◆山〓

いてや、おほかたの世を見きくにつけても、何くれと打うらやまるゝ事しもおほかめり。そもたかきいやしき、時にあひあはぬ、或はさかしおろかをもいはし。あはれよろつの道にたつさはりつゝ、其ほと/\のさえをもうまれえて、をり/\いとまあらん人の、打のとめておかしき遊ひせんこそ、ねかはまほしきわさなれ。いたつらにうちのみ打くらひて、ほこりかに過ぎさむ月日は、うれしくもあらし。年ゝの花におなしからぬを、残の齢なほいつまてとかなと、時ゝいひかたらふ友の、長月のしくれの雨もはれまある比なり。(二才)おちの神のたむけを、いつかたにもおもひおこせよなと、すゝろき聞ゆる人は、さぬるさみたれの空に、ほとゝきすの声たつねあるきつゝ、おかしきあそひしたるすきものら也けり。そのたよりなりしふるころも、きならの都の神山のもみちいかならん、よしや、はやきおそきのさためも、しひてはわつらはし。あの見ゆる高根をたゝこえにしてとて、かんな月三日のあした、友とち三あたり、夜をこめて出たつ。玉造の岡にみかゝれいつる朝影まつのとかにて、人ゝ足かろけ也。今里と云所をゆく。こゝに妙法寺といへるは、昔たか津のあさりの住せ給ひし御てらなれは、いにしへなつかしうて、思ひもそいつる。此師は世の外の道にかしこくませるあまりに、哥よむくせのおはして、さるかたにちからいりたまふか、あまねく、神の代、人の世のはしめよりして、後ゝの哥集、物かたりふみ、或は家ゝの記録をまて見わたしつゝ、中比の人ゝの思ひあやまれるふし/\をとう出て、御国のかみつ代の事も、言のはのまひしかは、此梯立によりてそ、おなし心さしなる人ゝも次ゝに出て、御国のかみつ代の事も、言のはのまなひも、今の世はかりけんさうなる時もあらすなん成にたり。これそ此あさ梨か、いにしへ今にふたりなきいさをにしも有かな。さるかたに深くも思ひたとらぬ人は、あなむつかし、うへなき御あたりにさへ、おほししらぬ事共也、誰に伝へしまかことそやなと、あはめにくむかおほかり。しかいふ人の思ひさためしをきけは、いかにあなくりもとむとも、心はかりはいにしへに立かへらし物をとなん。それはおのれとたちかへらぬにこそあれ、まなひもてゆかは、はしたてのまゝに、高きにものほらさらめや。むかし延りやくのみかとのおほんうたに、

  いにしへの野中古みちあらためはあらたまらんや野なかふるみち

とよみませしを見しらすや。おそれあれと、此おほんを(ほん)かとしまつりて、あさ梨かいさをゝことほきして過侍る。

  いにしえの絶にしことも露わけてあらためけりな野なかふる道

なほ行/\かたれるは、此師はこの国のあまかさきのうまれにて、父は青山侯につかへし下河のなかにかしといひし人なり。祖考は肥後の加藤とのに仕へて、朝鮮の役にすこし蕭何にゝたるほまれありし人なりと、物のはしにしるしおかれたり。をさなき時やまひにかゝりて、たなもしけなき事ともおはかりけれは、父はゝにゆるされて、此妙法寺にきたり、十三といふとしかしらおろして、たか野山にのほり、やゝはたちの上幾ほともあらて、学業の聞え高りしと也。寛文二年とか、生玉の社僧に任せられて、まんたら院と云に住ませたまひしか、市にとなるをうきものに、哥ふたつ壁にとゝめてのかれ出し後は、はつせ、むろふ山、よし野、かつら木、所ゝありかさためすとそ承る。いつみの国ひさ井の里といふにしはしおはせしほと、人も大かたにして問まうつるをもうたてしとて、この国の池田川のほとりにとは、いつこならむ。又、この寺に住ませたまひしは、老たるはゝ君のたよりなきおほせことあるによりてとか。なくならせ給ひて後は、ついのやとりを、たか津の岡にしめさせたまへけり。其比、水戸の中納言の君と申せしは、からやまとのふみの道をいみしくすかせたまいて、博士らあまためしつとへ、すたれるをおこし、乱たるををさめ給ふにつきて、あさりにもとおくおほせことたまひ、御国の古ことのかたきをことわらせ給ふにこそ、師か名もあめのしたに聞えあけにけり。中納言の君は、元禄十三年のしはす六日といふに世をさらせ給ひしことを、儒官安藤のためあきらかに許より告きたる。そのころ、すみの江の松の、風もふかぬにたをれしかは、あさり、

  さもこそはにし山あらし吹はてめいかにかよひしすみよしの松

とよみて、いまよりのち、我をしる人なき世には、なからへてやうなきをと打うめかれしか、ほとなく、むつきの廿五日と云に、むなしくならせたまひしは、深き御契のありてこそと、かの為章かかけりしたむけ草に見えたり。西やまあらしとは、中納言とののひとつの御名を西山公と申たてまつりし故也と、長物かたりしつつゆくに、ひらをかの社を左に拝み奉る。この大神は、ひたちのかしまよりここに遷座し奉りてのち、又、今の春日山にうつらせ給へるよしなり。こころさすかたもおなし大神にてましませは、ここは伏をかみして過い侍る。とよらの里より見あくれは、

  いこまねに常ゐる雲のたちまひをけふはしくれの空にみなして

くらかり坂、はたとせのむかしこえし事おもほゆ。ここをいにしえのくさかの坂路也と、かの阿闍梨も、なみ河の翁もろうしおかれしは、あたれりやいなや。里は今道一里はかり北にこそあれ。おきなか輿地志と云ふみをみれは、ここのみにあらす、うちつ国の所々に、あなかちなるかうかへの見ゆるも少なからす。此ふみえらむとて、おほやけのみことをかうへにして、其里々のをさ共めし出して、問たたせしとや。いつこにもあれ、古老の口ふみはかり旧きをしのふたつきはなきを、それもそれかかたれるままにあらは、いにしへの書にひきあわぬ事のありぬへし。そもそもいこまの山ふところひろく大いにして、こゆる坂路もあまた也。草香の坂にささへまつりし時、いつせのみことのいたやくしにあたらせて、雄たけひなしませし事をあけて、日本紀には、雄誥と書て義をしらせたるを、翁は哮の字をえらひあてられしは、かしこの坂道ならすや。いといふかしとおもへりし事を、ここゆるにつきてこそ、思ひいつるなる。ゆくてのうら枯にましりて、萩か花のにほひ残れるを折て、しからみちらしさを鹿のとによへるも、山路のからきには打あへきて聞よからし。くたり行谷々、いとよう染ておかし。むろの木の嶺と云は、昔こゝに世にことなるかおひたりし故の名也とや。其木は東大寺の南の御かとに造りて、いまなほたてりといへり。くたれは、いにしへの西の京なるへし。菅原の伏見は、北に見さけてゆく。むかし宮人たちの裳引ならしゝ所から、むへ、あれまくもをしとはよまれたり。秋しのゝ里も、そこにつゝけるときく。外山もけふはしくれぬ日なり。ゆくてに大きなる池在り、こやとはまほしけれと、里人もいてこす。此あたりには、とみの池、かつまたの池なと、聞えたるかあれは也。ほうらいの山とてをしふるは、すいにん天皇の菅原のひんかしのみさゝきといふなり。又、西のみさゝきとて、安康天わうのおほんも倶にほうらい村にと、なみかの翁のしるされたり。又、此あたりにみさゝき村といふには、神功のきさいの宮のさきのたてなみの池のへのみさゝきも有へし。其うしろに、成務のおほんもあるへし。又、孝謙の高野の陵墓も、そのわたりとかきく。鹿なかん山そたかのはらのへとよめるには、さき山はそのほとりなるもしるし。ゆふ影のさむきに、をちこち尋ねもゆかす。すへてこの都は、なゝ代かあひたみさかりなりしかは、山ゝ里ゝその名聞こえぬはあらぬを、いにしへ今の物識達の、こゝろゆく筆に問しるされしふみとものあるには、おろかなる藻しほ草、いかてかきとゝむへき。日入て、たる井の水汲やとりにつきぬ。夜ふけねさめてきけは、枕の野へに妻こいか声の、いとめつらしうあはれなり。   もみち葉をとめつゝくれはかすか野のをしかのことに我そやとれる

ひとこゑをたに、あくかれて野山にましるものを、こゝは夜すからなきとよもして、おかしき旅寝也けり。つとめて、滝坂と云処のもみち見んとて出たつ。いさ河のやしろにまうてゝ、さい草はなに物と問たゝさまほしきも、卯の花月ならねはいかにせんと云。いまはさいの祭とよひて、かち物からかふいたつらものらか、ねき事申すよし也。いとあさましく、かついみしきかたはことにそある。高はたけといふ所には、吉備のおとゝのみはかありときく。この君は物学ひのためもろこしにわたりたまひて、かしこの経典のことわりをあきらめつくし、かしこくさとりある名をかの国にとゝめしは、なかまろと此大臣たゝ二人になん有ける。釈奠の礼儀の国にとゝのひしは、此君の御いさをなるよしにて、儒官の人のことにあかめたふとめり。或か中にも、宝字の乱れをとりしつめられしそ、いみしきいさをなりける。坂路にかゝるより、また薄けれと、ときは木にこきませておもしろ。かろけなる物になひもてさきにあゆむをとこに物とへは、岩ねこりしける山路なれと、よくねんしてのほりたまへ、 心なき己等差へ、秋はゆき過かたき所なり、きのふけふの露霜には、おほかたにもみちぬらむをなと、おかしういひとれるにそ、しりにたちて問ひことしつゝゆく。いとけうある山ふみなりけり。このよつるしけきか本は、神山のみなみの岨つたひにて、行ゝにんにく山にいたり、伊賀の国にかよふ道也。おち滝つせにそひつゝのほれは、滝坂とは云也。川のむかひは高まと山とて、(九ウ)をり/\哥よみ人の、物あんししにとひまうてたまふ所よといふに、さるはいにしへの高円の宮のあといつこそ、〓の声春はおかしからむ、秋はきいまはちりぬへしといへは、されはこそ、御かた/\も、うた、れん歌の物思ひ人に人にておはせれ、うくひすのみならす、春はもゝちの鳥とものさへつりおもしろきか中に、かほう鳥といふかなくは、いといま/\しくさふしけにてといふ。それそ春日なる羽かひの山のよふことりなるはといへは、いなや、かたち見せぬ鳥なれは、はかひなと見しらすといふを、人ゝしたにゑまる。川の名をとへは、たゝ滝坂の滝川也とこたふ。よち志にいへるのと川は、みなもと春日山の東南より、高はたけ、木寺を歴ていはゐ川に入と見えしは、これならん。古き哥に、

 のと河の水底さへにてるまてに三笠の山は咲にけるかも

とよめるは、今もこきうすきか此早瀬にうつれるを、猶春花ならは、見もさたむへし。春日山の名こそ多けれ。大きみのみかさの山、かすかなる羽かひの山、水屋の峰、又かうせんとよふは、神山のよこなまれるにもあるへし。さてのほりくるに、滝のなかれもいとおもしろし。ついてよめる、

 のと川のゝとにはあらておちたきつ岩きりとほし水のゆくなり

やゝもみち見る所に来たる。かんさひたる木たちをくらう、青雲のたなひくけふすら、袖に降かゝる下露は、見にしみておほゆる所也。いと大きなる木ともの黄はめるあり、もみつる有、なほあを葉かちなるは、竜田姫の手わさの、こゝは殊にとなかめらるゝ。桧わりこ、さゝへとうてゝ、人ゝめてあそふ。みちわけしをのこも、酔こゝちしてあるほとに、おのれは山のあなたに、木の子、草ひら買にゆく也、よく見ていきませといひひて、猶山深くのほりゆけり。さかつきのたえすめくれるには、ならのみやこのほろ味曾のほろ/\ゑひしれて、れいの万葉集、はうしとりて、大きみのみかさの山をはれる錦かとうたへは、ある人も、もみちかさゝむ高まとの山と、うちかへしてうたふ。時過はふま牛のかよふともきけは、やすからぬものにてくたりて、高畑の神つこたちの家ともを横をれて林にわけ入は、やかて若宮のふとまへに参りぬるにそ、人ゝ酔こゝちをあらため、みたらしに口すすき、手あらひなとして、ぬかつきたいまつる。大宮は来る春なん御遷座あるへきとて、番匠らあまたつとひをり、ゑほしかたふけ、おのれ/\か手わさかしこめるなるへし。大神はなほらひ殿におろし奉りて、御簾たれ、かへしろかけわたして、いとかふ/\しくたふとけ也。すの内には大物忌らまゐりたらめ、時ゝ打しはふき聞えたり。ぬさ〓とうてゝ打ちらしたいまつるも、風の紅葉にはめおとりせらるゝものから、神のまに/\と奏して立ぬ。水や川あせたるは、野田のさなへの時ならねはよ。わか草山の北なる水うまやに入て、こゝはるかなから、菊屋のなにかしに人はしらす。我は山した水のきよきをくみて、れいのかんはしきを烹る。おく山の谷のおち栗、いひにたかせてめつら也。日影うら/\と寒からす、おかしうそめなしたる木すゑともの、軒を繞りてめもあや也。昔賀茂の翁のよみませし哥に、

  神なつきかた山あらしのとかにてもみち見るへきけふにそありける

いまのうつゝにむかへられて、ことにめてらるゝなりけり。かの滝坂のうた、こゝにてやゝひねり出たり。

  春日野のしくれのゝちのけふなれや山はみなからもみちしにけり

竜松院の内に、海円法師といふおはせり。ともなへる人とひさしき契のおはすれは、使まゐらせしに、やかてこゝまてあゆまれたり。ほうしまめやかにしるへして、けんさく院、法華さんまいの諸堂、残りなくをかみめくる。こん堂の大ほとけにぬかつきまつる。昔まうてしには、よろつきら/\しくつくりまさせたまへりき。さるにても此御堂よ、建久のむかしかたりは、何くれの書にも書あらはして人みなしりたるを、ふたゝひ永禄の火のゝち、ゝかく宝永の落慶は、さはかりのいさをにもいひつたへぬそうらみなる。公慶上人のいそしくませし御いたつきのほと、俊乗法師の下にたゝんやは。行力の御徳いまにかゝやきて、歓進のそくに補せられ、とし月に法のひかりをまさせ給ふ也けり。かのむろの木のみ門は火にのこりて、かんさひたてり。宗長か手記といふ物に、此み門の法施に、源氏の物語一部をしろなして奉りし事見ゆ。世すて人の有かたきこゝろさしよと、みたまへし事なんありき。法師の御とくにて、竜松院の御たから物、こと/\拝ませしてみせたまへり。たかきほくらの鑰とらして、御戸まゐるより、まつありかたさの身にしみておほゆ。良辨僧正将来の五彩の仏、さりやなにや、ほとけの道にては無上の御宝也とそ。金光明四天王護国之寺の楼額は、聖武天皇のうほんあそはしにて、雲井坂の西のみ門にかゝけし也とそ。頂真天子経三まき、おなしおほんあそはせしにて、竹のちすのやつれ、めとめらるゝ古代の物也。大愛比丘尼経二まき、光明子のあそはしゝとよ。いまの世に手かくといふ人の、此かみつ代の跡まては、とめて見さるやと、しらぬかたなからいふかしまるゝ也き。これらの御かたみは、文治、永録の火にも失はれさりし千とせの御たから也けり。東大寺大仏殿の文字ある瓦一ひら、すはうの国鯖川の蜑かゝつきあけて、俊乗坊にたてまつりしよし、時のいたれる祥瑞これなるへし。この外にも、なにやくれやの物とも、手にふれて見たてまつる事のありかたさよ。わかれをたまひて、ゆふへの寺をいてゝ、やとりにかへる。こよひもつまこひか声を、夜すからに聞あかしぬ。

