◆藐姑射山

安永九年かんな月、すがく院と云山里に、霊元法皇の春秋に出ておほん遊ひせさせたまひし水うまやのたゝせますを、みそかにまう出たいまつりて、

 おもほえすわけ入かたをことゝへははこやの山のふもとなりけり

この御園は池の心めもはろ/\とつくりたまへるか、名を浴竜池とよはせたまふとそ。北の汀には、大み船よせさすまうけもみえたり。こゝにひら張ひきわたして、大御酒きこしめしけんと思ふには、かしこきなから、昔しのはしく、いとかたしけなし。閑松嶋と云しま山に、老たる松の波の上に偃ふしたるか、わさとならすめでたし。

 嶋山にたてる玉松千代は経んかも大君のみゆきをまつと千世は歴ん鳧

詩僊臺とまうすは、詩哥のおほんあそひありし処也。此軒に御製のもみちと申は、こと木より喬く、色もこそめにいとをかしとなかめ侍らる。伝へ聞、享保十年に、山皆紅葉と申おほん、

 数しらぬ千しほの木末かさね上てもみちそ山をなへて染ける

から歌もあそはせしかと、思しとゝめす侍る。此木のめいほくは、このたひにはあらすや侍る。窮邃軒と申す大庭に立て見わたせは、南は、淀、鳥羽、ふしみ山、こくれたる所そなき。北は、岩くら山につ丶きたる峰ゝゝ、たゝみなしていとようみゆる。ふもとの道は、小はら女の馬の口とり、真柴いたゝきつれつゝ都にいつるさまを、上手の絵には写しやえむ。御垣守松宮の何某かゝたり言に、こゝは春たつ霞をあはれとみるより、夏は山水のたきり落て、扇はなさぬやま人も、こゝに置わするゝはかりなり、秋はことに紅葉おほく植つれは、まさなの唐錦を張わたし、冬しらぬ白かしの枝に雪のとをゝに降つむは、いとあかぬけしきしたり。されはよ、おほん聖の帝のかしこくもしめおかせたまへるを、おのれひさしく守らへをり侍る事のいともかたしけなさに、とし月み草はらひ、落葉かきゝきよめ、まめなる大宮つかへをつとめたいまつるとなん、かたられき。いとありかたきけふのおそひなりけり。

   ◆再詣姑射山

神南月十日まり、あるしの信美、誰かれ、山のもみち見む、いさたまへと云。今日は雲の立まひもあらねは、扶くる人ゝをたのみて出たつ。山里なから、篁ふかくいみしうかまへたる所に入て思ひめくらせは、おほろけなから、昔も一たひ拝みたいまつりし処なり。手を折は、ことし文化のはしめと云年まて、三十とせあまりにや成ぬ。いとも忝くありしたゝすまひには変りて、みあらか取はらはせし跡に、礎をちこちによろほひ、かたへには、くほかに池めいたる所も、小草しけりからみて、見るめ悲しく成にたり。そゝや蔵六庵と申奉りて、御車よせより廻らせて、東の方には、曹司、みゆ殿立つらなり、岸をおつる滝は高からねと、作らせたまへりと見侍りしか、昔の御垣守の翁のかたり言に、此みなみに彎弓閣と申て、たか殿のたゝせしか、一とせの風にこほれしかは、やかてに掃きよめさせ侍るとなん、ありてそ見まほしなと思ひしか、いまはたゝ秋の色はかり、そのかみにまさりたらめ。

  荒と見しむかしの秋のしのひねにけふあらむとはおもはさりしを

此み門を出てひかしにのほれは、はこやの山の高きにいたる。おそる/\入て見奉れは、かくまてならん故こそあらね、世うつり年のゆけれはと、打ひそまるゝ。隣雲亭詩仙臺いときら/\しくこそあらさりしか、こゝも石すゑのみなる中に、山寺と名よはせしみあかしの独ときはかきはなるも、おのか物からさふ/\しけ也。御製の紅楓と申せしも、あさましく朽をれしかたへに枝葉さしかはしつゝ、こく薄く、今を盛にそめなしたる、昔もかゝり(し)やあらすや、はたおほんには、さきはひ奉らさりけん。おくれて生れたる今日の人々の、翁かむかしかたりを打信したらんにも似たりかしな。よくりやう池めくりつゝみれは、あら山中に海をなすかもおほし出らるゝ。それかくひろらなりしや。今は滝落こねは水かれつきたるに、蘆のかれすさひ、真菅の声さや/\になひきあひたる、冬のあはれなから、こゝろすゝろに寒し。

  年ふかき池の薮くさ冬枯てあしの穂浪に風ふきわたる

窮邃軒もひと度はこほれしかと、此四とせはかりさいつとしにあらたなりしとて、今のみ垣守の蔀上て拝ませたまへり。すのこに手かけて、かしらさし入見奉れは、まはゆかりし昔には似ねと、きよらにつくらせしこそ、ありかたけれ。彼閑松島の玉松こそ、年にまさり皃に枝さしたれ、緑の色ふかく、千歳へなゝんには、幾そたひの御幸にもあひ奉らまし。こゝに立つとひて、遠くも近くも見わたさるゝとて、人ゝあはれかる。翁か秋霧こめしにさへ、心あてに打望むかひこそなかりけれ。秋の色はこゝこそことに、喬き木末ともの照かはせるを見上見くたしつゝ、

  山つみのかさして君につかへけむ紅葉の秋をいまも見るかな

かや野姫のみことはかりは、いかてつれなかりけん、苺の下草、岸の陰草、なへて色なくてさふ/\し。

  もみち葉のいろこそむかし青山を泣からしけむ神代しおもほゆ

老くつるゝはかたちのみかは、物おほくくり言めいたるよ。淀のわたりのまた夜ふかきに、とすんせしにならひて、煙たえにし塩かまの、と申てなんあらはやと、今更也。又この隣の里に宝幢寺と云山てらにも、一たひ御幸あらせし処なりとて、けふのあるしかたの重村の、さきに立て道ふみ分らるゝに行々。

  草のみな花の紐とく秋過てとけ霜さむし山の外陰は

寺の門入より、苔ふかく林おひめくりて、篁しけりあひし中に、紅楓は空をおほひてかゝやかしき。滝のおと岩にふりて、さや/\と鳴もしつかなり。流あさくいさご明らかに、心を是にあらはれてすか/\しき。こゝにはなれて作られし庵に人々まとゐして、酒や何やもたせし物とりなみて、腹みつるまゝに、歌よまんと云。翁みそかに先よむ。

  幾しほの色にやあるらむゝらもみちけふはしくれもよそにめくりて

かた山あやしのとかにて、とよまれしには、幾らの階をかくたりぬらん、日やゝ傾きぬ。目のくらき我は、おなし如にてやあらんとて、(尼よひつれて立くる。暮残る空か、十日あまりの月の朧けなるか、つまつく/\家道のはるかなるに。)

   ◆浅間の煙

土佐の国なる谷為斎といふ人の、不二の烟のさかえおとろへを書たる物の中に、いつの年なりけんをしらねと、我此十とせあまりさきつ年、むさしの国の役よりかへるに、信濃の国を経て浅間山の梺を過けるに、名にたち聞えし高嶺のけふりをあふき見れは、たゝいとゆふの如き物は見えて、烟といはんほとの物はたたす、そこなるやつこに尋ぬれは、此十とせはかりこなたは、山の神のなこみましてや、煙は絶てたつ事なしといへりと。しかるに、ことし天明三年七月五日といふ日、あさま山の高根にはかにもえ出て、めう/\と立のほる火の気に、虚は常闇なすかきくもりて、月日のひかりも見えす、風に降するほのほに、大石こいしを飛せ、真砂を吹おろし、其靡く方は、山も河も田畠も、すへて跡なく〓もれて、其あたりなにかしくれかしの山ゝも、これか為に崩されて、谷の流も川の瀬も、あやしうあつき湯とわきかへりてそゝきかけしかは、それにふるゝ里ゝは、人の数をむなしく成にけり。或は大地裂て家居とゝもに墜入しあり、推なかされて、末遂に海に沈みしもありしとや。五日の午の時より九日のひつしの時過るまては、月日の御恵みもなき国と成て、いくはくの民草をも、何の罪ともなしにむなしくせしこそ、あるか中にもかなしきかきり也けれ。浅ま山よりひんかしの方は、信濃、上野の国原、いさゝかのたよりなく、あさましき境と成はてにけりとや。其あひたの響は天彦に呼つたへ、地もなゐふりて、とほく都方まてもひゝきかよひしかは、こは何のよしにてともしらす、人みな立さうときつゝ、いふかしみあへりけり。かゝるためし、いにしえを考ふるに、たゝにひとつためしなるそ見えける。

三代実録に、

貞観六年五月廿五日、駿河国言、富士郡正三位浅間大神大山(火)、其勢甚熾、焼山方一二許里、光炎高二十許丈、有雷、地震三度、歴十余日、火猶不滅、焦厳崩嶺、沙石如雨、煙雲鬱蒸、人不得近、大山西北、有本栖水海、所焼巖石、流埋海中、遠三十許里、広三四許里、高二三許丈、火焔遂属甲斐国(堺)云云、同六月十七日、甲斐国言、駿河国富士大山、怱有暴火、焼砕崗巒、焦勢草木、土鑠石流、(埋)八代郡本栖(并)〓両水海、水熱如湯、魚鼈皆死、百姓居宅、与海共埋、或有宅無人、其数難記、両海以東、亦有水海、名曰河口海、本栖〓等海、未焼埋之前、(地)大震動、雷電暴雨、雲霧晦瞑、山野難辧、然後有此異焉、云々。

是そ此度のありさまにまたくおなしかりける。

同八月五日、下知甲斐国司言、駿河国富士山火、彼国言上、決之蓍亀云、浅間名神禰宜祝等、不勤斎敬之所致也、仍応鎮謝之状告知国訖、宜奉幣解除焉、云云。

さるは、此貞観の度の災ひは、不二の嶺に鎮もります浅間名神の御怒に触て、かゝりける事と也。こたひの信濃なるも、何てふ大神のかしこに立せまして、何のむくひにかく崇はしけむ。これらの事いか也とも、なほ人の心もてははかりしらるましきを、亀筮そしるしある物にて、しか/\のよし也とは、まさしにうらへ出たりける。又三とせはかりさきつとしの事になん、薩摩の国なる左久羅島といふも、常にはもゆとも聞えぬか、俄に火の気衝のほりて、山を崩し海を〓め、ここはくの人をそこなひし、これも其島の神のいちはやひませしにや。又肥後の国の阿蘇の嶺はいつの世を始也けん、今もひと日絶る日なく燃とそ聞ゆ。此山むかしは燃さりしにや、貞観に不尽の災ひありし其年の十二月に、太宰府言、

