茶〓酔言

【一】年号、大化より前にも、往々に物に記したる見ゆ。是を異年号と云者は無識也。

大方、寺社の縁記に載て、国史に見えす。是公朝に沙汰なくて、大臣以下の私に記したるなるへし。養老の日本記撰奏に載さる者、云へからす。

【二】我友何某と云者、西学に淫して、私に家記録の者に、清の年号を以て録す。

【三】近比の事也。聖護院二村の界にて、農夫土竜の穴を埋むに、ことに深ければ、怪しとて掘て見しに、物有て鍬に音す。いよ/\ほりて至りて見れは、仏器、盃也。黒く泥土に染たる中に、金色の光あり。家に携へかへりて、よく洗ひ見れは、南無阿弥陀仏の六字あらはれたり。農夫即時に心あしく成て、里正に訴ふ。里正即時に公朝に〓出たり。さし留められて事なし。農夫は此器を思ふにも心あしくて、終に狂人となり、家を出、隣村の古井に陥て死たりとそ。又、大坂の玉造の岡に、一僧の庵つくりて行ふ有。茶このむ僻ありて、常に湯を沸らせて点服す。一日遊行して、古物屋の店にて、釜一つ見出て買たり。薄き金にて色尤黒し。よく洗すまして湯をわかす。其音清亮にして、大路に聞ゆ。人やう/\あやしみて、僧亦いふかしむるにいたり、よくみかきて見れは、金色きら/\しく、豊公の桐の紋あらはれ見ゆ。いそき公朝にさゝけ出たり。是亦とゝめられて止ぬ。あゝ豊公の武威のさかんなりしにも、此釜ほり出て玩器とするに祟りなし。六字の名号、いかなれは人命を殞す。仏名の仁慈なくて、反りて触れは殞害ある事を。

【四】丹波の奥とのみ聞て、何郡を聞す、都に一族をとむらひて一宿す。夜咄に更行たるに、時鳥一声鳴てわたる。あれ聞け、とめつらしかりて客にも云。客いふかりて、あれはほとゝきすと云て、我里には尤多し、鳴声かしましけれは、追うつ事あり、又煮てくらへは、味甚よしとそ。家のあるし聞おとろきて、毒なきや、都かたにはついに喰たりと云者なし。味尤よし、国に来たりたまはゝ、羹調してまいらすへしとそ。されと、行てくらふへく思ふ人なし。又、河鹿と云蛙は味よしとそ。ついに調味せし人なし。日本紀の応神の巻に、大さゝきの尊吉野似遊ふ時、国樔の里人、是を調羹してすゝめ奉る。其里の言に上味と云て、毛瀰とも云。是なき時は、もみなしと云しとそ。今の俗言に、味よからぬ物を、もむなしと云は、此転語なるへし。是は西土にて石鶏とも云て、六七月の間山谷に鳴て、其音よし。是をくらへは、味水〓に似たりとそ。共にこゝにはくらはす。鳴音は、春の末に田蛙と同しく発声す。其声鈴の音に似て、尤清亮也。秋をさかりと云は、万葉集の題に、蝦をよむと云て、秋の部に入たり。蝦と書たれと、同類にて、文字分明ならす。山河にすみて濁江にすむ事なし。因て歌には、大かた山河によむ。佐保川、よしの川、井出の玉川、泉の里なとゝよめり。今は都に飼ふ人ありて、価もある物とそ。一名を綿襖子と云とそ。産物家の事は我しらす。まゝ譌談ありといふ也。

【五】又、田鼠化して鶉となると云を、論衡には、蝦蟇化してと見ゆ。田鼠と云は蝦蟇の一名歟、しらす。

【六】五条通の新町に古き家あり。屋上に鬼面の瓦を上たるは、久しき家の面目とそ。隣に宅をうつして来たる者あり。其妻ふと此瓦を見てこゝちあしく、終に病ふしたり。此祟りよとて、隣へ行て、瓦おろしてたへ、と云へと、聞入す。病日々にかろからす。此事を人とはかれは、鎮馗のかたちを瓦につくりて屋上におけ、と云。終にあらそひと成て、公朝にうたへ出しかは、御あつかいありて、二家の瓦をおろさせたまひて後、二家の病人平愈せしとそ。

【七】老、性茶をこのむ。前に清風瑣言と云書二編をあらはして論せしかと、其事皆西土の品種にて、こゝにあたらす。上品ありといへとも、たま/\来たるは、名のみにて製也。採摘の法、かしこには、一旗二槍の葉を時としてつむとそ。こゝには、緑嬾に二葉より五六葉にいたりてつむをよしとす。製法も亦種々ありとそ。品第、宇治。信楽を最一とすへし。其余諸国の産あれと、大かた鐺茶制にて、焙炉の法ありとも佳品ならす。近曾、友の中に、伊与の大洲の人に習ひて、製したるを試みしに、中品の上なるへし。其法さきに云、五葉まての間をつみとりて、洗ふ事せす、鐺の火尤つよく、漸々にゆるくして、後には手をあたゝむるはかり也とそ。此茶、大洲の国産には珍らし。かの土の茶、前年多く得たり。試しに、皆鐺製にして清韻なし。此たひのは、好士の一家の製なるへし。老に銘を乞。禅林と名つく。茶園、こゝ南禅、北禅のあいたにつめは也。すへて糞培の茶は、味よくて香〓おとる。されと、園主の制しかるへき事也。せん品は、春の末よりつみて、五葉にいたるとそ、点茶品うすきは其後に、又こきはおくるゝとそ。こい茶の園林は、藁のむしろをもて高く屋を覆ひて、霜を〓む事専也。うす茶の林は、藁を置ちらしておくのみ。せん茶の葉は覆ひなし。故に着せんと云とそ。池尾の喜撰と云名は、喜せんの山足にありて名とす。この里の茶専らなるは、寛保の比に始て上制を出し、宝暦、明和に至ての事也とそ。老舗小山か物かたり也。小山又云、せん茶は信楽を最上とす、納所、富川、涌井、野尻、浅宮五村の間に専也、涌井、野尻二所を本処と云、一森、山吹と云は、此両村に出たり、又、同郡政所と云にも上制を出す、松の波、霜の花こゝに出つ、其中、霜華は西土より名つけたる銘也、又、醍醐に笠取と云茶よし、宇治の田原郷、陽屋谷、其外にも、年々に制家ましれり、茶はすへて茶舗に試みて、品第を年々に定む、点品は宇治の官茶にならひて、隣村木幡、大宝寺に制する也

【八】いつの年にかありし。信楽の茶つみ時に、午飯の休みして園林に出るに、あやし、林かくれに人二人ありて、物を負ひ身をひそめて行。何するならんと、若き男等四五人追つきて見れば、隣村のくす師の、下部と二人、古つゝらをおひ、茶をつみこほして、頬は手巾にかくしてはひ行也。ぬす人よとて捕経、皆こよ/\、と呼ふ。追つきて大勢か中にかこみたり。老いたる男の云、此頃園に誰かわさそ、時々はつみあらしたる跡ありし。さては医師とのゝしわさよ、ゆるさし、とてののしる。ゆるせ/\、といへとゆるさす。大勢か中にかこみて、里正の家に行、しか/\と申す。長出て見れは、見しりたり。この里に久しく住ては、茶は大事の物としらてはある、うたへでて、からき目みせんとそ。たゝ、ゆるしたまへ/\、とて頭をさけ泣わふるに、我心とりならす、狐のさそひしか、と云。狐ならん、かれはむくい恐しき者也、よくして神送りせよ、と目をくはせて入る。いなり殿の御かえりそ、と手打はやし、立て追行。里の並ひに門たちして、あな見くるし、病すともたのもしからぬ、とて爪はちきしてわらふ/\。ついに追やられて後は、いつちいにけんしらす。

【九】出雲の国の山僧、都に遊ひて、老か煎茶好むこと聞て、国産の茶を贈とて、先六韻をたまへり。不老多奇勝、園春端草生、候唯須緑〓、採那必旗鎗、気与厳僧潔、味留雲脚清、兎山真可敵、鹿谷莫能当、換骨当三椀、忘眠至四更、非縁君一顧、安取大方名。かく聞えて、今や五年になれと、茶はたまはらす。同国の僧にあひて、談この事に及ふ。この僧本土にかへりて後又一僧来り云、鰻淵の茶、削壁十余里をへたてて容易ならす、思ひなから年をへたり、とて、又其後に茶一はかりわはまへり。佳銘也。少しく草木の木あるを恨とす。

【一〇】茶をちゃあと呼事、字音にあらす。こゝには、詩人専賞歎して、哥よみは

好むといへとも、出詠せす。老か前年によみし、

  ありてしも春の木のめをつみて烹て心は秋の水とこそすめ

いまた拙也。

  うは氷春をとちむるたに水をむるめりといひてけさは汲なん

又、

  暁にいつもくむ水沸らせて烹るちゃをけさは春の初花

  濁らしと世はのかれねとすゝる茶にしはしは心すますはかりそ

猶いひしかと忘たり。たに水とは、此山中にこまの滝といふ爆布ありて、其末の

垣もとを流過る也。是老か天福、茶に宣し。たゝ昇天に絶るをなけくのみ。

【一一】水のえらひ大事也。茶ありとも水清からねは、伯楽なしのたくい也。陸羽か六羨の哥に、不羨黄金〓、不羨白玉杯、不羨朝入省、不羨暮入〓、千羨満羨西江水、流向〓陵城下来。

【一二】ちかき頃は、東土の人の茶を烹るとて、都の水を運はす事専也。いかに思はさる。水の性、時刻に味をかへ、一夜には大に変す。百余里の外に及はこはすはいかに抽なる。栂尾の明恵上人の、研の水は宿水を用ふへからす、一夜に濁気生じて書写御経を汚すへしと。我垣下の水は京師にても又秀品也。謝康楽か、井にかへて及、といはれしには、いかはかりの勝劣かあらん。

【一三】昔、商舶のたよりに、抗州西湖の水を運はせて、画書し人あり。其余りを都につたへて、善画の人に付与す。後問ふに、色は濁りて飴のことし、筆の重き事たふましき也、ここの水に少くはへて、あたへし人の為に西湖の水にて画きし、と云し也とそ。

【一四】京師に、茶と水の福地なる事をもて、故国にかへる事を忘る。水のえらひ〓大事也。細河三齊公の吉田の岡におはせし時、天王寺屋の宗久という人、暁の茶を奉るへく申入たり。利休相伴にて、よひより吉田へ参りて、物かたりす。三更ならんと思ふに、もはや御立出あるへきか、と申。行て宗久あはたたしからは、興なからんとそ。利休申、宗久は老巧の者也、いつ御出あるとも用意あるへしとそ。さらは、とてゆきたまへり。門開き、露地に水うたせ、燈〓の石あかあかとてらせり。されはよ、とて御入ある。宗久、ことに有かたし、とて先火を蒔つきて、薄くまいらせたり。四更や過んと思ふ頃、へたてのさう子をほとほとと叩く。何そ、ととかむ。水か参りて候、と申たり。とこたへて、茶をとりて、かつてへ入ぬ。三齊公、此夜の興是につくしたり、となんあほせられしとそ。煎、点ともに、水品をえらへとも、煎品はことに気を貴しとすれは、水よからねは品おとり、清韻消す。昔老かひとり言して云、真茶真水倶清味、貧必非清ゝ自貧。清の字よし、とて一友かほめてくれし也。