  冬の夜はあはれそふかき霜の上におきふしゝけきさをしかの声

あしたさほ山にゆく。海えん師、けふもみちわけたまへり。般若寺のまへを西によこをれてゆくほと、人気とほきしは山に入ぬ。こゝにとてわけ入しは、さる物見んとてなりけり。こゝを里人のたいこくの尾といふは、むかし藤原の太皇后を火はうふりなし奉りし所也と、輿地志にいはれたり。こゝに七狐の石ふみとて、世にあやしき古代の物のあるを、さいつとし、みやこなる近藤なにかしかすりあらはして、つゝみもて来しを見せたまへりし。それいかさまの物にやと、わさとにはあらて、こたひのたよりにもとめきたる也けり。からうしてたつね出てみれは、こまつ原おひさかゆる中に、石三つなんたてる。ふたつは物ともわきかたくなん。其ひとつは、いしの面なめらかに、高さ三さかにもあまり、ひろさ一さか二三寸もあるへし、かしら大きなるけものゝ、たつか杖つきたるか立るかたちの上に、北と云文字ひとつをゑりなせり。なにのかたちとも、くれのゆゑよしとも問へきかたもなけれと、山つとにて、からの紙一ひら二ひら、とりあへぬ物してすりもとらすほとに、ならはねはようもものせす、やをらうつしてみれは、あやし、手足のあるやう、身のさまも、まかふ事なき人のかたちなるか、かしらのみけものなるを、猶よう見れは、きつねにはあらて犬のかしらなるは、まなこつき、耳のあるやうにそしらる。思ふに、こゝはみさゝきあまたたゝせます所なれは、はや人のねなきたてまつるかたちなとをや、えりとゝめたる。されと、大なめまつりにこそさるためしもあれ、みはかつかへにはある事ともしらす。ちかき世まては、なゝつまてたてりしかは、七狐のあたし名をもよひつらん。いまはたゝ三つのこれるを見る。昔日七狐の石、更によはん三の隼人なと、すんしつゝあそふ。誰か告しらせけん、さと人あまたむれきていといふかしきつらつきして、これ見る中にも、あなたふと、かくうつさせたまへは、まさしに拝まれさせたまへりとて、手をすりあはせていみしかるもあり、あやしことゝひせまくするもあり、わかき男の、この石神よ、ねき事よくきこしめす也、きのふ何かしのをちかかち物にほこりたるは、この神の御鬮にあからせたる也、かく物して家にいはひまつり、財あまたえたまはんとてこそ、とめる人はかくもあかすそおはせりと、さま/\いひしらひつゝ、わかれ/\にちりゆきぬ。わらひにたへてしのひかねぬ。法師のはらからの家はこゝ遠からすとて、酒さかなやなにやとかつきもたせて、所せくとりなみつゝ、山路のあるししたまへり。けふはこゝにくらすへくす。この山なんさほの山にて、なかめいとよし。昔みや人たちの家ゐおほかりしときこへし中にも、大伴のやか持卿のそうのこゝにすませたまひし事、物に見えてなつかし。こゝは春立かすみをあはれふよりして、鴬の朝な/\の音つれ、よふこ鳥のゆふくれの声、或は川のへの柳、秋されは、夕かはつの妻よふおと、萩か花むなわくるを鹿のかよひち、はゝそのうすもみち、月雪のなけきの時ゝまて、ならの葉の林にあまた見えたり。いまやさと人のま柴こりつむたよりにあれすさひて、いにしへはおも影はかりもとゝめぬなん、世は常かくとはこゝろえらるゝにさへ、はかなかりけるむかしかたりなりけり。さるはふるきをしのふいにしへふりの歌、

 かんな月 しくれの常に 佐保の内は 露おきみたる こゝにきて いにしへ思へは  草木すら しなへうらひぬ 大伴の ゆきとりおふと 名におひし ますらたけ雄か  家ゐせし 山辺の道に 袖ぬらすかも

今はみさゝきとものみ、昔なすかんさひたてり。抑さほ山の南のみさゝきと申すは、聖武天皇をはうふり奉り也。今にこれを守りて、眉間寺そつかへまつらる。その北にそひてますを、ひんかしのみさゝきと申て、光明子のおほんなり。其西なるは、聖武の御母きさき藤はらの宮子と申すか御墓なり。千尋のかつら藤高しらす天の宮姫のみことゝおくらせたまへる事、紀に見えたり。又法師の教へらるゝは、其西に、淡海の公の御はか也とや。こはいふかしきは、此御墓は十市郡の多武の峰にある事、延喜の諸陵式に見えて、まきるへくもあらす。此をしへらるゝは所をさすに、よち志に、那富山の墓はさほの西にあり、神亀四年九月、皇太子薨せらる、なほ山にはうむる、時に春秋二歳と見えたる、其み墓ならすや。又、なほ山を、さと人はひたちの岡といふは、春日野の飛火の丘にやと思へは、いな、それは市町の南にありといふ。寔なみ河の鹿野をんの東としるされしにあへるは、うたかふへからす。よて思へは、火たち山とは、いにしへさほ山に火はうむりせし事のある、其けかしきほの気のたちしにや呼らん。又、なほ山なる東の陵は元明天皇、西は元正てんわうのおほんなり。さて、いにしへの皇居の跡は、今のうた姫てふ里のあたりそ、しかなるとをしへらる。ひんかしは春日山をかきり、西はいこま山のこなたをまてと聞けは、むへも、さく花のにほふか如みさかり也けんも思ひしられて、はろ/\と見わたせは、秋の田のほのへのかきり、霧あひておほつかなき物から、打のとめ、心ゆくけふのあそひなりけり。今のかへさは、山かつのしりにたちて、つま木の途をゆく/\、まつむしのこゑやつれたる草村をわけつゝ、みけん寺に出るほと、みさゝきともの中みちを過るに、柴人をしふ、此ひかしの丘は、ふたゝひ東大寺を焼し松永といふ極あく人か多門の城のあと也とそ。けにこの人はいみしきつみ人にて、室町殿を殞し、総見院のおとゝにそむき、おのか終りをもよくせさりしとや。されといくさの上手にて、ことに此かためよろしきよしにて、多門造りといふ名を、ものゝふの家にとゝめしとそきこゆ。眉間寺にまうつ。御堂のかうしさしおろして、ゆふさりのこんくこん経の声、いとたふとけ也。門をいつれは、さほの橋打わたりゆく。昔の人の、千鳥、かはつの声をなつかしみしは、川の瀬いかはかり広かりけん、いまはつき橋の数三ひらはかりわたせる小川なりけり。そ夜より雨そゝきいつ。あか時ねさめてみれは、いや降にふりて、かしら出すへからすそおほゆ。いかにせん、此ゆふへにと契りしものを、ひと日のほとも、みつからはゆるしかたくて、人ゝの下なけきをもおもはす、みの笠とりよろひて出たつ。さるにても、いこま根いかてこゆへき、北の方なら坂をこえて、木津、長池を歴つゝ、夢人の伏見の岸より舟もとめてんては、あすのつとめて故さとにかへらんといふ。人ゝこれをむへなひて出たつ。興福寺の銅燈の銘を笠さしあふきて見れは、弘仁七年、伊予権守藤原朝臣公等としるされたり。高の山の大師の御筆なりとそ聞えし。六ひらあるへきを、二ひらは世のしれものか偸みもていきしとや。心ありともあらすとも、あしきわさするものゝ世にはありけり。たむけ山こえて、木津のわたりす。さしのそけは、そこひもしらるましきに、いときようなかれて、まさこの数もかきかそふへくおほゆ。

 むらさめに瀬ゝのみなかみいかならむわきていつみの川のさやけさ

見わたせは、

 つれもなく降雨なれや美迦の原みすてそ過るくにのみやこ辺こまのわたりにて、    瓜つくるこまのわたりを冬ゆけはひえていつみの川かせそ吹

なと、打たはれつゝゆく。井出の里過るほと、雨しきり也。玉水はわか笠のしつくにそなかめらるゝ。長池と久世のあひたを、くせの鷺坂也と云。いまは畑にひらけたれと、猶をちこちゆくてにも木立のおほくて、神代のまゝに、春ははり秋は散かひつゝ、古ことの葉のいつはらさりけり。雲のむら/\もやゝ立わかれて、雨もをやめる夕くれに、おほくらの江の堤ゆく。いと目さむる所也。右手は入江の波静にて、宇治のをちかたまて、めもはる/\と見わたさるゝ。ひたりは淀野の沢よ、海原なして、とほしろくかきりなきこゝろす。山碕につゝく峰ゝ、雨の余波の打霞むさへに、夕雲の立なひきて断続の峰をなすと云から歌、思ひよせらる。むかふ高嶺よ、あたこの山なるへし。宇治山黒う繁りたるに、しろき雲のそひきたちて面しろ。伏見の田井をすみかふとか、落る雁かね、をし鴨のたちゐる羽音、入江に響きてすさましとそきく。芦の葉かけに、むらきみらか家ともむつかしけなる。水、孤村を抱くとは、かゝるをこそ。あしろ木にいさよふ波のさやめくは、いさり船のこきてかへる也。かれもこれも、いたつらに見過すへからぬなかめ也けり。ある人のいへるは、もろこしの西湖、といふも、たゝこゝの見わたしはかりなるに、かれは宮ひたる事共を造りそへし物そと。さるは、今ゆく中道は、蘇子膽か造りし堤とも云へし。けにも人に衣冠粉黛のけさうあり、勝地に花柳殿台のなかめをそふるには、柳か枝に花さくらをもさかすへし。さるいろ香をもからてよ、すゝろにあはれと思ひしめるは、此夕くれの心すさひにこそ。

 つゝみもて家にもかもなおほくらの入江にうかふあまのつりふね

なにはの浦人かおもきくち網にはうちいつへくもあらぬを、ゆく/\江にゝよほひし人もしはしなくさむは、この言のはのあそひになんある。

  天明二年冬十月

   ◆迦具都遅能阿良〓(田+比)

む月のつこもりかた、宮古にあそふとて、先伏見山をわけゆく。梅は此ころさかり也けり。

    みやこ人それとゝかめむ衣手に花のかしめるけふの山ふみ

廿九日の夜、呉春の許にやとる。梅津なる経亮も、こゝにとひ来ませり。夜ふくるまて物かたりしてぬるほともなきに、あか時かたせうまうの声して、人立さうとけり。賀茂河の東、四条の南と聞ゆ。夜へよりたつみの風烈しう、炎さかんに川を飛こえて、こなたさまに燃くる。此やとりし東洞院の家も、朝のあひたにむなしく成ぬ。風はたゝ吹に、火はたゝもえに、西におしたちゆくさまは、かはほり打広けたらん如なり。午の時過る比、上は、京兆の尹の御館、しせん苑に火かゝり、大城もほと/\火つきぬへしといふ。下つ方は、因幡堂、本圀寺なともとく焼て、すさかのまてときこゆ。めう/\と立のほる炎は雲を焦して、月日の光も見えす、物の頽るゝ音は、千ゝのいかつちを響かせ、人の泣さけふ声、走まとへるありさま、たとへんに物なく悲し。我やとるへきをちこちの家ともゝ、今は残りなく成ぬ。いとあさましきに、夢うつゝともわきかたくてなん。聖護ゐんなる人の庵にて、やう/\故さとにかへらんの心定めてそ、申のかたふく比都を出て、道々人のさまあはれなる事のみをそ見る。いときなきものを前うしろにして、老たる人の手を引きたれは、はやりたる心のまゝにもえあゆます、或は病の牀なからかきもてゆく。又、うふやの人をわりなくあゆませて、いたはるもあり、子をまよはせてもとめかぬる、老を倒さしとすまふ、あるは気のゝほりてまなこをいからし、神仏をうらみのゝしりゆく人あり、常にはいかにもあてならんとおほゆるか、けはひはけ、眉打ひそめ、物さへかつかて、立はしりまとへる。衾を負ひ、調度を荷ひたるは、いさましなともみゆれ。そのかき出たる物つみはへて、女わらへもりすゑたるは、ようゐありけにこそあれ。暮なはいかにわひしからんと思ゆ。東福寺のまへにて、おとつ日手を別ちたる孝直にいきあひたり。いかにや/\と、かたみになつかしうて物もいはれす。難波にしか/\の事ともあつらへ聞え、猶さりかたき人/\見つくとて、都のかたへゆくうしろ手見おくるにも、こよひいつこにかやと覧と聞えし事の、むねつふるゝなりけり。伏見の岸の夕闇に、舟もとむれとあらす、心ならねとやとりぬ。雨降いてゝ風猶やます、神さえ鳴る。たかなほいつちにかはひくるらん、物の陰なくやとりし人、いかになけきまとふらん、からうして持運ひし物もぬれにぬれて、いつこも/\、さるさまにのみ泣かなしむともすへなき夜かなと、すゝろに涙とゝめかねて、そなたの空をみやれは、ほの気雨雲に燃わたりて、あか/\と物の隈なくみゆるは恐ろしな。夜すからの風のたよりをきけは、はやちいぬ亥に吹かへされて、今は大宮所も火つきぬと申す。いかに浅ましと聞つれと、かうやうの時はまか言いふものゝあなるをと、さるかたにおもひたのみて明しぬ。あした大道のかたり言を聞は、まさしに焼させ給ひて、至尊は加茂の社に遷幸なしませしとも、又、比枝、鞍馬、いつれにさけさせたまへりと、猶まさしき事は聞えこすなん、いとあさましくかなしき事のかきり也けり。やゝ朝ひらきするに打乗て、流くたりて、枚方のうまや漕過るほとより、船も陸も立つゝきて、都の便おほつかなしとにや、人いそくめり。みかへれは、めうくとそひき立たる烟の、今はこゝのへの内外残りなくそなりぬへし。孝なほいかにや、友かきらいつちにかのかるらん、彼是思ひつゝけらる。さてなん、せうそこおほかたにきこえて、ないし所、至尊、御事もなく聖護院の室へ入らせ給ひ、上皇は栗田へと申。其夜のおほん有さま、人とりくにいふめれと、猶いふかしく、かつうきたる言を後につたへんはとて、書もとゝめす。かくて、ふたゝひ六波羅の室へ遷幸なしたてまつらせ給はんよしを申せしかと、あらすなりんて、白河にたひねませし女一の宮うつらせ給ひ、大宮の御かたは、智恩ゐんへとなん申侍る。