肥後国阿蘇郡正三位勲五等健磐竜命神霊池、去十月三日夜、有声震動、池水沸騰空中、東西洒落、其落東方者、如布延縵、広十許町、水色如漿、黏着草木、雖経旬日、不消解、又比売神嶺、元来有三石神、高四許丈、同夜一石神頽崩、府司等決之亀筮云、応(有)水疫之災、云云。

この事をあくる年の二月にみことのりしたまはく、

去冬太宰府言上、在肥後国阿蘇郡神霊池、経淫雨而無増、在亢陽而不減、而今無故沸騰、衍溢他県、亀筮所告、兵疫為凶、云云。

猶此事に依て、宇左の宮へ奉幣使を立られし告文も見えたり。さはこの大神にてそまします。さて此わさはひに、霊沼の水のわきあかりしとのみにて、火の気の立るとはしるさゝれは、其貞観の比まては、もゆる事なかりしもしるかりけり。又是よりさきにも、

延暦十九年六月、駿河国言、自去三月十四日、富士山嶺自焼、昼則焼気暗瞑、夜則火光火照天、其声如雷、灰下如雨、山下河水皆紅色也、云云。

かゝれは、常に燃る所の時時さかんなる事のあるへきは、天地の浅間、左久良島等は、其熾んなる物そと云へし。抑山海僻陋の国には、さる災異ある事、和漢共にあまた見えて、大都平原の地にはおのつからさる事ありとも聞えさりき。さるを、御国の古ことを説聞ゆる人のかきたる物を見れは、彼の中臣のふとのりとこに本つきて、是なんまかつひの神の時ゝあらひませるほとそといへるは、あめつちのなしのまゝなる事を、おのかわたくしなることわりにこときはめんとするこそ、浅はかなれ。古事記、日本書紀等に見れは、いさ奈岐の尊、竺紫の日向の橘の小戸のあはき原にみそきしたまへるに、よもつ国のけかしきをそゝきやらひて、禍津日の神なり、其のもとよりの清きになほらせて、なほひの神は、成ませし御名なるを、中臣の家の一つの伝へもて、かの二神よもつひら坂のちか言のたくひに、われなかき世にまかすことなすへし、しかしたまはゝ我なほきにかへさまくのことわりもありし物に、いひまくるまか言にして、文のおもてのまゝによもえぬそ、直日の霊のなほからさるさかしら心なりける。さる神のいかりに触るは、山海陋僻の国のみかは、僧俗共にあるへきものそ。又、いみしき佞人、をこなるぬす人なとも、かくれをらん、親に孝あり。忠あり、夫に貞なるも、友に信あるも、長寿夭札の相あるも、更にわいためなくて、ひとつにこれをむなしくすること、おのかわたくしより出しことわりのさく浅はかなるには、いかて説おほすへき。又、大都平原の地にも、闘諍のうれひ時時おこり出れと、それはた国しれる君の御心の、懈りにこそあらめ。さるをも禍津日のまかことにましこれりなと云とも、まさしくまのあたりなることわりの方にうなつく人そおほからめ。さりとて、亀筮の術の或は神の怒によれるをうらへあらはし、水疫、兵燹なと、さためかぬるとも信すましきにあらす。唯高貴の飽時なきみ心をいさなひ、利欲にまよふ庶民を嘲くはかりの術は、何にかせむ。大都平原の国にうまれて、物豊かに四の時ゝのついてよろしく、憇きをくらひ、あたゝかなるを着て、命をはらむ、これに過たるさいはひもあらしと、かゝる事につきても、悦ひを述るなりけり。

いまはむかし、宮古に稲の若水と云おはしけり、物ひろく学ひて、其さえもなほならさりける。此おきなか温泉の考へにいはく、地中に水脈あり、又火脈と云もあり、水は浅くて得る、火は深きにかよへり、水脈は多くて火みやくはすくなし、たま/\あらはるゝ物を火井と云、ゑちこの国妙法寺村の地中に出るそ是なる、さるは、水尾と火脈とあふ所にゐ出湯はなりて、其熱きぬるきも、かた/\の勢ひにまかする也と。又云、富士、浅まの山山のいにしへより燃てふも、地火のつきおこれるなれは、はたさかえおとろふ事のありぬへき物そと。此説、まことにいにしへの人もおほしよらさるを、翁そはしめてことわりなせし。水に洪溢あり、潮に怒涛あり、地火も又つきおこれる時のあるへき也と思ふ

を、門生岡国雄なるもの、此比かみつけ野の国人にあひて、其日のありさま、国かたなとをまて問あきらめ、それにつきては、おのか思ふ心はへをもかいそへたる、其詞にいはく、上毛野の国人の謂らく、信濃なる浅間か嶽は、山の背面(そとも)は我かみつけのゝ国に臨めり、其まへを流れて、ひんかしの方は、むさしの国に入る川在、其あひた今道凡三十里に余りてなん、此国を行ほとを吾妻川とよひ、武蔵のくにゝ入てはとね川とよへり。末はとほろしく海に入、鳥か啼東の国々には、二つなき大河也といへり。其浅ま山に川を隔たるむかつ丘あり、万坐山といへり。此山なん、世にあやしくおそろしき所也ける。そのたゝすまひは、巌をたゝすまひは、巌をたゝみなしたり。打見れはよのつねのいはほなるを、水潅き、又火にふるれは、たゝに燃たつと也。よて里人ら、火石てふ名をよひて、かしこみおそれみつゝ、いさゝけはかりの火をも、かしこにもてゆく事をいましめぬ。又こゝのみならす、此あたりをちこちには、さるかしこ物をあらかねの土の下にこめて、其気の水にふるゝ所には、必温泉のわき出ると也。浅間をはしめ、しま河原、いかほわたり、須川、沼田、草津なと、いと多かりけり。こゝにことし天明三年みな月の末よりふつきの始にいたり、浅間の嶺いみしう鳴とよみ、山もえ、いさ子吹うてゝ、それか高波をあくる中より、火石てふ物の躍出て、空に飛ちるなへに、かしこの万坐山に降かゝりしかは、火の気相得つゝ、みさかり也と見るほとに、巌さけ、山くつかへり、沢水のあつきとゝもにねあつま川にみなきらひておしたちゆくほとに、あはや世のたゝいま尽るにて、天つちをも焼かほろほしなんいきほひしたり。又ふつきの八日の昼つかたに、ひろとらは百さかにもあまりなん火石のもえほこりたるか、大内沢の水そこよりほとはしり出て、川のま中に推出さると見る/\、其行こと投る箭にひとしく、申の時過す、二十許里川下なる平塚てふ所の岸根にとゝまりぬとか。猶此石の大小となく焼なかるゝ事数をしらす、河の水はこれにわきかへり、雲霧なすおほつかなかりけりとや。寔に、貞観の富士のわさはひに、本栖、勢、河口の三つの海の焼うもれしといへるも、かゝるにこそとおもひはかられぬ。さるにても、此火石てふ物、いかなれはかくておひ出にけん、いとあやしきにつきても思ふに、本より、硫黄山をやき、水を蒸てあつからしむるてふ説は、いふにもたらすなん。こゝに程子外書と云ふみにしいへらく、

石炭穴中遺火、則連蔓火不絶、故有数百千年、今火山蓋為山中、時有火光、必是此箇火、時発於山間也、

と見えたり。こも又、此ためしにかなはすといへ共、火脈、水脈の論ひも、猶これらもては尽さゝるに似たり。又、異物志にいはく、

豫章有石、黄色有理疎、以水潅之便熱、可以烹肉、冷則再潅、張華謂之然石、高安亦有之

と見えたる、是そ粗相似たる物とかいふへき。されと、そも物をそこなふはかりのいきほひありとしもしるさねは、似て異なる物にはありけらし。おほよそあめつちのなしのまゝなる事のおくかなくたとり弁ふへからさる事は、思兼の神もことわり極めさせ給ふへからす。是をもておもふに、よろつの事、おのか心のさかしおろかをもはかりしらて、あなかちにあけつろひことせんこそ、いとをこかましく、はて/\は、天津神の罪をも得てんものそ。こゝに此事を云は、貞観の記にも、かくあやしくかしこきさまゝては録させ給はす、上田の翁のにもいひもらしたまへりしかは、今はかいつけぬるもの也、云云。こは事のさまつはらかに、あけつろひもうへ/\しく聞えたり。これにつきても、御国には、いにしへよりさる物の似たるを挙へきかたり言も伝はらす。もろこしは国も広く、大かたは山によれゝは、其くさはひの物も多かるとは、をちこちのふみに見えたり。今は我見しはかりの一二を挙ん、眼ひろき人の見たまへるは、これのみかは。

酉陽雑俎云、建城県出燃石、黄色理疎、以水潅之則熱、安鼎其上、可以炊也。亦云、無労県山出石墨、〓之弥年不消。○続博物志云、南昌県出然石、異物志云、色黄(而)理疎、以水潅之便熱、以鼎炊物可熟、置之則冷、如此無窮、元康中雷孔章入(洛)賚以(示)張公、張公日、此謂然石、又云、晋書日、漢末博士燉煌侯瑾善内学、弱時出流沙、(流沙)与水流行也、在西海郡北山、有赤石白石、以両石相打、則水潤、打之不止(已)、則潤尽火(出)、山石皆然、炎起数丈不滅、有大黒風、自流沙出、奄之乃滅、其石如初、不敢軽近耳、又云、火井以草〓之、則煙騰火発、湯井以草内之、則露凝。 ○唐類函云、玄中記日、南方有炎山焉、在扶南国之東、加営国之北、諸薄国之西、山従四月而火生、十二月火滅、正月二月火不然、山上但出雲気、而草木生(葉)枝条、至四月火燃、草木落葉、中国寒時草木落陽也、行人以正月二月三月、行過此山下、取柴為薪、燃之無尽、時取其皮、績之為火浣布。広志曰、火洲在南海中、火燃洲、其木死更鮮。異苑曰、臨〓有火井、漢室隆則炎赫弥熾、桓霊之間火勢漸微。括地志図曰、神丘有火穴、光照千里。拾遺記曰、員〓山西有星池、出燭石、常浮干水、色質虚似鉄、焼之香聞数百里、煙気升天則成香雲、ゝ偏則成香雨。○説類云、〓輿山有員淵、千里常沸騰、以金石投之、即爛如土矣、孟冬水涸、中有黄烟、従地出起数丈、烟色万変、山人堀之、入数尺得爛石、如炭減有砕火、以蒸燭投之、即然(而)青色、深堀則火転盛、有草名莽煌、葉円如荷、去之十歩、炙人衣則〓、刈之為席、方冬弥温、以枝相摩則火出。又云、老学庵筆記曰、呉中卑薄、〓地二三尺、輙見水、予頃在南鄭、見一軍〓、火山軍人也、言火山之南地尤枯瘠、鋤钁所及、烈焔応手涌く出、故以火名軍、尤為異也。

