雨月物語序

羅子撰水滸。

而三世生唖児。

紫媛著源語。

而一旦堕悪趣者。

蓋爲業所〓耳。

然而觀其文。

各々奮奇態。

〓哢〓真。

低昂宛轉。

令讀者心氣洞越也。

可見鑑事実干千古焉。

余適有鼓腹之閑話。

衝口吐出。

雉〓龍戦。

自以爲杜撰。

則摘讀之者。

固當不請信也。

登可求醜唇平鼻之報哉。

明和戊子晩春。

雨霽月朦朧之夜。

窗下編成。

以〓梓氏。

題曰雨月物語。

云。

剪枝畸人書

     [子虚後人][遊戯三昧]

雨月物語巻之一

白峯

 あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大礒小いその浦々、むらさき艶ふ武蔵野の原塩竈の和たる朝げしき、象潟の蜑が苫や、佐野の舟梁、木曽の桟橋、心のとゞまらぬかたぞなきに、猶西の国の歌枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葭がちる難波を経て、須磨明石の浦ふく風を身にしめつも、行々讃岐の真尾坂の林といふにしばらく〓{竹↓工+卩}を植む。

草枕はるけき旅路の労にもあらで、観念修業の便せし庵なりけり。

 この里ちかき白峰といふ所にこそ、新院の陵ありと聞て、拝みたてまつらばやと、十月はじめつかたかの山に登る。

松柏は奥ふかく茂りあひて、青雲の軽靡日すら小雨そぼふるがごとし。

児が岳といふ嶮しき岳背に聳だちて、千仭の谷底より雲霧おひのぼれば、咫尺をも欝悒こゝ地せらる。

木立わづかに間たる所に、土{土+敦}く積たるが上に、石を三かさねに畳みなしたるが、荊蕀薜蘿にうづもれてうらがなしきを、「これならん御墓にや」と心もかきくらまされて、さらに夢現をもわきがたし。

「現にまのあたりに見奉りしは、紫宸清涼の御座に朝政きこしめさせ給ふを、百の官人は、かく賢き君ぞとて、詔恐みてつかへまつりし、近衛院に禅りましても、藐姑射の山の瓊の林に禁させ給ふを、思ひきや麋鹿のかよふ跡のみ見えて、詣つかふる人もなき深山の荊の下に神がくれ給はんとは。

万乗の君にてわたらせ給ふさへ、宿世の業といふものゝおそろしくもそひたてまつりて、罪をのがれさせ給はざりしよ」と、世のはかなきに思ひつゞけて涙わき出るがごとし。

終夜供養したてまつらばやと、御墓の前のたひらなる石の上に座をしめて、経文徐に誦しつゝも、かつ歌よみてたてまつる。

  松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり

猶心怠らず供養す。

露いかばかり袂にふかゝりけん。

日は没しほどに、山深き夜のさま常ならね。

石の牀木葉の衾いと寒く、神清骨冷て、物とはなしに凄じきこゝちせらる。

月は出しかど、茂きが林は影をもらさねば、あやなき闇にうらぶれて、眠るともなきに、まさしく「円位/\」とよぶ声す。

眼をひらきてすかし見れば、其形異なる人の、背高く痩おとろへたるが、顔のかたち着たる衣の色紋も見えで、こなたにむかひて立るを、西行もとより道心の法師なれば、恐ろしともなくて、「こゝに来たるは誰」と答ふ。

かの人いふ。

「前によみつること葉のかへりこと聞えんとて見えつるなり」とて、

  松山の浪にながれてこし舩のやかてむなしくなりにけるかな

喜しくもまうでつるよ」と聞ゆるに、新院の霊なることをしりて、地にぬかづき涙を流していふ。

「さりとていかに迷はせ給ふや、濁世を厭離し給ひつることのうらやましく侍りてこそ。

今夜の法施に随縁したてまつるを、現形し給ふはありがたくも悲しき御こゝろにし侍り。

ひたふるに隔生即忘して、仏果円満の位に昇らせ給へ」と、情をつくして諫奉る。

 新院呵/\と笑はせ給ひ、「汝しらず。

近来の世の乱は朕なす事なり。

生てありし日より魔道にこゝろざしをかたふけて、平治の乱を発さしめ、死て猶朝家に祟をなす。

見よ/\やがて天が下に大乱を生ぜしめん」といふ。

西行此詔に涙をとゞめて、「こは浅ましき御こゝろばへをうけ給はるものかな。

君はもとよりも聡明の聞えましませば、王道のことわりはあきらめさせ給ふ。

こゝろみに討ね請すべし。

そも保元の御謀叛は天の神の教給ふことわりにも違はじとておぼし立せ給ふか。

又みづからの人慾より計策給ふか。

詳に告せ給へ」と奏す。

其時院の御けしきかはらせ給ひ、「汝聞け。

帝位は人の極なり。

若人道上より乱す則は、天の命に応じ、民の望に順ふて是を伐。

抑永治の昔、犯せる罪もなきに、父帝の命を恐みて、三歳の体仁に代を禅りし心、人慾深きといふべからず。

体仁早世ましては、朕皇子の重仁こそ国しらすべきものをと、朕も人も思ひをりしに美福門院が妬みにさへられて、四の宮の雅仁に代を簒はれしは深き怨にあらずや。

重仁国しらすべき才あり。

雅仁何らのうつは物ぞ。

人の徳をえらはずも、天が下の事を後宮にかたらひ給ふは父帝の罪なりし。

されど世にあらせ給ふほどは孝信をまもりて、勤色にも出さゞりしを、崩させ給ひてはいつまでありなんと、武きこゝろざしを発せしなり。

臣として君を伐すら、天に応じ民の望にしたがへば、周八百年の創業となるものを、ましてしるべき位ある身にて、牝鶏の晨する代を取て代らんに、道を失ふといふべからず。

汝家を出て仏に婬し、未来解脱の利慾を願ふ心より、人道をもて因果に引入れ、尭舜のをしへを釈門に混じて朕に説や」と、御声あらゝかに告せ給ふ。

 西行いよゝ恐るゝ色もなく座をすゝみて、「君が告せ給ふ所は、人道のことわりをかりて慾塵をのがれ給はず。

遠く辰旦をいふまでもあらず。

皇朝の昔誉田の天皇、兄の皇子大鷦鷯の王をおきて、李の皇子菟道の王を日嗣の太子となし給ふ。

天皇崩御給ひては、兄弟相譲りて位に昇り給はず。

三とせをわたりても猶果べくもあらぬを、菟道の王深く憂給ひて、豈久しく生て天が下を煩しめんやとて、みづから宝算を断せ給ふものから、罷事なくて兄の皇子御位に即せ給ふ。

是天業を重んじ孝悌をまもり、忠をつくして人慾なし。

尭舜の道といふなるべし。

本朝に儒教を尊みて専王道の輔とするは、莵道の王、百済の王仁を召て、学ばせ給ふをはじめなれば、此兄弟の王の御心ぞ、即漢土の聖の御心ともいふべし。

又「周の創、武王一たび怒りて天下の民を安くす。

臣として君を弑すといふべからず。

仁を賊み義を賊む。

一夫の紂を誅するなり」といふ事、孟子という書にありと人の伝へに聞侍る。

されば漢土の書は経典史策詩文にいたるまで渡さゞるはなきに、かの孟子の書ばかりいまだ日本に来らず。

此書を積て来たる船は、必しも暴風にあひて沈没よしをいへり。

それをいかなる故ぞととふに、我国は天照すおほん神の開闢しろしめしゝより、日嗣の大王絶る事なきを、かく口賢しきをしへを伝へなば、末の世に神孫を奪ふて罪なしといふ敵も出べしと、八百よろづの神の悪ませ給ふて、神風を起して船を覆し給ふと聞、されば他国の聖の教も、こゝの国土にふさはしからぬことすくなからず。

且詩にもいはざるや。

「兄弟牆に鬩ぐとも外の悔りを禦げよ」と。

さるを骨肉の愛をわすれ給ひ、あまさへ一院崩御給ひて、殯の宮に肌膚もいまだ寒させたまはぬに、御旗なびかせ弓末ふり立て宝祚をあらそひ給ふは、不孝の罪これより劇しきはあらじ。

天下は神器なり。

人のわたくしをもて奪ふとも得べからぬことわりなるを、たとへ重仁王の即位は民の仰ぎ望む所なりとも、徳を布和を施し給はで、道ならぬみわざをもて代を乱し給ふ則は、きのふまで君を慕ひしも、けふは忽怨敵となりて、本意をも遂たまはで、いにしへより例なき刑を得給ひて、かゝる鄙の国の土とならせ給ふなり。

たゞ/\旧き讐をわすれ給ふて、浄土にかへらせ給はんこそ願ましき叡慮なれ」と、はゞかることなく奏ける。

 院長嘘をつがせ給ひ、「今事を正して罪をとふ。

ことわりなきにあらず。

されどいかにせん。

この島に謫れて、高遠が松山の家に困められ、日に三たびの御膳すゝむるよりは、まいりつかふる者もなし。

只天とぶ雁の小夜の枕におとづるゝを聞けば、都にや行らんとなつかしく、暁の千鳥の洲崎にさわぐも、心をくだく種となる。

鳥の頭は白くなるとも、都には還るべき期もあらねば、定て海畔の鬼とならんずらん。

ひたすら後世のためにとて、五部の大乗経をうつしてけるが、貝鐘の音も聞えぬ荒礒にとゞめんもかなし。

せめては筆の跡ばかりを洛の中に入りさせ給へと、仁和寺の御室の許へ、経にそへてよみておくりける

  浜千鳥跡はみやこにかよへども身は松山に音をのみぞ鳴

しかるに少納言信西がはからひとして、若呪咀の心にやと奏しけるより、そがまゝにかへされしぞうらみなれ。

いにしへより倭漢士ともに、国をあらそひて兄弟敵となりし例は珍しからねど、罪深き事かなと思ふより、悪心懺悔の為にとて写しぬる御経なるを、いかにさゝふる者ありとも、親しきを議るべき令にもたがひて筆の跡だも納給はぬ叡慮こそ、今は旧しき讐なるかな。

所詮此経を魔遠に回向して、恨をはるかさんと、一すぢにおもひ定て、指を破り血をもて願文をうつし、経とゝもに志戸の海に沈てし後は、人にも見えず深く閉こもりて、ひとへに魔王となるべき大願をちかひしが、はた平治の乱ぞ出きぬる。

まづ信頼が高き位を望む驕慢の心をさそふて義朝をかたらはしむ。

かの義朝こそ悪き敵なれ。

父の為義をはじめ、同胞の武士は皆朕ために命を捨しに、他一人朕に弓を挽。

為朝が勇猛、為義忠政が軍配に贏目を見つるに、西南の風に焼討せられ、白川の宮を出しより、如意が岳の嶮しきに足を破られ、或は山賎の椎柴をおほいて雨露を凌ぎ、終に擒はれて此島に謫られしまで、皆義朝が姦しき計策に困められしなり。

これが報ひを虎狼の心に障化して、信頼が陰謀にかたらはせしかば、地祗に逆ふ罪、武に賢からぬ清盛に遂討る。

且父の為義を弑せし報〓{人+幅-巾}りて、家の子に謀られしは、天神の祟を蒙りしものよ。

又少納言信西は、常に己を博士ぶりて、人を拒む心の直からぬ。

これをさそふて信頼義朝が讐となせしかば、終に家をすてゝ宇治山の坑に竄れしを、はた探し獲られて六条河原に梟首らる。

これ経をかへせし諛言の罪を治めしなり。

それがあまり応保の夏は美福門院が命を窮り、長寛の春は忠道を祟りて、朕も其秋世をさりしかど、猶嗔火熾にして尽ざるまゝに、終に大魔王となりて、三百余類の巨魁となる。

朕けんぞくのなすところ、人の福を見ては転して禍とし、世の治るを見ては乱を発さしむ。

只清盛が人果大にして、親族氏族こと%\く高き官位につらなり、おのがまゝなる国政を執行ふといへども、重盛忠義をもて輔くる故いまだ期いたらず。

汝見よ、平氏も又久しからじ。

雅仁朕につらかりしほどは終に報ふべきぞ」と、御声いやましに恐しく聞えけり。

西行いふ。

「君かくまで魔界の悪業につながれて、仏土に億万里を隔給へばふたゝびいはじ」とて、只黙してむかひ居たりける。

 時に峯谷ゆすり動きて、風叢林を僵すがごとく、沙石を空に巻上る。

見る/\一段の陰火君が膝の下より燃上りて、山も谷も昼のごとくあきらかなり。

光の中につら/\御気色を見たてまつるに、朱をそゝぎたる龍顔に、荊の髪膝にかゝるまで乱れ、白眼を吊あげ、熱き嘘をくるしげにつがせ給ふ。

御衣は柿色のいたうすゝびたるに、手足の爪は獣のごとく生のびて、さながら魔王の形あさましくもおそろし。

空にむかひて「相模/\」と叫せ給ふ。

「あ」と答へて、鳶のごとくの化鳥翔来り、前に伏て詔をまつ。

院かの化鳥にむかひ給ひ、「何ぞはやく重盛が命を奪て、雅仁清盛をくるしめざる」。

化鳥こたへていふ。

「上皇の幸福いまだ尽ず。

重盛が忠信ちかづきがたし。

今より支干一周を待ば、重盛が命数既に尽なん。

他死せば一族の幸福此時に亡べし」。

院手を拍て怡ばせ給ひ、「かの讐敵こと%\く此前の海に尽すべし」と、御声谷峯に響て凄しさいふべくもあらず。

魔道の浅ましきありさまを見て涙しのぶに堪ず。

復び一首の歌に随縁のこゝろをすゝめたてまつる

  「よしや君昔の玉の床とてもかゝらんのちは何にかはせん

刹利も須陀もかはらぬものを」と、心あまりて高らかに吟ける。

此のことばを聞しめして感させ給ふやうなりしが、御面も和らぎ、陰火もやゝうすく消ゆくほどに、つひに龍体もかきけちたるごとく見えずなれば、化鳥もいづち去けん跡もなく、十日あまりの月は峯にかくれて、木のくれやみのあやなきに、夢路にやすらふが如し。

ほどなくいなのめの明ゆく空に、朝鳥の音おもしろく鳴わたれば、かさねて金剛経一巻を供養したてまつり、山をくだりて庵に帰り、閑に終夜のことゞもを思ひ出るに、平治の乱よりはじめて、人々の消息、年月のたがひなければ、深く慎みて人にもかたり出ず。

 其後十三年を経て治承三年の秋、平の重盛病に係りて世を逝ぬれば、平相国入道、君をうらみて鳥羽の離宮に籠たてまつり、かさねて福原の茅の宮に困めたてまつる。

頼朝東風に競ひおこり、義仲北雪をはらふて出るに及び、平氏の一門こと%\く西の海に漂ひ、遂に讃岐の海志戸八島にいたりて、武きつはものどもおほく鼇魚のはらに葬られ、赤間が関壇の浦にせまりて、幼主海に入らせたまへば、軍将たちものこりなく亡びしまで、露たがはざりしぞおそろしくあやしき話柄なりけり。

其後御廟は玉もて雕り、丹青を彩りなして、稜威を崇めたてまつる。

かの国にかよふ人は、必幣をさゝげて斎ひまつるべき御神なりけらし。

菊花の約

 青々たる春の柳、家園に種ることなかれ。

交りは軽薄の人と結ぶことなかれ。

楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹に耐めや。

軽薄の人は交りやすくして亦速なり。

楊柳いくたび春に染れども、軽薄の人は絶て訪ふ日なし。

 播磨の国加古の駅に丈部左門といふ博士あり。

清貧を憩ひて、友とする書の外はすべて調度の絮煩を厭ふ。

老母あり。

孟子の操にゆづらず。

常に紡績を事として左門がこゝろざしを助く。

其季女なるものは同じ里の佐用氏に養はる。

此佐用が家は頗富さかえて有けるが、丈部母子の賢きを慕ひ、娘子を娶りて親族となり、屡事に托て物を餉るといへども、「口腹の為に人を累さんや」とて、敢て承ることなし。

 一日左門同じ里の何某が許に訪ひて、いにしへ今の物がたりして興ある時に、壁を隔て人の痛楚声いともあはれに聞えければ、主に尋ぬるに、あるじ答ふ。

「これより西の国の人と見ゆるが、伴なひに後れしよしにて一宿を求らるゝに士家の風ありて卑しからぬと見しまゝに、逗まいらせしに、其夜邪熱劇しく、起臥も自はまかせられぬを、いとをしさに三日四日は過しぬれど、何地の人ともさだかならぬに、主も思ひがけぬ過し出て、こゝち惑ひ侍りぬ」といふ。

左門聞て、「かなしき物がたりにこそ。

あるじの心安からぬもさる事にしあれど、病苦の人はしるべなき旅の空に此疾を憂ひ給ふは、わきて胸窮しくおはすべし。

其やうをも看ばや」といふを、あるじとゞめて、「瘟病は人を過つ物と聞ゆるから、家童らもあへてかしこに行しめず。

立よりて身を害し給ふことなかれ」。

左門笑ていふ、「死生命あり。

何の病か人に伝ふべき。

これらは愚俗のことばにて吾們はとらず」とて、戸を推て入つも其人を見るに、あるじがかたりしに違はで、倫の人にはあらじを、病深きと見えて、面は黄に、肌黒く痩、古き衾のうへに悶へ臥す。

人なつかしげに左門を見て、「湯ひとつ恵み給へ」といふ。

左門ちかくよりて、「士憂へ給ふことなかれ。

必救ひまいらすべし」とて、あるじと計りて、薬をえらみ、自方を案じ、みづから煮てあたへつも、猶粥をすゝめて、病を看ること同胞のごとく、まことに捨がたきありさまなり。

