人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる  聖書

Man does not live on bread alone, but on every word that comes from the mouth of God.        Bible

肉体に食物が必要なように、魂には聖書の御言葉が必要です。

日曜日は教会で聖書のメッセージを聞きましょう。

賛美や祈りであなたの心を潤してください。

ブリンマー日本語教会は教会が初めてという方も歓迎いたします。

ブリンマー日本語教会では、誤りのない神の御言葉である聖書を信じるキリスト教信仰をもとに、毎週日曜日に、日曜学校での学び、日本語礼拝での説教がなされています。クリスチャンでない方もご自由に参加してください。

教会は、クリスチャンでない方も、お年寄りから赤ちゃんまで、歓迎いたします。

 「主よ、あなたが我々をお造りになりました。ゆえに我々の心はあなたのうちに憩うまで休まらない」(聖アウグスチヌス)

日本語礼拝Japanese Worship Service(English Translation available)

毎週日曜日 Sundays 11:00 ~ 12:20  2階 Room#243

ブリンマー日本語教会では、毎週日曜日 午前11時からプロクラメーション教会 2階243号室にて日本語で礼拝をしています。クリスチャンでない方も参加されています。賛美歌も日本語と英語で歌っています。英語の通訳がありますので、日本人だけではなく、バイリンガルな方や、国際結婚をされている方もご家族全員で参加できます。どうぞお気軽にいらしてください。

2017年

夏のアウトドアキャンプ

Hickory Run State Parkで2泊3日のアウトドアキャンプをしました。西のほうから嵐が来ていたので、雨が降ったときのために準備をしていましたが、幸い、3日間雨が降りませんでした。2日目の山道の散策では、小川のそば、岩の間、倒れた木を乗り越えたりしながら、みんながんばって2時間以上歩きました。毒々しいきのこもたくさんありました。ガラガラヘビを見た人もいました。お昼の後は、岩のごろごろしたBoulder fieldを見学した後、Sand Spring Lakeで泳ぎました。水が冷たかったけど、泳ぎを練習していたら、初めて浮かぶことができたお友達もいました。泳いだ後は砂遊びをしました。帰りたくなくて泣いてしまったお友達もいました。そこでは、つばめの巣を見つけました。丸々と太ったひなたちがときどきお母さんとお父さんつばめからえさをもらっていました。おいしい夕飯の後は、マシュマロを焼いて食べました。2日目の夜は少し寒かったですが、真っ暗な空には星がたくさん見えました。流れ星を5個も見たお友達もいました。3日目の朝、寒くてキャンプファイヤーのそばに来たお友達がいました。キャンプファイヤーの火は強く、そばにいくととても熱く感じました。日曜日なので、礼拝をしました。李先生のお話は、創世記1章1節 “初めに神が天と地を創造した” 「この大自然はすべて神様が創造されました。神様は私たち人間も創造されました。人間は自由にこの大自然や人生をを楽しむことができます。一つの条件は神様を一番にすること。でも人間は神様を一番にするどころか、神様を忘れてしまい、自分を一番にしてしまいました。それを罪と言います。自分を一番にすると、自己中心になり、自分勝手になります。イエス様はその罪の罰を十字架で受けてくださり、信じる者の罪を赦し、神様の子どもにしてくださいます。私たちも自分の罪を悔い改めて、自分を一番にするのではなく、神様を一番にするようにいたしましょう。」 最後の日の午後は、45分くらい北の方にあるTobyhana Lakeに行って、昼食を食べ、ボートに乗りました。緑に囲まれた広い湖の湖水は、パチャパチャと音をたて、太陽の光を受けてキラキラ光っていました。

日本語礼拝 説教  7月16日(日)11時  “御霊の人”  ガラテヤ人への手紙6:1-10

  肉の行い: 不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、

    憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興 (ガラテヤ人への手紙5:19-21)

  御霊の実: 愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制 (ガラテヤ人への手紙5:22-23)

1. あやまちに陥った人を柔和な心で正してあげなさい。人とはとかく、人から言われるのがいやなものです。柔和な心でとは、気づかれないように正すという意味もあると思います。

2. 人にはそれぞれ重荷があります。できすぎる人であっても、どんなに才能や、経済力や、余裕のある人でも、マイナス部分は必ずあります。弱さの中で働かれるイエス様を信じ、そういうところをお互いに補い合いましょう。すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。(マタイの福音書11:28-29)