抑、皇居の火ありし事、今の宮こにてあまたゝひなるか中にも、村上天皇の天徳四年、後朱雀の長久元年、後深草の建長元年、後土御門の応仁元年、後西院の万治元年、霊元院の延宝元年、さては此度なるそいみしき世の災ひ也ける。かくてこそ、いにしへの神たからや、ふみや何やのおほんも、其度くに焼亡ひしには、今やあかりたるよの事共の、まさしに伝はるへからぬことわりをも、おろくこゝろえらるゝ也けり。さて、此度まかれし所々、わつかなりき。おほんふみ庫、二条の二の丸殿、花山とのゝ館、北野のやしろ、東寺、西の本願寺、興正寺、六条の枳殻の室、其外はみやこの外なる所なる所々なん、もとのたゝすまひなりける。人もおほく失なはれしといへと、正しき事はしられさりけり。物のあはれしるしらぬも、なへてなけきあへる世のわさはひになん。其日のありさま、今おもひ出るさへに、いとも恐しな。

  ほの気にはいろはの神もやかれにしそのかくつちのあらふ今日はや

されと又おもふに、

  四の海静なる代に住民もしはしの波の立居をそみる

のことわりにはあらぬか。これや、天のなせるはさくへからぬといへるたくひなるへし。さるは、慎しむへきはおのれくか行ひなるを、しかこゝろへなからも、なけらの世を過しぬる身の、何をかいはん。

                                                                                             (2011-03-15 renweal by O.Kigoshi)

    ◆いははし

なにすとか、あし垣しこめて、すかのねの長き日くらし、世の憂さをもよろこひをも、これかれとこしかた思ひつゝくるには、みたりかはしき事のみおほかり。それか中に、去年は、嵐山、大井河辺におかしきあそひせしを、此春よ、いみしき世のわさはひして、九重の内外あさましう焼うせしかは、其わたりをちこち咲散も、誰かはみはやさん。まして、  都たに春なき年はあるものを難波ゐなかに住わふる身は

とも独こたる。友かきの中に西河のたゝなほといふは、からふみの学ひ怠らぬあまりに、雲を妬み風をいとふさかのおはして、六十と云齢にも、よろつ心かろき人になんおはせりき。みよしのゝ滝の水かみ見んのねかひ久しきを、いつまての命とてか、年の思はんをやさしみておほし立れしに、いさ、此便にこそ大和の国なるゆかりの人々をもとはめ、問へといひしいとこなるものゝ契をもむくはんとて、翁のしりに立て出たつ。さすかに老たる人也、我も年ころのなやみをこたりはてぬには、足たゆからぬかたよりこゆへく。国分のたむけをこゝろさしゆく。かし原の里過て、この大河のへをみりは、やよひの半はかりなるに、岸根の柳はらこく薄く緑して、春ふかゝらぬけしきしたり、年の寒きにこそ。大和路にたよりする船とも、おほくこゝにとまりす。

  一葉よりうかへならひし河舟をつなくきし根のはるの青柳

国分の里に西尾氏なる人は、さるゆかりのあれは、行過かたくてとひよる。あるしいとねもころなり。ゆく手の道のしをりあきらめつ、ひるめこえといふを、其たむけにはゆかて、藤井といふ河へのさとにくたりて、亀瀬といふあたりいと面しろき所なり。むかひの嶺よ、竜田山也。今は其坂路をかめせ越といへり。さてよ、此流をやまと河とよふはさることにて、むかしは立田河といひし也。人はやく忘れにて、しかこゝろえたる里をさもあらぬよ。山を東へくたれは、立野のさとなり。そこに、天の御柱、国のみはしら、竜田彦、たつた姫の御神達の社ましませり。風祭の祝詞に、我宮は朝日の日むかふところ、夕日の日かくる所の、たつたの立野の小野に、宮柱ふとしきましてと有を、今もかしこのたゝすまひにむかへ見よ、世にいふ里にもまつれゝと、それは旅の社なるはと、並河のいはれたり。又、其わたりなる流をは、竜田川なりといふは、わらへ言にて云に足す。むかしはいかはかり芝かりけん。秋は紅葉の河つらに散かゝりて、わたらは綿をたゝんともたとへませるを、今のうつゝにはおもひよせかたくとも、ふみを読ていにしへをあきらめ、目をとちて其在しさまをもおへしかし。

  竜田川はやくの名には流れしをいつのよとせに呼たえぬらん

けさの雨もよ、おほつかなかりしを、昼つかたより晴て、うら/\とのとかなり。ゆくてなれは、片岡の達磨寺にまうつ。此いはれは、元享(亨)釈書に出せるまゝを、御堂の軒にかゝけたり。日本紀に見しとは、事のよしも歌の詞もたかひて、いふかしけれは、読もはてす。五社めう神と申は、神名式に見えたるかた岡の神社なるへし。ぬさ散してたむけまつる。日見の橋はとみの小河にわたすと聞しか、いつれそ。又、蘆田の池といふはかりなるもあれと、問正すへき翁も来らすて、しらぬものに過しぬ。此長尾行/\人気とほくて、うみつかれたり。

  春の日もゆふつけにけりかた岡のあしたの原をわけは来つれと

からうして田原本に来ぬ。此宿にて、吉のゝ花ちりぬたよりきこゆ。

十四日、けふは天気よし。三輪山をこゝろさす。

  見わたせは霞かゝれる山ゝも名にはかくれぬ大和国はら

  わか入らむかたは霞にこむるとも杉のはしるき三わの山本

ゆくてに森屋の社と云は、みつ垣かんさひ、忌垣いみしう繞らせたり。此あたりに、これはかりの大神の、さる名きこえぬはあらぬをもておもふに、こは城下の郡村屋にまします遠津姫の社にはあらぬ歟。みたれたる世に、村屋を社屋に写したかへしか、ほと/\森屋とさへ書改しよ。此神は、大友の御国争ひにつくてかたり事のあるを、そらにはいかてかいも出す。此南三丁許、田中の年ふる木に、世にことさまなるしりくめ縄を引はへて、末は此木にまつはしたるか、道を中にして、西ひんかしにわたしたり。太さ三尺あまり、長さは三十丈に猶過ると云。里人にかたり言に、此さとゝ南なる大西村とより、年ヽむ月の十日に奉る也。此二さとは嫁とりのむつひを相いましむ、まれ/\みそかわさなとすれは、末はたよからぬ事の出く也とそ、よしめきてきこゆ。此しりくめ縄も、かの御国あらそひにつきて、おろ/\しかにやなとおもふむねもあれと、しひ言めきたれはやみぬへし。三輪の大神に詣つ。わらはなりしむかし、父の御供してまうて侍りし。そのかみのはしさに、わさと詣侍るなりけり。御社の御たゝすまひ、おほしゝよりは山深くもましまさす。此神少名彦の神と御ちからをあはされて、御国をひかせし事、古きふみともにみ奉る。いとかたしけなしや。み国にうまれし人は、必まうて奉るへき大神にてそましませりける。ふとまへによみてたいまつるいにしへふりの歌、

味酒 三わの山は 桧原の しみさふる山 いむ杉の 木たる山かも 立出の 峰そよろしきはしり出の 麓も栄ゆ 春霞 かくさふへしや 時しくの 山の嵐に 朝はれわたる

 うま酒をみわほりすゑていはひにし神の三室の山は此山

はつせ路の花もゆかしけれと、むかしも二たひまて下臥せし事のあれは、けふのたやゆき足に、此度はもらしつ。こゝより天にかく山わけみんとて、はつせ川の末をわたり、桜井のうまやを北西によこをれて、安倍の文殊にうまつ。こゝの窟の事、又、是より三つ山の事、初瀬、飛鳥わたり、吉野山のしをりこと/\、いにしへを引出て今のうつゝにかうかへ、或はたかへるをろうしなとしたるすか笠の記とか、伊勢人の書し物をさきに見しか、世につはらかにもるゝ事なくしるされには、野への新草つかみしかき筆して、なとやまなひ出ん。其人は御国のふりたる事ともをあなくりとめて、天のしたの物識になんおはせりき。されはよ、旅ゆき人の日記てふ物には、いみしきまめふみなりけり。さて、あめのかく山もとめわつらふて、やゝたとり/\のほるに、苦しからぬ山路なれは、むへもいにしえの大きみ達の国見し給ふへきをのへ也けり。峰とおほしき所には、松二もと三本立るのみにて、なへてない鎌の痕あさましけなるしもと原なりけり。山の尾は東につゝきたれは、其かたは見えす、畝火山西に聳えたちて神/\し。耳なしは北に立て、此山と足かなへなせは、三つ山の名はおへるなりけり。北にむきて東にかたを見わたせは、三わ山、布留の山、高まと、春日の峰ゝたゝなはれり。西は、高間、かつら城、二神、竜田、いこま根、さすかに打霞めり。かへりみれは、鷹むち山の尾つゝき、遠からす望まるゝ。北はあまさかるかきりもしらすはるけきに、畠つ物のくさ/\、色をこきませて、国原をぬひ織したるかおかし。けふの日くらしなかむとも、あく時あらしとなんおほゆ。

  わけのほるけふのねかひのとし月をおもへは久しあめのかく山

蕨つみはやす里のこらに道ひかれて、南にくたり、かの鴎たちたつ海原は、跡たにそれかとおもふも見えす。藤原の都は、この山と畝火とのあひたに、木のもと、かし葉手なとよふ里のあたりや、其跡ならむ。池は、かならす大宮の東、このふもとにも在つらんと、賀茂の翁は云はれし。今も、池内、池尻なといふさとの名のゝこれれと、かたを指すに国形いにしへならす。そも埴安の池のあせての世に呼初つらむを、世の乱れにあへは、人は棲かふるものから、里の名も共にもてはこはるゝそとおほゆかし。さて、此はにやすの池といふは、推古のおほん世にほらせ給ひし藤原の池と、ひとつ事にやあらぬ。山をくたりて、鏡の池といふそ、かの池のゝこれる成と。なみ河の翁はしるされしかと、伊勢人はうけられぬそ、よしあるか。久しき世の事は、いつはりなる跡のみ多かれは、なへて信しかたきものそかし。うねひ山ゆきて見まくおもふを、たゝなほ、けふはいたくつかれたまへは、又の命にかこつけて、あすかのふるさとをさす。田中に、こん堂、講堂の跡とて、草むしたる礎あり。寺の名のむかしをとむれは、かたり伝へすると云、いかにせん。飛鳥の社のまへなる水うまやに入れて、足休むるあひた、彼いしすゑの事を問へは、むかしよりいかなるともかたりつかねと、古き人の申されしは、たつみのかたなるは層塔の跡にて、奈良の元興寺へ引もていにしとそいへるとそ。ゝや元正天皇の元興寺をならの左京へうつされしをよめる歌に、

 ふるさとのあすかはあれと青によし奈良の飛鳥を見らくしよしも

とよめりし其跡にはあらぬか。此寺もとは法興寺といひし也。崇峻のおほん時、蘇我の大臣か何某かの家を壊ちし寺とせしといふ。其造りし所をあすかの真神の原といへりとそ。歌にも、大口の真かみの原とよめる所なり。いかさまにも、かしこはやゝ打ひろめたる原野なりき。さはいにしへのかたみもしるく

 春草に常盤かきのはの跡とめてもとつあすかの寺はしるしも

されと、しひ言にしも有哉。又、このさとにあすか寺とて丈六の仏をすゑ奉れり。こや馬子のおとゝか願ひのまゝにつくらせしと云仏歟。御堂に入奉覧するに、戸より御とたけの高くまして、すへなかりしを、鞍作りの鳥と云工みか思ひかねに、やす/\入奉りしとある、その御仏にてこそあれ。されと、平城にうつさせ給ふ御かしこみなるを、本尊のこゝにな(ほ)とゝまらせ給ふへきにあらねは、此すゑたるは、むかしのにはあらぬ歟。飛鳥の社四座ぬさ散しつゝ拝みめくり侍るを、秋の葉に見なほさせたまへ。されと、紅葉散てふ神なみやまはこゝならす、西なるいかつち村の上の岡に、むかしは鎮もりませしを、淳和の御時、神のさとしみよて、こゝにうつし奉りし事を、伊勢人の記にも載られたり。此梯立のもとに、ふるきあすか井也とて、くほかなる所に垣ゆひめくらせ、高札を立、書つけたるをみれは、

 あすか井にやとりはすへし、おけ、かけもよし、みもひもさむし、みまくさもよし、

あなうたて、此おけとは、うたひ物のはやしことはなるをしらて書ましへしかは、三十あまり三文字となりて、しらへ苦しきのみかは、ことの心もわいためかたきを、手もつたなくもあらぬに、いかてかはかりの事こゝころえさりけん、いみしかりけるわさにも有かな。さて、こゝに名たかき酒ふねはいつくにと問へは、此岡の辺の草ふかき所にて、道のしをりする人なくては、えとめ給はしといふ。さる人もとむるに、あらす。からうしてうはらの子おひたるをすかし出て、これかしりに立て、神山の右を池ある所によちてゆく。此あひた左のかたによき寺のみやらるゝは、藤原寺にやとゝへは、あれは大原もんたうと申とこたふ。打ゑまれつゝおもふに、藤原寺のひとつの名を大原寺といふより、しかよこさまにもこゝろえけむ。昔清見原の天皇、藤はらのみやす所に、雪の日よみてたまへるおほん、

