十六  奸(かん)〈○ワルモノ〉を鋤(すき)冤(べん)〈○ムジツノツミ〉を雪(きよ)む大團圓(だいだんゑん)

そのとき山田(やまだの)三郎光政(みつまさ)は。木刀(きだち)の音(おと)を聞(きゝ)てふかく怪(あやし)み。思ひきや正木(まさき)樵(こ)る斧(おの)の

響(ひゞき)ならで。かゝる山中(さんちう)に。劍法(けんじゆつ)をまなぶ人のあらんとは。とひとりこち。いと心憎(にく)く

思ひしかば。葛(くず)の根(ね)にとりつき。藤蔓(ふぢかつら)に携(すが)り。からうじて其処(そのところ)にゆきてみるに。

夥(あまた)の天狗(てんぐ)あつまりて。劍法(けんじゆつ)を試(こゝろみ)るなりけり。光政(みつまさ)いよゝ怪(あやし)みながら。なか/\に立(たち)も

かへれず。しばし見物してありければ。天狗(てんぐ)どもみかへりて大に怒(いか)り。者奴(しやつ)われ/\

に憚(はゞか)る気色(いろ)もなく。却(かへつ)て嘲哢(あざけりわらふ)にこそ。憎(にくみ)てもなほ憎(にく)むべけれ。いで暴慢(ぼうまん)の鼻柱(はなばしら)。打拗(うちひしい)でくれんずと罵(のゝし)り。左右(ひだりみぎ)より打(うつ)てかゝるを。光政(みつまさ)かい潜(くゞり)つゝ木刀(きたち)

を奪(うばい)て。忽地(たちまち)に打(うち)たふせば。こはいひがひなしといきまきて。皆(みな)むら/\と走(はし)りかゝる

を。光政(みつまさ)これを物(もの)ともせず。前(まへ)に柱(さゝへ)後(うしろ)に佛(はら)ひ。野馬(やば)〈○カギロヒ〉のごとく閃(ひらめ)き。雪花(せつくは)〈○ユキヒラ〉のごとく飛(とび)

かゝり。事(こと)を盡(つく)して戦(たゝかひ)けり。浩処(かゝるところ)に。木立(こだち)の隈(くま)より物(もの)の声(こゑ)して。おの/\同士討(どしうち)

すべからずと呼(よび)とめつゝ揺(ゆる)ぎ出(いづ)るを。光政(みつまさ)佶(きつ)とみかへれば。形(かたち)は天狗(てんぐ)なれども。

面(おもて)はまがふべうもあらぬ松稚丸(まつわかまる)にて。粟津(あはづの)六郎赤塚軍介(あかづかのぐんすけ)もおなじ容(さま)なる

打扮(いでたち)して。左右(さゆう)に従(したが)ひ。もらめなる石(いし)の上(うへ)に藁圓座(わらゑんざ)しかして居(ゐ)ならべば。夥(あまた)の

天狗(てんぐ)ども一帯(ひとかは)に引退(ひきらぞ)きてふたゝび敵(てき)せず。かけたる假面(めん)を脱捨(ぬぎすつ)れば。みな一般(いちよう)の

この書天狗を談することすべて三たびしかれどもみな真物にあらずこれ作者一番の脚色

又云光政がはやく松稚を認得(みしりえ)たるは勝久軍介が左右小侍立するをもつてなり

壮士(わかもの)也。光政(みつまさ)はこの景迹(ありさま)をみて。〓(単+辰)然(から/\)とうち笑(わら)ひ。木刀(きだち)を投(なげ)すて。松稚丸(まつわかまる)の

ほとりちかく参(まい)り。その恙(つゝが)なきをよろこび聞(きこ)え。且(かつ)異(あやし)き打扮(いでたち)し給へる。縁由(ことのもと)

を問奉(とひたてまつ)れは。松稚丸(まつわかまる)宣(のたま)ふやう。われ父(ちゝ)の仇(あた)盛景(もりかげ)父子(ふし)を討(うた)ん為(ため)に。ふかくこの

山中(さんちう)に躱(かく)れ。をり/\樵夫(きこり)漁師(かりびと)の。物(もの)の用(よう)にたつべきをえらみて。竊(ひそか)にこれ

を相語(かたらひ)。既(すで)にその徒(ともがら)十餘人(よにん)に及(およ)べり。しかれども。彼等(かれら)は膂力(ちから)の人に勝(すぐ)れたる

のみにて。劍法(けんじゆつ)をしらず。こゝをもて粟津(あはづの)六郎。赤塚軍介(あかつかのぐんすけ)と。かはる/\に件(くだん)の

徒(ともがら)に劍法(けんじゆつ)を教(をしふ)るに。今(いま)に至(いたつ)ては。藝術(げいじゆつ)やゝ熟(じゆく)せり。さは央(なかば)にして事(こと)の〓(人+曳)(もれ)ん事

を怕(おそ)れ。いぬる年(とし)比叡(ひえ)の辻(つぢ)にて。軍介(ぐんすけ)が天狗(てんぐ)とみせて。われを救(すく)ひたる吉

例(よきためし)に做(なら)ひ。おの/\天狗(てんぐ)に打扮(いでたゝ)せて。世(よ)の疑(うたがひ)を避(さく)るものなり。夫(それ)萬卒(ばんそつ)は得易(えやす)

く。一将(いつせう)は得難(えがた)し。今はからず光政(みつまさ)こゝに来(き)たるを。歓(よろこ)ぶべし/\と宣(のたま)へば。粟津(あはづの)六郎軍介(ぐんすけ)等(ら)も。彼(かれ)を問(とひ)。我(われ)を語(かた)りて。別後(べつご)の會語(くわいは)。一朝(いつちやう)に盡(つく}})すべうもあらず。

山田三郎比良嶽(ひらがたけ)

にてあまたの天狗(てんぐ)と

闘劍法(たちあはせ)してはからず

も松稚丸(まつわかまる)粟津(あはづの)

六郎軍介(ぐんすけ)

們(ら)にめぐり

あふ

光政(みつまさ)はわが身(み)病(やまひ)おかされて。梅稚丸(うめわかまる)の臨終(りんじう)にあはざりし遺憾(いかん)〈○ノコリオシサ〉はさら也。すべて

妙亀尼(みやうきに)。浮草(うきくさ)が物(もの)がたりに聞(きけ)りし。一件(ひとくだり)の事を申出(まうしいで)て。君臣(くんしん)僚友(りやうゆう)〈○ホウハイ〉懐舊(くわいきう)に

