雨月物語序

羅子撰水滸。而三世生唖児。紫媛著源語。而一旦堕悪趣者。蓋爲業所〓耳。然而觀其文。各々奮奇態。〓哢〓真。低昂宛轉。令讀者心氣洞越也。可見鑑事実干千古焉。余適有鼓腹之閑話。衝口吐出。雉〓龍戦。自以爲杜撰。則摘讀之者。固當不請信也。登可求醜唇平鼻之報哉。明和戊子晩春。雨霽月朦朧之夜。窗下編成。以〓梓氏。題曰雨月物語。云。剪枝畸人書

     [子虚後人][遊戯三昧]

雨月物語(うげつものがたり)巻之一

白峯(しらみね)

 あふ坂の関守(せきもり)にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみじ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海(なるみ)がた、不尽(ふじ)の高嶺(たかね)の煙(けふり)、浮島がはら、清見が関、大礒(いそ)小いその浦々、むらさき艶(にほ)ふ武蔵野の原塩竈(しほがま)の和(なぎ)たる朝げしき、象潟(きさがた)の蜑(あま)が苫(とま)や、佐野の舟梁(ふなばし)、木曽の桟橋(かけはし)、心のとゞまらぬかたぞなきに、猶西の国の歌枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葭(あし)がちる難波を経(へ)て、須磨明石の浦ふく風を身にしめつも、行々讃岐の真尾坂(みをざか)の林(はやし)といふにしばらく〓{竹↓工+卩}(つゑ)を植(とゞ)む。草枕はるけき旅路の労(いたはり)にもあらで、観念(くはんねん)修業(しゆぎやう)の便(たより)せし庵(いほり)なりけり。

 この里ちかき白峰といふ所にこそ、新院の陵(みさゝき)ありと聞て、拝みたてまつらばやと、十月(かみなづき)はじめつかたかの山に登(のぼ)る。松柏(まつかしは)は奥ふかく茂(しげ)りあひて、青雲(あをぐも)の軽靡(たなびく)日すら小雨(こさめ)そぼふるがごとし。児(ちご)が岳(だけ)といふ嶮(けは)しき岳(みね)背(うしろ)に聳(そば)だちて、千仭(じん)の谷底(たにそこ)より雲霧(くもきり)おひのぼれば、咫尺(まのあたり)をも欝悒(おぼつかなき)こゝ地せらる。木立(こだち)わづかに間(すき)たる所に、土(つち){土+敦}(たか)く積(つみ)たるが上に、石を三かさねに畳(たゝ)みなしたるが、荊蕀(うばら)薜蘿(かづら)にうづもれてうらがなしきを、「これならん御墓(みはか)にや」と心もかきくらまされて、さらに夢現(ゆめうつゝ)をもわきがたし。「現(げ)にまのあたりに見奉りしは、紫宸(ししん)清涼(せいりやう)の御座(みくら)に朝政(おほまつりごと)きこしめさせ給ふを、百(もゝ)の官(つかさ)人は、かく賢(さかし)き君ぞとて、詔(みこと)恐(かしこ)みてつかへまつりし、近衛院(このゑのゐん)に禅(ゆづ)りましても、藐姑射(はこや)の山の瓊(たま)の林(はやし)に禁(しめ)させ給ふを、思ひきや麋鹿(びろく)のかよふ跡のみ見えて、詣(まうで)つかふる人もなき深山(みやま)の荊(おどろ)の下に神がくれ給はんとは。万乗(ばんじやう)の君にてわたらせ給ふさへ、宿世(すくせ)の業(こう)といふものゝおそろしくもそひたてまつりて、罪(つみ)をのがれさせ給はざりしよ」と、世のはかなきに思ひつゞけて涙(なみだ)わき出るがごとし。終夜(よもすがら)供養(くやう)したてまつらばやと、御墓(みはか)の前のたひらなる石の上に座をしめて、経文(きやうもん)徐(しづか)に誦(ず)しつゝも、かつ歌よみてたてまつる。

  松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり

猶心怠(をこた)らず供養(けうやう)す。露いかばかり袂(そで)にふかゝりけん。日は没(いり)しほどに、山深き夜のさま常(たゞ)ならね。石の牀(ゆか)木葉の衾(ふすま)いと寒く、神(しん)清(すみ)骨(ほね)冷(ひえ)て、物とはなしに凄(すざま)じきこゝちせらる。月は出しかど、茂(しげ)きが林(もと)は影をもらさねば、あやなき闇(やみ)にうらぶれて、眠(ねふ)るともなきに、まさしく「円位(えんゐ)/\」とよぶ声す。眼(め)をひらきてすかし見れば、其形(さま)異(こと)なる人の、背(せ)高く痩(やせ)おとろへたるが、顔のかたち着たる衣の色紋(いろあや)も見えで、こなたにむかひて立るを、西行もとより道心(だうしん)の法師(ほふし)なれば、恐(おそ)ろしともなくて、「こゝに来たるは誰(たそ)」と答ふ。かの人いふ。「前(さき)によみつること葉のかへりこと聞えんとて見えつるなり」とて、

  松山の浪にながれてこし舩のやかてむなしくなりにけるかな

喜(うれ)しくもまうでつるよ」と聞ゆるに、新院の霊(れゐ)なることをしりて、地にぬかづき涙を流していふ。「さりとていかに迷(まよ)はせ給ふや、濁世(ぢよくせ)を厭離(えんり)し給ひつることのうらやましく侍りてこそ。今夜(こよひ)の法施(ほふせ)に随縁(ずいえん)したてまつるを、現形(けぎやう)し給ふはありがたくも悲しき御こゝろにし侍り。ひたふるに隔生即忘(きやくしやうそくもう)して、仏果円満(ぶつくはえんまん)の位(くらゐ)に昇(のぼ)らせ給へ」と、情(こヽろ)をつくして諫(いさめ)奉る。

 新院呵(から)/\と笑はせ給ひ、「汝(なんぢ)しらず。近来(ごろ)の世(よ)の乱(みだれ)は朕(わが)なす事(わざ)なり。生(いき)てありし日より魔道(まだう)にこゝろざしをかたふけて、平治(へいぢ)の乱(みだれ)を発(おこ)さしめ、死(しゝ)て猶朝家(ちやうか)に祟(たゝり)をなす。見よ/\やがて天(あめ)が下(した)に大乱(らん)を生(しやう)ぜしめん」といふ。西行此詔(みことのり)に涙をとゞめて、「こは浅ましき御こゝろばへをうけ給はるものかな。君はもとよりも聡明(さうめい)の聞えましませば、王道(わうだう)のことわりはあきらめさせ給ふ。こゝろみに討(たづ)ね請(まう)すべし。そも保元(ほうげん)の御謀叛(ごむほん)は天(あめ)の神(かみ)の教(おしへ)給ふことわりにも違(たが)はじとておぼし立せ給ふか。又みづからの人慾(にんよく)より計策(たばかり)給ふか。詳(つばら)に告(のら)せ給へ」と奏(まう)す。其時院の御(み)けしきかはらせ給ひ、「汝聞け。帝位(ていゐ)は人の極(きはみ)なり。若(もし)人道(にんだう)上(かみ)より乱(みだ)す則(とき)は、天の命(めい)に応(おう)じ、民(たみ)の望(のぞみ)に順(したが)ふて是を伐(うつ)。抑(そも/\)永治(えいぢ)の昔、犯(をか)せる罪(つみ)もなきに、父(ちゝ)帝(みかど)の命(みこと)を恐(かしこ)みて、三歳の体仁(としひと)に代(よ)を禅(ゆづ)りし心、人慾(にんよく)深(ふか)きといふべからず。体仁(としひと)早世(さうせい)ましては、朕(わが)皇子(みこ)の重仁(しげひと)こそ国しらすべきものをと、朕(われ)も人も思ひをりしに美福門院(びふくもんゐん)が妬(ねた)みにさへられて、四の宮の雅仁(まさひと)に代(よ)を簒(うば)はれしは深き怨(うらみ)にあらずや。重仁(しげひと)国しらすべき才あり。雅仁(まさひと)何らのうつは物ぞ。人の徳をえらはずも、天(あめ)が下の事を後宮(こうきう)にかたらひ給ふは父帝(みかど)の罪なりし。されど世にあらせ給ふほどは孝信(かうしん)をまもりて、勤(ゆめ)色(いろ)にも出さゞりしを、崩(かくれ)させ給ひてはいつまでありなんと、武(たけ)きこゝろざしを発(おこ)せしなり。臣として君を伐(うつ)すら、天に応じ民の望(のぞみ)にしたがへば、周(しう)八百年の創業(さうげう)となるものを、ましてしるべき位(くらゐ)ある身にて、牝鶏(ひんけい)の晨(あした)する代(よ)を取(とつ)て代(かは)らんに、道を失(うしな)ふといふべからず。汝家を出て仏(ほとけ)に婬(ゐん)し、未来(みらい)解脱(げだつ)の利慾(りよく)を願(ねが)ふ心より、人道をもて因果(いんぐわ)に引入れ、尭舜(ぎやうしゆん)のをしへを釈門(しやくもん)に混(こん)じて朕(われ)に説(とく)や」と、御声あらゝかに告(のら)せ給ふ。

 西行いよゝ恐るゝ色もなく座をすゝみて、「君が告(のら)せ給ふ所は、人道(にんだう)のことわりをかりて慾塵(よくじん)をのがれ給はず。遠(とほ)く辰旦(もろこし)をいふまでもあらず。皇朝(くはうてう)の昔誉田(ほんだ)の天皇、兄の皇子(みこ)大鷦鷯(おほさゞき)の王(きみ)をおきて、李(すゑ)の皇子(みこ)菟道(うぢ)の王(きみ)を日嗣(ひつぎ)の太子(みこ)となし給ふ。天皇崩御(かみがくれ)給ひては、兄弟(はらから)相譲(ゆづ)りて位に昇(のぼ)り給はず。三とせをわたりても猶果(はつ)べくもあらぬを、菟道(うぢ)の王(きみ)深(ふか)く憂(うれひ)給ひて、豈(あに)久しく生(いき)て天が下を煩(わずらは)しめんやとて、みづから宝算(よはひ)を断(たゝ)せ給ふものから、罷事(やんごと)なくて兄の皇子(みこ)御位(みくらゐ)に即(つか)せ給ふ。是天業(ぎやう)を重(おも)んじ孝悌(かうてい)をまもり、忠(まこと)をつくして人慾(にんよく)なし。尭舜(ぎやうしゆん)の道といふなるべし。本朝に儒教(じゆきやう)を尊(たふと)みて専(もはら)王道(わうだう)の輔(たすけ)とするは、莵道(うじ)の王(きみ)、百済(くだら)の王仁(わに)を召(めし)て、学(まな)ばせ給ふをはじめなれば、此兄弟(はらから)の王(きみ)の御(み)心ぞ、即(やがて)漢土(もろこし)の聖(ひじり)の御心ともいふべし。又「周(しう)の創(はじめ)、武王(ぶわう)一たび怒(いか)りて天下の民を安くす。臣として君を弑(しゐ)すといふべからず。仁(じん)を賊(ぬす)み義を賊(ぬす)む。一夫(ふ)の紂(ちう)を誅(ちう)するなり」といふ事、孟子(もうじ)という書にありと人の伝(つた)へに聞侍(はべ)る。されば漢土(もろこし)の書は経典(けいてん)史策(しさく)詩文(しぶん)にいたるまで渡さゞるはなきに、かの孟子(もうじ)の書ばかりいまだ日本に来らず。此書を積て来たる船は、必しも暴(あらき)風にあひて沈没(しずむ)よしをいへり。それをいかなる故ぞととふに、我国は天照すおほん神の開闢(はつぐに)しろしめしゝより、日嗣(ひつぎ)の大王(きみ)絶(たゆ)る事なきを、かく口賢(さか)しきをしへを伝へなば、末の世に神孫(しんそん)を奪(うば)ふて罪(つみ)なしといふ敵(あた)も出(いづ)べしと、八百(やほ)よろづの神の悪(にく)ませ給ふて、神風を起(おこ)して船を覆(くつがへ)し給ふと聞、されば他国(かのくに)の聖(ひじり)の教も、こゝの国土(くにつち)にふさはしからぬことすくなからず。且(かつ)詩(し)にもいはざるや。「兄弟牆(うち)に鬩(せめ)ぐとも外(よそ)の悔(あなど)りを禦(ふせ)げよ」と。さるを骨肉(こつにく)の愛(あい)をわすれ給ひ、あまさへ一院崩御(かみがくれ)給ひて、殯(もがり)の宮に肌膚(みはだへ)もいまだ寒(ひえ)させたまはぬに、御旗(みはた)なびかせ弓末(ゆすゑ)ふり立て宝祚(みくらゐ)をあらそひ給ふは、不孝(ふかう)の罪(つみ)これより劇(はなはだ)しきはあらじ。天下は神器(じんき)なり。人のわたくしをもて奪(うば)ふとも得(う)べからぬことわりなるを、たとへ重仁王(しげひとぎみ)の即位(みくらゐ)は民の仰(あお)ぎ望(のぞ)む所なりとも、徳を布(しき)和(くは)を施(ほどこ)し給はで、道ならぬみわざをもて代(よ)を乱(みだ)し給ふ則(とき)は、きのふまで君を慕(した)ひしも、けふは忽(たちまち)怨敵(あた)となりて、本意(ほゐ)をも遂(とげ)たまはで、いにしへより例(あと)なき刑(つみ)を得給ひて、かゝる鄙(ひな)の国の土とならせ給ふなり。たゞ/\旧(ふる)き讐(あた)をわすれ給ふて、浄土(じやうど)にかへらせ給はんこそ願(ねかは)ましき叡慮(みこゝろ)なれ」と、はゞかることなく奏(まをし)ける。

 院長嘘(ながきいき)をつがせ給ひ、「今事を正(たゞ)して罪をとふ。ことわりなきにあらず。されどいかにせん。この島に謫(はぶら)れて、高遠(たかとを)が松山の家に困(くるし)められ、日に三たびの御膳(おもの)すゝむるよりは、まいりつかふる者もなし。只天(あま)とぶ雁(かり)の小夜(さよ)の枕におとづるゝを聞けば、都にや行らんとなつかしく、暁(あかつき)の千鳥の洲崎(すさき)にさわぐも、心をくだく種(たね)となる。鳥(からす)の頭(かしら)は白くなるとも、都には還(かへ)るべき期(とき)もあらねば、定(さだめ)て海畔(あまべ)の鬼(おに)とならんずらん。ひたすら後世(ごせ)のためにとて、五部(ぶ)の大乗経(だいじやうぎやう)をうつしてけるが、貝鐘(かひがね)の音(ね)も聞えぬ荒礒(ありそ)にとゞめんもかなし。せめては筆の跡ばかりを洛(みやこ)の中(うち)に入りさせ給へと、仁和(にんわ)寺の御室(みむろ)の許(もと)へ、経にそへてよみておくりける

  浜千鳥跡はみやこにかよへども身は松山に音(ね)をのみぞ鳴(なく)

しかるに少納言(せうなごん)信西(しんせい)がはからひとして、若(もし)呪咀(じゆそ)の心にやと奏(そう)しけるより、そがまゝにかへされしぞうらみなれ。いにしへより倭(やまと)漢士(もろこし)ともに、国をあらそひて兄弟敵(あた)となりし例(ためし)は珍(めづら)しからねど、罪(つみ)深(ふか)き事かなと思ふより、悪心(あくしん)懺悔(さんげ)の為にとて写しぬる御経(きょう)なるを、いかにさゝふる者ありとも、親(した)しきを議(はか)るべき令(のり)にもたがひて筆の跡だも納(いれ)給はぬ叡慮(みこゝろ)こそ、今は旧(ひさ)しき讐(あた)なるかな。所詮(しよせん)此経を魔遠(まだう)に回向(えかう)して、恨をはるかさんと、一すぢにおもひ定(さだめ)て、指(ゆび)を破(やぶ)り血(ち)をもて願文(ぐはんもん)をうつし、経とゝもに志戸(しと)の海(うみ)に沈(しづめ)てし後は、人にも見(まみ)えず深く閉(とぢ)こもりて、ひとへに魔王(まわう)となるべき大願をちかひしが、はた平治の乱(みだれ)ぞ出きぬる。まづ信頼(のぶより)が高き位(くらゐ)を望む驕慢(おごり)の心をさそふて義朝(よしとも)をかたらはしむ。かの義朝(よしとも)こそ悪(にく)き敵(あた)なれ。父の為義(ためよし)をはじめ、同胞(はらから)の武士(ものゝべ)は皆朕(わが)ために命(いのち)を捨(すて)しに、他(かれ)一人(ひとり)朕(われ)に弓を挽(ひく)。為朝(ためとも)が勇猛(ゆうまう)、為義(ためよし)忠政(たゞまさ)が軍配(たばかり)に贏目(かついろ)を見つるに、西南の風に焼討(やきうち)せられ、白川の宮を出しより、如意(によゐ)が岳(みね)の嶮(けは)しきに足を破(やぶ)られ、或(あるひ)は山賎(がつ)の椎柴(しひしば)をおほいて雨露を凌(しの)ぎ、終(つひ)に擒(とら)はれて此島に謫(はぶ)られしまで、皆義朝(よしとも)が姦(かだま)しき計策(たばかり)に困(くるし)められしなり。これが報(むく)ひを虎狼(こらう)の心に障化(しやうげ)して、信頼(のぶより)が陰謀(いんばう)にかたらはせしかば、地祗(くにつがみ)に逆(さか)ふ罪(つみ)、武(ぶ)に賢(さと)からぬ清盛(きよもり)に遂討(おひうた)る。且(かつ)父の為義を弑(しひ)せし報(むくい)〓{人+幅-巾}(せま)りて、家の子に謀(はか)られしは、天神(あまつがみ)の祟(たゝり)を蒙(かふむ)りしものよ。又少納言信西(しんせい)は、常に己(おのれ)を博士(はかせ)ぶりて、人を拒(こば)む心の直(なほ)からぬ。これをさそふて信頼(のぶより)義朝(よしとも)が讐(あた)となせしかば、終(つひ)に家をすてゝ宇治山の坑(あな)に竄(かく)れしを、はた探(さが)し獲(え)られて六条河原に梟首(かけ)らる。これ経をかへせし諛言(おもねり)の罪を治(をさ)めしなり。それがあまり応保(おうはう)の夏(なつ)は美福門院(びふくもんゐん)が命(いのち)を窮(せま)り、長寛(ちやうくはん)の春は忠道(たゞみち)を祟(たゝ)りて、朕(われ)も其秋世をさりしかど、猶嗔火(しんくわ)熾(さかん)にして尽(つき)ざるまゝに、終(つひ)に大魔王(まわう)となりて、三百余類(よるい)の巨魁(かみ)となる。朕(わが)けんぞくのなすところ、人の福(さいはひ)を見ては転(うつ)して禍(わざはひ)とし、世の治(をさま)るを見ては乱(みだれ)を発(おこ)さしむ。只清盛が人果(にんくわ)大にして、親族(うから)氏族(やから)こと%\く高き官位につらなり、おのがまゝなる国政(まつりごと)を執行(とりおこな)ふといへども、重盛(しげもり)忠義をもて輔(たす)くる故いまだ期(とき)いたらず。汝見よ、平氏も又久しからじ。雅仁(まさひと)朕(われ)につらかりしほどは終(つひ)に報(むく)ふべきぞ」と、御声いやましに恐しく聞えけり。西行いふ。「君かくまで魔界(まかい)の悪業(あくごう)につながれて、仏土(ぶつど)に億(おく)万里を隔(へだて)給へばふたゝびいはじ」とて、只黙(もだ)してむかひ居たりける。

 時に峯谷(みねたに)ゆすり動(うご)きて、風叢林(はやし)を僵(たを)すがごとく、沙石(まさご)を空(そら)に巻(まき)上(あぐ)る。見る/\一段の陰火(ゐんくは)君が膝(ひざ)の下(もと)より燃上(もえあが)りて、山も谷も昼のごとくあきらかなり。光(ひかり)の中につら/\御気色(みけしき)を見たてまつるに、朱(あけ)をそゝぎたる龍顔(みおもて)に、荊(おどろ)の髪(かみ)膝(ひざ)にかゝるまで乱れ、白眼(しろきまなこ)を吊(つり)あげ、熱(あつ)き嘘(いき)をくるしげにつがせ給ふ。御衣は柿色(かきいろ)のいたうすゝびたるに、手足の爪(つめ)は獣(けもの)のごとく生(おい)のびて、さながら魔王の形(かたち)あさましくもおそろし。空(そら)にむかひて「相模(さがみ)/\」と叫(よば)せ給ふ。「あ」と答へて、鳶(とび)のごとくの化鳥(けてう)翔(かけ)来り、前(まえ)に伏(ふし)て詔(みことのり)をまつ。院かの化鳥(けてう)にむかひ給ひ、「何ぞはやく重盛(しげもり)が命(いのち)を奪(とり)て、雅仁(まさひと)清盛(きよもり)をくるしめざる」。化鳥(けてう)こたへていふ。「上皇(じやうくはう)の幸福(さいはひ)いまだ尽(つき)ず。重盛が忠信ちかづきがたし。今より支干(ゑと)一周(めぐり)を待(また)ば、重盛が命数(よはひ)既(すで)に尽(つき)なん。他(かれ)死(し)せば一族(ぞく)の幸福(さいはひ)此時に亡(ほろぶ)べし」。院手を拍(うつ)て怡(よろこ)ばせ給ひ、「かの讐敵(あたども)こと%\く此前の海に尽(つく)すべし」と、御声谷峯に響(ひゞき)て凄(すざま)しさいふべくもあらず。魔道の浅ましきありさまを見て涙しのぶに堪(たへ)ず。復(ふたゝ)び一首の歌に随縁(ずいえん)のこゝろをすゝめたてまつる

  「よしや君昔の玉の床(とこ)とてもかゝらんのちは何にかはせん

刹利(せつり)も須陀(しゆだ)もかはらぬものを」と、心あまりて高らかに吟(うたひ)ける。此のことばを聞しめして感(めで)させ給ふやうなりしが、御面(みおもて)も和(やは)らぎ、陰火(ゐんくは)もやゝうすく消(きえ)ゆくほどに、つひに龍体(みかたち)もかきけちたるごとく見えずなれば、化鳥(けてう)もいづち去(ゆき)けん跡もなく、十日あまりの月は峯にかくれて、木(こ)のくれやみのあやなきに、夢路(ゆめぢ)にやすらふが如し。ほどなくいなのめの明ゆく空に、朝鳥(あさとり)の音(こゑ)おもしろく鳴(なき)わたれば、かさねて金剛経(こんがうきやう)一巻(くはん)を供養(くやう)したてまつり、山をくだりて庵(いほり)に帰(かへ)り、閑(しづか)に終夜(よもすがら)のことゞもを思ひ出るに、平治の乱よりはじめて、人々の消息(せうそく)、年月のたがひなければ、深く慎(つゝし)みて人にもかたり出ず。

 其後十三年を経(へ)て治承(ちしやう)三年の秋、平(たひら)の重盛病(やまひ)に係(かゝ)りて世を逝(さり)ぬれば、平相国(へいさうこく)入道、君をうらみて鳥羽(とば)の離宮(とつみや)に篭(こめ)たてまつり、かさねて福原(ふくはら)の茅(かや)の宮に困(くるし)めたてまつる。頼朝(よりとも)東風(とうふう)に競(きそ)ひおこり、義仲(よしなか)北雪(ほくせつ)をはらふて出るに及び、平氏の一門こと%\く西の海に漂(たゞよ)ひ、遂(つひ)に讃岐の海志戸八島にいたりて、武(たけ)きつはものどもおほく鼇魚(ごうぎよ)のはらに葬(はぶ)られ、赤間(あかま)が関壇(だん)の浦にせまりて、幼主(ようしゆ)海に入らせたまへば、軍将(いくさぎみ)たちものこりなく亡(ほろ)びしまで、露たがはざりしぞおそろしくあやしき話柄(かたりぐさ)なりけり。其後御廟(みべう)は玉もて雕(ゑ)り、丹青(たんせい)を彩(ゑど)りなして、稜威(みいづ)を崇(あが)めたてまつる。かの国にかよふ人は、必幣(ぬさ)をさゝげて斎(いは)ひまつるべき御神なりけらし。

菊花(きくくは)の約(ちぎり)

 青々(せい/\)たる春の柳、家園(みその)に種(うゆ)ることなかれ。交(まじは)りは軽薄(けいはく)の人と結ぶことなかれ。楊柳(やうりう)茂(しげ)りやすくとも、秋の初風(はつかぜ)の吹に耐(たへ)めや。軽薄(けいはく)の人は交(まじは)りやすくして亦速(すみやか)なり。楊柳いくたび春に染(そむ)れども、軽薄(けいはく)の人は絶(たえ)て訪(とむら)ふ日なし。

 播磨の国加古の駅(うまや)に丈部(はせべ)左門(もん)といふ博士(はかせ)あり。清貧(せいひん)を憩(あまな)ひて、友とする書(ふみ)の外はすべて調度(てうど)の絮煩(わづらはしき)を厭(いと)ふ。老母あり。孟子(もうし)の操(みさほ)にゆづらず。常に紡績(うみつむぎ)を事として左門がこゝろざしを助く。其季女(いもうと)なるものは同じ里の佐用氏(さようぢ)に養(やしな)はる。此佐用(さよ)が家は頗(すこぶる)富(とみ)さかえて有けるが、丈部(はせべ)母子の賢(かしこ)きを慕(した)ひ、娘子(をとめ)を娶(めと)りて親族となり、屡(しば/\)事に托(よせ)て物を餉(おく)るといへども、「口腹(こうふく)の為に人を累(わづらは)さんや」とて、敢(あへ)て承(うく)ることなし。

