序

 浮世の事物繁栄る竹の葉末の

直なる御代に相生の松風颯々の

音も尽せぬ春の御慶往昔より変で

住る民の竃賑かに立ならびたる都の

外田舎の隅%\にて聞触たる善悪

彼を見是を聞に出世有と出世なきとは

芸は身の助となるといふより思ひ続

今昔出世扇と号五のよみ物となして

児女の弄とする物乎

                            八文字

                                 自笑 [亀]

                      作者

                            同

                                 其笑 [順]

        延享二年

             丑の初春

 今 昔 出 世 扇                       一之巻

            目録

 第一 染込だ色酒に酔の出る酒屋の息男

             昔の学問君ゆへならば子曰

             色の道は師匠なしの鍛錬

             今は人めも内証すり切た講釈師

 第二 辛い世に何を生姜の八百屋が身の上

              借銭に指つまる弐畳半の住居

              飲込む教訓は我身の後薬

              立身の近道は運に叶茶匙加減

 第三 老の命継かねた糊屋婆々

              広ひ都に弐人ともなひ壱人娘

              迷ひ子の行衛はくらま天狗の所為

              由来を聞ば有難ひ殿様の御情

  (一)染込だ色酒に酔の出る酒屋の息男

眼耳鼻口は人の大要。片時も自由ならねばかなはず。中にも

耳目は至て其身の用を遂る事。鼻口よりも尊し。若き時

父母のいましめを背き。番頭手代の異見も空吹風。嵐はげしき

雪の夜。雨の夜の木履のはな緒。きれてもきれぬ好の道は。しんど

なしと。闇の夜も挑灯なしにかよひ詰た。祇園石垣のおどもりが

腫物となりて。此程顔にあらわれ。天窓に出てかくせ共かくされず。

外科を頼で見するに。元来内証の疵より起たる腫物なれば。人中で

様子も見られず。人の無小座敷の窓を明て人に見せぬ療治の

仕様。凡そ三十日斗も立ど腫物はいよ/\ひろがり。今では山帰来を拾五両

づゝ内薬に入て飲るれども。急になをる病ならねば。杖にすがりゑぢかり

股してやう/\台所口迄は出られぬ。二親共に気の毒さ。流石しんみの

おや子とて何とぞ目鼻はなく共命斗を御療治の御陰で御助け

下されと。神か仏の様に医者に。手を合さぬ斗に頼まるゝは。さりとは子の身と

して有難き事ぞかし。渾て人のおやのならひにて。其子悪性者なれば

勘当して。旧雑の帳に付る程に思へど。病といふと悪性は扨置。小盗する

息子でも死ふかと思気遣ひは絶ぬもの也。子を持ねば親の恩は知らぬ

ものと。古来よりいひ伝へたるごとく。我子出来てから親の事を思ひ出して

後悔も出。不孝にせし事を悲しふ思ふものも有り。身体髪膚を父母に

受たり。損ひ破らぬを孝の始といへど。今時の息子は十四五からそろ/\

色事に心が付て。破鐘撞様な声に成て。明暮娘の評判。それからが泥の

始り。新地石垣へかよひ出し。銀が足ねば松原川原二条川原の雲天井の

座敷でもかまはず。枕下な犬(?)に聞せて口説して戻らるゝ行跡。高ひも

卑ひも。皆それ/\の値段相応の色がなるゆへ。若ひ衆の巾着に銭の

溜る間もなく。生れも付ぬ雨雫の溜る様な鼻には成る事ぞかし。往昔

都近き嵯峨といふ在所に。有徳なる酒屋有り。堅ひ身體なれば。家名を

+岩金や甚兵衛-といひしが。土蔵五ヶ所に建并べ。屋敷は壱丁四方を取廻し。

家造り奇麗に。此在所に中にならぶ家もなく。何くらからず優福なる暮し

なり。男子壱人+甚太らう-とて。生質人に勝れ。手跡も能く。算盤に委しく。

商ひの道に疎からねど。学問好にて。折/\京都にかよひ。其比東洞院に

大儒の沙汰ありし。+広川流弁-といふ儒者に随身して。孔孟の道を

学び。朱子学の蘊奥を探り。切瑳琢磨の功積り。今は師匠の流弁にも

劣るまじと。門弟中も手を置き。人のほめ物と成られしが。酒屋の

息子殿腹の中から酒の香を嗅覚へ。広ひ都の中に五人共なき大酒飲す。

勤学の暇には酒を飲で遊ばれける。学者の事なれば乱に及ばずといふ。

本文を忘れず。行儀正しく酔狂はなかりしが。いつの程よりか悪友に

誘れて。川より東の色屋に仕かけ。終に目を明てから見た事もなひ。美形の

遊女が雪の肌をぬぎかけ。緋縮緬の中着紫鹿の子の襟に。色をふくませ。

終に講釈より外。生れて聞ぬ二上り三下りの三弦の流行しやうが。一調子

はり上ケ。ねむた烏をおもしろふうたひかけての酒盛は。喜見城の楽かと

珍らしひ目からは。おもはれしも無理ならず。石より堅ひ岩金屋甚太らうも

綿の様に成て。今までかうしたおもしろひ事と思わず。何放らしひ孔孟の

教に。あたら月日を過せし事の残念さよと。無分別の述懐に。いよ/\学問を

取置。親のたくわへられし金銀をまきちらし。父母在時は遠く遊ばずと。

堅い顔して講釈せられしはどこへやら。今は二親の事は露ほども心に

かけず。二里の余も有ル嵯峨から。かの深草の少将は磯。雨の降夜も風の吹日も

いとはず。高なしの色狂ひに。あたら金銀を捨らるゝ事。さりとは笑止成ル

行跡なり。凡そ此甚太郎が壱ヶ月の遊び金にては。間口四五尺の家買ふて。

見せ付見苦からぬ呉服商売が出来るぞかし。壱年に積れば結構な商売に。

拾弐人つゝ有付るゝに扨もおしひ事かな。世には又かゝるたはひなしも有れば

有物かと。此比弐三百両を元手にして。宿ばいりせし男がうらやみけるも尤なり。

世間に金銀あればとて木に成た物でもなく。畑から生出る物でもなし。

百貫目の身體じやといふ家に。五拾貫目ならではない物。五拾貫目の身體と

いへば。拾四五貫目有かなしなり。まして壱杯に行といふ家には借銭が

有物にて。見分と違ふ物は人の身體なり。岩金屋とて石より堅ひ大

分限者なれど。息子甚太らうが契情狂いに。下疳より盲目となり。其上

内証の金銀#空に成て。諸方の手筈ぐわらりと違ひければ。親甚兵衛大に

立腹して。甚太らうをよび付。汝酒商売を嫌ひ。学問して儒者に成らんと

願ひし共。かけ替もなき壱人の男子が望み。殊に儒者とやらは多の人に

尊敬せられ。大名高家の御方共交る物とあれば。親に勝た渡世に有付。

酒屋と呼るゝよりましじやと了簡し。望の通り京へ上せ。借座敷借て

学問せさしに。子曰を捨ておやま狂ひに。金銀を費すのみならず。

片輪と成事言語同断の曲事。最早此家にはかなわぬ。何方へ成共出て

失ひと。生得短気一図のおやぢがいひ出しては。親類の侘をも聞いれず。

やう/\袷壱枚にて親の家を追出されぬ。甚太らうは詞なくしてすご/\と

住馴し親の家を出。今更何方へたよるべき頼もなく。人の情も世に有し

程と。古歌の心のごとく。親の気に背し者とて。一家一門皆見限てよせ

付ねば。昼は橋の下夜は軒の下の。雨に袖をぬらして明しぬ。昔牽頭に

仕て遊び。旦那/\とはいかゞみし者共も。此體を見て見ぬ顔する世の

中の。人情の化なる事を思ひめぐらす程。先非を悔て口おしふ思ひしは理り

ぞかし。さあれども誰を頼み親父に。侘をして貰ふ便りもなければ。淡水と

名をかへ祇園林の片影に床木をならべて昔熟学せし論語孟子の講釈。

弁舌利害盲目ながらあざやかな講談しけるが。毎日/\聴衆多く成り。

祇園林の講釈師と。町/\の評判広ふなりて。心有も心無も朔日十五日には

此講釈の人立隣の万金丹売覗がらくりの見物はさびかへりてぞ見えたり。

聴聞仕て居る中より去ルれき/\の武士と覚しき人。此淡水が能弁学問に

器用なるを覚りけるにや。群集をおし分何かは知らず囁かれしが。淡水

悦ぶ色見へて打つれ其場を立退れぬ。跡にて様子を聞ば彼武士は関東

方の歴/\にて淡水を深く吹舉し給ひ。+御主人舟渡早水守殿-へ申

上られ。直に御目見仰付られ。御知行五百石下され。向後御家の儒者と

成り。一家中の師範たるべしと。残る方なき上首尾親甚兵衛が勘当も。

殿様の御取持にて宥され。目出度親子の対面を致しける。淡水酒屋を

嫌へば一家の内より養子を取り。嵯峨の跡を続せ。甚兵衛夫婦も

淡水が方へ引取法體させて安楽に養育しける。実に一芸に名あれば。

称ぜられずといふ事なし。たばこを能刻小料理してさへ非を改て心を。

直さば相応に取立てやるぞかし。淡水一旦色狂ひに身を崩せしか共。

口おしひと思ふ一心おのれやれと。我を張て心を改めしゆへ。かゝる身の上と

成り。親迄武士同前にして。一生を養ひし事。始の不孝の名は消えて

大孝行者と。人の褒物とは成りぬ誠に人は万能も一心が肝要/\

  (二)辛い世に何を生姜の八百屋が身の上

穢多の子は虱の皮を剥とはいへど。能い事は親程になひ物なり駕篭舁も

年の寄た親父より息子の達者ながよし。年寄た飛脚の親父の足

より若ひ息子が道は達者なり。角力取も息子の達者には及ばず軽業

師も孫の長松には身が重ふていかぬ事。皆下作の道の一徳には。子共さへ

持ば相応に親の跡をふまへて。世を渡る物ぞかし医者儒者出家武芸にては

馬弓兵法。其外技芸の中にては。鼓笛太鼓浄瑠璃三味線の類ひ。何も

師匠より上手といふは稀なり。名医の子は必ず愚医と成り。名儒の

子は大学の素読もさつはりとは得読ず。都太夫とて一節を語り出せし

上手なれど。其子の浄瑠璃能といふ沙汰を聞ず。三味線の上手と聞へし

難波里市といひし座頭の弟子の中に是ぞと思ふ音じめもなし。

彼を見是を聞に付ケ。何も師匠よりは劣れり。爰に都の西の京に+八百屋

作兵衛-とて八百万代の。神代にも希なる貧乏人なりしが。已前は少シの

元手にて。八百屋見せをやう/\と大根牛房にてくろめ。とうがらしより

からひ身體に葷の尾をかくし。蔘のまじはりもそこ/\に。夫婦の中に産し

+作之助-とて。十壱に成ル男子を育暮せしが。いつの比より作兵衛仮初の風の

心地なりしが俵屋のふり出し十四五服飲でも利ず胡椒にむせた様に咳

入り次第に顔は青苔の様に成て。渡世を成がたければ八百や見世を分散して。

諸方へわけを立。裏借屋の間半ふみこみの有ル。座敷書院共に。弐

畳半の所を借り。家賃も三月に一度づゝより外出さねば。家主と月に

百度程の喧嘩は絶ず。相借屋の者気の毒がりて家主に侘しけるは。

いつも/\御家主様のが御尤でござります。しかし病人に違ひの

なひ作兵衛殿の事ゆへ。万事不手廻りなれば。たつた五ケ月や六ケ月の

家賃出されぬとて。左程に仰られますも御むたい。此上は我/\急度家賃

滞りのなひ様に申ましよ程に。御家主様も少/\御了簡ばされ月に二両

五分の家ちんを。壱両五分にお負なされ。三十文の番銭をおまへの方から

出して遣され。女房もおまへの方で養ふてやらしやりますれば。末長ふいつ迄も

此御借家に無事に居られますと申物。又無理に此借家を追出さふと思召たら。

作兵衛も一鉄者。御代官所江此通り申上るで御ざりましよ。それではおまへ斗か

五人組御宿老われ/\迄も。難儀に成事も御ざりましよ。とかく今時は御

慈悲の御政道なれば。御上みより追出せとは御言なされまひ。能/\御分別なされ

ませと。借家勝手なる挨拶。鼻の下の長ひ家主。算用を知らねば。損徳には気も

付ず。それならば料簡してやると。和らひだる詞にいふ分もなく。家賃なしに

居すわつて年月を送りけり。今の世の世知がしごひ時分に此様な結構な家主が

沢山にあるならば。千軒万軒の借家成共一日も明て置まひに。町/\にかしや

札の多く有るは。毎月/\の家賃を廿五六日時分よりせり立。一日でもおそな

わると苦ひ顔してはや宿替さする故ぞかし。其癖柱のゆがみも直さず

屋根が漏れ共かまはず。家賃斗リしこだめる家主と。入あわせたらばよかろふ

と思へど。菟角世界は片寄のする物なれば。能加減には行わたさず。作兵衛が

息子作之助。寺子屋へやるにも。紙筆の物入。三両づゝの五節句の祝義にこま

りて。拾壱歳に成まで相借屋の子共と。青ばな垂れて穴市を仕事に

遊び暮せしが。念比なる薬種やへ奴僕奉公に出し。五年切て銀壱枚に極め遣し

ける時分。作兵衛庭訓していはく。汝幼少よりいろはのいの字も習わず。

遊び暮したを能事と思ふべからず。我等が身體今日喰ふて明日の糧に

当所なく。貧乏に暮せば。筆墨御師匠への。祝儀三両を出し兼て。汝を無

筆に育上ケたるは。此親が貧なる故ぞかし。我幼稚の時より。小商ひの

道を覚たる斗にて。外の口過に成べき芸をしらず。女房が針手が利

たればこそ。今迄#渇命にも及ばね。若女房が手筒にて。繻絆壱つ縫ふ事が

ならずは。今日迄生ては居まじ。譬病気にてぶら/\暮す共。何にても外の

事を為て。我壱分の飯代成共設くべきに。瓜茄子を売より外壱をも

もふける筋を知らぬこそ口惜けれ。汝も此理を能弁へ。薬種屋の奉公して。

其道は鍛錬す共。元手がなければ利を得る事は成難し。五年の奉公勤めたり共。

おや方からしつかりと元手銀は渡されまじ。左あればとて今より十年廿年

年を切て遣らば。此作兵衛が一生の用には立まじ。何とぞ此世に存命ある内

立身して見せてくれよと。田馬子程な涙をながしていひふくめけるを。作之介も

あはれとや思ひけん。青ばなをすゝりていとま乞し。肝煎と打連薬種屋へと出

行ぬ。尭舜の聖人といへ共。息子娘御極めて賢にもあらず。作兵衛ごときの物の子が。

十一歳迄野辺壇落に生立。何の役に立べき様もあらじと。思ひの外に作之助

利根物にて。薬種やの奉公油断なく。薬の製法薬種の能毒を考。夜は人より

遅く寝て。灯心壱筋の油にて手習を精に入れ。昼は諸方の小遣に行次てに。

近所の流時医者。+岡島道安-をたのみ。衆方規矩。医学入門万病回春など

いへるあさ/\しき療治本を求め。各門の方意を口授しけるが。猶も薬種屋に

奉公しては。思ふ程に学問がならぬと分別して。其比生薬師ともてはやす

時風医者。病の軽重をいはず。あたりを得たる+的場中節-とへる医者の

薬刻と成り。半年程も勤めけるが。中節が立振舞病人への挨拶。習を

よりなれろといふにひとしく。自然と医者の風義を見習ひ。学問といふては。

大成論壱冊よめかねる身なれど。そろ/\療治を仕初めけるに。先傍輩の

飯炊が痞を。飯のこげ湯にて治し。腰本が頭痛を役者番付の黒焼にて。

本復させたり。当意機転の療治。そりやこそ上手じやはといふ程こそ

あれ。爰からも彼所からも。作之助殿の御薬が飲たふ御ざります。御見立が御上

手で御ざりますれば。此方の娘も此方の嚊もと。主の中節より人の懇望多

かりけるを。中節つく%\思案して。いや/\きやつを此儘置ては、我等が療治の碍りと

成れば。何となく暇をやるにしかずとて。程なく隙を出されぬ。作之介は是ぞ

天のあたふる幸なりと悦で。それより中京に。格子作りの奇麗成ル借

家を借り。八百やの息子なれば系図を改め。+八百用安-と変名して。草履取に

紺の布衣。目に立程の大脇差をさゝせ。其身も俄医者と見られまじと。

四尺壱弐寸の長羽織。上掛した様な姿にて。朝五つ前から出歩行けるに。見る

人ごとにあれこそ。例の生薬師様よと。めつたに有難がりけるゆへ天然と。

病も治りける。鰯の首も信心からいよ/\吹付る八百用安が仕合。次第に

療治繁昌して纔の茶匙の先闇夜探る様な療治にて家屋敷土蔵弐ケ所

の主と成り。今は四枚肩にて中をとばせ都の中に誰知らぬ者もなかりける。

精は道に寄て賢なりといへ共。始めはなたれて遊び暮せし時分。かく成べしとは

うろたへた神も御存なし。親作兵衛が庭訓を耳にはさみ忘れざるゆへなり

人として精さへ出さば何ンでも/\

  (三)老の命継兼た糊屋婆々

禍福門無といへど人の仕合ふ仕合に、門口がなふてはかなはず。天災にてふ

仕合に成り天運にかなひてめつきりと。富貴に成ル者もあれど。何れも百分

の一つにして沢山に有事ならず。都の町に+両替屋金兵衛-といふは此比の分

限者にて。屋敷構へ広く手代四五拾人も置ならべ間口拾四五間土蔵五ケ所

角屋敷引廻して五百両や六百両は。紙屑篭の中にも捨て有り相な。

家柄根づよき身體を見るに。なか/\五十年や百年続たる分限者

では有まじ。神武天皇已来の金持と思へど。此分限者の成立を聞に先祖は

賎しき仁にて。昼は塩を売。夜は草履草鞋を作り或は宿替に雇れ出替

の荷持ちと成り。足手の続ほどは唯居せず。始末第一にとて。びたひらなる

費をせず。博痴は嫌ひ。酒を飲ず。たばこも飲まず。麻につれる蓬とて。女房も

壱文弐文に気を付てかせぎ。髪に油気を付ず。白粉をせねば。米粉袋も

入らず盆正月も木櫛のはげたるにて間に合せ。洗濯した革足袋のまつ

黒に成たもいとはず。夜業に明日の仕事を斉(?)し。朝疾起て働けば血道痞も

おこらず。娘や息男は律義者にて奉公の給銀を半分づゝ親の内証を見つぐ故

世帯に喰つぶしとてはなく。そろ/\内証も暖に成て。春の開帳に餅屋をしての

大当リ。後は商売を替て呉服見せを出せしが。商ひはうる物慥なが能とて両

替屋と成られてから。わずか二代め。あの様な大身體に成られしとの噂男子たる

者の能手本なり凡男子は器量に構はず。片目鼻かけにても。我職

分を精に入始末能稼に油断なければ。相応に仕合して行ものなれ共。始の

子は器量が第一にて。知恵才覚有るはかへつて害に成ル物ぞかし。牡鶏の晨

するは禍の種。聞もいや目の覚る。醒が井通+糊やの小四らう-といふ者の娘

+おりき-とて。十七に成りけるが。隣町に並ぶ者なもなき美形にて。七つの歳より

琴三味線の稽古をさせ。舞子に仕立奉公に出す工面なれば。貧しき親の内

に居ても。食を焼せず手が荒るとて水を汲せずあひたてなく育

あげしゆへ。手足のしんじゆうさ。はきかけした紅裏も。着てがよければ通り

裏と見へ櫛かうがひもまがひとは見へず。ちよつと見て弐百目より下では出

来ぬ。正真の玳瑁と思はるゝも。器量能生れし一徳なり。見苦しき女子は綾羅

錦繍をまとひ。首筋より上に。いろいろの道具を指装ひを尽す共。美女の

髪もいはず。ざつとした原入島を着たるい方が遥ましなり娘の子を持つた。

つかみの親は。我子を美人とのみ思ひ。舞子に仕立上つかたへ奉公に出し娘の

おかげて出世せんと器量の吉悪に気も付ず。成長すると待て肝煎を頼み

捨銀廿枚と極め是ぞ能ひ銀設と悦で奉公に出しけるに。此娘生質人より

土仏のごとく肥ふとり。鼻はいかり鼻にて。盗人眼背短く。尻はふご尻其

癖鰐足なれば。歩行振の見苦しさ。いかなる物喰の能男でも蓋も取る

まじき悪女なれば。奉公の末を遂ず。半季立や立ずにつき戻さるゝも

理ぞかし。されどもつかみの親なれば当分捨銀を仕てやるが能さに。いよ/\