  我里に大雪ふれり大原のふりにしさとにふらまくは後

みやすん所の御かえし、

  わか岡の大神にいひて降せたる雪のくたけしそこに散らん

此御言の葉ともをあわせみるに、我岡とはあの寺みゆるところのさまにて、いにしへは大原と呼しを、藤氏の家つくりしておはせし跡を、寺に捨てられなるへし。伊勢の物しりは、大宮所の藤原と同し名のこと所なるへくいわれしは、うけられすおほゆ。こゝこには、今道一里許かあひたに、おなし里の名のあるへくもおほえすなん。八劔山は、其東にみるるをさして教ふ。一たひの都なれは、さためて山ふところなから打ち広めたる所なるへし。うはら又かたる、我郷の西に、かなゐとて、いとすゝしき泉のあるをたつね給へりやと云。しらて過つる事よ、それそもとのあすか井にてはあらぬか、其あるかたちを問へは、畑ある岸根より涌出ると云。さらは、水は今もさむくとも陰ふかゝらすは、やとりすへくもあらし、水草もうるはしからし、立かへりてむすむとも、何のあわれかあらんと、おもひすてつ。さて、さかふねの巖来てみれは、聞しよりも猶異さまにて、かつ古代の物なりけり。かたちの有やう、大いさなとも、並河の翁、またいせ人も、つはらにしるされしかは、おなし事書す。翁云、むかし応神のおほん時、吉野の国栖人ら大きゝきのみことを饗しまつれるとて、よしのゝ樫の尾によくすてふ物を造りて、大御酒を醸し、口鼓をうちつゝ、歌まひせし古ことあり、其横春いかさまの物也けん、しられねと、これかたくひにゃとなん、とはいはれたり。おもふに、是かかたちはかくして、又上より何さまの物をか打ちあはせて、其事をなんなせりけん。今のすり磨のたくひの、こはかた/\をのみとめたるにや。されと、いかにしてかもしなせりとも、今いかてしらるへき、いとめつらか也けるいにしへのかたみになん。うはらこゝよりかへるとて、岡てらへの径よく教ふるに、銭すこしゐや申て別る。打ち越れは、御寺にいたる。こゝの町に、上田の何某とて、我はらからめきし家に入てあし休むるほと、竜門へこゆる道のあない問きはむ。さがしき山路を、三りには猶余れりと云。けふの野山に立まよひて、さはかりの道ゆふこゆへくもあらす、日はまた申のひとつはかりなから、沓の緒こゝにときつ。夕つけて橘寺に詣つ。わかき法師立むかへて、御寺の故よしをとはすかたりす。大かたは耳とゝむへからぬ事ともなり。寺の名を問へは、えこたへす。かの輿地志には、菩提寺としるされしかと、おもふ事の有て問へるなり。僧坊には老法師待とりて、こなたへとて、客殿に(い)さなはる。こゝには、聖徳のみこのおほんを、何くれのもの拝ませして、いはれありけなれと、こゝなるましき昔物かたりともにて、心にしるすへくもあらす。こゝをしも橘の里と云は、いにしへの哥に、橘の島にしをれは河遠み、とよめる所にはたかへりや。さらは、此まへなる流は、むかしの河瀬にはあらぬよとおもふに、むかひの丘に、河原寺の跡とめて、石すゑなとも有といふ。いつれ千歳を隔てしには、ゆふ影草の露はかりなるしるへをいかにせん。此文こし道々も、いは橋ふみこえ、継はしさくりわたりし、こもあすか河の面影とはみつれ。されと、落あへるはかりの遠白き川瀬もあらすとや。此故さと一里あまりには過さるへし。其あひた幾瀬か流あひて、けふはこなたにたきりむせひ、翌はかなたにみなきらひつゝ、瀬々の定まらぬから、世をも身をもうちかこてる人の、たとへてよめるなりけり。抑、允恭てん皇の遠つあすかの宮こと申せしより、近つ明日香の宮、あすかの八劒の宮、あすかの岡本のみや、河原の宮、清み原の宮なと、あまたゝひの皇居なりしも、一たひ北に遷されて後は、丘崩れ林は摧かれ、河うもれ、淵あせて、国かたいにしへにあらされは、枝ならす風の音、瀬々こす波のひゝきまても、昔をしのふよすかさへあらすとなん、誰問すかたりしつゝ、やとりにくれは、月は山ふところなからさし出つ。

   あすか風吹絶しよりふる郷のいにしへ霞む春のよのつき

十五日、天気よし。妹かたむけのほりく。たかむち山の内なる坂路也。のほりつきて、鷹とりの城むかひの峰にさゝけなせり。此大城は、吉野の皇居より北のみかとの軍を、こゝにさゝへんの結構なるよし也。昔も、山河の固めのたのまれかたきを、いさめし人もありけり。此まへなる谷も尾も、桜木あまた散もはしめぬなかめの、おもひかけすあはれにて、岩かねに腰うたけ、時過るまてをり、

   み山路のいつ鴬に身をかへて花の木末にわれやあそへる

此わたり松ともあまたおひさかえて、花に交れる、いとおかし。吉野へこえむ人、必こゝを歴てゆくへき物そ。

   風をいとひ谷のさくらにさしおほふ玉松かえにきぬ着せましを

   桜さく山路にけふはこもらなんよしや吉野ゝ花はちるとも

りうもんの平尾と云邨に池田の何かしといふは、疎からぬゆかりの家にて問よる。あるしの翁、こゝち例ならぬ比にて、あしく参りたりけり。されと、こゝろさしはいたさるゝを、かへりてうたてくそある。此里の滝の名、久しく耳にとゝろけるをみむとて、弱き人しるへたのみてゆく。此家の前に、さへの神と申社あり。こは伊邪奈岐の神よみちかへりまして、よもつ比良坂に、千曳の巌もて、よもつ神をさゝへませし其いは神を、さへの神とも、ちかへしの神とも申す也。さらは、此旅のつゝみなくて事さへませとそ、ぬさ散したいまつる。又、高鉾の神と申もおはせり。この御名は神名帳に見えて、こゝなる事もしりて侍り。こゝに又、天神の社と申を、なみ河はよしのゝ山口の社としるされしは、いかにそや。こゝよしの郡にて、里の名を山口むらとはよへと、それは吉のゝ山の口守ります神なるへけれは、こゝにはあるへからす。さて、滝はやゝ深う入処なり。此比はみかさぬるめるといふも、猶すさましうてなん。むかし伊勢といひし哥よみのこゝにまうてし事、物に見したり。それか詞に、大和の国にしはし往る時、寺めくりするとてこゝにきたる、所のさまなといひて、さてよめる。

 たちぬはぬ衣きし人もなき物をなに山姫の布さらすらん

とよみたりけれは、こと人よますなりにけりとそ。又、扶桑略記に、昔三人の仙ありき、大伴、あつみ、久米のやま人といへり、倶に竜もん山にすめり、大伴の仙は家居なくて住り、二仙は住し跡ありと見えたり。其跡とへは、はろ/\の嶺に在と云。世にりうもんの嶽とは、そこをいふなるか。いむ事ようせすは、ゆくましき所なりと聞ゆ。又、葛野王のこゝにあそひたまふて、長忘冠冕の情とよませしから哥、懐風藻に出たり。又、素性といひし歌法師も、こゝにまうて来て、

  雲と見て人まとはすは流出て竜の門よりきたる水かも

猶代々の撰集にありしと覚ゆれと、そらにはおもひもえす。滝のうた、からさまは猶しきたなけにて、

  懸泉絶壁下、渓鳥披雲聴、強欲尋仙室、幽深肌骨冷。

寺は義淵僧正のこん立なりといへは、藤原の都のいにしへもしるく、下乗のいしをみれは、元曠三年と鎚られたり。まさしうよしのゝ皇居の比まては栄えてありしを、其後いつの代に絶しをしらす。この落来る水の打烟るはかりなる所に、すこし岡のかたちせしか、似雲か方七尺の庵つくりし跡也とそ。けふのしるへせらるゝわかうとは、自安といひし人のひゝ子にておはす。翁は手書哥よむすき人にて、雲のうへ人にもちかう参りかよひ、かの法師ともたまあへりしかは、比いほりをもふすひてあたへられし事、かねてきゝしりぬ。さて、こゝろゆくまゝのあそひして、別れを給ふ。一夜たにあるしせてと、せちにとゝめらるれと、さすかに芳のゝ花も心にかゝりて、わりなくも立いつ。上市のわたりして、千とも谷のほる。こゝの花はおほかたに散過たるを、猶こと所よりはおおかるへし。されと、此春は都に火の神のあらひし日、それかはやちのこゝまて吹うてゝ、人の家を倒し、桜木も数しらす折ふして、みるめもかなしきわたりには、歌よむへくもあらすて、やとりもとめて入ぬ。昔もこゝにあそひし事の有しか、其度もなにゝ心のとゝまれるともなかりしは、わかゝりし時のひかこゝろにやと、又もまうてこしを、此あさましさゝへそひて、うたて打うめかるゝなりけり。さてしもおもんみれは、此山路はいにしへ役のう婆塞かふみ初しを、其後、醍醐の僧正の再ひ開かせたまひて、行ひ人のみのいきかひ路なりしを、建武の帝の仇をこゝに避けたまひて、凡五十余年の皇都なりしかは、〓をけつりて階となし、人麿、赤人、其外の哥よみ人の、御幸にしたかひ侍りて、言えりうたひものせしは、あすみん河辺のあそひそかし。さるは、たゆき足何しにつからさむと、暮はてぬる枕に倚れは、吉水のかねの音心のなき夕也けり。

十六日、けふもてけきのふの如にて、うたみなし。吉水院にまうつ。此室はしはしの皇居のまゝ也といふ。帝の御かたしろ拝ませして、ちかう参る。御かたみの物、何やくれや戴き奉らす。谷をわたりて、如意輪のみさゝきにぬかつきまつる。こゝも御墻の内つ国とは申せと、今は宮人のいきかひなき荒山中にはふらし奉る事のかなしさよ。万里の小路殿の御いさめおほしにかなはせたまはゝ、かゝる世あらんやは。大まへの塔婆をみれは、去年の三月十六日なん、四百五十年の御国忌なるよししるせり。おほんは葉月にて、秋のわかれとおほしゝをいかにそや、けふ其日なりけり。ぬさちらし奉りて、

  美山木の日影もゝらぬ下露に降そふものは涙なりけり

陵墓守る僧人等も、いつちいにけん、見えす。木珠なといふおそろしき物や棲かはる。画梁承塵すへて蛛の網にこめられ、いとすさましき所なりけり。さて、此谷の花も半散過て、みとり色ふかき陰道をゆく/\、花は多かり。夜へおもひしすゝろ言にさやりて、めもとゝめす。奥はまたふゝめるたよりも聞えて、安禅寺のわたり、昔まうてなつかしからす。何かしの法師か三とせ住居し庵もうけられぬものをと、世尊寺の前よりきさ谷に下る。此くたるは、布引桜とか、人のみはやす木むらの中をわくる也き。花はこゝもかつ/\にほひのこれり。象の中山は、此山路なるべし。さは呼子鳥の声きかましを、谷も記末も鴬の囀りのみなる杉村の中に、落る滝あり、高滝と云。杖とゝむへからあには、きのふの竜門におとりてみゆ。花はこゝより下つかたに多かり。うたゝねの橋といふを渡る。此わたるはきさの小川なるへし。今散は流に降かゝりて、目もあや也。

散うかふ花の浪たつひまみれは象の小河はいまもさやけき

桜木の社を過て、河へにいつ。あきつの宮の滝の流、うへも名に響ける所なり。屏風を立たる巌の肩よりさし臨めは、底ひもしられぬ青淵の色、骨もひゆるはかりおほゆ。むかひの里よ、宮の滝と云。此わたり、いにしへのみかとのよつの時々いてまして、みあそひ有しあきつの小野はこゝならむを、伊勢人の記には、河かみなる西河大滝のあたりなるへくいはれたり。まさしに宮の滝と呼さへに、又、御園生の森なといふ名のゝこれるも、うたかふへからす。ふたゝひ来て見よかし、秋津の小野ゝ名おふするとも、ふさはしき所のたたすまひ也けり。けふこゝにあそふなへに、むかし吉野の宮を題してよめる事あり、所をみるに、似気なくもあらす思ゆ。其歌いにしへふり也。

名くはし 吉のゝ国は 山つみの もりてませれは 山並の 宜しき国そ よき人の よしと見ましゝ 滝つ瀬は 清きかふちそ しかれこそ 大宮人は 春花の 咲のをゝりに 鴬の 声をあはれみ 秋きりの はれぬまよひに 河つ鳴 瀬毎ともしみ いきかひて 見れともあかす あそひせし 秋津の小野の とこ宮は 常世にあらて 夏見河 流るゝ水の 立やかへらぬ

  御舟山常ゐる雲のつねならは滝の宮古は今もあらぬか

昔も所からなる古ことすんし出たるを、心たかしやとめてられしためしもあれと、おのかつたなけなるを打出ん事、鼻しろむわさなりかし。又、三舟山も、伊勢人は大滝のわたりにさるかたちせし山ありといはれし。並河は、菜つみの里の巽にとしるさる。これを望めは、舟の如しとそ。いかさまにも、此河上に舟やかたせし山あり。是そなつみの辰巳にやあたる。いつれ大滝のわたりといふは、しひ言なるへし。かつ、あきつ野もこゝと定むへくおもふを、いにしへしのふ人来て、猶みさためよかし。こゝより仏か嶺といふをこえて、河かみもとめ行。わつかにのほり来て、人住ぬ古屋の軒よりみおろせは、夏箕の里は、河の南の岸にみゆ。瀬々にわたす継橋の上を、人のいきかひなとする、ちひさうみゆ。かゝる所は、絵にもめてたし。こゝは国栖の里ゝにゆくちまたなり。我は右によちゆく。けふはしらたみの気にて、あゆみくるし。たむけのほとり、谷の底に国栖の里みゆ。けしきいとよし。又、このこゆるは、いにしへの樫の尾の山也と、並河の云はれたり。さるは、よくすを造りて醸せし古こともしるし。くたれは、即かしの尾のさと也。大滝の涌て流るゝをみつゝくたりて、にしかふの滝、聞しにまさりてすさまし。せいめいの滝たよふは、蜻げたの文字にあてゝこそ、あかつきの小野ゝよすかとせん、後のもてつけ言そと、いせ人のろうしたり。又、蝉の滝の名、ふさはしともいはれたり。此木隠れに響きおつる水の音の、けにもそれか鳴に聞きなさるゝよ。そゝや、都あたりにも、蝉の小河、日くらしの滝なといふは、そこの木かくれ行水のさやめきをおもひよせし名也とやせん。とけんと聞、不如帰とし、死出田をさとも、ほとゝきすとも、みな聞人の心つからなるや我癖耳にも、

 おひすかふ峰かと聞けは落滝つ谷の梢の蝉の諸声

此末の上つ瀬はたらきち流るゝか、中つ瀬一丁かほとは、帯はかりのなかれも見えす。打橋わたせる下つかたは、石走らす滝つせとなれるをもて、里人の云は、これなん、月のかしらにはかみつせを流れ、望の日よりは下つせを流るゝよしをいへと、れいの事にて信しられす。かゝる所はをちこちにありて、水尾の土のしたをかよへる也。みな瀬川ありて逝水なくてとも、又、下にかよひてともよめるたくひそかし。ゐなか人は、おのか住里をひたふるにほこり言して、かゝるおよつれ言はす也けり。さて、大滝に来てみれは、世に殊に珍しな、河かみよりたきちくる水の、此岩むらに打かくるよとみる/\、真白栲の絹を幾千むら引散したる如に、それか一きさみ落ては、しろき薄ものゝ裏なる浅みとりの、打にほへるはかりの色あひしたり。又ひときさみ落来ては、裏絹の色こく、今一階みして、しら絹に花田の絹こきませて、いつれ裏うへのけちめもなくみたれあひつゝ、末つひに青淵なして流下る。雲ゐの物にはやうかはりて、目さむる観もの也けり。

  み吉野ゝ此水かみの河社瀬おりつ姫のぬさは誰か幣

さて、こゝをくたす茂のさまにんするを、はや青淵におとしたるか岩間過ゆくさまは、長きをろちの草むら偃ふしてはひめくるに似たりけんなん。此国人のならはせにて、伊勢の大御神を伏拝みするににて、昼つかた過ては、山かつも茂士も、なへて手業打やめて遊ふと云。さらは、かへる山、国栖の里々見ていなんと云を、しをりする男の、さは道の帆と春気句、日くれなんをといふに、いかにせん、もとの山路えをなつさひくる。国樔の里再ひくたしみて、

