弐人はとつかはかくれ行(ゆく)、

 《テスリカヘリ上下水》白日(はくじつ)晴天(せいてん)波風(なみかぜ)も渚(なぎさ)の惣勢(さうぜい)押(をし)かゝり、ひざふし迄(まで)も浅瀬(あさせ)の渡(わた)リ、《グンゼイワタス》上(かみ)の瀬(せ)よりわたすもあり。そなへを乱(みだ)し我(われ)いちとむかふの〈下ユリ〉岸(きし)へ押(をし)〈ユル〉わたる。諸葛(しよかつ)が中軍(ちうぐん)すこしの人数(にんじゆ)前後(せんご)の味方(みかた)にへだゝる横(よこ)あひ、いつしかこゝに魏(ぎ)の軍勢(ぐんぜい)不意(ふい)を打(うち)よせ、喊(とき)のこへ。こなたも備(そなへ)を立(たて)直(なを)し、打(うつ)つうたれつせめたゝかふ。周倉(しうさう)が人つぶてよりつく雑兵(ざふひやう)なき所に、

「魏軍(ぎぐん)の戦将(せんしやう)張〓(ちやうがふ)」

と名(な)のりかけ、敵(てき)を迷(まよは)す計略(けいりやく)か面(をもて)を塗(ぬり)て鬼面(きめん)の勇相(いうさう)。馬上(ばじやう)達者(たつしや)に乗出(のりいだ)す。

「好敵(よきてき)こそ」

と蜀将(しよくしやう)黄忠(くわうちう)手練(しゆれん)の打(うち)もの短兵(たんへい)急(きう)に前足(まへあし)ながんと打込(うちこむ)を、駒(こま)を引(ひき)あげ  自在(じざい)のわざ。ひづめにうけんと乗(のり)まはす。ひらいつ寄(よせ)つ〈小三重〉すきまなく勝負(しやうぶ)つかねば立(たち)わかれ、睨(にら)みあひたる互角(ごかく)の勇者(いうしや)。黄忠(くわうちう)さすが場数(ばかず)の老将(らうしやう)、

「いざ尋常(じんじやう)によれ。組(くま)ん」

と呼(よび)かけられて黙頭(うなづく)張〓(ちやうがふ)。鞍(くら)をこさんとする所すかさず一ト打(うち)大げさに二ツとなせしは、一ツかど手柄(てがら)と、首(くび)かき切(きつ)てよく見れば風(かぜ)身痛(しんつう)のしかみ頬(づら)、なみ大抵(たいてい)の作(つく)リ鬚(ひげ)。夏侯(かこう)が見(み)へのけしやう首(くび)、

「南無(なむ)さん手柄(てがら)が糠味噌汁(ぬかみそじる)。まんざらほされぬ此(この)刀(かたな)」

と刺貫(さしつらぬい)て陣(ぢん)に入(い)ル、

 《クロマクサルウシロハ山ノケシキ中ニ孔明左右ニサウリク》爰(こゝ)に案内(あない)の一手(ひとて)を率(そつ)し、後陣(ごぢん)に曹操(さうさう)声(こへ)高(たか)く、

「今(いま)こそ孔明(こうめい)釜中(ふちう)の魚(うを)、時節(じせつ)到来(たうらい)かくご/\」。

続(つゞい)て渡(わた)る呉国(ごこく)の一軍(いちぐん)、陸遜(りくそん)先(さき)にすゝみ出(いで)、

「某(それがし)蜀(しよく)に先(さき)かけて南蛮(なんばん)を責従(せめしたが)へ、西南(せいなん)の固(かため)にせんと疾(とく)に発行(はつかう)したれども、諸葛(しよかつ)が例(れい)の目(め)くらまし、埒(らち)もなき八陣(はちちん)の図石(づせき)伏勢(ふせぜい)しれぬに心をかれ、陣(ぢん)を扣(ひかへ)て間ぬけの刧腹(ごふはら)。幸(さいはい)此(この)時宜(しぎ)に及(およ)べは、孔明(こうめい)を生(いけ)どり、蜀(しよく)を弱(よはま)せ、魏国(ぎこく)と配分(はいぶん)目前(もくぜん)の上策(じやうさく)。何(いつ)れ免(のが)れぬ諸葛亮(しよかつりやう)、自滅(しめつ)はかつて」