堪(たへ)ず。十餘人(よにん)の徒(ともがら)もひとり/\に名告(なのり)あひて。おの/\水魚(すいぎよ)のおもひをなしぬ。

しかるに今茲(ことし)承久(じようきう)三年五月のなかばより。世(よ)の中(なか)猛(にはか)に乱(みだ)れて三院(さんいん)〈後鳥羽(ごとば)。土御門(つちみかど)。順徳(じゆんとく)〉

二宮(にきう)〈六條(ろくでふ)ノ宮(みや)冷泉宮(れいぜいのみや)〉遠(とふ)き島々(しま/\)に遷(うつ)され給ふ。縁故(ことのもと)を尋(たづぬ)れば。後鳥羽上皇(ごとばのじようくわう)。近曽(ちかごろ)白拍子(しらびやう)

亀鞠(かめきく)を御寵愛(ごちやうあい)のあまり。摂津國(せつゝのくに)長江(ながえ)倉橋(くらはし)の両荘(りやうしよう)を下(くだ)されけり。しかれど

も。地頭(ぢとう)これを明(あけ)わたさず。亀鞠(かめきく)ふかく憤(いきどほ)りて。頻(しきり)に歎(なげ)き申せしかば。一院(いちいん)〈後鳥羽(ごとば)〉関

東(くわんとう)に仰遣(おふせつかは)され。いそぎ改易(かいゑき)すべきよしを制度(さた)せさせ給ふに。義時(よしとき)朝臣(あそん)申けるは。

地頭職(ぢとうしよく)の事(こと)。上右(いひしへ)はなかりしを。故(こ)右大将家(うだいせうけ)〈頼朝(よりとも)〉平家(へいけ)追討(ついとう)の勧賞(けんしよう)に。日本國(につぽんこく)

の総追捕使(そうついぶし)に補(ふ)せられ。平家(へいけ)追討(ついとう)六箇年(ろくかねん)の間(あはひ)。親(おや)を討(うた)せ子(こ)を撃(うた)せ。或(あるひ)は

従者(ずさ)を損(そん)ぜられて。忠勤(ちうきん)を勵(はげ)みつるものどもの勲功(くんこう)に随(したがつ)て。分(わか)ち賜(たまは)りた

る領地(りやうち)なるを。義時(よしとき)がはからひとして。改易(かいゑき)すべきやうなしと。申て従(したが)ひ奉(たてまつ)らず。

一院(いちいん)いよゝ安(やす)からず思食(おぼしめし)けるを。亀鞠(かめきく)さま/\に申て。とかく義時(よしとき)一家(いつけ)を滅(ほろぼ)し。妾(せう)

が父(ちゝ)赤石判官盛景(あかしのはんぐわんもりかげ)を武家(ぶけ)の棟梁(とうりやう)となし給はゞ。天下(あめがした)の事。よろづ御(み)こゝろに稱(かな)

へせ給はざることは侍(はべ)らしとて。強(しひ)て申すゝめ奉(たてまつ)りし程(ほど)に。一院(いちいん)御(み)こゝろ決(けつ)し。廷射(ていゐ)

盛景(もりかげ)に仰(おふせ)て。在京(ざいきやう)の武士(ぶし)を相語(かたらは)し。又國々(くに/\)の兵士(つはもの)を召(めさ)れけり。盛景(もりかげ)ははや

天下(てんか)の執権職(しつけんしよく)にも補(ふ)せられたる心持(こゝち)して。恍惚(くわうこつ)と走(はし)りまはり。誰渠(たれかれ)が家(いへ)に

ふきむかつて計議(けいぎ)をなすに。在京(ざいきやう)の武士(ぶし)は。盛景(もりかげ)が奸佞(かんねい)なるを憎(にく)み思ふといへ

ども。院宣(いんせん)迯(のが)るゝ所(ところ)なくて。召(めし)に應(おう)ずるもの多(おふ)し。さらばまづ光季(みつすゑ)を討(う)て

とて。京都(きやうと)の守護(しゆご)。伊賀判官光季(いがのはんぐわんみつすゑ)が。京極(きやうごく)高辻子(たかつじ)なる家(いへ)を攻(せめ)さし給ふに。

光季(みつすゑ)終(つひ)に討(うた)れけり。この光季(みつすゑ)は。義時(よしとき)朝臣(あそん)無二(むに)の人とたのみ思ひて。京都(きやうと)の

守護(しゆご)に居(すえ)おかれしを。一院(いちいん)忽地(たちまち)に討(うた)せ給ひしかば。事(こと)既(すで)に鎌倉(かまくら)に聞(きこ)えて。衆

議(しゆぎ)区々(まち/\)なり。しかれども義時(よしとき)朝臣(あそん)は。さわぎたる気色(けしき)もなく。相模守(さがみのかみ)時房(ときふさ)〈義時弟(よしときおとゝ)〉

武蔵守(むさしのかみ)泰時(やすとき)〈義時子(よしときこ)〉を両大将(りやうたいせう)と定(さだ)め。東軍(とうぐん)数(す)十万騎(き)を起(おこ)して。これを三手(みて)

に分(わか)ち。五月廿二日の暁方(あけかた)に。洛(みやこ)を望(さし)て推行(おしゆか)しむ。かゝりしかば五月晦日(みそか)より諸所(しよ/\)

の合戦(たゝかひ)はじまりて。京方(きやうかた)散々(さん”/\)に敗北(はいぼく)し。大炊(おほゐ)の渡(わたり)。株瀬川(くひせかは)。蒲原(かんはら)の殺所(せつしよ)をも

阿容々々(おめ/\)と攻破(せめやぶ)られ。六月九日には。宇治(うぢ)川をも輒(たやすく)渡(わた)されて。東軍(とうぐん)既(すで)に洛(みやこ)に

入(い)ると聞(きこ)えたり。こゝに吉田松稚丸(よしだのまつわかまる)は。今度(こんど)の合戦(たゝかひ)京方(きやうかた)忽地(たちまち)利(り)をうしなひて。

事(こと)難義(なんぎ)に及(およ)べるよしを傳(つた)へ聞(きゝ)。大に驚(おどろ)きて。粟津(あはつ)山田(やまだ)赤塚(あかづか)すべての黨(ともから)を

集會(つどへ)。父(ちゝ)の先見(せんけん)違(たが)はずして。禍(はざわひ)〓(艸+粛)牆(しよう/\)の下(もと)より起(おこ)り。朝家(ちやうか)の御大事(おんだいじ)此(この)ときに