3. 神様は侮られるお方ではありません。人は自分の考えや行いを蒔いたとおり、その実を刈り取ることになります。神様の裁きは公正です。肉の行いを蒔く者は、滅びを刈り取り、御霊の行いを蒔く者は永遠のいのちを刈り取ります。

4. 善を行うとき、自分の感情や判断に頼ってはいけません。人は完全ではないので、人を見て善を行っていると、つまずいてしまうときがあります。悪に負けず、サタンのささやきに負けてはいけません。神様のためにやったつもりでも、結局、自己満足なこともあります。つらくても、忍耐をもって善を行っていきましょう。実践することは誰でも難しいですが、前向きに大きな心をもって実践していきましょう。

  ユーテューブで見た映像ですが、義足をはいた6歳くらいの女の子が学校の校庭にやってきました。一人の子が不思議がって義足にさわったりしました。その子が歩き始めると、いっしょに歩きました。その子が走り始めると他の子どもたちも加わっていっしょに走りました。誰もその子をからかったりする子はいませんでした。むしろいっしょになって楽しんでいました。

日本語礼拝 説教  5月28日(日)11時  “シェバの女王”  第一列王記10:1-9

  ソロモンが王になって一番初めにしたことは、一千頭のいけにえをささげたことです。神様を心から愛し、教えに従いますという決意の現われでした。それが神様の御心にかなったので、神様から”あなたに何を与えましょうか。願いなさい”と聞かれたとき、ソロモン王は”民を正しく導けるよう知恵をください”と求めました。この祈りが神様の御心にかない、神様はソロモンに知恵の心と判断の心を与え、おまけに富と誉れまでも与えました。(第一列王記3:12-13) 知恵の書である箴言と伝道者の書はソロモン王が著者です。ソロモン王は多くの知恵のことばを語りましたが、聖書に記録されているのは一部だけのものです。その後、ソロモンは神殿を建て、神殿奉献式の中で祈りました。イスラエルがカナンの地に定着し、偶像の神々を取り除いて、真の創造の神に聞き従うことで祝福を受けるように、それを見る周りの国々が自分たちもその祝福を受けようと、真の神に立ち返るようにという内容の祈りです。これこそ神が願っておられることでした。一時的ではありましたが、ソロモン王を通して実現されたのが、このシェバの女王の話です。

ときに、シェバの女王が、主の名に関連してソロモンの名声を伝え聞き、難問をもって彼をためそうとして、やって来た。彼女は、非常に大ぜいの有力者たちを率い、らくだにバルサム油と、非常に多くの金および宝石を載せて、エルサレムにやって来た。彼女はソロモンのところに来ると、心にあったすべてのことを彼に質問した。ソロモンは、彼女のすべての質問を解き明かした。王がわからなくて、彼女に解き明かせなかったことは何一つなかった。シェバの女王は、ソロモンのすべての知恵と、彼が建てた宮殿と、その食卓の料理、列席の家来たち従者たちが仕えている態度とその服装、彼の献酌官たち、および、彼が主の宮でささげた全焼のいけにえを見て、息も止まるばかりであった。彼女は王に言った。「私が国であなたの事跡とあなたの知恵とについて聞き及んでおりましたことはほんとうでした。実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。なんとしあわせなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんとしあわせなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできる家来たちは。あなたを喜ばれ、イスラエルの王座にあなたを着かせられたあなたの神、主はほむべきかな。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義とを行わせられるのです。」(第一列王記10:1-9)

シェバの女王は知恵を求めて、多大な犠牲を払い高価な贈り物を携えて、はるばる遠くからやって来ました。箴言のいろいろな箇所で、この知恵は、やがて来られるイエス様を指しています。「南の女王が、ソロモンの知恵を聞くために地の果てから来ました。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。」(ルカ11:31)

イエス様はご自身がソロモンよりも知恵に富んでおられると紹介しています。ソロモンよりもはるかにまさった知恵そのものであられるイエス様を信じる私たちは幸せ者です。私たちは知恵の書である聖書をいつでも読むことができます。知恵であられるイエス様と交わることができます。シェバの女王のように貴重品を携えて遠くまで出かけなくても済むようになりました。問題は私たちにシェバの女王のように知恵を求める心があるかどうかです。「渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。」(イザヤ55:1)