【一五】茶に糞培して、清旬鈍くなると云聞きて、漢の〓宏か仏道を論定せしに、仏は覚也、沙弥は息也。猶有しかと、暗記なれは忘たり。東披云、此論説はたかはすして、真味をしらす、野人の滋味そ真味なる、調〓によりて味変す、宋の世の禅機の云所のみ、といははいかに。

【一六】点茶家培養して、古を忘れ活動なし。甘、渋、濃、淡、人このむ所あり。倣ふへし、陸放翁自在の茶。

【一七】玩器伝来賞すへし。其余は、〓〓といへとも、古廃器也。煎茶家、茶具新調をもはらとす。茶味の清に宣しく、水の清に宣し。

【一八】茶の字につき、既に大和物語の良峰の宗貞か、五条あたりの雨やとりに、あるし菊をむし物といふ物にして、ちゃうわんにもりて出せしと云事を引出て、茶わんの語をなたらかにとなへしよと思しに、〓厳集に、椀と蝶とは別也。蝶子を今ちゃっととなふるに見れは、覆なき器に盛たるなるへし。

【一九】高遊外は肥前の人、僧をのかれて隠士となり、京師に遊ふ。貧士にて生活なし。茶を煮て、茶銭をもとめ、自号売茶翁と申されたり。貧士なれは、富家の交りなく、茶具玩器、当時の唐山製の物を用ひて、点器のえらひなかりし故に、玩器たま/\数奇かましくせられし物、多くは鈍漢也。茶も、一森、山吹を専ら煮て、上制をえはらす有し也。されと、翁によりて煎茶の行るゝ事、寛保より明和にいたりて、上制しき/\に出せり。是は翁の徳也。

【二〇】浪花の大技流芳は、富家の子にて、弱きより風流をこのみたる畸人也。茶を闘かはせ、器をえらふは、翁に勝れり。青湾茶話、雅遊漫録等を著せしに見るへし。

【二一】郷友木村孔恭は、文雅の名たかく、産物のえらひ、茶を煎るをもて、共に人しる。然とも、文雅の友四方より日ゝに来たる。送迎にいとまなく、茶味の嗜好、器のえらひ、煎法の事におきては疎也しかは、高翁の風流にいたらす。流芳の茶、且水のえらひにおきては次也。

【二二】東坡、仏印の許へ使こさるゝに、尺書一言なし。和尚いふかしみて、其使のやうを見せしむ。頭に草を刈ていたゝき、木根に腰よせたり。印咲ひて、茶を乞よとて、佳茗一壷をおくられしとそ。人の頭に草をいたゝき、木に胯かりしは、茶の字様子也。

【二三】紹鴎の消息文は風流なり。堺の津に総見院右大臣殿おはせし時、佐久間右衛門尉との御勘気かふむりて、山住せられしに、紹鴎のもとへの文あり。其こたへに、其元様山居の後、茶道おとろへたり、いさゝかの御罪なきは姜里の囚はれる。やかて御免あるへし、御目利の宗易事、追ゝに出世、秀吉推挙にて、日向へも立入す、やかて上様へも御目見へすへし、皆云、此頃も数奇やを建しに、心に叶はぬとて、打こほち、ねた一本もつかはす、又我等、目利の茶入、直段ほとに無きそ、と云しを、口をしく思て、かな〓の上にて打くたきしとそ、安斉、道徳も、茶湯の後住は此若坊主也、といはるゝ。此消息長文にて、暗記の事はたかはすとも、前後有へし、難波人のもとにて一看せし也。

【二四】利休の英傑、是にてしらる。惜むへし、文雅なかりし故に、分上を過て、死刑を賜ひし也。

【二五】遠州の文はほとゆく、装演して壁にかけらるへく、巧まれし者也。

【二六】遠州公、奈良に遊はれて、茶人をとむらはれしに、西福寺と云貧寺の住僧に招かれしに、唐物の茶入の袋なきに、よき茶を盛て点しすゝむ。後に薄くと乞れしにも、同器にてすゝめられしと也。遠州公云、今度の滞留、此席にとゝまりしとそ。

【二七】康煕帝の聯句に、

日月燈、江海油、堯舜生、湯武旦、曹莽外、末丑浄之脚色、天地一大戯場已

と。大器の言感すへし。夷狄の主といへとも、人道をよく熟学して、如是の大言あり。先祖は女直国と云夷にて、朝ゝ尿水にて、面を洗て清しとする国也。よく治(十八ウ)めたりといへとも、天地の永久にくらへては、一瞬息の間也。夷狄いやしむへからす、中国と驕りて代ゝつゝかす。千百年眼と云書に、韓信か乳児ありしを、韓高しらさりしかは、簫何あはれみて、食客に抱かしめ、南蛮の族に養はしむ、蛮人尊崇して、君とかしつき、明にいたりて、其子孫綿ゝとつゝくこそ。周道〓七十年にして衰ふ。漢は高祖の骨いまた冷ぬに、呂氏の乱あり、八百年、四百年をとなふれとも、干戈百年の息なし。

【二八】皇邦のたふとき事、神代はさておきて、人主十代か間、史に記すへき事なし。崇神の御代に武埴安か反逆して、いとみし後は、時ゝ王孫骨肉の間にあらそひ出れと、即治まりぬ。応神の朝に儒書わたり、博士の教へをうけてより、人の心あしくなり、簒位の事度ゝあり。仏法も欽明の御時にて、福徳果報を得へし、と百済国の表文に、上なき御身にさへ心蕩かされたまひて、修行あらん事を臣に問せたまへは、物部尾輿すゝみ出て、神代より天地神を祭りて、蕃神を入たる例なし、若是に地をかしたまはゝ崇りあらんとそ。忠誠の言に伏したまへと、猶修せんと思ふ者に附与せんとそ。蘇我の稲芽、我修せん、と乞て向原の家を寺に捨て、信心怠らす。此徳化にゃ、蘇我三代の繁昌、古しへにくらふ者なし。尾輿は守屋にいたりて、穴穂部皇子を立んと云。王臣状せすして亡ひたり。馬子か猛威、いにしへより例なき女子を立て夾み、廐戸を嗣君としたれと、四十九歳にならせたまふまて、禅位なかりしは、皆馬子か計策也。其子蝦夷、入鹿にいたりても、朝政をほしきまゝにして、女王のゆつりませし、山背王をしりそけ、田村王を、遺勅也とて帝位にのほす。いかなれは、山背王、父太子の修行を嗣て仏を尊敬したまひしに、御父子とも験なくて、ついに入鹿か為にせまられ、経死し給ひし也。是より乱れて、王臣時をうかゝひ、世乱るゝは、君の上に聖仏ありと民も思ひて、上をあなとり、おの/\私意をかまふ。皇極の重祚、いにしへに例なし。天智の英智、是をよく忍したまふは国法也。大友の皇子を愛して、年廿一にて、太政大臣に任せしめ、万機をつからさとらせ給しに、群下肅然として従ふ。是に試みて、廿三歳にて皇太子にあらせ給し事、兄弟の君たち、ひそかに伏せすして、叔父の天武に内応して、遂に大津の宮は亡ひたり。此大友は長子にて、学才文雅に長したまへと、伊賀采女の腹にて、王臣伏せす。是此国の俗習なり。大友亡ほされて後に、柿本人丸、高市黒人等、此都のかく荒たりとて、ひそかに悲傷せしは、大津の忠臣の子孫ならん。都のあるゝと云事、かなしみし例なし。いにしへより代ゝこゝにこそあらね、

皇居のうつりかはりし事、吉例のやう也。今の伊勢のかん宮に廿一年の遷宮あるは、其跡にならひ給ふか。奈良にいたりて、七代の皇居結宇の、美にして広大なり。又、寺をたて給ふ事、昔より此時にさかん也。東大寺の毘盧舎那仏、堂観の大なりしは、帝の福果のなす所にてや。されと、悪僧等帳内に出入して、婬奸の事悲しむへし。玄〓、実忠、道鏡等妖魔の所業也。是より我国は、土風変りたるやう也。孝謙の重祚ためしあれと、道鏡に婬して皇統を断んとし給ふは、いかにそや。宇佐の神勅、和気の清丸か忠〓にして、事ならす。清丸庶人に貶されて、大隅に漂泊す。道鏡亡ひて、又朝にかへり、忠直の功大なりといへとも、老て中納言にとゝまりし事、天福のかろきなるへし。桓武の遷都、七代の結宇をにくませしを思へは、長岡は陜隘也とて、わつかに十三年にして、今のたひらの都にうつさる。又、堂観宮楼の美、奈良にかへさりしはいかにそや。いにしへの野中古道改給は、何かゝあらんや。野中古道のおほんは、いたつら言にそなりき、嵯峨と平城の御兄弟中あしく、又、淳和の御時に、淳和院学校をたてられ、仁明にて奨学院の創立、儒道を重んしたまへとも、仏法の為に矯められて、名のみの道学也。これより代々に改りて、いにしへの跡はなくなりし也。

【二九】唐の盧全か盆上の点法の図あり。即、盧全と後より名付しは、今点法家に云、乱かさりと云に似たり。又、続説郛に出し玉川煎之図は、中々たかひて、今はこゝろ得かたし。是によりて、点法の自在なりし事をしらる。

【三○】茶筌の制、いにしへは片筌なり。筌は筌にあらす、帚也。輪帚と云し物にて、器を滌ふ具也。即、今のサゝラと云に同し。紹鴎是を用ひて、一統によしとす。筌の寸法、いにしへ長きをはかりかたし。京町の盂羅盆会のをとり子のはやしものに、

        六寸六分の茶せん竹、末は殿御の筆のちく、

とうたひし也。大体是にてしらる。茶経に出し図も長くて片筌也。

【三一】茶はいにしへ、嵯峨の朝にわたりてさかんなりしか、一たひは廃して、建仁寺の栄西、入宋のかへりに、茶実を取てかへられ、先つくしの背ふり山と云に植られ、都にかへりて、栂の尾の明恵に五顆を贈らる。明恵是を培養して、高雄、とかの尾の間、茶相応してひろかりしより、とかの尾をほんの茶、宇治を非のちゃと云し也。狂言の茶つほのうたひものに、我等か主人は中国一の法師也、非のちやは常にのめと、ほんの茶をのまんとて、粟五石にかへて、もとめくる、とかの尾につきしかは、峰の坊、谷の坊、中にもすくれしは、あか井の坊の野風を十斤はかり、此壷に、とうたふたそ。今は絶てあらぬ所となりし。老かせん茶の歌に、