かの武士左門が愛憐の厚きに泪を流して、「かくまで漂客を恵み給ふ。

死すとも御心に報ひたてまつらん」といふ。

左門諫て、「ちからなきことはな聞え給ひそ。

凡疫は日数あり。

其ほどを過ぬれば寿命をあやまたず。

吾日々に詣てつかへまいらすべし」と、実やかに約りつゝも、心をもちゐて助けるに、病漸減じてこゝち清しくおぼえければ、あるじにも念比に詞をつくし、左門が陰徳をたふとみて、其生業をもたづね、己が身の上をもかたりていふ。

「故出雲の国松江の郷に生長て、赤穴宗右衛門といふ者なるが、わづかに兵書の旨を察しによりて、冨田の城主塩冶掃部介、吾を師として物学び給ひしに、近江の佐々木氏綱に密の使にえらばれて、かの館にとゞまるうち、前の城主尼子経久、山中党をかたらひて大三十日の夜不慮に城を乗とりしかば、掃部殿も討死ありしなり。

もとより雲州は佐々木の持国にて、塩冶は守護代なれば、「三沢三刀屋を助けて、経久を亡ぼし給へ」とすゝむれども、氏綱は外勇にして内怯たる愚将なれば果さず。

かへりて吾を国に逗む。

故なき所に永く居らじと、己が身ひとつを窃みて国に還る路に、此疾にかゝりて、思ひがけずも師を労しむるは、身にあまりたる御恩にこそ。

吾半生の命をもて必報ひたてまつらん」。

左門いふ。

「見る所を忍びざるは人たるものゝ心なるべければ、厚き詞ををさむるに故なし。

猶逗まりていたはり給へ」と、実ある詞を便りにて日比経るまゝに、物みな平生に迩くぞなりにける。

 此日比左門はよき友もとめたりとて、日夜交はりて物がたりす[る]に、赤穴も諸子百家の事おろ/\かたり出て、問わきまふる心愚ならず。

兵機のことわりはをさ/\しく聞えければ、ひとつとして相ともにたがふ心もなく、かつ感、かつよろこびて、終に兄弟の盟をなす。

赤穴五歳長じたれば、伯氏たるべき礼儀ををさめて、左門にむかひていふ。

「吾父母に離れまいらせていとも久し。

賢弟が老母は即吾母なれば、あらたに拝みたてまつらんことを願ふ。

老母あはれみてをさなき心を肯給はんや」。

左門歓びに堪ず、「母なる者常に我孤独を憂ふ。

信ある言を告なば齢も延なんに」と、伴ひて家に帰る。

老母よろこび迎へて、「吾子不才にて、学ぶ所時にあはず青雲の便りを失なふ。

ねがふは捨ずして伯氏たる教を施し給へ」。

赤穴拝していふ。

「大丈夫は義を重しとす。

功名冨貴はいふに足ず。

吾いま母公の慈愛をかふむり、賢弟の敬を納むる、何の望かこれに過べき」と、よろこびうれしみつゝ、又日来をとゞまりける。

きのうけふ咲ぬると見し尾上の花も散はてゝ、涼しき風による浪に、とはでもしるき夏の初になりぬ。

赤穴母子にむかひて、「吾近江を遁来りしも、雲州の動静を見んためなれば、一たび下向てやかて帰来り、菽水の奴に御恩をかへしたてまつるべし。

今のわかれを給へ」といふ。

左門いふ。

「さあらば兄長いつの時にか帰り給ふべき。

」赤穴いふ。

「月日は逝やすし。

おそくとも此秋は過さじ」。

左門云。

「秋はいつの日を定て待べきや。

ねがふは約し給へ」。

赤穴云。

「重陽の佳節をもて帰来る日とすべし」。

左門いふ。

「兄長必此日をあやまり給ふな。

一枝の菊花に薄酒を備へて待たてまつらん」と、互に情をつくして赤穴は西に帰りけり。

 あら玉の月日はやく経ゆきて、下枝の茱萸色づき、垣根の野ら菊艶ひやかに、九月にもなりぬ。

九日はいつよりも蚤く起出て、草の屋の席をはらひ、黄菊しら菊ニ枝三枝小瓶に挿、嚢をかたふけて酒飯の設をす。

老母云。

「かの八雲たつ国は山陰の果にありて、こゝには百里を隔つると聞ば、けふとも定がたきに、其来しを見ても物すとも遅からじ。

」左門云。

「赤穴は信ある武士なれば必約を誤らじ。

其人をみてあはたゝしからんは思はんことの恥かし」とて、美酒を沽ひ鮮魚を宰て厨に備ふ。

此日や天晴て、千里に雲のたちゐもなく、草枕旅ゆく人の群々かたりゆくは、「けふは誰某がよき京入なる。

此度の商物によき徳とるべき祥になん」とて過。

五十あまりの武士、廿あまりの同じ出立なる、「日和はかばかりよかりしものを、明石より船もとめなば、この朝びらきに牛窗の門の泊りは追べき。

若き男は却物怯して、銭おほく費やすことよ」といふに、「殿の上らせ給ふ時、小豆島より室津のわたりし給ふに、なまからきめにあはせ給ふを、従に侍りしものゝかたりしを思へば、このほとりの渡りは必怯べし。

な恚給ひそ。

魚が橋の蕎麦ふるまひまをさんに」といひなぐさめて行。

口とる男の腹だゝしげに、「此死馬は眼をもはたけぬか」と、荷鞍おしなほして追もて行。

午後もやゝかたふきぬれど、待つる人は来らず。

西に沈む日に、宿り急ぐ足のせはしげなるを見るにも、外の方のみまもられて心酔るが如し。

 老母左門をよびて、「人の心の秋にはあらずとも、菊の色こきはけふのみかは。

帰りくる信だにあらば、空は時雨にうつりゆくとも何をか怨べき。

入て臥もして、又翌の日を待べし」とあるに、否みがたく、母をすかして前に臥しめ、もしやと戸の外に出て見れば、銀河影きえ%\に、氷輪我のみを照して淋しきに、軒守る犬の吼る声すみわたり、浦浪の音ぞこゝもとにたちくるやうなり。

月の光も山の際に陰くなれば、今はとて戸を閉て入んとするに、たゞ看。

おぼろなる黒影の中に人ありて、風の随来るをあやしと見れば赤穴宗右衛門なり。

踊りあがるこゝちして、「小弟蚤くより待て今にいたりぬる。

盟たがはで来り給ふことのうれしさよ。

いざ入せ給へ」といふめれど、只点頭て物をもいはである。

左門前にすゝみて、南の窓の下にむかへ座につかしめ、「兄長来り給ふことの遅かりしに、老母も待わびて、翌こそと臥所に入らせ給ふ。

寤させまいらせん」といへるを、赤穴又頭を揺てとゞめつも、更に物をもいはでぞある。

左門云。

「既に夜を続て来し給ふに、心も倦足も労れ給ふべし。

幸に一杯を酌て歇息給へ」とて、酒をあたゝめ、下物を列ねてすゝむるに、赤穴袖をもて面を掩ひ、其臭ひを嫌放るに似たり。

左門いふ。

「井臼の力はた款すに足ざれども、己が心なり。

いやしみ給ふことなかれ」。

赤穴猶答へもせで、長嘘をつぎつゝ、しばししていふ。

「賢弟が信ある饗応をなどいなむべきことわりやあらん。

欺くに詞なければ、実をもて告るなり。

必しもあやしみ給ひそ。

吾は陽世の人にあらず。

きたなき霊のかりに形を見えつるなり」。

左門大に驚きて、「兄長何ゆゑにこのあやしきをかたり出給ふや。

更に夢ともおぼえ侍らず」。

赤穴いふ。

「賢弟とわかれて国にくだりしが、国人大かた経久が勢ひに服て、塩冶の恩を顧るものなし。

従弟なる赤穴丹治冨田の城にあるを訪らひしに、利害を説て吾を経久に見えしむ。

仮に其詞を容て、つら/\経久がなす所を見るに、万夫の雄人に勝れ、よく士卒を習練といへども、智を用うるに狐疑の心おほくして、腹心爪牙の家の子なし。

永く居りて益なきを思ひて、賢弟が菊花の約ある事をかたりて去んとすれば、経久怨める色ありて、丹治に令し、吾を大城の外にはなたずして、遂にけふにいたらしむ。

此約にたがふものならば、賢弟吾を何ものとかせんと、ひたすら思ひ沈めども遁るゝに方なし。

いにしへの人のいふ。

「人一日に千里をゆくことあたはず。

魂よく一日に千里をもゆく」と。

此ことわりを思ひ出て、みづから刃に伏、今夜陰風に乗てはる%\来り菊花の約に赴。

この心をあはれみ給へ」といひをはりて泪わき出るが如し。

「今は永きわかれなり。

只母公によくつかへ給へ」とて、座を立と見しがかき消て見えずなりにける。

左門慌忙とゞめんとすれば、陰風に眼くらみて行方をしらず。

俯向につまづき倒れたるまゝに、声を放て大に哭く。

老母目さめ驚き立て、左門がある所を見れば、座上に酒瓶魚盛たる皿どもあまた列べたるが中に臥倒れたるを、いそがはしく扶起して、「いかに」ととへども、只声を呑て泣/\さらに言なし。

老母問ていふ。

「伯氏赤穴が約にたがふを怨るとならば、明日なんもし来るには言なからんものを。

汝かくまでをさなくも愚なるか」とつよく諫るに、左門漸答へていふ。

「兄長今夜菊花の約に特来る。

酒肴をもて迎ふるに、再三辞給ふて云。

しか/\のやうにて約に背くがゆゑに、自刃に伏て陰魂百里を来るといひて見えずなりぬ。

それ故にこそは母の眠をも驚かしたてまつれ。

只/\赦し給へ」と潜然と哭入を、老母いふ。

「牢裏に繋がるゝ人は夢にも赦さるゝを見え、渇するものは夢に漿水を飲」といへり。

汝も又さる類にやあらん。

よく心を静むべし」とあれども、左門頭を揺て、「まことに夢の正なきにあらず。

兄長はこゝもとにこそありつれ」と、又声を放て哭倒る。

老母も今は疑はず、相叫て其夜は哭あかしぬ。

 明る日左門母を拝していふ。

「吾幼なきより身を翰墨に托るといへども、国に忠義の聞えなく、家に孝信をつくすことあたはず。

徒に天地のあひだに生るヽのみ。

兄長赤穴は一生を信義の為に終る。

小弟けふより出雲に下り、せめては骨を蔵めて信を全うせん。

公尊体を保給ふて、しばらくの暇を給ふべし」。

老母云。

「吾児かしこに去ともはやく帰りて老が心を休めよ。

永く逗まりてけふを旧しき日となすことなかれ」。

左門いふ。

「生は浮たる{水+區}のごとく、旦にゆふべに定めがたくとも、やがて帰りまいるべし」とて泪を振ふて家を出。

佐用氏にゆきて老母の介抱を苦にあつらへ、出雲の国にまかる路に、飢て食を思はず、寒きに衣をわすれて、まどろめば夢にも哭あかしつゝ、十日を経て冨田の大城にいたりぬ。

 先赤穴丹治が宅にいきて姓名をもていひ入るに、丹治迎へ請じて、「翼ある物の告るにあらで、いかでしらせ給ふべき謂なし」としきりに問尋む。

左門いふ。

「士たる者は富貴消息の事ともに論ずべからず。

只信義をもて重しとす。

伯氏宗右衛門一旦の約をおもんじ、むなしき魂の百里を来るに報ひすとて、日夜を逐てこゝにくだりしなり。

吾学ぶ所について士に尋ねまいらすべき旨あり。

ねがふは明らかに答へ給へかし。

昔魏の公叔座病の牀にふしたるに、魏王みづからまうでゝ手をとりつも告るは、「若諱べからずのことあらば誰をして社稷を守らしめんや。

吾ために教を遺せ」とあるに、叔座いふ。

「商鞅年少しといへども奇才あり。

王若此人を用ゐ給はずば、これを殺しても境を出すことなかれ。

他の国にゆかしめば必も後の禍となるべし」と、苦に教へて、又商鞅を私にまねき、「吾汝をすゝむれども王許さゞる色あれば、用ゐずはかへりて汝を害し給へと教ふ。

是君を先にし、臣を後にするなり。

汝速く他の国に去て害を免るべし」といへり。

此事士と宗右衛門に比てはいかに」。

丹治只頭を低て言なし。

左門座をすゝみて、「伯氏宗右衛門塩治が旧交を思ひて尼子に仕へざるは義士なり。

士は旧主の塩治を捨て尼子に降りしは士たる義なし。

伯氏は菊花の約を重んじ、命を捨て百里を来しは信ある極なり。

士は今尼子に媚て骨肉の人をくるしめ、此横死をなさしむるは友とする信なし。

経久強てとゞめ給ふとも、旧しき交はりを思はゞ、私に商鞅叔座が信をつくすべきに只栄利にのみ走りて士家の風なきは、即尼子の家風なるべし。

さるから兄長何故此国に足をとゞむべき。

吾今信義を重んじて態々こゝに来る。

汝は又不義のために汚名をのこせ」とて、いひもをはらず抜打に斬つくれば、一刀にてそこに倒る。

家眷ども立騒ぐ間にはやく逃れ出て跡なし。

尼子経久此よしを伝へ聞きて、兄弟信義の篤きをあはれみ、左門が跡をも強て逐せざるとなり。

咨軽薄の人と交はりは結ぶべからずとなん。

雨月物語一之巻終

雨月物語巻之二

浅茅が宿

 下総の国葛飾郡真間の郷に、勝四郎といふ男ありけり。

祖父より旧しくこゝに住、田畠あまた主づきて家豊に暮らしけるが、生長て物にかゝはらぬ性より、農作をうたてき物に厭ひけるまゝに、はた家貧しくなりにけり。

さるほどに親族おほくにも疎じられけるを、朽をしきことに思ひしみて、いかにもして家を興しなんものをと左右にはかりける。

其此雀部の曽次といふ人、足利染の絹を交易するために、年々京よりくたりけるが、此郷に氏族のありけるを屡来訪らひしかば、かねてより親しかりけるまゝに、商人となりて京にまうのぼらんことを頼みしに、雀部いとやすく肯がひて、いつの此はまかるべしと聞えける。

他がたのもしきをよろこびて、残る田をも販つくして金に代、絹素あまた買積て、京にゆく日をもよほしける。

 勝四郎が妻宮木なるものは、人の目とむるばかりの容に、心ばへも愚ならずありけり。

此度勝四郎が商物買て京にゆくといふをうたてきことに思ひ、言をつくして諫むれども、常の心のはやりたるにせんかたなく、梓弓末のたづきの心ぼそきにも、かひ/\しく調らへて、其夜はさりがたき別れをかたり、「かくてはたのみなき女心の、野にも山にも惑ふばかり、物うきかぎりに侍り。

朝に夕べにわすれ給はで、速く帰り給へ。

命だにとは思ふものゝ、明をたのまれぬ世のことわりは、武き御心にもあはれみ給へ」といふに、「いかで浮木の乗つもしらぬ国に長居せん。

葛のうら葉のかへるは此秋なるべし。

心づよく待給へ」といひなぐさめて、夜も明ぬるに、鳥が啼東を立出て京の方へ急ぎけり。

 此年享徳の夏、鎌倉の御所成氏朝臣、管領の上杉と御中放て、舘兵火に跡なく滅ければ、御所は総州の御味方へ落させ給ふより、関の東忽に乱れて、心%\の世の中となりしほどに、老たるは山に逃竄れ。

弱きは軍民にもよほされ、けふは此所を焼はらふ、明は敵のよせ来るぞと、女わらべ等は東西に迯まどひて泣かなしむ。

勝四郎が妻なるものも、いづちへも遁れんものをと思ひしかど、此秋を待と聞えし夫の言を頼みつゝも、安からぬ心に日をかぞへて暮しける。

秋にもなりしかど風の便りもあらねば、世とゝもに憑みなき人心かなと、恨みかなしみおもひくづをれて

  身のうさは人しも告じあふ坂の夕づけ鳥よ秋も暮ぬと

かくよめれども、国あまた隔ぬれば、いひおくるべき伝もなし。

世の中騒がしきにつれて、人の心も恐しくなりにたり。

適間とふらふ人も、宮木がかたちの愛たきを見ては、さま%\にすかしいざなへども、三貞の賢き操を守りてつらくもてなし、後は戸を閉て見えざりけり。

一人の婢女も去て、すこしの貯へもむなしく、其年も暮ぬ。

年あらたまりぬれども猶をさまらず。

あまさへ去年の秋京家の下知として、美濃の国郡上の主、東の下野守常縁に御旗を給びて、下野の領所にくだり、氏族千葉の実胤とはかりて責るにより、御所方も固く守りて拒ぎ戦ひけるほどに、いつ果べきとも見えず。

野伏等はこゝかしこに寨をかまへ、火を放ちて財を奪ふ。

八州すべて安き所もなく、浅ましき世の費なりけり。

 勝四郎は雀部に従ひて京にゆき、絹ども残りなく交易せしほどに、当時都は花美を好む節なれば、よき徳とりて東に帰る用意をなすに、今度上杉の兵鎌倉の御所を陥し、なほ御跡をしたふて責討ば、古郷の辺りは干戈みち/\て、{水+豕}鹿の岐となりしよしをいひはやす。

まのあたりなるさへ偽おほき世説なるを、ましてしら雲の八重に隔たりし国なれば、心も心ならず。

八月のはじめ京をたち出て、岐曽の真坂を日くらしに踰けるに、落草ども道を塞へて、行李も残りなく奪はれしがうへに、人のかたるを聞けば、是より東の方は所々に新関を居て、旅客の往来をだに宥さゞるよし。

さては消息をすべきたづきもなし、家も兵火にや亡びなん。

妻も世に生てあらじ。

しからば古郷とても鬼のすむ所なりとて、こゝより又京に引かへすに、近江の国に入て、にはかにこゝちあしく、熱き病を憂ふ。

武佐といふ所に、児玉嘉兵衛とて富貴の人あり。

是は雀部が妻の産所なりければ苦にたのみけるに、此人見捨ずしていたはりつも、医をむかへて薬の事専なりし。

やゝこゝち清しくなりぬれば、篤き恩をかたじけなうす。

されど歩む事はまだはか%\しからねば、今年は思ひがけずもこゝに春を迎ふるに、いつのほどか此里にも友をもとめて、揉ざるに直き志を賞ぜられて、児玉をはじめ誰/\も頼もしく交りけり。