 一日(あるひ)左門同じ里の何某(なにがし)が許(もと)に訪(とふら)ひて、いにしへ今の物がたりして興ある時に、壁(かべ)を隔(へだて)て人の痛楚(くるしむ)声いともあはれに聞えければ、主(あるじ)に尋ぬるに、あるじ答ふ。「これより西の国の人と見ゆるが、伴(とも)なひに後(おく)れしよしにて一宿(ひとよ)を求らるゝに士家(しか)の風(ふう)ありて卑(いや)しからぬと見しまゝに、逗(とゞめ)まいらせしに、其夜邪熱(じやねつ)劇(はなはだ)しく、起臥(おきふし)も自(みづから)はまかせられぬを、いとをしさに三日四日は過しぬれど、何地(いづち)の人ともさだかならぬに、主(あるじ)も思ひがけぬ過(あやまり)し出て、こゝち惑(まど)ひ侍りぬ」といふ。左門聞て、「かなしき物がたりにこそ。あるじの心安からぬもさる事にしあれど、病苦(べうく)の人はしるべなき旅の空に此疾(やまひ)を憂(うれ)ひ給ふは、わきて胸(むね)窮(くる)しくおはすべし。其やうをも看(み)ばや」といふを、あるじとゞめて、「瘟病(おんべう)は人を過(あやま)つ物と聞ゆるから、家童(わらべ)らもあへてかしこに行しめず。立よりて身を害(がゐ)し給ふことなかれ」。左門笑ていふ、「死生(しせい)命(めい)あり。何の病か人に伝(つた)ふべき。これらは愚俗(ぐぞく)のことばにて吾們(ともがら)はとらず」とて、戸(と)を推(おし)て入つも其人を見るに、あるじがかたりしに違(たが)はで、倫(なみ)の人にはあらじを、病深きと見えて、面(おもて)は黄(き)に、肌(はだへ)黒(くろ)く痩(やせ)、古き衾(ふすま)のうへに悶(もだ)へ臥(ふ)す。人なつかしげに左門を見て、「湯ひとつ恵(めぐ)み給へ」といふ。左門ちかくよりて、「士(し)憂(うれ)へ給ふことなかれ。必救(すく)ひまいらすべし」とて、あるじと計(はか)りて、薬をえらみ、自(みづから)方(はう)を案(あん)じ、みづから煮(に)てあたへつも、猶粥(かゆ)をすゝめて、病を看(み)ること同胞(はらから)のごとく、まことに捨がたきありさまなり。かの武士左門が愛憐(あはれみ)の厚(あつ)きに泪を流して、「かくまで漂客(へうかく)を恵(めぐ)み給ふ。死すとも御心に報(むく)ひたてまつらん」といふ。左門諫(いさめ)て、「ちからなきことはな聞え給ひそ。凡疫(ゑき)は日数あり。其ほどを過ぬれば寿命(ことぶき)をあやまたず。吾日々に詣(まうで)てつかへまいらすべし」と、実(まめ)やかに約(ちぎ)りつゝも、心をもちゐて助(たすけ)けるに、病漸(やゝ)減(げん)じてこゝち清(すゞ)しくおぼえければ、あるじにも念比に詞をつくし、左門が陰徳(ゐんとく)をたふとみて、其生業(なりはひ)をもたづね、己(おの)が身の上をもかたりていふ。「故(もと)出雲の国松江の郷(さと)に生長(ひとゝなり)て、赤穴(あかな)宗右衛門といふ者なるが、わづかに兵書(へいしよ)の旨(むね)を察(あきらめ)しによりて、冨田(とみた)の城主塩冶(えんや)掃部介(かもんのすけ)、吾を師として物学(まな)び給ひしに、近江の佐々木氏綱(うじつな)に密(みそか)の使(つかひ)にえらばれて、かの館(みたち)にとゞまるうち、前(さき)の城主尼子(あまこ)経久(つねひさ)、山中党(とう)をかたらひて大三十日(みそか)の夜不慮(すゞろ)に城を乗(のり)とりしかば、掃部殿も討死(うちじに)ありしなり。もとより雲州(うんしう)は佐々木の持国(もちぐに)にて、塩冶(えんや)は守護代(しゆごだい)なれば、「三沢(みざは)三刀屋(みとや)を助けて、経久を亡(ほろ)ぼし給へ」とすゝむれども、氏綱は外(ほか)勇(ゆう)にして内怯(をびへ)たる愚将(ぐしやう)なれば果(はた)さず。かへりて吾を国に逗(とゞ)む。故(ゆゑ)なき所に永く居(を)らじと、己(おの)が身ひとつを窃(ぬす)みて国に還(かへ)る路(みち)に、此疾(やまひ)にかゝりて、思ひがけずも師(し)を労(わづらは)しむるは、身にあまりたる御恩(めぐみ)にこそ。吾半生(はんせい)の命(いのち)をもて必報(むく)ひたてまつらん」。左門いふ。「見る所を忍びざるは人たるものゝ心なるべければ、厚き詞ををさむるに故(ゆゑ)なし。猶逗(とゞ)まりていたはり給へ」と、実(まこと)ある詞を便りにて日比経(ふ)るまゝに、物みな平生(つね)に迩(ちか)くぞなりにける。

 此日比左門はよき友もとめたりとて、日夜(ひるよる)交(まじ)はりて物がたりす[る]に、赤穴(あかな)も諸子百家(しよしひやくか)の事おろ/\かたり出て、問わきまふる心愚(おろか)ならず。兵機(へいき)のことわりはをさ/\しく聞えければ、ひとつとして相ともにたがふ心もなく、かつ感(めで)、かつよろこびて、終(つひ)に兄弟の盟(ちかひ)をなす。赤穴(あかな)五歳長(ちやう)じたれば、伯氏(あに)たるべき礼儀ををさめて、左門にむかひていふ。「吾父母に離(わか)れまいらせていとも久し。賢弟(けんてい)が老母は即(やがて)吾母なれば、あらたに拝(をが)みたてまつらんことを願ふ。老母あはれみてをさなき心を肯(うけ)給はんや」。左門歓(よろこ)びに堪(たへ)ず、「母なる者常に我孤独(こどく)を憂(うれ)ふ。信(まこと)ある言(ことば)を告(つげ)なば齢(よはひ)も延(のび)なんに」と、伴(ともな)ひて家に帰る。老母よろこび迎(むか)へて、「吾(わが)子(こ)不才にて、学(まな)ぶ所時にあはず青雲(せいうん)の便りを失(うし)なふ。ねがふは捨ずして伯氏(あに)たる教(をしへ)を施(ほどこ)し給へ」。赤穴(あかな)拝していふ。「大丈夫は義を重(おも)しとす。功名(こうめい)冨貴(ふうき)はいふに足(たら)ず。吾いま母公(ぼこう)の慈愛(めぐみ)をかふむり、賢弟(けんてい)の敬(いや)を納(おさ)むる、何の望(のぞみ)かこれに過べき」と、よろこびうれしみつゝ、又日来(ひごろ)をとゞまりける。きのうけふ咲ぬると見し尾上(をのへ)の花も散はてゝ、涼しき風による浪に、とはでもしるき夏の初(はじめ)になりぬ。赤穴(あかな)母子(おやこ)にむかひて、「吾(わが)近江を遁(のがれ)来りしも、雲州の動静(やうす)を見んためなれば、一たび下向(くだり)てやかて帰来り、菽水(しゆくすい)の奴(つぶね)に御恩(めぐみ)をかへしたてまつるべし。今のわかれを給へ」といふ。左門いふ。「さあらば兄長(このかみ)いつの時にか帰り給ふべき。」赤穴(あかな)いふ。「月日は逝(ゆき)やすし。おそくとも此秋は過さじ」。左門云。「秋はいつの日を定(さだめ)て待べきや。ねがふは約(やく)し給へ」。赤穴(あかな)云。「重陽(こゝぬか)の佳節(かせつ)をもて帰来る日とすべし」。左門いふ。「兄長(このかみ)必此日をあやまり給ふな。一枝の菊花に薄酒(うすきさけ)を備(そな)へて待たてまつらん」と、互(たがひ)に情(まこと)をつくして赤穴(あかな)は西に帰りけり。

 あら玉の月日はやく経(へ)ゆきて、下枝(したえ)の茱萸(ぐみ)色づき、垣根の野ら菊艶(にほ)ひやかに、九月(ながづき)にもなりぬ。九日(こゝぬか)はいつよりも蚤(はや)く起(おき)出て、草の屋の席(むしろ)をはらひ、黄菊しら菊ニ枝三枝小瓶(こがめ)に挿(さし)、嚢(ふくろ)をかたふけて酒飯(しゆはん)の設(まうけ)をす。老母云。「かの八雲たつ国は山陰(ぎた)の果(はて)にありて、こゝには百里を隔(へだ)つると聞ば、けふとも定がたきに、其来(こ)しを見ても物すとも遅からじ。」左門云。「赤穴は信(まこと)ある武士(ものゝべ)なれば必約(ちぎり)を誤(あやま)らじ。其人をみてあはたゝしからんは思はんことの恥かし」とて、美酒(よきさけ)を沽(か)ひ鮮魚(あさらけき)を宰(に)て厨(くりや)に備(そな)ふ。此日や天晴(そらはれ)て、千里(ちさと)に雲のたちゐもなく、草枕旅ゆく人の群(むれ)々かたりゆくは、「けふは誰某(たれがし)がよき京入(みやこいり)なる。此度(たび)の商物(あきもの)によき徳とるべき祥(さが)になん」とて過。五十(いそぢ)あまりの武士(ものゝべ)、廿(はたち)あまりの同じ出立なる、「日和(には)はかばかりよかりしものを、明石より船もとめなば、この朝びらきに牛窗(うしまど)の門(と)の泊(とま)りは追(おふ)べき。若き男(をのこ)は却(けく)物怯(をびへ)して、銭おほく費(つい)やすことよ」といふに、「殿(との)の上(のぼ)らせ給ふ時、小豆島(あづきじま)より室津(むろづ)のわたりし給ふに、なまからきめにあはせ給ふを、従(みとも)に侍(はべ)りしものゝかたりしを思へば、このほとりの渡りは必怯(をびゆ)べし。な恚(ふくつみ)給ひそ。魚が橋の蕎麦(くろむぎ)ふるまひまをさんに」といひなぐさめて行。口とる男(をのこ)の腹(はら)だゝしげに、「此死馬(しにうま)は眼(まなこ)をもはたけぬか」と、荷鞍(にぐら)おしなほして追もて行。午後(ひる)もやゝかたふきぬれど、待つる人は来らず。西に沈(しづ)む日に、宿り急(いそ)ぐ足のせはしげなるを見るにも、外(と)の方(かた)のみまもられて心酔(ゑへ)るが如し。

 老母左門をよびて、「人の心の秋にはあらずとも、菊の色こきはけふのみかは。帰りくる信(まこと)だにあらば、空(そら)は時雨にうつりゆくとも何をか怨(うらむ)べき。入て臥(ふし)もして、又翌(あす)の日を待べし」とあるに、否(いな)みがたく、母をすかして前(さき)に臥(ふさ)しめ、もしやと戸(と)の外(そと)に出て見れば、銀河(ぎんが)影きえ%\に、氷輪(ひやうりん)我のみを照(てら)して淋しきに、軒守る犬の吼(ほゆ)る声すみわたり、浦浪の音ぞこゝもとにたちくるやうなり。月の光も山の際(は)に陰(くら)くなれば、今はとて戸(と)を閉(たて)て入んとするに、たゞ看(みる)。おぼろなる黒影(かげろひ)の中に人ありて、風の随(まに/\)来(く)るをあやしと見れば赤穴宗右衛門なり。踊(をど)りあがるこゝちして、「小弟(しやうてい)蚤(はや)くより待て今にいたりぬる。盟(ちかひ)たがはで来り給ふことのうれしさよ。いざ入せ給へ」といふめれど、只点頭(うなづき)て物をもいはである。左門前(さき)にすゝみて、南の窓(まど)の下(もと)にむかへ座につかしめ、「兄長(このかみ)来り給ふことの遅(おそ)かりしに、老母も待わびて、翌こそと臥所(ふしど)に入らせ給ふ。寤(さま)させまいらせん」といへるを、赤穴又頭(かしら)を揺(ふり)てとゞめつも、更(さら)に物をもいはでぞある。左門云。「既に夜を続(つぎ)て来(こ)し給ふに、心も倦(うみ)足も労(つか)れ給ふべし。幸(さいはひ)に一杯(はい)を酌(くみ)て歇息(やすませ)給へ」とて、酒をあたゝめ、下物(さかな)を列(つら)ねてすゝむるに、赤穴袖をもて面(おもて)を掩(おほ)ひ、其臭(にほ)ひを嫌放(いみさく)るに似たり。左門いふ。「井臼(せいきう)の力(つとめ)はた款(もてな)すに足(たら)ざれども、己(おの)が心なり。いやしみ給ふことなかれ」。赤穴猶答へもせで、長(ながき)嘘(いき)をつぎつゝ、しばししていふ。「賢弟が信(まこと)ある饗応(あるじぶり)をなどいなむべきことわりやあらん。欺(あざむ)くに詞なければ、実(じつ)をもて告(つぐ)るなり。必しもあやしみ給ひそ。吾は陽世(うつせみ)の人にあらず。きたなき霊(たま)のかりに形(かたち)を見えつるなり」。左門大に驚きて、「兄長(このかみ)何ゆゑにこのあやしきをかたり出給ふや。更に夢ともおぼえ侍らず」。赤穴いふ。「賢弟とわかれて国にくだりしが、国人(くにびと)大かた経久が勢(いきほ)ひに服(つき)て、塩冶(えんや)の恩(めぐみ)を顧(かへりみ)るものなし。従弟(いとこ)なる赤穴(あかな)丹治冨田の城にあるを訪(とむ)らひしに、利害(りがゐ)を説(とき)て吾を経久に見(まみ)えしむ。仮(かり)に其詞を容(いれ)て、つら/\経久がなす所を見るに、万夫(ばんふ)の雄(ゆう)人に勝(すぐ)れ、よく士卒(いくさ)を習練(たならす)といへども、智を用(もち)うるに狐疑(こぎ)の心おほくして、腹心(ふくしん)爪牙(さうが)の家の子なし。永く居(を)りて益(やう)なきを思ひて、賢弟が菊花の約(ちぎり)ある事をかたりて去(さら)んとすれば、経久怨(うら)める色ありて、丹治に令(れい)し、吾を大城(おほぎ)の外にはなたずして、遂(つひ)にけふにいたらしむ。此約(ちかひ)にたがふものならば、賢弟吾を何ものとかせんと、ひたすら思ひ沈(しづ)めども遁(のが)るゝに方なし。いにしへの人のいふ。「人一日に千(ち)里をゆくことあたはず。魂(たま)よく一日に千里をもゆく」と。此ことわりを思ひ出て、みづから刃(やいば)に伏(ふし)、今夜(こよひ)陰風(かぜ)に乗(のり)てはる%\来り菊花の約(ちかひ)に赴(つく)。この心をあはれみ給へ」といひをはりて泪わき出るが如し。「今は永きわかれなり。只母公(ぼこう)によくつかへ給へ」とて、座を立と見しがかき消(きえ)て見えずなりにける。左門慌忙(あはて)とゞめんとすれば、陰風(いんふう)に眼(まなこ)くらみて行方(ゆくへ)をしらず。俯向(うつぶし)につまづき倒(たを)れたるまゝに、声を放(はなち)て大に哭(なげ)く。老母目さめ驚(おどろ)き立て、左門がある所を見れば、座上(とこのべ)に酒瓶(さかがめ)魚(な)盛(もり)たる皿(さら)どもあまた列(なら)べたるが中に臥倒(ふしたを)れたるを、いそがはしく扶起(たすけおこ)して、「いかに」ととへども、只声を呑(のみ)て泣(なく)/\さらに言(ことば)なし。老母問ていふ。「伯氏(あに)赤穴(あかな)が約(ちかひ)にたがふを怨(うらむ)るとならば、明日(あす)なんもし来るには言(ことば)なからんものを。汝かくまでをさなくも愚(おろか)なるか」とつよく諫(いさむ)るに、左門漸(やゝ)答へていふ。「兄長(このかみ)今夜(こよひ)菊花の約(ちかひ)に特(わざ/\)来る。酒肴(しゆかう)をもて迎(むか)ふるに、再三(あまたゝび)辞(いなみ)給ふて云。しか/\のやうにて約(ちかひ)に背(そむ)くがゆゑに、自(みずから)刃(やいば)に伏(ふし)て陰魂(なきたま)百里を来るといひて見えずなりぬ。それ故にこそは母の眠(ねむり)をも驚(おどろ)かしたてまつれ。只/\赦(ゆる)し給へ」と潜然(さめ%\)と哭(なき)入を、老母いふ。「牢裏(らうり)に繋(つな)がるゝ人は夢(ゆめ)にも赦(ゆる)さるゝを見え、渇(かつ)するものは夢に漿水(しやうすい)を飲(のむ)」といへり。汝も又さる類(たぐひ)にやあらん。よく心を静(しづ)むべし」とあれども、左門頭(かしら)を揺(ふり)て、「まことに夢の正(まさ)なきにあらず。兄長(このかみ)はこゝもとにこそありつれ」と、又声を放(あげ)て哭倒(なきたを)る。老母も今は疑(うたが)はず、相叫(よび)て其夜は哭(なき)あかしぬ。

 明る日左門母を拝していふ。「吾幼(をさ)なきより身を翰墨(かんぼく)に托(よす)るといへども、国に忠義の聞えなく、家に孝信をつくすことあたはず。徒(いたづら)に天地のあひだに生(うま)るヽのみ。兄長(このかみ)赤穴(あかな)は一生を信義の為に終(をは)る。小弟けふより出雲に下り、せめては骨(ほね)を蔵(をさ)めて信(しん)を全(まつた)うせん。公(きみ)尊体(おほんみ)を保(たもち)給ふて、しばらくの暇(いとま)を給ふべし」。老母云。「吾(わが)児(こ)かしこに去ともはやく帰りて老が心を休めよ。永く逗(とゞ)まりてけふを旧(ひさ)しき日となすことなかれ」。左門いふ。「生(しやう)は浮(うき)たる{水+區}(あわ)のごとく、旦(あさ)にゆふべに定めがたくとも、やがて帰りまいるべし」とて泪を振(ふる)ふて家を出。佐用氏にゆきて老母の介抱(いたはり)を苦(ねんごろ)にあつらへ、出雲の国にまかる路(みち)に、飢(うえ)て食(しよく)を思はず、寒きに衣をわすれて、まどろめば夢にも哭(なき)あかしつゝ、十日を経(へ)て冨田の大城(ぎ)にいたりぬ。

 先赤穴丹治が宅(いへ)にいきて姓名をもていひ入るに、丹治迎(むか)へ請(せう)じて、「翼(つばさ)ある物の告るにあらで、いかでしらせ給ふべき謂(いはれ)なし」としきりに問尋(もと)む。左門いふ。「士(し)たる者は富貴(ふうき)消息(せうそく)の事ともに論ずべからず。只信義をもて重しとす。伯氏(あに)宗右衛門一旦(たび)の約(ちかひ)をおもんじ、むなしき魂(たま)の百里を来るに報(むく)ひすとて、日夜を逐(おふ)てこゝにくだりしなり。吾学(まな)ぶ所について士に尋ねまいらすべき旨(むね)あり。ねがふは明らかに答へ給へかし。昔魏(ぎ)の公叔座(こうしゆくざ)病の牀(ゆか)にふしたるに、魏王(ぎわう)みづからまうでゝ手をとりつも告(つぐ)るは、「若(もし)諱(いむ)べからずのことあらば誰をして社稷(くに)を守らしめんや。吾ために教(をしへ)を遺(のこ)せ」とあるに、叔座(しゆくざ)いふ。「商鞅(しやうをう)年少しといへども奇才(きさい)あり。王(きみ)若(もし)此人を用ゐ給はずば、これを殺(ころ)しても境(さかひ)を出すことなかれ。他の国にゆかしめば必も後の禍(わざはひ)となるべし」と、苦(ねんごろ)に教(をし)へて、又商鞅(しやうをう)を私(ひそか)にまねき、「吾汝をすゝむれども王許(ゆる)さゞる色あれば、用ゐずはかへりて汝を害(がゐ)し給へと教ふ。是君を先にし、臣を後にするなり。汝速(はや)く他(ひと)の国に去(さり)て害(がい)を免(のが)るべし」といへり。此事士(し)と宗右衛門に比(たぐへ)てはいかに」。丹治只頭(かしら)を低(たれ)て言(ことば)なし。左門座をすゝみて、「伯氏宗右衛門塩治(えんや)が旧交(よしみ)を思ひて尼子に仕へざるは義士なり。士は旧主(きうしゆ)の塩治を捨て尼子に降(くだ)りしは士たる義なし。伯氏(あに)は菊花の約(ちかひ)を重(おも)んじ、命を捨て百里を来(こ)しは信(まこと)ある極(かぎり)なり。士は今尼子に媚(こび)て骨肉(こつにく)の人をくるしめ、此横死(わうし)をなさしむるは友とする信(まこと)なし。経久強(しひ)てとゞめ給ふとも、旧(ひさ)しき交(まじ)はりを思はゞ、私(ひそか)に商鞅(しやうをう)叔座(しゆくざ)が信(まこと)をつくすべきに只栄利(えいり)にのみ走(はし)りて士家(しか)の風(ふう)なきは、即(すなはち)尼子の家風(かふう)なるべし。さるから兄長(このかみ)何故此国に足をとゞむべき。吾今信義を重(おも)んじて態々(わざ/\)こゝに来る。汝は又不義のために汚名(をめい)をのこせ」とて、いひもをはらず抜打(ぬきうち)に斬(きり)つくれば、一刀(かたな)にてそこに倒(たを)る。家眷(いへのこ)ども立騒(さわ)ぐ間(ひま)にはやく逃(のが)れ出て跡なし。尼子経久此よしを伝(つた)へ聞きて、兄弟信義(しんぎ)の篤(あつ)きをあはれみ、左門が跡をも強(しひ)て逐(おは)せざるとなり。咨(あゝ)軽薄(けいはく)の人と交はりは結(むす)ぶべからずとなん。

雨月物語一之巻終

雨月物語(うげつものがたり)巻之二

浅茅(あさち)が宿(やど)

 下総(しもをさ)の国葛飾郡(かつしかのこほり)真間(まゝ)の郷(さと)に、勝(かつ)四郎といふ男ありけり。祖父(おほぢ)より旧(ひさ)しくこゝに住、田畠(ばた)あまた主(ぬし)づきて家豊(ゆたか)に暮らしけるが、生長(ひとゝなり)て物にかゝはらぬ性(さが)より、農作(なりはひ)をうたてき物に厭(いと)ひけるまゝに、はた家貧(まづ)しくなりにけり。さるほどに親族(うから)おほくにも疎(うとん)じられけるを、朽(くち)をしきことに思ひしみて、いかにもして家を興(おこ)しなんものをと左右(とかく)にはかりける。其此雀部(さゝべ)の曽(そう)次といふ人、足利(あしかゞ)染の絹を交易(かうえき)するために、年々京よりくたりけるが、此郷(さと)に氏族(やから)のありけるを屡(しば/\)来訪(きとふ)らひしかば、かねてより親(した)しかりけるまゝに、商人となりて京にまうのぼらんことを頼みしに、雀部(さゝべ)いとやすく肯(うけ)がひて、いつの此はまかるべしと聞えける。他(かれ)がたのもしきをよろこびて、残(のこ)る田をも販(うり)つくして金(かね)に代(かへ)、絹素(きぬ)あまた買積(かいつみ)て、京にゆく日をもよほしける。

 勝四郎が妻宮木(みやぎ)なるものは、人の目とむるばかりの容(かたち)に、心ばへも愚(おろか)ならずありけり。此度勝四郎が商物(あきもの)買(かひ)て京(みやこ)にゆくといふをうたてきことに思ひ、言(ことば)をつくして諫(いさ)むれども、常の心のはやりたるにせんかたなく、梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)のたづきの心ぼそきにも、かひ/\しく調(こし)らへて、其夜はさりがたき別(わか)れをかたり、「かくてはたのみなき女心の、野にも山にも惑(まど)ふばかり、物うきかぎりに侍り。朝(あした)に夕べにわすれ給はで、速(はや)く帰り給へ。命だにとは思ふものゝ、明(あす)をたのまれぬ世のことわりは、武(たけ)き御(み)心にもあはれみ給へ」といふに、「いかで浮木(うきぎ)の乗(のり)つもしらぬ国に長居せん。葛(くず)のうら葉のかへるは此秋なるべし。心づよく待給へ」といひなぐさめて、夜も明ぬるに、鳥が啼東(あづま)を立出て京の方へ急ぎけり。

 此年(ことし)享徳(きやうとく)の夏、鎌倉(かまくら)の御所(ごしよ)成氏(しけうぢ)朝臣(あそん)、管領(くはんれい)の上杉(うへすぎ)と御中放(さけ)て、舘(みたち)兵(へう)火に跡なく滅(ほろび)ければ、御所は総州(そうしう)の御味方(みかた)へ落させ給ふより、関の東忽に乱れて、心%\の世の中となりしほどに、老たるは山に逃竄(にげかく)れ。弱(わか)きは軍民(いくさひと)にもよほされ、けふは此所を焼(やき)はらふ、明(あす)は敵のよせ来るぞと、女わらべ等(ら)は東西(おちこち)に迯まどひて泣かなしむ。勝四郎が妻なるものも、いづちへも遁(のが)れんものをと思ひしかど、此秋を待(まて)と聞えし夫(おつと)の言(ことば)を頼みつゝも、安からぬ心に日をかぞへて暮しける。秋にもなりしかど風の便りもあらねば、世とゝもに憑(たの)みなき人心かなと、恨みかなしみおもひくづをれて

