二  吉田少将(よしだのしやう/\)野上(のがみの)宿(しゆく)に美(たをやめ)に遇(あ)ふ

光陰(くわういん)は流(なが)るゝ水(みづ)よりも委(よど)みなく。行稚(ゆきわか)も長立(おひたち)になれど。人のこころざまばかり。親(おや)にも

似(に)ざるものかな。その身(み)左馬頭(さまのかみ)行盛(ゆきもり)の庶子(しよし)〈○メカケバラノコ〉。入道(にうどう)相国(さうこく)清盛(きよもり)の曾孫(ひまご)として。よき事

にはつゆほども心(こゝろ)をとめず。行(おこな)ひ放(ほしひまゝ)にて。よろづ粗忽(そこつ)にみえしかば。惟通(これみち)の一子(いつし)柳王(やなわう)は。学問(がくもん)武芸(ぶげい)

に志(こゝろざし)篤(あつ)く。且(かつ)身(み)の慎(つゝしみ)ふかくして。その才(さえ)父(ちち)にも勝(まさ)れる如(ごと)し。時(とき)に建久(けんきう)四年癸牛(みずのとのうし)二月

十五日。惟通(これみち)は。行稚(ゆきわか)か為(ため)に袈裟(けさ)念珠(ねんず)度牒(どちう)。すべての僧具(そうぐ)を執(とり)とゝのへ。又行盛(ゆきもり)

の紀念(かたみ)なりける。備前(びぜん)家次(いへつぐ)が。自他(じた)平等(びやうどう)即身成仏(そくしんじやうぶつ)の短刀(のだち)を授(さづけ)て戒刀(かいたう)と

せさせ。すなはち叡山(えいざん)月林寺(ぐわつりんじ)に登(のほ)して。仲圓(ちうゑん)阿闍梨(あじやり)の徒弟(とてい)〈○デシ〉とす。今茲(ことし)行稚(ゆきわか)

十四歳(さい)。その期(き)に違(たが)はん事をおそれ。この事豫(かね)て官(おほやけ)に聞(きこ)え奉(たてまつ)りてかくはなしたると

なん。又わが子(こ)柳王(やなわう)十六才には別(べち)に日を卜(うらばみ)て元服(げんぷく)させ。吉田惟房(よしだのこれふさ)とぞ名告(なの)らせける。

しかるにこのころ後鳥羽帝(ごとばのみかど)。只官(ひたすら)武芸(ぶげい)を好(この)み給ふをりて。鎌倉(かまくら)に仰(おふせ)せておぼえ

ある武士(ものゝふ)十人と。北面(ほくめん)西面(さいめん)に召(めさ)れしが。惟房(これふさ)も弓馬(きうば)劔法(けんじゆつ)を嗜(たし)み。その業(わざ)既(すで)に熟(じゆく)

せりと聞召(きこしめ)され。父(ちゝ)惟通(これみち)は仕官(しくわん)ねがはしからずとも。その子(こ)はいかで青雲(せいうん)の志(こゝろざし)なか

らん。彼(かの)ものを進(まゆら)せよとて。叮嚀(ねんごろ)に仰(おふせ)下(くだ)されし程(ほど)に。惟通(これみち)かゝるを推辞(いなみ)奉(たてまつ)らんは

いともかしこし。されば参(まひ)れとて洛(みやこ)に逃(のが)したれば。軈(やが)て惟房(これふさ)を蔵人(くらんど)になされ。家(いへ)は

北白川(きたしらかは)のほとりにて賜(たまは)りぬ。元来(もとより)怜悧(さうし)かりしかば。君(きみ)の御おぼえもいと愛(めで)たし。わが

家(いへ)を興(おこ)さんものは。かならずこの子(こ)なるべしとて。父(ちゝ)はふかく嬉(うれ)しみ思ふに。盈(みか)れば (かく)る

ならひにて。その身(み)老(おい)の坂(さか)を登(のぼ)りも果(はて)ず。建久(けんきう)七年の秋(あき)のころ。惟通(これみち)仮初(かりそめ)の

病著(いたつき)に伏(ふし)たるより。鍼灸(しんきう)薬 (やくじ)も験(しるし)なくて。終(つひ)に身(み)まかりけり。惟房(これふさ)いたく悲(かなしみ)て

送葬(のべおくり)形(かた)のごとく執(とり)行(おこな)ひ。忌(いみ)どもをはりて後(のち)。奉公(ほうこう)旧(もと)のごとくしつ。忠勤(ちうきん)抜群(ばつぐん)なす

とりて。官位(くわんゐ)年ゝ(とし”/\)に昇進(せうしん)し。いまだ五六の齢(よはひ)をも超(こえ)ざるに。四位左少将(しゆのさしよう/\)になされ

ける。かゝる幸福(さひはひ)は世(よ)にも又稀(まれ)也。今は事みな嫡家(ちやくけ)にも勝(まさ)りて。世の人の思ひよせ厚(あつ)

く。羨(うらや)み思はざるもなかりしとぞ。かくて建仁(けんにん)二年壬戌(みずのえいぬ)の春(はる)。少将(しよう/\)惟房(これふさ)陸奥(みちのく)の国司(こくし)

