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110530 今週のみことば
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今週のみことば

2011/5/30~6/1

ヨハネによる福音書15:1-8


「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」

(ヨハネ 15:5)


ぶどうは聖書の中によく登場する作物で、当時の人になじみ深いものであったことがうかがい知れますが、わたしが長野県に住んでいた時にもぶどうは身近なもので、最寄り駅のホームにぶどう棚が作られていたほどでした。そんなわけで、ぶどうが育つ様子はよく見て知っていたつもりでした。

アメリカのカリフォルニアに出張の機会があった際、何度も「ナパ・バレー」というワインの有名な産地を訪れ、ワイナリーツアーを楽しみました。そこでぶどう畑を見て印象深かったのは、棚を作らず、垣根のような形でぶどうの木が育てられていることでした。同じぶどうの木でも、場所が違えばこんなふうに育て方が変わるということを興味深く思いました。

今日の福音の中で、イエス・キリストは「わたしはぶどうの木、あなた方はその枝」と言います。この言葉を聴く時にわたしたちが思い描くのは、キリストという太い幹が一本真ん中にドーンとあり、そこからわたしたちという細い枝が横向きにぶら下がっている、というイメージではないでしょうか。しかし、実際にはぶどうはつる性の植物で、育て方によって形はどのようにでも変わりますし、幹と枝というような関係をそこに見いだすことも困難です。ここでイエスが語っている関係は、太い幹と細い枝というような「主従関係」ではなく、「あなたとわたしは一体であって、一本のぶどうの木を共に形作っている」という、キリストとわたしたちが一体であるという関係です。

数学で、AとBの二つの集合が等しいことを証明する際、「AはBの部分集合であり、同時にBはAの部分集合である」ということを示すという論法があります。AとBがお互いを包含しあうとき、その両者はイコールで結ばれるということです。今日、ぶどうの木の例えを用いてイエスが説明しようとしている関係もこれに似ています。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」わたしたちが一方的にキリストという木にぶら下がっているのではなく、わたしたちはお互いにつながり合っている関係なのだ、と言われています。わたしたちがキリストと一体であるというのは、わたしたちの間にこの相互のつながりが存在しているということなのです。

震災の被災地の状況が報道される度に、今の自分の毎日の生活との隔たりがあまりに大きく、正直なところ何をどうしたらよいのか、ただ呆然としている自分がいます。こんな中で、わたしたちが「共に生きる」ことなど本当にできるのだろうか。このような気持ちに苛まれながらも、しかし今日のぶどうの木の例えが語るように、わたしたちが互いにつながり合っていて、わたしたちは一つであるということの目に見えるしるしを、どんなに小さくてもよいから身の回りに生み出したいと切に願っています。微力ながらも、そのことをいつも考え続けていたいと思います。