これらのたくひ見ゆるも、悉く異にして、常なる物の、いつの代いつの時さかん也ともことわらす。かつ国民を損害する事も聞えす。さるは国雄か論せることく、あめつちのなしのまゝなるは、人のさき心もてことわるとも、いかてつくしえむや。寔に、貞観の不尽、此度の浅間はかりの事は、こゝにももろこしにも、いにしえよりあらぬわさはひにやとおほゆ。今はむかし、加茂の真淵の翁、都にまうつるついてに、碓氷の嶺より此山を見さけてしるされたる其詞にいはく、浅間の山はや、ことゝへはいふ人毎に異なり、此嶽はもゝ隈の道のをちよりも見れと、ひなくもり、うすひの山こゆる時こそ、心もおとろかるれ、いはまくもあやにあやしく、懸まくもかしこくかきり也けり。上津三坂の山の影面は、鹿児しものひとりあかりて、雲井ふみあたすいかつちのうえに秀、そとものおと山はくらおかみのさり(ひ)きてむかふす雲ゐにいたり、すへて下つはら山かけてたゝ黒にくろく、いやゝけにやけたる岩むらになもある。抑云人毎に異なるは、烟のかたち也、天つたふ日影おしはるきしな戸へのいふき静なる時は、これそ天津みはしらなして、よそりなくみ空のかきり立昇るあり。又、あしひとつあかりの宮を高天の原に千木たかしりなす時あり。かつ下つかたゆよそりのほる煙の、末はも五百重立浪千重まく渦なして、其甍をはやせるは、闘鶏の工らもけつりあへんかも。又迦具つちのみこゝろあらふるときは、烟くえくえ火の気たち/\、響は八十のいかつちをつとへ、いふきは千引んの巖をはらゝかし、ひさかたの月も日も焼かほろひなも、あらかねのつちも吹かさくらめとそおほゆ。しかはあれと、人ちふものゝいかてはかりあへむ、天津児屋根の神のかんほさきにほさき、思兼の神おもひましなもにはしも尽しなもやといふ。

   ◆鶉の屋

あはれ世に立交はるへき身は、其ほと/\につけて、智と云物の有まほしき。そも習ひもて付たらむか、己か性の如なれるは、いともかたしかし。常にはかと/\しく打ふるまへるも、いてや事にさしあたりては、我心からたのもしからぬよ、父はゝのたま物ならぬをいかにせむ。世のしれものに嘲めらるゝ身の、人には立ましはるへうもあらしなと、やう/\おもひしめるも、此二十とせはかりかほと、はかなき世に立さまよへるを、おほしかへすによりてなりけり。さるは、

  冬ふかみ落葉かしたの山の井の浅きかまゝにうもれはてなん

とそ思ふ。又或時は、

  有わひぬ憂身なからの年月をけふより後のふる世いかなる

とも打かこたれぬ。病すこしひまある比、平瀬の助みちかあらし山の花見に出たゝしやと云に、さそはれゆく。天竜寺の内にて三秀院といふをやとりとす。我も去年の夏ひと夜かりし所なり。あるしの法師いとかはらかにおはせは、よろつのとけうて、三か四日あそひ暮らす。此ゐんは世に名高き所なりき。南の格子明けわたして、嵐山、大井河も、たゝこの庭のものなり。となせの滝さしむかへる所に、仮初なるいほりあり。似雲といひしか心すませし跡なりとや。此法師は言の葉の遊ひに耽りてと聞しを、かたり給ふを承れは、行ひのかたにも、まめ/\しくおはせとしや。此庵またむすはさりしいにしへも、をり/\まうてきて、此あたりにたゝすみつゝ、あかぬなかめしたるを、我師のあはれと見たまひて、やかてこの柱立して住しめ給へりける。住そむる日、師のさとし給へりけるは、年月にしふねく見しかは、本ゐ遂させつるなり。かゝる事につきてそ、我国師の、

  おもひ入住ぬる山の庵にも心とむれはうき世とそなる

となんよませ給へるを、こゝろ得たるかと聞えたまふを、いとかたしけなくすんしかへつゝ、やかて風早の中納言の君の御筆乞奉りて、朝夕此壁にかけたりしか、今は永き世のかたみと成にき。又いほりの名を任有亭と呼も、我師のかいつけ給へるなり。此文字のこゝろはへは、御寺いまたはしめ給はさりしいにしへ、亀山の帝のこゝをはこやの山にしめさせ給へりしおほんに、

  わか宿の物かあらぬかあらし山有にまかせておつる滝つせ

となんなかめさせ給ひし、其有に任せてふを、犯し奉しにそありける。かつ此文字は円覚形に見えて、かた/\有かたきこゝろはへなりとかたらる。この事の面しろさに、こゝにこのまゝなる旅ねしてんと、すけ道のすきかましきを、あないみし、かく人気とほき所はあしきけにふるゝものそと、かたくいましめられると、ひと夜はかりはとてふしぬ。さすかに、山かせや滝の音や、おとろ/\しうて寝られす。更て河ちとりの声あはれなるに、かはつのころ/\とさゝやかなる鈴の音して、そゝや、むかしの歌に、河津なくとよめるは、これか妻呼声なるを、いつの世よりか、雨の沢田、こもりぬの夕暮に、うたてかしましき物の鳴ねとするは、はやくの人のあやまれるなりけりとかたれは、なつかしきものに、これかれきゝつゝ、夜すがらにて明かしぬ。此やとり、すゝろにあはれなりとにもあらねと、かねてしもおもひわつろふ心を、これにつけても独こたる。

  おもひしむ木の下かけのいほりかなうきよの外のかりねしつれは

又いほりの名につきて、

  なけ木こる山にもいらしけふよりはうきを命の有に任せん

といふも、あすは亦、いかにおもひたかふらん、いとおほつかなくなむ。山の花はきのふけふそ盛りなる。都なるゐ中なる打群つゝ、宮人達のかりくらし給ふわたりともおもひしらて、物恥なき翁、わかき女共も立ましりて、きたなけに物くひちらし遊ふ中にも、墨の袖打かさし、いまやう拍子とりてうたひのゝしるは、酔こゝちともみゆるしかたくなん。この面かのもに所せきまておりゐて興しあへるか、山彦に呼かはして、岩せく水の音さへけたるゝには、見にとて出どし花のあたりには、えも立よらす、室の外にも頭さし出すへうもあらすなん。やゝたそかれ時にもなれは、山風の吹やらふか如、あかれ/\に散ゆきぬ。立出てみれは、

  みな上をくたす筏の跡絶て夕の河に花散うかふ

あしたの読経終り、茶かき立て給へり。けふの壁には、土左の光信かかける六祖のかたを懸らる。こは東福門院の御許へあつまより奉らせ給ふなるか、さる故の有て、我寺のみ宝となりぬる也、み表装はからの紙もて調せられしを、宮こなる柴野の邦彦と云博士のみはへりて、絵のめてたきはさらなり、此よそひのいとかたしけなきとてめて奉りしと、かたられき。寔や、かゝる物は、市人のともすら、古代の唐織や何や、価たふときかきりもてよそひなせるにあらされは、観る物にあらぬかたにいひくたせるを、かゝるうへなき御あたりの、これはかりなる御玩は、かへりていとたふとしな。はかせのめてられしことわりの、むへなりけり。けふは都にいつとて、

  山のみな散はつるまてなかめせは我世に春のうさやそはなん

助道は猶とゝまられぬ。

やよひつい立、御築垣のあたりをゆけは、人あまた立つといへり。なに事とゝむれは、鷹司のおとゝの一の人になり昇らせ給ふ拝賀の御参り也とそ。みなみのみ門のまへに、人/\と立こみて、待とほ気也。とはかりしてねり出させ給へりけり。みさきおふよりして、供奉の人々の、よそひいかめしくかゝやかし、御手輿四つ、おとゝの御じし、わか君の御こし、ふたつはれんせいの為やす君、ためふみきみなりとそ。み知れるかきりは、何の君、くれの殿と、をしへきこゆれと、なめて御ひかりのまはゆきに、いみしくさしあふかれて、あなたふとゝ、拝み奉るはかりなり。

さてしも、うき世の外の仮寝、身におはぬものから、又も立交はらしのひたふる心より、老たる人々をもすかしこしらへつゝ、むかしの長柄の浜松陰に、もとよりのしるへして、あやしの小家に移りきたるは、身の病をもいたはり、かつはついの屍はふらすへきさかひもとめたる也けり。此春の雨間なきに、いさゝかのすりをも煩らわされて、う月の廿日あまりにやう/\移りて、ひとたひは刈はらひしも、いつしか深き雨の中に、もと見し草の原となりんたり。れいのかこたれて、

  むすふよりあれのみまさる草の庵を鶉の床となしやはてなん

まことや、鶉といふ鳥は、常のすみかをさたむる事なし、露けきあら野、或は垣ねの葉かくれも、しはしかほと身をやすからしむるとや。皺かきたり、やつか髭霜おけるにも、猶住つかん所たにさためす、をちこちしありくあさましさを、かれにたもあえなはやのしたなけきして、いほりの名を鶉の屋と呼事となりぬ。麦の秋かせ吹わたりぬれは、田長鳥やなんかのいそきして、刈干わさのあはたゝしさよ。此春のなかめに損なはれて、年のはの半はかりにもあらねとて、戸毎のなけきを聞事のうれたさよ。昔鎌くらのおとゝの、

  時により過れは民のなけきあり八大竜王雨やめ給へ

とよみませしは、かゝる年の御憐みにこそ。としのやしあしは、おほやけの御徳かゝれるものに、はかせ達は云へり。聖の御代にも、年あしゝとて、御こゝろを苦しめ給ふ事、唐やまとの何くれのふみに見えたり。あめつちのおのつかなる事ともは、人のあつかるましきにやと、おもひよれる事も侍り。そはとまれかうまれ、またうひ/\しき里にきて、かゝるを見きくことのうたてさよ。

  身のうさに年の歎きの数そひて露の命のおきところなき

あか時、水鶏の声を聞。

  棲みつかぬ宿の朝戸のおとろきはたそやくひなの鳴音なりせは

難波人たれかれとむらひて、使してあはれかるも有、文こまやかにておほつかなるもあり、かゝるにこそ人の心はみらるれ。常には交深りしも、あからさまにたのもしからぬかすに、此度おもひ放つ。さはかりならさりしも、いかて此年月疎かりけんと、おのかまなこのさとからぬを悔るもありき。又かくて在を、さがなくいひそしれるも有とや。世のしれものか骸骨の棄ところとは、情しらぬ人のいかて思ひしるへき。中/\にあはつけれは、稀にも問ぬそよき。