日本語礼拝 説教  5月21日(日)11時 “ソロモンの神殿” 第一列王記8:1-2

  BC2004年にダビデ王が都をエルサレムにおき、BC960年にソロモン王はそこに神殿を建てました。レバノンから杉の木を調達するため、役務者3万人、荷役人夫7万人、山で石を切り出す者が8万人徴用し、7年をかけて神殿を建てました。すばらしい神殿を建てても、そこに契約の箱がなければ何の意味もありません。契約の箱の中には、神のことばである十戒が入っています。契約の箱は、神の臨在、神の清さを意味します。また、契約の箱を納める奉献式は、新月の祭りのときに行われました。荒野の厳しい生活を覚え、新地に導いてくださった神に感謝する祭りです。安定した生活を送ることができるのは、神様のおかげだということです。

  このすばらしいソロモンの神殿は、BC586年にバビロニア帝国によって破壊されました。その後、ゼルバベルによって第二神殿が再建され、ヘロデ神殿として拡張されたが、AD70年にローマ帝国によって跡形もなく破壊された。現在、外壁の西側の壁だけが残されている。

  神殿は破壊されましたが、イエス・キリストはご自分が“神殿である”と言われました。イエス様を受け入れるとき、私が神殿となるのです。イエス様は、神のことば、神のご臨在、神の清さであられます。私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかられました。真の安息は神様から与えられます。イエス様の招きに応えながら、生きていきましょう。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに着なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」マタイの福音書11:28-30

日本語礼拝 説教  5月7日(日)11時

第一列王記2:1-4 ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。そうすれば、主は私について語られた約束を果たしてくださろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、精神を尽くして、誠実をもってわたしの前を歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれない。』」

     神は世の中で一番大切な制度として家庭と教会をおいてくださいました。その中でも家庭は、神様が最初に作られた制度であり、世の基となる大切な制度です。家庭は神が人間に与えられた最高のプレゼントであります。 ですから、家庭が健康であることと、教会が健康であることは、私たちにとって選択ではなく、使命です。健康な家庭が健康な人を育て、健康な家庭が健全な社会を造り上げることになるからです。それぞれの家庭が子どもの人格形成のための訓練所になり、幸せのための発電所のようなところになれたらと思います。

       今日のみことばは、ダビデが息子ソロモンの人生が栄えるための秘訣を教えています。「強く、男らしくありなさい。」  ダビデ王はソロモンのことを「まだ若くて力がない」と思っていました(歴代誌22:5)。ソロモン自身も自分のことを「私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません」と認めていました(1列王記3:7) ダビデ王は輝かしい功績をあげた勇士でした。それでも、ちょっとでも隙があれば非難し、攻撃し、覆そうとする人たちが常に回りにいました。今は年をとって死のうとしています。まだ若くて力のない息子が心配でこれらのことを教えています。  

 世の中には子どもたちに悪い影響を与え、子どもを奪い取ろうとしている物事が常にあることを覚えておく必要があります。そういう中で子どもたちが守られるように祈り、支え、教えなければなりません。  しっかりした自分を持って、自分の人生を歩んでいけるように育て上げることです。女の子は女の子らしく、男の子は男の子らしく、自分の立場をわきまえながら生きることが出来る人として育てることに心がけたいです。

 そのためには、絶対的基準である神のみことばに従うことを教えることです。あれこれ考えず、右にも左にもそれず、信頼して従えるもの、それが神のみことばです。どんなことがあっても迷わず、黙々と従えば結果は間違いのない、真理のみことばがあるということは、子どもたちにとって最大の祝福になります。  

 神様は眠ることもまどろむこともない方です。 神は私の思いも心も知っておられる方です。神は私のことばが唇を通して出る前に知っておられる方です。 神は私たちの先のことも知っておられる方です。 神にとって出来ないことは何もありません。  このように私たちのことをすべて知っておられる方の前で、隠れん坊をするような生き方をしないで、誠実に、素直に生きることです。

