近路行者(きんろぎやうじや)三十年前、国字小説数十種(こくじせうせつすじつしゆ)を戯作(ぎさく)して茶話に代(か)ゆ。

千里浪子(せんりらうし)其中に就(つひ)て、英草紙九種(はなぶささうしくしゆ)を摘(つみ)て書林(しよりん)に授(さづけ)たるは、廿年に早なりぬ。

其(それより)このかた行者の行蔵常(かうざうつね)ならず。

市(いち)に隠(かく)れ、山に棲(す)み、卜(ぼく)を売(う)り、字を鬻(ひさ)ぎ、旧游(きういう)に違(たが)ふ事多(おお)し。

去年(こぞ)春復(はるまた)浪華に過(よぎ)る。

書林予(よ)に縁(よつ)て其余稿(よかう)を求む。

行者(ぎやうじや)黙(もく)して、

「誠に其事あり。今其有無(うむ)をしらず。」

と、往(さき)に通家(つうか)に寄(よせ)たる筐(はこ)の中より、冊子(さくし)をとり挙(あげ)、紙魚(しぎよ)を払(はら)ひ与(あた)へんとして、其榛蕪(しんぶ)を恐(おそ)れ、間談(かんだん)を恥(はぢ)て、沈思(ちんし)する所あり。

それを奪(うば)へるが如(ごとく)して、求め取り一観(いつくわん)するに、其首(はじめ)なる雲のたちゐる談(ものがたり)は、是をこそ一方(いつぱう)の雲の賦(ふ)と号(なづく)べきか。

守屋(もりや)の連不言(むらじいわざる)の裏(うち)に意(こころ)ふかく、厩戸(うまやど)の理(り)もよく展(のび)たり。

手束弓(たつかゆみ)の故事(ふること)に任氏(にんし)の伝奇(でんき)を繋(つな)ぎ、邪色(じやしき)の人を蕩(とらか)すことを覚(さと)す。

白菊の巻は白猿梅嶺(はくゑんばいれい)の旧趣(きうしゆ)を仮(か)り、占卜(せんぼく)の前数(ぜんすう)に因(よ)る事を説(と)き、女教(じよきやう)の名実(めいじつ)全(まつた)からんことをはげましむ。

唐船(とうせん)の弥言(いやこと)は聚散(じゆさん)の悲喜(ひき)を尽(つく)し、望月(もちづき)の偶言(ぐうげん)に竜雷(りうらい)の表裏(ひやうり)たるを断(ことは)る。

江口の始終(しじう)は杜十娘(とじふらう)を飜(ほん)して、侠妓(けうぎ)の偏性(へんせい)をかたり、子弟(してい)の戒(いましめ)となすなる。

宇佐美(うさみ)宇津宮の戦略(せんりやく)は軍機(ぐんき)の得失(とくしつ)顕(あき)らかに、南朝(なんちよう)の絶(たへ)ざる昔物語見ゆ。

彼是九種(かれこれくしゆ)、併(とも)に長談(ちやうだん)なりといへども、卑説臆談(ひせつをくだん)、名区山川(めいくさんせん)、古老(こらう)の伝聞(いいつたへ)、土人(どじん)の口碑(くちぶみ)、此に述(のべ)ずんば世に聞ゆまじきを、

是が演義(ゑんぎ)して、長き日の興(けう)にも備(そな)ふべし。

実(げに)や鴬の谷(たに)より出る声なくばと此草紙(さうし)を愛(めづ)れど、彼(かの)しるべなき暗(やみ)に月をおもふ愚(おろか)の心もて、華房(はなぶさ)の枝葉(ゑだは)しげしげなる野話(やわ)なればとて、作者の自(みづから)厭(いと)はるるも大方(たいはう)の誹(そしり)に先だつ自鳴(じめい)ならんかし。

 僕(ぼく)千里浪子に形影(けいゑい)の好(よしみ)あれば、其ひとたび校(かう)せられしを可(よみ)して、一語(いちご)を贅する事、已(やむ)べからざるの業(わざ)なるかな。

 明和乙酉の冬十千閣(じうせんかく)主人(しゆじん)撰(ゑらぶ)

古今奇談(ここんきだん)繁野話(しげ/\やわ)総目録(そうもくろく)

 第一篇

雲魂(うんこん)雲情(うんじやう)を告(つげ)て太平を誓(ちか)ふ語(こと)

 第二篇

守屋(もりや)の臣残生(しんざんせい)を草莽(そうもう)に引話(ひくこと)

 第三篇

紀(き)の関守(せきもり)が霊弓(たつかゆみ)一旦(ひとたび)白鳥(しらとり)に化(け)する話(こと)

 第四篇

中津川入道山伏塚(やまぶしづか)を築(つか)しむる話(こと)

 第五篇

白菊(しらぎく)の方(かた)猿掛(さるかけ)の岸(きし)に怪骨(くわいこつ)を射(い)る話(こと)

 第六篇

 第七篇

望月(もちづき)三郎兼舎(かねいゑ)竜屈(りやうくつ)を脱(のがれ)て家(いゑ)を続(つぎ)し話(こと)

   第八篇

江口(えぐち)の遊女(ゆうじよ)薄情(はくじよう)を憤(いきどふ)りて珠玉(しゆぎよく)を沈(しずむ)る話(こと)

 第九篇

宇佐美宇津宮遊船(うさみうつのみやいうせん)を飾(かざつ)て敵(てき)を討(うつ)話

古今奇談繁野話第一巻(ここんきだんしげ/\やわだいいちのまき)

  一 雲魂雲情(うんこんうんじよう)を語(かたつ)て久しきを誓(ちか)ふ語(こと)

 雲を体(たい)とし水を心とし、平生消(へいぜいしやう)しつくす種々(しゆ%\)の心(しん)、世塵(せじん)に着(ぢやく)せぬ桑門(さうもん)の身にも、只(ただ)忍(しの)ばしく見まほしきは、祖師(そし)の法蹟飛鉢(ほうせきひはつ)の遺地(いち)、拝(はい)しめぐりて精進(しようじん)の助(たすけ)ともなさんと思ひたつ沙門(しやもん)は、年比(としごろ)程(ほど)ちかき和気(わけ)の法花堂(ほつけだう)に篭りたりしが、大永(だいゑい)の初の春たつや霞(かすみ)と共に出(いで)て、秋風を帰る期(ご)とし、順路(じゆんろ。みちのついで)にあらふる高峰(たかね)/\を眺望(てうぼう)して、富士(ふじ)の麓(ふもと)に過り(よぎり)ながら、若かりし日は登臨(とうりん)の志やまざりしが、年経(としへ)ぬる身は何事も思ひやりて心ゆくもおかし。

住(ゆき)かへる路の暁昏(あけくれ)は空の色雲(いろくも)の容(かたち)のみ目に親(した)しく心に染(そみ)て、朝(あさ)たつ雲に花洛(みやこ)を出て、夕(ゆふ)ゐる雲のあしたゆくも、なにはしるけき此寺(このてら)の僧侶(そうりよ)に知音(ちいん)ありて数日(すうじつ)の労(つかれ)を休め、一夜此寺の浮屠(ふと)の五層(ごさう)に登り、仏像の上に坐(ざ)するは恐れなきにしもあらねども、人の臨(のぞ)むべき為の楼窓(ろうそう)ならめ、陰(よる)べき為の欄(らん)にこそと、秋涼(しうりやう)の通夜読誦(よもすがらどくじゆ)しけるに、かばかり高ければ世とへだゝりたる心地し、雲路(うんろ)近きかとうたがふ。

人の心ほどけやけきはなし。

上絃(じやうげん)の月中(なか)ぞらに高けれど雨気(うき)くもりて咫尺(しせき)も朧(をぼろ)なり。

夜目(よめ)にそこはかとなく見わたすに、月のすむらん高津(たかつ)の宮(みや)さへさだかならず。

大に興(けう)を掃(はら)ひ眠(ねむり)を催(もよほ)す。

塔(たふ)の頂(いたゞき)に物おとして、「珍しや尓達(なんだち)、陰陽(いんやう)の命(めい)を分(わか)ちてより、四方に位(くらい)してたがひに遠く望(のぞ)むばかりにて、南よりは直北(まきた)に行(ゆく)の雲路(うんろ)稀(まれ)に、北よりの雲路は半(なかば)にして絶(たへ)がちなり。

わきて九郎は海辺(うみべ)に住(すみ)て、南に出(いづ)れば海気(かいき)に消(け)され行逢(ゆきあふ)時まれなり。

けふしも右旋左旋(うせんさせん)の風に吹(ふき)めぐらされ、此(この)雲水(うんすい)の因(ちなみ)あるによつて、衆雲(しううん)と共に一片(いつぺん)づゝにてもこゝに停(とゞまる)ことを得たり。

世の中に雲心(くもこゝろ)なく呼名(よぶな)ありとも覚へざりしに、薄(うす)雲村雲(むらくも)と品おゝくわかつ、人たるものゝこざかしさよ。

我を丹波(たんば)太郎と呼ぶは、北に立(たつ)奇峰(きはう)中にもかさみてみゆるがゆへか。

看々(みる/\)数坐(すざ)の楼台(ろうだい)を組たて、変化(へんくは)定まり無(なき)ゆへ乾達馬城(けんだつばじやう)にもたとへて蜃楼(しんろう・きつねのもり)に混(こん)ざらるゝも、底(そこ)の心は其趣あらんかし。

たゞ高き風によこおられ東西になびくをいかんせん。

又春夏(しゆんか)のそらに雨気(うき)を帯(おび)たる村雲(むらくも)、秋冬(しうとう)にむれ飛(とぶ)うき雲、たゞいま吹はなたれたる山烟(もや)などの、近き風に吹まわされて、北より西に、南より東へめぐるは我(わが)同(どう)姓にあらず。

我(わが)たつそらは遥(はるか)に遠く、吹(ふく)風さへ同じからず」。

「それがしを奈良次郎(ならじらう)といふは、東に立(たて)る形(かたち)恐らく奇峰(きはう)の体(てい)を得たりと思へども、腰ほそきゆへ太郎に及ばざるか。

但(たゞ)ならび立(たち)て夫婦の如きこと我雲(わがくも)のすがたなり」。

「やつがれを泉の小次郎とよぶは、南の楼台(ろうだい)遠くして人望(じんばう)両所よりおとりたるゆへなり。

常に海風に障(さへ)られて立こと稀に、奇峰のたゝずまひ独立(ひとりだち)なるゆへ、世の人泉の小次郎が妻を奈良次郎に奪(うばは)れたりと、有情(うじやう)の身に引(ひき)たくらべてかたるもゆへあるかな」。

「三方(さんかた)は同じ白峰姓(しらみねうじ)なれども遂(つい)に馴(なれ)てかたる時あることなし。

扨(さて)それがしを魔耶(まや)九郎と名付(なづけ)しは、太郎次郎の次第にあらず。

元より素性各別(すじやうかくべつ)にて、後(うしろ)は六甲(かう)の左右にまたがり、頭は常に魔耶多ゝ部(まやたゝべ)の山頭(さんとう)にむらがり、東西ながく幾重(いくゑ)にも積(つむ)ゆへ、浪花(なには)の人目には黒みがちに見ゆるゆへ、黒きといふの名なるべし。

返照(へんせう)に薫ぜられて雲の辺(へり)に金色(こんじき)を生じ、彩色(さいしき)の手づまも及ばぬ色を設(もふけ)し時にこそ、浪花人(なにはびと)はいかゞ見るらんと我(わが)心にいかめしく思ふなり。

時として北雲(ほくうん)我(わが)しりへを襲(おそふ)ことあれば、我(われ)六甲の高きを恃(たのみ)とし、曳(ひき)くおりしきて彼を南海に出(いで)しめ、我は山に拠(よつ)てうごかず」。

 「在間(ありま)三郎出(いづ)ることまれにかたち直(ちよく)なれども雨師(うし・あめのかみ)の少将(せうしやう)なり。

思ふに進退(しんたい)は異なれども、我輩(わがともがら)の情(こころ)はいづくも同じくて、恐らくは人生(じんせい)の知(しら)ざる所ならん。

かゝる折から、且は雲水(うんすい)の主(ぬし)をもなぐさめのため、おのれ/\が思ふことを一言(ひとこと)づゝにてもかたりて、せめて心遣(こゝろやり)とせん。

実(げに)も思へば、無(なく)てもよからんものは我輩(わがともがら)なるを、徳尭禹(げうう)より厚(あつ)しと古人の誉(ほめ)られしを、思ひ出(いだ)す時ゝ(とき/\)は差(はづ)かしき汗のしぐれをなす。

天(あま)の戸のあきて朝(あした)に霞(あかねさす)は、是をこそ我日(わがひ)の出の時を得たるなり。

いづこをさがしてか春雲鶴(しゆんうんつる)に似て飛び、何(なに)を宿(やど)として岫(くき)を出(いづ)るの句あるや。

暁(あかつき)のすがたを山かづらとながめらるゝはいと覚束(おぼつか)なし。

されどこれらは人の目にも好景(よきながめ)あらん。

西北(いぬい)の嶺(みね)に衣(きぬ)きせては単(うすし)といへども行人(ゆくひと)の足を催(もやふ)し、東北(うしとら)隈(くま)に深く聚(あつま)れば雨かと疑(うたが)はれ、高く六甲を越(こゆ)れば日和(ひより)かわらんとし、海上に陰(しけ)ては漁利(ぎより)を害(がい)す。

或時は北へ東へ右にめぐつて遠方の雨に応じ(をう)じ、摂(せつ)の空に陰暗(しけくも)る。

夏の日北方(ほつぱう)の雲展(のび)ざれば東南(たつみ)の山に拠(よつ)て

急雨(きうう)を行(や)る。

凝(こり)のみまさる秋のあつさ、すこしむらがりても衆生(しゆじやう)の心いさめども、黒雲頭上(こくうんとうじやう)に暗くしては遊船(ゆうせん)の楫(かじ)を

回(かへ)さしむ。況(いはん)や雨のうへに三日覆(をゝ)へば

厭(いと)はるゝも口惜(くちをし)からずや。

秋の最中(もなか)の清き夜に一ひら二ひら、風のまに/\月にかゝれば、月をもてなすかと見へ、雨にともなひて陰(くも)りふたがる時は極悪人(ごくあくにん)の部類(ぶるい)に入り、詩客(しかく)の宿題歌人(しゆくだいかじん)の擬作(ぎさく)・(うたのはらみく)空(むな)しく腹(ふく)中に朽(くた)しめ、晦日(つごもり)ならずして月に無(む)の字を添(そへ)しむるこそ罪ふかく覚ゆれ。

風に駆(から)れて往来(わうらい)に棔憊(つかれる)はまかせたる身の我に由(よら)ざれば、暮ちかき早風(はやて)には何を惆〓(あはて)いそぐらんと、人も見とめ、行雲(ゆくくも)よりも月の行(ゆく)やうなるもうるさき。

雲の集る処を靄(かすみ)といふ。

俗(ぞく)には混(こん)じて分別(ふんべつ)なし。

又我(わが)素姓(すじやう)は地黄氏(ちくはうし)の類族(るいぞく)にて、目にこそ見へね地上三尺より我(わが)占(しむ)る所なるを、世の諸人(もろびと)は大空(おゝぞら)の一属(いちぞく)のやうに思はるれど、其

系図(けいず)大に違ひて、大空氏(たいくうし)は其徳(そのとく)を常にして久かたに、蒼天昊天旻天上天(さうてんかうてんびんてんじやうてん)と四季の名かはれどもみどりの色かわらず。

其形深(ふか)くして限りを見せず。

我らは平地(へいち)より八丁と量(つも)られても、所定めず、無(なく)なればかくるゝ所さへしらず。

風は形なけれども吹行て吹かへるに、我は一日の間に消息(しやうそく)定(さだ)まらず。

一向(いつかう)日のたてぬきに照(てり)て日本晴(につぽんばれ)とやらんいふ時は、一党(いつたう)みな消(せう)の化(くは)を得て無苦界(むくかい)に遊ぶ。

古人の雲を賦(ふ)したる辞(ことば)に、冬の日は寒(かん)をなし、夏の日は暑(しよ)をなすとは、露ばかりも我にはあづからぬ物を。

我(わが)造(なす)物の世の助ともなるは雨而已(のみ)なり。

是も其土地雨気(とちうき)に応(おう)ずる時いたらざれば行(やる)ことあたはず。

或は他方(たはう)の雨の為に行雲(ゆくくも)を見て此方(こなた)の天気を卜(うらな)ふ人は、雲情(うんじやう)を取違(とりたがふ)ること多し。

時ありて水を取(とる)に塩海湖水(をしてるにほてる)の分ちなけれども、塩気(ゑんき)を去(さる)ことは我雲中(わがうんちう)の秘事(ひじ)なり。

竜(りやう)に従(したがつ)て起(おこ)るは真竜(しんりやう)即ち風雲(ふううん)の類属(るいぞく)なればなり。

雲なきにふる雨を奇水(きすい)と名づく。

多く是遠方の竜雨(りやうう)なり。

又春の靄気(あいき)の空(そら)満(みち)たるが夏に向ふて溶(とろ)け降(くだ)る。

是に誘(さそ)はれてさみだれ雲となりては、心の雲鬱鬱(うつうつ)しきをいかんせん。

ゆるやかなる時は絮(わた)のごとく〓のごとく、鳥の距(けづめ)の如くさがりたるあり。

只直下(ちよくか)の人は足なし雲と見れども、遠き空(そら)を横(よこ)ぎりて行(ゆき)かふには、一陳(ひとむれ)/\其脚(あし)をあらはす。

形は風に順へども、現(あらは)れ消へ聚(あつま)り散(ち)ることは陰陽の布(しく)にまかす。

風の有無(あるなし)の界(さかい)にある時は吹のこされて長く一疋の練(きぬ)を引(ひく)。

又織姫(おりひめ)のはたて広く水まさの文(もん)をなすは、風の中ぞらにたゆとふなり。

霰(みぞれ)をあつめ雪をちらしては、山のすがたを簾中(れんちう)に見せしむ。

左に旋(めぐつ)て賎(しづ)の臼(うす)ひくかたちなるは天気の常なり。

あなたの雲北へ行(ゆき)こなたの雲南を指(さす)は、風かわらんとして其あいだにめぐるなり。

上なる雲東に行(ゆき)下なる雲西にむかふは、風上下にめぐり聊雨気(いさゝかうき)の動くなり。

空より吹きおとす風は其地勢(ちせい)いによつて吹もどることあり。

浪花(なには)の朝(あした)はかならず谷風(こち)吹て出船を送り、晩(くれ)に

秦風千帆(にしかぜせんばん)を入(い)らしむ。

天然の大津実(たいしんじつ)に輻湊(ふくそう)の摂地(せつち)なるかな。

 風の勢は四方の山形(さんけい)に因(よる)がゆへ土地(とち)に随(したがつ)て異(こと)なり、唐土(もろこし)の書(ふみ)に名称(めいしやう)多しといへども、方角(はうがく)を四時(しいじ)に合わせたれば此邦(くに)に用(もちひ)がたし。

東南(たつみ)の風を黄雀風(くはうじやくふう)といふも時六月にあらざればいふべからざるが如し。

本朝処ゝ(しよ/\)の俗称(ぞくしやう)多かれども正(たゞ)しからず。

昔より乾()いぬいの風をあなじといふは此風吹(ふけ)ば雨なし、水気までも吹はらふ、しなどの風ともいふよし。

北国来風(ほくこくごち)とかや吹(ふき)あての横ぎりたる、遠く来(きた)りてもつよし。

真風(まじ)は西南の山なき間より、海にも吹おとさず真一字(まいちじ)に吹送る。

其(その)すがた清らに涼(すゞ)し。

風雲(ふううん)の行(みち)は四方ともに真正(しんせい)ならず。

斜(なゝめ)がちに隈(すみ)かけて吹ゆへ正風(まかぜ)は稀(まれ)なり。

四方より吹(ふく)風を〓風(ばいふう)と名づけ、吹ときは雲の心さへおだやかならず。

 実(げに)や雲雨風煙(うんうふうゑん)は(ゑ)にもゑがゝれず。

風はやみむらちる雲の形勢(いきおひ)をゑがゝんとて、絹(きぬ)に白粉(はくふん)を落(おと)して、口にて吹ちるまゝに形(かたち)をなすを吹雲(すいうん)と名づけ、細(こまか)にゑがゝん欲せば羅章(らしやう)の伝を心に含(ふく)みて、真画(しんぐは)の雲の筌蹄(せんてい・そなへ)いすること八雲翁(やくもをう)より人世(ひとのよ)に伝へたるよし。

我ながらかくとはしら雲に人こそかしこかりけり。

今こそ年来の雲気を吐(はき)て心にかゝる雲なし。

百(もゝ)とせの後つかた太平長(とこしなへ)に時を得て、祥雲瑞気(しやううんずいき)常(つね)にたな引立(びきたち)て、福利(ふくり)海(うみ)に満ち人文(じんぶん)林をなし、限(かぎり)なき東風恵(とうふうめぐ)みふかく、我らごとき浮雲(ふうん)も端袖(はそで)をひるがへし、常に四方に立そひたへず奇峰(きほう)を出し、静(しづか)なる世の観(みもの)にそなへ、厥(その)時を忘(わす)るゝことなかれ」

と寿(ことぶき)のゝめき漸(ぜん)々(/\)として四方に分かれ去れり。

 沙門(しやもん)夢さめて思ふに

雲水(うんすい)の主(ぬし)とは我を指(さす)にはあらで、此(こゝ)に妙なる彫刻(てうこく)の荘厳(しやうごん)なるべし。

珍(めづら)しくも雲魂(うんこん)の談(だん)を聞て、人にもかたり問(たづね)て、此津(つ)の四方に靉(たて)る雲の、昔より各(おの/\)其名あることを初めて知られぬ。

さもあれ夢に白雲(はくうん)と遊(あそ)びし、心空(こゝろそら)なる妄言(そらごと)、聴人(きくひと)も妄聴(そらぎゝ)し玉はんか。

兎(と)にも角(かく)にも書きすてける。

 二 守屋(もりや)の臣(しん)残生(ざんせい)を草莽(そうもう)に引(ひく)話(こと)

 敏達(びだつ)天皇の御代疫疾大(みよゑきしつおほい)に流行(りゆうこう)し、蒼生(そうせい)を害(がい)すること少なからず。

此時物部(ものゝべ)の守屋の臣、大連(おゝむらじ)の職(しよく)に在(あつ)て

諌行(いさめおこなは)れ言聴(こときか)れ、大に威名(いめい)あり。

因(よつ)て言(こと)を進(すす)めて日(いはく)、「凡(およそ)善教(ぜんきよう)の世界(せかい)に行(おこなは)るゝや、此国の善政(ぜんせい)は其国に住(ゆ)き、彼(かの)国の善教(ぜんきやう)此国に来るは、貨(たから)を交易(かうゑき・かへもの)するがごとく、互(たがひ)に取引ひて恥なしといへども、地を易(かへ)ては行(おこな)はるべき事あり、行れざる風(ふう)あり。

我国上古(じやうこ)より宜(よろしき)に就(つく)の礼楽(れいがく)あるうへ、新羅百済王化(しんらはくさいわうくは)に帰順(きじゆん)してより、漢土(かんど)の礼楽(れいがく)書に伝へ人に伝はりて、尭(ぎやう)・舜(しゆん)行(おこな)ひ孔子(こうし)述(のぶ)るの道其緒(いとぐち)を開(ひら)けり。

然(しか)れども礼楽は世代(せだい)により変(へん)ぜざることを得ず。

文武(ぶんぶ)周公(しうこう)復(また)生(しやう)ずとも時宜(じぎ)に従随(したが)ふべし。

況(いはん)や本国風土(ふうど)習染(しうぜん)の異(こと)なる、悉(ことごと

く)従(したが)ひ用(もちひ)がたし。

近年仏国の教伝来(おしへでんらい)して敬信(けふしん)するもの多し。

其国遥(はるか)に隔(へだゝ)りて西夷(せいい)にあり。

いまだ其土風の善悪をしらず。

先朝にあつて中巨(なかとみ)の鎌子(かまこ)、愚父(ぐふ)なる尾輿等(こしら)

、疫疾(ゑきしつ)の事によつて奏(そう)して申(まうし)たり、「本朝元より百八

十(もゝやそ)の社稷(まもり)の神ありて祭事(さいじ)おこたらず天下平なり。

何の欠(かく)ことありて夷神(いじん)を用(もちひ)玉はん。

彼仏(かのぶつ)は夷狄(いてき)の法、施(ほどこし)を好みて世法(せほふ)に験

(しるし)なし。

其事皆実(じつ)あらず。

寂滅(じやくめつ)をつとめて生成(しやうじやう)を悦はず。

漢土の上古は君巨(くんしん)皆長寿(ちやうじゆ)にして百歳に下らず。

仏法其地に入て年代(年代)尤(もつと)も促(ちゞま)る。

漢土に仏入(ぶついら)ざるの前(さき)は詩書雅頑(ししよがしやう)の音(いん)

あつて万民自(おのずか)ら多福(たふく)なり。

我日東(わがにつとう)に儒教(じゆきやう)来(きた)らざる以前は人の量泛(りや

うひろ)く寿もまた長かりし。

今夷国(異国)の神(しん)を信じ本国の神を軽(かろ)んじ玉ふゆえ、国神怒りて疫

疾を致すならん」と、朝廷につらねし数言(すげん)、時の激論(げきろん)なりとい

へども、今日(こんにち)其言(こと)をしりぞけ国津神(くにつかみ)に謝(しや)

し玉はゞ、万民安(やす)きにむかひ宸禁楽(しんきんたの)しかるべし」とぞ申(ま

うし)ける。

 時に馬子大臣(むまこだいじん)、并に豊日王(とよひわう)の長子(ちようし)

厩戸(むまやど)王子、幼年(ようねん)んなれども聡明(そうめい)人に秀(ひいで

)たるが、すゝんで守屋(もりや)に対(むかひ)て云、「大連(をゝむらじ)の言所

(いふところ)心を用ずといふべこらず。

しかれども仏は夷狄(いてき)の法、用ゆべからずといふこといまだ深(ふか)く考へ

ざるに似たり。

我邦上古(わがくにじやうこ)西より遷(うつり)て東(ひんがし)し、神武皇西鄙(

じんむくわうせいひ)より起(おこつ)て宇内(うだい)を御(ぎよ)す。

漢土舜王(しゆんおう)なるもの諸馮(しよひよう)に生れ東夷(とうい)の人、文王

は岐周西夷(ぎしゆうせいい)の人なれども、皆法(ほふ)を彼土(かのど)の後世(かうせい)

に垂(たれ)たり。

仏は浄飯国王(じようぼんこくわう)の子、其国漢土(かんど)に隣(とな)り、漢土

と我(わが)邦(くに)とは北ならず南ならず世界の中国にあり。

大に観(み)る時は分別(ふんべつ)すべからず。

巳(すで)に漢制(かんせい)におゐて取用ひらるゝことあり。

仏教(ぶつきよう)もならべ用て万民(ばんみん)を利(り)し玉ふべき事なり。

又仏法実(じつ)なき事ならんや。

凡(およそ)理を以て説(とく)もの其理に達(たつ)せざる時は其実(じつ)を見る

ことあたはず。

仏は其富貴(ふうき)を捨(すつ)。

道の為に身をわすれ、患難飢寒(くはんなんきかん)を免(まぬが)れんが為にもあら

ず。

何の因(よる)所ありて空妄不実(くうもうふじつ)の事を説(とか)ん。

世の凡夫不実(ぼんぶふじつ)の事をなせば、年月を経(へ)ずして衆人悪(しゆうじ

んにくみ)て是を棄(すつ)。

有識(いうしき)の賢者(けんじや)其妄(もう)を知(しら)ざらんや。

其道妄ならば其教(をしへ)何ぞ漢土(かんど)我国の今日につたはり、天神鬼神(て

んじんきじん)心を傾(かたむ)くるにいたらん。

又妄なれども、仏の妄(もう)は証(しよう)すべきなしといふものは不通(ふつう)

の論(ろん)にして愚者(ぐしや)の見る所、其人如何(いかん)ぞ虚実(きよじつ)

の体(てい)をしらん。

世の人我に異(こと)なるを憎(にくむ)の意(こゝろ)あるは大智(たいち)にあら

ず、公道(こうだう)にあらず。

其憎愛(ぞうあい)を以て取捨(しゆしや)せば、後世(こうせい)必ず互(たがひ)

に相排斥(はいせき)して勢(いきほひ)二つながら立(たゝ)ずと思ひ、仏家(ぶつ

け)は儒生(じゆせい)を愚人(ぐにん)とし、儒生は僧家(そうか)を姦人(かんじ

ん)とし、若(もし)僧家人(ひと)を品(ひん)せば儒生を挙(あげ)ず、儒生史を

記(しる)さば僧人(そうじん)を列(つらね)ず、互(たがひ)に温柔(おんじゆう

)の和を失(うしな)はん。

又仏教入(ぶつきよういり)て命数(めいすう)を促(うながす)といふこと忌滞(き

たい)の説(せつ)にて、巳(すで)に書(しよ)の無逸(ぶいつ)に言(いは)ずや

、「時(これ)より厥後(そののち)亦克寿(よくいのちなが)きこと有ことなし。

或(あるひ)は十年或は七八年或五六年」といふ文(ぶん)あり。

彼(かの)時は漢土(かんど)いまだ仏(ぶつ)の名をも聞ざるの時にして頌誦変(し

よう/\へん)ずることもあるべし。

其国に通(つう)ずる時は音移(いんうつ)り語雑(ごまじは)ること自然(じぜん)

にして免(まぬが)れざる所なり。

仏語入りて万民(ばんみん)福なしといふは福たるの利をしらざるに似たり。

早(はや)く開(ひらく)る花は早く謝(しや)し、栄(さかへ)を常と思へるがゆへ衰(おとろへ)をかなしみ、財禄(ざいろく)多くして血脈(けつみやく)続(つづか)ぬあれば、眷属(けんぞく)に富(とみ)て養(やしな)ふに足(た)らぬあり。

煙(けふり)を分(わか)つ家多きは身につくすことあたはざるの福なり。

世人足(せじんたる)ことを知らざれば貧(ひん)におとれり。

手を以て物を与(あたふ)るにあらずんば利益(りやく)にあらずと思へるか。

王物(わうじや)の民は喜(よろこび)の色(いろ)見へずして恵(めぐみ)のうちに生活(せいくはつ)す。

仏の利する所其域(さかい)に近からん。

大連熟再思(だいれんつら/\さいし)を加へ玉へ。

今(いま)漢土の聖教(せうけふ)既(すで)に来(きた)るといへども、三韓(さんかん)の伝へにして親切(しんせつ)ならざるを惜(おし)む。

丸(まろ)は直(じき)に漢土(かんど)に使臣(ししん)を遣(つかは)し、面授口伝(めんじゆくでん)して我国を利(り)せんと思ふこと常(つね)にやまず。

大連(をゝむらじ)の高明(かうめい)しらず如何(いかん)とか思はる。」

大連少しも慍色(いかるいろ)なく従容(ゆるやか)に答(こたへ)て、「聡明(そうめい)の論(ろん)じ玉ふ所世(よ)の惑(まどひ)を開(ひらく)に似たり。

小臣御陛(せうしんみはし)に当(あた)つて詳(つまびらか)に論ずるに及(およば)ず。

臣(しん)が愚見(ぐけん)は只知(ち)広(ひろ)まり文華(ぶんくは)しげりて質朴(しつぼく)の国風(こくふう)を失はんことを恐るゝのみ。

王子大臣(わうじだいじん)よく/\高見(かうけん)に明断(めいだん)し玉へ、余(よ)は多言(たげん)に及(およば)ず」といふ。

帝元(みかどもと)より仏(ぶつ)を好まず、守屋が一言(いちごん)を取べきとして、仏教を停(とゞ)め仏像(ぶつざう)を流(なが)し、僧徒(そうと)を禁(きん)ぜられる。

しかれども疫病(やくびやう)いよ/\さかんなれば、仏を流すの崇(たゝり)にやと恐るゝ人多かりけり。

豊日王嗣(とよひわうつぎ)て立(たつ)。

是用明帝(ようめいてい)なり。

廐戸(むまやど)皇子時(とき)を得て威名(いめい)あり。

守屋の臣が権勢(けんせい)稍(やゝ)移(うつ)らふ。

用明崩(はう)じて守屋の臣、御弟穴穂部御皇子(ぎよていあなほべのわうじ)を位に立(たて)んと計(はか)る。

穴穂部王子威勢(いせい)を頼(たの)んで慎(つゝし)まず。

炊屋姫(かしきやひめ)を殯戸(ひんきう)に見んとして七(なゝ)たび門(もん)に呼(よば)ふ。

此ゆへに衆心属(しうしんぞく)せず。

馬子遂(つい)に内命(ないめい)を含(ふくん)で穴穂(あなほ)を害(がい)し、諸皇子と群臣(ぐんしん)に謀(はかつ)て守屋が河内(かわち)の家を囲(かこ)む。

守屋眷属家人(けんぞくけにん)を率(ひきひ)て稲城(いなき)を築(きづき)て戦(たゝか)ひ、三廻敵軍(みたびてきぐん)を却還(しりぞか)しむ。

厩戸(むまやど)王子後軍(こうぐん)にあつて戦(たゝかひ)を力(つと)む。

守屋が軍此(いくさこゝ)に利(り)あらず。

一族従者悉(いちぞくじゆうしやこと%\)く恩(をん)の為に死し、其身も矢にやぶられ働作自在(はたらきじざい)ならず。

合軍(がふぐん)に告て、「速(すみやか)に逃(のが)れて身を脱(まぬが)るべし。

我はこゝに命(めい)をとゞめん」といふ。

家の子漆部(ぬりべ)の巨坂(おさか)、強(しい)て守屋が服(ふく)を賜(たまは)りて死に代(かは)らんと乞(こ)ひ、弟小坂(おと/\こさか)主人を諌(いさめ)て脱(のが)れしむ。

守屋惣軍(さうぐん)と同じく皀衣(くろきゑ)に服(ふく)を換(か)へ、馳猟(かりにいで)たるものゝ体(てい)にして城を離(はな)れ広瀬(ひろせ)の勾(まがり)にいたつて、是よりおのがさま%\のがれ散(ち)る。

守屋主従(しゆじう)只弐人、昼(ひる)は葦原(あしはら)にかくれ伏(ふ)し、夜は道を行て伊勢路(いせぢ)をめぐりて淡海(あふみ)に入り、我采地(わがさいち)に年ごろなれて召したる邑(さと)の長(おさ)にたよりて、彼(かれ)が宅(たく)の後なる山の岩窟(いはあな)にひそみかくれ、創(きづ)を養(やしな)ひ全(まつた)きことを得(ゑ)て、代(よ)の移(うつ)り行(ゆく)さまをも見んと命を存(なが)らふ。

此処山の懐(ふところ)にして人の通ひ来る路(みち)もなく、荻(をぎ)のみ生(おひ)ふたがりたる中に庵(いほり)引むすびて高名(かうめい)を草原(くさはら)に埋(うづ)む。

世人(せじん)是を知(しる)ものなし。

是ぞ隠(いん)中の隠者(いんじや)、自ら荻生翁(おぎおふおきな)と称(しやう)し、此所に老矣(おいらく)を期(ご)す。

いつしかよのなか推古帝(すいこてい)にうつりて、厩戸皇子嗣(よつぎ)の太子として政を摂(とり)玉ひ、仏法時を得て興(おこ)り、大刹(たいせつ)を建立(こんりふ)し僧尼(そうに)を成就(じやうじゆ)す。