に任(にん)ぜられ。彼国(かのくに)へ赴(おもむ)き給ふ。家隷(いへのこ)のには粟津六郎勝久(あはづのろくろうかつひさ)。松井源五純則(まつゆのげんごすみのり)。以下の

老党(ろうだう)若党(わかたう)。前駆(ぜんく)後従(ごじう)して旅(たび)たちぬ。これらは旧臣(きうしん)〈○モトハケライ〉の子孫(しそん)にて。彼此(をちこち)よりまいり

集会(つどひ)たるものども也。これより先(さき)建久(けんきう)九年三月三日。後鳥羽院(ごとばのいん)隠居(おりゆ)させ給ひて。位(   )

を一の皇子(みこ)為仁王(ためひとおほきみ)に譲り(ゆずり)給ふ。土御門院(つちみかどのいん)これ也。しかれども天下(あまがした)の政(まつりごと)は後白河(ごしらかは)〈建久三年三月十三日〉

の旧(ふるき)を追(お)ふて。院〈後鳥羽〉より制度(さた)せさせ給ひし程(ほど)に。今度(こんど)惟房(これふさ)を陸奥(みちのく)の国司(こくし)に

任(にん)ぜられつるも。院(いん)の御はからひと聞(きこ)えたり。かくて惟房(これふさ)は洛(みやこ)をたちていく日(ひ)と

いふに。美濃国(みのゝくに)野上(のがみ)なる。長(ちやう)が家(いへ)に宿(やど)り給ふ。この長(ちやう)が女児(むすめ)に花子(はなこ)をいへる白拍子(しらびやうし)は。

その名(な)高(たか)く洛(みやこ)にも聞(きこ)えて。漢(かん)にしては趙飛燕(ちやうひゑん)。和(わ)にしてはらのみろの。洛(みやこ)の静(しづか)

池田(いけだ)の侍従(しじう)には勝(まさ)るとも。更(さら)に劣(おと)るべかもあらず。青春(せいしゆん)既(すで)に二十二歳(さい)。いまだ夫(つま)としも

定(さだ)めずその姿(すがた)こそ艶麗(あてやか)なれ。心(こゝろ)はたえて揺(たはれ)たるわかなく。かゝる活業(よわたり)をなと女子(をなご)

には。類(たぐひ)あらずとて人みな賞(せう)しけり。しかるに長(ちやう)は惟房(これふさ)のこに歇(とま)り給へるを。いと

面目(めんもく)ある事におぼえて。さま”/\饗應(もてなし)まいらせて。女児(むすめ)花子(はなこ)が舞(まひ)の曲(きよく)は。巫山(ぶざん)の

雲(くも)をも招(まね)くべく。雑錯(かきなら)せるものゝ調(しらべ)に。軒(のき)の春雨(はるさめ)音(おと)そへぬ。正(まさ)に是野(これの)の花(はな)却(かへり)て艶(そなはし)

く。濁江(にごりえ)の月風情(ふぜい)のあり。天離(あまざる)る鄙(ひな)にも又。かゝる美女(たをやめ)はありけりとて。惟房(これふさ)只顧(ひたすら)

耳(みゝ)を側(そばた)て。目(め)を斜(なゝめ)にしておはせしかば。花子(はなこ)も又都人(みやこびと)の風流(みやび)たるにこゝろときめ

けるなるべし。さて席(せき)を〓(手+奥)(うえ)て夜(よる)の設(まうけ)する。長(ちやう)はわが子(こ)に対(むかひ)て。羽生(はにふ)の小屋(こや)のいぶせき旅寝(たびね)は。殿(との)もさそな寂寞(ものさびしく)おぼすべき。枕方(まくらべ)にまいりて慰(なぐさ)め進(まゐ)らせ

てよ。よいふも心(こゝろ)あり ( ほ)也。花子(はなこ)はなほ恥(はぢ)らひて立(たち)ぬるを。女(め)の童(わらは)に案内(あない)させて。

わりなく臥房(ふしど)に薦(すゝめ)しかば。少将(しよう/\)も風(かぜ)なきに靡(なび)く青柳(あをやぎ)のいとにくからずおぼして。

一夜(ひとよ)の夢(ゆめ)を締(むすび)給ひぬ。さる程(ほど)に惟房(これふさ)は。詰朝(あけのあさ)野上(のがみ)をたちて路(みち)をいそかし。日に

歩(あゆ)み夜(よ)に宿(やど)り。奥州(おふしう)宮城郡(みやぎこふり)の府(ふ)に着(つき)て。邉庭(とほきさかひ)を治(おさめ)給ふを三年に及(およ)び。元久(けんきう)