  身のうさは人しも告(つげ)じあふ坂の夕づけ鳥よ秋も暮ぬと

かくよめれども、国あまた隔(へだて)ぬれば、いひおくるべき伝(つて)もなし。世の中騒(さわ)がしきにつれて、人の心も恐しくなりにたり。適間(たま/\)とふらふ人も、宮木(みやぎ)がかたちの愛(めで)たきを見ては、さま%\にすかしいざなへども、三貞(てい)の賢(かしこ)き操(みさほ)を守りてつらくもてなし、後は戸を閉(たて)て見えざりけり。一人(ひとり)の婢女(はしため)も去(さり)て、すこしの貯(たくは)へもむなしく、其年も暮ぬ。年あらたまりぬれども猶をさまらず。あまさへ去年(こぞ)の秋京家の下知として、美濃の国郡上(ぐじやう)の主(ぬし)、東(とう)の下野守常縁(つねより)に御旗(みはた)を給(た)びて、下野の領所(しるところ)にくだり、氏族(しぞく)千葉(ちば)の実胤(さねたね)とはかりて責(せむ)るにより、御所方も固(かた)く守りて拒(ふせ)ぎ戦(たゝか)ひけるほどに、いつ果(はつ)べきとも見えず。野伏等(のぶしら)はこゝかしこに寨(さゐ)をかまへ、火を放ちて財(たから)を奪(うば)ふ。八州(はつしう)すべて安き所もなく、浅ましき世の費(ついえ)なりけり。

 勝四郎は雀部(さゝべ)に従ひて京にゆき、絹ども残りなく交易(かうえき)せしほどに、当時(このごろ)都は花美(くはび)を好む節(とき)なれば、よき徳とりて東(あづま)に帰る用意(はかりこと)をなすに、今度(このたび)上杉の兵(つはもの)鎌倉の御所を陥(おと)し、なほ御跡をしたふて責討(せめうて)ば、古郷(ふるさと)の辺(ほと)りは干戈(かんくは)みち/\て、{水+豕}鹿(たくろく)の岐(ちまた)となりしよしをいひはやす。まのあたりなるさへ偽(いつはり)おほき世説(よがたり)なるを、ましてしら雲の八重に隔(へだ)たりし国なれば、心も心ならず。八月(はづき)のはじめ京(みやこ)をたち出て、岐曽(きそ)の真坂(みさか)を日くらしに踰(こえ)けるに、落草(ぬすびと)ども道を塞(ささ)へて、行李(にもつ)も残りなく奪(うば)はれしがうへに、人のかたるを聞けば、是より東の方は所々に新関(しんせき)を居(すゑ)て、旅客(たびひと)の往来(いきゝ)をだに宥(ゆる)さゞるよし。さては消息(おとづれ)をすべきたづきもなし、家も兵火(へうくは)にや亡(ほろ)びなん。妻も世に生(いき)てあらじ。しからば古郷(ふるさと)とても鬼(おに)のすむ所なりとて、こゝより又京(みやこ)に引かへすに、近江の国に入て、にはかにこゝちあしく、熱(あつ)き病を憂(うれ)ふ。武佐(むさ)といふ所に、児玉(こだま)嘉兵衛とて富貴の人あり。是は雀部(さゝべ)が妻の産所(さと)なりければ苦(ねんごろ)にたのみけるに、此人見捨ずしていたはりつも、医(ゐ)をむかへて薬の事専(もはら)なりし。やゝこゝち清(すゞ)しくなりぬれば、篤(あつ)き恩(めぐみ)をかたじけなうす。されど歩(あゆ)む事はまだはか%\しからねば、今年は思ひがけずもこゝに春を迎ふるに、いつのほどか此里にも友をもとめて、揉(ため)ざるに直(なほ)き志を賞(しやう)ぜられて、児玉(こだま)をはじめ誰/\も頼もしく交(まじは)りけり。此後は京(みやこ)に出て雀部(さゝべ)をとふらひ、又は近江に帰りて児玉(こだま)に身を托(よせ)、七とせがほどは夢のごとくに過しぬ。

 寛正二年、畿内河内の国に畠(はたけ)山が同根(どうこん)の争(あらそ)ひ果さゞれば、京(みやこ)ぢかくも騒がしきに、春の頃より瘟疫(えやみ)さかんに行(おこな)はれて、屍(かばね)は衢(ちまた)に畳(つみ)、人の心も今や一劫(ごう)の尽(つく)るならんと、はかなきかぎりを悲しみける。勝四郎熟(つら/\)思ふに、「かく落魄(おちぶれ)てなす事もなき身の何をたのみとて遠き国に逗(とゞ)まり、由縁(ゆゑ)なき人の恵(めぐ)みをうけて、いつまで生(いく)べき命なるぞ。古郷(ふるさと)に捨し人の消息(せうそこ)をだにしらで、萱草(わすれぐさ)おひぬる野方(のべ)に長々しき年月を過しけるは、信(まこと)なき己(おの)が心なりける物を。たとへ泉下(せんか)の人となりて、ありつる世にはあらずとも、其あとをももとめて壟(つか)をも築(つく)べけれ」と、人々に志を告(つげ)て、五月雨(さみだれ)のはれ間(ま)に手をわかちて、十日あまりを経(へ)て古郷(ふるさと)に帰り着ぬ。

 此時日ははや西に沈(しづ)みて、雨雲はおちかゝるばかりに闇(くら)けれど、旧(ひさ)しく住なれし里なれば迷(まよ)ふべうもあらじと、夏野わけ行に、いにしへの継橋(つぎはし)も川瀬におちたれば、げに駒(こま)の足音(あおと)もせぬに、田畑は荒(あれ)たきまゝにすさみて旧(もと)の道もわからず。ありつる人居(いへゐ)もなし、たま/\こゝかしこに残る家に人の住とは見ゆるもあれど、昔には似つゝもあらね。いづれか我住し家ぞと立惑(まど)ふに、こゝ二十歩(ほ)ばかりを去(さり)て、雷(らい)に摧(くだか)れし松の聳(そび)えて立(たて)るが、雲間(ま)の星のひかりに見えたるを、げに我軒の標(しるし)こそ見えつると、先(まづ)喜(うれ)しきこゝちしてあゆむに、家は故(もと)にかはらであり。人も住と見えて、古戸(ふるど)の間(すき)より燈火の影もれて輝(きら)々とするに、他(こと)人や住、もし其人や在(いま)すかと心躁(さはが)しく、門に立よりて咳(しはぶき)すれば、内にも速(はや)く聞とりて、「誰(たそ)」と咎(とが)む。いたうねびたれど正しく妻の声なるを聞て、夢かと胸のみさわがれて、「我こそ帰りまゐりたり。かはらで独自(ひとり)浅茅(あさぢ)が原に住つることの不思議さよ」といふを、聞しりたればやがて戸を明るに、いといたう黒く垢(あか)づきて、眼(まみ)はおち入たるやうに、結(あげ)たる髪も脊(せ)にかゝりて、故(もと)の人とも思はれず。夫(おとこ)見て物をもいはで潛然(さめ%\)となく。勝四郎も心くらみてしばし物をも聞えざりしが、やゝしていふは、「今までかくおはすと思ひなば、など年月を過すべき。去ぬる年京(みやこ)にありつる日、鎌倉の兵乱(へうらん)を聞。御所の師(いくさ)潰(ついえ)しかば、総州(そうしう)に避(さけ)て禦(ふせ)ぎ給ふ。管領(くはんれい)これを責る事急(きう)なりといふ。其明(あす)雀部(さゝべ)にわかれて、八月(はづき)のはじめ京(みやこ)を立て、木曽路を来(く)るに、山賊(だち)あまたに取こめられ、衣服(いふく)金銀残りなく掠(かす)められ、命ばかりを辛労(からう)じて助(たす)かりぬ。且(かつ)里人のかたるを聞ば、東海東山の道はすべて新関を居(すゑ)て人を駐(とゞ)むるよし。又きのふ京より節刀使(せつとし)もくだり給ひて、上杉に与(くみ)し、総州の陣(いくさ)に向はせ給ふ。本国の辺(ほと)りは疾(とく)に焼はらはれ、馬の蹄(ひづめ)尺地(せきち)も間(ひま)なしとかたるによりて、今は灰塵(くはいぢん)とやなり給ひけん。海(うみ)にや沈(しづ)み給ひけんとひたすらに思ひとゞめて、又京(みやこ)にのぼりぬるより、人に餬口(くちもらひ)て七とせは過しけり。近曽(このごろ)すゞろに物のなつかしくありしかば、せめて其跡(あと)をも見たきまゝに帰りぬれど、かくて世におはせんとは努(ゆめ)々思はざりしなり。巫山(ふざん)の雲漢宮(かんきう)の幻(まぼろし)にもあらざるや」とくりことはてしぞなき。妻涙をとゞめて、「一たび離(わか)れまいらせて後、たのむの秋より前(さき)に恐(おそろ)しき世の中となりて、里人は皆家を捨て海に漂(たゞよ)ひ山に隠(こも)れば、適(たま/\)に残りたる人は、多く虎狼(こらう)の心ありて、かく寡(やもめ)となりしを便(たよ)りよしとや、言(ことば)を巧(たく)みていざなへども玉と砕(くだけ)ても瓦(かはら)の全(また)きにはならはじものをと、幾たびか辛苦(からきめ)を忍びぬる。銀河(ぎんが)秋を告(つぐ)れども君は帰り給はず。冬を待、春を迎(むか)へても消息(おとづれ)なし。今は京(みやこ)にのぼりて尋ねまいらせんと思ひしかど、丈夫(ますらを)さへ宥(ゆる)さゞる関の鎖(とざし)を、いかで女の越(こゆ)べき道もあらじと、軒端の松にかひなき宿に、狐(きつね)〓{休+鳥}〓{留+鳥}(ふくろう)を友として今日までは過しぬ。今は長き恨みもはれ%\となりぬる事の喜(うれ)しく侍(はべ)り。逢(あふ)を待(まつ)間(ま)に恋死なんは人しらぬ恨みなるべし」と、又よゝと泣(なく)を、「夜こそ短きに」といひなぐさめてともに臥(ふし)ぬ。

 窓(まど)の紙(かみ)松風(まつかぜ)を啜(すゝ)りて夜もすがら涼しきに、途(みち)の長手(ながて)に労(つか)れ熟(うま)く寝(いね)たり。五更(ごかう)の天(そら)明(あけ)ゆく比、現(うつゝ)なき心にもすゞろに寒かりければ、衾(ふすま){巾+皮}(かづか)んとさぐる手に、何物にや籟(さや/\)と音するに目さめぬ。面(かほ)にひや/\と物のこぼるゝを、雨や漏(もり)ぬるかと見れば、屋根は風にまくられてあれば有明月のしらみて残りたるも見ゆ。家は扉(と)もあるやなし。簀垣(すがき)朽頽(くちくづれ)たる間(ひま)より、荻(をぎ)薄(すゝき)高く生(おひ)出て、朝露うちこぼるゝに、袖湿(ひち)てしぼるばかりなり。壁(かべ)には蔦(つた)葛(くず)延(はひ)かゝり、庭は葎(むくら)に埋(うづも)れて、秋ならねども野らなる宿なりけり。さてしも臥(ふし)たる妻はいづち行けん見えず。狐などのしわざにやと思へば、かく荒果ぬれど故(もと)住し家にたがはで、広く造(つく)り作(なせ)し奥わたりより、端(はし)の方、稲倉(いなぐら)まで好みたるまゝの形(さま)なり。呆自(あきれ)て足の踏所(ふみど)さへ失(わす)れたるやうなりしが、熟(つら/\)おもふに、妻は既(すで)に死(まかり)て、今は狐狸の住かはりて、かく野らなる宿となりたれば、怪(あや)しき鬼(もの)の化(け)してありし形(かたち)を見せつるにてぞあるべき。若(もし)又我を慕(した)ふ魂(たま)のかへり来りてかたりぬるものか。思ひし事の露たがはざりしよと、更に涙さへ出ず。我身ひとつは故(もと)の身にしてとあゆみ廻(めぐ)るに、むかし閨房(ふしど)にてありし所の簀子(すのこ)をはらひ、土を積て壟(つか)とし、雨露をふせぐまうけもあり。夜(よべ)の霊(れゐ)はこゝもとよりやと恐しくも且(かつ)なつかし。水向(むけ)の具(ぐ)物せし中に、木の端(はし)を刪(けづ)りたるに、那須野紙(なすのかみ)のいたう古(ふる)びて、文字もむら消(ぎえ)して所々見定めがたき。正しく妻の筆の跡なり。法名といふものも年月もしるさで、三十一字に末期(いまは)の心を哀にも展(のべ)たり

  さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か

 こゝにはじめて妻の死(しゝ)たるを覚(さと)りて、大に叫(さけ)びて倒(たを)れ伏す。去(さり)とて何の年何の月日に終(をは)りしさへしらぬ浅ましさよ。人はしりもやせんと、涙をとゞめて立出れば、日高くさし昇(のぼ)りぬ。先ちかき家に行て主(あるじ)を見るに、昔見し人にあらず。かへりて「何国(いづく)の人ぞ」と咎(とが)む。勝四郎礼(ゐや)まひていふ。「此隣なる家の主(あるじ)なりしが、過活(わたらひ)のため京(みやこ)に七とせまでありて、昨(きそ)の夜帰りまゐりしに、既に荒廃(あれすさみ)て人も住ゐ侍らず。妻なるものも死(まかり)しと見えて壟(つか)の設(まうけ)も見えつるが、いつの年にともなきにまさりて悲しく侍り。しらせ給はゞ教(をしへ)給へかし」主(あるじ)の男いふ。「哀にも聞え給ふものかな。我(わが)こゝに住もいまだ一とせばかりの事なれば、それよりはるかの昔に亡(うせ)給ふと見えて、住給ふ人のありつる世はしり侍らず。すべて此里の旧(ふる)き人は兵乱(へうらん)の初に逃失(にげうせ)て、今住居する人は大かた他(ほか)より移り来たる人なり。只一人(ひとり)の翁(おきな)の侍(はべ)るが、所に旧(ひさ)しき人と見え給ふ。時(をり)々あの家にゆきて、亡(うせ)給ふ人の菩提(ぼだい)を吊(とふら)はせ給ふなり。此翁こそ月日をもしらせ給ふべし」といふ。勝四郎いふ。「さては其翁の栖(すみ)給ふ家は何方(いづべ)にて侍るや」。主(あるじ)いふ。「こゝより百歩(ほ)はかり浜の方に、麻(あさ)おほく種(うゑ)たる畑の主(ぬし)にて、其所(そこ)にちいさき庵(いほり)して住せ給ふなり」と教ふ。勝四郎よろこびてかの家にゆきて見れば、七十(なゝそぢ)可(ばかり)の翁の、腰は浅ましきまで屈(かゞま)りたるが、庭竃(にはかまど)の前に円座(わらうだ)敷(しき)て茶を啜(すゝ)り居(を)る。翁も勝四郎と見るより、「吾主(わぬし)何とて遅(おそ)く帰り給ふ」といふを見れば、此里に久しき漆間(うるま)の翁といふ人なり。

 勝四郎、翁が高齢(よはひ)をことぶきて、次に京(みやこ)に行て心ならずも逗(とゞま)りしより、前夜(さきのよ)のあやしきまでを詳(つばら)にかたりて、翁が壟(つか)を築(つき)て祭り給ふ恩(めぐみ)のかたしけなきを告(つげ)つゝも涙とゝめがたし。翁いふ。「吾主(わぬし)遠(とほ)くゆき給ひて後は、夏の比より干戈(かんくは)を揮(ふる)ひ出て、里人は所々に遁(のが)れ、弱(わか)き者どもは軍民(いくさびと)に召(めさ)るゝほどに、桑田(さうでん)にはかに狐兎(こと)の叢(くさむら)となる。只烈婦(さかしめ)のみ主(ぬし)が秋を約(ちか)ひ給ふを守りて、家を出給はず。翁も又足蹇(あしなへぎ)て百歩(ほ)を難(かた)しとすれば、深く閉(たて)こもりて出ず。一旦(ひとたび)樹神(こたま)などいふおそろしき鬼(もの)の栖(すむ)所となりたりしを、稚(わか)き女子(をんなご)の矢武(やたけ)におはするぞ。老が物見たる中のあはれなりし。秋去(さり)春来りて、其年の八月(はづき)十日といふに死(まかり)給ふ。惆(いとを)しさのあまりに、老が手づから土を運(はこ)びて柩(ひつぎ)を蔵(をさ)め、其終焉(をはり)に残し給ひし筆の跡を壟(つか)のしるしとして蘋繁行潦(みづむけ)の祭りも心ばかりにものしけるが、翁もとより筆とる事(わざ)をしもしらねば、其月日を紀(しる)す事もえせず。寺院遠ければ贈号(おくりな)を求むる方もなくて、五とせを過し侍るなり。今の物がたりを聞に、必烈婦(さかしめ)の魂(たま)の来り給ひて、旧(ひさ)しき恨みを聞え給ふなるべし。復(ふたゝ)びかしこに行て念比にとふらひ給へ」とて、杖を曳(ひき)て前(さき)に立。相ともに壟(つか)のまへに俯(ふ)して声を放(あげ)て歎(なげ)きつゝも、其夜はそこに念仏して明しける。

 寝られぬまゝに翁かたりていふ。「翁が祖父(おほぢ)の其祖父(おほぢ)すらも生(うま)れぬはるかの徃古(いにしへ)の事よ。此郷(さと)に真間(まま)の手児女(てごな)といふいと美(うつく)しき娘子(をとめ)ありけり。家貧(まづ)しければ身には麻衣(あさごろも)に青衿(あをえり)つけて、髪だも梳(けづ)らず。履(くつ)たも穿(はか)ずてあれど、面(かほ)は望(もち)の夜の月のごと、笑(ゑめ)ば花の艶(にほ)ふが如(ごと)、綾錦(あやにしき)に裹(つゝ)める京(みやこ)女臈(ぢよろう)にも勝(まさ)りたれとて、この里人はもとより、京(みやこ)の防人等(さきもりたち)、国の隣の人までも、言(こと)をよせて恋慕(しの)ばざるはなかりしを、手児女(てごな)物うき事に思ひ沈(しづ)みつゝ、おほくの人の心に報(むく)ひすとて、此浦回(うらわ)の波に身を投(なげ)しことを、世の哀(あはれ)なる例(ためし)とて、いにしへの人は歌にもよみ給ひてかたり伝へしを、翁が稚(をさな)かりしときに、母のおもしろく話(かた)り給ふをさへいと哀なることに聞しを、此亡(なき)人の心は昔の手児女(てごな)がをさなき心に幾らをかまさりて悲しかりけん」と、かたる/\涙さしぐみてとゞめかぬるぞ、老は物えこらへぬなりけり。勝四郎が悲しみはいふべくもなし。此物がたりを聞て、おもふあまりを田舎(いなか)人の口鈍(にぶ)くもよみける

  いにしへの真間(まゝ)の手児奈(てごな)をかくばかり恋てしあらん真間(まゝ)のてこなを

思ふ心のはしばかりをもえいはぬぞ、よくいふ人の心にもまさりてあはれなりとやいはん。かの国にしば/\かよふ商人(あきびと)の聞伝(つた)へてかたりけるなりき

夢応(むをう)の鯉魚(りきよ)

 むかし延長(えんてう)の頃。三井寺に興義(こうぎ)といふ僧ありけり。絵(ゑ)に巧(たくみ)なるをもて名を世にゆるされけり。嘗(つね)に画(ゑが)く所。仏像(ぶつぞう)山水(さんすい)花鳥(くはてう)を事とせず。寺務(しむ)の間(いとま)ある日は湖(うみ)に小舩をうかへて。網引(あびき)釣(つり)する泉郎(あま)に銭を与(あた)へ。獲(え)たる魚をもとの江に放(はな)ちて。其魚の遊躍(あそぶ)を見ては画(ゑが)きけるほどに。年を経(へ)て細妙(くはしき)にいたりけり。或ときは絵に心を凝(こら)して眠(ねふり)をさそへば。ゆめの裏(うち)に江に入て。大小(さばかり)の魚とともに遊ぶ。覚(さむ)れば即(やかて)見つるまゝを画(ゑか)きて壁(かべ)に貼(お)し。みづから呼て夢応(むをう)の鯉魚(りきよ)と名付けり。其絵の妙(たへ)なるを感(めで)て乞要(こひもと)むるもの前後(ついで)をあらそへば。只花鳥山水は乞(こふ)にまかせてあたへ。鯉魚(りきよ)の絵はあながちに惜(をし)みて。人毎(ごと)に戯(たはふ)れていふ。「生(しやう)を殺(ころ)し鮮(あさらけ)を喰(くら)ふ凡俗(ぼんぞく)の人に。法師の養(やしな)ふ魚必しも与(あた)へず」となん。其絵と俳諧(わざごと)とゝもに天下(あめがした)に聞えけり。

 一とせ病(やまひ)に係(かゝ)りて。七日を経(へ)て忽に眼(まなこ)を閉(とぢ)息絶(いきたえ)てむなしくなりぬ。徒弟(とてい)友とぢあつまりて歎き惜みけるが。只心頭(むね)のあたりの微(すこ)し暖(あたゝか)なるにぞ。若(もし)やと居めぐりて守りつも三日を経(へ)にけるに。手足すこし動(うご)き出るやうなりしが。忽長嘘(ためいき)を吐(はき)て。眼(め)をひらき。醒(さめ)たるがごとくに起あかりて。人々にむかひ「我人事(にんじ)をわすれて既(すで)に久し幾日をか過しけん」。衆弟等(しうていら)いふ。「師三日前(さき)に息(いき)たえ給ひぬ。寺中の人々をはじめ。日比睦(むつ)まじくかたり給ふ殿原(とのばら)も詣(まうて)給ひて葬(はふむり)の事をもはかり給ひぬれど只師が心頭(むね)の暖(あたゝか)なるを見て。柩(ひつぎ)にも蔵(をさ)めでかく守り侍りしに。今や蘇生(よみかへり)給ふにつきて。かしこくも物せざりしよと怡(よろこ)びあへり」。興義(こうぎ)点頭(うなづき)ていふ。「誰にもあれ一人檀(だん)家の平(たひら)の助の殿の館(みたち)に詣(まいり)て告(まう)さんは。『法師こそ不思議に生(いき)侍(はべ)れ。君今酒を酌(くみ)鮮(あさらけ)き鱠(なます)をつくらしめ給ふ。しばらく宴(えん)を罷(やめ)て寺に詣させ給へ。稀有(けう)の物がたり聞えまいらせん』とて。彼(かの)人々のある形(さま)を見よ。我詞に露たがはじ」といふ。使異(あや)しみながら彼館(みたち)に往(いき)て其由をいひ入れてうかゞひ見るに。主(あるじ)の助をはじめ。令弟(おとうと)の十郎。家の子掃守(かもり)なと居(ゐ)めぐりて酒を酌(くみ)ゐたる。師が詞のたがはぬを竒(あやし)とす。助の館(たち)の人々此事を聞て大に異(あや)しみ。先箸(はし)を止(やめ)て。十郎掃守(かもり)をも召(めし)具(ぐ)して寺に到る。興義(こうぎ)枕をあげて路次(ろじ)の労(わづら)ひをかたしけなうすれば。助も蘇生(よみがへり)の賀(ことふき)を述(の)ぶ。興義先問ていふ。「君試(こゝろみ)に我いふ事を聞せ給へかの漁父(ぎよふ)文四に魚をあつらへ給ふ事ありや」。助驚きて。「まことにさる事ありいかにしてしらせ給ふや」。興義(こうぎ)。「かの漁父(ぎよふ)三尺(たけ)あまりの魚を篭(かご)に入て君が門に入。君は賢弟(けんてい)と南面(みなみおもて)の所に碁(ご)を囲(かこ)みておはす。掃守(かもり)傍(かたはら)に侍(はべ)りて。桃(もゝ)の実(み)の大なるを啗(く)ひつゝ奕(えき)の手段(しゆだん)を見る。漁父が大魚(まな)を携(たづさ)へ来るを喜(よろこ)びて。高杯(たかつき)に盛(もり)たる桃をあたへ。又盃(さかづき)を給ふて三献(こん)飲(のま)しめ給ふ。鱠手(かしはびと)したり顔に魚をとり出て鱠(なます)にせしまで。法師がいふ所たがはでぞあるらめ」といふに。助の人々此事を聞て。或は異(あや)しみ。或はこゝち惑(まど)ひて。かく詳(つばら)なる言(こと)のよしを頻(しきり)に尋(たづ)ぬるに。興義(こうぎ)かたりていふ。