  くす人の吹笛竹のよゝなかくすめるためしをみよしのゝ奥

夏箕の里も過しかたくて、菜つみ川わたす継橋つきてみむ此山蔭の淀瀬を宮の滝なる柴はし打わたりて、上いちのやとりを志つゝ来る。此あひた、山も河もいとおもしろ。夕霧打宮の滝なる柴はし打わたりて、上いちのやとりを志つゝ来る。此あひた、山も河もいとおもしろ。夕霧打かすめるに、かはつの瀬ことに鳴かはしつゝ、岸の山吹をりえかほなるを、一えたかさしに折て、

  吉野川よとせをみれは山ふきのかさねの衣ときあらひして

  夕河のみかさやまさる妻呼と瀬ゝの蝦の涙ひまなき

いさよふ月にきほひつゝくれは、道のほとも遠からすてなむ。

十七日、うち曇れり。朝かはつの声を聞つゝ、川に沿ひて下る。車坂といふは、古ことの葉なる今木山にはあらぬ歟。こえてのこなたは、今城の里也。こゝに天狗の森と云は、昔、黒彦の皇子、眉輪の君、つむらの大臣等をあわせて葬りしいま木の槻の本の墓也と、輿地志にしるされたり。この事は、雄略の御巻にてみたる事なるを、雨降くれはかいも出す。けふそ雨きぬとりきぬ。我こゝろさす長柄の里は、よきりゆく路なれは、まよひやはすと、人ことに問もてゆく。行手二打煙るを何そとみれは、いとめつらしな、炭竃のくゆる也けり。郷の名をとえは、朝町とこたふ。むかしも、米花村よいふ名をめてしもろこし人の宮ひことにおもひよせてそ、

  朝まちて霞なからも降雨に煙をそふる里の炭かま

かつらきや高間の山の麓なる長柄のさともとめわつらふつゝ、やう/\来たる。此里長は我いとこなるを、年月疎々しうて過しぬ。今はかたみに老ゆくまゝに、すゝろなつかしうて、わさとに問よるも、さいつ年とへといへし契、なとか忘れん。されと、怠りの月日は、年をかさねし事のほゐならぬものから、

  岩はしの中や絶んのひと言はけふをかけしよかつら木の神

此やとりにて筆を収めぬ。

    ◆箕尾行

〔長月のはつかあまり、難波にものにまかりしついて、上田秋成ぬしの旅の御やとをとむらひ、たいめ奉りしかは、こよひはわかうつらのやにわたりて、あすなむ、みの尾山のもみちともになみんと、のた(ま)ひしにいさなはれ、此津をたちて御許にまうつれは、むかひめのきみ、例のあるししたまひ、みきたうへ、よふくるまてあそふ。なほあかぬものに、ふすまかゝふりなからも、かたりしつゝあかしぬ。

  これゆ秋成かけり〕

あけ行空のけはひほから/\と、枝ならす風も吹絶て、日の影花やきたるあしたなり。都のまろうとの雨にきるてふ山のもみち、しるへせよと、聞へ給へる、さか野のしをりにむくひたてまつらむと、〓自のけふもすゝろきたてるは、いとあやしな。をちの神やかゝらせ給ふらん、いとゝくなといへと、夜へのなこりの猶あかぬかたり事して、秋の日のはやくひるま過して立いつ。此道しはは幾春秋に分ならひて、めとむるかたもあらぬか、松のぬらたつ岡のへに、ちゝの葉のこくうすく染まりしたるを見るにも、心さす所のまつたのまるゝ也けり。山路の菊のあやしきまて打かをれる、りんとうの花の浅きなからにゆかしけなり。あさみ、つゝしの返り咲もめつらかなる、折はやしつゝ、老のたゆき足もわすれてのほりつきぬ。されはこそ、夕はえの秋のひかり、谷峰に照かはして、いとまはゆくなんとゝうちすゝろきて、

  をちこちをたつねめくりてみの尾山みねのもみち葉けふさかり也

名にし高をの梢もおかしと見たまへれと、猶青葉かちなりしにはめおとりそせらるも、宮人のおまへにはうちも出しといふ。都人もことにあはれとや見給ふ覧。

  いく秋かおもひかけにし箕のを山君しるへしてけふそ来にける

  あちきなく都の秋を見もあかて身をはしくれに山めくりする

こよひ山寺にれいのやとりもとむ。室の戸明わたして見れは、此あを山のこしにまさなのから錦をはりわたしたるも、やう/\くれ行そらの、おほつかなきをゝしまるゝから、

  ゆふ日さすこの山かけの濃もみちひかりをこめに暮はてぬめり

燈たいかゝけなとして、谷水のおとをきゝとゝ、

  心あてに色こそみゆれ月もなき夜のにしきの軒のもみち葉

となん、きこゆるもきく人も、ともにうつゝなくて打ふしぬ。はつかまり五日の月やいつると、ねさねて侍に、聞しらぬ鳥の舌とく鳴て、枕のさうしの影しろくなるにそ、月出て山鳥おとろき、時に春の潤の中に鳴とすんしたるに、さらあて、はやう夜のあけたる也けり。経すけも朝めよき人にて、おき出たまへりき。あるしかたにも打ちしはふきたるか、ほとなくて、かゆきようしてくはせらる。けふはおくの滝のもとに遊ふへく、寺を出て、橋のもとにみれは、ゆふさりのけはひたちかへて、朝露きら/\しく、おく霜にくゝりなして、いとおかしう染なしたるかな。うちなかめて、

  とき遅き咲ちる花にならはねはもみちの秋そ心のとけき

                          経すけ

  わかせこか詞の露のおきそひて山のもみちのいろそましける

滝のもとにきてみれは、みかされいにはおとりたれと、猶おつるとゝろきは、をちかたの神のおとしてすさましな。都わたりにはみぬ物から、いたくめさましかり給へり。落葉、松かさひろひよせて、茶を煎、酒をあたゝめて、時過るまてあそふ。

  うつせとも影はとゝめすおち滝つ岩かねもみち色ふかきさへ

まろうとこれをいたかり給ひて、まさめの写絵に声あるはとなん、聞え給へる、いとかたしけなしや。刀自、

  みせはやないはかねもみち散かひてしからみかくるせゝの滝なみ

これにふみかきそへて、都に人のもとにとてつく。

  手にとらる物にしあらは落ちたきつ滝のしら玉ひろひてゆかむ

呉羽の里に人をまたせしとて、此梺より西をさし給へり。いとわかれかたくてなん、芦のやの軒に、猶しはしのなこりをゝしむなへに、

  おもふとちわくる野山のをちこちを千秋にかけてまたやかたらん

  右道記、東作秋成所述也、寛政元年九月写之

   ◆山霧記

目のいたはり、此夏は世離れのとかならん所にとて、河内の国の人のいさなへるにつきて出たつ。山里なから家たち並て、人気遠くもあらず、よろつに心ゆくやとりなり。あるしの尼は、廿とせあまりこなた、うらなきかたらひ人にて、たえす問聞ゆるか、身幸ひなく、親、をとおこにはやう別れ、四十たらぬほとよりかしらおろして、此庵住にいみしう行ひするいとまには、ふみよみ手習ふわさをつとめて、昔の世いさゝかもおほしいつる事なく、いみしきためしにもかそへつへき人なりけり。いほりのたゝすまひ、木立茂くさしおほひたれは、あしたより日くらしの声かしかましく、蚊といふあふれものゝうたてむらかるを、むかし田舎住して、かゝるをもならひたれは、あなともおほしたらすなん。あたりの家ともとみれは、

  ともし火はかゝけならはぬ芦のやに夏は蚊やりの影そかゝよふ

あるしの有さまをみれは、かたちよりして、何くれのしわさの、昔には似つゝもあらず、よろつかひ/\しうて、翁をいたはり給へる事のかたしけなさよ。いつれの道にもふかう入立し人こそありかたけれと、おほししめるにそ、机にさくりよりて、物のはしにかいつく。

  なきそともありともあらて捨し世の後のある身のすゝしかりけり

  朝よひの仏のつかへをこたらてかやりをかねにくゆる薫物

うつゝのやみのたとりは、鳥の跡いかてみゆへき。此里つゝきなる二人みたりか、時々とむらひ来て、いとむつましくなくさめらるゝに、さふ/\しくもあらす。人々歌よむとて、打かたふけるに、翁もよむ。

   夏衣を

  ゆふことに夏を忘るゝ蝉の羽のひとへ衣に露もおきけり

   河辺の家

  河音を嵐にたくふ夕暮れは旅寐を宇治の橋本の宿

人ゝのかりはくさかの郷也。朝露ふみ分つゝゆく。河澄の常之か家、ゆく手なれはまつ入る。こよひみな月十二日の夜の空、いときよく、そのこにゐさり出て詠れは、

  月みれは影そ身にしむ夏秋を空にはいつとさためすやある

此さとを、古事記に、草香江のいりえの蓮、花はちす、とよみしもみゆ。今は日下と書きも、同し書よりみえたり。文字はいかさまに書とも、くさかとゝなふへし。みわたせは、

  幾千町植るわさ田にくさか入江のむかしおもほゆる哉

神武の巻には孔舎衛坂と有そ、こゝ打こゆる山路そと、老たる物知のいはれし。其坂路今いつこならん。伊駒やまを大和へこゆる道多かれと、昔は此わたりよりやかとひけん。此度出たゝんにち、蘆庵の翁か馬のはなむけしに来たまひて、何くれと別れをしみて、

  いまよりはおほにしも見しおこま山麓の里に君かすまはゝ

いきては帰らしとやおほしけむとも、おしはかられてそ、

  住はてぬ里にしあれはいこまやま常ゐる雲をおほにたも見よ

とこたへぬ。門出してゆく手なれは、蒿蹊の菴を音つれて、歌乞つれは、

  立田山まちかき里に遊ふともゝみちはまたてはやかへりませ

     かへし

  身におはぬ秋の錦のたつた山取着しものをかへる日まては

竜田と伊駒は、其あひたに山隔たりたれと、しらすよみには、誰もしか有へき事也。

森のきんみちの鳴寉園にて、人々、山家秋近と云題をよむ。

  秋のくるちかき便を先そきく山のいほりの軒の松風

十四日、けふは此郷なみにうふ砂神の祭する日なり。石切劒屋の祠と申て、この南なる神なみの里にいはひまつれり。世にめてたき御剣の御徳をやいはへる。又、ほつみの神とも申は、剣の霊威をふつの御魂と申すに、字は〓霊と書事、神代の巻にみゆ。こゝはそれをやよこなまりけん、玉を切事泥を切にゝたりとは、御名にかけてもおほし出らる。けふ尼の庵にかへれは、うたて此比のあつきけにや、腹やみしてふい給へり。我むすめの尼もへうされなれは、いたはりまゐらすへうもあらむ、いと情なれは、うちなけかれつゝ、山水の音に心をくたかれてちゝに物おもふ月の夜ころは更ゆくまゝに、筧のおとさゝやかならす。

あくるあした、日下の正法寺と云より、こなたへ移るへく使たまへり。いとほしけれと、ありてかひなけれは、吾尼めしつれていそき参る。とある岡の上にさゝけなして、松むら、たかむらおひ繁れる中に、いときよらに造られたり。衆寮の方静なれは、こゝにときこゆ。夏はいつちにかあらむ、松のした風吹とほりて、袂寒しとも云へきやとり也。こよひ空晴、月の影いときよし。

十六日の夜も、

  秋をのみ光と人は夕やみの雲なき峰をいつる月はも

夜ひ/\の月、いとあはれ也。

  君まつと立居の夜はのならひをも忘れてはたゝ心空なる

まなこのうときには、こゝろさへほれ/\としてさふ/\しさに、かたり言す。或物織のいへる、いにしへの歌に、立田山をくらの嶺と云は、今は伊駒山にくらかり越と呼しそしかなると云は、ことの相似たるにやまとひし。立田山は此くらかり坂より今道三里余り南にて、大和の平群郡につきたれは、国さへたかひてあたらすそある。近き世の大和志と云ふみに、小倉の峰は立田のをのへに在と云そ、古言にはかなへる。世に物知はかりふと見ては、心すさみして事定むるよ、うたてしかし。

 けふ廿日はかり雨ふらす。田畠にそゝく山水の音も、さゝやかにのみ成ゆく。我すむ垣の外面に、俄に松風のさやくとそ聞ゆるは、あらて、此谷水の走流るゝなりけり。此岡のへに、御所の池とて心広くほりたるか、夏は必田に潅くか、この垣もとを過て、をちこちにみくまりすなりと也。この池は、いにしへ慶安の比、大坂の在藩曾我丹波守殿と申せしかほらせて、森の家に領させし由也。千町の田はた是にやしなはれて、百五十余年こなたの国津宝となん成ぬることのかたしけなさよ。守はわらは病して、森の家のやとりなからに終られしとや。かの家の園池、又、川澄の家をもつらねて、この君の造られしとや。鳴鶴園の記は、去年のまらふとふりに、書てあたへつ。唐さまなるはことにきたな気なるを、今は取かへさまほしきも、いかにせん。唯心の尼、けふはこゝち怠たるやうにて、とむらひく。何くれの物かたりの中にて、都にて人の求めに、能因法師の窓に頭さし出したるかたに書てあたへつる歌、

  いつはりを我心からゆるされてまよふか道のはてしらぬ空

といひし心はへ、いかにそや、わいためかたく問聞ゆ。されはよ、かゝるに歌よまんは、大かたの例にたゝほめにほむへきを、こは物狂ほしくほしきまゝに打出しかは、いともなめしとや、此とひ言はせらるなるへし。此絵の昔かたりは、まこと偽はしらねと、伝へしまゝに今はよみしか、いみしきはかせ、大とこの物云さまにさかしめき、いと鼻しろむわさ也き。又、あつまにはくたらてといへと、法しの歌に、竹くまの松は跡たになかりけりとみゆるか有につきて、まことには下向ありして云人も有、かの関路にいたりてとならは、何事も無くめてたきを、大かた人はおのかしれ/\しき心より綱引過して、中々に瑾もとむるわさしいつるなり。されと、此法師、井出の蝦をほしさらして、人に是見たまへとて、をさな遊ひしあるきたるとも聞からに、真言は下らすて、我心からゆるして譌は打出けん、人ことにひとつのくせなん有を、我にはゆるせと聞えしも、いみしき大徳の御心なり。仏たに罪ゆるさるへきを、おのれ等何をかいはん、後の人の、そこにいたらてよみたるは、浅はかに所のさまにたかふも有とや。この歌は、そこの山のたゝすまひ、水の流、岩木のさまをこまかにいはさりしかは、いき見ぬにも、あなめてたと打きく、いにしへふりにならへる、おほらのしらへなり。又、中比の人の、青葉の木末を紅葉散しくまてまとひありきせしとよみうつせしを、何とかや、さかしきことわりをたてゝゆるされしは、歌ぬしこそいみしきさいはひ人なりけれ。薄ら氷をふみてもて出ては、いかに胸打さわきぬらん、好める道には、雲のかけ橋あやうきわたりして、ほまれあらむとするよ。是はた、我心からゆるしてはいひ定めし人を、いみしきはかせとやさしあふきけんを、又伝へては、教へめきしかたり言にはすなりけりといへは、尼うなつくやうにて。夕やみになりぬ。くらきまなこには、いとゝ月の光のなつかしさに、目をとちてよめる。心なくさはかりに、