ほんの茶非のちや宇治の非の茶は常にものめと、昔しのはし、高尾、とかの尾の本の茶は、さそな色も香も清たき川の水のしら波の、あはれ、昔忍はし。

今又、小山か  の尾と、いふせん品を商ふ。中品の上にて、我常にこれをもとむる也。

【三二】ことし此あたりの園を買て、せん品を製す。閑斎、春作、つかさとりて、法を得たり。伊予の大洲の神人に習ひしとそ。かの土の茶は、昔よくしりたり。鐺制にて下品也。此茶は此神司の修し得られし物か。銘をおのれにもとむ。南禅、北禅のあいたにあれは、禅林と銘して、のりのはやしとよむへし。好士なれは、栲亭子に贈たり。詩一章をもて報せらる。其詩、

  茶性尤(好)清縁地、禅林南北碧山横、山霊不惜精英気、悉問無腸手裏呈、

と。此詩に和して一礼す。

  おのかあたり禅の林の園の茶を君試みよ先呈(タテマツル)

茶煎品さかんなりといへとも、点家の饗式、且玩器の珍物に推れて、対とすへきにあらす。しかれとも、貧士に遊ひとなりて、文雅風流の味はまされり。

【三三】茶と湯は別式也。

東〓、恵泉を〓せて〓せし例なり。

僧家には今もしかり。

当山の法〓に、茶を点み出さぬ前に、湯を出す。

〓上に木〓を横たへ、是を〓とゝなふ。

湯に香煎を

投入ある故也。

然後に点茶を出す。

給仕の僧、前に上坐より、〓を〓にすゑて配りおきたる中に、〓茶有。

さて、湯瓶に〓をくはへて持出、立なから湯をつかんと云に似たり。

客僧、〓、〓、ともにさゝけて湯をうく。

湯をほとよくつきて、瓶を左手に持かへ、右

の〓にして右手に〓をとりて点し、次々かく也。

又、曹〓家には、茶の前に出す湯の〓

上に、楊枝をよこたへ、是に〓のかたへ、小梅の干たるをつらぬき、柄のかたは花ほろとかをけつりかけたる、是にて湯を和す為也。

〓中に糖蜜あり。

客先小梅をくひつみて後

に、湯をけつりかけし方にてよく和し、飲む也。

点茶式に、先薄茶をすゝめて後に、茶を点し、又、後にうすく立てすゝむは、始のうす茶の式、僧家の湯を出すに劣れり。今は前の薄ちやを略す。さらは、三度の饗かへりて興尽たる故なるへし。

【三四】栗田山の北の麓に、善補と云し貧僧有。伏屋の窓より匏を出して、大道ゆく人に米銭を乞ふ。茶を好みて、手とり釜ひとつに粥を煮、又、よく洗て、湯をたきらせ茶を点す。人しりて入て乞に、よろこひて点しすゝむ。

        手とり釜己は口かさし出たそ雑炊たくと人にかたるな

太閤きこしめして、利休を御使に、その釜提て来て点せよとそ。善補大息して、あみたか峰の貧道、おそろし/\、とて釜を投て破棄たり。利休この釜を乞て、伊勢の安濃津に、越前と云釜師に命して鋳さしめ、御覧に入。安濃津の城主田中兵部太輔へ感状あり。今其うつしの釜にそへて、栗田口の一院に納めたり。此事を堅田有庵か、不文なるまゝに添書せし也。

【35】有庵は易牙の流也。よく、食味、水品をわかつ。茶人の一挙也。

【36】藝技法あり。李笠翁か、有法の極無法にかへる、と云しは宜し。初めより法なくは、次序手乱りて興なし。法に繋かれて活動なきは、死物の業也。法を脱して無法に帰する事、其時に臨みて機あるへし。点茶家は是をのかるゝ事えせす。是を茶奴と云へし。

【37】南郭の詩を講する席に、真淵ありて、講竟りて談に及ふに、先生の詩格、近世に名を挙たまへり、たゝ唐の格調にのみとゝまりて、古雅ならぬ者也、よく思たまへ、と云。先生哂ひて、詩は唐三百年にとゝまる、初唐の格は気高くして及はす、中唐、盛唐に倣ひて作る也、汝弱生いかにこゝろ得し、と云。真淵云、今日の講に、汾上驚秋と云る、北風吹白雲、万里渡河汾と云二句に、客情尽たり、心緒逢揺落、秋声不可聞とは、上の二句の注に似たり、国風の古雅には是無し、然とも、三十一言に法則定まりては、長/\し夜を独かもねんといはんに、上十七言は文装なり、関々雎鳩、在河(之)洲、窈窕淑女、君子好逑のためしなり、又、国風必くた/\しからす、孔子立川上、悠哉々々、逝者如斯、昼夜不舎、人丸の、いさよふ波のゆくへしらすも、と云には多言也、と云しとそ。南郭頭をたれ、三十前遅く江に世に出たらは、汝と詩をかたらん、とて黙したりとそ。

【三八】煎茶の行はるゝ事、西土、明の世よりか。

点服胸膈を寒きて、弱壮には害あり。

是気のみならす、味のこまかなるを服する故也。

こゝには寛保より遊外子に行なはれ、京師に先開けたり。

茶器は皆唐山の新製にて、古物を好ます。

気韻を損害する故也。

茶瓶一席に捨て、又新たにす。

是清韻の興也。

いかに清むるとも貼る着して、又の煎に害あるへし。

【三九】茶を婚姻の聘物に贈る事、明の陳悔徳の天中記に見えたり。

凡種  茶、必下  子、移植則復不  生、故故【まま】聘婦必以  茶為  礼とそ。

移しうゑて枯るは、再嫁の名を忌也。

この村中に一農夫か云、茶をうつし植て枯さぬ法あり、枝葉こと/\く芟去て、其根をよく築固むれは、複生す、哥あり、つけはつくつかねはつかぬ茶の木かな  とかたりたり。不幸にして再嫁の女は、父母の教戒のかしこきに、貞操を固めて、又帰るましき  。

田夫の言も聞すは有へからす。

【四○】又、人のみならす、不幸と幸とあるは、制茶、京師の茶舗に入て品第をわかつに、もとむる人、かの家なるはよしなと云也。

冥福茶神たも是に頭を下して品第を受へし。

【四一】天と云語は、儒士の云所多端也。

仰きて見るも天也。

冥福も天福也。

美名を得るも天とす。

仏氏は天帝も我にくたりてつかふと云。

此国開初に云所不  可  計。

理数にのかれて、是を用ふるもよし。

【四二】近曾、神学とゝなへて  論さかしく、又、こまかに云は、少年の徒を  くのみ。其談夢かたりに似て、筆研のついへとなる。

是に参りて聞人は、学文をせすして、人に対し、心高く思ひあからんの癖也。

やゝもすれは、儒仏わたらぬ前に心をかへして思へ、是を復古と云へと、古に復する事なし。

古を見て学ふとも、凝古也。

公朝の政令、治世につきて改まる。

さて、国初を思ひかへせは、古に改むへきにあらす。

国の広狭につきて  く改らるゝ事、治世の政令也。

飲食、服色、言談、日々にうつりゆく事、いかにと云や。

下世の人慾を名利として、開初の人情にたかへる者をや。

【四三】夏伯菴と云人の、隠士好名、禅僧好名、隠士喜著書、立言好名也、禅僧喜開堂、説法好  名也。

名利に走らさるをよしとすのみ。

今日の僧俗、有髪と頭  の定あるに止へし。

【四四】四時に生する草木鳥虫の類に、遅速ありて、暦書にたかふ年あり。

梅の  月より咲て、二月にいたるを時とす。

梅は春さく物とするはいかに。

西土の人、梅花帳をたれて梅の含むより、落  にいたりて帳を出る。

寒をいとふ事、年々に同し。

  は冬の中に山を出て、春を告るといへとも、其音はひとく/\とのみに声聞へからす。春気みちて、木つたひ鳴をおもしろしとすれと、夏山の陰にこもりて囀る音、宛転低昴曲をつくす。

是を流〓と詩人は云也。

牡丹は夏の花と云式あり。

詞花集には春の哥に入たり。

はつか草とは、開落二十日と云楽天か句によりたる也。

一花〓日有にあらす。

是を花王と貴ふ事、唐の玄宗の時より也。

  人薪とせし古しへに似す。

白、紅、紫、丹、くさ/\の品あり。

黄、魏紫と【の】み賞ありしかと、王敬美か黄花をたま/\得て誇りしに、翌春は白に変したれは、我  かれぬと嘆せしとそ。

木  薬と云名古し。

草  薬に対してなるへし。

木  薬を花王とし、草種なるを  相と云よ。

又、牡をたふとひ、  をくたす物故に、草種は        。

しかれとも其名なし。

凡  牡の分、人のみ  を貴ふ。

鳥獣花  、皆牡をたふとしとす。

よく見れは、人も男子は衣帯粉紅なくても清し。

女子は仮粧せねは人に見へす。

是劣る所なり。

【四五】人の園に牡丹を多く植て愛す。

花の時に客の来たるを栄とする也。

園中をめくれは、此花の香、濃くてうたてし。

是につきて、楊大妃の、腋臭ありしと云に同し、さらは、名花傾国両臭香、といふへし。されと、明皇の臭にたへしは、橘柚の香をにくみ、        をよしとするに同し。

花を  に調してくらふは、一時の風流のみ。

【四六】郭公は、西土にては、必春の末に鳴と云。

夜鳴を忌きらひて、詩には作る也。

こゝには、初夏より中夏にいたりて、もはらと啼。

夜鳴わたるを最勝として、哥にはよむ。

思ひ寐の  にも、一声鳴てわたらんには、しはしうさ忘らるゝものから、是を忌むも凡例のみ。

【四七】  麦の夏花といふも、秋かけて専ら也。

秋の七草一種とかそへたり。

後撰集には、十月になてしこを折て、隣へおくりし哥あり、さらしなの記には、もろこしか原を行に、夏ならは大和なてしこさかりそ、と云。

もろこしか原に大和なてしこと云詞おもしろし、とて行て見れは、霜かれの野に、はつかに咲のこりたりと云よ。

木槿は夏より秋にいたりて、朝々さく。

朝顔といひて、秋のなかめとする事泥めり。

すへて、諸木諸草の花、鳥、虫の音、時にさいたち、時におくるゝをかへれて興すへし。

【四八】点茶の家に炉をふさくは、必春の末とす。

寒尽されは泥むへからす。

夏  料  理  客  の          に  先  こ  さ  れ

と云俳句活機なり。

四時と見れは、牡丹、藤、山吹、かきつはた、春夏の物と云へし。

朝  、なてしこは、夏秋かけ、紅葉見るは、必しくれに袖かつきて、山へにゆくは、十月の半にいたりそ。

さらは、春夏秋冬の時々をわたりみえて、見るまゝに哥はよむへし。

式といふ物に泥みて、天地に私する、風流の  也。

【四九】桜を七日の花と哥によめと、是は万葉集に、飛鳥の都人の難波へこゆるに、竜田山を行て、さくらの花盛なれは、我いきゝは七日に過し竜田比古ゆめ此花を風にちらすなとよみしかと、其あした御使よくして、又此山をこゆる哥あり。