 「我此頃病にくるしみて堪(たへ)がたきあまり。其死(しゝ)たるをもしらず。熱(あつ)きこゝちすこしさまさんものをと。杖(つゑ)に扶(たすけ)られて門を出れは。病もやゝ忘(わす)れたるやうにて篭(こ)の鳥の雲井にかへるこゝちす。山となく里となく行々て。又江の畔(ほとり)に出(いづ)。湖水(こすい)の碧(みどり)なるを見るより。現(うつ)なき心に浴(あび)て遊びなんとて。そこに衣を脱去(ぬきすて)て。身を跳(をど)らして深きに飛入つも。彼此(をちこち)に游(およぎ)めぐるに。幼(わかき)より水に狎(なれ)たるにもあらぬが。慾(おも)ふにまかせて戯(たはふ)れけり。今思へば愚(おろか)なる夢ごゝろなりし。されとも人の水に浮ふは魚のこゝろよきにはしかす。こゝにて又魚の遊ひをうらやむこゝろおこりぬ傍(かたはら)にひとつの大魚(まな)ありていふ。『師のねがふ事いとやすし。待せ給へ』とて。杳(はるか)の底(そこ)に去(ゆく)と見しに。しばしして。冠装束(がむりさうぞく)したる人の。前(さき)の大魚(まな)に胯(また)がりて。許多(あまた)の〓魚(うろくず)を牽(ひき)ゐて浮ひ来たり我にむかひていふ。『海若(わたづみ)の詔(みことのり)あり。老僧かねて放生(はうじやう)の功徳(くどく)多し。今江に入て魚の遊躍(あそび)をねがふ。権(かり)に金鯉(きんり)が服(ふく)を授(さづ)けて水府(すいふ)のたのしみをせさせ給ふ。只餌(ゑ)の香(かん)ばしきに昧(くら)まされて。釣(つり)の糸にかゝり身を亡(うしな)ふ事なかれ』といひて去(さり)て見えずなりぬ。不思議のあまりにおのが身をかへり見れば。いつのまに鱗(うろこ)金光(きんかう)を備(そな)へてひとつの鯉魚(りぎよ)と化(け)しぬ。あやしとも思はで。尾(を)を振(ふり)鰭(ひれ)を動(うこ)かして心のまゝに逍遥(せうえう)す。まつ長等(なから)の山おろし。立ゐる浪に身をのせて。志賀の大湾(おほわだ)の汀(みぎわ)に遊べば。かち人の裳(も)のすそぬらすゆきかひに驚(おど)されて。比良(ひら)の高山影うつる。深き水底(みなそこ)に潜(かづ)くとすれど。かくれ堅田(かたた)の漁火(いさりび)によるぞうつゝなき。ぬば玉の夜中(よなか)の潟(かだ)にやどる月は。鏡の山の峯に清(すみ)て。八十(やそ)の湊(みなと)の八十隈(やそくま)もなくておもしろ。沖津島山。竹生島(ちくぶしま)。波にうつろふ朱(あけ)の垣(かき)こそおどろかるれ。さしも伊吹の山風に。旦妻舩(あさづまぶね)も漕(こき)出れば。芦間(あしま)の夢をさまされ。矢橋の渡りする人の水(み)なれ棹(さを)をのがれては。瀬田の橋守にいくそたびが追れぬ。日あたゝかなれば浮ひ。風あらきときは千尋(ちひろ)の底(そこ)に遊ぶ。急(にはか)にも飢(うえ)て食(もの)ほしけなるに。彼此(をちこち)に〓(あさ)り得ずして狂ひゆくほどに。忽文四が釣を垂(たる)るにあふ。其餌(ゑ)はなはだ香(かんば)し。心又河伯(がみ)の戒(いましめ)を守りて思ふ。我は仏(ほとけ)の御弟子なり。しばし食(もの)を求め得ずとも。なぞもあさましく魚の餌(ゑ)を飲(のむ)へきとてそこを去(さる)。しばしありて飢(うえ)ます/\甚しければ。かさねて思うに。今は堪(たへ)がたし。たとへ此餌(ゑ)を飲(のむ)とも鳴呼(をこ)に捕(とら)れんやは。もとより他(かれ)は相識(しる)ものなれば。何のはゞかりかあらんとて遂(つひ)に餌(ゑ)をのむ。文四はやく糸を収(をさ)めて我を捕(とら)ふ。『こはいかにするぞ』と叫(さけ)びぬれとも。他(かれ)かつて聞ず顔にもてなして縄(なは)をもて我腮(あぎと)を貫(つら)ぬき。芦間に舩を繋(つな)ぎ。我を篭(かご)に押入て君が門を進(すゝ)み入。君は賢(けん)弟と南面(おもて)の間に奕(えき)して遊ばせ給ふ掃守(かもり)傍(かたはら)に侍りて菓(このみ)を啗(くら)ふ。文四がもて来し大魚(まな)を見て人々大に感(めで)させ給ふ。我其とき人々にむかひ声をはり上て。『旁等(かた%\ら)は興義(こうぎ)をわすれ給ふか。宥(ゆる)させ給へ。寺にかへさせ給へ』と連(しき)りに叫(さけ)びぬれど。人々しらぬ形(さま)にもてなして。只手を拍(うつ)て喜び給ふ。鱠手(かしは人)なるものまづ我両眼を左手(ひだり)の指(おゆび)にてつよくとらへ。右手(みぎり)に礪(とき)すませし刀(かたな)をとりて俎盤(まないた)にのぼし既に切べかりしとき。我くるしさのあまりに大声をあげて。『仏弟子(ふつでし)を害(がゐ)する例(ためし)やある。我を助けよ/\』と哭叫(なきさけ)びぬれど。聞入ず。終(つひ)に切るゝとおほえて夢醒(ゆめさめ)たり」とかたる。人々大に感(めで)異(あや)しみ。「師が物がたりにつきて思ふに。其度ことに魚の口に動(うご)くを見れど。更に声を出す事なし。かゝる事まのあたりに見しこそいと不思議なれ」とて。従者(ずさ)を家に走(はしら)しめて残(のこ)れる鱠(なまず)を湖(うみ)に捨させけり。

 興義これより病愈(いえ)て杳(はるか)の後天年(よはひ)をもて死(まかり)ける。其終焉(をはり)に臨(のそ)みて画(ゑが)く所の鯉魚数枚(すまい)をとりて湖(うみ)に散(ちら)せば。画(ゑが)ける魚紙繭(しけん・かみきぬ)をはなれて水に遊戯(ゆうげ)す。こゝをもて興義か絵世に伝はらず。其弟子成光(なりみつ)なるもの。興義(こうぎ)が神妙(しんめう)をつたへて時に名あり。閑院(かんゐん)の殿(との)の障子(しやうじ)に鶏(にはとり)を画(ゑがき)しに。生(いけ)る鶏(とり)この絵を見て蹴(け)たるよしを。古き物がたりに載(のせ)たり

雨月物語二之巻終

雨月物語(うげつものがたり)巻之三

仏法僧(ぶつぽふそう)

 うらやすの国ひさしく。民(たみ)作業(なりはひ)をたのしむあまりに。春は花の下(もと)に息(やす)らひ。秋は錦の林を尋(たづ)ね。しらぬ火の筑紫路(つくしぢ)もしらではと械(かぢ)まくらする人の。富士筑紫の嶺(みね)/\を心にしむるぞそゞろなるかな。

 伊勢の相可(あふか)といふ郷(さと)に。拝志氏(はやしうぢ)の人。世をはやく嗣(つぎ)に譲(ゆづ)り。忌(いむ)こともなく頭(かしら)おろして。名を夢然(むぜん)とあらため従来(もとより)身に病さへなくて。彼此(をちこち)の旅寝を老のたのしみとする。季子(すゑのこ)作之治なるものが生長(ひとゝなり)の頑(かたく)なるをうれひて。京の人見するとて。一月あまり二条の別業(べつげう)に逗(とゞ)まりて。三月(やよい)の末(すゑ)吉野の奥の花を見て。知れる寺院に七日はかりかたらい。此ついでにいまだ高野山を見ず。いざとて。夏のはじめ青葉の茂(しけ)みをわけつゝ。天(てん)の川といふより踰(こえ)て。摩尼(まに)の御山にいたる。道のゆくての嶮(さか)しきになづみて。おもはずも日かたふきぬ。壇場(だんじやう)。諸堂霊廟(みたまや)。残りなく拝みめぐりて。こゝに宿からんといへど。ふつに答ふるものなし。そこを行人に所の掟(おきて)をきけば。寺院僧坊に便(たより)なき人は。麓(ふもと)にくだりて明すべし。此山すべて旅人に一夜をかす事なしとかたる。いかゞはせん。さすがにも老の嶮(さか)しき山路を来(こ)しがうへに。事のよしを聞きて大きに心倦(うみ)つかれぬ。作之治がいふ。日もくれ。足も痛(いた)みて。いかゞしてあまたのみちをくだらん。弱(わか)き身は草に臥(ふす)とも厭(いと)ひなし。只病(やみ)給はん事の悲しさよ。夢然(むぜん)云。旅はかゝるをこそ哀れともいふなれ。今夜(こよひ)脚(あし)をやぶり。倦(うみ)つかれて山をくだるともおのが古郷(ふるさと)にもあらず。翌(あす)のみち又はかりがたし。此山は扶桑(ふさう)第一の霊場(れいじやう)。大師の広徳(くわうとく)かたるに尽(つき)ず。殊(こと)にも来りて通夜(つや)し奉り。後世の事たのみ聞ゆべきに。幸(さいはひ)の時(をり)なれば。霊廟(みたまや)に夜もすがら法施(ほふせ)したてまつるべしとて。杉の下道のをぐらきを行/\。霊廟(みたまや)の前なる燈篭堂(とうろうだう)の簀子(すのこ)に上(のぼ)りて。雨具(あまぐ)うぢ敷座をまうけて。閑(しづか)に念仏(ねぶつ)しつゝも。夜の更(ふけ)ゆくをわびてぞある。方五十町に開(ひら)きて。あやしげなる林も見えず。小石だも掃(はら)ひし福田(ふくでん)ながら。さすがにこゝは寺院遠く。陀羅尼(だらに)鈴錫(れいしやく)の音(こゑ)も聞えず。木(こ)立は雲をしのぎて茂(しみ)さび。道に界(さか)ふ水の音ほそ%\と清(すみ)わたりて物がなしき。寝られぬまゝに夢然(むぜん)かたりていふ。そも/\大師の神化(じんくは)。土(ど)石草(さう)木も霊(れい)を啓(ひら)きて。八百(やほ)とせあまりの今にいたりて。いよゝあらたに。いよゝたふとし。遺芳(ゐはう)歴踪(れきそう)多きが中に。此山なん第一の道場(だうじやう)なり。太師いまぞかりけるむかし。遠く唐土(もろこし)にわたり給ひ。あの国にて感(めで)させ給ふ事おはして。此三鈷(こ)のとゞまる所我道を揚(あぐ)る霊地(れいち)なりとて。杳冥(そら)にむかひて抛(なげ)させ給ふが。はた此山にとゝまりぬる。壇場(だんじやう)の御前なる三鈷(こ)の松こそ此物の落とゞまりし地(ところ)なりと聞。すべて此山の草木(さうもく)泉石(せんせき)霊(れい)ならざるはあらすとなん。こよひ不思議(しぎ)にもこゝに一夜をかりたてまつる事。一世ならぬ善縁(ぜんえん)なり。〓(なんぢ)弱(わか)きとて努(ゆめ)/\信心(しん%\)をこたるべからずと。小(さゝ)やかにかたるも清(すみ)て心ぼそし。

 御廟(みべう)のうしろの林にと覚えて。仏法(ぶつぱん)/\となく鳥の音山彦にこたへてちかく聞ゆ。夢然(むぜん)目さむる心ちして。あなめづらし。あの啼(なく)鳥こそ仏法僧といふならめ。かねて此山に栖(すみ)つるとは聞しかど。まさに其音を聞しといふ人もなきに。こよひのやどりまことに滅罪(めつざい)生善(しやうぜん)の祥(しるし)なるや。かの鳥は清浄(しやう%\)の地(ち)をえらみてすめるよしなり。上野(かんづけ)の国迦葉山(かせうざん)。下野(しもづけ)の国二荒(ふたら)山。山城の醍醐(だいご)の峯(みね)。河内の杵長(しなが)山。就中(なかんづく)此山にすむ事。大師の詩偈(しげ)ありて世の人よくしれり

  寒林独坐草堂暁(かんりんどくざさうだうのあかつき)

  三寳之声聞一鳥(さんぼうのこゑをいつてうにきく)

  一鳥有声人有心(いつてうこゑありひとこゝろあり)

  性心雲水倶了々(せいしんうんすいともにれう/\)

又ふるき歌に

  松の尾の峯静(しづか)なる曙(あけぼの)にあふぎて聞けば仏法僧啼

むかし最福寺(さいふくじ)の延朗(えんらう)法師(ほふし)は世にならびなき法華者(ほつけしや)なりしほどに。松の尾の御神此鳥をして常に延朗(えんらう)につかへしめ給ふよしをいひ伝ふれば。かの神垣にも巣(すむ)よしは聞えぬ。こよひの竒妙(きめう)既に一鳥声あり。我こゝにありて心なからんやとて。平生(つね)のたのしみとする俳諧風(はいかいぶり)の十七言(こと)を。しばしうちかたふいていひ出ける

  鳥の音(ね)も秘密(ひみつ)の山の茂(しげ)みかな

旅硯(たびすゝり)とり出て御燈(みあかし)の光に書つけ。今一声もかなと耳を倚(かたふく)るに。思ひがけずも遠く寺院の方より。前(さき)を追(お)ふ声の厳敷(いかめしく)聞えて。やゝ近づき来たり。何人の夜深(ふけ)て詣(まうて)給ふやと。異(あや)しくも恐しく。親子顔を見あはせて息(いき)をつめ。そなたをのみまもり居るに。はや前駆(ぜんぐ)の若侍(わかさむらい)橋板(はしいた)をあらゝかに踏(ふみて)てこゝに来る。

 おどろきて堂の右に潜(ひそ)みかくるゝを。武士(ぶし)はやく見つけて。何者なるぞ。殿下(でんか)のわたらせ給ふ。疾(とく)下(お)りよといふに。あはたゝしく簀子(すのこ)をくだり。土に俯(ふ)して跪(うすゞ)まる。程なく多くの足音聞ゆる中に。沓音(くつおと)高く響(ひゞき)て。烏帽子(ゑぼし)直衣(なほし)めしたる貴人堂に上り給へば。従者(みとも)の武士(ものゝべ)四五人ばかり左右(みぎひだり)に座をまうく。かの貴人人々に向ひて。誰(たれ)/\はなど来らざると課(おほ)せらるゝに。やがてぞ参りつらめと奏(まう)す。又一群(むれ)の足音して。威儀(ゐぎ)ある武士。頭(かしら)まろけたる入道(にうだう)等(ら)うち交(まじ)りて。礼(ゐや)たてまつりて堂に昇(のぼ)る。貴人只今来りし武士にむかひて。常陸(ひたち)は何とておそく参りたるぞとあれば。かの武士いふ。白江(しらえ)熊谷(くまがへ)の両士。公(きみ)に大御酒(おほみき)すゝめたてまつるとて実(まめ)やかなるに。臣(しん)も鮮(あさら)き物一種(しゆ)調(てう)じまいらせんため。御従(みとも)に後(おく)れたてまつりぬと奏(まう)す。はやく酒〓(さかな)をつらねてすゝめまいらすれば。万作酌(しやく)まゐれとぞ課(おほ)せらる。恐(かしこ)まりて。美相(びそう)の若士(わかさふらい)膝行(ゐざり)よりて瓶子(へいじ)を捧(さゝ)ぐ。かなたこなたに杯(さかづき)をめぐらしていと興ありげなり。貴人又日(のたま)はく。絶(たえ)て紹巴(じやうは)が説話(ものがたり)を聞ず。召(め)せとの給ふに。呼(よび)つぐやうなりしが。我跪(うすゞ)まりし背(うしろ)の方より。大(おほい)なる法師の。面(おもて)うちひらめきて。目鼻(めはな)あざやかなる人の。僧衣(そうえ)かいつくろひて座の末(すゑ)にまゐれり。貴人古語(ふること)かれこれ問(とひ)弁(わきま)へ給ふに。詳(つばら)に答へたてまつるを。いと/\感(めで)させ給ふて。他(かれ)に録(ろく)とらせよとの給ふ。一人の武士かの法師に問ていふ。「此山は大徳の啓(ひら)き給ふて。土石(とせき)草木(さうもく)も霊(れゐ)なきはあらずと聞。さるに玉川の流(ながれ)には毒(どく)あり。人飲(のむ)時は斃(たを)るが故に。大師のよませ給ふ歌とて

わすれても汲(くみ)やしつらん旅(たび)人の高野(たかの)の奥(おく)の玉川の水

といふことを聞伝(つた)へたり。大徳のさすがに。此毒(どく)ある流(ながれ)をばなど涸(あせ)ては果(はた)し給はぬや。いぶかしき事を足下(そこ)にはいかに弁(わきま)へ給う。」法師笑(ゑみ)をふくみていふは。「此歌は風雅集(ふうがしう)に撰(えら)み入給ふ。其端詞(はしことば)に。『高野(たかの)の奥(おく)の院(ゐん)へまゐる道に。玉川といふ河の水上(みなかみ)に毒(どく)虫おほかりけれは。此流を飲(のむ)まじきよしをしめしおきて後よみ侍(はべ)りける』とことわらせ給へば。足下(そこ)のおぼえ給ふ如くなり。されど今の御疑(うたが)ひ僻事(ひがこと)ならぬは。大師は神通(じんつう)自在(じざい)にして隠神(かくれがみ)を役(えき)して道なきをらひらき、巌(いはほ)を鐫(える)には土を穿(うがつ)よりも易(やす)く、大蛇(をろち)を禁(いま)しめ、化鳥(けてう)を奉仕(まつろへ)しめ給ふ事、天(あめ)が下の人の仰(あを)ぎたてまつる功(いさをし)なると思ふには、此哥の端(はし)の詞(ことば)ぞまことしからね。もとより此玉河てふ川は国々にありて、いづれをよめる歌も其流のきよきを誉(あげ)しなるを思へば、こゝの玉川も毒(どく)ある流にあらで、哥の意(こゝろ)も、かばかり名に負(おふ)河の此山にあるを、こゝに詣(まう)づる人は忘(わす)る/\も、流れの清(きよ)きに愛(めで)て手に掬(むす)びつらんとよませ給ふにやあらんを、後の人の毒ありといふ狂言(まがごと)より、此端詞(はしことば)はつくりなせしものかとも思はるゝなり。又深く疑ふときには、此歌の調(しらべ)今の京(みやこ)の初(はじめ)の口風(ぶり)にもあらず。おほよそ此国の古詞(ふること)に、玉蘰(かづら)玉簾(だれ)珠衣(たまぎぬ)の類(たぐひ)は、形(かたち)をほめ清きを賞(ほむ)る語(ことば)なるから、清水(しみづ)をも玉水玉の井玉河ともほむるなり。毒ある流れをなど玉てふ語(ことば)は冠(かうむ)らしめん。強(あながち)に仏(ほとけ)をたふとむ人の、歌の意(こゝろ)に細妙(くはし)からぬは、これほどの訛(あやまり)は幾らをもしいづるなり。足下(そこ)は歌よむ人にもおはせで、此歌の意(こころ)異(あや)しみ給ふは用意(ようゐ)ある事〔に〕こそ」と篤(あつ)く感(めで)にける。

 御(み)堂のうしろの方に仏法(ぶつぱん)/\と啼(なく)音(こゑ)ちかく聞ゆるに。貴人杯(さかづき)をあげ給ひて。例(れい)の鳥絶(たえ)て鳴(なか)ざりしに。今夜(こよひ)の酒宴(しゆえん)に栄(はえ)あるぞ。紹巴(じやうは)いかにと課(おほ)せ給ふ。法師かしこまりて。某(それがし)が短句(たんく)公(きみ)にも御耳すゝびましまさん。こゝに旅人の通夜(つや)しけるが。今の夜の俳諧風(はいかいぶり)をまうして侍る。公(きみ)にはめづらしくおはさんに召(めし)て聞せ給へといふ。それ召せと課(おほ)せらるゝに。若きさむらひ夢然(むせん)が方へむかひ。召(めし)給ふぞちかうまゐれと云。夢現(ゆめうつゝ)ともわかで。おそろしさのまゝに御まのあたりへはひ出る。法師夢然(むぜん)にむかひ。前(さき)によみつる詞を公(きみ)に申上げよといふ。夢然恐る/\。何をか申つる更(さら)に覚え侍(はべ)らず。只赦(ゆる)し給はれと云。法師かさねて。秘密(ひみつ)の山とは申さゞるや。殿下(でんか)の問せ給ふ。いそぎ申上よといふ。夢然いよ/\恐れて。殿下と課(おほ)せ出され侍(はべ)るは誰にてわたらせ給ひ。かゝる深山(みやま)に夜宴(やえん)をもよほし給ふや。更にいぶかしき事に侍(はべる)といふ。法師答へて。殿下(てんか)と申奉るは関白(くはんぱく)秀次(ひでつく)公にてわたらせ給ふ。人々は木村常陸介。雀部(さゝべ)淡路。白江備後。熊谷(くまがへ)大膳。粟野杢(あわのもく)。日比野(ひゞの)下野。山口少雲(せいうん)。丸毛(まるも)不心(ふしん)。隆西(りうさい)入道。山本主殿(とのも)。山田三十郎。不破(ふは)万作。かく云は紹巴(じやうは)法橋(ほつきやう)なり汝等(なんぢら)不思議の御目見えつかまつりたるは。前(さき)のことばいそぎ申上げよといふ。頭(かしら)に髪(かみ)あらばふとるべきばかりに凄(すさま)しく肝魂(きもたましゐ)も虚(そら)にかへるこゝちして。振(ふる)ふ/\。頭陀嚢(づだぶくろ)より清き紙取出(いで)て。筆もしどろに書つけてさし出すを。主殿(とのも)取てたかく吟(ぎん)じ上る

  鳥の音も秘密の山の茂(しげ)みかな

貴人聞せ給ひて。口がしこくもつかまつりしな。誰(たそ)此末句(すゑく)をまうせとのたまふに。山田三十郎座をすゝみて。某(それがし)つかうまつらんとて。しばしうちかたふきてかくなん

  芥子(けし)たき明(あか)すみじか夜の牀(ゆか)

いかゞあるべきと紹巴に見する。よろしくまうされたりと公(きみ)の前に出すを見給ひて。片羽(かたは)にもあらぬはと興じ給ひて。又杯(さかつき)を揚(あげ)てめぐらし給ふ。

 淡路と聞えし人にはかに色を違(たが)へて。はや修羅(しゆら)の時にや。阿修羅(あしゆら)ども御迎(むか)ひに来ると聞え侍(はべ)る。立せ給へといへば。一座の人々忽面(おもて)に血(ち)を潅(そゝ)ぎし如く。いざ石田増田が徒(ともがら)に今夜(こよひ)も泡(あわ)吹(ふか)せんと勇(いさ)み立躁(さわ)ぐ。秀次(ひでつぐ)木村に向はせ給ひ。よしなき奴(やつ)に我姿(すがた)を見せつるぞ。他(かれ)二人(ふたり)も修羅(しゆら)につれ来れと課(おほ)せある。老臣の人々かけ隔(へだ)たりて声をそろへ。いまだ命(めい)つきざる者なり。例(れい)の悪業(あくぎやう)なさせ給ひそといふ詞も。人々の形(かたち)も。遠く雲井に行がごとし。

 親子は気絶(きたえ)てしばしがうち死(しに)入けるが。しのゝめの明(あけ)ゆく空に。ふる露の冷(ひや)やかなるに生(いき)出しかど。いまだ明きらぬ恐ろしさに。大師の御名(みな)をせはしく唱(とな)へつゝ。漸(やゝ)日出ると見て。いそぎ山をくだり。京(みやこ)にかへりて薬鍼(やくしん)の保養(ほやう)をなしける。一日(あるひ)夢然(むぜん)三条の橋を過る時。悪(あく)ぎやく塚(づか)の事思ひ出るより。かの寺眺(ながめ)られて白昼(ひる)ながら物凄(すざま)しくありけると。京(みやこ)人にかたりしを。そがまゝにしるしぬ

吉備津(きびつ)の釜(かま)

 妬婦(とふ)の養(やしな)ひがたきも。老(おい)ての後其功(こう)を知ると。咨(あゝ)これ何人の語(ことば)ぞや。害(わざは)ひの甚しからぬも商工(わたらひ)を妨(さまた)げ物を破(やぶ)りて。垣の隣の口(そしり)をふせぎがたく。害(わざは)ひの大なるにおよびては。家を失(うしな)ひ国をほろぼして。天が下に笑を伝ふ。いにしへより此毒(どく)にあたる人幾許(いくばく)といふ事をしらず。死(しゝ)て蟒(みつち)となり。或は霹靂(はたゝがみ)を震(ふる)ふて怨(うらみ)を報(むく)ふ類(たぐひ)は。其肉(にく)を醢(しゝびし)にするとも飽(あく)べからず。さるためしは希なり。夫(をつと)のおのれをよく脩(をさ)めて教(をし)へなば。此患(うれひ)おのづから避(さく)べきものを。只かりそめなる徒(あだ)ことに。女の慳(かだま)しき性(さが)を募(つの)らしめて。其身の憂(うれひ)をもとむるにぞありける。禽(きん)を制(せい)するは気(き)にあり。婦(ふ)を制(せい)するは其夫(をつと)の雄(を)ゝしきにありといふは。現(げ)にさることぞかし。

 吉備(きび)の国賀夜郡(かやのこほり)庭妹(にひせ)の郷(さと)に。井沢(ゐざは)庄太夫といふものあり。祖父(おほぢ)は播磨の赤松に仕へしが。去(さん)ぬる嘉吉(かきつ)元年の乱(みだれ)に。かの館(たち)を去てこゝに来り。庄太夫にいたるまで三代(みよ)を経(へ)て。春耕(たがや)し。秋収(をさ)めて。家豊(ゆたか)にくらしけり。一子正太郎なるもの農業(なりはひ)を厭(いと)ふあまりに。酒に乱れ色に酖(ふけ)りて。父が掟(おきて)を守らず。父母これを嘆(なげ)きて私(ひそか)にはかるは。あはれ良(よき)人の女子(むすめ)の〓(かほ)よきを娶(めと)りてあはせなば。渠(かれ)が身もおのづから脩(をさ)まりなんとて。あまねく国中(くになか)をもとむるに。幸に媒氏(なかうど)ありていふ。吉備津(きびつ)の神主(かんざね)香央(かさだ)造酒(みき)が女子(むすめ)は。うまれだち秀麗(みやびやか)にて。父母にもよく仕へ。かつ歌をよみ。箏(こと)に工(たく)みなり。従来(もとより)かの家は吉備の鴨別(かもわけ)が裔(すゑ)にて家系(すぢめ)も正(たゞ)しければ。君が家に因(ちな)み給ふは果(はた)吉祥(よきさが)なるべし。此事の就(なら)んは老が願ふ所なり。大人(うし)の御(み)心いかにおぼさんやといふ。庄太夫大に怡(よろこ)び。よくも説(とか)せ給ふものかな。此事我家にとりて千とせの計(はかりこと)なりといへども。香央(かさだ)は此国の貴族(きぞく)にて。我は氏なき田夫(でんぷ)なり。門戸(こ)敵(てき)すべからねば。おそらくは肯(うけ)がひ給はじ。媒氏(なかだち)の翁笑(ゑみ)をつくりて。大人(うし)の謙(くだ)り給ふ事甚し。我かならず万歳を諷(うた)ふべしと。往(いき)て香央(かさだ)に説(とけ)ば。彼方(かなた)にもよろこびつゝ。妻なるものにもかたらふに。妻もいさみていふ。我女子(むすめ)既(すで)に十七歳になりぬれば。朝夕によき人がな娶(あは)せんものをと。心もおちゐ侍(はべ)らず。はやく日をえらみて聘礼(しるし)を納(いれ)給へと。強(あながち)にすゝむれば。盟約(ちかひ)すでになりて井沢にかへりことす。即(やがて)聘礼(しるし)を厚くとゝのへて送り納(い)れ。よき日をとりて婚儀(ことぶき)をもよほしけり。