使(つかひ)を唐(もろこし)に遣し、隋唐(ずいとう)の式(しき)に従(つき)て冠服(くはん

ぷく)を制(せい)し位陛(いかい)を定め、礼(れい)を肇(はじ)め楽(がく)を正(たゞ)し、国(くに)に疾疫(しつゑき)なく五穀豊熟(ごこくはうじゆく)し、海内(よのなか)の治安前代(ちあんぜんだい)に超たり。

小坂時々里(こさかとき%\さと)に出て世の動作(ありさま)を聞て帰り告(つぐ)る。

守屋聞て一たびは憤(いきどほ)り一たびは喜で云、「厩戸政(まつりごと)を用て君安(きみやす)く民和楽(くはらく)せば我におゐて他議(たぎ)なし。

尓(なんぢ)出て遠く都(みやこ)にいたり民間(みんかん)に立交(たちまじはり)、実(じつ)に民人(みんじん)の沢(たく)を被(かうぶ)るや、仏行(おこなは)れて国安(くにやす)きかか、窺(うかゞひ)見て我に聞せよ」といふ。

小坂憔悴(しようすい)せる形(かたち)に弊垢(やぶれあか)づきたる衣(い)をつけ、乞食(こつじき)して大和(やまと)の都に

経過(けいくは)す。

里遠(さととを)くしては常に飢(うへ)がちなるに、寒気に犯(おか)され片岡なる所になやみ臥(ふし)たり。

太子此時法興寺(ほうこうじ)に去(ゆき)て経営(けいゑい)を見るが為、常に微行(びかう)して前(さき)をおはず。

此所を過て哀(あわれ)と見給ひ、左右(さいう)に顧(かへりみ)て、「彼に衣食を賜(たま)ふべし」と命(めい)ず。

従(したが)へる官(くはん)人飢(うへ)人の傍(そば)に来(きたり)て呼て云、「飢(うへ)人上の恵(めぐみ)を思へ。

摂政王衣(せつしやうわうい)食を賜(たま)ふ。

既に村の長(おさ)に命ぜり。

今至(いた)るべし」といふ。

飢人強(しゐ)て起坐(きざ)して云、「賎者(せんじや)飢て目力貿々然(もくりよくみるべからざる)にいたれども、いまだ投(なげ)あたふるの食をくらは

ずして此つかれにおよぶ。

今得がたき御恵(めぐみ)なれども、大公目前(おゝきみもくぜん)一人の飢寒(きかん)を見て衣食を賜ふ。

天下の飢人いくばくありとも、こと%\くそれに衣食を賜ふことを得べきや。

是近きに親(した)しく遠きに疎(うと)く、公道(こうどう)を欠(欠き)玉ふにあらずや」。

官人不興(ふけう)して答へず。

すなはち帰り参りて其様(やう)を申す。

太子奇特(きどく)のことに思召(おぼしめし)て、御詞(おことば)を下し玉はりて、「飢人(きにん)に聞け。

其見る所を先にするのは人情(にんじやう)の常なり。

況(いわん)や執政(しつせい)一人の心は億(をく)万人の心なるをや。

我に近き飢人を恵む心あれば、遠き国の司(つかさ)又其心なからんや」。

飢人地(ち)に拝(はい)して畏(おそ)れ伏(ふく)す。

太子宮(きう)に帰らせ玉ひて、「実(げに)や此飢人凡常(ぼんじよう)のものにあらず。

只其飢(うへ)に〓(たを)れんこと傷(いたむ)べし」と為(ため)に詠(ゑい)ず。

 死(し)なでゐるや片岡山に飯(いゝ)に(うへ)てふせる其人哀(あはれ)をや成し

人をして見せし玉ふに、邑長(むらおさ)すでに衣食をあたえて飢人生(いき)かえりたるがごとく、官人(くはんにん)太子の御咏(ぎよえい)をかたりて仁徳(じんとく)を称す。

飢人世に有りがたき躰(てい)にて官人に対してかくとなん。

  生(いか)るがや民(たみ)の小川(おがわ)はたえばこそ我大君(わがおおきみ)のみそなはすれば

使帰(つかいがえり)て此よし啓(けい)す。

さればこそ異人(いじん)なりと、重(かさ)ねて人をして飢人を召玉ふに、使至る時賜へる衣を其地にとゞめて其人は影(かげ)もなし。

はやくも小坂は出所(しゆつしよ)の顕(あらは)れんことを恐れ其所をのがれ去り、堺(さかい)をへだてゝ逍遥(ゆきゆく)ほどに歩みつかれければ、乞児(こつじ)の群(むれ)たる中に交(まざ)りて道の傍(かたへ)に悩(なや)み臥(ふし)たり。

程(ほど)なく所の雑仕(ざうし)する人来(きた)り、群(むれ)たる悲人(ひにん)の数(かず)をかぞえて食をあたへ、此臥(ふし)たる悲人(ひにん)を見て衣(い)をあたへ、「〓遂(つい)に起(おき)ずんば、すたべの具(ぐ)を得させん。

心安かれ」と云て去る。

衆乞〓等面〃相対(しうこつがいらめん/\あいたい)し語(かたつ)て云、「前(さき)の日(ひ)摂政王片岡(せつしやうわうかたおか)にして飢人(きにん)を恵(めぐ)み玉ふのこと、諸有司(つかさ/\)はやくも聞つたへて、大饗(たいきやう)の料(りやう)を減(げん)じて、今日よりかゝる恵(めぐみ)を沙汰(さた)せらるゝ有難さよ」とかたる。小坂是より遂(つい)に淡海(あふみ)に帰り去り、翁(おきな)に対して太子の仁恵(じんけい)をかたる。

翁歓喜(くはんぎ)して云、「摂政王(せつしやうわう)仁は国を化(くは)し恵み死骨(しこつ)に及ぶ。

民永くその賜(たまもの)うけん。

我(わが)悦びこれに加(くはふ)ることなし。我今日国(くに)の念(ねん)を忘(わす)る」

と其後は敢(あへ)て世上の事を問はず。

後(のち)廐戸王薨(こう)ぜらると聞て傷(いた)み惜(おしみ)て止(やま)ず。

年を経(へ)ては里民(りみん)と往来(をうらい)し、彼に教(おしへ)て水を放(はな)ち土(ど)を開き利益(りやく)することと少からず。

皆人里(みなひとさと)に出(いで)玉はんことをすゝむけれども、山中老境(ろうきよう)に応(をう)ぜりと、性(せい)を養(やしな)ひ百歳(ひやくさい)の長寿(ちやうじゆ)を保ち(たも)、皇極(くはうぎよく)の朝(ちやう)に至て(いたつ)厩戸の御子山背(やましろ)王、入鹿(いるか)が為に亡され(ほろぼ)其嗣(つぎ)を絶り(たて)と聞て歎じて

(たん)云、「此人(このひと)の子にしていかんぞ此事ある。

彩雲(さいうん)早く(はや)散じ(さん)美器(びき)もろきにあらずや」。

小坂云、「此比(このごろ)世の人是(これ)が為に説(せつ)あり。

太子預じめ(あらか)墓地(ぼち)をゑらみ、其両旁(りやうばう)の地脈(ちみやく)を断て(たち)収ざらしめ(おさめ)、子孫(しそん)あらせじと兼て期せられし(ご)志願(しぐはん)なるよしいふ」。

翁聴て(きゝ)笑て云、「葬地(さうち)の吉兇(きつきやう)によつて子孫の盛衰(せいすい)を論ずる(ろん)は、堪輿(たんよ)の流弊(りうへい)風水家(ふうすいか)の説にして、人を惑す(まどは)こと其害(がい)大なり。

我国其事の行れざるを以て一つの幸とす。

いかなれば墓(はか)を築たる(きづき)たる身たして、其墓(はか)を守るべき子孫の禍(わざはひ)を願はんや。

是(これ)太子仏(ぶつ)を信じ世に(よ)功ありて其子孫(しそん)続ざる(つゝか)を、仏法福なしと愚人(ぐにん)の疑はんことを(うたが)恐れ、僧家(そうか)此説(せつ)を妄作流言(もうさくりうげん)して、其事を掩(をゝは)んとするものならん。

家運(かうん)は大数(たいすう)の定る(さだむ)所、夏殷周(かいんしう)の三代も時あつて尽きぬ。(つき)

入鹿(いるか)今勢(いきほい)を得(う)るとも〓久からんや(ひさし)」といふ。

 果して(はた)程なく馬子(むまこ)三代(さんだい)の繁華(はんくは)、入鹿に至つて(いた)孑遺(げつゐ)あることなし。

翁世(よ)の変易(へんゑき)を見つくし、時代遥(はるか)に後れて(おく)、今は憚る(はばか)所なしとはじめて里人(りじん)に告て(つげ)云、「我は先朝(せんてう)の大連物部守屋(をゝむらじものゝべのもりや)の臣(しん)、世(よ)をのがれ此地(ち)に生(せい)を引て今日にいたる。

我を此地に祭(まつ)らば、国に水早(すいかん)の憂(うれひ)なく、安寧(あんねい)永久なること湖水(こすい)の尽(つき)ざるがごとくなるべし」と、遺托(いたく)によつて逝去(かんさりて)後小祠(ほこら)を建て(たて)荻野(をぎの)明神と祝い(いはひ)奉り、祭祀(さいし)おこたらず。

大連(だいれん)の匿(かくれ)たる巌窟(がんくつ)も、今に依然(いぜん)として遺れ(のこ)りと、かたり伝へ(つた)たると承る(うけたまはる)。

方正道人(はうせいだうにん)〓戸王守屋の臣を諷咏(ふうゑい)する詩あり。

 雪裡柳条順克柔(ゆきのうちのりうでうじゆんにしてよくやわらかに)

 石梁度人断時休(せきりようひとをわたせどもたえてときにきうす)

 臨史何取口碑実(しにのぞんでなんぞとらんこうひのみ)

 紅白就分萩与萩(こうはくすなはちわかるをぎとはぎと)

古今奇談(ここんきだん)繁野話(しげ/\やわ)第一巻(だいひとつのまき)終

古今奇談(ここんきだん)繁野話(しげ/\やわ)第二巻(だいにのまき)

 三、紀(き)の関守(せきもり)が霊弓(たつかゆみ)一旦(ひとたび)白鳥(しらとり)に化(け)する話(こと)

往古(わうご)いずれの世にや、紀泉(きせん)のさかひ雄(を)の山の関(せき)を、山口庄司(しようじ)次郎有与(ありとも)と

いふもの家につたへて是を守る。多(をゝく)の家僕(かぼく)日次(ひなみ)を挨(つめ)て関をつとむ。庄司

次郎生得(しようとく)心武(たけ)く、平日(へいじつ)猟(かり)を好(この)みて外の楽(たの)しみを要(もと)めず。又祖上(そじやう)より家に

藏(かく)せる一張(ちやう)の寳弓(はうきう)あり。鹿鳥(しかとり)の類矢(や)ごろにだにあれば、射(い)あてずといふ事

なし。中(あた)る時は皆(みな)羽(は)を飲(のん)で一箭(せん)に斃(たふ)る。近村(きんそん)四野(しや)の禽獸(きんじう)、此弓に獲(ゑ)らるゝ

こと幾夜(いくよ)幾年(いくとし)をしらず。家に尊きを以て、たとき弓ともたつか弓とも呼(よび)なせり。

庄司次郎家門(かもん)古(ふる)く、一族(ぞく)處々(しよ/\)に多かるなか、今は音問(いんもん)たへ%\なる大和の国人(くにふど)

橘(たちばな)の村雄(むらを)といふ人の末子(ばつし)雪名(ゆきな)、親(をや)の気色(きしよく)かふむりて家を逐(おは)れ、妻(さい)を具(ぐ)して

紀の國に来り、山口にたよりて扶助(ふじよ)を乞(こ)ふ。庄司次郎頼(たの)もしき男にて、抱(かゝ)へ恵(めぐ)み

咄(はな)し敵(がたき)とするに、雪名生得(しやうとく)すなおにして温柔郷(をんじうけう)の人なれば、庄司悦び思ひて

宜人(よきひと)求(もとめ)たりと、居るときは膝(ひざ)をくみ、出る時は馬をならべて猟(かり)す。或時(あるとき)は関所

の横目(よこめ)に我が代勤(だいきん)となして便(たより)なる事多し。雪名が女房小蝶(こてう)、年わかく

生れ清(きよ)らかなり。紡績(ぼうせき)の業(わざ)におこたらず夫(おつと)の衣服(いふく)にそなへ、しか/\賜(たまは)るべ

き禄(ろく)とてもなく、只(たゞ)糊口(くちもろふ)ばかりなるに、其居所(きよしよ)の取(とり)かこみたるいといさぎ

よく、洒掃(さいそう)に心を用ひ萬(よろづ)わびしからず。

賎(しづ)めきたるさまの見へぬは、雪名が

國を出る時嚢中(のうちゆう)に物ありてこそと人皆思へり。庄司次郎初て雪名が居所

へ訪行(とひゆき)たれば、雪名悦(よろこ)び心のかぎり饗應(もてなし)すれども、奴僕(ぬぼく)とてもなけれ

ば何をもふけせん。妻(め)も心苦(くる)しく竃(かまど)にあたりて須臾(しばらく)に十餘(とをあまり)枚の蒸

餅(じやうべい)を造(つく)り、清き漆器(しつき)に槲葉(かしはば)敷(しき)て盛出(もりいだ)し、雪名諸(もろ)とも殷懃(いんぎん)に是

をすゝむ。庄司是を食ふに其制(せい)うつくしく味(あじはひ)田舎(でんしや)の品(ひん)にあらず。是に

茶(ちや)を下して物語す。妻(め)も時々客位(きやくい)のかたに向ひて、「かゝることなんなでうあ

るべき」。「是は得(ゑ)がたきことにこそ」などゝ、物語を引立(ひきたて)興(けう)ずる氣(け)はい、静間(ものしづか)

なるが中に媚(こび)ありてなみの素姓(すじやう)にはあらじ。雪名も此(この)女(をんな)の為(ため)にこそ親にも

うとまれ故郷(こけう)に得たまらでと思はるゝ。是より常(つね)に来りて四方(よも)の雑談(ざふだん)

をかたりきこゆ。夫婦が心へだてなくしたしみけるほどに、いつしか庄司次

郎不良(よからぬ)心おこりて、これかれ戯(たはぶ)れによせ情(じやう)を含(ふくみ)たる詞(ことば)の端(はし)きらめけ

ど、女何(なに)とも思はぬさまなり。雪名元より耳にとゞめず。ある時雪名が

関(せき)に行たるを窺(うかゞ)ひ知て此所に来る。女房獨(ひと)りありて便(びん)なしとや思ひ

けん、扉(とびら)のひきよせたるあいだに身をかくし音(おと)せである。昔より美女

のかくるゝは見(み)へんが為といふなる、又は心得ずや有けん、白く小(さゝ)やかなる足

尖(あしさき)の扉(とびら)の下より見へきたるに、こゝにこそとさぐりより、やをら抱(いだき)とゞ

めて是を凌(しの)ぐ。女服(ふく)せず力を極(きは)めてこれを拒(ふせ)ぎ、聲(こゑ)たかく奮(ふる)ひて「かゝ

るふるまひあるまじ」といふ/\、女のちからにたへず。汗(あせ)ながれて雨の

ごとく、「君がいざなひに從ふべし」と、いつわりて庄司を推開(おしひらき)、嘆息(たんそく)一

聲(いつせい)して、「哀(あわれ)むべきことにこそ」といふ。其顔色(がんしよく)惨然(さんぜん・ふかくうれふ)として人の心を傷(いた)

ましむ。庄司あやしみて「誰をか哀(あは)れむべき」と問ふ。女云(いふ)、「外ならず、是雪

名の哀(あはれ)むべきなり。われ一婦人(いつぷじん)の為に父に逐(おは)れ親属(しんぞく)にうとまれ、朝

夕(てうせき)に相頼(あいたのみ)とし憂(うき)に樂(たの)しきにかたらひ誘(さそ)ふものとては、われならで

誰かあるや。かく人に口もらふ身となりては、それをだに保(たも)つことあたはざ

るはあわれむべきにあらずや。君は此所の勢家(せいか)として、我に勝加(まさる)婢妾(ひしやう)

多あれども眼中(がんちう)にあらで、朝暮(てうぼ)猟(かり)くらして樂とす。豪華(がうくわ)の至りなり。今

雪名は色に隠(かく)れたる貧士(ひんし)にして、我身(わがみ)君(きみ)の為に犯(おか)されば、是富貴(ふうき)

を以て貧人(ひんにん)を奪(うば)ふなり。豈(あに)大丈夫(ますらを)と言べけんや」。庄司此語を聞て野心(やしん)

頓(とん)に収(をさま)り、女を引立(ひきたて)手を拱(こまぬき)て云、「我一時(いちじ)の暴悪(ばうあく)前後(ぜんご)を忘(わす)れし初事(ういごと)

ぞや。尊嫂(そんさう)これを流水(りうすい)に附(ふ)して胸中(けうちう)に淀(よど)ましむる事なかれ。我若(もし)

此事に二念を引ば、日比(ひごろ)好(この)める猟(かり)を、病にかゝり為(なす)ことあたはざる物なり」

と、苦(ねんごろ)に断(ことは)り聞へて出ぬ。其後雪名が気色(けしき)を窺(うかゞ)ふに少しも聞しら

ぬさまなり。

女も前(さき)にかわらでかたり笑ふ。扨は女が我が為に面目(めんぼく)をつゝみ

けるこそうれしけれと過つる誓(ちか)ひも壊(やぶ)れやすきは此道、實(まこと)なるかな猛(たけ)

き人の腰(こし)おれともなるならひ、庄司次郎いつしか心よわりして、日比の殺

生もおこたりて猟狗(かりいぬ)は里の犬(いぬ)と群(むれ)あそび、心しりの猟奴等(せこら)も休息(きうそく)

に退屈(たいくつ)す。それのみならず雪名にかたらひて風月の道に心をよせ、

花を賞(しやう)し景(けい)を翫(もてあそ)ぶ。人なきひまに女云(いふ)、「むかしは婦節(ふせつ)重(おも)からぬやうな

るに、後世(こうせい)義氣(ぎき)にはげまされて、おの/\天とし戴(いたゞ)ける丈夫(おつと)ありて、あはで

の浦のみるをだに心にまかせず。是を外にして君の求(もと)め玉へる縁(ゑん)しあら

ば、我に赤縄(せきじやう・ゑんむすび)の術あり、君が為に成就(じやうじゆ)すべし」。庄司云、「我年来(ねんらい)射猟(しやりよう)を

好(この)み日々(にち/\)奔走(ほんさう)していまだ婚(こん)を議(ぎ)するの念(ねん)なし。錦部(にしごり)の高向(たかむか)大夫、

女子(むすめ)あり。容儀(ようぎ)の聞へ高(たか)し。殊(こと)に彼(かれ)は其所の舊家(きうか)なれば、結(むすび)て

婚家(こんか)とならんにたがひに恥(はづ)かしからず」。小蝶云、「わらは心得あり、必ず事

成(なる)べし」。庄司次郎悦びてねんごろにあつらへてかへりぬ。雪名かくと聞

て、たやすくうけがひたるゆへを問ふ。妻(つま)笑て、「其道遠(とを)からず」。近きに有。

我前日(さいつころ)眼痛(めのいたみ)ありし時、行て治(ぢ)を求めたる醫女(をんなくすし)刀祢子(とねこ)、かの高向(たかむか)の女

子(むすめ)の眼疾(めのうれい)を療(りやう)じてより、常(つね)に親しくもふで行よしなれば、是を緒(いとぐち)

となして、あわをによりて合せんこと仕(し)そんずまじき物」と、刀祢子(とねこ)許(もと)

に行て托(たの)み調(とゝのへ)ければ、刀祢子(とねこ)錦部(にしごり)に行て能折(よきおり)からに臨(のぞ)み、「姫(ひめ)を山口殿へ

取結び玉はんや。是相当(さうとう)の縁(ゑん)ならん」といふ。太夫聞て、「山口は古家(こか)なり。

我懇望(こんばう)する所んなれども、今の庄司は無益(むやく)の殺生(せつしやう)に猟(かり)くらす徒者(いたづらもの)の

やうに人いへば、我心に欲(ほつ)せず」。刀祢子(とねこ)云(いふ)「實(まこと)に此事ありといへども、今は全(まつた)く

猟(かり)をとゞまり、常(つね)に過(すぎ)ぎにし事を悔(くひ)て、優(ゆう)にやさしき手(て)ずさみに心をとゞ

めらるゝよし、げにも久(ひさ)しく猟(かり)のよそおひを見はべらず」といふ。「左(さ)あら

ば我(われ)婿(むこ)に取て恥(はじ)なきおのこなり」と内意(ないい)解(とけ)て、山口庄司老黨(らうだう)をやり

て音問(いんもん)を通(つう)じ程(ほど)なく婚姻(こんいん)を調(とゝの)へける。是によりて庄司一入(ひとしほ)あつく万

事の沙汰(さた)しけるほどに、雪名夫婦(ふうふ)衣食(いしよく)欠(かく)ことなし。庄司好絹(よききぬ)をゑらみ

て小蝶の衣服(いふく)の料(りやう)に贈(おく)れども、生得(しやうとく)新衣(しんい)を製(せい)する事を好(この)まず。その

絹布(けんぷ)皆(みな)刀祢子(とねこ)におくり、他(かれ)が舊衣(きうい)と換物(かへもの)にして服用(ふくやう)す。是なん常(つね)

の人には異なりとぞ人もいふなり。爰(ここ)に和泉國の舊族(きうぞく)登美(とみ)の夏人(なつひと)

といふ富民(ふみん)あり。親(おや)なるものゝ代(よ)より堅(かた)く殺生(せつしやう)をいましめて、夏人に

至(いたり)ても只(たゞ)生(いけ)るを助(たすく)るを以て心とし、他人の殺生をも説(とき)さとして休(やめ)し

む。女房は後(のち)の母の前(さき)に嫁(か)したる所にて出生(しゆつしやう)せし女を具(ぐ)して此

家に嫁(か)し来り夏人に配(あはせ)たるにて、誠(まこと)に髪(かみ)を結(むす)びたるよりの夫婦、

別(わき)て女の心かしこく、夫(おつと)をたすけて家(いへ)を治(おさ)め水と魚との和合(わがう)、

住(すみ)こしことをかぞふれば十(とを)といゝつゝ七(なゝ)とせの秋、ならび寝(いね)たる

夫(おつと)の夢(ゆめ)に妻(つま)かなしみかたるやう、「年(とし)ごろかく相なれて中途(なかごろ)に

捨(すて)奉るは、物の情(なさけ)しらぬに似(に)たれども、我は母なる人の志(こころざし)をつぎ

一類(いちるい)の為(ため)に遥(はるか)なる所に行むかえば、今より長(なが)く別(わか)れ参らせん。此

一品(ひとしな)を記念(かたみ)にとゞめ置(おく)。我(わが)思ひをなして手なれ玉へ」と、涙を枕

にそゝぎて立あがり、右(と)見左(かう)見回顧(かえりみ)て放出(はうで)のかたに出ると見て、夢さ

めみれば女はなく、枕上(まくらがみ)に見馴(なれ)ぬ一張(いつちやう)の弓(ゆみ)をたてたり。浅(あさ)ましと

足(あし)ずりして落(おつ)る涙(なみだ)の水(み)かさとなり、空魂(なきたま)ならばかへりくるがに、是(これ)

はたゞ火をうち消(けし)たるがごとくにて何をしるべに尋(たづ)ぬべき。其日を

ぼだいの日となし供養(くやう)おこたらず。此弓を傍(かたはら)に立おきて朝(あした)に執(とつ)ては暮(くれ)

に携(たづさ)へ心かれせず手馴(てなれ)ける。かくて二年(ふたとせ)の月日(つきひ)かへり来(き)て、けふなんか

たみの主(ぬし)の去(さり)し日なりと朝(あさ)とく起(おき)て席(せき)をはらひ、此弓を客位(きやくい)に立

よせて早膳(さうぜん・あさがれい)を供(くう)じ、われも同じく對(むか)ひ食する所に、此弓忽(たちまち)羽(は)う

つおとして白き鳥に変(へん)じ飛(とび)出る。食膳(しよくぜん)かいやり追(おひ)出て見れば南(みなみ)

をさして飛行(とびゆく)。其方(そのかた)を目につけつゝしたひ行(ゆく)ほどに、日も暮にちか

く紀泉(きせん)の堺(さかい)にいたる。傍(かたはら)なる大木の高枝(こずへ)に住(とま)りたる白き鳥有(あり)。是

ならんと見あげたるに、やがて飛下り、夏人が手に留(とま)るにいたりて、原(もと)

の良弓(りやうきう)と形(かたち)をかへす。あやしくも夢(ゆめ)かと疑(うたが)はれ、しばらく其處(そのところ)に

佇立(たゝずみ)やすらふ所に、雄(を)の関(せき)の侍(さむらい)ども兩三人来(き)かゝりて、持(もち)たる弓を

見とめ取圍(とりかこ)みて大にとがめ、「其弓何として汝(なんぢ)が手に入りたる」とな

ぢり問ふ。夏人(なつひと)有(あり)のまゝをかたる。侍(さむらい)どもさらにうけがわず。「かゝるあや

しき分説(いゝわけ)こそ心得がたけれ。先(まづ)庄司殿へ申て其上のはからひこそ」

と、夏人を中に取込(とりこめ)て行(ゆく)ほどに、いかにするやと安(やす)き心なし。かくて

庄司次郎は彼(かの)濁(にご)れる心の底(そこ)すみがたく月日(つきひ)往(ゆく)ほどに、ひたすら我富

貴(ふうき)を見せなば、女の心に羨(うらや)むこともあらんと、折節(おりふし)によせて雪名夫

婦をまねき重寶(ちやうほう)重噐(ちやうき)をつらね、山海(さんかい)の珍味(ちんみ)をあつめて、饗宴(けうえん)

す。一日(あるひ)殊更(ことさら)心を尽(つく)して設(もふけ)をなし夫婦をむかへけるに、女も粧(よそを)ひを

凝(こら)して入来り、既(すで)に客殿(きやくでん)にいたりて席(せき)に進(すゝ)み、上段(じやうだん)の壁(かべ)にかけたる

猛虎(もうこ)の竹を倒(たを)し風に咆吼(はうかう)する勢(いきほ)ひ、眼光(がんくはう)人(ひと)を射(い)るがごときに、小

蝶一目(ひとめ)見てあとさけびて庭(には)に飛しが、忽(たちま)ち狐(きつね)と化(け)し築垣(ついがき)をこへ

行がたしらずなりぬ。雪名周章(あわて)驚(おどろく)といへども、此すがたを見て人目

を恥(はぢ)て追(を)ひとらへんともせず。身に着(つけ)たる小袖は帯むすびながら

脱(もぬけ)の殻(から)、単皮(たび)はふみそろへて椽(すのこ)に遺(のこ)り、髪(かみ)のかざりも落(おち)ちりて、むざん

かぎりはなかりぬ。人々只(ただ)あきれにあきれて面(おもて)見合(みあひ)たるのみなり。

庄司次郎今は何をかつゝまんと、我が野心(やしん)のすぎこし次第(しだい)こと%\く

雪名にかたり、女が出身(しゆつしん)を尋(たづぬ)るに、雪名いふ、「此女房は其はじめ遠國(ゑんごく)

より賣(うり)来るを親(おや)なるもの買(かい)とりて婢(ひ)となす。我これにちなみて、

親(をや)のさづけんといふ妻(め)をうけがわざるゆへ、かくうとまれて遠(とを)くさま

よひ来るにおよぶ」。庄司次郎云、「さもありなんかし。此虎(とら)の絵(ゑ)は新筆(しんぴつ)

なれども百済川蟲(くだらのかはむし)の秀逸(しういつ)、高向(たかむか)太夫秘藏(ひざう)なりしを婿引(むこひき)入れに

得(ゑ)させし物なり。恐れて本形(ほんけい)を露(あら)はすこと、画眞(ぐはしん)のまつたき所あ

るや」と、語(かた)るなかばへ関(せき)の者(もの)ども夏人(なつひと)を取かこみ来て右の弓を持

參(ぢさん)す。庄司見て大に驚き雪名にむかひ、「其弓こそ我家に祖上(そじよう)より

伝へし良弓(りやうきう)、尊敬(そんけい)してたとき弓と云。〓(とつか)唐(から)やうなればとつか弓とも

いふを、家の子等(ら)いつしかよこなまりてたつか弓と稱(せう)せり。此弓を以て

猟(かり)するに得(ゑ)ものなしといふことなし。近比(ちかごろ)は惜(をし)みて深(ふか)くおさめおき苟

且(かりそめ)に用ることなし。況(いはん)や久しく殺生(せつしやう)におこたりて箱(はこ)をもひらかず。此比(このごろ)

都(みやこ)より白狐(びやくこ)の裘(きう)の用として近國(きんごく)に命(めい)じて、殊(こと)に予家(わがいゑ)射猟(しやれう)をよく

するを以て、年經(ふ)る狐を求めしめ玉ふにより、昨日箱(はこ)を開(ひら)くに

弓を見ず。家人の内に盗(ぬす)みとりし者あるやと捜(さぐ)り求むること

急(きう)なり。其方(そのはう)を見るに盗賊(とうぞく)とも見へず。怪(あや)しき分説(いゝわけ)とるにたらず

といへども、今目前に見たることもあれば、世の中怪事(くはいじ)断(    だん)じ捨(すつ)べきにあ

らず。其男はとゞめをき、本國(ほんごく)に人を遣(やり)て其(その)身許(みもと)をも聞べし」と、

其日は皆々興(けう)を掃(はらい)て散(さん)じける。其(その)夜庄司が夢に小蝶来りて云

やう、「我母といふも同じ狐(きつね)にして、登美(とみ)の長者(ちやうじや)が為に眷属(けんぞく)の命を

免(まぬが)るゝ事幾度(いくたび)ならず。其報(かへし)として彼が家に掃櫛(そうせつ)をとり、猶(なを)も雄(を)

の山の関守(せきもり)が殺生に(せつしよう)に耽(ふけ)るを制止(せいし)せんとの念(ねん)ありて達(たつ)せず。我其念(そのねん)を

續(つぎ)て、先(まづ)汝(なんぢ)が寶弓(ほうきゆう)を取隱(とりかく)し、我身(わがみ)のかわりとして重(おも)く夏人に

預(あづ)け、大和なる雪名をさそひ出し此所に来り、尓(なんぢ)が魂(たましい)を迷(まよ)はしめ

て漸(やうや)く殺生をとゞめ、望(のぞみ)たんぬと思ふ事かなへば、又白狐を猟(かり)せらるゝ

ことのうたてさよ。しかしながら是人の言伝(いゝつたへ)にて、狐裘(こきう)何の寶(たから)となすべ

き。腋下(えきか)の皮を縫(ぬい)あわせて色白きやうなれども、躰(たい)に重(おも)くして服御(ふくぎよ・おめし)

に堪(たへ)ず、肌(はだへ)不平(ふへい)なり。年経(へ)て白狐(びやつこ)となりしは毛落(おち)皮枯(かれ)て裘(かわごろも)とな

すに美観(びくはん)なし。此よし公(をゝやけ)に告(つげ)て狐白裘(こはくきう)の用なき事を啓(けい)し玉へ。

去(さる)にても靈(れい)なるかな彼(かの)良弓(りようきゆう)遂(つい)に他家(たけ)にとゞまらず、自(みづか)ら飛て山口

の家(いゑ)に帰(かへ)る。神(しん)なるかな掛画(けいぐは)、虎威(こい)眞(しん)に逼(せま)りて我が多年(たねん)の通變(つうへん)

を破(やぶ)る。是皆物の定数(ぢやうすう)にして我が力に及ばざる所なり」と、其夜同

じ夢の物がたり、庄司次郎雪名夏人もたがはぬ一詞(いつし)なれば、元来(もとより)一

狐(いつこ)の所為(しよゐ)によりて三人種々(しゆ%\)の心機(しんき)を労(ろう)しぬる。其根本(こんぽん)は庄司次郎

おのれが殺生(せつしよう)より事おこりたればとて、此弓を長(なが)く庫蔵(こざう)におさめ、

其位にあらずして無益の猟(かり)をなすは公(をゝやけ)を潜(せん)するなりと、みづから

くやみしりて再(ふたゝ)び殺生に遊ばず。雪名夏人も迷惑(めいわく)はれながら、女房

を慕(した)ふ心のやまざりければ、同じ思ひに庄司有與(ありとも)かくなん咏(ゑい)

じける。

  引かねしたつかの弓のつかのまも思へば苦(くる)し遣(や)ればすべなし

雪名もかくおもひつゞけて、

  なげきつゝいるやいづさやたつか弓紀の川上の白鳥の関

夏人、

  朝もよひ跡(あと)ふみ認(とめ)て紀の川のたゆるひまなき我涙かも

二人は本意(ほい)をうしなひて大和いづみにかへりぬ。彼雄(を)の山の関を

白鳥(しらとり)の関とも呼(よび)なせるは此謂(いはれ)によるとかや。

  四、中津川入道山伏塚(やまぶしづか)を築(つか)しむる話(こと)

足利(あしかゞ)の世漸(やうやく)一統(いつとう)ならんとす。貞治(ぢやうぢ)應安(おうあん)の比(ころ)、勢州(せいしう)多度(たど)の郷(がう)に桜崎(さくらざき)左兵衛

といふ人、文武(ぶんぶ)雙全(さうぜん)の聞(きこ)へありて遠近(えんきん)従遊(じうゆう)の人多し。其中に三年ばかり

入来る浪人宇多(うだ)次郎といふ者、其人心軽(かろ)く、人の顔色を見ずして多言なる

が、一日(あるひ)人なきに乗じて問て云、「世の人のいふなるは実(まこと)や。南朝の功臣(こうしん)、武名(ぶめい)四

海に達(たつ)し、摂(せつ)、河(か)、泉(せん)の受領(じゆりやう)し、従三位(じゆさんみ)中将を贈(をく)られし判官楠公(はんぐわんなんこう)、湊川(みなとがは)

に仮腹(そらばら)切りて、跡(あと)を隱(かく)し任(にん)をのがれて、今變名(へんめう)する所則(すなは)ち、先生(せんせい)なり

といふ。小生(せうせい)も年比心を著(つけ)て見奉るに、常倫(じやうりん・つねなみ)の器(き)にあらず。御大事

の時節(じせつ)に参り合ずといへども、おのれは最初(さいしよ)の官軍、矢田(やた)十郎義登(よしとよ)

といつしものなるが、宮(みや)流刑(るけい)の節身をのがれ、生國なれば此地に来

り、近きあたりに幽(かすか)にすめり。爾来(しかしより)、土も木も足利の風に偃(のべふし)て、南朝日(ひゞ)

に衰へ、其舊臣(きうしん)たる者、朝夕歯(は)をくひしばるにたへざるべし。先生にも

遺恨(いこん)に思召さば、其徒(と)なきにあらず。帥(そつ)の律師(りつし)則祐(そくゆう)今摂(せつ)の中津川(なかつがは)

に館(やかた)をかまへ、赤松附属(ふぞく)の地を看(まも)る。僕(やつがれ)と無二(むに)の舊遊(きうゆう)、心に南朝

を忘(わす)れざるべし。奥に備後の三郎高徳(たかのり)存生(ぞんじよう)して、時々(とき%\)文通おと

づれて、只南方の衰敗(すいはい)をなげく。九州(きうしう)の菊池勢(いきほひ)微(び)なれども義心(ぎしん)屈(くつ)

せず。新田義治(につたよしはる)の方(かた)、其処をしらねども、蟄居(ちつきよ)存命(ぞんめい)なり。今にても負(さきに)