あり。松稚(まつわか)〓(來+力)勘(ちよくかん)の身(み)なりとも。推参(すいさん)して君(きみ)の御先途(ごせんど)をみたてまつり。仇人(かたき)

盛景(もりかげ)父子(ふし)を撃(うつ)て。忠孝(ちうこう)両(ふたつ)ながら全(まつたう)せんと欲(ほつ)す。誘(いざ)いそげとて。とるものも取(とり)

あへず。手勢(てぜい)僅(はづか)に十餘人(よにん)。主従(しゆうじう)素肌(すはだ)歩立(かちだち)にて。近江路(あふみぢ)より打(うつ)て出(いで)。三條

河原(さんでうかはら)に走著(はせつけ)たり。このとき日もやゝ西山(にしやま)に没(いり)にければ。松稚(まつわか)主従(しゆうじう)は。四辻(よつゝぢ)の御

所(ごしよ)へや参(まい)らん。又敵軍(てきぐん)にや懸(かゝら)んとて。議(ぎ)する折しも。京家(きようけ)の落武者(おちむしや)とおぼしきが。十騎(き)あまり。立足(たつあし)もなく迯来(にげきた)れり。是(これ)則(すなはち)別人(べつじん)にあらず。赤石平九郎判

宦盛景(あかしへいくらうはんぐわんもりかげ)主従(しゆうじう)なり。この盛景(もりかげ)。不義(ふぎ)の栄利(ゑいり)のみ思ひはかりて。女児(むすめ)亀鞠(かめきく)とゝもに。只顧(ひたすら)一院(いちいん)に

御陰謀(ごいんぼう)をすゝめ奉(たてまつ)り。北條氏(ほうでううぢ)を滅(ほろぼ)して。おのれ天下(てんか)の執権(しつけん)たらんと較計(もくろみ)しが。

京方(きやうがた)毎度(まいど)敗軍(はいぐん)して。宇治(うぢ)川の防禦(ぼうぎよ)かなはねば。盛景(もりかげ)は猛(にはか)に事(こと)の出来(いでき)しごとく周章(あはてふためき)て。

四辻殿(よつゝぢどの)へも参(まい)らず。戦場(せんじよう)より逐電(ちくてん)して。家(いへ)を喪(うしな)ふ狗(いぬ)。網(あみ)を漏(も)る魚(うを)に異(こと)なら

ず。只(たゞ)一足(ひとあし)も落延(おちのび)んとて。罵(のゝし)りあひて来(きた)れる也。松稚(まつわか)主従(しゆうじう)はこれ仇人(かたき)盛景(もりかげ)な

りとみてければ。咄(どつ)と〓(口+畫)(おめい)て遮(さへぎ)り畄(とめ)。一騎(いつき)も漏(も)らさず討(うち)とりて。矢庭(やには)に盛景(もりかげ)を

生拘(いけどり)。松稚(まつわか)は刀(かたな)をその胸前(むなさき)に突(つき)つけて。彼(かれ)が年来(としごろ)の隠慝(あくじ)を責問(せめとひ)給ふに。盛景(もりかげ)

終(つひ)に匿(かく)すことを得(え)ず、。影(かげ)の江(え)にて伊庭(いばの)十郎を欺(あざむ)き殺(ころ)せしをはじめとして。

白川山(しらかはやま)の假鬼(にせゆうれい)はさら也。しば/\惟房(これふさ)朝臣(あそん)を讒言(ざんげん)し。且(かつ)源五(げんご)が内通(ないつう)によつて。

是非(ぜひ)を問(とは)ずして彼(かの)人(ひと)を殺(ころ)し。今度(こんど)一院(いちいん)に申すゝめて。義時(よしとき)朝臣(あそん)を滅(ほろぼ)し。

おのれ天下(てんか)の執権(しつけん)たらんと望(のぞめ)る事に至(いた)るまで。父子(ふし)の奸計(かんけい)悉(ごと”/\)く白状(はくでう)す。松稚(まつわか)

聞(きゝ)て刀(かたな)を放(ゆる)べ。われなほ〓(來+力)勘(ちよくかん)の身(み)なるをもて。こゝに汝(なんぢ)を殺(ころ)さず。本院(ほんいん)の御所(ごしよ)

〈四辻殿〉に引(ひき)ゆきて。縁由(ことのよし)を聞(きこ)えあげ。父(ちゝ)が忠死(ちうし)の顛末(てんまつ)を申諦(もしあきら)め。御免(みゆるし)を得(え)て後(のち)に

仇(あた)を報(むく)ふべし。とく/\這奴(しやつ)を引立(ひきたて)よと下知(げぢ)しつ。主従(しゆうじう)頻(しきり)に路(みち)をいそがし。四辻殿(よつゝぢどの)

へ参(まい)り給ふ。抑(そも/\)三條河原(さんでうかはら)にて松稚(まつわか)主従(しゆうじう)に撃(うた)れたる盛景(もりかげ)が十餘騎(よき)の従卒(じうそつ)は。

去年(こぞ)の春(はる)惟房(これふさ)朝臣(あそん)滅亡(めつぼう)のとき。松井源五(まつゐのげんご)に語(かたら)はれ。斑女前(はんによのまへ)を搦捕(からめと)らんとて

鬩(ひしめき)たる吉田(よしだ)の家隷(いへのこ)なり。神明(しんめい)その不義(ふぎ)を憎(にく)みて。こゝにその舊(もと)の主君(しゆくん)に

誅(ちう)さし給へり。天綱(てんこう)恢々(くわい/\)疎(そ)にして漏(もら)さずとは。これらをやいふべきとて。聞(き)くへ

舌(した)を掉(ふるひ)けり。さても四辻(よつゝぢ)の御所(ごしよ)には。東軍(とうぐん)洛中(らくちう)に乱入(らんにう)すと聞(きこ)えし程(ほど)に。一院(いちいん)〈後鳥羽〉

大に驚(おどろ)き給ひて。その夜(よ)さり鳥羽殿(とばどの)へのらせ給ふべきよしを仰(おふせ)て。慌(あはたゝ)しく腰

輿(ようよ)にめされ。御共(おんとも)の殿上人(でんしようびと)には。出羽前司重房(ではのぜんししげふさ)。内蔵権頭清範(くらのごんのかみきよのり)。女房(にようぼう)には伊賀局(いがのつぼね)。