二年の春(はる)任限(にんげん)既(すで)に充(みつる)によりて。洛(みやこ)へかへり上(のぼ)るとて。路(みち)の叙(ついで)よければ。此度(このたび)も又

野上(のがみ)に歇(とま)りて。長(ちやう)が家(いへ)にあるじさせ給へば。長(ちやう)は女児(むすめ)とゝもに出迎(いでむか)へ。管待(もてなし)はじ

めに弥増(いやまし)たれど。花子(はなこ)は何とやらん顔色(がんしよく) (なやま)しげなるを。惟房(これふさ)みそなはしてふかく

異(あやし)み。情由(ことのよし)を問(とは)んとし給ふ折(をり)しも。長(ちやう)がかき抱(いだ)きたる嬰児(みどりこ)の。年(とし)は三つばかりなる

が。やがて膝(ひざ)をはなれて。惟房(これふさ)のほとりちかう参(まい)りしかば。こは何ものゝ子(こ)なるぞ

と宣(のたま)はするを。長(ちやう)含咲(ほゝえみ)て。これなん花子(はなこ)が産(うみ)侍(はべ)りつる。殿(との)の御子(みこ)にておはする也

しかも郎君(わかぎみ)にてわたらせ給へば。この三年(みとせ)が程(ほど)はそよふく風(かぜ)にも当(あて)じとて。塵(ちり)さへ

すえず養育(はぐゝみ)侍(はべ)りといふ。惟房(これふさ)聞(きゝ)て眉根(まゆね)をよせ。われ往(さき)にこゝに宿(やど)りしとき。

吉田少将(よしだのしよう/\)奥州(おうしう)の

国司(こくし)となり三年の

任(にん)おわりて帰京(きゝやう)の

ときふたゝび

野上(のがみ)なる

長(ちやう)が家(いへ)に

歇(とま)り

給ふ

花子(はなこ)と一夜(ひとよ)の契(ちぎり)なきにはあらねど。ゆくを送(おく)り来(き)たる迎(むか)へ。艶曲(ゑんきよく)をもて人を慰(なぐさむ)る

を。身(み)の務(つとめ)とすなるものゝ産(うめ)る子(こ)を。わが胤(たね)也といへるもおぼつかなし。又かゝる事

あらば。縦(たとへ)千里(せんり)を隔(へだて)たればとて。雁(かり)の翅(つばさ)に書(ふみ)を寄(よ)せても。とくに聞(きこ)ぬべかりしを。この

子(こ)は跂(はひ)もならひ。今は歩(あゆ)みもする程(ほど)なるに。たえて告(つげ)来(こ)ざりけるは。いともこゝろ

得(え)ぬと宣(のたま)へば。長(ちやう)かさねて。この事聞(きこへ)えまゐらせざりしは。花子(はなこ)が身(み)の賤(いやし)きを羞(はち)

て也。常言(ことはざ)に樹(き)を接(つが)ば花もなほ竊(ぬす)みべし。人(ひと)の胤(たね)は盗(ぬすみ)がたしとぞいふなる。この

稚子(わこ)の面影(おもかげ)の。殿(との)に肖(に)給ひたるや否(いな)。みづから照(て)らして見(み)給へかしといふ。この時(とき)

までも花子(はなこ)は一言(ひとこと)をまじらへず。只(ただ)物(もの)おもはしき気色(けしき)なりしが。つと立(たち)て一面(いちめん)の

鏡(かゞみ)を携来(たづさへき)つ。少将(しやう/\)のほとりにさし出(いだ)すを。惟房(これふさ)とりて打(うち)かへし。左見(とみ)右見(かそみ)

てうち驚(おどろ)き。奇(き)なるかなこの鏡(かゞみ)は。わがもてるものと露(つゆ)違(たが)はず。彼処(かしこ)の櫛笥(くしげ)もて

と仰(おふ)すれば。長(ちやう)こゝろを得(え)て旅櫛笥(たびくしげ)もて来(く)るを。うち開(ひら)きてとり出し給ふ

鏡(かゞみ)も。模様(もやう)花子(はなこ)が鏡(かゞみ)にひとしく。背(うら)には松(まつ)と梅(うめ)とを鋳(い)なして。作者(さくしや)の名字(みやうじ)長

短(ちやうたん)まで。それかこれかと見まがふばかりなれば。花子(はなこ)母子(おやこ)はさら也。惟房(これふさ)いよ/\あやしみ

おぼして。わがこの鏡(かゞみ)は。往時(いんじ)文治(ぶんぢ)元年三月二十五日。壇浦(だんのうら)にて討死(うちじに)せし。前左馬

頭(さきのさまのかみ)平行盛(たいらのゆきもり)の所蔵(しよぞう)なるを。故(ゆえ)ありて亡父(ぼうふ)惟通(これみち)より相伝(さうでん)せしが。これを彼(かれ)とは元一

対(もといつつい)なり。いかにしてその一面(いちめん)を。花子(はなこ)が手(て)には入(い)りたるゆえん。かならず縁故(ことのもと)こそあら

め。聞(きこ)まほしと宣(のたま)ふに。花子(はなこ)は涙(なみだ)さしぐみて。はか”/\しく應(いらへ)もせず。長(ちやう)も涕(はな)うち

かみつゝ且(しばら)くしていへりけるは。この鏡(かゞみ)には異(こと)なる物がたり侍(はべ)り。今は何か匿侍(かくみはべ)らん

この花子(はなこ)は長(ちやう)が女児(むすめ)にあらず。左典厩(さてんきう)行盛(ゆきもり)朝臣(あそん)の遺腹子(わすれがたみ)にて。初花(はつはな)といへる

女房(にようぼう)の産(うみ)給へるなれば。さてぞ花子(はなこ)と名(な)づけ侍(はべ)る。今は廿余年(よねん)のむかし。行盛(ゆきもり)