と詰(つめ)かへる。

 前後(ぜんご)にはさまれ諸葛亮(しよかつりやう)、あぐみし車上(しやじやう)に威儀(いぎ)あらため、

「我身(わがみ)を護(うばふ)も蜀都(しよくと)の安否(あんひ)。呉国(ごこく)は蜀(しよく)の好(よし)みふかし。手(て)をさげなば遺恨(いこん)はあるまじ。孟徳公(もうとくこう)は是までも手(て)に入たるを見のがす報志(はうし)。助命(じよめい)を得(ゑ)て立帰(たちかへ)るが国(くに)の為(ため)、家(いへ)の為(ため)。〈中〉よもや違却(いきやく)はナあるまじ」

と、聞(きい)て曹操(さうさう)あざけり笑(わら)ひ、

〈詞〉「我等(われら)をたび/\取(とり)にがせしはそちの油断(ゆだん)といふ物さ。恩(をん)も義(ぎ)もほつたらかし畏者(こはもの)仕(し)まふがこつちの器量(きりやう)。比興(ひきやう)の詞(ことば)、聞(きく)耳(みゝ)ないぞ」。

《孔詞》「何(なに)

〈挿絵一丁〉

さま人も知たる魏王(ぎわう)の心だてさも有(あ)リなん。それがし隠者(いんじや)の時(とき)だにも、漢土(かんど)にひとりの臥龍(ぐわりやう)先生(せんせい)、今は雲井(くもゐ)に飛行(ひぎやう)の勢(いきほ)ひ。むさと自滅(じめつ)は致(いた)すまい。ヒヤイやるは/\物あかさふに出(で)かけても琴(こと)弾(ひい)て急(きう)をのがれた古手(ふるて)はたべぬ。案内(あんない)の野武士共(のぶしども)、汝(なんじ)が先陣(せんぢん)の後(うしろ)をきり、後陣(ごぢん)の頭(かしら)をおさへたれば、のがれぬ/\。得死(ゑしな)ずば生取(いけどつ)て恥(はぢ)さらし」

と罵(のゝしる)雑言(さふごん)。

「ハテ何ンとせふ。此路(このみち)すぢは蜀(しよく)の熟路(なれみち)、平生(へいぜい)によく案内(あんない)、譌引(をびき)よせても利(り)を得(ゑ)る切所(せつしよ)、〈地〉押(をし)かけ客(きやく)のあしらい」

と羽扇(うせん)を挙(あげ)て麾(さしまねけ)ば、魏軍(ぎぐん)と見(み)へし野武士(のぶし)の両隊(りやうたい)、備(そなへ)を《下テスリ両方ヨリグンヒヤウ出ル》変(かへ)て屈曲(うねり)の歩(あゆみ)。向(むか)ふへくり出(だ)す長〓(ちやうしや)の形(かたち)、尾頭(をかしら)来(きた)リとりまはす、双(さう)の隊将(たいしやう)関興(くわんこう)張苞(ちやうはう)、父(ちゝ)におとらぬ龍虎(りやうこ)の生立(をひたち)閉夾(たてはさみ)て動(うごか)さず。魏国(ぎこく)の士卒(しそつ)も心おくれ切立(きりたて)られて後(あと)ずさり。曹操(さうさう)むねんに自滅(じめつ)のかくご、時(とき)に取(とり)まく弓(ゆみ)の隊(て)の弓絃(ゆつる)一度(いちど)にばら/\と残らず断(きれ)しふしぎさよ。