白拍子(しらひやうし)亀鞠(かめきく)。この四人の外(ほか)には。従(したが)ひ奉(たてまつ)るものもなし。姑射仙宮(こやせんきう)の玉(たま)の床(とこ)も。けふ

を限(かぎり)かとみかへらせ給ひて。叡慮(えいりよ)も殊(こと)に安からず。東洞院(ひがしのとい)を下(くだ)りに御幸(みゆき)

なしまゐらせすれば。朝夕(あさゆふ)に出(いで)ましける。七條殿(しちでうどの)の軒端(のきば)を外(よそ)ながらゆき/\て。やゝ

〓道(つのみち)を過(よぎ)り給へば。誰(だれ)とはしらず兵士(つはもの)十人あまり。松明(たいまつ)をふりてらし。御迹(おんあと)慕(したふ)

て走参(はせまい)れり。一院(いちいん)遙(はるか)に御覧(ごらん)ありて。あれは何ものならんと問(とは)せ給ふに。みな赤

石判宦(あかしのはんぐわん)にもや給はんと申す。一院(いちいん)聞食(きこしめし)て。げにかゝるときに。一方(いつほう)を切脱(きりぬけ)て走参(はせまい)

らんものは。盛景(もりかげ)が外(ほか)にありとも覚(おぼえ)すと宣(のたま)ひて。

  迷(まよ)ひ出る世(よ)はくら闇(やみ)と思ひしか月(つき)は赤石(あかし)の浦(うら)に来(き)いけり

とあそばしければ。亀鞠(かめきく)

  月影(つきかげ)はさこそ赤石(あかし)の浦(うら)なれど雲井(くもゐ)の秋(あき)はなほも恋(こひ)しき。

とよみも果(はて)ざる処(ところ)に。彼(かの)兵士(つはもの)ちかく走参(はせまい)り。一人(ひとり)の弱宦(わかもの)真先(まつさき)にすゝみ出(いで)て

御輿(おんこし)の前(さき)に頓首(とんしゆ)し。謹(つゝしん)で申けるは。臣(しん)は吉田少将惟房(よしだのしよう/\これふさ)が嫡子(ちやくし)松稚丸(まつわかまる)な

り。かしこけれど君(きみ)至尊(しそん)の玉體(ぎよくたい)をもて。賤(いやし)きものに肩(かた)を比(くらべ)。膝(ひさ)を組(くむ)を楽(たのしみ)と

し給ひ。后妃(こうひ)采女(うねめ)のやんごとなきを閣(おか)せ給ひて。白拍子(しらひやうし)を御寵愛(ごちやうあい)まし/\。

聖王(せいわう)の直(ちよく)なる政(まつりこと)に背(そむ)きて。頻(しきり)に武藝(ぶげい)を好(このま)せ給ひ。侫人(ねいじん)盛景(もりかげ)。淫婦(いんふ)亀

鞠(かめきく)が舌頭(ぜつとう)に迷(まどは)されて。忠臣(ちうしん)を害(がい)し。剩(あまつさへ)功(こう)ありて罪(つみ)なき武臣(ぶしん)を滅(ほろぼ)さんと

企(くはだて)おぼせしかは。天照大神(あまてらすおほんかみ)の御葉(みすへ)として。却(かへつて)天神(あまつかみ)地祗(くにつかみ)に損(すて)られ。日本(につほん)國中(こくちう)

に。御身(おんみ)をおかせ給ふ処(ところ)もなきがごとくにならせ給ひぬ。臣(しん)が父(ちゝ)これを〓((阡-千)+占)(あやぶ)み思ふ

故(ゆへ)に。しば/\諫(いさめ)たてまつりしかど用(もちひ)られず。已(やむ)ことを得(え)ず亀鞠(かめきく)を殺(ころ)して。君(きみ)

の為(ため)に殃(わざはひ)の根(ね)断(たゝ)んとするに事成(な)らず。盛景(もりかけ)父子(ふし)おのれが奸悪(かんあく)の發覚(あらはれ)ん

事を怕(おそ)れ。その是非(ぜひ)を問(とは)ずして。當坐(たうざ)に惟房(これふさ)を誅(ちう)し畢(をはん)ぬ。こゝをもて惟房(これふさ)

は忠心(ちうしん)を抱(いだき)て却(かへつて)逆臣(ぎやくしん)とせられ。臣等(しんら)が身(み)に及(および)て追捕(ついふ)厳重(げんぢう)なりき。しかれ

ども父(ちゝ)が忠死(ちうし)の顛末(てんまつ)を申諦(まうしあきらめ)ん為(ため)に。一旦(いつたん)深山(しんざん)に脱(のが)れてやうやく性命(せいめい)を

たもち。今度(こんど)の合戦(たゝかひ)。宦軍(くわんぐん)遂(つひ)に敗(やぶ)れたりと聞(きゝ)てふかく驚(おどろ)き。〓(來+力)勘(ちよくかん)の身(み)た

りといへども推参(すいさん)して。君(きみ)の先途(せんど)をみたてまつり。父(ちゝ)が寸忠(すんちう)を全(まつたう)せまほしく

て。俄頃(にはか)に走参(はせまい)る折(をり)しも。三條河原(さんでうかはら)にて盛景(もりかげ)主従(しゆうじう)が落(おち)ゆくを生拘(いけど)り。こ

れを責問(せめとふ)に彼(かれ)父子(ふし)が年来(としころ)の奸悪(かんあく)。審(つまびらか)に白状(はくでう)せり。原(もと)盛景(もりかげ)は。平行盛(たひらのゆきもり)

が遺腹子(わすれかたみ)に。行稚(ゆきわか)と呼(よば)れしものにて。臣(しん)が祖父(おほぢ)卜部惟通(うらべのこれみち)。彼(かれ)が命乞(いのちごひ)して。

叡山(えいざん)月林寺(ぐわつりんじ)に登(のぼ)し。軈(やが)て祝髪(しくはつ)なさしむといへども。身(み)の行(おこなひ)よからず。彼(かの)山(やま)を逐電(ちくでん)して。信濃國(しなのゝくに)に住人(ぢうにん)。仁科盛遠(にしなもりとほ)が猶子(ゆうし)と稱(せう)し。仁科平九郎盛

景(にしなへいくらうもりかげ)と名告(なのり)て。鎌倉(かまくら)に奉公(ほうこう)し。その後(のち)科(とが)あつて彼(かの)地(ち)を追放(おひはな)され。程(ほど)