口を聞達有付ケけるに。彼方此方半季づゝにて戻り。もはや廿五六に成て舞も

おかしからず。三味線と国太夫節を覚へたるを幸ひに。三十過る迄外の舞

子の地を勤め後は舞ぞこなひに成て。女房にする者もなく。顔に皺の寄迄

ぶらつひて果の知れぬ娘と格別ちがふて此おりきは先に人相能。世弐相は扨置。四五

拾相も丸めて持た顔付。唐土天竺はいざ知らず。日本の内には又と有まひと

上気ざかりの若ひ者共が。滅多褒するも無理ならず。此娘の噂世間広く成り

ける故か。折節町/\の子共をかどわかしける人売聞付けて。術を以ておりきを

ぬすみ。猿轡をすませ。何地共なく連行ける。二親悲しみて諸方を尋ね知

音念比成人を頼み。或は一日百弐十文の雇われ人を頼みて。おりきが行衛をさが

せ共。更に有所知れず。身を投死たるにもあらず。天狗につかまれし物

ならんと。母親歎き暮せしが。終に両眼を泣つぶして盲目と成りぬ。爺親も

此事苦に成ける故か。隔といふ病にて百日斗して相果ければ。今は盲目の母親

壱人。見続する親類もなく。朝夕の食事に尽て是非なく天窓を丸め。旦那

寺の住持の破衣をもらひ。門/\に立て南無阿みだ仏の御影にて。命斗は生延ぬ

それも足の達者なる内はなれ共。次第に食事とぼしく老衰の身なれば。

歩行自由ならず飢渇にせまり。此儘飢死せんよりはいつそ一思ひに。首縊て

死んと細丸ぐけの帯を。垂木に結び下ケ首にまとふて。火燵の櫓を

ふまへ。既にあやふく見へける所へ。家主来かゝり。此體を見て驚き。其儘

抱おろし。扨/\無分別成事を思ひ立れし事かな。其心が有ては此方の借

家には置れず。どつちへ成共早ふ宿替仕て下されと。請人をよび付ケ。若もの事が

有ては家主の難儀なれば。請状之通其方へ渡べしと。其日直に家を明

させ。請人の方へ送りぬ。請人といふも。弐両三分の礼銀を取て渡世にする請

屋なれば。手前に長/\かくまひ置事もならず。情なく追出しける。世の

情といふは人の落墜を救ふこそ。真実の情にて有に。かかる仕為こそ浅まし

けれ。此母親は死る事さへ自由にさせねば。道路にたおれて泣悲しみ。芝居にて

見たる俊寛僧都よりつり取る様な姿に成られ。小野ゝ小町が百年の長生。

足本よろ/\と。鸚鵡小町のさまもかくやらんと。あはれに覚へける。三条通を

西の方へよろめきながら行れける所に。供廻り美ゞしき士。乗物を飛せて

来たり。かのうばり前にて乗物より下り。扨/\よひ所にて逢たる。

嬉しさよ。先/\此乗物に乗給へと。手をとれば。此うば不思議に思ひ。何故に

左様仰らるゝぞ。御知音でもなひ御方が。左様な仰らるゝこそ心得ねと。興さめ

顔にていへば。かの侍懐より一通を取出し。是こそ其元に娘御おりきどのゝ

書置なり。某が主君去ル御大名なりしが。鎌倉参勤の比島原にかよひ

給ひしが。+朝妻-といふ太夫に馴染給ひ。御気に入たる故請出され御国本へ

召つれらるゝ所。此朝妻はおりきとてそなたの娘なる由。委しき物語にて

殿の仰を承り。御迎ひに参りし也。早/\此乗物へ乗られよと。老母が前に

指よすれば。老母大きに肝をつぶし。扨は過にし比行衛知れず成りし。

娘のおりきは島原の太夫と成り。御主人様の御気に入て。御国本へ召つれ

下さるゝか。あらうれしや一刻も早く。娘にあわせて下さりませと。夢

見た様な心にて悦ぶも理りなり。迎の武士頓て我乗りし乗物に

乗せて。殿様の御前に伴ひければ。娘をも御引合なされ。久しき親子の

対面をさせくれ。娘は御部や様と成り。剰へ殿様の御胤を身に胎しければ。

家中の重んじ。昔の貧苦に引替。極楽世界に生れ出し心地ぞ為ける。

糊やの娘なれば。糊姫君と仰れ。老母も一生の栄花を極めける。此おりき人

売の手に渡り。島原に勤奉公して。大名の御子を孕み。母おや迄うかみ上る事。

器量人に勝れしゆへぞかし。今の世にも娘の子を御陰で。活計に暮す者

あれば。器量よしの娘を欲がる筈なり。男の子の器量好は色狂にて。

おやを僵す事多し。蛇皮顔がましと。さるおやじがいはれしも理りぞかし

              一之巻終

 今 昔 出 世 扇                       二之巻

            目録

 第一 念仏講の道引留た三弦の一曲

             数年の稽古は内の親父に隠芸

             親の威光に遠慮は内証の勘当

             木から猿落ぶれた身の難儀

 第二 三界無庵迷ひ歩行我慢坊主

              学文を鼻にかけて見る問答の□

              和上の閉口に是はしたり顔

              薮から棒突出した住持職は身の幸い

 第三 浮世の学問に悟を発禅門の物好

              老人も好の道に辛読はなし地の弁当

              兀た天窓に編笠は隠のなひ芝居好

              浄瑠璃太夫も身の上を語詰た愁の段

  (一)念仏講の道引留た三弦の一曲

宮商角徴羽の五音を音楽の本とす。聖賢詩賦に和して国家を治る

の用と為給へり。異国本朝とかはれど。音律にかはる事なし。我朝の琴三弦は

異国の廿五弦を略して作れり。日本人は音律にかなふ事唐人より勝れた

れば。和琴の中より三すじの糸を撰り出し。三味弦といふ物を拵へ出して。

自由に音声に和する事是に及ぶ物なし。尺八は全體日本の音声にかな

わざるゆへ。小歌などには和する事あれ共。浄瑠璃謡の音に合ず。此比

尺八の上手なりと肱を張者。義太夫節を合するのイヤ国太夫節には猶能

のと自慢するを聞に。更に合といふにはあらず。無理遣りに浄瑠璃につれて

吹さへすれば合と思ふて。よいや/\とほめなやみ。尺八吹もいよ/\自慢顔するは。

愚なる事のおかしさ。腹筋もよれたり。それも下手が吹ては五尺手拭が

壱尺も音に合ずビイ/\鳴斗にて飴売笛のごとし。三弦の妙といふは

下手が弾ても壱弐三の音声に合ふ事。自然と甲乙にかなひ。上手が

弾ばいよ/\人の物いふにかはらず。いかなる堅ひ石部金吉と名を取りし親父も。

息子や嫁の手前を思へばこそ。いやな顔して居らるれ。内証では聞たいが一杯

なり。都のまん中烏丸通見せつき奇麗に。唐物和物何にでもないといふは

馬の角。目に立た呉服店。表には手代拾人斗も並居て。帳合算盤の音

軒に響く。+音羽や四郎兵衛-といふは。今年十八元服して身體を受取り。親父は

町内に沙汰の有ル。昔作りの堅ひ仁成りしが。隠居して+浄西ーと法名し。

朝晩寺参りに外は内をはなれず。隠居から喰がよひにして。茶もわか

さず。息子四郎兵衛が後見して。釜の下にあだ火を焼せず。食の焼を

万日参りの弁当に丸めて出らるゝなど。万事の始末。四郎兵衛の手本

にと。芝居咄し浄るり三味線を嫌ひ門口へ袖乞が浄るり語て来れば。

耳ふさいで逃らるゝ故。手代共も心得て一口も語らせず。米一つまみもろふた

袖乞はなかりける。此浄西十夜講に出られしが。丸太町辺に三味線の一曲おもしろく

聞へるを。念仏止て立留り。耳をすまして聞るれば。小紫桜づくしのつれ弾。

忍ぶにつらき有明桜とうたへば。ひとりの口の内にていか様今よひ。忍んで聞て居る

にも。此月夜のあかひはめいわく。恋する身にはわるひ物じやと。むかしの若ひ時の

事を思ひ出して。立休らひ十夜講を。とちてんの音じめにとんと打わすれ。

あまり聞入て居られければ。内より誰共知らず顔さし出し。どなたで御ざる

最前より御老體の立聞は。御足がいたみましよ。内へ御這入りなされませと

いふに。浄西嬉しく今夜は。十夜講に参る道すがら。此所でしやみせんが

耳へ入て。あまりのおもしろさに。時刻が移りましたれば。もはや十夜講の

夜会の間にも合ますまひ。とてもの事に緩りと承りましよ。御免なり

ませと内へ入て。三味線弾て居る顔を見れば。息子四郎兵衛なり。浄西は

肝をつぶし出ても帰られず。四郎兵衛は親父共知らず。一心に師匠の+与義市-と。

つれ弾して居たりしが。親浄西がにがり切たる顔を見るより。コリヤたまらぬと。

三味線捨て逃んとするを。浄西いかり声にてヤイ世忰め。おのれつく%\三味線を

商売に替て。精を出さずんばか程に面白く弾事は成まじ。此浄西は此年迄

浄るり三味線は扨置。碁将棊双六さへ家業の邪广と思い。手にふれ耳に

聞事を嫌らひし故。手代共も自然と嗜。家業を第一と心得。今迄不埒の沙汰

なし。是我身を慎で手本を出し置故なり。主人壱人の心得の善悪にて。

其家内の者行義善成り悪敷成ル。一国を治る上/\も我/\が一家を活るも

同じ事。おのれが子共の時に読だ。一人貪戻なれば一国乱を興すといふ事を

わすれたか。其様に三味線を好心では。此方の内の手代共迄しやみせん弾に

為おるであらふ。此浄西も木でも竹でも作らぬ身。何ンのおもしろい事が嫌ら

ひで有ふぞ。それを今まで嫌ひな顔して見せたは。おのれや手代どもに

嗜ませふ為。其様なうわ気な遊芸を心がける根性では。今迄人に指を

さゝれぬ音羽やの跡は継されぬ。爰の座頭殿も座頭殿。此方の息子と知り

ながら。此様なうわ気な芸を教へて。野良にして下さるゝ心底。さりとは

聞へぬと。与義市をうらみたる詞。無理とは思へど。金槌親父と異名せられし

わろが。ふすぼりかへつていかるゝに。与義市もせん方なく。いかにも御立腹

御尤に存まする。座頭の身として三味線を教へまするといふは。心の外の不

調法で御ざります。何事も御堪忍なされませ。重てから此座頭が教へたと

申沙汰有らば。三味線冥利につきませふ。此度は先御かんにんなされと。手を

合せ拝む様にいへど聞入ぬ。渋紙おやじかぶりを振て。イヤ/\気に落ぬ世忰めと

思ひながら宥免して置ては。夜の目が合ぬ。是からは直に勘当。どつちへ

成共出て失ふ。おのれが好た様にあみ笠着て。門/\に立。トチテン/\で暮し

おれと。いひ捨て。戸を+びつしやりと引立。あいさつもなく立かへりぬ。夫より四郎兵べ

親類を頼み。何とぞ向後を嗜み。御気に背き申まじ。御侘なされ

下されと。弁舌+吉野や善右衛門-といふ。母方の伯父を頼みけるに。善右衛門心得浄西が

隠居へ。外郎餅一棹懐中して。寒気見舞に参りました。手前に有合て。

よふはなけれど上ケますると。さし出せば浄西好物の外郎餅と見て悦び。

年寄て歯がなければ。堅ひ物は口に合ぬ。身共には相応成ル土産と悦び。

機嫌能を見済し。善右衛門申けるは。物には相応が有物にて。御歯のなひおまへに

正月の片餅。其外堅ひ菓子類は御慰にも成らず。益なひ事と存まして

此外郎餅持参致しました。それに付御子息四郎兵へ殿の義悪事とは申

ながら。契情狂ひ博奕などゝは違ひ。若ひ内に三味線の芸古。有まじき

事ならねば。五十年六十年を経て。昔質気のおまへの気には。不行跡と思召ふ

けれ共。片餅の御歯に合ぬ道理にて。当世に合ませぬ。か様の事にて御勘当とは

あまり成ル事。年若な四郎兵へと。年寄たおまへの心と思ふ様にはなひ筈。此度の

義は我等が申請まする。御中和睦なされ下されと。弁舌吉野屋が理屈詰に

いへ共。浄西いよ/\合点せず。年寄たればとて了簡がなひではなひ。三味線の

芸古は軽けれ共。家内の者が見習ひ#叨に成ては。家が治らぬ。何分此事に於ては

宥免ならず。いひ出して下さるなと。重て取付島もなくいひはなされければ。

吉野屋も是非なふ口を閉て帰りぬ。四郎兵へに此事をいひ聞せ。いかにもして渡世に

取付#稼で見□れ□後は知らず今分聞入るおやじ殿の詞ならず。さりとは

堅ひ親父。あの様なおやぢを持た。そなたは不仕合じやと。舌を巻ていふも

無理ならず。子を思ふ親心なればさもありなん。さりながら我子と思ふ

心安き分別より。少の事にも勘当/\と。組中の役害。一家の世話に成

物ぞかし。我子の悪事を世間へ弘めるも同じ事にて。月の内に弐度も三度も

町勘当して。人の世話に成りながら。いつの間にやら勘当宥して。嫁を入れ

隠居して居るおやぢも世間に多し。勘当するも早く。宥す事も早し。

四郎兵衛は何を渡世に為べき元手なく。念比成ル人の世話にて大長屋の

内の小借家をかり。弟子を集め三味線の指南して暮しぬ。天性器用者にて。

三弦の上手と評判につれて。弟子も多成り。渡世に不足なかりけるが。其比

都に隠れなき分限者。+関東や吉兵衛-といふ仁。生得三味線好にて弟子と成り

けいこせられしが。四郎兵衛が行跡外の芸者と違ひ。+廉直質朴なるを感じて。

三弦弾を止させ。都の真中に土蔵付キの家を買ふてあてがひ。鉄物道具の見せを

出させ。万事と見継取立られけるに。次第に繁昌して。今では。家内拾四五人

楽/\と暮しけるを。親浄西聞て卒尓に勘当せしを後悔し。吉野屋

善右衛門を頼み。何とぞ忰四郎兵衛に詫ことを頼みます。始の様に親よ子よと

申たふ存ます。三味線であの様な身に成らふとは。夢にも存じませなんだ。

今より手代共にも急度申付て。随分芸古させましよ。何とぞ四郎兵衛に

御取成し頼ますると。日に三度夜に三度程頼み行れけれ共。あまり心安ふ

勘当せられしをにくみ。善右衛門もしぶ/\返事して。半年斗ももがらせける。

仕合とはいへど。四郎兵衛が今の身分。芸は身を助くるといふ世話に。

さぐり当れり三弦でさへ如此。況上芸におゐておや。

  (二)三界無庵迷ひ歩行我慢坊主

凡天地日月の運行にて。四時にわかれて春夏秋冬と成り。万物成就する

ぞかし。其中にはさまれたる人間の身の上に。仁義礼智信の五常ありて。

万事を調練するなり。仁義礼智といへば。めつたに堅ふ覚へて居れど。

仮名でいへば作法の事をいへり。出家とは家を出ると書て。三界無庵の身なれば

此世の事をさらりと取置。来世の事のみに暮せば。仁義も礼智も入らぬ

筈なれど。今時の出家の有様を見るに。盆正月五節供に檀家へ礼に

廻り扇子箱納豆箱を小僧に持せて。年始の御礼申ますと大地の

住持は。四枚肩に奇羅を磨き。銀儲と世を渡る業に油断はなし。

松茸時分笋時分に。諸方の旦那の内、内証の暖な旦那衆を集て。塩梅

の能ひ振舞をせかるゝも。屋根の漏と奉加帳出す時の為ぞかし。渾て今の

出家の行跡、世間を勤め利欲多して。俗人におとれり。其宗風の本意に

かなふ出家を見ず。何角に付て銭を欲がる伊勢の国。渡会郡にとりわけ

人の有難がる。+銭湧山茶苦蓮寺-といふ。名高き日蓮宗の寺あり。住持は

多欲無残の大権者にて。姥嚊に題目をすゝめ。宗義お有難ひ事をいひ聞

さるれば。八宗九宗の中。此宗旨に勝たるはなひぞと。此寺の檀那いづれも

我慢の角を振立て、朝晩の寺参りに念仏無間禅天魔などゝ住持に聞

はつて。唯他宗を譏るを能事と心得。寄合茶飲咄にも。妙法れん花より有難ひ

事はなひ。死ぬ先から多宝如来と膝組で居るも同前。何ンと皆の衆そふは

思はしやらぬかと、題目頭の親父が詞に。同行共いづれも悦び。皆々仏顔に

成て有難がるもおかしかりぬ。中にも+算用あはづやの利兵衛-といふ親父。

罷出て住持に申けるは。近日我等が仲間にて能太夫を取立の為に。勧進

能を仕う筈にて。我等も百万と隅田川の地を勤めまするが。此百万にも角

田川にも。我等が禁物の念仏が御ざる。此念仏を謡ひまするもいま/\しう

存れば。何とぞ妙法れん花に。謡ひ替ましたらば能からふと存じて。いろ/\

工夫致しますれ共。妙法蓮花経と申ては何共。節がいけかねまして

難儀致します。但し謡の事なれば。念仏にてやつてのけませふや。何ンと

致しませふぞと。住持に問へば。以の外のぶ機嫌にて。ハテ扨其元の

詞共覚へず。此宗旨に帰依しながら。謡じや歌じやとて。なむあみだ仏

いふて能物か。まだ信心が足ぬ故。其様なまだな事いはるゝ。但し念仏申て

地獄へ落たいか。隅田川の狂女も念仏好ゆへあのごとく。此世から気狂ひに

成て。笹の葉に紙足切かけて迷ひ子を尋るは。妙法蓮花の罰が当た

故ではなひか。必/\百万であらふが隅田川で御ざらふが。南むあみだ仏を

いふまひぞ。其様な謡をうたおより。流行歌でもうたふて。間に合せておかつ

しやれ。ひよんな謡が有故旦那寺の世話に成ルと。にがひ顔していはるれば。

粟津や利兵衛も気の毒の天窓を掻いて。左程に仰らるゝを聞ていよ/\。信

心が増まして御ざります。向後は謡講の中間への断申て出ますまひ。

さりとは麁相申ましたと。あやまり入ていへば。住持少落着ながら猶も念を

入て。然らば重てか様なうたひを謡いますまひ。其上諸方の神事初/\の

祭礼を。見物にも参るまひといふ証文を書給はゞ。祖師日蓮上人様へ御

詫び言申て進ぜふと。硯箱に美濃紙取添て指出さるれば。弟子の中より

+翫哲-といふ坊主。すゝみ出て住持が袖を引へ。宗義をおもんじ。諸人の喝仰を

求め給ふ御所なれば。唯今の仰はさる事なれ共。証文を書せ給ふにはあまり

御念が入過。却て他の嘲を招く道理。心に納得せざれば。証文百枚千枚取り

給ふ共益あるべからず。殊に日蓮上人への。御詫言とは其意を得ず偽て

証文を書ばとて、。祖師の機嫌の直るにもあらず。菟角檀那衆の信心不

信心に任せ給ひ。無理押に証文を書と仰らるゝ儀は。御用捨なされませ。左

様に仰られては。心に合点なき者も平強に強られて。其通に致す共跡から

法度を背きて。いよ/\証文役に立申まじと。小僧達から外の弟子とは違ひ。

理屈張る生れ付にて。住持をこまらせて見んと思ひ。気に合ぬ事もかま

わづずつかりといへば。住持も元来文盲にて唯旦那を勧めん為の詞なれば。

翫哲に打こまれて返答にあぐんで居られしが。小僧めにいひ負て無念

なと腹を立ても。此翫哲が利口にはおよばす口先の問答より手みじかに

此寺を追出して。思ひしらせんと其日直に寺を追出されける。翫哲は何共

詮方もなく。それより近所の+浄土宗安楽寺-といふ寺の納所坊主と成りしが。

生得学問は器用にて記憶よく。物覚能けれはおのが才知を鼻に掛て。此

寺の弟子坊主共論議を仕かけ。髭に白髪の有弟子共を閉口さすれば

寺中もてあまして。此様な我慢者を置てはやるましとて。又此寺をも追出

されぬ。翫哲又+弘法寺といふ真言寺-に頼りて例の納所坊主と成弐三年

過しけるに。寺中の坊主を相手にして字書を論じ。宗義を問答するに

学問といひ能弁なれば。皆負色に成て彼に続く者もなしいよ/\高慢に

止ず。天狗程鼻を高ふすれば寺中の坊主共。憎み出して終に其寺をも

半途にして追出されぬ。翫哲つく%\思ふ様我に続く学者なく。負腹

立て追出す事少しも我科にあらず。相手のちから足ざるゆへ也曽て聞。

曹洞宗に博学の者ありといへば。何とぞ彼宗旨に入て我力量の程を

顕さんと。始めも懲ず改宗して。其比都近き醍醐といふ所に+達磨寺と

いへる曹洞宗の寺-に入り。半年斗リ勤めけるが。十月の中比冬至の日に

法事をせられけるが。法事の上にて和尚と弟子と問答を始らる。翫哲は