弩(たつ)の人あらば、其後(あと)に従(つき)て馳集(はせあつま)る者時を同じうせん。賢慮(けんりよ)いかゞ」と

問ふ。桜崎実(まこと)に迷惑(めいわく)の体にて、「世上の人我を楠(くすのき)と沙汰する事、疾(とく)より

我耳(わがみゝ)にも入りたれども、出所(しゆつしよ)明白(めいはく)なる某(それがし)、恐るべきにもあらず。跡かたも

なき雑説(ざふせつ)にて、貴方を始め、世の人軍情(ぐんじやう)を知らぬ故なり。蜀(しよく)の諸葛(しよかつ)、幾

度(いくたび)も〓山(きざん)に出しは、必ず勝の術あるにあらず。魏(ぎ)の勢(いきほひ)日日(ひび)に洪大(かうだい)なれ

ば、此方無為(ぶゐ)にして、取静(とりしづ)めたるのみにては、氣を呑(のま)れて危(あやふ)きに近き

ゆへ、勢(いきほひ)を張(はつ)て國家(こくか)の氣を養ふ計策(はかりごと)、かゝる相國国(しやうこく)の身となりて、いか

ばかり心苦(ぐる)しからん。いかなる英雄(ゑいゆう)にもせよ、是程の知恵(ちゑ)あれば、敵を計(はかる)

に足れり。我軍略(ぐんりやく)是ほどあれば、是にて此軍に勝べき手當(てあて)十分なり

といふやうはなし。其上時變(じへん)あり兵變(へいへん)ありて、千慮(せんりよ)の外に出るをや。愚

老(ぐらう)聞伝るに、昔土師(はじ)の何某(なにがし)に始て橘の姓(せい)を賜りたるは、葛城王(かづらきおう)

の外戚(はゝかた)なるを、故(ゆへ)ありて其姓を継(つぎ)玉ひて、八代好古(よしふる)の大納言より枝

を分ち、樟殿(くすのきどの)にいたりては、小身(せうしん)微力(びりよく)なれども、官軍の大指(おゝゆび)に屈(をら)れ、根(ね)

ざし久しき土地(とち)の理を得て大敵をふせぎ、軍機(ぐんき)を我物として、

變化(へんくわ)、鬼神(きしん)のごとく見ゆれども、是皆(これみな)其時に従(したがつ)て、〓疾(くるしみ)の中より智

計(ちけい)を練(ねり)出し、一族(ぞく)士卒(しそつ)の精忠(せいちう)により拒(ふせ)ぎおゝせ、智(ち)に及ばざる所は、理(り)

をせめて命(めい)にまかせ、一人に敵するも、日本國を引受ても、死するは一身(いつしん)

一命(いちめい)、頼まれ奉りしより此生(しよう)を君に捧(さゝ)げ、節操(せつそう)たゆまず、心力(しんりよく)を

王師(わうし)に労(らう)し、恢復(くわいふく)の時を得て、足利殿(あしかゞどの)謀反(むほん)の初(はじめ)に、一たびは西海に

走(はし)らしめ、叡山(ゑいざん)より還都(くわんと)なし奉るまで、盛名(せいめい)を落さゞること、一つ

は時運(じうん)のすゝむによるものなり。以来政(まつりごと)そむけ、賞罰(しやうばつ)均等(きんとう)ならず。

新田殿英雄(ゑいゆう)なりといへども、家勢(かせい)初より微(び)にして、高氏に對せず。

既に家運(かうん)傾(かたむ)くの北条(ほうでう)すら手ごはかりしに、大事勃興(ぼつこう)するの足利(あしかゞ)、

天命の帰(き)する所、明眼(めいがん)より見れば、勝(かつ)べきの敵にあらず。元より軍

利(ぐんり)手に握(にぎ)りたるものにあらざれば、此(こゝ)にいたつて精氣(せいき)をつかし、時

を見かぎりたる戦死(せんし)なり。已(すで)に嫡子(ちやくし)正行(まさつら)、生得(しようとく)多病にて、病に死

せんよりは王事(わうじ)に従(したが)はんと、二十六才にして飯盛(いゝもり)山の下に戦死し

たるは残念(ざんねん)なれども、今にて見れば、死戦(しせん)の図(づ)をはづさぬを知るべし。

士(し)たるものは、初に其主人をえらぶべきこと一生の大事なれば、黄石公(くはうせきこう)

が直(わざ)と履(くつ)を堕(おとし)て張良に取(とら)しめたるは、其踏(ふむ)所に心を用ひよとの

教(おしへ)を隠(かく)したる所為(しわざ)なり。樟殿(くすのきどの)、初は天命の帰(き)する所を知て頼まれ

奉り、終(をわり)は命(めい)の革(あらたまる)を見て、死(し)を以て君に報(はう)ず。公の靈(れい)あらば、談者(だんしや)

の愚を笑ふべし。但し濫(みだり)に楠公(なんこう)とは呼(よび)がたし。古代樟(しやう)の字、俗(ぞく)に〓

と省(やつし)たるを楠(なん)の字に混(こん)じたるとも聞(きけ)り。扨(さて)また南朝舊恩(きうおん)の餘(よ)

類ありて、時節を窺(うかゞ)ふものあるべし。是は人情(にんじやう)なれば、悪(にく)むべきにあら

ず。しかれども、此時を以て見るに、南朝の根基(こんき)とせる大和紀(き)の路(ぢ)一統

して、基本(きほん・もとたて)巣穴(さうけつ・よりどころ)なし。今蜂起(ほうき)の徒(と)の事を成(なす)べきにあらず。扨(さて)足

下(そこ)にも年比(としごろ)詣(もふで)来るちなみなれば、思ひ立たる事の成(なる)か成(なら)ざるか、占(うらな)ふ

て参らせん」と、枕(まくら)にすべき角(かく)なる木を二つ取出し、「是こそそれがし常(つね)に

子弟(してい)に示(しめ)す隠器(いんき)なり」と、掛(かけ)たる長刀(なぎなた)を下(おろ)して宇田(うだ)次郎に授(さづ)

け、「足下(そこもと)心中に誠(まこと)を降(くだ)して、石突(いしづき)を以て直下(ちよくか)に突通(つきとを)し試(こゝろ)み玉へ」。

次郎鐓(いしづき)を下になし、心中に念ずる所あつて、力(ちから)にまかせ突下す。此

角木(かくぼく)貫(つらぬき)得て徹(とを)れり。又一個(いつこ)を取て突下すに、此度は鐓(いしづき)ゆるぎて

角木(かくぼく)依然(いぜん)(もとのごとし)たり。次郎問て云、「此占(うらなひ)如何(いかん)が主(つかさ)どる」。左兵衛云、「其貫(つらぬ)き

通りたるは、内(うち)虚(きよ)にして箱の如し。志力(しりよく)強(つよ)き時は通るべし。後の貫(つらぬき)得

ざるは、中外(うちそと)なく純木(まつたきき)なり。孫武子(そんぶし)が実(じつ)するもの伐(うた)ずといふもの

是なり。打(うた)ば必ず其兵(へい)を損(そん)す。是もたゞ陣(ぢん)に臨んで一時の実(じつ)をいふ

なり。今の世の如きは、實常(じつつね)となり、打べきの時にあらず。或は此占(うらなひ)、虚(きよ)

なるかた堅(かた)くして通(とを)らず、実(じつ)なる方貫(かたつらぬ)けるが如き變卦(へんくわ)あるを待(また)ずん

ば、事成就(じようじゆ)すべからず。人情(にんじよう)常なく、初(はじめ)勇氣あるも、一たび利を失ひ

ては、勢(いきほひ)折(くじ)け、始終を保(たもち)がたし。兵書(へいしよ)に、始は處女(しよぢよ)の如く後は脱兎(だつと)

の如しと云へり、處女の既に破身(はしん)したるを口悪(くちさが)に言(いひ)たる其

比の穢談(ゑだん)なるを、孫子(そんし)取て譬(たとへ)とせりと、新田殿雑談(ざうだん)に語り玉ひ

し由。強弩(きやうど)の勢(いきほひ)も、放(はな)したる末にては、魯縞(ろかう)の薄(うすき)を通さぬと同意

なり。足下(そこ)の如く思ひはやりにはやるもの、勢を用ひすごして、必用(ひつよう)

時には氣勢(きせい)なきものなり。此上かやうの事思ひとゞまり、愚老(ぐらう)が

諌(いさめ)に従(したが)ひ玉へ」と、理をせめて蒙(もう)を開くの詞(ことば)に、次郎赤面しても心(こころ)服(ふく)

せず。彼がうけがはざるは是非もなし。我密事(みつじ)をかたりて此まゝ

に帰りがたしと、彼長刀の鞘(さや)をはづし、なぎつけんとする時、左兵衛

早く後(うしろ)の一間に入りて、戸を引立たり。一重(ひとへ)の障(へだて)は物かは、突通(つきとを)さん

と突(つく)長刀の鍔(つば)本より屈(まがる)を見れば鉛刀(ゑんたう・なまり)なり。かゝる所へ、門生(もんせい)数

人(すにん)入来りたれば、何氣(げ)なく貌(かたち)を正しくし、思ふに真劔(しんけん)を我には

授くまじきことなりしと、立出なんとする時、左兵衛出来て再びいふ、

「次郎、尓見よ。清平(せいへい)の世、これを用れば、大人は徳を害(そこな)ひ、小人は必ず

凶(けう)なり。用ずして安き時は鉛刀(えんとう)に論(ろん)なし。動(うごく)は止(とゞま)るにしかざるべし。是愚

老(ぐらう)が足下(そこ)を送るの辞(ことば)、今より永く絶(ぜつ)すべし」といふ。

次郎甚恥(はぢ)入

り、面(おもて)を低(たれ)て、鼠の逃(にぐ)るが如く其處を去ながら、左兵衛動作(ふるまひ)愈

尋常(よのつね)の人柄(ひとがら)ならず世の人口(じんこう)疑(うたがひ)なしと我心迷ひてかく思へること、是

情人(じようにん)眼中(がんちう)に西施(せいし)を出すといへる類(たぐい)なるべし。宇田次郎、すでに口

外(こうぐわい)せしうへは、早く思ひ立んと、夫(それ)より其身山伏の姿に打扮(いでたち)て、渡

辺(わたのべ)の住良防(すみよしばう)は古き知音(ちいん)なればとて、彼(かしこ)に行て、其辺動静(どうじよう)をさぐり

聞、何とぞ則祐(そくゆう)入道に一面(いちめん)せんと、中津川に立こへけるに、壘(るい)高くかゝ

げ、高門大鋪(たいほ)厳(げん)に設(もふ)け、處々に水を盛(も)れる舟を置(おき)、鳶口(とびぐち)の

鉤(かぎ)数多(あまた)挿(さしはさみ)て火災(くはさい)に備(そな)へ、門内の白砂(しらす)見入れるに奥ふかく、對面のこと

も迂活(うくわつ)に申入れがたく、看門(かんもん)の者に向ひ、「其(それがし)は圓能(ゑんのう)と申修驗道(しゆげんだう)也。

先年密教(みつけう)に参ぜし時、御主人に朝夕伏侍(ふくじ)せし以来、本山にあり

しが、上京の路次(ろじ)、懐旧(くわいきう)捨がたく、推参仕る。此趣取次(とりつぎ)て玉はるべし」といふ。

看門心得て、やがて入て達(たつ)する程に、入道「誰(たれ)なるや」と、廳(ひろま)に請(こひ)入れて、

立出見やりたるに、年隔(へだゝ)りぬれども見覚へある矢田義登(よしとよ)なり。

「能(よく)ぞや恙(つゝが)なかりし」と、詞を親(したし)くし、茶(ちや)を吃(きつ)せしめ、酒食を饗(けふ)し、

往事(わうじ)かたるにつきず。「住吉防(すみよしばう)に宿すれば、又こそ参らん」と、其日は何

事なく辞してまかりぬ。日を隔(へだて)て再(ふたゝ)び行しに、少も疎意(そい)なく

相待して、酒食席(せき)を同じく吃し、昔にかはらぬ気色を見て、義登

膝(ひざ)をすり寄て申は、「南朝の股肱(こかう)幵に宮の昵近(ぢつきん)、跡(あと)をくらまし、

頭(かしら)を出す人なし。時うつり、代かはり感傷(かんしやう)にたへず」といふ。入道も嘆

息(たんそく)して、「宮の御謀反(むほん)、實(じつ)は叡慮(ゑいりよ)より出で、却て咎(とが)を宮にゆづら

せ玉ふ、例(れい)の手のうらかへす君命なりしぞよ。是しかしながら造

化(ざうくは)の自然(しぜん)かたるに所なし」。義登云、「むかし日夕(ひるよる)に鬱憤(うつぷん)をおさへ

しこと、おのれは今に忘れず。貴君(きくん)には如何(いかん)」といふ。「我も人情の免(まぬが)

れざる所なれども、隠居(いんきよ)して世に当らざる身は、日に月に其情(じやう)

うすく、夢にだも周公(しうこう)を見玉はざりしおもむきにひとし」。義登云、

「僕(ぼく)は片時も回復(くわいふく)の念やまず。あわれ昔日(せきじつ)のよしみを忘れず加袒(かたん)

あらば、日ならずことを挙(あげ)ん。貴君(きくん)には見認(みしり)玉はん、今勢州に桜

崎左兵衛と變名(へんめう)するは、正(まさ)しく楠判官と見へたり。彼(かれ)が三男正勝(まさかつ)、

衰(をとろへ)たれども猶千劔破(ちはや)を守る。奥路(おくじ)に児島高徳(こじまたかのり)あり、四國に義宗(よしむね)

ひそみたり、熊野、十津川(とつがわ)内心變(へん)ぜず。誰にても、一たび義(ぎ)を詢(となふ)る程

ならば、期(ご)せずして集るもの多からん」と、いふことばの中より入道面色(めんしよく)か

わり、「義登しばらく待れよ。此事我館(やかた)にて談(だん)ずべきことにあらず。必

ず無用たるべし」。義登面(おもて)温(いかつ)て云、「貴殿(きでん)、身の逸樂(いつらく)に安(やす)んじて舊(ふるき)を

捨(すつ)ること、人の禽獣(きんじう)に異(こと)なる所を知るや」と、早(はや)悪言(あくごん)に及ぶ。入道聞に忍びず、既に太刀取((とり))なをさんとせしが、自(みづか)ら気(き)を降(くだ)し、胸(むね)をさ

すりて云、「拙老(せつらう)此處にあるは、退隠(たいいん)に似て、実(じつ)は足利殿の為に耳目(じぼく・めみ)

をなすなり。異様(ことやう)なる山伏来りて我に逢んといふさへ家人(けにん)等

疑(うたがひ)を起(おこ)すなるに、かゝる論談(ろんだん)に時を移(うつ)しては、両人(りやうにん)慎(つゝしみ)なきに似

たり。只今尓(なんぢ)を送る体(てい)にて、住吉防の方へ行て談(だん)を交(まじ)へん」と、義登を促(うなが)して座を立(たゝ)しめ、其身は一個(いつこ)の僕奴(ぼくど)をも具(ぐ)せず、

脇(わき)の門より出、南に向つて、打連(うちつれ)ける。道すがら云やう、「義登、

尓と我と舊識(きうしき)なりといへども、志の懸隔(けんかく)すること君子(くんし)匹夫(ひつぷ)の

違(ちがひ)あり。匹夫は君子の心を知らずといへども、君子は匹夫を見る事

易(やす)し」。善登(よしとよ)心怒(いか)りて、「我いかなる所か是匹夫(ひつふ゜)なる」。入道云、「天下の

善をなせば天下を利(り)す。是君子なり。一分(いちぶん)の善をなせば天下

に害あり。是匹夫なり。近年(きんねん)、天意(てんい)騒乱(そうらん)に僊(うみ)て治世に入り、蒼生(さうせい・たみ)よみがへりたる思ひをなし、四方に弓兵(きうへい)を動すものなきに、尓一人

存念(ぞんねん)を立て、自ら憤(いきどふり)を快(こゝろよ)くせんと欲(ほつ)して乱(らん)を唱(いざな)ふ事、遂(とぐ)べきに

あらねども、火起(おこ)れば風加(くはゝ)つて、微(すこ)しの勢(いきほひ)を得ば、上下(じやうか)を震驚(しんきやう)し、

人民(にんみん)業(げふ)に就くことを得ず。天兵一たび臨(のぞ)んで、片甲(へんかふ・つはものゝかげ)も留(とゞめ)ざるにいた

り、尓は一旦(いつたん)の義勢(ぎせい)を振(ふるひ)て、後末(こうまつ)の名欲(めうよく)に死するとも笑を含む(ふく)

まん。尓が為にいざなわれたらん幾(いく)百の人命(じんめい)を落し、處(ところ)を失(うしな)は

しめ、其罪皆尓に帰す。老夫(ろうふ)日日(にち/\)世の安寧(あんねい)を庶幾(こひねがふ)心より見

れば、匹夫たることを免(まぬが)れず。挙頭(きよとう)三尺神明あり、隔壁(かくへき)一層(そう)人耳(じんに)

多し。再び此志をいふことなかれ。今拙老(いませつらう)を無二の力と思ひてかた

らへども應ぜざるがごとく、世の人も又しからん物を」とかたりつれて、巳(すで)に

融寺(とをるでら)の南門(なんもん)を行抜(ゆきぬけ)て、住吉防(ぼう)も程ちかくなれど、かく頼もしげ

なき入道と同道して行なば、彼防も我を無道人のやうに思ふ

べしと、元来(ぐわんらい)短慮(たんりよ)の義登、よし/\入道を打捨にすべしと、兎

餓(とが)

の尾(を)と古渡辺(こわた)の間(あいだ)、人遠き所にて、詞をも掛ずせわしく切りつけ

たり。入道心得、飛のきて抜(ぬき)あわせ、よせつ開つ二三度せしが、入道

烏足(からすあし)を速(はや)くはこびてしたゝかに切つけ切倒(たを)し、「傷ましながら、

世の為に害(がい)をのぞく。自(みずか)ら尓が愚(ぐ)を恨めよ」と、刀の血押拭(おしぬぐ)ふ所に、

向ふなる神祠(やしろ)の籔かげに、一人の農夫(のうふ)、鍬(くは)を杖(つへ)につきて咏(ながめ)ゐたる

が、走り来りて笠(かさ)取(とる)を見れば、中津川に新参の下部(しもべ)なり。「殿(との)

の単身(ひとりみ)にして出玉ふを見て、心ゆりせず、見へがくれに御供せり」

といふ。其体如何(いかん)にも心得がたく、入道怒(いかつ)て、「いわれざるおのれが猿知

恵(さるぢゑ)、生(いけ)ておかば、始終(しじう)を世上にもらさん。刀次手(ついで)に懸(かく)るぞ」と取て

引よする。事急(きう)なるに及んで、此男制止(せいし)かね、「我は陪臣(ばいしん)にあらず。

麁忽(そこつ)し玉ふな」といふ。入道つきはなして間(あいだ)をおき、すこしも

油断(ゆだん)せず。其時此男、懐(くわい)中の嚢(ふくろ)より安堵(あんど)の御書(ごしよ)を出して、手に

ありて見する。御墨付粉(まぎ)れなく、何々の郡(こをり)を充行(あておこなは)るゝ。某は

彦野部(ひこのべ)新左衛門尉為充(ためみつ)、上意承り、南方衰(おとろ)へたれども舊臣(きうしん)

多し。中津川入道今京都の干城(かんじやう)をなすも、其本心いまだ

知るべからず。よつて某来つて貴候(きこう)の家に竊候(しのび)をなす。今

事(こと)急(きう)成がゆへに姓名を披露(ひろう)す」と云ふ。赤松刀(かたな)を収(おさ)め、会酌(ゑしやく)し

て、矢田十郎に説(とき)たる利害(りがい)の趣を語れば、彦野部も甚こ

れを公論(こうろん)と称(しやう)し、「足下(そこ)の本心(ほんしん)如此(かくのごとく)なれば、貴宅(きたく)に足をとゞむ

べからず。取したゝめて御いとま申さん。此事穏便(をんびん)」と、同伴(どうはん)して

中津川にかへりぬ。入道矢田が志を憐(あはれ)み、住吉防并に所の者に

命じて、其地の堺田(さかいだ)に埋(うづ)め、土を築(きづ)き、石を鎮(しるし)となす。時の人

是を山伏塚(やまぶしづか)とよびけるとなん。其後霊蛇(れいじや)あつて、此塚に

出没(いでいり)するを見る人多し。又霊火(れいくは)あつて此辺に出遊(しゆつゆう)す。怪(あや)し

といへども害(がい)をなさず。偶(たま/\)これを見たる人は、必(かならず)其志願(しぐわん)を成

就(じやうじゆ)すと云伝(いゝつた)へたり。

古今奇談(こきんきだん)繁野話(しげ/\やは)第二巻(だいにのまき)終

古今奇談繁野話第三巻(ここんきだんしげ/\やわだいさんのまき)

 五、白菊(しらぎく)の方(かた)猿掛(さるかけ)の岸(きし)に怪骨(くわいこつ)を射(い)る話(こと)

古人云、鬼神(きしん)と山魅(さんみ)の類と幽現(ゆうげん)の別(わかち)あり。

山魅木客(ぼくかく)〓両猿狐(もうりやうゑんこ)の類は皆形体(けいたい)あるの物、時あつて形(かたち)を隠(かく)し時あつて形(かたち)を現(あらは)す。

是にさへ霊明(れいめい)を使(つか)ふに巧拙(こうせつ)の分(ぶん)あり。

巧(たくみ)なるは物を役使(ゑきし)し人の敬(けい)を発(おこ)さしむ。

拙(つたな)きは霊(れい)を仮(か)して人に役(ゑき)せらる。

鬼(き)は人没(ぼつ)して土中(どちう)に帰(ある)の名なり。

骨肉(こつにく)は土(つち)に属(ぞく)し、其気の発揚(はつよう)して空(くう)にあるを鬼(き)の神(しん)といふ。

体(かたち)なく声なし。

是も尚異常(なをいじやう)あり。

常(つね)なるは、祭(まつ)れば降(くだつ)て饗(うけ)、祭る人の心に交(まじは)り、近くして其跡(そのあと)なし。

異(こと)なるは、人に托(たく)して語り人に附(つき)て霊(れい)ならしむ。

形体(けいたい)なきゆへ恐(をそる)る所なく身の慾(よく)なく、霊を示(しめ)せば専(もつぱ)ら人のためにす。

中にも愚(ぐ)なるは、〓鬼(ちやうき)の虎(とら)に使(つか)はれ、狗神(いぬがみ)の人の為に貧(むさぼ)る類(たぐひ)あり。

凡(およ)そ生(いけ)る人並(ならび)に種々(しゆ%\)の有情(うじやう)の物、皆神(しん)ありて物に附(つ)き人に托(たく)し、はるかに死鬼(しき)の神(しん)よりも霊(れい)なり。

惟(たゞ)身を先(さき)にして人の為を後(のち)にす。

是(これ)生者(せいしや)の天情(てんじやう)にして世の人多く免(まぬが)れず。

故(かるがゆへ)に自身(じしん)は其(その)神の通づるを思ひしれども、他人は知(しる)に及ばざるなり。

上古(じやうこ)山川草木いまだ開闢(ひらけ)ず、人居(じんきよ)も密(みつ)ならず。

山魅(さんみ)の類人に近く、形を現(げん)じて人間(じんかん)に来り交(まじは)る。

人皆(ひとみな)山魅の為所(なすところ)を知る。

後世(こうせい)人民繁息(はんそく)し、山を開き海を築(つき)て其食(しよく)を足し、険(けわしき)を通(とを)し水を引て其運輳(うんそう)にたよりす。

人行(ひとゆく)の処自(おのづか)ら蹊(みち)を成し、地平(たいら)かなれば人あつまりて居(きよ)とす。

竜蛇犀狼(りやうじやさいらう)恐れて人に遠ざかる。

山魅罔両尤(まうりやうもつと)も霊なれば、なを/\深(ふか)く避け(さけ)て人間(じんかん)に近づかず。

後(のち)の人多(おゝ)く目に見ざるが故に鬼(き)と魅(み)との分(ぶん)をしらず、混(こん)じて一とし、又古への怪事(くはいじ)を聞て、今見ざるを以て疑(うたがひ)をおこすもあり

古へに有しを以て今もありとして理(り)を誣(しひ)るもあり。

又古(いにしへ)あるの事は今もあり、今なきの事は古へもなしといへるは、時変(じへん)をしらざる夏虫(かちう)の見(けん)なり。

毛類(もうるい)は文(ぶん)なきがゆへ天然(てんねん)に近く間長生(まゝちやうせい)もあり。

求めずしてよく前知(ぜんち)し、巣居(さうきよ)風をしり穴居雨(けつきよあめ)をしる。

深山(しんざん)、大沢(だいたく)何の怪(くはい)かなしとせん。

昔東国に往来する商客(しやうかく)、木曾(きそ)の妻篭(つまごめ)といふ所(ところ)に脚(あし)を傷(いた)はり数日滞留(たいりう)し、寒暑(かんしよ)の異同(いどう)も長夜(ちやうや)の談(だん)に尽(つき)、地名産物も計(かぞへ)つくしたる折柄(をりから)、其里に祖上(そじやう)より久しく住(すめ)る老人座(ざ)にありて云、「此所を妻篭と名づくること、さま%\いはれある中に老(おひ)が先人(せんじん)どもかたり伝へたる長物語(ながもとがたり)の侍る」とて、田舎人(いなかふど)の口鈍(にぶ)く語り出せるは事怪(あや)しくくだ/\しけれども、誠に千人の妖霧(ようむ)こゝに至て尽(つき)、万歳(ばんぜい)の深山是(みやまこれ)に自(よつ)て開(ひらく)の談(だん)にあらずや。

清和天皇の時、美濃守源朝臣穎(みののかみみのもとのあそんさとし)を信濃守に転任(てんにん)せらるゝことあり。

其時備中の国窪屋大領(くぼのやたいりやう)が弟(をとうと)、三須守廉(みすのもりかど)、権門の吹挙(すいきよ)によつて信濃是掾(しなのゝぜう)になりて、国なる妻女を催(もやふ)し登(のぼ)せ、さるべき家人等(けにんら)を召具(めしぐ)して東国の路に赴(おもむ)き、日数歴(ひかずへ)て飛騨(ひだ)と信濃(しなの)の界(さかひ)なる岐蘇(きそ)の深坂(みさか)にかゝりぬ。

小笹原分行袖(をざゝはらわけゆくそで)に露けくて険(けはし)き路(みち)五歩(ごほ)登(のぼ)れば五歩(ほ)下る。

人馬(じんば)共に疲労(ひらう)す。

断(ことはり)かな、むかしは美濃と信濃と通路(つうろ)不便(ふべん)なりしを、文武(もんむ)の時岐蘇(きそ)山道(やまみち)を開かれ、岩を砕(くだ)き桟(かけはし)を通し、当時(そのとき)何年に及べども路(みち)定りがたく、元より此山中烟瘴(ゑんしやう)深く、妖怪(ようかい)出没(しゆつぼつ)し、往来多からず、人気(じんき)猶(なを)開けず甚(はなはだ)悪所なり。

道の南北山中に人跡(じんせき)いたらざる所多(をゝ)し。

いづこの程にや狒々谷(ひゝたに)といふ所あり。

後世(こうせい)其処(そのところ)さだかならず。

其懐(ふところ)に一つの洞(ほら)あり。

隠(かく)れ神の岩窟(いわや)といふ。

常は霧(きり)立こめて見へず、方格(はうがく)定めがたし。

数十年の内たま/\あらはれ、洞の中に宮殿(くうでん)有(ある)を見ることあり。

山下の人つたへいましめて、これを見る時は早く其所を走り去る。

若(もし)ためらひて見とめんとすれば、忽(たちま)ち空(そら)より大石落かゝり粉砕(ふんさい)(こにくだく)となる。

此洞に一つの怪物(くわいもつ)あり。

出る時は一片(いつぺん)の雲(くも)となりて飛行(ひぎやう)す。

故(かるがゆへ)に人より名をつけて飛雲(ひうん)といふ。

其本身(そのほんしん)は〓〓(こそん)(さるのたぐひ)の精(せい)(こうへたる)なり。

神代(じんだい)よりこゝにすみて神通広大変化(じんずうくはうだいへんげ)きわまりなし。

朝夕霧(きり)をふらして山深き所を人に見せず。

欲(ほ)しき物を摂(と)り偸(ぬすむ)事心に任(まか)せざるなく、時々(とき%\)人をたぶらかし害(がい)をなせども、仏神もこれを制することあたはず。

美酒(びしゆ)に非(あら)ざれば飲(のま)ず、美服(びふく)に非ざれば着(つけ)ず。

陰陽採補(さいほ)の術(じゆつ)を得て長生の道を煉(ね)り、近国諸山(きんごくしよざん)の妖怪山精(さんせい)、皆これが部下(ぶか)にしたがへ、猛獣(もうじう)を役(ゑき)し耳報(にはう)の術を得(ゑ)て、洞(ほら)の中に居ながら百里四方の動静(どうじやう)を聞き知ること、掌上咫尺(てのうへめのまへ)の如し。

こゝに一日(あるひ)西南(せいなん)の方より、此路(みち)を通る一行(ひとつれ)の旅人(りよじん)あり。

其中に一つの張輿(はりごし)あり。

飛雲(ひうん)これを察(さつ)するに、輿(こし)の内嬌(わか)き婦人(ふじん)あり。

容貌閑雅(かたちきよらか)に、あてなる顔(かほ)花のごとく玉に似たり。

其支干(しかん)を推察(すいさつ)するに、既(すで)に十六歳にして丈夫(おつと)にかしづき、今年二十三歳におよぶ。

いざや摂(とり)来り酒宴の興(けふ)を添(そへ)んと、即時(そくじ)に山神(さんじん)に命じて往還(わうくはん)の路上(ろじやう)に一つの旅館(りよくはん)を化現(けげん)せしめ、「外に宿駅(しゆくゑき)なければかならずこゝに宿るべし。深夜(しんや)にいたりて女を摂(とり)て洞(ほら)に入るべし」。

山神承(うけたまはり)て結構(けつかう)をなし、俄(にはか)に白日(はくじつ)を暗夜(あんや)となす。

守廉山路(もりまどやまぢ)に倦(うみ)つかれて日もくれぬと此所に来り宿る。

従者奴婢(ずさぬひ)居ながれて休息(きうそく)す。

飛雲宿(やど)の老翁(らうをう)と化(け)して心よくもてなし、客の間(ま)に出て物語(がたり)し、「此翁(おきな)今年八十余歳、耳(みゝ)頭(かしら)のうへに雷(らい)落かゝりても聞へねば、物その用に立ねども、殿(との)の為に申(まうす)べき事こそあれ。

これより向(さき)は山なを深(ふか)く盗賊狼(とうぞくをゝかみ)の害(がい)多(をゝ)し。

具(ぐ)せられたる女房の御方は此翁が許(もと)に預り奉りて、殿向(さき)へ御着(つき)ありて多人数(たにんじゆ)を以て迎(むか)へとらせ玉へ。

此間(あいだ)美目(みめ)よき女を奪(うば)ふなる山賊(やまだち)のあるをしらせ玉はぬにや」といふ。

守廉冷笑(もりかどあざわらひ)て、「われ不肖(ふしやう)なれども弓の本末(もとすえ)を知り、本国にては武(たけ)きものゝ指数(ゆびかず)に折(おら)れたる身にて、いかに左程(さほど)まで山賊(さんぞく)に用心すべき。

殊(こと)に天庁(てんちやう)の命を蒙(かうぶ)り此国(くに)の鎮(ちん)として我帯(おび)来(きた)る所の老党若党(らうどうわかとう)は一人当千(たうせん)の家の子なり」と、勢つよき詞(ことば)に、亭主(ていしゆ)も其席(せき)を退(しりぞき)ぬ。

若党雑人(わかとうざうにん)は端(はし)に臥(ふし)、使女(しぢよ)の輩(やから)は脇(わき)の間に臥ぬ。

守廉(もりかど)は妻(つま)の白菊(しらぎく)と正面(しやうめん)の間(ま)に宿(やど)り、山中の静(しずか)なる夜のさまめずらしく、寝(ね)物がたりして笑(わら)ひ興(けう)ずる所に、さそふがごとくに眠(ねむり)きざし、しばしと思へど寝(ね)にけり。

しきりの風の音に目を覚(さま)し、傍(かたへ)を見れば早く女房を見ず。

清厠(かわや)にや出けんと戸ざしのあたり見めぐらせば、いつしか家(いへ)と覚(おぼ)しき物はなく、戸ざしと見へしは立木の隈(くま)、使女(しじよ)家人(けにん)等も皆(みな)草の上にまろび伏たり。

こはあさましと急によびおこせば、家の子らもはじめて心づき、前後を見れども一つの民家(みんか)もなく、月光(げつくわう)明らかにてらし、遠寺(ゑんじ)の鐘声(しやうせい)を聞ばいまだ初更(しよかう)なり。

守(もり)かど夢の心地して、「いかなる妖怪(ようくはい)のたぶらかして、旅宿を仮(かり)に現(げん)じて女房を奪(うば)ひ行しや。

山精(こだま)などいふものゝ所為(しわざ)にや」と、忙(あき)れ迷(まど)へども今いかんせん。

樹下(このもと)に露(つゆ)をしのぎて其夜をあかし、民家(みんか)ある所に立もどりて人馬(にんば)をとゞめ、家人(けにん)を東西へ分(わか)ちやりさぐり求(もとむ)れども、何を見出したることもなく、「此山中にてはかゝる事なん間(まゝ)に多(おゝ)かるとこそ聞け。

恩愛(おんあひ)の道は勿論(もちろん)、女房を妖怪(ようくわい)にとられ、本国の一門に何の面目(めんぼく)ありて再会(さいくわい)そべき」と、物狂(ぐるは)しき迄に憤(いきどふ)れども、公事(こうじ)身にあり、怠慢(たいまん)しがたしと、其所を発(はつ)して国の府(ふ)にいたり、国司(こくし)に謁(ゑつ)を取り前(さき)の掾(ぜう)に代(かは)りて、幸(さいはい)に目(さくわん)の旧(ふる)きまゝ残れるに密々(みつ/\)身のうへをかたり、所務(しよむ)を目(さくわん)にあつらへをき、もりかどは人に対面なしがたき病ありと、披露し、引篭(こも)りたる体にて、心服(しんぷく)の家の子三人を従(したが)へ、女房の生死を見届ずんばやむべからずと、猟(かり)するものゝさまして、岐曾(きそ)の難所(なんじよ)をこゝかしこ道なき所まで探(さぐ)り迷(まよ)ふ。

白菊の方は変化(へんげ)に摂(とら)れ洞(ほら)のうちにいたりても、しばしは現(うつゝ)とも思はざりしに人ごゝちつきて、扨は鬼(おに)の洞にとりよせられけるよと思えば胸(むね)つぶれて、涙湧(わき)て流(なが)る。

偸目(しのびめ)に見めぐらし帳台(ちやうだい)を見やれば、媚(なまめ)ける女房幾人(いくたり)も状侍(つきそひ)て、大将(たいしやう)よと思しくて顔赤く鼻尖(とが)り、見のたけ一丈ばかり、門の仁王のごときが、綾(あや)の衣服(いふく)にまとはれ帳台(ちやうだい)をゆるぎ出て、白菊の傍(かたはら)にむつれ近づき、「縁あれば此所にもむかへつれ。此洞のうち別(べつ)に一つの世界にして、こゝに来る婦女(ふじよ)は年を積(つみ)ても顔色かわらず。御身もなげきをすて我によく奉公し長生を楽(たの)しめ」と、手をとりて細(こま)やかにかたらえば、白菊は彼(かれ)が異様(ことやう)に恐ろしきに気も魂(たま)も雲間(くもま)に飛(とぶ)ばかりなれど、目に見えぬ鬼(き)のとりじめなくそゞろにわなゝかれるには事かはり、心をつよくなし変化に向ひ、「自(みづから)はさら/\此所の楽みを願はず、速(すみやか)に死せんことを念(ねん)ず。非道(ひどう)の振廻(ふるまひ)あらば舌を喰(くひ)ても死すべき」と、はげしき詞は悪(にく)まじからん、白き耳根(みゝね)に黒き髪のこぼれかゝり、泣低(なきたれ)し顔の化粧(けそう)の泪(なみだ)に洗はれたるさま、悩める西施(せいし)、泣(なけ)る虞氏(ぐし)、昭君出塞(しやうくんしゆつさい)の憂容(いうよう)、楊妃馬塊(やうひばくわい)の愁眉(しうび)もかくやと思われ、「まことに天然(てんねん)の国色(こくしよく)、急にせまらば身をや失(あやま)ちなん」と、女房等(ら)におゝせて誘(すゝめ)なつけしめんとす。