経(へ)て洛(みやこ)へ上(のぼ)れり。又(また)盛景(もりかげ)が不葉子(ふけうのこ)に。忍(しのぶ)の總太(そうだ)といふ悪徒(わるもの)あり。去年(きよねん)三月

十五日。臣(しん)が弟(おとゝ)梅稚丸(うめわかまる)。武蔵(むさし)下總(しもふさ)の堺(さかい)なる。墨田川(すみだかは)の上(ほとり)にて。彼(かの)總太(そうだ)に

打殺(うちころ)さる。臣(しん)その日神明(しんめい)の郷導(みちびき)を得(え)て。立地(たちどころ)に總(そう)太を殺(ころ)し。弟(おとゝ)の

仇(あた)に報(むく)ひ給ひき。抑(そも/\)盛景(もりかげ)父子(ふし)三人の暴悪(ぼうあく)。更(さら)に比(たぐ)ふべきにものなし。その

二三をいはゞ。如此々々(しか”/\)なり。箇様々々(かやう/\)なりとて。伊庭(いばの)十郎を殺(ころ)せし事。白

川山(しらかはやま)假鬼(にせゆうれい)の事。總太(そうだ)が夥(あまた)の女子(をなご)を畧(かどはかし)賣(うり)たる事。盛景(もりかげ)おのれが栄利(ゑのり)のみ

おもひはかり。亀鞠(かめきく)と示(しめし)あはして。頻(しきり)に御陰謀(ごいんぼう)を申すゝめし事。すべて白状(はくでう)

の趣(おもむき)悉(こと”/\)く聞(きこ)えあげ。又申すやう。君(きみ)はじめて亀鞠(かめきく)を召(めさ)るゝとき。惟房(これふさ)龍顔(りうがん)

を犯(おか)して諫(いさめ)たてまつりしかど聴(きゝ)給はず。しかるに惟房(これふさ)は。亀鞠(かめきく)が父(ちゝ)を行稚(ゆきわか)

なりとしりながら。速(すみやか)に申断(まうしことわら)ざりけるは。孝(こう)と義(ぎ)の二ツに絆(ほだ)されたる。一時(いちし)の

迷(まど)ひに似(に)たれども。盛景(もりかげ)先非(せんひ)を悔(くひ)て。舊(もと)の沙門(しやもん)とならんには。ふかく咎(とがむ)

べき條(すぢ)なしと思ひて黙止(もだ)せしを。君(きみ)はやく取用(しゆよう)まし/\て。剰(あまつさへ)判官(はんぐわん)にな

されし程(ほど)に。小人(しようじん)忽地(たちまち)に時(とき)を得(え)て。惟房(これふさ)いよゝ告奉(つげたてまつ)ることを得(え)ず。さるにとつて

惟房(これふさ)は。身(み)死(し)して乱逆(らんぎやく)の悪名(あくみやう)を得(えん)ことを厭(いとは)ず。亀鞠(かめきく)盛景(もりかげ)を殺(ころ)して。天下(てんか)

の禍(わざはひ)を除(のぞ)かんと謀(はか)りけるは。盛景(もりかげ)父子(ふし)恩(おん)を禀(うけ)て報(むく)ふに仇(あた)をもてすれば

なり。その不忠(ふちう)不義(ふぎ)枚挙(かぞへあぐ)るに遑(いとま)あらず。ねがはくは仰(おふせ)を承(うけ)て盛景(もりかげ)か首(かうべ)

を刎(はね)給べしと申て。粟津(あはづの)六郎山田(やまだの)三郎に下知(げぢ)して。縲継(なはひきたる)まゝにて。盛景(もりかげ)

を引出(ひきいだ)させしかば。松稚(まつわか)が申ところ。悉(こと”/\)く思食(おぼしめし)當(あた)らせ給ふことのみなるに。已(やむ)ことを

得(え)給はず盛景(もりかげ)を誅(ちう)すべきよしを仰(おほ)すれば。松稚(まつわか)欣然(きんぜん)としてやがて盛景(もりかげ)

が首(かうべ)を刎(はね)。太刀(たち)の刀尖(きつさき)につらぬきて。軍介(ぐんすけ)にもたし。又申すやう。既(すで)に盛景(もりかげ)

を誅(ちう)し了(をはる)といへども。なほ亀鞠(かめきく)あり。彼(かれ)は君(きみ)を迷(まどは)し國(くに)を乱(みだ)る。その罪(つみ)

承久(ぜうきう)の播乱(はんらん)に

松稚丸(まつわかまる)は盛景(もりかげ)亀

鞠(かめきく)を討(うつ)て父(ちゝ)の冤(あた)を

雪(きよ)め且(かつ)仙輿(せんよ)に従(したがつ)て

隠岐(おき)の國(くに)へおもむく

蘇妲妃(そだつき)。楊大真(ようだいしん)に勝(まさ)れり。しかれば馬〓(山+鬼)驛(ばくわいのえき)の故事(ふること)に做(な)らひ。ふたゝび仰(おふせ)

を承(うけ)て亀鞠(かめきく)が首(かうべ)を刎(はね)。これを東軍(とうぐん)にしめして。義時(よしとき)を寛(なだめ)給べしと申

す。一院(いちいん)は。その事いと難義(なんぎ)に思食(おぼしめし)て。何とも仰出(おふせいだ)さるゝ事なかりけるを。

松稚丸(まつわかまる)なほ理(ことはり)を盡(つく)して。斬(き)らんと請(こ)ふを頻(しきり)なれば。出羽前司重房(ではのぜんししげふさ)。

内蔵権頭清範(くらのごんのかみきよのり)等(ら)。もろともに申勧(まうしすゝむ)るによつて。やうやく松稚(まつわか)がまうす

旨(むね)にまうせ給ふよしを仰(おふせ)ける。亀鞠(かめきく)はこの景迹(ありさま)をみて。歯(は)を切(くひしば)り。竊(ひそか)

に夕告(ゆふつげ)の懐劍(くわいけん)を抜(ぬき)かけて。君(きみ)を刧(おびやか)しまゐらせ。身(み)の危窮(きゝう)を脱(のが)れば

やと思へども。たえて色(いろ)にも顕(あらはさ)ず。御名残(おんなごり)を惜(をし)み奉(たてまつ)るおもゝちして。

玉體(ぎよくたい)に近(ちか)つかんとするに。忽地(たちまち)その懐(ふところ)に声(こゑ)ありて。鶏(とり)の音(ね)高(たか)く聞(きこ)えし

かば松稚(まつわか)吐嗟(あはや)と跳(おどり)かゝつて。亀鞠(かめきく)を膝下(しつか)に引伏(ひきふ)せ。夕告(ゆふつげ)の懐劍(くわいけん)を奪取(うばひとつ)