折節庭の掃除をして居けるが。箒持ながら見物して居る中に。小僧問答に

打負本座へ立帰るを見て。翫哲堪へず。帚を捨て如何是祖師西来意と

問いかけたり。一座の僧共肝をつぶしおどろきしが。和尚騒がす庭前の柏樹

子と答られしに。翫哲又おし返して。和尚声解の事如何といへ共。和尚返答

なければ翫哲其儘すゝみ寄て。和尚の錫杖をひつたくり。己が寮へ帰りけるに。

和尚もあきれて居らるれば。僧達も口を閉て何共すまぬ顔に成て。其日の

問答止にける。和尚翫哲を呼で汝が今朝の問答に。出しやばりたるさへ

ふ届なるに。あらぬ悟を以て問かけし故。我当惑して解せず。法事を妨る

のみにあらず。人を軽しめたる仕方奇怪也と。色を変て呵るれば。翫哲尖

天窓ふり立答ていふ様。是は和尚の出損ひと存る。惣體問答は当意即妙を

以てする事と承る。声解の事とは和尚の仰らるゝ事は。何事にて有ぞと

申事也。則問答に仰られた。庭前柏樹子と申事は。何事で御ざりますと

申事を。声解事と申た物で御ざります。愚僧問答を致せし義

なければ。存よりを以て申て見た物で御ざりますといふに。和尚いよ/\立腹

有て。其夜直に寺を追出されける。翫哲又爰をも為損ひ。一年に二度三度

改宗して。諸方の寺/\看坊。或は納所などを勤めけれ共。尻を居ず。鉢を披かふか

首縊らふかと思ひしが。急度心を取直し。皆我慢より仕損じたる事を

悔み。+去門徒寺-の賄ひ坊ンと成て居たりしが。内に物有れば外にあらはるゝ

道理。才学自然と人に知られ。始の我慢を止て。温順なる事二度作り直せし

ごとく。柔和にてしかも弁舌能ければ。談義の上手肩をならぶる者もなく。

寺々より招待せられ。一ケ寺の住持と成て。前々堪忍したる。女犯肉食心の

儘に成て。安楽国土に生れ出たる心地せられぬ。

  (三)浮世の学問に悟を発禅門の物好

往昔の聖賢心情を和するに。楽を奏して慰みと為給へり。我朝の歌

舞妓狂言。浄瑠璃繰等。聖賢の目からは悪嗅ひ匂ひを嗅様に。目を塞ぎ

鼻をつまんで。にが/\敷事の様に思召は尤なれ共。今時の人とても学問して。

致知格物居敬窮理などゝいふ。むつかしきチンフンカンは。学ぶ事掘てもならず

文盲な目からは。浄瑠璃の文句。仁義釈教恋無常に気を付て聞。歌舞妓

狂言の実方敵役の好悪を見て。当分の慰みとせず。手本にして見るならば。

親子の嗜君臣のまじわり。継母の邪見。継子の慎を我身の学文と成るべし。

天窓に血の多ひ見物。僭上を表にする者は。我身たつた壱人に桟敷四

五軒打突。馴染の女良はいふに及ばす。牽頭女良花車ぐるめ。拾人斗桟敷

一杯に成て。舞台の方へは後向て。酒と肴に口の動かぬ時もなく。女良の

顔斗見て。狂言は何を仕たやら夢助で居らるゝ。さりとはつまらぬ穿鑿

ぞかし。女良の顔を見て。酒や肴が飲喰仕たくば。山の中広原へ往て楽が

能さそふな事なるに。大勢の中で遠慮もなく。指た押へた。間の又

間のと。きやつきやといふがやかましさに。下に居る見物が東西/\といひつゝ。

大尽の顔を見て。いろ/\のわる口をいふも知らず。はな毛延して居るは。そば

から見ても汗が出て笑止なり。浄瑠璃の文段に。愁。修羅事に節を付て。

善人悪人の身振を人形に移し。おやま人形の恋する俤。情ぶかき思ひ入は又

歌舞妓の及ぶ物にあらずと。深く打こまれし+槌屋玄能-といふ中京に

隠居して居られしが。毎日/\小僕に少の弁当を提させ+源五郎-といふ四つに

成ル孫の手を#曵て。繰芝居と出かけられぬ。観音参りおやの名日にも。鳥辺野

清水を八坂の塔の下から拝で。よせ太鼓打中よりばを取り。座禅した様に扨も其

後の始るを待かねて居らるゝ。後世菩提に替て此道を好まるゝは。唯の事では

有まひと。人の推量に違はず。此禅門談義を聞鐘を扣て念仏を申より

浄瑠璃の文句の通り。善悪を弁へ。悪人は滅亡し。善人は自然と善果を

得る道理が能聞へておもしろし。合点の行ぬ講釈を聞ふより増しじやと。思ひ

とまれかし故ぞかし。自分と好まるゝ浄瑠璃なれば月待日待にも太夫共を。

呼集て語らせられける故。習より成と世話にいふごとく。孫の源五郎四ツの

春より。太夫共の語るを聞覚て。乳母がふところでも片言勝に語りしが。

次第に能成て段物を空で覚へ語るに。器用人に勝れたるにや。家内はいふに

及ばず。隣町の人も聞伝へ。焼餅壱つかふてコレいと様源五郎様しんぜましよ。何ンぞ

道行でも壱つ聞して下さりませと。好にまかせて語りけるが。爰の奥様

かしこの娘御の慰に。乳母諸共に頼まれ。四つ太夫と異名を呼れける。実に

十壱弐の子共にはかゝる事も有べけれ共。それも三味線の調子に声が合ぬ

物なり。この源五郎が音声ば。自然と三味線の調子にかなひ。かせも入らずまれ成ル

器用者也。爰かしこの馳走にまんじう羊肝。其外種々の干菓子蒸菓子を

したゝか喰ける故。秋の始比より腹泄り。熱の往来止ず疳の病と成り。次第に

痩衰へて。終に空しく成りけるぞ是非なけれ。祖父の禅門わけてかあひ

がられ。好物の浄瑠りを能語るといひ。いたいけ盛の孫を殺せし心の内の

悲しさ。老の命は存命へ。又も類ひなき器用者を。先立し事のふ便さよと。

共に消入るごとくに歎かれしも理りぞかし。人に勝れて器用なる者は短命なりと。

おや/\の気遣ひ絶ざりしが。源五郎が死たるに。+親の所右衛門-ちからをおとし。

かけ替もなき壱人の愛子に別れてより。ぶら/\気労に様に煩ひしが。

明年の春の比。いまだ四十に満ずして死去せられぬ。女房の歎き祖父の玄能の

悲しみ。孫といひ息子といひ。中壱年置て。かゝる不孝に逢れし上

なれは。愁嘆有も理りぞかし。玄能も法體の身ながら本家へ立戻り。

家内の万事を引受て世話せられけるが。一家の内より養子に取べき者も

なく。他門より相応の者もあらばと。聞合せられけれ共。有はいやなり思ふは

ならずにて壱両年を過されけるが。例の浄瑠利好なれば。折/\の日待毎に

太夫共を呼で。浄瑠りを語らせて慰れける。其比大坂より+竹本今太夫-とて。

上手の太夫上りしが。+市松-といふ稚き子をつれて。諸方の座敷へよばれ

語りけるに。此市松年は。五歳なれ共器用者にて。能語るといふ

評判。玄能も聞及ばれ。有夜今太夫親子共に呼。浄瑠理を聞れけるに。

人の噂にたがはす。市松が浄瑠理。聞人皆上手かなと手を打て褒

ぬ者なし。玄能あくまで好の道なれば。今太夫が素性を聞合て合点

さへせば。此市松を養子にもらひ。槌屋の家督を譲らんと思ふ心出来て。ひそ

かに今太夫が是迄の事共を。聞あわせられけるに。此今太夫も元は大坂日

本橋筋の。歴/\の町人なりしが。契情狂ひに身を持崩し。勘当せられて

今太夫と成り。浄瑠理を渡世にして。諸方の芝居に頼まれ。給金は取れ共

いつも三粒戴の身體。金を延したる事もなく。始終かたり詰たる身の

上なれば。女房は難波の新町より。受出せし全盛の太夫なれど。暇を遣りて

別れぬ。今は能き銀の蔓にも。取付度思ふ胴中へ。槌屋玄能市松を養子に

望れしかば。天の与る幸と悦び。一子なれ共養子に遣しぬ。槌屋玄能が

一門一家此事を聞て。腹を立筋もなき事をせらるゝ物かな。いかに気に

入ればとて。浄瑠利太夫の子を。養子にせらるゝ事や有と。さま%\と異見

すれど玄能聞入ず。浄瑠璃太夫なればとて。筋目悪敷にもあらす。殊に

いまだ幼少の市松なれば。野良者に成たるにもあらず。成長せば行跡の事は。

手代共にいひ渡して置ぬ。槌屋の身體を持崩す事は有まじ。とても他人に

渡す身體なれば。気に入たる者に遣るが能と。親類の異見をも用ひず。

いよ/\市松を不便がり。毎夜枕本にて夜半八つ迄。浄瑠璃語らせて

慰とせられぬ。玄能は人と違ひ。切れ離れたる気質。惣體物を苦にせぬ

生れ付故。無病にて年よりは若く達者なり。市松も成長して槌屋

所右衛門と名を改め。槌屋の家督を続。旦那様と手代家内の者共が尊敬

するに。おのずから浄瑠璃を語るに。遠慮の心もあれ共。幼稚の時より

語り覚へたる事故。折節の慰に語りしが。実父今太夫所右衛門を諌て

浄瑠利を語事必無用なり。我今太夫と名を付。浄瑠璃太夫と

成りしは若気の至り。今後悔せり。其方も今より浄瑠利を止て。親の

恥を隠すこそ孝行ならめといへば。所右衛門聞て仰御尤もに存るしかし。

我等が加様の身に成しも。浄瑠利の御陰。おまへの是迄渡世に成れしも

浄瑠璃なれば。今更已嫌ふ事にもあらず。人は出生を忘れぬが慎の第一

なりとて。其後は浄瑠璃を止て商の道に精を出し。拍子扇と古き

烏帽子折の本ンを宝物として。出世したる分を子孫に残しぬ。

浄瑠璃も語り様が能れば。末一段にてかゝる仕合に芸の一徳

             二之巻終

 今昔出世扇                       三之巻

            目録

 第一 古今になひ賑ひは神徳の御陰参詣

             地から石仏掘出した見世物の銭儲

             外と内と格の違ふ軽平が居合

             鵜の真似の烏南無三方の所化

 第二 土民でも心は穢ぬ正直は我身の徳

              村中を我儘におつと庄屋が跡役

              昔の恩は重ね/\重たひ三貫文

              互の時宜に捨て行心の底は冥加銭

 第三 喧嘩には荒物や天窓を打割鼓の手の内

              商売は雲泥間のなひ両隣

              力量は白雨に味噌屋が怪我

              痛ひ所を按て戻る堪忍は後薬

  (一)古今になひ賑ひは神徳の御陰参詣

渾て世間の事に付。時を得ると時を失ふとは。大き成相違なり。

商売の上にては薬売油売。呉服屋竹細工屋其外。味噌や

醤油屋等に至るまで。時風と時風ぬとは。金銀銭もふけの多少は

灯挑と釣鐘。お月様と鼈程も違べし。人間の事業は左も有なん。

仏神の上にさへ時風仏時風神ありて。思召様には成らぬ事と見へたる

譬ば清水の観音より。六角堂の観音が。利生霊験が勝れたるにも

あらず。いづれも一切衆生済度の。誓願に替る事なし。天満宮とて

も諸方の天神宮より。北野を崇敬する事。是世俗のまよひにて

神徳に異儀有べからず。何れの天満宮にても。信心の厚き者には

其効験なからんや。売薬油屋とても。時行出の方が能にもあらねど。

是が能と思ふから。薬も利伽羅の油も。光りの有様に覚へて。思はず

銀設する者も世間に多し。目鼻もなき石仏をふり出しても。人の

いひなしにて。群集を成して参る咄を聞ば。目を明て下さるゝの。いや

聾を直して下さるの。腰ぬけを立せて下されしなど。様/\の事共を

いひふらせば五里十里に響き居歩を。駕篭に乗せてつれて参る

も有。十四五年も目の盲た者を。肩にかけて走るやら。少の持病ある

者も。遠ひ近ひにかまはず参る事。引も切らず爪の立所もなし。されども

盲目の眼も明ず。聾も療らず。少の病でさへ本復せねば。次第に

信心薄ふ成て。わづか三十日か五十日にて。賑も醒め猫壱疋まいらぬ

様に成て。後には落書を立て笑ひ。科もなき石仏を恨る様になる物

ぞかし。石仏も定□迷惑に思召んとおしはかられて笑止なり。こゝに

伊勢の国よりひよつといひ出して。ぬけ参り多く。御かげまいりと

いふ事をいひ出せしより。子児長者は本より。老人の不達者なも。駕に

乗て参るも有り。銭なしの貧乏人は杖をちからに。我も/\と群集し

ての参詣。伊勢道中は古来未曽有の賑ひなる所。古市中の地蔵の

間に。芝居見せ物京大坂より下りて。三本足軽業徳利子。小人島其外

大坊主鉄火握なんどゝいふ。癖疾者を取集めて。参詣に三文五文

取て見するに。大分繁昌して近年になひ銭儲け。京の納涼よりも

利を得たる事。偏に大神宮の御利生じやと。悦ぶも理りぞかし。□中に

取わけ様の見せ物より繁昌しけるは。+早飛軽平-といふ居合遣ひ。

太刀をぬくはいふに及ばず。身の軽き事蝶鳥なんどのごとく。種々の

曲をして見せける故。早飛といふ名評判広ふなり。此度始ての見せ物

なれば。諸人珍しがりて見物夥し。此軽平といふ者は生国京都の者なりしが。

いつの比よりか此芸を為覚へ。諸方の開帳万日に出て。相応の銭設は

すれど。生得浮気者にて大酒を好み。少し儲たる銭も一日も銭箱の

中には置ず。衣類身の廻り皆質屋の札に成て。寒の中もはな色に

縷を当たときあけを着て。やう/\と冬を凌ぎ。正月の餅も十四

五文にて赤小豆餅を買。赤小豆をあらに落して。雑煮の間に合せ。

三ケ日をどふして立ふぞと思案半へ。伊勢より状が上り。早々下られしに。

此方より手付銀として当分三拾目遣す。三月迄かるわざ芝居を取

組たるとの委しき書面。元より不文字なれば。隣の+寺子やの筆右衛門-と

いふ仁を頼み。読で貰たる時の嬉しさ。是ぞ天の助なりと悦び。手付銀

にて正月の拵人並に仕廻。取物も取あへず。急ぎ伊勢へ下りぬ。此軽平が

壱人の所作にて。一日に弐拾貫参拾貫程のあがりを。一ケ月に算用すれば

九百貫に近き銭儲ぞかし。何れの商売なればとて本手入らずに。是程の

銭儲は神武已来なひ事也。心易く銭を儲るに付て。軽平前方寒の

中にときあけ着て。震ひ居たる事を忘れ。三十日の芝居を仕廻たる

跡。儲し銭銀の有に任せ。下地好の古市中の地蔵の。あんにや狂ひに

銭の有切リ遣ひ捨ける故。又本の赤裸に成り。伊勢に逗留の中の飯代も。

払はず夜抜にして又京へ逃上りぬ。夫より七条迄の裏借屋をかり何に

取付所作もなくぶらつひて日数を送りけるが。槌屋玄能といふ人は

情有人にて。浄瑠璃語りの子をさへ。養子にせられし噂を聞ば。我芸は

いよ/\の本事で。何とぞ玄能に少々元手をもらひ。着類を拵へ小あきなひ

にも取付たひと。尻がしまつてからの分別。術なひ時の神頼みとやら。幸

槌屋へ出入する魚屋を頼み。身の上をかたり。玄能様へ取次て見て下され

と頼めば。魚屋も日比の懇意なれば。早速槌屋へ往玄能に申けるは。御情

有ル御方と承り。早飛軽平と申劍術早業の名人此度伊勢より上り

我等を頼みまして御座ります。おまへの御かげにて渡世に有付度よし。

涙を流しての頼み。不便なる義と存ずれば。彼が芸を御覧なされ。御慰

にも成なするならば。今太夫子を。御養子になされしほどの御慈悲なれば。何卒

宜ふ頼上ますると。年比いか成念比にや。色/\取繕ひし魚屋が口上を

玄能つく%\聞て。我今太夫が子を養子にせしは。浄瑠璃に泥んだる

故なり。さら/\慈悲の心もなく。情ありての事でもなし。軽平とやらが芸

は沙汰に聞たる斗にて。いまだ見たる事なし。左程難儀に及ぶ身の上ならば。

其軽平とやらんが一芸を見て。武家の奉公に成とも肝煎。取立てける

品も有べしといはるれば。魚屋悦びいかにも彼が芸と申は。中/\浄るり

などより勝れ。用に立て面白き事。四条納涼にての評判。定めて

御聞及びもなされませふが。どふもかふも申されぬ御慰で御ざります。先

御一覧なされませ。私が申に違ひは御ざりませぬと。いよ/\味よふいひ廻して

魚屋は軽平を呼に帰りぬ。其日の暮方に魚屋軽平を同道して

玄能が宅に来れば。玄能折節風の心地にて床に伏しながら。

座敷に屏風引廻して。彼軽平が芸を見られける。軽平は用意に

年を入何でも目を驚す程の所作をして。玄能の褒美を一廉(?)

してやらんと。座敷の天井高き所にて細引を渡し。五六尺もあらんと

思ふ太刀を小刀を抜より早く抜持。件の細引を飛越はね誠十文

字にかけ通り。種々の秘曲を尽しける。実も魚屋がいふに違はず。

目を驚かす事のみ多し。其後燭台に火をとぼし。其上に三方を

乗せ上にあがりて片足をたてゝ劍術の所作。此度は木太刀を止

て真劍の刃#曵を取かへ又もいろ/\の所作を仕ける家内のもの

目を詰て扨も上手かなと同音にどつと称けるが。いかゞ仕たりけん+

三方を踏破り。うつ伏にどふと落けるが。彼真劍の鋒余念なく+

見て居らるゝ。玄能の頬さきをしたゝかに突破り。其身も柱と

鴨居に天窓と腰骨を打当。弐人ながら壱度に目を暈せば。

家内驚き騒て医者を呼に走るやら。気付に水よと立まふ所に。

出入のさすり座頭居合。心得顔に探り寄り。目薬を気付と取違

呑すれば。やう/\と人心地付て。湯などを望れければ。家内少し安堵

しける。玄能大息を継で申さるゝは。我諸芸を好むゆへ芸の品に

よつて。貧成者を取立て遣りしが此軽平が芸は過を求る種にて。更に

老後の慰にも成らず。武芸といふでもなし。開帳場の見せ物より外

役に立ず。殊更畳の上座敷などにて。見物するものならねば。曽て我

比に叶はず。武士の弄ぶ軽業早わざといふは。合戦勝利の備へなれ

ども。此軽平は何の用にも立難し。馬鹿成ル芸を見て。思はぬ怪我を

求めたり。向後は加様なる芸を取次無用なりと。魚屋を呼付散%\に

呵れければ。魚屋も面目なく。軽平を竹輿に乗せて。すご/\と立

帰りぬ。諸芸を学にとも役に立て。何所でも慰に成事を心掛へし。

我こそと自慢仕たるも軽平も。かゝる芸を鍛錬せし故名人とは呼れ

ながら。壱文にもならずあげくの果は。大なる怪我をして。行歩起居も

かなりがけにて行衛しらずに成にけるとぞ聞し

  (二)土民でも心は穢れぬ正直は我身の徳

木の曲斜は多く竹の曲れるは寡し。何れも天質のそれ/\に配与

する故ぞかし。昔伊勢の国多気の郡に+畑作兵衛-といふ百姓有しが。生得

律義一編の男にて始末を第一とし絹ぶるひと異名せられし程の者

なれば村の中にても手前者といはるゝ程に身體を為上ケ。御代官所より

御指図にて庄屋役を勤めけるが。元来正直をのみ守りて。利根才覚

寡く公事訴訟の事に付ては一向埒明ず。他領の庄屋と出合毎度

卑怯を取事多ければ百姓ども腹を立。村中寄合談合しけるは

あの作兵衛殿の庄屋役勤られては。此方とらが難儀村中のよはみ

なれば。御代官様へ御願申て。庄屋を替て下さるゝ様に。訴詔が仕たひと

存ずる。何ンと皆の衆はどふ思ふてぞと口利の+九郎七ーが分別有顔にいへば。

残の百姓共も九郎七殿の思はしやる通り。身共にも其心で御ざる。村中の

為なれば今の様な。庄屋殿の安放律義では済ませぬ。百姓一党致して

御願ひ申ませふと。何の遠慮もなく一同にいへば。九郎七いかにも尤なりと

草庵の坊様を頼み。訴詔を書て下さりませと下書を取出せば。住持興

さめ顔にて是はいらざる事と存る。今の庄屋作兵衛殿の正直に仕損じは

なひ物。平更此願ひは。無用にさつしやるが能からふといへば村の者共立腹

為て。そなたが作兵衛を贔負するは。庄屋への追従か其心ならば村中

が相手此寺に居る事はならぬと。声高に成て土の付た膝の皿を

まくり上て罵れば住持も堪忍袋が破れけるにやヲヲサ此様な+毛沢山

無掃寺ーといふといふ。山号寺号もむさくろしひ。寺に居る望みはなひ。

愚僧がいひ分が気に入ずば。草履を脱より安ひ事じやと。其日頓□(て?)