  世の中のあふさきるさを身にしめてとありかゝりもいはてやみなん

    ◆うかれ鴉

れいよりはすさましきみな月の空に、小草の葉のそよくはかりも、せめてふけかしの風の便に、都のそとものさわきとてきこえくるは、ろく山のみたれならて、三千余りのうた姫らか、いかになるらん、身を泣さけふこゑは、こゝちそする。かねてはあさましのくかひともおもひたらねは。、盃の流に我をせき入りて、千ゝにくる情の中にも、かなしむをとこによかれせしとさへするものを、今は死はやすかれとまかせす、さりとて、いきん命ともおほえすかし。其おもはるゝやさ人も、あはれ身をすきまの風になしても、あひみるよすかもかなと、おもひくすをれては、親ありとも身ありとも、まして世わたるわさなとは、いとはるかなる物にて、箸たにとらぬおきふしは、をりからのなやみにもかこつけへき紅の涙はかりは、何にかまきらはさん。又ゐなかなる少年の、道のまなひのための京すみに、大和大路の君にまねかれて、よことあされあるきしも、机のつら杖にひとりことするは、

 坑儒秦帝暴、駆妓越君仁、紛乱落花暮、吾唯悲一人。

なと、うめき出ては、学業のほまれも、国手たらん志も、大そらの物にやなすらん。又末の玉のこしを、ひたすらにたのめる親の心は、あら鷲のかけりに、いとしことられたるこゝろまとひしてよ。すへて洛外無数の酒を売家ゝには、あさまの嶺のとみにやけほこり出しにたとへなされて、おのかつね/\罪ありともおもひしらぬには、あなおそろしの世や、あなうのけふやとも打かこてる中には、まれ/\火くひ鳥の非をくゆるとも、今はかひなきものそ。はつかあまりの月、しら/\とさしいてたる河原面に、山かせや水のおとや、打あひてさやかなるにも、うかれ鴉の心からや、闇のうつゝにまとはれつゝ、なにかはもてあそはん、さるは素湯にこかしの川せの牀に、なかれをたつねてすむ影の、いかにすゝしからんと、あし火たくやのいふせきには、おもひやるさへ、いときら/\しきをや。

 寛政二年夏、河東妓館騒動之後見寄

   ◆仰観俯察室記

曾て是を人に聴、いにしへ唐虞の君は、あめつちのおのつからにつきて、邦をひろめ民を親しみつゝ、たゝ安きにやすんしたまへりとや。民をしたしむは、物を足しむを教ふるなり。是を教ふるは、時をしらしむを事とす。羲和をして日月星辰を観せしめ、四の時をついてゝ、一とせ三百六十六日、三とせにひと度、五とせに二たひ閏余をはかりて、歳を成す。是をはかるに、〓〓玉衡を造りて、盈と虧るを俯してあきらむる、是なん、ことわりを窮め知るを致す也。仲康四海に法を施き、胤侯に六師を司とらしむ世に当りて、たそや、酒にみたれて職を怠り、民に時をあやまらしむるを始に、世々此事の伝へおろそけに成んては、人ゝ俯しておもひをふかめつゝ、仰きてはかりしらまくする私の思ひかねに過るには、あめつちのおのつからにたかひて、わつかに百とせを待すして、こと/\いたつらことゝ成くたちぬれは、こゝに、旋〓、玉衡、〓竿、漏壷の工みなるも、むなしく、土城、竹馬のたくひの世の塵に交りぬとも聞ゆ。唐の時に、西洋の僧に法を習ひて、羲和かいにしへに立かへりしと云しも、又次ゝの世に、智数の士のおもひかねにあやまりては、再ひくらきに入にしを、明の末の代にいたりて、又西洋の人の来たりしに、習ひつたへてしより崇禎の暦事あらた成しかは、胤征の酔こゝちはこゝに醒たりといへとも、うたて世の乱にさへられて尚致さゝりしを、清の代にかはりて、康熈のみおもひふかく、欧羅巴の国人を召て、観象臺にこゝろみさせしかは、是を測るうつは物成とゝのへて、霊臺儀象志をはしめに、暦象淵源上下の編なりしに次て、尚も雍正の御時に精しきをきはめ給ひしかは、いにしへ唐虞の帝業をさへあきらめつゝ、国富み民は所を得て、物足り事とゝのへりとや。御国にも此くはしきを習つたへて、今や、阿妻の大まへに、万の道ゝの博士を召あけらるゝなへに、此羲和かいさをしをも、基人をえらひたまふにあたりて、故さと人間重富こそ、此事をうまく習ひ得て、夜ひる懈らす、十五楼上のあふき観ては、この小堂にくたりて、あきらかにことわりを窮めしかは、知るを致すの名、駿河なる高嶺にひとしく聞え揚けるを、はた召せたまひて、此事あつかるつらにくはへさせしかたしけなさよ。翁と交りの浅からぬ故もて、此小堂をよふへき名求らるる。我しらぬ道には、かいさくるへきたとりすへくもあらす。易の辞に、

仰以観於天文、俯以察於地理

と云る古ことのあとのまゝに、仰観俯察之室とよはゝいかにと、試かてに問ことはすなりけり。

   ◆江霞篇

難波にくたるゆくてなれは、伏見の郷のしるへを先とふらひしに、繋かぬ舟の、ゆくもとゝまるも風のまゝなるには、一夜やとりぬ。あくる空のけはひ、ほから/\と、此日ころめつからに晴わたりぬるに、日高きまて眠る/\、埋火にさむき鼻あふりかゝまりをり。昼間過るほと、こゝの岡にのほりて見れは、今日はやよひの三日なりけるを、年のさむき気に、桃の林もやゝ含めるか中に、やかてほころひなんにほひしたるも、はつ/\見ゆ。梅の散のこりの猶薫りきて、袖にしめるそなつかしき。松のむら立てつかさめきたる所に、芝生の塵打ちはらひ、木の根に腰うたけて見わたせは、霞める今日の空にも、おほかたのくまなくて、我心さす伊駒高ねも、朧かに望まれぬ。淀の大沢、巨椋の江、共に海なして、舟のいきかひ打みたれ、水鳥のあまたおりゐ飛立なと、いと面しろ、波の上にはらはへる、塘にちひさう人のいきかふは、絵にや写うへき。宇治のをち方は、河の流をしるへに、そことさためらるれと、老やみならぬ目の曇に、いふせうおほつかなくてのみ。こゝを或人の、もろこしの西湖とて名高き所は、またく此わたりとひとつなかめそと、いき見しか如いき定むるをは、誰も/\、我うふすな国をひくかたに、しかこそなとうへなへるも、わりなけれ。かしこはいと賑はゝしく、よき館、よき寺なと、いかめしく立つらね、酒売家、うた姫等か楼の江に臨みたるさまを、ふみに絵に、大かたは心得られて、翅もかいないきて遊はゝやと思ふも、わかうゝきたる心にやあらむ。さは清き江や、山や、此にきはゝしきにけかされて、是らなからましかはと、老たる人はおほす覧かし。おのれ思ふに、こゝの見わたしのさるうたてき物もあらて、たゝ/\掃きよめ、塵もすゑぬなかめをこそ、かしこにはまさりたらめとて、杖もおき忘れ、目は玉かゝみにたすけられて、心くまなく、時過るまて休らひをり、又思ふに、そゝや、こゝはいにしへ豊臣の君のまつりことあつかりまうしたまふ時こそ、天のしたのたけきものゝふ達をめしまるはせ、大城にはこかねを延へしかせ、甍は玉をゑりみかき、高殿ここかしこにひまなくたてつらね、足一あゆみに、目を改めたらむ。そも見ぬ世のたゝすまひなから、朝影、夕はえに、いかはかりまはゆかりけん。この君の御心のおほけなさは、今も猶其御かたみともの、をちこちに跡をとゝめ、又市町のところせきさまを見、よと野の大江に堤を築わたされたるは、彼東坡と云し人のためしにもこそとはいへ、おほけなさも、きらひやかならんにも、取ならへてくらへむには、桜さく木の本のすみれ草はかりにやあらむ、楚人の一炬のたくひに、幾とせも無く春草もえ、田圃にすきかへしつゝ、なかめこそあれ、いとさひしけなる野山に改りぬる、はたいにしへに立かへるへきいはれの有てなるへし。風寒く吹たち、かすみはほころひ、雲のたちまひして、雨やふりくと、足のよはきに、たとる/\くたりく。道ゝ口すさめる哥、

  たえ/\の霞のひまも浅みとり空にまかへるよとの阿波

  おほくらの入江の春のひな曇りゆふ浪たちて霞流るゝ

  をちかたの宇治の山さとゆふされはかすみに雲の立まさりつゝ

  山ゝをこめし霞も雲に凝り雨をふゝみて夕くるゝ空

                            餘斎草

春の嵐れいよりいたう吹あれて、雨も時ゝふる。ひと夜と思ひしやとりに、指をかゝむれは、けふ六日なぬかにそなる。難波かふ内の人ゝに物かたらまほしきすゝろ心も、横江の詞に、如是風波不可行と有をおほし出てそ、都にかえりしに、あなおそろし、十日の夜、かた野、三島江のわたりにて舟を吹しつめ、人あまたむなしくなりぬとはまことか。をしからぬ老か残の齢にさへ、かゝらさりしよろこひを、人も我もいひあへつゝ息つきをる。春の光やう/\に、いきゝの袖も花にやにほふらむを、こゝろさすかた先心にかゝりて、ふたゝひ出たつ。この比のやとりのあるしは、又都まう出してあらぬ庵に、一こと書残しておきつ。岡のへの松のむら立、心にかゝりて、又ものほりて見わたせは、桃の林は今をさかりにて、あまつみ空も酔りと云は、かゝるをこそ。あまりのまほゆさに、物いふへくもあらす、山も江もはろ/\に霞わたれと、さすかにかくれぬ物から、あかすおもろしろきに、けふも時過るまあてなか目をり。春の江に秋の木葉の舟うけてとのみに言もつゝかす、堤上蘇公の楊柳、湖辺王令の桃花と、うたふ/\くたりく。菅原の神やしろのみつ垣の内なるいほりに、都の橘の何かしと云物しりの、病いたはるほとこゝにすむと聞しかは、めつらしさに問よる。おもひかけぬものにむかへとりて、南のさうし明わたし、茶かう、くた物とりなめて、あるしせらる。壁には池の翁か写せし西湖のかたを掛られたり。ところにくらふとや、いと心あるものかな。蘇〓〓院三潭両峰、かしことこゝと、まさりおとり、いつれとかほすなるへし。かしこはこゝにまさるとも、絵はいかはかりてめてたくと、まさ目ならねはいかにうらやみあへむやは。たゝ/\この軒に入来たる山や江や、価なきうつし絵そと、こゝに又しはしかたりなくさむ、心ゆくあはれさなりけり。紙、すゝりとう出て、物事へくおほせたふ。承りぬとて、

  三ちとせの花の林の君とへはあえてよはひのかきりしられぬ

  ふし見山花のはやしはもゝ鳥の春のかきりやゝとりしむ覧

春をこゝにつくして、都にかへるへく聞えらる。やまひの事、かたみに相あはれみて、かたりことはてす。舟のりすと人や侍らむ、あかぬなかめなから、扉をいつれは、日はまた中空にて、江を照し、山みねをかゝやして、霞もほころひかちに。