洛(みやこ)を落(おち)たまひしとき。初花(はつはな)をば倶(ぐ)せられず。嵯峨野(さがの)にふかく潜(しのば)せ給ひつる頃(ころ)

懐胎(みごもり)ておはせしかば。いく程(ほど)もなくその日に臨(のぞ)みて。この姫(ひめ)をなん産(うみ)給ふ。長(ちやう)は

行盛(ゆきもり)恩顧(おんこ)の老党(ろうだう)山田太郎政綱(やまたのたろうまさつな)といひしものゝ女児(むすめ)にて。春雨(はるさめ)と呼(よば)れ侍(はべ)り。

母(はゝ)は世(よ)を早(はや)うして父(ちゝ)のみなるを。それさへ主(しゆう)に従(したがひ)て戦場(せんぢやう)に赴(おもむ)き。わが身(み)は初花(はつはな)

に伝(かづき)まいらせて。嵯峨(さが)の隠家(かくれが)に侍(はべ)りしが。かゝるときとて味気(あじき)なき。世(よ)のたゞすまひ

こそ悲(かな)しけれ。正(まさ)しく入道相国(にうどうさうこく)の曾孫(ひまご)にてましませば。御産(ごさん)の祷(いのり)蟇目(ひきめ)鳴弦(めいげん)

なんど。彼式(かのしき)この壽(ことぶき)とて。栄(さかへ)時(とき)めき給ふべきに。盛衰(せいすい)は一炊(ひとたき)の粟(あは)をまたず。甑(こしき)転(まろば)す

までもなく。藁屋(わらや)に雨露(うろ)を凌(しのぎ)かね。姫(ひめ)の産声(うぶこゑ)揚(あげ)給ふさへ。人に聞(きか)れじと思へば

心くるしく。とかくして四年(よとせ)あまり。五年(いつとせ)の春(はる)にあふかひなく。平家(へいけ)の一族(いちぞく)は。落屋(おちや)

の嶋(しま)の内裏(だいり)をも攻火(やきうち)せられ。行盛(ゆきもり)朝臣(あそん)はさら也。わが父(ちゝ)政綱(まさつな)も討(うた)れぬと。後(のち)に

聞(きゝ)たる悲(かな)しさは。比(たぐへ)んやうもあらざりき。又おなじ思ひに沈(しづ)む人なきにしもあらで。

是(これ)も彼(かの)朝臣(あそん)の愛(めで)給ひし。小桜(こざくら)とゆせし女房(にようぼう)には。男子(をのこゞ)出来(いでき)給ひて。このに嵯峨(さが)

に住(すみ)給はば。迭(かたみ)に憂(うき)を訪(と)ひ訪(とは)れ給ひしに。その前(さき)つ年(とし)に小桜(こざくら)は。なき人の数(かず)に入り

て。程(ほど)には稚子(わこ)のみ残(のこ)り給へば。初花(はつはな)の只身(たゞみ)ひとつにかてたれて。泣(なき)あかし。哀傷(あいぢやう)

やるかたなかりけん。ある暁(あかつき)にしのび出て。大澤(おほさは)の池(いけ)に投(しづみ)給ひぬ。その時(とき)わが

身(み)の胸(むね)くるしさは。今(いま)語(かた)るにもなほ勝(まさ)れり。元来(もとより)平家(へいけ)の党(ともがら)を聞(きく)ときは。木(き)を

伐(きり)草(くさ)を苅(かり)はらひても。捜(さがし)出(いだ)されて命(いのち)はかならと。人みないひ罵(のゝし)るにいるみ浅(あさ)まし

くて。初花(はつはな)の亡骸(なきから)を索出(もとめいだ)して。送葬(のべおくり)する事もかなはず。俄頃(にはか)に姫(ひめ)をかき抱(いだき)て

隠家(かくれが)を走(はし)り出(いで)小桜(こざくら)の産(うみ)給ひし稚子(わこ)の事をば。潜(ひそか)にあるじの老女(おうな)を相語(かたらひ)おき

て。この美濃国(みのゝくに)に聊(いさゝか) 縁(ゆかり)あれば。辛(からそ)じて逃(のが)れ来(きた)れども。主従(しゆじう)が露(つゆ)の命(いのち)繋(つなぐ)べき

便(たつき)なきに。この家(いへ)の主人(あるじ)光次郎(みつじろう)といふものゝ妻(つま)となり。姫(ひめ)をば姉(あね)の子(こ)なりと偽(いつは)りて。

養育(はぐゝみ)まゐらするに。成長(ひとゝなり)給ふ随(まゝ)に。姿(すがた)いと嬋妍(あてやか)にて。心ざま又風流(みやび)給へば。夫(をつと)光次郎(みつじろう)

もふかく慈(いつくし)み。糸竹(いとたけ)の調(しらべ)立舞(たちまふ)事をも。その に就(つき)て習(ならは)せ侍(はべ)り。しかる 夫(をつと)