【五○】高ねの雲の花ならはちらぬ七日ははれしとそ思ふ、とは、世外の法師の哥ともなし。

すへて此法師は、よしの山の花さへよめは、雲と見て云は  也。

花を雪よ雲よとは、さはく人一二人はしからん、と真淵か云しはよし。

法師の哥、塵外と塵中の別あり。

塵中の哥は、人つたへてよろこふ。

さすかに世に交はらしとすれと、名利はほしき者よ。

【五一】桜を七日の物なるを、泰山府君にいのりて、  日散さゝりしと云は、遅さくらの八重なるは、山陰ならは  日へなん。

桜町の中納言も、父の信西入道には才学劣たるよ。

【五二】信西の子時尚といふ人、罪にかゝつらひて、東の国につかはさるゝ。

人とよく和して、みやこ人よと貴ふか、陸奥にさすらへし間に、黄金あまた恵まれて、都に上りて、南禅いまた仏地ならぬさきにこゝに住て、その黄金は地にうつみたりしとそ。よて、金地院の寺号はある也。

【五三】老か  る院の西福寺は、そのかみ円光大師の、勢観上人へ附属ありし、立像の如来を安置せし  の跡也。

大師の縁起に、勢観上人の法性寺の傍に  むすひて、三七日の念仏会修行ありし跡也とそ。

このあたり、すへて御堂殿の法性寺の地に入しか、今は南禅寺の地内也。

そのもとは禅林寺とて、真如親王の創立ありし所也。

法性寺の壮観なるに、地は狭められたりけん。

栄花の物かたり、うたかひの巻に見れは、あきらか也。

白川も法性寺の東門に流て、西にめくりて鴨川に落る。

今の白川あるさま也。

亀山法皇、又南禅寺を建立ありて、北禅、南禅の別号はありし也とか。

かく仏因の地にて、今に梵鐘の声日夜たゆる事なし。

【五四】大仏殿炎焼、京師の人、あらぬ事に変したりとて、  かぬ人なし。

されと、其もとは六波羅野と云て、  野なり。

六波羅密寺の創立や初なる。

平相国の威勢に御所とゝなへて、一たひ帝の入せたまひしかは、天下の朝官の人、皆之に参候せしむ。

大門は帝王の入せしとて、腋門より、関白といへとも、参退ありし也。

三十前にて亡ふへきにあらす。

国泰院の大仏造立ありしに、又さかん也。

是も焼亡して三度也とそ。

蓮花王院のあとのみ、変らすてたてり。

よこ思へは、はしめに原野なりしを問て、亡ひしを悔るへからぬ者  。

【五五】洛東のみ残りて、長安といひし、西の京はなし。

今はもよ片われ月の八重に東の寺の西にたつ見ゆ  東寺のたてる地は、むかしは東の京なりしかは、又西寺の号もありし。

朱雀大路は今の千本通にて、大八丈といふ。

東西の寺のあいた相望事は、烟霧へたつへし。

今は、京も上京といふあたりは、  ゝにおとろへて、中京より下さかん也。

栄枯の事、人の便にちきてしかれは、恨む事にあらす。

【五六】我難波、昔は東の生島の郡を大群といひ、西を小群といひし也。

今見れは、大群はかへりて小群にて、西の郡海をうめ、地を広めて、東郡に倍すへし。

【五七】河内は水国也。

凡河内の国と云しにしらる。

仁徳の仁政に、横ふさきて田畑多くならしより、後も天造にて、度々水害にあふ也。

人工の天造に克へからすといへとも、又、人工によりて良田多くなり、上国の数に入へし。

其国人は、必水害を思ふて、家つくりて住へし。

河内の国より摂津に入、津の国より河内に落す川、  たかへしによりて也。

其名を改すそあるいはいふかし。

茨田郡のまんたと云里、ばんだとゝなへて、津の国に入たり。

枚方の駅の東北にて、つの国より、又河内に入たり。

昔は川の流さま/\にて、貫之か土佐より上られし時は、山崎まてを二夜のとまりありし也。

海舶の入しとて、山さきのつくし津とうたひたるよ。

【五八】長柄の豊崎の宮の、くはしくしられす。

そのかみ、生島の東の郡を大群とよひ、西を小郡とよひしは、堀江川より西はなへて川洲にて、海潮の満干ありしかは、帝居となるへき平原のち有へからす。

並川か摂津志に、長柄の三村の内に本壮と云是其跡也、豊崎の森という、今は午頭天王のあり、即是帝居の所なり、と書したるは、里正足立氏、神をまつりて、その家に云つたへしを、書したる者也。

千歳の後にも  河洲のかたちにて、海潮たゝへ、皇居在へき地とも見えす。

里の名は、乱世にこゝかしこと移り行に、里正のこゝと名つけたる者にて、必よりかたし。

其北に、今の中津川を隔て、山口と云里あり。

こゝは地丘めきて、松林深きに、神あり。

稲荷を祭る事、何のいはれをしらす。

松林の東に隔て、寺あり、禅寺と申。

細河頼之の創立という。

松林を禅寺浜とよふ。

是は、中世なからの浜の浜松、とよみし所也。

松林の南に浜村と云名あり。

松林の北にあたりて、宮か原と云里あり。

宮と云は帝都に呼名にて、今神社の、王族ならぬを宮と呼は転語也。

されと、此里二村ともに湿原にて、丘陵にあらねは、是も里正にうつりて呼たかへしなるへし。

松林の処東南に続きて、今に丘陵のかたちして高し。

若水害ありとも、此あたりにはへす。

松林の北にたゝに傍て、淡路の庄とよふ里あり。

是は、そのかみに、難波の宮に聖武の行宮ありし時、八十伴の男は、味生の原にして警固ありし、とよみしに叶へり。

此味生を後の和名抄に、東郡に属して味原と書しはいふかし。

桓武紀に、生野、梓江、神下をほりさきて、三国川の水を海に通せしむ、と有は、摂津国は、そのかみまて職ありて、守の任にあらす、古宮の備へに、水害をつかさとりて、かく水脈をほらせられしなるへし。

三国川は今の神埼川也。

三国のわたり今も在り。

又、文徳実録に、摂津国言、長柄、三国両橋断絶、請堀江川、以舟二艘通剤、許之、と見えしは、摂津の職を停められて後也。

梓江と云里名、今つたはらす。

神下は神嶋なるへし。

神埼神嶋川をへたてゝ、河南を今は加嶋とよふ。

荘六村ありて、三国川の水を海へおとすには、必この神嶋の荘六村の中を通すへし。

加嶋、三つ屋、今里、新在家、野中、堀上、六村也。

神下とは、神埼を上にして、加島を下村に呼しなるへし。

豊崎と云名つたはらすといへとも、河の北を豊嶋郡とよへは、神嶋、神さきの例にてそありしならめ。

並河か志に、味経を島下郡に属したるは、ふかく考へさるなり。

味舌と云字にかゝりて、誤まりしなるへし。

又、孝徳紀に、長柄の宮におはして、味生の宮に御経転読ありて行幸、と見えし也。

水国の地いにしへならぬには、定めかたく考へかたし。

たゝ帝都とすへき所、このあたりにては松林ある地のみ也。

又、長柄と書しは長江の義にて、大江、長江同語也、と云任ありし。

かよひたけれと、名柄の宮書たるには、加の字くはへてよむへきにあらす。

いつれ思ふに、長柄の宮は此松林あるあたりなるへし。

都と云題に、  飛鳥よりうつりてみれは豊崎の長柄の宮も河洲也けり  孝徳帝は温柔の君にてませしに、何さまに思し召して、こゝには移らせたまひけん。

天智の飛鳥にかへらせしはことはわりなから、皇居をまていさなひたまひしは、天智の英傑のなす所、孝徳々とみたまひて、弱君なから、帝位を又姉上皇にかへし給ふは、        のなす所也。

すへて此代々の事、紀にもたかへしと思ふは、国史の撰三たひに及しをもて、いふかしむ也。

【五九】才は花、智は実也。

父帝の  遇に過て、才にほこり、骨肉にしたしみうすかりしかは、叔父に世を奪はれたまふ也。

天武は智略の主也。

一たひ僧となりて、よしの山に入、時を待て兵を起こし、大津の宮を返し給ふ也。

【六○】大友の才、唐使  高徳に相せられて心  り、大津の才、行信といふ僧に言を巧まれて、反逆を思ひ立たまふ。

すへて智は足ぬ也。

【六一】鎌倉の右大将都に入せし時、宋の陳和  と【云】有髪の僧来たるを召れしに、和  いなみて申、大将殿は天下を治めたまふ大功はおはせと、人命を多く  したまふ者故、僧たる者の拝すへきにあらすと。

大将との咲ふて又召れす。

大将との  去の後に、鎌倉に下りて、実朝公に  し、面相して涙潜然たり。

いふかしみて問たまへは、君は、前生、  山の我師の、この国に再ひ生したまふ也、御面相、挙動、こと/\く同し、とてさめ/\と泣。

此阿  を  んせられて、西土にわたり、  山を見んとて、大船をつくらせしかと、舟工  にて、人多くのれは、海に沈没す。

故に停まれし也。

才に  りて、かく人に超たる所おはせは、北条義時おそれて、公暁と云僧にさせし也。

才の花々しきは、哥よみたまふに、其世に忘れたる古調を思ひ出て、専ら万葉集に習ひたまへり。

定家、この公の哥を見奉れは、此道の物うくなるよと、老て悔みたまふと也。

【六二】才は花、智は実、むすひとゝめて、利益ある事まされり。

才子はすゝみて陥し入らる。智者は静まりて、時を待て起る。

故に、智者の才を兼ねたるも、智にこめられてあらはれぬるあり。

【六三】煎品は才也。気花ありて、味薄し。点品は味こまやかにて、胸膈を塞き、病をまうくる也。すゝめは病なし。とゝこほれは病む。才智兼備の人、いにしえより稀也。吉備公は才智兼備、菅公は才花々しくおはせりき。

【六四】黄金の性は悪也。よく人に招かれて、至れは、又其家に害を起す。銭は善也。利薄き故に、人つむ事をつとめす。日々に散して、貧屋に力をそふる也。

【六五】才は強に似て弱、智は弱に似て強也。天稟なれは、各いかにせん。たゝ公朝をおそれて、才智の人々事をなせは、いたりては一般なるへし。

【六六】才の清、智の濁、相叶はすして相交はる。是群に出し人々なれは也。

茶〓酔言(異文)

〔一〕前の清風瑣言に云あやまち、且云漏し、又、後来に見聞し話説を、此頃の朝茶の酔こゝちに云ん。煎、点共に、益有事は目をとゝめよ。無味の酔泣と思ふは、一煎の滓とゝもに棄去へし。

〔二〕茶の字、陶説と云書に、晏子春秋に、有茗茶之食、又漢王褒童約有買茶之話、晏子は後代の譌作と云説あれと、それとても秦漢の間なるへけは、古書と云へし。按するに、茶は荼の一画を省きしに倣ひ、一字一物の用をなせと、 字也。荼は苦菜の名、一物ならす。茶は其一種にて、制を用ひさる初めは苦渋なるを、制の精しきに及ひて、甘味を出す。物皆熟制して、本味を変し、且熟味に功有か少なからす。和名抄に、人参を久乃為と云名は、基本味熊胆と相等しき故なるへし。宋元の薬制に、甘味と成て、専ら補益の功あり。茶も寒冷の性、熟制して温物となるを、我試し事清風瑣言に既云り。人〓の苦味、心下を圧す事、長沙の聖制に云所と、同物如是にたかへり。