多(おほく)の女房いで来り、「いざ」とて帳台に引(ひか)んとす。

白菊是を拒(こば)みて、「我官人(わらはくわんにん)の妻(め)として由(よし)なき所の帳内(ちやうだい)に入(い)べからず」と、勢気(せいき)をつかひ坐(ざ)に拠(よつ)て動(うご)かず。飛雲笑て、「生人(なれぬひと)に熟言(なれていふ)べからず。我は北窓(ほくそう)に一睡(いつすい)して前夜の労(つかれ)を息(やすめ)ん」とゆるぎ行ぬ。

女房の中に此花(このはな)・阿野(くまの)ちかくよりて、白菊のかたをいたわりなだめ、さま%\にすかしこしらへ、「斯なるうへは長くかなしみて詮(せん)なきことなり。

昔より卑(ひく)き軒端(のきば)にてはかしらをさげずして過がたし。

われ/\も皆厭(あか)ぬ中をさかれこゝにとられ来て、逃(のが)れ出(いで)んとすること幾度(いくたび)なれど山中の方格(ほうがく)しれず。

行(ゆき)/\ては旧(もと)の路へもどり、遂(つい)に出(いづ)ることあたはず。

既(すで)に五年の春を見たり。

御身の今変化(へんげ)を初て見たる思ひのごとく、かゝるむくつけき貌(かたち)にあらずとも、元(もと)より女は男の美醜(びしう)を論ずべきものにあらず。

此変化(へんげ)里に出て遊ぶ時は、其さま優(いう)に貴(たつと)く国司(こくし)の形粧(ぎやうさう)をなし、其人柄(がら)すぐれてうるはし。

左(さ)あればとていかに心くだりて従はんや。

朝夕に馴(なる)ればこそあれ。

彼が心に従(したが)へば彼もまた心を用てめぐみあはれむ。

さればこそわれ/\が如(ごと)きも死すべき命をぬすみ、かいなき生(しやう)をむさぼり、いかなる風のすゑに吹き、一水(いつすい)の海(うみ)に帰(き)するを待身(まつみ)とはなりぬ。

又従はざれば苦(くるしみ)をあたへつらく懲(こら)しめ、遂(つい)に妖術(とうじゆつ)に惑(まどは)し誘(いざな)ふ。

見きたるに早く従ふを好(よき)心得といふべし」と、和(やは)らかにすゝむれど、白菊答(こた)へだにせねば、女房ども詞つきて、「並(なみ)の人心(ひとごころ)にはあらず」と申(まうし)きこゆ。

飛雲今は大にいかりて、白菊を下家(しもや)に下(おろ)し、洞の中の用水を遠(とを)きに汲(くみ)とらせ、衣服を洗(あら)ふ賎(しづ)の役(やく)をなさしむ。

白菊却(かへつ)てこれをうれしき事に思ひ、日々(ひび)に谷に下つて水を汲み衣(い)をあらひ、此いやしき業(わざ)をなすとも身を汚(けが)すにはまさりぬと心に足(た)りて、故郷の土神(うぶすな)を祈り、「再び家に帰(かへ)らしめ玉へ」と拝(はい)せぬ日はなかりき。

洞の中日数(ひかず)は覚へねども、月の円(まろ)きを、月の半(なかば)としり、三月(みつき)斗(ばかり)の後、飛雲其容色(ようしよく)の苦(くるし)みに衰んことを慮(おも)ひ、しば/\賎(しづ)の役をゆるして貌(かたち)を養(やしな)はしむ。

一日(あるひ)南廂(みなみおもて)に宴(ゑん)を設(もふ)けて節を寿(ことぶ)き、白菊を酌(しやく)に当(あた)らしむ。

寵愛(てうあい)の緑樹(みどりき)・此花(このはな)・梁瀬(やなせ)・呉(くれ)の竹など宴に侍(はべ)り、其余(よ)の女糸(いと)に舞(ま)ひ竹に歌(うた)ひ興(けふ)ある席に、白菊しきりに眠(ねぶり)を催(もやふ)すうへ、変化が女ばらに相狎(あいなれ)て戯(たはぶ)るゝを、目の不祥(けがれ)見まじ/\俯(うつぶす)につれ、酌をくはへながらふら/\ねむりて酒をこぼすもしらず。

飛雲はらあしく罵(ののし)り拳(こぶし)をあげ撲(うた)んとせしが、「此罪科(ざいくは)に此座より直(すぐ)に谷二つあなたの滝を汲(くみ)て来れ」としかりやりぬ。

白菊は実(げに)もあやまちせりと身の罪をしり、桶(おけ)を肩(かた)にして渓(たに)をめぐり流(なが)れに沿(そ)い、よしや淵(ふかき)に躍(おどり)てと思へど、「此世ならでもあふせあるや。

命こそ物を成就(じやうじゆ)する種(たね)なり。

変化が今角(かく)無道にして勝(かつ)人なきも、年経(へ)たるしるしならん。

うらみ死(しな)命をつぎて、道なき人の果(はて)を見てまし」と、はこぶ足なみのみなぎるもとの淀めるを、二つの桶にくみのぼせ、たゆき手を休むる所に、珍らしや、其(それより)このかた、世の中の人とてはふつうに見へ来(こ)ざりしに、向ふの峭(そば)をつたひ、道なきに葛(かづら)を引て登り来(く)る人あり。

弓矢(ゆみや)かき負(お)い太刀刀(たちがたな)おびたり。

猟人(かりふど)ならんと近づくを見れば夫守廉(おつともりかど)なり。「いかにこはうつゝかうつゝならぬか」と、早くも取すがふて女まづ泣て詞(ことば)出ず。

守かど且(かつ)喜び且かなしげに、「我は別(わかれ)てより家をすて禄(ろく)を擲(なげうち)て、此山つゞきの麓の里にさまよひ、行衛(ゆくゑ)を尋(たづぬ)ること既に三月(みつき)にあまれり。

今日こゝに来り逢(あふ)こと夫婦の縁尽(つき)ざるか」とたがひに染(しみ)%\泣かたる。

「扨(さて)しも何(なに)物の所為(しよい)なるぞ」と問はれて、身の憂(うき)ことは飯倉(いゝくら)の山にもまさるつらさをかたり、「かゝる変化(へんげ)にてこそあれ。

洞(ほら)は是より西に見ゆる高嶺(ね)の懐(ふところ)になん侍る」と、語るを聞て守康、「此まゝおことを具(ぐ)して逃帰(にげかえへ)るとも、神通の妖怪(ようくわい)十里とはのびさせまじ。

退治(たいぢ)せんことも仏神(ぶつじん)の力をからではいかに本望達(ほんまうたつ)せんや。

人多く催(もよふ)し、後の十五日にこゝに来り、おことに出会(であひ)、案内(あない)させて洞に斬(きり)入るべし。

其あいだは気色(けしき)を察(さと)られず、心をとめてつゝしみ、身を汚(けが)さぬ方便(てだて)こそあらまほし。

今此所に時うつらば変化(へんげ)いかにうたがわん。

我は早く立別れん」と、行(ゆく)を放(はな)ちかねて暫時(しばし)と惜むに、男も心よわり草(くさ)の上にかえり座(ざ)し、つく%\と女房のさまを見て、「容色(ようしよく)は衰(をとろ)へねども絶(たえ)て櫛(くし)せぬを挙(あげ)げてやらん」戸、胡禄(やなぐひ)より鬢櫛(びんぐし)とり出し、谷水(たにみず)に髪のすさみをうるほし、帰り遅(おそし)しととがむるともよしやよしのゝ中たえし、妹背(いもせ)の山の茂(しげ)り添(そ)ふ、木の葉敷寝(しきね)に寄(よら)んとする時、笑ふ声の高きに夢うちさまれ、見れば有りし宴会(ゑんくわい)も闌(たけなわ)にして、浅(あさ)ましや変化の膝(ひざ)によりかゝりてあり。

夢に夫(おつと)と思ひしはこれなりしかと、おそろしく払(はら)ひのけば、女房等(ら)どよみをあげて笑ひ、是を酒宴の興(けふ)とせり。

飛雲も十分酔深(ゑひふか)く扶(たす)けられて伏所(ふしど)に入りぬ。

跡にのこりし女房等(ら)に夢の次第を語らるれば、皆云、「我輩(わらはども)の計(はかりごと)に落されしも多(おゝ)くかゝる類(たぐひ)なり。

さき程酌(しやく)に立て眠り、主(ぬし)の怒(いか)りに逢て次へ出され、随便(やがて)桶(をけ)を荷(にな)ひ酒宴の席へ出玉ふより我/\も怪敷思へども、言葉禁制(きんぜい)せられしゆへ傍(かたはら)より見たるばかりなりしが、御身主(ぬし)を見てなつかしげに桶をすてゝよりそひ、髪を挙させ別るゝに臨みて一同に笑をゆるされ始て声をあげしなり。これ皆彼(かの人のあざむきまどはす戯れなり」。

此花云、「斯云(かくいふ)われもこゝに来て、花鳥(はなとり)の音色霜雪(ねいろしもゆき)に其時を思ひわきて十年(とゝせ)にも及ぶべし。

故郷(こけう)にいつくしみせる父母、かなしと思へる児(ちご)をのこしたれば、離(はな)れて存(ある)べき命かはと、心に誓ひしも思ふには負(まけ)たるに、彼人のあはれみてわれを故郷の送りかえし、夫(つま)や子両親(ふたおや)にも、逢(あ)ふと見つるに慰(なぐさ)みしが、或夜諸寝(あるよもろね)の夢破(やぶ)れ、見ればかわらぬ此洞の内、悔しさいふばかりなけれど、凡人(ぼんにん)の力にはかりがたく、又是なる映葉(てりは)は、父の家より婿(むこ)がねの迎へらるゝ輿(こし)を路より横(よこ)ぎられ、はじめはむこ君の家にあるとのみ思ひくらされし類(たぐひ)もあり。

遅(おそき)と速(はやき)と遂(つい)に其計術(けいじゆつ)に落ざるものなし」と語(かたる)を聞て、白菊も舌を吐(はひ)て言葉なし。

飛雲も女を馴(な)つけんと思慮をくるしめ、言を巧(たくみ)にして説(とき)いざなへども、女の心にゆるさぬは方円(はうゑん)の器(うつわ)にしたがふ水の、形はよわくして取定めがたく、こゝにまろびやすきものはかしこにもとゞまらず。

又は千鈞(せんぎん)の弩(ど)の一重(ひとゑ)の縞(きぬ)を穿(うがち)かぬる理(ことわり)なるべし。

  白菊の下

却説(さても)守廉(もりかど)は妻女を失ひてより、岐蘇(きそ)の谷峰につゞきたる険所(けんしよ)をさぐり、飛騨(ひだ)信濃(しなの)の山中をこゝかしこに三日六日(さんにちむゆか)足をとゞめ、いつをかぎりとか猟(かり)くらす。

春は生(をひ)すがふ木(こ)ずへをわたす桟(かけはし)に散らぬ花を踏分(ふみわけ)、谷水(たにみづ)の清(きよ)きに夏をば外(よそ)に聞わたり、幾らの峰を凌(しの)ぎては空(そら)も一つにうつ蝉の声する程ぞ。

今朝(けさ)見れば、木曾の伏屋(ふせや)の竹ばしら撓(たは)める雪に路を塞(ふさ)がれ、又立かへる山々の花燃(もへ)んとするに心せかれ、思ひめぐらすに、此近国の山深きに住(すむ)妖怪変化(ようくわいへんげ)の所為(しよい)なるべければ、いまだ女が命だにめでたくは尋(たづね)得であるべきか。

先(まづ)近(ちか)きより遠(とをき)に及ばんと、信濃一国の幽谷(いうこく)を捜(さぐ)り、元より屈強(くつきやう)の家の子両三人心を壱致(いつち)にして、餉(かて)をつゝみ苔(こけ)に臥し、松を打て把火(たいまつ)とし、巌(いはほ)の下(もと)、重(かさな)る根(ね)、茂林(しげみ)、薮原(やぶはら)を極(きわ)め、谷神(こだま)の棲(すむ)処山祗(やまずみ)の戸ぼそまで驚(おどろ)かして細見(さいけん)すれども、熊の館猪(やどりい)の窩(ふしど)の外は妖怪(ようくわい)の住べき所も見へず。

峰とりおるゝ賎(しづ)の男(を)に物語(ものがたり)を仕かけて捜(さぐ)り問へども、「深き山中なればおそろしき物もあやしき所もありなん。

通ふべき路の外は、われどももいまだ見とゞけぬ所のみなり」といふが中にも事知たる顔に麻(あさ)ぎぬの袖まくり手(で)にして、「木客(やまおとこ)といふ魂消(たまげ)る物こそあんなれ。

朽木(くちき)積(つめ)る葉(は)に精(たましひ)入り、目一つにしてうごめきゆく。

力つよく知恵(ちゑ)なし。道に障(さは)らざれば物を害(そこな)はず。

時気(じき)によつて現(あらは)れ時気によつて滅(めつ)す。

是をこそ真(まこと)の化物(ばけもの)とやいふべき」。

又木きる叔父(おぢ)がかたりしは、「昔より此(この)山にかすみの洞といふものありて、春の比(ころ)晴天(せいてん)に常にはあらぬ高峰(たかね)を現(げん)じ、其懐(ふところ)に棟(むね)高き殿構(とのづくり)せる洞穴(ほらあな)俄(にはか)にあらはれ見ゆることあれども、またゝくひまにかすみ立こめていづちとも其所(そのところ)見定めがたし。

これを見れば恐しきことあるよし。

山かせぐものは、一生の内それにあわぬやうにと念(ねん)ずることなり。

されども百年に一度は現(あら)はるゝといひ伝(つたふ)とかや。

四五十年このかたおのれが物おぼへてよりは其洞(そのほら)を見たるものなし。

仙人の住所(すみどころ)と申(まうし)伝へ侍る。

いかにもあれ是(これ)より奥は常(つね)に霧(きり)ふかくして道なく、東西南北を別(わき)がたく、樵夫山〓(きこりやまがつ)も入(いる)ことを得ず」と語る。

守廉聞(もりかど(きく))につけても心おとりすれど、よしや道なくとも行(ゆか)れぬことのあらんやと、把火先(たいまつさき)を照(てら)させ、霧(きり)ふかきまで勉強(つとめ/\)分入りて見れ共方格(ほうがく)しれず。

からうじて里あるかたにめぐり出るのみなれば、事ゆくべき共思はれず。

 一日絶壁(あるひぜつぺき)に行(ゆき)なやみたる辺りにて、一つの怪(あや)しき物こそ見へたれ。

大巌(たいがん)の上に坐(ざ)せるが長(たけ)は七八尺もあるべし。

色あかく猿(さる)に似て、又人面(にんめん)のごとく、人を見て笑ふ其声(こへ)鳥のごとく、音(こへ)の章(あや)人に似たり。

笑ふ時は上唇(うはくちびる)額(ひたい)につく。

人を見て恐れずさらず。

従者(じうしや)どもこれを組とめんとす。

守廉制(せい)して、「これこそ聞伝(ききつたふ)る狒々といふ獣(けだもの)なり。

猿(さる)千年にしてなるともいへり。

此物の所為(しよい)なるもはかりがたし。

此物を捕獲(とりゑ)まほしけれども、其力万鈞(そのちからまんぎん)を挙(あぐ)ると聞(きけ)ば力を以て勝(かつ)べからず。

我むかし弓法(きうはう)に其伝(そのでん)を得たり」とて、ひそかに矢をつがひ、這廝(きやつ)が笑ふ時を窺(うかゞひ)てへうど射る。

巧(たくみ)にも上唇を額(ひたい)へ托(つけ)て射通(いとお)したり。

一声さけびて巌(いはほ)のうへよりころびおち矢を負(お)ひながらにつげゆくを、「のがすな」と跡をとめつゝゆけば、峰ひとつこしたる谷陰(たにかげ)に岩窟(がんくつ)ありて血伝(ちつた)ひたり。

外より把火投(たいまつなげ)こみ見いるゝに、彼(かの)獣(けもの)倒(たふ)れて動(うご)かず、たゞ頻(しきり)に号(さけび)て衰(おとろ)へたり。

主従(しう%\)つと入りて、やがて大石を〓(かき)て頭(かしら)を打ひしげば、一声さけびて、其(その)石を手まりのごとくはるかの

所迄なげやりて死(しに)たり。

窟(いはや)の内を見めぐらすに、岩のさし出たる上に太刀(たち)一腰あり。

銹汚(さびくち)てぬけず希有(けう)のものなり。

尚(なを)もさぐり見れど、鹿(しか)兎(うさぎ)の引さきくらひ散(ちら)したるこゝかしこに

有(ある)のみなり。

たゞいま難所(なんじよ)を走(はしり)たれば主従共に大につかれて、「日も傾(かたぶ)きぬ、此(この)窟(いはや)に宿せん」と皆いふ。

守(もり)かど頭(かしら)を揺(ふつ)ていふ、「察(さつ)するに狒々(ひひ)は必ず雌雄(しゆう)

ある獣なり。今殺せしを見れば雌(め)なり。今にも雄(を)が帰り来らば、此つかれたる我々ふせぎ難(がた)かるべし」。

是を聞て皆々怕(おそ)れはしりまどふて出ぬ。

我(わが)妻(つま)の事此物の所為(しよい)とも思はれず。

益(やく)なき殺生(せつしやう)して雌(め)を失(うしな)はせたりと、我身に思ひたぐへて、猶も行(ゆか)るべき程は分(わけ)入りて、餉(かて)尽(つく)れば里に出て人家に休息(きうそく)す。

兎(と)に角に霧(きり)立のぼる奥(おく)へは、人力にて至るべき道なければ、さすがの大丈夫(だいじやうふ)も心屈(くつ)して心地(こゝち)例(れい)ならず。

思ひつかれしも理(ことは)りなり。

こゝに浦島(うらしま)が寝覚(ねざめ)の床(とこ)に、はじめは草庵(さうあん)を結(むすば)れしが、後は其徒(と)集り葺(ふき)つゞけて殿門(でんもん)備(そな)はり、三衣道人(さんいどうじん)と呼(よ)ぶ翁(おきな)すめり。

持行(ぢぎやう)する孔雀明王(くじやくめうわう)の法は、白馬仏教(はくばぶつきやう)を漢土(かんど)に駕(のせ)ざる以前に、子玄仙人(しげんせんにん)西域(せいいき)に遊びて是を伝へてより今爰(こゝ)に伝流(でんりう)し、病を祈(いの)り禍(わざはい)を払(はら)ひ、抜苦与楽(ばつくよらく)の験(しるし)をあやまたず。

面相玄文(めんそうげんもん)の占卜(せんぼく)は往(わう)を説来(ときらい)を示(しめ)して違(たが)はず。

信心(しんじん)を擲(なげうち)て禳〓(じやうせう)を求(もとむ)るもの日日(ひび)に絶(たへ)ず。

此十七(いつしち)日は三種(さんじゆ)の密法(みつぱう)を脩(しゆ)せらるゝとて参詣の人群集(くんじう)す。守廉違例逍遥(いれいせうやう)の為此寺に来り、道人(どうじん)日中の壇(だん)を下(をり)らるゝを待うけて拝(はい)をなし、「某(それがし)ははるか西国のものなるが、此国にて妻女を妖怪(ようくわい)に取(とり)さられ、生死(しようじ)の様(やう)を究(きは)めん為(ため)山に棲(すむ)事三年を経(へ)たり。

再会(さいくわい)の期(ご)あるや否(いなや)考(かんがへ)を下(くだ)し玉はれ」と懇(ねんごろ)に頼み聞へたり。

道人(だうじん)守廉を近づけ面相(めんさう・にんさうみる)し沈吟(ちんぎん)して云(いふ)、「いまだ時至らず、命(めい)を全(まつた)くして待ち玉へ。

且尊〓(かつそんこん)の生土年齢(せいどねんれい)いかん」。

守廉云、「我と共に吉備(ぎび)の産(さん)、失(うせ)たる時二十三歳、今年廿五歳なるべし」。

道人(だうじん)為(ため)に卦(くは)を敷く。

数(すう)の言(こと)に云、「其道(そのみち)を永くせば得(ゑ)ざれども咎(とが)なく、此人存命疑(ぞんめいうたがひ)なし」。

又問(とふ、)「其怪(そのくわい)いかなる物ぞ、占(うらなひ)知るべしや」。

道人卦(くは)を設(もふ)け頭(かしら)を揺(ふつ)て、「大幽(たいゆう)之門、窺而無間(うかゞふてひまなし)。

其密(みつ)なること見るに方(みち)なし。我智識(わがちしき)に量(はかり)がたし」。

守廉拝(はい)をなし内玄関(ないげんくわん)に退(しりぞ)き、点心(てんしん)を食(しよく)し休息す。

其日も未(ひつじ)の刻(こく)さがり、暮(くれ)の壇(だん)に参詣多き中に、前供人(ぜんぐひと)を払(はら)ひ門外(もんぐわい)に留(とゞま)り、乗物のめぐり近習打囲(きんじううちかこみ)、玄関(げんくわん)に舁(かき)すへ、烏帽子(ゑぼし)引たて立出る威風骨柄小可(いふうこつがらなみ/\)の人にあらず。

後乗(あとのり)は召つかひと見へて美麗(びれい)の婦人(ふじん)かしづきて客殿(きやくでん)に通り、此大名道人(だうじん)を拝して、「何某(なにがし)は諏訪(すは)の一属小身(いちぞくしやうしん)なるものなり。

忍(しの)び詣(もふで)なれば名のらず。

先(まづ)我(われ)に卦(け)を給はるべし」。

道人其支干方位(しかんはうい)を問ふ。

「我は此国の旧家(きうか)なるが、幼(よう)にして孤(みなしご)となり大君(たいくん)の家(いえ)に寄食(きしよく)し生辰(せいしん)を記(おぼ)へず。

仮(かり)に甲子(かつし)を以て是に充(あつ)」。

道人卦(くわ)を敷(しき)て心(こゝろ)驚て云、「天賜之光(てんしのひかり)、於謙有慶(へりくだるによろこびあり)。

貴人(きにん)徳ありて隠(かく)るゝゆへ福(ふく)つきず。

寿命(じゆめう)は海山(うみやま)と共に久しく、よろづ心に叶(かなは)ざるなし。

凡人(ぼんにん)の卦(くわ)にあらず」。

貴人(きにん)大に悦び、「道人のことばいかんぞわれ当(あた)らん。

しかれども我年来(としごろ)万事意(こゝろ)の如(ごとく)なれば、道人の卦(け)にもるゝ事なし。

いかんせん人界愛着(にんがいあいじやく)ふかく色欲(しきよく)の迷(まよ)ひ多し。

恐らくは徳を損(そん)ずる所あらん」。

又召つかひの婦人(ふじん)を相(さう)せしむ。

道人面相(めんさう)して、「命数(めいすう)めでたし」と再(ふたゝ)び其支干(しかん)を問ふ。

「酉(とり)にあたる」と答(こた)ふ。

道人卦(くわ)を設(もふ)けて云、「内に懐(おもふ)て替(たすくる)こと差(たが)ひ、永(なが)く貞祥(ていしやう)を失ふ。

火の木にあるや炎(もゆ)ることを改(あらた)めず。

中年以来人の婢(ひ)となりて其家に終(おはら)ん」。

大名近侍(きんじ)に命(めい)じて金銭巻絹(きんせんまきぎぬ)を引(ひか)せて云(いふ)、「道人を煩(わづら)はす一事(いちじ)あり。

我(われ)給(たま)へる卦(け)のごとく万(よろづ)心に足(た)れども、近比(ちかごろ)一つの任(まか)せざる心願(しんぐわん)あり。

今日敬愛(けいあい)の法会(ほうゑ)に趣(おもむき)て此(この)願を祈らんと存(ぞんず)るなり」。

道人云、「やがて〓時(ほじ)の壇(だん)に登(のぼ)れば、倶(とも)に法会に参じて祈り玉へ」と茶菓(ちやくわ)を供(けふ)じて侍(もてな)さる。

既(すで)に壇に登り読経(どきやう)の宣巻(せんくわん)おわり、香をひねりて、「南無十方(じつぱう)の諸天(しよてん)、此一〓(ひとたき)の香、四海安静(あんせい)、五穀豊登(ごこくほうとう)、三(みつ)の教(をしへ)昭明(あきらか)に聖(ひじり)の君歓(よろこび)多(おゝ)かれ」。

又一〓(ひとたき)撚(ひねり)て、「十方施主、福徳延命(ゑんめい)、抜苦与楽(ばつくよらく)」。

又一〓(いつちう)を焼(たき)て、「今此甲子(かつし)の貴人如意満足(によゐまんぞく)ならしめ玉へ」と懇(ねんごろ)に祈り求(もとめ)らる。

参詣の衆(しう)籤(みくじ)を拈(とり)て其数(すう)の辞(ことば)を求む。

貴人(きにん)の籤(せん)六十三の歌に云(いわく)、  法(のり)の庭(には)よき日詣(もふで)てあすよりは紅(あけ)の衣を褻衣(なれぎぬ)にせん

女房の拈(とり)たる九十四籤(せん)に云(いはく)、        あなたふとけふのみのりにあふ人は千とせの命有(あり)とこそきけ

道人壇(だうじんだん)を下(おり)て巻数(かんじゆ)を注(しる)して参らす。

貴人頂戴(ちようだい)して悦び斜(ななめ)ならず下向ある。

道人徒弟(とてい)に命じて玄関(げんくわん)に送らしむ。

 守かどは歴ゝ(れき/\)の武家参詣と見たれば、彼が帰るを待て道人に頼むべきことあれば、間(ま)を隔(へだて)て立かくれ今ひそかに窺(うかがへ)ば、大名の後(あと)に従(したが)ひ出(いづ)る婦人こそ正しく失(うせ)たる我女房なり。

大に驚き、「変化にはあらで、此大名の仕業(しわざ)なりけり。

誰(たれ)にもあれ眼前(がんぜん)の怨敵脱(をんてきのが)さじ」と物陰(ものかげ)よりねらいを定め、兼(かね)て手練(しゆれん)の一手三箭連珠(ひとてさんせんれんじゆ)のごとく、「ゑい、や、はあ」のひやうしにつらねてはなつを、大名手早く左の手にて握(にぎ)りとゞむ。

続(つづい)て来(きた)るを右の手につかむ。

間(ま)もなく来る三の矢(や)を口にくはへて噛(かみ)とゞむ。

すかさずしきりに射(ゐ)る矢を悉(こと/\)く払ひのけ一つも身にあたらず。

守廉着忙抜設(いらつてぬもふけ)て切てかゝるを、大名きつと見むく眼のひかり、一身(いつしん)に剣刺如(つるぎさすごと)く覚へず居ずくまつて動(うご)き得ず。

白菊はもりかどなりとは見たれ共(ども)、是も又神通(じんづう)にやと言葉なくてためらひゐる。

大名怒(いかり)の相(さう)を現(あらは)し、「〓(なんじ)女房に念(ねん)ふかく還(なを)も職(しよく)に就(つか)ざるか。

女よく仕へなば廿年(にじふ)の後(のち)は放(はな)ちかへすべし。

奉公あしくは一生かへす時あるべからず。

よく思ひ取て速(はや)く官府(くわんふ)に帰れ。

大徳達(だいとこたち)又こそ参らめ」と、女を引つれ乗物にうつるとひとしく多(おほく)の家人中(けにんちう)を飛(とば)せて足はやし。

「いかに其まゝかへさじ」と追てゆく守廉が面(おもて)を摺(する)ばかりに、小家(こいゑ)の如き大石空(そら)よりどうと落(おつ)る地ひゞきに肝(きも)つぶれして尻(しり)ゐにへたり、起(おき)たつ時早く影もみへず。

余人(よじん)の目にも「滝(たき)の辺まで行(ゆく)かと見へし[に]忽(たちま)ちに見へず」といふ。

守廉(もりかど)其夜は寺内(じない)に一宿して気を養ひ、弥(いよ/\)怪物の業(わざ)と知り、目に見ながら女房を取かへさゞるを残念(ざんねん)に思へど、「是も誠(まこと)の白菊ならぬもはかりがたし」と、道人(だうじん)にもかたりて心惑(まど)ひするも理(ことは)りなり。

かくて白菊ははからず夫に逢ながら言葉なく別れ、道すがら思ふに、「此変化(へんげ)いかなる徳ありて名知識(めいちしき)の占(うらなひ)にも悪人の相(さう)はなく凡(ぼん)人ならぬとあれば、神(かみ)の化現(けげん)にこそあらめ。

守かどが力量(りきりやう)弓矢も近よることもあたはず。

我(われ)女の身として計〓(はかりごと)の有べきやうなし。

彼また能(よく)つかへなば帰(かへ)さんと言ふ。

身さへ汚(けが)さずんば帳台(ちようだい)の賎役(せんやく)をもとりまかなひて結句(けつく)赦(ゆる)さるゝ時あるべし」と、帰路(かへりみち)に休(やす)らふ乗物にむかひて是迄(これまで)の不是(ふぜ)を侘(わび)なげく。

飛雲(ひうん)も詞(ことば)をだやかに、「身に近く斉眉(みやづかへ)をなさば我(わが)ことばむなしからす。

さあればとて〓が貞心(ていしん)を強(しい)て奪(うば)ふべきにもあらず」とぞ申ける。

白菊洞(ほら)に帰りてより女ばらに立まじりて一応(いちをう)の事をもつとめければ、我(わが)通力(つうりき)に驚(おどろ)きて女が心和(やわら)ぎたり、遠からずして本意(ほい)とげなんと悦(よろこぶ)事かぎりなく、猶も女ばらに向ひて我(わが)出身(しゆつしん)を語て云(いふ)、「我は神世より此所に棲(すみ)て已(すで)に二千年、昔し大山〓(をゝやまずみ)の神に説(とき)さとられて天孫(てんそん)に従ひ、此邦(くに)守護(しゆご)の神の数にも入(いれ)らるべかりしを、身の不徳(ふとく)をかへりみて辞退(じたい)し、我(わが)山半(なかば)を分(わか)ちて奉り半を我隠れ家とし、常に霧(きり)をふらして人間(じんかん)に見せしめず。

永(なが)く引こもりて世の事にあづからねば、我を隠れがみとも呼(よび)て勤役(きんやく)のことなし。

皇孫(くわうそん)に対(たい)して反(そむく)心なければ其余(そのよ)の事は咎(とがめ)にあづからず。

むかしより数多(あまた)の女を摂(と)り来り召(めし)つかひたれど、七人の閨婦(けいふ)千石の粟(あわ)は天蒼氏(てんそうし)の賜(たま)ふ

常の産(さん)なり。

婦女(ふじよ)の輩(ともがら)も元(もと)年々(とし%\)にかゆべきを、愛着(あいじやく)の為に私して久しく洞(ほら)に留(とど)むるにいたる。

年経(としへ)て送りかへすべきも多くは命数(めいすう)たもたず。

昔より山内(ない)山下の里々に牲(いけにへ)と名づけて少女(せうじよ)を共(くう)

ぜしは、皆我請(うけ)たる所なれども多くは是(これ)村女(そんじよ)なれば、われも欲(ほつ)せざるより自然(じねん)に其事たへたるなり。

古は我も常に形を化現(けげん)してよき男となり、女ばらに思はれんとのみはかりしかども、我(わが)徳(とく)をいだきて形づくりするのは

無下(むげ)に卑(ひく)きわざなれば、里に出て遊ぶ時ならでは容儀(ようぎ)をかへず」と、是迄かたらぬ物がたり。

実(げに)も等閑(なをさり)の人ならずと、白菊(しらぎく)をはじめ多くの女房敬(うやま)ふ心もおこりなんかし。

 此(こゝ)に寺内(じない)に宿(しゆく)せし守かど、明(あく)れば道人にいとまごいす。

道人対顔(たいがん)して大(おほい)にいぶかり、「今日貴所(きしよ)の相(さう)を見るに、きのふと大に変(へん)じて眉(まゆ)ひらけ色(いろ)悦ぶべし」。

守かど云(いふ)、「昨(さく)日今日いかんぞ相の変ずる事かくのごとくなるや」。

道人云、「われも又其(その)ゆへをさとらず」と、再び〓(めど)を抽(ぬ)き卦(くわ)を敷(しき)て云、「鴎鵞(みずとり)氷(こほり)を惨(いたみ)て彼(かの)南風(なんぷう)に

翼(たすけ)らる。

是(これ)春風氷(こほり)を解(とく)のこと。

足下(そこ)夫婦完聚(かんじう・まつたくあつまる)の占文(せんもん)なり。

怪しむべし/\」と、眼(め)を閉(とぢ)て神(しん)を出い(いだ)し

半刻(はんこく)ばかりにして眼を開(ひら)き、守かどにさとしていはく、「物皆前数(ぜんすう)あり。

此(この)怪物(くわいぶつ)支干(しかん・ゑと)甲子(かつし)なれば

丁酉(ていいう)を得て滅(めつ)すべき機(き)あり。

〓(なんぢ)が妻(め)の丁酉は火(ひ)の運(うん)、甲子は金(かね)の運(うん)なり。

微火(びくわ)を以て大金(たいきん)を消(け)す一生の厄(やく)とす。

是(これ)大数(たいすう)の行(ゆき)あひて其(その)冤業(ゑんごう)を

消却(しやうきやく)せんとする時至れども、婦人貞実(ていじつ)にしてたやすく従はず。

おのれに害(がい)あるものを深(ふか)く好めるは冤業(ゑんがふ)のなす所、神通(じんづう)にも及ばず。

敬愛(けいあい)の法に頼(よつ)て女を従(したが)へんため昨日法会に

参(さん)じたり。

変化の悪行(あくぎやう)貫盈(わんゑい)すといへども、此縁をとげざればいつまでも亡(ほろぶ)る時至らず。

今卦(くは)の変じたるを以て見れば今や前縁(ぜんゑん)を遂(とぐ)ることあるか。

是又敬愛(けいあい)の法の応験(をうげん)あるか、不可思議(かしぎ)の妙をしらず。

夫婦再会(さいくわい)の後(のち)是を以て心に挟(はさ)み玉ふことなくんば、再び拙道(せつだう)足下(そこ)の為に法力を施(ほどこ)さん」。

守(もり)かど云、「何条(なんでう)其念(そのねん)の候べき。

我丈夫(ぢやうぶ)の身として彼(かれ)を降(くだ)すことあたはず。

いかに言(いわ)んや女をや。

此年月志を守りたるは尋常(よのつね)の女の及ぶべきにあらず」。

道人尤と点頭(うなづき)て即(すなわ)ち壇(だん)に登(のぼ)り、髪を披下(さばきかけ)宝剣(ほうけん)を把(とつ)て

口中(こうちう)咒詞(じゆし)を念じ、檄(げき)を香炉内(かうろない)に焼(やき)、大渇(たいかつ)一声(いつせい)す。

忽然(こつぜん)として殿中昏黒(くらくなり)、一陣(ぢん)の怪風(くはいふう)起る。

守かど壇辺(だんぺん)に俯伏(ふふく)して見れども見る所なし。

只(たゞ)聞(きく)道人の声にて、「焼雷(しようらい)公今日此山精(さんせい)を撃(うつ)べし。

雷公の難(かた)んずるは彼(かれ)に勝(かつ)ことあたはざるが故(ゆへ)ならん。

今日大数(たいすう)到(いた)る。

撃(うた)ば必ず得ん」。

言下(ごんか)忽ち壇上(だんじやう)より閃電(いなびかり)起(おこつ)て

一陣の霹靂(はたゝがみ)雲間(うんかん)に震(ふる)ふ。

漸(やうや)く殿中(でんちう)晴(はれ)て日気(じつき)を見る。

道人(だうじん)守かどに教(おしへ)て云、「雷の声せし方格(はうがく)を求めゆかば必ず験(しるし)あらん」。

 守かど一踊(ひとおどり)し、急ぎ従者(じうしや)を具(ぐ)して崚敷(けはしき)を凌(しの)ぎ、雷の響(ひゞき)たるかたをさして登(のぼ)る事半日(はんにち)、昨日(きのふ)迄霧(きり)立ちこめし谷峰、いつしか晴わたりて思はざるに通ふべき道あり。