光次郎(みつじろう)は。四年前(よとせさき)より中風(ちうぶ)とやらんいふ病(やまひ)にて。起居(たちゐ)も自在(じざい)ならず。家(いへ)は

ます/\貧(まづ)しうなりにければ。已(やむ)事を得(え)ず。かく白拍子(しらびやうし)となりさがらせ侍(はべ)りしも。

原(もと)その志(こゝろざし)あらざれど。姫(ひめ)にこそ父御(ちゝご)の素性(すじよう)をも変え進(まゐ)らせたれ。夫(をつと)にはなほ明白(あからさま)

に告(つげ)ざれば。彼(かれ)又(また)止(や)むべきにもあらず。姫(ひめ)も又光次郎(みつじろう)が年来(としごろ)の庇(めぐみ)をおぼせば。更(さら)に

固辞(いなむ)気色(けしき)もなくて。かゝる活業(よわたり)し給ふにぞ。今は野上(のがみ)の花子(はなこ)とて。人もしりたる

舞姫(まひひめ)と。なり給ひぬる幸(さち)なさよ。さはあれ平人(たゞびと)の妻(つま)とはなさじ。活業(よわたり)なれば

いかにせん。人の為(ため)に酒宴(しゆえん)の興(きやう)は添(そふ)るとも。 (たはれ)たるこゝろもて。身(み)をな放(ゆる)し給ひ

そと。諫(いさめ)給ひしさもおぼしくて廿歳(はたち)過(すぐ)るまで。なほ処女(をとめ)にておはせしを。過(すぎ)つる

年(とし)。殿(との)。わが家(いへ)に宿(やど)らせ給はば。かゝる貴人(あてびと)に縁(え)にし締(むすび)給ひなば。發跡(なりいで)給ふはすが

さもなりなんかと。さてぞわれうらつりなく薦(すゝめ)し。その夜(よ)の契(ちぎり)空(むな)しからず。

この稚君(わかぎみ)を産(うま)せ侍(はべ)りつれど。面(ゐへの)あたり縁故(ことのもと)を申さずは。殿(との)よも実事(まこと)をはし

給はじ。よしや実事(まこと)とし給ふとも。平家(へいけ)の党(ともがら)なりと聞(きこ)えなば。側(ほとり)へも居(すえ)

給はじ。とやせまじかくやせまじおもひ屈(く)し。かへり上(のぼ)らせ給ふ日を。只まつ

て待(まつ)ほどに待(まつ)よ稚(わか)よと呼(よび)つきに。稚君(わかぎみ)の名(な)をもいつとなく。待稚(まつわか)と称(となへ)侍(はべ)りし

を。首尾(はじめをはり)を告(つげ)申せば。花子(はなこ)もやゝ頭(かうべ)を擡(もたげ)。いへはみにいかで已(やみ)なん事ならねど。父(ちゝ)

の名(な)さへありし侍(はべ)りつる。わがうへいとゞ恥(はづか)しけれ。平家(へいけ)に因(ちなみ)あるものを。よも慕(した)ひ

まゐらするとも。洛(みやこ)へは倶(ぐ)し給はじ。されどこの児(ちご)は。君(きみ)の胤(たね)にて侍(はべ)るなれば養(やしなは)ん

とも棄(すて)んとも。御(み)こゝろに任(まか)せ給へかし。わらはは今より尼(あま)となりて。処(ところ)定(さだ)めず墨染(すみぞめ)

の袖(そで)は結(むす)べど結(むす)び果(はて)ぬ。縁(え)にしと思ひたえなんとて。うき口説(くどき)つゝよゝと泣(なけ)ば。惟房(これふさ)

つく”/\と聞て。或(ある)は驚(おどろ)き或(ある)はよろこび。思はずも膝(ひざ)をすゝめ赤縄(せきじやう)一トたび足(あし)に繋(つなは)

ば。終(つひ)に婦夫(いもせ)をなすといふ。こはみなけふの事なりし。抑(そも/\)わが家(いへ)衰(おとろへ)て。亡父(ぼうふ)惟通(これみち)

久(ひさ)しく流浪(るらう)し給ひつるころ。且(しばら)く行盛(ゆきもり)の家(いへ)に身(み)を寄(よ)せ給ふに。いく程(ほど)もなく

源平(げんへい)〓(金+票)(しのぎ)を削(けづ)るに及(およ)び。父(ちゝ)も行盛(ゆきもり)に倶(ぐ)せられて。西海(さいかい)に赴(おもむ)き。彼人(かのひと)討死(うちじに)せし日

まで。なほ立(たち)去らで在( ま)せしかば。行盛(ゆきもり)その誠心(まこゝろ)を感激(かんげき)し。後(のち)の形見(かたみ)にとて。家次(いへつぐ)

の短刀(たんとう)と。この鏡(かゞみ)とを贈(おく)り与(あたへ)小桜(こざくら)初花(はつはな)の産(うめ)る子(こ)どもの事をたのみ聞(きこ)えしかば。亡父(ぼうふ)

これを承引(うけひき)て。一方(いつほう)を切脱(きりぬけ)んとするに敵(てき)の兵舩(ひやうせん)遮(さへぎ)り留(とゞめ)て。轉(たやす)くも脱(のが)れがたき折

しも。不圖(しからず)内侍所(ないしどころ)を得(え)たりし程(ほど)に。これを携(たづさへ)て義経(よしつね)の舩(ふね)に赴(おもむ)き。この功(こう)とりて行盛(ゆきもり)