 此方(こなた)の《羊ヲ出シ人トナリ又羊トナリテカクス》岩上(がんしやう)忽然(こつぜん)と曹植(さうち)姿(すがた)をあらはして、

「父上(ちゝうへ)の〓勇(かんゆう)一旦(いつたん)やむべし。和睦(わぼく)の時節(じせつ)到来(たうらい)せり。うれしや/\是(これ)まで」

と、言葉(ことば)の内(うち)に影(かげ)もなし。関張(くわんちやう)弐人詞を揃え(そろ)へ、

「両人(りやうにん)兼而(かねて)野伏(のぶし)にやつし、此(この)道筋(みちすじ)に徘徊(はいくわい)し、常(つね)に難儀(なんぎ)の濾水(ろすい)の妖怪(ようくわい)御さしづの焔硝(ゑんしやう)ながし。饅頭(まんぢう)水底(みなそこ)に解(とけ)ちりて水妖(すいよう)通(つう)をうしなひしか。忽(たちま)ち晴天(せいてん)眼(ま)のあたり」

と、語(かた)リをはらぬ後陣(ごぢん)より、捨(すて)がまりの軍兵(ぐんびやう)共、〓盤(になひ)に積(つみ)たる魚類(ぎよるい)の異物(いぶつ)蛟體(こうたい)蝦状(かしやう)獺精(だつせい)〓霊(しんれい)。

「濾水(ろすい)の面(をもて)に浮(うき)あがり毒(どく)に斃(たを)れし其中(そのうち)の奇(き)なるを撰(えら)み持参(ぢさん)仕」

と、目通(めとふ)リにならべ置(を)き、

「後来(これより)済(わたり)の難(なん)をまぬがれ、土地(とち)のものども喜歓(よろこび)あへり」

と申述(のぶ)るもいかめしき。

 時に孔明(こうめい)車(くるま)を離(はなれ)、錦(にしき)の一帙(いちじつ)取出(とりいだ)し、

「是(これ)こそは漢代(かんだい)一統(いつたう)の地理(ちり)、図籍(づせき)の転本(てんほん)、三国(さんごく)内(うち)の争(あらそひ)に外辺(ぐわいへん)の手当(てあて)は頓着(とんぢやく)なく、今(いま)にても四夷(しい)八蛮(はちばん)襲来(おそひきた)らば申合(あは)せ、拒(ふせ)ぐ工夫(くふう)の此(この)図籍(づせき)、三国(さんごく)に伝(つた)へ写(うつ)し、互(たがひ)に銘々(めい/\)国(くに)を守(まも)り、戦(たゝか)ひ止(やめ)て万民(ばんみん)の憂(うれひ)をゆるめ得(ゑ)させんこと、両国(りやうごく)の御所存(ごしよぞん)いかゞ」

と仁者(じんしや)の詞(ことば)に、自然(しぜん)と感服(かんふく)。とりこめられての納得(なつとく)は卑怯(ひきやう)に似(に)たれど、成程(なるほど)曹操(さうさう)急度(きつと)同心(だうしん)。陸遜(りくそん)

「元(もと)より呉国(ごこく)の本意(ほんゐ)。此(この)うへ子細(しさい)御(ご)ざなく」

と、〈地〉和睦(わぼく)調(とゝな)ふ。

 諸軍(しよぐん)の笑(わら)ひ重(かさな)る寿(ことぶき)一人(ひとり)かは。南(みなみ)に当(あたつ)て馬塵(むまけふり)標(しるし)は蜀(しよく)の帥字(すいじ)の旗(はた)、軍勢(ぐんぜい)〈クニイリギヤウレツ〉を振旅(しんりよ)させ偏将(へんしやう)姜維(きやうい)敬(つゝしん)で、

「丞相(しやうじやう)明(めい)に濾水(ろすい)を渡(わた)リ、某(それがし)暗(あん)に間道(かんだう)を押寄(をしよせ)、不意(ふゐ)を撃(うつ)て生捕(いけどり)たる蛮酉(ばんいう)孟獲(まうくわく)、是(これ)へ引(ひつ)せ候」

