狗張子序

洛陽本性寺(らくやうほんしやうじ)の了意大徳(たいとく)は、きはめて博識強記(はくしききやうき)にして特(こと)に文思(ぶんし)の才(ざえ)に富(とめ)り。

生平(せいへい)の著述(ちよじゆつ)はなはだ多(おほ)し。

晩年(ばんねん)に及(およん)で筆力(ひつりよく)ますます老健(らうけん)なり去年(きよねん)庚午(かうご)の春、往(さき)に編集(へんしふ)せる伽婢子(おとぎはうこ)の遺(おと)せるを拾(ひろ)ひ、

漏(もれ)たるを捜(さぐ)りて、狗張子若干巻(いぬはりこそこばくまき)を作(つく)りその続集(ぞくしふ)に擬(なずらへ)んとす。

其年(そのとし)の冬(ふゆ)に至(いた)り、既(すで)に七巻を撰(えら)び輯(わつ)む。

翌年(よくねん)辛未(しんび)の元旦(ぐわんたん)、意(はか)らざるに遽然(きよぜん)として寂(じやく)を示(しめ)す。

都鄙驚歎(とひきりうたん)して深(ふかく)くその才(ざえ)を惜(おし)む。

顧(おもふ)に凡(およ)そ人の常情(じやう%\)、その徳義(とくぎ)を哀慕(あいぼ)すといえども幽明(ゆうめい)途殊(みちこと)にして復(また)みるべからざれば、

かならずその生平(せいへい)の文字筆墨(もんじひつぼく)を尋(たづね)て面晤(めんご)に換(かふ)るのみ。

それ此書(このしよ)は了意大徳晩年(はんねん)思(おも)ひを究(きは)め精(せい)を研(みか)きて筆作(ひつさく)せる真跡(しんせき)にして、是実(まこと)に大徳遺訓(たいとくいきん)の形見(かたみ)なるをや。

是故(このゆへ)に今(いま)その真跡一字(しんせきいちじ)もあらためず、梓(あづさ)にちりばめ世に行(おこな)ふ。

凡此書の作、みな本朝の奇事近代(きじきんだい)の異聞(いぶん)、その文詞(ぶんし)の富華(ふけ)に旨趣(ししゆ)の深奥(しんおう)なる、讀(よむ)もの細(こま)かに翫(もてあそ)ばゝ、

唯(ただ)其見聞(そのけんぶん)を廣(ひろう)し談話(だんわ)を資(たすく)るのみにあらず。

兼(かね)て勸善懲悪(くわんぜんてうわく)の益(ゑき)あらんといふ。

          元禄四年辛未十一月日  義端謹序

狗波利子序

あめつちひらけ始(はじ)まりしよりこのかた

人その中(なか)に生(うま)れて

時うつり年あらたまり、

後(のち)に生まれし人は、

わが見ぬ世の事を昔(むかし)といふならし。

昔もその時は今ぞかし。

今をすぎて生(うま)れし人は今をもまた昔(むかし)といふべし。

むかしと今とさらにかはる所なし。

月日星(ほし)のめぐり、

雨露(あめつゆ)のうるほひ、

山はたかく海(うみ)はふかし。

松の葉のほそく蓮(はす)の菜のまろき、

鳥けだもの昆虫(はふむし)、

色も声も水も火(ひ)も、

只(ただ)いにしへにたがふことなし。

久しきをつたふるには、

かすかにしてこまやかならず。

ちかきをつたふるには、

正(ただ)しくしてつまびらかなり。

をろかなるは聞(きい)いてまどひ、

見ぬをうたがふ。

かしこきは心にをさめ、

本(もと)をあきらめ鳥(とり)の跡(あと)にのこして、

教(おしへ)をたれいましめとす。

千代(ちよ)よろず世にわたりて絶(たゆ)ることなし。

されどひろきあめがしたに、

かたりうしなひしるしのこせる種ゞ(くさぐさ)かぎりしられず。

今わづかに聞きおぼえし事もあるに、

心にのみこめて思ふ事いはぬも、

むねふくるる心ちして、

手なれし狗(いぬ)はりこにむかひ、

ともし火と影とかたりなぐさむも友(とも)とするにすくなからずや。

  元禄三年かのえ午(むま)むつ十五日

  洛本性寺昭儀坊  沙門  了意

  三保の仙境

駿河国宇度の郡三保の松原は地景(ぢけい)めでたき名所なり。

北のかたは富士のたかね雲を〓ぎ、

空にそびえて幾千丈とも知がたし。

頂には小々(さゝ)竹生(おひ)たり。

蒸(むし)のぼる煙(けぶり)はその色青く、

山の腰より下つかたには小松のおひてつねに緑なり。

鹿子まだらに降つむ雪は、

春夏ともにきゆる時なし。

賎間(せんげん)大ぼっさつのすみ給ふところ、

もろこしよりは此山を、

ほう莱山と名づくとかや。

万葉集山部赤人(やまのべのあかひと)の歌に、

  ふじのねにふりつむ雪はみなづきのもちにけぬればその夜降(ふり)けり

みなみのかたはあら海なり。

西は宇度の山千手観音の霊地なり。

田子の入海(いりうみ)蘆高(あしたか)山清見が〓も遠からず。

釣する海郎(あま)の夜もすがら。、

浪をこがせるいさり火の影、

岩ねにかかるしら波、

尾上(をのへ)にわたるゆふ嵐、

汀(みげは)にあそぶ鴨鳥、

水にむれゐるありさま、

草むらにすむ虫の音(ね)までも、

とり%\にあはれなり。

新古今集越前が歌に、

  沖つかぜ夜寒になれや田子の浦海士(あま)のもしほ火たきまさるらん

三保の松原は西よりひがしへ、

海中にさし出たる事四十余り町なり。

古しへ天女のあまくだりて、

羽衣を松の枝にかけてさらしけるを、

漁父(すなどり)これをひろひて返さゞりければ、

天女ちからなくすなどりの妻となり、

年へてのちに羽衣を返しければ、

天女よろこびていふやう、

妻となり夫となるも、

さきの世に少(すこし)の縁(えん)あるゆゑなり。

今は是までなり。

我は天上に帰るべしとて、

仙人の道をこま%\とをしへて、

天女は雲ぢにのぼりけり。

すなどりは名ごりをしみながら、

道をつとめおこなひ得て、

つひに仙人となり、

富士足柄のあひだに行かよひ、

猶今の世までも折々は人にまみゆ。

よはひもかたぶかず、

かぎりしられぬ命をたもちけると也。

能因法師が歌に、

  宇度濱にあまの羽衣昔きてふりけん袖やふのはふり子

とよみしは此事なり。

  足柄山

過(すぎ)にしころ、

興津といふ所に由井(ゆゐの)源蔵とて、

そのかみは鎌倉伺公の人の末なり。

時世につけて家もおとろへてすみけり。

おなじ友だちに藤山兵次、

浦安又五郎、

神原四郎とて、

いづれも年わかくて友なひけり。

古き人の物がたりに、

富士足柄の山にはむかしより仙人ありて、

心ざしふかき人には出逢(であう)て物がたりしてをかしき奇特もありといふ。

四人是を聞て、

いざや我ら山に入ておこなひ、

その仙人にあうて長生の道を得ばやとて、

うちつれて足柄山にわけ入つゝ深き岩屋をすみかとし、

峰にのぼり谷にくだり、

鳶をまとひ苔をしき、

はだえを雪(ゆき)霜(しも)にさらし、

骨を嵐にまかせ、

霞を吸ひ呪をとなへ、

夜(よる)〓三とせをかさぬれども、

露ばかりもしるしなし。

神原四郎はわづらひ出して里に帰る。

藤山安浦いひけるやう、

家を忘れ慾をすて、

身をかへりみずおこなうて三年になれども、

すこしのしるしもなし。

あたらとし月を空しく暮して老はてんより、

故郷(ふるさと)に帰りていかならん君にもつかへ、

身をたて家をおこし、

落花の春に逢ふべし。

目にもみずあて所なきおこなひに、

骨をるほどに君につかへなば、

あがるまじき身にもあらず。

無用の長生不死、

いまさら望むも詮なしとて、

故郷へぞ帰りける。

由井源蔵は、

此みとせおこなふ仙の道も、

神君の意(こゝろ)に叶はねばこそしるしもなけれ。

かくうたがひのあらんには、

たとひいくとせ行なふとも更にしるしはあるべからず。

われは命をかぎりにうたがひなくおこなはんとて、

とゞわれ一人山にとゞまり、

いよいよ修練精行(しゅれんせいぎゃう)せしかば、

神仙あらはれて、

丹薬秘衛をつたへつひに大道をさとりけり。

故郷に帰りし三人は、

知行につきてつとめしに、

家をおこし身をたて、

奉行頭人(とうにん)に經あがり、

世のもてなし、

人のほむる落花ひらけてめでたかりけり。

ある時三人いとまの隙(ひま)に三保が崎に出て、

磯ちかくあそびてゐたるに、

ひとつの小舟をこぎてその前を過(すぐ)る。

海郎(あま)の世わたる釣船かとみれば、

それにはあらで、

舟の中には蓑笠着たる老人あり。

棹をならしてゆく、

そのはやき事風のごとし。

三人っこれを見る、

まさしく由井源蔵なり。

聲をあげてよび返し、

扨も久しく逢(あは)ざりしあひだに、

和君(わぎみ)は濁り山にとどまりて、

おほくの年をかさねながら、

淺ましくおとろへ何の甲斐あることもなし。

それ風はつなぐべからす、

影はとらふべからず。

ゆくへなき事に二たび帰らぬ年をつみて、

老はて給ふ残りおほさよ。

我ら三人は故郷に帰り、

君につかへて奉行頭人となり、

世におそれられ人にうやまはれ、

妻をむかへ家もさかえて、

たのしみおほし。

源蔵は今その有さまにて、

さこそ物ごと心にも叶ふまじ。

何にても不足の事は我ら調へてまゐらすべしといふ。

源蔵うちわらひて、

君はうかび我はうかび沈めり、

魚鳥(いをとり)といへどもそれ%\心にかなふ道あり。

世に用ゆる所の物は、

ほど/\につけて事かけず、

此山のあなた苔のしたみちに、

桃の園(その)櫻の林あり。

その門(かど)の内ぞわがすむ庵(いほり)なる。

見ぐるしけれどいざ来て見給へと、

三保が崎より足柄山にわたりて、

四人うちつれて峯をこえ谷をわたるに、

一むら立たる桃櫻の林のすゑにあやしげなる門(かど)あり。

内に入ければ〓〓はら道もなし。

一町ばかりを行(ゆく)に大門あり。

樓閣重々(ぢゅう/\)、

玉の瓦(いらか)、

虹の梁(うつはり)、

道のかたはらには〓(みどり)の竹、

さすがに高からず、

青葉の間に白雲あり。

風ふき来れば枝かたぶきて、

絲竹(いとたけ)のしらべひヾきて聞え、

樓門の内には見もなれぬ花の木、

名もしらぬ草の花、

ふかみどり淺むらさき、

赤き白き咲(さき)つヾきたるよそほひ、

更に人間のさかひにあらず。

匂ひ四方(よも)にかほりみちて、

たましひさはやかに、

心たヾへう/\として、

雲にのぼる思ひあり。

内に入て庭のおもてを見わたせば、

うゑ木のこずゑには、

五色(しき)の鳥とびかけりさへづる聲のおもしろさは此世の物とも思はれず、

〓陵孔雀(かりょうくじゃく)の鳴(なく)に似たり。

池の内には清き水たヽへて、

金(こがね)しろ銀(がね)の鱗(うろくづ)、

およぎめぐり浮しづみあそぶもめづらし。

ならひたる木のえだに、

赤き栗、

緑の〓(なつめ)、

大きなるは三二寸に及べり。

しきわたしたる眞砂、

立ならびたる岩(いわほ)のあひだより、

靜に木の流れたるも、

さはがしからずぞみえたる。

かくて見めぐるあひだに、

髪からわにあげたる童二人出て、

こなたへとてよびいれたり。

書院の内には、

かざれる棚には琴〓笛、

〓(さう)のをりごと、香爐香合(かうはこ)、西湖(せいこ)の壷、

蜀江(しょくかう)の錦をつヽみとし、

眞紅(しんく)の緒にて結びたり。

曲〓の上には豹の皮をかけ、床に三幅一封の唐絵(からゑ)をかけたり。

暫くありて由井源蔵、そのさまけだかく出たち、

三人にむかひて禮儀たヾしく座につきてのち、

かくさはがしき世につかへて心のやすきいとまなく、

なまぐさくけがらはしき食物(しょくぶつ)に腹をやしなひ、重欲の〓に身をこがし、

うれへの煙にこゝろをなやまし、此とし月をおくり給ふは、

さこそくるしく侍べるらん。

しばしこゝにて思ひをなぐさみ、心をはらし給へといふに、三人ながらおどろきあやしみて、

とかくのこと葉はなく、只手をつき首(かしら)をふせて、

うなづくより外はなし。

童子(わらは)四人うつくしく出たち、膳部きよらかにすゑわたす。

種々(しゅ%\)の珍味いろ/\のさかな、〓をつくして出(いだ)しけり。

猩々のくちびる、熊のたなごころ、鹿のはらごもり、〓(くじか)の〓(あつ)ものは、

その名を聞つたへたるばかりにて、これやその類(たぐひ)なるべからんと、

思ひあやしむもいふばかりなし。

日すでに暮(くれ)になりて、九花(きうくわ)のともし火をかゝぐるに、

花やかに出たち、小袖うちぎきよらにして薫みちたる遊女十人すゝみ出て、

夜もすがらいまやう朗詠うたひ舞けるありさま、つら/\見れば、

此比(ころ)海道に名をえたる遊君どもなり。

是はいかにとおもふに、その中に春(しゅん)とかやいふ女は、

東琴(あづまごと)の上手にて〓(ことぢ)たてならべ引ならすつま音、歌にあはせて、

  花のえんのゆふ暮、おぼろ月夜にひく袖、さだかならぬ契りこそ、心あさくもみえけれ

とうたふは雲にひゞきて、ひくは〓にみちたり。

むかし源氏花のえんの夜、内侍(ないし)のかみとわかれの時、あふぎをとりかへて出給ふ。

そのあふぎの歌に、

  世にしらぬ心ちこそすれ有明(ありあけ)の月のゆくへをそらにまがへて

こよひかゝる御たいめんは、思ひの外なればさだかならず、しどけなき御事と、

心あさくやといふ歌の心ばえ、時にとりてもてなしあるところなり。

三人ながら此歌に、心はすこしうかれたり。

  みほの松かぜふきたえて、おきつ浪もあらじな。水にうつろふ月とともに、ながめにつゞくふじさん

所がらなる琴の唱歌(しゃうが)かなと、いとゞうきたつ爪音(つまおと)。

風もしづかに海原の浪もおさまり、雲きえて詠(なが)めにあかぬ月影の、うつるもことさらおもしろく、

みほよりふじのみえわたるけはひ、何にたとへんかたもなし。

源蔵かくぞよみける、

  夜もすがらふじのたかねに雲きえて清見が闇にすめる月影

三人ながら興に入て、やう/\夜もはや明がたになり、野寺のかねの音は聞えねど、

鳥の聲はまのあたりにつげわたる。

名ごりはつきぬことながら、又こそ尋ねまゐらめとて、いとまごひしてたとち出つゝ、

半町ばかりにして跡をかへりみれば、霧ふさがり雲とぢて、松のこずゑ吹(ふき)おくる風に、

岸より船にのり家に帰り、こよひ十人の遊女は、いかゞして由井源蔵がもとへはまゐりけるぞと問(とは)せけるに、

十人ながら今夜(こよひ)の夢に、やごとなき人の御もと、御名あるかたがたに逢奉り、

酒もりせしとおぼえてさめ侍り、その所はいづくともしらずと、おなじさまにこたへけり。

きはめたるふしぎかなとて、かさねて使をつかはして尋ねさするに、家もなく門(かど)もなし。

三人ながらわづかなる知行(ちぎゃう)を給はり、

是をいかめしき事に思ひけるも、今さらにくやみけれどそのかひなし。

  富士垢離(ふじごり)

近き比(ころ)より京も田舎も、

富士垢離といふ事のはやりて、

日毎に河水(かみづ)にひたり垢離(ごり)をとり、

浅間(せんげん)大ぼさつを念じ奉り、

よくおこなへば奇特(きどく)あり。

いか成(なる)やまひをもいやし、

身のまづしきを徳つきて、

ゆるやかになるとかや。

大ぼさつのれいげんあらたにましますとて、

世にもてはやし奉る。

攝津(つの)国ゆするぎとかやいふ里に島岡弥二郎といふもの、

おもき病をして、

くすしのちからにもあまりてすべきやうなく、

浅間(せんげん)の行人(ぎやうにん)を頼みて、

願(ぐわん)だてしていのりければ、

ほどなくほんぶくして、

このよろこびにふじまうでを思ひたち、

先達(せんだち)をもつて山にのぼる。

まことに三国ぶさうの名山なり。

峯は半天(なかぞら)にさゝげ、

遥に雲に入て、

夏の夜なれども雪霜(ゆきしも)降つみ、

ふもとの山々は春めきわたりて、

みどりの色こまやかなり。

つゑにすがり路をつたふに、

千尋(ちひろ)の壁にのぼるがごとし。

雲霧(くもきり)は足のしたにたなびき、

遠山(とほやま)は猶かすかにへだたり、

おぼろにして影のごとし。

よぢて上るべき藤蔓(ふぢかづら)もなし。

砂(いさご)にむねをつき、

はふ/\峯にいたり嶽(だけ)におよぶ。

むかし常陸房海尊(ひたちぼうかいぞん)とかや、

源の九郎義経奥州衣川(ころも)高館(たかだち)の役(えき)に、

一族従類みなほろびけるに、

海尊一人は軍勢の中をのがれて、

ふじ山にのぼりて身をかくし、

食(じき)にうゑてせんかたのなかりしに、

浅間大ぼさつに帰依して、

守りをいのりしに、

岩の洞より飴のごとくなる物わき出たるを、

なめて心むるに、

味ひ甘露のごとし。

是をとりて食するに飢をいやし、

おのづから身もすくやかに心よくなり、

朝(あした)には日の精を吸(すう)て霞にこもり、

つひに仙人となり、

折ふしはふもとにくだり、

里人の逢(あう)てはそのちからをたすけ、

人のたすかる事今におよびて、

世にかくれてありといふ。

然るに弥二郎、

遠き旅路につかれて心たゆみ足をあやまち、

峯ちかき所にて風に吹たふされ、

ころびおつる事玉をはしらかすが如し。

かゝる所に年の程六十あまりの法師、

にはかにあらはれて弥二郎をとらへとゞめ、

あやふき命をたすけたり。

弥二郎ひきたてられ、

かの老僧にむかひ手を合せておがみつゝ、

いかなる沙門にておはしますぞや。

御庵はいづかたぞ。

御名をば何と申すやらんと問ければ、

我は此ふもとにすむ法師なり。

世をのがれたる身の、

名のるまでには及ばず。

下向の道にはたよりもよろしければ、

立よりてやすみ給へとやくそくして、

山よりくだるかとみえしが、

すがたはゆくかたなくうせにけり。

弥二郎かくてげかうの道に、

ふもとのあたりを尋ねしに、

かたはらにちひさき門(もん)あり。

蔦かづらまとはり、

草のみふかくさだかならぬをわけ入ければ、

さきの法師出むかひ、

一町ばかり行ければ、

よしある庵のうち、

仏壇をかまへ、

本尊は大日如来ひかりあたりにかゞやけり。

山よりおろすあらしには、

おのづから梵音(ぼんおん)をとなふるかと聞え、

海よりこゆる波にはまた、

錫杖を誦(じゆ)するかとおぼゆ。

妄想の雲はれて、

無明の睡りをさますとかや。

勧行(くわんぎやう)の功力(くりき)に感じて庭には時ならぬ花さきつゝ、

煙きえ霧はれて、

うき世のほかのすみかなり。

帰らんことをわすれて、

しばらく物がたりせし所に、

法師かたりけるやう、

我はもと東国のものなり。

久しく奥州衣川のあたりにありて、

心の外なるわざはひのありしを、

わづかにのがれて此所にかくれ、

身をおこなひたましひを練(ねり)て、

年の過る事をおぼえず。

濁りたのしみをえて、

をりふしはむかしを思ひ出て奥州にも行通ふことあり。

もとよりわびてすむ故に、

まゐらすべき物もなし。

旅のつかれにこれなりともめせとて、

わり子(ご)の内より枸杞(くこ)の葉の飯(いひ)をぞすゝめける。

弥二郎ふかく情をかんじ、

さるにても御名ゆかしくこそ、

名のりてきかさせ給へといふ。

法師は眉をひそめて、

名のるにつけてはあやしかるべし。

まことはわが名は残夢(ざんむ)といふ。

人に交はらねば、

時うつり世のかはるをもしらず。

今の世の中はいかにといふ。

弥二郎語りけるは、

そのかみ尊氏公世をおさめて十三代に及べり。

諸国の勇士そばだちおこりて、

たがひに怨(あだ)をむすび境をあらそひ、

国を合せ功をつのり、

駿河には北條の氏康、

甲斐に武田の晴信、

ゑちごに長尾の景虎、

ひたちに佐竹、

会津に蘆名、

越前に朝倉、

周防に陶の晴賢、

安芸に毛利、

出雲に尼子(あまこ)、

豊後に大友、

ひぜんに龍造寺、

伊勢の国師、

近江に浅井(あさゐ)、

佐々木、

畿内南海のあひだには、

三好が一族おなじく家人(げにん)松永、

その外諸国群郷のうちに武勇ある輩(ともがら)其数(かず)をしらず。

小身なるは大家の旗下(はたした)となり、

弱きはつよきにおしたふされ、

臣として君を策(はか)り、

父子怨(あだ)を結び、

兄弟敵(てき)となり、

利欲をもつぱらとして佞奸をかまへ、

忠孝をわすれて狼心をさしはさみ、

運にのるときは、

庸夫も国のあるじとなり、

勢を失なへば、

貴族も卑賎にくだり、

榮枯地を替、

盛衰日をあらたあ、

諸国一同に乱れて、

軍更に止時(やむとき)なく、

そのあひだの残害いく千萬とも知がたし。

しかる所に織田信長公、

尾州よりおこりて猛威をふるひ給ふ。

まづ暫らくたがひに変を見あはせて、

四海の波しづかなるに似たり。

此後また世の中、

いかになりゆくべしとも知がたしとぞかたりける。

残夢法師つく%\と聞て、

安否は運による事にて、

天理神明にまかすべし、

智恵勇力才覚にては叶はず。

たゞ慈悲正直をもつて本とす。

日もはやかたぶきて、

落くる風の音もすさまじ。

此所は夜に入ぬればおそろしき事あり。

人の心をおどろかすに、

はやく旅屋(たびや)にかへり給へとて、

おくり出して、

又庵の内に帰るかとみえしが、

空のけしきくらみかゝりて物すさまじ。

弥二郎足ばやにゆく/\かへり見れば、

庵はなく成て、

人のさけぶこゑ烟にまじはりて空に聞ゆ。

先達(せんだち)いふやう、

こゝはふじのふもと、

地ごく修羅のありさま、

くもる夜はあらはれみゆ。

すみやかに帰り給へとて、

弥二郎をつれて我宿にぞ帰りける。

  守江の海中の亡魂

豊後国守江の浦の海上には、

亡霊ありて人をなやます事たび/\なり。

そのかみ慶長五年九月に、

石田治部少輔(ぢぶのせうふ)謀反して、

美濃国関が原にして軍(いくさ)あり。

東軍のために打まけ、

治部少輔一味の西国勢みな逃おちて国に帰る。

黒田勘解由(かげゆ)入道は、

安喜(あんき)の城(じやう)に陣をかまへて、

番船(ばんふね)数十艘を海上に出して、

落下る勢をとがめらる。

島津の舟とてくらき夜に打とほる。

番船つよくとがめしかば軍になり、

薩摩船より砲爍火矢(ほうらくひや)をなげそこなひ、

みづから味方の舟に落ければ、

船中(ふなぢう)〓八人一同に焼沈みけり。

其中に中村新右衛門尉(じよう)といふもの亡霊となり、

沖中往来の人をなやますとかや。

寛永の末つがた夏のころ、

安芸国倉橋鴫のなにがしが娘、

日向の国佐土原といふ所にすみわたり、

故郷に帰るとて、

この沖中にして俄に物のけつきてさま%\の事口ばしりけるを、

何ものなれば、

かゝる船の中に来りて、

人をなやまし狂はするぞやと問ければ、

娘口ばしりて我はそのかみこの沖中の軍に、

海にしづみて死ける中村新右衛門といふものなり。

亡魂今もこゝにさまようて、

うきぬしづみぬくるしみをうくれども  我をとぶらふものなし、

あまりの苦しさに、

今此女性(によしやう)に寄(より)て望みをいたすものなり。

わがために法事をいとなみてたべとて、

涙を流しければ、

船中(ふなぢう)おどろきて、

安喜(あんき)の湊に船をつけて、

浦人に問ければ、

年々此浦を過る旅人に寄て、

物に狂はする事たび/\ありといふ。

さてはとて僧を請じて、

二夜三日の仏事をいとなむあひだに、

関が原軍の事、

此浦にてのたゝかひの事、

娘物がたりせしに、

聞人あはれがりて涙を流す。

かくて法事の過る前かた、

有がたや此仏事の功徳にて、

くるしみすこしゆるやかに成ける事よとて、

娘の狂気はさめたり。

それより後はばうこんもうかびぬらん、

このごろはたえて人にも寄つきて狂ひける沙汰もなし。

  島村蟹

細河高国の家臣島村左馬助は、

武篇を心にかけし者なり。

わづかなるあやまちありて殺されたり。

亡魂すでに蟹となり、

攝州尼が崎におほく生(わき)出たり。

世に島村がにと名づく。

余所(よそ)のかによりは、

ちひさくしておもてのかたに皺おほくみゆ。

さればにや顔のしわみたる人を、

しまむらがにのやうにといへるは、

此事なりとかや。

昔平氏(へいじ)の一門、

長門の国壇の浦にして海にしづみしその亡魂、

こと%\く蟹となりて、

長門国赤間が関にあつまり、

今の世までもおほく有けりと聞つたへし。

横ばしる蘆まのかにの雪ふれば  あなさむけとやいそぎかくるゝ

と古き歌にも読けり。

一念のまよひあれば、

いかなるものにも生れかはる輪廻(りんゑ)の有さまなりと、

仏も説おき給へり。

治承の古へ源三位頼政むほんして、

宇治川をへだてゝ源平の軍あり、

うたれたるものの亡魂蛍になりて、

今の世までも年毎の四月五日には、

平等院のまへに数千万の蛍あつまりて、

光りをあらそうて相たゝかふ。

化(くわ)して異類となると、

売諠(かぎ)がこと葉空しからずや。

  北條甚五郎出家

長尾謙信の家老北條丹後守は、

越後の国橡生(とちふ)の城代として、

大剛の名あり。

其弟甚五郎は年いまだ二十あまりなり。

兄におとらぬ勇士なり。

天生元年の春二月、心地わづらひ俄に死(しに)けり。

平生佛とも法ともしらず、

死するや直に〓魔(えんま)王界におもむく。

大王出ての給はく、

汝世にありし時、

いづれの功徳をいたせしや。

罪科(つみとが)は山のごとしといへども、

〓(いのち)の算(さん)いまだあり。

ゆるして二たび人間(にんげん)にかへすべし。

去ながら汝が母すでに地ごくにあり、

よびよせて対面せさすべし。

よみがへりなばよく跡をとぶらふべきなりとて、

司録に仰せてめしけるに、

まことにやせつかれたるありさま、

みしにもあらぬを手かせ首かせをいれて、

庭のおもてに引すゑたり。

母は甚五郎を見て涙を流し、

我世にありし時は、

人の色よき小袖をうらやみ、

馬物の具鎧太刀までもよくしてあたへ、

和殿を世にたていかめしく見ばやとのみ思ひくらし、

佛法の事は外の事に聞なし、

むなしくなりて頼(たのむ)べき功徳も善根もあらばこそ、

死しては直に地ごくにおもむき、

つるぎの山をこえ、

あかがねの湯につき入られ、

しばしのあひだもくるしみのやすらかなる事なし。

汝は二たび人間に帰るときく。

わが跡よく/\とぶらへやと、

いひもはてぬにおそろしき獄卒、

その母を引たてつれて、

ゆく/\泣さけぶ声はるかに聞えしかば、

甚五郎悲しさ身にあまりて、

涙のおつる事雨の如し。

〓王仰られけるやう

汝よく見て帰り、

その跡とふ事をわするべからず。

とく/\帰れと仰ける所に、

もろ/\の鳥けだものきたりあつまりて、

甚五郎を目がけて懸りけるを、

〓おうのたまはく、

娑婆に帰らば汝等がために功徳をいとなみ、

皆人間に生をうくべし。

はやくゆるして帰せやとあり。

もろ/\の鳥けだものはみなしりぞくに、

あかく斑(まだら)なる狗ひとつ残りて、

甚五郎が衣をくひとめて放たず。

いかにと問給ふに、

こたへて申すやう、

我(わが)業因(ごふいん)つたなくして狗と生れ、

此家にとらへられたり。

甚五郎は軍のいとまには鵜鷹のあそびに日をおくり、

鷹のために我をくゝくりて、

さらばころしもやらず、

股(もも)の皮を剥(はぎ)かけて、

用ひるにしたがひて切{金+殺}(きりそぎ)て鷹の餌にせらる。

その痛(いたみ)くるしむ事、

心もこと葉も絶て、

誰に訴(うつたふ)べきたよりもなく悲しき中に死(しに)けるは、

いつの世にわするべき。

そのうらみをはうぜんためなりといふ。

〓王さまざまなだめて、

司命に仰(おほせ)て帰し給う。

路にして忍(をし)の長七とて、

この程敵(てき)にうたれし傍輩に逢たり。

長七すでに甚五郎が袖をひかへて、

我は只今地ごくにおもむくなり。

我が父母に、

跡とぶらひて給はれと言傅(ことづて)せしと届てたべといふ。

いかに届け侍べるとも、

しるしなくてはまことしからずやと伝ければ、

腰よりひとつのかうがいを取出し、

これをしるしにとて、

なく/\わかれけり。

送りける司命のをしへけるやう、

たとひとぶらひのため経をうつし佛をつくりても、

非道に得たる金銀にていたしては、

さらに亡者の功徳に成がたし。

その亡者の秘蔵に思ひし物こそ、

たしかにはとゞけとぞかたりける。

甚五郎道にすゝみ、

大なる穴に行かゝり、

此中に落るとおぼえてよみがえり、

忍(をし)がことづてたりしかうがいは手にあり、

その家につかはしければ、

長七うたれしそのかばねをはうぶりし時に、

棺に入て送りし物なり。

何のうたがひなしとて、

父母なく/\とぶらひ、

くやうをいたしけり。

甚五郎は今は出家の身とならばやと、

つらつら打案ずる中に、

弓矢とる身の習ひ、

かかる世の乱れをうしろになし獨りのがるゝは、

君のためには不忠となり、

親のためには家をうしなふの不孝の子なり。

天神地祗(てんしんぢぎ)もさこそはにくみ給ひ、

世上の人にも笑はれ恥かしめを死後までも名をさらすなるべしや。

さりながら恩をすてゝ無為に入(いる)をば、

まことのはうおんなりと佛もとき給へば、

世の望みを忘れ慾をはなれ抖薮行脚(とさうあんぎゃ)の身とならば、

人も思ひゆるし、

君も捨給う習ひ也。

させる所帯もなく妻子もなき我なり。

髻(もとゞり)に何の心をか残すべき。

後世(ごせ)こそ大事なれ。

とかくの事は用なしとて、

さまを替て家を出つゝ、

諸国をめぐる修行者とぞ成にける。

  交野(かたの)忠次郎発心(ほつしん)