  夏むしにけたれし後そともし火をくらきものとも月をなかめて

  夏川にひかりを見せてとふ魚の音するかたに月はすみけり

  いこま山影また峰にわかれぬを難波の海は月になりけり

  我すめと門たゝくへき人もなしこのやま寺の秋の夜の月

  影さふる松のはやしも篁もよそには月をかけてこそみめ

  いく湊天の川瀬を漕過て月の宮こに誰いたるらむ

  あまの原秋の夜わたり照月の光をさまる明ほのゝ空

病にかゝつらひては、おもへと/\はるゝこゝろもなくてなん。夜ふけて、野狐のからひ声して、しは/\鳴。病者の尼、いたうおそろしかりて、うつふし/\いもねす。あした人々のいへる、かなし子や失ひつらむ、時々いまはしき声して、枕驚かすよとて、是につきて、かれか友のいとあやしき物かたりを、ひとりつゝつふ/\とかたる。目さまし草なんおほかる。寺主かたり給はく、我また若かりし時には、世を同しうし奉れは、御まのあたりせし人も、教へうけたまはりし人も、今はた世に余多おはす覧かし。周防の岩国殿のみ墻の内に、洞仙寺と申は、菩提院にて、世の塵に交はらぬ御寺也けり。石霜大和和尚と申せしをむかへて、あふきかしつかせ給へりき。いみしき大とこにて、御齢七十に過させ給へりき。殿の御おやの御いみ日にあたらせて、花つみ焼くゆらせ、みと経の行ひなん翌とまうす日、御ときの料に、まめ、麩、あまた油に煮こゝらせ、てうしおきつるを、人まに狐やぬすみくひけん、残りなく失つ。若法師等あはてまとひ、いかにせん、是あらてはと、走りまとへりしか、又同し数もとめ出て調するほとに、いとにくし、かれはた窺ひ来たらん、さらぬ物にしかまへ、ゆくりなく捕へはやと云。大かたは雲水にありかさためぬ心から、いさみかちにて、こゝよりとおほしき壁のこほれを、遠く守らへをる。おろかものゝかくて有ともしらて、はたはひ入。すはやとて、こゝかしこより走出て、心あはせたれは、たゝにとらへんとす。翅こそなけれ、ぬけくゝり飛かけり、誰も/\え追うたす。されと、いとせめに責つけしかは、物の穴より出んとす。追つめて尾をひき足をつよくとらへたれは、つひにかしらを物にかゝりて引ちきり、からは若法師の手にとゝまりぬ。人ゝこゝろよけにて立別る。其やかてに、十二三はかりの小法師の、いつのまにか松かいともして、御室の軒にさしつくとするほとに、忽めう/\ともえあかり、たゝ今たゝ焼亡ひなんとす。御寺の人々、いかにや/\とあはてさうとけるに、廓の内なれは、殿の人々のかきり、物の具とり、水はちきかけ、軒を崩し瓦を打なとして、やう/\に打けちたり。小法師いそきとらへられて、何心してかく恐しきしわさはすると責とへは、老和上の、しかせよ、御寺ほろほさんと、仰せたふまゝにせしそと云。いとあやしけれと、召出てとはするに、一言たにもこたへ給はす、我あやまちぬと思し定めたるつらつき也。かうの殿も、たうとくかしつき給ふに、いかにそや、此日ころ物くるほしうもおはさゝりしに、いはれこそあらめ、猶問へと仰たうふものゝふ達、かはる/\、言をつくして求れと、たゝ木に造りたる如くにもたしてのみおはす。罪せんや、救してんや、御心まとひておはすほとに、誰か告たりけん、長門殿の聞し召て、かゝるくせ者を廓の内に住せしは、いとも浅はかなり、いそきしをり殺してもいはせよと、御使しきりなり。今はすへなくて、さま/\さいなみとふ。角ある物の上にをらせて、磐しゃくを股の上にみつまておかせたり。七十に余る老の、何かは堪ん、目口鼻より血流出て、つひに目つふれぬ。いとかなしとこそみれ。かくてたに一ことをましへす、息も今はたえ/\なり。此うへはとて、大庭を掘て、炭薪焼ほこらせ、それか上に黒かねの橋をかけて、是わたらすへくしかまへたり。かたるたに聞たに、魂も身にそはす、恐しく浅ましき事のかきり也けり。さて、こゝに引たて来て、しか行ふへく云聞かすにも、たゝこたへなし。炎はめう/\と立昇りて、あたりたに近つくへからぬを、一足も堪んやは。こゝにおりあへる人々も、かうまてはいかてと、息をつめ、黒き汗を流してかなしかる。かうの殿はしの間に出たまひて、いかに苦しくやおはす、たのみて迎へ奉りしに引かへ、かくためしなきわさしてさいなむ事、心の外也とはおほしもしらるへき、たゝ毛利の大とのゝしひていはせよと、御使日ことなり、こたひこたへ聞えすは、御身は本よりにて、長門、周防二国の内には、曹洞の法の燈もふつにけちはてん、よく問糺さすは、我家の風たにふかせしと、うち/\思しさため給ふとも承りぬ、大徳の命をしませぬ事さもおらはあれ、多くの罪を、道にも国にも及ほして、何にかは、仏の教へにはかく心こはき例やある、いて聞侍るへしと、すゝろきて声あらゝかなり。

こゝに大とこはしめて口を開き、重き病して苦しみうくると思へは、此日ころ堪しのふへく侍り、命めされん事、老の齢惜とも思ひて侍らす、又両国のあひたに、法の光(には)かにけちなん事も驚くへからす。四大州にみちみちて、照さぬ隈もあらねは、しはし御 休むるほとにてこそあれ、かへりて此御国の災ひと承るこそ、いとほしけれ、こゝに愚かなる願ひの侍るを、ゆるさせ給はんにはと云。かうの殿、かゝるきさみに承はらてやあ覧、とく聞え給へと仰す。御齢のかきり、物の命をたゝせ給はらすはと云。さる安きほとの事やある、なとかくからきめ見せむ中にいはさりつる。いとかたしけなし、今は世に思ふ事も侍らす、おのか罪は思はて、人につられむくひする愚かものこそ、いとあはれむへかめれとて、四句の偈高らかにすんし終り、物見せ奉らんとて、前なるめう火に望みて、口を大きに開き、をと叫はせたまへは、あやし、からのみとゝめたる狐の頭を、めう火の中に吐入給ひぬ。殿をはしめ御まへに在かきりの人々、目を見はたかり、口あくまて明て、あやし、あなたふとしなと、口々にさゝめきあへりけり。是かむくひせし也と、事のすち今はあらはにて、大徳罪をまぬかれ給ひ、若き法師等のあやまちも咎め給はす、狩なとも思しとゝまりて、渠らか命またくて、事はてぬ。大とこ今はこの御寺を去て、外に移り給へりき。毛利の大殿も、渠に近よられし事を恥たまひぬとなん聞ゆ。彼むくひする物等は、おのかあしきを思いはて、人をたはかり苦しきめみせて、心ゆくとするよ、それは愚なるかきりなりける、いとあやしき山かつといふとも、かゝるきたなき心はもたらぬなん、人はかりうれしきものはあらす、彼四句の偈は、空には思ひ出すとなん、かたり給ひき。いとめさましくたふとき御物かたり也けり。

御寺の内にいはひ祭れる北野の大神は、我難波の故郷のうふすな神にてましまするに、此御社の御徳、たかくまし/\て、早に雨を乞奉り、身のわつらひやらはせ給、何くれのくすしき事共を、寺主のかたり給へり。こゝに日ころ在て、目のいたはりするを、けふまてねき事怠りし心遅さを悔つゝ、朝夕にぬかをつきては、あしたのみ霧、夕への霧を吹払ふ事の如く、朝日の豊さか昇りに、物のあやめあきらめさせ給へとなむ、乞のみ奉る。さるはきさみて散したいまつるへき色あひの物もゝたらぬには、いときたなけれと、おのか心也とて、松梅の歌五十首よみて大前に捧けまつるを、しるしもとゝめぬは、人にかたりなくさまん事の、けかしさをおほし侍れはなりけり。

みな月晦日かた、むら雨一日ふた日降過して、秋の初風すゝしきあした、此里の人々、御年おひ栄ゆらん事を悦ひつゝ、我やとりを、もろこしの雨を喜しいほりになすらへて、人々あつまり、一日くひのみつゝ遊ひのゝしるに、何くれの事をかとはかりあはするに、あるしのゝ給はく、せん栽の花ゝ合せんには。それいとをかしの事也とて、さま/\の花かめとりなへつゝ、露打そゝき、枝たわめなとして、さし入る、珍らかに心ゆく遊び也き。其くさ/\や、夏秋のけちめをいはて、おのかまゝに咲ほこりたる色香の同しからぬは、昔の呉のあやのはとり等か、たてぬきの工みにも、まことの色香は、一きはにほひかにこそみゆめれ。萩の花のやゝほころひ初し、きちかうは言から唐めいてこは/\しけれと、蟻の火吹と呼名のいとむつかしけれは、歌にはまねふくもあらす。白き蓮の花さゝけ出たるは、幾らの城にやかふらん、無価の宝珠なと云は、是をこそ思ゆれ。かきつはた時過したれと、色あひは、猶うへなきつかさ人の、袖たれておはす覧こゝちせらる。一日の栄えの朝皃は、奈良の都人の、秋の七くさとてかそへしは、木槿てふ花のうへをこそ云そと、物知のいはれたる。けにこしの花はわさとめきて、垣根にはひまつはせたる、是かおのかまゝには、荒野には咲へからぬと云。うへもさるへくこそ。なてしこの花、唐やまとのくさ/\、今は世に多かめれと、古き歌物かたりなとにみえたるは、岩橋のひまゆく水もかれ/\なるしらまなここの中より、なやにかに咲よろほへるを、昔は折はやしたりな。是か一つの名を常夏と云は、夏やり秋過て、神な月のころほひまて、はつ/\咲のこりたるを云とや。後撰和歌集、さらしなの記なとに見えたりし。しの薄の穂にまた出ねと、袖打振て人まねきたらん秋の野末のあはれ、忘れんやは。男をみなの花さかり見にと、大伴の中納言のやみたまへるをみては、彼くね/\しき花にむかへて、是をなん男花とは云やらん。野山に恐しき物の尾振立たらむさかさまに、大かたの人は心得たりき。彼女郎花をむれる栗の如使徒異秘史は、文字のみたかへにて、何かしか璧の賦に、黄玉を蒸る栗のことしと有そと、江師の探りていはれたる、寔に、栗はむさすとも黄なるをや。

菊は唐よもきと云名、歌によまぬはいかにそや。この花や、今の都のはしめに、唐土よりわたせしと云。しかすかに秋の山路の露霜によろほへるか、花にゝぬ香の、いきゝの袖にうつすはかりなるは、此国にも久しき代より有けんか、かたちのわひしけなれは、誰とりめてし人もなかりしならむ。よめか萩の花、今も摘はやしてめつる人無きひとつたくひにとおほさる。此くさ/\は、いにしへより、あて人の言にめてゝ打出させ給ふあとにつきて、人ゝ題にわかちてよむを、それかあまりなるも、いろ香なとやおとるへき。檀特の花と云は、本師の菜つみ水くみ、薪こりつゝ、つふねし給し山の名にやおほゆれは、御寺ことに移しうゑらるへきくさはひ也。射干をからすの扇とは、源博士のしるされたる、是か実の黒きをはぬは玉と云そと、古こと知りのいはれし。思ふに、漢の馬援と云人、〓以の実を七軍に積て、夷の国よりもてかへりしをむかへて、野なる真玉は是にやなとおもふを、いにしへ人の、文字と物とあてたかへし事少なからすともいはんを、さは今はこちたきものに、人云へし。桧扇とよふは、かたちもてあた/\しからす也。秋海棠は、花の色、春咲木にもをさ/\おとらぬもて名つけゝむ、かの木は、散ての後、葉のあつこえくろみつけるをみれは、此植草のひろらに、くゝ立のにほひかなるかまさりとては、人も見るかに。鶏とうの花は、くゝ立よりして、いとたけ/\しく、やしなひえては、猿田彦の神の皇孫のみさきおひて、つきならし給ふ玉矛なとは、是かゝたちしたらん。猶多かめれと、、から名、やまと名のまさしからむをはおきぬへし。茶かきたて、餅、くた物、くひつみつゝ、ひねもせす遊ひ暮すなん、山さとのさふ/\しさも忘れつ。簀の子にゐさり出てさしあふけは、伊駒高嶺に雲も居す、草香江の沢田の千町はろ/\と青やきて、鳥の音は、此岡の松のむら立に、枝うつりして囀りあそひ、草むらにすたく虫の声、心ほそ気なからも、いとなつかしうあはれ也。彼も是もわれをなくさむよと思しよろこへるにも、只春の霞、秋のゆふ霧ならて、ものゝあや見さためかたきひとつなん、ひとりうれふ。こや我身にさむき秋なりける。