平(たいら)なる所は沙(いさご)こまやかに、傍(かたへ)に名もしらぬ木草の花どもいろ/\に

景色(けいしよく)かまゆるが如し。

是飛雲(ひうん)が常に諸女(しよじよ)と優遊(いう/\)する所なり。

道の労(らう)なく登り下りて数多(あまた)の山頭を過る所に、白菊数人の女房と共に逃(のが)れ来るに行逢て、再会の悦びたとふべからず。

扨、「いかゞせし」と問へば、白菊うれしさの涙をはらひ、「今朝(このあした)雨なき空(そら)に鳴神(なるかみ)の物おそろしく、洞の上に落かゝり変化(へんげ)を撃殺(うちころ)せり。

因(よつ)てわれ/\里をさして出るに、ふしぎに霧(きり)はれて此道に出たり」といふ。

守かど大に悦び女ばら白菊ともに、家人を分ちて里に送りやり、其身は山深く入る程に、常は見へざりし山の半腹(はんぷく)に広き岩窟(がんくつ)あり。

其内に石をたゝみ木を横たへて館(やかた)の結構(けつこう)あり。

正殿雷(せいでんらい)の為に破られ、是こそ変化よと覚しくて其長(たけ)一丈あまりの異形(いぎやう)の獣(けだもの)、雷火に焼れて褥(しとね)の上に死せり。

即ち首を切て取もたせ子細に見まわれば、正殿を引まわして廻廊(くわいろう)の如き家づくりし、画(ゑがけ)る障子もて間をわかつ。

これ婦女の銘々(めい/\)局(つぼね)せし所なり。

正殿の窓(まど)の下に銀(しろがね)にて

飾(かざ)れる剣(けん)一振(ひとふり)あり。

鍔(つば)を見れば陽の形(かた)なり。

鞘(さや)をぬきて見るに今時(きんじ)のものにあらず。

剣(けん)のかざり寸尺いつぞや狒々(ひひ)が岩穴(いわあな)にて

得たりし剣(つるぎ)によく似(に)たり。

思ふに此怪物と雌雄(しゆう)にやありけん。

其外絹布(けんぷ)財器(ざいき)数多(あまた)あれどもこれをとらず。

洞の内に火を放(はな)ちて焼(やき)つくして立帰り、国司(こくし)に参りて始終を語り虚病(きよびやう)せし分説(いゝわけ)をなす。

国司(こくし)も希代(きたい)の事に思ひて人にも語られけり。

 白菊家に帰りてより病に臥し重(おも)く悩(なや)みけるが、三依道人の霊符(れいふ)を求(もと)めて平愈(へいゆ)せり。

夫婦寝覚(ねざめ)の床(とこ)にいたりて

道人に謝(しや)し布(ぬの)百疋を進(まゐら))す。

道人今(いま)や世財(せざい)を受て用なしと、只一匹(いつぴき)を留(とゞ)めて服用(ふくよう)とし、尚(なを)示(しめ)していはく、「世の人陰陽の理(り)にうとく強(しい)て求(もとめ)強て恨(うら)む。

冤家(ゑんか)相得(あいゑ)ざれば其鬱(うつ)開けず。

思ふこと遂(とぐ)れば花咲(さき)て散(ちる)にちかし。

是天地の消息(しやうそく)なり。

其内に少しの遅速(ちそく)強弱(けうじやく)幸不幸(かうふかう)有。

尊内(そんだい)の貞堅(ていけん)なるも洞(ほら)に入て後(のち)、日日(ひび)に死(し)の一字をゆるがせに思ひいしこと、是即妖術(ようじゆつ)に魅(み)せられたるなり」。

夫婦聴(きゝ)て弥敬服(けいふく)して退(しりぞ)く。

是より木曾山中霧(きり)のふさがりなく、山深(ふか)きにも至るべく、樵夫(きこり)槎人(そまびと)賎(しづ)の男女(なんによ)迄悦ずといふことなし。

女を失ひたる木曾の深坂(みさか)これより妻篭(つまごめ)の名あるよし。

馬篭(まごめ)といふ所は其時従者(じうしや)を宿(やど)せしにや。

兎角のあいだに月日過て、早くも掾(ぜう)の任(にん)満(み)て備中の本国に帰りぬ。

菊のかた年月の磨難(まなん・つらきこと)を熟(つら/\)思ひ出るに、かゝる変化の寝所(しんじよ)ちかく役(ゑき)せられ、婢妾(ひせう)の隊(むれ)につらなりしこそ、初の念よわりて潔(いさぎよ)からず。

大に貞操(ていさう)に恥(はづ)る所あり。

終身(しうしん)の〓(か)瑾(かきん)これなるのみか、又いきどをるべきのことにあらずやと、怪物の首(くび)を館(やかあた)の後(うしろ)に懸(かけ)て、自ら弓をとりて日々(にち/\)これを射(い)て、三年おこたらず恨をもらされしとかや。

其所を後世(こうせい)猿掛(さるかけ)の岸(きし)とぞ申よし。

こゝ去て西国のことなれば、それをこそ老(をひ)はしらずと語りつゞけたりとなん。

古今奇談繁野話第三巻(ここんきだんしげ/\やわだいさんのまき)終

古今奇談繁野話第四巻(ここんきだんしげ/\やわだいしのまき)

  六、素卿官人(そけいくわんにん)唐土(もろこし)に携(たずさふ)る話(こと)

才(さい)ある人は必ず行(かう)なし。

大才(たいさい)の人約束(やくそく)の套(わな)へ入がたく、瓶(つるべ)は井より小(せう)なるがゆへ井に陥(おちいる)のたとへありて放逸(ほういつ)の門(もん)をひらく。

古今律令の設(もふく)る、其垣(かき)を広(ひろ)くして、知愚老幼(ちぐろうよう)も犯(おか)さぬ程の所に置(おき)たるものを、其度(ど)をこへて人を損(そん)じ身も保(たも)たざるは、守(まも)る才(さい)なしとやいふべき。

明(みん)の弘治正徳(こうぢしやうとく)の比(ころ)、寧波(ねいは)の〓(きん)とやらんいふ所に、朱縞字(しゆかうあざな)は素卿(そけい)といふ者あり。

少年(せうねん)より亡頼無行(ぶらいむかう)にして一属(いちぞく)にうとまれ、世路(せろ)の便りをうしなひ、妻子(さいし)を遺(のこ)し棄(すて)て壮心(こゝろつよき)にまかせ、商船(あきなひぶね)に附搭(ふとう)して大日本に来り、泉州(せんしう)堺に足をとゞめ、少年の時学びたる文筆(ぶんぴつ)売弄(まいろう)して、摂州山州(せつしうさんしう)の間に往来し、しば/\京師(けいし)に徘徊(はいくわい)す。

異国人(いこくじん)の為(なす)ところ悉(こと/\)く奇(き)にして珍(めずら)かなる事のみなれば、都人(とじん)多く迎(むか)へて奔走(ほんさう)す。

右京兆何某(うけいてうなにがし)、其邸(そのたち)に召おき、命じて詩(し)を咏(ゑい)ぜしめ文を作(つくら)しむるに、いづれ我邦(わがはう)の人の習(ならは)ざる所、他(かれ)は是より雄(いう)なれば世(よ)に愛(めづ)る事多く、又漢土(かんど)歴代(れきだい)の故事(こじ)ども、記憶(おぼへ)たるまゝ語る程に、称(しやう)して博識(はくしき)多能(たのう)となし、遂(つい)に室町(むろまち)の御所に抬挙(たいきよ)し拝謁(はいゑつ)をゆるされ、歴〃(れきれき)の師(し)となり、大に意(い)を得て、富む貴を思へば唐土(たうど)にありしには遥(はるか)にまさり、膏梁(かうりやう)に飽(あき)、第宅(だいたく)に富(と)み財帛(ざいはく)前に満(み)ち婢妾後(ひせうしりへ)に群(ぐん)す。

泉州以来男児(せんしうこのかただんじ)両人を出生して、その供育(はごくみ)我幼(をさな)き時にもまされりと思ふにつけても、故国(ここく)にのこせし両人の男子母と共に、今比(ごろ)はいかゞなりにしやと記掛(こころがり)下(おり)す。

 其時義稙公洛(よしたねこうらく)に入て足利家(あしかがけ)の職(しよく)を襲(おそ)ひ、永正八年信使(しんし)を唐土(もろこし)に遣はさる。

幸(さいわい)案内者(あんないしや)なればとて朱稿を使(つかひ)に充(みて)らる。

「過し比(ころ)西の京の辺に聖廟(せいびやう)を建(たて)られしかば、孔子(こうし)を祭(まつ)るの儀(ぎ)を請う(こひ)得て帰るべし」と命ぜらる。

朱稿(しゆかう)望む所と内心(ないしん)大に悦び、字(あざな)を用て素卿(そけい)と披露(ひろう)し、堺の浜(はま)に乗船(ぜうせん)の設(もふ)け美(び)をつくし、すでに纜(ともづな)を解(とか)んとするの時、送り来りし両子(りようし)十一十二歳なるが別れを惜(おし)み、兼(かね)てはよく格悟(かくご)しけるが此際(きは)にいたりて俄(にわか)に云(いふ)やう、「唐土(たうど)は父(ちゝ)の本国なれば行玉はゞ必ず帰り玉ふことあるまじ。

われ/\兄弟も携(たづさへ)て行玉へ」とかなしみ乞ふ。

素卿云、「我日本に来りて栄貴(ゑいき)を得ぬれば、一(ひと)たび故郷(こけう)に行て旧日(きうじつ)の面目を清めんと欲(ほつ)する迄の本意(ほんい)なり。いかんぞ此土(ど)に帰らざるの理あらん。公(おおやけ)の使にまかるに我児(わがこ)をつるゝ事あるべからず。公道(こうだう)を知(しら)ざる未練(みれん)のことかな」と、詞をするどにおどせども聞入れず。

「御ゆるしなくんばわれ二人が命を失ひて後に御心にまかせ玉へかし。死して別るゝはせんすべなし。同じ世に添(そひ)奉らず、青冥(せいめい)の長天(ちやうてん)、緑水(りよくすい)の波瀾(はらん)、夢魂(むこん)だも至らずといふなる所を隔(へだて)てあらんは、死別れにははるかにおとり侍らんものを」と袂(たもと)を取て放(はな)たず。

素卿此言を聞て涙をながし、「理(ことはり)なるかな人身(にんじん)の世にある七十稀なり。

其間親子(おやこ)の聚(あつま)ること幾時(いくとき)かある。

遠(とを)く隔たて生(いき)たるは世にすむ名のみ斗(ばかり)なり。

我職(われしよく)を守り身にもあらず。

人を治め世を利(り)する能(のう)あるにもあらず。

いかばかりの栄(えい)を貪(むさぼつ)て幼(おさな)きものにかなしみを見せんや。

{四+能}(よし)/\。

親子(おやこ)一所に行く(ゆか)ずんば、此任(にん)を辞(じ)し 野(や)に就(つき)て民(たみ)たらんものを」と、此趣急に京都煮達し、二子を帯(おび)んことを哀(かなし)み請(こひ)奉る。

是元(これもと)より官塗(くわんと)を踏(ふむ)ものゝ言出(いゝいで)らるべきことにあらず。

両児(りやうに)をとゞむるは彼(かれ)が二心なき為の質(ち)たれども、今日の其体{言+乍}(いつわり)にあらざるがゆへ、両児を具して行べきをゆるされたり。

素卿御恵(めぐみ)を有がたく存じ、両児を書童(しよどう)の様にとりなし船を出し海上(かいじやう)に月をかさねて、明(みん)の正徳六年彼土(かのど)寧波(ねいは)に着岸(ちやくがん)す。

是唐(これとう)の代(よ)の明州(みやうじう)の津(つ)なり。

錦(にしき)の袂(たもと)を故郷煮翻(ひるがへ)し、京師(けいし)に至て信(しん)を通(つう)じ、〓に孔子を祀(まつる)の儀注(ぎちゆう)を請求(こひもと)むといへども、国書(こくしよ)の中に求むるの語(ご)なきを以て許(ゆる)されず。

素卿機智(きち)をつかひ{貝+各}(まいなひ)を厚(あつ)くおくり、閹人内官(えんじんないかん)の就て内奏(ないそう)をなし、飛魚服(ひぎよふく)を賜(たまはり)て是を栄(えい)として帰程(きてい)に趣く。

寧波に至て数日滞留(たいりう)しける内、私(ひそか)に〓県(きんけん)にゆき故(わざ)と日をくらし、庶人(たゞふど)の服(ふく)して有(あり)や無(なし)やとおぼつかなくも、我(わが)棲(すみ)し処に行て見れば、家は依旧(もとのまゝ)ながら荒(あれ)のみさりて、門戸(もんこ)破れ扉(とびら)だになく人住(すめ)るとも思はれず。

懐旧(くわいきう)の感傷(かんしやう)にたとへず徘{彳+回}(はいくわい)する所に、十二三なる小童繿〓(わつぱらんろう)の裾(すそ)を〓(ひき)て外より来り内に入る。

素卿あとにつきて入り、「行人路(かうじんみち)に疲(つか)る。片時(へんじ)の歇息(かつそく)をたまへ」と、石{石+占}(せきばん)に踞(しりかけ)て見めぐらすに、四壁(しへき)はありしまゝにて、床褥家{人+火}(とこしきものせたいだうぐ)一つもある事なし。

沙鍋破〓草(こなべかけつぼわら)を敷(しき)て臥床(ふしど)とせり。

「小童(せうどう)には父母ありや」と問へば、「父は胎内(たいない)にある時亡命(ばうめい)し、母は五歳の秋に死す。

一族(いちぞく)あれども貧(ひん)を悪(にく)みて疎(うと)んじ、{女+爾}(うば)の解語(かいご)が憐(あわれみ)ふかく我兄弟を養ひたり。

それさへ過し比(ころ)疫(えき)を病て世を去り、隣家(りんか)の趙三銭四勾当(ちやうさんせんしこうたう)して化人場(くわじんじやう)の灰(はい)となしぬ。

孤(われ)は日ごとに近き溪水(たにみず)に行て、水を上(のぼ)せる船を引て数銭(すせん)を得て飢(うへ)を助け、兄なる存糸(そんし)は人家(じんか)に{人+雇}賃(ようちん)して夜ふけて家にかへる」と、世に浅ましげなるさましていふ。

素卿鉄石(てつせき)の心腸(しんちよう)も刺(さす)がごとく、目を開きて見るにたへず。

扨(さて)、「其父(そのちゝ)なる人の生死はしれずや」と問ふ。

小童涙をはら/\とこぼして、「今は日本に」と斗(ばかり)云(いゝ)て面(めん)をたれたるさま、素卿惣身〓(そうしんふる)ふばかり、しばしは涙にむせかへりて、「世には哀(あはれ)なる事多き。

聞(きく)さへ涙ながる」と、他家(たけ)の事に取なしても心にたへかね、言明(いひあき)らめて幼(いとけな)きものゝかなしみを晴(はらし)てんとこそ思へ、隣家(りんか)をはゞかり仮(かり)に〓(まず)其時を忍(こら)へ、斯(かく)いふ内も存糸(そんし)かへり来らば見あらはさんと起(たち)あがり、「父の命だに全(まつた)くはやがて帰り来(き)ません」と、小童を言(いゝ)なぐさめて早(はや)くも出去り、旅館(りよくうぇあん)にかへりて後、遂(つい)に一封の書を

故郷(こけう)の親族朱澄(しんぞくしゆちやう)に寄す。

朱澄書を得て朱縞(しゆかう)が今の身のうへを知り、〓(きん)の有司(つかさ)に告(つげ)て云、「日本の使臣宋素卿(ししんそうそけい)と聞ゆるは族子朱縞(ぞくししゆかう)がことなるを、此たび朱の字を宋と見誤(あやま)りたるよしなり。

彼は出身しか%\のものにて」と、始終を申て後議(こうぎ)を避(さく)るの遠慮(えんりよ)

をなす。

時の礼臣(れいしん)外国(ぐわいこく)の心を失はんことを恐れ寛恕(くわんじよ)

を専らとし、〓(きん)の令(れい)にゆるして窃(ひそか)に其対面を遂(とげ)し

む。

朱澄やがて旅館(りよくわん)に来て素卿に見(まみ)へ旧(むかし)をかたり人情(

にんじやう・あしらい)をなす。

素卿是に金銀を交与(わたし)て両子の事を托(たの)みあつらへ、一面(いちめん・

かたてに)人をはせて両子をよびむかへ、今こそ親子の対面はゞかりなく、悲喜交(ひ

きこも%\)かたるにつきず。

既(すで)にして素卿和国の両子を携(たづさ)へ帰船(きせん)に趣かんとする時、存糸(そんし)・素有(そゆう)は希有(けう)に再会(さいくわい)して程もなく別

るゝことをかなしみ、「共に連(つれ)玉へ」とひたすらなげき告(つぐ)。

素卿これを撫(ぶ)して云、「尓(なんぢ)二人は唐土(とうど)に生(をひ)たちて

、今しらぬ国までゆかんといふも、兎(と)に角(かく)に父と一所にすむべきの念の

みならん。

実(げに)や人の子の、わきて不便(びん)にかなしく思ふは小児の比(ころ)のこと

なるを、父は若年(じやくねん)の比(ころ)行跡(かうせき)よからず。

一族(いちぞく)の諸君(しよくん)にうとまれ、尓(なんぢ)らをすつるのみか、父

母の国墳墓(ふんぼ)の地を去(さり)、他国(たこく)にあつて異客(いかく)とな

る。

日本に貴き恩遇(をんぐう)を得て帰ることをわすれ、古(いにしへ)仲満(なかまろ

)が跡を踏(ふみ)て両国の恵(めぐみ)を蒙(かふむ)らんとす。

尓ら我を慕(したふ)といへども、我六十を過ていくばくの年か此世にあらん。

我日本に栄(さかへ)ありといへども外国(ぐわいこく)の人親(した)しみなく、誰

に孤(みなしご)を托(たの)むべき。

思へば和国(わこく)の両子も病と外揚(ぐわいやう・ひろう)して此地にとめ置べし

四人むつまじくともに唐土(とうど)の人となれ。

父は両端(りやうたん)を踏(ふむ)ゆへに後程(ゆくさき)の吉凶(きつけう)はか

りがたき身のうへなり。

まして他国(たこく)に久しきは我(わが)初の志にあらず。

幾程なく帰り来て一所に住べし。

此度父と一所に行(ゆか)ば、重(かさね)ては連来(つれきたる)ことをゆるされま

じ。

其間朱澄(しゆちやう)の許(もと)にとゞまりて物学びおこたることなかれ」と、さとし勧(すゝむ)るも福使(ふくし)に聞せじとひそみかた

る。

男児等(こどもら)も父の久(ひさ)しからず来んといふを力に〓(やうやう)のこり

留りける。

素卿は海昌(かいしやう)の津より船出する。

四子も車にのりておくり来り、彼土(かのど)の官人有司(くわんにんいうし)、皆別

酒(べつしゆ)を酌(くみ)つくして、素卿船にのらんとす。

四人の子父中にかこみて、「大人千万保重(たいじんせんまんほちやう・ごそくさい)

と、いふより外は詞ふさがりて手をわかてり。

こぎ出(いで)て行を車はなをとゞまりて、船を見んとて〓絹(たれぎぬ)よりのべ出

(いだ)し見る顔(かほ)のいとゞ小さくなるまで見をこせたるが、車さへみへずなれ

ば、船はいまは見うしなひてんと、胸つぶるゝやうなるも理(ことは)りなるかな。

程ちかき所も別れはつらきならひなるに、まして危(あやふ)き波涛(はたう)を凌(

しの)ぎ千里のこなたに来(きた)る身の、なをざりならぬなげきならんかし。

やがて一日(いちじつ)を来(きたり)てこそ、旅の心に立かわりぬ。

かくて恙(つゝが)なく帰り参りたれば、信使(しんし)調(とゝのひ)たるを以て賞

賜(しやうし)多く、恩遇旧日(おんぐうきうじつ)に勝(まさり)けり。

此(かく)て義晴(よしてる)公家(いゑ)の業(げふ)を嗣(つぎ)玉ひ、世の中騒

〃しければ、慮(おもんばかり)を遠(とを)くおよぼし、大永二年信使を明(みん)

に遣はさる。

時に細川高国(ほそかわたかくに)管領(くわんれい)に任たり。

僧の瑞佐(ずいさ)に素卿を添(そへ)らる。

其折節(をりふし)周防(すはう)の大内義興(をゝちよしをき)より僧の宗設〓に謙

道(けんどう)を使として信(しん)を通ず。

是は大内家(をゝちけ)先年より別に勘合(かんがう)の印(ゐん)ありて、毎度遣す

旧例なり。

其使両人すでに素卿より先に到(いたつ)て倶(とも)に寧波(ねいは)に留(とゞま

)る。

彼土(ど)の先例(せんれい)に、凡(およそ)番貢外国(ばんこうぐわいこく)の使

到れば、先(まづ)其貨(くわ・うりもの)を閲(けみ)して筵席(ゑんせき)に請(

こ)ふ。

商客(しやうかく)等(ら)は主人(しゆじん・といや)家(か)其貨(くわ)の多き

を上席(じやうせき)に居(おら)しむ。

貢使(こうし)は其着岸(ちやくがん)の前後によつて座をさだむ。

素卿彼地(かのち)案内たるを以て、市舶(しはく)の大監(たいかん・やくにん)に

〓(まひなふ)て数種(すしゆ)の珍物(ちんぶつ)を饋(をく)る。

此ゆへに市監(しかん)先(さき)に瑞佐が貨物(うりもの)を閲し、宴席(ゑんせき)

に千(まづ)瑞佐を請(こふ)て首坐(かみざ)に着(つか)しめ、宗設を次の座に居

(おら)しむ。

宗設大に怒(いかり)先例に違(たが)へりとし、瑞佐と忿争(いさかい)になつて席

間(せきかん)に相〓(うつ)にいたる。

しかれども此席互(たがひ)に兵器(へいき・きれもの)を帯(たい)せず。

何の仕出(しいだ)せることもなし。

諭(さと)し救(すく)はゞ無事なるべきに、大監(たいかん)ひそかに刀剣を瑞佐に

授(さづ)けて戦はしむ。

宗設が一隊(ひとむれ)逃(にげ)て旅館にかへり、刀鎗(たうさう)を取て再び戦は

んと騒動(さうどう)す。

総督備倭都指揮(そうとくびわとしき・わこくがゝりのかしら)劉錦(りうきん)、是

を聞て出て両方を制す。

宗設が手下の者憤(いきどほり)にたへず。

劉錦(りうきん)を斬殺(きりころ)し大に猖(あれ)まはり、寧波近辺海郷(ねいは

きんぺんかいけう)の鎮(ちん)を掠(かす)め船を奪(うばふ)て逃(のが)れ去る。

近鎮(きんちん)より兵を出して乱(らん)を静(しづ)め、急に北京(ほつきん)に

聞(ぶん)して、彼(かの)朝(てう)の所断(しよだん)を経(へ)て其罪を論(ろ

ん)じ、市舶(しはく)大監(たいかん)を斬(ざん)に処(しよ)し、素卿が私通(

しつう)の罪乱階(らんかい・みだれのぼり)をなせし上、其亡命(ひかげもの)を憚

(はゞか)らざるを以て、重(おも)き律(りつ)に論(ろん)じて遂に死刑(しけい)

に行はる。

謙道(けんだう)・瑞佐(ずいさ)は外国(そとくに)の人にして殊に使臣(ししん)

なれば、其罪を問(と)はず本国に環らしむ。

此禍(わざは)ひは元(もと)市舶(しはく・いりふねのあきなひ)より起ればとて、これより後此所の市舶を禁制(きんぜい)せらる。

其事は明人(みんひと)の記録(きろく)にも毎(おゝく)載(のせ)たり。

素卿が〓江(きんこう)の一属(いちぞく)は、初に訴(うつた)へ出たるを以て系累

(けいるい・かゝりあひ)に及ばず。

四人の子は如何(いかゞ)なりけんかし。

機智(きち)ありて慎(つゝしみ)なき者は素卿を以て誡(いましめ)となすべし。

去(さる)にても其親子別(わかれ)を取し別離(べつり)の情(じやう)、世の人を

して酸鼻(さんび・かなしくなる)せしめ、和楽唐船(わがくたうせん)の曲本(きよ

くほん・うたひ)見る人今に至(いたつ)て憂(うれ)ふ。

 七、望月(もちづき)三郎兼舎(かねいゑ)竜屈(りやうくつ)を脱(のがれ)て家(いゑ)を続(つぎ)し話(こと)

醍醐帝(だいごてい)の御宇、若狭(わかさ)国高懸(かうかけ)山に妖賊(ようぞく)拠(より)棲(すみ)て、其張本自(みずから)眉鱗王(みりんわう)と称号(しやうがう)し、賊徒(ぞくと)を集め公(おゝやけ)の命(めい)を拒(こば)む。

其近辺(きんぺん)の人民(にんみん)害(がい)を受(うく)る事甚し。

国司(こくし)数(しば)/\是を攻(せむ)るといへども除(のぞ)くことあたはず。

朝廷(てうてい)より近国遠国(きんごくゑんごく)におゝせて助力(じよりき)せしめ玉へども、賊徒強力(がうりき)のもの多く、あるひは其合戦(かつせん)難義なるに及べば、賊主(ぞくしゆ)眉鱗王斎戒(さいかい)して妖(よう)法を修(しゆ)し、自(みずか)ら出て戦ふ時は一身(いつしん)忽(たちま)ち百千に変(へん)じて人を殺す。

是によつて官軍(くわんぐん)勝(かち)を取(とる)事あたはず。

十分勝(かつ)べきの場(ば)にいたりても必ず兵(へい)を折(くじ)く。

官軍の中信濃武士(しなのぶし)に、望月太郎清春(きよはる)、同次郎貞頼(さだより)、同三郎兼舎(かねいへ)、兄弟三人一隊(いつたい)を結(むすび)たりしが、味方の引につれて敵間(てきあい)遠(とを)くなり、退屈(たいくつ)してぞ見へける。

三郎兼舎(かねいゑ)は清らかに柔和(にうわ)なる面体(めんてい)なるを、初より面を黒赤(こくしやく)に染て、諸軍(しよぐん)皆生得(しやうとく)と思へり。

今素面(すめん)を露(あらは)し、清春・貞頼に合図(あいづ)定め、家士丹二(いへのこたうじ)・平六(へいろく)ら五十斗(ばかり)の人数(にんじゆ)に、変(へん)によつて応(をう)ずべき心得を示(しめ)し合せ、故(わざ)と〓々(へそかに)敵の要害(ようがい)にいたり、「角(かく)申(まうす)は此国北郡(きたごり)の者どもなるが、案内に具(ぐ)せられて、心ならず寄手(よせて)の陣に候ひぬ。

寄手此比(このごろ)の敗軍(はいぐん)に胆(きも)を消(け)し、陣を払(はら)ひ退(しりぞ)きて救(すくひ)を禁廷(きんてい)に乞(こ)ふよしなれば、引きわかれ御味方に参りたり。

御許容(きよよう)あらば次(つぎ)の軍に先手(さきて)を仕り粉骨(ふんこつ)すべし。

御許(ゆるし)なくんば御勝利(しようり)の後の安堵(あんど)を賜(たまわつ)て、北郡(きたごり)に帰(かへ)り休息すべし」とぞ申ける。

門卒等(もんそつら)、「是我々が計(はか)る所にあらず。

此(こゝ)にまつべし」

と、厳敷(きびしく)此人数(にんじゆ)を執(とり)かこみ、此略(あらまし)を書(かき)て号箭(あいづのや)に結(むす)びつけ、後の嶽(だけ)にむかひ射(い)出したり。

暫くありて向ふの厳頭(がんとう)より掛梯(かけはし)を釣(つり)おろし、兵士(つはもの)二三十わたり来る。

一個々々(ひとり/\)虎(とら)のごとく熊(くま)のごとし。

兼舎が人数(にんじゆ)を睨(にらみ)めぐらし、「尓(なんぢ)ら頭(かしら)たるもの一人懐中(くわいちう)を捜(さぐ)り見たるうへ、無刀(むたう)にして中陣(ちうぢん)に参りて軍師(ぐんし)に対面せよ。

其余は爰(ここ)にとゞまるべし」

と云(いふ)。

兼舎(かねいゑ)時に色青くなし身を慄(ふるは)して、「後日(ごにち)はかくべつ、只今一人はなれて御本陣(ごほんぢん)へ参ることは、いかにしても心ぼそく存(ぞんず)れば、頭たるもの八人の内はなれては参るまじ」

「つかわすまじ」

と、皆々(みな/\)詞(ことば)をそろへ、「とかく帰て休息するに如(しか)ず」

と、恐〓(おじおそれ)たる有さまなれば、「是程の弱卒(じやくそつ)奥へ入れたりとも何かあらん。

いざ来れ」

と賊徒(ぞくと)が前後に引包(つゝみ)て梯(かけはし)をわたり、岸頭(がんとう)に鉄門(てつもん)のかためを過て、軍師の陣に参る。

軍師石丸(いしまる)虎椅(とらのかはのいす)にかゝり対面す。

望月が衆、詞はじめのごとし。

石丸窃候(しのび)の徒(と)に見せしむるに、「寄(よせ)手の武士の内には見なれず。

定て実情(じつじやう)ならん」

といふ。

石丸、「契約(けいやく)の盃賜らん」

と、高さ尺ばかりなる鉄塊(てつくわい)のうへのくぼかなるに酒を酌(くみ)て、軽(かる)く一献(いつこん)を挙(あげ)て兼舎にあたへ、自(みづから)酌(しやく)を取てけるに、兼舎頂〓(てうだい)せんとせしが得とり挙(あげ)で、二三度取おとし掌(たなごゝろ)をさすり、見苦しくも口をよせて吹(すい)ほし、「此盃の重さはかりがたし」

と顔を赤(あか)めて退くに、其余は猶挙(あぐ)るものなく、皆々地に置(おき)て飲(のみ)ければ、軍師をはじめ手を打て笑ふ。

「いざや此ものどもを上の御所に申て、あすの軍の手合上意を談(だん)じて帰るべし」と、小卒(せうそつ)を添えて猶奥にやりぬ。

其道二重の門あり。

開閉(あけたて)厳(きび)しく夜を警(いましむ)るものおこたらず。

「火あやふし火あやふし」と、木木合合(きをうちあわせ)よばひめぐる。

其次に自然の石門(せきもん)、一人ならで通(とを)るまじき陜(せば)き所をすぐれば、夜直(づめ)の賊徒(ぞくと)多く板屋(いたや)の下に群(むれ)いたり。

軍師の使を見て、「しばらくそれに待れよ」と奥に行しが立かへりて、「只今大王潜行(せんかう)して座(いま)さず。

皆〃軍師の府に行てためらふべし」といふ。

兼舎思ふに、「扨は暗(かくし)道ありて他行するか。

こゝにあらぬこそ幸なれ」と急度(きつと)案じて味方に暗号(あいことば)し、面〃一度にかゝりて、中にも頭(かしら)と思(おぼ)しきが帯たる太刀を奪取、早く両三人速(すみやか)に切倒し、直に其太刀を取用いて切てまわる。

其勇勢(いうせい)弱〃(よは/\)しかりしには大に相違して、賊徒うたるゝものおゝく見ごりしてのがれちる。

兼舎が人数(にんじゆ)一度に本陣に切入り、処〃に呼(よばは)つて、「明日は朝廷(ちやうてい)の加勢来りて汝(なんぢ)ら一人もゆるさじ。

只今官軍につくものは命をゆるし、爰(ここ)に積(つめ)る財宝名〃(ざいほうめい/\)に分ちやり、朝敵(てうてき)の罪をゆるし、去(さる)とも降(くだる)とも心まゝなるべし」といざないければ、内郭(うちぐるわ)の者どもは過半(くわはん)眉鱗王が無状(わがまゝ)なるに安(やす)き心なき折からなれば、「御下知(ごげぢ)に従(したが)はん」という程こそあれ、石門をとぢてこゝにこもる。

兼舎此時合図(あいづ)の〓〓(ほら)を吹(ふ)き、仮(かり)の方便(てだて)に「みりん王打取たり」と、奥より軍師の郭(くるわ)を責(せむ)れば、石丸大(おほい)にあきれ、掛橋(かけはし)をおろし木戸の方へ逃出(にげいづ)る。

木戸にとゞまりし数十人のもの合図(あいづ)の〓(ほら)をつぎければ、麓(ふもと)に出張(でばり)せし太郎・次郎「すはや」と責(せめ)のぼる。

石丸先後に敵をうけて遂(つい)に太郎・次郎に降りける。

兼舎は暗道(かくしみち)の案内させてみりん王うたんとおもへど、「此騒動(さうどう)に恐らく其道より逃(にげ)行て告るものあらば此道へは帰り来(きた)らじ。

若(もし)帰り来たらば手をそろへて打取(うちとる)べし。と、老党新藤六(らうどうしんとうろく)に申含(ふく)め、猶「内郭(うちぐるわ)よくかためよ」と、自身(じしん)は暗道(かくしみち)の案内聞つくし表の陣(ぢん)へいそぎ行ぬ。

賊主眉鱗王(ぞくしゆみりんわう)と申は、出生の時眉に鱗(うろこ)有りしかば、むつきのまゝ山中に捨られて後は親しらず人となりて、力強く胆太(きもふと)く山賊(さんぞく)の頭領(かしら)となり、生れし時の奇怪(きくわい)を人の言まゝに眉鱗王と号(がう)し、衆(しう)にすゝめ挙(あげ)られてそゞろに大事を起(おこし)たるものにて、深慮計策(しんりよけいさく)あるにもあらず。

先年(せんねん)手下の老賊(らうぞく)に咒術(じゆじゆつ)を行ふものあり。

それを伝えて鬼(き)を役(ゑき)し霊(れい)を使ふことを習(なら)ひ、軍中に用て、山に拠(よ)り林に托(たく)して眩術(げんじゆつ)をなし、頻(しきり)の勝軍(かちいくさ)に心怠(おこた)り清浄(しやう%\)をつとめず。