と大の男(をとこ)の千筋(ちすぢ)の縄目(なはめ)

「むねん/\」

と牙(きば)をうむ。孔明(こうめい)怒(いかつ)て

「信(しん)を忘(わす)るゝ戎(ゑびす)の愚勇(ぐいう)。幾度(いくたび)でも此通(このとふ)リ、数(かぞゆ)れば是(これ)で九度(こゝのたび)。きつと盟(ちかひ)を立(たつ)るやいかに」。

「ハツア何(なに)がさて/\天地(てんち)の間(あひだ)にはさまれぬ法(はふ)もあれ。蜀(しよく)に向(むかつ)て永々(ゑい/\)奴隷(やつこ)、石(いし)に刻(きざみ)て子孫(しそん)に残(のこ)し、呉国(ごこく)の為(ため)にも南方(なんばう)の固(かため)となり少(すこし)も違背(いはい)候はず」

と、真実(しんじつ)発起(ほつき)の後悔(こうくわい)涙(なみだ)。縄目(なはめ)〈フシ〉ゆるされ拝伏(はいふく)す。

 〈地色〉けはしき中(なか)に優々(いう/\)と 村学(そんがく)裘(きう)を脱(ぬぎ)かへて、朝服(ちやうふく)立派(りつは)の曹丕(さうひ)が両手(りやうて)勅書(ちよくしよ)を奉(さゝ)げ、

「慥(たしか)に聞(き)け、〈詞〉漢帝(かんてい)自(みつから)不徳(ふとく)を顧(かへり)み、山陽侯(さんようこう)の位(くらひ)に下(くだ)り、三国(さんごく)に譲(ゆづ)る間(あひだ)、各(おの/\)和睦(わぼく)し争乱(さうらん)を止(やめ)、慎(つゝし)み守(まも)れとの勅詔(ちよくじやう)」

と、聞(きい)てりやうじやう定(さだま)る鼎足(ていそく)、曹操(さうさう)猶(なを)も機嫌(きげん)よく、

「さあ/\これから分量(ぶんりやう)知(しつ)て、日々(にち/\)安楽(あんらく)。他日(たじつ)都(みやこ)に上(のぼ)られなば銅雀台(たうじやくだい)で一献(こん)くまん。さらば/\」

と三国(さんごく)に別(わか)れて帰(かへ)る四ツの海(うみ)、五常(ごじやう)の風(かぜ)に民草(たみくさ)もゆるぎなき世(よ)ぞ目出たけれ。

時代三国志第五終 大尾

聞書出所附(きゝがきしゆつしよつけ)  よめても解(とけ)ぬ事を、となりの南客先生(なんかくせんせい)に問(とふ)まゝ、わすれぬさきに何(なに)かはしらず詞(ことば)の出所は序(じよ)はかりにて其(その)餘(よ)はしるすもくた%\しと敬白。

序(じよ)

重器(ぢゆうき)  かなへは小(ちひ)さけれども重(をも)く、人の動(うごか)すにいたりては威徳(ゐとく)なし。献帝(けんてい)の賛(さん)のことば。

命(めい)を竭(つく)すの良(りやう)  晋(しん)の劉弘(りうこう)が孔明(こうめい)の古跡(こせき)にたてたる石(いし)ぶみのことばとぞ。

文才富艶(もんさいふゑん)  曹子建(さうしけん)が伝(でん)の賛(さん)の詞(ことば)のよし。

昨日(きのふ)は白虹(はくこう)  乙巳より十三日以前(いぜん)壬辰にありしこととぞ。

雉子宮(きじきう)に飛入(とびいる)  三月きのとのみの日(ひ、)長安(ちやうあん)に都(みやこ)をうつし、帝(みかど)初(はじめ)て宮(きう)に入(いる)ときのこととぞ。