      萩                       祖盈

  棹鹿のまたき声せぬ秋のゝににほひなつかし萩のはつ花

      はちす

  吹風に露もこほさぬ蓮葉の花は朝日の光まはゆき

      すゝき                   公逵

  誰をかも松の木蔭の花すゝきまねく袂にかよふ秋風

      かきつはた

  かきつ籏た折たもとの露にさへこき紫のいろそうつろふ

      蕣                      常之

  日影さすにほひもはかな中垣につゆおきまさるあさ顔の花

      とこ夏

  夏草にましりてさけと撫子のつゆに秋そふ花のさかりは

      菊                      紫蓮

  山ふみの家路のつとに折てこし香をなつかしみしらきくの花

      吉更

  秋ちかう成もゆくかな故さとの野らにと宿は住はそめねと

翁もよむ、

      をみなへし

  むらさめの後のあしたの女郎花誰に別れの露のなみたそ

重正けふ来たらす。歌よまぬ人々も、花には心つくしにて、秋たつ日よめる。

  秋たちてまたき恋せぬ袖たにも鹿の花つま露にぬれつゝ

      秋のあつさを

  天川安のわたりのたすくともあふ瀬をいかに夜さへ暑きに

秋立てさすかにさふ/\しき夕暮、人々とひ来て、歌よまんと云。翁まつよむ。

      野の鶉を

  御狩野はきのふと過し草陰にいつちのかれて鳴うつらかな

又、古寺の秋と云を思ひみくらすほとに、ほと/\眠りにつく。夢こゝちに、見もしらぬ処にさまよひ来ぬ。大きなる柱、うつはりとも焼たゝらたるか、幾ら打倒らかさなりあひ、瓦あまたわれくたかれたるに、したゝかなる石すゑ、いし垣なとも、やけにやけて、いたうくろみつきたり。芝生、草むら、木立なとも、情なく灰うちかつきて、時をも分ぬみる目のあさましさよ。虫の声、さゝやくはかりも聞えす、ここいつこならん。初秋風もさすかに袂さむからねと、いともすさましさに、物かなしくおほゆ。焼ほこりたる物の下より、かはつの大きなるかはひ出て、そこらゆくら/\あゆむとみる。又、おなし物の、是はすこのちひさきか、かなたよりはひ来ていきあひたり。翁こそ、かしこくもいつちにやはひかくれたまひけん、かうもたいめ給はりつる事の、いともかたしけなきと云。わかき者、うとん華にて有つるな、いとよろこはしきと云。あな恐しの世や、かゝるめ見つるは身幸ひ無し、いかに成りはて/\そと、打泣て云。さかし、一劫とて灰に成つる世かたりのためしにや思ふ覧、翁か親、おほ父の、其さきの御祖達より、此野に住つきたれは、こゝの古物語のみは、聞伝へたるをかたりて聞すへし、こゝのそのかみは、何の見所なき山の麓の原野にて有しか、村上のおほん時に、六道の能化の菩さつをまつりて、六はら寺となん名付けたる、いまも六波羅蜜(密)寺とて、観世音の道場たゝせますは、般若波羅密と云ことの由もて呼へきいはれの有なるへし、白河の院の御願によりて、平の忠盛と云人奉行して、蓮華王ゐんを創立ましませる、いまも此南にたゝせます御堂は是也、忠盛の子の清盛と云人こそ、いみしきさいはひ有人にて、此野にきら/\しき御館を作りてをる、信頼、義朝と云人々、きたなき心をあはせ、平氏の勢ひをくちくへく、帝をさしはさみ奉りて、ほしいまゝなりしかは、帝みそかに女房にやつさせたまひて、こゝの館に入せ給ひしによりて、仇の軍、瓦の解るか如く、亡ひたりき、平氏の人々是にいきほひを得て、始より門のかきり高く造らせしにはあらねと、遷幸のかたしけなきを家のほまれとして、あめの下のつかさ人は、高きいやしきをいはす、悉く腋門より出入せさせ、おのれは太政大臣の上なき位を極めしか、世変り時のゆけれは、わつかに卅年を待すして、御館跡なく亡ひぬ、其後、世杳にして、国泰院の御願にて、此方広寺を建られ、次ては、阿弥陀か峰の御廟をなん造られたる、すへてこの野は、木草になゝの宝の花をさかせ、さゝれまさこも、玉の光にまはゆかりしとなん聞えつる、それたに御代改りては、取はらひ帚清めたまひて、かたはかりの神やしろとは成ぬ、み寺も此度を三たひの災ひにてなんねかく昔より事改り物変るとは、知る人もしらぬ人も、今の災ひを無き事のためしに歎きまとふよ、目をとち、心をいにしへに立かへしてみよ、もとのあら野のさまもてみれは、何を悲しともはかなしともなけくへき事にもあらしと、おのれは思ふを昔人のなきこそもとの姿なれと、よみしとや、人と云ものは、いともほしきまゝに物は云とも聞、おのれか親の代の富さかへしを、今のおとろへに合せては、ひたなけきしつゝ、死もしなましと云とそ、いとも愚なる事也、其親よりさき/\の世には、いかに貧しかりけん世も有つらめ、それみきかぬものにいひてんは、いとうたてき事と、賢き人、まして神ほとけは、おほしなけかせ給ふらんかし、此滅ひたまふも、二たひの御願にてましませは、やかて又作りあらためさせて、昔にまさるきら/\しさも、拝み奉らむ時の出くへし、奈良の故さとなるも、みちのく山にこかね花さきし御代よりは、治承、永録(禄)の再ひの災ひにかゝりませしを、時しあれは、今の結構に立かへりて、拝まれさせたまふ也けり、竜松院の公慶上人の御いさをし、俊乗坊には〓させ給へりとそ、されと、かゝる太山はかりの堂舎つくらせたまはん事、夕へあしたなるへからねは、若き者よ、しはし野とならは、〓と成りて鳴をれと、まめやかに物かたりして、又草むらにはひかくれぬと見て、めさめぬ。あした都の使をきゝつれは、うたて見つる夢哉とて、歌はよますなりぬ。

     七日夜に

  天の河ゝ波たかし夜こもりにかへすはすへなあけはおもなみ

     野の萩を

  はきか枝の末はさゝれに流あひて波も花なる野路の玉川

     路辺の虫

  むしの音のさかりの秋に草わけて野道の棚橋いくつこえけん

     海上の霧

  い勢の海や霧にわかれて朝和の汐気の煙沖になつさふ

十一日、きのふの夕つけて雨ふる。うま時にはれぬ。里人云、是や銭米の降りたる也、野分たに吹あれすはと。竹のねくらの雀躍りしてよろこふさま、いとたのしき。あやしの小家ともの垣根を過てかたり言をきけは、この雨よ、猶ふれかし、田はた大方にゆきたらひたりとはみゆれと、あすあさてのほとや、又せき入、切とほしなと露のいとまあらむやは、我等に預けつくらしむる里長達のゑみほこりたらむか、中ゝにつらにくし、年もやかて暮ぬへきを、今より思へは、しもと枝打振てさいなまれむ、あさましの世やなと、おのかとち/\いひなけくは、あく時しらぬ気なり。さこそうらむれ、盂邏ほん来たらは躍りて遊ふらん、秋の祭には物むさほりつゝくらはむなと、是打たのみて、今より待あふきたらむ、嘴長き鳥のたくひに見ゆるは、さるきさみ/\の人の心なりけり。しかすれにしれ人のいひ言は、神も罪ゆるし、仏もあはれと見つかせ給はむものよ。たゝ/\銭の神はかり塵もつかしと、よらせ給はぬ人のほとなりけり。

十五日、人々あしたをまちてつとひ来て、けふの空の清き事よ、暮なは月の遊ひせん、翁の旅寝も中秋まてはおはさし、けふを其日に、歌よみて聞せたまへと云。ひとりか云、月の歌はさき/\うけ給はりつ、文をこそと、さかしたちていへは、れいの尼筆とりて、月は大江に湧て流ると云句の心をといへは、かしこまりぬといふ。あき人の物うけたまはるやうにてなむ。

八月十日まり五日、あしたより空いとようはれたり。ふるさと人誰かれ、こよひ月見むといひかたらふに、野や分なむ、棹やとらせんなと云。翁いまは都住して、野山の秋ともしくもあらし、たゝ水をつくしのほとりまて漕せんにはとて、軽らかなる舟もとめて、酒、茶、よき物なとはとゝのへたるへし。五百津船つとふ中を漕そけて、河尻にたゝよひ出ぬ。月はやく伊駒ねにさゝけ出たれは、夕汐みちたゝへ、かせそよめく芦の浦わ、きたなくもあらす。武庫の高ねは入日のにほひ残りて、西の海つらはろ/\と見わたさるゝ也けり。帆手うちつれて入くる大船、いさりすとや、こき出るちひさき舟、秋の木葉の乱に散うきたり。鴉のいつちにかやとりさためて飛かへる空、鴎のあさりすとやおり居る渚、さしくるしほの波かしらに躍れる魚の光は、昔もあまたゝひ見しを、此夕あそひそ、始なるこゝちなむせられて、いともたのし。おのれよりさきに浮へし舟、あとより追くるふね、皆千さとの外に心を遊はしむとそ見ゆ。糸あり竹あり、しらへいとをかしうて、海の神をも驚しつへし。月は花やかにすみわたるほと、宮人のかくるたく領巾はかりの雲も靡かす、星の林もみちしたれと、こよひの光にはまけたりな。風いさゝか吹出て、波のあやいとよう見きはめたり。暮はてぬれは、繞れる山々はをくらう成て、淡路島さすかに見えすなりぬ。友垣ひとりか云、こよひの遊ひ、誰々も心くまなくこそおはすらめ、唐うた、やまと歌、きたなけなりとも、うめき出さらめや、翁先よめと云。あひなの言や、むかしのつらゆき、躬恒にあらすは、いかてこよひの影にひかり争ふへき、洞庭、西湖にこかれ出らん人の棹の歌も、酔のすゝみにこそは、ほこりかにも打出へけれ、翁か木の芽烹てはかなうすめる心に、何ことをかまなひいてん、舟のよそめはかりに、歌や文やはかなう遊ふらむと、見おこせたらんをほまれにしてや、ゝみなまし、このさしあふける影にも、面伏つへきわさにこそといへは、ひとりか声高らかに、棹にさはるは桂なるへしとうたふ。淀のわたりの夜ふかきてふためしに、是をあはれかりて、人々よます成ぬ。月は中空に照かゝやきて、昼よりもけにあか/\とすみわたり、常世の稀人の、かり/\と鳴て来たるそ、いとめつらしな。海の色は青にひのきぬ曳はへたらん如に、さすかに風ひやゝかなれは、きぬかさましと云へき人もなきわたりに、今は飲ほしくひみちて、すゝろさむし、かへらやと、舟はたをたゝきて、楫とりに、うたへと云。かれも酔たれはにや、棹の歌いとをかし気にうたふ。須磨よりや、明石よりや、ふく西の風にいさなはれて、こきもてかへるほとに、夜は丑みつはかりにや成ぬらんかしと云。

森の家のせん栽の花また咲出ねと、帰らんかたみによみてよと、もとむるまゝに、

  千くさにとやしなひたてる園のきく香は人やりににほふものかは

川棲みの家を棲鶴楼と名つけて、あるやんなき御方の御筆乞てえさせつる、されかつい手に書てあたへし、  

  九つの沢にあそえる芦たつを夜はやとれとて松は栽けん

うゑしは、曾我の殿のみやひ也とそ。一七日、けふ尼のいほりにかへりぬ。都へたよりあらは、云贈んとそあもう。

  身の秋にありかをそことさためねはしらしな人を鵙の草くき

いねかてなるには、

  松かせを筧の水に音かへて秋の夜すから聞明しつゝ

山霧立さふるまなこには、人にかゝせつる水茎の跡の、老かぬか歯もるゝ言は、きゝもたかふ覧かし。とまれかうまれ、人の見たまふへきにあらねは。

寛政十年の夏、さつきの廿日まりよりふん月のつこもりかたまでの事を、日なみのさまにかいしるせし也。目をやみて心さへくらきには、いふこともたと/\してなむ。

   ◆古寺の秋

山さとのやとりさふ/\しきをなくさむると、人ゝとひ来て、歌よまんと云。古てらの秋と云を思ひめくらすほとに、ほと/\眠りにつく。夢こゝろに、見もしらぬ所にさまよひきたる。大きなる柱、うつはりめく物の焼たゝれしか、いくら打たをれ、かさなりあひ、瓦あまたわれくたかれたるに、したゝかなるいしすゑ、石垣なとも、やけに焼て、いとくろうあさまし。芝生、草むら、木立なとも、情なく灰打かつきて、時をもわかぬみるめのいみしさよ。虫の声さゝやくはかりも聞えす、こゝいつこならん。初秋風はさすかに衣さむからねと、いよもすさましさに、物かなすおほゆ。焼ほろひたる物の下より、蝦蟇の大きなるかはひ出て、そこらゆくりかにあゆむ。又、同し物の、是はすこしちひさきか、かなたより来て行あひたり。翁こそ、かしこうもいつちにやはひかくれ給ひけん、かうたいめ給はりつる事のかたしけなきと云。わかきものよ、うとん花にてありつるな、いとよろこはしきと云。あな恐ろしの世や、かゝるめみつるは身さいはいなし、いかに成ぬるはて/\そと、打なきて云。さかし、一劫とて灰に成はつる世かたりのためしにやおもふ覧、翁か親、おほ父の、其さき/\のみおや達より、比野に住つきたれは、こゝの古物かたりは、聞つたへるをかたりて聞すへし、こゝはそのかみは、何の見ところなき山の麓の原野なりしを、村上の御時に、六道の能化の菩さつをまつり初て、六波羅寺となん名付けたる、今の観世音のたゝせますは、般若波羅密と云事のよしもて呼へきいはれをもとめ給へるなるへし。白河院の御願によりて、平の忠盛と云人奉行し、蓮華王院を建立ましませる、今も此みなみにほろはすてある御堂は是なり、忠盛の子の清盛と云人こそ、いみしき幸ひ人にて、比野にきら/\しき館をつくりてすむ、信頼、義朝と云人ゝ、きたなき心をあはせ、帝をさしはさみ奉りて、ほしいまゝなりしかは、帝みそかに女房にやつし給ひて、こゝの館へ入せ給ひしによりて、仇の軍、瓦のとくるかことく亡ひたりけり、平氏の人ゝ是に勢ひを得て、始より門のかきり高く造らせしにはあらねと、遷幸のかしこきを家のほまれとなして、天のしたのつかさ人は、高きいたしきをいはす、こと/\腋門より出入せさせ、我は太政大臣の上なきつかさを極めしかと、代変り時のゆけれは、えあつかに三十年を待すして、御館跡なく亡ひぬ、其後、国泰院の御願にて、此方広寺を建られ、継て阿弥它か峰の御廟をなん造られたる、すへて此野は、木草に七宝の花をさかせ、厳、さゝれも、玉の光にまはゆかりしとなんとなん承りつる、それたに御代改まりては、取はらはせ給ぬ、御てらも、此度を三たひの災ひにてなんと聞、かく昔より事あらたまり物変るとは、知る人もしらぬも、今のわさはひを世になき事のためしになきまとふよ、目をとちて、心をいにしへに立かへし見よ、もとのあら野のさまもて見れは、何を悲しともはかなしとも、なけくへき事にはあらしと、おのれは、思ふを、昔もなきこそもとの姿なれと、よみし人もありしや、れいの翁かひめる心からにゃあ覧、人と云者は、いともほしきまゝに物はいそふとも聞、おのれらか親の代に富栄えしを、今のおとろへに思ひ合せては、ひたなけきして、死もしなましと云とそ、いとも愚也、其親よりさき/\の世には、いかにわひしかりけん世も在つらめ、それをしらぬものにのみいひたる、いとうたてしと、賢き人、まして神ほとけは、憎ませ給らん、此ほろひいたまふも、二たひの御かたちにてましませは、やかて又つくりあらためて、昔におとらぬきら/\しさも見奉らむ世の出くへし、奈良の故さとなるも、みちのく山にこかね花さきし御代よりは、治承、永録、二たひの災ひにかゝりませしを、時あれは、今の結構に立かへりて、拝まれさせたまふなり、竜松院の公慶上人の御いさをし、俊乗坊にはけさし給しとそ、されと、かゝる深山はかりの大造は、夕へあしたにはなるへからねは、わかき者よ、しはし野とならは、鶉となりて鳴をれと、まめやかに物かたりして、又草むらにはひかくれぬと見て、目さめぬ。あしたの都のたよりを聞つれは、うたて見つる夢かなと、哥はよますなりぬ。かふ内の国くさかの里に在て、ふみ月のはしめつかたにいひつるを書せておきし也。