此後は京に出て雀部をとふらひ、又は近江に帰りて児玉に身を托、七とせがほどは夢のごとくに過しぬ。

 寛正二年、畿内河内の国に畠山が同根の争ひ果さゞれば、京ぢかくも騒がしきに、春の頃より瘟疫さかんに行はれて、屍は衢に畳、人の心も今や一劫の尽るならんと、はかなきかぎりを悲しみける。

勝四郎熟思ふに、「かく落魄てなす事もなき身の何をたのみとて遠き国に逗まり、由縁なき人の恵みをうけて、いつまで生べき命なるぞ。

古郷に捨し人の消息をだにしらで、萱草おひぬる野方に長々しき年月を過しけるは、信なき己が心なりける物を。

たとへ泉下の人となりて、ありつる世にはあらずとも、其あとをももとめて壟をも築べけれ」と、人々に志を告て、五月雨のはれ間に手をわかちて、十日あまりを経て古郷に帰り着ぬ。

 此時日ははや西に沈みて、雨雲はおちかゝるばかりに闇けれど、旧しく住なれし里なれば迷ふべうもあらじと、夏野わけ行に、いにしへの継橋も川瀬におちたれば、げに駒の足音もせぬに、田畑は荒たきまゝにすさみて旧の道もわからず。

ありつる人居もなし、たま/\こゝかしこに残る家に人の住とは見ゆるもあれど、昔には似つゝもあらね。

いづれか我住し家ぞと立惑ふに、こゝ二十歩ばかりを去て、雷に摧れし松の聳えて立るが、雲間の星のひかりに見えたるを、げに我軒の標こそ見えつると、先喜しきこゝちしてあゆむに、家は故にかはらであり。

人も住と見えて、古戸の間より燈火の影もれて輝々とするに、他人や住、もし其人や在すかと心躁しく、門に立よりて咳すれば、内にも速く聞とりて、「誰」と咎む。

いたうねびたれど正しく妻の声なるを聞て、夢かと胸のみさわがれて、「我こそ帰りまゐりたり。

かはらで独自浅茅が原に住つることの不思議さよ」といふを、聞しりたればやがて戸を明るに、いといたう黒く垢づきて、眼はおち入たるやうに、結たる髪も脊にかゝりて、故の人とも思はれず。

夫見て物をもいはで潛然となく。

勝四郎も心くらみてしばし物をも聞えざりしが、やゝしていふは、「今までかくおはすと思ひなば、など年月を過すべき。

去ぬる年京にありつる日、鎌倉の兵乱を聞。

御所の師潰しかば、総州に避て禦ぎ給ふ。

管領これを責る事急なりといふ。

其明雀部にわかれて、八月のはじめ京を立て、木曽路を来るに、山賊あまたに取こめられ、衣服金銀残りなく掠められ、命ばかりを辛労じて助かりぬ。

且里人のかたるを聞ば、東海東山の道はすべて新関を居て人を駐むるよし。

又きのふ京より節刀使もくだり給ひて、上杉に与し、総州の陣に向はせ給ふ。

本国の辺りは疾に焼はらはれ、馬の蹄尺地も間なしとかたるによりて、今は灰塵とやなり給ひけん。

海にや沈み給ひけんとひたすらに思ひとゞめて、又京にのぼりぬるより、人に餬口て七とせは過しけり。

近曽すゞろに物のなつかしくありしかば、せめて其跡をも見たきまゝに帰りぬれど、かくて世におはせんとは努々思はざりしなり。

巫山の雲漢宮の幻にもあらざるや」とくりことはてしぞなき。

妻涙をとゞめて、「一たび離れまいらせて後、たのむの秋より前に恐しき世の中となりて、里人は皆家を捨て海に漂ひ山に隠れば、適に残りたる人は、多く虎狼の心ありて、かく寡となりしを便りよしとや、言を巧みていざなへども玉と砕ても瓦の全きにはならはじものをと、幾たびか辛苦を忍びぬる。

銀河秋を告れども君は帰り給はず。

冬を待、春を迎へても消息なし。

今は京にのぼりて尋ねまいらせんと思ひしかど、丈夫さへ宥さゞる関の鎖を、いかで女の越べき道もあらじと、軒端の松にかひなき宿に、狐〓{休+鳥}〓{留+鳥}を友として今日までは過しぬ。

今は長き恨みもはれ%\となりぬる事の喜しく侍り。

逢を待間に恋死なんは人しらぬ恨みなるべし」と、又よゝと泣を、「夜こそ短きに」といひなぐさめてともに臥ぬ。

 窓の紙松風を啜りて夜もすがら涼しきに、途の長手に労れ熟く寝たり。

五更の天明ゆく比、現なき心にもすゞろに寒かりければ、衾{巾+皮}んとさぐる手に、何物にや籟と音するに目さめぬ。

面にひや/\と物のこぼるゝを、雨や漏ぬるかと見れば、屋根は風にまくられてあれば有明月のしらみて残りたるも見ゆ。

家は扉もあるやなし。

簀垣朽頽たる間より、荻薄高く生出て、朝露うちこぼるゝに、袖湿てしぼるばかりなり。

壁には蔦葛延かゝり、庭は葎に埋れて、秋ならねども野らなる宿なりけり。

さてしも臥たる妻はいづち行けん見えず。

狐などのしわざにやと思へば、かく荒果ぬれど故住し家にたがはで、広く造り作し奥わたりより、端の方、稲倉まで好みたるまゝの形なり。

呆自て足の踏所さへ失れたるやうなりしが、熟おもふに、妻は既に死て、今は狐狸の住かはりて、かく野らなる宿となりたれば、怪しき鬼の化してありし形を見せつるにてぞあるべき。

若又我を慕ふ魂のかへり来りてかたりぬるものか。

思ひし事の露たがはざりしよと、更に涙さへ出ず。

我身ひとつは故の身にしてとあゆみ廻るに、むかし閨房にてありし所の簀子をはらひ、土を積て壟とし、雨露をふせぐまうけもあり。

夜の霊はこゝもとよりやと恐しくも且なつかし。

水向の具物せし中に、木の端を刪りたるに、那須野紙のいたう古びて、文字もむら消して所々見定めがたき。

正しく妻の筆の跡なり。

法名といふものも年月もしるさで、三十一字に末期の心を哀にも展たり

  さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か

 こゝにはじめて妻の死たるを覚りて、大に叫びて倒れ伏す。

去とて何の年何の月日に終りしさへしらぬ浅ましさよ。

人はしりもやせんと、涙をとゞめて立出れば、日高くさし昇りぬ。

先ちかき家に行て主を見るに、昔見し人にあらず。

かへりて「何国の人ぞ」と咎む。

勝四郎礼まひていふ。

「此隣なる家の主なりしが、過活のため京に七とせまでありて、昨の夜帰りまゐりしに、既に荒廃て人も住ゐ侍らず。

妻なるものも死しと見えて壟の設も見えつるが、いつの年にともなきにまさりて悲しく侍り。

しらせ給はゞ教給へかし」主の男いふ。

「哀にも聞え給ふものかな。

我こゝに住もいまだ一とせばかりの事なれば、それよりはるかの昔に亡給ふと見えて、住給ふ人のありつる世はしり侍らず。

すべて此里の旧き人は兵乱の初に逃失て、今住居する人は大かた他より移り来たる人なり。

只一人の翁の侍るが、所に旧しき人と見え給ふ。

時々あの家にゆきて、亡給ふ人の菩提を吊はせ給ふなり。

此翁こそ月日をもしらせ給ふべし」といふ。

勝四郎いふ。

「さては其翁の栖給ふ家は何方にて侍るや」。

主いふ。

「こゝより百歩はかり浜の方に、麻おほく種たる畑の主にて、其所にちいさき庵して住せ給ふなり」と教ふ。

勝四郎よろこびてかの家にゆきて見れば、七十可の翁の、腰は浅ましきまで屈りたるが、庭竃の前に円座敷て茶を啜り居る。

翁も勝四郎と見るより、「吾主何とて遅く帰り給ふ」といふを見れば、此里に久しき漆間の翁といふ人なり。

 勝四郎、翁が高齢をことぶきて、次に京に行て心ならずも逗りしより、前夜のあやしきまでを詳にかたりて、翁が壟を築て祭り給ふ恩のかたしけなきを告つゝも涙とゝめがたし。

翁いふ。

「吾主遠くゆき給ひて後は、夏の比より干戈を揮ひ出て、里人は所々に遁れ、弱き者どもは軍民に召るゝほどに、桑田にはかに狐兎の叢となる。

只烈婦のみ主が秋を約ひ給ふを守りて、家を出給はず。

翁も又足蹇て百歩を難しとすれば、深く閉こもりて出ず。

一旦樹神などいふおそろしき鬼の栖所となりたりしを、稚き女子の矢武におはするぞ。

老が物見たる中のあはれなりし。

秋去春来りて、其年の八月十日といふに死給ふ。

惆しさのあまりに、老が手づから土を運びて柩を蔵め、其終焉に残し給ひし筆の跡を壟のしるしとして蘋繁行潦の祭りも心ばかりにものしけるが、翁もとより筆とる事をしもしらねば、其月日を紀す事もえせず。

寺院遠ければ贈号を求むる方もなくて、五とせを過し侍るなり。

今の物がたりを聞に、必烈婦の魂の来り給ひて、旧しき恨みを聞え給ふなるべし。

復びかしこに行て念比にとふらひ給へ」とて、杖を曳て前に立。

相ともに壟のまへに俯して声を放て歎きつゝも、其夜はそこに念仏して明しける。

 寝られぬまゝに翁かたりていふ。

「翁が祖父の其祖父すらも生れぬはるかの徃古の事よ。

此郷に真間の手児女といふいと美しき娘子ありけり。

家貧しければ身には麻衣に青衿つけて、髪だも梳らず。

履たも穿ずてあれど、面は望の夜の月のごと、笑ば花の艶ふが如、綾錦に裹める京女臈にも勝りたれとて、この里人はもとより、京の防人等、国の隣の人までも、言をよせて恋慕ばざるはなかりしを、手児女物うき事に思ひ沈みつゝ、おほくの人の心に報ひすとて、此浦回の波に身を投しことを、世の哀なる例とて、いにしへの人は歌にもよみ給ひてかたり伝へしを、翁が稚かりしときに、母のおもしろく話り給ふをさへいと哀なることに聞しを、此亡人の心は昔の手児女がをさなき心に幾らをかまさりて悲しかりけん」と、かたる/\涙さしぐみてとゞめかぬるぞ、老は物えこらへぬなりけり。