世間の詞の通り。傘壱本にて寺を退れしが。此住持の潔白気丈成ル

事を。隣村に聞て招待し。+舟遊山気放寺ーといふ。大地の住持と成れぬ。

実に毛沢山無掃寺よりは。舟遊山気放寺の方が。山号も寺号も能れば。

内証共に嘸あらんと奥たのもし。村中の者ども無掃寺の住持を。退院

させ気味よしと悦び。其後どふやらかふやら。斜姿に訴状を認め。村中連名

にて訴詔日を待。糊強成る布袴着連て。願に書有りのまゝに申上れば。代官

聞召て村の内正直者と沙汰せし故。作兵衛に庄屋役をいひ付たれ共。村中の

為にならぬとあれば是非もなし。しかし村の内を勤むべき者が有やと

の御尋に。口利の九郎七罷出。いかにも庄屋に相応な者が御ざります。当村

にては名を+与四郎ーと申て。万事にぬけ目なき者で御座りますれば。此者

に仰付られて下さりませと願ひければ。御代官聞召其与四郎は。村中

同心の上での願かと仰かるゝに。大勢の百姓共一同にいかにも。村の者共

与四郎を望みに存ますると。天窓を地にする付て申せば。汝らが望ニ

任せ申付てくれんと其場にて与四郎を召寄られ。庄屋役を申付

られぬ。村の者ども為済したりと。悦び皆/\在所へ帰りける。作兵衛が家内

の者此事を聞て。作兵衛に申けるは。そなたはあまり律義にて。村の支配が

なまぬるひ故。庄屋役を召上られ。あの与四郎殿に仰付られたげな。何ンと残

多ひ事では御ざらぬか。今庄屋を勤めらるゝ。与四郎殿の様な発明を見

ならはしやれと。女房子共が気の毒さに。恥しめる様にいへば。作兵衛かふり

を振て。おれが正直は生れ付なれば。いか程脇からせゝつても直る事では

なひ。何事も天道様次第と。更に悔む気色なし。与四郎は作兵衛と違

利口に人をばだまし。山こかしの様なる者なれば。上辺斗は美し見ゆ

れども内心欲深く奢者にて。手下の百姓を裸にして己が利分を

専にすれば。百姓ども思ひの外の事かな。あの様なわる者ならば。庄屋役は

願ふてさせまひ物をと後悔すれ共。与四郎は口利の九郎七と人噛馬も

相口とやらにて。中が能ければとやかふいふ者もなく。恨みながら日数を送りぬ。

村の中に+徳助ーといふ者夜に入て。前の庄屋作兵衛が所へ行密にいひけるは。

去々年の悪年に出合い。何とせふぞと十方にくれて。居りました所に。

そなたの情にて。米を借て下されし故。未進も滞なく済しまして忝ふ存じ

ます。当年は豊作にて。大分田作畑畑作共に出来ましたゆへ。前々の不作を

一度に取返しました。是と申もそなたの御陰と存ずる。是は少ばかりで

御ざれども御礼でござると。鳥目三貫文御座包より取出して。作兵衛に

渡せば作兵衛不興気にて。徳助殿是は貴殿の料簡が違ひました。庄屋を

勤る我等なれば。村の衆の難儀を救ふて遣るが。御上への御奉公で御ざる。我等

が内証に有合て合力仕た。其時の米も皆殿様の物。礼を請る筋がない。

持て帰て下され。重て下されてもいかな/\請ませぬそと微#塵も請る

気色なければ。徳助も気の毒ながら。無理にっといふても中/\。合点して請取

顔ならねば。折角持て来るから又三貫文を。御座に包引かたけて帰りしが。

さて/\日比聞たより正直な作兵衛かな。いかに請取らねばとて此銭持ても

帰られまひ。とかく彼が屋敷の内へ捨て置ば。おのづから作兵衛が手に入て。

用に立べしと思ひそれより取て返し。裏垣の破れたる所より忍び入て件の

銭を取出し。御座袋を除て銭斗。誰とも知れぬ様にして捨置帰りぬ。夜

明て作兵衛が女房此銭を見て。驚き取て戻り作兵衛に見せけるに。

作兵衛も不思議に思ひ。自分の料簡にて済しては置らまひと。例の

正直に任せ。庄屋与四郎が所へ銭を持行此銭我等が裏の畑の中に何者

の所為とも存ぜず。棄て御座つた故持て参りました。御吟味なされて

主があらば戻して下されと。彼三貫文を指出せば。本より意地悪の与四郎

なれば。己が庄屋役を鼻にかけ。此銭故もなくそなたの裏に捨て有らふ

筈がなひ。盗み物に極たれば作兵衛殿そなたは。追放か打首か遁れは

有まひといへば。作兵衛肝をつぶし盗物といふ。証拠が有いはしやるのか。

此作兵衛は何もしらず。裏に捨て有たに偽りは御座らぬといへば。与四郎聞

入ず此通御代官所へ申上けるに。盗み物ゆへ作兵衛は組中へ預られ。

無実の難儀に及ぬ。徳助此事を聞て御代官所へ罷出。作兵衛が屋敷へ

銭を捨て。置ましたは私で御ざります。其子細は加様/\のわけにて。作兵衛

銭を請取られませぬ故。かくの通りに致しまして御ざりますと。残らず申

上ければ。御代官所御称美有て。作兵衛を召出され。正直成る仕方百姓には

希者向後始のごとく。庄屋役を勤むべしと。与四郎は庄屋を上られ。

夫より永く庄屋役を勤めしが。正直の名いよ/\世間に流風して。手下

の百姓ども親の様に尊敬しける。多気の国司此事を聞及びたまひ。

小庄屋より大庄屋になされ。子孫繁昌に栄へぬ。正直は一旦の利潤なし

といへども。日月の情みに漏ず。作兵衛は土民にて無芸無能なれども。正直

といふ一芸にてかく立身は仕遂ぬ。何れの芸にても曲た心有ては立身は

なりがたし。正直正路は芸の上盛なるべし。博痴に勝て人の物をたゞ

せしめ道理に合ぬ事をして。銭金を儲たりとも。間もなふ衰へて坊が灰

をまひたるごとく成るべし。豈つゝしまざらんや

  (三)喧嘩にはあら物や天窓を打割鼓の手の内

孟母の三遷といふは。撰で仁に居るの心なり。賢と成愚と成り。善人と成

凶き人と成ルは。幼少よりの習付仕業による事なり。大工の子は腹の中から

親の家業を見習ひ。三才四才に成ると。錐にて障子襖に穴をあけ。

あがりがまちに疵を付ケ。母親の針箱を鋸にて曵切リ。昼牀して居る

親父の天窓へ釘を打付などする。皆平生を我家にて。親の為業を

見て居る故ぞかし。其外何事にても子供の所作は。見真似事多し

芝居を見ては。芝居事と名を付て遊び。軽業を見ては#閾や打盤

の上から。蜻蜒返りするを見て。愚成ル親は人にひけらかして。此方の太郎市は

とんぼう返りが上手に成ましてと。我子の自慢噺すれば。隣の長松が嚊

は此方の坊は芝居見てからは。八塩幾右衛門が真似が能ふ似ましたと。何の詮無

自慢噺。軽業商売にし。役者に仕立る心ならば尤もなれども。左もなくして

役に立ぬ事を見習ふたるとて。自慢するには及まじ。それ程よひ物を見習

器用者と思ふならば。立身すべき芸を見習せ。仮にも悪き芸に近付

べからず。遊芸にて邂逅出世したる者もあれど。千万人の中の壱人にて

弐人ともなし。都の西陣辺に+福谷乃蔵ーとて。朱子学流の儒者有しが。

世間に名を知られ。田舎遠国迄も隠れなければ。国々より多の諸生

共学文に上り。此家に群集しける。其南隣には+鳴子与八ーといへる。鼓指南

する者住居して。朝から晩まで大勢の弟子共寄集り。ヤヲハの声止ず笛を

吹立大鼓を打立れば。北隣の儒者どもの弟子ども腹を立。いかに渡世にすれば

とて。隣近所の遠慮もなく。やかましふぬかすは。礼義もなき振舞かな。

たはけたる芸を習ふより。学文して人の人たる道を知れかしと譏れば

南隣の鼓の弟子どもは。学文者とて乃蔵が弟子どもが子細らしさ。孔子や

孟子の顔はあの様な。小づらの憎ひ顔で有たかなんどゝ。影事言て譏れば

何となく両方の弟子ども不和に成て。出入往来の道に行合ても。そりや

飢渇相な孔子の巣立が連て来たなどゝわざと耳へ入る様にいへば。儒者の

門弟共聞て。虫同前の小人共が。役にも立ぬ事を骨を折ての稽古。浅

ましや不便や両眼有ても。明盲も同前じやなんどゝ。互に耳こすりを言

あひ。犬と猿とのごとくなりしが。+鼓の弟子荒物やの息子。大八ーといふ者堪

かねて。儒者の弟子の味噌屋の息子が。肩骨ひつつかみ。ヤイ爰な青とん

ぼめ。学文を仕候と子細らしき。此鼻の高ひさへ奇怪なるに小人じや虫同前

じやとは誰が事をぬかした。頬桁を扣き斜めてくれんと。大兵のあら物屋が

ちからに任せ。小鬢先をしたゝかに打すゆれば。味噌屋の息子は弱味噌にて

天窓をかゝへ。ほう%\其場を逃去ぬ、あら物やに先を取られ。残りの弟子共

も皆足早に逃帰りける。此事両方の師匠聞て。隣に居る故かゝる事も

出来るなれば。宿替するにしかずとて福谷の乃蔵は。それより五六丁東へ宅

替せられぬ。由なき偏執より喧嘩を仕出し。師匠に宅替させる様に

成のみならず人の嘲りを求めぬ。味噌屋の親父。息男の扣れて戻たるを

無念に思へど。詮方もなく息男を呵ていひけるは。其方は味噌屋の

忰なれば。人に扣かれ踏れて。大味噌を付ても苦しからねど。いらざる学文

だてを仕てあら物やに扣かれ。恥辱を請一分が棄たり。腹の内から授た

味噌商売すれば。かふした恥もかゝぬ物をと。拳を握て口おしがれば。息男

聞て味噌屋なれば。恥かひても瑕にはならねど。一生味噌を付て恥を

かき通しにて仕廻ます。学文を致せば。其恥を雪ぐ時節も有物で

御ざると。いつかな学文を止る所存はなく。いよ/\精出して寸陰を惜み

唐人の真似をして。月夜には行灯を壱つ助かるとて。屋根へ上りて月の

光に書物を繙。雪の降た朝には疾から起て。昔の人は雪の光で書物

を見て学問せられたり。高ひ油を灯して見る斗が。学文ではなひと思て。

暮るゝを待てそこらあたりの雪を丸め。雪の光りにて見るに。中/\

文字が見へねば。是はとふじや唐の雪と。日本の雪のは違ひが有ルか。但シ

唐人は目が能見へるかと。愚成ル事ながら。いろ/\の事をして片時も書物を

放さず。精出しける故にや。自然と博識に成。夕定晨省とて夜は親父

寝る迄傍に居て。木綿夜着の糊強成を着せ。寒ふなひ様にして

寝させ。朝は早く起て親父が好の。朝茶を飲するなど。皆書物の上に

有事。論語孟子にある。親に事へる所為を。毎日毎夜闕さねば。親父

もおのづから。不孝にするより嬉しければ。扨も此方の息男は大孝行者で

御ざる。学文を致した故。孝行の仕様が日本流では御ざらぬ。皆唐から

渡た孝行の仕様で御座るなんどゝ。嬉しさの余りに風聴すれば。近所の

者も始の程は。親父が息男に鼻毛を延して。我子の自慢をせらるゝ

などゝ嘲り笑ひしが。其比東国の去ル御大名より。儒者を御抱有ん

と京中御尋あり。福谷乃蔵を御懇望にて。当分二百五拾石でくだ

され。後/\御加蔵有んとの仰なれども。乃蔵は奉公の望なく御辞退

申て。弟子の中に可然者を見立差上べきとて。彼是吟味せられるゝに。

味噌やの息男に続く者なければ。乃蔵が指図にて+馴合幸治ーと

名を改め。東国の太守へ同知行にて有付けり。京住は借宅なれば

家主へ戻し。親父共に弐百五拾石の格式にて。大小を指し鑓をつかせ。

町内へ暇乞して美々敷出立て。東国へ下りけるが。殿の御前段々首尾

よく。殊に孝行者とて。御褒美に五拾石の御加蔵有り。三百石にて

勤め日の出の出頭なれば。古参御普代の衆も崇敬しける。荒物やの

息男は親父が死去の後驕り増長し。鼓は精を出して上手に成れ共。

身體技は下手にて相弟子の。性わる共と連て昼夜色里に入こみ。馴染

のおやまを請出して。裏座敷借てかこひ置。其外手かけ足かけを

置ならべ。有徳成ル身體なれば銭銀を。天から降て来た様に思ひしが。見

掛と違ひ内証の没落は手間隙入らず。鼠の塩引様にいつとなくふ手

廻りに成て。見せを張事も成がたく。家屋敷諸道具は買懸の方へ

分散に割付。百目有所へは壱両五分。壱貫目の所へは拾五両にて扱へば。

是にあまりが成ル仕方と。腹立てもせふ事なく。不肖/\に請取て済

しぬ。此息男好の道なれば小借屋にて。鼓指南を渡世にて居たりしが。かの

東国の御大名より。能役者を御抱有りけるに。此荒物屋の息男名人との

取沙汰ゆへ。当分三人扶持に五石下され。有難しと悦び東国へ下るけるが。

同じ屋敷の内なれば。已前京都にて喧嘩し。天窓をくらはせし味噌やの

息男に出合。顔を見合て肝をつぶしけれども。味噌やの息子は殿様学文

の師範と仰れ。当時肩を並ぶる者もなき。出頭の知行取なり。荒物やの

息子はやう/\。三人扶持に五石取て。武士を離れし能役者なれば。知音ながら

心易ふ物いふ事もならず。あやまり入たる顔付にて。腰をかゞめて行過るを。

味噌屋の息子呼とゞめ。其方は京都にて我天頂を。したゝかに敲たる

あら物屋の息子ではなひか。今壱度此天頂を。扣て見られぬかといへば。

荒物やの息子冷汗を流し。何とも返答すべき詞もなく。いよ/\身を

ちゞめ。ハイ/\と斗いふて双方へ別れぬ。あら物やの息子。宿所へ帰リてつく%\

思ふに。我昔世に有し時は。鼓ほど上品成ル慰はなひと思ひ。精進して是程

の上手に成りたれども。味噌やの息子に逢て。天窓上る事もならぬは。扨も

無念の事かな。京都にて天窓を扣かれし時は。あの様な身にならふ

とは思はざりしが。心掛の善悪によつて。加程迄に格式の違ふ物かと。先非

を悔み後悔すれども甲斐はなかりぬ。あら物屋の息男は蛙蜂遣ひに。金銀

を蒔散し。零落したる身なれば尤もなく有べし。立身出世を心掛る人は。

仮にも遊芸に酖むべからず譬名人と称ぜらるゝとも。一生人の慰物

と成て身を果すべし。世を捨し楽人。栄花を好まぬ仁。金銀にとぼし

からぬ。腹ふくれの息男達は御勝手次第。しめ括りして稽古為給へかし

               三之巻終

 今昔出世扇                       四之巻

            目録

 第一 善も悪も打渾だ花見の提重

             琴でも三弦でも望次第畏る座頭の袴

             暖な日も寒そうな浪人の名は寒月

            苦楽の二ツ吹分る虚無僧の尺八

 第二 親の顔迄書#汚す悪性の手習

              糸やの息男と結びあふた妹背の縁

              思ひ付た縫物通ひは情の相宿

              凶ひ事も二親は子に甘ひ虫の毒

 第三 根強身體も行灯蹴破た鞠の稽古

              商売より遊興の方が上衆饗応

              算用は当世始末質気な親父が分別

              秘密口伝に一生骨を尾張の国

  (一)善も悪も打渾だ花見のさげ重

花晨月夕茶酒楓葉。舟に乗て雪を弄ぶ。口眼の楽み。何れか

おろかならんや。雲の上人の楽みは和歌を詠じ。詩を賦して思ひを

述給ふそれより下ざまの者は花見といへば。浄瑠璃の高声琴琉球線

を取ちらし。花樹の下に幕引廻して。何事をするぞと思へば花は見ずに

茶碗酒に酔倒れて。寝ながら重箱に有ル肴を。つまんで口へほふり

こむもあり。傍には牽頭医者が。片肌脱で曲枕の自慢に。大事に掛て

持て来る佐鉢を打割て。天窓を掻て居るもあり。腕押枕引腹の

ふくれたるに任せて。物真似居角力。あるとあらゆる慰をすれば。隣の

床机の上には六十斗の禅門。夫婦連にて花を見ても。南無あみだ/\と

口の内にてぼやかるゝ。又其隣の床机にはよしずをおろし。鍛冶屋の弟子

大工の弟子と見へて。冬の垢切に付た。膏薬の跡を其儘。銘々懐中

行厨焼豆腐一種を肴に。弐三合も酒をあてがひ飲で。花の

色香には目もやらず。高砂や此浦舟とうたへば。又壱人きぬ%\に明の

むつごと今さらにとうたふかと思へば。もはや後を忘れてちよんかけなぶし

に成も有り。花の盛にあまたの。群集をつく%\見て居るに。さりとは

よひなぐさみぞかし。花に目の付者は百人に壱人。千人に弐人有かなし也。

是花より団子といふ。賎き譬を本にして。花見といへば喰とあばれ

事を。重にするば世間の流俗なり。町人の花見の體渾てかくの如し。

金持の息男は僭上鼻に顕はれ。馴染の女郎をあげて。是見よがしに

つれ歩行。咲た花より生て物をいふ花がましじやと。女郎の膝に

もたれて三味せん引せ。寝間着のきぬの肌寒きなどゝ。沖の石と言

三下りの歌を。しはがれ声にてうたひ。日の暮れ迄鼻毛よまれて。嬉み