   ダビデはこのことを頭だけで分かったのではなく、人生を通して体験しました。 八人の息子の中でも一番頼りのなかった末子でしたが、神に選ばれてイスラエルの王になりました。ゴリアテを倒し、数々の戦いで勝利をし、民に認められました。しかし、サウル王から命を狙われて長い間苦労の人生を過ごしました。後には人妻のバテ・シェバを犯して神から裁きを受けました。老年には息子たちの殺し合いと反逆で苦しめられました。 人生の様々な苦しみと、栄えの道を経験した人として、最後の結論として残せるものがあるとしたら、それは神の道を歩むことでした。ダビデの人生の答えが私たちの人生の答えとなることを祈ります。

日本語礼拝 説教  4月9日(日)11時   “大祭司の祈り” ヨハネによる福音書17:20-26

十字架に架かられる前、イエス様は、弟子たちだけではなく、弟子たちのことばを聞いて信じる者たちのためにも祈られました。その内容は、1. 一つになることと、2. 栄光に預かることです。イエス様の願いは、イエスのなで救われる人々が一つになることです。分裂はサタンの属性、闇の力です。神様の属性は一致です。その最高のモデルは父なる神様と子なるイエス様にある交わり、一致です。天国での一致が地上においても、信じる者同士がイエスの名で行われることです。“そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです” これがわたしたちが一致すべき理由です。人は口では平和と言いながら、実際は、分裂と争いの連続です。イエスの名によって集まるところに、平和があり、一致があることを世が見るのです。使徒の働き2:47 “すべての民に好意をもたれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。” 一致するところにリバイバルがあるのです。“またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちがひとつであるように、彼らも一つであるためです。”  ここでの栄光は、悔い改め、罪の赦し、永遠のいのち、天国を意味します。栄光そのものであられる神が、イエス様の十字架のみわざの完成と復活を通して、イエス様に栄光を現しました。その栄光を私たち、信じる者に与えてくださったのです。神様がともにいてくださり、足りない私たち、弱い私たちを助け、成熟させてくださり、一つにさせてくださるのです。この神の愛の証拠をこの世が見るのです。神の愛はイエス様が十字架のみわざを完成させる力となりました。その愛が私たちの中にもおられるのです。私たちを神の栄光に預からせてくださるため、また、それぞれに与えられている十字架の道を歩むことができるようにと、力の源である‘愛’を今も与え続けておられるのです。私たちが一つとなるように、栄光に預かるように、父なる神様、子なるイエス様、聖霊の神様が今も尽力を尽くしてくださっているのです。救いの始まりである方が、私たちの救いの完成まで共にいて助けてくださるのです。

日本語礼拝 説教  4月2日(日)11時   “実を結ぶ” ヨハネによる福音書15:1-6

“わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。” ヨハネ15:1-2

ぶどうの木の話はイエス様が十字架にかかる前、ゲッセマネの園に行く途中弟子たちに語られました。イエス様の遺言のような話であると言えるでしょう。人間関係が苦手な人は人との関係を避けようとします。また、人との関係は大切にしても、神様との関係を避ける人もいます。聖書をひとことで言うと、“神を愛し、人を愛すること”だと言えます。ぶどうの木をたとえて、神は農夫、イエスはまことのぶどうの木、私は枝です。ぶどうの木は生命力があります。イエス・キリストは人類に真の命を与えるいのちの源です。イエス様につながっていないと、人生の真の意味での実を結ぶことはできません。切り捨てなければならない、実を結ばない枝とは何でしょうか? 当時のイスラエルはローマ帝国の支配下で、多神教、ギリシャ哲学、瞑想など、ギリシャ文化の影響もありました。現代に生きる私たちにとって、刈り込まなければならない枝は何でしょうか?高慢、しっと、不従順、陰口、心の傷、劣等感、不信仰などなど、人に言われたら、したくないですが、自分からわかってするのが一番でしょう。人のせいにしたり、言い訳を言ったりしないで、常に自分を省みて、実を結ばない枝を刈り込みましょう。良い実を結ぶ、意味ある人生の実を結ぶためにはイエス様にとどまる、イエス様とつながっている必要があります。聖書読むこと、祈り、教会生活などを通して、イエス様と命が通い合う関係を持つことが大切です。人間関係、仕事、子育て、今のところは、人生がすべてうまくいっているように思えるかもしれませんが、最後には、どういう実が結ばれるでしょうか?いつも自分を省みて、しょっちゅう刈り込みをすべきではないでしょうか。いらない枝はないですか。聖書や祈りを通して、見つけさせていただきましょう。“わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。”ヨハネ15:4-5