後(うしろ)の山村(さんそん)に妻(つま)をなんかくし置て折節は暗道(あんだう)を通ひける。

こよひしも妻の許(もと)に行酒のみゐる所に、身ぢかきもの二人三人周障(あはて)来り、「内郭(うちぐるわ)に敵入りて変あり。

此処へも捜(さぐ)り来るべし、御用心」と告るに驚き、只五六人を従へて渓(たに)をつたひて落ちゆく。

間道(かんだう)の歩(あゆみ)はかどらず、里ちらくなりて夜は明たり。

従者(じうしや)皆云、「われ/\は寄手の加勢のさまにもてなし行べきが、いかにしても御姿のきら/\とかくれなく見へ玉ふ難儀(なんぎ)さよ」といふ。

眉鱗王、「実(げに)も隠(かくれ)かぬるは朕(ちん)が身なり。

潜(ひそみ)たる行(みゆき)の折からなれば、早く竜衣(りやうい)を脱(だつ)せんとおぼせども換(かへ)て参らすべき御衣(おんぞ)なし。

宸襟(しんきん)これが為に悩(なやむ)」といふ所へ、水に添(そひ)たる路(みち)をきたなげなる僧(そう)の、朝気(あさげ)の雨を蓑(みの)にふせぎ、鉦子頚(しやうごくび)にかけて里に頭陀(づだ)すると見へけるを、やがて取とゞめ将(い)て参り、「〓(かたじけなく)も是こそ山中(さんちう)の君にてわたらせ玉ふ。

〓が衣服(いふく)を召(めさ)るゝ間錦(にしき)の御衣(ぎよい)に換(かへ)て参らせよ」。

此僧大に驚きおそれて聞入れぬを、さま%\に云てぬがせたり。

〓大王の上襲下襯(うはおそひしたがさね)着換(つけかへ)らる。

下に御(ぎよ)したる白綾(しらあや)の袙(あこめ)を、榛染(はりそめ)のひとへなるに召かへ、上なる僭偽(せんぎ・ゆるしなき)の日月枹(じつげつはう)は、白布〓(しろぬのあはせ)のあかづきたるにかはり、密金葉(しげかなもの)のきせながを、五倍染(ふしぞめ)の僧衣(そうゑ)の然(しか)も破(やぶ)れたるに召かへ、身はかはれども猶頭(かしら)に僭偽(せんぎ)の金冠(きんくわん)たかく戴(いたゞき)たるは、いかに似(つき)なき御姿(みすがた)かなと偽官人(ぎくわんにん)等(ら)思はず笑(わらひ)を吹出す。

やがて雪帽子(ゆきぼうし)にいたゞきかへ、髪を帽子の内に束(つか)ね挙(あげ)て、鳥頭(とりくび)の御剣(ぎよけん)にかへて、小小(さゝ)やかなる鉦(かね)を取てかけたるに、大の男(をのこ)の乳(ち)のきわにさがりてぶらめき、村藤(むらどう)の弓(みたらし)を禿(ちび)たる〓木(しゆもく)に取かへたる御有さま、水に映(うつ)して我ながらせわしきなかにもおかしく、随(したがふ)ものども腹痛(はらいた)き迄に笑ひ倒(こけ)たり。

みりん王猶口を改めず、「群臣(ぐんしん)必ず笑ふことなかれ。

創業(さうげう)の君は難(なん)多し。

蒙塵(かちさせたまふ)〓売家(ひとよざけうるいへ)さへもなし。

よべよりうるはしく物めさねば、いといたう飢(うへ)たり。

此川をわたらば岸(きし)の鼻(はな)の嫗(うば)が店(みせ)にて、べた/\のかちんにてもめして参らせよ。

いかに下素(げす)の僧(さう)、其鳥頭(とりくび)の御剣は先祖(せんぞ)大山辺(おゝやまのべ)のみことより伝来(でんらい)の家宝(かはう)なり。

治世(ちせい)の後(のち)持来らば此山半片(はんべん)を賜り僧徒(そうと)の検校(けんぎやう)たらしむべし」と、空(そら)だのみなる潜上大言(せんじやうたいげん)して渡頭(ととう)をさして急(いそ)ぎける。

招(せう)々たる舟子(しうし)も朝まだきに猶(なを)船のなかにヘ鼾の高きを、呼起(よびおこ)して「舟(つかまつ)仕れ」といふ。

舟子(ふなびと)目を摺(すり)欠伸(あくびのび)しつゝ船をせよ、軍人(ぐんじん)なるを見て腰(こし)を屈(かがめ)め、きたなき僧の後(をくれ)てのらんとするを、「次(つぎ)の便船(びんせん)をやるべし。

見ぐるし」と叱(しか)りとゞむ。

乗りたる軍人(ぐんじん)口々に、「僧なんくるしからず。

いかに早くのりね」といふに力(ちから)を得てのりうつるを、「ともにおいぇ」とゐすくませ、船を出し岸(きし)につく時、五人の兵は早く上(あがる)る。

舟子(ふなびと)竿(さほ)を取て再び(ふたた)川へ押し出す。

此僧いぶかり、「我をいかに上(あげ)ぬぞ」とすさまじき目をにらみ出す。

舟子棹(さほ)をすゝ、「扨(さて)恐(おそろ)ろしき眼(まなこ)つきかな」とつとよりて双手(もろて)にしかと組(くむ)。

僧も力を出しからがひしが、船の上(うえ)足(あし)の踏所(ふみごころ)定(さだま)らず、力なくも組ふせられたり。

舟子(しうし)縄(なわ)を出して絡(からめ)つくるを、岸にあがりし五人船を見てあせりさけぶ。

辺(ほとり)の農人(のうにん)出来りて五人の兵を擒(とりこ)にす。

是農人にあらず。

兼舎の家人丹二(たうじ)・丹三(たうざ)等(ら)なり。

舟子は即(すなはち)兼舎なり。

生捕(いけどり)を牽せて兄の陣所(ぢんしよ)にいたる。

太郎・二郎是を見て、手柄を弟にこされ安からず思ひ、「かゝる僧衣(そうゑ)のものをいかんぞ眉鱗王というべき。

いぶかし」とうけがわざる所へ、最前(さいぜん)の衣(ころも)をはがれたる頭蛇(づだ)の僧、錦袍弓剣(きんぽうきゆけん)を持参して其様をかたる。

此僧こそ薬師堂(だう)を新発意(しんぽち)、兼舎遣して敵ちかく細作(ものみ)をなさしめたるなり。

遂に兼舎が手柄に極(きはま)る。

山塞(さんさい)の金銭重器(きんせんてうき)を衆(しう)に分ち賞(しやう)する中に、彼(かの)鉄の盃あり。

兼舎生捕(いけどり)の中にて此盃に数盃を傾(かたむ)け軽々(かるがる)と酒もりす。

兄両人石丸(いしまる)が説(せつ)を聞て、「賊営(ぞくゑい)の側(かたはら)に古き人穴(はとあな)ありて、賊首(ぞきしゆ)の眷賊(けんぞく)かくれゐる。

是をのこし置べきにあらず」と、三人再び山に登(のぼ)り、彼(かの)窟(いわあな)に臨み見るに直(ちよく)にして井のごとく、石を投(なぐ)るに其底(そこ)ふかし。

「人をやおろし見ん」などいふて、立もとふるやうにて兼舎を不意(ふい)に突落(つきおと)してけり。

土を以て穴の口を塞(ふさ)ぎ、始終(しじう)を両人が功とし、眉鱗王を引(ひか)せて凱陣(がいじん)し、兼舎戦死と披露し、二人恩賞(おんしやう)を受て領地(りやうち)を安堵せり。

兼舎は穴に落て一たびは絶入(ぜつじゆ)すといへども漸(やう/\)正気づき、打損(そん)じたる腰膝(こしひざ)難儀ながら、岩中(がんちう)に明(あか)りのあるかたを抜(ぬけ)穴にやといざり/\て行

けるに、幽(かすか)に天色(てんしよく)を見る処あれども出(いづ)べき道も無ければ、何の賊徒(ぞくと)かこゝにかくれん、是両人の悪心にて我を陥(おとしいれ)たる

よとさとり、かくては終(つい)に餓(うへ)に及ぶべし、穴(あな)内に食に当(あつ)べき物やあると胸つぶれたるに、来(きた)るていも見へずしてほのぐらき中に老人ありて、「兼舎、尓(なんぢ)憂(うれふ)ことなかれ。

穴を出べき便(たよ)りこそあれ」と力をつくるに、少しは心だのみせられて、此老人を拝して、「穴を出る事を得ば実(まこと)に再世(さいせい)の恩なるべし」と、兄両人の姦智(かんち、わるぢゑ)を訴(うつた)へ告ぐ。

老人言(いふ)、「世の人心(ひとごゝろ)頼がたきは古より珍しからず。

我は久しく爰にあれども、百年二百年には此穴を出(いで)ず。

近日(きんじつ)此穴を出(いづ)べきものあれば必ず尓を送り出すべし。」

兼舎弥(いよいよ)悦び敬(うやま)ふ。

老人黒き餅(もち)を出して兼舎にあたへて、「餓(うへ)をしのぐべし」といふ。

兼舎是を喰ふてよりまた餓を覚へず。

「去るにてもいかなる神仙(しんせん)にて渡らせ玉ふ」と問へば、「我には古より其名をつくる事あたはず。

鱗虫(りんちう)の長なる竜を以て呼ぶ。

能幽(よくゆう)に能明(よくめい)なるは鱗属(りんぞく)の及ぶ所ならんや」。

兼舎、扨は千年山(せんねんやま)に住なるといふ、是竜穴(りやうけつ)の主(ぬし)なるべしと察(さつ)して、

「我世に出なば一郡(いちぐん)の主(ぬし)たるを失(うしな)はず。

翁の嗜(他染み)好(このむ)物あらば常に此穴に進(すゝ)めん」といふ。

翁頭(おきなかしら)を揺(ふつ)て、「我は清虚(せいきよ)にして〓(ごうかい)を飲食(いんしよく)とし、嗜好(しかう)なく畏悪(いお)なし。

彼燕血(ゑんけつ)を嗜(たし)み苦棟(くれん)を畏(おそ)るは、是蛟蜃(かうしん)の類のみ」。

兼舎問(とふ)、「真竜(しんりやう)の好(このむ)所はいかなる」。

翁曰、「只睡(ねぶり)を好みて長ければ千年短(みじか)ければ数百年、洞穴(どうけつ)に偃臥(ゑんぐは)して鱗甲(りんかう)の間沙土(しやど)聚(あつま)り積(つ)み、鳥(とり)木実(このみ)を銜(ふくみ)来て其上に遺(のこ)せるが鱗上(りんじやう)に両葉(ふたば)を生じ、太(ふと)き事抱合(いだきあは)すに至り、盤根甲(はびこるねうろこ)を折(くじき)て方(はじめ)て睡(ねぶり)を覚(さま)し、遂(つい)に脩行(しゆぎやう)をはげまし、其体を脱(だつ)して虚無(きよぶ)に入り、其神(しん)を澄(すま)して寂滅(じやくめつ)自然(じぜん)に帰(き)す。

形と気と其化(くは)する随(まゝ)なるを得て、胚胎(かたち)なきがごとく凝結(こりむすば)ざるがごとく、恍忽(たちまち)に杳冥(ようめい)たり。

此時や百骸(ひやくがい)五体(ごたい)芥子(けし)の内にも入べく、還元(くわんげん)返本(はんぼん)の術を得て造化(ざうくわ)と功を争ふなり。

しかし此説は竜を有形(うげう)の生活(せいくわつ)にして、工(たくみ)に勢(いきほひ)をいふ。

画工(ぐわかう)の三停(さんてい)九似(きうじ)の法を設(もふく)るがごとし。

聞人も面白く奇(き)にして左(さ)もありなんと思はるゝ。

是を定形(ぢやうけい)なき物にして説(とく)ときは、真竜(しんりやう)の体(たい)は雷(らい)と表裡(ひやうり)せしものにて、雷は中天頓鬱(ちうてんとんうつ)の陽気(やうき)水を引て雲雨(うんう)を醸(かも)し、其水気(すいき)に逼(せま)られて団(こり)て純火(じゆんくわ)を生(しやう)じ、雨水(うすい)の気に触(ふれ)て〓(ほとばし)り射(い)て物を撃(う)つ。

物をうちて消(せう)せざれば凝含(はづみ)て子母炮(しぼはう)の勢ひの如(ごと)く、いよ/\触(ふれ)ていよ/\〓(ほとばし)り消滅(せうめつ)してやむ。

是陽激(げき)して陰(いん)に戦勝(たゝかひかち)たるなり。

陰陽相搏(うち)て芒毛(ばうもう)を生(しやう)じ、又獣(けだもの)をも生ずべし。

竜は地中(ちちう)積鬱(せきうつ)の陽気、地下の陰気に和(くは)せず。

地外の陽の時に動(うご)かされて発(はつ)し登(のぼ)る。

水気を引て雲烟(うんゑん)を起し雷電(らいでん)をもいたす。

半ば雲に入て〓(はた)の如く掛り、雲端(うんたん)に伸縮(のびちゞみ)の貌(かたち)あるは其気暢(のび)んと欲(ほつ)して振(ふる)ふなり。

既(すで)に暢(のび)て消散(しようさん)する時は一気(いつき)に和す。

一気に和する時は本来(ほんらい)に帰(き)して形なく、釈氏(しやくし)の寂滅(じやくめつ)の空(くう)にかなへども、老子(らうし)は虚無(きよぶ)を以て有(う)を養(やしな)ふの教(をしへ)ゆへ、其発揚(はつよう)して退蔵(たいざう)の徳(とく)を失(うしな)ふをおしみ、彼(かの)竜の如しと譬(たとふ)るは時あつてきら/\現(あらは)るゝにあらず。

上に升(のぼ)るべきもの地下に潜蔵(せんざう ひそみかくれ)して陰陽にも動(うご)かされず、いつまでも密蔵(みつざう)して発(はつ)せざる所を云(いふ)なり。

儒教(じゆきやう)とやらんは空有(くうう)の二つに着(ぢやく)せぬ世法(せいほふ)なるべし。

物に滞(とゞこ)る時は釈氏(しやくし)の空(くう)を以て消(け)し、動(うご)きやすき時は老子(らうし)の虚無(きよぶ)を以て息(とゞ)む。

三教(さんきやう)併(あは)せ用て世道(せだう)安からん。

俗説に豊城(はうじやう)の剣(けん)延津(ゑんしん)に入て竜となるといふ。

剣は鍛煉して作るゆへ自然(しぜん)の物にあらず。

豈能(あによく)竜と変ずる事を得(ゑ)んや。

仏説(ぶつせつ)に竜女(りうによ)天竜(てんりう)を説(とき)たるは教化(けうげ)の及ぶ所広きをいふなり。

又竜城(たつのみやこ)にいたり竜女(りうによ)に会(あ)ふの説(せつ)は、文人(ぶんじん)筆を弄(らう)するの虚談(きよだん)にして益(ます/\)これ文章なり。

間現在(まゝげんざい)に其事あるも、皆水物(すいぶつ)の妖(よう)に魅(み)せられたるにて真竜(しんりやう)の事に与(あづか)らず。

易(ゑき)に乾(けん)の象(しやう)として似(に)げなき坤(こん)の馬(むま)に配(はい)せられしは、却(かへつ)て我(わが)真竜(しんりやう)を知られしやしらずや覚束(おぼつか)なし。

今化生(くわせい)して形を現(げん)ずることは尓を助るの造化(ざうくわ)なり。

我形(かたち)常に有にあらず。

尓此(この)穴(あな)の泥(どろ)を身にぬりて晦冥(くわいめい)の時を待(また)ば、体(たい)を損(そん)ぜず上(のぼり)升(のぼる)の気に乗(ぜう)じて穴を出べし」と、細(こまか)に告て早くも其形なし。

 数日(すじつ)の後、穴の中黒暗(こくあん)にして雲烟(うんゑん)沸(わく)が如く其気(き)蒸(むす)が如し。

山岳震動(さんがくしんどう)天折(くじけ)地崩(くづるゝ)がごとく、閃電(せんでん いなびかり)しきりにかゞやき岩中(がんちう)の大石動(うごひ)て揚(あが)らんとす。

兼舎(かねいゑ)身自(みわれ)にまかせず飛揚(ひやう)す。

是出べき時至ると、傍(かたへ)の岩(いは)を攀(よぢ)てのぼれば穴の口を出るといへども、冥々(めい/\)の裡(うち)其勢(いきほひ)とゞむべからず、大虚(をゝぞら)にも上らんとす。

手(て)に触(ふる)る木の枝をいだきて夢現(ゆめうつゝ)のさかひを知らず。

俄(にはか)にして雲晴(くもはれ)見れば此身大木の梢(こずへ)にあり。

急(いそ)ぎ地に下りて路に出れば民居(みんきよ)あり。

是すなはち賊寨(ぞくさい)の後(うしろ)の山村なり。

「我はみりん王を捕(とら)へたる望月三郎なり。

軍中にて穴に落いり今こゝに出たり」と、民家(みんか)に労(らう)を息(やす)む。

山民等(さんみんら)驚(おどろ)き敬(うやま)ひ、「眉りん王が取掠(かすめ)たるを免(まぬが)れし」と悦びかたり、「こゝなる隠(かく)し妻もいまは跡(あと)をくらまして行きがたなし」と申。

兼舎山を出て都に上(のぼ)り、無道(むどう)の兄なれども弟の身として其罪訴(うつた)ふべきにあらず。

只我(われ)一分(いちぶん)の居所(きよしよ)賜らんことなげき申ければ、異儀(いぎ)なく旧領(きゆうりよう)にかへさる。

両人の兄は自ら辱(はぢ)て身を隠(かくし)し蟄居(ちつきよ)しければ、其有(たもつ)所皆兼舎に属して家業(かぎよう)相続す。

承平(じやうへい)の初、将門(まさかど)退治(たいぢ)の命に応(をう)じて軍功(ぐんこう)あり。              

江州判国を守護(しゆご)し、甲賀郡(こうがごほり)に館を構(かま)へ近江守と称す。

後は伊賀近江に跨(またが)りて大領(たいりよう)を務(つとめ)けるとなり。

竜穴(りゆうけつ)に入りし奇談(きだん)は千歳(せんざい)人口(じんこう)に遺(のこ)りて、児童(にどう)に至るまで是を話柄(はなしづか)とす。

荒唐(こうとう)なるかな其言(そのこと)や。

古今奇談繁野話第四巻(ここんきだんしげ/\やわだいよつのまき) 終

   八、江口(えぐち)の遊女(ゆうじよ)薄情(はくじよう)を憤(いきどふ)りて珠玉(しゆぎよく)を沈(しずむ)る話(こと)

往昔(いにしへ)江口(えぐち)の色里(いろさと)といへるは、岸(きし)に沿(そ)ひながれに臨(のぞ)みて家(いへ)づくりし、後(のち)の世(よ)の所(ところ)せくにはあらで、かしこに三瓦(さんぐは)こゝに両舎(りようしや)、蒲柳(かはやなぎ)引結(ひきむす)び薮(やぶ)をたゝみてめぐらしたる墻(かき)の門(もん)より桃(もゝ)笑(わら)ひ柳(やなぎ)媚(こび)て、春宵(しゆんせう)に景(けい)を弄(もてあそ)び長夏(ちようか)に涼(りよう)を納(い)れ、いざなひいざなはれ来(く)る人(ひと)は宜(むべ)なり。

霜凝(しもこを)る夜(よ)にも胸(むね)を焦(こが)し、月(つき)にそむき星(ほし)にさぐり雨(あめ)に雪(ゆき)に身(み)のいたはりをしらで通(かよ)ひ来(く)るは、うかれ人(ひと)の愚痴(ぐち)を病(やめ)るなり。

水干(すいかん)に袴(はかま)きて章台(しやうだい)に馬(うま)をはやむるは、下司(したづかさ)めきたる人(ひと)の所(ところ)ひろく通(かよ)へるなり。

やんごとなき御方(おんかた)の九重(こゝのへ)の霞(かすみ)を分(わけ)て、君(きみ)みんとて打(うち)ひそまりてわたらせ玉(たま)ふあれば、禄(ろく)さだまらぬ人(ひと)のおのが通(かよ)ひ来(く)るをいかめきことに思(おも)ひて、符(わりふ)ことば街(ちまた)にひゞき、次郎(じろう)、三郎(さぶろう)、かしづきよばひもて来(きた)るも疎(うと)ましく、いづれ風月(ふうげつ)の為(ため)に役(えき)せられて、其(その)趣(おもむき)忍(しの)ぶ忍(しの)ばざるの際(あいだ)にあるならまし。

わきて此里(このさと)の詮(せん)とするは、都(みやこ)に往(ゆき)かふ河船(かわぶね)を招(まね)きとゞめて縁(ゑん)ある纜(ともづな)を結(むす)ぶ手(て)にしばしの情(なさけ)を頼(たの)む。

つくしのはて吉備(きび)のこなた数(かず)かぎりなく都(みやこ)にゆきかへり、神埼(かんざき)橋本(はしもと)に遊君(ゆうくん)の家(いえ)多(おお)かれど此里(このさと)に泊(とま)る船(ふね)多(おゝ)く、はじめはしるしらぬあやなき人の、後は思ひのしるべとなるも、これほどの事の宿世(すくせ)の冤(ゑん)ならぬはなし。

漢土(かんど)のむかし東門〓都(とうもんいんと)の女雲(ぢよくも)の如(ごと)く荼(つばな)の如く、管仲(くはんちう)が女閭(ぢよりよ)七百を開(ひら)きしより後(のち)つかた、漢(から)やまとの末の世まで是を免(ゆる)されて、親(おや)はらからの為に身を棄(すつ)る薮沢(すたく)は、即ち遠人旅客(ゑんじんりよかく)を慰(い)するの設(もふ)けとなりて、世に女の数少(すくな)かりせば人の争ひおこらん。

非礼(ひれい)の地を設けて非礼を安(やす)んずるの計(はかりごと)ならんか。

川竹(かはたけ)の瀬(せ)はからずして流(なが)れの身はもとの人にあらず。

地(ところ)に数(かず)ある遊女の家、文珠普賢白妙(もんじゆふげんしろたへ)など世に知られて、此里(さと)のかざしとなれる華名(くはめい)なれば、幾世(いくよ)重(かさ)ねて其名をば絶(たへ)ざらしむる習ひなり。

 其此(そのころ)は鎌倉の時代(ときよ)、西国(さいごく)には尚(なを)国司(こくし)の知行(ちぎやう)有て、国司代(こくしだい)などいふものを置(おき)て取まつろへ、郡司(ぐんじ)を知らせたる国人(くにふど)に、箱崎(はこざき)の太夫正方(たいふまさかた)といふものあり。

それが子(こ)に子太郎安方(やすかた)とて生れ清(きよ)げに心ざま優(ゆう)に鄙(ひな)には似(に)ざりけり。

いまだ世を知らざる日(ひ)に王城(わうじやう)の尊きをも拝み、国司(こくし)の館(やかた)へも参り馴(な)れ、心ゆるく上国(じやうこく)の風景遊覧(いうらん)してこよと、親(おや)の慈心(じしん)より万(よろず)に欠(かく)事なく取りしたゝめて登(のぼ)せけり。

京に旅宿(りよしゆく)して折節(おりふし)には館(たち)に伺候(しこう)し、詣(もふづ)べき所詣(もふで)あるきけるに珍(めづ)らかならぬ所なく、水清く人柔(やはら)かにして寄添(よりそひ)やすく、田舎(いなか)より京に入たるものゝ国を忘(わす)るゝこと少(すく)なからず。

旅宿(りよしゆく)の友(とも)にちなみよりたる播磨(はりま)の住人、岸(きし)の惣官(さうくわん)成双(なりつら)といふ人常にかたり興(けふ)じて、花街(くはがい)の品定(しなさだめ)など聞へけるに、江口の遊君共の才色優長(さいしきいうちやう)なるを聞て、ゆくての遊興に帰路(きろ)を促(うなが)し、江口に趣(おもむ)き、「眼(め)に見るのみを甲斐(かひ)とするは眼嫖(がんぴやう)とそしり、みもせぬ君を見きとないへば口嫖(こうひよう)と笑ふも口惜けれ。

名ある君と青桜(せいろう)の酒を酌(く)みて古郷(こけう)の語り句(く)にせん」と、室木(むろのき)の刀自(とじ)が許(もと)に日をかさねける。

其時に白妙(しろたへ)といへるは、十三歳より遊客(いうかく)をとゞめ、九年の煙花(ゑんくは)に物馴(ものなれ)てよく人情(にんじやう)の向ふ所を知り、貴賎(きせん)の顧厚(かへりみあつ)く、是がため身を擲(なげう)ち罪(つみ)を得る若人(わかふど)あまたなれど、たゞ此君を見んとて日を争(あらそ)ふて来る。

里(さと)の諺(ことわざ)にも妙(たへ)が座(ざ)には下戸(げこ)も千飲(せんゐん)し、妙(たへ)を見れば粉面(ふんめん)皆黒(みなくろ)しとぞいゝはやしける。

小太郎白妙を初て見るに、臉(かほ)は蓮蘂(はちす)の鮮(つやゝか)なるが如く、眼は秋水(しうすい)の潤(うるおふ)がごとく、常娥月殿(じやうがげつでん)を離(はな)れ飛燕新粧(ひゑんしんさう)によれるすがたあり。

かゝる艶色(ゑんしよく)の墻(かき)の花の中に盛出(さきいづ)るも生(をふ)したつるの巧(たくみ)なるやと、初(はじめ)は名のある君かぞへて見んと思ひしも此(こゝ)に凝(こ)りとゞまりて、温柔(をんじう)の性(うまれ)は妓女(ぎじよ)の心も穏(おだやか)に

撒漫(さつまん)の手(て)は鴇児(くゞつ)を喜ばしむ。

白妙と情意(じやうい)相投(たがいになげ)うちてはじめより別(わか)るゝ期(ご)の来らんことを恐る。

元(もと)より白妙煙花(ながれ)を出んとするの心あり。

小太郎が志のあだ/\しからぬを深(ふか)く心に占(しめ)思ひて、終身(しうしん)相従(あひしたがは)んことをいどみ求(もと)む。

小太郎は只父(ちゝ)なる人の怒(いか)りを恐れて白妙がことばに同意せず。

底解(そことけ)やらぬ氷室(ひむろ)の草(くさ)も繁(しげ)らばなどかしげらざらん。

朝々(ちやう/\)睦月(むつき)夜々(やや)乞巧(きつこう、終日妻(ひねもすめ)と呼(よべ)ば殿(との)と称(しやう)して来る。

恩愛(おんあひ)を海にくらべては恩の底(そこ)をしらず。

情義(じやうぎ)を山に譬(たと)ふれば義尚(なお)高し。

只両人が中に風流(ふうりう)を卓(わがもの)にして、其余巨室大賈(よきよしつたいこ)白妙を見んとすれども得ず。

小太郎銭財(せんざい)を用(もちふ)ること大差(たいさ)大使(たいし)、刀自(とじ)笑を献(けん)ずることたへまなく、此客(きやく)人こそ我家の搖銭樹(ようせんじゆ)なりと奔走(ほんさう)すれど、必(かならず)や情人(おもふひと)の篋中(きやうちう)に聚宝盤(じゆはうばん)なく、嚢中(のうちゆう)日日(ひび)に空乏(くうぼう)して刀自(とじ)の笑顔(せうがん)漸〃(ぜん/\)に変ず。

国(くに)なる小太郎(こたろう)が父親(ふしん)、男児(せがれ)が都(みやこ)にありて行跡(かうせき)つゝしまずと聞(きき)て書(しよ)をよせて呼(よび)回(かへ)せども、月(つき)の半(なかば)の末(すへ)と延(のび)〓(のがれ)て帰心(きしん)なし。

後(のち)は父(ちち)の怒(いか)りはなはだしと聞(き)程(ほど)に、愈(いよ/\)恐(おそ)れて愈(いよ/\)かへらず。

昔より利(り)を以(もつ)て交(まじはる)ものは利(り)尽(つきて)疎(うと)く利(り)足(たり)て変(へん)ず。

男女(だんじよ)の真情(しんじやう)は懐(ふところ)の冷(ひやゝか)なるにつけて心(こころ)の裡(うち)いよ/\熱(ねつ)する習(ならい)

ひ、刀自(とじ)白妙(しろたえ)に知恵(ちえ)つけて他(かれ)を (お)ひ遠(とを)ざけんとすれども、只(ただ)耳(みみ)つぶしてあれば、今(いま)は直(ただち)に小太郎(こたろう)に対(たい)種〃(しゆ/\)無興(ぶけう)をいひ、他(ほか)が怒(おこ)りて出去(いでさ)らん事(こと)を催(もやう)せども、性得温柔(しやうとくをんじう)の人(ひと)いよ/\詞(ことば)やはらかに激(げき)するさまなければ、只(ただ)ひたすら白妙(しろたへ)をのゝしりて、「我(わが)輩(ともがら)の衣食(いしよく)は客(きやく)に喫(くら)ひ、東窓(とうさう)に旧(ふるき)を送(おく)り西軒(せいけん)に新(あたらし)きを迎(むか)ふ。

彼(かの)人(ひと)こゝに来(きた)りて一(ひと)とせに余(あまり)り、新客(にいきやく)はもとより知音(ちゐん)も路(みち)断(たへ)て、わが家(いえ)に鍾馗(しやうき)あれば一匹(いつぴき)の小鬼(こをに)もより来(きた)らず。

少女等(せうじよら)は年(とし)足(た)らず、一家(いつか)の人口水(ひとかずすい)もまた飽(あ)くに足(た)らず」。

白妙(しろたへ)いふ、「此(この)門戸(いへがら)の作業(さげう)尼公(にこう)の言(ことば)をまたず、わらは知(し)る所(ところ)なり。

彼人初より空手(くうしゆ)にあらず。

大銭を費(ついや)して方纔(はじめて)かくのごとし。

今忽(たちまち)に無情(むじやう)の言ばを出しがたし。

さなきだに我輩(わがともがら)をかだましく人のいふなるものを」。

戸自(とじ)云、「わ君心よわく彼(かれ)を追出すてだてをなさゞる時は我家の衣食何によりて得ん。

今はたゞ此貧客(ひんきやく)に談(だん)じ計(はか)り、他器量(かれきりやう)あらば幾貫幾匹(いくはんいくひき)を納(いれ)させ、和君(わぎみ)波に跟(したがひ)て出行(いでゆく)べし。

我外(われほか)に長となすべき女児(むすめ)を討(もとめ)て過活(すぎはい)とせん。

他(かれ)其(その)器量(きりよう)なくばわ君いかに思ふとも空(むだ)ごとなり」。

「我老(わがらう)短見(いきみじか)に言葉な出しそ。彼人(かのひと)今窮(わびし)けれども本国に家あり。

幾貫(いくくはん)を弁(べん)じ来らば其時苦悔(くゆ)とも甲斐(かい)なからん」。

刀自兼(とじかね)て小太郎が衣服太刀(いふくたち)かたなまで売りつくし質(ち)となしてすこしの物なく、本国は不通(ふつう)なるを従者(ずさ)どもに聞つれば、彼(かれ)がわきまへ得ざるをしりながら、「わ君(ぎみ)が身の価相当(あたふさうとう)の数(かず)あらば我に二念なし」

といふ。

妙(たえ)顔そむけて、「彼が手に物なきをしりつゝもわらはゝ説(とき)がたし。

尼公直(にこうじき)に説(とき)て端的(たんてき)をしり玉へかし」

「我是を説(とく)に何のためらひあらん」

と、後剋二人が向(むか)ひ居たる席にて此事を説(いゝ)いだすより、小太郎赤面(せきめん)して答(こたふ)る所をしらず。

白妙も傍(かたはら)につそらむね病(やみ)てありしが、「いかに尼公ただ其数(かず)を説玉へ」

といふ。

刀自心に算計(つもりはかりて)て云、「長(ちよう)の齢(よわひ)時過たれども尚勺薬(しやくやく)の色あり。

別人(べつじん)ならば〓弐百疋を求むべし。

此殿(との)いま乏(とぼ)しき時節なれば百疋を求む。

それも三日を限(かぎり)て左手(ひだりて)に価(あたひ)を取(とり)、右手(みぎて)に人をわたさん。

三日過なば我家に来り玉ふなよ」。

小太郎黙念(もくねん)として言を出さず。

白妙取言(とりごと)して云、「かゝる限(かぎ)りの近くては争(いかでか)なし来らん。

十日の限(かぎり)を延(のべ)て約(やく)をなし玉へ」。

刀自思ふに此窮人(きゆうにん)百日を限(かぎ)るともなんの銭(ぜに)を得べき。

日を延して銭を得(え)ずんば尚恥(なをはぢ)る所ふかく、鉄皮(てつぴ)に面(おもて)をつゝむともよく我家に来らんや。

日数経(へ)ば女も新人(しんじん)有つてかれにうとくなるべしと限(かぎり)をゆるくして、「左あらば十日をかぎり弁(べん)じ得ずんばかたく我家に入ることをゆるさず」。

白妙小太郎が方(かた)を見やりて、「此殿(との)其価(あたひ)を弁(べん)じ来るとも恐(おそ)らくは尼公違変(にこういへん)あらん」。

刀自百匹ならばと心にゆるして、「老(おい)が身(み)六十に近く日夜繍仏(にちやしうぶつ)に長斎(ちやうさい)す。

いかんぞ信(しん)を背(そむか)ん」。

小太郎心にたのみなけれど、成双(なりつら)に恥(はぢ)をすてゝ請借(こひから)ば弁(べん)ぜぬ事あらじ。

若(もし)銀をかり来(きたり)て約(やく)に変(へん)あらば、成つらいよ/\我を笑はんと詰(なじり)て云、「恐らくはわ我をあざむき、銭を弁じ来るとも空(むだ)ごとならん」。

刀自、「さあらば執照(しるし)を参らせん」と、老気(らうき)を張(はつ)て十日限りの契約(けいやく)をうつしあたゆ。

小太郎是を取てしぶ/\立いづれど、いかんぞ極(きはめ)て弁ずべき。

別(わか)るゝに臨(のぞみ)て白妙云、「五日過なば事のやうを必ず聞(きか)せ玉へ。

我に腹黒(はらぐろ)きことはなき物を」と、いふことばの耳にのこりて京に行(ゆき)、岸(きし)の惣官が寓居(ぐうきよ)のいたり、辞(ことば)をさげて身価(みのしろ)のことをはかる。

成双(なりつら)誠あるおのこなれども、小太郎が浮華(うはき)多きを見て心得ず。

「江口の白妙は名出(ないで)妓女なり。

いかんぞ絹(きぬ)百疋にゆるさんや。

これ華費(むだずかひ)の財(かね)をからん偽(いつはり)なり」と思ひて、たゞ

「当時(たうじ)乏(とぼ)しい」とこたへて、尚(なお)「人にも求(もと)めおゝせん」とて酒くみもてなしかへしぬ。

其より外に計(はか)るべき人もなければ江口にかへり、あらぬ人の家にとゞまりて五六日にいたる。

白妙(しろたへ)此よしをさぐり聞て、「日数の内くるしからず、来り玉へ」と、恥(はぢ)て来(きた)らじとするを人(ひと)してせちに迎(むか)へ、「弁ずべき物はいかゞ」と問ふ。

小太郎眼睚(まぶち)に涙(なみだ)をたゝへて、「世の人薄情(はくじよう)いまだ弁じ得ず」。

妙(たへ)云、「さもあるべし、かなしきことかな。

今夕(こんせき)共(とも)に其(その)事を計(はか)るべし」と、刀自には事半(なか)ば調(ととのひ)たりと披露して、二人酒うちのみて小太郎を慰(なぐさ)め、「扨実(じつ)に少しの弁ずきなきや。

或(あるい)は是をよき別れの時至(いた)ると思(おぼ)して、人にもはか%\しく求(もと)め玉(たま)はざるか。」

小太郎(こたろう)涙(なみだ)を落(おと)し、「山崎(やまざき)の筑紫(つくし)の津(つ)に家(いへ)ふるき好(よし)みあれども、有(あり)にかひなき棹子(ふなご)なり。

それをよそにしては成(なり)つら一人(ひとり)をこそたのみつるにかくなんいゝし」とかたる。

其夜(そのよ)はいとわびしげにて臥(ふし)ぬ。

暁天(げうてん)にいたりて白妙(しろたへ)小太郎(こたろう)をゆりさまし、我頭(わがかしら)に鋪(しく)ところの枕(まくら)を取(と)て他(かれ)にあたへて、「此絮(このわた)の内(うち)に幾両(いくりやう)の砂金(しやきん)をつつみかくす。