て首(かうべ)をふつと掻落(かきおと)せば。粟津(あはづ)。山田(やまだ)以下(いか)の郎等(らうどう)。みな萬歳(ばんぜい)をとなへけ

り。抑(そも/\)この夕告(ゆふつげ)の宝劍(ほうけん)は。一院(いちいん)當初(そのかみ)惟房(これふさ)に賜(たまは)りけるを。去年(こぞ)の春(はる)惟房(これふさ)

朝臣(あそん)竊(ひそか)に盛景(もりかげ)亀鞠(かめきく)を刺(さゝ)んと思(おも)ひ定(さだ)め。この宝劍(ほうけん)を懐(ふところ)にして。院参(いんざん)

し給ふとき。。忽地(たちまち)鶏(にはとり)声(こゑ)せしによつて。松井源五(まつゐのげんご)これを怪(あやしみ)て。はやく

盛景(もりかげ)にしらしたれは。惟房(これふさ)朝臣(あそん)志(こゝろざし)を遂(とげ)ずして討(うた)れぬ。その時(とき)一院(いちいん)。

あらためて。彼(かの)劍(つるぎ)を亀鞠(かめきく)に賜(たび)てけり。しかるに亀鞠(かめきく)。目今(たゞいま)君(きみ)を刧(おびやか)し奉(たてまつ)

りて。おのが刑戮(けひりく)を脱(のがれ)んとするに。夕告(ゆふつげ)忽地(たちまち)声(こゑ)を發(はつ)して玉體(ぎよくたい)に近(ちか)つき

得(え)ず。はやく松稚丸(まつわかまる)に暁得(さと)られて。しかもこの劍(つるぎ)をもて首(かうべ)を刎(はね)らるゝこと。

因果(いんぐは)覿面(てきめん)のことわり。かうぞあるべき。これ併(しかしながら)松稚(まつわか)の孝心(こうしん)。爰(こゝ)に天(てん)の祐(たすけ)を得(え)

て。父(ちゝ)が冤枉(むじつのつみ)を雪(きよ)め。國(くに)の為(ため)に奸(かん)を鋤(すき)。家(いへ)の為(ため)に仇(あた)を撃(うつ。有(あり)がたかりし

績(いさをし)なり。かくて松稚丸(まつわかまる)は。一院(いちいん)を鳥羽殿(とばどの)へ入(い)れ奉(たてまつ)り。その夜(よ)直(たゞ)に盛景(もりかげ)

亀鞠(かめきく)が首級(しゆきう)を携(たづさへ)て。武蔵守(むさしのかみ)泰時(やすとき)朝臣(あそん)が屯(たむろ)に到(いた)りて。盛景(もりかげ)亀鞠(かめきく)

が。奸悪(かんあく)。わが身(み)亡父(ぼうふ)の孤忠(こちう)。事(こと)審(つまびらか)に。演説(ゑんぜつ)し。彼(かの)首級(しゆきう)〈○クビ〉をさし出(いだ)して。とかく穏

便(おんびん)のはからひこそあらまほしけれとて。申寛(まうしなだむ)ることいと叮嚀(ねんごろ)なり。泰時(やすとき)朝臣(あそん)

縁由(ことのよし)を聞(きゝ)て。ふかくその忠孝(ちうこう)を嘆美(たんび)〈○ホメル〉し。盛景(もりかげ)父子(ふし)が首(かうべ)を受(うけ)とつて。

やがて件(くだん)の趣(おもむき)を鎌倉(かまくら)へ申させ給ふ。しかれども義時(よしとき)の憤(いきどほり)終(つひ)に觧(とけ)ず。本院(ほんいん)

〈後鳥羽(ごとば)〉を隠岐國(おきのくに)。新院(しんいん)〈順徳(じゆんとく)〉を佐渡國(さどのくに)。六條宮(ろくでうのみや)を但馬國(たしまのくに)。冷泉宮(れいぜいのみや)を備前國(びぜんのくに)

へ〓((辷-一)+千)(うつ)し奉(たてまつ)る。又(また)土御門院(つちみかどのいん)は。後鳥羽院(ごとばのいん)第一(だいゝち)の御子(みこ)にて。いぬる承元(じようげん)三年の春(はる)

三月。御(み)こゝろならずおり居(ゐ)させ給ひて。今度(こんど)一院(いちいん)の御企(おんくはだて)にもかゝづらひ

給はざれば。関東(くはんとう)よりも兎角(とかく)の言(こと)に及(およ)ばず。しかれども土御門院(つちみかどのいん)は。人界(にんがい)に

生(しよう)を禀(うく)ること。是(これ)父母(ふぼ)の恩(おん)なり。しかるに一院(いちいん)配所(はいしよ)におはしますを。わが身(み)安然(あんぜん)

として洛(みやこ)に居(お)らんは不孝(ふこう)なり。われも遠國(おんごく)に住(すま)めとて。このよし鎌倉(かまくら)へ

仰(おふせ)つかはされける程(ほど)に。義時(よしとき)以下(いか)の武臣(ぶしん)憐(あはれ)み奉(たてまつ)り。此(この)うへは力(ちから)及(およ)ばずとて。土佐

國(とさのくに)へ遷(うつ)し奉(たてまつ)る。これより先(さき)松稚丸(まつわかまる)は。直言(ちよくげん)用(もち)ひられざれば。ふかく望(のぞみ)をうしなひ

て。再(ふたゝ)び泰時(やすとき)朝臣(あそん)に見(まみ)え。むかし紂王(ちうわう)無道(ぶどう)なりしを。武王(ぶわう)天(てん)にかはつてこれ

を討(うち)。庶民(しよみん)土炭(とたん)を脱(まぬか)れたり。夫(それ)臣(しん)として君(きみ)を討(うつ)の論(ろん)。孟軻(もうか)に至(いた)つてよく

辨明(べんめい)すといへども。後世(こうせい)なほ心(こゝろ)に快(こゝろよし)とせざる歟(か)。彼(かの)殷(いん)紂(ちう)は残獨(ざんどく)の乱王(らんわう)。武王(ぶわう)