 猶幸(さいはひ)を神に祈(いの)るとて。巫子(かんなぎ)祝部(はふり)を召(めし)あつめて御湯(みゆ)をたてまつる。そも/\当社に祈誓(いのり)する人は。数の秡物(はらへつもの)を供(そな)へて御湯(みゆ)を奉り。吉祥(よきさが)凶祥(あしきさが)を占(うらな)ふ。巫子(かんなぎ)祝詞(のつと)をはり。湯の沸上(わきあが)るにおよびて。吉祥(よきさが)には釜の鳴音(なるこゑ)牛(うし)の吼(ほゆ)るが如し。凶(あし)きは釜に音なし。是を吉備津の御釜秡(みかまばらひ)といふ。さるに香央(かさだ)が家の事は。神の祈(うけ)させ給はぬにや。只秋の虫の叢(くさむら)にすだくばかりの声もなし。こゝに疑(うたが)ひをおこして。此祥(さが)を妻にかたらふ。妻更に疑はず。御釜の音なかりしは祝部等(はふりたち)が身の清からぬにぞあらめ。既に聘礼(しるし)を納(をさ)めしうへ。かの赤縄(せきじやう)に繋(つな)ぎては。仇(あた)ある家。異(こと)なる域(くに)なりとも易(かふ)べからずと聞ものを。ことに井沢は弓の本末(もとすゑ)をもしりたる人の流(すゑ)にて。掟ある家と聞けば。今否(いな)むとも承(うけ)がはじ。ことに佳婿(むこがね)の麗(あて)なるをほの聞て。我児(こ)も日をかぞへて待わぶる物を。今のよからぬ言(こと)を聞ものならば。不慮(すゞろ)なる事をや仕出ん。其とき悔(くゆ)るともかへらじと言(ことば)を尽(つく)して諫(いさ)むるは。まことに女の意(こゝろ)ばへなるべし。香央(かさだ)も従来(もとより)ねがふ因(ちな)みなれば深く疑はず。妻のことばに従(つき)て婚儀(ことぶき)とゝのひ。両家の親族(うから)氏族(やから)。鶴の千とせ。亀の万代(よろずよ)をうたひことぶきけり。

 香央(かさだ)の女子(むすめ)礒良(いそら)かしこに往(いき)てより。夙(つと)に起(おき)。おそく臥(ふし)て。常に舅姑(おや/\)の傍(かたへ)を去(さら)ず。夫(をつと)が性(さが)をはかりて。心を尽(つく)して仕へければ。井沢夫婦は孝節(かうせつ)を感(めで)たしとて歓(よろこ)びに耐(たへ)ねば。正太郎も其志に愛(めで)てむつまじくかたらひけり。されどおのがまゝの〓(たはけ)たる性(さが)はいかにせん。いつの比より鞆(とも)の津の袖といふ妓女(あそびもの)にふかくなじみて。遂(つい)に贖(あがな)ひ出し。ちかき里に別荘(べつや)をしつらひ。かしこに日をかさねて家にかへらず。礒良(いそら)これを怨(うら)みて。或は舅姑(おや/\)の忿(いかり)に托(よせ)て諫(いさ)め。或ひは徒(あだ)なる心をうらみかこてども。大虚(おほぞら)にのみ聞なして。後は月をわたりてかへり来らす。父は礒良(いそら)が切(せつ)なる行止(ふるまひ)を見るに忍びず。正太郎を責(せめ)て押篭(おしこめ)ける。礒良これを悲(かな)しがりて。朝夕の奴(つぶね)も殊(こと)に実(まめ)やかに。かつ袖が方へも私(ひそか)に物を餉(おく)りて。信(まこと)のかぎりをつくしける。一日(あるひ)父が宿にあらぬ間(ひま)に。正太郎礒良をかたらひていふ。御許(おもと)の信(まこと)ある操(みさほ)を見て。今はおのれが身の罪をくゆるばかりなり。かの女をも古郷(ふるさと)に送りてのち。父の面(おもて)を和(なご)め奉らん。渠(かれ)は播磨の印南野(いなみの)の者なるが。親もなき身の浅ましくてあるを。いとかなしく思ひて憐(あはれ)れをもかけつるなり。我に捨られなば。はた舩泊(ふなとま)りの妓女(うかれめ)となるべし。おなじ浅ましき奴(つぶね)なりとも。京(みやこ)は人の情もありと聞ば。渠(かれ)をば京に送りやりて。栄(よし)ある人に仕へさせたく思ふなり。我かくてあれば万(よろづ)に貧(まづ)しかりぬべし。路(みち)の代(しろ)身にまとふ物も誰がはかりことしてあたへん。御許(おもと)此事をよくして渠(かれ)を恵(めぐ)み給へと。ねんごろにあつらへけるを。礒良いとも喜(うれ)しく。此事安くおぼし給へとて。私(ひそか)におのが衣服(いふく)調度(てうど)を金(かね)に貿(かへ)。猶香央(かさた)の母が許(もと)へも偽(いつは)りて金を乞(こひ)。正太郎に与(あた)へける。此金を得て密(ひそか)に家を脱(のが)れ出。袖なるものを倶(ぐ)して。京(みやこ)の方へ迯(にげ)のぼりける。かくまでたばかられしかば。今はひたすらにうらみ嘆(なげ)きて。遂(つひ)に重(おも)き病(やまひ)に臥(ふし)にけり。井沢香央の人々彼(かれ)を悪(にく)み此(これ)を哀(かなし)みて。専(もはら)医(ゐ)の験(しるし)をもとむれども。粥(もの)さへ日々にすたりて。よろづにたのみなくぞ見えにけり。

 こゝに播磨の国印南郡(いなみのこほり)荒井(あらゐ)の里に。彦六といふ男あり。渠(かれ)は袖とちかき従兄(いとこ)の因(ちなみ)あれば。先これを訪(とふ)らふて。しばらく足を休めける。彦六正太郎にむかひて。京(みやこ)なりとて人ごとにたのもしくもあらじ。こゝに駐(とゞま)られよ。一飯(はん)をわけて。ともに過活(わたらひ)のはかりことあらんと。たのみある詞に心おちゐて。こゝに住べきに定めける。彦六我住となりなる破屋(あれや)をかりて住しめ。友得たりとて怡(よろこ)びけり。しかるに袖。風のこゝちといひしが。何となく脳(なや)み出て。鬼化(ものゝけ)のやうに狂(くる)はしげなれば。こゝに来りて幾日もあらず。此禍(わざはひ)に係(かゝ)る悲(かな)しさに。みづからも食(もの)さへわすれて抱(いだ)き扶(たす)くれども。只音(ね)をのみ泣て。胸(むね)窮(せま)り堪(たへ)がたげに。さむれば常にかはるともなし。窮鬼(いきすだま)といふものにや。古郷(ふるさと)に捨(すて)し人のもしやと独(ひとり)むね苦(くる)し。彦六これを諫(いさ)めて。いかでさる事のあらん。疫(えき)といふものゝ脳(なや)ましきはあまた見来りぬ。熱(あつ)き心少しさめたらんには。夢(ゆめ)わすれたるやうなるべしと。やすげにいふぞたのみなる。看(みる)々露ばかりのしるしもなく。七日にして空(むな)しくなりぬ。天(そら)を仰(あを)ぎ。地を敲(たゝ)きて哭悲(なきかな)しみ。ともにもと物狂はしきを。さま%\といひ和(なぐ)さめて。かくてはとて遂(つひ)に曠野(あらの)の烟(けふり)となしはてぬ。骨(ほね)をひろひ壟(つか)を築(つき)て塔婆(たふば)を営(いとな)み。僧を迎(むか)へて菩提(ぼだい)のことねんごろに吊(とふ)らひける。

 正太郎今は俯(ふ)して黄泉(よみぢ)をしたへども招魂(せうこん)の法をももとむる方なく。仰(あを)ぎて古郷(ふるさと)をおもへはかへりて地下(ちか)よりも遠きこゝちせられ。前に渡(わた)りなく。後(うしろ)に途(みち)をうしなひ。昼はしみらに打臥(ふし)て。夕(よひ)々ごとには壟(つか)のもとに詣(まうで)て見れば。小草はやくも繁(しげ)りて。虫のこゑすゞろに悲(かな)し。此秋のわびしきは我身ひとつぞと思ひつゞくるに。天雲(あまくも)のよそにも同じなげきありて。ならびたる新壟(あらづか)あり。こゝに詣(まうづ)る女の。世にも悲しげなる形(さま)して。花をたむけ水を潅(そゝ)きたるを見て。あな哀(あは)れ。わかき御許(おもと)のかく気疎(けうと)きあら野にさまよひ給ふよといふに。女かへり見て。我身夕(よひ)々ごとに詣侍(はべ)るには。殿はかならず前(さき)に詣給う。さりがたき御方に別れ給ふにてやまさん。御心のうちはかりまいらせて悲しと潛然(さめ/\)となく。正太郎いふ。さる事に侍(はべ)り。十日ばかりさきにかなしき婦(つま)を亡(うし)なひたるが。世に残りて憑(たの)みなく侍(はべ)れば。こゝに詣ることをこそ心放(やり)にものし侍るなれ。御許(おもと)にもさこそましますなるべし。女いふ。かく詣(まうで)つかふまつるは。憑(たの)みつる君の御迹(あと)にて。いつ/\の日こゝに葬(はふむ)り奉る。家に残ります女君のあまりに歎(なげ)かせ給ひて。此頃はむつかしき病にそませ給ふなれば。かくかはりまいらせて。香花をはこび侍るなりといふ。正太郎云。刀自(とじ)の君の病給ふもいとことわりなるものを。そも古(ふる)人は何人にて。家は何地(いづち)に住せ給ふや。女いふ。憑(たの)みつる君は。此国にては由縁(ゆゑ)ある御方なりしが。人の讒(さかしら)にあひて領(しる)所をも失(うしな)ひ。今は此野ゝ隈(くま)に侘(わび)しくて住せ給ふ。女君は国のとなりまでも聞え給ふ美人(かほよびと)なるが。此君によりてぞ家所領(しよりやう)をも亡(なく)し給ひぬれとかたる。此物がたりに心のうつるとはなくて。さしてもその君のはかなくて住せ給ふはこゝちかきにや。訪(とふ)らひまいらせて。同じ悲しみをもかたり和(なぐ)さまん。倶(ぐ)し給へといふ。家は殿の来らせ給ふ道のすこし引入たる方なり。便りなくませば時々(をり/\)訪(とは)せ給へ。待侘(わび)給はんものをと前(さき)に立てあゆむ。

 二丁あまりを来てほそき径(みち)あり。こゝよりも一丁ばかりをあゆみて。をぐらき林の裏(うち)にちいさき草屋(かやのや)あり。竹の扉(とぼそ)のわびしきに。七日あまりの月のあかくさし入て。ほどなき庭の荒(あれ)たるさへ見ゆ。ほそき燈火(ともしひ)の光り窓(まど)の紙をもりてうらさびし。こゝに待せ給へとて内に入ぬ。苔(こけ)むしたる古井のもとに立て見入るに。唐紙(からかみ)すこし明たる間(ひま)より。火影(ほかけ)吹あふちて。黒棚のきらめきたるもゆかしく覚ゆ。女出来りて。御訪(とふ)らひのよし申つるに。入らせ給へ。物隔(へだて)てかたりまいらせんと端(はし)の方へ膝行(いざり)出給ふ。彼所(かしこ)に入らせ給へとて。前栽(せんざい)をめぐりて奥の方へともなひ行。二間の客殿を人の入ばかり明て。低(ひく)き屏風を立。古き衾(ふすま)の端(はし)出て。主(あるじ)はこゝにありと見えたり。正太郎かなたに向ひて。はかなくて病にさへそませ給ふよし。おのれもいとをしき妻を亡(うし)なひて侍れば。おなじ悲しみをも問かはしまいらせんとて推(おし)て詣侍りぬといふ。あるじの女屏風すこし引あけて。めづらしくもあひ見奉るものかな。つらき報(むく)ひの程しらせまいらせんといふに。驚きて見れば。古郷(ふるさと)に残せし礒良(いそら)なり。顔の色いと青ざめて。たゆき眼(まなこ)すざましく。我を指(さし)たる手の青くほそりたる恐しさに。あなやと叫(さけ)んでたをれ死(し)す。

 時うつりて生(いき)出。眼(め)をほそくひらき見るに。家と見しはもとありし荒野(あらの)の三昧(まい)堂にて。黒き仏のみぞ立せまします。里遠き犬の声を力に。家に走りかへりて。彦六にしか/\のよしをかたりければ。なでふ狐に欺(あざむ)かれしなるべし。心の臆(おく)れたるときはかならず迷(まよ)はし神の魘(おそ)ふものぞ。足下(そこ)のごとく虚弱(たよはき)人のかく患(うれひ)に沈(しづ)みしは。神仏に祈りて心を収(をさ)めつべし。刀田(とだ)の里にたふとき陰陽師(をんやうじ)のいます。身禊(みそぎ)して厭符(ゑんふ)をも戴(いたゞ)き給へと。いざなひて陰陽師の許(もと)にゆき。はじめより詳(つばら)にかたりて此占(うら)をもとむ。陰陽師占(うら)べ考(かうが)へていふ。災(わざはひ)すでに窮(せま)りて易(やす)からず。さきに女の命をうばひ。怨(うら)み猶尽(つき)ず。足下(そこ)の命も旦夕(あさゆふ)にせまる。此鬼世をさりぬるは七日前(さき)なれば。今日より四十二日が間戸を閉(たて)ておもき物斎(いみ)すべし。我禁(いま)しめを守らば九死を出て全(まつた)からんか。一時を過(あやま)るともまぬがるべからずと。かたくをしへて。筆をとり。正太郎が背(せ)より手足におよぶまで。篆〓(てんりう)のごとき文字を書。猶朱符(しゆふ)あまた紙にしるして与(あた)へ。此呪(じゆ)を戸毎(こと)に貼(おし)て神仏を念ずべし。あやまちして身を亡(ほろ)ぶることなかれと教ふるに。恐(おそ)れみかつよろこびて家にかへり。朱符(しゆふ)を門に貼(おし)。窓(まど)に貼(おし)て。おもき物斎(いみ)にこもりける。

 其夜三更(かう)の比おそろしきこゑしてあなにくや。こゝにたふとき符文(ふもん)を設(まうけ)つるよとつぶやきて復(ふたゝ)び声なし。おそろしさのあまりに長き夜をかこつ。程なく夜明ぬるに生(いき)出て。急ぎ彦六が方の壁(かべ)を敲(たゝ)きて夜(よべ)の事をかたる。彦六もはじめて陰陽師が詞を奇(き)なりとして。おのれも其夜は寝ずして三更の此を待くれける。松ふく風物を僵(たを)すがごとく。雨さへふりて常(たゞ)ならぬ夜のさまに。壁(かべ)を隔(へだて)て声をかけあひ。既に四更(かう)にいたる。下屋(しもや)の窓(まど)の紙にさと赤き光(ひかり)さして。あな悪(にく)や。こゝにも貼(おし)つるよといふ声。深き夜にはいとゞ凄(すざま)しく。髪(かみ)も生毛(うぶけ)もこと/\く聳立(そばたち)て。しばらくは死入たり。明れば夜のさまをかたり。暮れば明るを慕(した)ひて。此月日頃千歳(ちとせ)を過るよりも久し。かの鬼も夜ごとに家を繞(めぐ)り或は屋の棟(むね)に叫(さけ)びて。忿(いか)れる声夜ましにすざまし。かくして四十二日といふ其夜にいたりぬ。今は一夜にみたしぬれば。殊(こと)に慎(つゝし)みて。やゝ五更の天(そら)もしら/\と明わたりぬ。長き夢(ゆめ)のさめたる如く。やがて彦六をよぶに。壁(かべ)によりていかにと答ふ。おもき物いみも既に満(みて)ぬ。絶(たえ)て兄長(このかみ)の面(おもて)を見ず。なつかしさに。かつ此月頃の憂怕(うさおそろ)しさを心のかぎりいひ和(なぐ)さまん。眠(ねふり)さまし給へ。我も外(と)の方に出んといふ。彦六用意なき男なれば。今は何かあらん。いざこなたへわたり給へと。戸を明る事半(なかば)ならず。となりの軒にあなやと叫(さけ)ぶ声耳をつらぬきて。思はず尻居(しりゐ)に座す。こは正太郎が身のうへにこそと。斧(をの)引提(さげ)て大路(おほぢ)に出れば。明たるといひし夜はいまだくらく。月は中天(なかぞら)ながら影朧(らう)々として。風冷(ひや)やかに。さて正太郎が戸は明はなして其人は見えず。内にや逃入つらんと走り入て見れども。いづくに竄(かく)るべき住居にもあらねば。大路にや倒(たを)れけんともとむれども。其わたりには物もなし。いかになりつるやと。あるひは異(あや)しみ。或は恐(おそ)る/\。ともし火を挑(かゝ)げてこゝかしこを見廻(めぐ)るに。明たる戸腋(とわき)の壁(かべ)に腥(なま)々しき血(ち)潅(そゝ)ぎ流(ながれ)て地につたふ。されど屍(しかばね)も骨(ほね)も見えず。月あかりに見れば。軒の端(つま)にものあり。ともし火を捧(さゝ)げて照(てら)し見るに。男の髪の髻(もとゞり)ばかりかゝりて。外には露ばかりのものもなし。浅ましくもおそろしさは筆につくすべうもあらずなん。夜も明てちかき野山を探(さが)しもとむれども。つひに其跡さへなくてやみぬ。

 此事井沢が家へもいひおくりぬれば。涙ながらに香央(かさだ)にも告(つげ)しらせぬ。されば陰陽師が占(うら)のいちじるき。御釜(みかま)の凶祥(あしきさが)もはたたがはざりけるぞ。いともたふとかりけるとかたり伝へけり。

雨月物語三之巻終

雨月物語(うげつものがたり)巻之四

蛇性(じやせい)の婬(いん)

 いつの時代(ときよ)なりけん。紀の国三輪が崎に。大宅(おほや)の竹助といふ人

在けり。此人海の幸(さち)ありて。海郎(あま)どもあまた養(やしな)ひ。鰭(はた)の広(ひろ)物狭(さ)き物を尽(つく)してすなどり。家豊(ゆたか)に暮(くら)しける男子(をのこゞ)二人。女子(むすめ)一人をもてり。太郎は質朴(すなほ)にてよく生産(なりはひ)を治(をさ)む。二郎の女子は大和の人の〓(つまどひ)に迎(むかへ)られて彼所(かしこ)にゆく。三郎の豊雄(とよを)なるものあり。生長(ひとゝなり)優(やさ)しく。常に都風(みやび)たる事をのみ好て。過活(わたらひ)心なかりけり。父是を憂(うれひ)つゝ思ふは。家財(たから)をわかちたりとも即(やがて)人の物となさん。さりとて他の家を嗣(つが)しめんもはたうたてき事聞らんが病(やま)しき。只なすまゝに生(おふ)し立(たて)て。博士(はかせ)にもなれかし。法師にもなれかし。命の極(かきり)は太郎が羈(ほたし)物にてあらせんとて。強(しひ)て掟(おきて)をもせざりけり。此豊雄(とよを)。新宮の神奴(かんづこ)安倍(あへ)の弓麿(ゆみまろ)を師として行通ひける。

 九月(ながつき)下旬(すゑつかた)。けふはことになごりなく和(なぎ)たる海の。暴(にはか)に東南(たつみ)の雲を生(おこ)して。小雨(こさめ)そほふり来る。師が許(もと)にて傘(おほがさ)かりて帰るに。飛鳥(あすか)の神秀倉(かんほぐら)見やらるゝ辺(ほとり)より。雨もやゝ頻(しきり)なれば。其所(そこ)なる海郎(あま)が屋に立よる。あるじの老(おきな)はひ出て。こは大人(うし)の弟子(をとご)の君にてます。かく賎(あや)しき所に入せ給ふぞいと恐(かしこ)まりたる事。是敷て奉らんとて。円座(わらうだ)の汚(きた)なげなるを清めてまゐらす。霎時(しばし)息(やむ)るほどは何か厭(いと)ふべき。なあはたゝしくせそとて休(やす)らいぬ。外(と)の方に麗(うるは)しき声して。此軒しばし恵(めぐ)ませ給へといひつゝ入来るを。竒(あや)しと見るに。年は廿(はたち)にたらぬ女の。顔容(かほかたち)髪(かみ)のかゝりいと艶(にほ)ひやかに。遠山ずりの色よき衣(きぬ)着(き)て。了鬟(わらは)の十四五ばかりなるの清げなるに。包(つゝみ)し物もたせ。しとゝに濡(ぬれ)てわびしげなるが。豊雄(とよを)を見て。面(おもて)さと打赤(あか)めて恥かしげなる形(さま)の貴(あて)やかなるに。不慮(すゞろ)に心動(うご)きて。且(かつ)思ふは。此辺(あたり)にかうよろしき人の住らんを今まで聞えぬ事はあらじを。此(こ)は都人の三つ山詣(まうで)せし次(ついで)に。海愛(めづ)らしくこゝに遊ぶらん。さりとて男たつ者(もの)もつれざるぞいとはしたなる事(わざ)かなと思ひつゝ。すこし身退(しりぞ)きて。こゝに入せ給へ。雨もやがてぞ休(やみ)なんといふ女。しばし宥(ゆる)させ給へとて。ほどなき住ゐなればつひ並(なら)ぶやうに居るを。見るに近(ちか)まさりして。此世の人とも思はれぬばかり美しきに。心も空(そら)にかへる思ひして。女にむかひ。貴(あて)なるわたりの御方とは見奉るが。三山詣(まうて)やし給ふらん。峯(みね)の温泉(ゆ)にや出立給ふらん。かうすざましき荒礒(ありそ)を何の見所ありて狩(かり)くらし給ふ。こゝなんいにしへの人の

  くるしくもふりくる雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに

とよめるは。まことけふのあはれなりける。此家賤(あや)しけれどおのれが親の目かくる男なり。心ゆりて雨休(やめ)給へ。そもいづ地(ち)旅の御宿(やど)りとはし給ふ。御見送(おく)りせんも却(かへり)て無礼(なめけ)なれば。此傘(かさ)もて出給へといふ。女。いと喜(うれ)しき御心を聞え給ふ。其御(み)思ひに乾(ほし)てまいりなん。都のものにてもあらず。此近き所に年来(としころ)住こし侍(はべ)るが。けふなんよき日とて那智(なち)に詣(まうで)侍るを。暴(にはか)なる雨の恐(おそろ)しさに。やどらせ給ふともしらでわりなくも立よりて侍る。こゝより遠からねば。此小休(をやみ)に出侍らんといふを。強(あながち)に此傘(かさ)もていき給へ。何(いつ)の便(たより)にも求(もとめ)なん。雨は更に休(やみ)たりともなきを。さて御住ゐはいづ方(べ)ぞ。是より使奉らんといへば。新宮の辺(ほとり)にて県(あがた)の真女児(まなご)が家はと尋給はれ。日も暮なん。御恵(めぐみ)のほどを指戴(さしいたゞき)て帰りなんとて。傘とりて出るを。見送りつも。あるじが簑笠(みのかさ)かりて家に帰りしかど。猶俤(おもかげ)の露忘(わす)れがたく。しばしまどろむ暁(あかつき)の夢(ゆめ)に。かの真女児(まなご)が家に尋いきて見れば。門も家もいと大きに造(つく)りなし。蔀(しとみ)おろし簾(すたれ)垂(たれ)こめて。ゆかしげに住なしたり。真女子(まなご)出迎(むか)ひて。御情(なさけ)わすれがたく待恋(こひ)奉る。此方(こなた)に入せ給へとて奥の方にいざなひ。酒菓子(くだもの)種々(さま%\)と管待(もてな)しつゝ。喜(うれ)しき酔(ゑひ)ごゝちに。つひに枕をともにしてかたるとおもへば。夜明て夢さめぬ。現(うつゝ)ならましかばと思ふ心のいそがしきに朝食(あさげ)も打忘れてうかれ出ぬ。