の子(こ)どもの命乞(いのちごひ)し。忽地(たちまち)朝廷(みかど)の御免(みゆるし)を稟(うけ)たりと。わが物ごゝろしれるころより。

常(つね)にいひ出(いで)給ふをもて。われ又よくその事をしれり。そはかゝる事ありとて。惟通(これみち)

みづから嵯峨野(さがの)に尋(たづね)ゆきて。小桜(こざくら)の産(うめ)りし行稚(ゆきわか)を。わが子(こ)として守(も)り育(そだて)。叡山(えいざん)

月林侍(ぐわつりんじ)へ登(のぼ)して出家(しゆつけ)させたる事。又初花(はつはな)の産(うめ)りし女子(をうなご)の往方(ゆくへ)を索(たづね)るに。たえて

しれざりし事。惟通(これみち)は建久(けんきう)七年の秋(あき)世(よ)を去(さ)り。わが身(み)院(いん)〈後鳥羽〉の寵遇(ちやうぐう)

を得(え)て。こよ

なく昇進(しようしん)したる事。審(つまびらか)に説(とき)聞(きか)せ。さて宣(のたま)ふやう。亡父(ぼうふ)命(いのち)終(をは)らんとし給ふとき。惟房(これふさ)

をみかへりて。わが死後(しご)只 にかゝれるは。行盛(ゆきもり)の女児(むすめ)の事也。もし環会(めぐりあは)ば養(やしなひ)もりて。汝(なんぢ)に

妻(め)あはすべう思ひしに。その事成(な)らで死(し)ぬるこそ恨(うらみ)なれ。汝(なんじ)父(ちゝ)が志(こゝろざし)を継(つぎ)て。普(あまね)く

その行方(ゆくへ)をたづねよ。われ貧(まづ)しかりしむかしより。義(ぎ)に干(おい)て違(たが)ふことなし。只この

一條(いちでう)のみ黄泉(よみぢ)の障(さはり)ともなりてんと宣(のたま)ひつる。遺言(ゆいげん)いとことわりなれば。今に妻(つま)を

娶(めと)らず陸奥(みちのく)にありける程(ほど)も。彼(かれ)につきこれに語(かた)らひて。ふかくも索(たづね)つるに。おもひきや

その人は花子(はなこ)にて。しらず契(ちぎり)を締(むすば)んとは。待稚(まつわか)はわが児(こ)也。花子(はなこ)は今よりわが妻(つま)也。

さるにてもこの鏡(かゞみ)は。楽昌公主(らくせうこうしゆ)が故事(ふること)にも勝(まさ)れり。こは行盛(ゆきもり)の賜(たまもの)にて。初花(はつはな)より受(うけ)

侍(はべ)けんと宣(のたま)へば。花子(はなこ)も春雨(はるさめ)も。海月(くらげ)の骨(ほね)にあへるこゝちしつ。袖(そで)の涙(なみだ)はまだ乾(かはか)ねど

忽地(たちまち)面(おもて)に咲(えみ)をふくみ。この鏡(かゞみ)は行盛(ゆきもり)の洛(みやこ)を落(おち)給ひしとき。とり忘(わす)れ給ひしを。頭殿(かうのとの)

の形見(かたみ)也とて。初花(はつはな)の愛(めで)納(おさ)め給へるを。長(ちやう)が花子(はなこ)に進(まい)らせたるにて侍(はべ)り。寔(まこと)に宣(のたま)ふところ

を聞(きゝ)まつれば。仮初(かりそめ)の縁(え)にしにあらず。昨夜(ゆふべ)燈(ともしび)に花(はな)を結(むす)び今朝(けさ)又喜(よろこび)鵲(かれす)とやらんの。軒端(のきばた)

ちかう鳴(なき)つるもこの吉祥(よきさが)あるべきにこそ。やよ待稚君(まつわかぎみ)も歓(よろこ)びおぼせ。こは父上(ちゝうへ)にましますそ。

花子(はなこ)もろとも扶引(たすけひき)て。なほそのほとりに歩(あゆま)すれば。惟房(これふさ)これを膝(ひざ)にかき載(の)せ。今までしらぬ

わが子(こ)にあふも。松(まつ)と梅(うめ)とを鋳出(いだ)したる。二面(にめん)の鏡(かゞみ)の〓(人+賓)(みちびき)にて。花子(はなこ)はわれを待ち(まち)より名(な)づけ。

つれは実植(みうへ)の松(まつ)を得(え)たれば。待(まつ)を松(まつ)に更(あらため)て。松稚(まつわか)とこそ呼(よぶ)べけれ。既(すで)にこの松(まつ)あるからに。

梅(うめ)もやがてぞ生出(おひいづ)べき。歓(よろこ)びこれにます事なし。まづ縁由(ことのよし)を老党(ろうだう)にもしらせばや

とて。粟津(あはづ)松井(まつゐ)以下(いか)の家隷(いへのこ)を召集會(めしつどへ)。松稚(まつわか)花子(はなこ)春雨(はるさめ)が事まで。落(おち)もなく語(かた)り