   ◆北野加茂に詣づる記

おろかなる心にも、深うおほししめる事のありてそ、我うふな神にてまします北野の御社に、月ころ怠らすまうて侍りき。しはすついたち、れいの如出たちしに、夜へより雲かちなる空の、こさめ打そゝくと見しを、行ゝ降まさりぬ。御まえにねきことみそかにまをしはてゝかんつるほと、いよゝふりしきて、今出河通のれいの道をふみたかへ、一条の方へまよひ来ぬ。雲は地に落けむ、足のもとをくらくて、たゝたをれしとのみ見はりつゝあゆむ/\、くらき眼に東をさすと思ひしか、いつ横をれけん、南はるかに迷ひありく。袖、もすそ、しとゝにぬれ、足駄の緒をふみゆるめ、幾度もたをるへくす。あまりにつらくて、いつこまて来つらんと、おほかさすこしかゝけて見たれば、あなや、二条の大路なりける。狐なと云まよし神の、こゝていさなひ来けん、いとくちをしく、老のますらを心をおこして、いて東へとあゆむに、堀河の雨にます水音を聞とかめ、又西へとあゆませつると思へは、けのほりて、いかていほりにからしめ給へと、御社の方を拝みつれは、是にや心のをさまりつらん、此度そ東を指す。からうしてやう/\帰れは、むすめの尼いたうふるに、くるしくやおはしつよすらん、やとりは宗文か家にこそ立よらせけめ、おものきこしめしつるかととふ。いな、彼家にともおはしふす、雨に降まよはされて、いとはるかにうかれあるきつゝ、苦しくこそあれとて、やかて倒れふす。。あな悲し、今朝とく出立て、今は申の時にも成つらむ、物たにきこしめさて、病にやふいたまはん、神の御徳見せさせ給はぬ事とて、足こしをさすり、傷くみかゆすゝむれと、くはんともせす、たゝ骨ふしのいたむに、その夜は其まゝにふしぬ。二日のひねもす、猶名残しておきのあからてありし後は、手足、こしなと、やう/\心にまかすれと、たゝまなこくらみ、心ほれ/\しく、夜昼牀にのみへふしぬるか、かくて日ころへにけり。廿四日と云日、又日に名こりまをしにまう出侍りき。其夜の夢に、あやしき童子の枕上に立て、西の方をひさし、汝休せよといひて、立去ぬと見て、目さめぬ。あなかしこ、我愚なるねきことは、拙き哥や文やの名を世に聞えあけむとにあらす、ふかうおほししめる事の侍るをは、かなへさせ給へとてなん、二とせこなたの月ころ、乞申奉る也き。休せよと告たまふを、いかなることゝもおほしわきかたけれは、たゝよろつのやくなき事をまつやめつへく、年かへらは、九百年の御たままつりすなる、優とん花の春にあふ事のいとかたしけなさに、松梅の哥百首、きたなけ也とも、よみて〓奉るへく、延秋にあつらへて、題撰はせたうへと云しも、今はおほしとゝまりぬへく、松梅たゝ二首をなん、よみて奉らまくす。

  百とせをこゝのかへりの神垣に松の千歳もおひ次にけり

  みつかきにおひつく梅の枝〓の八重もひとへも神のまに/\

としもやかてに暮はてぬめる空のいとよう晴わたりて、二月はかりにやとおほす日の影に、風もけぬるく珍らかなるけふは、ちかき野山に出たつへく聞ゆるを、むすめの尼、いとよう侍りなん、いつちへもしたかひ侍らんと云。彼まとはし神にさそはせしとにや、かひ/\しうて、あとよりくる、いつこをかさすへき、はるかなる所には足をれつへし、下の御社こそ、今年みかゝれて宮つくりあらせしと聞、其霜月には雨しき/\に降しかは、近きにもえおほしたゝさりし、いさまつそなたをと指す。けふは廿九日になん有ける。河原面の市町にきはゝしくて、山里人のこゝに日毎物はこひ出て、又ほしき物にかへゆく。けふはたゝ春のまうけの物、何やくれや買とゝのへていぬ。うはら、嫁、むすめ、かろけなる物をかしらにかつきつれ、常には人の上いとはしたなめにのみかたりぬるを、たゝ春の来る事のよろこはしきいひつゝ、足すゝろけり。河瀬打こゆれは、まつはいりの御門の丹塗の、また雪時雨にも流ぬ色のあか/\と、まはゆくなん見奉る。河合の社にまう(づ)。御門、拝み殿、廊なとは、すりもこと/\にはあらぬか、御やしろなむ、あらたにと見たてまつる。姫御神にて、鵜の羽かや葺あへすの御め玉依姫のみことを、いはひ祭れるとや。海竜王の御むすめにて、神武の御母みことなりと申す。正しく史に見えさせたまへり。御本社は、日本第二皇大神宮と石にゑられたるは、即神武天皇をいはひ奉る也とそ。さらは今一かたの御社は、御むかひめと申姫たゝらいすゝ姫のみことを、いはひ奉るなるへし。こは、時代主の神、三島の溝くひの神のむすめ玉櫛姫をめとりて、うみませしと見ゆ。天の下のかほよ人になんましませるとも見えたる。神代のはしめの物かたりの、いともたふとけれと、いとも大そらことにてこそあれは、うたかふましけれと、また信しかたき物に云人も有き。ある物しりの云る、神代一巻、尊重せすは有へからす、されと、其事は奥〓霊怪なるから、究めすそよき、しひてしらまくすれは、無識の人となるへきそといふは、かしこし。近き比は、この無識の人のおほくて、さま/\のあなくり言に、我を道のおやと思ひあかりていふか、うるさくそおある。このすめ大神こそ、ことにこのつくりあらためられては、いよゝたふとさの身にしみて有かたくも侍る。御やしろ/\、いとおほかる、何の御神とも聞しらぬまゝん、たゝ伏拝みしつゝめくり侍る。井のへの社のみたらし、冬なからたえぬ流のいときよういさきよし。森のときは木ともも、さすか霜には凋む色なる中に、鉾杉こそもみちはしたれ、枯落し枝ゝも、下よりまた芽くみたらんには、かくと何かしの法師かいひしも、今見るに正かりけり。それか中にも、ときおそきのけちめありて、いとさむけなるかあり、若やけるも見えて、やかての春を待つけたらむ、いとにほひかにもあるかな。おき道といふ神なき達の家居の中をゆきとほりて、里中に出つれは、いとにきはゝしく、人のつれたちくるは、是も春の物みやこに持はこふよ。門かさりの小松、穂長、ゆつる葉、小かはらけなと、かつきつるゝ也けり。とし木おひたる馬うしの綱ひかへしにも、おもたけにかつきたる真柴に、梅柳か枝さしくはへしそ、いと心ありけにてなつかし。ゆく/\里はなれて、二またの所に立て、上の社へはいつれをゆくそとゝへは、総角か教ふるは、来過させし也、今のあとにこそよき道はありしを、されと、立かへらんよりは、こゝすこしいきて、別れのところを左にあゆませたまへと云。尼か、されはこそ、我おもひしにも道たかへさせたまへりしとおほゆれと云。れいのさかしたて、耳過してあゆむ。比叡の山を見れは、まことに峰の三つに立そひえて、都の富士と云は、此あたりより見さけし人の名つけ親なるへし。日のあか/\照らせるに、かくるゝ隈なくそ見ゆるにつきておもふ、この過つる霜月の廿一日と云日は、我母刀自の十三年の一めくりと云にあたらせしかとすゝたれし蘆の丸やに人迎へて、何をか供養し奉らんとて、あなたこなた、しるしらぬ尊者達に、御経よみたまへとて、物一ひらつゝ書てさゝけたいまつる。紫衣、黄衣、緇白の大徳、あまたに乞奉りしか中に、かの山の円教院と聞えしは、昔の荷田の信郷の子なれは、兄の信美につたへて参らせしに、後の便りに承りて、其日なん同しつらなる法師六人をむかへて、御経たむけ奉りぬ。いま六ひら書てたうへよ、六僧の乞つる也と申こされし、いとかたしけなくて、即たいまつる。なにはの蜑かかきつめし藻くすの、高きみねまてさゝけ上る事も、またく親のみちひかせ給へる也と、竹のねくらのめなし鳥か、躍りあかりてなんよろこひす。高ねさしあふきて、そこの事をはおほしいつるなる。いさゝむら竹の下陰、とけ霜のなこりをゆきなつむ。尼かれいのはしためて、この迷ひ来てそ、わらくつのぬれとほりて、きのふすませししたうつまてをけかしつ、腹たちやと云。こたへすへくもあらねは、さきに立てゆくに、人来たるをむかへて、道のあなひもとむれは、来たまへる二丁はかりあとに、別れの所あり、我につきてあとへかへらせよと。尼いよゝ打うらみて、翁にはかにかくに神のつきて、我をさへ迷はしたまふよと、かなしかる。なくさめかねつゝ、教へしかたにたとる/\、道すこしひろかれは、是ならんとさきにおもひし事よと、さかしかる。やう/\に来たれは、午にやなりぬらん、物ほしく成て、御やしろの前にむつかしけなる水うまやのあるに入て、茶をこひ、尼かこしにつけしわり子とり出させ、かた/\つゝをくひつ、いとうましとこそおほえたれ。しはしありしかは、まよはし神の今はいにけん、心もをさまりて、御やしろにまうつ。こゝはことに宮つくりの世にことさまにましませるに、このたひつくりみかゝれたまへは、何ことのおはすともしらて、たゝかたしけなくぬかをつき、こゝにても、愚なるねきことをつふ/\と乞奉る。御社のかす/\、こゝは下の森にまさりて、多くそある。しらぬにも、たゝ一ところ/\手鳴し、ぬさちらしかけて過侍る。このいはひ奉るは、ある人の、もろこしの勝国の廟のためしに、長すね彦をまつりたる也と云。いとうけかたくそおほゆるは、彦はやまとの国をぬしはりてありしかと、にきはや日のみことを君とかしつきてをりしかは、さるためしには、この彦をいはふへきにあらす、にきはや日をこそまつらるへき事ならすや。されと、このたひの御さゝけ物に、下の社には黄櫨染の御衣を奉らせ、こゝにはくろきみけしををさめたまへりしと、見し人のかたりしには、すめらきならぬ事のしるかりけり。よて思ふに、にきはや日の御子のうまし真手のみことにいたりては、臣と申てつかへ奉りたまひしには、くろき御衣をの奉りたまへるか、いとおほそうにさためかたき事也ける。西のくにのためしに、殷は夏をまつり、周は殷をまつりて、其霊をしつむと云も、こゝには、神代よりたゝ一つゝきにあらせるには、さるさかしきためしならはすへきにもあらす。から国の事もて、とかくにこゝの事をいひとかんとする人々の、ことわりうるさきには、かの無識の物しりの腹たちて、かしこをしひていやしきものにいひくたすも、いさゝか故あるものにも聞ゆめれと、これはたまことならぬいひことなれは、かれも是も、ともにになひもていきて、いつこにもかい捨なかしやらんものそ。こゝの神なきの何かしと云にあひたらん時、くはしくとひ見んとおほせと、すへて神をいはふは、其やしろ/\のひめ事にしも聞には、もとむるともあからさまにはをしへしものを、しひては何のやくなき事なれは、もたしてやみなん。河をわたり、堤をよこをれて、新町かしらと云所に来たる。こゝに妙覚寺といふ御寺は、三とせのいにしへむなしくなりし、我をいたはりかしつきたる松岸貞光か、したしみて參りかよひし事なとをもおほし出て、なつかしきものに見つゝ過。足たゆく心もうみたるやうなれは、れいの大賀宗ふみの家に入てやすらふほとに、日は、またひつし過ぬほとゝいふ。春のちかきには、菅のねもなかくもこそおほえ侍れ。

          ◆初瀬詣

はつせ寺のふもと辺、つは市の軒ならひに、あき物くさ/\賑はゝしく積はえたる、麻、布、紙のふすま、あつま絹、竺紫綿、けさ、衣、ねんすの玉のきら/\しきたいまつり物、たに香、せんかう、さらけの品々、つみ花、木草の時ゝの外に、けつり花の色のまことしきも、香にかをらぬかくちをしき。もちひ、くた物、何くれのせちみ物、こもり人のあとらへを、つほね々にはこひゆく。この菩薩の御功徳は、念彼の章毎にいちしるきを打たのみて、都ゐ中よりはろ/\とまうてくる人の、ねき事なんさま/\なる。時にあはす、つかさ解たる悲しひのうたへ言、又、人の罪にかゝつらひてこもりをるなけき、家に事なけれと、あしき疾に年をわたりてなやましきなとは、あはれゝゝゝわれなからぬを、高き君、とめる人の、おのか世にあかて、ねきことつくり出つゝ聞えていまつるそ、いとうたてとも耳ふたかせたまふ覧かし。またおもひかけましき御あたりに、恋草なゝ車に積こほして、あはれかたはしはかりも聞しらせ侍らはやとて、布留の神ほくらのはし立つくらせて、かきくとくや何なり。我をあま雲にたゝよはせて、あたらしき女のかりに、月をわたりておはすつらさの、しかすかに中空なる心ならは、やめさせたまへなとは、をさなきなから、つみふかしかし。家の嗣うみたる喜ひおほかたならぬを、風の燈火に打けたれつるかなしさの、やう/\月日にうとくなるまゝに、ふたゝひしら玉えさせたまへと乞まうしたいまつるは、いと/\ほしき。此愛こめたる宝の鏡や劔やの箱のかき抜をりて、とりていにしぬす人は、こゝにつふねするものゝ中にやと、うたかひの心つきしを、あからさまにあり所しらせたまへなと、こちたきにあらすは、うたへも申さし。昔良少将のめの、いきて世におはさは、ゆきあはせたまへと、打泣つゝおこなふを、隣にすみてあらはれや出へく思ひしかと、す行のさまたけを鬼のなすにやと、ねんしつゝあかせは、血の涙といふ物もまことありけれは、かゝふる蓑のしつくにはらひすてゝ、心つよく立さりたまひて、其時こそあれ、後つひにたいめ賜はりて、法師位のつかさになりのほらせしは、こゝにおこなひたまへりしいみしさの御徳見たまへる也けり。又、住よし殿の古物かたり、玉かつらの君の、此川島水のあふせうれしきためしは、たゝ/\御ちかひの網にもれさりし人ゝの、こゝろさしのいたれるなりけり。ひとはいさ心もしらすと、さかしられしに、あるしの法師の、花たにもおなしこゝろにとこたへしは、みほとけにかはりて、おこたりの心をいましめけんとも、いはゝ云へかめり。いつれも世のありさまにはあれと、菩さつのおん功徳はかはらせたまはしを、いのれる人の心こそ、世くたりておとろへゆくなめり。

  ひと夜こもるはつ瀬のてらのあかつきにねかふほかなるほとゝぎすかな

                               餘斎