包黔首(つゝむぎんしゆ)  かの国(くに)の百姓(ひやくしやう)、無官(むくわん)は皆(みな)頭(かしら)を黒(くろ)き絹(きぬ)にて包(つゝむ)よし。

小雅(しやうか)欠(かけ)たり  霊帝(れいてい)の紀(き)賛(さん)の詞(ことば)。四方(しはう)のゑびすおかすを云(いふ)とぞ。

舞女貂蝉(ふぢよちやうせん)  ちやうせんは通俗(つうぞく)に書(かき)たり。通俗(つうぞく)とはからよりの書名(しよめい)なり。又董卓(たうたく)がめしつかひ呂布(りょふ)が密通(みつつう)して、ろけんをおそれうらがへるとも。詞曲(しばい)に鳳儀亭(はうぎてい)のぢやうせんとて此段(このだん)一枚看板(いちまいかんばん)なり。董卓(たうたく)戟(ほこ)を投(なげ)つけ、呂布(りよふ)が逃(にげ)る、李(り)じゆがとめに来(きた)つて行(ゆき)あたり、たがひにころびたる其間(そのあひだ)に、呂布(りよふ)が逃(にげ)おふせり。此段(このだん)醜体(しうてい)〓体(しやうてい)とて役者(やくしや)の工拙(こうせつ)ありとぞ。

平愈(へいゆ)の朝会(ちやうくわい)  献帝(けんてい)の三年(さんねん)、帝(みかど)御脳(ごのう)本服(ほんふく)の御宴(ぎよゑん)びやうでんにてあり。

麋鹿(びろく)霜(しも)露(つゆに)棲(すむ)  霊帝(れいてい)の記(き)の賛(さん)なり。都(みやこ)をうつさば旧都(きうと)さみしからんことをいへり。此(この)草紙(さうし)霊献(れいけん)二帝(にてい)前後(ぜんこ)打(うち)こみと見へたり。

白波(はくは)  賊(ぞく)をしらなみと云は、此くわくたいを始とするなり。

美人局(びじんきよく)  女をゑばにしてだますつゝもたせのたぐひとぞ。

関羽(くわんう)貂蝉(ちやうせん)を斬(きる)  燕居筆記(ゑんきよひつき)とやらに出づ。芝居(しばい)より出たることにや。

法明(ほふみやう)  呉音(ごをん)を伝(つた)へし方明(はうみやう)は、のちの人也。引あげて用るゆへ字をかへたり。

輿服格式(よふくかくしき)  後漢書(ごかんじよ)にあるよし。

万人(まんにん)の敵(てき)  漢羽(くわんう)張飛(ちやうひ)をいふ。

二段

冬(ふゆ)の初(はじめ)の三日(みか)の月(つき)  御出船(ごしゆつせん)十月三日、御帰陣(ごきぢん)十二月十四日。日本紀の考(かんがへ)のよし。

乾珠満珠(かんじゆまんじゆ)  元(もと)は神代(じんだい)の巻(まき)に出(いで)たり。日本紀に」新羅国(しんらこく)天運(てんうん)に国(くに)を海(うみ)となすやと恐(おそ)れし」となり。

香君(こんきみ)  三韓(さんかん)の始(はじめ)の王(わう)の名(な)とぞ。

陳潘章(ちんばんしやう)  ちんふはんしやうを一ツにしたるつくり名なり。

及(およ)ばぬ雲(くも)ゐ  此時(このとき)呉(ご)の孫権(そんけん)日本(につほん)を襲(おそは)んとせしに、つひに来ることあたはず。

未斯傾知波珍干岐(みしこんぢいはちかんき)  新羅(しんら)の官名(くわんみやう)、王のいちぞく。

平群(へぐり)  志貴(しき)はた村(むら)の上なれば、しぎ山(やま)とも。小(こ)しきいかもへぐり郡(こおり)也。武内(たけのうち)峠(とうげ)は今(いま)石川郡(いしかはこほり)なり。