給はば。衆皆(みな/\)大に歓(よろこ)びて。或(ある)は雪(ゆき)の松(まつ)に操節(みさか)を称(せう)し。或(ある)は十八公(かう)の栄(さかへ)をぞ祝(ことぶ)きける。その

時(とき)惟房(これふさ)春雨(はるさめ)に対(むかひ)て。汝(なんぢ)が年来(としごろ)の苦心(くしん)忠(あいう)あり義(ぎ)あり。実(じつ)に女(をうな)の丈夫(ますらを)なり。はじめ初

花(はつはな)に傳(かしづ)きて。又よく花子(はなこ)を養育(はぐゝみ)たれば。春雨(はるさめ)の老女(をうな)と呼(よば)んも事に稱(かな)へり。今花子(はなこ)

とゝもに洛(みやこ)へ将(い)て上(のぼ)るべきに。夫(をつと)光次郎(みつじろう)とやらんはいかにしつると問(とひ)給へば。春雨(はるさめ)うけ

給はりて。数(かず)にもあらぬこの身さへ。かく叮嚀(ねんごろ)に聞(きこ)え給ふ御恵(めぐみ)のうれしさよ夫(をつと)光次郎(みつじろう)

は去年(こぞ)の夏(なつ)身(み)まかり侍(はべ)りて。しかるべき親族(はらから)もなく。一子(いつし)太郎三郎といふもの。今茲(ことし)

十七歳(さい)になりぬ。彼(かれ)幼少(いとけなき)より武芸(ぶげい)を好(この)みて。賤(しづ)の手業(てわざ)に心をとめず。常(つね)には

家(いへ)にしもあらぬを。けふは殿(との)のおはせ給ふをもて。呼(よ)びよせて侍(はべ)り。あはれ

御目(おんめ)を給はらせ給へかしと申すにぞ。惟房(これふさ)それ召(め)せと仰(おふ)するに。太郎三郎軈(やが)

て母(はゝ)の後方(あとべ)に参(まひ)りつ。その形容(さま)鄙(ひな)には似(に)げなき壮佼(わかうど)にて。物(もの)の幼にも立(たつ)べく

みゆれば。惟房(これふさ)なほちかく召(めさ)れて。汝(なんぢ)彼処(かしこ)にて縁故(ことのもと)はよく聞(きき)つらん。母(はゝ)が誠忠(まこゝろ)

を稟(うけ)つぎて。わが家(いへ)に仕(つかへ)なば。松稚(まつわか)が股肱(こゝう)ともたのみ思ふべし。汝(なんぢ)が祖父(おほぢ)は平家(へひけ)の

侍(さふらひ)にて。山田太郎政綱(やまたのたろうまさつな)とか聞(きゝ)ぬれば。父(ちゝ)光次郎(みつじろう)が字(あざな)を象(かたど)り。山田三郎光政(やまだのさぶらうみつまさ)

と名告(なの)れとて。まづ見参(げんざん)の引出物(ひきでもの)に。太刀(たち)烏帽子(えぼし)などを賜(たまは)らするに。春雨(はるさめ)は

いふもさら也。花子(はなこ)もふかく歓(よろこ)び聞(きこ)え。こよなき御恵(おんめぐみ)のわが方(かた)ざまの人/\までに。

及(およぼ)し給ふにつきても。叡山(えいざん)月林寺(ぐわつりんじ)に登(のぼ)し給ひつる行稚(ゆきわか)とやらんは。母(はゝ)こそ異(かは)れ。わら

はが兄上(あにうへ)〈○イロコ〉にて在(ましま)すなれば。いとなつかしうおぼえ侍(はべ)り。いかに恙(つゝが)なくやおはすると問(とふ)に。

少将(しよう/\)惟房(これふさ)二面(にめん)の鏡(かゞみ)に

よつて花子(はなこ)は行盛(ゆきもり)の

女児(むすめ)なることをしり

松稚(まつわか)もろとも洛(みやこ)へ

将(い)て上(のぼ)り給ふ

春雨(はるさめ)が一子(いつし)山田

三郎(やまだのさぶらう)見参(げんざん)して

家臣(いへのこ)となる

惟房(これふさ)點改(うなづき)て。彼(かの)行稚(ゆきわか)が事に干(おい)ては種ゝ(くさ”/\)の物(もの)がたりあれど。一朝(いつちやう)には説盡(ときつくし)がたし。

そは後(のち)に委(くは)しうしらすべしと應(いらへ)給ふ折(をり)しも遠寺(ゑんじ)の鐘聲(せうせい)音(おと)づれて。やゝ初更(しよかう)

にもなりにければ。春雨(はるさめ)は席(せき)を更(あらため)て。盃(さかづき)を勧(すゝ)めまゐらせ。夫婦(ふうふ)君臣(くんしん)みな歓(よろこ)びを盡(つく)すに盃(さかづき)の数(かず)もかさなりて。惟房(これふさ)不圖(はからず)〈○フト〉みかへり給はば。蒸襖(むしふすま)のこなたに。料紙(りやうし)

の硯箱(すゞりばこ)ありて。上(うへ)に扇(あふぎ)を載(のせ)たれば。押(おし)ひらきてみ給ふに。

   夏(なつ)はつる扇(あふぎ)と秋(あき)のしら露(つゆ)といづれかさきにおきふしの床(とこ)