とする者も有り。人生れて異国とても。本朝とても国/\の風は替れ共。

心に替る事は有まじき事なるに。人/\の心の品程まち/\成物は

なし。大学といふ書物には。其気質の禀たる事ひとしき事不能と

いふてあれば。往昔朱子の時分にも。夫よりずつと已前の孔子の時分

にも。いろ/\の物好が有た事にや。今の世でも諷を好者は浄瑠璃を

嫌ひ。どろ坊に成ル下地じやなどゝ譏れば。浄るり好は謡うたひを。子細

らしき顔付じや。銭百出してなりと天窓を。ひつくらわしてやりたひ

などゝ。譏つ譏れつ何れの道。何れの芸を習ふても。人のする事を憎

み嫌ふはいかなる事ぞや。謡を稽古すればとて。貴人といふにもあらず。

浄瑠りを好ばとて。下作者といふではなし。何れとも遊芸なれば。日本一

の上手になりたりとも。役者の名は遁れず。人の慰物に成事ぞかし。

碁将棊を好者もあり。気がつまるとて。見る事もいやがる者もあり。

皆面/\の生れ付にて。好ひとも悪ひ共定がたし。仕様によつて善人

と成り。心持によつて愚人と成事也。しかし我得手成ル事は好。不得手

成ル事は弐束三文にいかひこなして。憎み嫌ふが人情の風俗ぞかし。世の

中に嫌ふて能物は。博痴好喧嘩好。大酒飲契情狂ひなり。しかし契情

を能かげんに買ひ。跡先の考をして気晴し慰と思ひ。相応の遊びを

せばあながち嫌ふ事もあらず。男子たる者色里の座敷を踏ば。色

酒を飲ず。色気がなければ。野鄙にして田夫なり。人と交り朋友参会

の時。公私の進退に付。見苦しき事のみ多し。但文質彬々たるが

宜しかるべし。兼好法師も色好まざらんおのこはと。底意に宜し給へる

も理りぞかし。昔難波の谷町筋に住ける。+小間物や次郎七ーといふ者有リ。

五六歳の時分。両親に離れ孤と成けるを。一家の介抱にて生成る。

十六の暮おり小間物やとなり。櫛楴枝笄伽羅の油などを始。其外

烟筒たばこ入等に至る迄。女子の道具荷に箱壱荷に仕廻。毎日

町/\を売歩行。一二年も精出しければども。はか%\敷銭儲もなく隙

に任せて。算盤の稽古に取掛り。昼夜枕を割て励みける。其比心易

く交りし朋友に。+高音寒月ーといふ浪人者あり姿は乱髪に広袖の

羽織。鮫鞘の脇指をさしこはらし。悪人方を見る様な顔にて。毎日

小間物屋次郎七が見せへ遊びに来り。腰に指たる尺八を取出し。比日(?)習ひし

すががきを吹て見れども。元来不器用なりけるにや。半分も得吹かず。

火吹竹にて火を吹様に。すふ/\いふて埒明ねば。次郎七聞かねコレ寒月様。

おまへの其尺八ももはや半年斗になれども。すががき壱つ得吹たまはず。

埒の明ぬ稽古せふより。何なりとも埒の明く芸を。修行なされたら後の

御為に成なせふ。御心安ふ致せばさりとは。気の毒に存じますといへば。寒月聞

て某が尺八は。慰にするではなひ牢人の身なれば。後/\の渡世にも商は

知らず。職人に成ル芸もなければ。此尺八を習ひ。薦僧と成て世を渡ル

分別。本より牢人の身に相応成る事といへば。次郎七聞て御自分は。

牢人なされたれば牢人より外。出世する事はなひと思召り。御牢人

ならば。弓馬兵法の端緒をも御存有べし。遂もせぬ尺八の稽古に。

あたら月日を送り給はんより。兵法を稽古して。本の武士に立帰る御分別

なされませ。薦僧に成てわづかの手の内をもらひ。門/\に立て一生を果

さんと思召。御所存こそ浅ましけれ。我等が親は室口三年と申。歴者

にて候ひしが。我等が生れて間もなく。両親相果られし故。ちからなく此

商売に取付て候へども。算法を稽古致し。奥義を極め親の名を

あらはし。家名を二度引起さんと存じ。唯今専ら精出して金を儲け。

借銭の方へ渡したる家蔵分散にいたせし。諸道具を取返さんと存ずる

より外はなく。昼夜ともに枕を割て。工夫いたしまするといへば。寒月不審

の顔にて。算術にて親の名を顕さんと思はゞ。小間物屋を止て算

術者に随身してこそ。本望は遂られもせめ。汝がいひ分尻頭が揃

ぬと打こめば。次郎七ちつともひるまず。今の世は金がなふては。諸事本望

が遂られませぬ。我らは元来町人の忰なれば。金さへ持ば親の代に売

代なしたる。家土蔵でも諸道具でも。何時なりとも手に入られます。算法

稽古と申も。外の事では御座りませぬ。小間物屋と申者は。女子を相手

に致して利を得る事にて。武士の上で申さば。大敵を引受て。軍を致し

て勝利を得る道理。惣體女子と申者は。いろ/\気質の品定まらず。物

事に移りやすく。玳瑁の櫛壱枚売にも。木櫛を壱枚売にも。売様

にて大分の利の有事で御座ります。年の寄たばゞたちは。算用

の内へは入らぬ事なれど。四十已下の女中。多は色気をはなれず。夫を

此方に呑こんで。生壁をそろばんにて推たる様な顔でも。心有様に

見せかけ目本でしらせ。起居物いひに付ても。心有様に致せばおのづから

五両の物を。拾両に買ふ様に成物。器量の能ひ女子は元より。此心得が

第一。さあればとて実に女子に。心みだするにあらず。只女子を嬉しがら

するがあきなひ上手。夫ゆへ小間物や商売は。若ひ時分の事にて。年

老て色気がなふてはなりませぬ。我等加様に心をくだくも。一廉

の家屋敷の大将と成り。小間物や二代の後胤と仰れ。数多の手代を

引率し。二度暖簾の籏を上んと存詰ました。算用と申も銭金の

都合を。知る斗を算用とは申さぬ。万事の働に算数が入まする。此

算用を以て人を遣ひ。家内の事を取さばき致せば。損失が御座り

ませぬ。御自分様も此心得にて。一精出して出世為給へと。我家業の

事を引。金を儲う身持をいふて異見すれば。寒月聞て某少の越

度にて。今浪人の身と成は幸といふ。仮いかなる兵法調練して。本知

に立帰り。主人の気に入て出世するとも。高が奉公人にて主持の身

なり。又何時牢人せふも知れず。今の身の上ほど安楽成はなし。女房も

なく子もなければ。子孫の事も心にかゝらず。主を持ねば浪人する気遣

もなし。寝も起るも心の儘。昔の陶淵明を始め。官を去て隠居し。

心楽に暮されたるこそ羨しけれ。某は加様な身にて一生安穏に暮すが

望みにて。立身すべき心なし。貴殿は精出して家業の。繁昌する様に

せらるべし。奉公人と違ひ一家を求ては。一家の大将と成。弐三軒の家を

求められなば。弐三軒の主人なり。立身次第百軒の主と成。万人の旦那様

と仰らるゝも。仕合次第にて町人の一徳なり。某はいか程知行を取上ても。

大名に成事には及ばず。所詮主人持と成らんより。一生を心のまゝに

振舞。天を幃にし地を筵にする。我まゝ暮しが増じやと。小間物や

が異見を用ず。深編笠と尺八壱本で居所も定めず。月の中に百度

宿替して。心のまゝに年月を送りぬ。小間物屋は身を捨て稼に

精を出せば。福の神の擁護によつて。終に家土蔵ともに親の代の如く

に建並べたり。小間物屋は金持に成たれども。世帯万事に気苦労

多し。寒月は気苦労はなけれども。浪人なれば金銀には貧しかりける。

金はなく共安楽なが能か。又は心苦労しても金持たが能かろふか。

菟角世の中に。弐つよひ事はなひ物なれば。両人が分別何れか是な

らん。賢き人/\真中を察し給へかし。出世を望む人万事。此小間物

屋が心得を考給ふべし

  (二)親の顔を書汚す悪性の手習

世の諺に人のふり見て我が振直せとは。自然と古人の心にかなえり

世間の人他の善悪は見ゆれども。我身の善悪は見へず。仮ば五拾人百人

の力を生れ付ても。我骸をあぐる事あたはざるが如し。両眼明なれ共

我顔は見へぬ物にて。鼻毛を延して人に笑はれ。墨の付た顔でも

鏡を見ねば知らぬ事也。人の為事に付て善事か凶ひ事かを。合点

して凶を棄て善に付べし。さはいへ今時の女子は。我鼻の卑ひ顔も

ふご尻も棚へ上て置て。他の姿風を笑ひ。我は慳貪邪見にて夫を

尻に敷。嫁を鍼で突様に虐げ。我朝寝は見へず隣の朝寝を譏り。中

くぼひ顔へ。左官の塗た程白粉をぬり付。月に百度も芝居へ出かけ。

戻ると其儘着物を。座敷一はいに脱ちらし。肌布壱つに成て役者の

評判。夫を傍に置て。+中村喜代三ーは能器量じや。イヤ+三右衛門ーは甜そふな顔

じやと油断のならぬあだ口。後家に成たら身體を。韓にしそふな女房なれ

ど。人の談義参り開帳参りに行を見ては。若ひ姿して今から何の後

生心で有ふぞ。男に尻をつめられに行のじや。あた□やらしひ端取な姿で

は有ぞと。荷にもならぬ人の事ばかりは。目に見ゆる物ぞかし。取分娘の

子は幼少よりの育が大事也。二親あひたてなく育。我まゝにして教へ

ざれば嫁入しても舅姑の気に入らず。夫の心に女在なくても。離別せねば

ならぬ様に成もの也。都の上新在家通に。+森田屋角右衛門ーとて有徳なる。

木綿屋あり片見世は紙棚を出し。表付は質朴に見ゆれど。内証の暖さ

に師走の節季は。いつとても火燵をはなれず。手代に万事を任せ

餅舂其外。節季の仕舞勘定残る事なく売掛は残れど。買掛は残さず。

静なる春を迎られぬ。角右衛門四十に余る迄。子といふ物なかりしが。四十

三の秋の比。女子壱人出生し+おたまーと名付。夫婦の寵愛斜ならず。独娘と

いひ。器量も拾人並に勝れければ。九歳の春より隣町の寺子屋

+杉原文之丞ーといふ者の女房。堂上方の祐筆あがりなれば。女の子供を

あつめて指南せらるゝ故。角右衛門娘おたまも弟子に遣し。手習をさせら

れぬ。本より大事に掛て育ぬれば。内にて手習をさせ。かよひにて清書を

見てもらひに行も。奴弐人で付て遣り。手習の間に伊勢物語

徒然草。源氏物語などを読せ。毎日一二度ほど寺子やへ通ふに。沙綾

縮緬鈍子はいふに及ばず其外流行出の染模様の小袖。上下共張小袖

などは着せず。天窓の道具迄。大抵の所の娘の芝居見嫁入の衣裳よりは。

花麗に仕立て通はせければ。自然と人の目にとまり。あれこそ木綿屋の

娘よと誰知らぬ者もなく。猪口も衣裳とて。結構な物を着錺りて歩ば。

器量よく見へ十六七の比に成ても。手習をやめず。内に尻居て居る事

がならねば。毎日/\寺子屋行とて。奴に伊勢物語を持せて通ひけるに。

爰かしこの息男或は浮気盛の手代。それ/\の伝をたのみ。はづかしながら

一筆の付文思ひ□□を。二行に百も書たる状を遣る程に。毎日三十

通五十通にも及びぬ此娘に付置れし腰本。+お#梶ーとて十六に成りしが。

親本は貧乏にえ。其日過の日庸取の娘なれば。年季奉公に遣し。手習も

得せず。娘の供をして寺子屋へ通ひけるが。師匠を取て習ひし始より。

此お#梶天性器用者にていまだ机にかゝり書たある事はなけれど。手跡よく

地獄耳とやらにて。一度聞たる事を忘れねば。娘の習ふ側に居て聞覚えへ

たる。伊勢物がたりつれ%\草。源氏物語などを悉くそらで覚えける。主の

娘は読書に不器用にて。そも/\九歳の春より。手習を仕初けれども。ふみ

壱本ン返事壱つ書事ならず。たま/\稽古に書たる文面も。鬼の起証

のごとくよみ物の草紙なども。一行まんそくには覚えず。是生れ付ての不

器用にはあらねど。二親あひたてなく育。釘の折の様なる手跡も能/\と

のみ思ひ。せ□を入ていましめざる故なり。娘の心に精出す思案があれば。

二親はあまやかして構はずとも。かほどには有まじけれど。其思案もなく

花見に行様に出立て毎日寺子屋へかよふを遊山と思ひ。うか/\と月

日を過しけるゆへぞかし。もはや十六七に成ては。そろ/\男の善悪に

目が付て。さはらばおちぬべき風情を見て。浮気盛の息子共が付文

数多き中。我気に入た+糸屋の息男ーと。人知れずの念比。出合宿を

頼み。寺子屋へ行をかこつけにして。昼寝の手枕度の重るにしたがひ

おもしろふ成て。本ンの寺子やへは足もむけず。毎日色の手習に通ひける。

二親は此事とは夢にもしらねども。もはや背も高ふ成たれば。寺子屋通も

止にしやと留ければ。此娘糸屋の息男にあはれぬ悲しさに。成程寺子やは

止に致しませふが。女子といふ物は針手が利ねば。男の無筆も同前で御ざん

すれば。縫物やへ通ひ袴羽織の仕立様が。習ひたふ御ざんすと実しやかに

いへば。子に甘ひ二親。是は奇特な事よふいやつた。手習に精が出て物

書事は。何所の祐筆にしても恥かしからねど。縫物も女子の役目。不調法

では済ぬといふ所へ気が付て。縫物寺へ行ふとは扨も発明な心じやと。内

証に取込だ色事の道には気も付ず。めつた褒にして夫より縫物寺へ

通はせけるに。此娘本より悪性から。思ひ付たる事なれば。縫物やへは行ず。

小宿ばいりして糸屋の息男と出合。程なく腹中大きに。不二の山を

抱へた様に成りけるを。二親の耳に入てどふで。養子をせねばならぬ

折から。幸ひの事と彼息男をもらひ。養子にして夫婦に為けるが。

三十日斗立て。爺親角右衛門は相果ぬ。此娘生得悪性なれば母親斗に

成て。いよ/\有度まゝに身を持ける故。入聟に来りし息男も。あいそ

尽して不縁に成り。おや本へ帰りぬ。娘今は夫もなく後家になり

ければ。猶も浮世事を。おもしろき事に思ひ。定たる夫を持ねば。

万事我心のまゝにふるまひ。人の譏るもいとはず。はしたなく身

を持っけるゆへ。さしもあまき母親も見かねて。一家を頼み異見をし

てもらへど。稚き時よりの風俗なれば。今更直らず真味の異見も。

馬の耳にて聞入ず。後には野郎狂ひに成て。金銀を遣ひ棄内証

の奢り何角にかたひ身體といはれし森田屋の家も。借銭と質の

札とが沢山に成リ。三年立やたゝずに。家屋敷は人の物と成リ。母娘ともに

裏借屋へ引込。朝夕渇/\の暮しに。月日を送りぬ。惣じて身體

に限らず能成事は。漸/\の功を積ねば成らず。悪ふ成ル段に成ては。手

間も隙も入らぬ物なり。金銀はいふに及ばす十年廿年掛て。造営したる

大廈高楼なりとも。打崩す段には一月もかゝらず。森田屋が身體も五

十年六十年の始末。工夫をめぐらさでは加様に。身體は持堅められねど。

娘の悪性のみにて。一息に#顛るゝ事の早さ。尤も慎むべき事なり。娘

おたまは家屋敷を売たる。残金にてやう/\と朝夕を送り。諸道具

を売喰にして当分は凌げども。何を渡世にといふすべもなく。次第

に内証逼迫して。昔の結構な姿にて#婢を引つれ。びらりしやらりと。

おれ程な女房は有まひと。鼻を高ふせし自分の事を思へば。きのふの

様なれど。悪性ゆへ女房にする者もなく。かゝる身の上とはなりぬ。#婢に

遣れしおかぢといふ女は。去ル歴/\の妾と成りて居たりしが。生得貞節厚

く器用者なれば。親のかげで手習はせねども主の娘おたまに付そひ

て居たる時分。手跡縫物其外。女の所作に気を付。師匠取りして習ひし

お玉より琴もよく弾。万事ぬめ目なき発明者なれば。本妻死去の

後内に入て本妻と成り。奥様と尊敬せられぬ。され共此お#梶奥様顔

を出さす。先腹の子に+おみやーといへる娘を。主あしらひに育て。微塵

も如在なる心なければ。娘おみやも継母の漁なく。何事にもおかぢが

心に背かず孝行に事へぬ。お#梶前方森田屋に勤めし時より。お玉

に遣はれ馴染深ければ今お玉が難儀なる様子を聞て。我夫に始終

を咄し。おたま母子共に引取り。往昔の古主の娘なりとて。裏の小座敷

の明たる所へ入置。情深く養ひけるが。手代の内似合敷縁有て。媒

しておたまを嫁入させける。始の主の娘は今は家来の女房となる

事。性の好と性の悪との違ひ如此。手代といふは町人の家来の事

なれば。おたまが身に成ては。尤恥かしき事ならずや

  (三)根強い身體も行灯蹴破た鞠の稽古

聖賢の教に。行有余力則以学文といふは。頒学者の身の上の事

には限るべからず。士農工商何れの道にも此心得持有べし。我為べき

所持家業に精を出して。其隙/\には何事成共。我好の芸を稽古

為べし。我職分を志布さへせねば。浄瑠璃琉球線のごとき遊芸物

真似。放下の様なる事を為ればとて。笑ふ事にもあらず。仮学文に志し

歌連歌茶の道に精を出し。鞠楊弓碁将棊手跡算法に委く

とも。自分の家業を外にして。渡世に油断せば尤奇特な人とは称美(?)