宮中府中一体(きうちうふちういつたい)  孔明(こうめい)出師(すいし)の表(ひよう)の文(ぶん)也。古今名言(ここんめいごん)と諸賢(しよけん)の説(せつ)あるよし。

蛮夷邱(ばんゐてい)  漢(かん)の時(とき)藁街(かうがい)といふ所にありしとか。

国(くに)の大義(たいぎ)  本国(ほんごく)より取かへさるゝ有がたさに、私(わたくし)の愛(あい)をさきてかへるは、大義(たいぎ)を知(し)れるなりと筆乗(ひつじやう)といふ書(しよ)にありとか。

羽白熊鷲(はじろくまわし)  筑前(ちくぜん)野(の)とりの王ぞく。

土蜘夏羽(つちくもなつは)  筑後(ちくご)山門(やまど)の里(さと)の山賊(さんぞく)。両所(りやうしよ)とも皇后(くわうごう)の退治(たいぢ)したまふとしるすより。

忘(わすれ)ぬ夢(ゆめ)に  蔡(さい)ゑん漢(かん)に帰(かへ)る憂(うれひ)をのべたる十八はくの詞のよし。

茅渟(ちぬ)のよざみ  皇后(くわうごう)船(ふな)ぞろへの古跡(こせき)四社(ししや)あり。今(いま)は津(つ)の国(くに)に入(い)リ大よざみといふ。ちぬとは和泉(いづみ)をいふとぞ。

甘内(うまち)  武内(たけうぢ)の弟(おとふと)なり。今(いま)妹(いもと)むことかりたるは取組(とりくみ)のもよふにや。

千〓高〓(ちはたたかはた)  是(これ)は神功記(じんこうき)に見へたり。

木莵宿祢(きづのすくね)  武内(たけうち)の長子(ちやうし)。爰(こゝ)に次男(じなん)とせしはよこめに用ひたればなり。

真鳥(まとり)  木莵(きづ)の宿祢(すくね)の子(こ)、武内(たけうぢ)の孫(まご)なり。平群(へぐり)真鳥(まとり)といふ。後(のち)に強暴(きやうばう)ゆへ、大友(おほとも)の金村(かなむら)に命(めい)じて誅(ちう)せらる。是(これ)を技曲(ぎきよく)に大友(おほとも)の王子(わうじ)につなぎたり。

曹操(さうさう)子孫(しそん)  和泉国氏(いずみのくにうぢ)のけいづにかんむらぬしと有よし。

井(ゐ)の田(た)の蛙(かはず)  もろこし古代(こだい)、井田(せいでん)といふこと、本朝(ほんちやう)には用(もちひ)がたきとかや。

さえ/\  よき絹(きぬ)といふことなり。をり姫(ひめ)は応神(おうじん)の御代(みよ)にわたる。こゝに取(とり)こしもちゆるゆへ、さえ/\に見(み)るなとのことはりならん。

うすはた  うそはたといふべき心(こころ)にや。

三段

離騒(りさう)の摸事(もじ)  曹子建(さうしけん)の文章(ぶんしやう)は、りさうといふことばをよく学(まな)びたりとぞ。

銅雀台記(たうじやくたいのき)  曹子建(さうしけん)の登台(とうだい)の賦(ふ)前後(せんご)を作(つく)りそへて通俗(つうぞく)に入たるは、作者(さくしや)のはたらきとぞ。