   ◆棲鴬園記

言さやくから国には、ほうたんを花の大君とめてはやせる。そもふりたる世には見しらて、開元、天宝の年並にこそ、咲きほこりたるとは聞つたへたれ。むへも、花のゑまひは、くれなゐ、紫の色をあ(九才)くまてふかめ、しろきも物に似す清うにて、香はかりは、うたてきまて、あつくこきをは、楊家の肥婦の腋の臭かりしと云にさへ、たくへられては、名花、傾国、ふたつなからんといはんも、口さが無しとかあはむらんかし。御国にわたり来ては、詞花集によめるやはしめならむ。開落二十日とは、花ひとふさの上にはあらぬを、はつか草てふ名のあた言なる、汗槿花一日のためしには」たかへりや。近き代の人の、牛にまたかりありきて、この花の名をさへ犯したるは、黒ほうたんのいはれ、いとおかしくもおほゆれ。かしこの西の蜀と云国にては、是をなん樵つみて、薪とすなる」と聞を、園に植、いほりなと造りて、雨露にあてしといたはる人の、いかに情無しとや悪む覧。人のおしへの文、鳥の跡元ふ物のくさ/\、木草の花の色/\をまて」、御国のにはまさりたりとて、価をしけなく買あつむる人は、たゝ長き啄して、飽時あらぬさまなり。中ここに見ぬもろこしの鳥は来ましくいひしも、今は秋物にかよはされて、こなたかなたに狸なつかしめるには、桐の葉もよく秋に耐へきにや。棲鴬園とは、それらをまても、こめて元ふらんかし。周公、孔子出まさすとも、かくお治まれる世の栄えには、しか珍らしく賑はゝしきこそ、いともたのしけれ。

  木すゑみな散にし春の暮かたに色ほかみてふ園のうゑ草

                         六十六齢餘斎書之

   ◆幽石軒記

   白雲挂幽石と云句のこゝろを

  吹たゆる嵐のひまは峰にたついはほに雲のかゝりけるかな

石はたゝに雲の根とさへは、共に相離れぬ交りとこそ云へけれ。これかおひのほりて、空に立まふかたちを見れは、霞たつ春は、蘆たつの天に横たふよとあふき見られ、夏はあやしき峰を夕毎につくりなし、冬のさむきにも凝りてのみはあらて、〓をさそひ霰を走らせ、雪かき暮しつゝ降とこそ見れ。やゝ晴ゆけは、月の光をもらして、あはれの夜やと打なかめらるゝに、猶繊き雲のところ/\に靡きあひたるかをかしき。此軒にはこの跡無し物の入来て、月をなくさむる也けり。比叡の嶺は、

  外山には霞たなひき大日枝の高ねあらはに冬けしきして

そゝろにもいとさむけにて、

  雪きえぬ山は比良のねあふみ路の海ふく風や春なかるらし

如意か嶽には、この山つみのおほしやにらせけむ、相国寺の大とこの、文字一つを谷峰かけて筆走らせ、ふん月のそれの夜、是に光を揚て、宮も藁屋もあふきのぞましむは、世のめさまし草よな、岩くら、花園、賀茂山につゝきて、目を流しやれは、愛宕こそ空にかしらを突入るゝはかりにて、そのあまりの山ゝは、九重のとのへの御墻なして、むべも大宮しつもりますへき国原なりけり。此見ゆるあたりは、いにしへのにしこりの郷そと、人のをへしには、

  露霜のあしたに見れは山姫の錦はいまも織れるなりけり

よつの時々をかへて、このあるしか心をとり/\なる詠めとや云へき。さてしも、雲心なからむやは、こゝろあれはそ、其かたちを物にはかたとれるなりけり。

   寛政十一年の春二月中の九日にかいしるしぬ。       無腸居士

   ◆清香庵記

おほかたの人の心は、造れる家居、好める調度のさまかたちにも見らるれ。垣根の菊を手折、池の蓮に眼をすゝしめる人は、はとかたなるかたは心とやいふへき。春秋の木草を植なめつゝ、見はやさむをこそ、かた/\よらぬ直きさかとはへけれ。庵を清香と呼は、花にあかぬもしるく、みつからを卉仙と名つけられしは、草を帝といひつかひたる古言の由とも聞ゆ。日ゝに趣をもかへなん園に、露をなめ、花ふさを吸、鳥むしにも身をや成す覧。家の富世に聞えたれは、此見ゆるかきりは、おのか田圃の秋の穂波の末の前の海つらに吹わたりて、目もはろ/\也。繞れる松のむら立も、いつしかそなれ汐なれて、さしかはす枝毎に、千とせの栄えもたのみ有て、おひなひく竹の林には、月を篩し烟を篭め、垣の内外に流を曵ては、島を作り塘を築、花ならぬ処も無く、足のあゆみに目の改りゆく。むへもおもむきの日ゝにかはるなるへし。高くさゝけなせし軒には、生駒根にいさよふ月をかゝけ、武庫の夕影の潮をてらす光に觴を挙、糸竹の音を空に響かすを、打聴ん人の、聞に及はぬてふさかし言やはすへき。絵かく人こそ、写しも出へき。翁の口の鈍きには、いかていひうへきを、おのれもあかぬこゝろから、あるしにかはるとは無しにうたふ歌、

  花鳥のいろにもねにもほたされていとま有身のいとまなきかな

                       餘斎阮秋成記す、時に歳六十六

   ◆清香庵記(異文)

おほかたの人のこゝろは、造れる家居、好る調度のさまかたちにも、打見らるるなりけり。垣ねの菊を手折、池の蓮に目をすゝ(し)むるは、猶一かたなるかたは心とや云へき。春秋の草木の数をつくして植おほゝつゝ、見はやさん人をこそ、かた/\よらぬ直きさがともいふへけれ。庵を清香と呼るは、花に飽ぬもしるく、自等を卉仙と名つけられしは、草をは帝といひつかひし古ことの由とそ聞ゆ。家は世に富たれは、ひとのかしつきたきまゝに、門の鎖をつねにゆるし、日ゞに趣をかふる花園に、露をなめ、英を吸、蝶とりにも、身をなして遊ふ覧。なかむれは目もはろ/\に、おのか田圃の秋の穂波たつ末は、前の海つらに吹わたり、繞れる松のむら立も、いつしかそなれ汐なれ、枝さしかはして、千年さかえん色前をふかめ、おひなひく竹の林には、月を篩し煙をこめ、かきの内外に流れを引ては、島をつくり塘をつきめくらせ、足一あゆみに物改まりゆくこそ、千はやふる大山つみの作りなし給ひけんと、目もあやに驚かるれ。高くつくりなせし軒には、伊駒高根にいさよふ月をさゝけ、武庫の夕影の潮を照すなかめに觴を挙、糸竹の音をみ空にすましつゝあそふらむを、絵にや写出ん。口鈍き翁はいかていひ得んやは、さはいき見ぬにこそ中ゞに筆はとらるれとて、人のかたり聞ゆるまゝを、かたはしはかりかいしるし侍る。

 花鳥の色にも音にもほたされていとまある身のいとまなきかな

                               餘斎阮秋成草

   ◆水やり花

是歳享和二年六月十九日、あしたより空かき曇て、降雨風をさそふはと見る/\、いやふりに、いや吹に、木立とものうれ、わゝらに地にはひふし、あたりの家の牆を倒し、塗りこめの壁をこほち、軒の瓦は秋の葉のちりのまかひに、此とゝろける響は、八十のいか槌に耳ふたけと、猶胸さわかるゝをいかにせん、恐しさ世に似る物もあらすなむ。暮はてゝやゝおたしく成りぬれは、人々事なかりしを喜ふはかり也。あくるあした、人のかたり聞こゆ、宇治橋又も中たえて、槙の嶋の堤崩れ、大倉江をつらねて、末木津河に落あへは、淀の大城、市町とゝもに、みつきにみつきて、さしも畳なせし石牆をこゆるに。いつ藻の花のいつもならす、簀の子の上に流あへりとや。伏見の岸の満たゝへては、軒にはひ棟にのほり、或はむなさかの水かき分て、まろはしとすまひつゝ、まとひあるく。広き江にはらはへる大橋も、せき落されて、猶逆上る水の、鳥羽田、久我縄手に湛へ、すへて高き処は庭に流あひ、低きは簷を浸すなと、あはれいつはり言なれかしとそ思ふ。八幡山の麓なる家居ともは、木津河のみかさあふれかゝりて、かねてしも雲に乗はかり高く造しさへ、棹流したる小舟の浮たゝよふとか。又、わきて近江の海に入る早川の落たきつ瀬、高宮、恵知川、野洲のわたりの高波に、武佐、かゝみ、もる山の駅々、すへて海となるにも、草津そ殊にあさましく、人もあまた失はれしと云。鳥の翅にかけてやこし、河内のくさかの郷なる森の公達か音つれ言来たる。急ぎ披き見れは、さきのたいめに、やかて彼わらは召つれてまうのほり侍らんとおほしゝを、あなう、昔より聞しらぬ事のおこり来て、吾郷こそあれ、すみの堂、加納、榎並の庄につらなり、南は、松原、今米、菱江より、西の方は、たゝに大湖とか云かりきなき海に成て、難波より日毎帆揚たる舟ともの、里 を乗越つゝこゝまてかよひくる事、いかになる覧、世の末そと、人々たゝ/\虚をのみさしあふき、手を空しき物に、日ころ過す事よ、はらからやからも、水底なる処はいかに成はてけんもしらす、此麓なるぬの市より西は、何のたよりおとつれもあらす、朝ゆふたゝ波のたゝよふをのみゝてあるか悲しさ。こゝの尼は、みな月の十日あまりに難波に出て、道失ひて帰らす、翁よりも便あらは、恙なくてと聞きしらせ給へと、筆とく走らせたり。又聞、河の西なる山さき、みなせのわたり、高槻、三島江につゝきたるは、なこりなくみなきらひぬとや。河内の国の海なすは佐太のわたり、二処より溢れ入、南を指て凡五七里か間、東は伊駒根をかきりて淡々しとなん。水やり花の神は、まこと迦具土よりも荒ふりませりける。抑此わさはひの有さまに、眼を閉て思ひめくらせは、水もとは、伊賀、い勢、近江の国ゝの、谷ゝのそゝきに触て、うたて煩らはさるゝ也けり。是につきてそ、いさゝか書あらはして、人も吾も心やりなる便もやとて、秋のあつさやゝ過しやりて、八月五日のけふ、筆は取初ぬ。いてや、見ぬ国の境まては云へくもあらす、我津の国とかふ内の国とのみをいはん、日本書紀、仁徳の御宇十一年夏四月の詔に、朕つら/\此国のかたちを見そなはせるに、江の末、沢沼のみ広こりて、田圃とほしく、いとたより無きさまなるは、をちこちよりくる遠しろき河波の、横さまに流れて末通らねは、たま/\雨にます水に、民の家居を浸し、いきかふ道も、ふな〓とりてかよふを見るか悲しさに、あらたに江を堀さき、河またを分ちて横浪をとほらせつゝ、西の海にそゝき入んとみはかり事し給ひて、冬十一月、大宮の北なる原野をほりさきて、南より溢るゝ大和川の水を道引て、海に入しむ、其処を堀江となん呼は、今の大城の北なる広き流なるへし。又、北よりくる山城川の漲りをせかんとて、江の東かふ内の国に、茨田の堤を築しむ。{いばら田、約言まん田と云、今も茨田郡あり、寛永の河ちがへに、河の西に属して、本郷は津国島上郡三島江に隣れり、俗訛に今はばん田と呼}こゝに二ところ塞とゝむましきか有て、是にたつ民の力をむなしくするを、いたく歎かせたまへりき。或夜の御枕上に、神の来て告申さく、我大君是をな患ひたまひそ、河の神の物ほしさに妨くそかし、ねかふは生贄をたまへ、武蔵の国の丁(よぼろ)強頚(つよくび)、河内の茨田の連衫子(まんだのむらじころものこ)其人也と告さる。又、是をもいたくおほし煩はせしかと、国の為、おほくの民草の為にはとて、其人さくり求らるゝに、はた獲たまひつ。