勝四郎が悲しみはいふべくもなし。

此物がたりを聞て、おもふあまりを田舎人の口鈍くもよみける

  いにしへの真間の手児奈をかくばかり恋てしあらん真間のてこなを

思ふ心のはしばかりをもえいはぬぞ、よくいふ人の心にもまさりてあはれなりとやいはん。

かの国にしば/\かよふ商人の聞伝へてかたりけるなりき

夢応の鯉魚

 むかし延長の頃。

三井寺に興義といふ僧ありけり。

絵に巧なるをもて名を世にゆるされけり。

嘗に画く所。

仏像山水花鳥を事とせず。

寺務の間ある日は湖に小舩をうかへて。

網引釣する泉郎に銭を与へ。

獲たる魚をもとの江に放ちて。

其魚の遊躍を見ては画きけるほどに。

年を経て細妙にいたりけり。

或ときは絵に心を凝して眠をさそへば。

ゆめの裏に江に入て。

大小の魚とともに遊ぶ。

覚れば即見つるまゝを画きて壁に貼し。

みづから呼て夢応の鯉魚と名付けり。

其絵の妙なるを感て乞要むるもの前後をあらそへば。

只花鳥山水は乞にまかせてあたへ。

鯉魚の絵はあながちに惜みて。

人毎に戯れていふ。

「生を殺し鮮を喰ふ凡俗の人に。

法師の養ふ魚必しも与へず」となん。

其絵と俳諧とゝもに天下に聞えけり。

 一とせ病に係りて。

七日を経て忽に眼を閉息絶てむなしくなりぬ。

徒弟友とぢあつまりて歎き惜みけるが。

只心頭のあたりの微し暖なるにぞ。

若やと居めぐりて守りつも三日を経にけるに。

手足すこし動き出るやうなりしが。

忽長嘘を吐て。

眼をひらき。

醒たるがごとくに起あかりて。

人々にむかひ「我人事をわすれて既に久し幾日をか過しけん」。

衆弟等いふ。

「師三日前に息たえ給ひぬ。

寺中の人々をはじめ。

日比睦まじくかたり給ふ殿原も詣給ひて葬の事をもはかり給ひぬれど只師が心頭の暖なるを見て。

柩にも蔵めでかく守り侍りしに。

今や蘇生給ふにつきて。

かしこくも物せざりしよと怡びあへり」。

興義点頭ていふ。

「誰にもあれ一人檀家の平の助の殿の館に詣て告さんは。

『法師こそ不思議に生侍れ。

君今酒を酌鮮き鱠をつくらしめ給ふ。

しばらく宴を罷て寺に詣させ給へ。

稀有の物がたり聞えまいらせん』とて。

彼人々のある形を見よ。

我詞に露たがはじ」といふ。

使異しみながら彼館に往て其由をいひ入れてうかゞひ見るに。

主の助をはじめ。

令弟の十郎。

家の子掃守なと居めぐりて酒を酌ゐたる。

師が詞のたがはぬを竒とす。

助の館の人々此事を聞て大に異しみ。

先箸を止て。

十郎掃守をも召具して寺に到る。

興義枕をあげて路次の労ひをかたしけなうすれば。

助も蘇生の賀を述ぶ。

興義先問ていふ。

「君試に我いふ事を聞せ給へかの漁父文四に魚をあつらへ給ふ事ありや」。

助驚きて。

「まことにさる事ありいかにしてしらせ給ふや」。

興義。

「かの漁父三尺あまりの魚を籠に入て君が門に入。

君は賢弟と南面の所に碁を囲みておはす。

掃守傍に侍りて。

桃の実の大なるを啗ひつゝ奕の手段を見る。

漁父が大魚を携へ来るを喜びて。

高杯に盛たる桃をあたへ。

又盃を給ふて三献飲しめ給ふ。

鱠手したり顔に魚をとり出て鱠にせしまで。

法師がいふ所たがはでぞあるらめ」といふに。

助の人々此事を聞て。

或は異しみ。

或はこゝち惑ひて。

かく詳なる言のよしを頻に尋ぬるに。

興義かたりていふ。

 「我此頃病にくるしみて堪がたきあまり。

其死たるをもしらず。

熱きこゝちすこしさまさんものをと。

杖に扶られて門を出れは。

病もやゝ忘れたるやうにて籠の鳥の雲井にかへるこゝちす。

山となく里となく行々て。

又江の畔に出。

湖水の碧なるを見るより。

現なき心に浴て遊びなんとて。

そこに衣を脱去て。

身を跳らして深きに飛入つも。

彼此に游めぐるに。

幼より水に狎たるにもあらぬが。

慾ふにまかせて戯れけり。

今思へば愚なる夢ごゝろなりし。

されとも人の水に浮ふは魚のこゝろよきにはしかす。

こゝにて又魚の遊ひをうらやむこゝろおこりぬ傍にひとつの大魚ありていふ。

『師のねがふ事いとやすし。

待せ給へ』とて。

杳の底に去と見しに。

しばしして。

冠装束したる人の。

前の大魚に胯がりて。

許多の〓魚を牽ゐて浮ひ来たり我にむかひていふ。

『海若の詔あり。

老僧かねて放生の功徳多し。

今江に入て魚の遊躍をねがふ。

権に金鯉が服を授けて水府のたのしみをせさせ給ふ。

只餌の香ばしきに昧まされて。

釣の糸にかゝり身を亡ふ事なかれ』といひて去て見えずなりぬ。

不思議のあまりにおのが身をかへり見れば。

いつのまに鱗金光を備へてひとつの鯉魚と化しぬ。

あやしとも思はで。

尾を振鰭を動かして心のまゝに逍遥す。

まつ長等の山おろし。

立ゐる浪に身をのせて。

志賀の大湾の汀に遊べば。

かち人の裳のすそぬらすゆきかひに驚されて。

比良の高山影うつる。

深き水底に潜くとすれど。

かくれ堅田の漁火によるぞうつゝなき。

ぬば玉の夜中の潟にやどる月は。

鏡の山の峯に清て。

八十の湊の八十隈もなくておもしろ。

沖津島山。

竹生島。

波にうつろふ朱の垣こそおどろかるれ。

さしも伊吹の山風に。

旦妻舩も漕出れば。

芦間の夢をさまされ。

矢橋の渡りする人の水なれ棹をのがれては。

瀬田の橋守にいくそたびが追れぬ。

日あたゝかなれば浮ひ。

風あらきときは千尋の底に遊ぶ。

急にも飢て食ほしけなるに。

彼此に〓り得ずして狂ひゆくほどに。

忽文四が釣を垂るにあふ。

其餌はなはだ香し。

心又河伯の戒を守りて思ふ。

我は仏の御弟子なり。

しばし食を求め得ずとも。

なぞもあさましく魚の餌を飲へきとてそこを去。

しばしありて飢ます/\甚しければ。

かさねて思うに。

今は堪がたし。

たとへ此餌を飲とも鳴呼に捕れんやは。

もとより他は相識ものなれば。

何のはゞかりかあらんとて遂に餌をのむ。

文四はやく糸を収めて我を捕ふ。

『こはいかにするぞ』と叫びぬれとも。

他かつて聞ず顔にもてなして縄をもて我腮を貫ぬき。

芦間に舩を繋ぎ。

我を籠に押入て君が門を進み入。

君は賢弟と南面の間に奕して遊ばせ給ふ掃守傍に侍りて菓を啗ふ。

文四がもて来し大魚を見て人々大に感させ給ふ。

我其とき人々にむかひ声をはり上て。

『旁等は興義をわすれ給ふか。

宥させ給へ。

寺にかへさせ給へ』と連りに叫びぬれど。

人々しらぬ形にもてなして。

只手を拍て喜び給ふ。

鱠手なるものまづ我両眼を左手の指にてつよくとらへ。

右手に礪すませし刀をとりて俎盤にのぼし既に切べかりしとき。

我くるしさのあまりに大声をあげて。

『仏弟子を害する例やある。

我を助けよ/\』と哭叫びぬれど。

聞入ず。

終に切るゝとおほえて夢醒たり」とかたる。

人々大に感異しみ。

「師が物がたりにつきて思ふに。

其度ことに魚の口に動くを見れど。

更に声を出す事なし。

かゝる事まのあたりに見しこそいと不思議なれ」とて。

従者を家に走しめて残れる鱠を湖に捨させけり。

 興義これより病愈て杳の後天年をもて死ける。

其終焉に臨みて画く所の鯉魚数枚をとりて湖に散せば。

画ける魚紙繭をはなれて水に遊戯す。

こゝをもて興義か絵世に伝はらず。

其弟子成光なるもの。

興義が神妙をつたへて時に名あり。

閑院の殿の障子に鶏を画しに。

生る鶏この絵を見て蹴たるよしを。

古き物がたりに載たり

雨月物語二之巻終

雨月物語巻之三

仏法僧

 うらやすの国ひさしく。

民作業をたのしむあまりに。

春は花の下に息らひ。

秋は錦の林を尋ね。

しらぬ火の筑紫路もしらではと械まくらする人の。

富士筑紫の嶺/\を心にしむるぞそゞろなるかな。

 伊勢の相可といふ郷に。

拝志氏の人。

世をはやく嗣に譲り。

忌こともなく頭おろして。

名を夢然とあらため従来身に病さへなくて。

彼此の旅寝を老のたのしみとする。

季子作之治なるものが生長の頑なるをうれひて。

京の人見するとて。

一月あまり二条の別業に逗まりて。

三月の末吉野の奥の花を見て。

知れる寺院に七日はかりかたらい。

此ついでにいまだ高野山を見ず。

いざとて。

夏のはじめ青葉の茂みをわけつゝ。

天の川といふより踰て。

摩尼の御山にいたる。

道のゆくての嶮しきになづみて。

おもはずも日かたふきぬ。

壇場。

諸堂霊廟。

残りなく拝みめぐりて。

こゝに宿からんといへど。

ふつに答ふるものなし。

そこを行人に所の掟をきけば。

寺院僧坊に便なき人は。

麓にくだりて明すべし。

此山すべて旅人に一夜をかす事なしとかたる。

いかゞはせん。

さすがにも老の嶮しき山路を来しがうへに。

事のよしを聞きて大きに心倦つかれぬ。

作之治がいふ。

日もくれ。

足も痛みて。

いかゞしてあまたのみちをくだらん。

弱き身は草に臥とも厭ひなし。

只病給はん事の悲しさよ。

夢然云。

旅はかゝるをこそ哀れともいふなれ。

今夜脚をやぶり。

倦つかれて山をくだるともおのが古郷にもあらず。

翌のみち又はかりがたし。

此山は扶桑第一の霊場。

大師の広徳かたるに尽ず。

殊にも来りて通夜し奉り。

後世の事たのみ聞ゆべきに。

幸の時なれば。

霊廟に夜もすがら法施したてまつるべしとて。

杉の下道のをぐらきを行/\。

霊廟の前なる燈籠堂の簀子に上りて。

雨具うぢ敷座をまうけて。

閑に念仏しつゝも。

夜の更ゆくをわびてぞある。

方五十町に開きて。

あやしげなる林も見えず。

小石だも掃ひし福田ながら。

さすがにこゝは寺院遠く。

陀羅尼鈴錫の音も聞えず。

木立は雲をしのぎて茂さび。

道に界ふ水の音ほそ%\と清わたりて物がなしき。

寝られぬまゝに夢然かたりていふ。

そも/\大師の神化。

土石草木も霊を啓きて。

八百とせあまりの今にいたりて。

いよゝあらたに。

いよゝたふとし。

遺芳歴踪多きが中に。

此山なん第一の道場なり。

太師いまぞかりけるむかし。

遠く唐土にわたり給ひ。

あの国にて感させ給ふ事おはして。

此三鈷のとゞまる所我道を揚る霊地なりとて。

杳冥にむかひて抛させ給ふが。

はた此山にとゝまりぬる。

壇場の御前なる三鈷の松こそ此物の落とゞまりし地なりと聞。

すべて此山の草木泉石霊ならざるはあらすとなん。

こよひ不思議にもこゝに一夜をかりたてまつる事。

一世ならぬ善縁なり。

〓弱きとて努/\信心をこたるべからずと。

小やかにかたるも清て心ぼそし。

 御廟のうしろの林にと覚えて。

仏法/\となく鳥の音山彦にこたへてちかく聞ゆ。

夢然目さむる心ちして。

あなめづらし。

あの啼鳥こそ仏法僧といふならめ。

かねて此山に栖つるとは聞しかど。

まさに其音を聞しといふ人もなきに。

こよひのやどりまことに滅罪生善の祥なるや。

かの鳥は清浄の地をえらみてすめるよしなり。

上野の国迦葉山。

下野の国二荒山。

山城の醍醐の峯。

河内の杵長山。

就中此山にすむ事。

大師の詩偈ありて世の人よくしれり

  寒林独坐草堂暁

  三寳之声聞一鳥

  一鳥有声人有心

  性心雲水倶了々

又ふるき歌に

  松の尾の峯静なる曙にあふぎて聞けば仏法僧啼

むかし最福寺の延朗法師は世にならびなき法華者なりしほどに。

松の尾の御神此鳥をして常に延朗につかへしめ給ふよしをいひ伝ふれば。

かの神垣にも巣よしは聞えぬ。

こよひの竒妙既に一鳥声あり。

我こゝにありて心なからんやとて。

平生のたのしみとする俳諧風の十七言を。

しばしうちかたふいていひ出ける

  鳥の音も秘密の山の茂みかな

旅硯とり出て御燈の光に書つけ。

今一声もかなと耳を倚るに。

思ひがけずも遠く寺院の方より。

前を追ふ声の厳敷聞えて。

やゝ近づき来たり。

何人の夜深て詣給ふやと。

異しくも恐しく。

親子顔を見あはせて息をつめ。

そなたをのみまもり居るに。

はや前駆の若侍橋板をあらゝかに踏てこゝに来る。

 おどろきて堂の右に潜みかくるゝを。

武士はやく見つけて。

何者なるぞ。

殿下のわたらせ給ふ。

疾下りよといふに。

あはたゝしく簀子をくだり。

土に俯して跪まる。

程なく多くの足音聞ゆる中に。

沓音高く響て。

烏帽子直衣めしたる貴人堂に上り給へば。

従者の武士四五人ばかり左右に座をまうく。

かの貴人人々に向ひて。

誰/\はなど来らざると課せらるゝに。

やがてぞ参りつらめと奏す。

又一群の足音して。

威儀ある武士。

頭まろけたる入道等うち交りて。

礼たてまつりて堂に昇る。

貴人只今来りし武士にむかひて。

常陸は何とておそく参りたるぞとあれば。

かの武士いふ。

白江熊谷の両士。

公に大御酒すゝめたてまつるとて実やかなるに。

臣も鮮き物一種調じまいらせんため。

御従に後れたてまつりぬと奏す。

はやく酒〓をつらねてすゝめまいらすれば。

万作酌まゐれとぞ課せらる。

恐まりて。

美相の若士膝行よりて瓶子を捧ぐ。

かなたこなたに杯をめぐらしていと興ありげなり。

貴人又日はく。

絶て紹巴が説話を聞ず。

召せとの給ふに。

呼つぐやうなりしが。

我跪まりし背の方より。

大なる法師の。

面うちひらめきて。

目鼻あざやかなる人の。

僧衣かいつくろひて座の末にまゐれり。

貴人古語かれこれ問弁へ給ふに。

詳に答へたてまつるを。

いと/\感させ給ふて。

他に録とらせよとの給ふ。

一人の武士かの法師に問ていふ。

「此山は大徳の啓き給ふて。

土石草木も霊なきはあらずと聞。

さるに玉川の流には毒あり。

人飲時は斃るが故に。

大師のよませ給ふ歌とて

わすれても汲やしつらん旅人の高野の奥の玉川の水

といふことを聞伝へたり。

大徳のさすがに。

此毒ある流をばなど涸ては果し給はぬや。

いぶかしき事を足下にはいかに弁へ給う。

」法師笑をふくみていふは。

「此歌は風雅集に撰み入給ふ。

其端詞に。

『高野の奥の院へまゐる道に。

玉川といふ河の水上に毒虫おほかりけれは。

此流を飲まじきよしをしめしおきて後よみ侍りける』とことわらせ給へば。

足下のおぼえ給ふ如くなり。

されど今の御疑ひ僻事ならぬは。

大師は神通自在にして隠神を役して道なきをらひらき。

巌を鐫には土を穿よりも易く。

大蛇を禁しめ。

化鳥を奉仕しめ給ふ事。

天が下の人の仰ぎたてまつる功なるを思ふには。

足下は歌よむ人にもおはせで。

此歌の意異しみ給ふは用意ある事こそ」と篤く感にける。

貴人をはじめ人々も此ことわりを頻りに感させ給ふ。

 御堂のうしろの方に仏法/\と啼音ちかく聞ゆるに。

貴人杯をあげ給ひて。

例の鳥絶て鳴ざりしに。

今夜の酒宴に栄あるぞ。

紹巴いかにと課せ給ふ。

法師かしこまりて。

某が短句公にも御耳すゝびましまさん。

こゝに旅人の通夜しけるが。

今の夜の俳諧風をまうして侍る。

公にはめづらしくおはさんに召て聞せ給へといふ。

それ召せと課せらるゝに。

若きさむらひ夢然が方へむかひ。

召給ふぞちかうまゐれと云。

夢現ともわかで。

おそろしさのまゝに御まのあたりへはひ出る。

法師夢然にむかひ。

前によみつる詞を公に申上げよといふ。

夢然恐る/\。

何をか申つる更に覚え侍らず。

只赦し給はれと云。

法師かさねて。

秘密の山とは申さゞるや。

殿下の問せ給ふ。

いそぎ申上よといふ。

夢然いよ/\恐れて。

殿下と課せ出され侍るは誰にてわたらせ給ひ。

かゝる深山に夜宴をもよほし給ふや。

更にいぶかしき事に侍といふ。

法師答へて。

殿下と申奉るは関白秀次公にてわたらせ給ふ。

人々は木村常陸介。

雀部淡路。

白江備後。

熊谷大膳。

粟野杢。

日比野下野。

山口少雲。

丸毛不心。

隆西入道。

山本主殿。

山田三十郎。

不破万作。

かく云は紹巴法橋なり汝等不思議の御目見えつかまつりたるは。

前のことばいそぎ申上げよといふ。

頭に髪あらばふとるべきばかりに凄しく肝魂も虚にかへるこゝちして。

振ふ/\。

頭陀嚢より清き紙取出て。

筆もしどろに書つけてさし出すを。

主殿取てたかく吟じ上る

  鳥の音も秘密の山の茂みかな

貴人聞せ給ひて。

口がしこくもつかまつりしな。

誰此末句をまうせとのたまふに。

山田三十郎座をすゝみて。

某つかうまつらんとて。

しばしうちかたふきてかくなん

  芥子たき明すみじか夜の牀

いかゞあるべきと紹巴に見する。

よろしくまうされたりと公の前に出すを見給ひて。

片羽にもあらぬはと興じ給ひて。

又杯を揚てめぐらし給ふ。

 淡路と聞えし人にはかに色を違へて。

はや修羅の時にや。

阿修羅ども御迎ひに来ると聞え侍る。

立せ給へといへば。

一座の人々忽面に血を潅ぎし如く。

いざ石田増田が徒に今夜も泡吹せんと勇み立躁ぐ。

秀次木村に向はせ給ひ。

よしなき奴に我姿を見せつるぞ。

他二人も修羅につれ来れと課せある。

老臣の人々かけ隔たりて声をそろへ。

いまだ命つきざる者なり。

例の悪業なさせ給ひそといふ詞も。

人々の形も。

遠く雲井に行がごとし。

 親子は気絶てしばしがうち死入けるが。

しのゝめの明ゆく空に。

ふる露の冷やかなるに生出しかど。

いまだ明きらぬ恐ろしさに。

大師の御名をせはしく唱へつゝ。

漸日出ると見て。