は蓋世(かいせい)の聖人(せいじん)なり。さは今をもてその是非(ぜひ)を比(ひ)すべからず況(いはんや)わが國(くに)は。神

日本盤余彦尊(かんやまといはれひこのみこと)〈神武帝(じんむてい)〉皇統(あまつひつき)と伝(つた)へ給ひて。こゝに百有餘代(ゆうよだい)。いまだ臣(しん)とし

て君(きみ)を謫(なが)す事(こと)を聞(き)かず。三綱(さんこう)〈君臣。父子。夫婦。〉は國(くに)の基(もと)なり。もし一旦(いつたん)の威勢(いきほひ)を

もて。君臣(くんしん)の礼(れい)をうしなひ給はゞ。何をもて民(たみ)を忠孝(ちうこう)に導(みちび)き給はん。努(ゆめ)思ひ

とゞまり給へかしとて。諫言(かんげん)数刻(すこく)に及(およ)びしかば。泰時(やすとき)大に感伏(かんふく)し。申さるゝ所(ところ)悉(こと”/\)

く理(ことはり)なり。しかあれど。天下(てんか)の一大事(いちだいじ)は父(ちゝ)義時(よしとき)が豫行(あづかりおこな)ふなれば。弱輩(じやくはい)の

泰時(やすとき)いかにともすべきやうなし。御辺(ごへん)の忠〓(魚+更)(ちうきやう)においては。関東(くわんとう)へ申(まうし)沙汰(さた)し。

日ならず。吉事(きちじ)あるべしと。回答(いらへ)給へば。松稚丸(まつわかまる)頭(かうべ)をうち掉(ふり)て。伯夷(はくゐ)叔齋(しゆくせい)は

首陽(しゆよう)に餓(うえ)たり。わが直言(ちよくげん)容(い)れられずして。いかでか賞(せう)を受(うく)るの理(ことはり)あ

らん。只(たゞ)ねがはくは。一院(いちいん)の御供(おんとも)して。隠岐嶼(おきのしま)へ赴(おもむ)く事を許(ゆる)し給へ。心を盡(つく)し

て仕(つかへ)たてまつり。亡父(ぼうふ)が精忠(せいちう)を全(まつとう)せんにはと聞(きこ)え給ふ。言(こと)の頤(おぎろ)思ひ定(さだ)めたる

容(さま)なれば。泰時(やすとき)ます/\嘆賞(たんせう)し。この事仔細(しさい)給はじと諾(うけひ)給ひければ。松稚丸(まつわかまる)

は旅宿(りよしゆく)に退(しりぞ)きて。一封(いつふう)の書簡(しよかん)を書冩(かいしたゝめ)。山田(やまだの)三郎赤塚軍介(あかづかぐんすけ)は。武蔵國(むさしのくに)

へ赴(おもむ)き。松稚(まつわか)が仙輿(せんよ)に徒(したが)ひ奉(たてまつ)りて。隠岐國(おきのくに)へ赴(おもむ)く一件(ひとくだり)の事を。母公(はゝぎみ)妙亀

尼(みやうきに)にまうし。粟津(あはづの)六郎は。月林寺(ぐわつりんじ)に参(まい)りて。仲圓(ちうゑん)阿闍梨(あじやり)に情由(ことのよし)を告(つげ)

よとて。よくその心を得(え)させ。又(また)比良(ひら)が嶽(たけ)より従(したが)ひ来(きた)れる十餘人(よにん)の壮者(つはもの)

を厚(あつ)く賞(せう)して。おの/\身(み)の暇(いとま)を給はり。粟津(あはづ)山田(やまだ)赤塚(あかづか)等(ら)。いかに申

せども一人も従(したが)ひゆくことを許(ゆる)さず。別(わかれ)を決(けつ)して出(いで)給ふ。さる程(ほど)に一院(いちいん)は。

承久(じようきう)三年七月十三日に。隠岐國(おきのくに)に移(うつ)され。海部郡(あまのこふり)苅田郷(かりたのごう)なる。あやしき庵(いほり)

に入(い)らせ給ひて。

  我(われ)こそは新島守(にひしまもり)に隠岐(おき)の海(うみ)のあらき浪風(なみかぜ)こゝろしてふけ

かくあそばされつゝ。よろづ叡慮(えいりよ)を傷(いたま)し給ふ。形(あだき)なき鄙(ひな)の御住居(おんすまひ)に。松稚

丸(まつわかまる)ひとり心力(しんりよく)を竭(つく)して。慰(なぐさ)め冊(かしづ)きまゐらせ。常住(ぢやうぢう)坐臥(ざぐは)御(おん)ほとりを去(さる)こと

なし。一院(いちいん)は。頻(しきり)に惟房(これふさ)朝臣(あそん)の諫言(かんげん)を思食(おぼしめし)あはされ。なほ父(ちゝ)にも勝(まさ)れる松稚丸(まつわかまる)の誠忠(まごゝろ)〈○セイチウ〉を只顧(ひたすら)御感(ぎよかん)あつて。寔(まこと)に歳(とし)寒(さむく)して松柏(せうはく)の後(のち)に凋(しぼむ)をしり。

國(くに)乱(みだ)れて忠臣(ちうしん)志(こゝろざし)を移(うつさ)ざるをみる。朕(ちん)もしむかしの身なりせば。汝(なんぢ)を重(おも)

く用(もちふ)べきに。そのかひなきこそいと惜(をし)けれと宣(のたま)ひて。不覚(すゞろ)に御衣(ぎよゐ)の袖(そで)を

濡(ぬら)し給へば。松稚丸(まつわかまる)は忝(かたじけな)さに。感涙(かんるい)をとゞめかね。且(しばら)く御前(ごぜん)を退出(まかで)けり。

かくて夥(あまた)の年(とし)を経(へ)て。一院(いちいん)崩御(ほうぎよ)まし/\ければ。松稚丸(まつわかまる)ふかく悼(いた)み

奉(たてまつ)り。御中陰(ごちういん)果(はて)て後(のち)洛(みやこ)へかへり上(のぼ)り給ふ。帝(みかど)四條院(しでうのいん)〈承久(じようきう)三年三院(さんいん)遠國(おんごく)へ