河内の国かた野の里に、

水崎(みさき)忠次郎宣重(のぶしげ)と聞えしは、

もとは駿河国今川家にありしが、

牢浪して河内に来り、

交野のわたりに引こもり、

思ひかけず妻をかたらひてすみけり。

本より武家の奉公人なれば、

耕作商買の所作(しよさ)もしらず、

只然るべき君を頼みて、

軍陣に手がらをもふるひ、

世にたち名をもとらばやとのみ思ひてあかしくらすほどに、

身上ことの外にまづしく、

朝(あした)ゆふべの畑をたてかねたり。

ある夜のあかつき忠次郎ねぶりさめて、

妻にかたりけるは、

いか成先世(ぜんせ)のむくいにや、

かゝるまづしき身となりはて、

わびしき目をみせ侍べる事、

返す/\も面目なき有さまなり。

もし世にも出るならば、

又おもしろき世にも逢瀬(あふせ)のあるべしとかたる。

妻聞て、

かゝるわびしき所にきて、

幾世(いくよ)をへたりともいかめしき事のあるべしとも思はず。

営(いとなみ)とてすべき業(わざ)もなし。

かくて年月をおくりて後は、

道のかたはら細溝の中にたふれて、

飢死するより外は有べからず。

せめては野ばらのすゑ、

往来の道すぢに出つゝ、

手ごろのものの行過るをうかゞひ、

うちころしてはぎとり、

追たふしてうばひとり、

我にもゆるやかなる心をもつけて給(たべ)とぞいひける。

忠次郎うち聞て、

我年ごろは侍の道をたてゝ、

まさなき事は露ばかりもせじとこそ嗜みけれ。

さりともかゝるわびしき中に、

情をかけてふかく契りしあひだを去別れんも悲しく、

妻がこと葉につきて思ひたちつゝ、

夜のあくるを待かね、

朝霧のまぎれに刀をわきばさみ、

人ばなれとほき野のすゑ、

草むらにかくれて待ける所に、

年のほど十七八かと覚えし女性(にょしゃう)の、

ちひさきめのわらはに小袋をもたせてうち過るを折ふし後さきに人気(ひとけ)もなし。

刀をぬきてかけ出つゝ、

そのまゝうちころし、

二人の女のきる物はぎとり、

小袋ともに持そへて家にはしり帰り、

よき仕合(しあはせ)いたしぬとて妻にあたへ、

年のほど十七八かとみえたる、

世にうつくしき女性なりけるぞや、

いかなる里の誰人の妻なるらん、

いたはしながらうちころしけるあはれさよとかたるに、

妻これを聞ながら、

あはれとも思へるけしきもなく、

井のもとのあたりにゆきて、

水をくみつゝうれしげにわらひながら、

小袖につきたる血をあらひける顔つき心ねのおそろしさ、

鬼のごとくおもはれ、

あきれたる中にうとみはて、

半時にてもわが妻とてそふべきものか、

情なの心やと、

是をぼだいのたねとして、

もとゆひおしきり家を出で、

あしにまかせて諸国を修行して、

三年(みとせ)にあたる比(ころ)ほひ、

大和國よし野にめぐりきて、

日すでに暮しかば、

山本の里に宿をからばやと思ふに、

道のほとりに軒あばらなる茅屋のうちに、

ともし火かすかにみえし。

立よりて戸をたゝくに、

内よりわかき法師の出て誰人ぞと云。

諸国修行の聖(ひじり)にて候。

日の暮たれば宿かし給へといふ。

やすきほどの事、

一夜をあかし給へとて内によび入たり。

粟飯(あはいひ)とり出で、

是にて旅のつかれをやすめ給へとて、

我身は持佛堂にうちむかひ念佛しけるあひだに、

涙をぬぐふ事幾しきりなり。

忠次郎入道比有さまをみつ、

やう/\粟飯くひはてゝ持佛堂にまゐり、

もろ友に念佛しけるが、

何となく物あはれにおぼえて、

そゞろに涙のおちけるを、

念佛はてゝ後、

あるじの法師と只二人、

うちむかひ物がたりせしまゝ、

さて只今念佛のあひだに、

しきりに涙をおとし給ふは、

いか成子細の候やらんととひければ、

あるじのほうしことへけるは、

かたるにつけては悲しさの、

かゝる身になりてもわすれがたき事の侍べり。

我はそのかみ三好日向守の家人なり。

いとけなくして父におくれ、

母かたの〓父(おぢ)は有徳(うとく)なりける故に、

その家にやしなはれ、

人となりてのち武家もものうき世の中なれば、

只わが名跡をつぎて世をやすくせよとて、

ちかきあたり田宮の里にすみわたり、

北條村より妻をむかへしを、

いくほどなく盗人(ぬすびと)のためにころされて、

悲しくも口をしさ  今更にかぎりなし。

その俤のわすられず、

あまりの事にはかの盗人のありかをきかば、

たとひ虎ふす野べ、

鯨よる浦といふ共只一人ゆきむかひ、

妻の敵はうつべきものをと、

別れをしたふ涙さへ、

しばしがほども留らず。

袂のかはく隙(ひま)もなし。

かゝる時に世をすてずは、

生死(しやうじ)のちまたも覚束なく、

まよひの夢もさめがたかるべし。

うき世の中はこれまでなり、

佛道に身をすてゝ、

はかなき妻のぼだいをもとぶらひ、

来生にはさりともひとつはちすの契りをむすばんとおもひ定め、

比山もとにこもりて、

念佛して居侍べり。

今日(けふ)はこと更に、

別れしつまの三とせに帰るを思ひ出て、

佛に花香(けかう)を奉り、

むなしき跡をとぶらふ中に、

うらめしく又なつかしき月日かな別れみとせのけふと思へば

すつる身ながらも猶わすれかねて、

かく思ひつゞけ侍べり。

そなたにもおなし世をそむきし人なれば、

逆縁ながらとぶらひてたべとぞかたりける。

忠次入道つく%\と聞て、

年ふればわすれ草もや生(おひ)ぬらんみとせのけふと思はれもせぬ

此もの語を聞につけて、

恥かしき事こそ侍べれ。

その女性をころせしものはそれがしなりとて、

初終(はじめをはり)の事つぶさにかたり、

我もこれゆゑ世をそむきて、

諸国をめぐる身のとりわきこよひ此庵にきたりしは、

運のきはめとはいひながら、

嬉しう侍べり。

そのうしなひし折からは、

さこそ悲しく口をしからめ。

かたきは我なり、

とく/\かうべをはねて、

本望とげ給へとて、

首をのべてさしむかひけり。

あるじの法師手をうちていふやう、

年月念佛の隙(ひま)には、

妻のかたきのあり所をしらさせ給へと、

神ほとけにもいのり侍べりしに、

こよひしもこゝにめぐり来れる事も、

心ざしのまことあるゆゑぞかし。

今はねがひの花ひらけ、

妄念の雲晴たり。

此事なくばそなたも我も、

いかでかぼだいの道にいらん。

佛種(ぶつしゆ)は縁(えん)よりおこると佛のとき給ふはこれなるべし。

今はうらみものこりなく、

よろこびの種となり、

一味の雨の沽ほひける。

九品(ぼん)のうてなのえんをむすび、

おなじ蓮(はちす)の契りとなりし嬉しさよとて、

二人の法師ひたひをあはせて、

歡喜(くわんき)の涙おきどころなし。

此上は何かへだてのあるべき、

しばらくこゝにとゞまり、

念佛申てとぶらひ給へとて、

十日ばかりは二人おなじくおこなひしが、

忠次入道いとまごひして出けり。

後にそのゆくすゑをしらず。

あるじの法師も、

それより四年ののち七日ばかりやまひせしを、

あたりちかき村人、

かはる%\きたりてかんびやうせしに、

さのみにくるしき色もなく後世の事物語りいたして、

つひにりんじふめでたく、

念佛の息もろ友に正念に往生す。

人々とりまかなうて、

塚にうづみしるしの木をうゑて、

男女(なんによ)あつまり念佛して、

とぶらひけりとかや。

  死して二人(ふたり)となる

小田原城下のうちに、

百姓のすみける一村あり。

家中の侍も少々すみけり。

北條早雲の時に、

西岡又三郎とて、

中間(ちうげん)わづらひて死(しに)けり。

夕さり夜ふけがた、

野原に埋(うづ)みをさめんとて、

傍輩どもあつまりて、

日の暮るを待ける所に、

見なれぬ男の来りて、

人人には會釋もなく死人の前に坐して、

聲をかぎりに啼(なき)ける。

あはれなるまでに聞えしかば、

さだめてちかき親類又はしたしき友なるべしと思ふところに、

死したる屍俄(かばね)にむくとおきあがる。

此人もおなじく立あがり、

摶(つかみ)あひ打あひけり。

物をばいはずかなたこなたせしまゝ、

あつまりし人々は、大におどろきながら、

すべきやうなくして、

戸をさしこめ出(いで)のきけり。

二人とぢこめられ、

戸より内にて打あひつゝ、

日の暮がたにしづまりければ、

人々戸をひらくに、

二人おなじ枕にふしてあり。

勢(せい)のたかさすがたかゝり、

顔の有さま鬢鬚(びんひげ)、

その身に着たる衣服までも、

すこしも替ることなし。

常に狎(なれ)たる傍輩も、

いづれをそれと見知べからず。

棺(くわん)をおなじく二人をひとつにして、

塚を築(つき)て埋みけり。

  武庫山(むこやま)の女仙(にょせん)

天正年中に、京都七条わたりに、小野民部小輔とて、もとは然るべき人のすゑと聞こえし。

世におちぶれて京のすまひも物うくて、津の国冠(かふり)の里にしたしき人を頼み、かしこにくだりて住けり。

さびしき田舎のすまひ、我とひとしき友もなく、春の日のうらゝかなるにいざなはれて、心にまかせて武庫の山もとにいたり、

  見渡せばすみのえ遠しむこ山の浦づたひして出る舟人

とうちずむじて、谷ひとつわたりてあなたの茂みにさし入ければ、年のほどはたちあまりの女只ひとり立(たち)てあり。

花をたづねてあそぶにもあらず、妻木(つまぎ)をひろふ賎のめともみえず。身には木の葉をつゞりながらもいやしからぬ有さま。

民部あやしく思ひて、近くあゆみよりつゝ、君はいかなる人なれば、かゝる山中(やまなか)に只ひとりおはすらんと問ければ、

女うちゑみて、我はもとより此山に、年月をかさねしものなり。昔をかたりて聞せまゐらせん。

古しへ神功皇后は、高麗(こま)もろこし新羅(しらぎ)の国をうちしたがへ、此日のもとに帰陣あり。

弓矢(ゆみや)鉾剣(ほこつるぎ)よろひ甲(かぶと)、あらゆる武具を此山にうづみ給ひしによりて、武庫の山とは名づけられけり。

そののち天長のみかどの御時に、第二の妃(きさき)この山に人給ひ、如意輪観音の法をおこなひ給ふ。故に如意の尼と申奉りけり。

こゝは弁財天の住所、廣田の明神つねにまもり給ふ。白き龍に変じてあらはれ、石となりて御形(かたち)を残し、猶今も此山にましませり。

空海和尚(くわしやう)この所にして、如意実珠の法を修(しゅ)せられしに、

弁財天女あらはれ給ひ、我此山にとゞまりて、あらゆる貧人のためにたからをあたへんとちかひ給へり。

如意の尼すでに伽藍を建立し、如意輪の蛇羅尼(だらに)を誦(じゅ)し、

空海和尚を請(しゃう)じて、秘密潅頂(ひみつくわんぢやう)をうけ給へり。

此年天下大に日でりせしかば、守敏(しゅびん)空海雨ごひのいのり有りけるに、

如意尼もとよりもち給ひし浦島子(うらしまこ)が箱を、空海これを借て大秘法をおこなひ、雨ふりて天下をうるほし給ひけり。

此山の上に大なる櫻木有て、朝(あした)ゆふべには、光さしてかゞやきけるを、

空海に仰せて、此木を伐(きり)て仏像をつくり、浦島子が箱をば、仏の中につくりこめ給ふ。

御后(きさき)此山に入給ひし御時、二人の女官(にょくわん)をめしつれ給ふ。

一人はこれ従四位上和気眞綱(わけのまつな)のむすめ豊子といひ、今一人は相馬将門(さうままさかど)のむすめ将(まさ)子といふ。今の我身これなり。

如意尼につかへ奉る事、露ばかりもおこたりなし。我は常に瀧の水をくみて閼伽(あか)のそなへとす。

ある時瀧の水のもとに、いとけなき児のいまだ二歳にもたらざるやうにて、色白くうつくしきが匍出(はひい)で、

我を見てうれしげに笑ひけるを、いとをしく愛して、時のうつりておそく帰りしかば、いかにけふはおそかりしととがめ給ふ。かうかうの事侍りと申す。

その子いだきて帰りて見せよと仰せけるを、又瀧のもとにゆきければ、いたいけらしく匐ひ出てわらいけるを、かきいだきて帰るに、

門に入しかば、此子むなしく成て、枯木(かれき)の根のごとくにておもく覚えしを、

如意尼近くよせて御らんじければ、幾世へたりともしらず、大なる茯〓(ぶくりゃう)といふものなり。

是はそのかみ聞及びし仙人の霊薬なり。これを食すれば、白昼に天にのぼるとかや。かぎりなき命をのぶる薬なり。甑(こしき)に蒸(むし)て奉れとあり。

柴三束(ぞく)を焼つくしてすゝめ奉る。みずからきこしめし、二人の女官にも給はり。みなのこりなく喰つくしけり。

これより心はれやかに、身も涼しく日をかさねて、如意尼(のあま)と豊子もろ友に天に上り給ふ。

我は心すこしおくれて、つれてものぼり得ず、此山にとどまり、松の葉を喰(じき)とし、数百年をおくりて、夏とても熱からず、冬もまた寒からず。

谷峯をわたれども苦しくもなし。身はかろく形おとろへず。

さて今はいか成君のおさめ給ふ御代成けるやと問(とふ)に、民部はかかるきどくの物がたり、又ためしなき御事なり。

天長の年よりこのかた、世かはり人あらたまり、数(す)百歳をへだつるあひだに、人王(にんわう)は百七代にあたらせ給ふ。

年号は今は天正と改元あり。世の中乱れて暫らくも静かならず。

国さはぎ民くるしみ、上下ともにおだやかならねば、只浮雲(ふきくも)のごとし。

あな浦山しの有さま、眞の地仙にておはしけりとて、首(かしら)を地につけてをがみけるあひだに、女仙は行がたなくうせにけり。

民部ふしぎに思ひ、ふもとの里に入て只今此山中にてかゝる人に逢けり。

年ごろも此人に行逢(ゆきあう)たるためしありやとたづねければ、あるじ大におどろきて、

されば此家の祖父(おゝぢ)、八十有余なりしが、むかしわかかりし時に、柴刈(かる)とて山に入しかば、

何とはしらず廿(はたち)あまりの女の、顔うるはしくつやゝかなるが、身には木の葉をつゞりかさね、岩のうへにたちてありしを、

あれはといふ声を聞て飛(とぶ)ともなくはしるともなく、嶺(みね)にのぼりてうせさりぬとかたられ、

きつねむじなのばけたるにやといはれしを聞おき侍べり。

それより後には、見たる人も侍べらずとぞいひける。

民部きどくの事をもみつる物かなと、思ひつゞけて帰りぬ。

  原隼人左謫仙(たくせん)

原加賀守は武田譜代の家臣、

世にかくれなき武勇の侍大将なり。

秋山伯耆守が妹を妻としてそひけるに、

久しく子といふ者もなかりしに、

ある時たゞならずわづらひ出しけるを、

くす師を頼みて、さま%\にれうぢすれどもしるしなし。

ある人来りて、是は正しく懐妊なり。

さのみに薬をあたふるに及ばずといひければ、

さてわめでたき事なりとて、月のみつるを待ちけるに、

すでに十月(とつき)に也(なり)ども子(こ)もうまれず。

やまひいよ/\おもくなり、十六月にあたりて、母つひにはかなくなりたり。

恵林寺におくりて、塚の主(つかのぬし)とぞなしける。

其夜しも月あかゝりけるに、塚の内に小児のなく声聞こえしかば、

寺僧あやしみて塚をひらきければ、うつくしき子の今生まれて、

母のかばねにすがりつきて啼(なき)けるを、

父のもとえいひつかはしければ、いそぎ迎へとり、

乳母(おち)めのとをつけて生立(そだて)しに、たくましく生(おひ)たち、

程なく成人して、器量こつがら人なみならず、心ねしぶとく利根(りこん)なり。

年十五より初陣して、度度の軍に手がらをあらはしければ、

信玄も秘蔵(ひぞう)のもんのにぞ思はれける。

ある時信玄仰せけるは、汝が父加賀守は、

前代従五位下左京大夫信虎公の時より、武勇のほまれ忠節のはたらき、

武田譜代の侍にて、かた%\心やすく思ふなり。

その子として、父が余蔭に{告+非}かかりて、

自分のはたらきにおこたることなかれ。

武道の巧者に近づきて、よき事を聞習ふべし。

智慧ありとも聞(きく)事少なければ、物知事博からず。

その上には国法よく守るべし。

國法軍法をそむくものは、

臆病不忠の利人(とがにん)なり。

主君の御影にて、命をつなぎ妻子をはごくみ、心やすく身をたてながら、

某家の法をそむき、御恩をはうずる心ざしを忘れ、

わたしくの遺恨をもつて身命(しんみよう)をうちはたすは、主君の御用にもたゝず。

只國家の盗人ならずや。かゝる不覚人は生てあれども義理をしらず恥をもしらぬ故に、

大事の虎口をにげくづして、味方の負をさすつものなり。先祖親祖父(おやおほぢ)はたとひよりしとても

子孫かならずよかるべきにはあらず。

自分の行跡よき働なくば、世に名は聞ゆべからず。隼人佐(はやとのすけ)は、

父にはことの外にすぐれてみゆ。鬼に角に心を正直に、家ををさめ百姓をあわれみ、

忠節を宗(むね)とすべしとぞの給いける。然るに隼人佐は、武勇才智遠慮分別首尾さうおうのものゝふ也。

こと更に自門他家に比類なき一能あり。父はもと甲斐國高畠とゆふ所の人なり。

武篇に名だかく、方向の陣どりを得ものにて、楽(がく)のたうとゆふ事を仕にだし、

たび/\勝利をあらはせり。子息隼人佐にむかひ、それ侍は何にても、弓矢の道にひとつの得あるように、

つとめてたしなむべしといひおきけり。

さればにや隼人佐は他國にゆきても、たつきもしらぬ山中の道、いまだふみみぬ所をも見つもりしてふみわくる事、

陣どり合戦の場、山河のあひだ、更にその國の案内者をからず。隼人がよきと申すは、

諸卒大小上下心よくうたがひなく、みなしたがひゆくにたがふ所なし。

昔平家の一門都を落て、津の國一の谷の城にこもるし時、九郎義経責くだり、鵯越におもむき、

此山中に案内知たるものやあるとの給ひしかば、武蔵國の住人平山の武者所(むしゃどころ)すヽみ出で、

季重よく在知候と申す。土肥畠山とり%\に、武蔵國の人はじめて此山をとほり、

津の國播磨のさかひなる山の案内、いかでか知るべきと笑ひしに、平山いふやう、鹿のつく山は猟師がしり、

鳥のつく野は鷹師がしり、魚(うを)よる浦は漁(すなどり)のしる。芳野泊瀬(はつせ)の花の色、須磨やあかしの月影は、

その里人はしらねども、数奇(すき)ものはしるならひなり。色をも香(か)をも知ぞしるといへり。

桃季ものいはず、下おのずから蹊(みち)をなすとかや。

敵をまねく城のうち、軍をこめたる山中には、剛のものこそ案内者よとて、鞭をあげて先陣にすすみけりといへり。

其道に心をいれてよく工夫いたさば、などかいたらざらん。

いにしえもろこし胡國の路に、管仲が老馬を先に立て帰りしば、ためしなき事にもあらず。

天正八年かのえ辰九月下旬に武田四郎勝頼東上野に出て巡見せられけるに、太湖山地延(ちぜん)の城よりしかけたるに、

>武田方徒膚(すはだ)にて戦かひ、城はのりとりけれども、人数はおほくうたれたり。

中にも侍大将原隼人佐(はやとのすけ)は、城兵七八人にむかうてたヽかひしに、小溝にあしをふみいれ、

頂(いただき)とり眉間(みけん)をかけて切つけられ、深手なりければうたふれしを、

曲淵庄左衛門肩に引かけ、城外に出て郎にわたし、甲府に帰りてやがて死(しに)けりと世には沙汰ありけれども、

まことには隼人佐心にくたむ事あり、武田の家長篠の後(おくれ)をとりしよりこのかた、家老諸侍(しょし)みな死うせて、

隼人佐わずかに只濁り生残り、長坂釣閑、跡部大〓の雨人が佞奸に押されて、武田の家運すゑになりし有さま、

鍋ちかきにある事を知て、遠く氾〓(はんれい)がいにしえを思ひ、張良がむかしおしたうて、山ふかくわけ入つつ仙術の道を尋ね、

長生の方をもとめ、つひに大仙に逢て、そのおこなひを習ひ、白書に天にのぼる。

其のち山人に行あうて、武田の家のほろぼされし事を聞いて、

うれへたる色深く、我はそのかみ原隼人佐昌勝といはれしものなり。

本は天上にありけるを、少(すこし)あやまることありて下界に流され、武田の家にしばらく身をかくして居たりしを

罪ゆるされて天上に帰りしなりとて、足もとより雲をおこし、あまつ空にのぼるとみえしが、隠々としてうせにけり。

  形見の山吹

都の南泉河のあたりに、菅野喜内とて、色このみありける人あり。文禄年中の事にや、春もすゑになりゆけば、あだにちりゆく花の名ごり、

いづくにか又のこれる木ずゑもありなしやと、あらぬ太山(みやま)を思ひ、青葉まじりの〓櫻もあらましかば、初花よりも猶めづらかならんものをと、

すみかをうかれ出で瓶(みか)の原鹿瀬(かせ)山をうち通る。

  都出てけふみかの原泉河川風さむし衣かせ山

と古き歌まで思ひつヾけて、木津(きづ)の里に行かゝる。

年のほど十七八とおぼしき女の、すだれの間(あひ)よりさしのぞきける顔ばせ、むかし女三(にょさん)の宮、

手がひの猫のつなにひかれて、御簾(みす)のかげよりのぞき給ひ、かしは木の御門もつかに見そめまるらせける。

たがひの心ぞかよひける、ためしもかくこそありつらめ。

家居(いえゐ)もさすがに故ある人のすみわたりぬらん、軒端(のきば)は物ふりたりけれどもいやしからぬ有りさま。

喜内はこれを見そめしより、心乱れたましひうかれ、近きあたりに立よりて、あの軒ばふりたる家は、誰人の住ける所ぞととへば、

大内義隆の牢人(ろうにん)高梨三郎左衛門とて、今は身まかりて後家と娘と只二人、めのわらはをめしつかうて、

かすかなるすまひ、御いいとほしく侍べるかたる。

喜内聞て娘の名をとへば、弥子(いやこ)と申て今年は十八なりといふ。

喜内はたへかねて何をかつゝむべき、かりそめに見そめしおもかげ、我身をはなれず思みだれ侍べり。

せめて此事を露ばかりしらせてたべ、しからば何事の御おんといふとも、これにはまさらじといひければ、あるじの妻もとは京の人なるが、

情ふかく頼まれ、御文まゐらせ給へ、とヾけて奉らんといふに、喜内うれしさかぎりもなく、

肌に着たる白き小袖の衣裏(えり)をときて、書おくりけるに、中々こと葉はなくて、

  君にかく恋そめしがしらせばや心に忍ぶもじづりの跡

その夕暮(ゆうぐれ)、

あるじの妻(つま)行(いっ)て物(もの)がたりすとてひそかに文(ふみ)をわたしけり。

彌子(やこ)たもとにいれてねやに入(はいり)つゝ、

此(この)歌(うた)をみるに、

荻(をぎ)の葉(は)につたふ風(かぜ)のたより、

萓草(わすれぐさ)のすゑいかならん。

露(つゆ)のかごとにいひしらぬ文(ふみ)も、

恥(はず)かしさをいかゞせんと、

いと物(もの)わびしく、

あはれなるかたにおぼえけれども、

ふきもさだめぬうら風(かぜ)に、

なびきはつべき煙(けむり)のすゑも、

つひにはうき名(な)にたつべしと、

心(こころ)づよきを關守(せきもり)になして過(すぎ)ゆく程(ほど)、

喜内(きない)は宿(やど)に歸(かえ)りながら、

いつとなくねもせで日(ひ)をくらし、

返(かえ)しありやと待(まち)けれども、

よどむや水(みず)のいなせ川(かわ)、

いなせの返(かえ)しもなかりしを、

あるじの妻(つま)ひそかにゆきて、

御返(おんかえ)しはいかにと責(せめ)ければ、

彌子(やこ)恥(はず)かしながら、

あまのたく浦(うら)の〓やの夕煙(ゆうけむり)思(おも)ひきゆともなびかましやは

といひければ、

かう/\つれなくおはすといひつかはしければ、

喜内(きない)いよ/\こがれまどひて、

戀(こひ)しなば煙(けむり)>をせめてあまのすむ里(さと)のしるべと思(おも)ひだにしれ

今(いま)はこの世(よ)のかぎり、

たとひむなしくなりゆくとも、心(こころ)は君(きみ)があたりをたちはなれじなんど、

おそろしきまでかきくどきて、

面影(おもかげ)はほのみし宿(やど)にさき立(たち)てこたへぬ風(かぜ)の松(まつ)にふく聲(こえ)

只(ただ)つれなき御心(おんこころ)におもひなげかれて、

音(ね)にたてゝなく蟲(むし)のたとへまで、

いひしらぬ文(ふみ)の數(しき)、

千束(ちつか)にあまる程(ほど)に成(なり)ければ、

彌子(やこ)もあはれとおもふなさけの色(いろ)深(ふか)くうちしほれて、

親(おや)しさけずは「あづまぢや佐野(さの)のふなばしさのみやは堪(たへ)ては人(ひと)の戀(こひ)わたるべき」と思(おも)ひしづめる有(あり)さまなり。

さてかくぞよみける、

世々(よよ)かけて契(ちぎ)るまでこそかたからめ命(いのち)のうちにかはらずもがな

とかきてつかはしければ、

喜内(きない)この歌(うた)を見(み)て限(かぎ)りなくよろこび、

その夜(よ)をさだめて、

あるじの妻(つま)に案内(あんない)せさせ、垣(かきね)のひまより忍(しの)び入(いり)て障子(しょうじ)をひらきければ、

一間(ひとま)なる所(ところ)にともし火(び)かすかに、

おもはゆくうちそばみ居(い)たるにかたらひよりて、

日(ひ)ごろの物(もの)おもひ、

心(こころ)をくだきける事(こと)より、

行(いく)すゑまでの契(ちぎ)りをかたるに、彌子(やこ)はこと葉(ば)すくなう聞(きこ)えて、

ことの葉(は)は只(ただ)情(じょう)にもありなましみえぬ心(こころ)のおくはしられずとかこちけり。

喜内(きない)ふかく恨(うら)みて、

あひそめし後(あと)の心(こころ)を神(かみ)もしれひくしも繩(なわ)の絶(たえ)じとぞ思(おも)ふ

かりそめになれにし後(あと)は、

人(ひと)め忍(しの)ぶの露(つゆ)を分(わけ)て行通(いきかよ)ひしに、

はかなき世(よ)のならひ、

彌子(やこ)が母(はは)わづらひ出(だ)して、

むなしく成(なり)たり。

悲(かな)しさいふばかりなく、

うちこもりけるに、

霜(しも)に枯(かれ)行(ゆく)草(くさ)の上(うえ)に、

雪(ゆき)ふりかさなるとかや、

喜内(きない)が父(ちち)は尼(あま)が崎(さき)にありけるを、

関白(かんぱく)秀次(ひでつぐ)公(こう)にめされておもむくとて、

喜内(きない)をよびよせもろ友(とも)に行(いき)たり。

幾(いく)ほどなく秀次(ひでつぐ)公(こう)は、

高野山(こうやさん)にして生害(せいがい)せられ給(たま)ふ。

このぞめきに木津(きづ)の里(さと)の音(おと)づれもうちたえしかば、

我(われ)やうき人(びと)やはつらき中川(なかがわ)の水(みず)の流(なが)れも絶(たえ)はてにけり

かく思(おも)ひつゞくるうちに年(とし)もくれ、

春(はる)過(すぎ)夏(なつ)もたちける程(ほど)に、

物(もの)思(おも)ひのかさなる故(ゆえ)にや、

彌子(やこ)いつとなく心(ここ)ちわづらひて、

つひにはかなく成(なり)たり。

今(いま)は此(この)世(よ)の名(な)ごりも頼(たの)みすくなく成(なり)し所(ところ)へ、

喜内(きない)のかたよりとて文(ふみ)おこせたり。

かなたこなた露(つゆ)隙(ひま)もなき事(こと)ども、

さま%\かきつゞけて

關守(せきもり)のうちぬるほどとわびし夜(よる)も今(いま)はへだつる恨(うらみ)とやなる

といひつかはしけるを、

彌子(やこ)ふしながら涙(なみだ)とともによみて、

ふみみても恨(うらみ)ぞふかき濱千鳥(はまちどり)跡(あと)はかひなく残(のこ)る夢(ゆめ)の夜(よ)

とよみて、

そのまゝ絶(たえ)入(いり)てつひにむなしく成(なり)たり。

あたりの人(ひと)痛(いた)はしがりて、

近(ちか)き野(の)べに埋(うづみ)て、

塚(つか)の主(ぬし)とぞなしたる。

すみあらしたる家(いえ)なりければ、

はしらもかたぶき軒(のき)もりて、

浅(あさ)ましきくづれ屋(や)となり果(はて)けり。

かくて三(み)とせの春秋(しゅんじゅう)をおくりむかへて、

喜内(きない)は泉川(いずみがわ)に立(たち)歸(かえ)り、

あるじの妻(つま)はいかにと尋(たず)ねしに、

此(この)ほど身(み)まかり侍(は)べりといふ。

彌子(やこ)が家(いえ)にゆきてみれば、

軒(のき)くづれ柱(はしら)たふれ、

草(くさ)のみおひしげり、

すみける人(ひと)の跡(あと)もなし。

あたりに立(たち)よりて聞(きこえ)ければ、

日比(ひごろ)の有(あり)さま残(のこ)りなく語(かた)るに、

あまりのかなしさに、

そのすみ一間(ひとま)のくづれたる壁(かべ)を引(ひき)のけしに、

棹(さお)にかけたる黄染(きぞめ)の小袖(こそで)の、

竿(さお)にかけながら地(ち)におちて、

朽(きち)たる跡(あと)より山吹(やまぶき)の生(おひ)出(で)て、

恨(うら)みがほなる花(はな)の色(いろ)の、

ところ%\に咲(さき)たるを見(み)るに、

朽(くち)てももとのいろをわすれぬ形見(かたみ)の花(はな)とおもはれて、

喜内(きない)はいとゞ悲(かな)しく、

血(ち)の涙(なみだ)を流(なが)して啼(なき)けれども、

くちなし色(いろ)の花(はな)の名(な)ごりは、

こたふるこゑもなし。

さてもなき世(よ)のありさま、

かくぞ思(おも)ひつゞけける、。

山吹(やまぶき)の花(はな)こそいはぬ色(いろ)ならめもとの籬(まがき)をなく/\ぞとふ

猶(なお)も心(こころ)のおき所(どころ)なく、

墓(はか)にまうでて見(み)めぐれば、

人(ひと)の通(かよ)ふ道(みち)ともおぼえず。

山(やま)かげなれば日(ひ)すでに暮(くれ)かゝるに、

野寺(のでら)の鐘(かね)入相(いりあひ)の聲(こえ)も心(こころ)ぼそく、

もえ出(で)る草葉(くさば)も袖(そで)も露(つゆ)しげく、

吹(ふき)おくる風(かぜ)も身(み)にしみて、

涙(なみだ)ともろ友(とも)に念佛(ねんぶつ)申(もうし)て、

埋(うづ)もれしその面影(おもかげ)はありながら塚(つか)には草(くさ)のはや茂(しげ)りぬる

かゝる世(よ)の中(なか)のあだにはかなきを、

今(いま)もし思(おも)ひこりずば、

又(また)いつの時(とき)をか侍(は)べき。

世(よ)にしたがへば望(のぞ)みあり、

かなはねばうらみあり。

かりの色(いろ)にまどひて、

執念(しゅうねん)ふかく思(おも)ひみだれては、

中々(なかなか)輪廻(りんゑ)の妄念(まうねん)なるべし。

そむきておこなはゞ、

戀(こい)しかるべき彌子(やこ)にも、

来世(らいせ)にはさりとも、

ひとつはちすの縁(えん)をむすぶも頼(たの)みありと、

宿(やど)に歸(かえ)りて家(いえ)の柱(はしら)に、

なげきつむちから車(しゃ)のわが身(み)世(よ)をたちめぐるべき心(ここ)ちこそせね

とかきつけて、

朝(あさ)とく出るとみえしが、

遁世してゆきがたなくうせにけり。

  伊原新三郎蛇酒(じやしゆ)を飲(のむ)