いそぎ山をくだり。

京にかへりて薬鍼の保養をなしける。

一日夢然三条の橋を過る時。

悪ぎやく塚の事思ひ出るより。

かの寺眺られて白昼ながら物凄しくありけると。

京人にかたりしを。

そがまゝにしるしぬ

吉備津の釜

 妬婦の養ひがたきも。

老ての後其功を知ると。

咨これ何人の語ぞや。

害ひの甚しからぬも商工を妨げ物を破りて。

垣の隣の口をふせぎがたく。

害ひの大なるにおよびては。

家を失ひ国をほろぼして。

天が下に笑を伝ふ。

いにしへより此毒にあたる人幾許といふ事をしらず。

死て蟒となり。

或は霹靂を震ふて怨を報ふ類は。

其肉を醢にするとも飽べからず。

さるためしは希なり。

夫のおのれをよく脩めて教へなば。

此患おのづから避べきものを。

只かりそめなる徒ことに。

女の慳しき性を募らしめて。

其身の憂をもとむるにぞありける。

禽を制するは気にあり。

婦を制するは其夫の雄ゝしきにありといふは。

現にさることぞかし。

 吉備の国賀夜郡庭妹の郷に。

井沢庄太夫といふものあり。

祖父は播磨の赤松に仕へしが。

去ぬる嘉吉元年の乱に。

かの館を去てこゝに来り。

庄太夫にいたるまで三代を経て。

春耕し。

秋収めて。

家豊にくらしけり。

一子正太郎なるもの農業を厭ふあまりに。

酒に乱れ色に酖りて。

父が掟を守らず。

父母これを嘆きて私にはかるは。

あはれ良人の女子の〓よきを娶りてあはせなば。

渠が身もおのづから脩まりなんとて。

あまねく国中をもとむるに。

幸に媒氏ありていふ。

吉備津の神主香央造酒が女子は。

うまれだち秀麗にて。

父母にもよく仕へ。

かつ歌をよみ。

箏に工みなり。

従来かの家は吉備の鴨別が裔にて家系も正しければ。

君が家に因み給ふは果吉祥なるべし。

此事の就んは老が願ふ所なり。

大人の御心いかにおぼさんやといふ。

庄太夫大に怡び。

よくも説せ給ふものかな。

此事我家にとりて千とせの計なりといへども。

香央は此国の貴族にて。

我は氏なき田夫なり。

門戸敵すべからねば。

おそらくは肯がひ給はじ。

媒氏の翁笑をつくりて。

大人の謙り給ふ事甚し。

我かならず万歳を諷ふべしと。

往て香央に説ば。

彼方にもよろこびつゝ。

妻なるものにもかたらふに。

妻もいさみていふ。

我女子既に十七歳になりぬれば。

朝夕によき人がな娶せんものをと。

心もおちゐ侍らず。

はやく日をえらみて聘礼を納給へと。

強にすゝむれば。

盟約すでになりて井沢にかへりことす。

即聘礼を厚くとゝのへて送り納れ。

よき日をとりて婚儀をもよほしけり。

 猶幸を神に祈るとて。

巫子祝部を召あつめて御湯をたてまつる。

そも/\当社に祈誓する人は。

数の秡物を供へて御湯を奉り。

吉祥凶祥を占ふ。

巫子祝詞をはり。

湯の沸上るにおよびて。

吉祥には釜の鳴音牛の吼るが如し。

凶きは釜に音なし。

是を吉備津の御釜秡といふ。

さるに香央が家の事は。

神の祈させ給はぬにや。

只秋の虫の叢にすだくばかりの声もなし。

こゝに疑ひをおこして。

此祥を妻にかたらふ。

妻更に疑はず。

御釜の音なかりしは祝部等が身の清からぬにぞあらめ。

既に聘礼を納めしうへ。

かの赤縄に繋ぎては。

仇ある家。

異なる域なりとも易べからずと聞ものを。

ことに井沢は弓の本末をもしりたる人の流にて。

掟ある家と聞けば。

今否むとも承がはじ。

ことに佳婿の麗なるをほの聞て。

我児も日をかぞへて待わぶる物を。

今のよからぬ言を聞ものならば。

不慮なる事をや仕出ん。

其とき悔るともかへらじと言を尽して諫むるは。

まことに女の意ばへなるべし。

香央も従来ねがふ因みなれば深く疑はず。

妻のことばに従て婚儀とゝのひ。

両家の親族氏族。

鶴の千とせ。

亀の万代をうたひことぶきけり。

 香央の女子礒良かしこに往てより。

夙に起。

おそく臥て。

常に舅姑の傍を去ず。

夫が性をはかりて。

心を尽して仕へければ。

井沢夫婦は孝節を感たしとて歓びに耐ねば。

正太郎も其志に愛てむつまじくかたらひけり。

されどおのがまゝの〓たる性はいかにせん。

いつの比より鞆の津の袖といふ妓女にふかくなじみて。

遂に贖ひ出し。

ちかき里に別荘をしつらひ。

かしこに日をかさねて家にかへらず。

礒良これを怨みて。

或は舅姑の忿に托て諫め。

或ひは徒なる心をうらみかこてども。

大虚にのみ聞なして。

後は月をわたりてかへり来らす。

父は礒良が切なる行止を見るに忍びず。

正太郎を責て押籠ける。

礒良これを悲しがりて。

朝夕の奴も殊に実やかに。

かつ袖が方へも私に物を餉りて。

信のかぎりをつくしける。

一日父が宿にあらぬ間に。

正太郎礒良をかたらひていふ。

御許の信ある操を見て。

今はおのれが身の罪をくゆるばかりなり。

かの女をも古郷に送りてのち。

父の面を和め奉らん。

渠は播磨の印南野の者なるが。

親もなき身の浅ましくてあるを。

いとかなしく思ひて憐れをもかけつるなり。

我に捨られなば。

はた舩泊りの妓女となるべし。

おなじ浅ましき奴なりとも。

京は人の情もありと聞ば。

渠をば京に送りやりて。

栄ある人に仕へさせたく思ふなり。

我かくてあれば万に貧しかりぬべし。

路の代身にまとふ物も誰がはかりことしてあたへん。

御許此事をよくして渠を恵み給へと。

ねんごろにあつらへけるを。

礒良いとも喜しく。

此事安くおぼし給へとて。

私におのが衣服調度を金に貿。

猶香央の母が許へも偽りて金を乞。

正太郎に与へける。

此金を得て密に家を脱れ出。

袖なるものを倶して。

京の方へ迯のぼりける。

かくまでたばかられしかば。

今はひたすらにうらみ嘆きて。

遂に重き病に臥にけり。

井沢香央の人々彼を悪み此を哀みて。

専医の験をもとむれども。

粥さへ日々にすたりて。

よろづにたのみなくぞ見えにけり。

 こゝに播磨の国印南郡荒井の里に。

彦六といふ男あり。

渠は袖とちかき従兄の因あれば。

先これを訪らふて。

しばらく足を休めける。

彦六正太郎にむかひて。

京なりとて人ごとにたのもしくもあらじ。

こゝに駐られよ。

一飯をわけて。

ともに過活のはかりことあらんと。

たのみある詞に心おちゐて。

こゝに住べきに定めける。

彦六我住となりなる破屋をかりて住しめ。

友得たりとて怡びけり。

しかるに袖。

風のこゝちといひしが。

何となく脳み出て。

鬼化のやうに狂はしげなれば。

こゝに来りて幾日もあらず。

此禍に係る悲しさに。

みづからも食さへわすれて抱き扶くれども。

只音をのみ泣て。

胸窮り堪がたげに。

さむれば常にかはるともなし。

窮鬼といふものにや。

古郷に捨し人のもしやと独むね苦し。

彦六これを諫めて。

いかでさる事のあらん。

疫といふものゝ脳ましきはあまた見来りぬ。

熱き心少しさめたらんには。

夢わすれたるやうなるべしと。

やすげにいふぞたのみなる。

看々露ばかりのしるしもなく。

七日にして空しくなりぬ。

天を仰ぎ。

地を敲きて哭悲しみ。

ともにもと物狂はしきを。

さま%\といひ和さめて。

かくてはとて遂に曠野の烟となしはてぬ。

骨をひろひ壟を築て塔婆を営み。

僧を迎へて菩提のことねんごろに吊らひける。

 正太郎今は俯して黄泉をしたへども招魂の法をももとむる方なく。

仰ぎて古郷をおもへはかへりて地下よりも遠きこゝちせられ。

前に渡りなく。

後に途をうしなひ。

昼はしみらに打臥て。

夕々ごとには壟のもとに詣て見れば。

小草はやくも繁りて。

虫のこゑすゞろに悲し。

此秋のわびしきは我身ひとつぞと思ひつゞくるに。

天雲のよそにも同じなげきありて。

ならびたる新壟あり。

こゝに詣る女の。

世にも悲しげなる形して。

花をたむけ水を潅きたるを見て。

あな哀れ。

わかき御許のかく気疎きあら野にさまよひ給ふよといふに。

女かへり見て。

我身夕々ごとに詣侍るには。

殿はかならず前に詣給う。

さりがたき御方に別れ給ふにてやまさん。

御心のうちはかりまいらせて悲しと潛然となく。

正太郎いふ。

さる事に侍り。

十日ばかりさきにかなしき婦を亡なひたるが。

世に残りて憑みなく侍れば。

こゝに詣ることをこそ心放にものし侍るなれ。

御許にもさこそましますなるべし。

女いふ。

かく詣つかふまつるは。

憑みつる君の御迹にて。

いつ/\の日こゝに葬り奉る。

家に残ります女君のあまりに歎かせ給ひて。

此頃はむつかしき病にそませ給ふなれば。

かくかはりまいらせて。

香花をはこび侍るなりといふ。

正太郎云。

刀自の君の病給ふもいとことわりなるものを。

そも古人は何人にて。

家は何地に住せ給ふや。

女いふ。

憑みつる君は。

此国にては由縁ある御方なりしが。

人の讒にあひて領所をも失ひ。

今は此野ゝ隈に侘しくて住せ給ふ。

女君は国のとなりまでも聞え給ふ美人なるが。

此君によりてぞ家所領をも亡し給ひぬれとかたる。

此物がたりに心のうつるとはなくて。

さしてもその君のはかなくて住せ給ふはこゝちかきにや。

訪らひまいらせて。

同じ悲しみをもかたり和さまん。

倶し給へといふ。

家は殿の来らせ給ふ道のすこし引入たる方なり。

便りなくませば時々訪せ給へ。

待侘給はんものをと前に立てあゆむ。

 二丁あまりを来てほそき径あり。

こゝよりも一丁ばかりをあゆみて。

をぐらき林の裏にちいさき草屋あり。

竹の扉のわびしきに。

七日あまりの月のあかくさし入て。

ほどなき庭の荒たるさへ見ゆ。

ほそき燈火の光り窓の紙をもりてうらさびし。

こゝに待せ給へとて内に入ぬ。

苔むしたる古井のもとに立て見入るに。

唐紙すこし明たる間より。

火影吹あふちて。

黒棚のきらめきたるもゆかしく覚ゆ。

女出来りて。

御訪らひのよし申つるに。

入らせ給へ。

物隔てかたりまいらせんと端の方へ膝行出給ふ。

彼所に入らせ給へとて。

前栽をめぐりて奥の方へともなひ行。

二間の客殿を人の入ばかり明て。

低き屏風を立。

古き衾の端出て。

主はこゝにありと見えたり。

正太郎かなたに向ひて。

はかなくて病にさへそませ給ふよし。

おのれもいとをしき妻を亡なひて侍れば。

おなじ悲しみをも問かはしまいらせんとて推て詣侍りぬといふ。

あるじの女屏風すこし引あけて。

めづらしくもあひ見奉るものかな。

つらき報ひの程しらせまいらせんといふに。

驚きて見れば。

古郷に残せし礒良なり。

顔の色いと青ざめて。

たゆき眼すざましく。

我を指たる手の青くほそりたる恐しさに。

あなやと叫んでたをれ死す。

 時うつりて生出。

眼をほそくひらき見るに。

家と見しはもとありし荒野の三昧堂にて。

黒き仏のみぞ立せまします。

里遠き犬の声を力に。

家に走りかへりて。

彦六にしか/\のよしをかたりければ。

なでふ狐に欺かれしなるべし。

心の臆れたるときはかならず迷はし神の魘ふものぞ。

足下のごとく虚弱人のかく患に沈みしは。

神仏に祈りて心を収めつべし。

刀田の里にたふとき陰陽師のいます。

身禊して厭符をも戴き給へと。

いざなひて陰陽師の許にゆき。

はじめより詳にかたりて此占をもとむ。

陰陽師占べ考へていふ。

災すでに窮りて易からず。

さきに女の命をうばひ。

怨み猶尽ず。

足下の命も旦夕にせまる。

此鬼世をさりぬるは七日前なれば。

今日より四十二日が間戸を閉ておもき物斎すべし。

我禁しめを守らば九死を出て全からんか。

一時を過るともまぬがるべからずと。

かたくをしへて。

筆をとり。

正太郎が背より手足におよぶまで。

篆〓のごとき文字を書。

猶朱符あまた紙にしるして与へ。

此呪を戸毎に貼て神仏を念ずべし。

あやまちして身を亡ぶることなかれと教ふるに。

恐れみかつよろこびて家にかへり。

朱符を門に貼。

窓に貼て。

おもき物斎にこもりける。

 其夜三更の比おそろしきこゑしてあなにくや。

こゝにたふとき符文を設つるよとつぶやきて復び声なし。

おそろしさのあまりに長き夜をかこつ。

程なく夜明ぬるに生出て。

急ぎ彦六が方の壁を敲きて夜の事をかたる。

彦六もはじめて陰陽師が詞を奇なりとして。

おのれも其夜は寝ずして三更の此を待くれける。

松ふく風物を僵すがごとく。

雨さへふりて常ならぬ夜のさまに。

壁を隔て声をかけあひ。

既に四更にいたる。

下屋の窓の紙にさと赤き光さして。

あな悪や。

こゝにも貼つるよといふ声。

深き夜にはいとゞ凄しく。

髪も生毛もこと/\く聳立て。

しばらくは死入たり。

明れば夜のさまをかたり。

暮れば明るを慕ひて。

此月日頃千歳を過るよりも久し。

かの鬼も夜ごとに家を繞り或は屋の棟に叫びて。

忿れる声夜ましにすざまし。

かくして四十二日といふ其夜にいたりぬ。

今は一夜にみたしぬれば。

殊に慎みて。

やゝ五更の天もしら/\と明わたりぬ。

長き夢のさめたる如く。

やがて彦六をよぶに。

壁によりていかにと答ふ。

おもき物いみも既に満ぬ。

絶て兄長の面を見ず。

なつかしさに。

かつ此月頃の憂怕しさを心のかぎりいひ和さまん。

眠さまし給へ。

我も外の方に出んといふ。

彦六用意なき男なれば。

今は何かあらん。

いざこなたへわたり給へと。

戸を明る事半ならず。

となりの軒にあなやと叫ぶ声耳をつらぬきて。

思はず尻居に座す。

こは正太郎が身のうへにこそと。

斧引提て大路に出れば。

明たるといひし夜はいまだくらく。

月は中天ながら影朧々として。

風冷やかに。

さて正太郎が戸は明はなして其人は見えず。

内にや逃入つらんと走り入て見れども。

いづくに竄るべき住居にもあらねば。

大路にや倒れけんともとむれども。

其わたりには物もなし。

いかになりつるやと。

あるひは異しみ。

或は恐る/\。

ともし火を挑げてこゝかしこを見廻るに。

明たる戸腋の壁に腥々しき血潅ぎ流て地につたふ。

されど屍も骨も見えず。

月あかりに見れば。

軒の端にものあり。

ともし火を捧げて照し見るに。

男の髪の髻ばかりかゝりて。

外には露ばかりのものもなし。

浅ましくもおそろしさは筆につくすべうもあらずなん。

夜も明てちかき野山を探しもとむれども。

つひに其跡さへなくてやみぬ。

 此事井沢が家へもいひおくりぬれば。

涙ながらに香央にも告しらせぬ。

されば陰陽師が占のいちじるき。

御釜の凶祥もはたたがはざりけるぞ。

いともたふとかりけるとかたり伝へけり。

雨月物語三之巻終

雨月物語巻之四

蛇性の婬

 いつの時代なりけん。

紀の国三輪が崎に。

大宅の竹助といふ人在けり。

此人海の幸ありて。

海郎どもあまた養ひ。

鰭の広物狭き物を尽してすなどり。

家豊に暮しける男子二人。

女子一人をもてり。

太郎は質朴にてよく生産を治む。

二郎の女子は大和の人の〓に迎られて彼所にゆく。

三郎の豊雄なるものあり。

生長優しく。

常に都風たる事をのみ好て。

過活心なかりけり。

父是を憂つゝ思ふは。

家財をわかちたりとも即人の物となさん。

さりとて他の家を嗣しめんもはたうたてき事聞らんが病しき。

只なすまゝに生し立て。

博士にもなれかし。

法師にもなれかし。

命の極は太郎が羈物にてあらせんとて。

強て掟をもせざりけり。

此豊雄。

新宮の神奴安倍の弓麿を師として行通ひける。

 九月下旬。

けふはことになごりなく和たる海の。

暴に東南の雲を生して。

小雨そほふり来る。

師が許にて傘かりて帰るに。

飛鳥の神秀倉見やらるゝ辺より。

雨もやゝ頻なれば。

其所なる海郎が屋に立よる。

あるじの老はひ出て。

こは大人の弟子の君にてます。

かく賎しき所に入せ給ふぞいと恐まりたる事。

是敷て奉らんとて。

円座の汚なげなるを清めてまゐらす。

霎時息るほどは何か厭ふべき。

なあはたゝしくせそとて休らいぬ。

外の方に麗しき声して。

此軒しばし恵ませ給へといひつゝ入来るを。

竒しと見るに。

年は廿にたらぬ女の。

顔容髪のかゝりいと艶ひやかに。

遠山ずりの色よき衣着て。

了鬟の十四五ばかりなるの清げなるに。

包し物もたせ。

しとゝに濡てわびしげなるが。

豊雄を見て。

面さと打赤めて恥かしげなる形の貴やかなるに。

不慮に心動きて。

且思ふは。

此辺にかうよろしき人の住らんを今まで聞えぬ事はあらじを。

此は都人の三つ山詣せし次に。

海愛らしくこゝに遊ぶらん。

さりとて男たつ者もつれざるぞいとはしたなる事かなと思ひつゝ。

すこし身退きて。

こゝに入せ給へ。

雨もやがてぞ休なんといふ女。

しばし宥させ給へとて。

ほどなき住ゐなればつひ並ぶやうに居るを。

見るに近まさりして。

此世の人とも思はれぬばかり美しきに。

心も空にかへる思ひして。

女にむかひ。

貴なるわたりの御方とは見奉るが。

三山詣やし給ふらん。

峯の温泉にや出立給ふらん。

かうすざましき荒礒を何の見所ありて狩くらし給ふ。

こゝなんいにしへの人の

  くるしくもふりくる雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに

とよめるは。