〔三〕茶は音さ、チヤと云声無し。或人三韓のこゝに混ぜしかと云は、一説也。前に云し大和物語に、良峯の宗貞、五条あたりに一夜雨やとりせしあした、主の女、菊をむし物にして、ちやうわんに盛て出せしと云は、茶碗をなたらかに云しと思ひしに、碧厳集に、椀楪は物二つにて、楪は蓋無き物、今も楪子をチヤツト云、即膳具の一箇也、さらは字音に非す。〔一八〕

〔四〕蘇東坡、仏印の許へ使を来せしに、尺書一言なし。其使の有様を見さするに、老僕草を刈りて、頭上に戴き、己身は木の根に腰を倚たりと云。仏印哂て、茶を乞に来せしよとて、佳茗一壷を餉られたりとそ。才を戦はすも如是。言無きか興あり。人の頭に草を戴きて、木に跨かりしは、茶の字様也。

〔五〕茶の制、西土に習たれと、近世渡るは疎品にて、賞翫すへからす。上品も有へけれと、試されは云へからす。前に、建渓、北苑、武〓の品第を云しは長談なり。此頃、二条烏丸通小山某と云老舗に問へは、点茶は宇治の官茶の任にて知へからす。煎品は旧業なれは、大略を申へし。江州甲賀郡信楽山中に、上制を出す五村あり、先富川村に十余戸、次に納所村に六七戸、次に桶井村二十余戸、野尻を本処と称す、山吹、一森の古名此二二村に呼初し也、次に浅宮上下二村に廿余戸、此両村に青茶と云制は、御詰茶の脇箱を詰る品なり、茶の名品第、制家の茶舗に試て定む、是年ゝ機に臨みて疎略ならぬ成功也。唯熟不熟は天の気候雨晴によりて、焙炒の工も是にあやまたるゝ也、又、同郡政所村に上品を出す二戸あり、松の波、霜の花は、河井氏に制す、此余に、同郡隣村制家多くあり、又、宇治の煎品は、喜撰か嵩の山足池尾村に出して、喜撰とつく、此里、寛保の比に初めて上制を出し、宝暦。明和に専ら也、其始は芝氏二戸也、今は十余戸と云り。又、笠取と云茶、醍醐の山中の出つ、又、宇治の田原郷、陽屋谷、其余にも、年ゝに制家増せり、是等すへて茶舗に試みて、名題を定む故に、一定無し、点品も宇治の官茶に習ひて、戸ゝ余多のみならす、隣邑木幡、大宝寺の制戸許多也と。いつの比にか有けん、信楽の茶摘時に、牛飯の憩みはてゝ、又園圃に出るに、あやしき木隠れに身をひそめて、二人行者あり。背につゝら篭を負、頬おしつゝみてみゆ。若き者ら五六人、追いつきて声をかけ、捕へてみれは、此近きにすむくす士の主従也。負たる物を明みれは、茶の葉こほるゝはかりつみ入たり。ぬす人なり、皆こよ、と云に、又十人許追つきて、取かこみたる中に、さかしき男いふ。此三四日、又其前にも摘あらせしを、あやしと思ひなから過しつるに、さては薬士にてはおはしつらめ、人の病をなほさすして、野あらしは何事そ、と云。ゆるせ/\、といへと、皆眼をいからして、里正にうたへゆきて、取かこみ行、門に入て庭に引すゑたり。長出てみれは、うてへにたかはす、此山中に久しく住ておはすには、知らすあらん、旗鎗緑嫩の時ゝあるを、其分なら摘れしはぬす人のしわさなり、と云。くすしたゝ手をしり、頭を土につけて、赦したまへ、いかて心とりならむ、狐のつくてるにや、と云。長咲ひて、狐にてそあらめ、渠はむくひあしくする者なれは、あらくなせそ、神送りしてかへせ、と老たる者に目をくはせて入。いなり殿の御罰恐し、よくしておくれ、とて彼つゝら子を又おはせ、清き藁もてしりくめ縄なひて、身より篭にめくらせ、小豆の餅十はかりわらにぬきて、首に懸させ、口ゝに手拍子打て、稲荷殿の御かへり候、とはやし立おし立行。里ゝ戸毎に門立して、あな身苦し、病すとも誰かむかへん、とて爪はしきしてにくむ/\。後はいつちへ□かへ行けん(ムシ「住」カ)。奥山里にも、所につきたる盗人はあんなりき。〔七・八〕

〔六〕出雲の国の山僧、都に遊ひて、我煎品を撰ふと聞て、人によりて国産の茶を贈らんとて、先六韻を寄らる。不老多奇勝、園春瑞草生、候帷須緑嫩、採那旗鎗、気与巌僧潔、味留雲脚清、兎山真可敵、鹿谷莫能当、換骨嘗三椀、忘眠到四更、非縁君一顧、安取大方名。かく聞えて、今や五年を歴れと、茶は餉らす成ぬ。同国の僧にあひて、談此事に及ふ。僧後に本土に帰りて告てりけむ。又一僧、言をつたへて来たる。鰐淵の茶、十余里の峭嶮を隔て得やすからす、今年のうち必おくらん、とそ。実にさる事有し、忘却の疎情、言を企すやいはむ、と一咲して止ぬへきを、今や贈らすともあれかし。文人の軽薄、此ことき人多し。〔九〕

〔七〕茶をチャと呼事、其事の因ところを知らす。たゝ国風には字音として詠格なし。たま/\春の若草と云しは拙成。老も、春の木の芽を摘て煎て、と云しも亦拙なり。ことしの春のあしたに、試筆とて打出し哥、

  うは氷春をとちむる谷水をぬるめりちいひてけさはくまなむ

  暁にいつも汲水沸らせて煎る茶を今朝は春の初花

  濁らしと世はのかれぬとたに水に茶を煎て心すますはかりそ

  酔といへは同し乱をすゝる茶にしはしも心すみてあらはや

  世のひとに苦し渋しといとはるゝ飴やなつなにたとへられしを

  あめ薺たとへしや何からき世をしのふは苦き茶にあらしてふ

  すみにこるはしにあらないといひし人茶にも酒にも心あらすて

谷水は、此山の最勝院の滝の末の、我垣もとを流過るなり。一にはこまの滝と呼り。彼謝康楽か、井に代て汲、といはれし流は、いかなりけん。さて、此歌ともよしとにはあらす、老か口にしらへ叶うへれは、云なくさむのみ。〔一〇・一二〕

〔八〕字音にて、例格なき物にも、詠出せすはと思ふ物也。海藻、美容、水仙、茶、梅の色香殊なるもよまて過すとや。菊は字音にのみへいと、からよもきと云名の宜しきをや。桔梗をきちかうと音にいふはむへ也。蟻の火吹と云和名はありとも、芍薬をえひす草、いかてよまさる。鎌倉の大臣の、我宿の八重の紅梅咲にけり、誰か口にもしらへ叶ふへし。詞家は万物の当すへきをもらさす。さらは、かたくなゝる哥よまんより、から歌学ひて遊はゝや。

〔九〕人の園に牡丹を多く裁て愛す。花の時には客来たるを待か如し。老もゆきて見るに、実に、色あるもしろきも、異花に勝たる。たゝ香を憎む、葱をよろこふ、かた/\よらすにはあらぬものそ。老はこの花の香を臭也と云て、独言す。名花傾国ふたつなからに臭とやいはん。楊太妃の肥ふとりて、腋臭を患ひしと云には、それも明皇はよしやとやおほほしけん。さて、この花を牡といひて、牝とさすは、いつれ木芒薬の名によれは、草しゃく葯と云、えひす草やそれならむと思へと、人云はす。丹紅のみにあらす。此種唐よりいにしへには人当せす。王敬美、是得てほこりしに、其あすの年の春には色変せしとそ。敬美歎息して、我あさむかれぬと云しとそ。膾に調してくらふこと試みしに、一時の興のみ。又おもふ、花のみならす、鳥けた物にも、牡雄、雌牝にすくれて羽毛麗はしきに、人のみ女子を美艶とする事いかにとて。又々思ふに、人も男子は化粧せす、髪にかさりを用ひねとも、うるせくも見えぬを、女子は一朝の洗盥梳を怠りては、紅粉もほとこしかたくて、あした面なみとは、別れに袖覆へる、見おとりを患ふるなり、さては人も男子勝れりといへは、坐客一笑す。此花の名、こゝにはあ廿日草といふそ。古きそれは、開落二十日と楽天か云しによりて、ここにも、花のもとにて廿日へにけり、とはよみし。必一花の二十日を経るにあらす、枝ゝ咲かはりて日をふるにこそあれ。物のすへてはしめに呼に心をたかへていふか少からす。桜を七日のさかりによみたるは、

  思ひやる高ねの雲の花ならはちらぬ七日は晴しとそ思ふ

といふ。又、同し頃の人の、泰山府君にいのりて、久しくちらさすありしと云は、物語にてそある。たい山府君と呼は、八重咲にて散か遅しと。是を七日といひしは、万葉集に、難波へこゆる使人の竜田山の桜を見てよめる、

  我いききは七日に過し竜田彦ゆめこの花に風にちらすな

とよみしは、おほんを承りて、かしこにあらんは凡七日には過し、と云心なり。さた事すみやかにはたして、其翌叉ここを越てよめる哥、次に出せり。竜田比古の神あらひたまはぬ中に、叉見て過るを喜ひしそかし。七日とかきたるにはあらす。すへて日数を経る事、定数をかきるへきかは。古事記に、八日八夜、事打やめて遊ふ、と云るに、凡を云のみ也。叉、深見草、いろ香をいはねは拙也。富貴草と云は、此花の咲て饒なりと云にもとつきたれと、猶尽さす。ほたにとよむ人は、すこし心えたるやうにそある。老か絵に題せし。いろにこそ物思はすれおほけなく国かたふけにさける花かは

叉、楊妃の一捻紅と云に、

  いささめの色にそみても其君のおもかけみする花の名たてに

香は好まねは、いはすそある。

〔一〇〕水のえらひ、茶より疎なるへからす、茶神、水に損害せらるる事多し。清風瑣言に、雨も、秋雨、梅雨はよしと云しは、西土呉〓の地、美泉なき故に、雨水の甘重を喜ふにつきて、筆あやまちし也。雨はいつにても、甘重に過て腐れやすし。必用ふへからす。

〔一一〕水の性清きも、須臾に変するにつきて、味亦同しからす。山水の煎、一夜貯ふれは、気鈍くなりて甘味を生す。軽きも重きに変す。是濁るはしめ也。栂の尾の明恵上人の、朝朝硯の水を新たに汲かふへし、御経写すに穢れあり、といましめ給へり。

〔一二〕近年、江都の風流武士、京師の水を運はせて、茶饗に誇る奇事怪也。百余里を荷ひ運ひて、水味性のままならんや。医家に、百錬甘爛水とて、脾胃虚弱の病者に薬用とす。一瓶一壷の水、匕子筋の類にて、かきたつれは、わつかに一刻の間にも、煎気を変すと也。茶の性水の虚弱に色をかへ、香を消し、味を矯らるるには、近きにえらひて遠きに求むましき者そ。