元和年中に伊原新三郎というもの、

久しく牢浪して、

ある日宿を出で、

三州みかたが原に出たり。

夏の日の暑氣甚だしきに、

梢に吟ずる蝉の声涼しくして、

不覚にあゆみゆくほどに、

日すでに山のはにかたぶきて、

風やはらかに吹おこる折から、

道のほとりに林あり。

木のまよりみれば、

あたらしく作れる家四つ五(いつ)つ見えたり。

餅酒(もちひさけ)をあきなふ店(たな)とおぼゆ。

立よりてやすまんとするに、

年のほど十五六なるむすめの、

顔うつくしきが立出で、

こゝは武家がたの出てあそびし給ふ所なり。

暫やすらうて御通りあれかしといふ。

こと葉つき愛らしく、

家に入たれば又餘の人もなし。

新三郎たはぶれかゝれば、

此娘はしたなくもいはず。

父も兄も内にはあらず。

何かはゞかるべきとて、

いとなつかしげにぞなれかゝるを、

新三郎よろこびて、

ともし火とるほどに暮たり。

さだめていまだ何をもめさで、

つかれ給ふらんにとて、

餅(もちび)とり出してすゝめけり。

酒はかなきかといえば、

よき酒のありとて、

奥に入て盃とりそへて出しけるを、

新三郎もとより飲(のむ)人なりければ、

娘と友にふたつ三つのむに、

なく成ければ、

また取にたちけるを、

新三郎さし足して、

奥のかたを見るに、

大なる蛇(くちはな)を釣さげて、

刀をもつて、

その蛇の腹を刺て、

血したゝるを桶にうけて、

何やらん入て酒になしけり。

新三郎心まどひておそろしくなり、

いそぎ戸を出てはしる。

娘跡より追いかけてしきりによばふ。

東の方に声をあはせて、

あたら物を取にがしけりといふ。

新三郎跡を見かへれば、

その長(たけ)一丈ばかりなるもの追て来る。

すでに林の中に入ければ、

何とはしらず白き事雪のごとくなる物、

木のもとより立あがる。

林の外に人の声ありて、

こよひ此ものを捕にがしなば、

明日(あす)は我ら大なるわざはひを受べし、

それのがすなとよばはる。

新三郎ます/\おそろしくて、

やう/\に町はづれまでかゝぐりつきて、

家の戸をたたく。

戸をあけて内に入しかば、

しばしはあえぎて物もいはず。

暫らくありて、

かうかうの事ありとかたる。

あるじおどろきていはく、

その林のあたりには、

茶店(ちやてん)もなく家居(いへゐ)もなし。

さだめて妖物(ばけもの)にあうて、

おそろしきめを見たまひぬらん。

とほき所の人は、

をり/\かどはかされて、

夜もすがらなやまされ、

帰りて後にはわずらひいだす人もあり。

新三郎ははやくのがれて、

ことゆゑなきこそめでたけれといふ。

餘りのふしぎさに、

新三郎宿に帰りて人あまたかたらひ、

その酒のみし所に行て見るに、

家もなく茶店もなし。

人氣(ひとけ)まれなる野原(のはら)のすゑ、

草むら茫々と滋(しげ)りて、

物すさまじくさびしき中に、

草にまとはれて、

長(たけ)二尺ばかりの婢子(ばふこ)の、

手あし少(すこし)缺損じたるあり。

これや娘に妖(ばけ)ねらんとあやしむ。

そのかたはらに、

その長二丈ばかりなる色くろき蛇(くちなげ)、

そでに腹のあたり割(さけ)やぶれて死してあり。

それより東のかたは、

人の骸骨一具(ぐ)あり。

宍(しゝ)むらは雨露(あめつゆ)にさらされて、

手足筋骨(てあしすじほね)はつづきて白き事雪のごとし。

みなことごとく打ちくだきて、

薪(たきゞ)をつみて焚(やき)すて、

掘の水にしづめけり。

新三郎は日ごろ中風の氣あり。

癩(らい)がかりて侍べりしが、

蛇酒を飲ける故にや、

やまひは根(かつたい)をねきて癒(いえ)たりとぞ。

猪熊(ゐのくま)の神子(みこ)

元和のすゑの年、

京都四條猪の熊に、

老年たる神子あり、

一人の娘をもちたり。

神道(しんたう)の理(こと)はりは露(つゆ)斗もしらず。

神の御たくせんとて、

あらぬ事をいたし占兆(うらかた)をいひ、

おろかなる女わらはをたぶらかし、

雨ふり風のふくにつけても、

神の御つげなりとて人をおどしすゝめ、

きたうをせさせて、

小袖帯などまでもたぶらかしとり、

仏法の事は耳にも聞いれず。

とかくして世をわたる事、

すでに七十餘年をおくりむかへ、

娘は位おはする家に宮づかへをせさせて、

此神子ことの外に老おとろへ、

今は世の中の事よろづ心ぼそく、

かゝる所作(しょさ)も空おそろしくおぼえ、

いくほおどもなき命も頼みすくなく、

来世の事も心もとなし。

さればとて今までせし業(わざ)も、

打ちすてがたく思ひ歎きつゝ、

北野の朝日寺にまゐりて、

我身此世のなりはひは、

身すぎのために人をたぶらかし、

利得を望み〓ひいつはり、

正直の道にそむく事、

神のめぐみ仏のをしへにはづれえたるもの。

只ねがはくは後の恥を隠し、

たましひをたすけて給はれと祈り奉る。

まことの心骨にとほりて、

涙のおつる事雨のごとし。

それよりは隙あれば、

常にもうでておがみ奉りけり。

月日重なりて、

神子俄に病おこり、

此世の限りと思ひければ、

娘のもとへ使をつかはしけり。

年此は神子の娘といはれんには、

人もおとしめあなづらんは口惜かるべしと、

里の有様深く隠して音づれのたよりも絶々(たえ%\)に忍びけるを、

此たびは生身(いきみ)のをはり、

此世のいとまごひなれつかはす。

娘おどろきて、

いそぎ行ければ母大によろこび、

目をひらき嬉しげに見なすめなり。

かゝる事いかにすべき才覚もなく、

只泣しづみて、

是いかゞせんと口説(くどき)けれども、

家居(いへゐ)まばらなる栖(すみか)なれば、

たやすく間かはす人もなし。

日も夕暮に成て、

わかき法師四五来りて、

これは朝日寺にて常に見なれたる人ぞかし。

死(しに)侍べらば屍(かばね)を隠してたべと、

ふかく頼みけるまゝ来れるなりとて、

甲斐々々しく取したゝめ、

棺(くわん)を用意して屍をおさめ、

阿弥陀が峯に行て火葬にし、

此人の事来世も心やすく思はるべし。

我らよく/\跡をもとぶらひてまゐらせんとありしかば、

娘悲しき中にも有がたく、

さて御寺はいづくにて、

御名は何と申すやらんと間奉れば、

朝日寺の正觀房と尋ねよとて出て踊り給ふ。

白きうす衣(きぬ)に蒔〓の香合(かうばこ)とりそへて参らせたり。

次の日に成て、

朝日寺にまゐりて尋ねしかども、

この寺にかやうの僧はなしとこたへたり。

あやしくおもひながら、

堂中にまゐりておがみ奉れば、

きのふまゐらせしうす衣は、

観音うちかづきて、

御ひざの上に香合はのせておはっしましけえり。

娘これをおがみ奉るに、

有がたさかたじけなさ、

此御本尊すでに母を葬ぶり給ひし事はうたがひなし。

来世もかならずすくひ給はん。

現世後生(げんせごしやう)ともに、

すて給はぬ大慈大悲の御ちかひかなと、

歓喜(くわんき)の涙(なみだ)おき所なし。

かくて下向(げかう)ののち、

常にあゆみをはこびて、

母のぼたいをいのり奉りしに、

娘またよき幸ありて、

和泉の境にくだり、

しかるべき人の妻となり、

子どもあまたまうけて家さかえけり。

  甲府の亡霊

武田(の)勝頼は、

織田信長公に没落せられ、

城壘は一片の煙となり、

草のみ生茂り、

狸のふし戸、

狐のすみかと成たり。

そのあたりには、

百姓の家所々に立たりしも、

むかしにもあらずさびわたりて、

物すさまじき有さまなり。

折々はあやしき事も有て、

人をおどろかし侍べるとかや。

諸國修行の僧好雲房とて、

もとは竹田の人なり。

世をいとうて家を出つゝ、

諸國をめぐりけれども所に関をすゑ、

渡りには奉行(ぶぎやう)をそへて、

心やすく往来も成りがたし。

此甲府にめぐり来て、

日の暮ければあやしの茅屋(かやや)に宿をかりけるに、

あるじのいひけるやう、

旅の僧に宿をかし奉らんはいとやすし。

夜ふけてあやしき事のあり。

それだにくるしかるまじくは入りてとまり給へかしといふ。

好雲聞て本よりすつる身のならひ、

たとひ命は失なはれ侍べるとても、

何かくるしかるべし。

宿なき野のすゑ山ぢのあひだには、

岩ね木(こ)のもとふるき社のかたはらにも、

一夜を、あかす事おほし。

まして主(あるじ)のおはするには、

不足なしとて内に入れば、

亭(てい)のおく、

菅(すが)ごもの上におきて、

粟飯(あはいひ)したゝめてすゝめけり。

松の火をあかしに、

松の火をあかしに、

ともし火のかはりとし、

さて物がたりするやう、

そのかみはゆゝしき城(しろ)にて要害きびしく、

堀の外には諸侍(しょし)の屋敷軒をならべてたちつゞき、

にぎやかなりし所なりけるを、

今は没落して、

かゝる浅ましき賎がふせ屋のみ、

わづかにすみわたるばかるなり。

むかしの人の執心残りて、

あやしき事の侍べるなり。

おどろき給ふなとぞかたりける。

かくて夜もふければ、

主は内に入りて、

好雲只獨り念沸し、

心をすまして臥けり。

かゝる所に一人の女、

年のほど十七八とみえしが、

枕もとの障子をひらき内に入て立たり。

顔うつくしく、

こぼれかゝる鬢のあたり、

その肌(はだ)は雪にあらそひ、

すこし打ゑみて、

秋の空いと静かに、

閨(ねや)の中物さびし。

蛬(きり)%\夜(す)もすがら月のもとに吟じ、

更(ふけ)ゆくまゝに風そよぎて、

桐の葉もふみわけがたく成まゝに、

此夜をいかにあかしかねつゝ、

これまでまゐりぬとて、

  草の葉の露も我身の上なればほさぬ袖だに月やどるらん

とうち詠めて、

いかにお僧は、

夢もさめ給はぬやといふに、

好雲物をもいはざりしかば、

女又云やう、

こよひ敷(しき)たへの賤(しず)が菅薦(すがこも)床(ゆか)もむなしく、

さえゆく月の影も惜(をし)きに、

酒ひとつ汲(くみ)て、

旅の心をもなぐさめばやとそゝのかせども、

更にものをもいはず。

女又いふやう、

さのみにつらくくちなし色の、

たえて物をものたまはむかな。

たとへば戀路の闇にまよふ人の、

まだ下紐のとけぬにもまた一こと葉は聞ゆるぞかし。

いかにとかくのいらへもなくておはすらん。

  いかにかく問(とへ)どこたへぬくちなしの花も染れば色に出るを

又聲うちあげて詠ずる詞に、

  黄帝上天時

  鼎湖元在茲

  七十二玉質

  化作黄金貲

好雲聞ながら、

心にもかけず物をもいはざりしかば、

女座をたちて帰るとみれば、

形は跡なくきえうせたり。

初は好雲が心を引て、

亂るゝ思ひをとらんとせし所なり。

後の詩のこゝろは、

昔黄帝は鼎湖といふ所にして、

龍にのりて天にのぼり給ひしに、

七十二人の玉女(ぎょくにょ)は、

その身生ながら化(け)して、

黄金のたからとなりしを、

地中に埋(うず)まれしといふ事なり。

これは此城(じゃう)の跡に黄金を埋みおかれしを、

今我に心をうつしたはぶれ給はゞ、

そのあり所をしらせ侍べらんといふ心ばへなり。

ひとの心を乱す物は色と財(たから)とのふたつにあり。

好雲世をのがれてよくおさめたる故に、

何のわざはひにもあてられざるこそ有がたけれ。

今は心やすしとおもふところに、

夜すでに丑みつばかりになりしかば、

月もやう/\かたぶくころ、

庭のおもてさはがしく聞こえてそのたけ九尺ばかりの男、

その手に曝(しゃれ)かうべ五(いつ)つ六つもちて、

枕もとの障子をあらけなく引あけて内にいらんとす。

好雲むくとおきて手まへにおきたる棒をとりて、

よこざまに薙(なぎ)ければ、

妖物(ばけもの)うちたふるゝとみえし。

しやれかうべともにうせりけり。

主おき出て火をともし庭に出て見れども、

何の残りたる事もなし。

夜もやう/\あけがたになり、

東のかた横雲(よこぐも)たなびきければ、

好雲も旅だつ空に出ていにけり。

後にそのをはる所をしらず。

  隅田宮内卿(すだくないきゃう)家の怪異

人の家のほろびんとしては、

かならずあやしき事のありといふ。

されども心をつけざるには、

しられぬ事も有ものなり。

後に思ひあはするもあり。

村上義清の家巨隅田宮内卿は、

聞ゆるものゝふなり。

天文十五年二月に、

武田信玄人数をもよほし、

信濃國小縣戸(ちひさがた)石の城におしよせて軍のありしにも、

信玄ひさうの侍大将甘利備前守をうちとり、

手がらをあらはしける大功んものなり。

しかれども運の末に成りけるゆゑにや、

よろづ心にかなはず。

かゝる世の中にいつまでありても、

只おなじ有さまにて、

立身をすべき道もなしとおもひくづをれて、

病ありとて暫く引こもりて居たりけるに、

家のうちにけしかる妖物(ばけもの)ありて、

その姿はみえず。

朝夕(てうせき)の飲食物(のみくふもの)は、

人なみに乞とりてくらひけり。

内にめしつかはるゝ者ども、

若宮内卿うはさの事をかたれば空よりいましめて、

汝ら主君の事そしり侍べらば、

宮内につげて、

世のをきめにせさすべしといふ。

これによりてよしあし更に沙汰する事をとゞめたり。

夫婦物がたりしてこのばけ物の事をかたれば、

いかに我が上の事をいふぞや、

あしくいはゞ家のため禍になるべしと、

其聲をかしく打なまりて聞ゆ。

朝夕とりあつかふ道具(だうぐ)衣類(いるゐ)、

今までありとみるもたちまちになくなり。

家うち尋ねても行がたなし。

とばかりすれば目の前にあり。

家うち上下(かみしも)これに倦(うん)じて、

山ぶしをやとひて祈祷をせさするに、

符を張(はれ)ばかたはしよりまくすりて、

盛物(もりもの)をとゝのへて壇をかざれば引くづしけるほどに、

山ぶし腹をたて、

いらたかをおしもみ、

神咒(じんじゅ)をとなへ印をむすべば、

その手の指とぢつきてはなれず、

此うへはとて山ぶしは出ていにけり。

神子(みこ)をたのみて梓(あづさ)にかくれども、

いか成ものども名のらず、

弓の弦を打ちきり/\、

空のあひだにわらふけるこゑ聞こえて、

そのしるしなし。

さらばとて巫(かんなぎ)を頼みていのらするに何とはしらず、

巫のうしろつめたくおぼえて取出せば、

大なる木枕をさし入たるなり。

祝言(のっと)をとなへて御幣をふりたていのりければ、

妖物屋(や)の梁(もね)にのぼりていひやけるやう、

汝ら我をうるさがりてあらぬ者をよびよせ、

きたうの有さまをこがましや。

その儀ならば、

只今此家えおくずさんとて、

梁(むなぎ)の上鋸にて挽切やうに聞えて、

夜に入てますますはげしかりければ、

火をともして梁(むなぎ)木のあたりをみすれば、

火を吹(ふき)けしいよ/\つよく挽(ひき)きえる聲あり。

家うちこと%\く外に出しつゝ、

更に火をともしてみれば、

梁(むなぎ)はもとのごとくにして、

その跡もなし。

妖物手をうちてわらひけり。

貴僧(たっときそう)を請じて経よみつゝ、

家に五辛(しん)をとゞめられしかば、

妖物は静まりしかども、

これや家のさとしなりけん、

宮内卿は心そゞろにはやり出て、

笛吹峠の軍に討死して、

跡たえにけり。

  大内義隆(おほうちよしたか)の歌(うた)

大内(おほうち)の義隆(よしたか)は、

其(その)家(いえ)いにしへ推古天皇(すいこてんのう)の御時(おんとき)より初(はじ)まり、

周防(すおう)の国(くに)山口(やまぐち)といふ所(ところ)に城郭(じようかく)をかまへ、

中国(ちゅうごく)の大名(だいみょう)となり七ヶ国(ななかこく)をしたがへ、

従二位左京大夫に経あがりけるを大におごりて倭人(れいじん)にまどはされ、

政道(せいどう)とこしまなり、

色にふけり酒に長じて、

老臣陶尾張守(すゑのおわりのかみ)に国(くに)をうばわれ、

二十四代(にじゆうよんだい)の家系(かけい)をうしなひ、

生害(しょうがい)せられけり。

世(よ)の盛(さかん)なりし時(とき)は、

京都(きょうと)よりれきれきの人々(ひとびと)あまたよびくだし、

花の春紅葉の秋、

雪のあした月のゆふべ、

歌よみ詩つくり、

酒宴遊興に隙なく侍べりしに、

たちまちにほろび給ひける事(こと)と、

心(こころ)ある人(ひと)はいたはしく思(おも)はぬはなし。

そのころ義隆(よしたか)忍(しの)びて通(かよ)ふ女房(にやうぼう)のもとへ、

文(ふみ)をかきてつかはされしを、

その便(つかひ)聞(きき)あやまりて、

本御台(ほんみだい)の御(おん)かたにもちてまゐりつつさしあげけるに御台(みだい)此文(このふみ)を見(み)て、

義隆(よしたか)の通(かよ)はれれける女房(にやうぼう)のもとへ、

かくよみてやりける。

頼(たの)むなよ行末(ゆくすえ)かけてかはらじと我(われ)にもいひし人(ひと)のことの葉(は)

又(また)義隆(よしたか)の御(おん)かたへ、

おもふ事(こと)ふたつありその濱千鳥(はまちどり)ふみたがへたる跡(あと)とこそみれ

義隆(よしたか)此歌(このうた)を見(み)て、

御台(みだい)の心(こころ)のうち大(おおい)に恥(はず)かしく、

その使(つかひ)をばあへなく手(て)うちにせられ、

それよりして御台(みだい)のかたへ通路(つうろ)を切(きり)給(たま)ひしが、

すでに没落(ぼつらく)の時(とき)はともなひて、

泣々(なくなく)城(しろ)をば出(で)られけるが、

頼(たのむ)かたなく、

義隆(義孝)以下(いか)主従(しゅじゅう)十一人(じゅういちにん)一同(いちどう)に腹(はら)切(きり)て、

大内家(おほうちけ)たちまちにほろびしかば、

御台(みだい)をはじめて近(ちか)くめしつかはれし女房(にやうぼう)、

たがひにさしちがえてかさなりふしける在(あり)さま、

あはれなりし事共(じきょう)なり。

〓じがほどは、死(し)にほろびし深川(ふかがわ)の大寧寺(だいねいじ)ほ内に、

夜ごとに女(おんな)の聲(こえ)にて泣(な)ければ、

寺(てら)の僧衆(そうしゅう)無遮(むしや)の法会(ほふゑ)をおこなひ、

経(きょう)よみてとぶらひしかば、

その啼(なく)こゑもとゞまりけり。

  深川左近亡霊(ふかがわさこんぼうれい)

左京大夫(さきょうたいふ)大内義隆(おほうちよしたか)の家臣(かしん)黒川市左衛門慰俊昌(くろかわいちざえもんいとしまさ)は、

大力武勇(たいりよくぶゆう)の侍(さむらい)なり。

山口(やまぐち)の城外(じようがい)にあり、

つらつら思(おも)ふに、

世(よ)の人(ひと)死(し)しては二(ふた)たび聞通(ききかよ)はすべきたよりなし。

さきにむなしく成8なり)たるもの帰(かえ)り来(き)て、

生(う)れ所(ところ)をも語(かた)り吉(よし)あしをもしらせなば、

せめて恨(うら)みも有(ある)まじきと悔居(くやみゐ)けるを、

その傍輩(ぼうはい)に深川左近(ふかがわさこん)といふものあり。

我(われ)も内々(ないない)は此(これ)うたがひあり。

来世(らいせい)の事(こと)はありやなしや、

いずれさきだちたらんもの、

かならず来(きた)りて告(こく)しらせ侍(は)べらんと契約(けいやく)して、

年月(としつき)をふるあひだに、

左近(さこん)病(やまひ)してさきに死(し)したり。

数日(すうじつ)を過(すぎ)る所(ところ)に黒川(くろかわ)ただひとり坐(ざ)して書院(しょいん)にあり。

日(ひ)すでに暮(く)れはてて月(つき)又(また)くらかりしかば、

ともし火(び)とらせ、

うそぶきてありし所(ところ)に、

庭(にわ)の面(めん)に音(おと)なふものあり。

黒川殿(くろかわどの)おはするや、

家(いえ)の内(うち)何事(なにごと)かあるといふをきけば、

まさしく深川(ふかがわ)が聲(こえ)なり。

あなめずらしや深川(ふかがわ)どの、

こなたへといふに、

ともし火(び)を消給(けしたま)へ。

ちかくまゐりて物(もの)がたりせんとあり。

黒川(くろかわ)ともし火(び)を吹(ふ)きけしたれは、

深川(ふかがわ)内(うち)に入(いり)て、

過(すぎ)にし事(こと)どもをかたる。

その物(もの)ごし詞(ことば)つき、

深川(ふかがわ)が世(よ)に有(あり)し時(とき)に少(すこし)も替(かわ)らず。

来世(らいせい)の事(こと)を問(とひ)ければ、

いかにも後世(ごせ)はある事(こと)ぞや。

罪(つみ)ふかければ地(じ)ごくにおとされ、

次(つぎ)に深(ふか)きは餓鬼道(がきどう)にいたり、

罪障(ざいしやう)のふかきあさきに差別(しやべつ)ありて、

もしは畜生(ちくしよう)にゆき生(いき)るるもあり。

いずれすこしなれども、

罪科(つみとが)のむくいなしと思(おも)ひ給(たま)ふな。

我(われ)よりさきに身(み)まかりし者(もの)、

修羅(しゆら)のちまたにうかるるもあり、

二(ふた)たび人間(にんげん)に帰(かえ)るもあり。

善悪(ぜんあく)のことわり露斗(つゆと)も違(ちが)ふことなしと、

かたるあひだにたちまちに、

けがれてきたなき匂(にほ)ひの座中(ざちゆう)に薫(くん)じければ、

黒川(くろかわ)あやしみて、

くらまぎれにうちはらへば、

深川(ふかがわ)が身(み)に手(て)のあたりければ、

ことの外(ほか)につめたくおぼえたり。

亡霊(ぼうれい)ならばかかる形(かたち)はあるまじかりけり。

妖物(ばけもの)のわざ〓べしとおもひ、心(こころ)を静(しず)めて猶(なほ)ちかく居(ゐ)よりて、

手(て)をもつておしうごかすに、

大(おお)かたおもし。

すでにして深川(ふかがわ)は、

今(いま)はいとま申(まうし)て帰(かえ)らんといふ。

平(ひら)に留(とど)まり給(たま)へといふに、頻(ひん)に帰(かえ)らんといふ。

漸(よう)やく明(あけ)ぼのに及(およ)ぶ。

火(ひ)をともしてよくみれば、

深川(ふかがわ)にはあらで、

その長(たけ)七尺(ななしやく)ばかりなり大(だい)の夫(をとこ)の屍(かばね)なり。

死(し)して久(ひさ)しく日数(ひかず)を経(へ)たり。

そのうへ暑天(しょてん)にあたれりとみえて、

股(もゝ)のあたりは爛(たゞ)れたり。

臭(くさ)き事(こと)いふばかりなし。

その屍(かばね)をば遠(とほ)き野(の)ばらにすてたり。

あたりの在郷(ざいごふ)より人(ひと)おほく出(で)て、

此(この)屍(かばね)を見(み)つけて、

あな浅(あさ)ましやわが兄(あに)なり。

家(いえ)の内(うち)にて宵(よい)のほどに死(し)したるを、

〓に失(うし)なひけりとて、

屍(かばね)をとりて帰(かえ)り、

さうれいを営(いとな)みけり。

  蜷川親當(みながはちかまさ)亡魂(ぼうれい)に逢(あ)ふ

都(みやこ)の東山鳥部野(ひがしやまとりべの)は、

古(いに)しへ空海和尚(くうかいくわしやう)の御師範石淵(おんしはんいはぶち)の勤操僧正遷化(ごんさうそうしょうせんげ)し給(たま)ひけるをはうぶりしより、

今(いま)に及(およ)びて墓所(むしよ)の名(な)をすてず。

人(ひと)のあだなきためしには歌(うた)にもよむ事(こと)なり。

上(うえ)の山(やま)をあみだが峯(みね)となづく。

露(つゆ)けき野(の)ばらも時(とき)世(よ)かはりて、

その所(ところ)だにたゞしからず。

永享年中(えいかうねんじう)の事(こと)にや、

将軍(しやうぐん)義教公(よしのりかう)は京都(きやうと)の区方(くほう)として天下(てんか)をおさめ給(たま)ふ。

家臣(かしん)蜷川新右衛門尉親當(みなかはしんえもんいちかまさ)は、

かくれなき武篇(ぶへん)の勇士(ゆうし)なり。

そのころ鳥部野(といべの)には妖物(ばけもの)ありといひはやらかし、

女童(をんなわらは)おそろしがりて〓もゆかず。

新右衛門(しんえもん)聞(きき)て、

みずから心(こころ)ねをためさんとて、

ある夜(よ)只(ただ)ひとり長刀(なぎなた)打(うち)かつぎ、

鳥部野(とりべの)のあたりにいたる。

さなきだに物(もの)のあはれは秋(あき)にこそあれ、

風(かぜ)もしほ身(み)にしみてゆくへもいとゞ物悲(ものがな)しく、

虫(むし)の音(ね)までも、

更(ふけ)ゆく秋(あき)をかこちがほなり。

草葉(くさは)も色(いろ)かへて露(つゆ)しげきに、

かくてぞ思(おも)ひつゞけける。

鳥部野(とりべの)の草葉(くさは)色(いろ)づく秋(あき)の夜(よ)はこと更(さら)虫(むし)の声(こえ)もかなしき

奥(おく)ふかく行(ゆき)けるに、

人(ひと)を葬(はふむ)り薪(たきぎ)をつみて焼(やき)ける火(ひ)にむかひて、

一人(ひとり)の女(おんな)座(ざ)してあり。

親當(ちかまさ)行(ゆき)かゝり、

女(おんな)のうしろに立(た)てかゝる。

野(の)ばらの人(ひと)かげもまれに、

すさまじきおそれもせず、

独(ひと)り座(ざ)しておはする、

その心(こころ)ありやと問(とひ)ければ、

女(おんな)こと葉(ば)なくて、

夏虫(なつむし)のもぬけのからの身(み)なればや何(なに)か物(もの)におそれめ

といひければ、

親當(ちかまさ)重(かさ)ねていはく、

かくこたふるは何(なに)ものぞと問(とふ)に、

女(おんな)はおもても見(み)かへらずして、

かきけすやうにうせぬるを、

蜷川(みながは)すこしもおそれずして、

もゆる火(ひ)のまへに立(たち)よりて、

女(おんな)の居(ゐ)たりける跡(あと)をみれば、

しやれ首(かうべ)のくだけたる有(あり)しかば、

長刀(なぎなた)の柄(え)にかけて、

火(ひ)のなかにうち入(いれ)、

〓く念佛(ねんぶつ)ゑかうしてかへりけり。

人(ひと)ばなれなる野中(のなか)に、

虫(むし)の声(こえ)のみ聞(きこ)えて物(もの)すごきに、

きつね火(び)をちかたにみえて、

松(まつ)の木(き)ずゑをわたる声(こえ)より外(そと)には、

又(また)ことなるものもなし。

そのあひだに東(ひがあい)の山(やま)のはに、

月(つき)しろあがりしをたいまつにして、

静(しずか)に家(いえ)にぞ帰(かえ)りける。

  味方原軍(みかたがはらいくさ)