と筆(ふで)の運(はこ)びも拙(つたな)からず。女(をんなて)の  らて書(かき)たりける。歌(うた)のこゝろは斑〓(女+捷の右)〓(女+予)(はんせうよ)が故事(ふること)を

思ひよせて男(をとこ)に捨(すて)られたるを。秋(あき)に扇(あふぎ)に寄(よ)せて読(よめ)り。こは花子(はなこ)が筆(ふで)にやあらんと

宣(のたま)ふに。花子(はなこ)ふかく恥(はじ)らひて。宣(のたま)ふごとくわらはが筆(ふで)のすさびに侍(はべ)り。縁由(ことのよし)を申さ

ずは他(あだ)し人に見(まみ)えぬるかと。疑(うたが)ひとおぼさんが。この三年(みとせ)が程(ほど)。君(きみ)を慕(した)ひまゐらせ

て。帰上(かへりのぼ)り給ふ日を。けふか翌(あす)かと待(まち)わびつゝ。馬士(うまかひ)のをのこにも言告(ことつげ)て。只これのみを

問(とは)せ侍(はべ)りつるに。此度(このたび)は美濃路(みのぢ)を過(よぎ)り給はずと聞(きこ)えしかば。とても洛(みやこ)へはる”/\と

慕(した)ひ上(のぼ)るべきよすがもなし。思ひ屈(く)して死(しな)んより。ともかうもなりなんとて。浅(あさ)はか

なる女子(をなご)の知もて。辞世(ぢせい)の歌(うた)を遺(のこ)しながら。幼(いとけな)き人の袖(そで)に携(すが)りて。憖(なまじい)に絆(ほだし)となれ

ば。なほ磬蝉(うつせみ)の裳(も)さへ脱(ぬぎ)得(え)で。一日(ひとひ)二日(ふたひ)と泣(なき)くらせしに。はじめ聞(きゝ)つるは空言(そらごと)にて。

忽地(たちまち)走衆(はしりしふ)の告来(つげき)たりて。又こゝに宿(やど)らせ給ふといひ罵(のゝし)るに。いと浅(あさ)ましくても

嬉(うれ)しくて。あの扇(あふぎ)さへとりかへさず。みられまねらせしこそ面(おも)なけれとて。事(こと)の本末(もとずゑ)をを物

がたれば。みな駭然(がいぜん)とうち驚(おどろ)き。もし殿(との)の帰洛(きらく)十日とも後(おく)れんには。再會(さひくわひ)はありがたけん

さは由(ゆ)かしき事にこそといひあへりける。惟房(これふさ)聞(きゝ)て宣ふやう。士(し)は己(おのれ)を知(しる)ものゝ為(ため)に

死(し)し。女(をうな)は己(おのれ)をよろこぶものゝ為(ため)に容(かたちつく)るといへど。一夜(ひとよ)の情(なさけ)に百年(もゝとせ)の命(いのち)をかえんと

物もへる事。そも尋常(よのつね)の心ならんや。よくこの志(こゝろざし)移(うつ)らずは。偕老(かいろう)の誓(ちかひ)何かは

違(たが)はん。花子(はなこ)はわが国(くに)の斑〓(女+捷の右)〓(女+予)(はんせうよ)にゝて。なほ幸(さひわひ)あるもの也。しからばこれをも斑女と

呼(よび)て。憂(うき)を忘(わす)れぬ夫婦(ふうふ)が為(ため)に。警(いましめ)ともなすべしとて。気色(けしき)よろしくみえ給ふ

にぞ。この時(とき)より花子(はなこ)を稱(せう)して。人みな斑女前(はんによのまへ)と申ける。さる程(ほど)に少将(しよう/\)惟房(これふさ)は

粟津(あはづの)六郎に。奴隷(しもべ)十余人(よにん)を残(のこ)しとゞめ。春雨(はるさめ)。山田(やまだの)三郎等(ら)とゝもに。斑女(はんによ)松稚(まつわか)の

共(とも)して。後(あと)より上(のぼ)るべしと仰(おふ)せて。次(つぎ)の日ニ野上(のがみ)をたちて。殊(こと)さらに路(みち)をいそ

がし。日ならず洛(みやこ)に帰著(かへりつき)て。言(こと)の次(ついで)に斑女(はんによ)松稚(まつわか)の事とも聞(きこ)えあげ給ふに。数三日

後(おく)れて彼(かの)人/\も恙(つゝが)なく上洛(しようらく)せり。因(より)て黄道(くわうどう)吉日をえらみ。斑女(はんによ)と新(あらた)に婚姻(こんいん)

の蓆(むしろ)を開(ひら)きて。いよ/\睦(むつま)しうみえ給ひし程に。その年(とし)の終(をはり)に亦(また)男子(なんし)出生(しゆつせう)し

給ひぬ。さればこそ鏡(かゞみ)の梅(うめ)をも得(え)たれとて。これをば梅稚丸(うめわかまる)と名づけ。鐘愛(しやうあい)いづ

れ浅(あさ)からざりけるとなん。

墨田川梅柳新書巻之一 畢