獅子国(ししこく)の神市(しんし)  晋書(しんじよ)や南史(なんし)やにしるすよし。

忠臣(ちうしん)の肝脳(かんなう)  袁紹(ゑんしやう)が軍勢(ぐんぜい)催促(さいそく)のふみのことば。

方頭(はうとう)  世事(せじ)に遠(とを)き人をいふよし。無筆(むひつ)と取(とり)なして用たるべし。

乱(みだ)れ草(くさ)  すぐろ袖(そで)なみ、共にすゝきの名なりと。

霜庭蘭(しもていらん)  絶命(ぜつめい)のことばの文句(もんく)なりと。薬売(くすりうり)が拾(ひろ)ひ見(み)るは洛神(らくしん)の賦(ふ)なりと。

石車(せきしや)  石(いし)をはじく城攻(しろせめ)の具(ぐ)なりとぞ。

曹植(さうち)  字(あざな)は子建(しけん)、同人(だうにん)なり。袁煕(ゑんき)曹丕(さうひ)三人を一人に合(あは)せたる罷画(やくわり)なり。

七歩(しつほ)のうた  からうたに豆(まめ)を煮(にる)にまめがらをたくといふ句(く)あり。田白(たしろ)ぐさとはまめの事といふせつあり。

許都(きよと)へは行(ゆか)ぬ  許(きよ)は曹操(さうさう)の居所(きよしよ)なり。仙人(せんにん)左慈(さじ)をとらへんとする時(とき)、羊(ひつじ)となりて何(なん)ぞ許(きよ)にゆかんやといふ。

奔攸(ほんしう)  実(しつ)は許攸(きよしう)也。袁紹(ゑんしやう)が将(しやう)也。敵(てき)にはしるゆへ貶(をと)して字(じ)をかへるか。

当(あた)らぬ配偶(はいくう)  袁紹(ゑんしやう)がよめは、すでに廿四五の時(とき)なりとかや。通俗(つうぞく)にはなをもたせて幼少(ようしやう)とかきたるよし。

端平陰平(たんへいいんへい)  魏武(ぎぶ)の伝(でん)に、陰平(いんへい)のゑびす端強(たんきやう)とあるよし。張飛(ちやうひ)が敵(てき)也。

威々(ゑい/\)  綴耕録(てつかうろく)に見へたりとか。

曹操(さうさう)剣(けん)を避(さけ)る  曹操(さうさう)夜(よる)ひくふ臥(ふし)て打剣(うつけん)をのがれたること、実録(じつろく)にあるよし。

菱(ひし)  軍中(ぐんちゆう)城外(じやうぐわい)まきしく物(もの)のよし。微小(びしやう)のものにはあらず。三角(かく)の木(き)を三本くみあはすとうけたまはる。

木牛流馬(もくぎうりうば)  孔明(こうめい)が作(さく)とて、寸法(すんほふ)しるしあり。しばいのやうにはやくは出来(でき)まじ。

餘厳(よげん)  敵(てき)しりぞきて備(そなへ)をゆるめる時(とき)の用心(ようじん)とぞ。

袁紹上書(ゑんしやうあげぶみ)  其(その)はじめ上書(しやうしよ)す。曹操(さうさう)をそれて将位(しやうい)をゆづりしとかや。

四段

夏侯(かこう)ならば罪作(つみつく)り  記録(きろく)に、玄徳(げんとく)夏侯(かこう)が首(くび)を得(ゑ)て喜(よろこば)ず。其次(そのつぎ)の大将(たいしやう)なれども張〓(ちやうごふ)を得(ゑ)ざるをざんねんがりしと也。

珍儔(ちんたう)  是(これ)は珍寿(ちんじゆ)の字をかへたるにや。珍寿(ちんじゆ)は馬謖(ばしよく)が手下(てした)にて、其父(そのちゝ)と共(とも)に馬謖(ばしよく)と一同(いちだう)に諸葛(しよかつ)に罪(つみ)せらる。後(のち)に魏(ぎ)に仕(つか)へ、晋(しん)の世(よ)に三国志(さんごくし)を作(つく)る。蜀(しよく)の美(び)を書(かき)もらし、魏晋(ぎしん)をよく書(かき)たりと人々見おとすとなり。