永録天正のあひだ天下乱れ、

近里遠境たがひにあらそひ、

隣国(りんごく)郡邑を并せとらんと挑み戦ふ。

臣として君を謀り、

君は又臣をうたがひ、

兄弟敵となり、

父子怨(あた)をむすび、

運にのりては数国をうばひ、

勢ひつきぬれば牢浪し、

栄枯地(ところ)をかへ、

盛衰日にあらたまれり。

そのあひだに死するものいく千萬とも限りなし。

兵乱打つゞき、

京も田舎も静なる時なし。

かくては世の中に人種も絶(たへ)はてんとぞ思はれける。

元亀三年十二月廿二日、

甲斐の信玄五萬よ騎にて、

遠州濱松におもむき、

味方原に押つめらる。

徳川家には信長公より加勢として

平手監物(けんもつ)、

大垣卜全(ぼくぜん)、

安藤伊賀守以下九頭(かしら)をつかはさる。

岡崎白州賀(しらすが)まで、

甲(かぶと)の星をならべて取つゞきたり。

水野下野守(しもつけのかみ)。

瀧河伊豫守、

毛利河内守を初めて、

備(そなへ)を堅(かたく)して待かけたり。

かゝる所に信玄のかたより、

小山田兵衛先陣にすゝみ、

徳川家の先手(咲きて)内藤三左衛門と合戦を初め、

小山田追くづされて引しりぞく。

山縣三郎兵衛つゞいてかゝるを、

酒井左衛門尉につきくづされてあやうくみえしを、

四郎勝頼横相(よこあひ)にかゝりて防ぎけるに、

北条氏政の加勢大藤式部少輔、

徳川が便り打ちかけし鐡炮に、

むないたを打ぬかれて、

馬より倒(さかさま)におちて死ければ、

徳川家勝にのりて突(つい)てかゝる。

本田平八、

榊原小平太、

安部(あべの)善九郎、

大洲賀、

菅沼、

櫻井、

設楽(しだり)、

足助(あすけ)の人々、

すきまもなく責(せめ)つけしかば、

武田がた切立られ、

濱松とみかたが原との間に、

犀がかけとて深き谷あり、

武田の軍勢此谷底にまくり落され、

いやが上に重なり己(をの)が太刀かたなにつらぬかれて、

死するもの数しらず。

信玄も陣を佛(はらつ)て帰らる。

亡魂(ぼうこん)谷に残りて、

夜な夜な啼さけびけり。

徳川家より僧に仰(おほせ)て、

五色の絹にて燈篭をはらせ、

さま%\の作物(つくりもの)、

もろ/\の花、

色々の備物(そなへもの)、

七月十三日より十五日まで盂蘭盆會(うらぼんゑ)を営み、

念佛踊(ねんぶつをどり)を始められしに啼叫聲(なきさけぶこゑ)止(やみ)にけり。

それよりこのかた賓燈篭(ひんどうろう)と名づけて、

毎年(としごと)の七月には、

かならず魂祭(たままつり)おこなはれ、

賓燈篭の念佛をどりありとかや。

  田上(たなかみ)の雪地蔵

元亀二年二月(きさらぎ)の半(なかば)、

餘寒はなはだしく、

青風はしたなく吹すさび、

大雪うつすがごとく降つみたり。

四方の山々みな白たへに、

さながら白銀世界(びゃくごんせかい)となり、

木々のこずゑは花ならずして色をかざり、

春ながら又冬の空にたちかへるかとおぼえたり。

近江の國田上(たなかみ)といふ所の子どもあまた、

雪をよろこびつゝ出てあつまり、

雪轉(ゆきころばし)してあそび、

その中に雪地蔵を作り、

花香(はなかう)の形(かた)までおなじく雪にて作りたてつゝ、

岩のうえにすゑてくやうの有さまをいとなみけるに、

年のほど十二三ばかりの童(わらは)を、

くやうの導師とさだめけるに、

かの童くやうの意趣を宣(のべ)て曰、

そも/\この地蔵ぼさつの尊形(そんぎゃう)をつくりて、

くやうする心ざしは、

もとよりこれ眞の雪なり。

六道のちまたに雪地蔵を本尊(ほんぞん)とする、

此ぼさつの御ちかひの事をば、

日の長閑にならん時に、

残りなくとき申すべしとたはぶれたり。

かりそめのたはぶれ事に似たれども、

雪佛雪祖(せつぶつせつそ)の理(り)にかなへりとや。

この童然るべき種にやありけん。

後に法師になりて、

ならびなき説法の師となり、

明阿僧都(みゃうあそうづ)とかや聞えし。

學匠のほまれあり。

天台の教相形(けうさうかた)のごとく学して

講師(かうじ)をもつとめしに、

あるとき心地わづらひて俄に絶入(たえいり)けるを、

脇のしたあたゝかに、

脈道のをどりければ、

さうれいをもせず、

弟子ども守居(まもりゐ)たるに、

一日一夜をへて、

よみがへりて語りけるは、

過し夕暮二人の冥官(めうくわん)に引立られ、

ある所にいたる。

玉の階(みはし)を渡り、

瑠璃の地をあゆみゆくに樓門あり。

内に入しかば、

寶殿(ほうでん)のいらか黄金(わうごん)の垂木(たるき)、

鳳(ほう)の瓦虹(にじ)のうつばり、

此世には見なれもせぬうゑ木の梢に花咲みだれたり。

若(もし)これ天上にあらずば、

又いづれの浄土なるらんと、

あやしみながら見めぐらせば、

御殿の左のかたに憧(はたはこ)あり、

その上に人の頭(かしら)ふたつをのせたり。

右のかたには、

黄金のうてなに大なる鏡をたて、

四方に幡(はた)をたてゝ、

半天にひるがへる。

青衣(せいい)の官人玉の簾(すだれ)をまきあぐれば、

内に七寶の床(ゆか)あり、

垣より外には、

囚人(めしうど)手がせくびがせをいれられ、

大におそれかなしむ有さま、

哀れなる事限りなし。

ここにおいて炎魔王宮(えんまわうぐう)なりとは知けり。

炎王出て玉の床に坐せしめ、

新造の精舎くやうのためこゝに迎(むかへ)たり。

くやうをのべて法事をおこなひ給へとあり。

僧都中門の廊(らう)にかゝる所に、

わかき法師の来りて、

我は是そのかみくやうせし雪地蔵なり。

汝かりそめに開眼(かいげん)せし功徳に依(より)て、

辯舌学道を得たり。

炎王感じて精舎のくやうに迎給へり。

汝に此如意(にょい)をあたふるなり。

此をあげて妙法を説のべんに、

辯舌泉のごとくに涌(わき)て、

とゞこほる事あるべからずとて去給ふ。

僧都すでに精舎に入て、

高座にのぼるに、

炎王(えんわう)を初めとして、

もろ/\の冥官司録、

おのおの位にしたがうてつらなる。

説法初まりて、

大空智々の眞際をのぶるに、

聴聞のともがら歓喜(くわんぎ)しけり。

此上は何にても望ある事を申給へとあり。

僧都、

我出家の身として名利を離れたれば、

別に望む所なし。

ねがはくは母の生所(しゃうしょ)を見せしめ給へ、

乳哺長養の恩をはうぜんと思ふばかりなりと申せしかば、

炎王勅をくだして檢するに、

僧都の母今叫喚地ごくにあり、

冥官一人をそへて、

地ごくにゆかしむ。

銅(あかがね)の築地(ついぢ)鐵(くろがね)の門、

もえのぼる猛火(みゃうくわ)の音、

鳴下(くだ)る雷(いかづち)のひゞき、

罪人の啼さけぶ声、

肝たましひもきゆる斗なり。

冥官きろがねの門に迎ひ、

戸びらをたゝくに、

獄卒門をひらくに猛火ほとばしる。

明阿上人の母を問(とふ)に、

炭頭(すみがしら)のごとくなる物を、

鉾(ほこ)に貫きてなげいだす。

涼しき風吹(ふき)ければ、

炭頭うごきつゝ、

頃之(しばらく)して人の形(かたち)となる、

僧都の母なりけり。

是を見るに悲しき事限りなく、

ことの葉絶て泣しづめり。

地蔵菩薩あらはれての給はく、

我此母の欺くをみるに、

すくはんとするに力足らず、

はやく娑婆に帰りて法華経を書(かき)てとぶらふべしとありけるを、

夢のごとくにおぼえてよみがへり、

母のために金字(こんじ)の法華経を書寫し、

金色(こんじき)の地蔵の形像(ぎゃうさう)を作りてくやうするに、

其終(はた)の日の夜夢に見けるは、

母の顔よろこばしく、

都率(とそつ)天に生るゝなりと、

夢さめて僧都も喜びの眉をひらき、

いよいよ道心ふかく修行おこたらず、

かの地蔵は田上(たなかみ)の草堂におはせしを、

うちつゞきたる世のみだれに、

焼(やけ)うせ給ひしとかや。

  柿崎和泉守亡魂

越後國長尾輝虎謙信の家臣柿崎(かきざき)和泉守は、

世にかくれなき武篇(ぶへん)の侍(さぶらひ)大將(たいしやう)なり。

一とせ甲斐の信玄河中島の軍の時も、

柿崎を先手(さきて)として、

手柄のはたらきありける故に、

謙信いよ/\秘蔵し給ひ、

越中國にさしおかれ、

北越の諸侍(しよし)みなしたしみつきて、

その進退(しんたい)にしたがひけり。

柿崎ある時京都へ賣馬をのぼせしに、

きはめたる逸物沛芥(いちもつはいかい)の名馬なり。

織田信長公これ柿崎が馬なりと聞(きい)て、

あたひをたかく買とり、

又その上に柿崎かたへ御書をつかはして、

重ねてもかやうのよき馬あらば、

何時にても上せらるべしと書(かき)て、

呉服一重(かさね)さしそへて給はる。

柿崎いかゞ思ひたりけん。

此事謙信に聞せざりしを、

程經て聞付給ひ、

大に怒りて柿崎を城中へよびよせ、

是非なくころし給ひけり。

その亡魂口をしくや思ひぬらん。

折折出て謙信にまみえて、

いかれるありさますさまじかりしかば、

さすがに武勇の大將にて、

物ともしたまはずとはいへ共、

いく程なく謙信は、

天正六年三月九日、

卒中昏倒して人事をかへりみず、

痰喘(たんぜん)聲をなし、

喉(のんど)のうち鼾睡(かんすゐ)のごとく、

面赤くして粧(よそふ)がごとく、

汗つゞりて珠に似たり。

家中の上下手をにぎり足を空になし、

四方(はう)の〓師(くすし)あつまり、

牛黄清心蘇合圓(ごわうせいしんそがうゑん)、

神仙妙香通關散をもつて、

風痰(ふうたん)を追くだし眞氣を補なひ、

人中合谷(がつこく)に灸治(さうち)をくはへ、

百會〓中(ゑだんちう)に鍼(はり)を刺(さす)といへども、

露斗(つゆばかり)も驗(しるし)なく、

同じき十三日つひにはかなく成給ふ。

春秋四十九歳とぞ聞えし。

時の人みないふ。

科もなき忠節の家臣をころし、

その恨によりて、

いまだ武略弓箭(ゆみや)の盛りに、

柿崎がためにとりころされ給ひけりとぞ、

いひつたへける。

  死骸(しかばね)舞をどる

文祿二年の春、

山崎(やまざき)の庄屋宗(そう)五郎といふものの妻は、

河内國高安の里の者なり。

もとより放逸無慙にして、

後世(ごせ)の事露ほども心にかけず、

年經て住けれども子もなし。

日蓮宗の流れを汲ながら、

題目一返をもとなへたる事もなし。

家の事田地の事牛馬(うしむま)の事、

めしつかふ者にもあはれみを思ふ情(なさけ)もなく、

物いひはしたなく、

つらめしくいひののしり、

朝ゆふに只世話を煎て、

年月を送りけり。

たま/\人ありて、

後生(ごしやう)の大事をかたりいだせば、

めにもみえぬ來世の事より、

まづ此世こそ大事なれ。

人をたふして後生だてせんよりは、

ねがはぬこそましなれと、

口にまかせておそろしげにのゝしりければ、

下(した)百姓のをとこ女ともにつまはじきをしてにくみけり。

かゝる人にものがれぬ無常の習ひ、

かりそめにわづらひ出してむなしくなりにけり。

葬禮は明日こそすべけれとて、

屍(かばね)の前には香をたき、

うときしたしきそのまはりに居て、

寐もせであかすに日もすでに暮て燈火(ともしび)をとり、

しめやかに物悲しくおぼえけるに、

遥に西のかたに音楽の聞え、

漸々(ぜん/\)にちかくひゞきわたりて、

庭の面(おもて)に來(きた)る。

人々殊勝の事に思ひけるに妻の死骸うごき出たり。

音楽すでに家の棟(むなぎ)の上にあるが如し。

妻の〓むくとおきて、

楽の拍手に合せて立あがり、

手をあげ足をふみて舞をどる。

人みな肝をけして、

跡にしざりてまぼり居たりければ、

楽の聲又家をはなれ、

門より外へ出しかば、

妻の〓もふしまろびながら、

おなじく門に出つゝ、

楽の聲のゆくかたにしたがうてあゆみゆく、

家うちおそれさはぎて、

松明(たいまつ)よともし火よとひしめき、

月だにくらき折ふしなり。

宗五郎もあきれまどひてせんかたなし。

庭の前なる桑の木の枝を、

手ごろにきりて杖につき、

酒うち飲(のみ)て醉のまぎれに、

跡をおうて尋ねゆくに、

〓里ばかり野原のすゑに墓所(むしょ)あり。

はえ茂りたる松原のうちに、

楽の聲しきりに聞ゆ。

やうやく近づきて見やれば、

松のもとに火ありてあかくてらす。

屍はそのまへに立て舞をどりけるを、

宗五郎杖にて打ければ、

屍はたふれ火もきえ、

楽の聲もとゞまりぬ。

屍をかき負(おう)て歸り葬(はう)ぶる。

何故とも知ことなし。

  非道に人を殺す報

寛永五年の秋八月の事にや、

周防國野上の庄に關久兵〓尉〓元とて武勇の侍あり。

そのかみ天正十八年に伊豆國山中の城軍(じやういくさ)の時、

比類なき手柄をあらはし、

高名あるをもつて、

中國にありつきけり。

めしつかひける下人夫婦有しが、

さしたる科にもあらぬ事を、

よこしまにいひかけて、

無理に打ころしけり。

夫婦ながらさいごにのぞみて、

我らさしたる科もなきに、

ころさるゝ事力なし。

年來私なくめしつかはれしかども、

今かくうきめをみる。

此うらみいたりてふかし。

來世(らいせ)の事なくば是非に及ばず。

未來にも魂のあらば、

思ひしらせまゐらせんというて、

首をうたれたり。

家の西のかた十町ばかり、

廣野(ひろの)に埋(うづ)みけり。

死して七日にあたりける夜より、

その塚に火のもえ出て、

子の刻になれば鞠のごとくになりて、

野道をつたうて關が家にゆく。

初めは軒にかゝりて、

火の色青く、

光りすくなかりけるに、

百箇日過てより、

火の色さかりに赤くなり、

塚をはなれ出て關が家に飛來り、

門の戸はつよくさしかためたるを、

戸より内に入(いる)かとみえし。

關が子たちまちにおびえおどろき絶入けり。

家内きもをけし、

さわぎあひけるうちに、

その火やがて出て帰れば、

關が子正氣に成て甦がえる。

蟇目(ひきめ)を射れども用ひず、

僧を頼み經をよみ、

山臥をよびて祈らせ、

御封屋札(ごふうやふだ)をおしてふせげども、

少もしるしなし。

毎夜の事なれば、

家うちつかれ草臥(くたびれ)たり。

二人の子は病出(やみだ)して、

さながら驚風のごとし。

醫者にかけて養性(じやう)すれども、

漸々(ぜん/\)よはりて、

兄弟おなじ日に死(しに)けり。

しかれども塚の火は留まらず、

妻又歎きの中よりわづらひ出し、

狂氣のやうになりて狂い死けり。

關もちからなく、

自空(じくう)長老とて活僧(くわつそう)の有しを〓じ、

塚に卒都婆をたてて塚をまつりしかば、

亡魂これにやしづまりけん。

火はもえやみしかども、

關もいくほどなく死ければ、

跡つひに絶たり。

  塚中(ちよちう)の契り

西國大伴家の侍淺原平六は、

世に名を聞えし武篇のものなり。

二人の娘をもちたり。

平六が弟平三郎は身まかりて、

これもむすめの有しを、

みなし子なれば捨がたく、

平六が家にそだちて、

三人のむすめおなじほどになりけるを、

平六まづ我が娘ばかりをありつけて、

平三郎がむすめの事は、

何の用意もなく沙汰にも及ばざりければ、

うらみてよめる。

  をし鳥のとり%\つがふつばさにもいかに我のみ濁りすむらん

此娘心ちわづらひて、

何とはなしに痩つかれて、

つひにはかたく成たり。

城(じやう)の東の野に葬ぶり、

塚に埋みて、

僧をくやうし經よみ、

念佛してとぶらひけり。

同じ家の隣は筒岡權七とて、

年いまだ二十あまりなり。

父はやく死して、

その跡かはらず奉公をつとめしに、

美男(びなん)なりければ、

傍輩(はうはい)いづれも娘をもちたる人は、

望みて婿にせんとあらましけるに、

いづちともなくうせにけり。

母はこがれまどひて、

今を頼みて四方を尋ぬるに行がたなし。

物のためにかどはされぬらん。

東の塚原草村のあひだを尋ねよとて、

人を埋みすてたる古塚をもとめける。

折ふし雪ふりて、

野は白たへにつもりけるに、

女の塚のあたらしきに、

くろき小袖のすその、

土より外に出てみえたり。

さればこそとて引出しければ、

土の底より權七が聲として、

何ものなれば人のかたらひをさますらんろいふ。

いづかたより〓入(はひいり)たるらん。

棺の中に女と權七とひとつにふして、

女の屍は猶生たる人にことならず。

臥たるしたに杉原に書たるものあり、

取あげみれば歌なり。

こと葉はひとつもなくて、

  流れてのうき名もらすな草がくれ結びし水の下(した)さはぐとも

  獨(ひとり)ねをならはぬ身にはあらねども君帰りにし床ぞさびしき

又權七が手にて書(かき)ける歌、

  契るてふ心のねより思ひそむ軒の忍ぶの茂りゆく袖

  笛による男鹿(をしか)もさぞな身にかへて思ひ絶せぬ習ひ成(なる)らん

此歌ども取そへて宿に帰りしかども、

權七は只もう/\として人心地もなし。

山ぶしを頼みていのらせしかば、

日をへてもとのごとく成たり。

半年ばかりの後に、

めしつかふ小女(こおんな)に彼(かの)亡魂のりうつりて、

あら恨めしつゝみし事のあらはれて、

うき名のもれし恥かしさよ。

前の世の然るべき縁ある故にしばし契りをかはしまの、

水のあはれともいふべき人もなし。

はやく忘れし人に、

二たび契るゆゑありとて、

涙を流しける。

その夜俄に權七むなしく成ければ、

彼亡魂二世を契る約束やありけんとて、

女の塚にひとつに合せてつきこめけり。

  霞谷(かすみだに)の妖物(ばけもの)

伏見開道稲荷の北のかたに小橋あり、

世に朽木橋と名づく。

橋のつめに農人喜衛門といふもの、

年比(としごろ)住わたりれり。

藤の森に知人ありて、

麻の種をもとめにいきけり。

とかくするほどに日すでに暮になりて、

酒には醉て心おもしろく、

うら道より野どほりに家に帰るとて、

小歌うたうてゆく/\みれば、

手燭に〓燭をたてゝ立たり。

あやしみながらちかくあゆみよりて見るに、

法師二人あり。

身には衣をも着ず、

手には数珠もなし。

一人は色青き小袖を着(ちやく)し、

今一人はその比はやりし〓や鳥の小袖をはぎ高にきなし、

喜衛門を見て、

けしかる男かな。

農人とみえて、

鋤をかたげたりな。

夜此道をゆくもの、

たやすくはとほすまじ。

こなたへこよとて、

喜衛門がかひなをとりて引たてゝゆく。

法師のたけは九尺ばかりにて、

しかも力のつよき、

聲をたつれども出あふ人もなし。

引たてられて山に入ゆゝ、

奥ふかくゆきて、

霞の谷にぞくだりける。

傍なる洞穴(ほらあな)につきいれて、

二人の法師その口にさしむかひてまもり居たるを、

いかに燃すべきやうもなし。

柴かる人もみえず、

立出んとすれば、

更につきいれてうごかさず。

二夜三日ものをもくはず、

守り居(を)る法師のおそろしさに、

洞(ほら)のうちにうづくまりて、

いかにせんと案ずる間に、

法師もつかれぬらん、

坐しながらねぶりけるを、

すきまを見て手にもちたる鋤を取なほし、

洞よりかけ出で、

左右に二人ながらなぎたふし、

足にまかせてはしり帰り、

閨の内にかけこみ、

夜の物引かづきて臥(ふし)たり。

宿には喜衛門の行がだなくうせたりとて、

あたりのともがらあつまりて、

尋ねに出べき用意せし所へ、

はしり帰りしかば、

いかにせし事ぞと、

枕もとによりて問けれどもいらへもせず。

とかくして夜もあけしかば、

やう/\にしておきあがり、

かう/\とかたるに、

さては霞の谷にて妖物(ばけもの)にあひけり。

洞の有さまこそ心もとなけれ。

ゆきて見よとて、

あたりのわかきともがら十人ばかり、

弓やちぎり木さび鑓を手ごとにもちて、

霞の谷に行てみるに洞の口両わきに、

長(たけ)一尺ばかりの蟇(ひきがえる)と、

おなじほどの亀と、

ふたつながらうちたふれて死してあり。

鑓にてうたれたる〓あり、

此ものの妖(はけ)たる事うたがひなし。

其後こと故もなかりき。

  木島加伯(こじまかはく)