是(これ)わらはが年月(としつき)集(あつむ)る所(ところ)、殿持去(とのもちゆき)て絹(きぬ)に当(あて)なば半(なかば)の用(よう)にあたらん。

其(その)余(よ)は随分(ずいぶん)岸殿(きしどの)に求(もと)め数(かず)に充(みて)て、限(かぎ)りの日(ひ)をあやまらず来(きた)り玉(たま)へ。」

小太郎(こたろう)悦(よろこび)て枕(まくら)をつゝみ都(みやこ)に行(ゆき)、成双(なるつら)に対(たい)して此(この)やうをかたり枕(まくら)を解(とき)たるに、絮(わた)のうちにかくせる砂金(しやきん)算(かぞ)へ計(はか)るに五六十(ごろくじゆう)疋(ひき)の当(あて)あり。

成双(なりつら)いふ、「花柳(くはりう)に遊(あそ)ぶもの、趣(おもむき)を得(え)て早(はや)く身(み)を抜(ぬく)といふこと嫖経(ひやうきやう)の聖言(せいげん)なり。

然(しか)れども好色(こうしよく)の腸(はらわた)は別(べつ)にして俊傑(しゆんけつ)も改(あらたむ)ることあたはず。

幸(さいはい)に此妓(このぎ)実情(じつじよう)あり、足下(そこ)をあざむくものならず。

我(われ)一臂(いつぴ)の力(ちから)を助(たす)けん」と、とかくして百疋(ひやくひき)の価(あたい)を弁(べん)じあたへ、砂金(しやきん)は雑事(ざつじ)の費用(ひよう)あらんと其(その)まゝに返(かへ)し、「吾(われ)足下(そこ)の惰弱(だじやく)なるは厭(いと)はしく思(おも)へども、実(じつ)に是(これ)白妙(しろたへ)が情(こゝろ)の憐(あはれ)むべきが為(ため)なり」。

小太郎(こたろう)成双(なりつら)に謝(しや)して江口(えぐち)にかへり、白妙(しろたへ)に逢(あい)て「物(もの)調(ととのひ)ぬ」といふ。

妙(たへ)聞(きき)て、「先日(せんじつ)一銭(いつせん)も調(ととのは)ざるに今日(きよう)如何(いかん)ぞ全(まつた)き数(かず)とゝのひたる」。

小太郎(こたろう)成双(なりつら)が言葉のしだひをかたる。

白妙(しろたへ)合掌善(てをあわせよろこび)て云(いう)、「我(われ)二人(ふたり)の願(ねがい)を遂(とげ)しむるは岸君(きしぎみ)の力(ちから)なり」

と深(ふか)く其(その)志(こころざし)を感(かん)ず。

其日(そのひ)なを日数(につすう)の九日(ここのか)なれば心(こころ)ゆるく妙(たへ)が房(つぼね)に宿(やど)す。

妙(たへ)云(いう)、「此(この)身価(みのしろ)交易(とりわたし)するやいな即時(じ)に殿(との)に従(つき)てこゝを去(さる)べし。

出舟(でふね)のそなへをなし、彼(かの)砂金(さきん)を南〓(なんてい)に換(かへ)て行費(かうひ)とし玉(たま)へ」など、此(この)ほどの心(こころ)もだへゆりて寝(いね)ける程(ほど)に明朝(みようちよう)いたう失曉(をきわすれ)てけり。

日(ひ)高(たか)きに起(おき)て朝(あさ)もよひする所(ところ)へ、刀自(とじ)来(きた)りて、「今日(きよう)限(かぎり)の十日(とうか)なり、約(やく)せし事(こと)いかん」。

小太郎(こたろう)弁(べん)じ得(え)たりと、「〓(かとり)百〓の当(あて)に花(はな)降銀(ふりぎん)二十枚(にじゆうまい)即(すなわ)ちここにあり」と取出(とりだ)す。

刀自(とじ)小太郎(こたろう)が銀(ぎん)あるを見(み)て今(いま)さら悔(くや)める気色(けしき)なり。

時(とき)に白妙(しろたえ)云(いう)、「我(われ)此家(このいえ)に来(き)て十年(じゆうねん)、生活(よわたり)によつて致(いたり)せし金銭(きんせん)幾千(いくせん)にのぼる。

今日(きよう)我身(わがみ)の従良(かたづき)するは悦(よろこ)び玉(たま)ふべきなるに、親口数(くちづからかず)をきはめて今(いま)其数(そのかず)のごとし。

尼公(あまぎみ)もし信(しん)を失(うしな)はゞ殿(との)此(この)銀(しろがね)持(も)てまかで玉(たま)へ。

我(われ)も目前(もくぜん)に水(みず)に入(はい)りて、人(ひと)と財(ざい)と二(ふた)つながら失(うしな)ひ玉(たま)はん」と、日此(ひごろ)に似(に)ぬ〓言(えんげん)を聞(きき)て刀自(とじ)半〓(しばらく)詞(ことば)なかりしが、「よし/\事(こと)すでにこゝにいたる。

わぎみ去(ゆく)ならばゆけ。

平日(へいじつ)の衣服(いふく)調度(ちやうど)此(この)房(へや)にある物(もの)、一(ひと)つも念(ねん)とすることなかれ」と、口(くち)に答(こた)ふべきなく憤(ふずく)みいかり、小太郎(こたろう)白妙(しろたえ)を房(へや)のそとへ推出(をしだ)し、鎖(とざし)を下(おろ)す音(おと)高(たか)く詞(ことば)をもかわさず厨後(ちうご)に行(いき)ぬ。

此時(このとき)九月(くがつ)のはじめ、白妙(しろたえ)起(お)きてよりいまだ梳洗(そせん)せず。

〓衣(ふるぎ)のまゝにてあきれながら尼公(にこう)の背後(うしろかげ)を拝(おがみ)て、「年月(としつき)の撫養(ぶやう)のうへ此一身(このいつしん)を賜(たまは)らば外(ほか)に何(なん)の望(のぞみ)あらんや。

我(われ)平生(へいぜい)心(こころ)しりの姉妹(あねいもうと)あり。

かしこにて事(こと)をはからん」と、小太郎(こたろう)と共(とも)に其家(そのいえ)を出(で)、川下(かわしも)の小雪(こゆき)が家(いえ)に行(いき)て、「名残(なごり)惜(をし)まん為(ため)に来(きたり)たり」といふ。

白妙(しろたえ)が寝衣(いぬるきぬ)のまゝ髪(かみ)も梳(くし)せぬ見(み)て小雪(こゆき)大(おおい)に驚(おどろ)き、「いかにやいかに」といふ。

白妙(しろたえ)我(われ)刀自(とじ)の怒(いかり)つよき動作(ふるまい)をかたり、やをら梳先(そせん)(ときみがき)おわれば、小雪(こゆき)小袖を取出し白妙にあたへ、二人をかたり慰(なぐさ)め其夜は其所に宿せしむ。

妙こそ田舎人(いなかふど)に具すると聞て、里にある程の諸妓(しよぎ)悉(こと%\く)来て、吉々利々(きゝりゝ)栄耀(ゐやう)など歌(うた)ひ舞(ま)ひ各(おの/\)芸(げい)を尽(つく)し酔(ゑひ)をすゝめ、「妙ごぜ風流(ふうりう)の領袖(つかさ)、従良(かたづき)に其人を得玉へり」と寿(ことぶき)きこゆ。

小雪云、「二人此(こゝ)を去て進退(しんたい)の心得(こゝろゑ)定(さだま)るやいなや」。

小太郎云、「老父(らうふ)近日(ちかごろ)いかりつよく、今又妓(うたひめ)を娶(めと)り帰(かへ)ると聞(きか)ばなんらの様態(やうだい)をかなさん。

是(この)ゆへに尚(なを)万全(ばんぜん)の計(はかりごと)を得ず」。

小雪云、「父子(ふし)は天性(てんせい)、豈(あに)能(よく)終(つい)に絶(たつ)べきや。

今倉卒(さうそつ)に其顔(かんばせ)を犯(をか)しがたし。

古郷(こけう)近き所に浮居(かりずみ)して、殿一人先(まづ)かへりてしたしき友に求め、父君(ちゝぎみ)のゆるしを得て後(のち)妙ごぜを迎(むか)へ玉はゞ事安(やす)からん」。

白妙聞て、「我口(わがくち)よりはいゝ出がたきによくぞや」とうれしげなり。

扨(さて)しもこゝに久しくあらば室(むろ)の木に聞(きこえ)て何とかはらあしくのゝしらん。

とかくする程に夜も明ぬれば従者(ずさ)楫(かぢ)取「早去(はやさり)なん」と騒(さはぐ)に、小太郎諸(もろ)とも船に移(うつ)る。

明月(めいげつ)・雲井(くもい)其外の妓女(ぎじよ)も皆船ばたに手をかけ水に臨(のぞ)んで別(わかれ)をなす。

小雪手づから一つの提厨(さげばこ)を贈(おく)り来り、「二人国に帰り玉へども安身(あんしん)の期(ご)定(さだめ)がたし。

長途(ちやうど)のつれ%\を慰(なぐさむ)る、画軸(ゑまき)・競香(くらべかう)・翫弄(もてあそび)種々(しな%\)、是此里(このさと)衆(をゝくの)姉妹(あねいもうと)の餞(はなむけ)の物此中(このうち)に収(おさ)めおく所なり」。

白妙(しろたへ)是を受て謝辞(しやじ)ねんごろに申聞へ、「此所の君達(きみたち)はわれも人も皆さそふ水にまかせるならひ、わが身はわきてかゝる田舎(いなか)にゆけば、又あふべきと思ふも期(ご)しがたく、これをかぎりの別れともならん。

いづれの君も身のいたわりなく、千(ち)とせのせんざいかわらでたのもしげある世をしめ玉(たま)へ」と、此(この)涙(なみだ)こそいつわりならず。

わかれかねたる出船(いでふね)を、もそろ/\とこぎ出(だ)す。

去(ゆく)も留(とゞま)るも浮(う)れめの定(さだ)めなき身(み)ぞかこたれけらし。

 かくて二人(ふたり)は大物(だいもつ)にいたり築紫(つくし)の便船(びんせん)を求(もと)め、所々(ところどころ)に風(かぜ)を候(まち)て船中(せんちゆう)の九日(こゝぬか)菊(きく)もなければ、妙(たへ)が戯(たはぶれ)に一枝(いつし)を画(ゑがき)て其上(そのうえ)に賛(さん)の詞(ことば)さへ男(おとこ)と見(み)ゆ。

 解印帰来欲臥家(ゐんをときかへりきたつていへにふさんとほつす)

 東籬無菊首堪爬(とうりきくなくかうべかくにたへたり)

 丁寧莫索塵中種(ていねいにもとむることなかれぢんちうのしゆ)

 恐是路傍媚客花(をそらくはこれろばうかくにこびしはな)

安方(やすかた)見(み)るに墨(すみ)がきの霜葉奇(さうえふき)にして白菊(しらぎく)とやいはん。

「汝(なんぢ)自(みずか)ら謙(けん)して其(その)語画菊(ごゑきく)に及(およ)ばず。

我(われ)是(これ)を添(そへ)ん」とて、 船(ふね)の上(うえ)にともなふけふのかひに見(み)る筆(ふで)の露(つゆ)おく妙(たへ)の白菊(しらぎく)

妙(たへ)吟(ぎん)じて、「筆(ふで)の露(つゆ)いかに珍(めず)らしくや。

すがたさへ御製(ぎよせい)めきたり」と笑(わら)ふ。

日数(ひかず)経(へ)て周防(すはう)の室積(むろづみ)にいたり船(ふね)を下(を)り、「此(この)地(ち)こそ古里(ふるさと)の便宜(びんぎ)なれ」と風景(ふうけい)ある所(ところ)に寓居(ぐうきよ)を点(てん)じて、箱崎(はこさき)の親(した)しき方(かた)にひそかにつげやりて、親(おや)の気色(けしき)をもうかゞひ聞(きか)せ、晴(はれ)たる日(ひ)には程近(ほどちか)きに遊行(いうかう)し、雨(あめ)の日(ひ)はこもりゐて酒(さけ)のみかたるほどにすこしは我家(わがや)のこゝちしけり。

 こゝに人(ひと)あり。

江口(えぐち)の西(にし)なる柴(くにぎ)の島(しま)に柴江酒部輔原縄(しばえさかべのすけもとつな)とて由緒(ゆいしよ)ある浪人(らうにん)、何(なん)の生業(せいぎよう)にか此(この)室積(むろづみ)に数日客寓(たびやどり)しけるが、人家(じんか)の内(うち)より白妙(しらたえ)が男(おとこ)につれ徘徊(はいくわい)するを見(み)て、元(もと)より旧嫖(きうひやう)の因(ちなみ)ありて、里(さと)にある時(とき)は路(みち)の柳(やなぎ)いつも折(おる)べく思(おも)ひしに、今人(いまひと)に具(ぐ)せられ此(この)田舎(いなか)に下(くだ)りしを見(み)て、俄(にはか)になつかしく本意(ほんい)なく、跡(あと)を見(み)とめさするに其所(そのところ)まぎるべくもあらず。

柴江(しばえ)いかにもして白妙(しろたえ)にたより身(み)の上(うえ)をも聞(きか)まほしく、朝夕(あさゆう)に心(こころ)をつけて其所(そのところ)を立もとふるに、白妙(しろたえ)がやどりより出来(いできた)る人こそあれ。

柴江(しばえ)是(これ)を呼(よび)とゞめて、「申べきことあり」と我(わが)知(し)りたる人家(じんか)にいざなひ、「あれなる夫婦(ふうふ)の人は足下(そこ)の為にいかなるひとぞ」。

「彼者(かのもの)は小人(しようじん)が従兄(いとこ)に侍(はべ)る」。

「左あらば用心(ようじん)の為(ため)申(もうす)なり。

彼(かの)若(わか)き人あやまてる人(ひと)とは見へねども、此際(このあいだ)海賊(かいぞく)のかくれすむ多きとて、我も公(をゝやけ)の命(めい)を受ひそかに此所(このところ)にあつて、海賊をさぐり捕(とら)えんが為なり。

若き人其心して住(すみ)玉はずば、あやしめられ玉はん笑止(しようし)さに申なり」とつき%\しくいへば、此男堅固(けんご)の田舎人(いなかふど)にて頭(かしら)を叩(たゝき)て悦び、「懇志(こんし)を賜(たまは)り如何(いかん)が謝(しや)し奉らん。

彼(かの)若きものは豊前(ぶぜん)にて郡領(ぐんりよう)が一子(いつし)候が、召具(めしぐ)せる売女(ばいじよ)だに決絶(けつぜつ)なさば家督(かとく)をも連続させなんを、国(くに)なる親は一生対面(たいめん)せなくと勃恚(ぼつけい)せるに、小人も当津(たうつ)に参着(さんちやく)し問答(もんだふ)数日に及ぶ。

肝(きも)の細(ほそ)き生得(しやうとく)ゆへ承納(しやうのう)せるかと見へても決断(けつだん)なし。

何とかかまへて女を棄却(あだけ)させ、独身(どくしん)にて帯携(ともない)いたし、父の不興(ふけう)を調(とゝの)へ得させたき」と涙(なみだ)を落し底(そこ)を傾(かたぶけ)て語る。

柴江仮意に感じほめて、「親族(しんぞく)を思ふこと深切(しんせつ)なる主(ぬし)かな。

女の寄所(よりどころ)はおのれ身に負(おひ)て計(はから)はゞ、我門葉(もんえふ)の内にも妻を授(とら)せるものあれば、いかにもよきよすがさだまらん。

我にゆだねてさはりなくば露(つゆ)こゝろをき玉ふな。

此事は内意(い)なれば二人に深(ふか)くつゝみ玉へ」と、柴江が旅店(りよてん)をもかたりて別れぬ。

此人は和多の為重(ためかず)とて安方が母かたの一族(いちぞく)なり。

柴江が頼もしくかたり女の授(さづ)け所まではかり聞へけるに一つの力を得て、猶も柴江に問はかり、一夜小太郎を我旅帝(りよてい)にいざなひ来り、「いかにもして此事を転(てん)じ玉はずんば、箱崎(はこざき)の家も血脈(けつみやく)たへ不孝御身一人に帰(き)すべし。

尊大人(そんたいじん)平生厳重(げんぢう)なる人にて、貴方(きはう)の都にて遊興(いうけう)に耽(ふけ)ると聞さへも愛(あい)を絶(たつ)べき所存(しよぞん)なれば、今女を具して所ゝ漂流(たゞよふ)と聞なば打斬(うちきつ)ても捨(すつ)べく思さん。

一族親友多(いちぞくしんゆうおゝし)といへども、当時(たうじ)、家勢(かせい)盛(さかん)なれば一人として尊大人(そんたいじん)の意(い)を迎(むか)へざるはなし。

誰(たれ)か賢兄(けんけい)の為に袒(かたぬぎ・みかた)をせらん。

たとへ詞(ことば)を出す人ありとも、尊父(そんぷ)のいかりを見ては、却(かへつ)て其人も賢兄をそしりて退(しりぞ)く事なり。

さあれば家業(かげう)を他門の子にゆずりて、賢兄一生故郷に帰去来(かへんなん)ことかたく、いつはてしなき旅宿(りよしゆく)のたゝずまひ、長久の計(はかりごと)にか。

貯(たくはへ)を空(なく)なし糧(かて)つくるにいたつて進退(しんたい)いかにせらんな」。

小太郎此時手中(てのうち)の物大半費(たいはんついや)し、行すへいかゞと思ふ折からなれば、覚へず点頭(うなづき)て悔(くや)めるさまなり。

為かず又いふ、「そも/\婦人は水性丸(すいしやうまろ)くも角(かど)にもなり、況(いはん)や娼家(しようか)の女ばら真情(まこと)も一時(いちじ)なり仮意(うそ)も一時なり。

彼の高名(かのかうめい)の妓女相識(ぎじよちなみ)の人天下に幾(いく)ばく、或は西国にねくろ男ありて、賢兄(けんけい)を仮(かり)にちなみ契帯(つれられ)きたり、余人(よじん)に行(ゆく)地歩(あしば)とせるも知るべくや。

今また、かゝる尤(けやけ)き婦人を人に托(あつら)へ独居(ひとりずみ)にあらせ、賢兄ばかり家にかへりうしろめたく時を待とも、軽薄(けいはく)の子弟世上(わかものせじやう)に多し。

俊〓(かしこだて)を売弄(ふけらか)して心の閉(とざし)をゆるがせ、言を諾(かしこま)り求めに便りし操(みさを)を〓(たはめ)て折(をら)んとし、墻(かき)をこへ隙(ひま)を埃(くゞり)て必(かなら)ず事を仕出(しで)かさん。

色にたわれて家をすて親を離(はな)る浮浪不義(ふらうふぎ)の人は天地の間に立(たち)がきたぞ。

熟〃(つら/\)思ひたどりて善心に回(かへら)と詞を尽(つく)し説(とく)程に、元よりすなをなる小太郎、理の当然(とうぜん)に伏(ふく)し自失(われをわすれ)てひざをよせ、「是我(これわが)不義なるのみか拙(つたな)きに出たり。

今是を免(まぬが)れん計(はかりごと)はいかに」ととふ。

「外に計なし。女を他(た)に適(ゆか)しめ独身にして帰られなば、おのれ尊父の怒(いかり)をも申しなだめ、無(なく)せし太刀鞍(たちくら)もあがひもどし、女が身もよき計(はから)ひあらん」。

小太郎思ひ切たる顔色(がんしよく)にて、「女と是まで昵(ちな)みしこと世の常の間(あいだ)ならねば頓(とみ)に離(はな)るゝ事かたるべし。

少しく其端(はし)を開(ひら)きて彼が有さまを見るべし」と、海山(うみやま)の思ひを胸にたゝへて、足なみも覚へず寓(やどり)にかへりぬ。

古今奇談繁野話第五巻(ここんきだんしげ/\やわだいごのまき)上 終

古今奇談繁野話第五巻(ここんきだんしげ/\やわだいごのまき)下

江口の下

〓〓(せふよ)が恨みは更なり。

人を待つを常とする女の身こそつらしな。

増(まし)て心細き旅の宿り、白妙(しろたえ)は小太郎が帰り遅(おそ)きに心下(をり)せず。

酒を盪(あたゝめて)待つ処へ、やをら帰り来て、其顔色(がんしよく)楽(たのし)まず。

酒をも飲まず枕につく。

白妙寄添(よりそふ)て「何ゆへにや」と問(と)へども、長き息(いき)をつぎて語らず、只睡入(ねいり)にもだへ臥す。

白妙心ゆりせず、其動静(ありさま)に心をつけて寝(いね)ず。

中夜(ちうや)にいたりて、「今夜和田殿(わだどの)と何をか争(あらそ)ひ玉ふ」と問へば、小太郎被(ふすま)を擁(いだき)てきと起(おき)、言(いは)んとして言ざること幾度(いくたび)、泪腮(なみだあぎと)につたひながれ声を内に飲(のみ)て胸をさする。

白妙いよ/\驚(おどろ)き、小太郎をわが膝(ひざ)に抱(いだき)て言(こと)を軟(やわらか)のして云、「仮初(かりそめ)に馴(なれ)て二年(ふたとせ)の程は久しきにあらねども、千辛万苦(せんしんばんく)をなめてこゝにいてり、火にも水にもなりてしたがひ奉らんと心をつくす殿の身の上に悲傷(かなしみ)ありて、いかでしらずして過(すぐ)さんや」。

小太郎声をふるはし、「逢ひ見しより我を心に卓(しめ)て今日(こんにち)に至(いた)までの情(なさけ)わするべきにあらず。

我反復(かへす%\)これを思ふに、親なるもの厳威(げんい)にして物を容(いれ)ず。

〓(なんじ)を具(ぐ)してあらば不興(ふけう)ゆるす時なく、我と〓(なんじ)と流落(りうらく)して夫婦の偶(あいだ)も保ちがたく父子の義(ぎ)も絶(たへ)はてぬべし。

今夜(こんや)為かず我を責(せむ)ること理の答(こたふ)べきなく寸心剖(すんしんさく)が如し」。

白妙聞て一桶(ひとおけ)の水を頭(かしら)よりそゝぐが如く、「左(さ)あらば殿の心いかん」。

「我と汝との間に髪(はつ)を入(いる)べきすきまなければ局(きよく)にあたつて手の打べきをしらず。

為かず我が為に一計(いつけい)をなす。

たゞ汝(なんじ)従(したが)ふまじきことを恐(をそ)る。」

白妙云、「心得(へ)ぬことかな。

好(よき)はかり事ならば何の従はざることあらん」。

小太郎云、「為かず兼て此(この)計(はかりごと)をなさん為(ため)汝の身を安(やす)んずべき縁(ゑにし)を求るに、津国(つのくに)の人汝を引具(ぐ)して身のよせ所あらしめ、其謝礼(しやれい)として都のはれに持参したる、家伝(かでん)の太刀刀烈祖勇武(たちかたなれつそゆうぶ)の宝鞍(ほうあん)、銭(ぜに)にあてたる品々還(かへ)り来るべしと云。

我それを持(もち)て国にかへり、老父(らうふ)其遺失(いしつ)なきを見ば不興(ふけう)もゆるすべくやと計(はから)ひ設(もふけ)たり。

左あれば汝も終身(みのすへ)より所あり。

我も父母に帰(き)すること両便(りやうべん)の計(はから)ひなれども、汝を棄(すつ)ること忍びがたし」

と、かたりもおはらで涙さめ%\下(くだ)す。

白妙懐(いだき)し小太郎を合撲(がば)と押(おし)のけて冷(あざ)み笑(わら)ふこと一声(いつせい)、「思はざりき殿(との)かゝる英雄(ゑいゆう)の魂(たましい)あらんとは。

伝(つたへ)聞(きく)紅(あか)き払(ほつ)もちたる妓女(まひひめ)よく托(たのむ)べき主(ぬし)を知り、韓〓王(かんきわう)を卒伍(なみ/\)の中(うち)にゑらみむつびし梁夫人(りやうぶじん)は、たれも/\、眼彗(まなこさとし)といふなれど、我輩(わがともがら)のゑらぶ所は多く其堺(さかひ)にあらず。

<106末尾3行欠>

に両便の策(はかりごと)なり。

染色(そめいろ)は濃(こき)より淡(うすき)にゆきがたく、人は深(ふかき)より浅(あさき)にゆきやすし。

いざゝらばいさぎよく此はからひを応承(うけがひ)て此便(たより)を取はづし玉ふな。

但し其太刀鞍(たちくら)する/\殿の手におさまりて後、此身(このみ)別人の許(もと)に行べし。

かならず其人に欺(あざむか)るゝことなかれ。

わらは今日より君と房(ばう)をわかち、行(ゆく)時に臨(のぞ)んで別(わかれ)を取(とり)参らせん」

とすこしもうれはしげなく、其日より端(はし)の家(や)に閉(とじ)こもり人に面(めん)せず、白日(はくじつ)にも灯(とう)を点(てん)じて机(つくへ)により法華(ほつけ)を拝写(はいしや)して悶(もん・もだへ)を遣(や)る。

小太郎は為かずに女のうけがひたるよし告(つげ)て、「快(はや)く事をはかり玉へ」

といふ。

為かずやがて柴江が旅宿に行てなをも頼みきこへ、「官人(くはんにん)の虚言(きよごん)はあらじと存ずれど、彼(かの)太刀馬鞍(くら)衣服の類は急(きう)に落手(らくしゆ)すべきや」

といふ。

柴江心中に笑(ゑみ)て、「心やすかれ、人をだに遣(つか)はゞ早速尋得(たづねゑ)てん」と、即時(そくじ)に奴僕(ぬぼく)に好(よく)あつらへて津の国へやりぬ。

廿日ばかりの後、「其物(そのもの)皆さぐり得たり」

と返り聞(きこ)ゆ。

為かず来りて小太郎に

「重宝は到来(たうらい)せり」

といふ。

小太郎窓(まど)の外(そと)より

「其物調(とゝのひ)たり」

とおとづるゝ。

白妙此時すでに写(うつ)して譬喩品(ひゆぼん)にいたり、不覚不知不驚不怖(ふかくふちふきやうふふ)の句(く)にあたりて筆(ふで)を閣(さしを)き、「迷(まよ)へば法華(ほつけ)を失(うしな)ひ悟(さと)れば法華を得(う)る。

五字の題名(だいめい)八万の字に準(なぞら)ふ。

苦(ねんごろ)になんぞ全部(ぜんぶ)を期(ご)せん」

と机上(きじやう)に留(とゞ)め置(をき)、外面(そとも)のありさまをうかゞひ見るに、為かずは万胸(よろづむね)いたげに打しめりてふれまへども、けつく小太郎は面色(めんしよく)悦ばしく、白妙が出るを見て外(ほか)の言はなくて、「かゝれば我も此所に一日もひとりあられんや。

同じ日に帰船(きせん)を促(うなが)さん」と、踊(おど)り走(はし)りて船の説(もふ)けす。

柴江も跡(あと)にて事の変(へん)ぜぬ為に、女を得ば即日(そくじつ)船を出すべき心にて、「明日はおのれも異所(ことどころ)に去(さ)るなれば女を船へ送(をく)られよ」といゝ遣(や)る。

白妙其夜をこめて灯をてらし梳洗(そせん)して、「今日こそ此一生を托(まか)するはじめ世の常(つね)にあらず」と、脂粉香沢(しふんかうたく)こゝろを用て化粧(けさう)の〓か芳(ほり)人を払ひ、光彩(くはうさい)あたりをてらして天仙(てんせん)のごとく、小太郎が乗船(ぜうせん)よせたりと聞て、小太郎に先(さき)だちて船にいたる。

柴江が船も其所によせて数歩(すほ)を隔(へだて)てつなぎたり。

為かず小太郎後(おく)れて浜(はま)に来り、為かずは柴江が船にいたり、小太郎は我船に来りて、白妙に顔を向(ぬけ)かねて背(そむき)ゐたる心の内はいかならん。

思ひきや江(ゑ)口を出る時かゝる時の来らんとは。

興(きよう)移(うつり)り情(じやう)衰(おとろ)へ義(ぎ)折(くじ)け恩(をん)絶(たふ)るにいたりては、行末(ゆくすへ)初(はじめ)に引かへたること世の中に多(をゝ)かんめれ。

為かず来りて、「婦人(ふじん)の匳具(れんぐ)を送り玉へ、それを信(しるし)として謝物(しやもつ)をいたさん」といふ。

白妙身辺(そば)なる描金堤厨(まきゑのさげばこ)を指(さし)て、「わらはが調度(てうど)此余(よ)なし」と、僕(ぼく)に命(めい)じて隣(となり)の船(ふね)に送(おく)らしむ。

柴江すなはち彼(かの)太刀鞍(たちくら)波(ならび)に小太郎が晴着の小袖まで、櫃(ひつ)の蓋(ふた)によそほひ盛(もり)ておくり来る。

小太郎見るに我(わが)重宝に紛(まぎ)れなし。

やがて女が身のうへの去書(さりぶみ)と取替(とりかへ)てげり。

白妙も見覚えある調度(ちやうど)なれども、違(たが)はずやあると小太郎を見やれば、彼(かれ)は只いたゞき/\て善(うれ)しげに見ゆ。

白妙船端(ふなばた)に出て柴江が船をまねき、「やがて其船へ参るべきが、今遣(つかは)したる箱の中に小太郎殿の護身(まもり)の香嚢(かうのう)あり。

これを戻(もど)し度(たく)侍(さぶら)ふ間暫(しばら)くこなたへ」といふ。

柴江すきまよりみるに、白妙が艶麗(えんれい)昔に減(げん)ぜず、尚(なを)も愛敬(あいきやう)づきたるに心あがりして何かためらはん。

従者に命じて箱をおくりやる。

白妙鑰(かぎ)を取出し開(ひら)けば内に抽替(ひきだし)あり。

先(まづ)第一層(だいいつさう)を抽(ひき)出し、内に冊(つゞり)たる草紙(さうし)二品を小太郎に授(さづ)けて、「是は去(さり)にし歌よみの白妙が集(あつめ)たる、古今新集(こきんしんしう)波に八重垣(やへがき)の私抄(しせう)、われに記念(かたみ)にとゞめしを今又殿に奉るなり」。

「其外(ほか)なるは何ぞ」と問ふ。

白妙かぞへて云、「太秦(たいしん)の牛頭香(ごづかう)、亜刺敢(あらかん)の雀脳香(じやくのうかう)、奇南沈水香(きなんぢんすいかう)、数種(すしゆ)。

九華丹(きうくはたん)、絳雪丹(がうせつたん)、紫霊(しれい)、反魂(はんごん)の霊反(れいたん)。

共に是(これ)海上(かいじやう)の仙薬(せんやく)世の珍(ちん)とする所、今留(とゞめ)て益(ゑき)なし」と海中にざぶと投(なげ)入(いれ)たり。

為かずも小太郎もあやしみ驚き、柴江も見やりて目を放(はな)たず。

白妙第二層(そう)を引出し紅(こう)と柴(し)の包袱(つゝみ)を開けば、金条環(きんでうくはん)、八宝(はつぽう)器、珊瑚(さんご)の枝を出せる、瑯〓かんの緒絞(をどめ)に琢(みがき)たる、珠琳〓こん搖(よう)、火珠(くはしゆ)、〓ゑん/\、回〃(ほい/\)の自鳴鈴(じめいれい)方寸の中に時をひゞかせ、地中海(ちちうかい)の金銭亀小合(きんせんきせうがう)の中に游(をよぎ)て好舞(よ

(よくま)ふ。

燕〓くはの安達貝(こやすがい)、扶桑(ふさう)の〓え附子(ぶりこ)、鮓答猴(へいさらばさら)玉の類(たぐい)其数多し。

白妙収(おさめ)て袱紗(ふくさ)におしつゝむかと見れば是も海中に投(なげ)入れたり。

艶(ゑん)なる女の船端(ふなばた)に出てする事なれば、此時岸(きしの)高きに人多く集り見て、「惜(おし)むべし/\」と云も何のゆへかくするともしらず。

白妙下(した)の層(かさね)を引出せば内にまた一重(ひとえ)の〓はこあり。

其中は上等(じようとう)の夜明珠(やめいしゆ)、火斉珠(くはせいしゆ)、剣玉(けんぎよく)、鐙玉(とうぎよく)、通天犀(つうてんさい)、人魚胆(にんぎよたん)、鳳(ほう)〓てん、竜珠(りやうしゆ)、其価(そのあたひ)定(さだ)めがたき種〃(しな%\)なり。

衆人(しゆうじん)見て皆其珍奇(ちんき)を称賛(しようさん)す。

是をも投(なげ)んかと為かず押(おし)へだて、小太郎も熟(つら/\)と見て終身(しうしん)の養(やしな)ひ其設(まふけ)あることを知り大に悔(くや)み、為かずも忙迷(あきれまよ)ふ。

白妙柴江が船に向ひて声高く罵(のゝしつ)て云、「賎妾小太郎殿と里を出るまで容易の事にあらず。

人の愛を貪(むさぼ)り恩(をん)を割(さく)なる仇人(あだびと)、われ死して神(しん)あらば必ず其人を放(はな)つまじ。

その面を見ずといえども今日(こんにち)其有さまを思ふに、芦(あし)もまばらに葉がへすなる茎(くき)の渡(わたり)の辺に、柴江酒部(しばえしかべ)の輔(すけ)といふ人あり。

主(ぬし)づく所領(しよれう)とてもなく何の所徳(しよとく)ありてか家(いえ)栄(さか)へ富て、人の田宅(でんたく)重宝(てうほう)などを質(ち)として利を納(いる)ること年ゝ(とし%)に夥(おびたゞ)し。

時々(より/\)我住(わがすみ)し里へも来り遊ぶことあり。

人はしらずとや思ふ。

此人今公(いまをゝやけ)より求めらるゝ海賊(かいぞく)の張本(ちやうぼん)なる事紛(まぎ)れなし。

国々(くに%\)に所定めず常(つね)に経歴(けいれき)すと聞(きく)なるが、定めて此比(このごろ)此所にや候らん。

此太刀鞍(たちくら)の早く出来るを以て見れば若(もし)其人ならんか。

左(さ)ある所に行て下半世(しもはんせい)のやすき事あらんや。

今小太郎殿志(こゝろざし)定らず。

情(じやう)の方(にさかり)にくじけやすく、行すえとても頼もしげなきこそうらみてもなをうらめしけれ。

里の姉妹(しまい)の贈物(をくりもの)と仮(かり)に申ぬれども、是こそ年来顧(らいかへりみ)の諸君(しよくん)、都鄙(とひ)の客商(かくしやう)の恵(めぐ)み贈(おく)れる百宝(ほう)にて、情人(じやうにん)と終身(すへまで)の生活(やしなひ)とぼしからぬ設(もふけ)なれども、今とゞめて用ゆる所なし。

我(わが)箱の中に玉あれども情人(じやうにん)の眼中(がんちう)に珠(たま)なし。

是皆妾が薄命(はくめい)の展(のび)ざる所。

妾すでに煙花(ながれ)を出ては復(ふたゝ)び旧(きう)を送(おく)り新(しん)を迎(むかふ)るの念なし。

逢ふことのたへば命もたへなんと思ひし初心(しよしん)にかはらで、妾は殿にそむかず殿こそ妾にそむけり」。

衆人の見る所小太郎羞(はじ)入つて涙を流し、白妙にむかひ過(あやまち)を謝(しや)せんとす。

白妙推開(をしひら)きて、「此時にいたりて一旦(いつたん)彼船(かのふね)へ参らで免(のが)るべきやは」と、宝匣(たまのはこ)を抱(いだ)きて船ばたに出、「さらば其船へ参らん」と深きかたに向つて跳(おどり)入たり。