まことけふのあはれなりける。

此家賤しけれどおのれが親の目かくる男なり。

心ゆりて雨休給へ。

そもいづ地旅の御宿りとはし給ふ。

御見送りせんも却て無礼なれば。

此傘もて出給へといふ。

女。

いと喜しき御心を聞え給ふ。

其御思ひに乾てまいりなん。

都のものにてもあらず。

此近き所に年来住こし侍るが。

けふなんよき日とて那智に詣侍るを。

暴なる雨の恐しさに。

やどらせ給ふともしらでわりなくも立よりて侍る。

こゝより遠からねば。

此小休に出侍らんといふを。

強に此傘もていき給へ。

何の便にも求なん。

雨は更に休たりともなきを。

さて御住ゐはいづ方ぞ。

是より使奉らんといへば。

新宮の辺にて県の真女児が家はと尋給はれ。

日も暮なん。

御恵のほどを指戴て帰りなんとて。

傘とりて出るを。

見送りつも。

あるじが簑笠かりて家に帰りしかど。

猶俤の露忘れがたく。

しばしまどろむ暁の夢に。

かの真女児が家に尋いきて見れば。

門も家もいと大きに造りなし。

蔀おろし簾垂こめて。

ゆかしげに住なしたり。

真女子出迎ひて。

御情わすれがたく待恋奉る。

此方に入せ給へとて奥の方にいざなひ。

酒菓子種々と管待しつゝ。

喜しき酔ごゝちに。

つひに枕をともにしてかたるとおもへば。

夜明て夢さめぬ。

現ならましかばと思ふ心のいそがしきに朝食も打忘れてうかれ出ぬ。

 新宮の郷に来て県の真女子が家はと尋るに。

更にしりたる人なし。

午時かたふくまで尋労ひたるに。

かの了鬟東の方よりあゆみ来る。

豊雄見るより大に喜び。

娘子の家はいづくぞ。

傘もとむとて尋来るといふ。

了鬟打ゑみて。

よくも来ませり。

こなたに歩み給へとて。

前に立てゆく/\。

幾ほどもなく。

こゝぞと聞ゆる所を見るに。

門高く造りなし。

家も大きなり。

蔀おろし簾たれこめしまで。

夢の裏に見しと露違はぬを。

竒しと思ふ/\門に入。

了鬟走り入て。

おほがさの主詣給ふを誘ひ奉るといへば。

いづ方にますぞ。

こち迎へませといひつゝ立出るは真女子なり。

豊雄。

こゝに安倍の大人とまうすは。

年来物学ぶ師にてます。

彼所に詣る便に傘とりて帰るとて推て参りぬ。

御住居見おきて侍れば又こそ詣来んといふを。

真女子強にとゞめて。

まろや努出し奉るなといへば。

了鬟立ふたがりておほがさ強て恵ませ給ふならずや。

其がむくひに強てとゞめまいらすとて。

腰を押て南面の所に迎へける。

板敷の間に床畳を設けて。

几帳。

御厨子の飾。

壁代の絵なども。

皆古代のよき物にて。

倫の人の住居ならず。

真女子立出て。

故ありて人なき家とはなりぬれば。

実やかなる御饗もえし奉らず。

只薄酒一杯すゝめ奉らんとて。

高杯平杯の清らなるに。

海の物山の物盛ならべて。

瓶子土器〓げて。

まろや酌まゐる。

豊雄また夢心してさむるやと思へど。

正に現なるを却て竒しみゐたる。

客も主もともに酔ごゝちなるとき。

真女子杯をあげて。

豊雄にむかい。

花精妙桜が枝の水にうつろひなす面に。

春吹風をあやなし。

梢たちぐゝ鶯の艶ひある声していひ出るは。

面なきことのいはて病なんも。

いづれの神になき名負すらんかし。

努徒なる言にな聞給ひそ。

故は都の生なるが。

父にも母にもはやう離れまいらせて。

乳母の許に成長しを。

此国の受領の下司県の何某に迎へられて伴なひ下りしははやく三とせになりぬ。

夫は任はてぬ此春。

かりそめの病に死給ひしかば。

便なき身とはなり侍る。

都の乳母も尼になりて。

行方なき修行に出しと聞ば。

彼方も又しらぬ国とはなりぬるをあはれみ給へきのふの雨やどりの御恵みに。

信ある御方にこそとおもふ物から。

今より後の齢をもて御宮仕へし奉らばやと願ふを。

汚なき物に捨給はずば。

此一杯に千とせの契をはじめなんといふ。

豊雄。

もとよりかゝるをこそと乱心なる思ひ妻なれば。

塒の鳥の飛立ばかりには思へど。

おのが世ならぬ身を顧れは。

親兄弟のゆるしなき事をと。

かつ喜しみ。

且恐れみて。

頓に答ふべき詞なきを。

真女児わびしがりて。

女の浅き心より。

鳴呼なる事をいひ出て。

帰るべき道なきこそ面なけれ。

かう浅ましき身を海にも没で。

人の御心を煩はし奉るは罪深きこと。

今の詞は徒ならねども。

只酔ごゝちの狂言におぼしとりて。

こゝの海にすて給へかしといふ。

豊雄。

はじめより都人の貴なる御方とは見奉るこそ賢かりき。

鯨よる浜に生立し身の。

かく喜しきこといつかは聞ゆべき。

即の御答へもせぬは。

親兄に仕ふる身の。

おのが物とては爪髪の外なし。

何を録に迎へまゐらせん便もなければ身の徳なきをくゆるばかりなり。

何事をもおぼし耐給はゞ。

いかにも/\後見し奉らん。

孔子さへ倒るゝ恋の山には。

孝をも身をも忘れてといへば。

いと喜しき御心を聞まいらするうへは。

貧しくとも時々こゝに住せ給へ。

こゝに前の夫の二つなき寳にめで給ふ帯あり。

これ常に帯せ給へとてあたふるを見れば。

金銀を餝りたる太刀の。

あやしきまで鍛ふたる古代の物なりける。

物のはじめに辞なんは祥あしければとりて納む。

今夜はこゝに明させ給へとて。

あながちにとゞむれど。

まだ赦なき旅寝は親の罪し給はん。

明の夜よく偽りて詣なんとて出ぬ。

其夜も寝がてに明ゆく。

 太郎は網子とゝのほるとて。

晨て起出て。

豊雄が閨房の戸の間をふと見入たるに。

消残りたる灯火の影に。

輝々しき太刀を枕に置て臥たり。

あやし。

いづちより求ぬらんとおぼつかなくて。

戸をあらゝかに明る音に目さめぬ。

太郎があるを見て。

召給ふかといへば。

輝々しき物を枕に置しは何ぞ。

価貴き物は海人の家にふさはしからず。

父の見給はゞいかに罪し給はんといふ。

豊雄。

財を費して買たるにもあらず。

きのふ人の得させしをこゝに置しなり。

太郎。

いかてさる寳をくるゝ人此辺にあるべき。

あなむつかしの唐言書たる物を買たむるさへ。

世の費なりと思へど。

父の黙りておはすれば今までもいはざるなり。

其太刀帯て大宮の祭を〓やらん。

いかに物に狂ふそといふ声の高きに。

父聞つけて従者が何事をか仕出つる。

こゝにつれ来よ太郎と呼に。

いづちにて求ぬらん。

軍将等の佩給ふべき輝々しき物を買たるはよからぬ事。

御目のあたりに召て問あきらめ給へ。

おのれは網子どもの怠るらんと云捨て出ぬ。

母豊雄を召て。

さる物何の料に買つるぞ。

米も銭も太郎が物なり。

吾主が物とて何をか持たる。

日来は為まゝにおきつるを。

かくて太郎に悪まれなば。

天地の中に何国に住らん。

賢き事をも斈びたる者が。

など是ほどの事わいためぬぞといふ。

豊雄。

実に買たる物にあらず。

さる由縁有て人の得させしを。

兄の見咎てかくの給ふなり。

父。

何の誉ありてさる寳をは人のくれたるぞ。

更におぼつかなき事。

只今所縁かたり出よと罵る。

豊雄。

此事只今は面俯なり。

人伝に申出侍らんといへば。

親兄にいはぬ事を誰にかいふぞと声あらゝかなるを。

太郎の嫁の刀自傍にありて。

此事愚なりとも聞侍らん。

入せ給へと宥むるに。

つひ立ていりぬ。

豊雄刀自にむかひて兄の見咎め給はずとも。

密に姉君をかたらひてんと思ひ設つるに。

速く責なまるゝ事よ。

かう/\の人の女のはかなくてあるが。

後身してよとて賜へるなり。

己が世しらぬ身の。

御赦さへなき事は重き勘当なるべければ。

今さら悔るばかりなるを。

姉君よく憐み給へといふ。

刀自打笑て。

男子のひとり寝し給ふが。

兼ていとをしかりつるに。

いとよき事ぞ。

愚也ともよくいひとり侍らんとて。

某夜太郎に。

かう/\の事なるは幸におぼさずや。

父君の前をもよきにいひなし給へといふ。

太郎眉を顰めて。

あやし。

此国の守の下司に県の何某と云人を聞ず。

我家保正なればさる人の亡なり給ひしを聞えぬ事あらじを。

まず太刀こゝにとりて来よといふに。

刀自やがて携へ来るを。

よく/\見をはりて。

長嘘をつぎつゝもいふは。

こゝに恐しき事あり。

近来都の大臣殿の御願の事みためし給ひて。

権現におほくの寳を奉り給ふ。

さるに此神寳ども。

御寳蔵の中にて頓に失せしとて。

大宮司より国の守に訴出給ふ。

守此賊を探り捕ふために。

助の君文室の広之。

大宮司の館に来て。

今専に此事をはかり給ふよしを聞ぬ。

此太刀いかさまにも下司などの帯べき物にあらず。

猶父に見せ奉らんとて。

御前に持いきて。

かう/\の恐しき事のあなるは。

いかゞ計らひ申さんといふ。

父面を青くして。

こは浅ましき事の出きつるかな。

日来は一毛をもぬかざるが。

何の報にてかう良らぬ心や出きぬらん。

他よりあらはれなば此家をも絶されん。

祖の為子孫の為には。

不孝の子一人惜からじ。

明は訴へ出よといふ。

 太郎夜の明るを待て。

大宮司の館に来り。

しか/\のよしを申出て。

此太刀を見せ奉るに。

大宮司驚きて。

是なん大臣殿の献り物なりといふに。

助聞給ひて。

猶失し物問あきらめん。

召捕とて。

武士ら十人ばかり。

太郎を前にたてゝゆく。

豊雄。

かゝる事をもしらで書見ゐたるを武士ら押かゝりて捕ふ。

こは何の罪ぞといふをも聞入ず縛めぬ。

父母太郎夫婦も今は浅ましと歎まどふばかりなり。

公庁より召給ふ疾あゆめとて。

中にとりこめて館に追もてゆく。

助。

豊雄をにらまへて。

〓神寳を盗とりしは例なき国津罪なり。

猶種々の財はいづ地に隠したる。

明らかにまうせといふ。

豊雄漸此事を覚り。

涙を流して。

おのれ更に盗をなさず。

かう/\の事にて県の何某の女が。

前の夫の帯たるなりとて得させしなり。

今にもかの女召て。

おのれが罪なき事を覚らせ給へ。

助いよゝ怒りて。

我下司に県の姓を名乗る者ある事なし。

かく偽るは刑ます/\大なり。

豊雄。

かく捕はれていつまで偽るべき。

あはれかの女召て問せ給へ。

助。

武士らに向ひて。

県の真女子が家はいづくなるぞ。

渠を押て捕へ来れといふ。

 武士らかしこまりて。

又豊雄を押たてゝ彼所に行て見るに。

厳めしく造りなせし門の柱も朽くさり。

軒の瓦も大かたは砕おちて。

草しのぶ生さがり。

人住とはみえず。

豊雄是を見て只あきれにあきれゐたる。

武士らかけ廻りて。

ちかきとなりを召あつむ。

木伐老。

米かつ男ら。

恐れ惑ひて。

跪る。

武士他らにむかひて。

此家何者が住しぞ。

県の何某が女のこゝにあるはまことかといふに。

鍛冶の翁はひ出て。

さる人の名はかけてもうけ給はらす此家三とせばかり前までは。

村主の何某といふひとの。

賑はしくて住侍るが。

筑紫に商物積てくだりし。

其舩行方なくなりて後は。

家に残る人も散々になりぬるより。

絶て人の住ことなきを。

此男のきのふこゝに入て。

漸して帰りしを竒しとて。

此塗師の老がまうされしといふに。

さもあれ。

よく見極て殿に申さんとて。

門押ひらきて入る。

家は外よりも荒まさりけり。

なほ奥の方に進みゆく。

前栽広く造りなしたり。

池は水あせて水草も皆枯。

野ら薮生かたふきたる中に。

大きなる松の吹倒れたるぞ物すざまし。

客殿の格子戸をひらけば。

腥き風のさと吹おくりきたるに恐れまどいて。

人々後にしりぞく。

豊雄只声を呑て歎きゐる。

武士の中に巨勢の熊〓なる者胆ふとき男にて。

人々我後に従て来れとて。

板敷をあららかに踏て進みゆく。

塵は一寸ばかり積りたり。

鼠の糞ひりちらしたる中に。

古き帳を立て。

花の如くなる女ひとりぞ座る。

熊〓女にむかひて。

国の守の召つるぞ。

急ぎまゐれといへど。

答へもせであるを。

近く進みて捕ふとせしに。

忽地も裂るばかりの霹靂鳴響くに。

許多の人迯る間もなくてそこに倒る。

然見るに。

女はいづち行けん見えずなりにけり。

此床の上に輝/\しき物あり。

人/\恐る/\いきて見るに。

狛錦。

呉の綾。

倭文〓。

盾。

槍。

靭。

鍬の類。

此失つる神寳なりき。

武士らこれをとりもたせて。

怪しかりつる事どもを詳に訴ふ。

助も大宮司も妖怪のなせる事をさりとて。

豊雄を責む事をゆるくす。

されど当罪免れす。

守の館にわたされて牢裏に繋がる。

大宅の父子多くの物を賄して罪を贖によりて。

百日がほどに赦さるゝ事を得たり。

かくて世にたち接らんも面俯なり。

姉の大和におはすを訪らひて。

しばし彼所に住んといふ。

げにかう憂め見つる後は重き病をも得るものなり。

ゆきて月ごろを過せとて。

人を添て出たゝす。

 二郎の姉が家は石榴市といふ所に。

田辺の金忠といふ商人なりける。

豊雄が訪らひ来るを喜び。

かつ月ごろの事どもをいとほしがりて。

いつ/\までもこゝに住めとて。

念頃に労りけり。

年かはりて二月になりぬ。

此石榴市といふは。

泊瀬の寺ちかき所なりき。

仏の御中には泊瀬なんあらたなる事を。

唐土までも聞えたるとて。

都より辺鄙より詣づる人の。

春はことに多かりけり。

詣づる人は必こゝに宿れば。

軒を並べて旅人をとゞめける。

田辺が家は御明燈心の類を商ひぬれば。

所せく人の入たちける中に。

都の人の忍びの詣と見えて。

いとよろしき女一人。

了鬟一人。

薫物もとむとてこゝに立よる。

此了鬟豊雄を見て。

吾君のこゝにいますはといふに。

驚きて見れば。

かの真女子まろやなり。

あな恐しとて内に隠るゝ。

金忠夫婦こは何ぞといへば。

かの鬼こゝに逐来る。

あれに近寄給ふなと隠れ惑ふを。

人々そはいつくにと立騒ぐ。

真女子入来りて。

人々あやしみ給ひそ。

吾夫の君な恐れ給ひそ。

おのが心より罪に堕し奉る事の悲しさに。

御有家もとめて。

事の由縁をもかたり。

御心放せさせ奉らんとて。

御住家尋まいらせしに。

かひありてあひ見奉る事の喜しさよ。

あるじの君よく聞わけて給へ。

我もし怪しき物ならば。

此人繁きわたりさへあるに。

かうのどかなる昼をいかにせん。

衣に縫目あり。

日にむかへば影あり。

此正しきことわりを思しわけて。

御疑ひを解せ給へ。

豊雄漸人ごゝちして。

〓正しく人ならぬは。

我捕はれて。

武士らとともにいきて見れば。

きのふにも似ず浅ましく荒果て。

まことに鬼の住べき宿に一人居るを。

人々ら捕へんとすれば。

忽青天霹靂を震ふて。

跡なくかき消ぬるをまのあたり見つるに。

又逐来て何をかなす。

すみやかに去れといふ。

真女子涙を流して。

まことにさこそおぼさんはことわりなれど。

妾が言をもしばし聞せ給へ。

君公廰に召れ給ふと聞しより。

かねて憐をかけつる隣の翁をかたらひ。

頓に野らなる宿のさまをこしらへし。

我を捕んずときに鳴神響かせしはまろやが計較つるなり。

其後舩もとめて難波の方に遁れしかど。

御消息しらまほしく。

こゝの御仏にたのみを懸つるに。

二本の杉のしるしありて。

喜しき瀬にながれあふことは。

ひとへに大悲の御徳かふむりたてまつりしぞかし。

種%\の神寳は何とて女の盗み出すべき。

前の夫の良らぬ心にてこそあれ。

よく/\おぼしわけて。

思ふ心の露ばかりをもうけさせ給へとてさめ%\と泣。

豊雄或は疑ひ。

或は憐みて。

かさねていふべき詞もなし。

金忠夫婦。

真女子がことわりの明らかなるに。

此女しきふるまひを見て。

努疑ふ心もなく。

豊雄のもの語りにては世に恐しき事よと思ひしに。

さる例あるべき世にもあらずかし。

はる/\と尋まどひ給ふ御心ねのいとほしきに。

豊雄肯ずとも我々とゞめまいらせんとて。

一間なる所に迎へける。

こゝに一日二日を過すまゝに。

金忠夫婦か心をとりて。

ひたすら歎きたのみける。

其志の篤きに愛て。

豊雄をすゝめてつひに婚儀をとりむすぶ。

豊雄も日々に心とけて。

もとより容姿のよろしきを愛よろこび。

千とせをかけて契るには。

葛城や高間の山に夜々ごとにたつ雲も。

初瀬の寺の暁の鐘に雨収まりて。

只あひあふ事の遅きをなん恨みける。

 三月にもなりぬ。

金忠豊雄夫婦にむかひて。

都わたりのは似るべうもあらねど。

さすがに紀路にはまさりぬらんかし。

名細の吉野は春はいとよき所なり。

三舩の山菜摘川常に見るとも飽ぬを。

此頃はいかにおもしろからん。

いざ給へ出立なんといふ。

真女児うち笑て。

よき人のよしと見給ひし所は。

都の人も見ぬを恨みに聞え侍るを。

我身稚きより。

人おほき所。

或は道の長手をあゆみては。

必気のぼりてくるしき病あれば。

従駕にえ出立侍らぬぞいと憂たけれ。

山土産必待こひ奉るといふを。

そはあゆみなんこそ病も苦しからめ。

車こそもたらね。

いかにも/\土踏せまいらせじ。

留り給はんは豊雄のいかばかり心もとなかりつらんとて。

夫婦すゝめたつに。

豊雄もかうたのもしくの給ふを。

道に倒るゝともいかではかと聞ゆるに。

不慮ながら出たちぬ。

人々花やぎて出ぬれど。

真女子が麗なるには似るべうもあらずぞ見えける。