〔一三〕京師の柳の水、美泉の名二百年来世に聞えて、茶のみならす、能書の筆をかろからしむと云り。天明九年正月の大火にあひて、味苦く、尋常の井にも劣る者と変せり。是をさへ試みすして、荷担百里の外に奔走する事、名利の病とこそ、堅田有菴に逢て、恥かしめらるへし。

〔一四〕昔、商舶の便りにつきて、杭州西湖の水を運はせ、筆試しとや、都にも携来たりて、能画の人に贈る。いかに試しや、と問人にこたふ、色は枯濁にて、毫に 着す、わつかに一滴を水に和して、西湖の図を工めりしかと。尤奇怪の遊戯なりとそ。

〔一五〕浪花の善書、時々鳧河の水を運はせて、万暦の佳墨に和し、大に誇る。己か筆の自在に、其無益をさとらぬ酒興の人也。はた豪飲に腐爛して、今は古人となれり。

〔一六〕水の性直き事、浪花長江の水原三派、加茂、桂は、江口孤屋の間に分れて、西をさし、海に入、宇治は長柄川に派れ、木津の清煎も、河内の田坡の悪水に混せられて、清しと云へからす。三□橋の間(ムシ「木」カ)に、中流に出て汲めは、湛々たる千里の江水、唯怨む、茶の色香を失ふ。

〔一七〕京師は茶と水の福縁の地也とて、細川三斎公、老て洛東吉田の丘に隠居を造りておはせり。天王寺屋宗久、常に賑しく参りて、いつの日朝茶たてまつらん、と申。宗易次坐に着て、前夜より吉田にて清談、三更に至る。もはや御あゆみあらはや、と申す。早くは不興の事あらん、とおしやる。宗久は功者の老人にて候、いつにても用意致すへし、と申。さらはとて、ゆきてみたまへは、露道をひらき、燈臺いく基あり/\(「か」カ)と照して、帚除心ゆきて見ゆ。入せてはやからんといふを、利休か、すゝろに、とおしやる。わきてかたしけなしとて、先炉火をほこらせ、湯のたきるにつきて、薄くたてまつ覧とて、席を賑はしくす。夜の静に更行を、面しろく興せらる。四更や過ると思ふ比、亭主のうしろの障子を、ほと/\と叩く。宗久、何事そ、とゝへは、水か参りて候、と申。応、とこたへて、釜をさゝけて入ぬ。今朝の興此事也、とおしやりしとなり。〔一四〕

〔一八〕煎、点ともに、水品をえらへとも、点茶は味厚けれは、やゝ疎か也。煎は清韻を水にしらる故に、水品をえらふ事をつとむ。器は新調に足て、珍玩をもとめす。昔、老か独言して、真茶真水倶清味、貧必非レ清々自貧、と云しを、同し寒酸の友のよしと云し也。〔一四〕

〔一九〕茶に酔へはすむ、酒には乱る。又、水の濁る地は、人気活達にして、馬車喧嘩也。清閑の地は、やゝ空寂にして人静也。水の性に背かると云し人あり。

〔二十〕茶にすまされて、又狂ふもあり。隈沢了海の女子訓に、黄檗の、一子出家九族生天、と大呼して、目しひたる母を溺らせし。又大燈の、乞丐の中よりえらひ出されて、五条の橋下の妻子をかへり見ては、乳児は取て猛火に抛入、三歳なるは、竹柴の燃すかりしに咽をつらぬきて、河水に入る。妻驚まとひ、鬼よ/\、と呼ひつゝ逃去る。さて紫野に行て、開檀に上られしと云つたへたり。目くらくて、苦界に立迷ふはいとほしけれと、今一度尋あはゝやと思ふ心に、なくさめられて、死んともおほさし。今知識と貴むは我夫なりと、したひも来し。此二師は残忍の性に覚悟せし酔狂人なりと、記されたりき。

〔二一〕当山牧牛庵の桃隠と云僧は、都に遊ひて知音の交りせしか、大和の片岡の達磨寺にいきて住せられし。書を好み、詩を興し、且俳句の戯調にも遊はれし。其南する日、一句餞せよと乞るるまゝに、

  菩提樹にあらす尻くさらすな花の陰

と云しかは、一咲して発駕せらる。今歳齢六十一、思はすよ膈〓を患ひて、覚悟飲食を断つと聞て云やる、 は覚也、宜なる哉、しなてゐるや片岡山は昔から飢て死ぬるか定まりの事。披見て、口あれと、筆とる手なしといへ、といひて止れぬとそ。病牀にありて、我達磨に扶持せらるゝ事十余年、忌日十月五日近きに、其日終らはやと。はた五日の暁に目を閉られしとそ。世に僧俗の問を心ともせすして、死期をしるは奇怪也。願ふて適ふは、平生の徳業にこそ。寺前一村三十戸、常に恐懼して師につかふ。病牀に命して、倉廩を開き、稲麦数十穀を尽して分ちあたふ。浪華の一族来たりて、危篤を問ふ。和上眼をひらき、覚悟よし、何をかかたらん、とく去れ、汝等わさ/\来たりて、遺物を貪るるに似たるそ、と呵責して去しむ。常に粗糠をくらひ、薄衣を着て、一牀一物なし。人世より見れは、覚悟の僧と賞すへし。

〔二二〕近世煎茶の流行するは、高遊外翁に興れり。此人の伝記、大典のしるされしに、今はいはす。清貧にして文雅に遊ふ。自号売茶翁と呼て、春秋は一担の茶具を、東山、西山の樹下に荷ひ出て、一席を延へて佳茗を煎行、客にすゝむ。文人来たりて寄すれは、即和す。器は当今渡来たる唐山製を用ひて、古器を貴はす。彼小山老舗か煎品は、寛保に興り、宝暦、明和に盛也と云しは、翁か出世の時也。

〔二三〕浪花の大枝流芳は、翁に謁して煎法をつたへし人也。元富家の出身、点法香技に熟せしかは、器物の高賈をとせられたれとも、席上の式、おのつから静にて風致あり。故に茶品をたゝかはし、香烟をくゆらせて、隠逸の興は疎きと云。青湾茶話、雅遊漫録の著を見て、其人をしるへし。晩に城外の綱島に茶舗をひらきて、遊戯三味也。此人の事、我大江先生の雅遊漫録の序にいはれたり。

〔二四〕郷友兼葭堂は、風流の名世に聞えたる人也。弱士の時都にいきて、遊外翁の晩に謁して、器を摸し、且遺物をも乞て蔵め、世に売す。本性茶 を病るにあらす、たゝ客を迎へて、品をかへ、煎てすゝむ。到る者水厄と云へし。杜詩に 読煎と云句を、注者湖南の、土風客到 走必六七煎、と記せしに似たり。点家二交はらさりしかは、席上茶具の位致乱れて、清韻を失ふ。多枝の名高けれは、四方の客日々に来たるを、送迎に す応接す。又、和漢の書典雑録まてを蔵めて、棟を与ふ聞えありしかは、没後、林学校より蔵書の題目を〓れて、其半をとゝめ、黄金あまた賜へる事、我郷友の面目と談す。又、霊 、異木、玉石、銭貝をあつめ、且絵を写して、共に名有し也。

〔二五〕老は病に就かされて、三に過る ありて、名を好むにあらねとも、清風 言の閑話を箸はせしによりて、兼 の右にあるか如し。今や老衰して気力なく、飲めは支飲の患ひあれは、客到れは一煎をすゝむ。蔡君漠、蘇東 、老にいたりてみつからは用ひすと云を学ふに似たり。

〔二六〕煎家は、瓶、壷、罐、〓のえらひの無し。茶の色香は、たゝ白 にあらされは、鮮明ならすといへとも、寒酸の徒、高価の物もとめかたけれは、近来渡れる内外潤白の の しきに止へし。昔、遊外士、在世の頃は、唐山製の風炉、茶瓶、 等のたくひ、専ら渡り来たりしを、翁下世の後、煎茶の遊玩衰へては、陶工の意もなく造出するに似て、あらぬ物に成んたり。今は、栗田、清水の陶工等、又古を擬してさかん也。美は拙を ふに到りて、また一変する事、悲しむへし。

〔二七〕茶瓶をキビシヤウと呼事、急須の字そ、と或物知の云れたり。字につきて思へは、茶のみならす、酒羹をあたゝむる用に備ふる製なるへし。

〔二八〕風炉、又冷炉、涼炉とも云。灰を用ひす、扇きて火勢を急ならしむ。武火の字に相照して思へ。灰を盛たるは火炉也。茶家ひとつに風炉と呼は違へり。

〔二九〕茶饗大礼と成て、古色あらす。陸放翁の詩に自在茶と云は、濃淡、煎点、客のもとめに随ふ意也と云。

〔三〇〕茶礼は僧家に出て、此の国に来たるは、足利の代の初め也。慈昭院義政公、専ら是を玩はせしかは、珠光、南京より参謁して、法を談するに及ひ、漸定式となりしかと。猶、銀閣寺の東隅堂の結構、今と大に違へる者也。総見院信長公、紹鴎を召れて、又一変と云へし。豊公の大器、却て小室に入て、君臣膝を交へ、一椀の茶を啜りあひて、武を談し、奇を好むは、英雄のあまり也。利休の奇才、時にあひて、好む毎に奇を出す。死を賜ひ、放たれては、二男小安隠士となりたれと、猶遺風を父に習へり。宗旦、祖父の壮麗を摸さす、専ら隠者の風致を以て遊ふ。定式是に一変して、中古の祖とす。其余、古織、石州、金森、小堀の家〃は、古を改めす。新意を加ふるにも、候伯の風ありしとそ。茶寮は、山川、丘陵、樹陰、其地の遠近にはかり、或は向ひ、或は背きて、風致を好む。市中の富家も、広狭によりて、結構一定ならす。古室を引うつし、又擬して新なるも、相応の地景によりて、暗明にたかはさりしと聞ゆ。円に方を容るには、大路の喧嘩、隣戸の呼喚に、主客の心譟きて、清閑をうつすとも、俳優の場に上りて狂態をなすにひとしかるへし。

〔三一〕湯と茶は別也。ちやの湯と題目するは拙也。東坡、恵泉を汲せて湯を饗す。此法、僧家に遺りて、当山の法宴、点茶の前に湯を供す。湯は香煎をくはへて、椀上に木匕を横たへて出す。客是を取てかきたてゝ飲む故に、木匕をたゝに筌とゝなふ。湯の饗の後に茶を供す。客の前毎に、〓抹茶一匕を盛て配りおき、給仕の若僧、湯瓶に筌を持そへさゝけ出、客の前に立。客は椀をさゝけて湯をもとむ。時によきほとに注て、湯瓶を左手に取かへ、右手に筌をとりて点し、次〃に供す。

〔三二〕曹洞家の法宴には、湯に糖蜜を加へ、〓上に、楊枝の柄をけつりかけ、 の方に小梅の塩干をさしぬきて、横たへおく。客先梅を喫して後、蜜湯をけつりかけたる柄もてかきたてゝ飲む。此けつりかけしを、花ほろとゝなふ。即筌也。