つよ頚はいたく泣叫ひて水に入つ、ころもの子さかしき人にて、深く思ひはかり、匏の大なる二つさゝけ来て、この青淵に臨み、声を励まして、河の神聞け、我を獲んとならは、此匏を抛入るまゝに、水底にとり沈めよ、是よくなさすは、いとも無徳なる神也、いかて我を得んや、とく去れ、大君のみことのまゝに、たゝ今たゝにこゝ埋んとて、匏を水に投入たり。其時つむし風俄に吹おこり、高波を躍らす。人皆恐れまとひてそ、衫子はや水に入れと云。神かく恐れるさか見せつれと、匏二つともに、たゝ浮たゝよひつゝ、遠く流ゆきぬれは、今は風やみ波もたゝぬを見て、衫子人ゝをあともひつゝ、つち、砂、さゝれを淵に運ひ入て、此たえ間もやかて成とゝのひぬ。時の人、其二処をなん、強くひの断間、ころもの子のたえ間と呼つたへたると、書紀にあらはされたりき。其一ところ跡とめて、今の枚方(ひらかた)のうまやの南に、断間の池と云はこゝ也や、あらすや。今一処は、千林と云郷にといへと、其里人にとへは、あらすと云。ありもあらすも、いにしへのまゝならしかし。此御とくを賜りてより、山しろ川の東なる江沼は、かそへもしらぬ田所と成ぬる事のかたしけなさよ。

されと、そのかをくたりての代々に、流を改め、或は田はたを損なひ、あるは河瀬に船のゆきなつみて、安からぬわたりとも見えたり。醍醐の御時、紀の貫之、土佐の国より上りくるに、難波の河尻より山崎の橋本まて二日と云船路を、からうして来たりしとや。それに見れば、国のかたちいかさまなりけん、今をもてはいふかしきを、誰かははかりしらむ、猶後々にも、河たかへあまた度なりけん、おほよそ国ゝの郷の名、世の乱にあへは、人おひ持さりて、地をかふるもあれは、古き跡、今の国かたにはあたらぬか多かり。阿妻の大まつり事執せたまふてほとなき御代に、河村のなにかしと云智略の人出て、山城河をふし見の岸より難波に至る船路の、左みき塘を築改め、一夜のたとりに安からしむるのみかは、田圃かきりなく開かせて、国の利やく大なりけるは、寔に有かたき人の成功なりき。しかはあれと、仁徳の聖智より起りしは、天の其君を世に出させしと云にこそあらめ。河村の智略の功利を専として、人工のあまりに地を改むるに過たるへきは、此度のわさはひに係りて、又いにしへの国かたに立かへりしとこそおほゆれ。佐太のわたり、むかしのまん田のたえ間の二ところのたくひして、走入る水の南を指たるは、草香江、若江のいにしへもしるく、且凡河内の(オホシカフチ)国の名付のことわりさへしらるゝを、其国の人は、人工もてかく改りし処とも思はねは、公みちか文に、往しへより聞知らぬ災ひとは、歎きこしものそ。若江、日下江、今のあつまの御徳にて、凡三四万石の田圃を開かれしかは、江はをちこちにくほめる池沼となり、河は帯はかりの細流と改りて、代は久しく歴たりしも、此わさはひにあひてそ、いにしへの国かたに立かへりしものよ、聖徳といへども、人工のなせるなれは、時ありていにしへを見する事、数千載の間には必有へく思ゆるはいかに。まして智略の人のなせるは、はたしかるへきにあらすやとおもふは、老か僻こゝろにやあらむ。とまれかうまれ、此事いさゝか書著はして、おとろき馬の若き人に聞ゆとはなしに、云出る也けり。さるは、人工の地にすむ人、常にいにしへをおもひて、今の便の宜しきを喜ふあまりには、このことわりを忘れすして、あらぬ事の出きしとて、ひたなけきせすして、かくも有へき事とおほさんには、したしきかきりは、はかりあはせつゝ、家つくるにも物もとむるにも、やくなきに財を費えすあらは、されはよ、おもひかねし事となん、常にかまへおかんには、長き策ともいふへきか、海、河、江、沼の国は、なへていにしへのまゝならしものそ。我津の国の生嶋の郡に高津の宮造らせしそのかみ、処をのりわきて、東生、西生の郡と呼せたまひしを、孝徳の長柯の豊碕の宮の比は、東を大群、西を小郡とのりわき給しもて、今の国かたにいにしへならぬを見よ。西をこそ大群と呼へかりけれ。{中世ヨリ、生、成ノ訓同シキニ混シテ、東成、西成ト呼タカヘ来レリ}我見ても、こゝの国形の改りぬる事いさゝかならぬを、高津の宮のそのかみ、いかさまにやうつり変りけん、あたらぬ考へして、打誇る人もありと聞、いと浅はかなりき。又人のさかしら言に、近きき比海の遠浅にのみ成りゆくは、つとめて波の上まて田はたを築ひろめ、或は河隈を〓めて市町を栄えさするほとに、この度なん、其しるし見せて、あふれそゝく水のかへりて逆のほりくるは、是かなすむくひそと云とや。物みぬ人はかうもおろそけなる言いふ也けり。仁徳紀に、

朕今視是国、郊沢壙遠、而田圃少乏、且河水横逝、以流末不〓、聊逢霖雨、海潮逆上、巷里乗船、道路亦〓

と見えしには、そのかみより、河波の潮にせかれて、逆のほりしもいちしるかりける。

土佐日記に、

  来ときては河の堀江の水をあさみ舟も我身もなつむけふ哉

又、

  とくとおもふ船なつますは吾為に水の心のあさきなるへし

其今日をむかへしられてそ、今の人工のすみやかなるを推戴きつゝ、いにしへをのみしのふ人の、心のまたしきをさへしらるゝ也けり。夏禹の成功、仁徳の聖恩といへども、いさゝか天工にたかふは、物に触ていにしへにかへるを、まして智略の功利に開かれし処にすむ人の、いさゝかはかりをも心にしるしとゝめよとて、うはら心の長物かたりを、つゝしりいてたるなりき。

                           休西畸人書于鴨塘頭寓舎

   ◆春日丸記

春日丸はいみしきまめ人也。その名つけし親の心をしらす、つかへし家長の吾にかたれる。いと若かりし時より、世にすくよかに立走りて、西にゆき東をさし、北みなみに廻りつヽ、からきあら浪をヽとりこえ、横しま風を凌き、日よけれは、大そらにはね打たてヽ、幾千さと過ぎるとと云大鳥にも、をさ/\立おくれぬほまれをなん、世に聞えつるものヽいさをしき名に、いさヽかの瑾かうむらて、身しりそきし事を、家に書とヽめて、後ヽに忘れさせしとす、我に代りて、是か上筆とりたうへく云。此かたれるほかに、何ことをもくはふへきにあらねは、いふともにほひ有へからぬをや。おほよそ人のほまれとする事、君の位に生れいてヽは、国巡りて民の心を見あきらめ、賢きを挙け、わろ人を追ふはかりの御徳は、やまと、もろこしに、いくらかをかヽそふへき。あけ巻よりおよつけて、家に杖つくまてよくつとめた覧を、うからやから、其里人も、見聞つる事も、世かたりに伝へんともせす、あやうき戦の場に弓矛とりて、勝すさひしますら雄にうへ、又治まれる世の民草にも、たまさかには薄らひをわたり、からきを堪ることの、めさむるものにかたりあへるなん。此春日丸は、是かたくひの者にこそありけれ。常あるうつは物の、日ヽに是か徳見つるを、あなとほむる人無く、あやしうやくなきもて遊ひものを、手にすゑさヽけては、是みたまへ、世に珍らかならすやなと、打ほこりしたり顔ならむ、あちきなし。春日まろかともを常ある宝ともおもひしらすなん、いとも愚なる。抑舟をうきたからとたふとひ、又浮橋とよひし神代物かたりの始をとへは、くすの木もて造りなし、是を天の岩くす舟と云、是かよくかけり走るとて、あまの鳥船とも呼つると也。今もあき物積て、こヽ参るかよふもろこし舶の〓と云字を、舟毎に排けつると聞は、物の名の由、かしこもこヽも相似たるなん、いともあらしかりける。大和へのほる三熊野の舟とよめるは、出雲の国くまのの浦より、翅も有かによくかける鳥ふねを、つくり出せしとも聞つたへたる。足から山にふな木伐て、から野と名つけしは、老くちての世に琴に作りしと云。其洋ヽの声高く響かせて、海の神をもおとろかせつらむ。かう云もてゆかは、筆のいのちをやつヽむ覧かし。

   八洲国豊あし原の神わさにつくりて代ゝの浮たからかも

 [印]

応需于大江橋畔之楼上、拭盲眼書而与之

                       癸亥初秋十四日

                            七十翁鶉無常居士

                               [無腸]