京都誓願寺本堂の南のかたに、

隔子(かうし)の内に仏壇をかまへ、

地獄の変相を絵図(えづ)にあらはして懸たり。

安養寺とかや名づく、

京田舎の子どもの死たる、

その衣類またはもてあそびしものを、

家におきて見るもかなしく、

親の思ひの堪えがたさに、

こゝにおくりて佛に奉り、

せめてなげきをわするゝやと、

ものすれども、

恩愛のうれひはいやまさるなり。

或人いとをしき子におくれて、

かなしさのまゝ、

その子の衣(ころも)を安養寺につかはして佛にくやうし、

後にまいりて是をみるに、

撫子を摺縫(すりぬい)にしける衣なりけり。

涙とともにかくぞよみける。

なでしこの花の衣はうつ蝉のもぬけし殻とみるぞかなしき

元和(げんわ)年中に、

長門國萩といふ所に、

木島加伯とて欲心無道の人、

此人世には黄金五千両の分限(ぶげん)とぞ沙汰しける。

孫に子ありしかども、

みな死はてゝ、

今は家をゆづるべき女子(によし)だにもなし。

年はかたぶきぬ。

夫婦只うき世の思ひでに、

心のまゝにたのしみをきはめ、

年をあそび暮し侍べらんとて、

めづらしき有名ある酒をもとめ、

腹に飽(あき)酔に和しながらも、

他人にはあたへず、

ふうふのみひたひをあはせて、

飲食(のみくひ)てたのしみとす。

其夜鬼のかたちのごとくなるもの来りて、

夫婦の喉(のんど)をつかみていはく、

汝いかなれば我らの脂をしぼり、

剥(はぎ)とりける金銀をもつて、

身のえいえうにつかひすつる事の悪さよといふを、

加伯、

今より有をくはじ、

酒をものむべからず、

衣類の美をもからざるまじ、

家をもつくるまじ、

わびてすむ身とおなじものにして世をすごすべべしと、

さまざま怠状するに、

鬼は立ちのくとおぼえて、

夢のやうに覚(さめ)ながら、

猶おもかげははなれず、

おそろしさかりぎなし。

これより後も、

若(もし)は花の下(しも)月の前に、

有をもとめ酒をおきて、

興を催しあそばんとすれば、

鬼又きたりて責いかりければ、

加伯いまはせんかたなく、

ある貴(たつ)とき僧に逢てこの事をかたる。

僧のいはく、

それ大欲をもつて、

理の外の財賓をむさぼるものは、

佛の道にそむき神の諚にたがふ。

天地の中に我身をたつる所なく、

その守りを失なふが故に、

禍(わざはひ)かならず来り、

悪鬼すなはちつきそふをもつて、

よこしまいよ/\かさなり、

もろ/\のうれへ悲しみ絶る事なし。

只慈悲をもつて物をめぐみ、

佛ぱふ僧の三宝をうやまひ、

信をおこして後の世の事よくもとめて、

何事をもむかしをくやみ、

今の心をあらためられよ、

とねんごろにすゝめられければ、

夫婦ながら心とけて、

年此(としごろ)の事を懺悔(ざんげ)し、

それより都にのぼり、

誓願寺にまいり、

堂塔を修造し、

一心念佛の行者となり、

安養寺にかけられたる地ごくの変相を見て、

いよいよ後世を大事と思ひ、

夫婦ながら髪を座像をつくらせ、

壇上にたておきたり。

今も猶その有さまをかたりつたへて、

木像をみるにつけて、

發心する人もありとかや。

  母に不孝の子狗(いぬ)となる

永正年中(ちう)に、

都の西鳴瀧(なるたき)といふ所に、

彦太夫とて百姓あり、

有徳(うとく)にはあらねども、

又世をわたるに人なみの身すぎをいたせし田畠(たはた)よくつくりて住けり。

その生れつき無道にして、

神佛の事更にうやまひ貴(たふ)とむ心なし。

さるまゝにあたりちかき寺にもいりたる事もなく、

乞食(こつじき)非人の来(きた)るをも、

あらけなくのゝしり、

すこしのめぐみをほどこしあたふる事をしらず、

母をやしなふに、

不孝なる事いふばかりなし。

只明暮(あけくれ)つらめしくあたりて、

わづかにも心にたがふ事あれば、

ことの外にいひ恥かしめ、

母の年のかたぶきて、

よろづつたなきを見ては、

はやく死して隙をあけよかし。

娑婆ふさげに無用の長生かなと、

のろひいましむる事毎日なり。

母これを聞に物うさ限りなく、

汝は誰(たが)うみそだてゝ、

かくは聞ゆらん。

つれなく命の生(いき)ける事よと、

我身を恨みて涙をおとさぬ日もなし。

母やまひにかゝりて、

食のあぢはひ心よからず、

新婦(よめ)をたのみてひとへの衣(きぬ)をうりて、

そのあたひを彦太夫にわたし、

これにて魚(いを)を買もとめてくれよといひいを、

魚(いを)のあたひは取ながら、

魚は更にもとめあらへず、

隣の人あはれがりて鯉の羹(あつ)ものをつくりて来りあたふるに、

母にはまいらせずして、

おのれぬすみてみなくひつくしけり。

たちまちに腹をいたみ、

まさ%\薬をもちゆれども、

そのいたみ少もやみたるけしきなく、

吟臥(によひふし)てくらき閨(ねや)のうちに篭り、

夜(よる)晝(ひる)五日のうちうめきけるを、

人行ていかにと問(とふ)に、

その身変じて狗(いぬ)となり、

蹲まりて恥かしげにみえけるを、

食ものをあたふれどもくはず、

百日を経て死にけり。

不孝のむくい目の前にありとたがひにおそれおどろき、

親ある人は皆かう/\をいたしけるとぞ。

  不孝の子の雷(いかづち)にうたる

慶長の初め、

大宮(おほみや)七条のわたりに、

丸や彌介とて商人(あきうど)の有りける。

二人の子をもちたり。

彌介はむなしくなり、

兄は彌二郎とておやの跡をつぎ、

身体(しんたい)ともかうもいたし、

弟は彌三郎とて、

三条堀河にすみて、

耕作を営みするに、

手まへの貧しさ、

朝な夕なを明暮(あけくら)すだにもわびしさ限りなし。

母はやもめになり、

年かたぶきたり。

兄彌二郎いひけるは、

我家ばかりにてやしなふべき事にあらず、

弟のかたにもゆきてやしなはれ、

兄弟ふたり十日がはりにさだむべしとて、

朔日(ついたち)より十日のあひだは彌二郎がもとにあり、

中(なか)十日は堀河に行て、

下の十日は又大宮より帰る。

かやうにせし内にも、

まづしき弟のかたはありやすく、

兄のもとはふかうにして、

新婦(よめ)さへすげなく侍べる故に、

母もすみうき事に思ひけり。

ある時母いまだ弟のもとにありて、

上(かみ)の八日その家失食(しつじき)して、

まいらすべき物なし、

さだめたりし日数(ひかず)、

いま二日あれども、

この体(てい)なれば兄

彌二郎かたへゆきて給はれといふ。

九日の朝母を出したてゝ、

七条大宮にやりけり。

兄彌二郎門に出むかひいまだ二日は、

彌三郎かたにあるべき事なるに、

何しにはやくは来れるぞ、

とく/\帰りて、

二日をすぎてのちにこそとて、

門の内へもいれたてず、

母は悲しくて新婦(よめ)にむかひて、

弟のかたには食物(くいもの)絶(たえ)て、

我ははやく来れり。

今二日の事、

何かさのみにとがむべきといふに、

いや/\さだめのごとく、

日ぎりをきはめて来られよ、

一日にてもかなふべからずといふ折ふし、

朝飯(あさいひ)の出きたりとみゆ、

道も遠ければ、

それを少あたへよ、

つかれをなぐさめて、

弟がもとへ帰らんといふに、

新婦(よめ)は返事(かへりごと)をもせず、

飯(いひ)の上に物をおほひて隠し、

彌二郎はあらけなくもつらめしくもいひのゝしりて、

追もどしければ、

母なく/\出て、

彌三郎が方(かた)へたちもどるに、

いまだ五町ばかりも過ざるに、

天にくろ雲おほひわたり、

雷(かみたり)しきりに鳴わたり、

彌二郎が家に落て、

新婦(よめ)は門口(かどぐち)まで引出してうちころし、

又いかづちおちて、

彌二郎がかうべくだけて、

隠しける飯(いひ)をば町中(まちなか)にうちまき、

浅まし共云(いふ)計(はかり)なく、

一時のうちに家たえたり。

  今川氏眞没落附三浦右衛門最後

駿河國今川義元は、

織田信長公に討れ、

その子息氏眞(うぢざね)その跡をつぎ、

國を守りて恙(つゝが)なかりし所に永祿の初年より、

家風ことの外におとろへ、

武道の事はすたれて風流の奢(おごり)をきはめ、

武藤新三郎(むとうしんざぶろう)とて、

白面の佞幸(でいかう)あり。

氏眞限りなく愛(めで)まどひて、

日夜席を同して、

酒宴遊興に月をわたり、

亂舞淫楽に年を送り和歌の道、

鞠のたはぶれにいとまなし。

新三郎漸く成長しければ、

三浦右衛門佐(すけ)になされ、

又茶湯(ちゃのゆ)の曾をくはだて、

風頓山居の幽景をしたひ、

路次がかり築山のありさま、

泉水の遣水(やりみず)うゑ木の枝つきまで、

かゝりあれと作りなし、

三浦が心にかなふをもつてうおろこびとし、

和泉の境に聞えし紹鴎(せうおう)がもちたる高麗茶碗(かうらいちゃわん)を三千貫に買とり、

連歌の名匠宗紙のひざうせし白鳧(はくふ)の香爐を五千貫を出してうけ求め、

その外窓國師の天龍寺の青磁の花入(はないれ)、

忍性(にんしょう)上人の鎌倉の柿色の眞壷(まつぼ)、

あるひは茄子の肩衝(かたつき)緑葉(りょうくよう)の香合(かうばこ)、

又は香匙火筋卓机(きゃじこじしょくつくえ)、

にいたるまで、

唐(から)の日本(やまと)の名物とだにいへば、

財寶を惜まず買もとめ、

綾錦(あやにしき)を裁縫(たちぬう)て袋とし、

沈檀玳〓(ちんだんたいまい)をけづり〓(みがき)きて室(いへ)とす。

そのつひゆる所いく千萬とも限りなし。

天より降(ふる)にもあらず、

地より湧にもあらず、

土民百姓をむさぼり、

賦斂(ふれん)おもく課役(くわやく)しげく、

責とり虐(はたり)取て積あつめ、

これをちらしつかふ事砂をまくがごとし。

譜代忠功の侍といへども、

少の科あれば所領をおさへ職を追あげ、家中の制道内外(うちと)のことは、

みなこれ三浦がはからひにてありしかば、權威高くかゞやき、上下飽はてゝ、大かたもてあつかうてぞおぼえける。

三浦が申す旨に依(より)て、武田信玄のためには氏眞はまさしき甥ながら、中あしくなり、

今川の老臣朝比奈兵衛大夫と三浦右衛門佐(すけ)と心よからず、諸侍(しょし)みな三浦をにくみうとみけるほどに、

武田がた此有さまを見すかし、永禄十年十二月六日、武田信玄三萬五千〓騎にて、駿府(すんぷ)にをしよせける。

氏眞聞きつけて庵原左馬頭(いはらさえのかみ)を先手(さきて)として、岡部小倉七千余騎、

氏眞は二萬五千を率して出向はれしに、朝比奈心替りして引入れしかば、諸陣何とはしらず、引きはらひて駿府に帰る。

氏眞の旗本色を失なひ、落支度を(おちじたく)をいたせしかば、力なく清見寺の本陣皆くづれて、府中に帰られけり。

諸侍みな色をたて別心(べつしん)をおこし、たがひに目を見合せ、一言(ごん)の評議にも及ばず、

只今敵のよするにも、防がんとおもふ義勢もなし。氏眞は城にこもりて打死せんと思ひ切(きり)給ふ所に、

三浦申けるやうは、砥城(とさ)の山家へ引こもり、時をまちて軍をおこし、本意をとげ給へと申すゝむるに依(より)て、

小原備前守、朝比奈備中守、長谷川次郎左衛門等がはからいにて、わづかに五十余騎ばかりにて、懸川の城に入給ふ。

!城中七千余騎、いづれも聞ゆる兵共なり。武田がたその跡におしかけ、

駿府の館(たち)に火をかけしに、折ふし嵐ははげしく吹て、雲煙とやけあがる。

さしも年此つくりみがきし大廈のかまへ、一時に灰燼と成はてたり。

次の日御館(みたち)の燒跡に、かくぞよみて立たる。

  甲斐もなき大僧正の官賊が

            欲にするがのおひたふすみよ

三浦右衛門は一朝に威をうしない、軍(いくさ)といふ事のおそらしさに、

手ふるひ足わなゝき、物の心も弁まへず、鎧甲馬物の具きらびやかに、

氏眞とつれて駿府のしろをば出たりしかども、ゆくさき道せばく、いかにもして身をかくし、

命をたすからばやと思ひ、さしも重恩をうけたる主君を打すて、只一人かけおちしたり。

世が世の時にこそ、駿河遠江三河のあひだには、いか成(なる)大身(たいしん)旧功の輩(ともがら)も、

三浦にむかひては手をつかね腰ををり、媚諂らひ機をとり色をうかゞひしに、

數年の積悪こゝにあらはれ、天に背(せ)くぐまり地にぬきあしすといふがごとく、

世を忍び人にかくれ、雷(らい)をいたゞ)きて江をわたり、薪を負て燒野を通るおそれをなし、

馬をはやめて通る所に、すはや落人(おちうど)の行ぞと呼はりしかば、

村々より出あふ百姓ども、垢(さび)たる鑓(やり)長刀(なぎなた)をもちつれてはしりよる。

これは三浦右衛門ぞ、あやまちすなとこと葉をかくれば、

何條その三浦をとらへて、年比(としごろ)のうらみを思ひしらせよといふ。

只〓むくりて赤裸(あかはだか)になし、突出して恥をさらせよといふ。前後とりまはし、

己(おのれ)来年(ねんらい)主君の寵にほこり、百姓をむさぼり、我らの妻子家財までも沽却(こきゃく)せさせ、

責とりこぎとり、ある時は簀巻水牢(すまきみづらう)、ある時は打擲揉躙(ちゃうちゃく)、

又は人夫をさしてつらめしく責つかひしそのむくいは、来世までもなくこゝにて思ひ知らせ、

なぶりごろしにせよやとて、馬より引おとし、鎧甲下の小袖まで引むくり、

〓とり赤裸(あかはだか)になしければ、三浦は百姓どもにむかひ手を合わせ、

しやつに物ないはせそ。高手小手にくゝりあげ、木のもとに結(ゆひ)つけて、

おもふまゝに打ころせとのゝしりけるを、年よりたる者どもはかゆげに、さのみはなせそ。

只ゆるして追やれとて、縄をときてつきはなす、三浦は命斗(ばかり)はたすかりけれども、

赤はだかなりければ、破れたる菅笠(すげがさ)を前にあて、

ちぎれたる古薦を腰にまとひ、泣々夜もすがら道にもあらぬ田の畆(あぜ)をつたひ、

そこともしらぬ山路をたどれば、手は荊(いばら)にかきさき、

足は石に蹴破り朱(あけ)になりて、やう/\三河の高(たか)天神の城にかゝぐりつきて、

小笠原興八郎を頼みけり。興八郎はじめのほどは、世の〓をうかがひ、三浦を呼いれ、

小袖刀脇指まで出あたへ、暫らくいたはる體(てい)にもてなしけるが、

氏眞すでに懸川を開(あけ)のきて小田原へ行つゝ、人數(にんじゅ)ちり%\に成しと聞えしほどに、

小笠原興八郎たちまちに心替(こころかは)り色に出たり。

城飼郡(きかうぐん)を押領し、三浦右衛門をからめとり、とし月わがまゝをはたらき、

諸人に慮外無禮をいたし、土民を困窮せしめ、〓輩(はうはい)の諸侍(さぶらひ)一門の貴族といへども、

己(おの)が心に叶はねば、知行(ちぎゃう)をおさへ職を打あげ、

凡下(ぼんげ)のものをもわが機に入ぬれば取たてつゝ、

君をくらまし家をみだり、上下恨みをふくむ事いふ斗(ばかり)なし。

今すでに主君の運かたぶき、國家ほろぶるにいたりて、恩をわすれ君を見はなし、

天地佛神の冥慮(みょうりょ)にはづれ人望にそむく、悪逆無道の恥しらずを、

命いけておき〓婆ふさげになさんより、疾(とく)して迷塗(めいど)につかはし、

〓摩の裁許にまかせんとて、人夫どもに仰せて、廣庭(ひろには)に引出させければ、

三浦右衛門大におどろき、是はそも情けなきはからひかな。

親とも兄とも頼入てぞ思ひしに、せめて命斗はたすけ給へとて、

霰のごとくなる涙を雨の如に流して、よばひさけび嘆きければ、

小笠原が侍(さぶらひ)足助(あすけ)長七といふもの、切手(きりて)にて傍(そば)に立より、

さらば何とぞ申いれて、命ばかりはたすけてとらすべし。

その代(かはり)には鼻をそぎ片耳を切て許すとも、

それとても命が惜きかと問ければ、たとひ耳鼻をそがれてなりとも、

命をだにたすけられなば、限りなき御恩なるべしとこたへたり。

是を聞ける人々、悪き奴が心ばせかな、あのきたなき根性故にこそ、重恩の主をすてゝこれまでは落来りけれ。

とく/\首をはねて、不忠不義の佞臣(ねいしん)のこらしめにせよやといへば、

三浦右衛門身をもみ足ずりして、聲をばかりに啼さけび、

おきふし嘆きけるを、最後は只今ぞ、念佛申せといへども、

前後ふかくに取みだして、太刀取も不敏ながら、うつぶきに踏倒し、

掻首(かきくび)にぞしたりける。

亡骸を野べにすてたりければ、鳶鳥あつまり、眼をつかみはらわたを啄ばみ、

犬狼むらがりて、手足を引ちらし〓(しゝむら)をあらそふ。

往来(ゆきゝ)の人是を見ては、哀とはいはずして、因果のむくいはかくこそあらめと、

弾指(つまはじき)して打通る。

運に乗じて威をふるふ時は、大龍の雲にのぼり猛虎の風に嘯がごとく成しも、

一旦に果報尽て、屍を草むらにさらし、恥を残すこそ哀なれ。

  常田(ときだ)合戦甲州軍兵(ぐんびょう)幽霊

甲州東(ひがし)郡恵林寺のおくに眞言の寺あり。

上求寺(じやうぐじ)と名づく、

本尊は不動明王なり。

強盛(がうじゃう)忿怒のさうがうは、

放逸無慙のともがらをいましめ、

本來究竟の智剣は、

般若実理の性(しょう)をしめす。

六賊四魔おのづから降伏(かうふく)し、

四生(しゃう)五趣あまねく利やくし給ふ。

その時の住持は、

頼〓阿闍梨(らいゐんあじゃり)とて智行兼備の徳たかく、

四曼相〓の花の本には白馬いなゝき、

三密観行(くわんぎゃう)の月の前には青龍雲に吟ず、

至極上乗のこゝろの底には五部相〓の玉をみがき、

〓伽中〓(ゆがちゅうだい)の胸の内には三〓即是(ごうそくぜ)の香をつゝめり。

効験〓〓(げつえん)の明匠也とて、

諸人たふとびうやまひけり。

伽持護念護魔〓頂(くわんぢやう)その攻をあらはし、

谷のひゞきに〓ずるごとし。

武田信玄は國主なり。

その本卦すでに豊(ほう)の卦にあたり、

本〓はすなわち不動なりとて、

ふかく信仰(しんがう)のおもひをかたぶけ、

いつも出陣の時は、

まづ上求寺(ぐじ)にして護摩を修せられ、

御館しづかに軍勢無為(ぶゐ)、

大将勝利のきたうをいたされ、

信玄みづから参詣ある事、

毎度(まいど)の成例(じゃう)なり。

天文(ぶん)二十一年三月に、

越後の長尾景虎入道謙信は、

千〓騎にて信州の地蔵峠のこなたまで働らき出られ、

長尾義景三千〓騎先手として押出たり。

武田信玄一萬三千の人数をもつて〓向かひ、

たがひに陣をはり、

足〓を出して迫合(せりあひ)けれども、

はか/\〃敷(しき)軍もなし、

謙信いかゞ思はれたりけん、

陣をはらひて越後に帰られたり。

義景〓に引て峠にあぐるを見て、

武田がた飯富兵部(いひとみひゃうぶ)、

小(を)山田備中、

郡内の小山田左兵衛、

芦田(あしだ)下野、

栗原左衛門佐(さゑもんのすけ)、

眞先にすゝみて義景を喰とむる。

義景はすこしもおどろかず、

甲州がたを坂中まで引つれ、

手勢三千を只一手(ひとて)につくり、

大返(おほがへ)しに取て返してたゝかふに、

武田がた立足(たつあし)もなく、

坂より下へまくりおとされ、

散々に切くづされ、

小山田古(こ)備中はうち死(じに)し、

栗原、

郡内の小山田は、

深手負(おふ)て引かねたるを武田方旗本の前備甘利(まへそなへあまり)左衛門、

馬場民部内藤修理かけよせて、

向ふ敵を打はらひ突たふして、

栗原小山田をば肩にかけて、

味方の陣につれて帰りしが、

二人ながらいくほどなく死けり。

されども義景は、

武田の大軍に人数七百十三人うたれ、

わづかに三騎に成て引帰(かへ)す。

武田がたにも三百七十一人うたれ、

手負ひは数しらず、

軍は勝(かち)に似て、

歴々の侍大将を失なひけり。

此度(このたび)の軍立(いくさだち)にも、

護摩を上求寺に修せられしに、

護摩木(き)ふすぶり〓水(しゃすい)こぼれたりしかば、

頼胤阿〓梨あやしくおもひながら、

ふかくつゝしみて人にもかたらず。

しかる所に二十六日の亥の刻ばかりに、

鎧武者三百騎斗(ばかり)、

上求寺の門をつきひらきてかけ入たり。

小山田古備中が声かとおぼしくて、

軍兵(ぐんびゃう)を支配す。

寺中にあり合(あう)たる同宿小法師原(こぼうしばら)おどろきあはてゝ、

縁のした天井の上にかくれたり。

頼胤は篤実の老僧にて少もおどろかず、

軍勢の打入たるは、

さだめて甲州方敗北して逃こみたりとおもひ、

窓よりさしのぞきたれば、

大庭に備(そなへ)をたて、

くるしげにみえたる武者ども立ならびたる所に、

跡より又六七百騎もあるらんとおぼしくて、

鎧武者こみ入たり。

打あひつきあひほし出しこみいりてせめ戦ふ。

鋒より出る火は、

澤〓の風に吹みだるゝ蛍よりなほかゞやき、

馳ちがふ汗馬のいきほひは、

雲井にとゞろくいかずちのごとし。

かくて両陣〓(とき)の声をあげたりしかば、

甲府の地下人(ぢげにん)この声におどろき、

すはや味方打まけて、

敵軍追つめ打入たるぞとて、

俄にさわぎたちて、

親は子の手をひき子は親をたすけ、

資財雑具(ざふぐ)をかつぎになうて逃かくるゝ。

御館(おたて)の留守居典厩(てんきう)信繁、

穴山伊豆守手の郎等(らうどう)同心被官三百人、

太刀よ長刀よ馬物具(ものゝぐ)よとひしめき、

しかも空すこしくもりて闇の夜なり。

くらさはくらし、

松明手毎にともし、

上求寺にはせつきたりければ、

門はきびしく閉(とぢ)て、

軍(いくさ)は大庭のおもてに打合(うちあふ)音しきり也。

人々下知(げぢ)して戸びらを打やぶりかけ入ければ、

今まで両陣一千余騎にあまりし軍兵(ぐんびゃう)ども、

入乱れたゝかふとぞみえしが、

雪霜(ゆきしも)のきゆるごとく、

皆一同に消うせて、

只松風の音のみ梢に残れる斗なり、

頼胤阿〓梨あまりのふしぎさに、

戸をひらき立出て、

典厩穴山(てんきうあなやま)に対面し、

始め終りの有さまものがたりあり、

いかさま只事にあらず、

味方おくれをとりたるかと、

手をにぎり肝をひやし、

御館(おたて)に帰り軍兵をもよほし、

軍立(いくさだち)の評定夜もすがら極められし所に、

微明に飛脚到来してこそ、

甲府は静まりけれ。

うたれし敵味方、

まさしく修羅の巻のおもむき、

〓〓(しんい)我慢の業因(ごふいん)にひかれて、

かゝるくるしみをうけぬらん。

順現順生(しゃう)のまよひの有さま、

さこそは悲しかるらめ。

信玄やがて〓陣(がいぢん)あり、

敵味方うたれたる者どものため、

上求寺において佛事をいとなみ、

〓衆をくやうし、

七日のうち經よみて、

跡をとぶらはれしかば、

此後はこと故なかりしとかや。

  男郎花(なんらうくわ)

越前國朝倉家の〓〓(こしょう)小石〓三郎は、

顔かたち世にすぐれ、

知恵かしこく心だて物しづかに、

情の色深く愛らしき者なりければ、

傍輩(はうばい)皆いとをしき人におもひけり。

家の足〓大将洲河藤蔵(すがはとうざう)とて、

武〓かくれなき者あり、

〓三郎を思ひこめて、

やるかたなくおぼえて、

        身にあまりおき所なき心ちして

            やるかたしらぬわが思ひかな

かく思ひつゞけてなぐさむるに、

心只空にのみあくがれ、

せんかたなく色に出つゝ、

たよりあるかたに頼みて文つかはしける。

        蘆垣(あしがき)のまぢかき中に君はあれど

                忍ぶ心や隔(へだて)なるらん

思ひ堪(たへ)なば、

中々しぬばかりなりと書つかはしければ、

〓三郎これをよみて、

限りなく心に染(しみ)てあはれにおぼえつゝ、

返り事せしことの葉のおくに、

        人のため人め忍ぶもくるしきや

            身獨りならぬ身をいかにせん

といひつかはしければ、

藤蔵(とうざう)いよ/\心まどひ思ひ亂れ、

今はひたすら色に出つゝ、

        いかにせん〓ははてなきみちのくの

            忍ぶ斗にあはでやみなば

        もらさじとつゝむ〓のうつり香を

              しばし我身に残すともがな

神にかけ命にかけて書つかはしけるに、

〓三郎深き情(なさけ)の色に誘はれ、

その夜忍びて逢にけり。

千年を一夜にかたりあかし、

名残のきぬ/\〃別れて出たり。

藤蔵かくぞよみける。

        ほどもなく身にあまりぬる心地して

              おき所なき今朝の別れぢ

〓三郎聞(きい)て返し、

        別れゆく心の底をくらべばや

                〓るたもとととまる枕と

又いつといふ契りもさだめず、

こと更今の世のありさま、

靜ならぬ折ふしなれば、

けふありて明日をもしらず、

今朝の別れや限りならましと、

そのおもかげのしたはるゝも、

つきせぬうらみは數々なりと、

たがひに泣しほれたるばかりなり。

次の日軍(いくさ)おこりて、

朝倉義景人數を出して臼井峠に〓向(むかは)る。

武田方せり合たゝかふに、

洲河藤蔵うたれしかば、

〓三郎大に悲しみ、

命いきても何せんとて軍法を破り、

旗本よりして只一騎かけ出つゝ、

打死しけるこそあわれなれ。

二人のかばねは味方に取返し、

日比(ひごろ)わりなくかたらひし事、

家中にかくれなかりしかば、

人々あはれがりて、

ひとつ塚に埋みけり。

日を經てその塚より名もしらぬ草の生出て、

その莖立(くきだち)たるに夏にいたりて花咲たるを、

是は男郎花(なんらうくわ)とて、

世にすくなき草花なり、

さだめて彌三郎藤藏一人の亡魂のしるしに、

生たる物なるべしとて、

なさけをしる人は、

根をわけて庭にうゑしより世にその草のたねおほく成にけり。

  蝟蟲崇(けむしたゝり)をなす

元和年中の事にや、西國の侍柳岡(やなをか)其五郎某(なにがし)とて、武篇に名をえしもの、大友が手に屬(しょく)して、齒がねをならし時めきけるを、軍(いくさ)に手を負(おひ)つゝ、その身合期(ごうご)しがたく        して、山しろの里にすみけり。

その子を孫四郎と名づく。

年いまだ十二歳なりけれども心ざまおとなしく、おなじほどの子どものも、つれてあそぶこともなく、物しづかに生立(そだち)あがり、手ならひ物よみに心をいれて、更にいやしげなる業なし。

あたりちかき輩(ともがら)みなこれをほめ感じて沙汰し侍べり、しかも容顔美麗にして、人なみにははるかにすぐれたり。

後には身をたて家をもおこすべしと、親もよろこび思ひけるところに、元興寺(ぐわんごうじ)の僧宥怪と聞えし法師、都にのぼるとて路のついでに、しれる人ありて、山そろの里に立より、孫四郎が姿を見そめしより、心ざし切に思ひしみて、京へものぼらず、しばらくこゝにとゞまり、たよりをもとめてかくぞいひつかはしける。

江南柳〓緑(こうなんのやなぎたをやかにしてみどりとなり)

尚愛枝葉陰(なほあはれむしえうのかげを)

頻莅黄〓翼(しきりにのぞむくわうりのつばさを)

暫堪待春深(しばらくたへてまつはるのふかさを)

葉をわかみまだふしなれぬくれ竹のこのよをまつは程ぞ久しきと書いてやりければ、孫四郎おさなき心にもあはれとや思ひけん、文をばふかく袂にかくし、返事(かへり)せんすべしもしらずながら、朝(あさ)夕思ひくづれをれつゝかくぞ讀ける。

        おなじ世にいきて待たは聞きながらこゝろづくしのほどぞはるけき宥快は此歌をつたへ聞しより、心空にあかがれ、修行〓道の事は世の外になり、寺をあかがれ出で、山しろの里に行通ひ、人めをもわすれてあたりちかく忍びありきけり。

親聞きつけて、情もしらず腹立(だち)て、にくき法師の有さまかな、孫四郎年まだたらぬをみだりにそゝのかし、とかくするこそ安からぬ。

わが子更に門より外にはいだすべからず、おとなしく生立(おひたち)なば、いかならん大名高家へもまゐらせ、武編(ぶへん)のはたらき人めをおどろかし、大身(たいしん)に經あがり、我がおとろへたる家をもおこさばやとこそ思へ、寺にこもり児喝食(ちごかつじき)となり、後には乞食(こつじき)法師の腰抜若〓(こしぬけわかたう)になりなば、命(いき)て何にかはせん。

身を立(たつ)る事のかなはずば死たるこそよけれ。

その法師あたりへもよすべからずと、をどりあがりていひのゝしりいければ、孫四郎悲しき事限りなし。

親にそむかじとすれば、なさけもしらぬ有さま、鳥けだものに同じかるべし。

        いかにせんあまのを舟のいかり繩うき人のためつながるゝ身を濁りかこちてあかし暮すと聞えしかば、宥快ほうしは思ひに堪(たへ)かねて、        あまのたく藻盥の煙(けふり)あぢきなく心ひとつに身をこがすらん口をしき世の有さまかな。

ながらへてあればこそ、物うき事もつらき事も、我身にこりつむ柴舟(ぶね)の、こがれてのみあかし暮さんより、死してうらみをはらさんものをと、一すじに思ひさだめて、房のうちに引こもり、断食して居たりければ、同学の僧来りて戸をたゝくに、しばしは音もせず、やゝありてあらゝかに障子をひらき、立出たるすがたを見れば、痩つかれたるすがた形(かたち)、雨の目は血を刺(さし)たるごとく、くぼ/\とおちいり、頭(かしら)の髪は此間に色交じて白くなり、筋ふとく骨あらはれ、すさまじき事いふ斗なし。

同学の僧さしよりて、いかに浅ましくも執心ふかくみゆるかな。

さなきだに生死(しょうし)のまよひはれがたくして、世々の聖堅だにおそれ給ひ、身命(しんみょう)をかへりみず、行なひすまして得道(とくだう)し給へり。

その外おほくの修業者達、妻家をはなれ山にこもり、或は諸國を抖薮(とそう)し行脚の身となり、妄念(まうねん)をとゞめ熕脳をひすろげて、まことのおこなひをいたし、菩提をもとめ功徳をつみたてこそ、輪ゑをのがれ解脱のさとりに入といふに、大事の未来を{食+余}所になし、浮世の戀慕に思ひしづみ、魔道に落て永きまよひに沈まん事、人界に生まれし甲斐もなく、六道のちまたにさまよひなば、悔(くゆ)とも歸るまじ。

只この一念をひるがえし、狂気をとゞとどめて克念(よくねん)へ、凡夫(ぼんふ)を轉じて聖者とならんは唯今ぞかし。

钁湯〓(くわんたう)林遠からず、〓の山ちかきにありと諌(いさめ)しかば、宥怪聞て涙を流し、世に有りがたき法門を聞せ給ふはさる事ならども、返され侍らぬは力なし、沖も此世は久しからづ、重ねて受べき輪廻の妄執はさだめて過去世の因果なるべき。

柳岡甚五郎は生々(しょう%\)怨家(をんけ)たるべし。

たとひ死て〓の山には上るとも、よしや是までぞ。

年此同学の情(なさけ)に、只今出て此世のいとまごひをするぞや。

心ざしあらば跡をとへかし、とく/\歸り給へとて、障子を引たてものごとくこもりければ、僧も力なく涙とともに歸られたり。

かくて七日といふに、禮盤の前に打たふれて死けり。

僧衆あつまりて屍(かばね)を野べに出し、茶毘(だひ)の煙(けふり)に焼あげ、經よみ念佛してとぶらひけり。

その夜孫四郎夢ともうつゝともしらず、宥怪法師音や閨(ねや)に入来るとみえし。

それより病出し、時々は熱気にをかされ、おどろき騒ぐ事あり、楠師を頼みさま%\いたはるに更に驗なし。

泣く々(なく/\)葬禮して屍を土中に埋み、卒都婆をたて經よみてとぶらひけり。

孫四郎殿いざ/\といふ音の、家の天井に聞えしこそおそろしけれ。

三十五日をすごしける。

ころは五月(さつき)の初つがた家のうら天井承{鹿+土}戸(なげし)にも柱にも、毛蟲のわき出たり。

五月雨の降つゞく故に、巧たる木竹よりわき出るやとおもひけるに、それにはあらで甚五郎が家にかぎりて、{食+余}所にはひとつもなし。

給ひよせ掃所にはひとつもなし。

給ひよせ掃(はぎ)あつめて、堀にすて河に流す事敷石に及ぶといへども、跡よりわき出てつくる事なし。

後には此毛蟲にさはる人は、是にさゝれて広痛(ひろうきいた)み、ひを經ては蛻(もぬ)けて蝶になり、むらがり飛(とん)で、人の顔にとまり、衣裳に取つき、夜はともし火にたかりてうち消し、あるひは食物の中にころび入ければ、いかさま是は只事にあらず、宥怪法師が亡魂(ぼうこん)のなすわざ成べしとて、元興寺(ぐわんこうじ)に申つかわし、同学の僧を頼みてとぶらはせしかば、彼僧も痛はしくおぼえて、祭文(さいもん)を作りて佛事をいとなみ、ねん此(ごろ)にこそ弔(とぶ)らひけれ。

維歳元和二年龍集丙辰今月今日、元興寺住僧宥快入名於釋門凝志於学道観智温雅之徳、修行練磨之功、実出離之要基也、一朝魔風扇動而禅座散落、妄塵飛蕩而定水垢濁、神裂魂砕、死而為蝟、鳴呼哀哉、細爾小虫為害不少、汝毛攅起如豪、刺端両岐若鼠喩晋桓温之鬚比淮陽王之矢、熱則展如水蛭寒則縮似巻矣、葢惟生死輪廻之巷、流転因果之報、罪福各如符、纎芥咸無差、三界四生区別、六道七類凡殊、一念之愚執、一心之惑倒、変而為迷、化而為物、賈誼所謂化為異類焉、清涼所謂精神化為土木金石焉、此故八幡娘嬢子為女郎花、松浦佐夜姫成堅頑石、愛戀染着則情興非情無所不為焉、鳴呼哀哉、汝之業力、假令雖強盛、今所行、〓求陀羅尼、光明真言庸誦供、式加持、應速転迷情、疾翻魂精、到安穏之楽城、謹奉尚享。

かくおこなひ加持(かぢ)してとぶらひければ、二十三日の間に毛虫こと%\く絶て、あとかたなくぞ成にける。

亡魂のうかびける事うたがひなし。

  杉谷源次  附男色之弁

文祿三年の事にや、

伊勢の国国司(こくし)の家に、

深見喜平とて才覚利口の侍、

よく奉公をつとめて、

知行三百貫までとりあげ、

外様(とざま)をゆるされ奥までもめしければ、

漸やく重きものにぞ成にける。

奥がたの〓性杉谷源氏といふ者は、

すぐれて眉目(みめ)うつくしかりければ喜平心をかけて、

とかくいひけれども聞きいれず、

あまりの事に文をかきて、

源次がたもとになげ入れたり。

中々こと葉すくなくして、

  伊勢の海あら磯によるうきみるの  うきながらみるはみぬにまさ

あなかしこ人にもらすな、

忍ぶの杜(もり)のこと葉もれなば、

影淺き井手の玉水、

心のそこも波にあらはれては、

末までもいかゞせんと書きやりけるを源次いかゞ思ひけん、

只かりそめのやうに、

傍輩(はうばい)に泄(もら)し語りしかば、

家中にかくれなく聞渡りて沙汰あり。

喜平は人のみるめ恥かしく、

源次が返事(かへりごと)せぬまでこそらめ、

人に泄しけるこそ安からね、

さだめて我を失なはんと謀るとおぼえたり。

命ながらへば、

いか成見ぐるしき果にやならんとねたく恨み、

源次朝とく起あがり、

寐屋(ねや)より出る所をあへなく打ちころし、

みづから腹切て死けり。

諸共に塚に埋(うづ)みしに、

夜な/\その塚に火もえて、

日暮ればそのあたりは、

人の通ひも絶たり。

国司此事を聞給ひ、

悪(にく)き有さまながら、

執心のほどもいたはしく、

僧をやとひて、

塚の前にて經よみとぶらひければ、

その火それより、

もえず成りたり。

国司法力(りき)の奇特(きどく)を感じて、

彼(かの)僧をめして法門など聞給ふ。

ついでに男色の事は、

經論(きゃうろん)にもみえ侍るかと問(とは)れにし、

僧こたへてかたられしは、

佛經の中には、

わきて男色といふ説はなく、

邪淫戒のうちに、

非道淫戒をあげられしに、

自(おのづ)からこもり侍べり、

もろこしには周のぼく穆王(ぼくわう)の慈童を寵じ、

漢の高祖の籍孺を愛し、

惠帝の〓孺(くわうじゅ)を執し、

哀帝の薫賢を幸(さいはひ)せられ、

衛の彌子(びし)〓漢の〓通(とうつう)、

みなこれ男色にまどへるためしなり。

史記に〓幸(でいこう)の傅あり、

太平通載に権幸(けんかう)の篇あり、

晉書(しんじょ)には、

西晉(さいしん)の武帝〓寧太康の年より、

男寵(だんちょう)の事大に興りて女色よりも甚だし。

あるひは夫婦離別にいたり、

おほく怨(うらみ)をおこす事ありと記せり。

是いにしへより〓幸のともがら、

その終りを善(よく)するものは少なし。

夫(それ)財をもって交はる者は財盡(つき)て交はり絶え、

色をもってまじはるものは、

花落て愛〓(ひす)ろぐとかや。

人常に若き時なし。

年の暮やすき事は、

たとへば流るゝ水のごとし。

行て又歸らず、

たとひうつくしくみやびやかなるすがやといへども、

いく程なく過去(さり)て留(とゞ)まらず、

すみやかに〓ふ。

猶朝顔の日影待まの有さまならずや。

梁の沈約(しんやく)が懺悔(さんげ)の文(もん)には、

追尋(ついじん)す少年のときは、

血氣まさに壮(さかり)なり、

習累(しふるゐ)の纏(まとふ)ところ排豁(はらひあきらめ)がたし、

洪水上宮(じゃうきう)まことに幾(いくばく)もなし。

桃をわかち袖を断(たつ)、

またおほしといふに足り。

此實(これじち)に生死(しゃうじ)の牢穽(らうせい)、

いまだ洗ひ抜易(ぬきやす)からずといへり。

宋の世にいたりて學問をことゝし、

此道稍おとろへたり。

本朝のむかし眞雅僧正は業平を戀(こひ)て、

「常盤の山の岩つゝじいはねばこそあれ」とよみおくられし、

中古に瓜生判官(はんぐわん)の弟義鑑房が金崎(かねがさき)にて打死(じに)し、

麟岳(りんがく)和尚の田野(たの)にして打死せし、

みな男色のまどひに陷いりたる故なり。

近比は股(もも)をさし肘(かいな)を引て血を出し、

心ざしの實(じち)ある事をあらはせり。

古き歌に、

  思ふこゝろ色にはみえず身を刺(さし)て朱の千入(ちしほ)を君それとしれ

をかしげなる歌よみ詩をつくりて、

愛まどひ侍べり、

文(ぶん)にもあらず、

非道の色に身をすて命をうしなふもの、

女色よりも甚だし。

忠をわすれ徳をけがし、

家をたふし身をほろぼす斗、

僧俗にわたりてかくのごとし、

まことに愼むべき事なりとぞ語られける。

  掃部新五郎遁世捨身

上杉憲政の家人(けにん)掃部新五郎は、手よく書(かき)て歌の道をこのみ、情ふかき武士(ものゝふ)なり。

色このむとはなしに、わが心にかなふ人あらばかたらひ契りて、後の世までも思ひはなれぬ心ざしをとげばやと思ひわたり、さだまれる妻もなし。かくて年月を送るあひだに久我(こが)の住人名草の徳太夫とて、物ごとやさがたなるものあり。