日本語礼拝 説教  3月19日(日)11時   “民の不平とつぶやき” 民数記11:1-9

モーセが十戒をいただいたシナイ山を出て3日の道のりを行くと、“イスラエルの民はひどく不平を鳴らして、主なる神につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめつくした。” 荒野での生活は大変でしたが、奴隷生活よりはましでした。でも民は自分たちの立場をわきまえずに、神の養いに対して背を向けました。“また彼らのうちに混じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、わたしたちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」” もらい泣きということばがありますが、これは、もらい不満、もらい不平とでもいいましょうか。イスラエルの民はカナンの地に入って祝福をいただく準備がまだできていなかったようです。まだまだ荒野での訓練を受け、成熟されて神に仕えることを学ぶ必要がありました。今の私たちの人生にもいろいろな困難があることでしょう。気に入らないこと、受け入れられないこと、どうしたらよいかわからないことなど。そういうとき、どのように対応したらよいでしょうか。フンと心を閉ざし、不平、不満、陰口を言って、神様との関係や人間関係を破壊するのではなく、神がおいてくださる荒野の学校で時間をかけて考え、淡々と信仰生活に励み、ブレークスルー(break through)して、成熟していきましょう。

日本語礼拝 説教 3月12日(日)11時 “祭司長の祝福” 民数記6:22-27

イスラエル人がエジプトを出て、カナンの地に入るとき、神様は武器を作ったり、戦いの方法を教えたわけではありません。神様はまず、神様を中心に生きることを教えられました。神様を信じ従い、自分を清く保つことによって戦いに勝つことができる、勝敗は神様が握っておられるからです。イスラエル人の長子のかわりにレビ族が神様にお仕えすることになりました。祭司職を担ったレビ族を通して神様の祝福がイスラエル人全体に流れるためです。主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。(民数記6:24-26) 新約聖書時代以降、イエス様の尊い十字架の血潮によって聖別され贖われた者は、自己中心を捨て、神中心の人生を生きるように、自分を慎み深く省み、祝福を受けたものとして、家族や隣人のために祝福の祈りをささげるようにいたしましょう。

日本語礼拝 説教 3月5日(日)11時 “助け主、真理の御霊” ヨハネによる福音書14:15-20

ソフトバンクCEOの孫正義さんが30年後にはコンピューターのAIがIQ10000になるだろうと言っておられます。その他、自動運転の車、バーチャルリアリティなど、機械が感情処理までしてくれるようになっています。私たちの生活がどんどん便利になっていくのはいいですが、その反面、人とぶつかるのはめんどう、一人がいい、介護もロボットに頼るようになっています。私たちの生活はどう変わっていくのでしょうか? それが悪用されたらどうなるのでしょうか? 結局、人間の根本的な問題解決にはなるどころか、むしろ解決の邪魔になるのではないでしょうか? 人間の根本的な問題解決とは、罪が赦され、成長していくことです。そして、私たちになくてはならない最も大切なものとは、助け主、真理の御霊です。不安を感じている弟子たちに、イエスはもうひとりの助け主、真理の御霊を送ってくださることを約束してくださいました。わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにおあたえになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。(ヨハネによる福音書14:16) 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしをしてくださいます。(ローマ人への手紙8:26) トルコのカッパドキアやローマのカタコンベで、クリスチャンたちは、迫害を逃れて地下都市を作り、聖書もなかった時代に生き生きと生活していました。それは、まさに真理の御霊の助けによるものです。私たちを真実に助け、魂を救ってくれるのは、助け主、イエス・キリストの真理の御霊です。私たちは救われて成長する必要があります。人とかかわることで訓練されます。私たちの生活が便利になり、うまく利用することは良いことですが、それに利用され、支配されてしまうのはよくないことです。