   ◆呑湖堂記  堂在于大津北陸道口

あしたに山を吐、ゆうへは江を呑て、めも心もはろ/\也。国つ物積運へるは、風に追れてさす方にかよひ、網曳釣する棹とり/\に、礒廻のをちこちをめくれる、汐ならぬさゝら波の、みとり、花田の、こき薄きまゝに、うき藻のたゝよひ、にほ鳥、鴎のうきしつむは、くれの、あやのはとり等か、織ぬふに似たり。比枝、平の高岑は、雲をささめて風吹おろさす。三上、鏡の山ゝは、引散したるもろこし紙を風にふきたてしと、物もて鎮むるにやと見ゆ。沖の嶋、長命寺、水くきの岡、或は高くあるは低く、大けくちひさくも、はらからの子の居並ひて、かたち、面さし、同からす。此海凡二十余里にわたり、広くもせはくも相むかへるに、/\つらなりて影をうかへ、浜洲、原野、岸辺に、幾里、いく万の民草をかおふし立らむ。かそへ聞、神の社、古寺、何かしくれかしの大城、皆いにしへの跡也。是を枕にしてやとりするこよひの旅寝、又あらんやは。吾こしかたにはおほしも出す。仲秋はつかの夜の月の世に似す、はやく 出て、影は隈なきにも、海つらはさすかに打曇たるに、こかねしろ金の光を波に躍らせ、かきりなきをはひわたり、漕行夜舟は、其中を截飛魚のおとに、玉ちるさやけさは、静なる夜のあはれなりけり。もろこしの洞庭湖は、写絵の工みに目をなくさむれと、腸を洗ひ心をすゝしむるには至らす。こよひ老を忘れて、いて物云んとすれと、たゝ心を圧れて、口を守るともなくて閉められ、筆は冬野の小草摘とるへくもあらす。 を挙、茶を啜りて、共に酔ことする。茶や酒や、是にいさなはるゝは、しはしの雲のまよひなり。仰けは桂の花盛に眼を奪はれ、俯してはかゝやく影に思ひもたゝよひて、何をかいはん。此海のあるゝ時ゝの物かたり、さき/\聞しかと、まさめのゆたけさには、譌ならすとも思出て何せんに、月こそおなしけれ。浙江のいかれる涛は、たゝに来たるひくもあらす。又、昔の人にまたもあはめやものなけきは、大津の宮の御為に亡ひし人の子歟、うま子か。かく故に、見しといひしは、海山のたゝすまひにはあらて、あるましき都の荒にしを見て、涙とめかたくこそあれは也。又、かへり見んとめてし人の、あかぬたゝすまひは我友也。されと、大宮つかへみさかりにつかふまつる人の齢と、あすしらぬ翁かおなし心せんや。又ともいはし、あすの夜ともいはし、いたく更るもしらす、旅ころも薄しとも思はて、月の中空過るまて、簀の子にいく度かはひ出ては、あふき観る老か目にこそ、夜霧こめ繊き雲はかゝりたれ。

  から崎のみそきのためし罪もなく秋のこよひの月を観るかな

     右玩月

あからひきて明ゆくそらは、いつもおなしにほひなるを、文かき歌よむひとは、春をのみめてたき物に云りけり。薬猟に駒なめて蓬か原の露けきを分るものゝ夫、秋かけて雨ふらぬ千町田に、水やりかねて立走る賎の男、霜おきわたし、庭火しめれる御神楽に、参りつかふるつかさの君達、うけきも楽しきも、曙の色は同しきはひ也。此宿の壁、さうしのひましらむと見るにそ、先起出て、戸やりはなちたれは、空も海も、こきにふ色に曇気なる中を断さきて、しら/\とみゆる横雲は、また見むものに思ゆるは、広きかきりをしられぬ故にこそ。ほのにほひ出る紅は色のつかさにて、染殿の手わさにさへ是は習ひうつすとも、人のなすへき光かは。やをらほそき雲にうつろひて、こくうすく棚引ひくほともあらて、いと大きやかにさしいに、鴉のつれ飛ていつちい行らむ。山寺の鐘も夕へさひしかりし声をあらため、風の木の葉にうかへる舟の〓のおとは、またわたりこぬ常世の鳥歟。此きし陰によするさゝれ浪は、くゝり染の色をましへて、めもあや也。山は影に沈み、市町の甍は露にきら/\しく、何も/\けさやかなる、ゆふべの月の光には、いかてかゝ覧やは。まして黄かね打延たる波の光の清けなるに、老かくもり気なる目をさへ洗はれて、天の原、青海はらも、はてしらぬまて見さけらるゝは、大ひるめの神の御めくみのかたしけなり也。さは、あけほのゝ色もゆたけさも、春秋のたかひあらんやは。日高くさし昇りては、世の塵の立居にまみれては、月の真夜中には賑はゝしきかおとたりな。夕影と成て、峰に落波にしつめるは、あはれとも淋しとも、おのか心ゝにおもひしめるは、秋風ふき立、露は玉とおきみたるゝ此頃なれは也。

  朝なさな波に洗えと世を経ても紅あせぬあけほのゝ雲

 右曙色

                      瑞竜山中

                         蚋蔵主

                           七十三齢書

   ◆年のなゝふ

年たちかへるあしたの空のけはひなん、きのふに変りてきは%\しきを、何にかはたとへむ。人の御上にては、上達めわらはの初もとゆひして、冠装束いみじく、ひたひ、歯黒けざやかに、大人び給へるにやといふ人あれど、それは思ひかけまじき御あたりの事なれば、おきぬべし。山々の霞をかしう曳渡して、里の門々の戸ざし静まるに、雪の中なる花のありかもとめ顔に、鴬の初音囀りたるにほびか也。柳が枝わかきは、烟のやうにて空に立靡き、芽のつぶ/\とはり出たるもなつかし。若菜つみにと、友かいつらねてゆけば、春日野ならぬ野やはある。根芹とづるうすら氷、子日の松に雪のむらぎえして、猶寒き比ほひは、埋火のもとに、親はらから、里におりたるむすめなど居めぐりて、何くれと物語しつゝいとにぎはしき、よそめも睦まじう楽しけれ。

(春雨やゝはるゝ空に、百千とり/\の声ほから/\と、草木の青く立栄ゆる中に、桜こそ芽のふくらかに、ほつえはつ/\とにほひ出だる、いとこそうれしけれ。桃の花、ひとへは麗はしきを、あら染とて髭むつかしけにおひたる士丁等か、ふつゝかにふりはへたらむ袖の色にや、めなれさせたまふ覧、もおろこし人の、此花の林のした行水に舟うかへ、杯やり巡らせつゝせし遊ひを、こゝにも、いにしへ、仁賢の玩ひ初めたまひしより、代ゝのためしの如になんありしとか。ひゝなあそひ、昔は上わらはのあまかつに手輿まゐらせよなと、いつとなき御なくさなりしを、たか家の風よりや祭そめけむ、御台さゝけ、瓶子に桃柳さしくはへ、よもきのもちひいとをかしうつくりなしたる、けふ母子なしとな、をさなき人の御ためにいひそ。時はやよひの三日四日の空のけしきなん、いとのけき此のあそひなりき。)

五月五日きそひ狩とて、物の部のさつ矢たばさみ、駒なめて野山の茂きを分け入る、いとめざましな。さを鹿の隠れかねて飛びかけるを追ひつめ、射伏せられていと情なきを、薬猟とて、大君の御めぐみのかしこき一つ也。続命〓、組の糸の色こきまぜて、たかなどにもにほはせ、時しる花々折添へて、祭の葵かつらとともに忘れざまにて、茱萸の〓にかけ改め給ふとや、色香こそさめにたれ、いと宮びかにて、民草のあたりにはまねぶくもあらず。軒深く、あやめ、あふち、門々の旗さしもの風に鳴らさせ、日影にきら/\しくて賑はしき。さる騒しきあたりには、おのが五月なりとも、時鳥の啼きも渡らじを、外のへの野辺にいほり住してあらん人の、をちかへる声を面杖して聞きふけりたらん、いとものどけかりける。

神代に栲はたちゞ姫と申して、天照大神のおほんぞ織りて奉らせしを始に、なべてをみなのまめ業としもなりんたる、あまの河辺につま待つ星の契とかやといふ物語にとりまじへて、ふん月七日の夜の祭とするよ。ぬさのかけ糸、梶の葉の手習草はかなげに、このわざの巧ならんを乞ひ願ふなりけり。又、中の五日の夜をはじめに、軒毎に燈あか/\と月影に照しかはしつゝ、花鳥のかたちをかしう作らするに、人のたゝずみ賑はしき、是はもろこしの上元の燈とて、む月の中の五日の夜の玩びなるを、こゝには中元の今宵掲げたり、是をば孟邏盆会とて、なき人奠るたむけわざに取違へたりな。よろづの事あしきもよきにと取りなすを、こはいかにぞやとも云ふ人のありき。

菊は今の都となりてもろこしより渡せしが、承和の帝の殊にめでさせ給ひしなめに、人のたくみになむ千種には成んぬと、いにしへにも是に似るものなききようらさなるを、彭祖といふ人に見せざりし、いとくちおし。したがれをさへかぐはしく、此流をくめば、千とせの齢延ぶるいみじきみ薬とぞ云ふ。是も九日の御賀に取りはやし給ふは、唐ざまに習はせ給ふ也。きせ綿とて、花の色々に染めなして霜を傷ませる、こは上局達の御手ずさび也。山路の岩根によそほひ咲きたらんがなかるべき花こそ見るめなけれ。

冬至といふ日、霜月の望の頃にありて一陽来復すと、明経記伝の家々、法師のむろの戸に至るまで喜びすと、酒くみもちて煮て遊び楽しむを、或物織の、もろこし人の譌ごとのて、是もて万をことわり尽さまくするよ、月日の恵みのあからさまなる外は、かたちなき物を、あなれしれじれしといへり。むべ/\しくは聞ゆれど、春夏秋冬といふも、寒暑温涼のあだし名也とはいはざる、心とて身にそひたるも、誰とう出てその形は見とゞめし、喜怒哀楽のあるじをいかで形いかにと、あなぐりとめざる、こちたき事はいはであれかし、喜びする家にはさいはひ来たるといふ、来たらずしもあらじ、暇あらばよき友招きて遊ばむものをと、おのれは思ふ也。

  数ふれば吾身につもる年月を送り迎ふと何いそぐらん

此歌の心ことわりめきたるを、家富み栄え、子うまごひとりも失はで、前に居なみさせたらん人は、かけても思はずやあらむ、物は皆新し(き)ぞよき、人は只ふりぬるのみぞ貴かりける。夏冬しらず、裘著たる山人も、はて/\いかならむ、再び世には出こずぞある。契之という頭陀法師の、李唐(の末に市町に出て物乞しといふが、宋の代に又あらはれてあるしきを)見しといふ物語につきて、彼土、こゝにも、めでたき神の数に祭りぬるは、只齢ばかり心ゆかぬものゝあらねばなるべし。年の暮れゆくさま、老も若きも喜びはすなりけり。門毎に松立なみ、しりくめ縄ゆゝしく引渡したるに、米薪こぼるゝばかり積つゞけて、車ながら曳入れさする、今の時の人と、よす(そ)めもいと賑はしき。きぬ配りとて、色あひ花々しくてうじたるを、ぞうの親しき疎きまゝに送りかはす、誰かは羨まざらむ。倭姫の命の世記といふ文を読みてみれば、鶴を大年の神といはゝせ給ひし。此真鳥、穂長の稲をくひもちいて、酒売おほん神のみとしろ田の湯種にたいまつりしを、あかぬ喜びにことほぎ給へるなめに、千とせの齢は知らずかし、たゞ幾ひさのためしに、絵にも写して玩ぶ事となりぬ。さてめでたきてふ事は、千とせ八千歳、此国、もろこし、夷の邦々まで、声にあげて歌ふ事、人の心はおよそ同じかりけり。