その子徳之丞は生年(しゃうねん)十四歳、

田舎人の子といひながら、

眉目(みめ)うつくしくそだちあがり、

心ざま優に、

立ふるまひいやしからず、

新五郎これを見そめてかぎりなく、

縁をもとめて近ずき、

手ならひ指南疎からず、

四書五經までも退屈なくをしへ侍べりしかば、

父徳太夫も秘藏の客と思ひて、

内外(うちと)なく隔てぬにこそ侍りける。

とかくせしほどにたがひに思ひしみて、

徳之丞新五郎とわりなくかたらひけり。

歌の道までも心ゆくばかりによみなし。

心ざしをつらねて月日を經るまゝに、

彌生(やよひ)の比(ころ)にや家の軒ばに忍(しのぶ)といふ草の生出たるを見て、

新五郎かくぞよみける。

        ことの葉にで出てはいはじ軒におふる

                    忍ぶ斗(ばかり)は草の名もうし

徳之丞はやく思ひあたりて、

        我もかく人も忍びていはぬまの

            つもる月日をなどかこつらん

        ことの葉の末の松山いかならん

                波のしたにも我は頼まん

とほくかたらひふかく契りて、

徳之丞すでに十七歳、

卯月の初つがたより何となく煩らひ出し、

さま/\〃療治をいたせしかども露ばかりも驗なし。

新五郎も身をもみて種々養性をくわへ藥を用ゐるのみならず、

神佛に願(ぐわん)だてし祈りをかくれども、

つひにそのしるしなく、

今ははや此世の頼(たのみ)もきれはてつゝ、

時侍するより外なし。

親一族手をにぎりいかゞせんとも思ひよる方もおぼえず。

かゝる所に徳之丞むくとおきあがりくるしげなる中に新五郎が手をとりて、

        すゑのつゆ淺茅(あさぢ)がもとを思ひやる

                  我身ひとつの秋の村雨

といふかとすれば息はや絶にけり。

新五郎はかなしくあはれに心まどひ、

おなじ道にと歎きけれども甲斐なく、

野べの送りをいとなみ、

苔のした塚のあるじとなし、

塚の前にて髻(もとゞり)をきり、

宿にも歸らずすぐに遁世して、

        のがれてもしばし命のつれなくば戀しかるべきけふの暮かな

とよみて、

足にまかせて出にけり。

西國のかたにおもむき、

聞及びたる靈佛靈社残りなくおがみめぐり、

やう%\年もあらたまり、

卯月(うづき)のすゑつがた故郷に立歸り、

人しれず徳之丞が塚に行てみるに、

草茫々として露のみ〓々たり。

あはれ昔に成はて、

おもかげはわすられず、

涙ながら念佛する所に、

塚のむかひに徳之丞が姿あらはれて、

影にごとくせう/\として立たり。

新五郎入道、

あれはそれかと近くよるに、

かきけすやうにうせたり。

心をしずめ經をよみて、

跡よくとびらひ、

なく/\又立かへり東國(とうごく)のかたに行けるを、

世の中靜ならず、

行さきおぼえしかば、

今はながらへても何にかせんと思ひうむじて、

          露の身のおき所こそなかりけれ野にも山にも秋風ぞふく

と書て松の枝にむすびつけて、

あなしの池に身をなげて死けるこそあはれなれ。

まのあたりしる人ありて、

かばねを水よりとりあげ、

徳之丞が塚の前に、

ともに土中に埋めみしとかや。

塩田平九郎(しおたへいくろう)怪異(かいい)を見(み)る

攝州花隈の城主荒木攝津守は織田信長公(おだのぶながこう)に楯(たて)つきましかば

瀧川左近(たきがわさこん)将監に人数(にんずう)をさしそへ責(せめ)させらる。

野村(のむら)丹後守(たんごのかみ)を初(はじ)めて、

雑賀(ぞうが)の者(もの)ども二百余人(にひゃくよにん)みなうたれて、

城には火をかけ焼(やき)くづしけり。塩田平九郎(しおたへいくろう)といふもの、

只一人(ただひとり)のがれ出(で)て故郷(こきょう)に帰(かへ)り、

暫(しばら)く世(よ)の有(あり)さまをうかゞひ見(み)るに、

行(ゆ)くすゑとても頼(たの)みがたく、

ともかくにもはてしなき身(み)を、いたずらになさんよりは、

後世(こうせ)の大事(だいじ)をもとめばやと思(おも)いさだめ、

もとゞりきり衣(ころも)をすみにそめ家(いえ)を出つゝ、心(こころ)のおもむくかた、

足(あし)にまかせて野(の)くれ山(やま)くれ村里(むらざと)をめぐり、

国々(くにぐに)の風俗(ふうぞく)所々(ところどころ)の有(あり)さま、

聞(きき)つたへし名所(めいしょ)〓跡をがまぬ霊地(れいち)なし。

又(また)そのあひだに、富(あ)てゆたかなるあり、

わびてすむ人もあり、はしたなき情(なさけ)ふかき、いづれしななひとそから

或時(あるとき)はたづきもしらぬ山中(さんちゅう)をたどり、

樵(きこり)に麓(ふもと)の道(みち)を尋(たず)ね、

或時(あるとき)はそこともわかぬ野(の)べにまようて、

草(くさかり)かりに里(さと)をもとめ

又(また)はすみか稀(まれ)なる長路(ながじ)に日(ひ)を暮(くら)し、

宿(やど)かさぬ所(ところ)に行(ゆき)かゝりては、

木(き)のもと塚原(つかはら)に夜(よる)をあかし、

筑紫(つくし)がた肥後(ひご)の国(くに)阿蘇(あそ)の深谷(みたに)にいたり

しかば、まのあたりなる地(じ)ごくのありさま、

もえのぼる焔(ほのお)のすゑ煙(けふり)につれて天(てん)を焦(こ)がし、

鳴(な)りくだるいかづちの音(おと)、山(やま)も更(さら)にくづるゝがごとし。

罪人(ざいにん)のよばひさけぶ声(こえ)谷(たに)の底(そこ)に聞(きこ)えて、

いく千萬(せんまん)とも知(し)るべからず。

かゝる事(こと)を見(み)てもおそれず聞(きい)てもおどろかずば、

誰(だれ)とてもかくあるべしと、懺悔(ざんげ)の涙(なみだ)は留(とゞ)めがたし。

げにすつる身(み)なればこそ、

かやうの事(こと)を見聞(みきき)につけて思(おも)ひ知(しる)かなと、

ひとり心(こころ)に観(かん)じて、

それより猶(なお)ゆく道(みち)の末(すゑ)はるかなる薩摩(さつま)がた、

硫黄(いおう)が島(しま)にわたりて、

俊寛(しゅんかん)が古(いにし)しへこの島(しま)に流(なが)されて、

あはれをのこす物(もの)がたりを、

今(いま)見(み)るやうにぞ思(おも)はるる。

浦半(うらは)の海士(あま)のしわざとて、

釣舟(つりぶね)に悼(さを)さして千尋(ちひろ)の浪にたゞよひて日も夕暮のよび

声(こえ)は遠近(をちこち)に聞(き)こえて、うしほをはこび柴(しば)をとり、

塩(しお)やく煙(けふり)の心(こころ)ぼそく、

玉藻(たまも)を拾(ひろ)ひ磯菜(いそな)をとり、

世(よ)わたる業(ごう)はいづくとても、安(やす)からぬこそ物(もの)うけれ。

四国二島(しこくじたう)のあひだをめぐりて、

やうゝ播磨(はりま)がたしかまのかち路(ぢ)を経(へ)て、

又(また)故郷(こきょう)に帰(かへ)り、

指(ゆび)を折(お)りてかぞふるに、

十八年(じゅうはちねん)にぞ成(なり)たる。

替(かわ)りゆく世(よ)の中(なか)に知人(しるひと)もなく、

村里(むらざと)のすみかも、

そこともしらずあらたまりつゝ、花隈(はなくま)伊丹(いたみ)の焼跡(やけあと)

こゝは昔(むかし)の跡(あと)、あかしにもあらずみえければ、

そゞろに哀(あは)におぼえて、

  かへりこぬ昔(むかし)をおもふ袂(たもと)には秋(あき)ともなしに露(つゆ)ぞおきける

日も夕暮(ゆうぐれ)になり、野寺(のでら)の鐘(かね)の声(こえ)かすかに聞こえ

しかば、

  見(み)るまゝに過(すぎ)にしかたは入逢(いりおう)の鐘(かね)や音の跡に聞こゆる

かくて花隈(はなくま)のかたをあゆみゆくに、

心(こころ)のままに荒(あれ)はて、荊浅茅(いばらあさぢ)の生茂(おいしげ)り、

薄(すすき)がもとに秋(あき)をわぶる虫(むし)の声々(こえごえ)もあはれなり。

四方(よも)の山々(やまやま)いたく暮(くれ)はてゝ、

又(また)問(とひ)よるべきよすがもなし。草原(くさはら)のなかに、

ふるき軒(のき)ばの有(あ)りけるに入(いり)たりければ、すむ人(ひと)もなし。

軒(のき)かたぶき、板戸破れ、

上漏(かみもり)下濡(しもぬれ)て浅(あさ)ましげなるに、

うづくまり居(い)て静(しずか)に経(きょう)よみ念佛(ねんぶつ)す。

月漸(やう)やく東の山のはに出る比、

誰とはしらず三人つれて入来る。

兵九郎入道思ひかけず、壁にそうてひそかに見れば、

そのさまいやしからず、

物語する事又世の愚俗にかはりて、理(こと)はりにかなへり。

その中に一人云(いふ)やう、さても此世の中、大永天文の比より、

諸国たがひにそばだち、つよきは弱きをしたがへ、

大なるは小さきを併せ、天下すでに四分五裂して、

軍(いくさ)の絶(たゆ)る時なし。

比あひだ甲斐国には武田信玄、北越には長尾謙信、

北条織田の家々、人数をあつめ謀ごとをたくみにし、

ひたすら戦国の七雄、三国の乱れといふとも、今の時にはよもまさらじ。

いつか一統の世と成べきといふ。

また一人の云ふやう、天下の治乱は、時運の変災天地の妖怪なり、

或は飢饉あるひは疫癘(えきれい)の天行事(はやること)もみな比たぐひなり。

時いたり道さっだまりて、徳たかくおこなひよき人の手にころび入りて、

天下は一統すべし。

そのあひだに家をとりたて、党を結び軍兵(ぐんびょう)をまねきて、

地をあらそう人あれども、天理(てんり)にかなはずしては、

中比亡びて絶るもあり。

まことに吉凶は天理に依(より)て人事にあらず。

されば信玄謙信北条の氏康は、みな他界せられ、世つぎは有ながら、

いづれも父には似ずとかや。

中にも武田四郎勝頼は、武勇は諸家にすぐれたれども、愚闇にして才智にともしく、

みづから武勇に慢じて、諸方のてきをば生たる虫かとも思はれぬは、

やがて亡びのもとゐならずや。

一端は大将の武威つよく、敵に勝ことあれども、愚にして知恵なく、

或は人+妾(ねい)女+妾(かん)軽薄の者を好(よし)とおもひ出頭させ、

智謀ふかき臣を讒して疎み遠ざけ、我が武勇に慢をおこし、

我意にまかせてすさまじき軍(いくさ)をして、

味方のよき者皆打ほされ、いくほどなく国を失ひ身を亡ぼすこと、

古今に例おほし。

天正年中、奥平美作守同じく子息九八郎、勝頼の行跡を見限り、

甲府を背きて長篠の城に楯こもる。

武田勝頼大に怒(いかっ)て、一萬八千余騎を率して押よせらる。

徳川家後詰(ごずめ)のため、信長公に加勢をこうて、

前後七萬六千余騎長篠におもむき、

三重に柵をかまへて待かけらる。

勝頼一万四千余騎、先陣山縣三郎兵衛を初めて、三重の柵に防がれ、

三千挺の鉄砲に、的(まと)になりて打ちころされしかば、

一族同心にいたるまで、一万三千余人死けれども、

敵方(てきがた)には名ある侍は一人もうたれず、

只三騎にてのがれて甲府に帰らる。

比後は織田徳川両家の武威の天下にかゞやきて、

出る日のごとく、武田方諸方の砦に取かけ責めおとせども、

後詰(ごづめ)すべき人数もとゝのはず、すてころさるゝ故に、

武田の家衰へ、末久しくは有るべからずと思はぬ人はなし。

つひに信長公のために責められて、天目山のふもとにて、

武田の一家みな死に絶えしこそ哀れなれ。

凡(およそ)軍(いくさ)は三才相応するをもって要とする。

天の時は地の利にしかず、地の利は人の和(くわ)にしかずといへり。

勝頼比たびの出陣には、往亡(わうまう)日(にち)にあたれり。

徳もなく義もなく智謀くらき上に、血気の勇にまかせて時日をえらばず、

父信玄は軍を大事にかけ、山本勘助が丸日取、

前原筑前の守が相伝せし月切の日取、

小笠原源與斎(げんよさい)が八方懸(はっぽうがかり)

かりの口伝(くでん)、

いづれも秘術の大事なりとて、丸日取の圖を軍配(ぐんばい)團(うちは)裏に書きて

もたれりとかや。

こと更五月は仲夏(ちゅうか)にして、南の方に旺す。

廿一日は辰巳午の三時に、

破軍の剣桙(けんさき)北のかた或は艮(うしとら)のかたにむかふ。

然るに勝頼の陣南にむかうて備(そなへ)をたて、

しかも辰巳午に軍(いくさ)をはじめたる、みなこれ天の時に違へり。

其上長篠の城に取かけ、本陣を道虚山(だうこやま)に取たり。

道虚日(だうこにち)はよろづに忌(いむ)事なり。

名詮自性(みやうせんじしゃう)の理(ことわ)り、

いまだ戦はざるに敗北の兆(きざし)あり、天の時を失なはれたり。

信長方わざと広みを前にあて、切田堀切片折(かたくしげ)なる殺所(せっしょ)を

のこし、柵を三重(みえ)にふりけるは、勝頼を小曳(をびき)て川を渡せんがためなり待(まち)て戦ふべき所ぞかし。

無理に懸りて軍せしは、地の利にそむけり。

其上去年東美濃(ひがしみの)はつかうの時より、

旗本外様(とざま)近習(きんじゅう)衆と、諸牢人方(がた)信濃衆と、

三方の内證不和になり、

長坂釣閑(てうかん)と、内藤修理と中あしくなり、

勝頼は家老方(がた)を悪(にく)み思へり。

内外大小はだゝになる。

軍事の指(ゆび)を折(お)りてかぞふるに、

十八年(じゅうはちねん)にぞ成(なり)たる。

替(かわ)りゆく世(よ)の中(なか)に知人(しるひと)もなく、

村里(むらざと)のすみかも、

そこともしらずあらたまりつゝ、花隈(はなくま)伊丹(いたみ)の焼跡(やけあと)

こゝは昔(むかし)の跡(あと)、あかしにもあらずみえければ、

そゞろに哀(あは)におぼえて、

かへりこぬ昔(むかし)をおもふ袂(たもと)には秋(あき)ともなしに露(つゆ)ぞ

おきける

日も夕暮(ゆうぐれ)になり、野寺(のでら)の鐘(かね)の声(こえ)かすかに聞こえ

しかば、

見(み)るまゝに過(すぎ)にしかたは入逢(いりおう)の鐘(かね)や音の跡に聞こゆる

かくて花隈(はなくま)のかたをあゆみゆくに、

心(こころ)のままに荒(あれ)はて、荊浅茅(いばらあさぢ)の生茂(おいしげ)り、

薄(すすき)がもとに秋(あき)をわぶる虫(むし)の声々(こえごえ)もあはれなり。

四方(よも)の山々(やまやま)いたく暮(くれ)はてゝ、

又(また)問(とひ)よるべきよすがもなし。草原(くさはら)のなかに、

ふるき軒(のき)ばの有(あ)りけるに入(いり)たりければ、すむ人(ひと)もなし。

軒(のき)かたぶき、

上漏(かみもり)下濡(しもぬれ)て浅(あさ)ましげなるに、

うづくまり居(い)て静(しずか)に経(きょう)よみ念佛(ねんぶつ)す。

月漸(やう)やく東の山のはに出る比、

誰とはしらず三人つれて入来る。

兵九郎入道思ひかけず、壁にそうてひそかに見れば、

そのさまいやしからず、

物語する事又世の愚俗にかはりて、理(こと)はりにかなへり。

その中に一人云(いふ)やう、さても此世の中、大永天文の比より、

諸国たがひにそばだち、つよきは弱きをしたがへ、

大なるは小さきを併せ、天下すでに四分五裂して、

軍(いくさ)の絶(たゆ)る時なし。

比あひだ甲斐国には武田信玄、北越には長尾謙信、

北条織田の家々、人数をあつめ謀ごとをたくみにし、

ひたすら戦国の七雄、三国の乱れといふとも、今の時にはよもまさらじ。

いつか一統の世と成べきといふ。

また一人の云ふやう、天下の治乱は、時運の変災天地の妖怪なり、

或は飢饉あるひは疫癘(えきれい)の天行事(はやること)もみな比たぐひなり。

時いたり道さっだまりて、徳たかくおこなひよき人の手にころび入りて、

天下は一統すべし。

そのあはだに家をとりたて、〓を結び軍兵(ぐんびょう)をまねきて、

地をあらそう人あれども、天理(てんり)にかなはずしては、

中比亡びて絶るもあり。

まことに吉凶は天理に依(より)て人事にあらず。

されば信玄謙信北条の氏康は、みな他界せられ、世つぎは有ながら、

いづれも父には似ずとかや。

中にも武田四郎勝頼は、武勇は諸家にすぐれたれども、愚闇にして才智にともしく、

みづから武勇に慢じて、諸方のてきをば生たる虫かとも思はれぬは、

やがて亡びのもとゐならずや。

一端は大将の武威つよく、敵に勝ことあれども、愚にして知恵なく、

或は人+妾(ねい)女+妾(かん)軽薄の者を好(よし)とおもひ出頭させ、

智謀ふかき臣を讒して疎み遠ざけ、我が武勇に慢をおこし、

我意にまかせてすさまじき軍(いくさ)をして、

味方のよき者皆打ほされ、いくほどなく国を失ひ身を亡ぼすこと、

古今に例おほし。

天正年中、奥平美作守同じく子息九八郎、勝頼の行跡を見限り、

甲府を背きて長篠の城に楯こもる。

武田勝頼大に怒(いかっ)て、一萬八千余騎を率して押よせらる。

徳川家後詰(ごずめ)のため、信長公に加勢をこうて、

前後七萬六千余騎長篠におもむき、

三重に柵をかまへて待かけらる。

勝頼一万四千余騎、先陣山縣三郎兵衛を初めて、三重の柵に防がれ、

三千挺の鉄砲に、的(まと)になりて打ちころされしかば、

一族同心にいたるまで、一万三千余人死けれども、

敵方(てきがた)には名ある侍は一人もうたれず、

只三騎にてのがれて甲府に帰らる。

比後は織田徳川両家の武威の天下にかゞやきて、

出る日のごとく、武田方諸方の砦に取かけ責めおとせども、

後詰(ごづめ)すべき人数もとゝのはず、すてころさるゝ故に、

武田の家衰へ、末久しくは有るべからずと思はぬ人はなし。

つひに信長公のために責められて、天目山のふもとにて、

武田の一家みな死に絶えしこそ哀れなれ。

凡(およそ)軍(いくさ)は三才相応するをもって要とする。

天の時は地の利にしかず、地の利は人の和(くわ)にしかずといへり。

勝頼比たびの出陣には、往亡(わうまう)日(にち)にあたれり。

徳もなく義もなく智謀くらき上に、血気の勇にまかせて時日をえらばず、

父信玄は軍を大事にかけ、山本勘助が丸日取、

前原筑前の守が相伝せし月切の日取、

小笠原源與斎(げんよさい)が八方懸(はっぽうがかり)

かりの口伝(くでん)、

いづれも秘術の大事なりとて、丸日取の圖を軍配(ぐんばい)團(うちは)裏に書きて

もたれりとかや。

こと更五月は仲夏(ちゅうか)にして、南の方に旺す。

廿一日は辰巳午の三時に、

破軍の剣桙(けんさき)北のかた或は良-、(うしとら)のかたにむかふ。

然るに勝頼の陣南にむかうて備(そなへ)をたて、

しかも辰巳午に軍(いくさ)をはじめたる、みなこれ天の時に違へり。

其上長篠の城に取かけ、本陣を道虚山(だうこやま)に取たり。

l数もとゝのはず、すてころさるゝ故に、

武田の家衰へ、末久しくは有るべからずと思はぬ人はなし。

つひに信長公のために責められて、天目山のふもとにて、

武田の一家みな死に絶えしこそ哀れなれ。

凡(およそ)軍(いくさ)は三才相応するをもって要とする。

天の時は地の利にしかず、地の利は人の和(くわ)にしかずといへり。

勝頼比たびの出陣には、往亡(わうまう)日(にち)にあたれり。

徳もなく義もなく智謀くらき上に、血気の勇にまかせて時日をえらばず、

父信玄は軍を大事にかけ、山本勘助が丸日取、

前原筑前の守が相伝せし月切の日取、

小笠原源與斎(げんよさい)が八方懸(はっぽうがかり)

かりの口伝(くでん)、

いづれも秘術の大事なりとて、丸日取の圖を軍配(ぐんばい)軍兵(ぐんびょう)をまねきて、

地をあらそう人あれども、天理(てんり)にかなはずしては、

中比亡びて絶るもあり。

まことに吉凶は天理に依(より)て人事にあらず。

されば信玄謙信北条の氏康は、みな他界せられ、世つぎは有ながら、

いづれも父には似ずとかや。

中にも武田四郎勝頼は、武勇は諸家にすぐれたれども、愚闇にして才智にともしく、

みづから武勇に慢じて、諸方のてきをば生たる虫かとも思はれぬは、

やがて亡びのもとゐならずや。

一端は大将の武威つよく、敵に勝ことあれども、愚にして知恵なく、

或は人+妾(ねい)女+妾(かん)軽薄の者を好(よし)とおもひ出頭させ、

智謀ふかき臣を讒して疎み遠ざけ、我が武勇に慢をおこし、

我意にまかせてすさまじき軍(いくさ)をして、

味方のよき者皆打ほされ、いくほどなく国を失ひ身を亡ぼすこと、

古今に例おほし。

天正年中、奥平美作守同じく子息九八郎、勝頼の行跡を見限り、

甲府を背きて長篠の城に楯こもる。

武田勝頼大に怒(いかっ)て、一萬八千余騎を率して押よせらる。

徳川家後詰(ごずめ)のため、信長公に加勢をこうて、

前後七萬六千余騎長篠におもむき、

三重に柵をかまへて待かけらる。

勝頼一万四千余騎、先陣山縣三郎兵衛を初めて、三重の柵に防がれ、

三千挺の鉄砲に、的(まと)になりて打ちころされしかば、

一族同心にいたるまで、一万三千余人死けれども、

敵方(てきがた)には名ある侍は一人もうたれず、

只三騎にてのがれて甲府に帰らる。

比後は織田徳川両家の武威の天下にかゞやきて、

出る日のごとく、武田方諸方の砦に取かけ責めおとせども、

後詰(ごづめ)すべき人数もとゝのはず、すてころさるゝ故に、

武田の家衰へ、末久しくは有るべからずと思はぬ人はなし。

つひに信長公のために責められて、天目山のふもとにて、

武田の一家みな死に絶えしこそ哀れなれ。

凡(およそ)軍(いくさ)は三才相応するをもって要とする。

天の時は地の利にしかず、地の利は人の和(くわ)にしかずといへり。

勝頼比たびの出陣には、往亡(わうまう)日(にち)にあたれり。

徳もなく義もなく智謀くらき上に、血気の勇にまかせて時日をえらばず、

父信玄は軍を大事にかけ、山本勘助が丸日取、

前原筑前の守が相伝せし月切の日取、

小笠原源與斎(げんよさい)が八方懸(はっぽうがかり)

かりの口伝(くでん)、

いづれも秘術の大事なりとて、丸日取の圖を軍配(ぐんばい)團(うちは)裏に書きて

もたれりとかや。

こと更五月は仲夏(ちゅうか)にして、南の方に旺す。

廿一日は辰巳午の三時に、

破軍の剣桙(けんさき)北のかた或は艮(うしとら)のかたにむかふ。

然るに勝頼の陣南にむかうて備(そなへ)をたて、

しかも辰巳午に軍(いくさ)をはじめたる、みなこれ天の時に違へり。

其上長篠の城に取かけ、本陣を道虚山(だうこやま)に取たり。

道虚日(だうこにち)はよろづに忌(いむ)事なり。

名詮自性(みやうせんじしゃう)の理(ことわ)り、

いまだ戦はざるに敗北の兆(きざし)あり、天の時を失なはれたり。

信長方わざと広みを前にあて、切田堀切片折(かたくしげ)なる殺所(せっしょ)を

のこし、柵を三重(みえ)にふりけるは、勝頼を小曳(をびき)て川を渡せんがためなり待(まち)て戦ふべき所ぞかし。

無理に懸りて軍せしは、地の利にそむけり。

其上去年東美濃(ひがしみの)はつかうの時より、

旗本外様(とざま)近習(きんじゅう)衆と、諸牢人方(がた)信濃衆と、

三方の内證不和になり、

長坂釣閑(てうかん)と、内藤修理と中あしくなり、

勝頼は家老方(がた)を悪(にく)み思へり。

内外大小はだゝになる。

軍事の評定にしまりなし。

それに強み過たる大将を釣閑(てうかん)かうばりして家老の諌を讒(さかしら)し申せし、

国の大なるを恃(たの)み、人数のおほきにほこり、

武威をあらはさんとする。

これ家運のかたぶきたると見て、家老諸侍はみな打死せしもの成べし。

其時の落書に

信玄の跡をやうやう四郎殿敵の勝頼名をばながしの

此後またいかならん世に、うつり行うべきもしらずと語りければ、

又一人の云うやう、無用の長物がたり、

余所(よそ)の盛衰はさればいかにもあれかし。

めんめん身の上の事、行すゑこそあやしけれといふ。

まことに我らの事を忘れて、よしなき物がたりせんより、

心をのべて慰むにはしかじとて、其中に色白く、

おもて丸やかなるが、一遍をぞ吟じける。

  高低堅起孤輪月(しゅきすればこりんのつき)

  扇動(すれば)縦横興(おこす)涼風を

  弄罷(ろうじや)委棄(せられ)埋濕土(うづもるに)

  爛皮腐骨故情窮す

又一人、その身ほそやかにおもてにゑくぼあり、

吟じけること葉に、

  当時(そのかみ)得意(とくいす)龍吟調(のしらべ)

  一曲(の)飛声(ひせい)渡(わたる)碧雲(に)

  今日(こんにち)庭中(ていちゅう)破砕(はさい)竹(のたけ)

  方(まさに)慕(したう)穿(うがつを)林舞謡嬌(のこび)

又一人、その躰肥(ていこえ)ふとりて長(たけ)ひきく、

髪髭垂乱(かみひげたれみだ)れたるが、吟詠していはく、

  荐(しきりに)掃(はきて)塵を更に無し遑(いとま)