〔三三〕利休の奇才、古今に対なし。佐久間右衛門尉殿、総見院公の機にたかひて、堺の津の片山里に隠居しておはしける時、紹鴎に消息をおくらるゝ。其返簡を見しか、長文なれは暗記にたかふへし。大略を云のみ。貴公様山居の後、こゝもと茶道のおとろへと、皆ひそかに申事也、宗易事、御目利のことくほまれを得て、秀吉推挙に、日向へも立入申、追つけ上様へも召出さるへく申事也、此頃も数奇屋を作りて、心に叶わすとて、打こほち、ねた一本も再造に用ひす、又、我にみせし茶入、直段ほとにはなき物と云しを憤りて、金 の上にて打破棄しとそ云々。此文、大坂の何かしにて一見す。をしむらくは、奇にほこり、分上をこえて、死刑を賜ふ。嗟呼、風流も文雅なきは ありて、かゝるに及ふなり。

〔三四〕紹鴎の消息は、風韻あり、いさゝか文雅にもわたりたるとみゆ。利休の文は、茶に呼ふ黒ちやわんかよいの、花生切ておくるなとの外には、おかしと思ふ章なし。小堀とのゝ文は、手もよく書、章も面白し。おもしろからそと才を用ひし者也。〔二三・二四・二五〕

〔三五〕藝技法式なきはあらす。李笠翁の画論に、有法の極無法にかへれ、と云しは聞つへし。法に入て其局中に生涯つなかれたらんは拙なり。有法をのかれて無法に帰する人ならすは、自己の逸楽は有へからす。然とも、才なき人は無法にかへりかたけれは、其藝技の奴となりて、有法に終るをとかむへからす。稟得たる性に習ふ事の相当らぬをいかにせむ。〔三六〕

〔三六〕南郭の詩を講する席に、真淵壮年の時に聴聞す。講終りて談話の中にすゝみ出て、先生の詩名、近世に対なし、たゝ唐の格調にとゝまりて、古雅を忘れたまふか、と云。服子笑て、詩は唐に盛なる事、いにしへに勝れり、それも初唐の気格高くして、擬しかたきを何とこゝろ得て云やと。答て云、今日の講説に、汾上驚秋と云題の詩、北風吹白雲、万里渡河汾と云に、客情は尽くしたりと思ふを、心緒逢揺落、秋声不可聞と云は、上の二句の注解に似たり、此煩ひ、句は字数定まりて長語をくはふにいたる、古詩は、こゝにも西土にも、或は一二句にも止まり、又長篇には、法度もなく志情を述る、一二句にても、曲節の為に上に文言を冠らすよ、なか/\し夜を独かも寝んとのみに、上の三句は文を加へて章をなす事、西土の古詩に擬して、意を害せすとこそ思ゆれ、と云。子遷頭を垂て、我三十年後に生れすして、此壮士と詩をかたらさるは不幸也、といはれしとそ。京極黄門の、鎌くらのおとゝの古調をまねひ出たまふを見て、此道のうたてく思ゆよ、と独言したまひしと云に、同説也。されは、人各性につきて好む所別なるは、己か志すかたにつきて、法局中を出て遊はん事、風流の拙をのかるゝ也。然共、才無くては、法に安居してあらん事、憎むへきにあらす。〔三七・六一〕

〔三七〕康煕帝の曰、日月燈、江海油、尭舜生、湯武旦、曹莽外、末丑浄、天地一大劇場。しかのたまひしは、夷狄の主の中土を征して、聖教に熟して、法局中に納たまへは、臣民我国の法を夷狄にしかれて、従服す。是法の貴きにはしかるへきにこそ。此頃、或学士の詠史と云題に、中原自古憂夷狄、往々追之等馬牛、夷狄今日来為主、中原不見一人憂とそ。夷狄も、尭舜、湯武をやつして、法を放て征せられて、心裏には患ふとも、法の貴きを我怠りしは、我に罪あり。今や二百年になん/\とす。指を折れは、□□幾回そ。天地の永久に思へは、唯一瞬息なれは、又いかにか変動すへき。我国の与からぬ事は、窓の外吹山おろし、枕にたにおとつれすは、老はうまく眠りにつかむ。立て場を観る人よ、いや声をかけて、我贔屓かたにいさみ立へし。矮人はえ見すして、歎息に止むへし、中土の幣、四夷に境なく、法怠れはいく度もか、彼に征せらるゝ。この国に無き一大の患也。儒士やゝもすれは、かしこにたとへて、教道を説く。是亦一劇場の生歟旦歟、外末の拙もあるへし。大かたは、簒奪せられな、合点か、と云のみにて、我柄を執らぬには、いたつら言そかし。儒仏の法来たりても、是をえらひて、左右として、棄舎の法をおしいたゝかは、何を云ん。〔二七〕

〔三八〕煎茶の行はるゝ、西土は明より一定となるのは、抹茶□心下に塞かるを悪むか初め也。こゝにはやゝ寛保より行なはれて、其益をしるといへとも、饗式たゝねは藝技の名なし。思へは、食飲は日ゞの雑事、法たゝすこそあれ。おのか好むまに/\、益をとるへし。陳昌其か得趣を云は藝技也。遠行口乾大鍾劇飲、酒酌肺焦 呼2解渇1、飯後漱レ口横等は、即益也。其趣をしるを友と喜ふは藝技なり。しらすと云とも、何かあらん。若主客の礼儀を習はんと思はゝ、前に点家の法を掟て、世にあまねし。文雅寒酸の士は、珍器をもて管待すへきにあらねは、水と茶のえらひを宗にして、席上たにむさ/\しからすは、礼式有に似たるへし。法のたゝぬを、寒酸の士はかへりて喜はん歟。たゝ動譟のみの藝技は、是も外末丑浄の脚色にして、よいやとほめ、あしく立まひたりと、席を蹴たてゝ立去客も有へし。とにもかくにも、益をえらみ、損をしりそくに止むへきもの歟。〔三八〕

〔三九〕唐の廬仝の盆上に茶を点せし図ありて、□に□□おきたりしか、其書の題目忘れしかは、□し□にとへと、是も尋ねえすとて、今に教へす。又、続説郛にも図あれと、盆上の器の次第、位置みたりしか如くにて、習はすはしられす。古人の席につき、興にまかせて自在なる事を知る。はしめに見しは、盆上の湯瓶子を去る時は、今の茶技の盆上の乱かさりと云に、またく相ひとし。寒士の席上むさ/\しきには、是をならひて便よし。〔二九〕

〔四〇〕茶のこゝにわたりし初は、清風瑣言に云り。一度は絶て、建仁寺の栄西師の入宋のかへりに、種子をかへりて、先筑紫に休息のあひた、背ふり山相応の地と見たてて種させしか、都に帰りて、法施の暇に、明恵上人に五粒を餉らる。明恵、我山に相応するを喜ひて、とかの丘、真木の丘、高尾の三丘の、一度は茶神に地をかして盛なりしか□、本処とこゝを呼て、宇治を始、その余の□は、第二場と云し也。狂言小舞の茶壷の童歌に、我等か主人は西国一の法師なるか、非の茶は常にのめと、ほんの茶を飲へく、栗五十石にかへて、都にも着しかは、尾に上りて、峰の坊、たにの坊、中にもすくれたるは、あか井の坊の野風を、十はかり云。今も宇治の官茶より、年々高山寺に献せらるゝとそ聞。有かたき例也けり。老か酔狂の小哥に、

ほんの茶非のちゃは常にものめと、色に香に、昔しのはしや、高尾、とかの尾の本の茶は、さそないろも香も清たき川の水のしら浪の、あはれ、むかししのばし。

〔四一〕ちや釜のかたち、古製は竹一片にて、寸法も長く見ゆ。図は茶経に出たり。今用ふるは輪と云物にて、器を洗ひきよむる。今さゝらと云物なるを、紹はしめて、茶を点する便よしと、用ひしられしと云事、野本道玄の茶書にみゆ。京町のうら盆会のをとり子のはやし哥に、

   六寸六分のちやせん竹、末は殿子の筆の軸、

とうたふによれは、長大なるかたち、茶経の図に相ひとし。試みはかりに、空也寺の疎製品に作らせて用ひしか、穂の末のなひきに白泡をたつる事妙なり。たゝ一時の戯れ、無法にかへるといへとも、其もとはよん所ありとす。

〔四二〕茶匕も又、茶経の図によれは、ひとつ葉と云物のかたちして、根に円きものを作りたり。象牙の製なるをもとめ得て、愛玩せしかと、漂流の年月のあひたに取失ひぬ。今ある象牙の匕子、其かたちを省きて作りし者歟。又、是を竹にて製し、真のちやしやくと云を、又一節をこめて、風流を尽したるは、利休也と云。

〔四三〕いつの世の詩に歟、近得梅山信、初嘗日本茶、と云は、栂の字梅の譌也として、漢人の改し歟。遊外の梅山秘録と云著書は、是によられし者也。栂をとかの木と呼し事古ならす。万葉集、臣の木又母とも云るは、樅と云喬木にて、とがと云も同しく、良材なる。字はしらすそある。共に喬木也。其方の学士に問へし。字は此国の物にあらす。語言をとりて後、字を用ふへし。こゝにいたりて、儒士の拙はつかしくはおもはすや。

〔四四〕茶を婚姻の聘物に贈る事、明の陳悔徳の天中記と云書にと云。凡種茶、必下子、移植則不復生、故聘婦必似茶為礼とそ。移しうゑて枯るは、再嫁の名のけかしきを忌む俗習なるへし。山村一老農あり。茶をうつし植るに、枝葉こと/\刈去て、其根を築かためたにせは、復生す。哥あり、きけ。

  つけはつくつかねはつかぬちやの木哉

不幸にして再ひ嫁する女に、父母の教戒かしこくは、貞操をかためて、又かへるましき歟。田夫の事も聞すはあるへからす。

〔四五〕又、人のみにあらす、幸と不幸はある物也。製茶、京に入て、同品なるも、かの家のはよし、かしこのは品下れりと云。茶舗の冥福、茶神も是に頭をたれたまふへし。又、哥にもさることあり。山部の赤人の和哥の浦の秀歌は、香芬千古に醒す、かたりつたへたり。此人つかへし朝のみかと、東国巡幸の時、いせの阿胡の浦にてのおほん、

  妹にこふ吾子の松原みわたせは汐干のかたに鶴鳴わたる

此時、弱主の命をたまはりて、遠江、三河のあたり迄、御禦あるへく、高市黒人遠く使せしに、尾張の愛智郡にてよめる歌、

  桜田へたつ啼わたるあゆちかた汐干の潟に鶴なきわたる

又、時代も作者もしられぬは、

  難波かた潮干にたちて見わたせは淡路のしまにたつなきわたる

共に万葉集に載せて、人しる所なるを、ひとりあか人の詠神妙のつたへあるは、理数の学士の口閉へき談ならすや。

〔四六〕法の佗邦に用ひらるゝとも、必国の宗とはすへからす。異国の国風、古きを改すして、千古にわたる事貴ふへし。漢高韓信を滅亡の時、乳児あるをしらす。蕭何ひそかに書をそへて、夷国に走らしむ。南夷たふとみて、成長の後に君として仕ふ。其子孫、明の世まて連綿たりと云事、千百年眼と云書にしるしたり。漢の四百年智略を尽くされしも、前に亡ひたる事、幸か不幸か、法をよしとせん歟。無法の国も、人情のあつく、孝慈愛燐、天理もかなふはいかに。