船中急に救(すく)はんとする時白波(しらなみ)〓〃(わきかえり)て影(かげ)もなし。

正(まさ)に是こそ

盛粧躍海目無涙(せいさううみにをどつてめになみだなし) 去処侠魂伍緑珠(さるところけうこんりよくじゆにごす)

此(かく)やいふべき。

傍人(みるひと)皆牙(きば)をかみて小太郎を笑ひのゝしる。

柴江も海賊を言(いゝ)あらはされ心驚き、直(すぐ)に船を出し其所を去り、南海に行んとするに風定らず。

大洲(をゝす)の沖(をき)に船がゝりする所に、兼(かね)て海賊柴江を捜(さぐ)る鎌倉(かまくら)の密使(みつし)、国人(くにふど)を役(ゑき)して船と陸(くが)とに取かこみ、「今の女が指(さし)おしへたる〓頭(へさき)に紅衣(あかきゝぬ)かゝりたる船こそ、召捕(めしとつ)て正(たゞ)せや」と、柴江をはじめ一人も残らず〓(からめ)取りて去りぬ。

彼小太郎は船中にあつて大に恥入り、心地くるはしく見へしがきつと悟(さと)りて思ふに、女が深情(しんじやう)にそむきたるは残念なれども、彼(かれ)は浮花(ふくは)の身のうへ、我も若年の浮気(うき)放蕩(はうとう)、彼は彼が侠(けう・いきちだて)に死し、我はわが〓(さとき)にかへる。

しりて惑(まど)ふは我ばかりかは。

今さら遁世(とんせい)などせばいよ/\人に笑われん。

父の不興(ふけう)を侘(わび)て家にかへるべしと、太刀(たち)刀(かたな)万(よろず)の調度(てうど)、国を出し時のさまにかはらで古郷にかへれば、為かずも小太郎が為に詞(ことば)をつらね、父正方(まさかた)も何とやらん此冬は年の衰(おとろへ)を覚へて、老(をひ)の坂(さか)には騏驥(きき)も〓(なや)み、恋(こひ)の山には孔子(くじ)倒(たをる)べく、男(せがれ)が若きしはざ、一旦(いつたん)のいかり解(とく)るのみか上国(かみがた)の人になれて俗情(ぞくじやう)に疏(うと)からぬを悦び、やがて家務(かむ)をゆづり司(つかさ)を知らしむ。

〓岸(きし)の惣官(さうくはん)成双(なりつら)は、小太郎が其後信(たよ)りなきをいかゞと思ふ内、我も国に帰るの期(とき)きたりて大物(だいもつ)の岸(きし)に船に移りたるに、さし添(ぞへ)の少刀(せうたう)を水に落したり。

小物(せうぶつ)なれども家の伝来(でんらい)、取あげて得させよと漁人(ぎよじん)をやとひ〓(かづか)せけるに、さし添の外に一つの箱を取り上げ、是倶(とも)に此殿の落せし物なりと思いてさゝげたり。

成双いかなるぞと開らき見れば、皆夜光珠(やくはうしゆ)の類にして、一角魚胆鳳〓竜珠名(いつかくぎよたんほうてんりやうしゆな)をしるす所皆無価珍宝(あたひしれぬちんぽう)なり。

彼魚人(かのぎよじん)褒美(ほうび)の酒に酔(ゑひ)て、成りつらが前に額(ぬか)づき、其様(さま)女の動作(ふるまい)し、「我は江口の白妙也」とて、小太郎が始終(しじう)を遂(よげ)ざると柴江が悪心をかたり、「むかし我小太郎殿の心を見ん為に半金(なかばのかね)を求めしめたるに、君わらはが真情(しんじやう)をさとりて速(すみやか)に其数(かず)をそなへて事成就(じやうじゆ)せしめたり。

此恩を謝(しや)せん為いま漁人に托(たく)して百宝(ひやくほう)を致(いた)す。

聊(いさゝか)美意(びゐ)に酬(むく)ゆ」とかたりて跡(あと)は詞(ことば)つゞかず、女の様体(やうだい)なく他事(たじ)をなん酔言(すいげん)しける。

成双(なりつら)白妙が霊(れい)なることを知て宝貨(はうくは)をうけ収(をさ)め、水陸(すいりく)を設(もふ)け供養(くやう)して幽魂(いうこん)を慰(い)しける。

痴(ち)ならざれば情(じよう)にあらず死(しせ)ざれば侠(けふ)にあらずとは情義(じやうぎ)を鼓吹(こすい)するのことば、両人が身によく当れり。世の風月(ふうげつ)に遊ぶもの此一篇(いつぺん)を看破(みひらき)て、情(じよう)のある所興(けう)のとゞまる所を知らば、人の笑ひを〓(ひか)ぬ戒(いましめ)とも成なんかし。

 九、宇佐美宇津宮遊船(うさみうつのみやいうせん)を飾(かざつ)て敵(てき)を討(うつ)話

南朝中務親王(なかつかさしんわう)の御子(みこ)兵部卿(ひやうぶきやう)尹良(ただよし)親王は、遠州(ゑんしう)にて御誕生(たんじやう)あり。

後に吉野へ参り玉ひて元中三年(げんちうさんねん)大将軍(だいしやうぐん)を賜(たま)り、応永四年(をうえいよねん)新田(につた)・原田(はらだ)・桃井(もものい)其外(そのほか)の宮方(みやかた)相議(あいぎ)して上野国(かうづけのくに)に迎(むか)へ奉(たてまつ)り、岡本(おかもと)・山川十一家(やまかはとういちけ)の人々(ひとびと)共奉(ぐぶ)し、駿河国富士(するがのくにふじ)が谷田貫次郎(たにたぬきじろう)が館(たち)に入(いら)せられ、よつて宇津(うつ)の親王(しんのう)と呼(よび)奉(たてまつ)る。

此(この)田貫(たぬき)が女子(むすめ)は新田義助(につたよしすけ)の妻室(さいしつ)なりしかば、其(その)好(よし)みによるうへ、富士十二郷(ふじじゆうにがう)の諸士脇屋殿(しよしわきやどの)の旧好(きうかう)を存(ぞん)じて味方(みかた)に参(まい)り守護(しゆご)し奉(たてまつ)る。

同(どう)五年(ごねん)甲州(かふしう)武田右馬助(たけだうまのすけ)館(たち)に入(い)らせ玉(たま)ひ、それより上州寺尾(じやうしうてらお)の城(しろ)に移(うつ)り玉(たま)ふ。

其間(そのあいだ)合戦(渇せん)度々(どど)におよぶ。

同(どう)三十年(さんじゆうねん)寺尾(てらお)には御子(おんし)良王(よしきみ)を残(のこ)し置(お)き、御身(おんみ)は信濃国(しなののくに)宇野六郎(うのろくろう)が城(しろ)にうつり、其(その)翌年(よくねん)参河国(みかわのくに)足助(あすけ)に移(うつ)らせ玉(たま)ふ。

道中(どうちゆう)並合(なみあひ)の大河原(おおかはら)にて、飯田太郎(いいだたろう)・駒場次郎(こまばじろう)、三百(さんびやく)余騎(よき)にて待請(まちうけ)、不意(ふい)に出(で)て支(ささ)へ奉(たてまつ)る。

宮方(みやかた)命(いのち)をすてて戦(たた)かひ、飯田(いいだ)・駒場(こまば)を打取(うちとる)けれども、

味方(みかた)に原田(はらだ)・羽川(はねかわ)・熊谷(くまがへ)を始(はじ)め廿五人(じゆうごにん)討死(うちじに)して士卒(しそつ)も散%になり行(い)ければ、宮(宮)のがれがたしと思召(おぼしめし)て在家(ざいけ)へ入(い)らせ玉(たま)ひ火(ひ)を放(はなち)て御生害(おんしやうがい)あり。

 其後(そのあと)は良王(よしきみ)も寺尾(てらお)に御座(おんざ)堅(かた)まらで桃井(ももい)が落合(をちあい)の城(しろ)に移(うつ)り玉(たま)ふ。

其折節(そのをりふし)尾州津島大橋何某(びしうつしまおおはしなにがし)は尹良王(いんりやうわう)の姻属(いんぞく)なれば、此方(こなた)へ入(はい)らせ玉(たま)へと申(まうし)こさる。

各(おの^)相議(あいぎ)して道(みち)の便宜(びんぎ)をゑらみ甲斐(かひ)・信濃(しなの)を歴玉(へたま)ふ所(ところ)に、去(さんぬ)る比討(ころうた)れし飯田(いいだ)が一族(いちぞく)、兄(あに)を討(うた)れたる駒場三郎(こまばさぶろう)、共養(きやうやう)の軍(いくさ)せんと多勢(たぜい)をそろえて襲(おそひ)奉(たてまつ)る。

桃井貞綱(ももいさだつな)ふみとどまり討死(うちじに)しける。

良王(よしきみ)其(その)ひまに落(おち)のび玉(たま)ひ笛吹峠(うすいとうげ)を過(すぎ)させ玉(たま)ふ。

此所(このところ)にて敗卒等(はいそつら)追(おひ)つき、又(また)追々(おいおい)御加勢(おんかせい)として来(きた)る人数(にんじゆ)ありて二百斗(にひやくばかり)になりぬ。

かかる所(ところ)へ津島大橋氏(つしまおおはしし)より御迎(おんむかえ)として、常川信矩(つねかはのぶかた)二百(にひやく)の人数(にんずう)にて来(きた)り合(あは)ければ、味方(みかた)も生(いき)出(いで)たる心地(ここち)す。

是(これ)を聞(きき)て駒場(こまば)・飯田(いいだ)も上杉(うへすぎ)・今川(いまがわ)に告(つげ)て加勢(かせい)を乞(こ)い、其(そ)の通信(おとづれ)をまち軍(ぐん)を団(まとめ)てためらひける。

上杉(うへすぎ)今(いま)にも寄(よ)すべきことの風聞(ふうぶん)に、宮方(みやかた)は早(はや)く間道(かんだう)より津島(つしま)に立越(たちこへ)んといふ人(ひと)のみ多(おお)かりしに、宇津宮藤綱(うつのみやふじつな)衆人(しゆうじん)にむかひていふやう、「扠(さて)もかく打(うち)つゞきて身(み)かたの為(ため)によき事(こと)は出来(いでこ)で、先公(せんこう)の御難(ごなん)以来(いらい)楯(たて)と頼(たの)みし原田(はらだ)・桃井忠死(もゝのゐちうし)あり。

新田義則(につたよしのり)入道(にゆうどう)行(ゆく)ゑしれ玉(たま)はず。

味方(みかた)の大事(だいじ)此時(このとき)に迫(せま)りたり。

しかるに是迄(これまで)の合戦(かつせん)のやうを見(み)るに、道(みち)の間(あいだ)は只(ただ)のがれん/\とのみ心得(こころへ)て、適(てき)を打(うつ)べき道理(どうり)をなさず、残念(ざんねん)のことに存(ぞんず)るなり。

今日(きよう)此所(このところ)を逃(に)げまどふて津島(つしま)にゆかば、官軍(くわんぐん)を見(み)あなどり、道(みち)のあいだにも敵(てき)おこり石(いし)の卵(たまご)を圧(をす)思(おも)ひをなし、たやすく責(せ)めよせて、合力(がふりよく)し玉(たま)ふ大橋殿(だいきようでん)まで損(そん)付(づけ)るのみか、其(その)末(すえ)は移(うつ)し奉(たてまつ)るべき所(ところ)も覚(おぼ)へず。

さらば其(その)時(とき)戦わずしてやむべきか。

斯(かく)行先(ゆくさき)も/\受太刀(うけだち)のみになりて此方(このかた)より打(うつ)手(て)なくては、ついに、受(うけ)はづして口惜(くちおし)しき負(まけ)をするものなり。

今度(こんど)は君(きみ)を御迎(おんむか)ひの人(ひと)に供奉(くぶ)させ先(さき)へうつし参(まい)らせ、此面々(このめんめん)辺(あた)り近(ちか)き所縁(ゆかり)を募(つのり)て勢(いきおい)をかり、飯田(いいだ)・駒場(こまば)が居所(いどころ)へ攻(せめ)よせるこそ遥(はるか)なれ。

慕(した)ひ来(き)たらば便(たよ)りよき所(ところ)に待(ま)ちうけて彼(かれ)に当(あ)たり、十分(じゆうぶん)の勝(かち)を得(え)ずとも互格(ごかく)の戦(たたか)ひならば大(おお)いに敵(てき)の気(き)を折(くじ)くべし。

並合(なみあい)の軍(いくさ)は味方(みかた)に戦(たたか)う志(こころざし)なく、敵(てき)は案内(あんない)の地(ち)に不意(ふい)を打(う)て我軍(わがぐん)を苦(くるし)めたり。

あらかじめ其心(そのこころ)して戦(たたか)はゞ、此藤綱(このふじつな)におゐては十(じゆう)に五(ご)は勝(かつ)べし。

十(じゆう)に十(じゆう)は互格(ごかく)の軍(いくさ)せんと思(おも)ふなり。

諸君(しよくん)も賢慮(けんりよ)有(あれ)かし」といふ。

何(いづ)れも軍機(ぐんき)に馴(なれ)たる歴ゝ(れき/\)なれば皆(みな)尤(もつとも)と同(どう)じ、「去(さる)にても今川の勢駒場を助くるといふなるをいかゞして防(ふせ)がん」

と云(いふ)。

宇佐美(うさみ)左衛門定翰(さだもと)進(すゝん)で云、「是は味方を二手に分て、一手は今川をおさへこらへるあいだに一手は駒場を追かへさん。

此小勢(こぜい)二つに分ちがたければ、皆々旧識(きうしき)智音のかたに乞(こひ)て人数(じゆ)をかり玉はゞ百二百無(なき)ことはあらじ」

と判(はん)じければ、諸士(しよし)面々親疏(しんそ)をかんがへ近き所に人はしらかし、「今こそ君の御大事なれ。

年来の恩遇(ぐう)に合力(かふりよく)して玉はれ」

と十七家の人々より触(ふれ)たりければ、由緒(ゆいしよ)厚(あつ)きかたよりは即時(そくじ)に加勢来りぬ。

其外家人(けにん)持たるものも物騒(ぶつそう)の時節家僕(かぼく)乏(とぼ)しくはか%\しからねども、かれは弓をこそ能(よく)引け、これは場数(ばかず)見たりとてこすが中にも、鎧(よろひ)なきは鎖(くさり)かたびらに布袴(ぬのばかま)のせきひもむすび、馬に乗たるは少(すくな)く人並(ひとなみ)に軍(いくさ)すべきもの数の半(なかば)なり。

其外新田殿昔日(せきじつ)のちなみを思ひ、聞伝へに招(まね)かずしてはせ来るものかれこれ二百人に充(みて)り。

残軍(ざんぐん)を合せて五百人にはやなりぬ。

軍配(ぐんばい)は宇佐美(うさみ)・宇津宮(つのみや)両人執(とり)玉へと衆儀(しうぎ)定り、扨今川は大勢(おほぜい)なれども是を押(おさ)ゆるはゆるやかなり。

駒場は小勢(こぜい)なれども大事の軍なり。

両軍師(りやうぐんし)は只

「其むづかしきかたを我うけ玉はらん」

とはげまるゝによつて、両将鬮(くじ)をとりたるに、宇佐美北のかたに向ふべきに極(きはま)りて三百を授(さづか)る。

桃井利貞(としさだ)両将に談(だん)じていふ、「此対陣(たいぢん)の気を奪(うばふ)ばかりなれば、兎角(とかく)に人を損(そん)ぜぬ工夫ありたし」

といふ。

両将も

「其旨に候」

と、宇佐美定翰(さだもと)即日(そくじつ)出馬に臨(のぞ)み、宇津宮にむかひて、「戯(たはぶれ)に似(に)て事古(ふり)たれ共(ども)勝利(しやうり)のためし、今度の軍の必竟(ひつきやう)とする所(ところ)互(たがひ)に書(かき)て取(とり)かへ見(み)んはいかゞ」。

藤綱(ふじつな)「尤」(もつとも)と畳紙(たゝふがみ)と書付れば、定翰(さだとも)も畳紙取出し、一字をうつして取かわし一時に開き見れば、藤綱は勢(せい)の字を書たり。

定翰は天の字あり。

藤綱言、「是軍機(ぐんき)の秘(ひ)なれば六耳(ろくじ)(ふたりがほか)に伝ふべからず。

下に一字を添(そへ)て問奉るべし」。

宇佐美、「実々(げに/\)」といゝて、藤綱が勢字の下に帳(ちやう)の字を書添(かきそへ)てもどしければ、藤綱は定翰が天の字の下へ便(べん)の字を添てかへしぬ。

両将顔を見合せ、「いかにも」と点頭(うなづき)、馬上の礼儀して出立けり。

 かくて今川兵五助(ひやうごのすけ)は駒場が後詰(ごづめ)せんと、すでに塩尻(しほじり)を越(こゆ)る所に物見かへりて、「東の山ぎわに南軍(なんぐん)と見へて其勢は林にそふて多少はかりがたし」といふ。

今川聞て、「それこそは宮がたの宇佐美なり。

百騎にも足(たる)まじきを、林によりて限り見せじとすることこそ可笑(おかし)けれ。

他(かれ)らに押へられて此(こゝ)にためらふべき弓矢にあらず。

一時に打つぶして通れや」と、五百余騎を推(をし)出して敵近くにいたり、吶喊(をめきさけん)で戦いをいどみけるに、宇佐美は戦(たたかは)んともせず、一騎(き)ものこらず後(うしろ)の山に取りのぼり、元より案内見つくしたる陣所(ぢんしよ)なれば、備(そなへ)を鳥雲(てううん)にたて、こゝかしこ便りよき所に射手を出し素引(すひき)してあだやを放(はな)さず。

大将山の小高き所にありて敵味(てきみ)かたを見くだし、小旗(こはた)を動(うご)かし指揮(かけひき)す。

道は大木を倒して塞(ふさ)ぎとゞめ、山に向はゞ大石を転(まろ)ばさん結構(けつこう)なれば、今川方陣脚(じんきやく)をしりぞけて、弓の手を敵間(てきあい)ちかくはたらかせ射させけれども、巌石(がんぜき)に楯(たて)をかきつゞけて事ともせず。

近よる者を見ては楯のかげより矢比(やごろ)に射ておとすにぞ衆群(しうぐん)ためらひてよりつかず。

宇佐美は後(うしろ)より吹深山(ふくみやま)おろし味方のしのぎかねるを見て、「暮なば風に背(そむき)て陣がへすべし。

石壁(せきへき)の下に風をよぎてこらへ玉へ」と云なぐさめ、暮にいたる程いよ/\風はげしきを見て、元より味かた風かみに陣せし事なれば、足軽(あしがる)を下知(げぢ)して敵ちかく走りまわり、根笹管原(ねざゝかやはら)に火をさしたり。

たちまち火さかんにひろごり敵のかたに焼(やけ)かゝる時、宇佐美下知して楯(たて)をたゝき岩ほをうちて喊(とき)をどつと上たりければ、今川方火に気をとられ色めけれども、大将物馴(ものなれ)て少(すこし)も慌(さわ)がず。

「敵は焼打(やきうち)にせんと議(ぎ)すらん。

逃(にげ)んとせば此陣(ぢん)忽ち破(やぶる)べし。

出て敵をむかへ合戦せよ」

と衆(しう)をはげまし先(さき)にすゝんで管(かや)をなぎすて火をふみこへて敵にむかひたるに

喊(とき)の声聞へしばかりにて敵壱人も見へず。

遥(はるか)むかふに敵の引なる把火(たいまつ)のひかりあり。

「扨こそ敵はこれを塩(しほ)にして引ぞ、追打(をひうち)にせよ」と、大木を引のけ踏(ふみ)こへはやる人数を今川とゞめて、「かゝる検地(けんち・なんじよ)にて敵のかゝらぬは迂活(うくわつ)に此方(こなた)よりかゝるべからず。

追はゞ用心して進(すゝ)むべし」と一町ばかり行(ゆく)所に、吹来る風諸勢(しよぜい)の眼(まなこ)に入りて痛(いたみ)さすが如く眼を開きがたし。

面〃手を顔(かほ)にあて痛を喚(さけび)て進(すすみ)かぬる所に、宇佐美が勢両方より出て究竟(くつきやう)の歩武者切尖(かちむしやきつさき)をそろへて切てかゝり、暗号(あいことば)を定(さだめ)て働(はたら)けば、今川勢心ならずひらきなびき、「敵は順風揚毒(じゆんぷうやうどく)の計(はかりごと)を用ひしぞ。

一先引(ひとまづひけ)や」と大将先に立て引(ひく)程に、士卒踏(しそつふみ)とゞまるものなく、散(さん)%\に仕(し)つけられ頭(かしら)だつものも多(おゝく)うたれぬ。

宇佐美兼て小高き所こゝかしこに積(つみ)置たる柴(しば)を焼(やき)あげたれば、白昼(はくちう)のごとく検道(けんだう)をてらし、士卒(しそつ)を指揮(かけひき)して斬(きつ)て落したる敵どもをはしりまわりて験(しるし)を取らせける。

敵六十余人を打取て、「うれしや一石(いちこく)にあまる胡椒番椒(こせうばんしやう)、よき価(あたひ)を求めて売りたり」と、どつと大笑して凱陣(がいぢん)しける。

こゝに宇津宮藤綱は、良王(よしきみ)を大門(だいもん)山の南の間道(かんだう)より津島にすゝめ奉り、今は心安しと、二百人を二手(ふたて)に分ち、一枝(ひとて)は桃井右馬亮(もゝのゐうまのすけ)七十騎(き)をしたがへ、宇佐美が陣(ぢん)を助(たすくる)よしにて西北(にしきた)に行(ゆき)、明神(めいじん)の森(もり)に伏(ふく)し居(い)る。

藤綱百三十騎をしたがへて手配言合(てくばりいゝあわせ)よく/\ならし、敵間(てきあい)を見て間道を押(をし)行ける。

駒場が勢弐百人斗(ばかり)甲州(かうしう)道に来り、此所に士卒(しそつ)をやすめて敵の様をさぐり聞(きく)に、「宮方きのふは多(おゝ)かりしを、今川おさへの為にわかちて、老人(らうじん)、いたで負(おひ)たるは此手にのこり、勢をやしなひ、かしこの勝負(しやうぶ)を見ていかにも身の進退(しんたい)を決(さだめる)んとす。

其人数(にんじゆ)いまは百斗(ばかり)に過じ」とぞ告(つげ)たりけり。

「あなむざんや。

今川の大勢に二百斗の人行たりとて一かけも合(あは)さるべきか。

のこるやつばら一々生(いけ)づりにすべし」と、すでに其所を発(はつ)せんとする時、よこ道よりどつとおめいて百余(よ)の兵押(をし)かゝる。

駒場彼(かれ)より寄んとは思ひもよらず、二町斗退(しりぞ)きやまの尾を後にあてゝ備(そなへ)を定めんとする時、東の森より桃井が伏(ふく)おこり、民家(みんか)の人の声を雇(やと)ひておびたゞしく〓(とき)をあげたり。

敵かばかり大勢なるべしとは思ひがけず。

駒場が人数見くずれして引て行。

藤綱・桃井備(そなへ)を合せて押行(をしゆく)程に、日は暮たり。

駒場は大辻(おゝつぢ)の小堂(こどう)を楯(たて)にとりて陣し、在家(ざいけ)をこぼち篝(かゞり)に焼(たき)てゆだんせず。

藤綱・桃井も対陣(たいぢん)とりて守る。

其夜いまだ明ざるに宇佐美が勝(かち)を得たる一軍(いちぐん)、本陣の戦ひ心もとなく、馬なき者は後陣(ごぢん)に一隊(いつたい)をくませいぇゆる/\と押(を)させ、騎馬(きば)八十騎(き)を率(ひきい)て道を馳(はせ)つけ、聴子(きゝもの)につきて直(たゞち)に敵の後(うしろ)をふさがんとぞかゝりける。

駒場が陣には今川敗軍(はいぐん)の告(つげ)を聞て力を落し、敵つのらぬ内にとて引て行。

物見の士(さむらひ)かへりて、「向ふの切通ふしのあなた、岐路(わかれみち)の平地(ひらち)に伏勢(ふせぜい)あり」と申(まうす)に、「後(あと)なる敵の挟(はさま)ぬ内に力をつくして斬脱(きりぬけ)よ。

此時生(いき)んと思はゞ却(かへつ)て一人も免(まぬが)れまじきぞ」と、士卒(しそつ)をはげまし用心して行(ゆく)所に、大木(たいぼく)の下に馬を立たるは宇佐美左衛門声を挙(あげ)て、「今胆(きも)を寒(ひや)して通るは駒場が一軍(いちぐん)か。

兎群兎(うさぎぐんと)に異ならんとして市に出れば搏(うた)れ、魚群魚(うをぐんぎよ)に異(こと)ならんとして岸(きし)に上れば斃(たふ)る。

身の程しらぬ者どもの逃(ひげ)足こそいたはしければ、官軍の勇士達(たち)の送つて給(たぶ)ぞ」と五六十騎の健卒(けんそつ)さつと馳(はせ)出れば、駒場逃耳(にげみゝ)聞せて答へもせず、道の塞(ふさが)らぬを幸ひとくづれ立て逃(にげ)て行。

官軍(くわんぐん)は擬勢(ぎせい)ばかりにて敵を慕(した)はず。

惣軍(さうぐん)と一所に合(あふ)て、行べき道すじなればすきまなく追ふて行程(ゆくほど)に、敵は居所(きよしよ)にも得こもらで山ふかくこもりぬ。

人々、「残念/\」と口々にのゝしり、そなへたゞしく参州路(さんしうじ)へ打こへけり。

藤綱、「今こそ勢(いきほひ)を張(はり)おゝせたり」といえば、宇佐美は、「我も天の便(たよ)り得て味方損ぜず大勝(おゝがち)を得たり」と、互(たがひ)に其手段(てだて)をかたり悦び、加勢の衆(しう)にむかひ、「つぼみ際(ぎは)の軍(いくさ)御合力(かふりよく)を以て仕おゝせたり」と、詞を厚くして是を謝(しや)し、加勢の武士五人三人づゝかへし遣(つか)はしぬ。

勝利(しやうり)の余勢(よせい)近国(きんごく)にふるひて道の間手を出すもの

もなく、気色(きしよく)いさましく津島に参りければ、宮御悦喜(えつき)大かたならず。

大橋の人々(ひと/\〃)も其武器(ぶき)を感(かん)じられけり。

是より近国味方に参るもの多く、宇在美・宇津宮士卒(しそつ)の調煉(てうれん)おこたらず。

常に川をわたり遠がけして鷹(たか)がりなどゝ出(いで)働(はたら)くこと毎度(

まいど)なり。

駒場が一類遠く聞て、「此ごろの出陣は士卒(しそつ)には宵(よい)よりしらさで、鷹狩りなど云て馬を出(いだ)し道より城功(しろぜめ)にかゝる表裡(ひやうり)多

ければ、早晩(やがて)隣国(りんごく)に発行(はつかう)し我(わが)かたにや寄(よせ)

なん」と其備(そなへ)をなし、上杉・今川にも告(つげ)やりて用心しけるとなん。

初はよせん/\とせし敵がた却(かへつ)て宮方を心づかひしける。

万(よろず)の勢(いきほひ)の形(かたち)は皆かゝることぞかし。

十七家の英雄(ゑいゆう)心を一にして守護(しゆご)し此所以(もつて)の外に安静

(あんせい)なれば、当所天皇の社内に

尹良王(いんりやうわう)の霊(れい)を若宮(わかみや)にいはひ

まつり、始て祭礼(さいれい)を執行(とりおこな)ふ。

十一家の人ゝより船十一艘(さう)を出し、家の紋の幕(まく)を走(はし)らせ、数(かず)の堤燈(ちやうちん)に性氏官名(せいしくわんめい)を書(かき)しるし

、船中に笛(ふへ)つゞみどびやうしをならして戯楽(ぎがく)をなし、民家(みんか)漁人(ぎよじん)までも船をかざりうかみける程に、此島の繁昌(はんじやう)四方にかくれなし。

 宇佐美・宇津宮はかゝる折とても城中を守り油断せず。

朝夕城をめぐり島をまわり、人の心服(しんぷく)の家人をしたがへて、内郭(うちぐるわ)外郭(そとぐるわ)、要害(ようがい)あらはに人のよぢ出(いづ)べきと思ふ所にはかすかに箒痕(はゝき

あと)をつけ、或(あるひ)は砂をならしなどして人にはしらさでかく用意しけるに、或(ある)朝(あした)たつみの方高く険(けはし)きに添(そふ)て引せたる柵(さ

く)の際(きわ)、人のすりたるあとあり。

あやしみ思いて心を付(つけ)けるに、五月十日の間必ず其辺箒目(はゝきめ)に足印(あしあと)あり。

されば城中に敵の犬こそあれ、いづれよりのすつぱにやと案ずるに、近きあたり敵となるべきは、早尾(はやを)の堂が崎か扨は佐屋の台尻なり(だいじりなり)。

定めてそれらが窺(うかゞ)ふて入(いれ)たる窃候(しのび)ならんと心づき、一日諸家(あるひしよけ)を集(あてめ)て評議(へうぎ)して言、「番豆崎何某(はづがさきなにがし)、「佐屋と早尾と同日(どうじつ)に責(せむ)べき手つがひなり。

両所より加勢を乞(こ)ふとも必ず御ひかへ玉はるやうに」と申こしたり。

「味方此節外への手つがひする所存なければ其条(そのでう)御心遣ひあるまじく」と申遣(つかは)したり。

かく披露におよぶからは今日明日の間にあるべし。

彼若角(かれもしかく)我方に油断させて此方へ取りかける事もはかりがたし。

士卒の面〃其心得あるべし」と内〃に触(ふれ)たり。

扨(さて)明日物なれたるもの両人を分(わか)ちて早尾と佐屋とへ物調(とゝのへ)に遣しける。

早尾に遣わしぬるは調へてかえりぬ。

佐屋へ遣したるは得ずしてかへり、「今日彼(かの)所に強(つよ)く人改(あらため)して他所人(たしよびと)を入れず。

用心の体(てい)なり。」

といふ。

さればこそ此城へ佐屋よりすつぱを入れけるとさとり、宇佐美・宇津宮内儀(ないぎ)して却(かへつ)て敵のうらをかく手段を計(はか)りけり。

 元来(ぐわんらい)此佐屋に台尻大角(だいじりおゝすみ)、大竹千幹進(おゝたけちもとのしん)といふ両人あり。

津島を手に入れんと思ふ事多年なり。

近比(ちかごろ)宮移(にやうつ)らせ玉ひて勢(いきほひ)さかんなるゆへ手を出して兼てあるに、駒場・飯田の両家より力を添んとあるに思ひたち、日比(ひごろ)に忍びを入(いれ)置て其動静(どうじやう)を窺(うかゞ)ひけるが、次の年彼(かの)島の祭礼に諸士の船遊(ふなあそび)に出たる其不意に打つべしと工(たく)みこしらへける。

既(すで)に水無月の祭日にいたりて、今年は去年にまさり花美(くわび)をつくし十一等(たう)船をならべて酒もりし、大吹大擂(ふへたいこ)にてうかれ遊ぶ。

漁人らも船にうかみて上と楽みをおなじくす。

城は大橋中務(なかつかさ)のみとゞまり、今年(ことし)は神影(しんえい)を城内にむかへ奉るべしと、前日より内堀(うちぼり)所/\に材(き)をわたし道ひろくかまへて掃(はら)ひ清め、すでに当日(そのひ)も晩(くれ)に向ひて川の面賑(おもにぎは)ひあへる時、大竹千幹(おゝたけちもと)が五六十騎、百姓の体(てい)にて五人三人道を迂(まわ)り島にいたり、処/\に伏(ふせ)おきて我は城をめぐり物見しけるに、此日は内外(うちと)の郭(くるわ)両門とも大(おほい)に開き、女房童(わらは)よき衣きてこゝかしこにむれて、流(なが)れに臨(のぞ)み大樹(おゝき)の下によりうたひあそぶ。

千幹進(ちもとのしん)物遠き堤(つつみ)のかげに味方を待あわせ、一所になりてやす/\〓からめて)の門に入り、先(まず)其辺に火をさし喊(とき)をつくる。

早くも彼(かの)すみ此のくまより火消(ひけし)の者出きたり、水はじきそろへて火を打消し、門をひしと閉(とぢ)て、船にありと見へし宇都宮・宇佐美両方よりあらはれ出、大勢にて取りかこみ半(なかば)は斬りたをし多く〓(からめ)とる。

大竹はうち死(じに)す。

降(くだ)るものはゆるして敵の様(やう)を尋問ひ、手だてを奪(うばひ)て即時(そくじ)に敵を僞引計策(をびくけいさく)をなし、城中に柴を焼(やき)あげたり。

 台尻(だいじり)は五六艘(さう)に人数(にんじゆ)を匿(かく)し所ゝに分ちおき、祭事(祭事)見物の体(てい)にて日の暮(くる)ゝを待居たるが、合図(あいづ)の煙を見て、我船に号(あいづ)の灯篭(とうろう)を高く挙(あげ)て、味方の船に調(てう)じあわせ城の追手(おふて)を目あてに漕寄(こぎよす)る。

只今降(くだ)りたるもの、「那(あの)灯篭高き船こそ大将よ」

と告げしらすに、宇佐美・宇都宮手勢を卒(そつ)して、二艘の快船(くわいせん)に合図(あいづ)の笛鞁(ふえたいこ)早拍子(はやびようし)をうたせて灯篭ある舟にを目あてに向かへば、十一家の船灯燈(ちやうちん)昼(ひる)とかゞやかせ、早拍子を合せて会(あひ)集り、元より肌(はだ)具足(ぐそく)堅固(けんご)にかためて台尻(だいじり)が船を真中(まんなか)に取こめて、大将士卒(しそつ)分ちなく悉(こと%\)く海に切沈(しづ)め、其時十一艘同音(どうおん)に、「台尻(だいじり)うつた、みさいな」

とはやしける。

台尻が残りの兵船後(あと)よりすゝむ所に、本船(もとふね)の大変(たいへん)あるを見てたがひに招(まねき)あひ、今は生(いき)てかへる面目(めんぼく)なしと、家の子ら死を一決(けつ)して三百余人岸にあがり切(きつ)てかゝる。

城かたよせ立じとふせげども、夜軍(よいくさ)になりて敵つよく、思はずひらきなびくとき真団(まんまる)になつて城に斬(きつて)て入る。

城内色めきて二の郭(くるわ)へ士卒(しそつ)を引取(ひきとらん)んとあわてさわぐを、付(つけ)入りにせんと進む三百余人、忽(たちま)ち作りたる道陥(おちい)りて深き泥(どろ)の内にたゞよふ所を、大橋中務(つかさ)兵卒(へいそつ)を下知して熊手(くまで)に引あげ〓(からめ)とる。

半ばは泥の内に自殺(じさつ)して失(うせ)けるぞはげしけれ。

藤綱(ふじつな)・宇佐美(うさみ)此機(き)をすかさず船を飛(とば)せて台尻が居城(きよじやう)に逼(せま)り、諸大将後詰(ごづめ)して一時に乗(のり)おゝせ、早く土地(とち)の仕置(しおき)を出し捷(かちもの)を津島に献(けん)じけり。

駒場が助勢(じようせい)もからき場を引とりて逃(のが)れかへり、是より再び手を出さず。

宮の御座所(ござどころ)は年月に興旺(こうをう)し、南朝の余音(よゐん)猶此処に響(ひゞき)て、台尻(だいじり)うつたといふことば拍子物(はやしもの)の名となりしも、久しき世の調(しらべ)ならん。