祀山(きさん)の戦(たゝかひ)  曹操(さうさう)没後(もつご)の事なり。くりこして爰(こゝ)に用ゆ。ゆへに字(じ)をかへて霊(き)の字を用るか。

舟(ふね)を焼(やき)て帰陣(きぢん)  石(せき)へきのまけ惜(を)しみ、曹操(さうさう)より孫権(そんけん)へをくる文に見へたり。

月(つき)はのぼる  通俗(つうぞく)に、孔明(こうめい)風(かぜ)をいのるは十一月廿日。三更(さんかう)に風(かぜ)おこり、曹操(さうさう)敗軍(はいぐん)。夜(よ)に入て走(はし)る。廿三日花容道(くわようだう)にて東南(たつみ)風猶(なを)やまず。雨(あめ)風の後(のち)関羽(くわんう)にあふ。

禹中(うちう)の奇才(きさい)也(なり)  孔明(こうめい)が退(のき)たる跡(あと)にて、仲達(ちうだつ)がほめたるとなり。

諸葛(しよかつ)弩(ゆみ)  箱(はこ)の内(うち)にて矢(や)のかゝるしかけ。此名天工開物(てんこうかいぶつ)といふ書(しよ)に有よし。

五丈原(ごぢやうげん)  西安府(せいあんふ)と鳳翔府(はうしやうふ)両所(りやうしよ)にあり。後(のち)の事を用るゆへ、険(けん)の字(じ)にかへたるか。

汲魂瓶(きうこんへい)  西遊記(せいいうき)に出(いで)たり。人一言(いちごん)すれば魂(たましひ)を吸込(すひこむ)といふ壷(つぼ)也。

曹操(さうさう)所持(しよぢ)の壷(つぼ)  曹操(さうさう)つねに袋(ふくろ)をもたせ、手(て)ちかきこまものをいれて、行(ゆく)所へ持(もち)あるくと記録(きろく)に見(み)るよし。

江山  みくまとよませたるは、古代(こだい)にふかき山をくまとよびたるとも。

図籍(づせき)  其外大事(だいじ)の記録(きろく)は、王允(わういん)車(くるま)につみて乱世(らんせい)にもすてざりしとかや。

ひめみこ  此皇后(くわうごう)を唐土(もろこし)の書(しよ)に卑弥呼(ひめこ)としるすは、ひめみこの略(りやく)なりとぞ。

十二の重袖(かさねそで)  漢宮(かんきう)の婦(ふ)の礼服(れいふく)なりと。

内家粧(だいかさう)  後世(こうせい)に舞(まひ)ひめ宮女(きうぢよ)と成リたるよそほひをいふなり。李才人(りさいじん)も舞妓(ぶき)にやなぞらへけん。

五段

趙濯(ちやうたく)周祇(しうぎ)  呉(ご)の陸遜(りくそん)が伝(でん)にある人なりと。

村〓(そんしやう)  ざいしよのきりやうよしといふべきこと。

報君知(あんましらせ)  すべて鈴(すゞ)をならしてうり物をしらす文字のよし。

饅頭(まんぢう)  ろすいの神(かみ)は、人の首(かしら)にて祭(まつ)らねば渡(わた)さぬとて、もちにて人かしらを作(つく)りそなへたり。まんぢうのはじまりとかや。

蛟体蝦状(かうたいかじやう)  みつちともゑびともがは太郎ともそこらめきたるかたちのばけものならん。

振旅(しんりよ)  今日(こんにち)にては道中に行列(ぎやうれつ)ふくす事。

転本(てんほん)  またうつし。

石(いし)に刻(きざみ)て子孫(しそん)に遺(のこ)す  唐書南蛮伝(たうじよなんばんでん)に、石(いし)にきざみてあるを、孟(まう)くわくが子孫(しそん)此(この)いしをまもり、此いしたをれなば国(くに)亡(ほろび)んと恐(をそ)るゝとなり。

安永十辛丑年正月吉日

       江戸通石町十軒店

          山崎金兵衛    発

       大坂心斎橋伝馬町

書林        荒木左兵衛

       京都寺町通五条上    行

          額田正三郎