  愁懐(しゅうかい)疲羸(ひるい)して〓〓(すぜん)喪(さう)す

  如今(いまは)憔悴荒村の客

  衰朽冷屏して倚(よる)短墻(たんしょう)に

かやう打吟じて、此心をのぶる楽しみは、

千とせ過るとも忘れじというて、あそびたわぶるゝを、

平九郎入道つくづくと聞て、いかさまにも懐〓の心ばせあり。

詩の心もことばただしからず、故あるものどもなるべしとおもひて、

身をつくろいて一声念仏しけるに、

三人ながらともし火とともに、

雪のごとくきえうせたり。

夜もはや明けがたに成りしかば、あばらやを立出つつ、

あたりちかき人の家にゆきて、此あばらやにはあやしき事はなきかと問(とふ)に、

その家は人のすむにもあらず、あれはてたるに、

折々は人の声聞こえて、わらひどよめく事侍べり、

定(さだめ)て狐狸のしわざか思ひ侍べる。

あたりの家にけしかけるわざをいたすにもあらずとかたる。

平九郎入道聞きて、われは諸国行脚の僧なり。

ここにめぐり来て日暮しかば、かりそめに此あばらやに入て、

夜をあかさんとせしに、かうかうの事あり、

めんめん一首の詩をつくる、

そのことばすぐれたるには侍べらねど、

一遍の心ばせこそあやしく聞なしはべりとて、

あるじの男其外若き者どもをかたらひ、

あばらやの内をさがしけるに、

破れたる団扇と破(われ)たる笛とちいさき箒木と、

まことに古きが、土にうづもれ、

塵にまみれてありしを、

これらの精魅(せいみ)のあらくれ出たる物なるべし。

詩の心も是にて聞えはべり、

されどもこれを焼(やき)すつる事はあるべからずとて、

三色のものを他所(たしょ)の山ぎはにひとつに埋みけり。

それより後はあやしき事もなかりしとなり。

  天狗にとられ後に歸りて物がたり

慶長のすゑの年、

藤の社に彦八とて、

常に田畑をかうさくし、

ふし木幡(こはた)の人、

もし明神に御湯神楽(みゆかぐら)をまゐらすれば、

彦八出て太鼓をうち、

御託宣あるには、

よろしくあどをもいたしけり。その子は次郎と名づけて、

社家(しやけ)にかゝへおきて、

宮地(みやぢ)の掃除をもさせ木の葉をかゝせけり。

心だておくれたるやうなりけれども、

正直なるものにて、

十六七までは、

いとまある時は、

ふしみかいだうの子どもに友なひけり。

ある時行がたしらずなりければ、

親悲しがりて、

稲荷山の奥、

霧が谷霞の谷までも尋ねさがしけれども、

跡もなし。

かくて五年の後次郎帰りて、

大なる松の木の枝に〓がりて居たりしを、

彦八見つけて、

次郎にてはかなきかといふ〓のしたより下(お)りつゝ、

親とつれて家に帰り、

初めのほどはその有さま、

さながら山の猿のやうにて、

手足もよごれ、

頭の髪は〓(おどろ)のごとく乱れ、

物をもいはざりしを、

母とかく湯をあびせ髪あらひ、

食物(いひもの)もよろしきやうに、

あてがひくはせてやしなひければ、

十日ばかりの後より、

人心地(ごこち)つきて物いひ出たり。

あたりの人もよき事やとてあつまり来りて、

いかに次郎、

久しく余所(よそ)に住(すみ)て故郷(ふるさと)の恋しくもなかりしやと問(とふ)、

次郎是より語りけるは、

今年(ことし)かぞふれば我年(わがとし)廿二になる、

他所(たしよ)をめぐりし事、

およそ五年に及ぶかとおぼえたり。

其比は八月の初めつがた風やう/\涼しく、

田面(たのも)の穂なみ出がたになり、

〓(あぜ)をつたうて行わたるに、

いずくともしらずたふとげなる〓の、

紅染(こうぞめ)の衣の上に紫の袈裟ををかけ、

手には水精(すゐしやう)いらたかの数珠をもち、

いかに次郎よ、

我ゆくかたへ雇はれ来れ、

あしうはせじとあり。

畏(かしこ)まりめしつれられて、

いずくともなく空を飛(とぶ)やうにして、

京の東(ひがし)如意が獄といふ山の峯に休みて、

御僧もろ共岩に尻かけて居たりけるに、

あやしき小法師ばら、

手ごとに食物(くひもの)もち来り、

御僧にも奉り我にも食せけり。

何といふ物とはしらず、

味わひうまき事限りなし。

やう/\日暮れがたになり、

御僧仰られしは、

おどろくべき事有べし、

汝かまへておそるゝなよとあり。

いか成事のあるらんとおもふ所に、

同じさまの僧七八人まゐられたり。

空より鉄(くろがね)の釜おちさがり、

岩ほのまへに金輪(かなわ)にのりてすはりけり。

その次に鼻たかく眼(まなこ)大にして、

両の脇に翼ある法師三人、

いづれも足は鳥のごとく、

柿色の衣に太刀をはき、

たまだすきあげ脛高(はぎだか)にかゝげ、

甲斐ゝゝしき體(てい)にて、

白がねの茶碗に鉄(くろ)がねの杓を釜にさしいれ、

銅(あか)がねの湯を盛(もり)て、

七八人並居(なみゐ)たる僧衆にまゐらするを、

僧衆うたて憂(うれへ)たる色あらはれ、

茶わんを取て飲(のみ)けるに、

僧衆一同にふしまろひ、

頭(かうべ)の上より黒煙(くろけふり)たちてもえあがり、

空のあひだにはばく/\と鳴ひゞく音して、

すさまじさ限りなし。

暫くして僧衆は、

もえ株(くひ)のやうに黒くふすぼり、

とばかりありて夢の覚(さめ)たるごとく、

又おきて坐せしかば、

本のごとくの僧となり、

たがひに禮儀正しく散りわかれて帰りけり。

初めの僧次郎にむかひて、

此有様かまへて人に語るなと、

よく口がためし給ふ。

我漸やく飢(うゑ)もなく只眠(ねふり)来るを、

今宵は臥(ふし)てつかれを休め、

明日(あす)は微明(びめい)より起きあがるべしとて、

岩やの内に入(いれ)らる。

夜あけてより此僧につれられ空にあがりて飛ゆく程に、

霞をひらき雲をわけて、

こゝはいずくにて候と問(とへ)ば、

播磨の國姫路といふなり。

日はまだ卯の尅(こく)ぞ、

うゑたちば物くはせんとて大なる家の内につれてゆき給ふに、

振舞(ふるまひ)ありとて人おほしくひしめきけれども、

僧をも次郎をも見とがむるものなし。

次郎に心にかなふもの取くはせ、

それより出て雲をかけりつゝ、

青海ばらを足のしたに見て、

遥に高くあがりてゆくかなと思ひ、

直下(ちょくか)とみおろせば、

所々住あらしたる家ども、

海にさし入たるに作りかけ、

ほのかにみゆる一村里の苫(とま)やかた、

みるめを刈ほすまでも心ありがほなり。

蘆の屋近からず、

〓屋のけぶりたちのぼるけしき、

うす墨に書たるやうにもおもはるゝ。

西のかたは海はる%\ともえわたり、

並たてる松の木のまより、

帆かけたる舟ども沖に行かふさまも、

波にうつろふいざり火の影、

日はすぐに海の中に入はつるかとあやしまれながら、

たかき山におり立たり。

こゝはいずくぞと問申せば、

伯〓の國大山(だいせん)なりとかや、

谷をこえて大なる樓門あり、

あゆみ近づきて案内せらる。

すさまじげなる法師出て、

こなたへと申す。

僧は次郎とともに門の内に入けるに、

あるじの僧出らる。

年のほど五十斗(ばかり)とみえしが座になほりて、

さま%\の物がたりせしあひだに、

四五人まゐりあつまる。

そのさまいずれもみな臈(らう)たけ徳たかく見えたり。

其中にあるじの僧申されけるやう、

それ生死(しやうじ)の一大事は、

たかきもいやしきものがれがたき道なり。

おこなひすましてありたみゆるも、

一念の妄執をおこす時は、

やがて我らのかたに引入(ひきいる)るたよりとなる。

さればこそ昔今(むかしいま)徳行(とくぎやう)たかき輩(ともがら)、

おほくは魔道の〓〓となれり。

我らがそのかみのまよひも、

皆またかくのごとし。

今の世に学道すぐれ、

徳行(とくぎやう)高しといふもの、

さらにまことの大道にはかなひがたし。

知(しら)ざるを知れりと思ひ、

得ざるを得たりとおもふ。

我は人にはおとるまじと、

すぐれたるを悪(にく)み、

まさるをそねみ、

我慢増上慢(ぞうじやうまん)、

山よりもたかく海よりもふかし。

我らあながちに便りをもとめ伺がふに及ばず、

魔道の網にかゝる人のみこれおほし。

また更に他の障〓(しやうげ)にも依(よら)ず、

みずから大道をさまたぐるぞかし。

修禅寺の惠山(ゑさん)長老は、

唯識法相(ゆいしきほつさう)の宗義をあきらめ、

華厳湟〓の理に達して、

常の講談をつとめ、

数百人の弟子を領ぜられけれども、

その心ざし、

わが宗流をたてゝ、

他の宗義をおとしめ、

心に彼我をいだき、

上覚寺の行蓮(ぎやうれん)上人は、

説法に名をほどこし、

諸方の男女(なんによ)を勧化(くわんげ)し、

一切経をたて、佛像おほく作りてくやうをいとなみ、

世には佛のやうにたふとびしかども、

一生のあひだ、

只経論をあつめ佛像をつくり、

他の財物(ざいもつ)を求め、

すでにもとめ得ては、

むさぼる心のおこりて、

功徳は有(ある)に似て却(かへつ)て貪欲の煩悩となれり。

〓光寺の明寂(みやうじやく)法師は、

そのかみ武門の高家(かうげ)なりけるを、

たちまちに武職をすて、

佛道にいりけれども、

その俗家にありし時は、

理をまげ法を破り、

百姓の財産をうばひ、

人を痛めて取あつめたる金銀を、

寺に入(いれ)て堂舎をたてらる。

これらの輩(ともがら)みな我らの障〓(しやうげ)に依らず、

死して魔道に入侍べり、

是のみならず又諸方の出家といはるゝ者幾千万とも数しらず、

行(ぎやう)もなく智もなく、

旦那を〓(へつ)らひいつはりをかまへ、

欲のふかき事俗よりもまさり、

腹のあしき事在家(ざいけ)に過て世をわたる法師、

死しては地獄に落て、信施(しんぜ)のむくいをつぐなふ。

或は儒道を学ぶものは、

清旦浩然の気をやしなふといふ事は夢にもしらず、

詩をすくり文を書(かく)とては、

心にもなきいつはりを筆にあらはし、

又常(じやう)の道はおこなはずして、

人をたぶろかし、

禄をけがし、

手を出して盗みせぬばかりに月日を送る。

天理に背き神徳にたがうて、

死しても本徳に帰る道なく、

三悪道におつるものなり。

在家(ざいけ)は世わたり身を過るあひだに、

後世(ごせ)の道をねがふとはすれども、

愛欲にひかれて真実の思ひなく、

おほくは地ごくにおつとかや。

今の我らもかゝる心ざしより、

魔道に入て堪がたき苦しみをうけながら、

慚〓懺悔(ざんぎざんげ)の心をおこさず、

却て佛敵法敵となる浅ましさよといふかとすれば、

八人の僧はいふにおよばす、

数多(あまた)の法師原まで、

おそれわなゝき立さはぐほどに、

みなともに宮殿(くうでん)の柱につながれてはたらき得ず。

そらより猛火(みやうくあ)もえくだり、

宮殿(くうでん)楼閣一同にもえあがり、

おめきさけぶ聲とともにやきくづれて、

残る人はなし。

次郎ばかりはつながれずして、

遠く谷かげににげのがれたり。

とばかり有てさきに僧来りて、

次郎をつれて山を出つゝかへりみれば、

さしも作りならべし山中の宮殿楼門は跡もなし。

是より次郎は僧に連られ、

又空をかけりて西国のあひだ残らずめぐりて、

又京ちかく帰るとて、

播磨の灘にて便船を請(こは)れしを、

舟子どもはしたなくいらえてのせざりければ、

僧すでに歩(かち)よりゆく/\、

いでおのれらに思ひしらせんとて、

沖のかたにむかひて印(いん)を結ばれしかば、

俄に黒雲おほひ大風吹おこり、海のおもてくら闇のごとく、

波たかくあがり、

雪の山をつき砂(いさご)の山をかさね、

数多の舟ども〓(み)にてひるがごとく、

垢をかへ〓を打いれて、

磯近くよせんとするに叶ひがたく、

舟の内には伊勢のかたにむかうてをがみ、

観音経(きやう)をよみ念仏す。

やう/\日の入りがたに、

風やみ浪しづかに成て、

おほくの舟どもよみがへりたる心ちして、

室(むろ)の津にかゝり、

兵庫の浦まで吹よせられ、

辛じて命たすかり、

悦ぶ人もおほかりけり。

僧は又それより程もなく山崎(やまざき)まで来りて、

夜の明がた次郎に物くはせ、

都に入て西の岡より北山をめぐり東山に出ければ、

五条川原に能(のう)ありとて、

都の人貴賎上下足を空(そら)になして、

芝居に入あつまる事雲霞の如し。

〓敷きには色々の幕うちならべ、

誰とはしらず歴々の人ども見物するを、

僧は次郎をちれて見めぐりけれども、

とがむる人もなし。

能はすでに初まり、

名だかき上手共入替り入替りいたしけるに、

諸人心を空(そら)になし、

万事を忘れて見居たるを、

僧すなはち次郎に語りて、

此やつばらあまりに物の心も失ひたるに、

諸人の目をさまさんとて、

舞〓の上に坐して、

何やらんとなへられしに、

〓に三条西の洞院(とうゐん)より焼出(やけいで)て黒煙(くろけふり)舞あがり一面に成てもえわたる。

風あらく吹しきて〓とびちれば、

町つゞきをこえて、

〓かしこにもえあがる。

すはや火事よといふほどこそ有けれ。

幾千万ともなき見物の諸人等、

上を下にかへし、

〓敷よりよろこびおち、

芝居楽屋鼠戸(ねずみど)ひとつになり、

我さきにとこみあひ押あうて、

ふみたふし臥しまろび、

女童(をんなわらわ)のなきさけぶ聲、

物あひ更にわかれず、

とかくして火も静まり、

僧は次郎をつれて、

あゆむともなく飛ともなく都を出て、

さゞ波やしがの山こえ比良(ひら)小松今津海津(かいづ)をうち過て、

越前の敦賀に出たり。

いたらぬ隈もなく見残す所もなく、

飢をもしらず寒からず、

東国のかたあまねく廻りて、

富士の高嶺、

浅間が獄、

田子の入海、

清見が〓、

箱根の山より駿河の国、

鎌倉山の昔の跡、

聞つたへし名所は、

めぐり残せる方もなし。

春もたち夏もすぎ秋の空冬の時も、

心にくるしむ事もなし。

暫らくも身を留(とと)めず、

天(あめ)がしたを打めぐり、

山河海(うみ)のおもて空をかけてゆくさきには、

折々只おそろしき事奇特(きどく)の事、

心の外の旅の間(あひだ)に、

年の暮月日のたつをも覚えず、

五年の光陰を過て、

こたびこゝに帰り来るも、

ながきいとまにあらずと、

さま%\語りしが、

廿日斗は家にありて、

見なれぬ奇特(きどく)を諸人にあらはし見せて、

又行がたく成たり。

此ほどの形見とやおもひけん。

桧木(ひのき)笠桧木の棒、

ちぎれたる篠懸(すゝかけ)を残しおきたり。

父彦八も年よりよはひかたぶきて、

いく程なく身まかりけり。

残しおきける篠懸は、

地下人(にん)等〓(おこり)をふるひて病(やみ)ふせりけるを、

彼のすゞかけを枕もとにおきねれば、

やがておこりの落ければ、

方々(はう%\)借(かり)つたえて秘蔵せし、

後に行がたなく失なひけり。

桧木(ひのき)笠(がさ)ひの木の棒は、

古き家のならひ、

雨もりて朽はてたりとかや。

  板垣信形逢天狗

板垣信形は、

甲斐の信玄いまだ武田大膳大夫晴信と號せしときより、

武勇の名たかく、

諸方の軍(いくさ)に手柄をあらはせし者なり。

晴信秘蔵の勇士なりければ、

家の重寄(おもよせ)も他人にすぐれたり。

されども忠節ありて思慮なく、

勇にして頑(かたくな)なる故に、

楚忽なる事おほしとかや。

或時信形おもてに出たるに、

年のころ五十あまりとみえし山伏一人来りて斎料(ときれう)をこふ。

そのさま世の常の人ともおぼえず、

眼(まなこ)ざしすさまじく色/\ろうして長(たけ)たかく、

筋ふとく骨あれて、

まことに行法(ぎやうはふ)に苦労したるものとみえたり。

信形心にあやしみ内に呼(よび)いれて、

客僧はいづくの人ぞと尋ねしに、

是は出羽国羽黒山(はぐろさん)の行人なり。

去年は大峯葛城(おほみねかづらき)におこなひ、

それより熊野にいたり年ごもりして、

此ごろ〓もとに下(くだ)れり。

やがて羽黒山に帰り、

一夏(げ)をおこなひ申さんとて、かた/\斎料(ときれう)をこふ事にて候といふ。

信形重ねて問けるやう、

御房(ごはう)只一人にて候や、

又同行(どうぎやう)あはせて十人候。

それも打ちりて、

家々斎料のためにめぐり候戸云。

信形いふやう、

見ぐるしく候へども、

今夜は是に御宿(やど)申すべし。

同行の山伏達をも、

これへよびよせ給へといふ。

山ぶし聞て、近ごろ有がたう候。

さらば同行をもよびさふらはんとて、

門に出つゝ、

腰につけたる螺(ほら)の貝を手にとり、

よせ貝とおぼしくて、

暫らく吹(ふき)ければ、

山ぶし九人俄にあつまり来る。

其中にも前の山伏は先達(せんだち)とみえて、

九人の山ぶしはいづれも年わかく、

しかもつゝしみうやまふ體(てい)なり。

日も暮がたに及びしかば、

ともし火をとり、

非時の料(れう)したゝめ、

さま/\もてなしけり。

信形年比は物ごとつゝしみふかく侍べり、

いかゞ思ひけん、

山ぶし達を馳走のためとて、

子息(しそく)彌次郎を初めて、

被官(ひくわん)の中間(ちゅうげん)五三人その座に呼出し、

すでに酒宴に及び、

客僧も主(あるじ)も數盃をかたぶけたり。

先達の山ぶしいふやう、

思ひかけざる御芳志にあづかり、

心をのぶるのみならず、

旅のつかれを休候(やすめ)こそ有がたけれ。

我ら一生もろ/\の行法(ぎやうはふ)をつとめ、

諸方の名山〓地、

をよそおこなふ所にみな奇瑞をかうぶらずということなし。

されば我らの成就する所、

常にはふかく慎てあらはさぬ事なれども、

此上は何をかさのみに秘すべき。

それ何にても奇特をいたしてあるじにみせまゐらせよといふ。

下座(げざ)の山ぶし畏候(かしこまり)とて、

座中の膳にありし箸ども取あつめ、

何やらん唱(となへ)て印を結び、

座の傍(かたはら)なる暗き所に投(なげ)たり。

暫しありて長(たけ)一尺ほどの鎧武者百人斗くり出たり。

信形も彌次郎も目をすまして見居たりければ、

座敷の真中(まんなか)に魚鱗に備へて立たり。

先達の山伏云やう、

迚もの事に軍をさせて御目にかけよと申す。

次の座の山ぶし座をたちて、

鉢に入たる〓〓〓をとりて、

うしろの方に〓ければ、

又鎧武者二百ばかり、

鶴翼(かくよく)に備へておし出つゝ、

両陣たがひにいどみ戦かふに、

ちいさき声にて曳々応々と、

おめきさけびて突合(つきあひ)切あふ有さま、

人間の軍(いくさ)するに少もたがはず、

首をとり刺違へ暫らく戦うて、

両陣颯(さつ)と引のくかとみえしかば、

箸のさきに〓〓〓をつきさし/\打たふれたるものなり。

信形あまりのおもしろさに、

某は當家譜代(ふだい)の者にて、

近年諸方の強敵(がうてき)を對治(たいぢ)するに、

いつも先手(さきて)をうけ給はり、

むかふ所打かたずといふことなし。

敵がたたとひ金石をもつてふせぐとも、

破らずしてはかなふまじと、

身命(しんみやう)をかへりみず、

つひに殿(おくれ)をとりし事なし。

世には武勇の者は稀にして、

臆病者(もの)のみおほしと思ひとりて候。

軍法も日どりも方角もいらず、

只武勇なれば小勢(こぜい)にても、

大勢の臆病者は突崩すに、

手間(てま)もいらずとこそ覚え侍つれ。

子にて候彌二郎は、少心(すこし)の後れたれば、

某が鉾(ほこ)先には似申すまじ。

あはれめづらしき術法の軍にたよりとなるべき事あらば、

つたへて給(たべ)かしとぞ申されける。

先達の客僧聞て、

何にても軍のたよりに成べき事、

有まじきにては侍べらず。

去ながら座中の輩をのけ給へ、

あるじ一人にをしへ申さんといふ。

さらばとて彌二郎も中間をもみな旁(かたはら)へ出して、劔術兵法(ひやうほう)の

傳受をぞいたしける。

下座の山ぶしうけ太刀して、

信形に指南する木刀竹刀(ぼくとうちくとう)取出し、

打合(うちあひ)突あふ音しきりにして、

夜すでにほの%\と明わたる。

中間若〓  ども、

障子の隙(ひま)よりも忍びてのぞきみれば、

山伏とおもふ者は人にはあらで、

或は鼻のさき高くそばだち、

或は口のほど鳥の觜のごとく、

又は身に翅(つばさ)あり、

異類異形の者どもなり。

これはそもいか成事ぞとて、

中間若〓ども太刀よ長刀よとひきしめ、

障子をあけてこみ入ければ、

十人の山ぶしどもはいづちへか行けん。

みなきえうせて、

信形は前後もしらず勞れ臥(ふし)たり。

精進(しやうじん)奇麗の膳部肴(ぜんぶさかな)以下は、

少も喰はず捨ちらし、

酒はこぼし流し、

畳の上には鳥の足跡(あしあと)のごとくなるが、

よごれて踏たる有さま、

疑がふ所もなく天狗どものあつまりけりと、

家中の上下はおそれつゝしみけり。

信形は其日の暮がたに、

やう/\睡(ねぶり)さめて起あがりけれども、

只もう/\として有けり。

元来したゝか者なりければ、

別の事はなく、

何條(なんでう)かやうのためしは、

武家にはある物なり。

おどろこおそるゝに足ずとはいひながら、

他所(たしょ)へ披露はせさせず、

陰密(をんみつ)してありしかども、

後に聞えて評議あり。

信形此頃武篇の名世にたかく、

むかふ所軍(いくさ)にかたずと言(いふ)事なければ、

武勇に慢をおこし、

敵方(てきかた)には手足もなきものゝやうに思ひあなどり、

家人原(けにんばら)も同じくほこり、

慢心を起せし故に、

かゝる妖怪をもうけたり。

是より信形心だて上気になり分別あしく、

軍法の備(そなへ)もちがひ、

危き怪我をいたし、

終に信州上田原の軍に打死しけるも、

心のたがひし故なりとかや。

  亡魂を八幡に鎮祭る(しづめまつる)

寛永のはじめつがた、

吉川某(きつかはなにがし)の家人(けにん)松岡四郎左衛門と聞えし者は、

武篇(ぶへん)にほまれあり。

心ざししぶとく、

正直の武侍(ものゝふ)なり。

しかるを傍輩(はうはい)の讒(ざん)によりて、

打首にして殺されたり。

すでに死期におよびて言(いふ)やう、

口惜くも、

あらぬ讒言に依(より)て命を失なふ事はちからなし。

せめて腹をだにきらせず、

打首にせらるゝこそ無念なれ。

来世(らいせ)たましひきえて果なば是非なし、

きえずしてある物ならば、

此うらみは報ずべきものをとて、

歯がみをして首をぞ討(うた)れける。

七日の後四郎左衛門が亡霊あらはれて、

生たる時の姿のごとく、

讒(ざん)せし者は親子ながら、

打つゞきて死絶(しにたえ)たり。

それのみにかぎらず、

道に行あふともがら、

男女(なんにょ)老少立どころに死するもの、

一千餘人に及べり。

僧をやとうて經をよみ、

種々事とぶらへどもしるしなし。

埋(うづ)みたる塚をかざり、

陰陽師(おんやうじ)に仰せて、

まつらるれどもしづまらざりければ、

社(やしろ)をつくりて八幡と號し、

祭(まつり)を初めて祝ひ鎮めしより、

亡魂のうらみとけて、

そののちはながく静まりぬ。

  杉田彦左衛門天狗に殺さる

武蔵国〓沢郡(はんざはのこほり)に、

杉田彦左衛門といふ者あり。

心操(こころはせ)不敵にして物におそれず。

年二十(はたち)のころより、

日光の今市、

月毎三たびの市(いち)に必らず行むかひ、

帰り足には山賊して道行人(みちゆくひと)を追たふし、

或ははぎとり或は打ころし、

家の内財寶豊かなり。

十七八人ゆるゆると世をわたり、

不足なる事なし。

ある年の九月に、

今市より馬にのりて帰るに、

板橋のあひだにして、

日光山の孫太郎といふ天狗あり。

その身を化(け)して長(たけ)九尺ばかりの山伏となり。

大道に立ふさがる、

乗(のり)たる馬は身ぶるひしてすくみてすゝまず。

彦左衛門刀の反(そり)をまはし、

柄(つか)に手をかけ、

汝は日光の孫太郎か、

その道あけよ、

馬を通さんといへば、

山ぶしかたはらに退(のき)ざまに、

さもあれ来年四月十五日には、

必らず汝をとるべきものとて、

たちまちにすがたを見うしなひけり。

彦左衛門元来したゝかものなりければ、

物ともせず、

駒に鞭うつて宿に帰る。

何となくすさまじきやうにおぼえて、

それよりは日光へもゆかず、

年も暮て春になり、

二月の末つがたより心地よろしからず、

かなたこなたするあひだに、

四月になりていい/\わづらひおもく、

つひに十五日にいたり、

くるしみ甚だしく、

大熱狂乱して死(しに)たり。

国西寺の国道和尚を引導の師として、

稲荷の家より葬禮をいだしけるに、

風あらく雨の降(ふる)事はうつすがごとく、

墓所(むしょ)ちかく成しより、

いなびかり荐(しき)りにして、

はたゝ雷(かみなり)すでに棺のうへにおちかゝるやうにおほひて、

空に聲ありて、

その尸骸(しがい)をこなたへ御わたしあれといふ。

和尚は、

一たび契約して師旦(しだん)となれり。

たとへいか成事ありとも、

此屍はわたすまじとて、

菊一文字の脇指をぬきけるを、

いかづちおちかゝり脇指をもぎとりねぢゆがめて去ければ、

かばねはとられもせず空晴(はれ)たり。

心しづかに引導し、

跡よく彌(いよ/\)とぶらひ申されけり。

その脇指はなほ今もこの寺の什物(じうもつ)なり。

後に和尚の語られしは、

杉田彦左衛門はその心ねふてきにして、

力つよきしたゝかものなり。

おのれがつよき心よりして、

人をば物とも思はず、

佛神天たうの冥慮(みやうり)をも〓(はぢ)おそれず、

ほしいまゝに悪行(あくぎやう)をいたし、

人をころし財物(ざいもつ)をうばひ、

只よこしまをもつて身のかざりとす。

此故にかゝるあやしき事も感じけり。

妖は妖よりおこるといへり。

邪気勝(かつ)ときは正気(しやうき)をうばふとかや。

我が心(しん)すなはち邪気のもとゝなる故に、

やがて正気をうばはれて妖怪にあふなり。

まなこに一翳(えい)あれば空花(くうげ)散乱すといへり。

虚空(こくう)もとより花ありて散(ちる)にはあらず、

まなこにやまひありて、

こくうのあひだに花のちるをみるがごとし。

正気正念の時には、

外の妖邪は犯す事なし。

佛法の中にをしゆるところ、

世間の五塵六欲の境界(きやうかい)のこの心法(しんほふ)をうばはれて、

ゆきがたなくとり失なひ、

常にまようてくるしみをうく、

そのこゝろをとりもどして、

とゞめ得たる所にこそ、

靈理ふしぎの正見正智(しゆうけんしやうち)は出生(しゆしやう)すべけれ。

此正念を萬境にうばはれて、

蝉のぬけがらのごとくならば、

もろ/\の妖邪は、

しばしば犯すにたよりちかし。

たとへば守りおろそかなる家には、

盗人(ぬすひと)の入易きが如し。

又それ天地広大の中には、

奇怪ふしぎの事あるまじきにもあらず。

人に魂魄(こんはく)あり、

その精気正心(せいきしやうしん)なれば、

正理にして非道なし。

正念にして非義なく、

徳おのづから備るをもつて妖邪をかさず。

みづからおこなうて、

正心正念を返しもとむる事のかなはざる愚人(ぐにん)は、

神に祈り佛を頼みて、

うやまひたふとびて信を生ずれば、

神力佛力(しんりきふつりき)に依(より)て、

おのづから正念に成(なる)なり。

そのかみは關東がた、

人死すれば火車の来りて〓をうばひとり、

ひき割(さき)て大木の枝に懸置(かけおき)たる事もおほかりしを、

今は佛法のをしへひろく、

諸人みな後世(ごせ)をねがひ佛神をたふとび、

ふかく信心をおこし、

正直正念に成たる世なれば火車(くわしや)の妖怪も稀に成侍べり、

只おそるべきは我らの悪行(あくぎよう)まうねんなり。

地ごく鬼畜も餘所(よそ)よりは来らず、

みづから招く罪科(つみとが)なり。

此たび仕損じては、

二たび返らぬ一大事ぞ。

ふかく信じてねがひもとむべきは、

佛果菩提の道なりとぞ、

ねんごろにすゝめられける。

  細工の唐船

永享四年九月、

將軍義教卿富士山御詠覧のため、

東國駿河の國に進發を催さる。

此事前年より思召立(たゝ)れ、

駿河の國守(こくしゆ)今川駿河守(するがのかみ)〓政に、

かねて仰付らるといへども、

執權斯波細川畠山等各〓言をすゝめて、

今天下しばらく武威の化(くわ)に属(しよく)すといへども、

大亂の後にして、

國おとろへ民疲れて、

しかも南方(なんはう)の強敵いまだこと%\く亡びず、

かゝる時節は好事(かうじ)もなきにはしかず。

たゞこひねがはくはおぼしめしとまり給へと、

たびたびいさめ申すにより延引に及べり。

しかれども多年の御深望(しんまう)たるにより、

終に思召止(とゞま)らず。

駿河守は此事前年より承知しておもふやう、

將軍はじめて此地にきたり給ふ、

饗〓よのつねにしてかなふべからずと思案して、

家臣共をよびあつめいひけるは、

來年九月の比、

京都の將軍富士川御詠覧のため、

此地に來臨あるべきよし、

先だつて御教書(みぎやうしよ)あり。

しかるに此請待(しやうだい)いたすべき御主殿の前に、

大きなる泉水あり。

此水の上にて、

何かめづらしき御慰の事はあるまじきやとせんぎ有ければ、

末座(ばつざ)に一人ありて、

それがし細工に妙を得たり。

あはれ一年の御いとま給らば、

國本(くにもと)へまかり歸り、

何ぞ御なぐさみにもなるべき事工夫仕らんと申ければ、

駿河守それこそやすきあひだの事、

國にかへりいかにもして細工仕り見候へとて、

いとまをたびけり。

細工人よろこび國にかへり、

一間所(まどころ)へ引こもり、

たゞひとりあけくれ工夫をつひやしてこしらへける。

すでに同年(おなじとし)九月、

將軍駿河守が館(たち)に御入りあり。

やがて御主殿に請待(しやうだい)し恭敬の心おこたらず、

珍膳佳肴〓をつくして饗〓す。

將軍も感悦甚しく、

夜は舞樂の宴を催し、

〓は高亭(かうてい)に登りて、

富士山を詠覧し給ひ、

みずはいかに思ひしるべきことの葉もおよばぬ富士と兼て聞しも

かく詠じ給へば駿河守返歌、

君がみむ今日のためにやむかしよりつもりは初(そめ)し富士のしらゆき

かくて將軍の御機嫌を見合(みあはせ)、

かの細工人に仰せて、

細工の物を取よするに、

何とはしらずひとつの大きなる箱を献上す。

將軍これはいかにとてひらかせ見給ふに、

長さ三間横五尺ばかりの結構にこしらへたる唐船(たふせん)にてぞありける。

むかし隋の煬帝(やうだい)の數千の大舶(はく)を作り、

あまたの宮女もろ共に舞樂を棹歌して、

かの西園(せいゑん)の名木奇花をたづねしありさまも、

かくやとおぼえておびただし。

龍頭鷄首あざやかに、

王〓金殿かゞやけり。

すなはち前なる泉水に〓(うかべ)しかば、

數多の人形動きいで、

桂の櫂(かぢ)蘭の〓(さを)滄海に棹(さを)さして船うたうたふ。

そのけしきげにも巧に操(あやとれ)り。

しばらくありて色黒き人形共、

横になしたる帆柱をそろり/\と引あげて、

おしたつれば、

おほくのつなをたぐりつゝ、

日よみのていとうちみえて、

まがくしする人形もあり。

又年のほど七八十ばかり、

これより明州(みやうじう)の津までは八百里、

海底にいりたる大石もやあるらん。

又大風(たいふう)の〓をあんじ、

破軍武曲文曲のひかり、

北斗のほつに参商(しんしやう)の二つの星を考へ、

時〓運氣に心をくるしめ、

凝然(ぎようねん)といて立(たち)たる人形もあり。

さて管絃のはじまると見えて、

うるはしく裝束したる伶人の人形、

それ%\の樂器をもち、

六律六呂(りくりつりくりよ)の調子をそろへ、

大平樂を奏すれば、

またうるはしき美人の人形五六十人、

けつこうなる裝束(よそほひ)し、

音樂の調子にあはせ舞踏して、

しづかに簾中に引入れば、

又さもしほらしきから子の人形百ばかり、

てん手(で)に拍手うちそろへ、

還城樂(げんじやうらく)のさしあし、

ばとうの上のばちがへり、

げにあり/\と舞うたりけり。

音樂躍歌(をどりうた)の聲、

玉のやうらく風(かぜ)にひゞきこがねの瓦は日にひかり、

こゝろも言葉もおよばれず。

凡五六百の人形、

みなそれ%\のはたらきありて、

一時(とき)ばかりの〓をつくすと見えたりしが、

そののちちひさき人形一人帆柱のもとにて、

何やらん火うちのやうなる物を取出し、

二つ三つ打(うつ)とおもへば、

鐵炮のどうぐすりを入(いれ)はねさせける程に、

その音天にひゞきておびたゞし。

數多の人形ひとつものこらず打はらひ、

唯泉水のしらなみのみぞ残りける。

滿座(まんざ)大きにおどろき、

たゞ忙然とあきれたるばかりなり。

將軍興をさましたまひかの細工人を召しけるに、

彼鐵炮のさはぎに亡(にげ)さりて、

尋(たうね)れどもしれざりける。

これはいかさま天下ふたゝび兵〓(ひやうらん)起りて、

人民うせほろぶべき前表ならんと、

みな人さたしあひければ、

將軍も駿河守も共に眉をひそめて、

ふかく隱密(おんみつ)すべき旨仰出されければ、

その一〓年の中は、

さだかに知る人もなかりけるとぞ。

  蜘蛛塚

むかし諸國行脚の山伏覺圓といふ者あり。

紀州熊野に参篭し、

それより都にのぼり、

先清水寺(せいすゐじ)に詣(まうで)んとす、

五條鳥丸わたりにて日漸暮(やうやく)たり。

こゝに大善院とて大きなる寺院あり。

覺圓幸なりと寺〓に請うて一夜をあかさんとす。

寺〓すなはち相許して、

堂のかたはらなるいかにもきたなき小屋を借(か)しけり。

覺圓大きにいかりて、

一夜ばかりの宿、

〓徒の身として此修業者(しゆぎやうじや)に、

かゝる不徳心(ふとくしん)は何事ぞやといふ。

寺〓打わらひてこれまつたく修業者をあなどるにはあらず。

實(まこと)は此本堂には、

年久しく妖(ばけもの)ありて住めり。

凡そ三十年の内三十人、

その死骸さへ見えず。

このゆゑに本堂をば借(か)さずといふ。

覺圓聞て、

何條左様の事あらん。

夫妖(それよう)は人によりて起るといへり、

豈此知行兼備の行者を犯す事あらんやと。

寺〓は再三諫むといへども、

あへて用ひざれば、

やむことを得ずして本堂の戸をひらき、

あらましに掃除して誘なへば、

覺圓しづかに佛を禮(らい)し念佛して、

心を澄し坐し居たり。

しかれども彼寺〓の詞のすゑおぼつかなく思ひ、

腰の刀を半ばぬき出し、

柄を手に持ながらねぶりゐるところに、

夜すでに二更(かう)に及ぶ比(ころ)ぞつと寒くなり、

堂内しきりに震動して、

風雨山をくづすがごとし。

その間に天井より、

大きなる毛おひたる手をさし出し、

覺圓が額をなづ。

すなはち持たる刀をふりあげてうときる。

物にきりあてたる聲ありて、

佛壇の左のかたにおつ、

夜まさに四更にいたる比、

又さきの手をさしのぶ。

此度(たび)もすかさず刀をふりあげてはたときる。

やうやく夜あけて、

寺〓心もとなく思ひたづね來る。

覺圓前夜の様子をかたるに、

寺〓奇異の思ひをなし、

急ぎ佛壇のかたはらをみるに、

大きなる蜘蛛死してあり。

ながさ二尺八寸ばかり、

珠眼圓大(しゆがんゑんだい)にして爪に銀色あり、

寺〓ます/\驚き、

堂の傍(わき)にこれをほりうづめ塚をつきぬ。

かつまた此山伏の行徳いちじるき事を感じて、

しばらく此所にとゞめ、

一通の祭文(さいもん)を書(かゝ)しめ、

かの塚をまつり、

ふたゝび妖怪なからん事を祝(しゆく)す。

今にいたるまでその塚ありて、

蜘蛛塚といふとかや。

  飯森(いいもり)が陰徳(いんとく)の報(ほう)