日本語礼拝 説教 2月26日(日)11時

わたしが道であり、真理であり、いのちなのです” ヨハネによる福音書14章1-11節

私たちを悩ます一番のことは、“心配”でしょう。心配は人を悩ませ、疲れさせます。心配し始めると信仰はどこへやら。反対に信仰が芽生えてくると心配が消えていきます。今日は信仰をもって心配に打ち勝つという話です。イエス様は十字架の死を前に弟子たちにご自分がいなくなることを告げると、弟子たちは不安になりました。イエスは弟子たちに“あなたがたは心を騒がしてはなりません”と言われました。イエス様の教えから心配に打ち勝つ3つのことを学びます。1. 神を信じ、わたしを信じなさい 弟子たちは、イエスを奇跡を起こすすばらしいお方とは、思っていましたが、神様に結びつけることはできないでいました。イエス様は、“わたしを見た者は、父を見たのです”とご自分が神であることを語られました。全知全能の神であるなら、人生の悩み、心配事などの悩みをゆだねることができます。2. 天国の希望を持つ 2節“父の家には住まいがたくさんある。” イエス様の十字架の贖(あがな)いによって、私たちは滅びに至らせる自分の罪から救われ、すべての重荷から自由になります。イエス様の復活によって信じる者に天国への希望が与えられました。この世の生活が苦しくても、この信仰があれば、苦しみを受け入れ、乗り越えていくことができます。この世のことが小さく見えてきます。この世の価値基準ではなく、天の価値基準で生きるようになるからです。3. わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。このお方に心配をゆだねることができるだけではなく、このお方に頼れば、人生のすべての問題の答えも与えてくださいます。なぜなら、イエス様こそ、唯一の道であり、真理であり、いのちなのだからです。

日本語礼拝 説教 2/19 “ラザロよ、出て来なさい。” ヨハネによる福音書11章38-53節

イエスは盲人をいやされ、また、死人を生き返らせた。それは、イエスがメシヤ(救い主)であることを人々が信じるためである。まだ病気で死にかけているときに行かずに、死んで4日もたってからイエスはラザロのところに行かれた。希望が全くない状況で死人を生き返らせるということは、神にしかできないことである。この奇跡を通して多くの者がイエスを信じた。また、ユダヤ人指導者たちは、ねたみに燃え、イエスを殺そうと相談を始めた。その反対派の者たちの行為も、神の預言の成就、つまり、イエスの十字架の死による救いの計画を成し遂げることとなる。私たちの人生にとって何が一番大切か、仕事、家族、子育て、、、本当に大切なことは、死に対する答えではないか、永遠に生きること、死を乗り越えることではないか?

イエス・キリストはその答えをくださった。死を乗り越えられる永遠のいのちをくださった。

日本語礼拝 説教 2/12 “霊の目を暗くするもの” ヨハネによる福音書9章1-41節

イエス・キリストが安息日に盲人の目をいやされた。ユダヤ人指導者たちは、それを喜ぶどころか、安息日にいやしたということで、イエスを批判し、その盲人を宮から追い出してしまった。イエスは、目に見える者たちが実は盲目であると言われた。私たちの霊的な目を暗くするもの、それは、第一に、自分の考え、社会の常識、それが間違っているときがある。弟子たちがこの人はなぜ目が見えないのですか?この人が罪を犯したからですか、それとも両親が罪を犯したからですか?と問うた時、キリストは、この人が罪を犯したからでも両親が罪を犯したからでもない、神の栄光がその人に現れるためです。と言われた。第二に、律法主義が霊的な目を暗くする。神が安息日を設けられたのは、人が神の中で休みを得るためである。その精神を忘れ、律法主義に陥ってしまい、安息日にいやしの行為が行われたということで、批判はするものの、目が見えるようになったことを喜び、受け入れることができなかった。第三に高慢が霊的な目を暗くする。聖書をよく知っているユダヤ人指導者たちは、その知識のゆえに高慢になり、キリストを批判した。目が見えるようになったことを喜べなかった。聖書の知識は従うためのもの。私たちを高慢にするものは何か?