がたし今時の人行跡もよく。上芸に志は希なり。多は我好た事ニは

夜も昼も打込で。朝三暮四其事にのみ心を移し。内にとては一寸

の事は置て五分も居ず。挙句の果は身體を核にして。歌舞妓役

者の中間に入リ。昔我朋友にせし人の牽頭持と成リ。或は俄に針立坊

按摩坊ンと成て。暮す様に成物ぞかし。今は昔都の町に身體何に

くらからず。+あかしやの林兵衛ーといふ者あり。数代続たる分限者なり

ける。一切の道具是ぞなひといふ物なく。道具蔵に篭置。町内に

すはといふ用事にも。此明石屋へさへ借りに行ば埒の明事なれば。町中

も重宝の事に思ひける。林兵衛幼少にて爺親にはなれ。母親壱人

にて。万事の取賄ひは番頭手代の。+白鼠屋忠兵衛ーといふ者。息子の

林兵衛十五の春迄。万の世話をして後見し。もはや十五に成られたれば

身體を渡し。忠兵衛は宿這りして。別に家業を取組古手屋商売

をして暮しぬ林兵衛身體を請取より。明石屋の旦那様なれば。万心の

儘にて剛ひ者なく。日夜遊芸に染こみ。朋友多く爰の会彼

所の会。東山にて歌の会。北山にては茶の会などゝ。家業の事は

心に懸ず。本屋を呼よせあるとあらゆる歌書を求め。茶の湯の道

具は先祖より嗜おかれしを珍しからずと嫌ひ。釜茶碗茶杓茶入

其外掛物は名筆の印形を目当に。正筆似せ物を吟味もせず

買求ける。金銀の費夥し。是迄は彼是の遊芸にわたり。真実底

から面白ひと思ふ心もなく。唯うか/\と人が勧れば。心得たりといふ

浮気一編の物好ゆへ。茶の湯連歌共に。取しめたる事なく稽古し

けるが。いつの比よりか鞠の稽古に懸り。毎日四人詰八人詰と格日(?)を

定め。其比京中に比なき鞠の名人。+沓や音次郎ーといふ者を師と頼

みけるが。生質鞠には器用にて。高弟子をも追抜多の門弟の中に。

肩を並ぶる者なく。上手/\と人の称るに随ひ。いよ/\稽古に精出

しけるに。装束も勝れて結構成を着し。いづれ共ゆるしを受たる

も。金銀に乏しからぬゆへなり。円山霊山にて月に五六度の出合会。

或は大津伏見宇治の近郷はいふに及ばず。尾張伊勢の辺迄も。鞠の

友達に知音を求め。月に一日二日ならでは宿に居ず。外を家と出

歩行。商売の事は夢に見た事もなく。諸方にて歴々に参会

すれば。銭銀を手に□るをいやがり。次第に大名顔に成て。節季/\の

棚おろしも聞ず。手代任せなれば六七人の手代共。何ンでも甜ひ事と思ひ。

祇園町にて大尽と呼れて。幅を遣るもあり。新地石垣はいふに及ばず。爰

かしこの色里に通へども。誰呵る者もなく重手代が。手本を出して島原

に入浸りて。遊山のみに掛て居れば。誰が取しめて加様な事を制する

者がなければ。僕小者まで色狂ひと出かける筈なり。我物いらすに主の

物で六七人の手代が。冶摺を掛る様に金銀を遣へば。二三年(?)のうち

明石屋の内証に。穴が明て崩れかゝる程に。身體の破れには。鶏卵

を破るよりも手間の入らぬ物にて。諸方の払方の分も立ず。打寄相談

為て。家屋敷を質に入れ。当分三十貫目程借りて。盆の節季はどふ

やら済しぬ。されども旦那林兵衛。今迄の通の行跡止ねば。手代共笑止がり

て異見すれ共聞入ず。無用の異見する事なかれ。我此芸が道故にこそ

堂上方武家方の。御歴/\に交りて尊敬もせらるれ。金銀を沢山に

持ても。此鞠を蹴る事がならねば。あの様な御れき/\の。傍へも寄る事

はかなはず。重て左様の事を申さば。皆/\暇をやるなどゝ。以の外の

不機嫌にていへば。手代共もせふ事なく。皆面々が身用心して。兼てしる

物をくろめて元手銀をしこだめ。旦那殿の身持が悪ければ。奉公は将(?)