    歌に、

  かぎりなくよはひ保ちて春夏を千々よろづ代と数へても見む

      人々算へても看よかしな。

                          瑞竜山中無腸隠者

                               七十三齢而再写

   ◆遠藤氏仮山記

山に足を疲らすは、高きに目をよろこはしむとてなり。江にたまけなとするは、潤きに心をすゝしめはやの遊ひ也けり。あし引の山人も、道ある御代には山を出て、まめなる大宮つかへをなし、みるめ刈蜑の子ともゝ、うら安の時にあへりとて、市にあき物もてはこふらむには、山や江や、いつしかしつか門田の長田さな田なして、はた賢き人の隠れあそふへくもあらすなむ。さるは、高きに疲らし、潤きに魂けなとするは、あやにくなるすきものゝ遊ひにこそ。何かしの手すさひに造れる山を見れは、嶺あり、谷あり、崗や岫や、おのつからなり出て、洞を邃め滝をおとし、前には江をたゝへたれは、山のみなうつりて緑の色を深めたり。木を殖、石をすゆるにも、こほれたるつちくれをからす、雨をそゝき、波をたつるにも、一かひの水にたれり。きのふはさゝ波の近江の海をおもひて造りなせは、けふは大木曾やをきその峰にあらたむるそ、あるしか日ゝの心すさひに出たるを、大名持、少名彦のくしき二神も、御手をむなしくして見そなはすへくこそ。大山つみもわたつみも、いくそたひこゝにめてかよはせ給ふらむとそおほゆ。さるは、足をつからしたまけなともせて、日ゝに玩ふ人のうらやましさよ。されと、山にはおもひをのとめ、江にはこゝろをすますてふむかしの賢き人のためしわすれすも、日ゝに巧なせるいたつきを、あやにくのあた物になす事なかれと云。

   ◆一枝亭記

何がしの法師が夜船物語といふふみに、昔この白河の山住して夏も裘をなれぎぬにし、冬の扇の風さむからぬものにせしとこよ人おはせりき。その住みたるさまは、木に巣かまへ、穴にくゞまれるにはあらで、黒木の柱に芽とり葺き、蘆の簾、草のしとねに、起き臥し馴れては、翅も近く来て驚かず、兎、しゝ、猿を、朝夕の友とせしとなん。されば、さる人の幾もゝ年の齢経たりと云も、今はた名のみとゞまれるを思へば、大鳥の御空にはね打立てゝ、日に幾よろずの道をしも飛びかけらむも、わづかに躍りあがりて、しづ枝を高しとするも、同じ遊びぞときくには、そのとこよ人打すゞろぎまなばんやは。この仮初なる庵は、元よりそれやつせしにはあらで、親おほぢの跡をかたじけなく受けつげる人の、時々通ひ来て、心を養ふばかりに作りなしたれば、山のとね達の窺ふべき物もおかず、つちの釜のたぎりに峰の松風を通はせ、思ふ事打出んにはとて、くぼめける石に筆ひとつかね採りそえたるのみなるは、心高き人の教へや習いけむ、みずからのさがにまゝにやある。山々の春秋のにほひ、滝つ瀬音のとことはなる、道ゆき人の似てもとの人ならぬを、見くだし見はるかしつゝ、月いづるまでとこゝに打ながめたらむ、中々に世をのがれはてたらむには勝りたらめ。世をのがれ果て何をかなす、たゞ/\人は親あほ父の跡をかたじけなくしつゝ、家の風あまりにさわがしき時々は、松の嵐、水の音に耳しばしあらためむこそ、世の楽しみとは云べけれ。こは世の外のことはり知らぬ老がひが言をかいつけたらむに、誰かはとり見む。此白河の滝つながれのまゝに、跡なき波の藻屑とならばやとぞ思ふ。さてこのかりほの名のをかしきにつきても、おのが上をさへ思ひ合されてなん。

  つばさにはあらぬ我身も故里を雲井のよそに枝うつりして

                           なには人鶉翁

   ◆盆山記 付詠草%\

高きに登りて足をいためす、濶きに望みて魂けす、めてたき写絵をおきては何かある。園の池の島山は、垣の内に限りありて、さても造られしとも、尚飽ぬ所あるへし。尺に余れりや足ら西や。いと(小)さき盆の中に、石をすゑ、いさごを蒔ては、大木蘇や小岐曾の峰々をたゝみ、谷をふかめ、さゝなみやあふみの海をおもひて、風吹たてす、浪うちよせすして、たかきに足を疲れす、ひろきにたまけぬには、雲水に心をまかすてふ人の世の、濁にそまぬ例にもあえつへし。あなたくみや、あなたのしや、此遊ひわさの。

     春のうた

  なには戸をこき出て見れはにしのうみや八十しまかけて立霞かな

  此ゆふへ袖ふく風はさむからてふかき霞は雨とふりくる

  うら/\と春日かけろふ波のうへに霞なかるゝ墨のえのうら

    人の家のことほきにおくるうた

  いはふてふ事をあまたにかきつめてむかへん君か家のはるかせ

    人のもとへつけ梅乞にやるとて

  身ひとつをあなうくひすと鳴をれは梅ほしとのみおもふはかりそ

    花の枝といふたいを

  つく杖のえたくつるまて世の人の物もひの花はさくらなりけり

    夕花

  うすくこきいろをひとつに夕暮の花のあはれは山陰にして

    瑞竜山中の称名庵をかりてうつるとて、蘆菴のもとへいひおくる

  山に入ん人のためしはならはねとうき世の道にまよひてそこし

    かへし                    翁

  我も世にまよひて入し山住よいさ身のうさをともにかたらむ

                         仝

  いくほともへたてぬ宿を問くれはひゝきことなる庭のやり水

    又

  ひやかなるたに水をさへ庭に入てねたきすみぬる宿にも有かな

    かへし

  ねたきてふかごとなからもうとむやとこゝろ冷せる庭の谷水

    志賀の山越の図に

  打こゆるをのへに雪の残らねはいく瀬の滝のおとゝゝろなり

    かちの葉のうらみせたるかた         蘆庵

  此秋はちりくるかちになゝかへり我ねきことを書てたむけむ

  ねきことは人めやさしとおもふにそかきてたむけむかちのうら葉に

    駅

  朝きりのはるゝひまより海みえてあかしのうまや過かてにする

    最勝院の滝見にのほる

  さをしかの跡ふむ道をわけかねてしからみちらす萩の花つま

    箕面の瀑布

  おのれよひおのれことふる山崖にておちたきつ瀬の響なりけり

    物外尼か庵の若木の桜を、中宮の大庭にめされし事、めいほくかたしけなきかたみの木の本に、花の頃遊ひてよめる

  又やめす此もとさくらよもきふの戸さしかためてなしとこたへよ

    関月

  あくるまつ関の戸さしに月おちて衣手さむしすまの秋風

     月前砧

  大くらの入江の波に月落て宇治の遠かたころもうつなり

     冬のうた

  やよ千鳥けふのわたりをとひてまし淵瀬かはれるあすか河原に

     伊吹山

  もゝくさの薬の花やさきぬらむ薫りておろすいふき山かせ

  あさつまにとまりする船さむからしたえすいふきの山おろしの風

神無月廿六日、けふ時雨ひまなし。こよひもわひなきして明さんとおもふに、夕つけて、布淑、閑斎、柳斎、蘆庵等、歌よまむとて来たる。文字の数たに忘れにたる此頃なから、いとうれしくむかへとりて、先物かたりす。山陰の冬こもり、何あるしすへくもあらすといへは、閑斎、それにこそ心してもて参りつとて、書つけたる題に、魚の物、野山の物ともいて、是さくりてすきにまかせたまへといふ。いとをかしのさかしらやとて、おの/\取てよみる歌、

     海鼠

  蜑か手にとられてねをもなかぬかなたかやしなへる子にかあるらむ

    はむ                   仝

〔上欄注〕蜑女等ナランカ

  あめらか鱧めせてふは釣に又いつる我夫の酒にかふとか

    むなき                  閑斎

  山川のやせのくすりやもとむると間と〓つるは誰か子そ

    雪魚

  晴まなくふゝきにあるゝ海なれはいをもはたらの名にやかふらむ

    蛎                    蘆庵

  いつしかに妹かこゝろのあきの海の限りなきまて恋らるゝかな

    江鮭                   仝

  ふりくれてさち待あまや水海の雨てふ魚の名をもたのまむ

    鮹                    柳斎

  からき世のわたらひならめあら海のおきへに出てしひつるか見ゆ

    王余魚                  仝

  夜よしとて人もいつれかは月にうかれひきゆくしほに釣たれて見む

    頑魚

  伊豆の海おきつしほあひにかつを釣あまならぬ我もぬれ衣を着て

    文蛤

  難波女のくゝつにあまるはま栗をけふの浜つと是やしら玉

    午房(ママ)               布淑

  関こえて西にやむかふおほつうまふゝきにきはふ声の聞ゆる

    比多日栗                 仝

  むかしのみしのひて老いのひたひ栗くりことしてそ打しわめむる

    木海月                  閑斎

  あまひこの声をしるへにきくらけはみゝ賀の嶺にやとりて来つらむ

    慈姑                   仝

  氷ゐし冬のあら田をうちかへしくわゐやひろふ里のしつの子

    練柿                     蘆庵

  おほかたの梢はなへて冬枯ぬ宿のねりかきうまくなるころ

    松露                     仝

  朝かせのいつかおとせし松の露けふ木の本にとりあさるなり

    柚                      柳斎

  神世よりよに聞ゆへきくた物のなそたちはなに立おくれたる

    荵白                     仝

  ひとりねにふたごもりてふねきことのあはれをふみにしるしつたへて

    薯蕷

  せの山のいもにむかひて神代よりはなれぬを何川のへたつる

    布淑老蛤のうた書てよとこふに、あしたおくれる文には、今日と哥を書てみする

  すみのえのひかたにあさる小蛤是にや家路わすれ貝てふ

    又誰にもかたらねと

  宇多の高木のやまのいもかつら〓(ママ)はさやらて里の子かほる

    初句三言の歌、いまたいひも見ねは、試みるなん。さるほとに、日本紀ほこりとや人云へき。

    あるあした

  むすふ手のひさこにかゝる初氷うらめつらしも冬のあしたは

  れいのこちたきを人には聞かさし(「た」カ)

  たに水のたえぬるさかを命にてあすたのまれぬ世にもすむかな

    隣の人の聞てや、いさこをかきわけ、松のもみち葉しからめるを流しやりて、汲てあたへぬ、さてはいのちもいましはしとおもひなりぬ。