親王(しんわう)新院(しんいん)順徳帝(じゆんとくてい)の御ゆづりを受(うけ)させ給ひしかど。関東(くわんとう)のはからひとして。在位(ざいゐ)はづかに四个(か)月にして推(おし)おろし奉(たてまつ)り。高倉院(たかくらのいん)の御孫(おんまご)。茂仁親王(もちひとしんわう)を位(くらゐ)に即(つけ)まゐらせ。後堀河院(ごほりかはのいん)と申奉る。この

君(きみ)在位(ざいゐ)十三年にして。位(くらい)を秀仁親王(ひでひとしんわう)に伝(つた)へ給ふ。四條院(しでうのいん)これなり。〉その孤忠(こちう)純孝(じゆんこう)を感(かん)じおぼし。父祖(ふそ)の舊領(きうれう)に。加

恩(かおん)の荘園(せうゑん)数箇所(すかしよ)をまし給はりて。やがて三位(さんゐ)になされしかば。松稚丸(まつわかまる)終(つひ)

に絶(たえ)たる家(いへ)を興(おこ)して。君恩(くんおん)を拜謝(はいしや)し奉(たてまつ)り。是(これ)よりして吉田三位

惟徳(よしだのさんゐこれのり)と名告(なの)り給ふ。粟津(あはづ)山田(やまだ)赤塚(あかづか)これらの老黨(らうだう)はいふもさらなり。

十餘人(よにん)の壮士(つはもの)も。この事を伝聞(つたへきゝ)。衆皆(みな/\)処々(しよ/\)より走(はせ)まいりて。歓(よろこ)ぶこと限(かきり)なし。

今茲(ことし)仲圓(ちうゑん)阿闍梨(あじやり)八十餘歳(よさい)にて〓((辷-一)+千)化(せんげ)し給ひぬ。よて惟徳(これのり)朝臣(あそん)は。たゞ一日も

はやく母公(はゝきみ)妙亀尼(みやうきに)を迎(むかへ)まゐらせんとて。勝久(かつひさ)光政(みつまさ)軍介(ぐんすけ)等(ら)を将(い)て。武蔵國(むさしのくに)

へ下向(げかう)し給ふ。この序(ついで)をもて。梅稚丸(うめわかまる)を一社(いつしや)の神(かみ)に祭(まつ)らん事を奏(そう)し

奉(たてまつ)り。日数(ひかず)経(へ)て浅茅(あさぢ)が原(はら)なる鏡池菴(きやうちあん)に到着(とうちやく)し。慈母(ぢぼ)の恙(つゝが)なきを歓(よろこ)

び。又その老〓(骨+堯)(おひくだち)給へるを悲(かな)み。十(と)とせにあまる起臥(おきふし)を。冗(とひ)もし問(とは)れもして。洛(みやこ)へ

伴(ともな)ひ奉(たてまつ)るべき為(ため)に。下向(げこう)しつるよしを聞(きこ)え給ふに。尼公(にこう)一切(つや/\)うけ引(ひき)給はず。

われ今(いま)御身(おんみ)が忠孝(ちうこう)を全(まつとう)して。世(よ)に出(いで)給ふをみるからは。一チ日も生延(いきのび)ん事

を願(ねが)はず。殊(こと)に年来(としごろ)の宿願(しくぐわん)を遂(とげ)て。明日(あす)は西方(さいほう)極楽(ごくらく)に至(いた)らんとす。何

の遑(いとま)ありて洛(みやこ)へ上(のぼ)るべきと宣(のたま)ひしが。果(はた)して次(つぎ)の日(ひ)浴(ゆあみ)して新(あたら)しき袈裟法

衣(けさころも)を著(つけ)。礼盤(らいばん)の上(うへ)に結跏趺坐(けつかふざ)して。念佛(ねんぶつ)数声(すせい)唱(となへ)つゝ。大往生(だいわうじよう)を遂(とげ)給ふ。

辞世(じせい)の和歌(わか)あり。

  なか/\になきたまならば末(すゑ)の世(よ)を。守(まも)らんとおもふ人(ひと)の子(こ)までも

惟徳(これのり)主従(しゆうじう)哀悼(かなしみ)に堪(たへ)ず。遺言(ゆいげん)に従(したがひ)て。鏡(かゞみ)が池(いけ)のほとりなる。丘(おか)の上(うへ)に

葬(ほうふ)りぬ。今の妙亀山(みやうきやま)これその墳墓(ふんほ)なりといふ。さるあひだ惟徳(これのり)朝臣(あそん)は。

先考先妣(なきちゝはゝ)。春雨(はるさめ)。鳰崎(にほさき)。玉柳(たまやぎ)等(ら)が追福(つひふく)の為(ため)に墨田川(すみだかは)の南(みなみ)出崎(でさき)に。一宇(いちう)の

松稚丸(まつわかまる)叙爵(じよしやく)して

惟徳(これのり)と名告(なの)り武蔵

國(むさしのくに)へ下向(げこう)して妙亀尼(みやうきに)

に拜謁(はいゑつ)し且(かつ)梅稚丸(うめわかまる)の

亡魂(なきたま)を一社(いつしや)の

神(かみ)にまつり

給ふ

道場(どうぢやう)を建立(こんりう)し。又(また)梅稚丸(うめわかまる)は。叡山(えいざん)寄偶(きぐう)の因(ちなみ)もあれは。梅稚山王権現(うめわかさんわうごんげん)と

神号(しんごう)して。柳(やなぎ)の下(もと)に宝倉(ほくら)を建(たて)。毎年(としごと)の三月十五日に。大念佛供養(だいねぶつくよう)あるべき

よしを定(さだ)めおき。さて浮草(うきくさ)浅舩(あさふね)等(ら)をも召倶(めしぐ)して洛(みやこ)にかへり吉田(よしだ)の神社(やしろ)

と比叡(ひえ)の辻子(つぢ)の道祖神(さへのかみ)の幣帛(みてくら)をたてまつり。白川(しらかは)の館(たち)と。志賀(しが)のほと

りにて討死(うちしに)したる。田中(たなかの)八郎。鹽屋藤三(しほやのとうざふ)。大野(おほの)小(こ)七郎等(ら)が妻子(うから)眷族(やから)

を索出(たづねいだ)して。厚(あつ)く扶助(ふぢよ)し。すべて生者(いけるもの)には秩録(ちつろく)を行(おこな)ひ。死者(しせるもの)には追善(ついぜん)

を修(しめ)し給ひし程(ほど)に。よろづ昔(むかし)に立(たち)まさりて。その家(いへ)ながく栄(さかへ)けるとぞ。

墨田川梅柳新書巻之六畢