私たちの目は見えていますか? イエス様に、私たちの霊の目を開いていただこう。

日本語礼拝 説教 2/5 “主は良い牧者” ヨハネによる福音書10章1-18節

 “わたしはいのちの水ですー永遠に渇くことがない” “わたしはいのちのパンですー永遠に飢えることがない” と言われたイエス・キリストはここで “わたしは良い牧者です”、つまり、“良い羊飼いです” と言われる。羊飼いは羊を草や水のあるところに導いてくれる。狼から羊を守ってくれる。雇われ羊飼いは、狼が来ると、羊を守るどころか、さっさと逃げてしまうが、良い羊飼いは、命がけで羊を守ろうとする。イエス・キリストは、私たち人間を罪の支配から救ってくださるために十字架にかかり死んでくださった。罪の代価を支払ってくださった。ここに神の愛がある。私たち人間に真のいのち、豊かな人生を与えるため、イエス・キリストは逃げないで、最後まで責任を取ってくださった。

日曜学校 Sunday School * 7月と8月はお休みいたします。

毎週日曜日 Sundays 9:30 ~ 10:30

子どもから大人まで聖書を楽しく学びます。子どもから大人までそれぞれの年齢やニーズに合わせたプログラムが用意されています。基本的に子どもたちは、アメリカ人のこどもたちといっしょにプロクラメーション教会のサンデー・スクールに参加します。大人のための日本語サンデー・スクールは地階の教室で行われています。

Japanese children attends Sunday school classes offered by Proclamation Presbyterian Church. Adult Sunday school classes in English are also available. Japanese Sunday school class is located in the lower level.

聖書勉強会Bible Study class

それぞれのニーズに合わせて、個人レベル、または、グループでで聖書勉強会が行われています。

興味のある方は教会にお問い合わせください。

   聖書の御言葉

詩篇121篇

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。

私の助けは、天地を造られた主から来る。

主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。

見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。

主は、あなたを守る方。主はあなたの右の手をおおう陰。

昼も、日が、あなたを打つことがなく、

夜も、月が、あなたを打つことがない。

主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。

主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

ヨハネによる福音書14章6節 John

イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

Jesus said to him, “I am the way, and the truth, and the life.  No one comes to the Father except through me.”

ヨハネによる福音書11章25-26節 John

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

Jesus said to her, “I am the resurrection and the life.  Whoever believes in me, though he die, yet shall he live, and everyone who lives and believes in me shall never die. Do you believe this?”

詩篇 4:1 Psalm

私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。Answer me when I call, O God of my righteousness.You have given me relief when I was in distress.

詩篇8:3,4 Psalm

あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、

人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。

人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。

When I look at your heavens, the work of your fingers,

the moon and the stars, which you have set in place,

what is man that you are mindful of him, and the son of man that you care for him?

詩篇23篇

 主は私の羊飼い。 私は、乏しいことがありません。

 主は私を緑の牧場(まきば)に伏させ、 いこいの水のほとりに伴われます。

 主は私のたましいを生き返らせ、 御名(みな)のために、私を義の道に導かれます。

 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。

 あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、

 私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯(さかずき)は、あふれています。

 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。

 私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

 

Psalm 23

 The Lord is my shepherd; I shall not want.

 He makes me lie down in green pastures. He leads me beside still waters.

 He restores my soul. He leads me in paths of righteousness for his name's sake.

 Even though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil,

 for you are with me; your rod and your staff, they comfort me.

  You prepare a table before me in the presence of my enemies;

 you anoint my head with oil; my cup overflows.

  Surely goodness and mercy shall follow me all the days of my life,

 and I shall dwell in the house of the Lord forever.

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。                          コリント人への手紙第二 12:9

But he said to me, ‘My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.’ Therefore I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ’s power may rest on me.        2 Corinthians 12:9

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

ローマ人への手紙 10章10-11節

    For it is with your heart that you believe and are justified,

and it is with your mouth that you confess and are saved.

As the Scripture says, “Anyone who trust in him will never be put to shame.”

Romans 10:10-11

初めに、神が天と地を創造した。創世記1章1節

In the beginning God created the heavens and the earth.  Genesis 1:1

神様はあなたを愛しています

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。       ヨハネによる福音書3章16節

For God so loved the world that he gave his one and only Son,

that whoever believes in him shall not perish but have eternal life. John 3:16

 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ローマ人への手紙5章8節

 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子(イエス)を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、わたしたちもまた互いに愛し合うべきです。ヨハネの手紙第一4章10-11節

 

神様はあなたを知っています 詩篇139篇1-4節

 主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。

あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。

あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。

ことばが私の下にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。

心配事があるとき ピリピ人への手紙4章6-7節

 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

赦される必要があるとき ヨハネの手紙第一1章9節

 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

主の祈り マタイによる福音書6章9-13節

 天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。

 御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。

 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。

 国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。

   

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