勤めますまひ。御暇下されと無理やりに隙取て。かこふて置たる妾を

女房にして。我見世を出して商ひするも有り。日比女房にせふと

約束した。馴染のおやまを年の明を待て。女房にするも有りみな

夫/\相応の身體に取付ば。旦那の家は間もなふ売家に成て。土蔵諸方

のかけ屋敷も。皆人の物に成てけふは余所の手代が見せに並居。松坂屋

といふ暖簾にかはつて有を見れば。扨も人の身の行末は知れぬ物ぞかし。

彼秦始皇が五歩に一楼。十歩に一閣と立並たう。金殿紫閣も驕り

故に。一時の灰燼と成たるも理なり。天下を我物に為給へる始皇帝さへ

如此なれば。明石屋なんどが奢りを長ぜは。家売段に成るはしれた事とは

思へど。今京中に指折の明石やが。身體めた/\と零落する事。さりとは

薯蕷が鰍に成たるよりも。肝をつぶさぬ人もなかりぬ。明石や林兵衛が

母は。家を売前に死果られけるを。昔の時代ならば今少存生て居らるゝ

が能ひに。何不自由になひ暮しなるに。おしひ事じやと人もいふで有ふ

に。今身體没落して。家屋敷も人の物に成たれば。能時分に母御は

死れた。今迄生て居られたらば。嘸悲しふ思はれふと。早ふ死れたを

却て悦ぶ様にいひ。仕合人じやと悔みいふ者はなく。ほむる者は多かりける。

林兵衛は渡世為べき様もなく。幼少より和子様に育にて。小商に取付所作

を知らず。それより諸国の遊人。手前者といはるゝ程の家へ入こみ。鞠の

指南或は相手に成て。一日暮しの身と成り。爰に十日彼所に廿日と逗留

して養はれ月日を送りしが尾張国に。+野間や長右衛門ーといふ出来分限者

ありけるが。此息男長之助鞠を好みける故。親長右衛門始末第一の男にて

質素成ル者なれ共。息男の愛に溺れて。彼林兵衛を師と頼み一二年も稽

古させけれ共序発急分らず高足の留も。足は□の様に成て指南の際も

見へねば。親父長右衛門林兵衛にいひけるは。此方息男は何事をさせても器用

者と人に称美られ。十二の年大文字を書て。熱田の社へ上ケたる程の器用者

が。此鞠に掛て二三年になれども。直に揚る鞠はなく皆横に成て。小便

田桶に蹴込。或は隣の水道に鞠を入て。幾数となく役に立ぬ様にする

事は心得ず。貴殿を朝夕養ひ置。物入に構はず稽古させるに。此様に

形の付ぬは合点行ずと。息子が不器用にて。やう/\拾弐の歳大文字書

たお手柄の様に思ひ。鞠の六ケ敷分を知らぬ。親父が不機嫌顔していへば。

林兵衛聞て左様に思召は御尤。鞠と申者も其仁の生質にて。一二年稽

古してずつかりと際のたつも有り。又二三年精出しても。あがりかねたるも

御座ります。菟角鞠は六ケ敷物なりといへば。長右衛門聞て然ば御自分が。

其様な上手に成られたは。幾年程稽古して成られたるぞととへば。されば

私が是程迄に成たは。幾年といふ限りは御座りませぬ。弐拾弐参歳より毎

日/\此鞠に懸り。世間向の事はさらりと構ず。手代任せせ致したれば

鞠の稽古の物入と手代が放埒。何やかやにて身體没落し。京中誰知らぬ

者もなひ明石屋といふ。家屋敷を売払ひ。加様な身に成ました。どうで

一身體打込程物を入。六七八年乃至十年程の修行をつまねば

上手には成られませぬといへば。長右衛門肝をつぶし。扨/\鞠といふ物は役に

立ぬ物かな。我等は元足袋屋の僕奉公して居たりしが。三年の内ニ足袋を

縫ふ事を覚へ。おや方の奉公を引て小借屋を借り。足袋屋を致して

居る中。少々金を延し木綿屋に取付。木綿の上りを得て。段/\加様ニ

何不自由になひ身とは成たり。結構な身體を打込。年久ふ掛ても

其通の。御自分の様子を見ては。忰に鞠の稽古はさせあれぬと見限り。

其後は林兵衛も呼ず長之助が。鞠の稽古を止させけるのみならず。商の

肝心なりとて。算盤と手跡のみ習はせける。長之助親に似て身持

質気なれば。林兵衛が物語を聞て鞠は止にけり。芸は身を助るとはいへど。

鞠を蹴歩行て渡世の為にはならず。成るにしても五十迄なり。五十以後は

目も聞ず。足も不達者に成て。小足の働ならぬ物なり。林兵衛も五十

一二迄指南して。諸方を歩行けるが。程なく疝気にて足を痛め。

鞠を蹴る事も成ず。天窓を剃て奇妙頂来地蔵尊。釈迦の付

属を臆念してと。地蔵の和讃を業として。一生を終りける。実に

町人の身は上芸にても。分別して稽古為べき事にや

           四之巻終

 今昔出世扇                       五之巻

            目録

 第一 御前では酔ても管を巻舌の口上

             飲共酌ども尽せぬ上戸の寄合

             足本は猩々日の出の出頭は出ん杭

            打込れた返答より取剛ひ即座の働

 第二 財宝は重代根の蔓た大薮長者

              稽古はあれ是廻り兼る石臼芸

              楊弓のそれ矢は引証に成ル矢取の迷惑

              異見の爪琢立る猫の絵は工夫の図

 第三 兄弟の家業は膝から火の出る火打石や

              出世の当は山も見へぬ庭鳥の真似

              往古の軍法流れを汲今川の家風

              敵の方便あたゝか饅頭齟齬た千秋楽

  (一)御前では酔ても管をまき舌の口上

世間の世話に。細工貧乏他宝とひけるは。無性者の詞下戸の建

たる土蔵もなしといふは酒飲の詞なり。上戸ほど口の賎しき物はなし

酒屋の門を通る時。酒の匂ひに鼻の穴を広げ。魚屋の門を過る

時は。肴の嗅に咽を鳴らす。是酒と肴に乏しき故にもあらず。自然

と顕はるゝ上戸の癖なり。仮初に寄合ても肴の善悪と。酒の風味

に噺は絶ず。酢味噌が能の。生姜酢が能の。或は芥子味噌がしやんとして

能の。とうがらしがさつはりとして能。酒は上の町の樽やのが能横町の

和泉屋が能と。思ひ/\とり%\の評判。其中に交りし下戸は笑止や。酒

肴の噺に退屈して。欠たら%\夜を更しぬ。上戸は下戸の顔を見て

さても下戸といふ者は浅ましひ者かな。酒宴の座に連りても。談義

参りした様に物も得いはず。珠数のほし相な顔付さりとは傍から

見ても気が詰る。一杯飲だ時には。天地一枚に成た様な面白ひ楽

みを知らぬ人間と生れて下戸と成たは。因果の一つじやと譏れど。上戸は

酒より仕損じが多ければ。むさと自慢も成難し。孔子も下戸の証拠には。

酒は無量乱に及ぼさずといましめ給へり。今は昔+東国に去ル大名-有り

けるが。常に武芸を好み給ひ。御前にて度々兵法の稽古を御覧

あり。元来酒好の大名にて。珍肴美味を集め。毎日の酒宴に家中

に名取るの酒呑共を召よせられ。遊興闌なるころ大将仰けるは。何ンと皆

の者ども世の中に。酒色の二つを除ては。外に楽といふ物は有まじ下戸

といふ者は酒を飲ねば。嘸気の詰たる穿鑿なるべし但し下戸の身に

も酒程の楽が有や。酒を離れてはさのみ。面白からぬ事と思ふが汝等は

如何思ふぞと。酒と色とに打こまれし大将の仰を。得たり幸と悦で

罷出て申ける。近習の士+樽山酒膳ーといへる。大上戸申けるは。御意の如く

人間の嗜楽さま%\有といへ共。酒色の二つに過たる事候はず其上

酒と申物は人の心を養ひ。憂を払。玉帚共号て。酒の勢を借ては

いかなる愁情をもはらひ。心剛に成て敵を恐れず。取分武士の嗜

とするは酒にて候。合戦の時も寒気なれば。酒を飲で寒気をしのぎ。

暑気強ければ。暑気を散ずる事。皆酒の功能にて候と酒好の樽山な

れば。酒の徳有事を並べ立ていへば。有あふ近習の者共も口を揃へて。唯

酒を飲ねば魂気弱く大功は立難し。とかく殿様にも酒は心の儘に。

召上られませと勧めける。大将も下地は好なり辻占はよし。いよ/\酒を賞翫

有り。日夜酒宴にのみ暮し給ひぬ。爰に小壷朝右衛門といへる御普代。

当時番頭を勤め出頭人成りしが。生質類もあき下戸にて。酒塩ニも

酔酒の臭を嗅と其儘。頭痛の興る様なる大下戸なりしが。此事を

聞て御前に出申されけるは。此間は御酒宴日々に長じ。上戸の得手勝手

を申を御承引有り。酒を能物と思召ての御酒宴さりとは浅ましかる(?)御事

にて候。尤酒と申物はなくてかなはぬ物なれども。場所により忌嫌ふ事多し。

御大将の御身としては猶以酒故。不覚を御取なさるゝ事も有物なれば。向後

御無用に遊ばされて可然と。四角四面な顔にて諌め留めける。大将何心も

なく酒宴して面白き胴中を。浅右衛門に打醒され。不機嫌成ル顔を見

て近習の上戸共。浅右衛門を殿の御意に違はせ。出仕を止させるは此時と悦

び。コレ/\浅右衛門とりや何事を申上らるゝぞ。貴殿が下戸なれば酒の功能

を知らず。一概に嫌はるゝ事。時宜を知らぬと申物。御前に向ひ左様の諌

言は。柱に膠とやらいふて役に立ぬ事。殊に我/\御近習を勤めたれば。殿の

御為少にても悪ひ事を御勧め申さふか。慮外千万罷帰られよと。にが/\

敷いへば浅右衛門聞て。酒の功能といふは時に従ひ。能加減に用ひぬれば

其酒の功能も有べけれど。時を弁へず分量を斗らず。ひた飲に

飲で前後を弁えへぬ御衆の行跡。何を以能と申されふ。今にても不時

に敵に襲れ給はゞ。左様に酔伏し足腰の立ぬざまでは。殿の御用に立

人壱人も有まひと存る。それが笑止さに加様には申なりと。遠慮会

釈もなくいへば。大将聞給ひて。酒を飲で本の用に立ずば。定て下戸は

万事に油断は有まじ。それ汝等浅右衛門が下戸の嗜みを見よと。一杯機

嫌の大将の下知に。心得たんほゝの口拍子も。舌のまはらぬ喰ひどれども。

大酒の上の力業。ひよろ/\足にて。浅右衛門に六七人の近習共。一度に取付

を。爰へ押伏彼所へつきとばされて。壱人も取に立者もなく。あちらへよ

より。こちらへぶらつき。角柱にてしたゝか天窓を打割。是は堪忍罷成

ぞと。刀の柄に手を掛るを。ひつたくられても相手を知らず。其儘そこニ

倒れて。主人家来の分ちも知らず。何をいふやら唐人の寝言ばかり。

酒のわざとは思へど。さりとは見苦しき體なり。小壷浅右衛門酔どれ

どもに。何ンと酒の功能は是でも自慢か。重て是に懲たが能といへ共。

何の返答もせず。殿の御機嫌に入事なら。どふなり共御勝手次第今一ツ

飲なら飲ましよが。懲たが能とは曲が御座なく候なんどゝ。たはひもなき

有様を大将見給ひ。いか様酒を好み加様の體にては。万事の妨と成べし。

武士の上までは身上を亡し。国を失ふ基とも成べし。今より浅右衛門が

諌言に任せ。堅禁酒すべし。今迄酒を飲で我を悪道ヘ。引入んとせし

奴原は。知行を召上追放すべしと。過ては改に憚らぬ大将。打て替たる仰に

近習を勤め。酒故知行を下されし上戸どもは。其日御屋敷を追出され

て。流浪の身と成り一生を果しける。浅右衛門は御加増を下され。息男

浅之丞も御役を仰付られ。子孫武恩に誇りぬ。実に酒は人の害を

為す事あれども。酒を飲で立身する様を聞ず。色里遊君の座に

連り大尽に付まとひて。酒を飲を為業とし。何国の誰共知らぬ

者なれど。旦那/\と金銀さへ遣ふて見すれば。家頼の如くに尊敬

する者を牽頭と号く。此等は大尽の御陰にて。金を戴き世を

渡る者共にて。尋常の人の手本にはなり。難し。かゝる者の身の上

でさへ酒を飲過せば。口論を仕出し大尽の気に違ひ。手に金も得

もらはず。網のあがる牽頭も有事ぞかし。又摂州尼崎辺に住ける

塩屋有り。代々塩を荷ひ売して。其日/\の身過に貧しかりしが。

三代目の太兵衛といふ者少年の比より。大坂竹田が座に奉公せしが。天然

と細工に器用なりしかば。諸方へ付歩行。からくり芝居を勤めしが。太兵衛

つく%\思案して。竹田の座本に暇を乞。京都に上りいろ/\めづらしき

細工の人形。其外祭/\のねり物。紙細工等を仕立。高銀を取て頼まれ。

次第に細工の名を弘め。金銀を儲溜て。京の中程に家屋敷を

求めぬ。繁昌するに従ひ。細工を止て呉服所に成り。数代の町衆と

肩をならべ。出入の八百屋魚屋はいふに及ばず。其外の出入の物共門前に市

をなし。人に知られし町人となれり。細工貧乏といふは我職を棚へ上て。

人の事斗に骨を折リ。何闇からぬ顔して賃銀も取らず。毎に喰ぬ楊枝

遣ふて。器用者の名を取らん細工師は。極て貧乏なるべし。太兵衛もいつ迄も

うか/\。竹田座にぶら付て居ば。一生からくり師成べけれど。能加減に京都

にて名を弘め。銭金沢山に成たるは。知っ有て工なる故也。世間の人構て

細工は。貧乏人と思ひ給ふな穴賢

  (二)財宝は重代根の蔓た大薮長者

語曰不道にして富且貴羞なりと。君子聖人の心を以て見れば。今の

世の富貴栄耀の人。道なき事のみ多し。何国には誰。彼所には誰。何某

と指を差れ。分限者といはるゝ程の仁は皆恥敷事にて。論語の素読

するも汗をかくべし。富貴にて万事心の儘なれば。あのづから。僻事

のみ多し金銀の威光を鼻に懸て。諸事我は顔をすれば。其手下の

出入の者或は貧賎の者は。是に恐れて何事も御尤ずくめにすれば。いよ/\我

にて才智有りと自慢して。おのれが非を知るなし。今は昔河内国交野

郡に+大薮長者ーと呼れ。隣国に並びなき大後生願あり。代々家富栄へ

ければ。金銀の山を積家屋敷は拾八丁目に構へ。土蔵数ケ所に建ならべ。表門

両方東西石垣を高築。恰も大名の城郭を見る如く。町人には稀成居成。

他所へ出る時も帯刀を免され。鑓を持たぬと引馬のなき斗。其外は武士の