 新宮の郷(さと)に来て県(あがた)の真女子(まなご)が家はと尋るに。更(さら)にしりたる人なし。午時(ひる)かたふくまで尋労(わつら)ひたるに。かの了鬟(わらは)東の方よりあゆみ来る。豊雄(とよを)見るより大に喜(よろこ)び。娘子(をとめ)の家はいづくぞ。傘(かさ)もとむとて尋来るといふ。了鬟打ゑみて。よくも来ませり。こなたに歩(あゆ)み給へとて。前(さき)に立てゆく/\。幾ほどもなく。こゝぞと聞ゆる所を見るに。門高く造(つく)りなし。家も大きなり。蔀(しとみ)おろし簾(すだれ)たれこめしまで。夢の裏(うち)に見しと露違(たが)はぬを。竒(あや)しと思ふ/\門に入。了鬟走り入て。おほがさの主(ぬし)詣(まうで)給ふを誘(いざな)ひ奉るといへば。いづ方(べ)にますぞ。こち迎(むか)へませといひつゝ立出るは真女子(まなこ)なり。豊雄。こゝに安倍(あべ)の大人(うし)とまうすは。年来(としごろ)物学(まな)ぶ師にてます。彼所(かしこ)に詣る便に傘とりて帰るとて推(おし)て参りぬ。御住居見おきて侍れば又こそ詣来(こ)んといふを。真女子強(あながち)にとゞめて。まろや努(ゆめ)出し奉るなといへば。了鬟立ふたがりておほがさ強(しひ)て恵(めく)ませ給ふならずや。其(そ)がむくひに強てとゞめまいらすとて。腰(こし)を押(おし)て南面(みなみおもて)の所に迎へける。板敷の間に床(とこ)畳(たゝみ)を設(まう)けて。几帳(きちやう)。御厨子(みづし)の飾(かざり)。壁代(かべしろ)の絵(ゑ)なども。皆古代(こだい)のよき物にて。倫(なみ)の人の住居ならず。真女子立出て。故(ゆゑ)ありて人なき家とはなりぬれば。実(まめ)やかなる御饗(みあへ)もえし奉らず。只薄(うすき)酒(さけ)一杯(ひとつぎ)すゝめ奉らんとて。高杯(たかつき)平杯(ひらつき)の清(きよ)らなるに。海の物山の物盛(もり)ならべて。瓶子(へいじ)土器(かはらけ)〓(さゝ)げて。まろや酌(しやく)まゐる。豊雄また夢心してさむるやと思へど。正(まさ)に現(うつゝ)なるを却(かへり)て竒(あや)しみゐたる。客(まろうど)も主(あるじ)もともに酔(ゑひ)ごゝちなるとき。真女子杯(さかづき)をあげて。豊雄にむかい。花精妙(はなぐはし)桜が枝の水にうつろひなす面(おもて)に。春吹風をあやなし。梢(こずゑ)たちぐゝ鶯の艶(にほ)ひある声していひ出(いづ)るは。面(おも)なきことのいはて病(やみ)なんも。いづれの神になき名負(おふ)すらんかし。努(ゆめ)徒(あだ)なる言(こと)にな聞給ひそ。故(もと)は都の生(うまれ)なるが。父にも母にもはやう離(わか)れまいらせて。乳母(めのと)の許(もと)に成長(ひとゝなり)しを。此国の受領(じゆりやう)の下司(したづかさ)県(あがた)の何某(なにがし)に迎(むか)へられて伴(とも)なひ下(くだ)りしははやく三とせになりぬ。夫(つま)は任(にん)はてぬ此春。かりそめの病(やまひ)に死(しゝ)給ひしかば。便なき身とはなり侍る。都の乳母(めのと)も尼(あま)になりて。行方(ゆくへ)なき修行(しゆぎやう)に出しと聞(きけ)ば。彼方(かなた)も又しらぬ国とはなりぬるをあはれみ給へきのふの雨やどりの御恵(めぐ)みに。信(まこと)ある御方にこそとおもふ物から。今より後の齢(よはひ)をもて御宮仕(つが)へし奉らばやと願ふを。汚(きた)なき物に捨給はずば。此一杯(ひとつぎ)に千とせの契をはじめなんといふ。豊雄。もとよりかゝるをこそと乱(みだれ)心なる思ひ妻なれば。塒(ねぐら)の鳥の飛立ばかりには思へど。おのが世ならぬ身を顧(かへりみ)れは。親兄弟(おやはらから)のゆるしなき事をと。かつ喜(うれ)しみ。且(かつ)恐(おそ)れみて。頓(とみ)に答(こた)ふべき詞なきを。真女児(まなご)わびしがりて。女の浅き心より。鳴呼(をこ)なる事をいひ出て。帰るべき道なきこそ面(おも)なけれ。かう浅ましき身を海にも没(いら)で。人の御心を煩(わづら)はし奉るは罪深(つみふか)きこと。今の詞は徒(あだ)ならねども。只酔ごゝちの狂言(まがこと)におぼしとりて。こゝの海にすて給へかしといふ。豊雄。はじめより都人の貴(あて)なる御方とは見奉るこそ賢(かしこ)かりき。鯨(くぢら)よる浜に生(おひ)立し身の。かく喜(うれ)しきこといつかは聞ゆべき。即(やがて)の御答(こた)へもせぬは。親兄に仕(つか)ふる身の。おのが物とては爪髪(つめかみ)の外なし。何を録(ろく)に迎へまゐらせん便もなければ身の徳なきをくゆるばかりなり。何事をもおぼし耐(たへ)給はゞ。いかにも/\後見(うしろみ)し奉らん。孔子(くし)さへ倒(たを)るゝ恋の山には。孝をも身をも忘(わす)れてといへば。いと喜(うれ)しき御心を聞まいらするうへは。貧(まづ)しくとも時々(をり/\)こゝに住せ給へ。こゝに前(さき)の夫(つま)の二(ふた)つなき寳(たから)にめで給ふ帯(おび)あり。これ常に帯(はか)せ給へとてあたふるを見れば。金(きがね)銀(しろかね)を餝(かざ)りたる太刀(たち)の。あやしきまで鍛(きた)ふたる古代の物なりける。物のはじめに辞(いなみ)なんは祥(さが)あしければとりて納(をさ)む。今夜(こよひ)はこゝに明(あか)させ給へとて。あながちにとゞむれど。まだ赦(ゆるし)なき旅寝は親の罪(つみ)し給はん。明(あす)の夜よく偽(いつは)りて詣(まうで)なんとて出ぬ。其夜も寝(いね)がてに明ゆく。

 太郎は網子(あご)とゝのほるとて。晨(つとめ)て起出て。豊雄が閨房(ねや)の戸(と)の間(ひま)をふと見入たるに。消(きえ)残りたる灯火(ともしび)の影(かげ)に。輝(きら)々しき太刀(たち)を枕(まくら)に置(おき)て臥(ふし)たり。あやし。いづちより求(もとめ)ぬらんとおぼつかなくて。戸をあらゝかに明る音に目さめぬ。太郎があるを見て。召(めし)給ふかといへば。輝(きら)々しき物を枕に置しは何ぞ。価(あたひ)貴(たか)き物は海人(あま)の家にふさはしからず。父の見給はゞいかに罪(つみ)し給はんといふ。豊雄。財(たから)を費(ついや)して買(かひ)たるにもあらず。きのふ人の得(え)させしをこゝに置(おき)しなり。太郎。いかてさる寳(たから)をくるゝ人此辺(あたり)にあるべき。あなむつかしの唐言(からこと)書(かき)たる物を買たむるさへ。世の費(ついえ)なりと思へど。父の黙(だま)りておはすれば今までもいはざるなり。其太刀(たち)帯(おび)て大宮(おほみや)の祭(まつり)を〓(ねる)やらん。いかに物に狂(くる)ふそといふ声の高きに。父聞つけて従者(いたつらもの)が何事をか仕出つる。こゝにつれ来(こ)よ太郎(たろう)と呼(よぶ)に。いづちにて求ぬらん。軍将等(いくさぎみたち)の佩(はき)給ふべき輝々(きら)しき物を買たるはよからぬ事。御目(ま)のあたりに召(めし)て問あきらめ給へ。おのれは網子(あご)どもの怠(をこた)るらんと云捨て出ぬ。母豊雄を召(めし)て。さる物何の料(れう)に買つるぞ。米も銭も太郎が物なり。吾主(わぬし)が物とて何をか持たる。日来(ひごろ)は為(なす)まゝにおきつるを。かくて太郎に悪(にく)まれなば。天地(あめつち)の中に何国(いづく)に住らん。賢(かしこ)き事をも斈(まな)びたる者が。など是ほどの事わいためぬぞといふ。豊雄。実(まこと)に買たる物にあらず。さる由縁(ゆゑ)有て人の得(え)させしを。兄の見咎(とかめ)てかくの給ふなり。父。何の誉(ほまれ)ありてさる寳(たから)をは人のくれたるぞ。更(さら)におぼつかなき事。只今所縁(いはれ)かたり出よと罵(のゝし)る。豊雄。此事只今は面俯(おもてぶせ)なり。人伝(つて)に申出侍らんといへば。親兄にいはぬ事を誰にかいふぞと声あらゝかなるを。太郎の嫁(よめ)の刀自(とじ)傍(かたへ)にありて。此事愚(おろか)なりとも聞侍らん。入せ給へと宥(なだ)むるに。つひ立ていりぬ。豊雄刀自(とじ)にむかひて兄の見咎(とが)め給はずとも。密(みそか)に姉君をかたらひてんと思ひ設(まうけ)つるに。速(はや)く責(さい)なまるゝ事よ。かう/\の人の女(め)のはかなくてあるが。後身(うしろみ)してよとて賜(たま)へるなり。己(おの)が世しらぬ身の。御赦(ゆるし)さへなき事は重(おも)き勘当(かんどう)なるべければ。今さら悔(くゆ)るばかりなるを。姉君よく憐(あはれ)み給へといふ。刀自(とじ)打笑(ゑみ)て。男子(をのこゞ)のひとり寝(ね)し給ふが。兼ていとをしかりつるに。いとよき事ぞ。愚也(おろかなり)ともよくいひとり侍らんとて。某夜太郎に。かう/\の事なるは幸(さいはひ)におぼさずや。父君の前をもよきにいひなし給へといふ。太郎眉(まゆ)を顰(ひそ)めて。あやし。此国の守の下司(したづかさ)に県(あがた)の何某(なにがし)と云人を聞ず。我家保正(をさ)なればさる人の亡(なく)なり給ひしを聞えぬ事あらじを。まず太刀こゝにとりて来よといふに。刀自やがて携(たづさ)へ来るを。よく/\見をはりて。長嘘(ためいき)をつぎつゝもいふは。こゝに恐しき事あり。近来(ちかごろ)都の大臣殿(おほいどの)の御願(ごくはん)の事みためし給ひて。権現(ごんげん)におほくの寳(たから)を奉り給ふ。さるに此神寳(かんたから)ども。御寳蔵(みたからぐら)の中にて頓(とみ)に失(うせ)せしとて。大宮司(だいぐじ)より国の守(かみ)に訴(うったへ)出給ふ。守此賊(ぬすびと)を探(さぐ)り捕(とら)ふために。助の君文室(ふんや)の広之(ひろゆき)。大宮司の館(たち)に来て。今専(もつはら)に此事をはかり給ふよしを聞ぬ。此太刀いかさまにも下司(したつかさ)などの帯(はく)べき物にあらず。猶父に見せ奉らんとて。御前に持いきて。かう/\の恐しき事のあなるは。いかゞ計(はか)らひ申さんといふ。父面(おもて)を青くして。こは浅ましき事の出きつるかな。日来(ひごろ)は一毛(もう)をもぬかざるが。何の報(むくひ)にてかう良(よか)らぬ心や出きぬらん。他(ほか)よりあらはれなば此家をも絶(たや)されん。祖(みおや)の為子孫(のち)の為には。不孝(かう)の子一人惜(をし)からじ。明(あす)は訴(うつた)へ出よといふ。

 太郎夜の明るを待て。大宮司の館(みたち)に来り。しか/\のよしを申出て。此太刀を見せ奉るに。大宮司驚(おどろ)きて。是なん大臣殿(おほいどの)の献(たてまつ)り物なりといふに。助聞給ひて。猶失(うせ)し物問あきらめん。召捕(めしとれ)とて。武士ら十人ばかり。太郎を前(さき)にたてゝゆく。豊雄。かゝる事をもしらで書(ふみ)見ゐたるを武士ら押(おし)かゝりて捕(とら)ふ。こは何の罪(つみ)ぞといふをも聞入ず縛(から)めぬ。父母太郎夫婦も今は浅ましと歎(なげき)まどふばかりなり。公庁(おほやけ)より召(めし)給ふ疾(とく)あゆめとて。中にとりこめて館に追もてゆく。助。豊雄をにらまへて。〓(なんぢ)神寳(かんだから)を盗(ぬすみ)とりしは例(ためし)なき国津(くにつ)罪(つみ)なり。猶種々(くさ%\)の財(たから)はいづ地に隠(かく)したる。明らかにまうせといふ。豊雄漸(やゝ)此事を覚(さと)り。涙を流して。おのれ更に盗をなさず。かう/\の事にて県(あがた)の何某の女(め)が。前(さき)の夫(つま)の帯(おび)たるなりとて得させしなり。今にもかの女召(めし)て。おのれが罪なき事を覚(さと)らせ給へ。助いよゝ怒(いか)りて。我下司(したづかさ)に県(あがた)の姓(かばね)を名乗る者ある事なし。かく偽(いつは)るは刑(つみ)ます/\大なり。豊雄。かく捕(とら)はれていつまで偽(いつは)るべき。あはれかの女召て問せ給へ。助。武士らに向ひて。県(あかた)の真女子(まなご)が家はいづくなるぞ。渠(かれ)を押て捕(とら)へ来れといふ。

 武士らかしこまりて。又豊雄を押たてゝ彼所(かしこ)に行て見るに。厳(いか)めしく造(つく)りなせし門の柱(はしら)も朽(くち)くさり。軒の瓦(かはら)も大かたは砕(くだけ)おちて。草(くさ)しのぶ生(おひ)さがり。人住とはみえず。豊雄是を見て只あきれにあきれゐたる。武士らかけ廻(めぐ)りて。ちかきとなりを召(めし)あつむ。木伐(ききる)老(をぢ)。米かつ男ら。恐れ惑(まど)ひて。跪(うすゝま)る。武士他(かれ)らにむかひて。此家何者が住しぞ。県(あがた)の何某が女(め)のこゝにあるはまことかといふに。鍛冶(かぢ)の翁はひ出て。さる人の名はかけてもうけ給はらす此家三とせばかり前(さき)までは。村主(すぐり)の何某といふひとの。賑(にき)はしくて住侍るが。筑紫(つくし)に商(あき)物積(つみ)てくだりし。其舩行方(ゆくへ)なくなりて後は。家に残る人も散々になりぬるより。絶(たえ)て人の住ことなきを。此男のきのふこゝに入て。漸(やゝ)して帰りしを竒(あや)しとて。此塗師(ぬし)の老(をぢ)がまうされしといふに。さもあれ。よく見極(きはめ)て殿に申さんとて。門押ひらきて入る。家は外(と)よりも荒(あれ)まさりけり。なほ奥の方に進(すゝ)みゆく。前栽(せんざい)広く造(つく)りなしたり。池は水あせて水草(みくさ)も皆枯(かれ)。野ら薮生(やぶおひ)かたふきたる中に。大きなる松の吹倒(たを)れたるぞ物すざまし。客殿(きやくでん)の格子戸(かうしど)をひらけば。腥(なまぐさ)き風のさと吹おくりきたるに恐れまどいて。人々後(あと)にしりぞく。豊雄只声を呑(のみ)て歎(なげ)きゐる。武士の中に巨勢(こせ)の熊〓(くまがし)なる者胆(きも)ふとき男にて。人々我後(あと)に従(つき)て来れとて。板敷(いたじき)をあららかに踏(ふみ)て進(すゝ)みゆく。塵(ちり)は一寸ばかり積(つも)りたり。鼠の糞(くそ)ひりちらしたる中に。古き帳を立て。花の如くなる女ひとりぞ座(を)る。熊〓(くまかし)女にむかひて。国の守(かみ)の召(めし)つるぞ。急ぎまゐれといへど。答(こた)へもせであるを。近く進みて捕(とら)ふとせしに。忽(たちまち)地も裂(さく)るばかりの霹靂(はたゝがみ)鳴響(なりひゞ)くに。許多(あまた)の人迯(にぐ)る間(ひま)もなくてそこに倒(たを)る。然(さて)見るに。女はいづち行けん見えずなりにけり。此床(とこ)の上(うへ)に輝(きら)/\しき物あり。人/\恐る/\いきて見るに。狛錦(こまにしき)。呉(くれ)の綾(あや)。倭文(しづり)〓(かとり)。盾(たて)。槍(ほこ)。靭(ゆき)。鍬(くは)の類(たぐひ)。此失(うせ)つる神寳(かんだから)なりき。武士らこれをとりもたせて。怪(あや)しかりつる事どもを詳(つばら)に訴(うつた)ふ。助も大宮司も妖怪(ものゝけ)のなせる事をさとりて。豊雄を責(さいな)む事をゆるくす。されど当罪(おもてつみ)免(まぬか)れす。守(かみ)の館(みたち)にわたされて牢裏(ろうり)に繋(つな)がる。大宅(おほや)の父子(おやこ)多くの物を賄(まひ)して罪(つみ)を贖(かふ)によりて。百日がほどに赦(ゆる)さるゝ事を得たり。かくて世にたち接(まじは)らんも面俯(おもてぶせ)なり。姉の大和におはすを訪(とふ)らひて。しばし彼所(かしこ)に住(すま)んといふ。げにかう憂(うき)め見つる後は重(おも)き病をも得るものなり。ゆきて月ごろを過(すご)せとて。人を添て出たゝす。

 二郎の姉が家は石榴市(つばいち)といふ所に。田辺(たなべ)の金忠(かねたゞ)といふ商人(あきびと)なりける。豊雄が訪(とむ)らひ来るを喜(よろこ)び。かつ月ごろの事どもをいとほしがりて。いつ/\までもこゝに住めとて。念頃に労(いたは)りけり。年かはりて二月(きさらき)になりぬ。此石榴市(つばいち)といふは。泊瀬(はつせ)の寺ちかき所なりき。仏の御中には泊瀬(はつせ)なんあらたなる事を。唐土(もろこし)までも聞えたるとて。都より辺鄙(いなか)より詣(まう)づる人の。春はことに多かりけり。詣(まう)づる人は必こゝに宿(やど)れば。軒を並(なら)べて旅人をとゞめける。田辺(たなべ)が家は御明(みあかし)燈心(とうしん)の類(たぐい)を商ひぬれば。所せく人の入たちける中に。都の人の忍びの詣(まうで)と見えて。いとよろしき女一人。了鬟(わらは)一人。薫(たき)物もとむとてこゝに立よる。此了鬟(わらは)豊雄を見て。吾(わが)君のこゝにいますはといふに。驚きて見れば。かの真女子(まなご)まろやなり。あな恐しとて内に隠るゝ。金忠夫婦こは何ぞといへば。かの鬼(おに)こゝに逐(おひ)来る。あれに近寄(ちかより)給ふなと隠れ惑(まど)ふを。人々そはいつくにと立騒(さわ)ぐ。真女子入来りて。人々あやしみ給ひそ。吾夫(わがせ)の君な恐れ給ひそ。おのが心より罪(つみ)に堕(おと)し奉る事の悲(かな)しさに。御有家(ありか)もとめて。事の由縁(ゆゑ)をもかたり。御心放(みこゝろやり)せさせ奉らんとて。御住家尋まいらせしに。かひありてあひ見奉る事の喜(うれ)しさよ。あるじの君よく聞わけて給へ。我もし怪(あや)しき物ならば。此人繁(しげ)きわたりさへあるに。かうのどかなる昼(ひる)をいかにせん。衣(きぬ)に縫目(ぬひめ)あり。日にむかへば影(かげ)あり。此正(まさ)しきことわりを思しわけて。御疑ひを解(とか)せ給へ。豊雄漸(やゝ)人ごゝちして。〓正(なんぢまさ)しく人ならぬは。我捕(とら)はれて。武士らとともにいきて見れば。きのふにも似ず浅ましく荒果(あれはて)て。まことに鬼の住べき宿に一人居(を)るを。人々ら捕へんとすれば。忽青天霹靂(はたゝがみ)を震(ふる)ふて。跡(あと)なくかき消(きえ)ぬるをまのあたり見つるに。又逐(おひ)来て何をかなす。すみやかに去(さ)れといふ。真女子(まなご)涙を流して。まことにさこそおぼさんはことわりなれど。妾(しやう)が言(こと)をもしばし聞せ給へ。君公廰(おほやけ)に召(めさ)れ給ふと聞しより。かねて憐(あはれ)をかけつる隣(となり)の翁(おきな)をかたらひ。頓(とみ)に野らなる宿のさまをこしらへし。我を捕(とら)んずときに鳴神響(なるかみひゞ)かせしはまろやが計較(たばかり)つるなり。其後舩もとめて難波の方に遁(のが)れしかど。御消息(せうそこ)しらまほしく。こゝの御(み)仏にたのみを懸つるに。二本(ふたもと)の杉のしるしありて。喜(うれ)しき瀬(せ)にながれあふことは。ひとへに大悲(ひ)の御徳かふむりたてまつりしぞかし。種(くさ)%\の神寳(かんだから)は何とて女の盗み出すべき。前(さき)の夫(つま)の良(よか)らぬ心にてこそあれ。よく/\おぼしわけて。思ふ心の露ばかりをもうけさせ給へとてさめ%\と泣。豊雄或(ある)は疑(うたが)ひ。或は憐(あはれ)みて。かさねていふべき詞もなし。金忠夫婦。真女子(まなご)がことわりの明らかなるに。此女しきふるまひを見て。努(ゆめ)疑ふ心もなく。豊雄のもの語りにては世に恐しき事よと思ひしに。さる例(ためし)あるべき世にもあらずかし。はる/\と尋まどひ給ふ御心ねのいとほしきに。豊雄肯(うけがは)ずとも我々とゞめまいらせんとて。一間(ま)なる所に迎(むか)へける。こゝに一日二日を過すまゝに。金忠夫婦か心をとりて。ひたすら歎(なげ)きたのみける。其志の篤(あつ)きに愛(めで)て。豊雄をすゝめてつひに婚儀(ことぶき)をとりむすぶ。豊雄も日々に心とけて。もとより容姿(かたち)のよろしきを愛(めで)よろこび。千とせをかけて契るには。葛城(かづらき)や高間(たかま)の山に夜(よひ)々ごとにたつ雲も。初瀬の寺の暁の鐘に雨収(をさ)まりて。只あひあふ事の遅(おそ)きをなん恨(うら)みける。

 三月(やよい)にもなりぬ。金忠豊雄夫婦にむかひて。都わたりのは似るべうもあらねど。さすがに紀路(きぢ)にはまさりぬらんかし。名細(なぐはし)の吉野(よしの)は春はいとよき所なり。三舩(みふね)の山菜摘(なつみ)川常に見るとも飽(あか)ぬを。此頃はいかにおもしろからん。いざ給へ出立なんといふ。真女児(まなこ)うち笑(ゑみ)て。よき人のよしと見給ひし所は。都の人も見ぬを恨(うら)みに聞え侍るを。我身稚(をさな)きより。人おほき所。或(ある)は道の長手(ながて)をあゆみては。必気(け)のぼりてくるしき病あれば。従駕(みとも)にえ出立侍らぬぞいと憂(うれ)たけれ。山土産(づと)必待こひ奉るといふを。そはあゆみなんこそ病も苦(くる)しからめ。車こそもたらね。いかにも/\土踏(ふま)せまいらせじ。留(とゞま)り給はんは豊雄のいかばかり心もとなかりつらんとて。夫婦すゝめたつに。豊雄もかうたのもしくの給ふを。道に倒(たを)るゝともいかではかと聞ゆるに。不慮(すゞろ)ながら出たちぬ。人々花やぎて出ぬれど。真女子が麗(あて)なるには似るべうもあらずぞ見えける。何某(なにがし)の院(いん)はかねて心よく聞えかはしければこゝに訪(とむ)らふ。主(あるじ)の僧迎えて。此春は遅(おそ)く詣(まうで)給ふことよ。花もなかばは散過て鶯の声もやゝ流(なが)るめれど。猶よき方(かた)にしるべし侍らんとて。夕食(ゆふげ)いと清くして食(くは)せける。明ゆく空いたう霞みたるも。晴ゆくまゝに見わたせば。此院は高き所にて。こゝかしこ僧坊(そうばう)どもあらはに見おろさるゝ。山の鳥どもゝそこはかとなく囀(さえづ)りあひて。木草の花色々に咲まじりたる。同じ山里ながら目さむるこゝちせらる。初詣(うひまうで)には滝ある方こそ見所はおほかめれとて。彼方(かなた)にしるべの人乞(こひ)て出たつ。谷を繞(めぐ)りて下りゆく。いにしへ行幸(いでまし)の宮ありし所は。石はしる滝つせのむせび流るゝに。ちいさき〓(あゆ)どもの水に逆(さか)ふなど。目もあやにおもしろし。檜破子(ひわりご)打散(ちら)して喰(くひ)つゝあそぶ。