〔四七〕天と云語、儒士のいふ所多端也。はかるへからす。仰くも天、命数夭寿も天、福禄美名も天とす。仏氏は天帝も我につかふとす。この国開初に云ところ、混沌不可計と云り。理数にのかれて、是を用ふへき歟。

〔四八〕近曾、神道古学とゝなへて辯説さかしく、小年の徒を誑く者あり。其談は霊夢にひとしけれは、紙墨をついえ、くらき眼にわつらはしさに、云はす。一言をもつて人思へ。やゝもして復古せんと云。古しへにかへると云事、更に/\なき事なり。古を思ひて言語にわたるは、擬古と云のみ。国の広狭、言語の転変、服食のあらたまるまゝに、情慾のほこり行事、征すへきにあらす。夢話を説て、我高からんとす。下世の人慾、是を名利とて忌きらふ事に、学士皆いへとも。

〔四九〕夏泊庵と云人の云、隠士好名、禅僧亦好名、隠士喜著書、立言好名也、禅師喜開堂、説法好名也。名利に走らさらは、放すへしとそ。又云、僧俗同一、たゝ有髪肉食するとせぬなり、頭盧潔斎、わつかに是にたかふのみと。後はおもふともはかられす。かしこにはしらす、こゝには頭顱□て儒教をとき、肉をもみそかならすくらふ□□あり。政令是をゆるしたまへは、いかにとも云へからす。たゝ己身の心にとひて廉恥あらすは、悪銀も有へからす。高き坐に上りて雄辯の師も、堂をくたれは、常の人にてそある。さらは、是も劇場の品第ありて、貴むと信せぬとは、天禄のおのかちからにたふる給分にもあるへし。あな言多也。茶にも酔ては。

〔五〇〕焙炉の法種々ありて、習ふとも茶舗のほかは無益也。小壷を通はして求るそよき。古き錫壷、瓦壷には、たま/\湿もとほかならぬかあれと、得かたし。老か製させし桐の筥あり。二重につくりて、内にもふたありて、茶の減するまゝにつきて落入る。是は古き桐の木にてあらされは、猶雨気を感す。筆には書きとりかたけれは止ぬ。

〔五一〕ある禅師に参りて閑談す。我泥鰌をくらふ話にいたりて、師云、老あやまてり、人は板歯□てうまれて、肉をくらふへき牙歯なし、馬牛もはた歯ならひたれは、草のみをくらひて、千里にゆくとも倒れす、此後止たまへ、ときこゆ。承りぬ、我是を好みてくらふにあらす、眼精のたすけすと、眼医のゆるしたれは、時々用ふるのみ。間、牙歯の物ならすとも、調羹たにせは、是をくらふに、野菜とかはることなし、炙り煮ぬをしかみ食ふにあらす、是又稟得たる性にあらすや、といへは、僧左右をかへり見て、佗を云。

〔五二〕万葉集の題号、万は多数の義、葉は哥也、しか心得すは何を集めし書そと云んには、と云しは、先よし。此題の葉を歌とこゝろうへきこと、後漢の劉熈の釈名と云書に云し事也。歌は柯也。言こゝろは、人の声あるや草木の柯葉あるか如しとは、己言て説得ぬ者也。人の語言には、喜怒哀楽につきて、長短、緩急あるを、草木石徐々と吹はたのし。暴風いかてあな面白と聞ん。かゝる説も、この国に字書の渡れるや、是初めにて撰者は名付しなるへし。同し後漢の許慎の説文には、歌は詠也、と云そよき。是書経の舜典に、歌は永言也、と云を、後代に一字に約めたる者也。さらは、宜しからぬ説も、万葉の題号を説んには云へし。続万葉集にいたりて、かなの序に、ひとつ心を種として、よろつのことの葉とはなれりける、と云は、葉の字の心を助けていひしにて、是より古しへに、言語を、ことの葉、ことはと云しはなし。さらは、古今集の後は倣ひて、ことのは、ことはとも書へきを、万葉を解く人の文に、ことのはとたま/\にも云しは、尽さゝる也。さて、此集の歌をこと/\く注解して云人、拙なり。中につきてとき煩へるは、是はこの字の〓なとゝ、一字二字は一首の中に云へし、数言を改めて解えしかとみれは、猶聞えす。云得たるとするも、よき歌と云へきにあらねは、無益也。この始は、契沖の水府公の命をかたしけなうして、注解をせしは、つとむへき由あり。中にも莫〓円隣の注は、後に思ひよりて又申出されしかと、西山公御病牀にて猶うけたまはす、安藤、伴の二士に申のこされしを、薨去の後に契師に申おくり文、円珠庵にあり。其後の人ゝ、力を入れて皆説えむとすれと、或魯魚に云なし、或は数句をさへかへて、分明には聞えぬか多し。四千五百余首の中には、よき歌と云は少かるへし。あしきを専一解てほこりかなる心拙也。老は金沙と題して、金といさこを淘汰して、其きら/\しきをとゝむるに習ふへく書出しかと、注解、外伝等をくはへしには、事多く成て、十余巻に猶止へからさるか、老病の頬はしさに、庭の古井に湮滅せし、是そ始なりき。又二十巻と云数は、彼是のあつまりて、同躰なるに混雑せしと云説とも有につきて、源氏梅か枝の巻に、嵯峨の帝のかゝせ給ふ古万葉四巻、延喜のみかとの古今和歌集廿巻に対して書れしは、一条院の御比まても、ことに四巻の集、世に有しか、又あらすとも、近く名のつたはりしもて、物かたりにはいはれし者よ。さらは、其四巻をいつれと問んに、しらすとこたへて止ぬへし。

〔五三〕茶を啜る/\友云。歌よむ人のつらゆきの文を難するは、いかにと。是更に酔言に非す。醒ても猶しか云へし。朝臣の歌わろしと云にこそあれ。以レ一貫レ之と云語をえらひたまひしには、つらぬきとゝなへらるへき者歟。之の字こゝにては虚字也。これをつらぬくとよみて、助字と云も害なし。之の字をゆきとよむ所は、熟語につきて別也。学士の名なきには、時々かゝる事有へし。人の名、上古は呼やすきを宗として、宮□、道路、地名、器械、草木、魚鳥の名を取れしは、質の益あるなり。文字を学ふ世と成て、古語に相叶はぬ訓読多し。是そ文の質にまさるまとひ也。心をつけて見よ。万葉集近代専らよみこころむるにつきては、論説を闘かはせて、我人に諭んとする事拙也。たゝよき歌に習ひ、そのかみは世のさましか有しよと、思ひかへして、心にしるすはかりこそ宗なるへき。誤字、落句、しひて補ふとも無味地と見過すか、識者の心なるへし。さて、歌の心の感動は、くはしくも見すして、事のみを解わつらへるは聞にくし。柿本の朝臣の近江の旧都を過て、荒たるかさふしかなしと歎したまへるは、高市黒人と同意の感傷也。古都の迹は必かくよむ事のやうに、後の人こゝろうるは拙也。平城を三日の原へうつされ、又奈良にかへさるゝ、其時にもをしみなけくは、語を、人丸、黒人に擬して、心はふかゝらぬ者そ。開初より宮地をうつさる事、代々毎にこそあらね、いとかろ/\しくてありしかは、かく荒たるよと感慨すへからす。心をたくみて宮地にかまへ、柴籬、瑞籬の宮、目を閉て思へは、役民の労費なく、幾日もあらすして、安居なしませしなるへし。故に、古京を過るとも、誰も悲涙の心なし。奈良人の飛鳥をしのふは、おのか家の跡ゆかしきにて、語も亦深き旨なし。大津の宮は、天智天皇崩御の後は大友の皇太子にましませは、つきて践祚有へきを、いかにして骨肉相親します、時うつる間に、御叔父天武と御中違ひ、俄に□役おこりて、大友亡ひたまひしかは、御兄弟みな天武に参朝してつかへたまふ事、史にあらはさすといへとも、故ありと、心ある人はよみてしるへし。大友方の人/\大かた滅されし後は、家名たえ、又、浄見原に降伏するとも、官位すゝみたく、私には懐古の情止へからす。柿本の氏族には、猿と云人四位に昇進ありし外は、史に見えす。定めて朝臣の親兄の討死をみ過て、しのひ出たまひ□、かく感傷は有しなるへし。黒人も同意にて見しとこそいひつれとは、深くなけきたるか悲しき。穂積の老か、命あらは又立かへり見ん、と云しは、天武方の人の、たゝ勝景を見て、目を喜はせし哥也。昔の人に又もあはめやも、又、心もしのにいにしへ思ほゆ。故なくてかくは打出たまはんやは。大友を皇太子と申事、懐風藻に見えて、史とたかひたるは、世のさまのあからさまに伝はらさる証也。国史、此御時に、天武の川島皇子に命ありて撰成しかと、又元命の御時に、紀清人等に勅ありしも、二史とも伝はらす。元正にいたりて、舎人親王の三度の史のみ世にとゝれるは、大津の壬申の乱の事実を、今は蔽ひてえらはれし者とこそ思ゆれ。猶皇極より天武にいたる代々のこの事実は明白ならすそある。よむ人こゝろをとゝめて見よ。辯説多かれと、老筆手腕なまりて今は止むへし。

〔五四〕才学の人のほこりて我をあやまつ事多し。大友の唐使劉高徳に相せられ、大津の新羅の僧の阿諛を甜んし、鎌倉の大臣の陳和卿か夢かたりに心を かし給ひて、遂に亡ひし例読見れは、喜ふへきにあらす。才の為に亡ふ人、和漢にあまた也。智者は時世をうかゝひて、容易に事をなさす。なせは成ると云は、思ひのふかきにつきて、世に媚、あしきにも交りて、己を立る事をはかる。智者の恐しき事悪むへし。〔六○〕

〔五五〕義士烈女の世に名をのこせしを見れは、大かたは不幸の人々なり。孝子は貧家に聞えて、富貴にあらはれす。噫、貧夫の富に勝ると云は、気介ある人の語なり。

〔五六〕老て友なきには、茶の酔泣して、いよゝ人にうとまるゝ事をもとむるなれ。茶にすむの損害も亦多し。茶 の式に立はしり、珍器をきそふ人、富貴に生れたるは羨むへし。寒士は茶を啜りて、茶中の趣を知るに止すして、清談を好み、分上にもあらむ事をまて、数言に及ふ。酒客の酔中にはまさりて、苦煩なりとも云へし。南腋の清風習ゝたらんに乗て、しらぬ国にも行て遊はゝやとおもふも、又酔こゝちにの直からむ也。三椀の節にとゝまりて、多く飲むへからす。のめは分上に過たる事を打出るそかし。噫ゝゝ。