何某の院はかねて心よく聞えかはしければこゝに訪らふ。

主の僧迎えて。

此春は遅く詣給ふことよ。

花もなかばは散過て鶯の声もやゝ流るめれど。

猶よき方にしるべし侍らんとて。

夕食いと清くして食せける。

明ゆく空いたう霞みたるも。

晴ゆくまゝに見わたせば。

此院は高き所にて。

こゝかしこ僧坊どもあらはに見おろさるゝ。

山の鳥どもゝそこはかとなく囀りあひて。

木草の花色々に咲まじりたる。

同じ山里ながら目さむるこゝちせらる。

初詣には滝ある方こそ見所はおほかめれとて。

彼方にしるべの人乞て出たつ。

谷を繞りて下りゆく。

いにしへ行幸の宮ありし所は。

石はしる滝つせのむせび流るゝに。

ちいさき〓どもの水に逆ふなど。

目もあやにおもしろし。

檜破子打散して喰つゝあそぶ。

 岩がねづたひに来る人あり。

髪は績麻をわがねたる如くなれど。

手足いと健やかなる翁なり。

此滝の下にあゆみ来る。

人々を見てあやしげにまもりたるに。

真名子もまろやも此人を背に見ぬふりなるを。

翁渠二人をよくまもりて。

あやし。

此邪神。

など人をまどはす。

翁がまのあたりをかくても有やとつぶやくを聞て。

此二人忽躍りたちて。

滝に飛入と見しが。

水は大虚に湧あがりて見えずなるほどに。

雲摺墨をうちこぼしたる如く。

雨篠を乱してふり来る。

翁人々の慌忙惑ふをまつろへて人里にくだる。

賎しき軒にかゞまりて生るこゝちもせぬを。

翁豊雄にむかひ。

熟そこの面を見るに。

此隠神のために悩まされ給ふが。

吾救はずばつひに命をも失ひつべし。

後よく慎み給へといふ。

豊雄地額着て。

此事の始よりかたり出て。

猶命得させ給とて。

恐れみ敬まひて願ふ。

翁さればこそ。

此邪神は年経たる蛇なり。

かれが性は婬なる物にて。

牛と孳みては麟を生み。

馬とあひては龍馬を生といへり。

此魅はせつるも。

はたそこの秀麗に〓たると見えたり。

かくまで執ねきをよく慎み給はずば。

おそらくは命を失ひ給ふべしといふに。

人々いよゝ恐れ惑ひつゝ。

翁を崇まへて遠津神にこそと拝みあへり。

翁打ち笑て。

おのれは神にもあらず。

大倭の神社に仕へまつる当麻の酒人といふ翁なり。

道の程見立てゝまいらせん。

いざ給へとて出たてば。

人々後につきて帰り来る。

明の日大倭の郷にいきて。

翁が恵みを謝し。

且美濃絹三疋筑紫綿二屯を遺り来り。

猶此妖災の身禊し給へとつゝしみて願ふ。

翁これを納めて。

祝部らにわかちあたへ。

自は一疋一屯をもとゞめずして。

豊雄にむかひ。

畜〓が秀麗に〓けて〓を纏ふ。

〓又畜が仮の化に魅はされて丈夫心なし。

今より雄気してよく心を静まりまさば。

此らの邪神を遂はんに翁が力をもかり給はじ。

ゆめ/\心を静まりませとて実やかに覚しぬ。

豊雄夢のさめたるこゝちに。

礼言尽ずして帰り来る。

金忠にむかひて。

此年月畜に魅はされしは己が心の正しからぬなりし。

親兄の孝をもなさで。

君が家の羈ならんは由縁なし。

御恵いとかたじけなけれど。

又も参りなんとて。

紀の国に帰りける。

 父母太郎夫婦。

此恐しかりつる事を聞て。

いよゝ豊雄が過ならぬを憐み。

かつは妖怪の執ねきを恐れける。

かくて鰥にてあらするにこそ。

妻むかへさせんとてはかりける。

芝の里に芝の庄司なるものあり。

女子一人もてりしを。

大内の采女にまゐらせてありしが。

此度いとま申給はり。

此豊雄を聟がねにとて。

媒氏をもて大宅が許へいひ納る。

よき事なりて即因みをなしける。

かくて都へも迎の人を登せしかは。

此采女富子なるものよろこびて帰り来る。

年来の大宮仕へに馴こしかば。

万の行儀よりして。

姿なども花やぎ勝りけり。

豊雄こゝに迎へられて見るに。

此富子がかたちいとよく万心に足ひぬるに。

かの蛇が懸想せしこともおろ/\おもひ出るなるべし。

はじめの夜は事なければ書ず。

二日の夜。

よきほどの酔ごゝちにて。

年来の大内住に。

辺鄙の人ははたうるさくまさん。

かの御わたりにては。

何の中将宰相の君などいふ添ぶし給ふらん。

今更にくゝこそおぼゆれなど戯るゝに。

富子即面をあげて。

古き契を忘れ給ひて。

かくことなる事なき人を時めかし給ふこそ。

こなたよりまして悪くあれといふは。

姿こそかはれ。

正しく真女子が声なり。

聞にあさましう。

身の毛もたちて恐しく。

只あきれまどふを。

女打ゑみて。

吾君な怪しみ給ひそ。

海に誓ひ山に盟ひし事を速くわすれ給ふとも。

さるべき縁にしのあれば又もあひ見奉るものを。

他し人のいふことをまことしくおぼして。

強に遠ざけ給はんには。

恨み報ひなん。

紀路の山々さばかり高くとも。

君が血をもて峯より谷に潅ぎくださん。

あたら御身をいたづらになし果給ひそといふに。

只わなゝきにわなゝかれて。

今やとらるべきこゝちに死入ける。

屏風のうしろより。

吾君いかにむつかり給ふ。

かうめでたき御契なるはとて出るはまろやなり。

見るに又胆を飛し。

眼を閉て伏向に臥す。

和めつ驚しつかはる%\物うちいへど。

只死入たるやうにて夜明ぬ。

 かくて閨房を免れ出て庄司にむかひ。

かう/\の恐しき事あなり。

これいかにして放なん。

よく計り給へといふも。

背にや聞らんと声を小やかにしてかたる。

庄司も妻も面を青くして歎きまどひ。

こはいかにすべき。

こゝに都の鞍馬寺の僧の。

年々熊野に詣づるが。

きのふより此向岳の蘭若に宿りたり。

いとも験なる法師にて凡疫病妖災蝗などをもよく祈るよしにて。

此郷の人は貴みあへり。

此法師請へてんとて。

あはたゝしく呼つげるに。

漸して来りぬ。

しか/\のよしを語れば。

此法師鼻を高くして。

これからの蠱物らを捉んは何の難き事にもあらじ。

必静まりおはせとやすけにいふに。

人々心落ゐぬ。

法師まづ雄黄をもとめて薬の水を調じ。

小瓶に堪へて。

かの閨房にむかふ。

人々驚隠るゝを。

法師嘲わらひて。

老たるも童も必そこにおはせ。

此蛇只今捉て見せ奉らんとてすゝみゆく。

閨房の戸あくるを遅しと。

かの蛇頭をさし出して法師にむかふ。

此頭何はかりの物ぞ。

此戸口に充満て。

雪を積たるよりも白く輝々しく。

眼は鏡の如く。

角は枯木の如。

三尺余りの口を開き。

紅の舌を吐て。

只一呑に飲らん勢ひをなす。

あなやと叫びて。

手にすゑし小瓶をもそこに打すてゝ。

たつ足もなく。

展転びはひ倒れて。

からうじてのがれ来り。

人々にむかひ。

あな恐ろし。

祟ります御神にてましますものを。

など法師らが祈奉らん。

此手足なくば。

はた命失なひてんといふ/\絶入ぬ。

人々扶け起すれど。

すべて面も肌も黒く赤く染なしたるが如に。

熱き事焚火に手さすらんにひとし。

毒気にあたりたると見えて。

後は只眼のみはたらきて物いひたげなれど。

声さへなさでぞある。

水濯ぎなどすれど。

つひに死ける。

これを見る人いよゝ魂も身に添ぬ思ひして泣惑ふ。

豊雄すこし心を収めて。

かく験なる法師だも祈得ず。

執ねく我を纏ふものから。

天地のあひだにあらんかぎりは探し得られなんおのが命ひとつに人々を苦しむるは実ならず。

今は人をもかたらはじ。

やすくおぼせとて閨房にゆくを。

庄司の人々こは物に狂ひ給ふかといへど。

更に聞ず顔にかしこにゆく。

戸を静に明れば。

物の騒がしき音もなくて。

此二人ぞむかひゐたる。

富子豊雄にむかひて。

君何の讐に我を捉へんとて人をかたらひ給う。

此後も仇をもて報ひ給はゞ。

君が御身のみにあらじ。

此郷の人々をもすべて苦しきめ見せなん。

ひたすら吾貞操をうれしとおぼして。

徒々しき御心をなおぼしそと。

いとけさうしていふぞうたてかりき。

豊雄いふは。

世の諺にも聞ることあり。

人かならず虎を害する心なけれども。

虎反りて人を傷る意ありとや。

〓人ならぬ心より。

我を纏ふて幾度かからきめを見するさへあるに。

かりそめ言をだにも此恐しき報ひをなんいふは。

いとむくつけなり。

されど吾を慕ふ心ははた世人にもかはらざれば。

こゝにありて人々の歎き給はんがいたはし。

此富子が命ひとつたすけよかし。

然我をいづくにも連ゆけといへば。

いと喜しげに点頭をる。

 又立出て庄司にむかひ。

かう浅ましきものゝ添てあれば。

こゝにありて人々を苦しめ奉らんはいと心なきことなり。

只今暇給はらば。

娘子の命も恙なくおはすべしといふを。

庄司更に肯ず。

我弓の本末をもしりながら。

かくいひがひなからんは大宅の人%\のおぼす心もはづかし。

猶計較なん。

小松原の道成寺に法海和尚とて貴とき祈の師おはす。

今は老て室の外にも出ずと聞ど。

我為にはいかにも/\捨給はじとて。

馬にていそぎ出たちぬ。

道遥なれば夜なかばかりに蘭若に到る。

老和尚眠蔵をゐざり出て。

此物がたりを聞て。

そは浅ましくおほすべし。

今は老朽て験あるべくもおぼえ侍らねど。

君が家の災ひを黙してやあらん。

まづおはせ。

法師も即詣なんとて。

芥子の香にしみたる袈裟とり出て。

庄司にあたへ。

畜をやすくすかしよせて。

これをもて頭に打〓け。

力を出して押ふせ給へ。

手弱くあらばおそらくは迯さらん。

よく念じてよくなし給へと実やかに教ふ。

庄司よろこぼひつゝ馬を飛してかへりぬ。

豊雄を密に招きて。

比事よくしてよとて袈裟をあたふ。

豊雄これを懐に隠して閨房にいき。

庄司今はいとまたびぬ。

いざたまへ出立なんといふ。

いと喜しげにてあるを。

此袈裟とり出てはやく打〓け。

力をきはめて押ふせぬれば。

あな苦し。

〓何とてかく情なきぞ。

しばしこゝ放せよかしといへど。

猶力にまかせて押ふせぬ。

法海和尚の輿やがて入来る。

庄司の人々に扶けられてこゝにいたり給ひ。

口のうちつぶ/\と念じ給ひつゝ。

豊雄を退けて。

かの袈裟とりて見給へば。

富子は現なく伏たる上に。

白き蛇の三尺あまりなる蟠りて動だもせずてぞある。

老和尚これを捉へて。

徒弟が捧たる鉄鉢に納給ふ。

猶念じ給へば。

屏風の背より。

尺ばかりの小蛇はひ出るを。

是をも捉て鉢に納給ひ。

かの袈裟をもてよく封じ給ひ。

そがまゝに輿に乗せ給へば。

人々掌をあはせ涙を流して敬まひ奉る。

 蘭若に帰り給ひて。

堂の前を深く掘せて。

鉢のまゝに埋させ。

永劫があひだ世に出ることを戒しめ給ふ。

今猶蛇が塚ありとかや。

庄司が女子はつひに病にそみてむなしくなりぬ。

豊雄は命恙なしとなんかたりつたへける

雨月物語四之巻終

雨月物語巻之五

青頭巾

 むかし快庵禅師といふ大徳の聖おはしまりけり。

総角より教外の旨をあきらめ給ひて。

常に身を雲水にまかせたまふ。

美濃の国の龍泰寺に一夏を満しめ。

此秋は奥羽のかたに住とて。

旅立給ふ。

ゆき/\て下野の国に入給ふ。

 冨田といふ里にて日入りはてぬれば。

大きなる家の賑はゝしげなるに立よりて一宿をもとめ給ふに。

田畑よりかへる男等。

黄昏にこの僧の立るを見て。

大きに怕れたるさまして。

山の鬼こそ来りたれ。

人みな出でよと呼のゝじる。

家の内にも騒きたち。

女童は泣さけび展転びて隅%\に竄る。

あるじ山枴をとりて走り出。

外の方を見るに。

年紀五旬にちかき老僧の。

頭に紺染の巾を〓き。

身に墨衣の破たるを穿て。

裹たる物を背におひたるが。

杖をもてさしまねき。

檀越なに事にてかばかり備へ給ふや。

遍参の僧今夜ばかりの宿をかり奉らんとてこゝに人を待しに。

おもひきやかく異しめられんとは。

痩法師の強盗などなすべきにもあらぬを。

なあやしみ給ひそといふ。

 荘主枴を捨て手を拍て笑ひ。

渠等が愚なる眼より客僧を驚しまいらせぬ。

一宿を供養して罪を贖ひたてまつらんと。

礼まひて奥の方に迎へ。

こゝろよく食をもすゝめて饗しけり。

荘主かたりていふ。

さきに下等が御僧を見て鬼来りしとおそれしもさるいはれの侍るなり。

こゝに希有の物がたりの侍る。

妖言ながら人にもつたへ給へかし。

此里の上の山に一宇の蘭若の侍る。

故は小山氏の菩提院にて。

代々大徳の住給ふなり。

今の阿闍梨は何某殿の猶子にて。

ことに篤斈修行の聞えめでたく。

此国の人は香燭をはこびて帰依したてまつる。

我荘にもしば/\詣給ふて。

いともうらなく仕へしが。

去年の春にてありける。

越の国へ水丁の戒師にむかへられ給ひて。

百日あまり逗まり給ふが。

他国より十二三歳なる童児を倶してかへり給ひ。

起臥の扶とせらる。

かの童児が容の秀麗なるをふかく愛させたまふて。

年来の事どもゝいつとなく怠りがちに見え給ふ。

さるに茲年四月の比。

かの童児かりそめの病に臥けるが。

日を経ておもくなやみけるを痛みかなしませ給ふて。

国府の典薬のおもだゝしきをまで迎へ給へども。

其しるしもなく終りにむなしくなりぬ。

ふところの璧をうばはれ。

挿頭の花を嵐にさそはれしおもひ。

泣に涙なく。

叫ぶに声なく。

あまりに歎かせたまふまゝに。

火に焼。

土に葬る事をもせで。

臉に臉をもたせ。

手に手をとりくみて日を経給ふが。

終に心神みだれ。

生てありし日に違はず戯れつゝも。

其肉の腐り爛るを吝みて。

肉を吸骨を嘗て。

はた喫ひつくしぬ。

寺中の人々。

院主こそ鬼になり給ひつれと。

連忙迯さりぬるのちは。

夜/\里に下りて人を驚殺し。

或は墓をあばきて腥/\しき屍を喫ふありさま。

実に鬼といふものは昔物がたりには聞もしつれど。

現にかくなり給ふを見て侍れ。

されどいかゞしてこれを征し得ん。

只戸ごとに暮をかぎりて堅く関してあれば。

近曽は国中へも聞えて。

人の往来さへなくなり侍るなり。

さるゆゑのありてこそ客僧をも過りつるなりとかたる。

快庵この物がたりを聞せ給ふて。

世には不可思議の事もあるものかな。

凡人とうまれて。

仏菩薩の教の広大なるをもしらず。

愚なるまゝ。

慳しきまゝに世を終るものは。

其愛慾邪念の業障に攬れて。

或は故の形をあらはして恚を報ひ。

或は鬼となり蠎となりて祟りをなすためし。

住古より今にいたるまで算ふるに尽しがたし。

又人活ながらにして鬼に化するもあり。

楚王の宮人は蛇となり。

王含が母は夜叉となり。

呉生が妻は蛾となる。

又いにしへある僧卑しき家に旅寝せしに。

其夜雨風はげしく。

燈さへなきわびしさにいも寝られぬを。

夜ふけて羊の鳴こゑの聞えけるが。

頃刻して僧のねふりをうかゞひてしきりに〓ものあり。

僧異しと見て。

枕におきたる禅杖をもてつよく撃ければ。

大きに叫んでそこにたをる。

この音に主の嫗なるもの燈を照し来るに見れば。

若き女の打たをれてぞありける。

嫗泣/\命を乞。

いかゞせん。

捨て其家を出しが。

其のち又たよりにつきて其里を過しに。

田中に人多く集ひてものを見る。

僧も立よりて何なるぞと尋ねしに。

里人いふ。

鬼に化したる女を捉へて。

今土に〓むなりとかたりしとなり。

されどこれらは皆女子にて男たるものゝかゝるためしを聞ず。

凡女の性の慳しきには。

さる浅ましき鬼にも化するなり。

又男子にも隋の煬帝の臣家に麻叔謀といふもの。

小児の肉を嗜好て。

潜に民の小児を偸み。

これを蒸て喫ひしもあなれど。

是は浅ましき夷心にて。

主のかたり給ふとは異なり。

さるにてもかの僧の鬼になりつるこそ。

過去の因縁にてぞあらめ。

そも平生の行徳のかしこかりしは。

仏につかふる事に志誠を尽せしなれば。

其童子をやしなはざらましかば。

あはれよき法師なるべきものを。

一たび愛慾の迷路に入て。

無明の業火の熾なるより鬼と化したるも。

ひとへに直くたくましき性のなす所なるぞかし。

心放せば妖魔となり。

収むる則は仏果を得るとは。

此法師がためしなりける。

老訥もしこの鬼を教化して本源の心にかへらしめなば。

こよひの饗の報ひともなりなんかしと。

たふときこゝろざしを発し給ふ。

荘主頭を畳に摺て。

御僧この事をなし給はゞ。

此国の人は浄土にうまれ出たるがごとしと。

涙を流してよろこびけり。

山里のやどり貝鐘も聞えず。

廿日あまりの月も出て。

古戸の間に洩たるに。

夜の深きをもしりて。

いざ休ませ給へとておのれも臥戸に入りぬ

 山院人とゝまらねば。

楼門は荊〓おひかゝり。

経閣もむなしく苔蒸ぬ。

蜘網をむすびて諸仏を繋ぎ。

燕子の糞護摩の牀をうづみ。

方丈廊房すべて物すざましく荒はてぬ。

日の影申にかたふく比。

快庵禅師寺に入て錫を鳴し給ひ。

遍参の僧今夜ばかりの宿をかし給へと。

あまたたび叫どもさらに応なし。

眠蔵より痩槁たる僧の漸/\とあゆみ出。

咳たる声して。

御僧は何地へ通るとこゝに来るや。

此寺はさる由縁ありてかく荒はて。

人も住ぬ野らとなりしかば。

一粒の斎糧もなく。

一宿をかすべきはかりこともなしはやく里に出よといふ。

禅師いふ。

これは美濃の国を出て。

みちの奥へいぬる旅なるが。

この麓の里を過るに。

山の霊水の流のおもしろさにおもはずもこゝにまうづ。

日も斜なれば里にくだらんもはるけし。