豊臣秀頼公(とよとみひでよりこう)の侍大将(さぶらひたいしょう)鈴木田隼人佐(すずきだはやとのすけ)は、

中西国(ちゅうさいこく)の敵(てき)を押(おさ)ゆる番船(ばんせん)の下知(げち)を仰付(おおせつけ)られ、

穢多が城(ゑつたがじゃう)に居住(きょじゅう)せらる。

其(その)家臣(かしん)飯森兵助(いいもりへいすけ)といふ人(ひと)、

盗賊奉行(とうぞくぶぎょう)として二心(にしん)なく、

鈴木田(すずきだ)に忠功(ちゅうこう)をはげます。

天性(てんせい)心(こころ)すなほにして慈悲(じひ)ふかく、

其(その)意(こゝろ)貧(まづしう)して弱(よわ)きをあはれみ、

富(とみ)て〓(〓〓)れるを制(せい)す。

故(ゆえ)に人(ひと)自然(しぜん)と其(その)裁断(さいだん)に服(ふく)して、

欺(あざむ)くにしのびず。

或時(あるとき)ひとり政所(まんどころ)に臨(のぞん)で訴訟(そしょう)の事(こと)を判断(はんだん)す。

一人(ひとり)の囚人(めしうど)あり、

その名(な)を土井孫四郎(どいまごしろう)といふ。

罪状(ざいじょう)まぎれなきによりて、

面縛(めんばく)して誅伐(〓〓ばつ)せんとす。

孫四郎(まごしろう)ひそかに兵助(へいすけ)にむかひて、

我(われ)はもと不義(ふぎ)をなせるものにあらず、

名(な)ある武士(ぶし)なり、

智謀勇力(ちぼうゆうりき)よのつねならず、

あはれ君(きみ)よく我科(われか)を察(さっ)して、

命(いのち)をたすけ再(ふたた)び故郷(こきょう)に帰(かえ)し給(たま)へかし。

しからばかならず君(きみ)がために力(ちから)を盡(つく)して、

その厚恩(こうおん)を報(ほう)ぜんといふ。

兵助(へいすけ)つら/\かれが面顔魂(つらだましひ)をみるに。

凡人(ぼんじん)にあらず、

詞色(ししょく)雄長(ゆうちょう)にして臆(おく)せず、

まことに豪傑(ごうけつ)の士(し)なり。

兵助(へいすけ)心(こころ)にこれをたすけんとおもひ、

わざと佯(〓〓)りて聞(きか)ぬ體(てい)して許(ゆる)さず。

その夜更(よふけ)すぎ人(ひと)しづまりて、

ひそかに獄屋(ひとや)の役人(やくにん)をよびて、

かの囚人(めしうど)をゆるし帰(かえ)さしめ、

すなはちその役人(やくにん)も亡失(にげうせ)させて屋敷(やしき)を出(だ)しぬ。

翌日(あくるひ)獄中(ひとやのうち)囚人(めしうど)一人(ひとり)にげいでて、

又(また)役人(やくにん)もにげうせぬと披露(ひろう)す。

鈴木田(すずきだ)大(だい)におどろき、

これしかしながら兵助(へいすけ)が越度(えつど)なりとてしばらく出仕(しゅっし)をやめて閉居(へいきょ)せしむ。

その此(この)徳川家衆攝州大坂(とくがわけしゅ〓〓おおさか)に在陣(ざいじん)し給(たま)ひ、

蜂須賀阿波守(はちすがあわもり)に仰付(おおせつけ)られ、

穢多が城(ゑつたがじゃう)を攻(せめ)させらる。

城中(じょうちゅう)勝利(しょうり)を失(うしな)ひて敗北(はいぼく)す。

兵助(へいすけ)も馬(うま)にのり士卒(しそつ)を下知(げち)して、

命(いのち)を惜(おし)まずふせぎ戦(たたか)ふといへども、

天軍無勢(てんぐんむせい)にしてかなはず、

つひに城(しろ)を攻落(せめおと)され、

鈴木田(すずきだ)やう/\一方(いっぽう)を切抜(きりぬけ)、

萬死(まんし)をいでゝ一生(いっしょう)を全(まっとう)し、

秀頼公(ひでよりこう)の館(たち)に帰参(きさん)しぬ。

それより兵助(へいすけ)旅客(りょかく)牢浪(ろうろう)の身(み)となり、

あなたこなた漂泊(ひょうはく)せしが、

後(のち)には糧盡(かてつき)嚢空(ふくろむなしう)して、

困窮(こんきゅう)實(まこと)にはなはだし。

辛吟(しんぎん)とさまよひて播州(ばんしゅう)の地(ち)に至(いた)る。

或大(あるおほき)なる在郷(ざいきょう)にゆきかゝり、

その郷(さと)の代官職(だいかんしょく)の人(ひと)の姓名(せいめい)をきけば、

土井孫四郎(どいまごしろう)といふ。

我(われ)むかし放(はな)しやりたる囚人(めしうと)の姓名(せいめい)と同(おな)じ、

兵助(へいすけ)ふしぎにおもひて、

その屋敷(やしき)をたづねて案内(あんない)乞(こふ)。

孫四郎(まごしろう)大(おお)きにおどろき、

急(きゅう)にはしり出(で)て迎(むか)ふ。

よくみればうたがふべくもなきむかし放(はな)しやりたる囚人(めしうと)なり。

むかしの事共(ことども)語(かた)り出(いで)つゝ、

まことに命(いのち)の親(おや)なり。

ひごろなつかしくおもひしに、

よくこそ尋来給(たづねきたりたま)へとて拝謝(はいじゃ)奔走(ほんそう)し、

すなはち別(べつ)に座敷(ざしき)をきよめてすゑ置(おき)、

晝夜(ちゅうや)酒宴(しゅえん)を催(もよお)し、

相(あい)ともに寝臥(しんぐわ)して歓(よろこび)をきはむ。

凡(およ)そ十日(とおか)あまりに及(およ)ぶといへども、

つひに我居宅(我がゐたく)にかへらず。

ある夜(よ)孫四郎(まごしろう)その居宅(いたく)にかへれり。

兵助(へいすけ)折(おり)ふし厠(かわや)に行(い)けり。

此厠(このかわや)と孫四郎(まごしろう)居宅(いたく)と、

たゞ壁(かべ)ひとへを隔(へだ)てぬ。

しづかに事(こと)の様(やう)をきけば、

孫四郎(まごしろう)妻(つま)の聲(こえ)として、

君(きみ)此間(このあいだ)ことのほかにもてなし給(たま)ふ客(きゃく)は誰人(だれひと)ぞや。

此(この)十日(とおか)あまり晝夜(ちゅうや)つきそひてかへり給(たま)はず、

いぶかしといふ。

孫四郎(まごしろう)こたへて、

むかしあの客(きゃく)の大恩(たいおん)をうけて、

危(あやう)き命(いのち)をたすかり、

今(いま)かかる栄花(えいぐわ)をきはむるも、

これひとへにあの客(きゃく)の隠徳(いんとく)によれり何(なに)をもつて此(この)大恩(たいおん)を報(ほう)ぜん様(さま)をしらずといふ。

妻(つま)のいふ、

君(きみ)はおろかなる事(こと)をのたまふものかな。

それ人(ひと)の一生(いっしょう)盛衰浮沈(せいすいふちん)、

古今(こきん)めづらしからず。

時(とき)を得(え)ては人(ひと)を制(せい)し、

蓮窮(〓〓きわま)りては身(み)を屈(くっ)す、

なんぞ今更(いまさら)過去(すぎさり)しむかしの事(こと)をかへりみん。

諺(ことわざ)にも大恩(たいおん)は報(ほう)ぜずといへり。

かつ君(きみ)むかし難(なん)にあひ、

囚(とらは)れにかゝり給(たま)へる事(こと)誰(だれ)知(しる)ものなし。

しかるに今(いま)かゝるふるまひし給(たま)ひ、

もし他人(たにん)にもれきこえなば、

かさねての恥辱(ちじょく)なるべし。

はやく時機(じき)にしたがひて、

いかにも思慮(しりょ)し給(たま)へといふ。

孫四郎(まごしろう)返答(へんとう)もせざりしが、

やゝ久(ひさ)しくありてげにもなんぢがいふところ尤(もっとも)なり。

我(われ)智謀(ちぼう)をもつてよきにはからはん。

かならず色(いろ)をさとらるゝ事(こと)なかれといひて止(やみ)ぬ。

兵助(へいすけ)聞(きき)すまして、

大(おお)きにおそれおのゝき、

衣服(いふく)荷物(にもつ)悉(ことごと)くすて置(おき)直(すぐ)にその家(いえ)をはしり出(で)て、

馬(うま)をかり鞭(むち)をはやめて逃去(にげさり)、

その夜(よる)の初更(しょこう)の此(この)までに、

十里(じゅうり)あまりを過(すぎ)て攝州堺(〓〓かい)に到(いた)る。

ある旅店(たびみせ)に宿(やど)をかりぬ。

その體(てい)はなはだあはたゞし。

兵助(へいすけ)が僕(ぼく)これ何故(なにゆえ)ともしらずあやしみ問(と)ふ。

兵助(へいすけ)しばらく座(ざ)を定(さだ)め胸(むね)をさすりて、

具(つぶさ)に孫四郎(まごしろう)がたちまち大恩(たいおん)を忘(わすれ)て、

かへりて野心(やしん)をさしはさむ次第(しだい)を語(かた)り、

ためいきをついて憤激(ふんげき)す。

僕(ぼく)これを聞(きき)て涙(なみだ)をながし、

その陰徳(いんとく)を感(かん)ずるあひだ、

忽(たちま)ち旅店(たびみせ)の床(ゆか)の下(した)より、

痩枯(やせがれ)たる男(おとこ)一人(ひとり)刀(かたな)を抜持(ぬきもち)て出(いで)あらはる。

兵助〓(〓〓)を消(け)して驚(おどろ)く、

この男(おとこ)のいはく、

我(われ)は軍中(ぐんちゅう)忍(しの)びの達者(たっしゃ)にて、

しかも仁義(じんぎ)の侍(さぶらひ)なり。

さきの孫四郎(まごしろう)をたのみて君(きみ)が頭(かうべ)をとらしむ。

しかれどもふしぎに今(いま)の物(もの)がたりを聞(きい)て、

かの孫四郎(まごしろう)が放〓無慚(ほう〓〓む〓〓)なる事(こと)を知(し)り、

君(きみ)はまことに智仁兼備(ちじんけんび)の君子(くんし)なり。

あやういかなあやまつて殺(ころ)さんとす。

我(われ)義(ぎ)において君(きみ)を捨(すて)じ、

君(きみ)しばらく寐入(ねいる)事(こと)なかれ。

すこしのあひだに君(きみ)がために、

かの孫四郎(まごしろう)が頭(かうべ)をとりてかへり、

君(きみ)が鬱憤(うっぷん)を散(ちら)ぜしめんといふ。

兵助(へいすけ)恐懼(きょう〓〓)して、

よきにはからひ給(たまは)れといふ。

此男(このおとこ)刀(かたな)を手(て)に提(ひつさ)げ門(もん)を出(で)るとみえし、

屋(や)をつたひ高塀(こうべい)を超(こ)えて、

そのはやき事(こと)飛(とぶ)がごとし。

既(すで)に夜半(やはん)にいたり立(たち)かへりて、

敵(てき)の首(くび)を打(うち)おほせぬとよばはる。

火(ひ)をとぼしてよくみれば、

すなはち孫四郎(まごしろう)が首(くび)なり。

その男(おとこ)すぐに暇乞(ひまこひ)て歸(かへ)り去(さ)る。

その跡(あと)たちまちみえず。

それより兵助(へいすけ)は諸國抖薮(しょこくとさう)して、

後(のち)には都(みやこ)にのぼりて兵術(へいじゅつ)の師範(しはん)となりて、

その身(み)を終(おわ)りしといふ。

  五條(ごじょう)の天神(てんじん)

京都(きょうと)五條(ごじょう)西洞院(にしのとうゐん)の西(にし)に、

五條(ごじょう)の天神(てんじん)ましませり。

これ大己貴(おおこき)の命(いのち)をまつれるなり。

むかし命(いのち)、

少彦名命(しょうひこみょうめい)と天下(てんか)の政務(せいむ)を謀(はか)り給(たま)ひ、

かつ人民(じんみん)疫病疾苦(えきびょうしっく)のために、

その療養(りょうよう)の方(ほう)をさだむ。

その天下後世(てんかこうせい)に仁惠(じんけい)ある事(こと)、

神農黄帝(じんのうこうてい)の下(しも)にあらずとかや。

故(ゆえ)に代々(だいだい)の執権奉行職(しっけんぶぎょうしょく)の人(ひと)、

殊(こと)に〓信(〓〓しん)し給(たま)ふといふ。

應永年中(おうえいねんじゅう)此(この)わたりに〓玄齋(〓〓げんさい)とて〓師(くすし)ありけり。

わかきより學〓(がく〓〓)に眼(まなこ)をさらし、

黄帝(こうてい)岐伯(きはく)の玄旨(げんし)を探(さぐ)り、

秦越人(しんえつじん)の深意(じんい)をたづぬといへども、

いまだその堂奥(どうおく)に達(たつ)せず。

かつ身(み)の不遇(ふぐう)なる事(こと)を歎(なげ)きぬ。

すなはちこの天神(てんじん)にいのりて、

信仰(しんかう)のこゝろおこたらず、

歳時(さいじ)にはかならず祭(まつ)りて敬(うやま)ふ事(こと)、

年(とし)すでに久(ひさ)しくなりぬ。

ある夜(よ)夢見(ゆめみ)らく、

朝(あさ)とく宿(やど)を出(で)て天神(てんじん)の社(やしろ)にまうで、

恭敬(きょうけい)の頭(こうべ)をかたぶくる所(ところ)に、

辱(はずかし)く天神社壇(てんじんしゃだん)の戸(と)びらをおしひらき、

まのあたり〓玄齋(〓〓げんさい)に告(つげ)てのたまはく、

なんぢわれをいのり其(その)誠(まこと)をつくす、

何(な)んぞ感應(かんのう)なからんや。

なんぢ今身(こんみ)の不遇(ふぐう)にして困窮(こんきゅう)をなげく、

しかれどもこれすなはち却(〓〓)てなんぢを福(さひはい)する所(ところ)なり。

それ日本(にほん)は神國(しんこく)也(なり)。

天子(てんし)はすなはち天照太神(てんしょうだいじん)の繼體(けい〓〓)にして、

その統道(とうどう)をあらためず。

かるがゆゑに神道(しんどう)を尊崇(そんすう)し、

王法(わうぼふ)を興隆(こうりゅう)し仁政(じんせい)を施(ほどこ)し、

朝憲(ちょうけん)を正(ただし)うすべし。

疇昔(むかし)王法(わうぼふ)神道(しんどう)に合(あわ)する世(よ)には、

世(よ)すなほに民淳(たみあつう)して國家安寧(こっかあんねい)なり。

風雨(ふうう)時(とき)にしたがひて、

飢饉餓死(ききんがし)の愁(うれい)なし。

況(いわん)や謀反弑逆(むほんしぎゃく)のわざはひをや。

後世(こうせい)にいたりて、

元暦(げんりゃく)に安徳天皇(あんとくてんのう)、

承久(じょうきゅう)に後鳥羽院(ごとばいん)、

元弘(げんこう)に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)、

これみな君徳(くんとく)あきらかならず、

叡慮(えいりょ)はなはだ短(みじかう)して、

天下(てんか)を戒敵(かいてき)のために奪(うば)はれ、

宸襟(〓〓えり)つひに安(やす)からず、

或(あるい)は變衰(へんすい)の花(はな)空(むな)しく壇浦(だんほ)の風(かぜ)にまよひ、

悲泣(ひきゅう)の月(つき)いたづらに台嶺(だいれい)の雲(くも)に隠(かく)る。

いかんぞ王威十善(おういじゅうぜん)の徳(とく)をもつて此極(このきょく)に至るや。

これ神道(しんたう)の本(もと)をわすれて、

政道人望(せいどうじんぼう)にそむけば也(なり)。

こゝにおいて王法(わうぼふ)はじめて衰(おとろ)へて、

神道(しんたう)も亦(また)廢(はい)しぬ。

又(また)かなしからずや。

しかつしよりこのかた今(いま)の世(よ)にいたりて、

人道(じんどう)ます/\みだれ、

子(こ)として父(ちち)を弑(〓〓)し、

臣(しん)として君(きみ)をうかゞふ。

上道(かみみち)のはかるなく、

下忠義(しもちゅうぎ)のこゝろをうしなふ。

人君國守(じんくんこくしゅ)としては、

仁義(じんぎ)に暗(くら)く慈悲(じひ)の心(こころ)なく、

賦〓(ふれん)重(おも)く課役(くわやく)しげうして、

國民(こくみん)を貧(むさぼり)とり家人(かじん)を剥盡(はぎつく)して、

〓〓(〓〓)我身(わがみ)の楽(たのしみ)とす。

〓〓(〓〓)無道(ぶとう)の富(とみ)に誇(ほこ)り、

〓諧不次(〓〓ふじ)の賞(しょう)をたのむ。

能(のう)もなく智略(ちりゃく)もあさく、

行跡(かうせき)悲〓(ひ〓〓)不義(ふぎ)にして、

善悪邪正(せんあくじゃしゃう)をえらばず、

阿諂者(おもねりへつらふもの)を賞〓(しょう〓〓)し、

忠孝(ちゅうこう)なる者(もの)をかへつて罪科(ざいか)に行(おこな)ふ。

たま/\武藝學問(ぶげいがくもん)に志有人(こころざしあるひと)も、

利祿(りろく)名聞(みょうもん)のためにして、

忠良(ちゅうりょう)のこゝろざし露(つゆ)ばかりもなし。

凡(およそ)武藝學問(ぶげいがくもん)は、

みな聖經賢傳(せいけいけんでん)の旨(むね)をあきらめて、

我(わが)忠功(ちゅうこう)を達(たつ)するのみ。

何(なん)ぞ名利(みやうり)を事(こと)とせんや。

あまつさへ切磋琢磨(せっさたくま)の功(こう)ををへずして、

新法小利(しんほうしょうり)にはしり、

先賢(せんけん)の古〓(こ〓〓)をすてて、

もつぱら奇兵(きへい)詭譎(〓〓)を先(さき)とし、

また正兵(せいへい)の極致(きょくち)ある事(こと)をしらず。

又(また)終日(ひねもす)聖賢(せいけん)の書(しょ)をよむといへども、

行跡(ぎょうせき)かへつて直(すなほ)ならず。

仁義(じんぎ)のこゝろなく、

學問(がくもん)をもつて利慾(りよく)にかへ、

君(きみ)に〓(〓)ひ友(とも)を妬(ねた)み、

素(す)より誠(せい)なければ、

利(り)を見(み)て義(ぎ)を忘(わす)れ、

大欲無道(たいよくむどう)にして、

一生遊興(いっしょうゆうこう)に長(ちょう)じ、

富貴栄花(ふうきえいか)をうらやみ、

衣類美麗(いるいびれい)を好(この)む。

かくのごとく君(きみ)下(しも)を貪(むさぼ)りとりて、

その身(み)の栄〓(えい〓〓)をきはめ、

臣又上(しんまたかみ)に〓媚(〓び)して、

一家(いっか)の〓侈(〓〓)をつくす。

凡(およ)その費(ついゆ)る所(ところ)の財〓資用(ざい〓〓しよう)、

天(てん)よりも降(ふ)らず地(ち)よりもいでず。

これみな人民(じんみん)の膏澤(こうたく)をしぼりとり〓〓(〓〓)したる所(ところ)なれば、

ゆく/\天下(てんか)ふたゝびみだれて人民(じんみん)益窮(ます/\)し、

四夷八蠻(しい〓〓)たがひに國(くに)をあらそひ、

大(おおき)なるは小(しょう)を〓呑(〓〓)し、

強(つよ)きは弱(よわ)きをしのぎ、

盗〓争闘〓(とう〓そうとうまち/\)にして、

又(また)そのあひだに飢饉(ききん)疫病(えきびょう)流行(はやり)て、

天下(てんか)手足(しゅそく)を措(おく)に處(ところ)なからんとす。

なんぢ今(いま)かゝる時節(じせつ)に生(うま)れたり。

なんぢしひて身(み)の不遇(ふぐう)を歎(なげ)きて、

一旦(いったん)の利祿(りろく)を僥〓(〓〓)すといふとも、

久(ひさ)しく保(たも)つ事(こと)あたはずして、

却(かえっ)て災(わざはひ)あらんとす。

しかし貧(ひん)に安(あん)じ跡(あと)を藏(かくさ)んには、

かつなんぢに一(ひと)つの〓方(〓かた)を教(をしへ)ん。

水上(すいじょう)の浮萍(うきくさ)よく疫病(えきびょう)を癒(いや)す効能(こうのう)あり。

多(おお)くもとめ貯(〓)へて、

其時(そのとき)を待(まつ)べしと、

今(いま)の世(よ)のありさま将来(しょうらい)の事變(じへん)、

鑑(かゞみ)のかけてのたまふとおもへば、

夢(ゆめ)はさめて夜(よる)はほの%\とあけにける。

壽玄齋(〓げんさい)感心(かんしん)膽(きも)に銘(めい)じ、

盥嗽盛服(くわんそうせいふく)して急(いそ)ぎ天神(てんじん)に詣(けい)ずれば、

夢(ゆめ)の面影(おもかげ)あり/\と、

社壇(しゃだん)の戸(と)びらすこしひらけ、

異香四方(いかよも)に薫郁(くんいく)たり。

それより壽玄齋(〓げんさい)世(よ)のなり行(ゆき)ありさまをみるに、

夢中(むちゅう)の告(こく)にたがはず、

永享(えいきょう)の年(とし)に及(および)て、

京都(きょうと)鎌倉(かまくら)確執(かくしつ)の事(こと)おこり、

鎌倉持氏朝臣京都将軍(かまくらもちうじあそんきょうとしょうぐん)に恨(うらむ)る事(こと)ありて謀反(むほん)す。

京都(きょうと)度々(たびたび)大軍(たいぐん)を起(き)し、

討手(うって)にさし向(むけ)らる。

持氏父子(もちうじおやこ)敗績(はいせき)して自害(じがい)す。

これより諸方(しょほう)戦争(せんそう)おこりてしづかならず。

國家衰廢(こっかすいはい)天運否塞(てんうんひさい)して、

大(おおい)に疫病(えきびょう)流行(はやり)て人民(じんみん)おほく死亡(しぼう)せり。

壽玄齋(〓げんさい)かの天神(てんじん)の告(こく)を思(おも)いで、

試(ためし)に浮萍(うきくさ)を調和(ちょうわ)してあたふるに大(おお)かたいえずといふことなし。

人(ひと)みなその神効(じんこう)に服(ふく)して、

これ正(まさ)に〓王善逝(〓おうぜん〓)の變作(へんさ)なりとて、

おそれつゝしむ事(こと)よのつねならず。

其後(そのご)今川上總介(いまかわかみ〓すけ)が父(ちち)の疫病(やくびょう)を癒(いや)しければ、

上總介(かみ〓すけ)なゝめならずよろこび、

俸祿過分(ほうろくかぶん)に與(〓)へて招(まね)き、

つひにわが國(くに)に供(とも)なひ下(くだ)りて、

身終(みおわ)るまで尊敬(そんけい)しけると也(なり)。

  鼠の妖怪

慶仁年中、

京師(みやこ)四条の邊(ほとり)に、

徳田の某とて巨きなる商人(あきびと)あり。

家富(とみ)栄えて家財倉庫に盈(みて)り。

其比世大に乱れ戦争やむ時なく、

ことに山名細川両家、

権をあらそひ野心を起こし、

度々戦ひに及びしかば、

洛中これがために噪動し、

人みなおそれまどひ、

たゞ薄氷を踏んで深淵にのぞむおもひをなす。

徳田某もこれによりて、都の住居物うこもひ、

北山と賀茂のわたりに親屬のありければ、

ひそかに頼みつかはし、

すなはち賀茂の在所の傍(かたはら)に、

常盤(ときは)の古(ふる)御所のありけるを買いもとめ、

山荘となして、

しばらく比所に隱遁せんとす。

しかれども久しく人も住(すま)ぬ古屋敷なれば、

いたく荒はて、

軒かたぶき牆(かき)くづれて、

凡幾年(いくとし)経たる屋敷ともしれず。

徳田まづあらましに掃除打して徒移(わたまし)しぬ。

京にある親屬つたへ聞(きゝ)て、

みな来りて賀儀をのぶ。

主人よろこびて、

賓客を堂上にに請じて饗応し、

終日(ひねもす)酒宴を催し、

歌舞沈醉してあそび、

夜に入ければ、

賓主共に大に醉出て、

前後もしらず打臥しぬ。

その夜夜半(やはん)ばかりに、

外(ほか)より大勢人の来る音して、

急に表の門をたゝく、

主人あやしみ門をひらきみれば、

衣冠正しく髭うるわしき人、

先立(さきだつ)て入(いり)ていふやう、

是は此屋敷の舊(もと)の主(ぬし)也。

我一人の子あり、

こよひはじめて新婦を迎え侍(はんべ)り、

その新禮の儀式を執行(とりおこな)はんとするに、

わが今住所(すむところ)はせばくきたなし。

たゞ今夜ばかり此屋敷をかし給へ、

夜あけなば早早立去りなんと、

いまだいひもはてぬに、

はや大勢入りこみて、

輿よ馬よとひしめき、

挑灯(てうちん)大小百あまり二行につらね、

まづさきへ飾り立たる輿、

打續(つゞい)て乗物かず/\かき入る。

その跡よりは供の女房いくら共なく笑ひのゝしりて来る。

又年のほど六十有餘の老人、

大小の刀を帯(おび)て馬にのり、

歩行の侍六七十人引連れて、

前後をかたく守護すと見ゆ。

その間に結構に塗りみがきたる長持挟箱、

屏風衣桁貝桶のたぐひ、

かずかぎりなく持(もち)つれ。

貴賎男女(なんにょ)凡二三百人、

堂上堂下に並居て大に酒宴を催し、

珍膳奇羞山海のある所を尽し、

かつまひかつうたうて興に入るまゝに、

主人や賓客を招き出しかゝる目出度折から、

何かくるしかるべき、

ここへ出てあそび給へといへば、

主人も賓客も醉に和し興に乗じ座敷にいづ、

まづその新婦(よめ)のとおぼしきを見るに、

年まだ十四五ばかりとみゆ。

すこしほそらかに色しろくまたたぐひなき美人なり。

次第に並居る女房たち、

いづれも艶(えん)なるかほかたち花のごとくに出立て、

みな一同に立さわぎ、

新婦(よめ)の手をとりたわぶれて、

こよひはいかで強(しひ)ざらんと、

大なる盃をすゝむれば、

新婦(よめ)いとたへがたきけしきにて、

あなたこなたにげかくるヽを、

おひとらへんとさわぐまに、

風はげしくふきおちて、

燈のこらずふきけしぬ。

主人賓客はつとおどろき、

しばしして又火をとぼしみるに、

人一人(にん)もなし。

やう/\夜もあけてよく/\見れば、

宵にことごと敷持(しくもち)はこびたる道具とおもひしは一つもなく、

却て主人の日比秘蔵しける茶の湯の道具より、

碗家具雑器にいたるまで、

みなこと%\く引ちらし、

くひさきかみちらし、

そこなひやぶらざるものなし。

そのうち床にかけおきたるふるきかけ物、

牡丹花下(くわか)に猫のねぶれる所かきたる繪あり。

名きえ印(いん)かすみて、

誰人(たれびと)の筆ともしらず。

これ一幅斗(ばかり)ぞ露ばかりも損ぜずありける。

みな人よからぬ怪異(けい)なりとて眉をひそむ。

こヽに村井澄玄とて博學洽聞(かうぶん)の老儒あり。

主人に向かひいふやう、

これふかくおそるヽに足ず。

老鼠のいたす妖怪なり。

それ猫は鼠のおそるヽ所なり。

かるがゆにその繪といへども、

あへて近づかざる事かくのごとし。

かヽる例傅記に載(のす)るところすくなからず。

是其氣自然と相いれずして畏服す。

所謂物其天を畏るといふものなり。

その類(たぐひ)一二を擧(あげ)てこれをしめさん。

われかつて或古記をみるに、

むかし或里の中(うち)一つの村に、

童子(わらんべ)大きなる蛙(かへる)數十、

汚池叢棘の下にあつまるを見る。

進んで是を捕んとす。

熟視(つら/\)れば一つの巨蛇棘(おほへびいばら)の下に蟠(わだかま)りて、

恣(ほしいまヽ)に群蛙を啖(くら)ふ。

群る蛙凝りかたまりて、

啖はるヽを待(まち)てあへて動かず。

又或村の叟(おきな)、

蜈虹(ここう)一つの蛇を逐ふをみる。

行事(ゆくこと)はなはだ急(すみや)かなり。

蜈虹漸く近けば蛇また動かず、

口を張(はり)て待つ。

蜈虹竟(つひ)にその腹に入り、

時を逾(こえ)て出づ。

蛇既に斃れぬ。

村の叟其蛇を深山の中に棄つ。

十日あまり過ぎて、

住(ゆき)てこれをみれば、

小き蜈虹数知らず、

その腐(くち)たる肉(しゝむら)を食(くら)ふ。

これ蜈虹卵を蛇の腹の中に産(うみ)けるなり。

又むかし一つの蜘蛛、

蜈虹を逐ふ事甚急(すみやか)なるを見る。

蜈虹逃れて籬槍竹(りさうちく)の中に入(い)る。

蜘蛛復入(い)らず。

但(たゞ)足をもつて竹の上に跨り、

腹を搖(うご)かす事あまた度して去る。

蜈虹を伺ふに久しく出ず。

竹を剖(さい)てみれば、

蜈虹巳に節々爛斷(たゞれたえ)て黨醤(たうしやう)のごとし。

これ蜘蛛腹を動かす時、

溺(いばり)を灑(そゝぎ)て是を殺せるならん。

物の其天を畏るゝ事かくのごとし。

今鼠の猫の繪をおそるゝやまた同じ。

豈久しくその妖怪を恣にする事を得んやと、

かさねて主人に教へて、

其鼠の穴を狩らしむ。

屋敷より一町ばかり東の方(かた)に、

石のおほくかさなりて小高き所あり、

その下に大きなる穴あり、

その中に年經たる鼠かぎりなくむらがれり。

みな捕へ殺してすぐに埋(うづみ)ぬ。

其後は何の事もなかりけるとぞ。

死後の烈女

福島角左衛門は、

生國(しやうこく)播州姫路の者なり。

久しくみやづかへもせずして居たりしが、

其比太閤秀吉の内(うち)福島左衛門の大夫とは、

すこし舊好あるゆゑに、

これをたのみしかるべきとりたてにもあひ、

奉公せばやとおもひ、

故郷(ふるさと)を出て都におもむく。

明石兵庫の浦えお過て尼ヶ崎に出(いで)て、

やう/\津の國高槻(たかつき)のほとりに至りぬれば、

しきりにのんどかわきぬ。

路のかたはらをみるにちいさき人家あり。

その家たゞ女房あり。

そのかほかたちのうつくしさ、

またかゝる邊鄙にはおるべきともおもはれず。

窓のあかりに向うて襪(たび)を縫ふ。

角左衛門立よりて湯水をこふ。

女房やすきほどの事なりと、

隣の家にはしり行て茶をもらうてあたへぬ。

角左衛門しばし立やすらひ、

その家の中を見めぐらすに、

廚やかまどの類(たぐひ)もなし。

角左衛門あやしみて、

いかに火を焼事(たくこと)はしたまはずやと問ふ。

女房家まずしく身をとへて、

飯(いひ)を炊(かし)きてみづから養ふ事かなはず、

あたり近き人家にやとはれてその日を送る。

まことにかなしき世わたりにて侍ると語るうちにも、

襪を縫ふそのけしきはなはだ忙(いそがは)しく、

いとまなき體(てい)と見ゆ。

角左衛門其の貧困辛苦の體をみて、

かぎりなくあはれにおぼえ、

またそのかほかたちの優にやさしきにみとれて、

やゝ傍(そば)により手をとりて、

かゝる艶(えん)なる身をもちて、

この邊鄙にまづしく送り給ふこそ遺恨なれ。

我にしたがひて都にのぼり給へかし。

よきにはからひたてまつらんと、

すこしその心を挑みける。

女房けしからずふりはなちていらへもせず。

やゝありて、

われにはさだまれる夫侍り、

名を藤内(とうない)とて布をあきなふ人なり。

交易のために他國へいづ、

わが身はここにとゞまりて家をまもり、

つゝしんで舅姑に孝行をつくし、

みづから女の職事(しわざ)をつとめて、

まづしき中(うち)にも、

いかにもして朝暮(てうぼ)の養(やしなひ)をいたし、

飢寒におよばざらん事を謀る。

今巳に十年に及べり。

さいはひ明日わが夫かへり来る。

はやとく立さり給へといへば、

角左衛門大きにその貞烈を感じ悔〓(くいはち)て

僕に持せたる破篭(わりご)やうの物をひらき、

餅果(もちひくだ)もの取出し

女房にあたへ去りぬ。

その夜は山崎に宿しけるが、

あくる朝かの女房の所に、

所要の事かきたる文とりおとしけるゆゑ、

跡へもどりける所に、

道にて葬禮にあへり。

いかがなる人にやとたづぬれば、

布商人(ぬのあきひと)藤内を送るといふ。

角左衛門大いにおどろきあやしみて、

その葬禮にしたがひて墓所(はかしょ)にいたれば、

すなはち昨日(きのふ)女房にあひし所なり。

今みれば家もなく跡もうせて、

たゞ草蕭々たる野原なり。

その地をほり葬る所をみれば、

藤内が女房の棺あり。

棺のうちにあたらしき襪(たび)一雙、

餅果(もちひくだ)ものありのまゝ見ゆ。

又そのかたはらに古き塚二つあり。

これを問へばすなはちその舅姑の塚なりと、

その年數を問へば、

十年に及ぶといふ。

角左衛門感激にたへず、

送りし者に右のあらましを語り、

鳥目(てうもく)などくばりあたへて、

ともに送葬の儀式を資け、

かつ跡のとぶらひの事まで念比(ねんごろ)にはからひて、

その後都へのぼりける。

あゝこの女房死すといへども婦道をわすれず、

舅姑に孝行をつくして夫をまつ、

いはんやその生(いけ)る時は知りぬべし。

かの世の寡婦室女、

いやしくもその夫をわすれて再(ふたゝび)嫁し、

或は邪僻婬亂にして、

終に〓る心なきもの多し。

この女房の風儀をきかば、

すこしく戒(いましむ)る所あらんか。