 岩がねづたひに来る人あり。髪は績麻(うみそ)をわがねたる如くなれど。手足いと健(すこ)やかなる翁なり。此滝の下(もと)にあゆみ来る。人々を見てあやしげにまもりたるに。真名子もまろやも此人を背(そがひ)に見ぬふりなるを。翁渠(かれ)二人をよくまもりて。あやし。此邪神(あしきかみ)。など人をまどはす。翁がまのあたりをかくても有やとつぶやくを聞て。此二人忽躍(をど)りたちて。滝に飛入と見しが。水は大虚(おほぞら)に湧(わき)あがりて見えずなるほどに。雲摺墨(するすみ)をうちこぼしたる如く。雨篠(しの)を乱してふり来る。翁人々の慌忙惑(あわてまど)ふをまつろへて人里にくだる。賎(あや)しき軒にかゞまりて生(いけ)るこゝちもせぬを。翁豊雄にむかひ。熟(つら/\)そこの面(おもて)を見るに。此隠神(かくれがみ)のために悩(なや)まされ給ふが。吾救(すく)はずばつひに命をも失(うしな)ひつべし。後よく慎(つゝし)み給へといふ。豊雄地額着(ぬかづき)て。此事の始よりかたり出て。猶命得させ給とて。恐れみ敬(うや)まひて願ふ。翁さればこそ。此邪神(あしきかみ)は年経(へ)たる蛇(おろち)なり。かれが性(さか)は婬(みだり)なる物にて。牛と孳(つる)みては麟(りん)を生(う)み。馬とあひては龍馬(りやうめ)を生(うむ)といへり。此魅(まど)はせつるも。はたそこの秀麗(かほよき)に〓(たはけ)たると見えたり。かくまで執(しう)ねきをよく慎(つゝし)み給はずば。おそらくは命を失(うしな)ひ給ふべしといふに。人々いよゝ恐れ惑(まど)ひつゝ。翁を崇(あが)まへて遠津神(とほつがみ)にこそと拝(おが)みあへり。翁打ち笑(ゑみ)て。おのれは神にもあらず。大倭(やまと)の神社に仕へまつる当麻(たぎま)の酒人(きびと)といふ翁なり。道の程(ほど)見立てゝまいらせん。いざ給へとて出たてば。人々後(あと)につきて帰り来る。明(あけ)の日大倭(やまと)の郷(さと)にいきて。翁が恵(めぐ)みを謝(かへ)し。且(かつ)美濃絹(みのぎぬ)三疋(みむら)筑紫綿(つくしわた)二屯(ふたつみ)を遺(おく)り来り。猶此妖災(ものゝけ)の身禊(みそぎ)し給へとつゝしみて願ふ。翁これを納(をさ)めて。祝部(はふり)らにわかちあたへ。自(みづから)は一疋(むら)一屯(つみ)をもとゞめずして。豊雄にむかひ。畜(かれ)〓(なんぢ)が秀麗(かほよき)に〓(たは)けて〓を纏(まと)ふ。〓又畜(かれ)が仮(かり)の化(かたち)に魅(まど)はされて丈夫(ますらを)心なし。今より雄気(をとこさび)してよく心を静(しづ)まりまさば。此らの邪神(あしきかみ)を遂(やら)はんに翁が力(ちから)をもかり給はじ。ゆめ/\心を静まりませとて実(まめ)やかに覚(さと)しぬ。豊雄夢のさめたるこゝちに。礼言(いやこと)尽(つき)ずして帰り来る。金忠にむかひて。此年月畜(かれ)に魅(まど)はされしは己(おの)が心の正(たゞ)しからぬなりし。親兄の孝(つかへ)をもなさで。君が家の羈(ほだし)ならんは由縁(よし)なし。御恵(めぐみ)いとかたじけなけれど。又も参りなんとて。紀の国に帰りける。

 父母太郎夫婦。此恐しかりつる事を聞て。いよゝ豊雄が過(あやまち)ならぬを憐(あはれ)み。かつは妖怪(ものゝけ)の執(しう)ねきを恐れける。かくて鰥(やむを)にてあらするにこそ。妻(つま)むかへさせんとてはかりける。芝(しば)の里に芝の庄司なるものあり。女子(むすめ)一人もてりしを。大内(おほうち)の采女(うねめ)にまゐらせてありしが。此度いとま申給はり。此豊雄を聟(むこ)がねにとて。媒氏(なかだち)をもて大宅(おほや)が許(もと)へいひ納(いる)る。よき事なりて即(やがて)因(ちな)みをなしける。かくて都へも迎(むかひ)の人を登(のぼ)せしかは。此采女富子(とみこ)なるものよろこびて帰り来る。年来(としごろ)の大宮仕(つが)へに馴(なれ)こしかば。万(よろづ)の行儀(ふるまひ)よりして。姿(かたち)なども花やぎ勝(まさ)りけり。豊雄こゝに迎へられて見るに。此富子(とみこ)がかたちいとよく万(よろづ)心に足(たら)ひぬるに。かの蛇(おろち)が懸想(けさう)せしこともおろ/\おもひ出るなるべし。はじめの夜は事なければ書(かゝ)ず。二日の夜。よきほどの酔(ゑひ)ごゝちにて。年来(としごろ)の大内住(うちずみ)に。辺鄙(いなか)の人ははたうるさくまさん。かの御わたりにては。何の中将宰相(さいしやう)の君などいふ添(そひ)ぶし給ふらん。今更にくゝこそおぼゆれなど戯(たはむ)るゝに。富子(とみこ)即(やかて)面(おもて)をあげて。古き契(ちぎり)を忘(わす)れ給ひて。かくことなる事なき人を時めかし給ふこそ。こなたよりまして悪(にく)くあれといふは。姿(かたち)こそかはれ。正(まさ)しく真女子(まなご)が声(こゑ)なり。聞にあさましう。身の毛(け)もたちて恐しく。只あきれまどふを。女打ゑみて。吾君な怪(あや)しみ給ひそ。海に誓(ちか)ひ山に盟(ちか)ひし事を速(はや)くわすれ給ふとも。さるべき縁(ゑ)にしのあれば又もあひ見奉るものを。他(あだ)し人のいふことをまことしくおぼして。強(あなかち)に遠ざけ給はんには。恨(うら)み報(むく)ひなん。紀路(きぢ)の山々さばかり高くとも。君が血(ち)をもて峯より谷に潅(そゝ)ぎくださん。あたら御身をいたづらになし果(はて)給ひそといふに。只わなゝきにわなゝかれて。今やとらるべきこゝちに死入ける。屏風(びやうぶ)のうしろより。吾君いかにむつかり給ふ。かうめでたき御契なるはとて出るはまろやなり。見るに又胆(きも)を飛(とば)し。眼(まなこ)を閉(とぢ)て伏向(うつぶさ)に臥(ふ)す。和(なご)めつ驚(おど)しつかはる%\物うちいへど。只死入たるやうにて夜明ぬ。

 かくて閨房(ねや)を免(のが)れ出て庄司にむかひ。かう/\の恐しき事あなり。これいかにして放(さけ)なん。よく計(はか)り給へといふも。背(うしろ)にや聞らんと声を小(さゝ)やかにしてかたる。庄司も妻も面(おもて)を青(あを)くして歎(なげ)きまどひ。こはいかにすべき。こゝに都の鞍馬寺(くらまてら)の僧の。年々熊野(くまの)に詣づるが。きのふより此向岳(むかつを)の蘭若(てら)に宿りたり。いとも験(げん)なる法師にて凡疫病(ゑやみ)妖災(ものゝけ)蝗(いなむし)などをもよく祈(いの)るよしにて。此郷(さと)の人は貴(たふと)みあへり。此法師請(むか)へてんとて。あはたゝしく呼(よび)つげるに。漸(やゝ)して来りぬ。しか/\のよしを語(かた)れば。此法師鼻を高くして。これからの蠱物(まじもの)らを捉(とら)んは何の難(かた)き事にもあらじ。必静(しず)まりおはせとやすけにいふに。人々心落ゐぬ。法師まづ雄黄(ゆうわう)をもとめて薬の水を調(てう)じ。小瓶(こがめ)に堪(たゝ)へて。かの閨房(ねや)にむかふ。人々驚隠(おぢかく)るゝを。法師嘲(あざみ)わらひて。老たるも童(わらは)も必そこにおはせ。此蛇(おろち)只今捉(とり)て見せ奉らんとてすゝみゆく。閨房の戸あくるを遅(おそ)しと。かの蛇(おろち)頭(かしら)をさし出して法師にむかふ。此頭何はかりの物ぞ。此戸口に充満(みち/\)て。雪を積(つみ)たるよりも白く輝(きら)々しく。眼(まなこ)は鏡(かゞみ)の如く。角(つの)は枯木(かれき)の如(ごと)。三尺(たけ)余りの口を開(ひら)き。紅(くれなゐ)の舌(した)を吐(はい)て。只一呑(のみ)に飲(のむ)らん勢(いきほ)ひをなす。あなやと叫(さけ)びて。手にすゑし小瓶(こがめ)をもそこに打すてゝ。たつ足もなく。展転(こいまろ)びはひ倒れて。からうじてのがれ来り。人々にむかひ。あな恐ろし。祟(たゝ)ります御神にてましますものを。など法師らが祈(いのり)奉らん。此手足なくば。はた命失(うし)なひてんといふ/\絶(たえ)入ぬ。人々扶(たす)け起(おこ)すれど。すべて面(おもて)も肌(はだへ)も黒(くろ)く赤(あか)く染(そめ)なしたるが如(ごと)に。熱(あつ)き事焚火(たきび)に手さすらんにひとし。毒気(あしきいき)にあたりたると見えて。後(のち)は只眼(め)のみはたらきて物いひたげなれど。声さへなさでぞある。水濯(そゝ)ぎなどすれど。つひに死(に)ける。これを見る人いよゝ魂(たましひ)も身に添ぬ思ひして泣惑(なきまど)ふ。豊雄すこし心を収(をさ)めて。かく験(げん)なる法師だも祈得ず。執(しう)ねく我を纏(まと)ふものから。天地(あめつち)のあひだにあらんかぎりは探(さが)し得られなんおのが命ひとつに人々を苦しむるは実(まめ)ならず。今は人をもかたらはじ。やすくおぼせとて閨房(やね)にゆくを。庄司の人々こは物に狂ひ給ふかといへど。更に聞ず顔にかしこにゆく。戸を静に明れば。物の騒(さわ)がしき音(おと)もなくて。此二人ぞむかひゐたる。富子(とみこ)豊雄にむかひて。君何の(あた)讐に我を捉(とら)へんとて人をかたらひ給う。此後も仇(あた)をもて報(むく)ひ給はゞ。君が御身のみにあらじ。此郷(さと)の人々をもすべて苦しきめ見せなん。ひたすら吾貞操(みさほ)をうれしとおぼして。徒(あだ)々しき御(み)心をなおぼしそと。いとけさうしていふぞうたてかりき。豊雄いふは。世の諺(ことわざ)にも聞ることあり。人かならず虎(とら)を害(がゐ)する心なけれども。虎反(かへ)りて人を傷(やぶ)る意(こゝろ)ありとや。〓(なんぢ)人ならぬ心より。我を纏(まと)ふて幾度かからきめを見するさへあるに。かりそめ言(こと)をだにも此恐しき報(むく)ひをなんいふは。いとむくつけなり。されど吾を慕(した)ふ心ははた世人にもかはらざれば。こゝにありて人々の歎(なげ)き給はんがいたはし。此富子(とみこ)が命ひとつたすけよかし。然(さて)我をいづくにも連(つれ)ゆけといへば。いと喜(うれ)しげに点頭(うなづき)をる。

 又立出て庄司にむかひ。かう浅ましきものゝ添てあれば。こゝにありて人々を苦しめ奉らんはいと心なきことなり。只今暇(いとま)給はらば。娘子(をとめ)の命も恙(つゝが)なくおはすべしといふを。庄司更(さら)に肯(うけ)ず。我弓の本末(もとすゑ)をもしりながら。かくいひがひなからんは大宅(おほや)の人%\のおぼす心もはづかし。猶計較(はかり)なん。小松原の道成寺に法海(ほふかい)和尚(おしやう)とて貴(たふ)とき祈(いのり)の師おはす。今は老(おひ)て室(むろ)の外(と)にも出ずと聞(きけ)ど。我為にはいかにも/\捨給はじとて。馬にていそぎ出たちぬ。道遥(はるか)なれば夜なかばかりに蘭若(てら)に到(いた)る。老(らう)和尚眠蔵(めんぞう)をゐざり出て。此物がたりを聞て。そは浅ましくおほすべし。今は老朽(おいくち)て験(げん)あるべくもおぼえ侍らねど。君が家の災(わざは)ひを黙(もだ)してやあらん。まづおはせ。法師も即(やがて)詣(まうで)なんとて。芥子(けし)の香(か)にしみたる袈裟(けさ)とり出て。庄司にあたへ。畜(かれ)をやすくすかしよせて。これをもて頭(かしら)に打〓(かづ)け。力(ちから)を出して押ふせ給へ。手弱(たよは)くあらばおそらくは迯(にげ)さらん。よく念(ねん)じてよくなし給へと実(まめ)やかに教(をし)ふ。庄司よろこぼひつゝ馬を飛してかへりぬ。豊雄を密(ひそか)に招(まね)きて。比事よくしてよとて袈裟(けさ)をあたふ。豊雄これを懐(ふところ)に隠(かく)して閨房(ねや)にいき。庄司今はいとまたびぬ。いざたまへ出立なんといふ。いと喜(うれ)しげにてあるを。此袈裟とり出てはやく打〓(かづ)け。力をきはめて押ふせぬれば。あな苦し。〓何とてかく情なきぞ。しばしこゝ放(ゆる)せよかしといへど。猶力にまかせて押ふせぬ。法海和尚の輿(こし)やがて入来る。庄司の人々に扶(たす)けられてこゝにいたり給ひ。口のうちつぶ/\と念じ給ひつゝ。豊雄を退(しりぞ)けて。かの袈裟(けさ)とりて見給へば。富子は現(うつゝ)なく伏(ふし)たる上に。白き蛇(おろち)の三尺(たけ)あまりなる蟠(わたかま)りて動(うこき)だもせずてぞある。老和尚これを捉(とら)へて。徒弟(とてい)が捧(さゝけ)たる鉄鉢(てつはち)に納(いれ)給ふ。猶念(ねん)じ給へば。屏風(びやうぶ)の背(うしろ)より。尺(たけ)ばかりの小蛇(こへび)はひ出るを。是をも捉(とり)て鉢に納(いれ)給ひ。かの袈裟(けさ)をもてよく封(ふう)じ給ひ。そがまゝに輿(こし)に乗(のら)せ給へば。人々掌(て)をあはせ涙を流して敬(うや)まひ奉る。

 蘭若(てら)に帰り給ひて。堂の前を深く掘(ほら)せて。鉢のまゝに埋(うめ)させ。永劫(えうごう)があひだ世に出ることを戒(いま)しめ給ふ。今猶蛇(おろち)が塚(つか)ありとかや。庄司が女子(むすめ)はつひに病にそみてむなしくなりぬ。豊雄は命恙(つゝが)なしとなんかたりつたへける

雨月物語四之巻終

雨月物語(うげつものがたり)巻之五

青頭巾(あをづきん)

 むかし快庵(くはいあん)禅師(ぜんじ)といふ大徳(とこ)の聖(ひじり)おはしまりけり。総角(わかき)より教外(きやうぐはい)の旨(むね)をあきらめ給ひて。常に身を雲水にまかせたまふ。美濃の国の龍泰寺(りやうたいじ)に一夏(いちげ)を満(みた)しめ。此秋は奥羽(おうう)のかたに住とて。旅立給ふ。ゆき/\て下野の国に入給ふ。

 冨田といふ里にて日入りはてぬれば。大きなる家の賑(にぎ)はゝしげなるに立よりて一宿(ひとよ)をもとめ給ふに。田畑(たはた)よりかへる男等(ら)。黄昏(たそかれ)にこの僧の立るを見て。大きに怕(おそ)れたるさまして。山の鬼こそ来りたれ。人みな出でよと呼のゝじる。家の内にも騒(さは)きたち。女童(わらべ)は泣さけび展転(こいまろ)びて隅(くま)%\に竄(かく)る。あるじ山枴(おほこ)をとりて走り出。外(と)の方を見るに。年紀(としのころ)五旬(いそじ)にちかき老僧の。頭(かしら)に紺染(あをぞめ)の巾を〓(かづ)き。身に墨衣の破(やれ)たるを穿(き)て。裹(つゝみ)たる物を背におひたるが。杖(つゑ)をもてさしまねき。檀越(だんゑつ)なに事にてかばかり備(そな)へ給ふや。遍参(へんさん)の僧今夜ばかりの宿をかり奉らんとてこゝに人を待しに。おもひきやかく異(あや)しめられんとは。痩(やせ)法師の強盗(がうどう)などなすべきにもあらぬを。なあやしみ給ひそといふ。

 荘主(あるじ)枴(おほこ)を捨て手を拍(うつ)て笑ひ。渠等(かれら)が愚(おろか)なる眼より客僧を驚(おど)しまいらせぬ。一宿(ひとよ)を供養(くやう)して罪(つみ)を贖(あがな)ひたてまつらんと。礼(いや)まひて奥の方に迎へ。こゝろよく食をもすゝめて饗(もてな)しけり。荘主(あるじ)かたりていふ。さきに下等(しづら)が御僧を見て鬼来りしとおそれしもさるいはれの侍るなり。こゝに希有(けう)の物がたりの侍る。妖言(およつれごと)ながら人にもつたへ給へかし。此里の上の山に一宇の蘭若(てら)の侍(はべ)る。故(もと)は小山氏の菩提院(ほだいゐん)にて。代々(よゝ)大徳(とこ)の住給ふなり。今の阿闍梨(あじやり)は何某(なにがし)殿の猶子(ゆうじ)にて。ことに篤斈(とくがく)修行(しゆぎやう)の聞えめでたく。此国の人は香燭(かうしよく)をはこびて帰依(きえ)したてまつる。我荘(いへ)にもしば/\詣給ふて。いともうらなく仕(つか)へしが。去年(こぞ)の春にてありける。越(こし)の国へ水丁(くはんでう)の戒師(かいし)にむかへられ給ひて。百日あまり逗(とゞ)まり給ふが。他(かの)国より十二三歳なる童児(わらは)を倶(ぐ)してかへり給ひ。起臥(おきふし)の扶(たすけ)とせらる。かの童児(わらは)が容(かたち)の秀麗(みやびやか)なるをふかく愛(めで)させたまふて。年来(としごろ)の事どもゝいつとなく怠(をこた)りがちに見え給ふ。さるに茲年(ことし)四月(うづき)の比。かの童児(わらは)かりそめの病に臥(ふし)けるが。日を経(へ)ておもくなやみけるを痛(いた)みかなしませ給ふて。国府(こうふ)の典薬(てんやく)のおもだゝしきをまで迎(むか)へ給へども。其しるしもなく終(つひ)りにむなしくなりぬ。ふところの璧(たま)をうばはれ。挿頭(かざし)の花を嵐にさそはれしおもひ。泣に涙なく。叫(さけ)ぶに声なく。あまりに歎(なげ)かせたまふまゝに。火に焼(やき)。土に葬(はうむ)る事をもせで。臉(かほ)に臉をもたせ。手に手をとりくみて日を経(へ)給ふが。終(つひ)に心神(こゝろ)みだれ。生(いき)てありし日に違(たが)はず戯(たはふ)れつゝも。其肉(にく)の腐(くさ)り爛(たゞる)るを吝(をし)みて。肉を吸(すひ)骨(ほね)を嘗(なめ)て。はた喫(くら)ひつくしぬ。寺中の人々。院主(じゆ)こそ鬼になり給ひつれと。連忙(あはたゝしく)迯(にげ)さりぬるのちは。夜(よな)/\里に下りて人を驚殺(おど)し。或は墓(はか)をあばきて腥(なま)/\しき屍(かばね)を喫(くら)ふありさま。実(まこと)に鬼といふものは昔物がたりには聞もしつれど。現(うつゝ)にかくなり給ふを見て侍れ。されどいかゞしてこれを征(せい)し得ん。只戸(いへ)ごとに暮をかぎりて堅(かた)く関(とざ)してあれば。近曽(このころ)は国中(くになか)へも聞えて。人の往来(いきき)さへなくなり侍るなり。さるゆゑのありてこそ客僧(きやくそう)をも過(あやま)りつるなりとかたる。快庵(くはいあん)この物がたりを聞せ給ふて。世には不可思議(かしき)の事もあるものかな。凡(およそ)人とうまれて。仏菩薩の教(をしへ)の広大なるをもしらず。愚(おろか)なるまゝ。慳(かたま)しきまゝに世を終(をは)るものは。其愛慾(あいよく)邪念(じやねん)の業障(ごうしやう)に攬(ひか)れて。或は故(もと)の形(かたち)をあらはして恚(いかり)を報(むく)ひ。或は鬼となり蠎(みつち)となりて祟(たゝ)りをなすためし。住古(いにしへ)より今にいたるまで算(かぞ)ふるに尽(つき)しがたし。又人活(いき)ながらにして鬼に化(け)するもあり。楚王(そわう)の宮人は蛇(をろち)となり。王含(わうがん)が母は夜叉(やしや)となり。呉生(ごせい)が妻は蛾(が)となる。又いにしへある僧卑(あや)しき家に旅寝(たびね)せしに。其夜雨風はげしく。燈(ともし)さへなきわびしさにいも寝られぬを。夜ふけて羊(ひつじ)の鳴(なく)こゑの聞えけるが。頃刻(しばらく)して僧のねふりをうかゞひてしきりに〓(かぐ)ものあり。僧異(あや)しと見て。枕におきたる禅杖(ぜんじやう)をもてつよく撃(うち)ければ。大きに叫(さけ)んでそこにたをる。この音に主(あるじ)の嫗(うば)なるもの燈(あかし)を照(てら)し来るに見れば。若き女の打たをれてぞありける。嫗(うば)泣(なく)/\命を乞(こふ)。いかゞせん。捨て其家を出しが。其のち又たよりにつきて其里を過しに。田中に人多く集(つど)ひてものを見る。僧も立よりて何なるぞと尋ねしに。里人いふ。鬼(おに)に化(け)したる女を捉(とら)へて。今土に〓(うづ)むなりとかたりしとなり。されどこれらは皆女子(をんなご)にて男たるものゝかゝるためしを聞ず。凡女の性(さが)の慳(かたま)しきには。さる浅ましき鬼(もの)にも化するなり。又男子(なんし)にも隋(ずい)の煬帝(やうだい)の臣家(しんか)に麻叔謀(ましゆくばう)といふもの。小児(せうに)の肉を嗜好(このみ)て。潜(ひそか)に民の小児を偸(ぬす)み。これを蒸(むし)て喫(くら)ひしもあなれど。是は浅ましき夷(ゑびす)心にて。主(あるじ)のかたり給ふとは異(こと)なり。さるにてもかの僧の鬼になりつるこそ。過去(くはこ)の因縁(いんえん)にてぞあらめ。そも平生(つね)の行(ぎやう)徳(とく)のかしこかりしは。仏につかふる事に志誠(まごゝろ)を尽(つく)せしなれば。其童子(わらは)をやしなはざらましかば。あはれよき法師なるべきものを。一たび愛慾(あいよく)の迷路(めいろ)に入て。無明(むめう)の業火(ごうくは)の熾(さかん)なるより鬼と化したるも。ひとへに直(なほ)くたくましき性(さが)のなす所なるぞかし。心放(ゆる)せば妖魔(ようま)となり。収(をさ)むる則(とき)は仏果(ふつくは)を得るとは。此法師がためしなりける。老訥(らうのう)もしこの鬼を教化(きやうけ)して本源(もと)の心にかへらしめなば。こよひの饗(あるじ)の報(むく)ひともなりなんかしと。たふときこゝろざしを発(おこ)し給ふ。荘主(あるじ)頭(かうべ)を畳(たゝみ)に摺(すり)て。御僧この事をなし給はゞ。此国の人は浄土にうまれ出たるがごとしと。涙を流してよろこびけり。山里のやどり貝鐘(かひがね)も聞えず。廿日あまりの月も出て。古戸の間(すき)に洩(もり)たるに。夜の深きをもしりて。いざ休ませ給へとておのれも臥戸(ふしど)に入りぬ

 山院人とゝまらねば。楼門(ろうもん)は荊〓(うばら)おひかゝり。経閣(きやうかく)もむなしく苔蒸(こけむし)ぬ。蜘網(くもあみ)をむすびて諸仏を繋(つな)ぎ。燕子(つばくら)の糞(くそ)護摩(ごま)の牀(ゆか)をうづみ。方丈(はうじやう)廊房(らうばう)すべて物すざましく荒はてぬ。日の影申(さる)にかたふく比。快庵禅師寺に入て錫(しやく)を鳴(なら)し給ひ。遍参(へんさん)の僧今夜(こよひ)ばかりの宿をかし給へと。あまたたび叫(よへ)どもさらに応(こたへ)なし。眠蔵(めんざう)より痩槁(やせがれ)たる僧の漸(よは)/\とあゆみ出。咳(からび)たる声して。御僧は何地へ通るとこゝに来るや。此寺はさる由縁(ゆゑ)ありてかく荒(あれ)はて。人も住ぬ野らとなりしかば。一粒(りう)の斎(とき)糧(りやう)もなく。一宿(ひとよ)をかすべきはかりこともなしはやく里に出よといふ。禅師いふ。これは美濃の国を出て。みちの奥(く)へいぬる旅なるが。この麓(ふもと)の里を過るに。山の霊(かたち)水の流のおもしろさにおもはずもこゝにまうづ。日も斜(なゝめ)なれば里にくだらんもはるけし。ひたすら一宿(ひとよ)をかし給へ。あるじの僧云。かく野らなる所はよからぬ事もあなり。強(しひ)とゞめがたし。強(しひ)てゆけとにもあらず。僧のこゝろにまかせよとて復(ふたゝ)び物をもいはず。こなたよりも一言(こと)を問はで。あるじのかたはらに座をしむる。看(みる)/\日は入果て。宵闇(よひやみ)の夜のいとくらきに。燈(ひ)を点(あげ)ざればまのあたりさへわかぬに。只澗(たに)水の音ぞちかく聞ゆ。あるじの僧も又眠蔵(めんざう)に入て音なし。