ひたすら一宿をかし給へ。

あるじの僧云。

かく野らなる所はよからぬ事もあなり。

強とゞめがたし。

強てゆけとにもあらず。

僧のこゝろにまかせよとて復び物をもいはず。

こなたよりも一言を問はで。

あるじのかたはらに座をしむる。

看/\日は入果て。

宵闇の夜のいとくらきに。

燈を点ざればまのあたりさへわかぬに。

只澗水の音ぞちかく聞ゆ。

あるじの僧も又眠蔵に入て音なし。

 夜更て月の夜にあらたまりぬ。

影玲瓏としていたらぬ隈もなし。

子ひとつともおもふ此。

あるじの僧眠蔵を出て。

あはたゝしく物を討ぬ。

たづね得ずして大いに叫び。

禿驢いづくに隠れけん。

こゝもとにこそありつれと禅師が前を幾たび走り過れども。

更に禅師を見る事なし。

堂の方に駈りゆくかと見れば。

庭をめぐりて躍りくるひ。

遂に疲れふして起来らず。

夜明て朝日のさし出ぬれば。

酒の醒たるごとくにして。

禅師がもとの所に在すを見て。

只あきれたる形にものさへいはで。

柱にもたれ長嘘をつぎて黙しゐたりける。

禅師ちかくすゝみよりて。

院主何をか歎き給ふ。

もし飢給ふとならば野僧が肉に腹をみたしめ給へ。

あるじの僧いふ。

師は夜もすがらそこに居させたまふや。

禅師いふ。

こゝにありてねふる事なし。

あるじの僧いふ。

我あさましくも人の肉を好めども。

いまだ仏身の肉味をしらず。

師はまことに仏なり。

鬼畜のくらき眼をもて。

活仏の来迎を見んとするとも。

見ゆべからぬ理なるかな。

あなたふとゝ頭を低て黙しける。

禅師いふ。

里人のかたるを聞けば。

汝一旦の愛慾に心神みだれしより。

忽鬼畜に堕罪したるは。

あさましとも哀しとも。

ためしさへ希なる悪因なり。

夜/\里に出て人を害するゆゑに。

ちかき里人は安き心なし。

我これを聞て捨るに忍びず。

恃来りて教化し本源の心にかへらしめんとなるを。

汝我をしへを聞や否や。

あるじの僧いふ。

師はまことに仏なり。

かく浅ましき悪業を頓にわするべきことわりを教給へ。

禅師いふ。

汝聞とならばこゝに来れとて。

簀子の前のたひらなる石の上に座せしめて。

みづから〓き給ふ紺染の巾を脱て僧が頭に〓しめ。

証道の歌二句を授給ふ

  江月照松風吹

  永夜清宵何所為

汝こゝを去ずして徐に此句の意をもとむべし。

意解ぬる則はおのづから本来の仏心に会ふなるはと。

念頃に教て山を下り給ふ。

此のちは里人おもき災をのがれしといえども。

猶僧が生死をしらざれば。

疑ひ恐れて人/\山にのぼる事をいましめけり。

 一とせ速くたちて。

むかふ年の冬十月の初旬快庵大徳。

奥路のかへるさに又こゝを過給ふが。

かの一宿のあるじが荘に立よりて。

僧が消息を尋ね給ふ。

荘主よろこび迎へて。

御僧の大徳によりて鬼ふたゝび山をくだらねば。

人皆浄土にうまれ出たるごとし。

されど山にゆく事はおそろしがりて。

一人としてのぼるものなし。

さるから消息をしり侍らねど。

など今まで活ては侍らじ。

今夜の御泊りにかの菩提をとふらひ給へ。

誰も随縁したてまつらんといふ禅師いふ。

他善果に基て遷化せしとならば道に先達の師ともいふべし。

又活てあるときは我ために一個の徒弟なり。

いづれ消息を見ずばあらじとて。

復び山にのぼり給ふに。

いかさまにも人のいきゝ絶たると見えて。

去年ふみわけし道ぞとも思はれず。

寺に入てみれば。

荻尾花のたけ人よりもたかく生茂り。

露は時雨めきて降こぼれたるに。

三の径さへわからざる中に。

堂閣の戸右左に頽れ。

方丈庫裏に縁りたる廊も。

朽目に雨をふくみて苔むしぬ。

さてかの僧を座らしめたる篁子のほとりをもとむるに。

影のやうなる人の。

僧俗ともわからぬまでに髭髪もみだれしに。

葎むすぼふれ。

尾花おしなみたるなかに。

蚊の鳴ばかりのほそき音して。

物とも聞えぬやうにまれ/\唱ふるを聞けば

  江月照松風吹

  永夜清宵何所為

禅師見給ひて。

やがて禅杖を拿なほし。

作〓生何所為ぞと。

一喝して他が頭を撃給へば。

忽氷の朝日にあふがごとくきえうせて。

かの青頭巾と骨のみぞ草葉にとゞまりける。

現にも久しき念のこゝに消じつきたるにやあらん。

たふときことわりあるにこそ。

 されば禅師の大徳雲の裏海の外にも聞えて。

初祖の肉いまだ乾かずとぞ称歎しけるとなり。

かくて里人あつまりて。

寺内を清め。

修理をもよほし。

禅師を推たふとみてこゝに住しめけるより。

故の密宗をあらためて。

曹洞の霊場をひらき給ふ。

今なほ御寺はたふとく栄えてありけるとなり

貧福論

 陸奥の国蒲生氏郷の家に。

岡左内といふ武士あり。

禄おもく。

誉たかく。

丈夫の名を関の東に震ふ。

此士いと偏固なる事あり。

富貴をねがふ心常の武扁にひとしからず。

倹約を宗として家の掟をせしほどに。

年を畳て富昌へけり。

かつ軍を調練す間には。

茶味翫香を娯しまず。

廰上なる所に許多の金を布班べて。

心を和さむる事。

世の人の月花にあそぶに勝れり。

人みな左内が行跡をあやしみて。

吝嗇野情の人なりとて。

爪はぢきをして悪みけり。

家に久しき男に黄金一枚かくし持ちたるものあるを聞つけて。

ちかく召ていふ。

崑山の璧もみだれたる世には瓦礫にひとし。

かゝる世にうまれて弓矢とらん躯には。

棠谿墨陽の釼。

さてはありたきもの財寳なり。

されど良剱なりとて千人の敵には逆ふべからず。

金の徳は天が下の人をも従へつべし。

武士たるもの漫にあつかふべからず。

かならず貯へ蔵むべきなり。

〓賎しき身の分限に過たる財を得たる鳴呼の事なり。

賞なくばあらじとて。

十両の金を給ひ。

刀をも赦して召つかひけり。

人これを伝へ聞て。

左内が金をあつむるは長啄にして飽ざる類にはあらず。

只当世の一竒士なりとぞいひはやしける。

 其夜左内が枕上に人の来たる音しけるに。

目さめて見れば。

燈台の下に。

ちいさげなる翁の笑をふくみて座れり。

左内枕をあげて。

こゝに来るは誰。

我に粮からんとならば力量の男どもこそ参りつらめ。

〓がやうの〓たる形してねふりを魘ひつるは。

狐狸などのたはむるゝにや。

何のおぼえたる術かある。

秋の夜の目さましに。

そと見せよとて。

すこしも騒ぎたる容色なし。

翁いふ。

かく参りたるは魑魅にあらず人にあらず。

君がかしづき給ふ黄金の精霊なり。

年来篤くもてなし給ふうれしさに。

夜話せんとて推てまいりたるなり。

君が今日家の子を賞じ給ふに感て。

翁が思ふこゝろばへをもかたり和さまんとて。

仮に化を見はし侍るが。

十にひとつも益なき閑談ながら。

いはざるは腹みつれば。

わざとにまうでゝ眠をさまたげ侍る。

さても富て驕らぬは大聖の道なり。

さるを世の悪ことばに。

富るものはかならず慳し。

富るものはおほく愚なりといふは。

晋の石崇唐の王元宝がごとき。

豺狼蛇蝎の徒のみをいへるなりけり。

往古に富る人は。

天の時をはかり。

地の利を察らめて。

おのづからなる富貴を得るなり。

呂望斉に封ぜられて民に産業を教ふれば。

海方の人利に走りてこゝに来朝ふ。

管仲九たび諸侯をあはせて。

身は倍臣ながら富貴は列国の君に勝れり。

范蠡。

子貢。

白圭が徒。

財を鬻ぎ利を遂て。

巨万の金を畳なす。

これらの人をつらねて貨殖伝を書し侍るを。

其いふ所陋とて。

のちの博士筆を競ふて謗るは。

ふかく頴らざる人の語なり。

恒の産なきは恒の心なし。

百姓は勤て穀を出し。

工匠等修てこれを助け。

商賈務めて此を通はし。

おのれ/\が産を治め家を富して。

祖を祭り子孫を謀る外。

人たるもの何をか為ん。

諺にもいへり。

千金の子は市に死せず。

富貴の人は王者とたのしみを同じうすとなん。

まことに渕深ければ魚よくあそび。

山長ければ獣よくそだつは天の随なることわりなり。

只貧しうしてたのしむてふことばありて。

字を学び韻を探る人の惑をとる端となりて。

弓矢とるますら雄も富貴は国の基なるをわすれ。

あやしき計策をのみ調練て。

ものを〓り人を傷ひ。

おのが徳をうしなひて子孫を絶は。

財を薄んじて名をおもしとする惑ひなり。

顧に名とたからともとむるに心ふたつある事なし。

文字てふものに繋がれて。

金の徳を薄んじては。

みづから清潔と唱へ。

鋤を揮て棄たる人を賢しといふ。

さる人はかしこくとも。

さる事は賢からじ金は七のたからの最なり。

土に〓れては霊泉を湛へ。

不浄を除き。

妙なる音を蔵せり。

かく清よきものゝ。

いかなれば愚昧貪酷の人にのみ集ふべきやうなし。

今夜此憤りを吐て年来のこゝろやりをなし侍る事の喜しさよといふ。

 左内興じて席をすゝみ。

さてしもかたらせ給ふに。

富貴の道のたかき事。

己がつねにおもふ所露たがはずぞ侍る。

こゝに愚なる問事の侍るが。

ねがふは祥にしめさせ給へ。

今ことわらせ給ふは。

専金の徳を薄しめ。

富貴の大業なる事をしらざるを罪とし給ふなるが。

かの紙魚かいふ所もゆゑなきにあらず。

今の世に富るものは。

十が八ッまではおほかた貪酷残忍の人多し。

おのれは俸禄に飽たりながら。

兄弟一属をはじめ。

祖より久しくつかふるものゝ貧しきをすくふ事をもせず。

となりに栖つる人のいきほひをうしなひ。

他の援けさへなく世にくだりしものゝ田畑をも。

価を賎くしてあながちに己がものとし。

今おのれは村長とうやまはれても。

むかしかりたる人のものをかへさず。

礼ある人の席を譲れば。

其人を奴のごとく見おとし。

たま/\旧き友の寒暑を訪らひ来れば。

物からんためかと疑ひて。

宿にあらぬよしを応へさせつる類あまた見来りぬ。

又君に忠なるかぎりをつくし。

父母に孝廉の聞えあり。

貴きをたふとみ。

賎しきを扶くる意ありながら。

三冬のさむきにも一裘に起臥。

三伏のあつきにも一葛を濯ぐいとまなく。

年ゆたかなれども朝に〓に一椀の粥にはらをみたしめ。

さる人はもとより朋友の訪らふ事もなく。

かへりて兄弟一属にも通を塞れ。

まじはりを絶れて。

其怨をうつたふる方さへなく。

汲/\として一生を終るもあり。

さらばその人は作業にうときゆゑかと見れば。

夙に起おそくふして性力を凝し。

西にひがしに走りまどふ〓蹊さらに閑なく。

その人愚にもあらで才をもちうるに的るはまれなり。

これらは顔子が一瓢の味はひをもしらず。

かく果るを仏家には前業をもて説しめし。

儒門には天命と教ふ。

もし未来あるときは現世の陰徳善功も来世のたのみありとして。

人しばらくこゝにいきどほりを休めん。

されば富貴のみちは仏家にのみその理をつくして。

儒門の教へは荒唐なりとやせん。

霊も仏の教にこそ憑せ給ふらめ。

否ならば祥にのべさせ給へ。

 翁いふ。

君が問給ふは往古より論じ尽さゞることわりなり。

かの仏の御法を聞けば。

富と貧しきは前生の脩否によるとや。

此はあらましなる教へぞかし。

前生にありしときおのれをよく脩め。

慈悲の心専らに。

他人にもなさけふかく接はりし人の。

その善報によりて。

今此生に富貴の家にうまれきたり。

おのがたからをたのみて他人にいきほひをふるひ。

あらぬ狂言をいひのゝじり。

あさましき夷こゝろをも見するは。

前生の善心かくまでなりくだる事はいかなるむくひのなせるにや。

仏菩薩は名聞利要を嫌給ふとこそ聞きつる物を。

など貧福の事に係づらひ給ふべき。

さるを富貴は前生のおこなひの善りし所。

貧賎は悪かりしむくひとのみ説なすは。

尼媽を蕩かすなま仏法ぞかし。

貧福をいはず。

ひたすら善を積ん人は。

その身に来らずとも。

子孫はかならず幸福を得べし。

宗廟これを饗て子孫これを保つとは。

此ことわりの細妙なり。

おのれ善をなして。

おのれその報ひの来るを待は直きこゝろにもあらずかし。

又悪業慳貪の人の富昌ふるのみかは。

寿めでたくその終をよくするは。

我に異なることわりあり。

霎時聞せたまへ我今仮に化をあらはして語るといへども。

神にあらず仏にあらず。

もと非情の物なれば人と異なる慮あり。

いにしへに富る人は。

天の時に合ひ。

地の利をあきらめて。

産を治めて富貴となる。

これ天の随なる計策なれば。

たからのこゝにあつまるも天のまに/\なることわりなり。

又卑吝貪酷の人は。

金銀を見ては父母のごとくしたしみ。

食ふべきをも喫はず。

穿べきをも着ず。

得がたきいのちさへ惜とおもはで。

起ておもひ臥てわすれねば。

こゝにあつまる事まのあたりなることわりなり。

我もと神にあらず仏にあらず。

只これ非情なり。

非情のものとして人の善悪を糺し。

それにしたがふべきいはれなし。

善を撫悪を罪するは。

天なり。

神なり。

仏なり。

三ッのものは道なり。

我ともがらのおよぶべきにあらず。

只かれらがつかへ傅く事のうや/\しきにあつまるとしるべし。

これ金に霊あれども人とこゝろの異なる所なり。

また富て善根を種るにもゆゑなきに恵みほどこし。

その人の不義をも察らめず借あたへたらん人は。

善根なりとも財はつひに散すべし。

これらは金の用を知て。

金の徳をしらず。

かろくあつかふが故なり。

又身のおこなひもよろしく。

人にも志誠ありながら。

世に窮られてくるしむ人は。

天蒼氏の賜すくなくうまれ出たるなれば。

精神を労しても。

いのちのうちに富貴を得る事なし。

さればこそいにしへの賢き人は。

もとめて益あればもとめ。

益なくばもとめす。

己がこのむまに/\世を山林にのがれて。

しづかに一生を終る。

心のうちいかばかり清しからんとはうらやみぬるぞ。

かくいへど富貴のみちは術にして。

巧なるものはよく湊め。

不肖のものは瓦の解るより易し。

且我ともがらは。

人の生産のつきめぐりて。

たのみとする主もさだまらず。

こゝにあつまるかとすれば。

その主のおこなひによりてたちまちにかしこに走る。

水のひくき方にかたふくがごとし。

夜に昼にゆきくと休ときなし。

たゞ閑人の生産もなくてあらば。

泰山もやがて喫つくすべし。

江海もつひに飲ほすべし。

いくたびもいふ。

不徳の人のたからを積は。

これとあらそふことわり。

君子は論ずる事なかれ。

ときを得たらん人の倹約を守りついえを省きてよく務めんには。

おのづから家富人服すべし。

我は仏家の前業もしらず。

儒門の天命にも抱はらず。

異なる境にあそぶなりといふ。

 左内いよ/\興に乗じて。

霊の議論きはめて妙なり旧しき疑念も今夜に消じつくしぬ。

試にふたゝび問ん。

今豊臣の威風四海を靡し。

五畿七道漸しづかなるに似たれども。

亡国の義士彼此に潜み竄れ。

或は大国の主に身を托て世の変をうかゞひ。

かねて志を遂んと策る。

民も又戦国の民なれば。

耒を釈て矛に易。

農事をことゝせず。

士たるもの枕を高くして眠るべからず。

今の躰にては長く不朽の政にもあらじ。

誰か一統して民をやすきに居しめんや。

又誰にか合し給はんや。

翁云。

これ又人道なれば我しるべき所にあらず。

只富貴をもて論ぜは。

信玄がごとく智謀は百が百的らずといふ事なくて。

一生の威を三国に震ふのみ。

しかも名将の聞えは世挙りて賞ずる所なり。

その末期の言に。

当時信長は果報いみじき大将なり。

我平生に他を侮りて征伐を怠り此疾に係る。

我子孫も即他に亡されんといひしとなり。

謙信は勇将なり。

信玄死ては天が下に対なし。

不幸にして遽死りぬ。

信長の器量人にすぐれたれども。

信玄の智に及ず。

謙信の勇に劣れり。

しかれども富貴を得て天が下の事一回は此人に依す。

任ずるものを辱しめて命を殞すにて見れば。

文武を兼しといふにもあらず。

秀吉の志大なるも。

はじめより天地に満るにもあらず。

柴田と丹羽が富貴をうらやみて。

羽柴と云氏を設しにてしるべし。

今龍と化して太虚に昇り池中をわすれたるならずや。

秀吉龍と化したれども蛟蜃の類也蛟蜃の龍と化したるは。

寿わづかに三歳を過ずと。

これもはた後なからんか。

それ驕をもて治たる世は。

往古より久しきを見ず。

人の守るべきは倹約なれども。

過るものは卑吝に陥る。

されば倹約と卑吝の境よくわきまへて務むべき物にこそ。

今豊臣の政久しからずとも。

万民和はヽしく。

戸々に千秋楽を唱はん事ちかきにあり。

君が望にまかすべしとて八字の句を諷ふ。

そのことばにいはく

  尭〓日杲  百姓帰家

数言興尽て遠寺の鐘五更を告る。

夜既に曙ぬ。

別れを給ふべし。

こよひの長談まことに君が眠りをさまたぐと。

起てゆくやうなりしが。

かき消て見えずなりにけり。

 左内つら/\夜もすがらの事をおもひて。

かの句を案ずるに。

百姓家に帰すの句粗其意を得て。

ふかくこゝに信を発す。

まことに瑞草の瑞あるかな

雨月物語五之巻大尾

 安永五歳丙申孟夏吉旦

            寺町通五条上ル町

         京都      梅村判兵衛

    書肆

            高麗橋壱町目

         大坂      野村長兵衛