形粧なり。平生御伽衆と号て出入する人数は。先医者には+軽口友庵ーを始め。

按摩鍼医茶の湯者座頭花指。碁打鼓諷浄瑠璃の類。諸芸に名を

得たる者ども日夜参り集り。其外角力捕迄も抱置。其日/\の機嫌

次第に面/\が芸をさせ。其身も相共に茶の湯なれば。亭主に成客に

なりて慰とせられぬ。しかれ共生質不器用にて。師匠釜本利釜と言

茶師。数年汗水流して教れども。更に覚へず。毎度茶巾さばき。茶釜

打も直に行ねど。それは手前が前後致しましたイヤ酌の持様がそふ

では御ざりませぬと教れば。かへつて腹を立傍へもよせまじき體に。不機嫌

なれば気に入まじき事を恐れて。茶の師を始め鞠の師三味線の師。鼓

太鼓諷尺八の師を為る者ども。何れも非をいはず。直に上らず横に斗

上ル鞠に。足を鼻の上まて上て。やゝともすればあをのけにこける様な蹴様で

も。唯今のお鞠は沓下が。見事に御ざりましたなどゝ褒れば。実とおもひ

しすました顔にて居らるゝ故。諸芸の師匠共御器用千万。追付諸芸の

上盛名人の名を。御取りなさるゝで御座りませふと。そやされて機嫌よく

師匠分の者共へ。判金壱枚或は弐枚程。是は芸の上達た祝ひじやなどゝ。

思ひも寄らぬ金を貰へば。いよ/\指南者は褒なやみて。気に入らん事を

願ひ其身は何をしても。器用者と思ふて居らるゝ心。さりとは金の

勢にて諸芸の。冠と成る事は加様の事にや。中にも至て+おろかに

おもしろきは。京都より+千中ーといへる。楊弓の師匠を呼下し稽古し

けるが。百発千発の内に。的に中る矢は壱本もなく。多く盆外のみ

なれども。千中も外の指南者と同じく。御器用千万矢筋といひ。御構共

格別能候へば。頓て。百が百度弐百度の内。あだ矢は壱本もなき様に。上手

に御成りなされふなどゝ。空ぼめに褒て追従いへば。大薮長者図に

乗て汗を流し。精を出して稽古しけるが。有時矢取の親父が何

心なく。的の脇に踞て居るに。長者が矢先盆を外れ。彼親父が左

の眼をぶさと射通し。目より血出て痛堪がたければ。矢取の親父

は片影へ目をかゝへて逃退ける。見物の諸人驚け共。師匠の千中は少しも

騒がず。昔の鳥海は弓勢に名あるゆへ。権五郎影政が左の眼を射

て手柄をあらはし。誉を後世に残けり。今の長者様は右や左の眼を射

て楊弓のみにあらず。本弓迄の御弓勢が。思ひやられ末頼母敷存る

などゝ。取ても付ぬ引証を延て。褒そやせば長者実もと思ひ。是

といふも指南に精を出してくれたる故なりとて。褒美として又判金二枚

千中に与へぬ。長者は生得の蛙蜂といふにもあらねど。扈従出入の者御伽

衆といふ程の者にそやされて。自分の身に気の付ぬ故なり。今時身體

よし内証の暖な旦那息男達。人に蛙蜂にせらるゝ事ある物ぞかし。長者

思ひけるは諸芸今は鍛錬したれば。絵を稽古して見ばやと思ひ。+長谷

川乱雪ーとへる絵師を呼よせ。絵の指南を頼むといへば。乱雪畏りいかに

も御指南申べし。随分精出し給へとて教けり。或時長者乱雪に申さ

るゝは。我多年仏道に志し。作善のいとなみ怠る事なし。此善根はいかでか

空しからん。未来は必紫磨金色の座に生じ。端生有相を得て成仏

得脱疑なし。其方我形を絵に画き子孫に伝へ。長者こそ現世

より未来の果を知たりと。名を後代に留る様に頼み入る。則来十一日

先祖の忌日なれば。彼絵を仏前に掛て。家来出入の者どもにも拝ますべし。

其間合様に早く書て持参すべしと頼めば。乱雪聞て何より以てやすひ

御用認て参るべしと請合。其日早々画て長者が方ヘ持行。御望の絵

像出来故持参仕りしと申上れば。長者悦び数多の僧を供養し。かたの

ごとく仏事を執行しけるが。人数皆揃いて後件の絵像を。持仏堂

に掛て見るに。大なる黒猫が数珠をくわへて。行體を有り/\と書たり。

筆勢といひ眼の光りさながら。生真の猫のごとくぞ見へぬ。長者大きに

肝をつぶし。兼て頼し画は某が像を画き。仏道に帰依せし柔和

忍辱の體相を子孫に残し。後の世迄長者こそ。仏道を信ぜし人よと

知らせ。作善の心を起さしめん為なり。然るにかゝる奇怪成ル画を書て。

我を恥かしめぬるこそ不届なれ。是迄何事にても我心に背きし者

なきに。汝壱人かくはからひしは。身を知らぬ空気かなと。大きにいかり

罵れば。乱雪聞てさればの事。大勢の指南者を抱へ置。諸芸を稽

古為給へども。更に何れの芸も埒の明たる事なし。しかるを指南する

者共何れも。御器用/\と化褒するを実に思召。我こそ諸芸に達し

たれと思召は。以の外の齟齬なり。皆御気に入らんとて。指南者共の追従にて。

世話に申座敷姿と申物。仏道に帰依し僧を供養し。堂寺を建立

なされても。御本心真実の仏法気にあらず。皆世間への見せかけ。必竟

伊達の後生にて名聞なり。夫故慮外ながら教訓の為に。此絵を図して

御目に掛まする。先猫と申物は腥気を好む物なり。数珠が魚類の中の

腥所へ落たる故。くはへて行を鼠共が見て曰。我/\を取て喰ふ猫殿が

後生気に成れたやら。数珠を囓へてゆかるゝ。あの心ならば殺生も止て。

我/\を嚼殺す心も有まひと。鼠共皆油断して居る所に数珠の

腥気去ル故。忽数珠を捨て。鼠共を残さず取ける事。表向斗にて

真実の仏道気なき者と同前。丁目どおまへの諸芸を稽古し。見せ

掛斗に作善をなされ。鐘を扣き念仏を唱へ寺堂を建立なさるゝ

も。猫の数珠を囓へたも同じ事にて候。外の指南者は御気に違ふ事を

恐れ。おもねり諂ふとも。某は左様の追従は絵致さず。加様に申が御腹が

立申さば。速に御暇申て帰り申分の事。我等が教訓を尤と思召し。是迄

の御行跡御改めなされなば。我等が本望是に過申さずと。実に忠貞を

顕し微塵も売僧の詞なく。長者を裸にして洗た様にいへば。並居たる

指南者共を始め。日比長者と懇意の者。出入の者迄。是を聞て。扨も笑

止な画工が教訓かな。名を取より徳を取が当世なるに。無用なる事

をいふて。御気に違ふ無分別者と。口/\に気の毒がりける。例の我儘

の長者なれば。大に立腹有べしと。思ひの外莞尓と笑ひ。扨/\奇特成ル

事を能も申たり。我威光に恐れて。数多の指南者左様の事を得

いはず。汝ひとり欲を離れ。我権勢を恐れず教訓し。我を善心に

勧むる事。昔の毛延寿命が西施が形を。醜く書て胡国ヘ遣り。元帝の

乱を鎮めしにも劣らず。諸芸を嗜む者の手本共なるべし。就中手跡

画工は其者の徳が第一なり。喩ひ絵を能書手跡に名を得たりとも。

徳がなふては取に足らず。今より師範と仰ぐ者は汝壱人なりとて。それより

諸芸の指南者には暇を遣り。乱雪壱人を取立。法眼に仕立金銀を惜

まず。乱雪が為に入れけるゆへ。乱雪は画工の名を顕し。俄に立身出世の

門を開きぬ。今の世に口給手管にて。富貴に成ル者あれ共。浮る雲の

ごとく。真の富貴にあらず。乱雪がごとく廉直を以て。富貴に至るは。鬼に

金棒。石地蔵に根継万々年も堅し/\

  (三)兄弟の家業は膝から火の出る火打石や

凡武芸の要は軍法の利を弁へ。業に至ては弓鑓長刀馬上の

驅引。奇正虚実何れも定たる事にして。是を離れては堅甲利兵

も役に立ず。合戦の場に至て。勝利を得る事難し。是兵法の常や。

士たる者嗜珍らしからず。此外種々の事を設て。勝利を得たる事あり。

既に対陣の所に望では。何事を以て敵を亡し。城を落す斗略は有

事ぞと常に心掛べし。士卒心剛にして要害能堅め。然も大勢楯篭

は奇変の謀斗を以て合戦をせずんば。城強ふして落がたからん。遁れ

がたき篭城小勢を以て。大敵に向ふ艱難の所に望で。豈尋常の斗略

にて。身を全し勝利を得事有らんや。唐土の裳君は鶏の鳴声を真似

て命を助かり。本朝の畑六郎右衛門は。奇犬の働に仍て。多の城を落し

軍功を顕せり。今は昔+今川伊予夢の入道了俊ーの領地に住む遊民有リ

茅屋の構へ土蔵をしつらひ。両親もなく兄弟弐人にて。+兄を熊蔵+

+弟を駒蔵ーといへり。渡世には毎日近辺の川原に行。火打石を拾ひ売に

そら直をいはず。己が思ふほどに売て。両人が手前に百文を限りて。夫

より多は売らず。毎日欠さず売歩行けるが。其隙/\に弟は諷稽

古し。或は浄瑠璃を習ひ。火打石を荷ひながらも。山寺の春の夕ぐれ

来て見れば。入相の鐘に花ぞ散ける。から子わげには薩摩櫛。島田曲

には唐ぐしと。大和唐土打まぜてなどゝ。三井寺と国姓爺をまぜこぜ

にして。高なしに遣て行跡より。兄の熊蔵は物真似を稽古しけるが。鶏の

真似をよく仕覚へ。弐三度も夜明鶏の声を。真似て行道すがら弟の

駒蔵いひけるは。兄貴は鳥獣の真似をして。何の為になさるゝぞ。迚も稽古

仕給はゞ我等が様に。音曲業が能からふ物をといへば。兄熊蔵聞て音曲は

世間に沢山有て。出世する事が遠し。今川殿は軍術を嗜む人なれば。

鶏の真似を能仕たらば。昔の事を思ひ出して。知行を下さるゝ事も有

べし。さるに依て稽古する也といふを。折節今川家の近臣。+松田兵庫ー

といふ者此詞を聞て。伊予の入道殿に告ければ。入道しばらく思案有

て其者を急で召と申され。彼熊蔵を御前に呼出されぬ。入道熊蔵に

申さるゝは。汝鶏の声を能真似たるゆへ。某が用に立べき子細はいか成

事を以て。軍術の助力にはせんと思ひぞ。心底を残さず語れと申され

ける。熊蔵承りて申けるは。御不審御尤に存じまする。御家来同前の

+山名弾正殿ー。君に遺憾を含み。近日茶湯会と称じ。君を討奉る

催有と承及て候。其時にいたり御出なきも臆し給ふに見へ。又御出なされ

ては御身の上も危し。さりながら御家来を大勢。召具せられんもいかゞ。

某鶏の鳴声を作り。夜更て大勢の人数を御用心の為に。山名が門

内に入れレ申さん。斗略は明ぬ夜を明し。門を開かする工夫にて候へと申せば。入道

手を打ていかにも近日茶会の沙汰あり。汝が聞伝へ唯今のごとくに

はからひなば。気遣なしと悦び玉ひ。当分弐百石宛行れ茶の会の節

四つ過夜半比に山名が館へ参会あり。八つの時分にも成ければ。彼熊蔵

が鳥の声を合図に。大勢武士腹巻甲冑を帯し。夜明ゆへ御迎に

参りしと大手の門を開かせ。どや/\と込入て用心の體なれば。山名が支度

相違して伊予の入道は。何事なく我館へ帰られぬ。了俊此熊蔵を

重宝の事に思はれ。不便を加へ召遣れける。弟駒蔵も兄の影にて火

打石を取置。兄の世話になり居たれ共。諷浄瑠璃共に役に立ぬ事なら

ねば。召出さるゝ事もなく。一生日影の暮し兄熊蔵が。知行を喰ひ

つぶしとぞ見えぬ。世の中の仕合不仕合を見るに。人力の業にあらず。

只天運の為所なり。熊蔵かゝる物真似を稽古して。今川の家ヘ奉公すべし

と思ひまふけたる事にもあらず。伊予守もかゝる密謀を。山名が方に

拵へたる故熊蔵を。召抱んと思ひ給ふ事にはあらねど熊蔵が立身す

べき時節なりけるにや。松田兵庫に聞出されて。早速の手柄を顕はし。

重宝者と賞翫せられぬ。世間の芸者の身の上かくのごとし。さ迄の事

もなきに人の賞翫に逢ひ。肩をいからし肱を張る者世間に多し。千里

の馬は常にあれども伯楽は常にはあらずと書しも理り也。声にあらはれ

音に出る。諷鼓の類浄瑠璃三味線に至るまで。其道/\を弁へされば。

上手下手を知ものなし。下手をも上手に取成し。上手をも下手といひ成すは。

其道に盲く贔負の沙汰多し。特に人の惑ひ易きは医者と役者

なり。文盲なる医者も偶中とて。まくり当りに人の療治の跡を癒す

事有。是を手本にして流行出せば。四枚肩に若党美々敷或は僕に

薬箱を持せ。青/\と生絹の羽織に風を溜め。きらめき渡る純子

の羽織を貴がりて。医学の浅深と。療治の善悪は夢にも知らず

御上手様と有難がる故。医者も心得て学文より。療治の工夫より先

衣裳の新敷を引張。僕に持せし挑灯より。姿の光りが強ひ程の

身拵へ。いかなる心入ぞや。病因病根を察せず疾を療ぜば。劍を持

て人を殺すより速かなりと正伝或問の序にも記せり。劍を持て

人を殺さば其身忽面縛せられ。死刑に行はれ尸を梟木に晒さん

事必然なり。転放療治する医者豈慎まざらんや。歌舞妓役者

も時の拍子にて。人の気に入たるが。上手と評判せらるゝ。是其役者

の幸なり。顔見世の狂言に誰が朝比奈は能ひ。誰が五郎は不出来しや

少将は能けれ共今少背が卑ひ。工藤祐経はさりとは能ふ出来た。正真

の祐経に生移しじやなどゝ。終に朝比奈を見た者もなく。少将が背が

高かつたやら卑かったやら。知た者は壱人もなし。祐経が顔一尺

有たやら。五寸有たやら人相書も残らず。誰壱人夢に見た事も

有まひけれど善の悪にと面/\贔負%\口%\にいひ罵り。後には

喧嘩する様に成ル。是根本を知らず。滅た誉。狂言する役者も朝比

奈が身振とら少将が起居物ごしを知らねど。朝比奈といへば顔を真赤

に染。弐丈も有ル刀を指て荒事とやらんにて。人を取て投る事を

仕て見せ。とら少将に成たる者は。髪を当世風に結ふて。花道から日笠を指

かけさせて。曲輪の道中の體を仕て見せる往昔建久の時分加様の風俗

にて。道中したる事を聞ず。善とも悪共比判に及まじき事也。心有人

能く分別して。役者評判に口論を仕出し給ふな。往昔津の国山崎といふ所に。文盲

大才の名医あり。或人三里の灸を頼みけるに。此医者足の三里を知らず。俄に

思付て頭頂に一点を誌し尻のとがりに一点を誌し。睾丸に一点を誌し。合て三里也と

いへば。忝ふ御座りますと一礼いふて。件の或人は帰りぬ。此人男ならば三里の都合

も合たれ。女子ならば壱里たらず。かゝる名医世間に多からん乎

  五之巻終