 夜更て月の夜にあらたまりぬ。影玲瓏(れいろう)としていたらぬ隈(くま)もなし。子(ね)ひとつともおもふ此。あるじの僧眠蔵を出て。あはたゝしく物を討(たつ)ぬ。たづね得ずして大いに叫(さけ)び。禿驢(とくろ・くそぼうず)いづくに隠れけん。こゝもとにこそありつれと禅師が前を幾たび走り過れども。更に禅師を見る事なし。堂の方に駈(かけ)りゆくかと見れば。庭をめぐりて躍(をと)りくるひ。遂(つひ)に疲(つか)れふして起来らず。夜明て朝日のさし出ぬれば。酒の醒(さめ)たるごとくにして。禅師がもとの所に在(いま)すを見て。只あきれたる形(さま)にものさへいはで。柱(はしら)にもたれ長嘘(ためいき)をつぎて黙(もだ)しゐたりける。禅師ちかくすゝみよりて。院主(ゐんじゆ)何をか歎(なげ)き給ふ。もし飢(うへ)給ふとならば野僧が肉(にく)に腹(はら)をみたしめ給へ。あるじの僧いふ。師は夜もすがらそこに居させたまふや。禅師いふ。こゝにありてねふる事なし。あるじの僧いふ。我あさましくも人の肉を好めども。いまだ仏身(ふつしん)の肉味をしらず。師はまことに仏なり。鬼畜(きちく)のくらき眼(まなこ)をもて。活仏(くはつぶつ)の来迎(らいかう)を見んとするとも。見ゆべからぬ理(ことわり)なるかな。あなたふとゝ頭(かうべ)を低(たれ)て黙(もだ)しける。禅師いふ。里人のかたるを聞けば。汝一旦(ひとたび)の愛慾(あいよく)に心神(こゝろ)みだれしより。忽鬼畜に堕罪(だざい)したるは。あさましとも哀(かな)しとも。ためしさへ希なる悪因(あくいん)なり。夜(よひ)/\里に出て人を害(わざはひ)するゆゑに。ちかき里人は安き心なし。我これを聞て捨るに忍びず。恃(わざ/\)来りて教化(けうけ)し本源(もと)の心にかへらしめんとなるを。汝我をしへを聞や否(いな)や。あるじの僧いふ。師はまことに仏なり。かく浅ましき悪業(あくごう)を頓(とみ)にわするべきことわりを教(をしへ)給へ。禅師いふ。汝聞とならばこゝに来れとて。簀子(すのこ)の前のたひらなる石の上に座せしめて。みづから〓(かづ)き給ふ紺染(あをぞめ)の巾を脱(ぬぎ)て僧が頭(かうべ)に〓(かづか)しめ。証道(しやうだう)の歌二句を授(さづけ)給ふ

  江月照松風吹(こうげつてらしせうふうふく)

  永夜清宵何所為(えいやせいしようなんのしよゐぞ)

汝こゝを去(さら)ずして徐(しつか)に此句の意(こゝろ)をもとむべし。意解(とけ)ぬる則(とき)はおのづから本来の仏心に会(あ)ふなるはと。念頃に教て山を下り給ふ。此のちは里人おもき災(わざはひ)をのがれしといえども。猶僧が生死をしらざれば。疑ひ恐れて人/\山にのぼる事をいましめけり。

 一とせ速(はや)くたちて。むかふ年の冬十月(かみなずき)の初旬(はじめ)快庵大徳。奥路(おうろ)のかへるさに又こゝを過給ふが。かの一宿(ひとよ)のあるじが荘(いへ)に立よりて。僧が消息(せうそこ)を尋ね給ふ。荘主(あるじ)よろこび迎へて。御僧の大徳によりて鬼ふたゝび山をくだらねば。人皆浄土にうまれ出たるごとし。されど山にゆく事はおそろしがりて。一人としてのぼるものなし。さるから消息(せうそこ)をしり侍らねど。など今まで活(いき)ては侍(はべ)らじ。今夜(こよひ)の御泊(とま)りにかの菩提(ぼだい)をとふらひ給へ。誰も随縁(すいえん)したてまつらんといふ禅師いふ。他(かれ)善果(せんくわ)に基(もとづき)て遷化(せんげ)せしとならば道に先達(せんだち)の師ともいふべし。又活てあるときは我ために一個(ひとり)の徒弟(とてい)なり。いづれ消息(せうそこ)を見ずばあらじとて。復(ふたゝ)び山にのぼり給ふに。いかさまにも人のいきゝ絶(たえ)たると見えて。去年(こぞ)ふみわけし道ぞとも思はれず。寺に入てみれば。荻(をぎ)尾花のたけ人よりもたかく生茂(おひしげ)り。露は時雨めきて降こぼれたるに。三(みつ)の径(みち)さへわからざる中に。堂閣(だうかく)の戸右左(みぎひだり)に頽(たを)れ。方丈(はうじやう)庫裏(くり)に縁(めぐ)りたる廊(らう)も。朽目(くちめ)に雨をふくみて苔(こけ)むしぬ。さてかの僧を座(を)らしめたる篁子(すのこ)のほとりをもとむるに。影のやうなる人の。僧俗ともわからぬまでに髭髪(ひけかみ)もみだれしに。葎(むぐら)むすぼふれ。尾花おしなみたるなかに。蚊(か)の鳴(なく)ばかりのほそき音(こゑ)して。物とも聞えぬやうにまれ/\唱(とな)ふるを聞けば

  江月照松風吹(こうげつてらしせうふうふく)

  永夜清宵何所為(えいやせいしようなんのしよゐぞ)

禅師見給ひて。やがて禅杖(ぜんじやう)を拿(とり)なほし。作〓生何所為(そもさんなんのしよゐ)ぞと。一喝(かつ)して他(かれ)が頭(かうべ)を撃(うち)給へば。忽氷(こほり)の朝日にあふがごとくきえうせて。かの青頭巾と骨(ほね)のみぞ草葉にとゞまりける。現(げ)にも久しき念のこゝに消(せう)じつきたるにやあらん。たふときことわりあるにこそ。

 されば禅師の大徳雲の裏(うら)海の外にも聞えて。初祖(しよそ)の肉(にく)いまだ乾(かは)かずとぞ称歎(せうたん)しけるとなり。かくて里人あつまりて。寺内を清め。修理(しゆり)をもよほし。禅師を推(おし)たふとみてこゝに住しめけるより。故(もと)の密宗(みつしう)をあらためて。曹洞(さうとう)の霊場(れいぢやう)をひらき給ふ。今なほ御(み)寺はたふとく栄(さか)えてありけるとなり

貧福論(ひんふくろん)

 陸奥(むつ)の国蒲生氏郷(かまううぢさと)の家に。岡左内といふ武士(ものゝふ)あり。禄(ろく)おもく。誉(ほまれ)たかく。丈夫(ますらを)の名を関の東に震(ふる)ふ。此士(し)いと偏固(かたわ)なる事あり。富貴をねがふ心常の武扁(ぶへん)にひとしからず。倹約(けんやく)を宗(むね)として家の掟(おきて)をせしほどに。年を畳(つみ)て富昌(さか)へけり。かつ軍(いくさ)を調練(たなら)す間(いとま)には。茶味(さみ)翫香(くはんかう)を娯(たの)しまず。廰上(ひとま)なる所に許多(あまた)の金(こがね)を布班(しきなら)べて。心を和(なぐ)さむる事。世の人の月花にあそぶに勝(まさ)れり。人みな左内が行跡(ふるまひ)をあやしみて。吝嗇(りんしよく)野情(やじやう)の人なりとて。爪(つま)はぢきをして悪(にく)みけり。家に久しき男(をのこ)に黄金(わうこん)一枚(まい)かくし持ちたるものあるを聞つけて。ちかく召(めし)ていふ。崑山(こんざん)の璧(たま)もみだれたる世には瓦礫(ぐはれき)にひとし。かゝる世にうまれて弓矢とらん躯(み)には。棠谿(とうけい)墨陽(ぼくやう)の釼(つるき)。さてはありたきもの財寳(たから)なり。されど良剱(よきつるぎ)なりとて千人の敵(あた)には逆(むか)ふべからず。金の徳は天(あめ)が下の人をも従(したが)へつべし。武士たるもの漫(みだり)にあつかふべからず。かならず貯(たくは)へ蔵(をさ)むべきなり。〓(なんぢ)賎(いや)しき身の分限(ぶげん)に過たる財(たから)を得たる鳴呼(をこ)の事(わざ)なり。賞(しやう)なくばあらじとて。十両の金を給ひ。刀(かたな)をも赦(ゆる)して召(めし)つかひけり。人これを伝へ聞て。左内が金をあつむるは長啄(ちやうたく)にして飽(あか)ざる類(たぐひ)にはあらず。只当世の一竒士(きし)なりとぞいひはやしける。

 其夜左内が枕上(まくらがみ)に人の来たる音しけるに。目さめて見れば。燈台(とうだい)の下(もと)に。ちいさげなる翁の笑(ゑみ)をふくみて座(を)れり。左内枕をあげて。こゝに来るは誰(たそ)。我に粮(かて)からんとならば力量(りきりやう)の男どもこそ参りつらめ。〓がやうの〓(ほげ)たる形(さま)してねふりを魘(をそ)ひつるは。狐(きつね)狸(たぬき)などのたはむるゝにや。何のおぼえたる術(わざ)かある。秋の夜の目さましに。そと見せよとて。すこしも騒(さは)ぎたる容色(いろめ)なし。翁いふ。かく参りたるは魑魅(ちみ)にあらず人にあらず。君がかしづき給ふ黄金(わうごん)の精霊(せいれゐ)なり。年来(としごろ)篤(あつ)くもてなし給ふうれしさに。夜話(よがたり)せんとて推(おし)てまいりたるなり。君が今日家の子を賞(しやう)じ給ふに感(めで)て。翁が思ふこゝろばへをもかたり和(なぐ)さまんとて。仮(かり)に化(かたち)を見(あら)はし侍るが。十にひとつも益(やう)なき閑談(むだこと)ながら。いはざるは腹みつれば。わざとにまうでゝ眠(ねふり)をさまたげ侍る。さても富(とみ)て驕(おご)らぬは大聖(おほきひじり)の道なり。さるを世の悪(さがなき)ことばに。富(とめ)るものはかならず慳(かだま)し。富るものはおほく愚(おろか)なりといふは。晋(しん)の石崇(せきそう)唐(とう)の王元宝(わうげんほう)がごとき。豺狼(さいらう)蛇蝎(じやかつ)の徒(ともがら)のみをいへるなりけり。往古(いにしへ)に富(とめ)る人は。天の時をはかり。地の利を察(あき)らめて。おのづからなる富貴(ふうき)を得(う)るなり。呂望(りよぼう)斉(せい)に封(はう)ぜられて民に産業(なりはひ)を教(をし)ふれば。海方(うなべ)の人利に走(はし)りてこゝに来朝(きむか)ふ。管仲(くはんちう)九(こゝの)たび諸侯(しよこう)をあはせて。身は倍臣(やつこ)ながら富貴は列国(れつこく)の君に勝(まさ)れり。范蠡(はんれい)。子貢(しこう)。白圭(はつけい)が徒(ともがら)。財(たから)を鬻(ひさ)ぎ利を遂(おふ)て。巨万(こゝたく)の金(こがね)を畳(つみ)なす。これらの人をつらねて貨殖伝(くわしよくてん)を書(しる)し侍るを。其いふ所陋(いやし)とて。のちの博士(はかせ)筆を競(きそ)ふて謗(そし)るは。ふかく頴(さと)らざる人の語(ことば)なり。恒(つね)の産(なりはひ)なきは恒の心なし。百姓(おたから)は勤(つとめ)て穀(たなつもの)を出し。工匠等修(たくみらつとめ)てこれを助け。商賈(あきびと)務(つと)めて此(これ)を通(かよ)はし。おのれ/\が産(なり)を治(をさ)め家を富(とま)して。祖(みおや)を祭(まつ)り子孫(のち)を謀(はか)る外。人たるもの何をか為(なさ)ん。諺(ことわざ)にもいへり。千金の子は市に死せず。富貴(ふうき)の人は王者(わうしや)とたのしみを同じうすとなん。まことに渕(ふち)深ければ魚よくあそび。山長(なが)ければ獣(けもの)よくそだつは天(あめ)の随(まに/\)なることわりなり。只貧(まづ)しうしてたのしむてふことばありて。字を学(まな)び韻(いん)を探(さぐ)る人の惑(まどひ)をとる端(はし)となりて。弓矢とるますら雄(を)も富貴は国の基(もとゐ)なるをわすれ。あやしき計策(たばかり)をのみ調練(たねらひ)て。ものを〓(やぶ)り人を傷(そこな)ひ。おのが徳をうしなひて子孫を絶(たつ)は。財(たから)を薄(かろ)んじて名をおもしとする惑(まど)ひなり。顧(おもふ)に名とたからともとむるに心ふたつある事なし。文字てふものに繋(つな)がれて。金の徳を薄(かろ)んじては。みづから清潔(せいけつ)と唱(とな)へ。鋤(すき)を揮(ふるふ)て棄(すて)たる人を賢(かしこ)しといふ。さる人はかしこくとも。さる事(わざ)は賢(かしこ)からじ金(こがね)は七(なゝ)のたからの最(つかさ)なり。土に〓(うも)れては霊泉(れゐせん)を湛(たゝ)へ。不浄(ふしやう)を除(のぞ)き。妙(たへ)なる音(こゑ)を蔵(かく)せり。かく清(いさぎ)よきものゝ。いかなれば愚昧(ぐまい)貪酷(どんかう)の人にのみ集(つど)ふべきやうなし。今夜(こよひ)此憤(いきどほ)りを吐(はき)て年来(としごろ)のこゝろやりをなし侍る事の喜(うれ)しさよといふ。

 左内興(けう)じて席(むしろ)をすゝみ。さてしもかたらせ給ふに。富貴の道のたかき事。己(おの)がつねにおもふ所露たがはずぞ侍る。こゝに愚(おろか)なる問(とひ)事の侍るが。ねがふは祥(つばら)にしめさせ給へ。今ことわらせ給ふは。専(もはら)金の徳を薄(かろ)しめ。富貴の大業(たいきやう)なる事をしらざるを罪(つみ)とし給ふなるが。かの紙魚(しぎよ)かいふ所もゆゑなきにあらず。今の世に富るものは。十が八ッまではおほかた貪酷(どんかう)残忍(ざんにん)の人多し。おのれは俸禄(はうろく)に飽(あき)たりながら。兄弟(はらから)一属(やから)をはじめ。祖(みおや)より久しくつかふるものゝ貧(まづ)しきをすくふ事(わざ)をもせず。となりに栖(すみ)つる人のいきほひをうしなひ。他(ひと)の援(たす)けさへなく世にくだりしものゝ田畑(たばた)をも。価(あたひ)を賎(やす)くしてあながちに己(おの)がものとし。今おのれは村長(むらをさ)とうやまはれても。むかしかりたる人のものをかへさず。礼ある人の席(むしろ)を譲(ゆつ)れば。其人を奴(やつこ)のごとく見おとし。たま/\旧(ふる)き友の寒暑(かんしよ)を訪(とむ)らひ来れば。物からんためかと疑(うたが)ひて。宿にあらぬよしを応(こた)へさせつる類(たぐひ)あまた見来りぬ。又君に忠なるかぎりをつくし。父母(ふほ)に孝廉(かうれん)の聞えあり。貴(たふと)きをたふとみ。賎(いや)しきを扶(たす)くる意(こゝろ)ありながら。三冬のさむきにも一裘(きう)に起臥(おきふし)。三伏(ぶく)のあつきにも一葛(かつ)を濯(すゝ)ぐいとまなく。年ゆたかなれども朝(あした)に〓(くれ)に一椀(わん)の粥(かゆ)にはらをみたしめ。さる人はもとより朋友(ともがき)の訪(とむ)らふ事もなく。かへりて兄弟(はらから)一属(やから)にも通(みち)を塞(きら)れ。まじはりを絶(たゝ)れて。其怨(うらみ)をうつたふる方さへなく。汲(きう)/\として一生を終(おふ)るもあり。さらばその人は作業(なりはひ)にうときゆゑかと見れば。夙(つと)に起(おき)おそくふして性力(ちから)を凝(こら)し。西にひがしに走りまどふ〓蹊(ありさま)さらに閑(いとま)なく。その人愚(おろか)にもあらで才をもちうるに的(あた)るはまれなり。これらは顔子(がんし)が一瓢(へう)の味(あぢ)はひをもしらず。かく果(はつ)るを仏家(ぶつか)には前業(せんごう)をもて説(とき)しめし。儒門(じゆもん)には天命(てんめい)と教(をし)ふ。もし未来(みらい)あるときは現世(げんぜ)の陰徳(ゐんとく)善功(ぜんこう)も来世(らいせ)のたのみありとして。人しばらくこゝにいきどほりを休(やす)めん。されば富貴のみちは仏家にのみその理(ことはり)をつくして。儒門の教(をし)へは荒唐(くはうとう・とりじめなし)なりとやせん。霊(かみ)も仏の教にこそ憑(よら)せ給ふらめ。否(いな)ならば祥(つばら)にのべさせ給へ。

 翁いふ。君が問給ふは往古(いにしへ)より論(ろん)じ尽さゞることわりなり。かの仏の御法(みのり)を聞けば。富と貧(まづ)しきは前生(さきのよ)の脩否(よきあしき)によるとや。此(こ)はあらましなる教へぞかし。前生にありしときおのれをよく脩(おさ)め。慈悲(じひ)の心専(もは)らに。他人(ことひと)にもなさけふかく接(まじ)はりし人の。その善報(ぜんはう)によりて。今此生(しやう)に富貴の家にうまれきたり。おのがたからをたのみて他人(ことひと)にいきほひをふるひ。あらぬ狂言(まがこと)をいひのゝじり。あさましき夷(ゑびす)こゝろをも見するは。前生(さきのよ)の善心かくまでなりくだる事はいかなるむくひのなせるにや。仏(ふつ)菩薩(ぼさつ)は名聞(みやうもん)利要(りよう)を嫌(いみ)給ふとこそ聞きつる物を。など貧福(ひんふく)の事に係(かゝ)づらひ給ふべき。さるを富貴は前生(さきのよ)のおこなひの善(よか)りし所。貧賎(ひんせん)は悪(あし)かりしむくひとのみ説(とき)なすは。尼媽(あまかゝ)を蕩(とら)かすなま仏法ぞかし。貧福をいはず。ひたすら善を積(つま)ん人は。その身に来らずとも。子孫(しそん)はかならず幸福(さいはひ)を得(う)べし。宗廟(そうべう)これを饗(うけ)て子孫これを保(たも)つとは。此ことわりの細妙(くはしき)なり。おのれ善をなして。おのれその報(むく)ひの来るを待は直(なほ)きこゝろにもあらずかし。又悪業(あくごう)慳貪(けんどん)の人の富昌(さか)ふるのみかは。寿(いのち)めでたくその終(をはり)をよくするは。我に異(こと)なることわりあり。霎時(しばらく)聞せたまへ我今仮(かり)に化(かたち)をあらはして語(かた)るといへども。神にあらず仏にあらず。もと非情(ひじやう)の物なれば人と異(こと)なる慮(こゝろ)あり。いにしへに富る人は。天(あめ)の時に合(かな)ひ。地(くに)の利をあきらめて。産を治(をさ)めて富貴となる。これ天の随(まに/\)なる計策(たばかり)なれば。たからのこゝにあつまるも天のまに/\なることわりなり。又卑吝(ひりん)貪酷(どんこう)の人は。金銀を見ては父母のごとくしたしみ。食(くら)ふべきをも喫(くら)はず。穿(き)べきをも着(き)ず。得がたきいのちさへ惜(をし)とおもはで。起(おき)ておもひ臥(ふし)てわすれねば。こゝにあつまる事まのあたりなることわりなり。我もと神にあらず仏にあらず。只これ非情(ひじやう)なり。非情のものとして人の善悪を糺(たゞ)し。それにしたがふべきいはれなし。善を撫(なで)悪を罪(つみ)するは。天なり。神なり。仏なり。三ッのものは道なり。我ともがらのおよぶべきにあらず。只かれらがつかへ傅(かしづ)く事のうや/\しきにあつまるとしるべし。これ金(かね)に霊(れゐ)あれども人とこゝろの異(こと)なる所なり。また富て善根(ぜんごん)を種(うゝ)るにもゆゑなきに恵(めぐ)みほどこし。その人の不義をも察(あき)らめず借(かし)あたへたらん人は。善根なりとも財(たから)はつひに散(さん)すべし。これらは金の用を知(しり)て。金の徳をしらず。かろくあつかふが故(ゆゑ)なり。又身のおこなひもよろしく。人にも志誠(まごゝろ)ありながら。世に窮(せばめ)られてくるしむ人は。天蒼氏(てんそうし)の賜(たまもの)すくなくうまれ出たるなれば。精神(せいしん)を労(らう)しても。いのちのうちに富貴を得る事なし。さればこそいにしへの賢(かしこ)き人は。もとめて益(やう)あればもとめ。益なくばもとめす。己(おの)がこのむまに/\世を山林にのがれて。しづかに一生を終(をは)る。心のうちいかばかり清(すゞ)しからんとはうらやみぬるぞ。かくいへど富貴のみちは術(わざ)にして。巧(たくみ)なるものはよく湊(あつ)め。不肖(せう)のものは瓦(かはら)の解(とく)るより易(やす)し。且(かつ)我ともがらは。人の生産(なりはひ)のつきめぐりて。たのみとする主(ぬし)もさだまらず。こゝにあつまるかとすれば。その主(ぬし)のおこなひによりてたちまちにかしこに走(はし)る。水のひくき方にかたふくがごとし。夜に昼にゆきくと休(やむ)ときなし。たゞ閑人(むだびと)の生産(なりはひ)もなくてあらば。泰山(たいさん)もやがて喫(くひ)つくすべし。江海(ごうかい)もつひに飲(のみ)ほすべし。いくたびもいふ。不徳(ふとく)の人のたからを積(つむ)は。これとあらそふことわり。君子(くんし)は論(ろん)ずる事なかれ。ときを得たらん人の倹約(けんやく)を守りついえを省(はぶ)きてよく務(つと)めんには。おのづから家富人服(ふく)すべし。我は仏家の前業(ぜんごう)もしらず。儒門(しゆもん)の天命にも抱(かゝ)はらず。異(こと)なる境(さかひ)にあそぶなりといふ。

 左内いよ/\興(けう)に乗(ぜう)じて。霊(れゐ)の議論(きろん)きはめて妙(めう)なり旧(ひさ)しき疑念(うたかひ)も今夜(こよひ)に消(せう)じつくしぬ。試(こゝろみ)にふたゝび問(とは)ん。今豊臣(とよとみ)の威風(ゐふう)四海を靡(なみ)し。五畿七道漸(やゝ)しづかなるに似たれども。亡国(ばうこく)の義士彼此(をちこち)に潜(ひそ)み竄(かく)れ。或は大国の主(ぬし)に身を托(よせ)て世の変(へん)をうかゞひ。かねて志(こころさし)を遂(とげ)んと策(はか)る。民も又戦国(せんこく)の民なれば。耒(すき)を釈(すて)て矛(ほこ)に易(かえ)。農事(なりはひ)をことゝせず。士たるもの枕を高くして眠(ねむ)るべからず。今の躰(さま)にては長く不朽(きう)の政(まつりごと)にもあらじ。誰か一統(とう)して民をやすきに居(をら)しめんや。又誰にか合(くみ)し給はんや。翁云。これ又人道なれば我しるべき所にあらず。只富貴をもて論ぜは。信玄(しんげん)がごとく智謀(はかりこと)は百(もゝ)が百的(あた)らずといふ事なくて。一生の威(ゐ)を三国に震(ふる)ふのみ。しかも名将の聞えは世挙(こぞ)りて賞(しやう)ずる所なり。その末期(まつご)の言(ことば)に。当時信(のぶ)長は果報(くははう)いみじき大将なり。我平生(つね)に他(かれ)を侮(あなど)りて征伐(せいばつ)を怠(をこた)り此疾(やまひ)に係(かゝ)る。我子孫も即(やがて)他(かれ)に亡(ほろぼ)されんといひしとなり。謙信(けんしん)は勇将(ゆうしやう)なり。信玄(しんげん)死(しゝ)ては天(あめ)が下に対(つい)なし。不幸(かう)にして遽死(はやくみまか)りぬ。信長の器量(きりやう)人にすぐれたれども。信玄の智に及(しか)ず。謙信の勇に劣(おと)れり。しかれども富貴を得て天が下の事一回(たび)は此人に依(よざ)す。任(にん)ずるものを辱(はづか)しめて命(いのち)を殞(おと)すにて見れば。文武を兼(かね)しといふにもあらず。秀吉(ひでよし)の志(こゝろさし)大(おほい)なるも。はじめより天地(あめつち)に満(みつ)るにもあらず。柴田(しばた)と丹羽(には)が富貴をうらやみて。羽柴(はしば)と云氏(うち)を設(まうけ)しにてしるべし。今龍(りやう)と化(け)して太虚(みそら)に昇(のぼ)り池中(ちちう)をわすれたるならずや。秀吉龍と化したれども蛟蜃(かうしん)の類(たぐひ)也蛟蜃の龍と化したるは。寿(いのち)わづかに三歳(みとせ)を過ずと。これもはた後なからんか。それ驕(おごり)をもて治(をさめ)たる世は。往古(いにしへ)より久しきを見ず。人の守るべきは倹約(けんやく)なれども。過るものは卑吝(ひりん)に陥(おつ)る。されば倹約と卑吝の境(さかひ)よくわきまへて務(つと)むべき物にこそ。今豊臣(とよとみ)の政(まつりごと)久しからずとも。万民(ばんみん)和(にぎ)はヽしく。戸々(こゝ)に千秋楽を唱(うた)はん事ちかきにあり。君が望(のぞみ)にまかすべしとて八字の句を諷(うた)ふ。そのことばにいはく

  尭〓日杲(ぎやうめいひにあきらかに)  百姓帰家(ひやくせいいへによる)

数言(すげん)興(けう)尽(つき)て遠寺(えんじ)の鐘(かね)五更(かう)を告(つぐ)る。夜既(すで)に曙(あけ)ぬ。別(わか)れを給ふべし。こよひの長談(ながものがたり)まことに君が眠(ねむ)りをさまたぐと。起(たち)てゆくやうなりしが。かき消(けし)て見えずなりにけり。

 左内つら/\夜もすがらの事をおもひて。かの句を案(あん)ずるに。百姓(ひやくせい)家に帰(き)すの句粗(ほゞ)其意(こゝろ)を得(え)て。ふかくこゝに信(しん)を発(おこ)す。まことに瑞草(ずいさう)の瑞あるかな

雨月物語五之巻大尾

 安永五歳丙申孟夏吉旦

            寺町通五条上ル町

         京都      梅村判兵衛

    書肆

            高麗橋壱町目

         大坂      野村長兵衛